2021年10月13日水曜日

2021.10.13 わが友に贈る

青年の勇気と知恵こそ
新たな時代を創る力だ!
皆が活躍できるよう
最大の励ましと応援を。
共に希望の未来へ!

新池御書 P1440
『始より終りまで弥信心をいたすべしさなくして後悔やあらんずらん、譬えば鎌倉より京へは十二日の道なり、それを十一日余り歩をはこびて今一日に成りて歩をさしをきては何として都の月をば詠め候べき』

【通解】
始めから終わりまでいよいよ信心をすべきである。そうでなければ後悔するであろう。例えば、 鎌倉から京都へは12日を要する道のりである。それを11日あまり歩いて、あと1日になって歩くのをやめてしまったならば、どうして都の月を眺めることができようか。

名字の言 亡き父から学んだ「心の財」 2021年10月13日
医師として多くの人の臨終に立ち会ってきた友の言葉が、とても印象に残っている。「亡くなる時、その人の分まで価値ある人生を生きようと"心のバトン"を受け継いでくれる存在があれば、『死』は永遠の幸福への出発に感じられるのではないでしょうか」▼ある女子部員は2年前、父が末期がんで「余命」を告げられた。しかし、父の残りの人生は"余り"などではなく、宝のように輝く日々だった。家族で一日一日を大切にしながら、共に祈り、学会活動の話題で盛り上がり、笑い、涙した▼昨秋、父はほほ笑みを浮かべ、安らかに旅立った。生前を知る同志は「あなたのお父さんにどれほど励まされたか」「今の自分があるのはお父さんのおかげ」と感謝を口々に。父がこれほどに慕われ、心の財を積んできたことに彼女は感動し、「私も広布に生き抜きます!」と"使命のバトン"を受け継いだ▼「先臨終の事を習うて後に他事を習うべし」(御書1404ページ)。命には限りがある。分かっていても、それを身近な人や自分に引き当てて考えるのは勇気がいる。だが、この一点に真剣に向き合った時、大切なものが見えてくる▼地位、財産、名声などより「心の財」を求める人生にこそ、真の幸福と満足がある。

寸鉄 2021年10月13日
一生懸命だから不可能も可能になる—恩師。絶対勝つ。皆がこの心で挑戦
神奈川、千葉、山梨よ正義の底力発揮を。大逆転へ気迫の進撃をここから!
埼玉、茨城、栃木、群馬が猛追。敢闘魂で新記録の拡大へ!総力で勝機を
愛知、静岡、岐阜、三重に金星を断固!誰をも味方にする攻めの対話今こそ
電話は孤独感を和らげる効果—研究。絆が希薄な社会。一本に真心込めて

〈社説〉 2021・10・13 「日蓮大聖人御入滅の日」
◇一人一人の幸福が平和の基盤に
「日蓮生れし時より・いまに一日片時も・こころやすき事はなし、此の法華経の題目を弘めんと思うばかりなり」(御書1558ページ)——民衆の幸福を願い、妙法流布に生き抜かれた日蓮大聖人は、弘安5年(1282年)10月13日、61歳で崇高な御一生を終えられた。本年で739年を数える。
その御生涯は、正法流布を阻む障魔との連続闘争であったが、多くの弟子もまた、迫害に屈することなく、不退の信心を貫いた。
「日蓮は、この法門を語ってきたので、他の人と比較にならないほど、多くの人に会ってきた」(同1418ページ、通解)
人と会い、人と語り、妙法を弘め抜かれたのが大聖人である。
大聖人と門下との強い絆。その背景には、常に一人を大切にされる大聖人の慈愛があった。
夫を亡くし、病弱な幼子を抱える妙一尼には、「冬は必ず春となる」(同1253ページ)と、悲しみに寄り添いながら、抱きかかえるように励まされている。
南条時光が重病であるとの報告を受けた時には、時光を苦しめる病魔に対して、「鬼神めらめ」(同1587ページ)と厳しく叱責された。大聖人御自身が病と闘う中、自らの命を振り絞るかのような師子吼に触れ、時光は、50年も更賜寿命することができた。
"強盛な信心を貫き、人生を勝ち開け!"——大聖人の深き御慈愛が胸に迫ってくる。
弟子への真剣な薫陶は、御生涯の最後まで続いた。御入滅の前月に、池上宗仲の屋敷で病を押して、「立正安国論」を講義されたという記録もある。命を削る思いで、弟子たちに"立正安国の戦い"を託されたのだ。
民衆一人一人の幸福なくして、社会の平和・繁栄はない。この立正安国の大理想を、現代において展開しているのが創価学会である。
池田先生は語っている。
「一人を励まし、命の底から生き抜く力を蘇生させるのです。この地道な行動の積み重ねこそが、世界192カ国・地域にまで地涌の民衆連帯を広げ、創価学会を世界宗教へ飛翔させてきた原動力にほかなりません」
私たちは、「仏の如く互に敬うべし」(同1383ページ)との、大聖人の根本精神を心に刻み、目の前の一人に誠実な語らいを広げ、"立正安国""立正安世界"の社会を築きゆこうではないか。

