2022年10月3日月曜日

2022.10.03 わが友に贈る

◇今週のことば
「よりあいて
きかせ給い候え」
新たな地涌の友の結集を
皆で温かく応援しよう!
いざ青年学会の飛躍だ。
(新1204・全901)
2022年10月3日

椎地四郎殿御書 P1448
『大海へ衆流入るされども大海は河の水を返す事ありや、法華大海の行者に諸河の水は大難の如く入れどもかへす事とがむる事なし、諸河の水入る事なくば大海あるべからず、大難なくば法華経の行者にはあらじ』

【通解】
大海には多くの河川が流れ込んでいますが、大海が川の水を押し返すことがあるでしょうか。それと同じように、大海のような法華経の行者に大難は諸河の水のように入ってくるけれども、法華経の行者はそれを押し返すことも、とがめることもないのです。諸河の水が流れ込むことがなければ大海が存在しないように、大難がなければ法華経の行者では無いのです。

名字の言 出雲駅伝へ、調整を進める創大駅伝部 2022年10月3日
今年の「三大駅伝」を制するのは、どの大学か。その開幕を告げる出雲駅伝まで1週間。2年連続2度目の出場となる創価大学は、10月10日に向けて順調に調整を進める▼注目されるチームの主力の一人はケニア人留学生だ。エースのムルワ選手は昨年の1万メートルのタイムが世界48位にランクイン。この"速さ"と競い合い、チーム力は例年以上に高まっている▼ケニアには、創大に留学する選手をサポートする同窓の壮年がいる。彼は在学中、アフリカの発展に尽くそうと語り合ってきた妹を交通事故で失った。妹が創大に入学する直前の出来事だった▼悲しみを振り払い、彼は妹の分までアフリカに貢献する決意を固めた。卒業後、国立ナイロビ大学の大学院を修了し、私立大学の教員に。「最優秀教員賞」に何度も輝き、ケニア日本語教師会の会長を長年務めるなど、異国の地で使命の道を力走する。子どもたちも日本とアメリカの創価の学びやへ。「アフリカ、そして母校の力になれることが何よりの喜び」——彼は今も胸中の妹と共に創立者への誓いに生き続ける▼応援してくれる方々への感謝を忘れずに走る。それが創大駅伝部の最大の強みだ。勝利へ、心をつなぐタスキリレーにエールを送りたい。

寸鉄 2022年10月3日
SGIほど活気に満ちた力強い団体はない—識者 青年を先頭に平和を建設
苦労した人を信用せよ—戸田先生。青春の労苦は財産。鍛えの大道を邁進
どんな私の行為も祈りなくして行われない—偉人 非暴力の根底に宗教性が
東西ドイツの統一の日。分断の壁を破るのは民衆の力。対話と交流を更に
7割以上が歩きスマホで危険な体験と。少しだけが命取り。周囲も大迷惑

〈社説〉2022・10・3 改正育児・介護休業法が施行
◇社会全体で子どもを育もう
「瓜食めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして思はゆ 何処より 来りしものそ 眼交に もとな懸りて 安眠し寝さぬ」(中西進『万葉集 全訳注原文付』講談社文庫)
「旅人の宿りせむ野に霜降らばわが子羽ぐくめ天の鶴群」(同)
前者は山上憶良が自作から神亀5年(728年)に選び、後者は天平5年(733年)に出航した遣唐使の一員の母が詠んだ歌だという。
子どもはどういう因縁から来たのだろう。目の先にちらついて私を安眠させない——。こう詠んだ憶良は、続けて「銀も金も玉も何せむに勝れる宝子に及かめやも」と添えた。遣唐使の母は、離れた地の子を思い、野に霜が降りたらわが子を羽で包んでおくれ、と群れ飛ぶ鶴の姿に願った。
父の思い、母の祈り。それは奈良時代から変わるまい。これらの歌が今日まで読み継がれてきたことは、「子に勝る宝はない」という気持ちが、時代を問わず万人に通じる普遍的な心情であることを物語るのではないか。
10月1日、改正育児・介護休業法が施行された。2021年6月に改正された同法は今年4月から段階的に施行されており、今回は新制度の「産後パパ育休」が始まる。子どもの出生後8週間以内に4週間まで男性が育児休業を取得できる制度。2回に分けることも可能だ。従来の育児休業も2回に分割して取れるようになった。
女性の社会進出との関係などからも注目されており、法の整備・改善を今後も進め、社会全体の気風や文化として定着を目指す地道な取り組みが重要だろう。
その上で、法制度や家庭の在り方といった"かたち"ばかりが強調されてはならないだろう。一人親の家庭もある。子どもの年齢を広げて考えるなら、介護や家事など家族の世話を担う「ヤングケアラー」への支援も必要だ。家族の状況は一様ではない。子どもとその家族に寄り添う共感や同苦の心こそ肝要ではないか。
一人も残らず幸福に。地域と世界の未来部員を地球の未来を担う宝の存在とし、成長を真心込めて祈り、励ましを送る創価学会の同志の連帯は、ますます社会で光っていくに違いない。『万葉集』の父母にも勝る命からの叫びのような願いと祈りが社会の隅々にまで広がり重なった先に、子どもたちの笑顔が輝く社会がある。

