激動の時代だからこそ
自他共の幸福の哲学を
自信満々と語ろう!
広布の誇りと開拓精神を
わが胸中に燃やして!
異体同心事 P1463
『日本国の人人は多人なれども体同異心なれば諸事成ぜん事かたし、日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じて一定法華経ひろまりなんと覚へ候、悪は多けれども一善にかつ事なし』
【通解】
日本国の人々は、大勢いるが、体同異心なので、何事もうまくいかない。日蓮の一門は、異体同心であるゆえに、人数は少ないけれども、大事を成し遂げ、必ず妙法が広まると確信する。悪は多くとも、一善に勝つことはない。
名字の言 介護予防で注目される「買い物リハビリ」 2022年10月2日
作業療法に詳しい友から「買い物リハビリ」の話を聞いた。スーパーマーケットで高齢者が専用カートを押して買い物をする。店内を歩き、品物を取ろうと手を伸ばすことなどが運動になる▼献立を考えたり、代金を暗算したりと認知機能を活性化させる効果も。本人はショッピングを楽しんでいるのだが、結果的にリハビリや介護予防になっている。ひいては健康長寿にもつながるだろう▼教員経験のある女性部員が、近所の80代の女性に教学部任用試験の受験を勧めた。女性は「この年で勉強や試験なんて……」と断った。その夜、同居する息子の妻が、女性から事の経緯を聞き、言った。「教員をしていたからか、彼女の話は面白くて、いつも楽しくなるよ」▼女性は「それならもう一度、話を聞いてみようかな」と笑顔に。息子の妻も含めて3人で歓談する中、女性は任用試験の受験を決意した。初めは、楽しくおしゃべりすることに満足だったが、今では御書を学ぶことで、より良い生き方を考えるようになったという▼仏法は体も心も、ともに健康人生を生きる根本の大道。何がその道に入る"きっかけ"になるかは分からない。友の幸福を祈り、関わり続けていけば、いつか必ず「道」は開ける。
寸鉄 2022年10月2日
「汝、蘭室の友に交わって麻畝の性と成る」御聖訓。求道の善友と錬磨の秋に
東京・町田の日。"世界の模範"と輝く特区の同志。先駆の拡大で新時代開け
友情の大黒柱は尊敬と信頼である—イギリス思想家。誠実一路でスクラム固く前進
国連「国際非暴力デー」。対話こそ平和築く直道。生命尊厳の哲理を今こそ
新入社員が求める上司は「丁寧な指導」の人—調査 人材育成も寄り添う心で
☆君も立て——若き日の挑戦に学ぶ 第21回 「青年部の文化運動」 文化は人間性の勝利をもたらす力
青年部への指針
一、出発は今だ、と勇敢に立ち上がれ!
二、嵐を誉れとして正義を語れ!
三、不二の後継の勝利で未来を開け!
(「随筆 民衆凱歌の大行進」〈誓いの青年に贈る〉から)
◇学会を真似する時代
池田先生が、青年部の室長時代、視察に訪れた催しがある。1958年(昭和33年)5月24日、東京・国立競技場で開催された「第3回アジア競技大会」だ。
同競技大会は、4年に1度開かれるアジア最大のスポーツの祭典である。
この日の日記には、こうつづられている。「第三回アジア大会を観にゆく。青年部幹部二、三人を連れて。将来の、学会青年部の体育祭、文化祭の参考にとも思い……」「絢爛たる、若人の熱と力と技」「来年は、必ず、青年部で開催してみたい」(『若き日の日記』)
同行した幹部には、音楽隊の初代隊長などがいた。観戦すると、先生は語った。
「やがて、何でも学会の真似をするような時代が来るよ」——それは、先生の強い確信と深い覚悟の言葉だった。
学会の文化祭の淵源は、54年(同29年)11月7日、東京・世田谷の日大グラウンドで開催された「世紀の祭典」である。青年部主催による初めての体育大会で、企画したのは先生だった。
当時の理事室は、当初、開催について賛同しなかった。同年5月6日、池田先生の提案によって音楽隊が発足するが、それまでの道のりにおいても、先輩幹部たちは理解を示さなかった。
しかし、先生の決意は揺るがなかった。
"優れた宗教があるところ、必ず偉大なる文化、芸術が生まれる。真の人間文化の創造は学会の使命である"
音楽隊の発足や「世紀の祭典」の開催に、ただ一人理解を示してくれたのが戸田先生だった。恩師は、「将来のために意味があるだろうから、やりなさい」と愛弟子に言明した。
ある懇談の際、池田先生は、青年部の文化運動の意義について述べたことがある。
「青年は、信心、信心と口で叫んでいるだけでは行き詰まってしまう。学会は信心を根本にした幅広い文化活動が必要なのです。だから、私は戸田先生の許可をいただいて始めたんだよ」
【「若き日の日記」1958年(昭和33年)12月12日から】
若あゆのごとく、躍動する若人。
この人たちのため、自分は一生戦おう。
犠牲になってもよい。恩師がそうであった。
◇上手になったね
池田先生の熱意によって実現した「世紀の祭典」は大成功を収めた。
以後、「若人の祭典」と銘打たれた体育大会が各方面で開催され、華やかなダンスや人文字なども取り入れられていく。
壮年や婦人も勇んで応援し、青年部の文化行事を通じて人材の拡大が図られる"創価の伝統"が築かれていった。
