"われ地涌の菩薩なり"
自らの使命を自覚した時
無上の歓喜があふれる。
広布誓願に生き抜き
幸福広げる勝利劇を!
三世諸仏総勘文教相廃立 P561
『十方の浄土の依報正報の功徳荘厳は我が心の中に有つて片時も離るること無き三身即一の本覚の如来にて是の外には法無し此の一法計り十方の浄土に有りて余法有ること無し故に無分別法と云う是なり』
【通解】
十方の浄土の依報と正報との功徳にあふれた荘厳な姿は、我が心のなかに収まって瞬時も離れることがない。我が身は、そういう三身即一の本覚の如来であって、このほかには仏の法はないのである。この一法だけが十方の浄土にあって、他の法はない。これを無分別の法というのである。
名字の言 「世界最高の哲学を学ぶ喜び」 2022年10月4日
日蓮大聖人の仏法は、人間を「強く」「善く」「賢く」する"生きた哲学"である。11月6日、4年ぶりに行われる伝統の「教学部任用試験(仏法入門)」。世界192カ国・地域に広がった生命哲学を研さんする▼初の任用試験が実施されたのは、1952年(昭和27年)12月。午前に筆記試験、午後に御書の講義実習があり、合否は即日発表された。試験は「南無妙法蓮華経とは何ぞや」などの記述式の問題。1題は第2代会長の戸田先生が出題した▼当日の模様を報じた本紙を見ると、筆記試験に取り組む、真剣な受験者の写真が目に飛び込んできた。説明には「いくつになっても頭の痛い試験場風景」と▼この任用試験の合格者を加えた「教学部一覧」も掲載されていた。そこには、助教授に任命された池田先生の名前が。先生は「世界最高の哲学を学ぶ喜び」と題した一文を寄せ、生命の法理を明らかにしたのが御書であり、教学研さんは「誰人も知らぬ大哲学を勉強しているような喜び」とつづっている▼第1回の任用試験は、学会による御書全集が発刊された年に実施された。70年後に行われる今回の試験は御書新版の発刊後、初の開催となる。時代は変われど、私たちは永遠に御書根本に進む!
寸鉄 2022年10月4日
御聖訓「一向に法華経を説くべし」。青年よ折伏精神で語れ!勇んで進め(新478・全438)
難があるほど仏になれる—牧口先生。強き信心の挑戦で金剛の生命を錬磨
誉めることはそれ自体で芸術—アメリカ作家。皆の奮闘・長所を見つけ、称えよう
スマホ依存は自覚乏しく心身を蝕む—薬物に類似と。賢き利用を更に意識
中高生の自転車通学時の事故増と。ヘルメットの着用者少なく。油断大敵
☆輝きの瞬間 10月の広布史
◇1977年10月2日 「戸田記念墓地公園」が開園
「全国に墓園計画」との見出しが聖教新聞1面を飾ったのは1974年10月9日。北海道、関東、中部、関西、九州に、墓園を建設する計画が発表された。
学会の墓園の構想は、戸田先生が語った一言に由来する。「この末法の現実の世界で、波瀾万丈の戦いをしきって一生を生き、あとは、わが同志と一緒に、どこかで静かに眠りに就きたいものだな」
池田先生はこの恩師の言葉を生命に刻み、永遠の広布旅、師弟旅を象徴する、学会の墓地公園の建設へ、熟慮を重ねてきた。
それまで会員の多くは、他の宗派の墓地を使用していた。しかし、学会の勢いが増すにつれ、"改宗"を理由に、埋葬を拒否される事態が相次ぎ、学会員は長年、"墓地問題"に悩まされてきた。何より、"学会の墓地で家族や同志と眠りたい"というのが、会員の率直な思いだった。広布の伸展に伴い、学会の墓園を熱願する声は大きくなっていた。
77年10月2日、北海道・厚田の地に戸田記念墓地公園が開園。学会初の墓園である。"恩師の遺徳を顕彰する「記念の城」を戸田先生の故郷に"との池田先生の強い思いが結実した。
先生は前日に行われた記念勤行会で、地元の同志に呼びかけた。「この学会の新しき原点の地から、凜々しく出発し、北海道広布のため、自身の一生成仏のために戦い抜いてください。そして、また、ここに帰り、三世永遠に、勇猛果敢なる広布旅を続けようではありませんか!」
今、全国20カ所に広がる学会の墓園・納骨堂。そこには、三つの基本理念が設けられている。
第一に、永遠の生命観に立脚した「恒久性」。第二に、皆が仏性を具えているという平等観に立ち、墓の大小を競うような風潮を排した「平等性」。第三に、妙法の生死不二を象徴する、親しみやすい「明るさ」である。
雄大な自然の中で丹念に整備された、美しい墓園の景観は、地元住民にも愛され、訪れる人たちを温かく迎えている。
◇1997年10月16日〜24日 インド訪問
眼下にインドの果てしない緑の大地が広がっていた。
1997年10月16日の午後5時過ぎ、池田先生を乗せた飛行機が、ニューデリーの空港に降り立った。到着した先生を、同国の要人らが盛大に歓迎した。「精神の大国であるインドにSGI会長が来られた。私たちは聖者を迎えたような気持ちです」
18日、先生はインド独立50周年を慶祝する「日印友好文化祭」に出席。20日には、グジュラール首相と会見し、終了後、第1回「南アジア代表者会議」へ。そして21日、ラジブ・ガンジー財団本部で「『ニュー・ヒューマニズム』の世紀へ」と題し、40分にわたり講演した。
