「絶対勝利の信心」に
最高の福徳が輝く。
この決定した祈りで
使命の道を走り抜こう!
共々に栄光の勝ち鬨を!
四条金吾女房御書 P1109
『たとへば秘薬なりとも毒を入れぬれば薬の用すくなし、つるぎなれどもわるびれたる人のためには何かせん』
【通解】
たとえば、どんな秘薬であっても毒を入れたならば薬の効果は少ないし、また、いかなる剣であっても、臆病な人にはなんの役にもたたないものです。
名字の言 トルストイの破門に激怒したのは民衆だった 2021年10月31日
トルストイは信仰そのものの必要性を唱える一方、権力と結託する聖職者を徹底的に糾弾した。その結果、ロシア正教会から「破門」された。だが、トルストイは達観していた。新聞報道で自分の破門を知った後も、いつも通り散歩に出掛けたという▼むしろ、この暴挙に激怒したのは民衆だった。世界中から抗議の声が上がった。正義が悪に弾圧されるのはいつの世も変わらない。そして、賢明な人々が正邪を見抜き、正しい人を支持することも、また歴史の常である▼40年前のきょう、池田先生は「歴史と人物を考察——迫害と人生」と題し、創価大学で講演を行った。古今東西の偉人の生涯を通して、逆境に屈しない生き方を語った▼講演で先生は「歴史的偉業」について述べている。偉業は平たんな道ではなく、迫害などを半ば宿命づけられた中で打ち立てられる、と。また偉業は一人の手ではなく、多くの無名の民衆に支持されて成就するのが道理である、とも▼広宣流布の道程も仏と魔との闘争という"苦難の連続"である。しかし、その試練さえも「人生の誉れ」として挑み続ける勇者によって、広布は前進する。庶民の誇りを胸に輝かせる私たちの奮闘は「歴史的偉業」を築いているのである。
寸鉄 2021年10月31日
民衆を苦悩から救うのが仏法の根本—戸田先生。立正安国の理想へ胸張り
「水魚の思を成し」御書。団結こそ歴史を築く力!今日も同志と連携を密に
衆院選の投票日。日本の命運分ける一票。実績や政策実現性を賢く見極め
一瞬一瞬の選択で自分の人生は変わる—心理学者価値創造の挑戦を忘れず
スマホの"ながら運転"は厳禁。少しだけが命取り。事故を起こさぬ意識強く
☆四季の励まし 大目的に生き抜く幸福 2021年10月31日
◇池田先生の言葉
自分は
何のために生きるか。
使命とは、
その自覚の異名である。
自分の「命」を、
いったい何に「使う」のか。
大目的に生き抜く使命を
深く自覚した瞬間から、
境涯は大きく広がる。
幸福は、
いくら追いかけても、
つかめるものではない。
幸福は、
ついてくるものである。
妙法を持つ人に、
福運を積んでいった人に、
ついてくるものだ。
必ず、ついてくるものだ。
人間は、皆、
幸福になるために
生まれてきたのだ。
仏法では
「心こそ大切」と説く。
魂が満たされなければ、
真の幸福はない。
だからこそ、
皆を幸福にするために、
わが生命を使うのだ。
広宣流布のために
戦いきった
満足と歓喜ほど、
誇り高いものはない。
その功徳は無量である。
学会のために戦う。
広布のために戦う。
その功徳によって、
福徳と幸福の人生を歩む
生命に変わっていく。
悩みが悟りに変わり、
幸福に変わる。
悩み、悲しみが
大きければ大きいほど、
より大きな
幸福に変えていける。
これが題目の力である。
ゆえに妙法を唱える人は、
何ものも恐れない。
恐れる必要がない。
悔いなき人生——。
それは、世間の評判や、
他人が
決めるものではない。
全部、自分自身が
決めるものである。
勝負は途中の姿では
決まらない。
何があっても、
最後に「勝った!」と
確信できるのが
「一生成仏」の信心だ。
【写真説明】命が燃えていた。陽光に照らされ、鮮やかな青天と競うように、紅に、黄金色に、木々の葉が輝いていた——。2001年(平成13年)12月の小春日和に、池田大作先生が八王子市の東京牧口記念会館からシャッターを切った。
日蓮大聖人は「春夏よりも秋冬は光あり」(御書1501ページ)と。寒さが厳しくなり、空気が澄む秋や冬ほど、光が冴える。同じように、人々が苦悩の闇に覆われる時ほど、仏法の大光はいやまして輝くことを示されている。
社会に平和・幸福の慈光を送る。これが創価の偉大なる使命である。立正安国へ進むわが生命も完全燃焼させて、「創立の月」へ!
