2022年10月6日木曜日

2022.10.06 わが友に贈る

気温の低下に要警戒!
上着を着用するなど
体を冷やさない工夫を。
体調を崩さぬように
気を引き締めていこう!

四条金吾御書 P1176
『かへらむには第一心にふかきえうじん(用心)あるべし、ここをばかならずかたきのうかがうところなり』

【通解】
帰る時には、いっそう、心に深く用心しなさい。この帰宅の機会を必ず敵が狙うからである。

名字の言 種子島で奮闘する理容室の5代目 2022年10月6日
鹿児島・種子島に、創業130年を超える理容室がある。5代目となる男子部員は、4代目で副圏長の父、支部女性部長の母と共に店に立つ毎日だ▼店が終わると学会活動に飛び出す両親の背中を見て育った。"自分も島で貢献を"と理容の道へ。だが幼少期から吃音に悩み、人前で話すことが苦手だった。理容師はお客とのコミュニケーションも仕事の一つ。真剣に勤行・唱題に励み、男子部の仲間と語り合う中で、徐々に症状は改善していった▼島にあっても懸命に技術を磨き、一昨年には、県の理容競技大会で優勝に輝いた。仕事の傍ら、清掃活動など地域行事にも積極的に取り組む姿に信頼が寄せられる。学会では、男子部本部長として奮闘。今週末に放映される全国男子部幹部会に向けて、愛する島を舞台に同世代への励ましを広げている▼池田先生はかつて、離島の友に語った。「皆さんは、偶然、それぞれの島に暮らしているのではない。日蓮大聖人から、その島の広宣流布を託され、仏の使いとして、地涌の菩薩として、各島々に出現したんです。仏から遣わされた仏子が、負けるわけがありません」▼あす7日は「勝利島部の日」。不屈の心で島広布に駆ける同志を、皆で最大にたたえたい。

寸鉄 2022年10月6日
最も高き思想から学べ—戸田先生。仏法は人生を無上道へ導く最高の哲理
三重の日。"新しい力"を先頭に異体同心の前進!地域照らす勇気の対話を
「師子王は、前三後一」御書。勇将は常に全力。今日の一歩を勝利の因に(新1632・全1124)
健康強調月間。寝不足・偏食等に注意。季節の変わり目を賢く乗り切ろう
はしご・脚立の転落事故—60代以上が約4割と。無理せず安全を最優先で

〈社説〉 2022・10・6 きょう「国際協力の日」
◇地球の平和"協える"大きな力
「早寝早起きもSDGs(の3番目『すべての人に健康と福祉を』)に当てはまります! 日本には、そう話す小学生がいるんです」。国際協力の第一線で、長年、尽力してきた友が力説する。「この浸透のレベルは世界でも相当な高さです。70年前に戸田先生が提唱された『地球民族主義』の理念、そして池田先生が訴えた『世界市民教育』の広がりを実感せずにいられません」。国連のSDGs(持続可能な開発目標)への関心が高い。感染症対策、温暖化など地球規模の課題が山積する現代。未来を担う世代にもグローバルな視野が広がっている。
10月6日は「国際協力の日」。1954年(昭和29年)のきょう、日本は初めて国際協力の援助国として、国際組織「コロンボ・プラン」に加盟。これが「ODA(政府開発援助)」の幕開けとされ、外務省とJICA(国際協力事業団。現在は国際協力機構)が、87年に記念日に制定した。
国際協力とは、地球全体の平和や発展のために支援すること。政府系機関、NGO(非政府組織)、企業等の組織がそれぞれの立場で、途上国に横たわる貧困などの問題解決に取り組んでいる。
日本も被援助国だった。戦後、世界から多くの支援を受けて復興を遂げ、援助する側へと成長した。だからこそ日本は被援助国に寄り添った支援をしていく使命がある。1993年以来、日本が開催を主導してきたアフリカ開発会議は今夏、第8回を数えた。途上国にコロナワクチンを供給する国際枠組み「COVAXファシリティー」にも積極的に協力している。
国際協力は多岐にわたる。先に挙げた組織のように語学や医療、教育など専門知識を活用して進めるだけでなく、私たちが身近に取り組めることも数多い。
一例が、自治体などで行っている、古自転車の回収・寄贈という支援。贈られた途上国では、通学時間が長いため家事で学校に通えない子が、自転車を使うことで通えるようになる。それは国の識字率向上、そして発展へとつながっていく。家に眠る書き損じはがきや古切手を回収する支援もある。近所に暮らす外国人と仲良く関わり助け合う努力も、共生社会を築きゆく国際協力だ。
協の字には「協う」との読みもある。今、私たちにできる「協力」を積み重ね、"地球民族の平和"という大きな願いをかなえていきたい。

