桜梅桃李の信心だ。
誰にも尊き使命がある。
人と比べて焦るより
自分らしい幸の花を
堂々と咲かせゆこう!
如来滅後五五百歳始観心本尊抄 P239
『乃ち是れ終窮究竟の極説なり故に序の中に「説己心中所行法門」と云う良に以所有るなり請う尋ね読まん者心に異縁無れ」等云云』
【通解】
即ちこれが終窮究竟の極説である。故に止観会本・章安の序の中に『己心の中に行ずる所の法門を説く』といっているが、天台大師は己心の行ずる自行の法門が即ち一念三千であるとは誠に理由の深いことである。請い願わくは尋ね読まん者、この点において心に異縁を生じてはならない、と。
名字の言 大きな勝利を刻んだ記念日 2022年10月14日
愛用する日記帳は、今日の出来事を書く欄の上に、前年の同じ月日が記されたレイアウトになっている。上段を見て"去年の今頃は何があって、どんなことを考えていたかな"と読み返すのも日課である▼書かれた内容は悩みや決意など、さまざまだ。ただ、当時の課題の多くは信心で乗り越え、"あの日、あんなことがあり、こんな思いをしたからこそ、充実の今がある"と感謝できるものになっている▼ある女性部員は、日々の出来事をノートに書きとどめることを習慣にしてきた。だが、ある日を境に空欄が続く。彼女は脳出血で救急搬送され、入院生活を送っていた。生死をさまよう危機を乗り越え、体は徐々に回復したが、生きる希望が見いだせず、ペンを手にできなかった▼その空白を埋めるかのように、同志が毎日、激励のメールを送り続けた。その励ましで彼女は"元気になって生き抜く!"と心の向きが変わった。退院し、今では車を運転して広布に走っている▼大病に倒れたのは、昨年の11月6日。彼女は今年の11月6日、教学部任用試験を受験する。試験当日のノートの書き出しはすでに決めてあるという。「今日は私が1年かけて身も心もよみがえらせ、大きな勝利を刻んだ記念日だ」
寸鉄 2022年10月14日
21世紀はアフリカの世紀—会長の"宣言"から62年 希望の大陸に仏子が陸続
日蓮に共する時は宝所に至るべし—御書。学会は大聖人直結で広布を実現(新1024・全734)
"一緒に動く"が人材育成の要諦。朗らかに、真剣に挑戦と成長の時を刻もう
20日まで全国地域安全運動。特殊詐欺や空き巣防止に注力と。声かけ共に
朝晩の冷え込み強まる。外出・入浴時の温度差に注意。一枚多く羽織る等
〈社説〉 2022・10・14 きょう「鉄道の日」
◇今日の礎を築いた先人に感謝
150年前のきょう10月14日、日本初の鉄道が新橋—横浜間で開業した。蒸気を噴き上げながら機関車が走る様子は、当時の人々にとって驚異的な出来事であり、まさに文明開化の象徴だった。
日本初の鉄道開業の念願をかなえ、明治の鉄道事業をリードしたのは、「日本の鉄道の父」と称される井上勝だ。『クロカネの道をゆく 「鉄道の父」と呼ばれた男』の著者・江上剛氏は、「井上勝こそが『ものづくりの国』と尊敬を持って世界から称賛される日本の基礎を築いた人物」と評する。
井上は幕末に英国へ留学し、鉄道・鉱山の最先端技術を学び、明治維新後に帰国。国を豊かにする鉄道敷設の信念を生涯貫いた。
官僚(鉄道局長など歴任)でありながら、わらじを履いて現場へ。執務室には、留学中に愛用したスコップが飾られていたという。
その後、井上に次ぐ人材が続々と誕生し、世界屈指の「ものづくりの国」に。近代日本の"産業革命"は、鉄道から始まったともいわれる。発展の礎を築いた先人に感謝したい。
明治以来、安全第一はもちろん、"スピードアップこそ重要なサービス"との考え方は、利用者の需要も重なり、導入予定の超電導リニアなど鉄道の発展につながってきた。
