一人一人が持つ底力を
最大に発揮してこそ
不可能は可能になる。
「あと一歩」「もう一歩」
広布の山を越えゆこう!
兄弟抄 P1083
『各各随分に法華経を信ぜられつるゆへに過去の重罪をせめいだし給いて候、たとへばくろがねをよくよくきたへばきずのあらわるるがごとし、石はやけばはいとなる金はやけば真金となる』
【通解】
各々(池上兄弟)は、随分と法華経を信ぜられたために、現世において、過去世の重罪を招き出した。譬えてみれば、鉄をよくよく鍛えると、その疵が顕れるようなものである。石は焼けば灰となるが、金は焼けば(不純物が取り除かれて)真金となる。
名字の言 今年も"冬の使者"ツルが飛来 2021年10月26日
"冬の使者"が到来した。先日、国内最大のツルの越冬地である鹿児島県の出水平野で、今季初となるナベヅル17羽の飛来が確認された。昨シーズンまで24季連続で"万羽鶴"の飛来が続いている▼夏を過ごしたロシアや中国などからやって来るナベヅルは約9000羽、マナヅルが約3000羽。これは世界のナベヅルの8割以上、マナヅルは約半数に当たるという。毎年、大空を渡って同じ場所に戻ってくるツルを見ると、自然の不思議を感じる▼御書には「虚空に鳥の飛跡あり人此をみず・大海に魚の道あり人これをみず」(1250ページ)とある。天空を飛ぶ鳥にも、大海原を泳ぐ魚にも、人間の目には見えない道がある。同じように、たとえ見えなくとも、わが胸中に仏の生命が厳然と具わっている、との仰せだ▼社会的な地位を得る道、豊かな富を得る道など、人はそれぞれに目指し歩む道がある。では私たちが進むべきは、どんな道なのか。池田先生は「立正安国を願い、臆さず誠実に、真心を尽くして対話をする。相手がどうあれ、聡明に自信満々と、信念を語り切るのだ。これが自他共に『仏になる道』だ」とつづった▼学会創立の月・11月は目前。広布の大誓願を胸に、わが信念の道を堂々と進もう。
寸鉄 2021年10月26日
「師子奮迅之力」法華経。最後まで攻めの一手で!勇気の師子吼で断固勝つ
逆転の劇へ大空知、留萌、サロベツが総力で猛追!全国から北海道に大応援
北、足立、豊島、板橋が猛反撃!皆が執念の拡大で援軍。東京勝利断じて
列島全て大接戦。語ればまだまだ広がる。民衆パワーで栄光のゴールへ!
歩幅広げて歩けば認知症の予防に—研究。今日も学会活動にはつらつ闊歩
☆桂冠詩人40周年 勇気の舞 凱歌の行進 第13回 中国
本年は、「桂冠詩人」の称号が池田先生に贈られてから40周年。連載企画「勇気の舞 凱歌の行進」では、先生がつづった長編詩を紹介します。第13回は、中国方面の同志に詠んだ「完璧なる勝利へ 栄光の劇を!」(2003年)です。
◇人間主義の針路を示せ
中国よ!
おお
偉大なる中国よ!
君たちの活動の姿を
連想すると
私の心は嬉しい。
私の心は躍る。
◆◇◆
中国が生んだ吉田松陰は
こう賞讃されている。
「彼が一生は、
教唆者に非ず、率先者なり。
夢想者に非ず、実行者なり。
彼は未だ嘗て
背後より人を煽動せず、
彼は毎に前に立って
これを麾けり」
これが
真の革命家の方程式だ。
すべての戦野とともに
忘れ得ぬ
あの山口開拓闘争もまた
私たちは
その精神で戦った。
折伏の波は広がり
人材の石垣は築かれ
盤石の基盤は成った。
◆◇◆
中国の友よ!
今再び
新しい開拓の
その時が到来した。
かつて
岡山地区が
折伏の金字塔を
打ち立てたごとく!
中国総支部が
連続の全国制覇を果たし
三百万の達成へと
怒濤の前進を
成し遂げたごとく!
人材山脈の大中国が
広宣の新時代の開拓に
今こそ先駆するのだ。
歴史の夜明けの旭日は
いつも中国から昇る。
「環日本海の世紀」の
希望と友情の光源は
鳥取であった。
そして島根であった。
人間共和の光彩は
我らの山光の天地より
燦然と煌めき始めたのだ。
そしてまた
壊れた磁石のような
迷走する日本の行く手に
確固たる人間主義の針路をば
永遠なる平和の都・広島が
厳然と示しゆくのだ。
◆◇◆
おお
信心の帝王たる
偉大なる中国の友よ!