☆忘れ得ぬ旅 太陽の心で 第13回 ロサンゼルス
月刊誌「パンプキン」誌上の池田先生の連載エッセー「忘れ得ぬ旅 太陽の心で」を紹介する本企画。今回は「ロサンゼルス——共に踏み出す開拓の一歩」〈2013年8月号〉を掲載する(潮出版社刊の同名のエッセー集から抜粋)。20世紀の初めに急成長を遂げたアメリカ・ロサンゼルス。半砂漠地帯から大都市へ——その開拓は、一本の長い水路を引いたことから始まった。地道な、そして着実な歩みを重ねていく先に、希望の未来は開けてくる。さあ、今日も開拓の心を燃やし、挑戦の一歩を踏み出そう!

勇気ある
 この第一歩に
  未来あり

人生も、社会も、勇敢なチャレンジの第一歩から開かれます。
アメリカの開拓時代、旅人が街に到着すると、「どこから来たか?」とは聞かれませんでした。最初に問われたことは、「これから、どこへ行くのか? 何をするつもりなのか?」であったと言います。
過去がどうあれ、大事なことは、今ここから、いかなる一歩を踏み出していくかでしょう。
思えば、カリフォルニアの陽光が降り注ぐ世界屈指の大都市ロサンゼルスも、百年ほど前までは、比較的人口が少ない半砂漠地帯でした。二十世紀の初めに急成長を遂げたのです。
その繁栄を開いた大いなる一歩は、約四百キロ離れた山脈から一本の水路を引いたことです。
四百キロといえば、東京から東北に行けば宮城や岩手、西へ進めば大阪や兵庫ほどの直線距離になります。
それほどの遠大なスケールで、山岳地帯を越えて水を引いてきたのですから、先人たちの苦労が偲ばれます。
さらに、雨があまり降らない気候を映画撮影の格好の条件として活かし、ハリウッドに象徴される映画産業を発達させました。広大な砂漠地帯を、みずみずしい夢と文化の発信地として栄えさせていったのです。
ハリウッド映画にもなった小説『怒りの葡萄』『エデンの東』等で有名な、カリフォルニアの作家スタインベック(一九〇二〜六八)は語っていました。
「たとえ怖くても、新しい試みをするごとに驚きと希望と喜びがあるのです」と。

◇できることから
〈中南米やアジアからの移住者も多い、多様性の天地・ロサンゼルス。池田先生は1960年10月に初訪問し、母国を離れて暮らす日本出身の女性らを激励。未来へ希望の灯をともした〉

