御聖訓「相構え相構えて
強盛の大信力を致して」
諸天をも揺り動かす
強き一念と勇気の行動で
自分史に輝く金字塔を!
聖人御難事 P1190
『各各師子王の心を取り出していかに人をどすともをづる事なかれ、師子王は百獣にをぢず師子の子又かくのごとし、彼等は野干のほうるなり日蓮が一門は師子の吼るなり』
【通解】
各々、師子王の心を奮い起こし、いかに人が脅そうとも、決して恐れてはならない。師子王は百獣を恐れない。師子の子もまた同じである。彼らは、野干(狐)が吼えているようなものである。日蓮の一門は、師子が吼えているようなものである。
名字の言 「第九の怒濤」に込められたメッセージ 2021年10月29日
本紙の企画「絵画は語る」で、ロシアの画家アイヴァゾフスキーの傑作「第九の怒濤」が紹介された(10月26日付3面)▼第九の怒濤とは、嵐の海の中で最も巨大で恐ろしい破壊的な波とされる。ロシア文学の名作『戦争と平和』にも「ちょうど船をも破壊する最後の、第九の波のごとく、最後の抗いがたい大波」(望月哲男訳)と書いてある▼イギリスの風景画家ターナーの「難破船」は自然と人間の戦いを描いた「第九の怒濤」と構図が極めて類似する作品だが、両者には決定的な違いがある。ロシア美術研究家の山口恭子さんによれば、人間を自然の猛威の前になすすべもない存在と描いたターナーに対し、「第九の怒濤」には自然と勇敢に戦い、最後は勝つという希望が輝き、歓喜の賛歌が響き渡る、と(「海の詩人アイヴァゾフスキー」)▼池田先生は長編詩「『第九の怒濤』を観て」でうたった。「信念のある彼は/受難も受苦も/必ずや人間は/乗り越えゆく/使命と力を/持っていることを/教えたかった」「乗り越えゆくのだ/すべてを!/自身の前途の苦難を!/君よ/あなたよ/断じて/乗り越えていってくれ給え!」▼波浪は障害にあうごとに、その頑固の度を増す——わが人生も、かくありたい。
寸鉄 2021年10月29日
御書「思い切って強強に」真実を語れば信頼が広がる。劇が起こる。共に前へ
若師子よ走れ。青年の一の拡大で二倍三倍の波動が!君の手で栄光の朝を
公明比例、各地とも激戦。断固攻め抜き勝ち上がれ民衆が味方!皆でエール
軽減税率・教育無償化等公明の実績多数。公約は実現可能か"画餅"か喝破
大音量のイヤホン使用は難聴の因と。人と話せ程度の音量で。賢く活用
☆池田先生ご夫妻が「創立の月」を前に恩師記念会館で勤行 全同志の福徳と勝利を祈念
池田大作先生ご夫妻は「創立の月」を前にした28日、総本部の創価学会恩師記念会館(東京・新宿区)を訪れ、勤行・唱題した。
今年の11月は、三代の会長の誓願であり学会の使命である世界広宣流布へ、池田先生が本格的な反転攻勢の激励行を開始して40周年、宗門から"魂の独立"を果たして30周年の意義ある時を刻む。
先生ご夫妻は、「大いなる広布の山」を越えゆかんと力走する全国・全世界の同志の福徳と健康、大勝利を心から祈念した。
☆いのちの賛歌 心に刻む一節 生死と向き合う 2021年10月19日
企画「いのちの賛歌 心に刻む一節」では、御聖訓を胸に、宿命に立ち向かってきた創価学会員の体験を紹介するとともに、池田先生の指導を掲載する。今回は「生死と向き合う」をテーマに、広島県の女性に話を聞いた。
テーマ:生死と向き合う
◇御文
『心の師とは・なるとも心を師とせざれとは六波羅蜜経の文なり』(兄弟抄、御書1088ページ)
◇通解
わが心に対して師とはなっても、わが心を師としてはならない、とは六波羅蜜経の文である。
いかなる時も師と共に
新生児死を経験
「宿命の渦中にいる時は分からなくても、後から振り返ったら"一つ一つに意味があったんだ"と思える時が、必ず来るんです」
そう語る矢的三枝子さん=総広島女性部副総合長=には、決して忘れられない出来事があった——。
◇
女子部時代は広布の本陣・東京で信心一筋に走り抜き、縁あって夫・正吉さん(74)=広島戸田総県副総合長=と結婚。出産を経て、30歳の時に夫の転勤に伴い、広島・安佐北区に転居した。
矢的さんにとって、ゆかりのない土地での新生活。不安がなかったわけではない。それでも、「住むからには、この地こそが自分の使命の舞台だと心を定めていこうと、御本尊に誓ったんです」と振り返る。
その後、2人目の子を授かり、35歳の時に3人目を妊娠した。順調に発育し、双子であることも分かった。夫婦で喜んでいたのもつかの間、妊娠30週を過ぎた頃から、矢的さんは体に違和感を覚え始めた。出産に向けて埼玉県の実家に帰省していた時のことだった。
「上の子たちの時と違って、おなかが張るなと思ったんです。それがどんどん膨らみ、食事も取れないほど苦しくなってきて……」
近くの大学病院で検査してもらったところ、「羊水過多症」と告げられた。そのまま緊急入院に。その後、破水してしまったため、緊急の帝王切開手術によって1420グラムの極低出生体重児と、842グラムの超低出生体重児の双子を出産した。