2021年10月31日日曜日
2021年10月30日土曜日
2021.10.30 わが友に贈る
「一日なりとも名を
あげん事こそ大切なれ」
自らの誓願を果たすため
二度と来ない"今日"を
悔いなく戦い抜こう!
上野殿御返事 P1508
『文の心は仏を一中劫が間供養したてまつるより、末代悪世の中に人のあながちににくむ法華経の行者を供養する功徳はすぐれたりととかせ給う』
【通解】
文の心は仏を一中劫の間供養するよりも、末代悪世にあって人が強く憎む法華経の行者を供養する功徳の方が勝れていると説かれているのである。
名字の言 勝敗を分けるのは「己に勝つ」執念 2021年10月30日
陸上競技の短距離走には、四つの局面がある。�スタート�加速疾走�中間疾走�フィニッシュだ。100メートル走なら50メートル辺りで最大速度に達し、その後はどうしても減速してしまう▼大事なのはスタートダッシュだけではない。速度を最後まで維持できるかがポイントだという。今夏の東京五輪・男子100メートル走でも、1位の選手がゴールまで加速していくように見える場面があった。他の選手が速度を維持できず後れていったため、目にそう映ったのだろう▼勝負の世界では、「自分が苦しい時は相手も苦しい」といわれる。互いの力が拮抗した状態であれば、勝敗を分けるのは「己に勝つ」執念の一点に尽きよう▼我らの信心は「自分との戦い」である。日蓮大聖人は鎌倉から京都までの旅路が12日間かかることを踏まえ、11日で歩みを止めては「何として都の月をば詠め候べき」(御書1440ページ)と励まされた。門下を断じて幸せにとの大慈悲と拝される▼人生はよくマラソンに例えられるが、「ここぞ」という勝負どころは短距離走のようなスパートが必要だ。池田先生は「いざという時に戦い切れば、永遠に崩れない常楽我浄の軌道を開くことができる」と。走り抜こう! わが栄光のゴールへ。
寸鉄 2021年10月30日
広布は言論戦だから語り捲れ—恩師。我らは正々堂々!仏縁結ぶ対話拡大
大空知、留萌、サロベツ頑張れ!逆転へ大声援!北海天地にVサイン必ず
北、足立、豊島、板橋が激走。民衆の大連帯で猛追を。感激の凱歌再び!
公明比例、各地で懸命に追い上げ。日本再生の為、大勝利を!最後まで支援
2050年CO2ゼロが政府目標。公明が首相の決断後押し。環境守る砦
☆四季の励まし 師弟の勝利の大叙事詩を 2021年10月24日
◇池田先生の言葉
師弟不二——
真実の戦いは、
ここにしかない。
ここにしか、仏法はない。
深き人間の道もない。
師匠に応えんとする、
その一念、その祈りから、
勝利の力が生まれるのだ。
師匠に心を合わせる。
師弟の熱き魂を
叫び抜いていく。
そうすれば、
もっともっと
力を発揮できる。
変わっていける。
全て「心」で決まるのだ。
師匠に対して、
「きょうも、
新しい勝利の道を
開きました!」と
毎日、報告するような
気持ちで戦うことだ。
師匠は大地であり、
弟子は草木である。
報恩の弟子の勝利は、
稲の命が
大地に還るがごとく、
師匠の栄光となり、
福徳となる。
そして、
その師弟の大地から、
新たな勝利の花が
永遠に咲き誇る。
「決意」は即
「行動」である。
立つべき時に立つ!
時を逃さずに戦う!
電光石火の共戦こそ、
創価の師弟の心であり、
楽土を築きゆく
地涌の闘争なることを
忘れまい。
三世永遠の
「師弟の絆」で結ばれた
わが同志よ、
今こそ前進だ!
対話だ! 励ましだ!
快活に動こう!
この世の誓いを、
尊き地涌の使命を
果たし抜くために!
君よ、
君でなければ
創ることのできぬ、
偉大な使命の物語を創れ!
そして、共々に、
師弟の勝利の大叙事詩を
生き抜いて
いこうではないか!