初訪問の折には、アメリカ軍人の夫との結婚を機に渡米したものの、異国の生活になじめず悪戦苦闘する女性たちから「日本に帰りたい……」という声も、多く聞きました。
その苦労は痛いほど察せられました。しかし、不思議な宿縁で舞い来たった天地です。断じて幸福を勝ち取れないわけがない。私は、具体的に三つのアドバイスを申し上げました。
�市民権を取り、良きアメリカ市民になる
�自動車の運転免許を取る
�英語をマスターする
思うにまかせぬ境遇にあって、あれこれ考え過ぎても、身動きがとれなくなってしまう。まず、できることから目標を立てて、一歩、前へ進めば、そこから希望の活路が広がります。
それから半世紀——。それぞれに、最良のアメリカ市民、模範のアメリカの母として、お子さんやお孫さん方、また、後輩たちに囲まれ、悠々と、晴れやかに社会貢献と勝利の人生を飾っておられることが、私の何よりの喜びです。

◇悔いなく大歓喜で
〈ロサンゼルスは、池田先生が世界の多くの識者らと交流を結んだ地でもある。先生はアメリカの「人権の母」ローザ・パークスさんとの語らいを振り返りつつ、万人に共通する「生命」を見つめることで、一切の差異を超えて理解し合えると強調。続いて、一人の女性の生き方を通し、自分が変われば環境を変えられると訴える〉

ロスの地で、友と美しい満月を仰いだことも、忘れ得ぬ思い出です。
月が静かに満ちていくように、一歩一歩、淡々と、前を見つめて歩み抜いてこそ、所願満足の人生があるのではないでしょうか。
私と妻の友人で、満月のような笑顔を湛えた女性がいます。ロスを拠点として、法曹界で活躍するとともに、市民のリーダーとなって献身してきた方です。
この女性は幼い頃、母と一緒に、生活が荒れた父と離別することになりました。さらに、結婚を決意した男性からは悩まされ、胎内に宿した生命も亡くしました。
彼女は、"学歴や地位、知識や富があっても、自分の生命を変えていかない限り、本当の幸福はない"と痛感したといいます。そして、希望にあふれた友たちと支え合って、生命尊厳の哲学を探究していきます。
そのなかで、かつては許せなかった父を看病し、心を通わせ、安穏な人生の総仕上げに尽くすこともできました。
「自分が人間革命すれば、環境を変えることができる!」——彼女は、苦難と戦う友をどこまで勇気づけられるか、月月日日に強く挑戦しつつ、多くの青少年を、わが子のように育んでいます。
「幸福は、誰かがもたらしてくれるものではない。自分自身の手でつかみ取るものである」
正義の旗を掲げ、満月の如く悔いなく大歓喜の人生を進みゆく女性の断固たる信念です。

〈結びに池田先生は、勇敢なる歩みは世代を超えて伝わっていくと述べ、「今日より明日へ」の着実な前進を望んだ〉

カリフォルニア出身の国民的大詩人ロバート・フロスト(一八七四〜一九六三)は、「世界を救えるのは、大胆、勇気、前進のみである」と強調しました。
勇気の一歩は、未来の世代に受け継がれます。
私は、敬愛するアメリカへの恩返しの心を込めて、アメリカ創価大学(SUA)を創立しました。ロサンゼルス・キャンパスを経て、同じカリフォルニア州のオレンジ郡キャンパスで、地域と共に発展を続けています。
教職員の方々は、「SUAは学生中心の教育機関」として、世界から集った俊英を大切に薫陶してくださっています。学生たちは、他者のため、地域社会のため、世界のために「貢献的人生を生きよう」と大情熱で学び抜いてくれています。生命尊厳、また、人間主義を根幹とした地球文明の揺籃と光っていることが、私の誇りです。
生命を慈しむ女性たちの心は、カリフォルニアの大空と大海原のように、大きく寛やかです。その心に包まれて、わが向学の英才たちが、新たな開拓の一歩を踏み出してくれています。
今日より明日へ、この一歩前進とともに、「生命尊厳」と「人間共和」の希望の光が広がりゆくことを、私は確信してやみません。
(『忘れ得ぬ旅 太陽の心で』第4巻所収)