2021年10月3日日曜日

2021.10.03 わが友に贈る

「竹の節を一つ破ぬれば
余の節亦破るるが如し」
限界突破の一人がいれば
その波動は千波万波と!
これが広布の方程式だ。

開目抄下 P223
『当世日本国に第一に富める者は日蓮なるべし命は法華経にたてまつり名をば後代に留べし』

【通解】
当世日本国に第一に富める者は日蓮である。命は無上最大の法華経に奉り、名をば後代に留めるのである。

名字の言 子守歌は親から継いだ「愛情の調べ」 2021年10月3日
数年前、公園で子連れの母たちが談笑中、一人が言った。「私が幼い頃に母から聞かされた子守歌を歌うと、この子、寝付きがいいの」。他の母も同じような経験があるのか、うなずいていた▼わが子を揺らして歌う時、"母もこうしてくれた"と感謝が湧く。その心こもる歌に、子は安心して眠る。子守歌は親から継いだ「愛情の調べ」——母たちの会話に思った▼ある女性部員は幼少期に両親が離婚し、母に育てられた。後年、彼女は幸せな結婚をし、4児の母に。だが、夫が病で急逝した。"どうやって生きていけば……"。苦悩は深かった▼唱題する中、自分を信心に導いてくれた亡き母が脳裏に浮かんだ。"母のように強盛な信心で、私も幸福の人生を築いてみせる"と誓った。以来、一切の苦難を必死の祈りではね返した。現在、立派に成人した子どもたちが思い出話をすると決まって出る言葉がある。「母の題目が子守歌だった」——彼女の信心と愛情が、子を守り抜いたという"証言"であろう▼池田先生は「正しい信念を、正しい哲学を、正しい信仰を脈々と継承していく——そこにこそ、人間の最も崇高な永遠性の劇がある」と。子は、親が貫いた"負けじ魂の信心"を最高の宝として受け継ぐ。

寸鉄 2021年10月3日
最も大変なことに真っ先に挑戦せよ—戸田先生。勇気の拡大劇を「私」から
北海道の大空知、留萌、サロベツの友が大奮戦!連戦連勝へ押し上げ皆で
東京の北、足立、豊島、板橋よ師子となって走りゆけ!本陣に凱歌を必ず
広島戸田総県よ頑張れ。開拓魂の本領発揮の時!総力挙げて歴史的金星を
東西ドイツの統一の日。分断の壁破った民衆の力—我らも心結ぶ交流益々

☆いのちの賛歌 心に刻む一節 桜梅桃李の輝き 2021年9月21日
テーマ:桜梅桃李の輝き
企画「いのちの賛歌 心に刻む一節」では、御聖訓を胸に、宿命に立ち向かってきた創価学会員の体験を紹介するとともに、池田先生の指導を掲載する。今回は「桜梅桃李の輝き」をテーマに、佐賀県の母と娘に話を聞いた。

◇御文
『設ひ・いかなる・わづらはしき事ありとも夢になして只法華経の事のみさはくらせ給うべし』(兄弟抄、御書1088ページ)

