新聞休刊日
報恩抄 P293
『仏教をならはん者父母師匠国恩をわするべしや、此の大恩をほうぜんには必ず仏法をならひきはめ智者とならで叶うべきか』
【通解】
仏法を学ぶ人は、父母の恩、師匠の恩、国土・社会の恩を忘れてはならない。この大恩に報いるためには、必ず、仏法の奥底を学び、修行して、智者とならなければならない。
☆池田先生と共に 希望・勝利の師弟旅 新鮮な友と友の輪を広げよ 2021年10月5日
60年前(1961年)の10月5日、世界の「立正安国」の道を開く一念で、私は欧州に降り立った。東西冷戦の象徴たる「ベルリンの壁」が造られて2カ月後である。
同志は少なかった。だからこそ「一人」を大切に、「一対一の対話」を重ねた。
善き人を見つけ、善き人と繋がる。それが未来への希望の光源となるからだ。
日蓮大聖人は、若き南条時光に仰せになられた。
「一切の事は国により時による事なり、仏法は此の道理をわきまうべきにて候」(御書1579ページ)
私たちは、欧州は足元を固めながら、じっくり信頼を深めようと語り合った。
欧州の友は、「私自身が創価学会だ」との自覚に立ち、「どんな苦戦を強いられようが、必ず勝って、広布の凱旋門をくぐる」という信念を分かち合ってくれた。60星霜を経て、欧州の地涌の陣列は16万を超え、コロナ禍にあっても、模範の市民として尊き貢献を果たしている。多彩な国土を超えて「欧州は一つ」と、異体同心の団結が輝き光る。
欧州の学術を探究して「人道的競争」を展望された先師・牧口先生、そして欧州の分断を憂慮し「地球民族主義」を主張された恩師・戸田先生も、喜び見つめておられるに違いない。
◇ ◆ ◇
欧州初訪問の日、デンマークに到着した私のもとに、日本の青年リーダーが駆けつけてくれた。彼は技術者として欧州出張中に、時間をやりくりして飛んできたのだ。求道の心がうれしかった。
私は「一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ」(同970ページ)を拝し、時は「今」だ。君でなければできない戦いを! その中で自分を鍛え、永遠の福運を積みゆけと励ましを送った。彼は期待に応え、同志と共に、平和の天地・広島と中国の人材山脈を築いてくれた。
祈りを込めた、一人との出会い、一回の語らいから、無量の価値が生まれる。
◇ ◆ ◇
さらに40年前(1981年)、フランス青年部の大会に寄せて、パリの地下鉄で移動しながら一詩を口述したことも懐かしい。
「多くの新鮮な
友と友の輪を広げながら
老いたる人も
悩める人も
求める人も
悲しみ沈む人も
すべての人の心に
光を当てながら
すべての人の喜びを
蘇生させながら
我らは絶えまなく
前進しゆくのだ」
今、この生命連帯の友情の松明を、欧州も日本も世界も、青年が高らかに掲げて、対話を繰り広げている。
◇ ◆ ◇
季節の節目は、特に健康に留意していただきたい。
若き日、私は恩師から、「地涌の菩薩は、もともと頑健なのだ。頑健なりと決めて祈るのだ」と指導された。全同志が頑健なる地涌の大生命力を涌現させ、一切の病魔に打ち勝てるよう、妻と強盛に題目を送っている。
☆御書の旭光を 第56回 "覚悟の信心"に一人立て
〈御文〉
『ただ一えんにおもい切れ・よからんは不思議わるからんは一定とをもへ』(聖人御難事、1190ページ)
〈通解〉
ただいちずに思い切りなさい。良いことがあるのは不思議であり、悪いことがあるのが当然と考えなさい。
〈池田先生が贈る指針〉
滅不滅の大慈悲を現ずる御本仏は、最も尊く深く強い信念の極致を教えられた。それが信心だ。
わが生命は妙法の当体なり、我らの誓願は広宣流布なりと思い切れば、恐れるものはない。難局を突破できる無窮の力と智慧が湧いてくるのだ。
「必ず勝つと腹を決めよ。そして断じて勝て!」とは、恩師が示した勝利の真髄である。
