2021年10月23日土曜日

2021.10.23 わが友に贈る

「遂に願う可きは仏国也」
創価の柱の壮年部よ
黄金に輝く時は今だ!
地涌の誓いを胸に
勇んで打って出よう!

撰時抄 P265
『法華経をひろむる者は日本国の一切衆生の父母なり章安大師云く「彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が親なり」等云云、されば日蓮は当帝の父母念仏者禅衆真言師等が師範なり又主君なり』

【通解】
法華経をひろめる者は、日本国の一切衆生の父母である。章安大師は「相手のために悪を除いてあげることは、相手にとって親である」と言っている。そうであれば、日蓮は日本の帝王の父母であり、念仏者、禅衆、真言師らの師範であり、また主君である。

名字の言 宿命の吹雪に立ち向かう、北海道岩見沢市の壮年。 2021年10月23日
「諦めて、やめるのは簡単。どんなに苦しくても、ガムシャラに泥だらけになって最後までやり切る」。恩師・栗山英樹監督のこの言葉を支えに、試練と戦い続けた11年だった。プロ野球・北海道日本ハムの斎藤佑樹投手が現役を引退した▼「ハンカチ王子」として人気を博したが、プロ入り後は度重なるけがに泣いた。それでもチームに貢献しようと、前だけを見て必死に腕を振った。だから「やり続けたことに後悔はありません」――そう語る表情は晴れやかだった▼眼瞼けいれんを患う岩見沢市の壮年に新たな宿命の吹雪が襲ったのは昨年のこと。ステージ3Cの大腸がんが判明し、時同じく自動車修理工場の経営が最悪の苦境に陥った▼絶望で諦めかけていた時、次々と同志が駆け付け、共に祈り励ましてくれた。「あの時ほど同志に感謝したことはなかった。自分を諦めないこと。そして自分にも生きる使命があることを強く確信できました」と壮年。先日、初雪を観測した北海道で今、宿命転換を懸けた対話に走る▼支えてくれる同志がいる。信じてくれる師匠がいる。そう思えば越えられない苦難の冬は絶対にない。「冬は必ず春となる」(御書1253ページ)。不屈の人に人生の春は必ずやって来る。

寸鉄 2021年10月23日
朝の祈りから一日を勢いよく出発。御書「湿れる木より火を出し」と強盛に
列島全てかつてない激戦 決定打放つ対話を断固!社会の安定と未来のため
神奈川、千葉、山梨が猛追 執念で押し広げ逆転を!正義の同志は勝ってこそ
埼玉、茨城、栃木、群馬が追撃。我らの団結は無敵。さあ限界突破!凱歌皆で
若者の声を一番聞くのは公明―識者。政治は結果が全て。実現力で応えよ

〈社説〉 2021・10・23 あす24日「社会部の日」
◇「仏法即社会」の勇者にエール
コロナ禍で企業のテレワークが普及する一方、それが働き手のモチベーション(動機付け)に影響を与えているようだ。リクルートキャリアの調査では「働く意欲」の低下を感じる人はコロナ禍前に比べて1・6倍に増えたという。チームでの仕事が減少したことが要因とされ、人との関わり合いの重要性が浮き彫りになった。
そうした中にあって、試練と向き合い、使命の場所で奮闘するのが社会部の友である。あす24日は「社会部の日」。1973年(昭和48年)、職場・職域を同じくする同志が、共に職場の第一人者となることを目指し、結成された。
池田先生は、小説『新・人間革命』に同部への期待をつづった。「社会部の同志は、信仰で培った力を発揮し、なんとしても、試練を乗り越えていってほしかった。社会のテーマに、真っ向から挑み、活路を開き、人びとを勇気づけていくことこそ、仏法者の使命であるからだ」(第24巻「灯台」の章)
師の言葉のままに、職場の希望と光る友が各地で活躍している。
大手電気機器メーカーに勤務する男子部の友は昨年、過去最悪の赤字に苦しんだ。誰もが焦りを抱える中、男子部のオンライン会合の経験を生かし、社内で自由参加型のオンラインイベントを主催。皆で新たな商品企画等のアイデアを出し合うなど、社内交流を促進した。参加者から「希望がもてた」「また開催してほしい」等の声が。積極的な取り組みに上司からも高い評価が寄せられている。
広告営業に携わる壮年部の同志は相次ぐイベントの中止で受注数が激減。しかし、真剣に祈る中で、これまで断られてきたいくつもの団体や企業から思いもよらぬ注文が舞い込んだ。題目根本に地道に積み重ねた信頼が"まことの時"に実を結び、コロナ禍前の年を上回る売り上げへとつながった。
社会の激流の中に立ち、信心の偉大さを示しゆく同部の友。その姿には、いかなる逆境をもはね返す不屈の闘魂が脈打つ。
池田先生は語った。
「壁にぶつかった時こそ、信心で立つのだ。題目をあげぬき、決して負けてはいけない。『祈りとして叶わざるなし』の妙法である」
「仏法即社会」の勇者たちに、心からのエールを送りつつ、私たちも今一重の信心を奮い起こし、平和と希望と幸福が輝く社会の建設に尽力していきたい。

