2022年10月7日金曜日

2022.10.07 わが友に贈る

広宣流布の活動は
全て信心が根本だ!
生命力を漲らせてこそ
智慧と勇気が湧く。
確かな勝利のリズムを!

富木入道殿御返事 P955
『此北国佐渡の国に下著候て後二月は寒風頻に吹て霜雪更に降ざる時はあれども日の光をば見ることなし、八寒を現身に感ず、人の心は禽獣に同じく主師親を知らず何に況や仏法の邪正師の善悪は思もよらざるをや』

【通解】
この北国・佐渡の国に来てから二ヵ月の間、寒風がしきりに吹き、霜や雪が降らない時はあっても太陽の光をば見る日はない。
八寒地獄の苦しみを現身に感じている。そのうえ、佐渡の人々の心は禽獣のようで主君や師匠、親を弁まえない。ましてや仏法の邪正、それを弘める師匠の善悪などは思いもよらないことである。

名字の言 仲たがいしていた親子の「邂逅」 2022年10月7日
さだまさしさんの曲に、親と仲たがいしていた子のわだかまりが解けていく様子を歌った「邂逅」がある。邂逅とは「思いがけない出会い」のことだが、「しこりが解ける」の意味もある▼神奈川のある壮年部員は、学会のことを誤解した未入会の母と疎遠に。30年以上にわたり、訪問しても門前払いで、会うこともかなわなかった。せめてもの思いで、母の健康と幸福を祈り続け、毎年の年賀状には、医師として奮闘する自身の様子を記してきた▼その母が99歳となり、施設に入ったとの知らせが。壮年は意を決して母の元へ向かった。突然の訪問を、母は意外にも快く受け入れてくれた。実は入所した直後から、施設の職員に「息子は大きな病院の内科部長をしているんだよ」と誇らしげに語っていたという▼広布の庭で"人のために尽くす心"を磨き、母に喜んでもらいたいと懸命に仕事に打ち込んできた壮年。胸の内では、信仰によって立派に成長した息子を認めていた母。2人は涙の邂逅を果たした▼仮に信心ゆえの反発にあったとしても、勇気を奮い起こして祈り、誠実に徹し抜けば、必ず善知識へと変わっていく。一切を大きく包み、良い方向へと転換していけるのが、幸福勝利の妙法である。

寸鉄 2022年10月7日
明日から男子部幹部会の放映開始。広布の未来担う師子の集い。皆で応援
勝利島部の日。一人立つ勇者は皆が全権大使と。さあ励ましの千波万波を
「祈りのかなわぬことはあるべからず」御書。誓願の題目から今日も出発!(新592・全1352)
詐欺激増。「お支払いが確認できません」等、大企業騙る偽メールに厳重警戒
「盗難防止の日」。自動車盗難、車上荒らし等にも注意を。ぬかりなく対策

