◇今週のことば
「智者とは、世間の法より
外に仏法を行わず」
信心は即生活であり
仏法は即社会である。
智者の誇りで勝ち光れ!
(新1968・全1466)
2022年10月24日
日女御前御返事 P1244
『相構え相構えてとわりを我が家へよせたくもなき様に謗法の者をせかせ給うべし、悪知識を捨てて善友に親近せよとは是なり』
【通解】
よくよく心を引きしめて、遊女を我が家へ寄せつけたくないと思うのと同じように、謗法の者を防がなくてはならない。「悪知識を捨てて善友に親近しなさい」というのは、このことである。
名字の言 苦に徹すれば珠と成る 2022年10月24日
所用で郊外に電車で出かけた。駅の改札口には、リュックサックを背負った老若男女の姿。見るからに登山者と分かる一団は皆、山岳へ向かうバスに笑顔で乗り込んでいった▼"平坦な道を歩くのと違い、山登りは決して楽な行程ではなかろうに……"という思いは杞憂なのかもしれない。「楽」ではないことも、彼らには「楽しい」の一部なのだ。道中での予期せぬ出来事が「苦労」になったとしても、安易に「苦しみ」とは捉えないのだろう、とも思った▼ある壮年部員は"苦に徹すれば珠と成る"という文豪・吉川英治の言葉を座右の銘にしている。闘病、リストラなど、数々の試練を信心で勝ち越えてきた▼本紙通信員でもある彼は「私自身が苦労した分、同志が苦悩に負けずにつかんだ信心の確信と喜びを理解できます」と胸を張る。言葉の通り、彼の文章は年々、珠玉の輝きを増している▼御聖訓に「南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり」(新1554・全1143)と。池田先生は「『遊』とは、人生を自在に生きていくこと、『楽』とは、人生を心から楽しむこと」と語っている。苦に徹するからこそ、真の遊楽の境涯を築けると心に決め、唱題根本にさらなる人生の高みを目指そう。
寸鉄 2022年10月24日
青年には意気がある。青年を育成せよ—戸田先生 共に動き語り、共に成長
第2総東京女性部の日。広布の電源地に輝く幸のスクラム。率先の対話拡大を
社会部の日。激動の中で仏法勝負の実証示す友。創価の世雄に福徳厳然!
善い人間を論ずるよりも善い人間になれ—賢帝アウレリウス。勇気の行動で自身を変革
国連デー。学会の青年は平和の重要な役割担うと元次長。不戦の誓い固く
〈社説〉 2022・10・24 きょう「社会部の日」
◇周囲を照らす「世雄」の使命
きょう24日は「社会部の日」。同部は1973年(昭和48年)10月24日、同じ会社や職域のメンバーが、互いの信仰を磨きながら、職場の第一人者として成長し合うことを目的に結成された。
当時、日本経済は第1次オイルショックの影響で危機に陥っていた。先行き不安な時代にあって、友は「御みやづかいを法華経とおぼしめせ。『一切世間の治生産業は、皆実相と相違背せず』とは、これなり」(新1719・全1295)の御聖訓を心に刻み、苦難の逆風に立ち向かったのである。
以来、"今いる場所""わが職場"が、仏法の智慧と力を発揮する本舞台であると自覚し、勝利の実証を示してきたのが、創価の社会部の誉れの伝統だ。
ITメーカー勤務の壮年は、仕事の重圧と過労がたたり、休職を余儀なくされた。人生の意味を見失いかけた時、池田先生の「どんな悲しみも、どんな苦しみも、どんな宿命も、全部、悠々と乗り越えて、最も幸福な境涯を得ていけるのが、日蓮大聖人の『仏法』であり、創価学会の『信心』である」との指導に触れた。"もう一度、使命の場所に"と変毒為薬の信心を貫く中、弘教を結実。祈った以上の好条件で復職を果たすことができた。現在は、最先端技術の開発を手がける部署のリーダーとして奮闘する。
生活用品メーカーで働く女性部のメンバーは、新商品開発の現場で苦闘の日々を送っていた。そんな中、師匠の励ましの言葉が心の支えになった。「自分が不可能だと思えば、必ず不可能になる」「『希望』は、『確信』にまで固まってこそ、『現実』となる」。勇気を奮い起こし、毎朝、具体的な祈りから一日をスタート。誰よりも早く出社し、職場の清掃にも励んだ。誠実な姿勢に周囲からの信頼も広がり、ついには自身が企画したアイテムの商品化を実現。順調に売り上げを伸ばし、大ヒット商品となった。
日蓮大聖人は、「仏法と申すは勝負をさきとし」(新1585・全1165)、「故に、仏をば世雄と号し」(同)と仰せである。現実社会の逆境を信心で勝ち越える「仏法勝負」の体現者こそ、使命深き社会部の友である。
明年は、同部結成50周年。周囲を希望の光で照らしながら、時代の荒波に挑む"創価の世雄"に、心からのエールを送りたい。
☆勝ちゆく君へ 第33回 新しき宝友と 新しき歴史を
◇「若き力」が広布の推進力
宝の後輩や新たな宝友を、「自分以上の人材に」と祈り、尽くす。これが学会の伝統です。
牧口先生は、人材育成とは「砂中の金」を探すようなものだと言われました。
そして、泥まみれの現実の中で、地涌の使命を自覚して、立派に光る同志たちを「砂中の金」と讃えられたのです。
一人一人が「黄金の光」を自信満々と放つところ、広布推進の力は倍加する。とりわけ、新入会や新たに立ち上がった若人には、新鮮な発想と挑戦がある。先輩も後輩も互いに学び、存分に生かし合っていくことです。
新しき人材とともに、新しき拡大の歴史を創りゆけ!