☆御書の旭光を 第57回 正義の師子吼が時代創造の力
〈御文〉
『仮令強言なれども人をたすくれば実語・輭語なるべし、設ひ輭語なれども人を損ずるは妄語・強言なり』(善無畏三蔵抄、890ページ)

〈通解〉
たとえ強い言葉であっても、人を助ければ真実の言葉、柔らかい言葉である。たとえ柔らかい言葉であっても、人を誤らせれば偽りの言葉であり、強い言葉である。

〈池田先生が贈る指針〉
深い慈悲から発する言葉には、心を打つ深い響きがある。邪な虚偽の言説は、いかに取り繕っても、いずれ見破られる。
人々の幸福と安穏を祈り、誠実に語り合う対話が、真の民主主義の成熟をもたらす。
生命尊厳の哲理、立正安国の信念に基づいた正義の師子吼こそ、時代創造の力だ。胸を張って真実を語り抜け!

☆「世界を照らす太陽の仏法」に学ぶ 第15回 覚悟の信心
◇種種御振舞御書
『各各我が弟子となのらん人人は一人もをくしをもはるべからず(中略)法華経をばそこばく行ぜしかども・かかる事出来せしかば退転してやみにき、譬えばゆをわかして水に入れ火を切るにとげざるがごとし、各各思い切り給へ此の身を法華経にかうるは石に金をかへ糞に米をかうるなり』(御書910ページ12行目~16行目)

◇池田先生の講義から
弟子が勝って、師匠の勝利を決するのです。どこまでも弟子の決意、覚悟で決まります。次元は異なりますが、私自身も、恩師の構想を全て実現してきました。そのために、生きて生きて、生き抜き、戦い抜いてきました。
◆◇◆
人生の正念場に際して、今こそと「思い切る」勇気が勝利を開くのです。どこまでも「師匠と共に!」との共戦の中に、無窮の力がみなぎるのです。
◆◇◆
仏法を知り、広宣流布のために生き抜くことは、人生の意味を一変させます。(中略)師匠と同じ大願に生きる時、わが生命に「師子王の心」が涌現するのです。自分中心の「小願」にとどまっていれば、力も出ない。小さな自分で終わってしまう。大いなる自分へ、覚悟を決め、ど真ん中に「大願」を打ち立てることです。
◆◇◆
三世の師弟に貫かれた使命に、いよいよ生き抜こうではないか!
そして、我らの手で、断固として創価の勝利を決しようではないか!
(『わが「共戦の友」――各部の皆さんに贈る』から)

坂元信行 北陸長
◇師と同じ大願に立つ!
「北陸にも、広布の響き始まる」――1957年(昭和32年)10月、北陸を初訪問された池田先生は「若き日の日記」にこう記されました。
先生は26日に石川で、27日に富山で、指導会などに出席し、北陸広布の礎を築いてくださったのです。
この"原点の10月"を、正義の勝利で荘厳するため、友は今いる場所で師弟の誓願に奮い立っています。創立100周年を勝ち開く今この時、「種種御振舞御書」を通し、いざという時に立ち上がる"覚悟の信心"を心肝に染めていきましょう。

