◇今週のことば
「道理・証文よりも
現証にはすぎず」
新たな宝友と共に!
功徳の体験を語り合おう。
幸福をつかむ信心なれば。
(新1941・全1468)
2022年10月17日
佐渡御書 P957
『外道悪人は如来の正法を破りがたし仏弟子等必ず仏法を破るべし師子身中の虫の師子を食等云云』
【通解】
外道や悪人は、如来の正法を破ることはできない。必ず、仏弟子らが仏法を破るのである。師子身中の虫が師子を内から食うとはこのことである。
名字の言 あすは「民音創立記念日」 2022年10月17日
現代は多くの人が気軽に音楽を楽しめる。テレビやラジオをはじめインターネットも普及し、過去の偉大な音楽家の名曲を一流の演奏で聴くこともできる。つくづく恵まれた時代になったと思う▼民音が創立されたのは1963年10月18日。当時は、クラシック音楽の演奏会に行ったり、バレエや古典芸能を鑑賞したりする人はわずか。そうした中、「民衆の手に音楽を」との目的で設立された▼池田先生は小説『新・人間革命』第7巻「文化の華」の章で"広宣流布とは、いかなる状態をいうのか"とのテーマについて、こうつづっている。「文化という面から象徴的にいえば、たとえば日本の庶民のおばあちゃんが、井戸端会議をしながら、ベートーベンの音楽を語り、バッハを論ずる姿といえるかもしれない」▼長年、民音公演に親しんできた友が語っていた。「日本にいながら世界の多彩な文化に直に触れることができる。最高の"心のごちそう"ですよ」。民音の事業は幅広く、文化講演会、学校コンサート、キッズ楽器体験展など、大衆に根差した文化興隆に努めてきた▼それを支える推進委員や賛助会員をはじめ、大文化運動をけん引する全ての方々の深き理解と尽力に感謝と敬意を表したい。
寸鉄 2022年10月17日
学会には平和の光が満ち溢れている—ブラジル識者。希望を灯す対話拡大に先駆!
大事な時に巡り合い歴史築くは最大の名誉—戸田先生。創立100周年へ勇躍
東京・板橋の日。師弟共戦の人材輝く本陣の錦州城 新たな広布のドラマをつづれ
生命は絶えざる更新であり闘い—文豪ロラン。昨日より今日。挑戦の人は皆、青年
「衣替え」等、秋支度を。寒暖差大きい今は服装に注意。健康第一こそ根本
〈社説〉2022・10・17 あすは「民音創立記念日」
◇民衆の心と心を結ぶ挑戦
あす10月18日は、民主音楽協会(民音)の創立記念日である。
1961年(昭和36年)2月、創立者・池田大作先生は、初のアジア歴訪の中、長兄が戦死したビルマ(現ミャンマー)を訪問。"悲惨な戦争と決別し、平和を築くには何が必要か"と思索を重ね、相互理解を促す文化交流を目的とした団体の設立を構想した。
その2年半後の63年(同38年)10月18日に民音は産声を上げた。以来、民衆による民衆のための文化活動に取り組み、人々の心をつなぐ"音楽の力"を示してきた。
本紙の「民音ハートフル・インタビュー」には、民音公演にも出演し、各分野で活躍する芸術家が登場している。その取材の中で、異口同音に語るのは庶民に根差した文化活動の重要性だ。
演歌歌手の川中美幸さんは、先輩である三波春夫さんの「歌はね、大衆の中から生まれるんだよ。それを忘れちゃいけないよ」との言葉を大切にしているという。そして、「池田先生も常々、『無名の庶民が一番、偉い』とおっしゃっていますね」と語っていた。
落語家の林家正蔵さんは、「噺家は/世情のあらで/飯を食い」との川柳を通して教えてくれた。「お客さまと同じ立場で世相を感じ、世間の話題に触れるから共感が生まれる。そうでなければ心に染みる話なんてできません」と。
"民衆こそ音楽・芸術を育む主役"——誕生以来、民音の一貫して変わらぬ信念であり、団体名に「民主」が冠された理由もここにある。
創立から59年。民音はこれまで、世界最高峰のオペラハウスやバレエ団の"引っ越し公演"、アルゼンチン・タンゴ、中国の京劇など、さまざまな舞台を実現してきた。その交流は世界112カ国・地域に広がり、それぞれの国や地域の"大衆"にとって欠かせない音楽文化を紹介してきた。舞台を介して感動を共有することで、言葉や文化は違えど、同じ人間であることを実感する——これこそ民音が創立以来続けてきた挑戦である。
池田先生は政治・経済の交流を「船」、民衆同士のつながりを「海」にたとえ、「時に『船』が難破することがあっても、『海』さえあれば、往来は続いていく」と。
平和な未来を目指し、いかなる分断をも乗り越えるために——。民衆と民衆、人間と人間を結び合う"音楽の力"を、民音はこれからも民衆に届けていく。
☆全国男子部幹部会 梁島男子部長のあいさつ
◇我らが青年連帯の凱歌を
