2022年10月11日火曜日

2022.10.10 わが友に贈る

◇今週のことば
「一りとして
成仏せざることなけん」
御書に溢れる励ましを
光を求める友のもとへ!
勇気と確信の声を響かせ。
(新1749・全1318)
2022年10月10日

四条金吾殿御返事 P1165
『夫れ仏法と申すは勝負をさきとし、王法と申すは賞罰を本とせり』

【通解】
そもそも、仏法というのは勝負を第一とし、王法というのは賞罰を根本としている。

名字の言 生産者が見せた"収穫の笑顔" 2022年10月10日
兵庫の米農家の声が弾んでいた。「お米ができすぎて一気に刈り取ることができないほどの大豊作! 農業人生50年、こんなに取れたのは初めてです」▼その方は続けた。「私たちの役割は、稲が持つ使命を果たす環境をつくること。天候にも恵まれ、稲は使命を立派に果たしてくれた。感謝、感謝です」。米の字を分解すると「八十八」と成り、米ができるまでには88回の手間がかかるとされる。新米の一粒一粒は真珠のように光っていた。農家の祈りと努力の結晶だった▼北海道でジャガイモなどを作る畑作農家も収穫の笑顔に満ちていた。「去年は不作でしたが、今年は地域全体として出来がいい。私たち農家が一番うれしいことは、皆さんが『おいしい!』と食べてくれること」。大地から掘り出されたばかりのジャガイモの味は格別だった▼収穫の笑顔は農作業の中での希望の象徴である。池田先生と対談した"インド近代農業の父"スワミナサン博士は「農民が不幸な国は、どんな国民も幸福ではありません。農民の幸せな笑顔が、その国の幸福を決める」と▼生産者に感謝し、笑顔が続くよう最大に応援したい。私たちの命の営みは「食」を生産する方々の奮闘によって成り立っているのだから。

寸鉄 2022年10月10日
学会の青年の情熱は社会変革の力と確信—識者。平和な未来築く主人公に
迅速果敢な行動に勝利が—恩師。報告・連絡・相談密に、信心の息吹を友へ
逆境が人に与える教訓ほど麗しいものなし—文豪シェークスピア 何があろうと負けじ魂で
大学生4割、危険な薬物入手可と。軽い気持ちで破滅。奪命の魔物を根絶
世界精神保健デー。心の病克服は身近な人の理解が鍵と。支え合う絆強く

〈社説〉 2022・10・10 きょう「転倒予防の日」
◇身近な場所でリスクを意識
介護を受けたり、寝たきりになったりせずに生活できる「健康寿命」は年々延びている。厚生労働省の発表によると、男性が72・68歳、女性は75・38歳(2019年調査)。「人生100年時代」と呼ばれる今、健康寿命の延伸は、大きなテーマとなっている。
一方、年齢を重ねるにつれて転倒しやすくなり、骨折などのけがも増えている。19年実施の「国民生活基礎調査(厚生労働省)」によると、高齢者の介護が必要となった主な原因として、認知症や脳血管疾患などに続き、骨折・転倒も多い。また、東京消防庁によれば、高齢者の転倒事故の6割は、住み慣れた自宅で発生しているという(20年調査)。
きょう10月10日は「転倒予防の日」。日本転倒予防学会により制定され、高齢者を中心に転倒事故の予防を呼びかける日となっている。加齢に伴い、身体機能が徐々に低下することは避けられない。自分の足で歩き続けるために、日頃から可能な限り体を動かし、機能維持に努め、健やかに過ごしていきたい。
医師の安保雅博氏と理学療法士の中山恭秀氏は、人の体にはもともと重心を安定させる力、姿勢を保つ力である「バランス能力」が備わっており、鍛えることが大切だと指摘する(『家でも外でも転ばない体を2カ月でつくる!』すばる舎)。このバランス能力を総合的にアップさせるトレーニングとして、「片足立ち」「かかと上げバランス」「立った姿勢で後ろを振り返る」などが挙げられている。転倒しない「体づくり」のためには継続が大切だ。
また、身近な場所で転倒のリスクを意識することも重要である。整理収納アドバイザーの井田典子氏は本紙で「シニアにとって、片付けと掃除は安全な暮らしにつながります」と述べ、玄関に出しっ放しの靴につまずく、スリッパを履きカーペットの縁で転倒するなど、具体的に危険なポイントを挙げている。万が一、転倒しても大けがに至らないよう、床にある不要な物を片付け、段差を可能な限り減らし、転倒しない「環境づくり」にも努めたい。
日々の健康維持には、努力や意識が必要だ。"自分は大丈夫"との、小さな油断や過信が落とし穴になる場合もある。私たちは十分に注意し、賢明に健康を勝ち取り、充実の日々としていきたい。