◇「思い切る」勇気
先生は講義の中で、「信心に励めば、三障四魔が紛然として競い起こることは必然です。だからこそ、大事なことは、『各各思い切り給へ』です」と述べられ、一大事の時こそ、覚悟の信心に立つ重要性を教えてくださっています。
私自身、大学を卒業後、大手建設機械メーカーに就職し、富山県に配属されました。環境の変化に戸惑いましたが、"ここで根を張り、誰よりも職場・地域に尽くせる人間に"と腹を決め、仕事に、学会活動に、汗まみれになって奔走しました。社会人として出発した富山で、信心の基礎を教えていただきました。
その後、石川に異動。工場で150人の社員の命を預かる立場となり、学会では男子部の本部長、圏男子部長に。どちらも真剣勝負です。一瞬の油断も許されない。追い詰められる中で、必死に題目を唱えて踏ん張りました。本部の男子部としては県で随一の弘教拡大ができました。
先生は、「人生の正念場に際して、今こそと『思い切る』勇気が勝利を開くのです。どこまでも『師匠と共に!』との共戦の中に、無窮の力がみなぎるのです」と講義されていますが、北陸は私にとって、まさに「思い切る」勇気の信心、覚悟の信心を教えていただいた天地なのです。
今、北陸の同志は、不屈の誓願に総立ちとなり、各地で共戦のドラマが生まれています。
ある富山の壮年は10もの病を抱え、透析を続けておられます。しかし"いよいよ誓願を果たす時。対話に動き切る"と、SNSも活用しつつ、かくしゃくと拡大へ歩いていらっしゃいます。また、長年地域に尽くしてきた石川のある壮年は、"毎日必ず1人以上の人を励ますこと"に挑戦。「正直行き詰まることもありますが、それでも1軒でも訪ねて語り合う。その中で自分の境涯も開けてくるんですよ」と語ってくれました。
さまざまな課題を抱えながらも、"先生への誓いを果たすんだ!"と懸命に戦い抜く、こうした最前線の同志こそが、広布を切り開かれていることを実感せずにはいられません。

◇全て生かしていける
誰しも現実の課題を抱えています。
「思い切る」といっても、そうした現実を投げ出して"学会活動だけ頑張る"などというわけでは決してありません。仕事や病、家族のこと……。言うに言われぬ悩みや思いを、「宿命」として諦めて足を止めるのではなく、あえて願って引き受けた「使命」と捉え返していく誓願に立ち上がっていくことではないでしょうか。先生の講義には次のようにあります。
「信心する前のあらゆる体験も、全部、生かし切っていけるのが妙法です。今、この時に仏法に巡り合い、広布の陣列に連なることができたのは、仏法の眼から見れば、決して偶然ではありません。師弟の宿縁は三世である」
覚悟の信心に立てば、これまでの葛藤も、苦しい日々も、全て意味あるものに変えていける。
"今この時、先生と共に、この天地で立正安国の大闘争を展開することを誓ったのだ!""困難な状況をあえて背負い、逆転劇を演じるために生まれてきたのだ!"――そう心を定めれば、無窮の力が湧いてきます。今いる場所で、自分ができる最大の挑戦に勇気をもって臨む。これこそ、師匠と同志から教えていただいた、学会員の何ものにも負けない生き方であると確信します。
肩書でも名誉でもない。広布のための行動こそが「心の財」と積まれ、生命を飾ります。さあ、北陸から新時代の扉を開く時です。師の心をわが心とする誓願に立ち、立正安国と人間革命の凱歌へ、共々に師弟勝利のドラマをつづり残しましょう!

メモ
「種種御振舞御書」は、建治2年(1276年)の御述作とされているが、詳細は不明。文永5年(1268年)から建治2年まで、約9年間にわたる日蓮大聖人の御闘争について述べられている。