難を乗り越える信心だ。
いかなる障魔も
「負けてたまるか!」と
強き祈りで受けて立つ。
そこに道は必ず開ける!
法華取要抄 P336
『日蓮は広略を捨てて肝要を好む所謂上行菩薩所伝の妙法蓮華経の五字なり』
【通解】
日蓮は広略を捨てて肝要を好む。すなわち上行菩薩によって伝えられた妙法蓮華経の五字である。
名字の言 友人が学会に入会した"決め手" 2021年10月12日
ある友人が学会に入会した。決め手は、招かれた座談会での地区部長による御書講義だという。友人いわく、老いも若きも皆で「幸せな人生を築くには、どう生きるべきか」を御聖訓に学ぶ姿勢に共感したとのこと▼さらに、講義の中で聞いた地区部長の体験談に感銘を受けた。厳しい職場環境であっても、退くことなく信心根本に挑み、周囲の信頼を勝ち取ったという体験だった。友人は「教義の通りに実践して、体験をつかんだ皆さんの言うことは信じられます」と語った▼かつて、池田先生が世界的音楽家のメニューイン氏と会談した時のこと。氏が"なぜここまで学会は発展したのか"と質問した▼先生は幾つかの要因を挙げる中、次のように答えた。「第一は、『法を厳格に守り、教えの通りに行動してきた』ということ」「第二の理由は(その上で)『どこまでも"人間中心"できた』こと」。加えて自身が恩師の人間性に引かれ、信頼したからこそ入信した心情を語り、こう述べた。「『人間』を信じて『人間』が集う。その輪が次第に広がっていく——これが、学会の発展でした」と▼「人間のための宗教」を学び、自ら実践し、人に語り、現実社会の中に確立していく。これが広宣流布である。
寸鉄 2021年10月12日
御書「命限り有り惜む可からず」。さあ短期決戦!己の最高記録へ悔いなく
東京が動けば勢いは全軍に。炎となって語り抜け。本陣の使命は絶対勝利!
大阪、兵庫、京都、奈良、和歌山、滋賀が反転攻勢。民衆パワーで常勝の劇を
ほめることはそれ自体で芸術—作家。称え励まし。麗しい絆こそ前進の力に
マスク未着用で感染リスク4倍と。外出時も飲食時だけ外す等、基本徹底
☆桂冠詩人40周年 勇気の舞 凱歌の行進 第9回 沖縄
本年は、「桂冠詩人」の称号が池田先生に贈られてから40周年。連載企画「勇気の舞 凱歌の行進」では、先生がつづった長編詩を紹介します。第9回は、沖縄の同志に詠んだ「新しき勝利と幸福の楽土」(2001年)です。
◇永遠の人間勝利あれ!
沖縄よ
おお 沖縄よ!
いつも光り輝く
飛び立つ鳥たちを
友としながら
人々を愛し
謙虚にして博学な
静かにして勇敢な
自らが偉そうにせず
すべての誉れを
人々に授けようとする
快活にして
人間の光に包まれた
友たちよ!
彼らには
一人寂しく
生きることはない。
皆が協調し
助け合い
降り注ぐ月の光と共に
雨に打たれゆく花々と共に
緑滴る草木と共に
常に爽やかに
そして力強く
楽しく生き抜く
鋭き瞳よ!
沖縄には
空虚なものは
どこにもない。
恐れるものも
どこにもない。
寂しきものも
どこにもない。
緑があり
そして花があり
さらに海があり
常に香しき
多くの薫りを
そよ風の翼に乗せながら
まき散らしてくれる
天地よ!
◆◇◆
我らは
無限の凄まじき
信仰と勇気を持っている。
ゆえに常に
自然体のままでありながら
そこには
自負と栄誉が
漲って輝いている。
誰人よりも
幾千万倍も威力を持ち
英知を持ち続けて
光の国に生きている。
沖縄よ
沖縄よ!
もはや
嘆き苦しむ時代は去った。
我らが
人生を満たしながら
どこにも境もなく
平等に
仕事をし 生き抜く
理想の天地だ。
生まれる時も
死する時も
一切の不調和を越え抜いた
理想的な調和のとれた天地で
魂が呼吸し合う
秩序ある完全な人生を
送り抜いていくのだ。
沖縄よ
勝利者の仏国土
沖縄よ!
沖縄に
永遠の栄光あれ!
沖縄に
永遠の歓喜あれ!
そして
沖縄に
永遠の人間勝利あれ!
☆共生の地球社会へ〜仏法の英知に学ぶ テーマ:非暴力の精神
◇登場人物
【ミライさん】好奇心旺盛な女子部員。世の中の出来事について、父・ホープ博士と語り合うことを楽しみにしている。
【ホープ博士】勉強熱心な壮年部員。毎月1回、家族と一緒に教学を研さんしている。「博士」はニックネーム。本業は会社員。
◇自他共の尊厳を守る信念を強固に
ミライ 今月、アメリカ・ニューヨークの国連本部で国連総会が行われているね。緊迫するアフガニスタン情勢をはじめ、人道危機に対応するための議論が始まるようだね。
ホープ ユニセフ(国連児童基金)の調査によれば、世界では、5分に1人のペースで、子どもが暴力によって亡くなっている。
SDGs(持続可能な開発目標)では、「平和と公正をすべての人に」という目標の下、「あらゆる場所において、全ての形態の暴力及び暴力に関連する死亡率を大幅に減少させる」ことなどを掲げているんだ。
◇瞋恚の克服
ミライ なぜ同じ人間同士で憎しみ合い、暴力や争いにエスカレートしてしまうんだろう?