一、新時代を切り開く、全国男子部幹部会の開催、大変におめでとうございます。
池田先生は、語られました。"戸田先生との出会いは、永遠に忘れない。この出会いで、一生が、永遠が決まった"
この世に「師弟」ほど、崇高な絆はありません。私たち男子部もまた、師匠との出会いによって、人生を大きく勝ち開いてくることができました。
師との出会い——それは、十人十色です。
「対面の出会い」もあれば、先生の指針を学ぶ中で、心の絆を結ぶ「胸中の出会い」もあります。
私にとっての「師との出会い」は、18歳の時でした。悩みを抱え、確かな生き方を求める中で読んだ小説『人間革命』。その中で、「山本伸一」に出会いました。
悩み苦しむ民衆には太陽のような慈愛を注ぎ、人を見下す傲慢な人間とは嵐のごとく戦う。「師弟の誓い」に生き抜く伸一の姿に、私は「人間としての魅力」と「創価の生き方」を学んだのです。
あえて悩み多き姿で生まれ、人々に希望を送る「願兼於業」の使命。全ての人の仏性を信じ抜く「不軽の実践」。「利己」から「利他」へと生き方を転じる「人間革命の実証」。池田先生は、こうした日蓮仏法の真髄を、1960年のきょう10月2日を第一歩として、世界中に伝え、平和と安穏の大地を広げてこられました。
今やSGIは192カ国・地域に広がっている。きょうも世界の各地で「人間革命」のドラマが起き、人から人へ、信仰の喜びが伝えられている。
それはまさに、日蓮仏法こそが、「人間のための宗教」であることの、何よりの証左であります。
一、争いやエゴイズムが蔓延する乱世にあって、私たちは「人間主義」の旗を掲げ、広宣流布という壮大なロマンに生きています。その未曽有の挑戦に、困難が伴うのは必然です。「魔競わずば、正法と知るべからず」(新1479・全1087)。広宣流布とは永遠に、「仏と魔との闘争」であるからです。
今、求められているのは、宗教を十把一絡げに論ずることではなく、どの宗教が「人間を強く、善く、賢く」するのかを見極め、峻別することであります。
世界宗教として堂々と飛躍する学会の運動こそ、「正しい人生を教える力がある宗教」である。
学会に対する根拠なきデマや暴論は、むしろ、「現実社会に脈動する生きた宗教」であることの証しなのであります。
先生が仰せの通り、巌のごとき「不動の自己」をつくることが「信仰の精髄」です。
根も葉もない批判を悠然と見下ろしながら、「目の前の一人」に寄り添い、励ましていく。私たちは、この「創価の生き方」を断固として貫いていきたい。そして、「人間として最も偉大な生き方」である、「師弟の道」を、一生涯、歩み抜いていきたい。
一、このたび、男子部の新出発に際し、新たなスローガンが決定しました。「我、新時代の山本伸一なり! 不二の力で 歴史転換の先陣を! 青年連帯の凱歌を!」です。大変におめでとうございます(拍手)。
「我、新時代の山本伸一なり!」——この決意に立った時、師匠と同じ地涌の生命が涌現し、無限の力が湧き上がる。今、男子部の多くは、池田先生と直接お会いしたことのない世代です。しかし、「胸中の出会い」を重ねながら、「師弟に生きる人生」を自ら選び取っています。
「新時代の山本伸一」として立ち上がる青年群が、末法万年尽未来際、澎湃と湧きいでるならば、師弟の精神は、永遠に継承されます。
広宣流布史上、重要な転換点にある今、男子部は、その深き使命を自覚し、「山本伸一の生命」を身に体した、弟子の戦いに挑んでいきます。
一、現代社会は今、パンデミックや気候危機、ウクライナ侵攻、物価高や経済の低迷など、「複合的な危機」の時代に立たされている。こうした課題の本質を「心の危機」と指摘する識者もいます。その根本的な解決をもたらすのが、日蓮大聖人の生命哲学であり、「折伏」の実践であります。
価値観が多様化し、先の見えない世の中にあって、若い世代は「人生の羅針盤」を求めています。
私自身、この数年間で、10人以上の青年世代の友人を折伏することができました。そして、この"全国男幹"に向けて、率先の折伏を決意し挑む中、5日前に、新たな友人に弘教を実らせることができました(拍手)。
彼は、入会の理由に「人とのつながり」を挙げていました。まさに、人と人をつなぐ「創価の生き方」に共感を寄せたのです。
いかなる時代であれ、青年が青年を糾合し続ける限り、広宣流布の水かさは増していく。本来、誰もが求める、この「生き方」を、一人でも多くの青年に語り広げていくのが、我々、男子部の使命であります。
さあ、全国の男子部の皆さん。「我、新時代の山本伸一なり!」との「師弟誓願の合言葉」を響かせながら、2030年、2050年、そして22世紀、23世紀への広布の大ロマンに燃えて、「青年連帯の凱歌」を轟かせていこうではありませんか!
