◇今週のことば
「臆病にては
叶うべからず候」
師弟不二の勇気を出し
自信満々と語り切れ!
ここに勝利の成就あり。
2021年10月10日
木絵二像開眼之事 P469
『人の声を出すに二つあり、一には自身は存ぜざれども人をたぶらかさむがために声をいだす是は随他意の声、自身の思を声にあらはす事ありされば意が声とあらはる意は心法声は色法心より色をあらはす』
【通解】
人が声を出すのに二種類ある。一つには、自分ではたとえそのつもりがなくても、(相手に自分の心をいつわって)だまそうとするために声を出す。これは随他意の声である。一方、自分の思いをそのまま表した声がある。この場合は、自分の心中の意志が声となって外に出ている。心は心法、声は色法であり、心法から色法があらわれる。
名字の言 2年ぶりの出雲駅伝がきょうスタート 2021年10月10日
"大学駅伝シーズン"の開幕を告げる出雲駅伝が、きょう正午過ぎにスタートする。1989年から始まり、昨年はコロナ禍の影響で中止になった同大会。全日本大学駅伝(11月)、箱根駅伝(来年1月)と並ぶ「大学三大駅伝」の一つであり、そろって開催されれば2年ぶりとなる▼出雲駅伝は6区間45・1キロと、大学三大駅伝の中で最も距離が短い。2日間で10区間217・1キロを走る箱根駅伝の5分の1ほどだ。毎回、高速レースが展開されることから「スピード駅伝」と称される▼順位の変動が激しいのも特徴の一つ。とりわけ"逆転の6区"といわれる最終区でトップが入れ替わり、優勝が決まったケースは実に13回を数える▼まさに「一瞬の判断が明暗を分ける」「勝負は最後の瞬間まで分からない」ということであろう。"ここが勝負どころ"という急所を見極め、一気に前へ出る。どんなに苦しくとも諦めず、自分の力を出し切る。戦うべき時に戦わず、前進するべき時に前進しなければ、スポーツも人生も勝利はつかめない▼大会は、沿道での観戦自粛を呼び掛けるなど、感染症対策を強化して行われる。大成功を祈り、初出場する創価大学をはじめ、出雲路を駆ける全選手にエールを送りたい。
寸鉄 2021年10月10日
味方をつくることが一切の勝利に繋がる—恩師。誠実の振舞で共感の輪を
北海道の大空知、留萌、サロベツが激闘。断じて大逆転を!全国から声援
東京の北、足立、豊島、板橋に凱歌を必ず!総力で猛烈な押し上げ今こそ
広島戸田総県よここからが勝負だ!一丸となって攻め勝て。炎の開拓、皆で
世界精神保健デー。心の健康は身近な人の理解に関係と。地域の絆を強く
☆Switch——共育のまなざし 合唱運動が育む「心」とは
◇東京都合唱連盟理事長/合唱指揮者 清水敬一氏に聞く
長引くコロナ禍の影響で、文化芸術活動が大きな打撃を受けています。「合唱運動」もその一つ。読者の中にも、地域のコーラスグループや大学・学校の合唱部などに所属している方がおられるでしょう。活動が制約されている今だからこそ改めて考えたい、「合唱運動の魅力や意義」とは何か。東京都合唱連盟の理事長であり、約20の合唱団の指揮者も務める清水敬一氏にインタビューをしました。(聞き手=大宮将之)
歌う人と聴く人とが共につくる
励まし合いの「場」をこれからも
◇「非効率」の大切さ
<コロナ禍が本格化してから1年半。今、実感されていることは?>
合唱って「みんなで歌うこと」だけを指しているわけではないんですよね。みんなで集まって、世間話も含めて語り合って、練習や発表の場を通して人と人とがつながっていく……こうした営みが、どれほど自分にとって「心の栄養」になっていたか。そのことを実感している合唱関係者は僕も含めて多いでしょう。
学校や職場以外で、みんなと一緒に何らかの目的に向かって一生懸命になれる場所があるって、人が豊かに生きる上でとても大事なことだと思うんですよ。
「合唱」って子どもから大人まで誰もがすぐに参加できるでしょう? 僕は「村みたいなコーラス」という表現を好んでよく使うんですが、老若男女、上手な人もそうでない人も、いろんな人たちが集まっている世界が好きなんです。多様な人々がつながるきっかけをつくってくれるのが、「合唱」の一つの魅力ではないでしょうか。
<リアル(対面)の合唱運動が制約を受ける中、それでも「歌いたい」「つながりたい」と、オンライン練習を重ねている団体もあります>
昔はできなかったことができるようになった——これは、素晴らしいことだと思います。その上で、だからこそ「リアルならではの良さ」を再確認したという人も多いはず。
僕は大学で講師を務めているんですが、オンライン授業が多いし、東京都合唱連盟などの会議もオンラインで行われることがほとんど。チャットや画面共有の機能を使って、文字情報や写真を共有できるのは便利ですよね。あと、自宅からすぐに参加できるので、遅刻する人がいなくなったかな(笑い)。無駄話もできないから、予定時刻より早く終わることも少なくない。とっても「効率的」ですよね。
けれど僕は、こう思っているんです。"文化的なものは非効率の中から生まれる"って。時間をかけて同じ場所に集まり、みんなで顔を合わせることも、そう。話が脱線したり時間を忘れておしゃべりしたりすることも、そう。そこから思いがけない方向に展開が転がったり、新しい発想が生まれたりすることがある。心も動く。そこから得られるもの、生まれるものがたくさんある。
もちろん感染防止が第一ですが、合唱運動が制約を受けている今だからこそ、「非効率の大切さ」「リアルの素晴らしさ」が、より広く共有される機会になるといいですよね。
◇そろえなくていい?
