2021年10月22日金曜日

2021.10.22 わが友に贈る

幾多の険難の山を
越えてきた歴戦の勇者よ
"常に挑戦""永遠に青春"
それが創価の生き方だ。
全同志の模範を今こそ!

法蓮抄 P1045
『赤子の水火をわきまへず毒薬を知らざれども乳を含めば身命をつぐが如し、阿含経を習う事は舎利弗等の如くならざれども華厳経をさとる事解脱月等の如くならざれども乃至一代聖教を胸に浮べたる事文殊の如くならざれども一字一句をも之を聞きし人仏にならざるはなし』

【通解】
赤子が水と火をわきまえることができなくても、また毒と薬を知ることができなくても、乳を飲めば身命を継ぐようなものである。阿含経を習うことは舎利弗等のようではなくとも、華厳経を悟ることは解脱月等のようではなくとも、ないし一代聖教を胸に浮かべることは文殊菩薩のようではなくとも、一字一句でも法華経を聞いた人は仏にならない人はいない。

名字の言 あすは「霜降」——配達員の健康と無事故を祈る 2021年10月22日
ある土曜の昼下がり、電車に乗った。向かいの席には幼稚園の運動着姿の男の子と軽装の両親が座っていた。運動会からの帰り道らしい▼男の子の手にはプラスチック製の金メダルが。今日のことを思い出したのか、メダルを見てはほほ笑んでいる。そんなわが子に両親も目を細めていた。父と母のうれしそうな顔を見た男の子は、さらに笑顔になった。まるで幸せの輪が広がっていくように見えた▼勤務時間の関係で、学会活動になかなか参加できない男子部員がいた。それでも彼は"広布に尽くしたい"と祈り、本紙配達員に。その純粋な信心の姿勢を多くの同志がたたえた。励ましの輪が彼の心をより強くし、使命感を一段と燃え上がらせることになった▼かつて池田先生は学会の発展を称賛する実業家の言葉を紹介した。「労苦を惜しまない(聖教新聞の)配達員の方々が、全国におられる。最も地道で、最も真面目な方々に、創価学会は光をあてていらっしゃる。その無事と活躍を祈っておられる。すばらしいことだ。だからこそ、世界的な創価学会になったのですね」▼あすは「霜降」。寒さが増す季節、配達や集金に携わる皆さんの健康と無事故を強く祈る。そこに自他共の幸福の拡大もある。

寸鉄 2021年10月22日
同志の健闘を称えよう!「喜とは自他共に喜ぶ事」御書。共に前進。共に歓喜
北海道の大空知、留萌、サロベツに全国がエール 智勇尽くし大金星必ず!
公明、東京が12区と比例で追い上げ。議員が総力で逆転を!皆が全力支援
広島3区・中国B、大激戦 公明よここから総攻撃し勝ち抜け!庶民が大応援
食品ロスの削減、各地で。無駄減らす工夫着実に。まず自分自身の実践から

〈社説〉 2021・10・22 "ネット誕生日"に思う
◇"人間らしく"の一点を問う
帰宅のため、電車に乗り込む。周りを見渡すと、ほとんどの人がスマートフォンの操作をしていた。最近では見慣れた光景だが、人が一様に小さな画面と向き合う様子に"本当の豊かさとは"と、ふと考えた。
10月29日は"インターネット誕生日"。1969年の同日、研究用のネットワークで、初めてメッセージのやりとりに成功したのが起源とされる。この時、送信できたのは"LOGIN"のうちの冒頭2文字だけ。しかし、この「挑戦」が情報社会の未来を開いた。
総務省の令和3年版「情報通信白書」によると、国内のインターネット利用率(個人)は約83%。端末別ではスマートフォンがパソコンを上回り、企業や家庭ではなく、個人がネットで世界とつながる時代となった。情報技術やAI(人工知能)などの進歩も目覚ましい。だが一方で、人間関係の希薄化、SNSでの誹謗中傷など、課題は多い。国は法整備を中心とした対策を講じているが、技術の進歩は新たな課題も生む。
2009年10月、中国・遼寧師範大学でのシンポジウムに寄せたメッセージの中で池田先生は、情報社会が、「人間を豊かにするはずの科学技術が『非人間化』を引き起こす」ジレンマに直面していると洞察。「何を考え、何を行うに際しても、一人の『人間』から決して離れない」との人間主義の思想が必要であると述べた。
技術者たちが初めてネットでのメッセージ送信に成功した時も、"この一歩が人間社会の豊かさにつながる"と、未来に希望を抱いていたはずだ。
本当の豊かさや幸福といっても、具体的な一人一人の「人間」がどこまでも人間らしく生きることができるのかどうか、という一点を、いかに死守できるかにかかっているのではないか。
「人間のため」をうたって登場したどんなに優れた技術も、一歩間違えれば、人間を手段化、隷属化してしまう。そういう両面性をもっていることを、人間自身が常に問い掛けていかなければならない。人間の幸福のためにインターネットを生かしていく智慧が、いよいよ問われている。
アルファベット2文字から未来が切り開かれたように、仏法の生命哲学を持った私たちは、人間の絆を強め、人間性を豊かにする対話の「挑戦」に徹したい。

