2022年10月26日水曜日

2022.10.26 わが友に贈る

一番苦しんだ人が
一番幸せになる。
それを可能にする信心だ。
不屈の心で困難に挑み
勝利の未来を開こう!

開目抄下 P230
『若し復是の経典を受持する者を見て其の過悪を出せば若しは実にもあれ若しは不実にもあれ此の人現世に白癩の病を得ん』

【通解】
もしまた法華経を受持するものを見て、その過悪を出すならば、もし、そのことが実であろうと不実であろうと、この人は現世に白癩の病を得るであろう。

名字の言 "毒ガスの島"から"平和を願う島"へ 2022年10月26日
瀬戸内海の大久野島(広島県竹原市)は「ラビットアイランド」と呼ばれる。数百匹のウサギが生息し、国内外から観光客が訪れる人気スポット。だがこの島は、かつて旧日本陸軍が毒ガスを製造し、多くの犠牲者を出した歴史を持つ▼戦後、島内に「毒ガス資料館」が建設された。発電場や毒ガス貯蔵庫などがそのまま残され、平和学習の場として活用されている。"毒ガスの島"は、戦争の悲惨を後世に伝える"平和を願う島"に生まれ変わった▼ある女性部員は13歳で同島に学徒動員された。終戦を迎えた後、毒ガス汚染の影響で慢性気管支炎に。"戦争は終わっても、苦しみは終わらない"——将来を悲観していた時、学会に出あった▼信心に励む中で「一個の人間を基調とした『人間平和』があってこそ、崩れぬ世界の平和もありうる」との池田先生の言葉に触れた。以来、彼女はつらい記憶が平和に役立つならと、戦争体験を語り抜いた。不戦の誓いは子や孫に脈々と受け継がれている▼御書に「わざわいも転じて幸いとなるべし」(新1633・全1124)と。過去の悲劇を未来の希望をつくる力に変えていく。その一念の変革を成し遂げゆく中に「立正安国」「立正安世界」への直道がある。

寸鉄 2022年10月26日
広布は私がやるとの気概で進め—戸田先生。11・18へ悔いなき拡大を今こそ
池田先生の北陸初訪問65周年。誓願の炎は赤々と。共々に妙法勇者の行進を
「病によりて道心はおこり候」御書。闘病の同志よ負けるな!祈り強く前へ(新1963・全1480)
7割が自転車の危険運転に遭遇と。"車両"の意識忘れず。スマホ操作等、厳禁
夜型生活は朝型より疾患リスクが上昇と—研究。"惰性"は排して健康人生

〈社説〉 2022・10・26 カスタマーハラスメントを防ぐ
◇誰もが安心の介護現場に
介護職員を雇用する男性から、最近の悩みを聞いた。彼は「人手が足りません。辞めていく人も多いですが、その理由は給与や待遇だけでなく、利用者との関係の悩みが大きい」と語っていた。
日本は、65歳以上の割合が3割に迫る「超高齢社会」。介護職員の離職が続けば、多くの人の生活基盤を揺るがしかねない。
近年、介護現場でのカスタマーハラスメントの問題が浮き彫りになってきた。カスタマーとは顧客のこと。利用者や家族による、不当・過剰・法外な要求や立場の乱用などがこれに当たる。
何がカスタマーハラスメントになるか、正しい知識がなければ、"どうしてやってくれないのか"と、不満や苦情になりかねない。
例えば、ホームヘルパーに要望できる内容は、次のうちどれか。「家族全員分の洗濯」「来客の対応」「草むしり」「犬の散歩」——実は原則、いずれも依頼できない。
介護サービスには、「できること」「やってはいけないこと」が明確にある。この線引きを、介護職員だけでなく、利用者もよく理解することが、適切な関係を築く第一歩といわれる。
事業者も、誰でも分かる説明の工夫、ハラスメントに関する禁止事項の明文化など、介護職員も利用者も守るための仕組みづくりを進めている。行政の改革推進にも期待したい。
一方で、介護サービスを受けることをためらう必要はない。負担を軽減し、より良い介護生活とするために活用したい。介護職員は、利用者や家族に寄り添ってくれる、かけがえのない存在だ。
本紙・介護の体験談「こころの絆」には、日々、多くの声が寄せられる。「目まぐるしい生活。心が折れそうだった時、励ましてくれたのはヘルパーさんでした」「介護は一人ではできません。介護職員の方の献身的な支えがあって、初めて乗り越えられました」など、感謝の声が絶えない。
社会福祉学者の結城康博氏は、「利用者も感謝の気持ちを忘れず、その思いが介護職員に伝わることで、両者の間で『相互満足度』を高めていくべきである」(『介護人材が集まる職場づくり』ミネルヴァ書房)と指摘する。
"介護職の誰もが安心して働ける社会"であってこそ、"誰もが安心して介護を受けられる社会"となることを忘れてはいけない。