インドを訪れ、「精神の大国」「青年の大国」として発展する息吹を感じた先生は、日本で用意した原稿に大幅に加筆、修正した。
講演では、非暴力の精神に触れつつ、「21世紀はアメリカ、中国、インドの3国が主軸となる」と言及。「再びの絢爛たる『インド・ルネサンス』を私は期待してやみません」と力説した。
当時のインドは、現在のようなIT(情報技術)産業が発展しておらず、国民の間では、インドの将来について不安視する声もあった。その不安を晴らす先見性あふれる講演に、会場からは共感と喜びの拍手が起こった。翌22日のナラヤナン大統領との会見では、講演が話題となり、インドの持つ可能性と未来を語り合った。
先生は、23日、インドの国家的文化機関であるアジア協会から、第1号となる「タゴール平和賞」を受賞。授与式の席上、詩聖タゴールの生涯を通し、述べた。
「深き哲学性を抱いた貴国の凜々しき青年の熱と力にこそ、新世紀の大いなる未来を見いだしてやまないのであります」
9日間にわたる先生の訪問を機に、インドでの学会理解の輪は広がり、広布の水かさを増していった。以来、25星霜——。師の"人間外交"に学んだ当時の青年たちが、インド広布の中核を担い、社会で活躍している。
◇1971年10月4日 長編詩「母」の発表
"どの国に、こんなに素晴らしい母の讃歌があるでしょうか。日本の方がうらやましい"——タイのある文化大臣が、池田先生との語らいの際、「母」の歌への率直な思いを語った。
国境を越え、多くの人たちに愛される「母」。その歌詞は、1971年10月4日に発表された長編詩「母」が基になっている。
大阪・東淀川体育館で行われた関西婦人部幹部会の席上、読み上げられ、翌5日の聖教新聞に全文が掲載された。
幹部会には、香峯子夫人が詩を携えて、先生の名代として参加した。その最終の原稿にも、推敲の跡が幾つも残っていた。
先生が自身の母親、そして全婦人部員を思い描きながら書き進めた詩は、約200行に及んだ。
「母よ!/おお 母よ/あなたは/あなたは なんと不思議な力を/なんと豊富な力を もっているのか」「あなたの願いが翼となって/天空に舞いくる日まで/いついつまでも達者に と/私は祈らずにはいられない」
先生はこの詩で、母こそ万人の「心の故郷」であることをうたった。海よりも広く、深い、母の愛は、正しき人生の軌道へと導く力であり、母という存在は、戦争とは対極の「平和の体現者」であるとの信念が込められていた。
インドの創価池田女子大学のセトゥ・クマナン議長が、池田先生を知り、深い尊敬の念を抱くきっかけとなったのも、詩歌専門誌で読んだ「母」の詩だ。「すべての人びとが、この詩のように母を思うことができれば、人類の抱えるあらゆる問題は解決できるはずです」と、その感動を語っている。
この詩にメロディーがつけられたのは、76年の8月4日。先生自ら、音楽大学出身の2人の女性に、作曲を依頼した。世界中の母たちをたたえたいという思いからだった。
昨年10月、先生は随筆につづった。「私が詩にうたった感嘆と敬愛は、今も変わらない。否、これからこそ、女性たちの『豊富な力』が輝き光っていくはずだ」
◇2002年10月1日 女子短大での特別講義
創価女子短期大学が開学したのは、1985年のこと。若手の教員との懇談で、創立者・池田先生は語った。
「本物の生き方と本物の人をつくらなければ、私の人生の決着はない」
創価学園や創価大学と同様、短大での"本物の人間"の育成を願い、先生はあらゆる機会を通して、学生に励ましを送ってきた。
2002年10月1日、短大の1階にある101教室で、2時限目の会計学原理の講義が始まってすぐのこと。
右前方のドアが開くと、学生たちから驚きの声が上がった。教室に入ってきたのは、池田先生だった。授業を担当していた教授に、事前に了承を得て、初めての創立者の特別講義が始まった。
先生は「試験に出ないからね」とユーモアを交え、「山越え、谷越え、険難の峰を歩みながら、正しく強く、つくりあげていく人生——そこに幸福があるのです」と強調。「勉強は幸福になるためです。人生の目的も、学問の目的も、幸福になるためです」と呼びかけた。
また、フランスの作家・モーパッサンの長編小説『女の一生』を紹介。そして、「二度とない青春時代です。だからこそ、自分が生きた証しとして、何かを残してください。何かを創り出してください」と話を結んだ。
講義を終えた先生は、退室する際も、学生と握手を交わし、励ましを送った。宝の短大生を一人も残らず幸福に——20年を迎える今も、あの日の創立者の講義は、彼女たちの心に刻まれている。
「知性と福徳ゆたかな女性」「自己の信条をもち人間共和をめざす女性」「社会性と国際性に富む女性」との建学の指針を胸に、短大キャンパスには勉学に励み、友情を育む学生の姿があふれる。
短大での「青春二歳」を原点に、各界に羽ばたいていった卒業生たちの活躍には、高い評価が寄せられる。女性の活躍推進がうたわれる今、短大生の使命はいやまして大きい。