☆希望の指針——池田先生の指導に学ぶ 立正安国�
◇明るく、楽しく歓喜の行進!
連載「希望の指針——池田先生の指導に学ぶ」では、テーマごとに珠玉の指導・激励を紹介します。「立正安国」の第4回は、小説『人間革命』『新・人間革命』から、1956年(昭和31年)の「大阪の戦い」について学びます。

【不可能を可能にする】 強盛な祈りで妙法の力を引き出す
〈1956年(昭和31年)1月、山本伸一は大阪へ。関西本部での地区部長会に臨んだ伸一は、関西に模範となる組織を築き上げるとともに、7月に予定されている大阪地方区の参議院議員選挙の勝利を強く訴える。しかし、現状の厳しさに大阪の同志たちは、勝利は実現不可能だとの思いを抱く〉

この瞬間に、伸一の熾烈な戦いが開始されたのである。
「誰人も、これでは全く勝利は不可能と思うでしょう。今、皆さんもそう考えておられる。
しかし、私どもは、立派な御本尊を頂いている。世間の人びとの常識では、とうてい不可能と思い込んでいることを可能にする力が、御本尊にはあるんです。
ただあきらめて、不可能と思っている人は、妙法の力を知らない人たちです。すべてを可能にする人は、その妙法の力を引き出すことのできる人です。
日蓮大聖人様は、このことを、ちゃんと御書にお認めになっている。
『呵責謗法滅罪抄』の末尾に、次のような御文があります。
『何なる世の乱れにも各各をば法華経・十羅刹・助け給へと湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり』(御書1132ページ)
これは、佐渡においでになった大聖人様から、四条金吾に宛てられた御手紙の一節であります。
当時、鎌倉で弾圧に遭っていた弟子たちの身の上を思い、佐渡流罪のさなか、"諸天善神たちよ。なんとしてもわが弟子たちを守れ!"と、遠く御祈念なさっている、深い偉大な慈悲の御心がうかがえます。
ひどい乱世で、佐渡におられる大聖人は、弟子たちを、どうしようにも守ることはできない。とても不可能なことです。
しかし、大聖人様の御祈念は"しっぽりと濡れた木をこすってでも、なお火を出させてみせる。また、カラカラに乾いている砂漠のような大地から、水をほとばしり出させてみせる。このように私は、強盛に祈っているのだ"と、お認めになっている。
御本尊に対する祈りというものは、一大事の時には、このようなものでなければならぬとお示しになっているのです。
今、私たちの置かれた立場や、合理的な考えに慣れてしまった頭脳では、不可能と思うでしょう。しかし、無量の力を御本尊は秘めていることを、日蓮大聖人は、明確に教えていらっしゃる。
これを信じるか信じないかは、私たちの問題です。大聖人の正統派の弟子として戦う以上、まず、強盛な祈りによって、不可能を可能とする実践が勇んで出てこなければなりません」
(『人間革命』第10巻「一念」の章、42〜44ページ)

【活動推進の源泉】 御書講義通して地涌の使命を自覚
〈1956年(昭和31年)、関西の広布の波は、日を追うごとに大きく広がっていった。その原動力は、山本伸一の御書講義をはじめ、彼の師子奮迅の闘争であった〉