勝利の讃歌の音律と
交差しながら
白い光線を浴び
無数の天からの
加護と祝福を受けつつ
永遠に
楽しき栄光の劇を
展開していくのだ!
☆Switch——共育のまなざし 池田先生の励ましの言葉から 2021年10月7日
◇幼い子どもを育てる親御さんたちへ
わが子を授かってから成人するまで、どの時代も子育てに苦労はつきもの。とは言っても、「子どもが幼いうちは毎日バタバタしていて本当に大変!」という方は多いのではないでしょうか。今回の「Switch——共育のまなざし」では、幼い子どもを育てる親御さんたちに向けて池田先生が送った励ましの言葉を、『21世紀への母と子を語る』(『池田大作全集』第62巻所収)の中から抜粋して紹介します。(編集・構成=大宮将之)
◇人を育むことほど尊いことはない
◇今は基盤を築く時
<1年365日、目まぐるしい毎日を送る親御さんたちの奮闘を池田先生はたたえつつ、語りました>
皆さんは、結婚、出産、子育てと、次から次へ、新しい経験の連続でしょう。環境の変化に、戸惑うことも多いにちがいない。
毎日の生活の中で、ふと我に返った時に、「いったい自分は何をやっているのだろう?」と思うようなこともあるかもしれない。
今は、幸福の基盤を築いていく時です。まず自分の足元を固めることです。
現実の生活の中で、がっちりと根を張っていってほしい。根は見えない。建物の基礎も地中深く、人の目にふれることはない。それを築くのは、地味な作業かもしれません。
しかし、どんな立派な建物も、一朝一夕にできあがるものではない。また、いくら華やかでも、かんたんにできあがったものは、もろく、壊れやすいものです。
地道に、着実に——これは、平凡のように見えて、じつはもっとも偉大なことなのです。その繰り返しによって、揺るがぬ堅固な基礎が築かれていくのです。
太陽は、うまず、たゆまず、みずからの軌道を進み、万物を照らし、育んでいく。皆さんは"一家の太陽"です。太陽のごとく明るく、太陽のごとく力強く、太陽のごとく健康に、「きょうも、何かに挑戦しよう!」「きょうも、もう一歩進もう!」と、目標を持って、張りのある一日一日を積み重ねていってほしい。
その積み重ねによって、20年、30年と経った時、わが家庭を「幸福の殿堂」、「幸福の大樹」としていくことができるのです。
◇リズムを大切に
<子育てに家事に仕事にと、目の前のことだけで精一杯。そんな状況にある人にとっては「何かに挑戦しよう」と決意すること自体、大きな前進といえるでしょう。ある母親が、その"決意の出発の場"として「朝の勤行」を大切にしてきたことを話すと、先生はこう応えました>
「朝の勝利」は「一日の勝利」だね。「一日の勝利」の積み重ねは、やがて「人生の勝利」につながっていく。すがすがしい「一日の出発」こそ、充実の人生の秘訣です。
きょう一日がどのような一日となるかは、自分自身の朝の勤行の姿を見ると分かる。朝の勤行の姿は、その日一日の"生活の縮図"と言ってもよいでしょう。
あわてて勤行・唱題した時は、その日一日も、なんとなくあわただしく過ぎ去ってしまい、実りのない日であったと経験されたこともあるでしょう。
反対に、朗々とすがすがしく勤行・唱題をしてスタートした一日は、さわやかな充実した一日であるはずです。
祈りというのは、さまざまな思い、願いの凝縮とも言える。毎朝の祈りで、自身と一家の成長を願い、そのための目標をゆるぎなく定める。そして胸中に太陽を昇らせて、生き生きと出発していきたいものです。
<親にとって一日のリズムが大切であるように、子どもにとっても「安心して育つリズム」があります。早めに就寝することであったり、毎日なるべく決まった時間帯に朝食や夕食を取ることであったり……>
子どもが小さいうちは、とくに「睡眠」と「食事」が大切と言われている。リズム正しく、きちんと取れないと、子どもの成長に影響しかねません。生活が順調に回転するためには、おのずからリズムがある。それを身につけさせていくのが、しつけとも言えるでしょう。
それは、親と子のふれあいの中で身についていく。それもふれあう時間の長短ではなくして、子どもの生活リズムは、家庭で、親子で工夫して、知恵を働かせてつくっていくものです。子どもが、すこやかに成長するリズムを、どう確立するか。これは、親としての「戦い」の一つと考えてほしい。