☆勇気の源泉——創立者が語った指針 中国の革命作家・魯迅の言論闘争に学ぶ「民衆を救う言葉の力」
●創価大学・女子短大の入学式(2000年4月)
〈2000年4月に行われた創価大学(第30回)・創価女子短期大学(第16回)の入学式。席上、創立者・池田先生に、中国の北京魯迅博物館から「名誉顧問」の称号が贈られた。式典で先生は、21世紀を担い立つ英知の若人たちに向け、革命作家・魯迅の箴言や生き方を紹介した。
先が見えない閉塞感が漂う社会の中で、今、多くの人が不安を抱えて生きている。そうした人々の苦悩に寄り添い、希望と活力を送る「言葉の力」について、改めて先生のスピーチに学びたい〉

「第一に重要なことは、いったい何か? それは人間の教育にある。人間が確立していけば、どんな事業でも成し遂げていくことができるからだ」(以下、「文化偏至論」〈伊東昭雄訳、『魯迅全集』1所収、学習研究社〉を参照)
これこそ、わが尊敬する魯迅先生の根幹の思想の一つであります。
「勇猛にして恐れなき人間をつくれ!」「剛毅にして不屈の人物を育てよ!」「人類の尊厳のために、万難を排して、断固として前進する青年よ、登場せよ!」
魯迅先生は、こう主張してやみませんでした。
わが創価大学は、「民衆のため」「平和のため」「世界のため」という明確なる目的を掲げた大学であります。
私は、この創価大学こそ、人類史が待望する揺るぎなき信念の人材群を育成しゆく「希望の教育の城」であっていただきたいと念願する一人であります。民衆を忘れ、未来を忘れて、「就職のため」「立身出世のため」だけになってしまえば、もはや大学は必要ないのであります。

◇「論争」の時代
〈"魯迅がつづり残した不滅の哲学は、世紀を超えて青年に多くのメッセージを伝えている"と訴える池田先生は、魯迅に学ぶべき人生の視座を学生たちに語りかける〉

その一つとして、「忍耐強く、徹して学びぬけ!」ということが挙げられるのであります。(以下、顧明遠『魯迅—その教育思想と実践』〈横山宏訳、同時代社〉を参照)
魯迅先生は、口先の理想や格好いい言葉やスローガンを叫ぶだけの青年には、まことに厳しかった。そういう人間を軽侮した。それでは、現実に「民衆を救う力」は持てないからであります。
民衆と「直結」でいくのです。自分中心ではなく。
私自身、創価学会の会長となって以来、40年間、ただ会員の皆さまのために、寸暇の休みもなく戦ってきました。人々に社会に貢献する心で、私自身の一切を、創価学会に、そして創価大学、学園等に捧げてきました。それが私の人生であります。
皆さんは、決して恵まれた環境ではないかもしれない。しかし、苦労して、働きながら、また民衆とつながりながら、学んでいく。それが本当の「勉強」であると私は思う。
魯迅先生もまた、「苦しさに耐えて学問を求めよ!」と、謙虚にして地道な粘り強い研鑽を訴えたのであります。
 
さらに私は、魯迅先生の青年教育を通して、皆さま方に申し上げたい。「正義を叫びぬく、戦う知性たれ!」と。
ある時、魯迅先生のもとにやってきた一人の青年が、現実社会の行き詰まりを嘆いて、弱々しく愚痴をこぼした。(以下、石一歌『魯迅の生涯』〈金子二郎・大原信一訳、東方書店〉から引用・参照)
「いまわれわれには自由に大声で笑い、叫び、罵れる場所があまりないのです……」
すると、すかさず魯迅先生は、鋭く問い返した。
「では、なぜ自分で発言の場所を作らないのです?」と。
青年よ、敢然と大胆に、声をあげたまえ!——これが、魯迅先生の一貫した叱咤でありました。若人にとって、臆病な沈黙は「敗北」です。魂の「死」であります。