【写真説明】広宣流布大誓堂(東京・信濃町)の威容が青空に映える。2019年(令和元年)5月、池田大作先生が車中からカメラに収めた。
大誓堂に設置された「広宣流布 誓願の碑」の碑文に、先生は認めた。「我ら民衆が世界の立正安国を深く祈念し、いかなる三障四魔も恐るることなく、自他共の人間革命の勝利へ出発せる師弟誓願の大殿堂なり」
我ら創価の師弟は、壮大なる世界広宣流布の大長征を進んでいる。この深き使命を自覚する時、無限の力がわが命に湧いてくる。師と祈りを合わせ、語り、動き、栄光の歴史を今こそ! 世界が創価の凱歌を待っている。
☆座談会 栄光の「11・18」へ怒濤の大前進 気迫と執念が勝負を決する 2021年10月28日
永石 栄光の「11・18」を勝ち飾ろうと、全国の同志が今、限界突破の対話拡大に挑み、怒濤の勢いで前進しています。
西方 男子部も「ちかいし願やぶるべからず」(御書232ページ)との御金言のままに、自ら掲げた師弟の誓願を果たそうと懸命です。
大串 女子部も各地で、勇気の拡大のドラマが続々と生まれ、共に励まし合いながら異体同心のスクラムを広げています。
志賀 池田先生は、かつて語られました。「戦いは『勢い』があるほうが勝つ。最後の最後まで『執念』を燃やしたほうが勝つ。それが恩師の人生哲学であった」と。
原田 勝負を決するのは、「必ず勝つ!」との決定した一念と気迫、そして最後の最後まで諦めない執念の行動です。今こそ、師子吼の題目を唱え抜き、勇猛果敢に打って出て、師弟共戦の新たな歴史を開いていきましょう!
◇最後まで訴え抜く
永石 衆院選の投票日(31日)まで、あと「3日」です。今後、無党派層の投票行動が選挙結果に大きく影響します。
大串 特に18歳〜20歳代では、3割以上の人が投票日当日に投票先を決めたという統計もありますね(2017年の衆院選)。
原田 だからこそ公明党は、豊富な実績と政権担当能力の高さを、青年層を含めた全ての有権者に、最後まで訴え抜いてほしい。
◇公明は公約実現度ナンバーワン
西方 前回の衆院選での公約は、公明党が150項目を達成しました。その数は自民党(126)を上回ってナンバーワンです。「実施中」も含めると、公約実現度は8割を超えます(NPO法人「Mielka」の「JAPAN CHOICE」から)。
永石 例えば、消費税の軽減税率の導入は、公明党だけが粘り強く訴え続け、政府や自民党内の反対を説得して実現したものです。
大串 また、幼児教育・保育、私立高校授業料、大学など高等教育の「3つの無償化」をはじめ、携帯料金の引き下げや不妊治療への助成拡充なども、国民の切実な声をしっかり政治に届けた公明党の実績です。
原田 「小さな声を聴く力」「政策実現力」こそ、他党にない公明党の強みです。東京大学特任教授の湯浅誠氏も「公明党は国会議員と地方議員のネットワークのもと国民の声に熱心に耳を傾け、きめ細かいところまで目配りができる政党」(月刊誌「第三文明」11月号)と高く評価しています。与党に公明党がいるからこそ、自公連立政権に安定をもたらすのです。
◇財源を示してこそ
大串 公明党は、マイナンバーカードに1人一律3万円相当のポイントを付与する「新たなマイナポイント事業」を衆院選重点政策に掲げています。
志賀 第一生命経済研究所首席エコノミストの永浜利広氏は、一般家庭の現金・預金などの家庭金融資産が多く積み上がっている今、マイナポイントといった「需要刺激策が理にかなっている」(19日付「夕刊フジ」)と述べていましたね。
西方 加えて公明党は、「未来応援給付」(0歳から高校3年生までの子ども1人当たり一律10万円相当を支援・2兆円規模)を提唱していますが、山口代表は「借金を残さず、今ある財源を活用するのが基本的な考え」と強調しています。
志賀 約4兆5000億円の決算剰余金や、昨年度予算からの繰越金約30兆円も含めて活用するとしていますね。
永石 政策実現のためには、財源をつくり、その道筋を示すことが大事です。公明党は海外ワクチンの確保でも、昨年7月に国会で「予備費の活用」を提案したことで道を開きました。