「若人の祭典」は、"師弟の原点"を刻む歴史的な催しにもなった。1957年(昭和32年)9月8日、横浜・三ツ沢の陸上競技場で行われた同祭典で、戸田先生は「原水爆禁止宣言」を発表した。
そうした中で、池田先生は、文化運動において大きな役割を担う「音楽隊」「鼓笛隊」の育成に力を注ぐ。
54年5月6日に発足した音楽隊は、3日後の9日、初めて出動。雨の降りしきる中、全国から集った青年5千人の前で、演奏を披露した。その時、青年室長の先生は、自ら渾身の指揮を執った。
音楽隊の楽器は、借り集めたものだった。先生は、"広布の楽雄"を一流に育て上げるため、楽器を工面した。さらに、音楽隊に対してこまやかなアドバイスを送り続け、演奏曲や演奏形態、服装などに創意工夫が重ねられていった。
鼓笛隊は、33人の編成で56年(同31年)7月22日に結成された。先生は、"世界一の鼓笛隊に育て"との期待を込め、私財を投じてファイフとドラムを贈呈。翌57年10月に行われた鼓笛隊の第1回研修会で、「太陽のように明るく 月光のごとく清らかな鼓笛隊たれ」との指針を贈っている。「上手になったね」——先生は、練習会場を訪れては、"平和の天使"たちを励まし続けた。
58年3月16日、「3・16」の広布後継の儀式の終了後のこと。戸田先生は、体が著しく衰弱する中にあって、車駕に乗って会場を後にした。
池田先生は参加者を見送り、鼓笛隊、音楽隊がそれぞれ歓送の調べを奏でた。
見送りを終えた愛弟子は、恩師に聞こえるよう、音楽隊に演奏を依頼する。そして、この時の「星落秋風五丈原」が、戸田先生の聴く最後の曲となった。
翌59年(同34年)4月の戸田先生の一周忌法要で、音楽隊・鼓笛隊は同曲をはじめとした演奏を恩師の墓前でささげた。
墓参の後、池田先生は語った。
「音楽隊、鼓笛隊の音が響いているうちは、創価学会は大丈夫です」
先生の手作りによって、音楽隊・鼓笛隊は、各種コンテストで輝かしい実績を残す、名実ともに"日本一"の文化の旗手へと発展を遂げている。本年は、東日本大震災復興支援のための、音楽隊による「希望の絆」コンサートが2年ぶりに生演奏で再開された。さらに、3年ぶりのパレード出演によって、各地に"友情のハーモニー"が広がっている。
◇「第三文明」の夜明け
58年6月30日、総務に就任した池田先生は、学会の実質的な舵取りを担いながら、青年部の文化運動に次々と新たな灯をともしていった。
58年10月6日には、150人の乙女で「女子部合唱団」(女性部「富士合唱団」の前身)を発足。前年8月、恩師から「青年部に合唱団をつくったらどうかね」と提案されていた。発足式に出席した先生は、信心を貫くよう望み、後に、「"富士のように気高く"そして、"広野の如く限りなく"広布の道を進みなさい」との指針を贈っている。
59年は、夏に「若人の祭典」が初めて全国展開された。10月15日、先生の提案で、初の「全日本学生弁論大会」が東京・目黒で開催。11月23日には、東京・神田で第1回「学生祭」が行われた。
宗門は、"「祭り」は他宗がしていることであり、そんな祭りをやる必要があるのか"と、浅はかな言いがかりをつけていた。学生たちを守り、宗門を説得したのは先生だった。
そんな中で開かれた学生祭は、創作劇、日本舞踊、器楽演奏、記録映画「学会の歩み」の上映など、芸術色豊かな行事となった。先生は席上、「この催しこそ、色心不二の哲学を根底とした大文明、文芸復興の夜明けである」と宣言した。
文化運動の潮流が広がる中、先生が訴えたのが「第三文明」の大構想である。
27歳の日記でこうつづっている。
「次の、深く、輝く文化は、必ずや、この大衆を土壌にしたところに、永遠の金字塔の文化が、樹立しゆくことだろう。ああ、第三文明」(『若き日の日記』、1955年11月12日)
59年7月3日の男子部幹部会で、初めて「第三文明」について詳しく言及し、青年部に大きな期待を寄せた。
「現代の民衆は、精神文明の世の中にも、物質文明の世の中にも、もの足りないと感じております。民衆の根底からの欲求は、物でも心でもありません。真実に渇仰しているのは、色心不二の生命哲学から出発した『第三文明』なのです」
9日の女子部指導会では、「世界平和のために、最高の文化建設のために、『第三文明』という、色心不二の文化を創っていくのです」と強調した。
その後、師がともした「第三文明」の理想の灯は、創価の青年たちの手によって世界へと広がっていく。国境を超えた若人の絆が輝く「世界平和文化祭」「世界青年平和文化祭」は、社会に大きな反響を呼ぶ一大イベントとなった。
「音楽祭」「文化祭」「創価青年大会」等、時代に即した形で平和の潮流を拡大する青年部の文化運動。この下半期には、青年層を主役とする「SOKAユースフェスタ」が、各地で開催される。
先生は述べている。
「文化とは『文をもって化す』ことであり、人間の心を耕す作業といってよい。暴力や権力、金力といった人間を脅かす外からの力に抗して、人間性の勝利をもたらす力である」
文化による創価の連帯は、分断の闇を照らす"希望の光源"となろう。