◇友のもとへ足を運ぼう
御義口伝に「我らが頭は妙なり。喉は法なり。胸は蓮なり。胎は華なり。足は経なり」(新997・全716)と。
「足」すなわち「行動」ありて、真の妙法蓮華経となる。ゆえに釈尊も、日蓮大聖人も、人々のもとへ足を運ばれました。
学会活動はまさしく、歩き語り、心を結ぶ仏道修行の真髄です。一回一回の励ましを滋養として、幸の花が咲きます。
直接会って、笑顔を交わす。電話や手紙で真心を伝える。
「鏡に向かって礼拝をなす時、浮かべる影また我を礼拝するなり」(新1071・全769)との如く、人間尊敬の振る舞いこそ、自他共の生命を荘厳する平和創造の大光です。朗らかに行動即歓喜の一歩を!
(創価新報2022年9月21日付より)
☆「桜梅桃李」の輝き 池田先生の指導に学ぶ
ポーランドといえば、多くの世界的逸材を輩出した「芸術」と「学術」の国である。先日(1992年5月8日)、私は、同国のリプシッツ駐日大使と、日本とポーランドの文化をめぐって語り合った。そのポーランドが生んだ十九世紀の民衆詩人にミツキェーヴィチ(1798〜1855年)がいる。「ポーランドの民族的伝統についての省察」という副題のついたステファン=キェニェーヴィチの著『歴史家の民族意識』(阪東宏訳、未来社)には「青春讃歌」と題する彼の詩が紹介されている。彼は、こう謳い上げている。
団結によりて力強く 理性によりて燃え立ち
いざ共に若き友よ 肩を組み輪をなして
この地球を結びつけん……
もろびとこぞりて 世界をば新たなる軌道にのせん。
若者よ自由を迎えよ 太陽は汝等を救わん
「団結」しながらも、しかも「自由」——と。次元は異なるが、仏法では、「桜梅桃李の己己の当体を改めずして」(全784・新1090)——桜は桜、梅は梅、桃は桃、李は李と、それぞれの当体を改めず(そのままの姿で個性を生かしきっていく)——と説く。
◇自身の開花が仏法ルネサンス
それぞれの個性を最大に尊重して、最大に花を咲かせていく。そして色とりどりの花々が、美を競い、香りを競いながら、全体として見事な調和の花園となっていく——ここに絢爛たる仏法ルネサンスの開花がある。広げていえば、国と国、またそれぞれの文化を、最大に尊敬し、対等、平等の心で友情を結んでいく——これが、私どものめざす人間主義の連帯である。
大聖人の仏法は世界の仏法であり、宇宙の仏法である。ゆえに、大聖人直系の私どもの舞台は世界であり、宇宙である。私も、全世界の広宣流布へ陣頭指揮で戦っていく。日本の同志の皆さまにも、一生懸命、お題目を送る決心である。どうか、それぞれが今いる立場で、朗らかに「前進」と「勝利」の指揮をお願いしたい。(『池田大作全集』第80巻 第23回全国婦人部幹部会、第55回本部幹部会でのスピーチから)
☆
沖縄研修道場に着くや、みずみずしい緑と花々が歓迎してくださった。
守る会の皆さまをはじめ、整備してくださった方々の真心が道場のすみずみにまで光っている。心から感謝申し上げたい。
花たちにちなんで、かつて聞いたこんな話を紹介したい。
◇「励ましの慈雨」を待っている心
それは——砂漠では十年、二十年と雨が降らない地域がある。そこに、ある日、たっぷりと雨が降ると、なんと一夜にして花園になることがあるという。
いっせいに緑が芽吹き、たちまち花をつける。
花の種は、いつ降るかわからない雨を、何年も何年も砂漠で待ち続けているのである。
人間社会にも「励ましの慈雨」を待ち続けている心がたくさんあるにちがいない。決して砂漠の中に放っておいてはならない。
桜梅桃李——その人らしい、その人の「花」を、すべての人が咲かせていける社会でなければならない。
そのための仏法であり、組織であり、リーダーであり、励ましなのである。
◇勇気を吹き込む
「励まし」は英語で「インカレッジ(encourage)」という。これは「カレッジ(勇気)を入れる」という意味である。「勇気を吹き込む」のが「励まし」なのである。
ちなみに日本語の「励まし」は「励む」ようにさせることである。「励む」は「激しく」気持ちを立たせて向かうことともされている。
「励ましの人」は「勇気」という宝石を惜しみなく人々に与え、行くところすべてを明るい花園に変える。
これほど美しい人生はない。(『池田大作全集』第85巻 第1回沖縄最高会議でのスピーチから)