原田 その後のコロナ対策でも、政府への70回を超える要望を通じ、ワクチン無料接種や迅速な接種体制の整備、国内初の治療薬の活用などを一貫して推進。今や2回接種を完了した人の割合は70%を超え、多くの医療関係者からも"公明党が日本を救った"など評価の声が上がっています。
永石 公明党が3回目のワクチン接種も無料化させ、国産の飲み薬の開発なども強力に後押ししていることも、心強い限りです。
◇選挙目当ての野合
大串 一方、立憲民主党などが公約に掲げた時限的な消費税5%への引き下げは、必要な財源が約13兆円も見込まれ、現実的ではないと指摘されています。
志賀 マスコミでは「社会保障財源の消費税の減税は乱暴な主張」「政権交代を現実として考えていない証左」(24日付「日経」)、「国家財政のさらなる悪化を考慮しないのは無責任」(14日付「読売」)などと批判が相次いでいます。
西方 農林水産相などを歴任した立憲民主党の元議員さえも「選挙で安易に減税を訴えれば、それこそ財源問題で苦しんだ民主党政権の二の舞いになりかねない」と警鐘を鳴らしている。
志賀 また、日米安全保障条約や自衛隊など、国家の根幹に関わる重要政策を棚上げする野党連合政権についても、納得できないという世論が多い。マスコミも共産党との閣外協力の合意には、「虚無的、背徳的だとすら感じる。これでどうやって国民の生命、財産、自由を守るというのか」(22日付「産経」)などと苦言を呈しています。
西方 立憲民主党内からも「共産の『抱きつき戦術』がさらに強まって、最終的に共産に取り込まれるような事態になれば大変だ」(27日付「読売」)と警戒する声すら出ているそうだ。
志賀 選挙目当てに野合し、"絵に描いた餅"を声高に訴えるのは、あまりに無責任すぎる。国民との約束を確実に実行してこそ、真の責任政党といえます。
原田 今、各地で激戦が続いていますが、今夏の東京都議選でも、事前の報道で"公明苦戦"などと報じられる逆風の中、執念の戦いで「8回連続全員当選」を果たしました。公明党は最後の最後まで死力を尽くし、何としても逆転勝利してほしい。そして、国民の期待と支持者の真心に断じて応えてもらいたい。
あげん事こそ大切なれ」
自らの誓願を果たすため
二度と来ない"今日"を
悔いなく戦い抜こう!
上野殿御返事 P1508
『文の心は仏を一中劫が間供養したてまつるより、末代悪世の中に人のあながちににくむ法華経の行者を供養する功徳はすぐれたりととかせ給う』
【通解】
文の心は仏を一中劫の間供養するよりも、末代悪世にあって人が強く憎む法華経の行者を供養する功徳の方が勝れていると説かれているのである。
名字の言 勝敗を分けるのは「己に勝つ」執念 2021年10月30日
陸上競技の短距離走には、四つの局面がある。�スタート�加速疾走�中間疾走�フィニッシュだ。100メートル走なら50メートル辺りで最大速度に達し、その後はどうしても減速してしまう▼大事なのはスタートダッシュだけではない。速度を最後まで維持できるかがポイントだという。今夏の東京五輪・男子100メートル走でも、1位の選手がゴールまで加速していくように見える場面があった。他の選手が速度を維持できず後れていったため、目にそう映ったのだろう▼勝負の世界では、「自分が苦しい時は相手も苦しい」といわれる。互いの力が拮抗した状態であれば、勝敗を分けるのは「己に勝つ」執念の一点に尽きよう▼我らの信心は「自分との戦い」である。日蓮大聖人は鎌倉から京都までの旅路が12日間かかることを踏まえ、11日で歩みを止めては「何として都の月をば詠め候べき」(御書1440ページ)と励まされた。門下を断じて幸せにとの大慈悲と拝される▼人生はよくマラソンに例えられるが、「ここぞ」という勝負どころは短距離走のようなスパートが必要だ。池田先生は「いざという時に戦い切れば、永遠に崩れない常楽我浄の軌道を開くことができる」と。走り抜こう! わが栄光のゴールへ。
寸鉄 2021年10月30日
広布は言論戦だから語り捲れ—恩師。我らは正々堂々!仏縁結ぶ対話拡大
大空知、留萌、サロベツ頑張れ!逆転へ大声援!北海天地にVサイン必ず
北、足立、豊島、板橋が激走。民衆の大連帯で猛追を。感激の凱歌再び!