魯迅先生は、仏法についても研究を深めておられました。仏法では「末法」、つまり「現代」という時代の様相を、「闘諍言訟」と言い表しました。すなわち、「戦い」「争い」「論争」の時代であると説いているのであります。
この時代にあって、何が大切か? 私の師匠である戸田先生は、こう教えました。
「戦いの勝利の原理は『勇気』と『忍耐』と『智慧』である」と。そして「言論は、機関銃のごとく! 大砲のごとく!」と。
ともあれ、「雷鳴がとどろいて万物を冬眠から呼び起こすように」(「破悪声論」伊藤虎丸訳、『魯迅全集』10所収、学習研究社)、複雑な時代を、そして複雑な社会を覚醒させてゆく「正義の大声」を、青年が胸を張り、堂々と叫び切っていくことを、魯迅先生も信じ、期待していたのであります。
わが創大生こそ、この魯迅先生の期待に応えて、先頭に立って、勇敢に恐れるものなく戦い、また戦って、偉大なる「青春の歴史」を、「不滅の自分史」を、つくっていっていただきたいのであります。

◇悪には容赦なく
〈魯迅は、青年時代の1902年春に日本に留学し、牧口先生と縁ある教育機関で学んだ。池田先生は、その歴史を紹介し、同時代を生きた二人の信念の歩みに光を当てる〉

魯迅先生が日本留学の第一歩を踏み出したのが、有名な「弘文学院」であります。この弘文学院では、ほぼ同時期に、若き牧口先生も、中国の英才たちに、「人生地理学」を講義しました。
光なき暗い時代にあって、魯迅先生と牧口先生は、ともに正義のため、人道のために殉じていかれました。その思想と人生は、奥深く共鳴しあっております。
なかんずく、お二人の最大の共通点は何か?
それは、迫害の連続のなかで、最後の最後まで、悪と徹して戦いぬいた点であります。
中国の文化史を通じて、魯迅先生ほど、あらゆる勢力から攻撃を受けた偉大な知性の方はいない、と言われております。
魯迅先生も、売らんがための雑誌によって、つねに悪口を捏造され、書き立てられたのでした。
また巨大な魯迅先生に敵対することで、自分たちを大きく見せようとする連中も、渦巻いていました。いつの時代にも見られる、浅ましい「妬み」と「謀略」の構図が、ここにあるのです。
しかし、魯迅先生は、そうした輩に対しては、憤然と反撃していかれました。
"利害にとらわれた知識階級などニセ者である"(「知識階級について」須藤洋一訳、『魯迅全集』10所収、学習研究社、参照)、"歴史上、陰謀によって文豪になった人間など、いない"(「310202 韋素園宛 書簡」深澤一幸訳、同全集14所収、参照)等々——魯迅先生の反論は、まことに痛烈でありました。

魯迅先生は、どこまでも虐げられた民衆の側に立って、あらゆる邪悪を容赦なく攻めて、攻めぬいていったのであります。悪との戦いにあって、魯迅先生は中途半端な妥協は、絶対に許さなかった。それは、なぜか。
魯迅先生は、断言されております。「光明と暗黒とが徹底的にたたかうことをせず、実直な人が、悪を見のがすのを寛容と思い誤って、いい加減な態度をつづけてゆくならば、今日のような混沌状態は永久につづくだろう」(竹内好編訳『魯迅評論集』岩波文庫)と。
この深き哲学を、諸君も、よくよく胸に刻んでいただきたいのであります。ここにこそ、心から尊敬できる「戦う知性」の使命があり、責務があるからであります。

◇険しき山に挑め
〈結びに池田先生は、新たな世紀の主役たる創大・短大の新入生へ指針を贈る〉

ちょうど、40年前(=1960年)、私は、第3代会長就任を前に、日記に、魯迅先生の随筆「生命の道」の一節を書き記しました。その言葉を、大切な新入生の皆さまに贈りたい。
「道とは何か。それは、道のなかったところに踏み作られたものだ。荊棘ばかりのところに開拓してできたものだ。むかしから、道はあった。将来も、永久にあるだろう。人類は寂しいはずがない。なぜなら、生命は進歩的であり、楽天的であるから」(前掲『魯迅評論集』)
また、19世紀、ロシア最高峰の文芸評論家と言われたベリンスキーは、叫んだ。「精神には、肉体と同様に、運動が必要である。それなしに何もせず、無力になれば、精神は衰える」。そして、「人間性とは、人類愛のことである。それは、自覚や教育によって育まれるものである」。
さあ、太陽のごとく昇りゆく、若き新入生諸君! 新しき学問の大道を、新しき自己の建設の坂道を、そしてまた、自分自身の勝利へ、自分の決めた眼前にある険しき山を、登り切っていってくれたまえ!——そう申し上げたいのであります。