☆ヒーローズ 逆境を勝ち越えた英雄たち 第24回 クーデンホーフ=カレルギー
〈クーデンホーフ=カレルギー〉
正しいことのために戦うことは幸福を意味している。
人生は、いつまでも闘争であるべきである。

55年前の10月、池田大作先生は世界の識者や指導者と本格的な文明間・宗教間対話を開始した。その最初の相手となったのは「欧州統合の父」と仰がれるリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー伯爵である。
伯爵が"欧州を一つにまとめることが、平和につながる"とする「パン・ヨーロッパ運動」に立ち上がったきっかけは、第1次世界大戦だった。オーストリアの皇太子がサラエボの青年に暗殺された事件が端緒となり、全欧州を戦場に1914年から4年以上も続いた、人類最初の世界戦争である。
戦後、多くの小国に分裂した欧州は、新たな火種が生まれ、第2次世界大戦がいつ起きてもおかしくない状況下にあった。
欧州統合の理念自体は古くから存在していた。だが分断や対立が激化する社会で、その実現はどこか夢物語にすぎなかった。
大学を卒業し、20代後半で中部ヨーロッパの有力な思想家として認められるようになっていた伯爵は、今から100年前の1922年、パン・ヨーロッパ運動に関する論文を発表する。
翌年、28歳の時に『パン・ヨーロッパ』を出版し、大きな反響を呼んだ。さらには「パン・ヨーロッパ連合」を結成し、各国に「パン・ヨーロッパ協会」を設立。"欧州は一つ"の理想へ、各地を精力的に駆け巡った。運動に「全て」を意味する「パン(汎)」を掲げたのは、主権国家同士の共同体を築くとの決意からであった。
しかしその夢は、ナチス・ドイツの台頭で一度は挫折する。海外への亡命を余儀なくされ、ウィーンにある本部を占拠したナチスにパン・ヨーロッパ関連の文書を破棄されてしまう。39年には、恐れていた第2次大戦が勃発した。
それでも伯爵は諦めず、アメリカに渡ってパン・ヨーロッパ思想への支持を拡大。45年の終戦後に欧州へ戻り、統合実現に向けて再び動き出す。49年に欧州評議会が発足すると、続いて57年に欧州経済共同体(EEC)、67年に欧州共同体(EC)が誕生し、夢は現実となった。
伯爵の信念の言葉にこうある。
「平和の領域は一歩一歩づつしか占拠できないものであって、現実に一歩前進することは空想で何千歩進むより以上の価値がある」
「正しいことのために戦うことは幸福を意味している」
「人生は闘争であり、また、いつまでも闘争であるべきである」
1894年11月17日、クーデンホーフ=カレルギー伯爵は、7人きょうだいの次男として日本で生まれた。日本名は「エイジロウ」である。
父・ハインリヒはオーストリア=ハンガリー帝国の有力貴族で、母・光子は日本の商家の娘。2人は、外交官だった父が代理公使として日本に赴任していた時に出会い、結婚した。一家は伯爵が生後1年を経たころ、父の帰国とともにオーストリアへ移住する。
オランダ、ドイツ、ロシア、ポーランド、ギリシャの血を引いていた父は18カ国語に通じ、アラビア、インドをはじめ東洋に深い関心を寄せていた。自宅には海外から多くの来客が訪れ、少年時代の伯爵は父の"国際人"としての仕事を目の当たりにしながら成長した。書斎には哲学者の像や多くの書籍が並び、父が地球儀を回しながら世界について語ってくれることもあったという。
母は移住後、周囲からの偏見と向き合いながら、伯爵夫人としてふさわしい女性になるため、言語や教養を身に付けつつ、7人の子育てに奮闘した。
円満だった一家に試練が襲ったのは、移住から10年がたった1906年。父が心筋梗塞のため急逝したのである。周囲は、日本人の光子が財産を相続することに反対したが、彼女は批判の声にも屈さず、一家の家長として子どもたちを立派に育て上げていった。
後年、伯爵は述懐している。
「母は、子どもの教育については、夫である私どもの父の精神を、そのまま受け継いでおりました。(中略)私は、こうした母がいなかったとしたら、決してパン・ヨーロッパ運動を始めることはなかっただろうと考えています」
後に欧州連合(EU)へと発展する、欧州統合の出発点は"世界市民"である伯爵の両親だったともいえよう。