☆桂冠詩人は詠う 勇気の舞 凱歌の行進� 第12回〈完〉 世界平和
◇全ての民衆に勝利の鐘を!
私は
長い間
世界の道を歩いてきた。
多くの思い出を
残しながら!
多くの歴史を
創りながら!

私には悔いはない。
戦争と不安を
世界からなくすために
慈愛の火が
正義の心に
燃えていたからだ。

無名の私には
無数の歓喜の戦いがあった。
そして
無数の友の
多彩な どよめきがあった。

新たに大きい
平和の道を築いたのだ。
青春を燃やしながら
燃える目で
理想の夢の世界を
創りたかったのだ。

いつも
妙法という
幸福の光の中に
立っていた。
歩いていた。
そして
戦っていた。

疲れた目を閉じれば——
ほとんど
息をする暇もないほど
正義の声を
張り上げてきた。

「世界の広布」とは
「世界の平和」という
意味だ。
その夢の実現のほかに
私には
何も残っていない。

現実の生活が
いくら厳しくても
私の心を動かすものは
世界の平和であった。

◆◇◆

平然と人の命を奪う。
何たる残虐なことか。
すべての幸福を
奪い去ってゆく
愚かな権力の
狂気の沙汰よ!

春のささやかな幸福を
胸に秘めながら
いつも生き抜いてきた
善良な庶民から
一切をもぎ取っていく
魔性の権力よ!

人間を人間と思わぬ
侮辱の態度に
もはや人間の心はない。
畜生の心である。

戦争は
勝っても負けても
無限の虚しさのみが残る。
その責任は誰か。
明確な解答が
あるようで ない。

わが幸福
わが平和を
断じて
侵されてはならない。
わが幸福の権利と
平和の権利を
冷酷無惨の輩に
奪い取られてはならない。

すべてが暗闇になり
すべてが滅びゆく
その夜の闇の中にあっても
断じて
平和の光は
消し去られてはならない。

騒々しい論議が
中傷非難が
右往左往しても
勝ち誇り
疲れを知らずに
わが魂の中に
厳然と
平和の太陽を
光らせていくのだ。

◆◇◆

平和の合図の鐘を
打つのだ!
断じて
すべての民衆に告げゆく
あの平和の鐘を
勝利の鐘を
打ち鳴らしてゆくのだ!
あの黒い太陽から
明々とした
平和の太陽を仰ぐのだ!

☆10月度座談会拝読御書 佐渡御書
◇御文
『畜生の心は、弱きをおどし、強きをおそる。当世の学者等は畜生のごとし。智者の弱きをあなずり、王法の邪をおそる。諛臣と申すはこれなり。強敵を伏して始めて力士をしる。
悪王の正法を破るに、邪法の僧等が方人をなして智者を失わん時は、師子王のごとくなる心をもてる者、必ず仏になるべし。例せば日蓮がごとし。これおごれるにはあらず。正法を惜しむ心の強盛なるべし。』(御書新版1285ページ16行目〜1286ページ3行目、御書全集957ページ7行目〜10行目)

