今日という一日を
悔いなく戦い抜こう!
広布と人生の最高峰へ
新たな挑戦と開拓を。
師子奮迅の力で前へ!
四条金吾殿女房御返事 P1135
『又三十三のやくは転じて三十三のさいはひとならせ給うべし、七難即滅七福即生とは是なり、年はわかうなり福はかさなり候べし』
【通解】
三十三の厄はかえって三十三の幸福となるでありましょう。「七難即滅・七福即生」というのはこのことです。年は若くなり、福運は重なっていくことでしょう。
名字の言 宮古島に飛来する渡り鳥・サシバの"タカ柱" 2021年10月7日
秋も深まる10月上旬、沖縄に吹く「新北風」に乗って、タカ科の渡り鳥・サシバが宮古島に飛来する。本州で繁殖した後、島の自然林で羽を休め、東南アジアで越冬する▼集団で長距離を移動するサシバの"タカ柱"を見ることがある。上昇気流を利用して高所から風に乗る方法だ。若いサシバを支えて群れをなし、上昇気流へと導くリーダーを中心に、目的地を目指す▼宮古島に住むある女性部員が未来部の時、1974年に初来島した池田先生と出会いを刻んだ。「一生涯、信心から離れてはいけないよ」。鳳雛たちへの温かな励ましを原点に、宮古島から初めて創価大学へ進んだ夫と共に宮古島広布に励んできた▼30年ほど前、幼かった三男が、股関節の骨が壊死する病に。一家を襲った試練に信心で立ち向かい、完治した三男は夫に続き創大へ進学した。昨年、島の発展に尽くした夫は霊山へ。女性は涙を拭い、師との原点を思い返し、後継の子どもたちと人間革命の道を歩む決意を新たにした▼上昇気流が発生する要因の一つは、吹く風が山に沿って上昇することだ。人生の"上昇気流"もまた、自身が掲げた目標という「山」に挑んでこそ生まれる。わが頂を目指して、きょうも勇気の一歩を踏み出そう。
寸鉄 2021年10月7日
「せめ返し・せめをとし」御書。激戦の時こそ青年が真価を!雄弁の将たれ
福岡、佐賀、長崎、熊本、大分、宮崎、鹿児島が攻勢 先駆とは勇気。勝ち抜け
沖縄が奮闘。わが天地に栄光の虹を!大情熱胸に対話拡大のドラマ綴ろう
勝利島部の日。立正安国は地域友好から。希望の幸福島へ団結固く前進!
"簡単に儲かる"と騙すマルチ商法の被害相談—20代以下6割。鋭く撃退
〈社説〉 2021・10・7 きょう「勝利島部の日」
◇「一人立つ」決意で社会照らす
きょう7日は「勝利島部の日」。1978年のこの日、全国120島の代表が学会本部に集い、開催された第1回離島本部(当時)総会が淵源である。
池田先生は、遠来の友を抱きかかえるように歓迎。「常に島の繁栄を願って、島民のために活躍を」と万感の期待を寄せた。特に「心肝に染めてほしい御文」として、「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし」(御書234ページ)との「開目抄」の一節を拝し、激励した。
離島の友は、師との原点を胸に刻み、その心は、後継の同志にも脈々と受け継がれている。
島の広布の大きな転換点となったのが、本部幹部会の映像を直接届ける「インターネット中継」であった(2006年から順次拡充)。島にいながら、師の姿と温かい声に触れ、友は共戦を誓い、歓喜に沸いた。
大分県の大入島での中継開始は2008年。参加を楽しみにしている友人も多い。その中の一婦人は「世界の人々の幸せを願う池田先生の心に涙しました」と、学会への見方を一変。9年前に入会した。現在、87歳になるが、手押し車を押しながら地区女性部長と共に、喜々として対話に歩く。今や大入島広布の原動力だ。
福岡県の藍島の人口は200人ほど。漁協の役員など地域に信頼を築く同志が多く、学会理解の"先進地域"だ。5・3「創価学会の日」等、記念日の中継行事には友人を招く。さらに、中継や座談会には家族ぐるみでの参加が伝統になっている。昨年は、島育ちの未来っ子が初めて関西創価高校に進学。島の新たな希望が増えた。
池田先生は随筆につづった。
「『離島こそ広宣流布の先駆の天地なり』と。その出発点は、何よりも『一人立つ』ことだ。広布の誓願に燃えた一人がいれば、そこから新たな前進が始まる。正しき法を持った『一人立つ』勇者が、地域社会を明々と照らす希望の灯台となるのだ。これが、『立正安国』の信心の方程式である」
広布の伸展は環境では決まらない。師と心を合わせ、地域の繁栄を願う求道の心と行動が新時代を開く。逆境をはね返す知恵で、オンラインでつながる友も増えた。
「一人立つ」決意で、険難の先駆の道を行く勝利島部の同志の奮闘に学び、わが使命の天地で勝利を開く対話に挑みたい。
☆御書の旭光を 第55回 幸の仏縁広げる対話を
〈御文〉
『法華経は一文・一句なれども耳にふるる者は既に仏になるべき』(四恩抄、936ページ)
〈通解〉
法華経は、一文・一句であっても、耳に触れた人は、すでに仏になるであろう。
〈池田先生が贈る指針〉
たとえ一言でも、妙法に触れれば、成仏という最極の生命の軌道へ導かれる。それほど、仏法を聞かせる功徳は大きい。
縁する一人一人を大切に、勇気と誠実の語らいで希望の仏縁を結ぼう!