「手術は無事でした。でも、聞こえた産声は、双子のうちの一人だけだったんです」
不安がよぎったが、双子の新生児は直ちに保育器へ保護されたため、矢的さんは、わが子たちの顔を見ることができなかった。2日後、病室で正吉さんから伝えられたのは、「1420グラムで生まれた子が、今日、亡くなった」ということだった。矢的さんはベッドの上で泣き崩れた。
一度も顔を見ないままの、わが子との永遠の別れ。気持ちの整理がつかず、悲哀の底に沈んだ。そんな折、池田先生ご夫妻から温かな激励の言葉が届いた。
「意味のあることです」「落胆しないで、前を向いていきなさい」——命が揺さぶられるようだった。
「まるで先生ご夫妻が、抱きかかえるように励ましてくださっているみたいで。涙があふれて止まりませんでした」
矢的さんは、「意味があること」と、すぐにうなずけたわけではなかったという。それでも、「そうなんだ」と自分に言い聞かせて、涙を拭い、顔を上げた。
この時、拝した御書が「心の師とは・なるとも心を師とせざれ」(1088ページ)との一節だった。
「弱い自分の心に引っ張られてしまうのか。それとも、世界一の師匠と心を合わせて、今世の使命を果たすのか。私は"師と共に生き抜く"と決めたんです」
その後、祈りに祈り、自らの生命を"どん底"から引き上げた矢的さんは、"亡き子の分まで"という誓いをかみ締め、学会活動に今まで以上の情熱を注いだ。その中で、同じように子どもを亡くした同志と出会うこともあった。
「経験したからこそ、相手の苦悩の深さも分かる。広布に生きる中で、自分が悩んだことの『意味』も、少しずつ見えてきて……」
矢的さんは広布の第一線で同志に尽くし抜き、総広島婦人部長(当時)等を歴任。これまで夫の脳梗塞をはじめ、さまざまな宿業の嵐に家族が幾度も襲われたが、そのたびに強盛な信心を奮い起こし、一家で不屈の前進を貫いてきた。
「同志に心から寄り添える自分になれたこと。それが、私が悩んできたことの意味なのかなと思います。断言できることは、どんな時も学会の中に身を置いていれば、人生の軌道に間違いはないということです。師の心をわが心として進む人生に、不幸があるわけがないんです」
矢的さんは、「人生の意味が全て分かったわけではない」と前置きしつつ話す。
「結局、自分の人生の意味というのは、自らの境涯によって、良い方向にも悪い方向にも変わるんです。同じことでも、そこにどんな意味を見いだすかは、その時の境涯次第。だからこそ、自分を善の方向、希望の方向へ力強く引っ張ってくれる『心の師』が必要なんです。戦い続ける中でしか、本当の意味は感じとれないんです」
試練の峰を何度も乗り越えてきた確信が、声ににじむ。
池田先生は語っている。
「法を体現した師匠、法と一体となった師匠を求め、その師匠を模範と仰いで弟子が実践していく。そのとき、初めて『心の師』となる生き方が実現するのです。
言い換えれば、私たちの一生成仏には、衆生の持つ『心の可能性』がどれだけ広いかを教え示す『法の体現者』であり、『法と一体化』した『師』の存在が不可欠となるのです。(中略)
私の胸中には、いつも『心の師』である戸田先生がいる。今も日々、瞬間瞬間、胸中の師と対話しています。これが『師弟不二』です」
「いかなる人も、真面目に、そして粘り強く、信心を貫き通すならば、必ず、この一生のうちに、尊き仏の境涯を勝ちとることができると、大聖人が、断言されているのであります」(池田大作先生の指導選集〈上〉『幸福への指針』)
偉大な師と心を合わせることで、自らの境涯も、大きく開いていける。いかなる行き詰まりも、必ず打開していくことができる——矢的さんがつかんだ確信だ。
「悩みが消えるわけではありません。けれど、悩みが悩みでなくなるんです。それが、この信心の真髄なのでしょう。
人生は、宿業との連続闘争。途中で何があっても、私はどこまでも師匠と共に進み続けていきます」
[教学コンパス]
「誕生死」という言葉がある。流産・死産・新生児死などを示す造語だが、元になったのは、そうした体験を持つ家族たちを取り上げた『誕生死』(三省堂)という本。反響は大きく、後に、寄せられた感想が一冊の本(『誕生死・想』三省堂)となった。
そこには、「1度だけ抱くことができた時の1802gの命の重さを温かさを今でも忘れる事はできません」といった声や、「『悲しい、かわいそうな話』ではなく、あの娘がいてくれたからこそ今の幸福があることを知ってくださる方がいれば」といった声が(全て原文ママ)。読むほどに、命の"かけがえのなさ"が胸に迫る。とりわけ感じたのは"同じ経験をした人の存在が励みになった"という声の多さだ。
創価学会でも、本紙や座談会などで日々語られる同志の体験談を励みとし、「あの人のように」と苦難に挑んでいる友は無数にいる。日蓮大聖人は「一は万が母」(御書498ページ)と仰せになった。負けじ魂で試練に挑み勝つ一人の雄姿は、万人を鼓舞する"希望の道しるべ"となるのだ。