☆ONE GOSHO この一節とともに! 松野殿御返事(十四誹謗抄)
◇同志を仏の如く敬う
あらゆる人を仏のごとく敬っていく実践こそ、法華経に説かれた最重要の教えである。この振る舞いに徹する中に、自身の成長も、広布の伸展もあることを学ぶ。
◇御文
『忘れても法華経を持つ者をば互に毀るべからざるか、其故は法華経を持つ者は必ず皆仏なり仏を毀りては罪を得るなり』(御書1382ページ)
◇通解
決して、法華経を持つ者を互いに謗ってはならない。その理由は、法華経を持つ者は必ず皆仏であり、仏を謗れば罪となるからである。
◇背景
本抄は建治2年(1276年)、駿河国(現在の静岡県)庵原郡松野郷の門下である松野六郎左衛門入道に宛てられたお手紙。別名を「十四誹謗抄」という。
日蓮大聖人が唱える題目と、自分たちが唱える題目では、功徳に相違があるかとの松野入道の問いに対し、大聖人は全く差別はないとして、仏法の功徳において万人が平等であることを説かれている。
その上で、"万人に仏性がある"とする心に背いて唱えるならば、その功力には差別があるとされ、「十四誹謗」(法華経への誹謗)を犯すことのないよう戒められている。
◇解説
法華経では、誰も差別することなく万人に仏性が具わることが説かれている。
本抄で、"題目の功徳に相違はない"ことを明らかにされた大聖人は、「十四誹謗」を通して、振る舞いの在り方について御教示されている。
十四誹謗とは、14種の法華経誹謗のこと。その中に、正法を行ずる人を「軽蔑すること(軽善)」「憎むこと(憎善)」「嫉むこと(嫉善)」「恨むこと(恨善)」がある。
これらを踏まえて、拝読御文では「仏を毀りては罪を得るなり」と、共に広布に歩む同志について誹謗することを、強く戒められている。
その理由として、大聖人は、「法華経を持つ者は必ず皆仏なり」と仰せである。さらに、そう心得て唱える題目の功徳は、「釈尊の御功徳」に等しいと御断言されている。
また、どのような人であっても、法華経を一言でも説く人を「当起遠迎、当如敬仏」の精神で敬うべきであることや、法華経を持っていない人をも礼拝すべきことを、本抄で御指南されている。
「法華経を持つ者」との仰せには、「人」ではなく、実践する「法」に重きが置かれているとも拝される。つまり、立場などを超えて、法を深く理解している人であれば、求めて話を聞いていく姿勢が大切である。
本抄でも、大聖人は弟子の三位房に言及され、"世間から見れば高い位ではないものの、法華経の理解があるから仏のように敬って、法門について尋ねてみなさい"と仰せである。
全ての人に仏性があると信じ、尊敬し、たたえていく——この法華経の根本精神を、改めて深く拝するのが本抄である。
私たちの日常の学会活動にあっても、広布に励む同志一人一人を仏として尊び、どんな挑戦も最大にたたえていく心と振る舞いの中でこそ、大福運が自他共の生命に刻まれていく。
皆が広布を目指して真剣であるからこそ、時には、学会組織の中で意見や感情がぶつかり合うことも、現実にはあるかもしれない。
大切なことは、"共戦の同志との触れ合いは、自身も皆も、共に成長できる機会"と捉えていくことではないだろうか。
苦手に思うような相手をも「仏の如く」敬う——そうした自分自身になることが、人間革命の第一歩である。
そして、自らの人間革命に挑む一人一人が、互いに寄り合い、心からたたえ合う中に、異体同心の固い団結が生まれ、広布の推進力も増していくことは間違いない。
池田先生はつづっている。
「信心に励んでいる私たちは、どのような役職や立場にあろうが、皆、仏子であり、平等であります。互いに、仏を敬うがごとく、尊敬し、信頼していくのが、本来の姿です」と。
自分自身が学び、境涯を開き、成長した分だけ、皆と共に前進でき、広宣流布の伸展は加速する。そう確信して、本年を荘厳する「立正安国」の凱歌の秋へ、同志の絆も固く、朗らかに進んでいきたい。