一方、人口減少や他の交通手段の発達により、廃線になった路線も。加えて、コロナ禍で人の移動が制限され、リモートワークなどが増えると状況は一変。2019年には1日の利用者は6800万人を超えていたが、以降は激減している(国土交通省統計)。
それでも、全線再開を果たした福島と新潟を結ぶ只見線(今月)や西九州新幹線の開業(9月)など、新しい鉄道のニュースは私たちの心を高揚させる。"国民の足""物資輸送の大動脈"との、鉄道の存在意義は揺らぐことはないだろう。
民俗学者の柳田國男は、車窓からの絶景を列挙し、「知らず識らずにも、此國土を愛したくなるのである。旅を或一地に到着するだけの事業にしてしまはうとするのは馬鹿げた損」(『柳田國男集』)と述べた。昭和初期の頃にも、移動手段の鉄道に豊かな旅情が見いだされていたようだ。
きょうは「鉄道の日」。人々の心に息づいてきた鉄道の魅力を、改めて見直したい。各駅停車のようにゆっくりでも、前に進めば景色は変わっていく——人生の歩みも、かくありたいと願う。
☆御書と未来へ 第40回 一文字一文字に偉大な功徳が
〈御文〉
『法華経の文字は六万九千三百八十四字、一々の文字は我らが目には黒き文字と見え候えども、仏の御眼には一々に皆御仏なり。』〈本尊供養御書、新1863・全1536〉
〈通解〉
法華経の文字は6万9384字で、一つ一つの文字は私たちの目には黒い文字と見えるけれども、仏の御眼には一つ一つが皆、御仏と映るのである。
〈池田先生が贈る指針〉
法華経そして御書の一文字一文字は皆、仏の生命そのものである。妙法の金文字に触れる我らの生命も、黄金の輝きを放つ。
任用試験を勇んで受験する友も、共に学ぶ担当の方々も福徳は無量無辺である。自他共の境涯革命へ朗らかに「幸福入門」を! 至高の聖典を根幹に、世界宗教の智慧を人類へ送りゆこう。
☆英知の光源 希望の哲理に学ぶ テーマ:和合僧
◇池田先生の指導から
恩師・戸田城聖先生は語られました。
「今の乱れた世の中を、創価学会が変えていくのだ。勇気を奮い起こし、一致団結して、広宣流布の大道を進もうではないか!」と。
未聞の大偉業に、障魔が競い起こるのは必然です。だからこそ、仏の陣列である私たちは、信心根本に、どこまでも「団結」していくのです。いかなる三障四魔や三類の強敵にも絶対に破れない「広布の城」「民衆の城」「平和の城」を創り上げていく責務があるのです。
仏道を正しく実践し、法を広めゆく人々の集いを、「和合僧」と呼びます。仏教では、民主的な共同体であるサンガという和合僧があってこそ、各人の仏道修行が成就することが説かれています。
今日で言えば「組織」です。私たちが信仰を実践し、一生成仏を実現し、広宣流布を目指すためには組織が不可欠です。創価学会こそが、現代における世界広布の和合僧にほかなりません。(『調和と希望の仏法 「人間の宗教」の時代へ』)
Q1:なぜ創価学会を「和合僧団」と称するのですか。
紀元前にインドで生まれた釈尊の仏教は、やがて、戒律や仏典の伝承系統を次第に増やしながら、長い年月をかけて、中国、韓・朝鮮半島、日本へ、またスリランカ、東南アジアへと流伝していきました。
もろもろの部派や、あまたの経典群——。多様で多元的に発展しながら、トランス・ナショナル(脱国家的)に伝承されてきた、これら仏教に共通しているのは、「三宝」を大切にして敬うということです。
三宝とは、仏教を構成する仏宝・法宝・僧宝の三つの要素のことです。
仏教では「三帰依」といって、必ず「仏」「法」「僧」の三宝への帰依を誓うことが、信仰の基本となります。
ここで仏宝とは、教えを説く仏のことです。法宝とは、仏が説く教えのことを示します。そして、僧宝とは、教えを信じて実践する人々の集い(教団)のことです。