◇[池田先生の指針から]師子王の心で一人立つ
大聖人は、佐渡流罪という大難の中にあって「強敵を伏して始て力士をしる」(全957・新1285)と師子吼された。
敵がいるからこそ強くなる。迫害があるからこそ仏になれる。本物の人材が出てくる。
「難こそチャンス」。ここに仏法の真髄がある。境涯を開けるか、大福運を積めるか、本物の広布の指導者と立てるかどうか——魔が競い起こる時こそ、その重大な境目なのである。
ゆえに、勇気を奮い起こして戦う以外にない。そして皆を励まし、勝利の要諦を教えて、新しい人材をどんどん育てることだ。(2006年5月、「5・3」記念最高幹部協議会でのスピーチ)
◇ ◇ ◇
「師子」とは、仏の異名です。師が師子王であれば、弟子も師子王となるのです。何があっても負けない。師子となって戦っていく。これこそ、誇り高き創価の人間革命の真髄です。(中略)
いかなる苦難の嵐があろうとも、師子王となって一人立つ。この負けじ魂の勇者が「必ず仏になるべし」なのです。
さあ、我らの凱歌の大潮流が「民衆の世紀」を創ります。「新時代」の開幕です。私は全世界の地涌の同志に、なかんずく後継の青年たちに呼びかけたい。
「君たちよ、貴女たちよ、師子王の心で立ち上がれ! 今いる場所で、『わが人間革命の姿を見よ!』と、勝利の旗を掲げゆけ!」(『人間革命の宗教』)

◇"創価の誇り"胸に人間革命の前進を!
[キーワード�]何があっても前へ
"いかなる迫害があったとしても、信心を貫けば必ず成仏の境涯が開かれる"——。
流罪地の佐渡から、逆境の嵐と戦う弟子たちの勝利を願い励ます、日蓮大聖人の烈々たる御確信が拝されます。
当時、諸宗の僧たちは権力者と結託し、たったお一人で末法広布に戦う大聖人を侮り、大聖人とその門下に弾圧を加えてきました。そういった状況だからこそ、大聖人は「強敵を伏して始めて力士をしる」と、弟子たちの勇気を呼び覚まされます。
本抄の前半では、「身命に過ぎたる惜しきもののなければ、これを布施として仏法を習えば必ず仏となる」(新1284・全956)、「世間の浅きことには身命を失えども、大事の仏法なんどには捨つること難し。故に仏になる人もなかるべし」(新1285・全956)と仰せです。末法という時に、世間の毀誉褒貶に惑わされることなく、「不惜身命」の精神で折伏にまい進することこそが仏界涌現の道です。ただし、「不惜身命」といっても、仏法はいたずらに命を捨てるような、「殉教主義」ではありません。
池田先生は「不惜身命」についてつづっています。
「広宣流布のため、人々の幸福のために、自分の命を使うと決め、生命力を燃え上がらせて、生きて生きて生き抜いていくことなのです。
ゆえに皆さんは、何があっても尊い命を大切にしていただきたい。どんなに辛く苦しいことがあっても、絶対に負けないで、聡明に前へ前へ進んでいっていただきたいのです」
友に励ましを送る日々に、仏界の生命は輝くのです。

[キーワード�]勇気を奮い起こす
迫り来る迫害に不安や恐れを抱いていた弟子たちも、日蓮大聖人のお手紙を拝し、"師と同じ「師子王の心」で立ち上がろう"と決意したに違いありません。
拝読御文の後には、「日蓮は、この関東の御一門の棟梁なり、日月なり、亀鏡なり、眼目なり」(新1286・全957)と宣言されています。
これは、御執筆前年の「竜の口の法難」の際、大聖人の命を狙い、襲いかかってきた平左衛門尉らに「大音声を放って」(新1286・全958)諫暁された言葉です。
ここでいう「関東の御一門」とは北条氏一門を指し、幕府の中枢、ひいては日本国全体を指すとも拝されます。
大聖人は、御自身こそが末法の御本仏であることを示され、「聖人去らん時は、七難必ず起こらん」(新1286・全957)との、仁王経の経文に照らし、「日蓮捨て去る時、七難必ず起こるべし」(同ページ)と御断言されています。
実際に、大聖人が予言された、「自界叛逆難・他国侵逼難」という二難は、その後、現実のものとなります。
"絶対に戦乱を起こしてはならない"——。大聖人は末法の民衆の幸福と安穏のため、「師子王の心」で権力の魔性と戦い抜かれたのです。
大聖人直結の創価学会もまた、三代会長と共に「師子王の心」を受け継ぎ、平和の連帯を広げてきました。社会が困難や混迷に直面する今、「立正安国」「立正安世界」を目指す私たちの使命はいやまして大きいと実感します。
"創価の誇り"を胸に、今いる場所で勇気を奮い起こし、人間革命の前進をしていきましょう。