◇通解
たとえ、どんな煩わしい苦難があっても、夢の中のこととして、ただ法華経のことだけを思っていきなさい。

◇使命のない人などいない
娘が教えてくれた信心
"3歳になったのに、言葉が出てこない"。西川節子さん=佐賀・吉野ケ里平和圏女性部総合長=は悩み、苦しんだ末に、長女・郁美さん=女子地区リーダー=を連れて病院へ。医師に「発達障がい」による言葉の遅れと告げられた。
      ◇
「当時はまだ、『発達障がい』など一般に知られておらず、ただただショックだったのを覚えています」
1977年(昭和52年)3月、西川さんは夫・義憲さん(68)=副支部長=と結婚し、学会に入会。第1子を出産するも、生後すぐに亡くした。郁美さんは、その2年後にやっと授かった娘だった。
郁美さんはその後、小学校に上がっても、いくつかの単語しか話せなかった。小学校側から「特殊学級(当時)に」との話もあったが、西川さんは断ったという。
「"普通学級で学ばせてあげたい"という思いもそうですが、どこか"周りの目"を気にしている自分もいて」
結局、郁美さんは4年生から特殊学級に通うことになった。
"娘は娘"。頭では分かっていても、無意識に同年代の子とわが子を比べてしまう。そんな自分に嫌気が差し、信心にも積極的になれなかった西川さん。
誰にも相談できずにいた悩みを、ようやく、当時の支部婦人部長に打ち明けた。「なんで私ばかり、こんな思いをするんですか?」
支部婦人部長のまなざしは、温かかった。
「使命のない人などいない。郁美ちゃんは、お母さんに信心を教えるために生まれてきたの。あなたの宝物なのよ」
宝物——その一言が胸に突き刺さった。"世間体ばかり気にしていた私は、なんて情けない母親だったんだろう"。涙で相手の笑顔がかすんだ。
「郁美を幸せにするためにも、信心で私自身が変わろうって思えたんです」
この頃、郁美さんが、学校でうまく話せないことを冷やかされるような、いじめを受けていることを知った。
心が押しつぶされそうな中、巡り合った御聖訓が「設ひ・いかなる・わづらはしき事ありとも夢になして」(御書1088ページ)の一節だった。
"どんな苦悩も、仏法の眼から見れば夢のようなもの。信心で必ず乗り越えられる!"。その確信を胸に、娘と共に毎日、祈りを合わせた。
郁美さんは、「何があっても笑顔でいようって、自分に言い聞かせていたんです」と振り返る。やがて郁美さんは、教員の熱心な関わりで、少しずつ話せる言葉が増えていった。そうした様子を見てきた他の保護者が、西川さんに「どうしたら、郁美ちゃんのような明るい子に育つの?」と相談してきたこともあった。
小学校を卒業した郁美さんは、地元中学校の特殊学級で学ぶようになる。しかし、いじめは中学校でもなくならなかった。西川さんは「娘のことを理解してもらえない。これがつらかった」と話す。母と娘の、悩みの日々が続いた。それでも、「親身になってくれる特殊学級の先生がいたおかげで、郁美は一日も休まず通い続けることができました」。
その後、郁美さんは猛勉強の末、福岡県内の私立高校に進学。この頃になると、会話の困難さは、ほとんどなくなり、いい友人にも恵まれたという。
充実した高校生活を送り、皆勤賞で卒業した郁美さんは、地元企業に就職。気付けば、会話で困るようなことはなくなっていた。
郁美さんが20歳の時には、対話を重ねてきた友人が「あなたのように明るくなりたい」と、自ら進んで入会した。この時、西川さんをはじめ、触発された弟妹も次々と弘教を実らせた。
西川さんは話す。
「その人にしか果たせない使命が必ずある。そのことを、私たち家族は郁美から教わったんです。郁美の姿が誰かの希望になるなんて、親として、これほどうれしいことはありません」
郁美さんは「たくさん悩み、いじめも経験しました。でも、だからこそ、悩んでいる人には"寄り添いたい"と思える自分になれたのかな」と、笑顔を見せる。
「只法華経の事のみさはくらせ給うべし」(同ページ)——日蓮大聖人は「兄弟抄」で、苦境に直面した門下たちに、"妙法と共に、広宣流布に生き抜いていくのだ"と激励された。
どんなに「わづらはしき事」(同ページ)も、信心を根本にした生き方を貫く中で、全て境涯革命への糧にしていける。そして、広布の大願に生き抜く人は、必ず人生を大きく開いていくことができる。西川さん親子は御聖訓を拝し、その確信を心に強く刻む。
池田先生は語っている。
「桜は桜のままに咲き、自らの使命に生きている。梅も、桃も、李もそうだ。われわれ一人一人の人間も同じでなくてはならない。
一人一人が個性をもっている。また人格をもち、尊い生命をもった存在である。ゆえに、あくまでも自分らしく、主体性をもって生きていけばよいのである。
自分にしかない使命、生き方があるものだ。あの人のようでなければならないということはないのである。(中略)
信心の眼より見れば、自分自身のこの世に生まれた使命と、それぞれの因縁があるといってよい。それを、それぞれ心から楽しく自覚できるのが、この妙法である。
妙法の信心の力によって自分のなかにある仏界を涌現させていくことが、人生にとって根本の幸せなのである」(池田大作先生の指導選集〈上〉『幸福への指針』)
大聖人は「兄弟抄」で、苦難に立ち向かう門下を「未来までの・ものがたりなに事か・これにすぎ候べき」(同1086ページ)と称賛された。何があっても"負けない"挑戦の姿こそ、皆に勇気を与え続けるドラマと輝くのだ。

[教学コンパス]
日本社会に根強いとされる、横並びを強制するような「同調圧力」。長期化するコロナ禍により、協調性が求められる場面が増え、日常の中でも、さまざまな息苦しさを感じる人は多いのではないだろうか。わずかな差異をも認めず、人を安易に鋳型にはめ込もうとするような「不寛容なまなざし」のまん延は、自分とは異なる人を簡単に排除する風潮を生みかねない。多様な人の活躍を阻む社会は、結果として、個々人の「生きにくさ」をますます強めていってしまうだろう。
本来、人は誰一人として同じではない。誰もが、その人にしか果たせない使命を持った「かけがえのない一人」である。それを、「御義口伝」では「桜梅桃李」と表した。釈尊の教えの精髄である「法華経」で示されているのも、自身の「かけがえのなさ」に目覚めた人が、一人また一人と広がることで「自他共の尊厳が輝く世界」が築かれていく民衆のドラマであるともいえる。人生劇場の主人公は「私」である!——こう深く心を定めた人は、負けない。