ホープ この問題を仏法の眼で捉えてみよう。仏法では、「合戦は瞋恚よりをこる」(御書1064ページ)と、戦争の要因は、怒り、恨む生命にあるといわれている。瞋恚とは、例えば、裏切られ、踏みにじられたと感じることで心の奥底に蓄積する"負のエネルギー"ともいえるよ。
ミライ 「瞋るは地獄」(同241ページ)とあるように、瞋恚は地獄界の境涯のことだね。
ホープ そうだよ。生命が瞋恚に支配されてしまうと、相いれない対象を「敵」「悪」と見なし、やがて敵意が暴力・武力となって現れ、争いに発展してしまうんだ。自身を「善」、他者を「悪」と分け隔てる善悪二元論的な思想では、双方に恐怖や不信が増幅され、やがては社会の分断を深めることにつながりかねない。
ミライ こうした負の連鎖は、人間の業ともいえるね。
ホープ 仏法で説く「十界互具」は、とても示唆に富んでいるよ。
「十界互具」では、私たちの生命が善の境涯にあったとしても、悪の境涯も同時に具わっていて、生命の状態は縁に触れて変化を繰り返すと説くんだ。だから、たとえ瞋恚の生命に覆われていても、決して固定的に捉えるのではなく、変革の可能性があると見つめるのが、仏法の生命観なんだよ。
池田先生は語られているよ。
「仏法の『十界互具論』が促しているのも、互いを"悪"として糾弾したり、排除し合うのではなく、同じ人間として引き起こす可能性がある"社会の悪弊"の根を断つために、『内なる悪』への眼差しを互いに忘れず、自他共に『善性』を薫発し合う生き方を選び取ることなのです」(第39回「SGIの日」記念提言)
ミライ 自分自身に「悪」なんてないと思い込まないこと。そして、相手にも善性が具わることを信じる姿勢が大切なんだね。
◇不軽の実践
ホープ 瞋恚を乗り越え、平和と共生の心を確立するためには、仏界の生命の働きが欠かせないんだ。どんな人にも等しく仏性があると説くのが、日蓮大聖人の仏法だよ。この「万人が仏」ということを象徴する、「不軽菩薩」のエピソードが法華経に描かれているんだ。不軽菩薩は、あらゆる人に「二十四字の法華経」を説き続けたんだよ。
ミライ 二十四字の法華経?
ホープ 法華経の心を24字に凝縮したもので、次の意味があるんだ。
「私は深く、あなた方を敬います。決して軽んじたり、慢ったりしません。なぜなら、あなた方は皆、菩薩道の修行をすれば、必ず仏になることができるからです」
不軽菩薩は、万人の仏性を信じ、決して軽んじなかった。増上慢からの身体的暴力や言葉の暴力を浴びせられても、さっとかわして走り去り、遠くから再び24字を言い続けたんだよ。
ミライ 徹底して非暴力を貫いたんだね。
ホープ 池田先生は、不軽菩薩に脈打つ「非暴力の精神」について語られているよ。
「仏教の非暴力とは、口先だけの理想論ではありません。観念的また逃避的な敗北主義とも異なります。自他共の『人間の尊厳』を勝ち取るための積極的な"行動"を前提としています」
「暴力に暴力で抗するのはたやすい。しかし、それでは悪の輪廻は止まらない。また暴力に泣き寝入りしても悪を助長する。そのどちらでもなく、『人間の尊厳』を侵す、あらゆる暴力に対して、非暴力の強靱なる信念で、妥協なく戦い抜いていく——そこに仏教の実践があります」
ミライ 非暴力の行動とは、相手の善性を信じ、引き出そうとする勇気ある挑戦なんだね!
ホープ 一見遠回りのようであっても、多様な人々との対話や交流を通じて、信頼と友情の絆を幾重にも結ぶことで、自他共の善性が薫発され、「非暴力の精神」に満ちた社会が築かれるんだよ。
◇御文
『不軽菩薩は多年が間・二十四字の故に無量無辺の四衆に罵詈・毀辱・杖木・瓦石・而打擲之せられ給いき、所謂二十四字と申すは「我深く汝等を敬う敢て軽慢せず所以は何ん汝等皆菩薩の道を行じて当に作仏することを得べし」』(日妙聖人御書、1215ページ)
◇メモ
法華経常不軽品第20で登場する不軽菩薩は、釈尊の過去世における修行の姿の一つです。威音王仏の像法時代に仏道修行をし、自らを迫害する人々に対してさえ、必ず成仏できるという「二十四字の法華経」を唱えました。
しかし、上慢の四衆(在家・出家の男女)から、ののしられ、石を投げられるなどの迫害を受けます。それでも、相手の尊極な仏性を敬うゆえに、礼拝行を貫き、成仏の因を積むことができたのです。
◇[コラム:"いま"を知る]生命の手段化と戦う
来月2日は、国連が定める「国際非暴力デー」。1869年のこの日、非暴力を貫いたインド独立の父、マハトマ・ガンジーが誕生したことに由来する。ガンジーの非暴力運動は、「サティヤーグラハ(真理の把握)」と呼ばれ、不正と暴力に立ち向かう力の源泉を人間の内面に見いだしていた。ガンジーは、「正しい手段は、正しい結果をもたらす」との信念で非暴力運動を続けた。平和な社会を実現するために、暴力に訴えることは不合理である、との哲学だった。
これまで"正義"の名の下に、多くの血が流され、人間の尊厳が踏みにじられてきた。人間の生命を手段とする宗教・思想を、正当化させてはならない。御書には「命と申す物は一身第一の珍宝なり一日なりとも・これを延るならば千万両の金にもすぎたり」(986ページ)と。生命そのものは、何にも代えがたい至高の価値である。生命尊厳という平和の哲理を、一人一人に語り広げゆこう。