〈社説〉 2022・10・7 きょう「勝利島部の日」
◇"創価の不軽菩薩"の友に学ぶ
「皆さんは、一国を支えるような大きな心をもって、自分が、この島の柱となり、眼目となり、大船となるのだとの決意に立つことが大切です」——1978年10月7日、全国約120島の代表が学会本部に集い開催された第1回離島本部(当時)総会で、池田先生は遠来の友を抱きかかえるように歓迎し、万感の期待を寄せた。
そして「ただ一つ心肝に染めてほしい御文」として、「我ならびに我が弟子、諸難ありとも疑う心なくば、自然に仏界にいたるべし」(新117・全234)との「開目抄」の一節を拝して激励した。この総会が「勝利島部の日」の淵源となっている。
勝利島部の友は、師との原点を脈々と受け継ぎ、それぞれの島の繁栄を祈り、"広布の理想郷"づくりに挑んできた。
山口県の萩港から定期船で約1時間の距離にある見島は、人口約700人の小さな島。同島の同志は無理解や偏見の烈風に負けず、折伏精神を胸に秘めながら、着実に地域での信頼を築いてきた。現在では共感の輪が大きく広がり、本紙の購読推進などでも模範の実証を示している。
この地で約60年間、友好拡大に励んできた多宝の母がいる。過去には"村八分"同然の扱いを受けたこともあった。困難な状況の中でも大切にしてきたのは、爽やかなあいさつから始まる"日頃のお付き合い"。「感謝の心で接すれば、必ず相手も応えてくれます」と、確信の笑顔が光る。
瀬戸内海に浮かぶ広島県倉橋島の女性部の友は約30年前、結婚を機に同島へ。初めは言葉遣いや慣習の違いに戸惑ったが、"地域広布を進めるには、自分から行動しなければ"と決意する。20年余りにわたり、小学校、公民館などでの絵本の読み聞かせや、登下校の見守り活動を続けてきた。読み聞かせを楽しんでいた児童が成長し、自分の子どもを連れて参加して、声をかけてくれることもある。「人を大切にする心を、子どもたちに伝え続けていきたい」と、さらなる取り組みを誓う。
池田先生は随筆に、勝利島部の友をたたえ、つづった。「どんな烈風もはね返し、友好と貢献の見事な模範を打ち立てている創価の不軽菩薩たちに、私は合掌する」
勝利島部の同志の奮闘に学び、胸を張って真実を語る、正義の対話拡大を進めていきたい。

☆随筆「人間革命」光あれ 行学錬磨の賢者たれ
◇勝利の力は最高峰の哲学を学ぶ喜び
それは、聖教新聞を創刊して間もない、戸田先生の会長就任へ邁進する、ある夜であった。仕事を終えて、男子部の友の家に集まり、「開目抄」を拝読し合った思い出がある。皆、真剣であった。皆、希望に燃えて、未来を見つめていた。
その日の日記に、私は書き留めた。
「難解なれど、大聖人の御確信、胸に響く。乱世に、この貧しき家で、貧しき青年等が、大聖人の哲学を学びし姿、実に尊き哉」(一九五一年四月二十四日)
毀誉褒貶など眼中にも置かず、信ずる同志と「行学の二道」に励みゆく、この若き地涌の熱と力を、新出発の男子部が脈々と受け継いでくれている。「日蓮大聖人の民衆仏法」「人間のための宗教」の旗を高々と掲げ、意気軒昂に行進する若人が私の誇りであり、宝である。

◇歴史を創るもの
「歴史の根底は人民の思想のうちにある」
フランスの歴史家・ミシュレは、高らかに宣言した。
民衆の一人ひとりが、いかなる思想を持ち、いかなる実践をするかで、私たちの住む世界は変わるのだ。
民衆の、民衆による、民衆のための思想の興隆こそ、まさしく創価教学である。この秋、学会伝統の「教学部任用試験(仏法入門)」が行われる。コロナ禍のゆえ、実に四年ぶりとなる。全国各地で、草の根の尊き研さんが重ねられている。
思えば、学会初の任用試験から、今年は七十年——。
『日蓮大聖人御書全集』が戸田城聖先生の発願で発刊された一九五二年(昭和二十七年)四月より八カ月後の師走に、満を持して実施されたのだ。
この年、私はまず、蒲田支部の同志と、朗らかに仏法の偉大さを学び語りながら、「二月闘争」で広布拡大の突破口を開いた。
御書発刊の波動の中、年頭に五千七百余世帯だった学会は、一年で総世帯数二万二千を超えて飛躍し、迎えた教学試験であった。
この試験の結果と意義を報ずる翌年の元日号の聖教新聞に、私は「世界最高の哲学を学ぶ喜び」と題して、一文を寄せた。
——生命を離れて宇宙はなく、生命を離れて社会も国家も世界もない。ゆえに生命哲学が個人並びに世界平和の本源である、と。
この最高峰の生命哲学を学ぶ喜びこそ、教学試験の合否を超えた眼目といってよい。ここに、自他共の人生の勝利への推進力も、社会の安穏への源泉もある。
七十星霜を経て、壮大な世界広布の広がりの中で、この喜びを、新たな求道の友と分かち合えるのは、何と嬉しいことだろうか! 人類が岐路に立つ今、「太陽の仏法」の生命哲学の大光を、さらに多くの世界市民の心に届けていきたい。