立正安国の対話は、現在の社会への大善の貢献であると同時に、未来永遠に自他共の幸福の連帯を築く仏の聖業なのだから。
☆10月度座談会拝読御書 千日尼御前御返事(真実報恩経事)
◇拝読御文
『此の経文は一切経に勝れたり地走る者の王たり師子王のごとし・空飛ぶ者の王たり鷲のごとし、南無阿弥陀仏経等はきじのごとし兎のごとし・鷲につかまれては涙をながし・師子にせめられては腸わたをたつ』(御書全集1310ページ15行目〜17行目、編年体御書1121ページ15行目〜17行目)
◇[池田先生の指針から]苦難は生命を鍛え上げる
「今まで」どうだったかではない。大切なのは、「これから」どうかである。
今まで以上に、強盛な信心を奮い起こすことだ。その人を、ありとあらゆる諸天善神が、必ず守っていく。
「三類の強敵」が現れるのも、「三障四魔」が競い起こるのも、ありとあらゆる苦難は、自分自身の信心を試しているのである。すべて、仏界の生命を開いていくために必要なことなのだ。
ゆえに、いちだんと信心を強めていけば、絶対に乗り越えていける。勝っていける。強盛な信心があるかぎり、乗り越えられない苦難はない。(池田大作先生の指導選集〈中〉『人間革命の実践』)
◇ ◇ ◇
阿仏房・千日尼夫妻らは、大聖人が鎌倉に御帰還された後も、佐渡の地で信心を貫き、勇敢に広布の旗を掲げました。そこに、俗衆増上慢、道門増上慢など三類の強敵が出現し、門下の人々が理不尽な非難中傷の礫を浴びたであろうことは想像に難くありません。
その悔し涙を全部、大聖人はご存じであられた。「よしにくまばにくめ」——憎みたい者は憎むがよい、と。大聖人門下であるならば、そんな低次元の感情など見下ろしていけ。くよくよなんかせず、からりと割り切っていきなさいと言われています。(中略)
悪口した人々さえも「毒鼓の縁」で最後は救っていく、広大無辺の大慈悲の仏法です。
何も心配はないのです。何も恐れる必要はないのです。「鉄は炎打てば剣となる」(御書958ページ)ように、一切の苦難は、自身の生命を金剛不壊に鍛え上げ、宿命の鉄鎖を断ち切って人生を自由に遊戯しゆく力を開発する原動力になるのです。(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第14巻)
◇不動の信念と 不屈の勇気で
[キーワード�]"人間王者"の誇り
法華経の経文が一切経の中で最も勝れていることを、日蓮大聖人は拝読御文で、陸や空の王者である「師子王」「鷲」に譬えて示されています。
御書に「持たるる法だに第一ならば持つ人随って第一なるべし」(465ページ)とあるように、法華経が最勝の経典であるがゆえに、その法を持つ人もまた、人間の王者ともいうべき尊い存在なのです。
師子王については、大聖人が御書の随所で言及されています。
「師子王の剛弱を嫌わずして大力を出す」(御書992ページ)と仰せの通り、師子王は、いかなる相手であっても常に全力を奮い起こします。相手を侮り、力を出し惜しみすることはありません。
さらに、「師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし」(同957ページ)とあります。常に「今この時」を逃さず、師と同じ師子王の心で、恐れず広宣流布に立ち上がる。その人の胸中に、必ず幸福境涯は開かれるのです。
大聖人は、千日尼に送られた別のお手紙で、「仏法の道理を人に語らむ者をば男女僧尼必ずにくむべし、よしにくまばにくめ」(同1308ページ)と、力強く励まされました。
"憎むなら、憎むがよい! 正義ゆえの悪口罵詈ほど、最高の誉れはない!"——これが、御本仏の烈々たる御確信です。
私たちもまた、強盛な祈りを根本に、不動の信念と不屈の勇気を湧き出して、崇高な使命に生きる"人間王者"の誇りも高く、師と共に堂々と前進していきましょう。
[キーワード�]師恩に報いる時は今
拝読御文の後段では、「報恩」についても述べられています。
日蓮大聖人は"受けがたい人身を受け、値いがたい仏法に値う"ことができた恩徳について、父母の恩では、父は天に、母は大地に譬えられると仰せになり、「悲母の大恩ことに・ほうじがたし」(御書1311ページ)と示されました。
そして、「女人成仏」を通して万人の幸福の道を開いた法華経こそが、末法の一切衆生を救う真実の報恩の教えであると明かし、「悲母の恩を報ぜんために此の経の題目を一切の女人に唱えさせんと願ず」(同1312ページ)との一節をつづられました。
重要なことは、大聖人の御生涯を貫く誓願の本質が、御自身の「悲母の恩」に報じたいという、人間としての率直な心情から出発されているということです。
池田先生は、つづっています。
「恩を知り、恩に報いる。この知恩・報恩の一念に立った時、人間は最も気高く、最も強くなれる」
報恩といっても、特別なことではありません。自分が縁する一人一人を"恩ある人"と大切にし、感謝の心で希望の哲学を語っていく。これが、仏法における知恩・報恩の生き方です。
何より、最高の人生を教えてくれた師匠の大恩に報いていくこと以上の、人生の喜びはありません。
師の心をわが心として、縁する友の幸福を真剣に祈り、地道に仏縁を結び広げていくという、日々の広布の実践の中でこそ、歓喜あふれる無上の報恩の道は輝くのです。