☆ONE GOSHO この一節とともに! 佐渡御書
◇試練が生命を鍛えゆく
"弘教拡大""人材育成"の秋真っ盛り!——今回は、苦難を新たな成長への跳躍台にしていく、宿命転換の法理を学ぶ。

◇御文
『鉄は炎い打てば剣となる。賢聖は罵詈して試みるなるべし。』(新1288・全958)

◇通解
鉄は鍛え打てば剣となる。賢人・聖人は罵られて(本物であるかどうかを)試されるものである。

◇背景
本抄は文永9年(1272年)3月、日蓮大聖人が流罪地の佐渡・塚原から、広く門下一同に向けて与えられた御書である。
この前月には、北条一族の内乱である「二月騒動」が勃発。大聖人が「立正安国論」で予言された「自界叛逆難」が的中する。本抄は、その知らせを受けて著されたものである。
本抄御執筆の前年9月に起きた「竜の口の法難」以降、権力による迫害の手は門下にも及び、弟子たちは投獄・所領没収などに処された。
「大聖人が法華経の行者であるなら、なぜ大難に遭うのか」——厳しい弾圧を恐れて退転する者が相次ぐ中、大聖人は前月に送られた「開目抄」を踏まえ、「師子王の心」で悪と戦う者が必ず仏になることを示され、宿命転換の法理を通して門下を励まされている。

◇解説
自身がこの世に生を受けた意味は何か。かけがえのない生命を、何のために使っていくのか。これらの問いは、誰にとっても重要な人生の命題であろう。
日蓮大聖人は、本抄の冒頭部分で「世間一般において人が恐れるものは、炎に包まれること、刀剣によって襲われること、自身が死ぬことである」(新1284・全956、通解)と仰せになり、誰もが命を落とすことを恐れ、自らの身命を大切にしていることを説かれている。
その一方で、餌にだまされる魚や鳥の習性に触れ、目先の欲望に突き動かされたり、狭い了見から判断を誤ったりして、結果として命を捨ててしまう人が多いと述べ、ゆえに、大聖人は「世間の浅きこと」のためではなく、「大事の仏法」のために、一番大切な身命をなげうつべきであると示されている。
次に、今回の拝読御文の少し前では、不軽菩薩の実践を通して、大難を受けるのは、大聖人御自身の過去世からの罪業のゆえであると教えられている。
不軽菩薩とは、法華経常不軽菩薩品第20に説かれる釈尊の過去世の姿を指す。不軽は万人に具わる仏性を礼拝し、「私は深く、あなた方を敬います。決して軽んじたり、侮ったりしません。なぜなら、あなた方は皆、菩薩道の修行をすれば、必ず仏になることができるからです」と敬い続けた。
その言葉を信じられない増上慢の人々から、杖や木で打たれたり、瓦や石を投げられたりと迫害を受けたが、礼拝行を貫いた。この実践によって、不軽は過去世の罪障を消滅し、後に仏になったのである。
つまり、大難の中で戦い抜くからこそ、宿業を打開し、成仏できるのである。この宿命転換の法理を、譬えを用いて分かりやすく示されたのが「鉄は炎い打てば剣となる」(新1288・全958)との一節である。
鉄は、高温の炎で熱して何度も繰り返し打ち続けることで、次第に不純物が取り除かれ、強靱な剣になっていく。同じように、悪口罵詈などの迫害にも屈せず、妙法を語り広め抜くことで、自身の宿業をたたき出し、宝剣のごとく、強靱な生命が鍛えられていくのである。
人生の途上には予期せぬ試練がつきものである。私たちも試練に直面した時こそ"自らを鍛える最大のチャンス"と捉えて、鉄を何度も打ち鍛えるような「地道な折伏、対話」に挑んでいきたい。
現在、宗教に対して、人々の不安や不信感をあおるような言説が後を絶たない。仏法対話に励む中で、無理解から心ない言葉や中傷を浴びせられることもあるかもしれない。
しかし、初代会長・牧口先生は「戦えば戦うほど、こちらが強くなればなるほど、仏法勝負の実証は早く出てくる」と語られた。勇気を奮い起こして、堂々と語り抜く挑戦によって、自身の生命が鍛えられ、人間革命も成し遂げられることを確信したい。
池田先生は「鍛え抜かれた『宝剣の生命』は、決して朽ちることはありません。この妙法の剣で人々の不幸の根源を断ち切りつつ、確かな平和と希望の連帯を、地域に社会に大きく広げていくのです」とつづっている。
広宣流布大誓堂の完成10周年となる明年11月へ、男子部は今月、新たな布陣で出発した。みずみずしい生命力と「師子王の心」で率先の弘教に挑み、一人一人が堂々たる人間革命の実証を示しゆく下半期にしたい。