◇「法華経の兵法」
「四十歳まで……教学の完成と実践の完成」
三十歳を前に、私はこう心に期して、常に御書を繙いてきた。電車での移動の中でも、待ち合わせの合間にも。そして「法華経の兵法」を抱き締め、師弟不二の指揮を執った。今の青年部と同じ年代の時である。
御書を学ぶことは、大聖人の不屈の闘魂を滾らせ、民衆を断じて救わんとの大慈悲の心音を、わが生命に響かせゆく作業である。
御書を開けば、無限の勇気が湧き上がる。いかなる苦難に直面しても、絶対に活路を開いてみせるとの大情熱と智慧が漲る。
「私は、かりに地獄に堕ちても平気だよ。なぜならば、地獄の衆生を折伏して、寂光土に変えてみせるからだ」とは、戸田先生の不動の確信であった。
仏法は机上の空論ではない。現実に人びとの心を変え、生活を変え、社会を変えゆく実践の力である。
一九五六年(昭和三十一年)の「大阪の戦い」も、御書根本に徹した。一切の戦いの将軍学を御書に学ぶ以外に勝利はないからだ。
分厚い困難の壁にたじろぐ友と、「湿れる木より火を出だし、乾ける土より水を儲けんがごとく、強盛に申すなり」(新1539・全1132)を拝し、不可能を可能にする師子王の心を、共々に燃え上がらせた。
「異体同心なれば万事を成じ、同体異心なれば諸事叶うことなし」(新2054・全1463)を通して、心を合わせれば、必ず大願を成就できると訴えた。
あの「"まさか"が実現」の舞台裏にも、関西の同志と命に刻んだ御聖訓がたくさんあった。その日その日の戦いを、御書を通じて明確にし、一日を一週間にも十日にも、充実させるのだ——この御書根本の団結ありて、燦然と輝く金字塔は打ち立てられた。

◇「御書」を心肝に
今回、任用試験の出題範囲の御書三編は、私も若き日から同志と学んできた、思い出深い御文である。
例えば、「一生成仏抄」の「深く信心を発して、日夜朝暮にまた懈らず磨くべし。いかようにしてか磨くべき。ただ南無妙法蓮華経と唱えたてまつるを、これをみが(磨)くとはいうなり」(新317・全384)との一節は六十五年前の九月、葛飾総ブロックの結成大会の折に友と拝読した。
——模範の組織をつくるには、どうしたらよいか。その一切の源泉は、この御文の通り、勤行・唱題にあると確認し、「全会員が、しっかり勤行できるようにしていこう」と挑戦した。三年後、葛飾は三総ブロックへと発展を遂げたのだ。
「我ならびに我が弟子、諸難ありとも疑う心なくば、自然に仏界にいたるべし」(新117・全234)
この「開目抄」の御金言は、一九六九年(昭和四十四年)の年末、障魔の烈風が吹きすさぶ中、病を押して訪れた三重県の松阪会館で、中部の宝友と深い決意を込めて心肝に染めた。
また、現在の勝利島部の同志をはじめ、各地の友と折々に拝してもきた。
先日(八月二十日)、聖教新聞で紹介された、茨城県つくば市の百三歳の母も、この一節をこよなく大切にされていた。
かつて座談会でお会いした時、御書を大事に抱えておられた。家計をやりくりして買われたようだ。私が「開目抄」の御文を引いて話す間、尊き母は、手元の御書へ、私の顔へと、目を行き来させながら、真剣に聞いてくださった。
この御文の余白に鉛筆で「弟子の決意」と書き、悔しい時も苦しい時も読み返しながら、地域に仏縁を結び、味方を一人また一人とつくってこられた金の足跡に、私は妻と合掌した。
日本中、世界中に光る、「自然に仏界」を勝ち開いた多宝の父母たちを、必ずや御本仏は「善き哉、善き哉」と御照覧くださっているに違いない。