〈クーデンホーフ=カレルギー〉
他人や環境を変えようとする前に、まず自分自身を変える努力をすべきである。

さらに、こうも語っている。
「一人の人間の周りに、家族、友人、社会、国家などがあります。人間は自分自身に対して、第一の義務を負っているわけですから、他人や環境を変えようとする前に、まず自分自身を変える努力をすべきだと思います」
「真に世界平和を保証する唯一の道は結局、宗教以外にはない」
伯爵がこの真情を伝えた相手こそ、池田先生であった。
EUの前身であるECが発足した1967年、クーデンホーフ=カレルギー伯爵は71年ぶりに日本の土を踏んだ。72歳の時である。
創価学会を「世界最初の友愛運動である仏教のよみがえり」と評価していた伯爵。訪日に当たって会見を希望した1人が、池田先生だった。
10月30日、初の出会いが実現。「私は直ちに池田の人物に強く感銘した。やっと39歳の、この男から発出している動力性に打たれたのである」——そう振り返った会談は「東京滞在中のもっとも楽しい時間の一つ」になったという。
伯爵と先生が再会したのは3年後の70年10月。再来日の折に4度会い、のべ十数時間に及ぶ会見を行った。語らいは対談集『文明・西と東』として結実。先生が海外の識者と編んだ対談集の第1号となった。発刊から2カ月後の72年7月、伯爵は77歳の生涯を閉じた。

〈クーデンホーフ=カレルギー伯爵を語る池田先生〉
青年が勇気をなくしたら、もはや、青年ではない。
人々に「気持ちがいいな!」「素敵だな!」と思わせる、勇気の声を響かせていくのだ。

自らも若き指導者であった伯爵は「青年」に期待を寄せていた。その心を知る先生は、伯爵の言葉を通し、こう呼びかけている。
「博士が、青年への信頼を込めて語っていたことが忘れられない。
『人類の未来は、明敏な頭脳が主導権をにぎる世界となるだろうと思います。したがって、現在の学生たちが明日の世界を決定づける指導者となるのであって、彼ら自身は、その自覚に立って、未来に向かって自己形成し、準備をするべきだと思います』
青年は、自己形成を怠ってはならないと博士は遺言されたのである。頭脳も心も人格も鍛えなければならない。知識だけで『人間』が置き去りにされれば、社会は、どんどん誤った方向へ進むであろう。人格形成を根本に均衡のとれた人間形成が必要なのである」(95年5月21日、常勝関西第1回青年部記念総会でのスピーチ)
「(伯爵は)語っておられた。
『青年のみが熱意と、意志と、希望と、信念と、力を持っている』『青年は炎を持っており、その炎がなかったら、いかなる理念も光を発しないし、また勝利を占めることが出来ない』と。
創価学会も、青年で勝ってきた。青年が炎となって戦ったから、勝ってきたのである。(中略)
青年が勇気をなくしたら、もはや、青年ではない。青年は『勇気の皇帝』である。『平和の皇帝』である。若いというだけで、すでに、無限の財産と希望を持つ皇帝なのである。ゆえに若き皆さんは、『あの青年は気持ちいいな!』『あの青年は素敵だな!』——周囲の人々にこう思わせる、凛々とした勇気の声を響かせていっていただきたい」(2001年9月23日、第1回千葉青年部総会でのスピーチ)
両者の初会見から55年。創価の青年スクラムは今、日本、欧州、世界に大きく広がっている。