◇親切と思いやり
<続いて話題は池田先生の「創作童話」を巡って。先生はこれまで未来部世代に向けて、20作以上もの創作物語をつづってきました>
子ども向けの作品を書くというのは、大人に対する以上に心を引き締めていかねば書けません。「子どもだから」などと、甘く見ることは少しもできません。子どもは、驚くほど、豊かな感受性を持っている。大人が思っている以上に、子どもは多くのことを理解しているのです。
だから私は、その子どもの心に、「勇気」と「正義」を育むために、直接、語りかける思いで、童話や物語を書いてきました。
<平和の尊さを伝える作品『少年とさくら』(1974年発表)も、その一つ。わが子に何度も読み聞かせてきたという母親の話に耳を傾けながら、先生は言葉を継ぎました>
戦争の悪と戦い、平和を訴えた作品といえば、喜劇王チャップリンの「独裁者」があります。これは、第2次世界大戦が始まった翌年(1940年)に制作された映画です。
この映画の中で、チャップリンはヒトラーを風刺した、ヒンケルという独裁者と、ヒンケルと瓜二つのユダヤ人の二役を演じている。
<チャップリン扮する、ヒンケルと取りちがえられたユダヤ人が、独裁者を否定して戦争反対の演説をするラストシーンは有名です>
当時、独裁者ヒトラーは日の出の勢いだった。この映画は、チャップリンにとって命懸けだったのです。その演説の最後にチャップリンは、「ハンナ、ぼくの声が聞こえるかい?」と呼びかけている。ハンナとは、映画に出てくる恋人の名だが、じつは、チャップリンのお母さんの名前だったのです。
「ハナ(ハンナ)、ぼくの声が聞こえるかい? いまどこにいようと、さあ、顔を上げて! 見上げてごらんよ、ハナ! 雲が切れるよ! 光が射してきたよ! やみが去って、僕たちの上にも光が輝くんだ! 欲望と憎しみと残忍さをなくした、よりよい世界がやってくるよ。見上げてごらん、ハナ!」(ラジ・サクラニー『チャップリン——ほほえみとひとつぶの涙を』上田まさ子訳、佑学社)
画面は、雲の流れる空。チャップリンはきっと、天にいるお母さんに向かって呼びかけたのでしょう。波瀾万丈の人生を歩んだ、チャップリンを支えたのは「母の愛」でした。その「母の愛」が、人間性を踏みにじる「独裁者」との戦いへとチャップリンを駆りたてたのです。
また、チャップリンは演説のなかで、こう言っている。「知識はわたしたちに冷ややかな目を与え、知恵はわたしたちを非情で冷酷にしました。考えるばかりで、思いやりがなくなってしまいました。わたしたちに必要なのは、機械ではなく、人間性です。頭のよさよりも親切と思いやりが必要なのです」(同)
◇わが命を何に使うか
<「人間性」「思いやり」を、子どもの心に育んでいけるかどうか。現代は親の負担が増えているだけに、地域や社会全体で子どもを育てていくことが重要でしょう。創価学会が果たすべき使命と役割も、そこにあります。池田先生は訴えました>
人を育てるのは、楽なことではありません。ともすれば、たいへんな疲労をともなうこともある。
しかし、命を削るような労苦なくして、本当に人を育てることなどできません。日蓮大聖人は「命限り有り惜む可からず」(御書955ページ)と仰せです。命には限りがある。惜しんではならない。だからこそ、何に命を使うかが重要なのです。
「人間を育てる」ことこそ、最高に尊いことではないだろうか。
◆◇◆
私は今、「命を惜しまず」教育に情熱をそそいでいこうと思っています。人生最終の事業を「教育」と決めているからです。
私は、晩年の戸田先生の命をかけた闘争を思い出します。あれは逝去の前年、先生はすでに、立ち上がれないほど衰弱しておられた。それでも先生は、同志の待つ広島へなんとしても行こうとされていた。先生の命を危ぶみ、必死にお止めする私を、先生は叱咤された。
「行く、行かなければならんのだ!」「同志が待っている。……死んでも俺を行かせてくれ。死んだら、あとはみんなで仲よくやってゆけ。死なずに帰ったなら、新たな決意で新たな組織を創ろう……」
最後の最後まで、命をふりしぼって同志に尽くそうとした恩師の姿を、私は忘れることはできません。