◇研さんは世界で
「創価学会の使命は、まさに教学の振興にある」
この恩師の言葉の通り、人間主義の教学運動の奔流は、世界五大州を包む大河となった。
本年も各国で教学試験が行われている。既に実施された英国やドイツ、マレーシアのほか、韓国の教学部上級試験(六月)では、実に一万六千人の友が受験されたと伺った。
今月も、ニュージーランドやコロンビア、シンガポールで、"任用試験"が大成功裏に行われた。
振り返れば、海外の同志にとって初めて"任用試験"が行われたのは、約六十年前のことである。当時は論文審査であり、多くの意欲的な論文が寄せられた。
一九六三年から、米国やスイス、イタリア等の現地で教学試験が行われ、私も口頭試問などを担当した。
当時、北欧スウェーデンでは、日本からの派遣団が立ち寄り、教学試験が行われたが、受験者は女子部員一人だけであった。
しかし、その夜の座談会に出席した彼女の友人が、入会を決意している。彼女はやがてスカンディナビア半島の広布草創を奔走してくれたのである。
「一は万が母」(新578・全498)である。一人の受験者への激励が明日へ福智の門を開くのだ。
御書研さんの喜びは、アフリカにも大きく広がり、統一教学実力試験は三十カ国以上で開催されている。
最初は、点数がつくことに不安を覚えたというメンバーも、仏法を学ぶ中で誰かに感動を話したくなり、自然と友人を座談会などに誘うのが常だという。
こうした中、青年世代が仏法の法理に共鳴し、探究を深めて、社会へ展開する息吹に、世界の知性も大きな期待を寄せておられる。
フランス語版「御書」の総合監修をしてくださった、デニス・ジラ博士は、「真に世界に開かれた宗教には、その根本をなす精神性や伝統を受け継ぎ、堅持しゆく若き後継者の存在がある」と指摘し、創価の青年たちこそ「人類の未来である」との希望を語られている。

◇創価教学を興隆
不安や不信、恐怖や憎悪に引き裂かれる時代にあって、生命の善性への絶対的な信頼に立ち、人間革命の方途を示す哲学ほど、望まれるものはあるまい。
私たちが朝な夕な読誦する「法華経」の自我偈には、「毎自作是念(つねに自らこの念を作す)」とある。
「御義口伝」では、この「念」の意義について、「一切衆生の仏性を念じたまいしなり」(新1069・全767)と仰せである。
我らの自行・化他の題目は、地球民族の仏性を信じ抜き、一人また一人と、勇敢に誠実に忍耐強く呼び覚ましていく音律なのだ。
わが教学部は、新たなるスローガンとして——
「御書根本」「師弟不二」「異体同心」の教学部
世界宗教の誉れ高く
 創価教学の興隆を!
    ——と掲げた。
さあ、心も広々と、教学研さんの秋だ。
行学錬磨の賢者たちよ、今日も生命尊厳の大哲学に触れよう!
そして、学んだ喜びを、地域へ、社会へ、世界へ、勇んで語り広げよう!
ここから「平和」と「人道」の世紀を開く、大いなる熱と力が生まれゆくのだ。

☆御書と未来へ 第39回 社会照らす「創価の普賢」たれ
〈御文〉
『末代の凡夫、法華経を信ずるは普賢の善知識の力なり。』〈守護国家論、新424・全66〉

〈通解〉
末法の代の凡夫が法華経を信じるのは、普賢菩薩という善知識の力である。

〈池田先生が贈る指針〉
時代は動いている。確固たる羅針盤を、人々は求めてやまない。
揺るがぬ「不変真如の理」を根本に、自在なる「随縁真如の智」を発揮し、乱世を照らす学術部の友の使命は大きい。
広宣流布は、全民衆を「普く賢く」しゆく挑戦である。結成60年。"知性の宝剣"冴える創価の普賢菩薩は、いやまして「善知識の力」を!