☆大学校生とナットクTALK 親が病気に
登場人物
中村区男子部大学校団長 20歳の時に入会。情熱に燃える新進気鋭のリーダー。35歳。
渡辺ニュー・リーダー 男子部大学校5期生の29歳。

Q.頑張ってきたのになぜ親が病気に
A.自身が信心で立ち上がる時
中村区男子部大学校団長 こんばんは! 渡辺君、なんだか今日は顔色が悪いね。大丈夫?

渡辺ニュー・リーダー えっ、そんなに悪いですか……。
実は先日、実家の父親が突然、病気で倒れたんです。入院をした今、父も含め、家族の皆が少し落ち着きを取り戻しつつあるんですけど、精密検査の結果次第では、もしかしたら手術を受けないといけないかもしれなくて……。
バタバタしていて、なかなか連絡できずにすみません。

中村 そうだったんだ。話してくれてありがとう。とにかく渡辺君のお父さまの回復を祈らせてもらいます。

渡辺 ありがとうございます。中村さんはじめ、今回の件を報告した学会家族の皆さんが題目を送ってくださっているのは、本当に心強いです。

中村 学会の同志の存在は本当にありがたいよね。

渡辺 その上で正直、「自分も、学会活動を頑張ってきたのに、なぜ」という気持ちもあるんです。

中村 なるほど。僕自身も同じような事態に直面した経験があるから、その気持ちはよく分かるよ。でも、信心の眼から見れば、病気になること自体、不幸なことでは決してないし、まして人生の敗北ではないんだ。

渡辺 どういうことなんでしょうか。

中村 仏法では、病気は生きている以上、避けられないものと捉える。大事なことは、必死に病魔と闘っているお父さまのそばにいる渡辺君自身が、どう向き合うかなんだ。
日蓮大聖人は、夫が病床に伏していた女性門下に対し、「このやまいは仏の御はからいか」「病によりて道心はおこり候なり」(新1963・全1480)とつづられた。これは、病を縁として求道の心が起こってくると励まされた一節なんだ。渡辺君が「必ず、病魔に打ち勝つぞ」という、強い強い決意の祈りをすることが大事だよ。

渡辺 なるほど。むしろ、父のために、今こそ強盛の信心を燃え上がらせていきなさいって教えられているんですね。

中村 そうだよ。池田先生はかつて「広宣流布のために学会活動をしないと宿命転換はできない。病魔と闘う家族のためにも、自分が猛然と立ち上がり、学会活動することだ」と述べている。
お父さまの回復のために、今まで以上に学会活動に挑戦する。それが、御書に「法華経を持つ人は、父と母との恩を報ずるなり」(新1852・全1528)と仰せの通りの姿だと思う。そんな渡辺君を、僕は全力で応援するよ。

渡辺 ありがとうございます。