2022年10月27日木曜日

2022.10.27 わが友に贈る

折伏こそ最も尊い
慈悲と勇気の実践だ。
友の幸せを願う
「抜苦与楽」の励ましに
揺るがぬ信頼が築かれる。

佐渡御勘気抄 P891
『日蓮は日本国東夷東条安房の国海辺の旃陀羅が子なり、いたづらにくちん身を法華経の御故に捨てまいらせん事あに石に金をかふるにあらずや、各各なげかせ給うべからず』

【通解】
日蓮は日本国の東国の片田舎の者で、安房の国東条の郷・海辺の旃陀羅の子である。むなしく朽ちるであろうこの身を法華経のために捨てることができるのは、ちょうど石を金にかえるようなものではないか。あなた方は、嘆かれてはならない。

【先生の指導から】
大聖人みずから、ご自身のことを「民の子ども」(御書p1332、通解)と言われた。最下層の身分を意味する「旃陀羅(せんだら)の子ども」であると堂々と宣言されている。
最も貧しく、最も虐げられてきた民衆が、最も偉大な仏になる。宇宙大の境涯を開く。常楽我浄の生命を輝かせる。それを大聖人は、わが身で示された。本当に、すごいことである。

名字の言 「この一冊に、ありがとう」——きょうから「読書週間」 2022年10月27日
『動物農場』『一九八四年』などで知られるイギリスの作家ジョージ・オーウェルがある時、生涯に何冊の本を読んだかと問われた。文豪の答えは「800冊か900冊」。質問者は数の少なさに驚いたという▼このエピソードを通し、詩人の管啓次郎さんがつづっている。「読む」ことの濃度は人それぞれであり「冊」という単位には意味がない、と▼例えば詩について、管さんは「詩の読書はどれほど断片的でもかまわない。一行が、心を捕らえることもある。一行が、きみを変えることもある」と訴える(『本は読めないものだから心配するな』ちくま文庫)▼書店や図書館に足を運ぶか、あるいは電子書籍やオーディオブックを活用すれば、数え切れないほどの本に出あうことができる。その中から、限られた自分の時間で「何を」「どう」読むか。10冊の本を読むもよし。一方、1冊の本を10回読み、精神の"血肉"にする読み方もある。「座右の書」というが、常に傍らに置き、読むたびに新しい発見と気づきを得る——そんな本に出あえることは人生の喜びの一つだろう▼きょうから「読書週間」(11月9日まで)。今年の標語は「この一冊に、ありがとう」。良書に触れ、心を豊かにする秋のひとときを。

寸鉄 2022年10月27日
外交戦は礼儀正しく誠実に粘り強く—戸田先生。颯爽と友情広げる対話へ
滋賀青年部の日。愛する湖国を共生の理想郷に。師弟の誓い胸に勝ち進め
「希望は永遠の喜びだ」イギリス作家。信心は崩れぬ幸福と勝利の確かな光源なり
良書は心を豊かに。多忙な中でこそ繙く挑戦を。「文字・活字文化の日」
政府が通園バス置き去り対策強化—公明提言で。命守る政治に全力挙げよ

〈社説〉 2022・10・27 きょうから「読書週間」
◇本の"楽しさ"と出あう秋に
わずか数十秒の動画で紹介された30年前の小説が、重版されて15万部以上を売り上げた——。
これはSNSで小説の魅力を発信している小説紹介クリエーター・けんごさんのエピソード。「小説に興味がないという人にこそ、その楽しさを知ってほしい」と、毎月15もの作品の紹介動画を投稿し、話題を呼んでいる。
国立青少年教育振興機構の調査(2018年)では、1カ月で紙の本を1冊も読まない人が約半数に上り、年代に関係なく、読書離れの傾向が強くなっているという。
しかしけんごさんは、それは小説の魅力を"知るきっかけ"が他のエンタメ作品と比べて少ないからだと訴える。そして、きっかけさえ広がれば、読書の面白さに気付く人は増えるのではないかと語っている(本紙10月16日付)。
読書によって読解力が培われるなど、その効果は多くの観点から論じられる。しかし、そうした教育目的でなくても、"なんだか面白そう"という興味から本に触れるのも自然だろう。
少年少女きぼう新聞では、創刊以来、子ども自身が「おすすめの本」を紹介するコーナーを連載。そこでは「物語の場面を想像するのが面白い」「知らなかったことを学べるのがうれしい」など、勉強のためというより、純粋に本を読む楽しさがつづられている。
現代の若者はインターネットの娯楽に限っても、SNSやオンラインゲーム、動画サイトなどで多くのコンテンツに囲まれている。その中にあって、読書に親しむ時間がつくれれば、より生活に潤いや豊かさが増していくだろう。
きょうから「読書週間」が始まる(11月9日まで)。標語は「この一冊に、ありがとう」。本を手に取るきっかけは人それぞれだ。けんごさんが初めて小説を読んだのは大学生になってからで、500ページ以上ある分厚さが目に留まったからだという。友達からの口コミで心が動いたという人や、装丁のデザインに引きつけられたという人もいるかもしれない。
今は電子書籍や"本を耳で読む"オーディオブックもあり、読む方法も多様になった。実際に書店まで足を運べば、意外な「一冊」との出あいがあるかもしれない。これまで読書に親しんできた人も、なかなか手が伸びなかったという人も、「読書の秋」をきっかけに本を開いてみてはどうだろうか。