☆法華経に勝る兵法なし 千葉への指針から 第8回
◇事実無根のウソを断固と破る
事実無根のウソに人々が振りまわされ、冤罪によって善なる賢者が消え去り、邪智の悪人がのさばる社会や国家は、あまりにも愚かである。盲目である。その根本の狂いによって、乱れに乱れ、やがて滅亡していかざるをえない。
大聖人は、その道理と歴史的な事実とを縦横に示されながら、"だからこそ、悪を見破り、責めぬいていかねばならない"と、何度も何度も教えておられる。
戸田先生は言われた。
「人間の妬みほど、恐ろしいものはない。人間の魔性ほど、怖いものはない。ゆえに、汝自身が力をつけよ! 汝自身が悔いなき信念を持て!」と。
その意義から、先生が、青年部に徹底して読ませ、学ばせて、遺言のごとく語り、打ち込まれたのが『モンテ・クリスト伯』——「巌窟王」の物語であった。(中略)
この大河小説は、たんなる復讐の物語ではない。その根底には、権力者の不正に対する民衆の怒りがある。社会的正義を蘇らせる、みずみずしい息吹がある。その理想の炎が、皆を魅了するのであろう。
仏法には、残酷な復讐はない。いかなる悪人でも、その命を奪うことは絶対に認めない。生命は最高に尊貴であるからだ。また、仏法の峻厳なる因果律から見れば、悪は「法罰」によって必ず裁かれる。
ともあれ、仏法は、仏と魔の闘争である。極悪と戦う生命は、極善となる。それこそが「人間革命の戦い」なのである。(2001年3月、婦人部の神奈川・埼玉・千葉代表との協議会でのスピーチ、『池田大作全集』第92巻所収)
◇「望む」——これが青年の特権
千葉の青年部も、たくましく成長し、健闘してくれている。
(中略)
『モンテ・クリスト伯』にあった、人生の英知を青年部に贈りたい。
「信ずること、望むこと、これが青年の特権だ」
「幸福を得ようと思ったら戦わなくてはなりません」
「戦う意志をもった人であったら、一大事の時を一刻たりともむだにせずに、運命から打撃を受けると、たちまち投げかえしてやるものです」
そして「仕事をするのだ。働くのだ。懸命に勇気を出してたたかうのだ」と。
(中略)
戸田先生が開始した「巌窟王」の正義の闘争は、今や世界の良識が連帯して、「人権の世紀」を創造しゆく、うねりとなっている。
新世紀の平和の民衆勢力の「柱」となり、「眼目」となり、「大船」となるのはSGIであると確信する。今こそ、福徳の地盤、繁栄の地盤、広宣流布の地盤を悠々と築きながら、「創価の世紀」を開いてまいりたい。
(中略)
『モンテ・クリスト伯』の結びに、掲げられた言葉は何か。
それは、「待て、しかして希望せよ!」である。
大切なのは、「時」を待ち、「時」をつくりながら、すべてを勝ち越えていく「忍耐」と「希望」の力である。
この言葉こそ、人間の英知の結晶といえよう。(同)