特に「僧」とは、もともと「集い」を意味するサンスクリット(古代インドの言葉)の「サンガ」を音写した「僧伽」の略であり、「和合」とも意訳されます。二つ合わせて「和合僧」ともいいます。
その上で、漢訳された「僧」という言葉が、中国から日本へと仏教が流伝する過程で、仏道修行者そのものを示すようになっていったと考えられています。
創価学会では、仏宝は日蓮大聖人であり、法宝は南無妙法蓮華経の御本尊、僧宝は日興上人としています。現代における僧宝は、仏意仏勅の広宣流布を進める和合僧団である創価学会となります。
Q2:仏法の原義をひもとくと、「僧宝」の意義もより鮮明になりますね。
古代のインド社会には文字による伝承という慣習がなく、仏典については、紀元前後に書写され始めるまで、専ら「口伝」によって伝承されてきたと研究されています。
その口承を担ってきたのが仏教者の集団であり、その集いのことを「サンガ(和合僧)」と称しました。
もともとインドでは、「サンガ」は仏教の発祥以前から使われていた言葉で、「集団」「集会」「組合」などの意味をもちます。釈尊の時代には、「共和国」の組織形態を意味する言葉でもあったといわれています。
仏法の観点からいえば、「サンガ(和合僧)」とは、互いに尊敬し合う仏道修行者の集団のことです。現代でいえば、求道心と団結をもって、分け隔てなく広布に励む人々の集まりが「和合僧」となるでしょう。
事実、釈尊の「サンガ(和合僧)」では、あらゆる階層の人々が集い、身分や性別などの差異に関係なく、皆が平等に仏道修行に励んでいました。初期仏典には、そうした釈尊とさまざまな弟子とのやりとりが、生き生きと描かれています。また、釈尊は"善き友、善き仲間を持つことが、仏道修行の全てである"とも説いています。
仏道修行に励む人々が集い合い、正しい法を実践し、広く伝えていく。そうした使命があるからこそ、仏教において和合僧が「僧宝」として重要視されてきたといえます。
Q3:日蓮仏法では「組織」について、どのように捉えますか。
「御義口伝」には「『僧』とは、我ら行者なり」(新1067・全766)とあります。また、「生死一大事血脈抄」では「異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉るところを、生死一大事の血脈とは云うなり」(新1775・全1337)と仰せです。
仏道修行に励む同志の和合を尊重することは、仏法者の不可欠の要件です。日蓮大聖人がとりわけ重んじられたのも、同志が異体同心で団結していくということでした。
人間は、人間の中でこそ磨かれます。広布に励む人間同士が互いに触発し合い、さらに成長していくためにも、同志の集いである和合僧、すなわち"善の組織"が大切なのです。
御聖訓には、「互いに読み聞かせまいらせさせ給え」(新1304・全965)、「志有らん諸人は、一処に聚集して」(新1324・全970)とあります。
大聖人御在世の当時、こうしたお手紙を受け取った門下たちが、厳しい迫害のさなか、まさに互いに力を合わせて支え合いながら、励まし合って、不惜身命の信心を貫いていった様子が目に浮かびます。
創価学会もまた、日蓮仏法によって全人類を幸福にし、世界の平和を実現するという偉大な目的に向かって、世界中の同志一人一人が師匠のもとに団結し、前進しています。
この崇高な目的は、多種多様な役割を担う人々が織り成す"組織"がなくては成し遂げられません。
言い換えれば、日蓮仏法の正統な和合僧団として、仏意仏勅の世界広宣流布を現実の上で進めているからこそ、創価学会の組織は現代における僧宝と輝いているのです。