☆「桜梅桃李」の輝き 池田先生の指導に学ぶ
◇「多様性の調和」が法華経の世界
つねに御書を拝し、御聖訓のままに行動していくことが、わがSGI(創価学会インタナショナル)の永遠の軌道である。
今回の英文の『御書選集』(※1996年)にも収録されている、有名な御金言を拝したい。
それは、遠く離れた佐渡で活躍する、婦人門下の千日尼への御手紙の一節である。
「九界・六道の一切衆生・各各・心心かわれり、譬へば二人・三人・乃至百千人候へども一尺の面の内しちににたる人一人もなし、心のにざるゆへに面もにず、まして二人・十人・六道・九界の衆生の心いかんが・かわりて候らむ、されば花をあいし・月をあいし・すきをこのみ・にがきをこのみ・ちいさきをあいし・大なるをあいし・いろいろなり、善をこのみ悪をこのみ・しなじななり、かくのごとく・いろいろに候へども・法華経に入りぬれば唯一人の身一人の心なり、譬へば衆河の大海に入りて同一鹹味なるがごとく・衆鳥の須弥山に近ずきて一色なるがごとし」(全1319・新1749)
——九界・六道の一切衆生は、おのおの心が違っています。たとえば、二人、三人、ないし百人、千人いても、一尺(約30センチ)の顔の中が真に似ている人は、一人もいません。心が似ていないから、顔も似ていません。まして二人、十人、六道、九界の衆生の心は、どれほど違っていることでしょう。すなわち、花を愛し、月を愛し、酸っぱいものを好み、苦いものを好み、小さいものを愛し、大きいものを愛し、いろいろです。善を好み、悪を好み、さまざまです。このように、いろいろですが、法華経に入ってしまうと、(全員が仏になるゆえに)ただ一人の身であり、一人の心です。たとえば、多くの川も大海に入れば、同じ塩味となるように、また多くの鳥も須弥山に近づけば、同じ金色になるようなものです——。
法華経は、人間の多様性を最大に尊重し、生かし、そして調和させゆく哲理である。それぞれの差異を認め合ったうえで、皆が平等に、自分自身を光輝あらしめていく。そして、うるわしい「桜梅桃李」の花園を築いていく。そのための源泉が妙法である。
多様性に満ちたニューヨークは、ある意味で、地球の縮図であろう。
そのなかにあって、わがニューヨークの友は、「多様性の調和」という人類の最重要の課題に取り組んでおられる。
日蓮大聖人は、ニューヨークの仏子のこの連帯を、あたたかく見守ってくださっているにちがいない。

◇「真実の同志」を一人でもつくる
牧口先生は言われていた。
「人数ではない。少数でも、真実の同志を見いだしていく以外にない」と。
牧口先生は、そうした人材を「砂の中の金」「泥の中の蓮華」、そして「ダイヤモンド」に譬えて、最大に大切にされていた。
その意味で、ニューヨークは、「一騎当千の獅子」の集いでいきたい。
「一人」が大切なのである。「一人を大切にする」——そこから一切が開けてくる。これが広宣流布の永遠の方程式である。
ニューヨーク生まれの詩人ホイットマンは謳った。
わたしたちの一人一人は非常に貴重だ、
わたしたちの一人一人は無限だ——わたしたちの一人一人は彼あるいは彼女の権利と共に地上にある、
わたしたちの一人一人は大地の永遠の目的を承認したのだ、
ここにあるわたしたち一人一人は、ここにあるいかなるものとも等しく神聖なのだ。(「世界万歳!」、『草の葉』富田砕花訳、第三文明社)
(『池田大作全集』第87巻 ニューヨーク文化会館の集いでのスピーチから)

☆京都広布の礎 山科文化会館訪問30周年
◇先駆の使命を誓う
山科文化会館が開館したのは1987年(昭和62年)。5年後の92年(平成4年)10月25日、池田先生は京都広布の先陣を切る山科の同志を激励するため、同会館を初訪問した。
 会館に着くやいなや「懸命に頑張っている。立派なところだ。私は知っているよ」と集まったメンバーに声をかけ、記念植樹を。山科支部結成27周年の記念勤行会では、懇談的にスピーチした。
 「学会と一緒なら必ず幸せになるんです。悩みのない人生はないし、強く生きることが大事です」「仲良くすれば福運がつくし、力がつく。人生の喜びがわく」
 さらに、「強盛な信心があってこそ、御本尊の仏力・法力が顕れる」と強調。「偉大なる/歴史をつつみし/山科の/長者と王者の/和楽楽しや」など、5首の和歌が詠み贈られると、会場は歓喜の拍手に包まれた。
 240回目の関西指導で、師が足跡を刻んだこの日は、10・25「山科総区の日」の淵源に。不滅の原点から30周年の節目を迎える本年、今再びの先駆の使命を誓う。