公明比例、各地で懸命に追い上げ。日本再生の為、大勝利を!最後まで支援
2050年CO2ゼロが政府目標。公明が首相の決断後押し。環境守る砦
☆四季の励まし 師弟の勝利の大叙事詩を 2021年10月24日
◇池田先生の言葉
師弟不二——
真実の戦いは、
ここにしかない。
ここにしか、仏法はない。
深き人間の道もない。
師匠に応えんとする、
その一念、その祈りから、
勝利の力が生まれるのだ。
師匠に心を合わせる。
師弟の熱き魂を
叫び抜いていく。
そうすれば、
もっともっと
力を発揮できる。
変わっていける。
全て「心」で決まるのだ。
師匠に対して、
「きょうも、
新しい勝利の道を
開きました!」と
毎日、報告するような
気持ちで戦うことだ。
師匠は大地であり、
弟子は草木である。
報恩の弟子の勝利は、
稲の命が
大地に還るがごとく、
師匠の栄光となり、
福徳となる。
そして、
その師弟の大地から、
新たな勝利の花が
永遠に咲き誇る。
「決意」は即
「行動」である。
立つべき時に立つ!
時を逃さずに戦う!
電光石火の共戦こそ、
創価の師弟の心であり、
楽土を築きゆく
地涌の闘争なることを
忘れまい。
三世永遠の
「師弟の絆」で結ばれた
わが同志よ、
今こそ前進だ!
対話だ! 励ましだ!
快活に動こう!
この世の誓いを、
尊き地涌の使命を
果たし抜くために!
君よ、
君でなければ
創ることのできぬ、
偉大な使命の物語を創れ!
そして、共々に、
師弟の勝利の大叙事詩を
生き抜いて
いこうではないか!
【写真説明】広宣流布大誓堂(東京・信濃町)の威容が青空に映える。2019年(令和元年)5月、池田大作先生が車中からカメラに収めた。
大誓堂に設置された「広宣流布 誓願の碑」の碑文に、先生は認めた。「我ら民衆が世界の立正安国を深く祈念し、いかなる三障四魔も恐るることなく、自他共の人間革命の勝利へ出発せる師弟誓願の大殿堂なり」
我ら創価の師弟は、壮大なる世界広宣流布の大長征を進んでいる。この深き使命を自覚する時、無限の力がわが命に湧いてくる。師と祈りを合わせ、語り、動き、栄光の歴史を今こそ! 世界が創価の凱歌を待っている。
☆座談会 栄光の「11・18」へ怒濤の大前進 気迫と執念が勝負を決する 2021年10月28日
永石 栄光の「11・18」を勝ち飾ろうと、全国の同志が今、限界突破の対話拡大に挑み、怒濤の勢いで前進しています。
西方 男子部も「ちかいし願やぶるべからず」(御書232ページ)との御金言のままに、自ら掲げた師弟の誓願を果たそうと懸命です。
大串 女子部も各地で、勇気の拡大のドラマが続々と生まれ、共に励まし合いながら異体同心のスクラムを広げています。
志賀 池田先生は、かつて語られました。「戦いは『勢い』があるほうが勝つ。最後の最後まで『執念』を燃やしたほうが勝つ。それが恩師の人生哲学であった」と。
原田 勝負を決するのは、「必ず勝つ!」との決定した一念と気迫、そして最後の最後まで諦めない執念の行動です。今こそ、師子吼の題目を唱え抜き、勇猛果敢に打って出て、師弟共戦の新たな歴史を開いていきましょう!