<吹奏楽や舞踊などにおいても「リアルの意義」をかみ締めている人は、少なくありません。その上で「合唱ならではの魅力」は、どんなところにあると思われますか>
合唱には歌詞があります。いわば「言葉のある音楽」です。言葉には意味があり、合唱は「意味を伝える力」を持っている。合唱を通じて皆と同じ気持ちを共有できる——多くの人がイメージする魅力や意義は、このようなものではないでしょうか。
けれど僕は少し違う。むしろ合唱とは「言葉で説明できない何か」と出合えることに、大きな意義があると思っているんです。それは聴く側だけでなく歌う側にとっても——。
ハーモニーが美しいとか歌詞の意味が伝わったとか、これはまだ「言葉で説明できる」ものです。けれど人間の心を言葉で説明し尽くすことなど、本来はできないはず。
瞬間瞬間、心は変化していて多面的。何らかの課題や困難に直面した時に「こうありたい」「こうすべき」と頭で分かっていても「とはいえ、できない」という迷いも内包している。相反することを同時に考えられるのが人間らしさでもあるんですよね。だから同じ歌詞に触れても、その時の置かれている状況によって、いろんな捉え方ができるわけです。
それゆえに僕は合唱団の指揮や指導を任された時、団員の方々にこう言ってしまうんです。「みんなで気持ちをそろえなくてもいいんだよ」って。いつも「心を合わせて歌おう」と指導されていた人たちからすれば目が点になりますよね(苦笑い)。
もちろん音程やリズムはそろっている方がいい。僕も一方的に「気持ちをそろえるな」と言っているわけではありません。けれど人間は一人一人、考え方や受け止め方が違う。だからこそ面白い。同じ歌詞であるにもかかわらず、受け止め方の違う人たちが集団で歌い、ハーモニーを響かせるからこそ、ソロ歌唱では表現できない"えも言われぬ感情"を聴く人たちに呼び起こすことができる——僕はそう思っています。
◇被災地のコンサート
<思い起こす取材があります。創価学会音楽隊「しなの合唱団」が東日本大震災の被災地で行ってきた「希望の絆」コンサートです。被災状況は人それぞれ。生活再建に向けた歩みの速度も違う。そんな方々が同じ歌、同じ歌詞に触れた時、ある人には亡き家族との思い出がよみがえり、ある人は離れた故郷を思い、ある人は復興への誓いを抱く……。さまざまな状況にある方々が、言葉にはできない自分の感情と向き合うことができる「合唱」という"場"の力を感じました>
「希望の絆」コンサートは、合唱団の皆さん自身が被災者の方々から"受け取ったもの"も、とても大きかったのではないでしょうか。少しでも励ましたい、元気になってもらいたいと思って臨んだつもりが、むしろ合唱団の皆さんの方が励まされたり。「何のために歌うのか」「合唱とは何なのか」という問いを深く考える機会となったり——。
僕が、しなの合唱団の指揮者の一人になってから15年以上になりますが、団員の皆さんは本当に真面目で一生懸命な方が多い。2007年の「全日本合唱コンクール」で僕が指揮を務めた時、「金賞」の受賞を喜び合ったことも懐かしいですね。
しなの合唱団の皆さんも「希望の絆」コンサートをはじめ、さまざまなステージで感じてきたことがあるでしょうけれど、舞台上の合唱者と客席の方々の心がとけ合って、同時に"うねって"いく瞬間というのがあるんです。僕は指揮者で客席を見ることはできないけれど、背中でその"うねり"を感じられるくらいの瞬間です。"あ! お客さんたちがこの合唱作品の世界に入り込んでくれたな"ってハッキリと分かるんですよね。その時、お客さんもまた、「演者」「表現者」の側になり、舞台上の合唱者たちの心をも動かしていくんです。
そこで感じられるものもまた、先ほど申し上げた「言葉では説明できない何か」と言えるでしょう。それが双方にとって励ましとなったり、学びとなったり、気付きとなったりする。これは、無観客では絶対に生まれません。歌う側と聴く側が共につくりあげる"場"なんです。
コロナ禍によって合唱コンクールや合唱祭などが中止・縮小を余儀なくされ、合唱活動が存続の危機にさらされているのは、皆さんもご存じの通りです。東京都合唱連盟として「合唱の灯を絶やさぬために!」と銘打ったクラウドファンディングも実施しています。全日本合唱連盟としても「合唱活動における新型コロナウイルス感染症拡大防止のガイドライン」を策定し、普及に努めているところです。
合唱の"場"をこれからも、未来まで——僕の願いは、ただそれだけです。
【プロフィル】しみず・けいいち 1959年、東京生まれ。早稲田大学卒。指揮法を遠藤雅古氏、V・フェルドブリル氏、合唱指揮を関屋晋氏にそれぞれ学ぶ。現在、約20の合唱団でタクト(指揮棒)を振り、合唱とオーケストラのための作品のコーラスマスターとして数多くの初演に関わってきた。2005年に開かれた第7回世界合唱シンポジウムでは講師を務めた。国内外の音楽祭、作曲コンクール・合唱コンクールの審査員を歴任。著書に『合唱指揮者という生き方』(アルテスパブリッシング)など。全日本合唱連盟理事およびJCDA日本合唱指揮者協会理事、東京芸術大学および同大学附属高等学校講師も務める。