山本伸一は、一切の活動の推進にあたって、どこまでも御書を根本としていた。その御書を基軸とした指導の脈動は、心ある会員に、教学の重要さを気づかせていった。"すべては、御書にある"という自覚ほど、教学への求道心を奮い起こさせるものはない。
このころの伸一の大阪訪問は、まだ土曜、日曜を主としていたが、彼は、朝の八時というと、決まって関西本部三階仏間の御本尊の前に端座し、勤行を始めた。(中略)
厳然とした勤行が終わると、伸一の御書講義に移る。彼の講義は、講義のための講義ではなかった。
不可能を可能にするという大願を秘めた彼は、その朝、その朝、その原動力ともいうべき、時々刻々の焦点を、御書を通して明確にしたのである。
不可能と誰しも考える厚い壁は、信心の利剣で、こつこつと崩すよりほかにはない。伸一の口を通した朝の御書の一節一節は、全く鮮烈な意味を帯びて、彼らが、今、何をなすべきかを教えていた。
伸一の一念は、朝ごとに具体性をもって発露しつつあった。関西の活動の源泉は、まことに、この「朝の御書講義」に集約されていたといってよい。
ここから各組織の最先端へと散った、すべての幹部は、その日のうちに、朝、会得した御書を根本とする適切な指導を、そのまま全会員の胸へ、次から次へと語りかけていった。
組織の鼓動は脈打ちながら、まず、会員の胸につかえている不可能の壁の一角一角を、崩していったといってよい。山本伸一の胸ひとつに秘めた強烈な一念は、ようやく日ごとに脈動しつつ、重い巨大な歯車を、彼を軸として回転させ始めたのである。
伸一は、ここ二カ月余りの徹底的な個人指導で、信心のいかなるものかという「信」を自覚させた。そして、座談会活動によって、弘教の「行」の歓喜を沸き立たせていった。それに加えて、「朝の御書講義」で、実践の指針のすべてが、御書に歴然と込められていることを示し、「学」の重要さと、活動理念の崇高さを教えた。
地涌の菩薩の使命に燃えた「信」「行」「学」の実践ほど、無敵のものはない。智勇兼備の戦力は、このようにして、人知れず刻々と育まれていったのである。
(『人間革命』第10巻「脈動」の章、150〜152ページ)

【勝利の道を開く要件】 師の心をわが心として弟子が敢闘
〈1956年(昭和31年)、山本伸一の誠実と確信の対話によって、関西の同志は、一人、また一人と立ち上がっていった〉

勝利への力は、魂の触発にある。自身の燃え盛る生命が、同志の生命を燃え上がらせるのだ。伸一の敢闘を目の当たりにして、関西の幹部たちは深く思った。
"これが、ほんまのリーダーなんや。生命を削って戦うから境涯革命があるんや。やったろやないか!"
山本伸一の率先垂範の行動が、全同志を触発し、共に戦う何人もの"山本伸一"をつくり出していったのである。
共感することによって、行動するのが人間である。ゆえに、リーダーが臆し、ずる賢くなって、率先して行動せずに、皆を動かそうとしても、動いてくれるわけがない。
すると、リーダーは焦りを感じて、その言動は、ともすれば、威圧的、命令的になっていく。そして、組織は、重く、暗くなり、人心は、ますます離れてしまうことになる。
それに対して、率先垂範のリーダーは、自らの行動を通して人に触発を与え、人びとの"やる気"を引き出し、皆の自主性、自発性を呼び覚ましていく。
ゆえに、その組織は、明るく、歓喜にあふれ、上昇気流に乗るように、勝利への流れがつくられていくのだ。
また、伸一は、戸田城聖こそ、広宣流布に、ただ一人立ち上がった、われらの師であり、この大阪、関西から、いや、日本、世界から、不幸に泣く人をなくしたいというのが、戸田の誓いであることを語り抜いた。
そして、こう訴えたのである。
「その戸田先生の心を、わが心として、先生に代わって戦おうではないですか! そうすることによって、私たちは、広宣流布の闘将である先生に直結していくことができる。そこに力が湧くんです。
先生を思えば、勇気が湧きます。自分が鼓舞されます。どうか、常に戸田先生を心に思い描いて、"先生は、じっと見ていてくださる""先生なら、どうされるか"と、日々、己心の師匠と対話しながら、戦っていこうではありませんか!」
広宣流布の戦いを進めるうえで、仏法の師と心を合わせていくことこそが、団結の根本である。そこに勝利への前進がある。
自転車も、車軸にスポークがしっかりと繋がってこそ、車輪の回転がある。この車軸の存在が師匠にあたるといってよい。
伸一の指揮のもと、関西は、怒濤の大前進を開始した。(中略)
戸田城聖の会長就任五周年となる五月には、遂に関西は、大阪支部一万一千百十一世帯、堺支部千五百十五世帯という弘教を成し遂げた。
「戸田先生は折伏の師匠である。なれば、弟子として弘教をもって、会長就任五周年をお祝いしよう」との伸一の思いを、関西の同志は、皆が共有していたのだ。
(『新・人間革命』第23巻「勇気」の章、242〜245ページ)