◇最後まで訴え抜く
永石 衆院選の投票日(31日)まで、あと「3日」です。今後、無党派層の投票行動が選挙結果に大きく影響します。
大串 特に18歳〜20歳代では、3割以上の人が投票日当日に投票先を決めたという統計もありますね(2017年の衆院選)。
原田 だからこそ公明党は、豊富な実績と政権担当能力の高さを、青年層を含めた全ての有権者に、最後まで訴え抜いてほしい。
◇公明は公約実現度ナンバーワン
西方 前回の衆院選での公約は、公明党が150項目を達成しました。その数は自民党(126)を上回ってナンバーワンです。「実施中」も含めると、公約実現度は8割を超えます(NPO法人「Mielka」の「JAPAN CHOICE」から)。
永石 例えば、消費税の軽減税率の導入は、公明党だけが粘り強く訴え続け、政府や自民党内の反対を説得して実現したものです。
大串 また、幼児教育・保育、私立高校授業料、大学など高等教育の「3つの無償化」をはじめ、携帯料金の引き下げや不妊治療への助成拡充なども、国民の切実な声をしっかり政治に届けた公明党の実績です。
原田 「小さな声を聴く力」「政策実現力」こそ、他党にない公明党の強みです。東京大学特任教授の湯浅誠氏も「公明党は国会議員と地方議員のネットワークのもと国民の声に熱心に耳を傾け、きめ細かいところまで目配りができる政党」(月刊誌「第三文明」11月号)と高く評価しています。与党に公明党がいるからこそ、自公連立政権に安定をもたらすのです。
◇財源を示してこそ
大串 公明党は、マイナンバーカードに1人一律3万円相当のポイントを付与する「新たなマイナポイント事業」を衆院選重点政策に掲げています。
志賀 第一生命経済研究所首席エコノミストの永浜利広氏は、一般家庭の現金・預金などの家庭金融資産が多く積み上がっている今、マイナポイントといった「需要刺激策が理にかなっている」(19日付「夕刊フジ」)と述べていましたね。
西方 加えて公明党は、「未来応援給付」(0歳から高校3年生までの子ども1人当たり一律10万円相当を支援・2兆円規模)を提唱していますが、山口代表は「借金を残さず、今ある財源を活用するのが基本的な考え」と強調しています。
志賀 約4兆5000億円の決算剰余金や、昨年度予算からの繰越金約30兆円も含めて活用するとしていますね。
永石 政策実現のためには、財源をつくり、その道筋を示すことが大事です。公明党は海外ワクチンの確保でも、昨年7月に国会で「予備費の活用」を提案したことで道を開きました。
原田 その後のコロナ対策でも、政府への70回を超える要望を通じ、ワクチン無料接種や迅速な接種体制の整備、国内初の治療薬の活用などを一貫して推進。今や2回接種を完了した人の割合は70%を超え、多くの医療関係者からも"公明党が日本を救った"など評価の声が上がっています。
永石 公明党が3回目のワクチン接種も無料化させ、国産の飲み薬の開発なども強力に後押ししていることも、心強い限りです。
◇選挙目当ての野合
大串 一方、立憲民主党などが公約に掲げた時限的な消費税5%への引き下げは、必要な財源が約13兆円も見込まれ、現実的ではないと指摘されています。
志賀 マスコミでは「社会保障財源の消費税の減税は乱暴な主張」「政権交代を現実として考えていない証左」(24日付「日経」)、「国家財政のさらなる悪化を考慮しないのは無責任」(14日付「読売」)などと批判が相次いでいます。
西方 農林水産相などを歴任した立憲民主党の元議員さえも「選挙で安易に減税を訴えれば、それこそ財源問題で苦しんだ民主党政権の二の舞いになりかねない」と警鐘を鳴らしている。
志賀 また、日米安全保障条約や自衛隊など、国家の根幹に関わる重要政策を棚上げする野党連合政権についても、納得できないという世論が多い。マスコミも共産党との閣外協力の合意には、「虚無的、背徳的だとすら感じる。これでどうやって国民の生命、財産、自由を守るというのか」(22日付「産経」)などと苦言を呈しています。
西方 立憲民主党内からも「共産の『抱きつき戦術』がさらに強まって、最終的に共産に取り込まれるような事態になれば大変だ」(27日付「読売」)と警戒する声すら出ているそうだ。
志賀 選挙目当てに野合し、"絵に描いた餅"を声高に訴えるのは、あまりに無責任すぎる。国民との約束を確実に実行してこそ、真の責任政党といえます。
原田 今、各地で激戦が続いていますが、今夏の東京都議選でも、事前の報道で"公明苦戦"などと報じられる逆風の中、執念の戦いで「8回連続全員当選」を果たしました。公明党は最後の最後まで死力を尽くし、何としても逆転勝利してほしい。そして、国民の期待と支持者の真心に断じて応えてもらいたい。
2021年10月29日金曜日
2021.10.29 わが友に贈る
御聖訓「相構え相構えて
強盛の大信力を致して」
諸天をも揺り動かす
強き一念と勇気の行動で
自分史に輝く金字塔を!
聖人御難事 P1190
『各各師子王の心を取り出していかに人をどすともをづる事なかれ、師子王は百獣にをぢず師子の子又かくのごとし、彼等は野干のほうるなり日蓮が一門は師子の吼るなり』
【通解】
各々、師子王の心を奮い起こし、いかに人が脅そうとも、決して恐れてはならない。師子王は百獣を恐れない。師子の子もまた同じである。彼らは、野干(狐)が吼えているようなものである。日蓮の一門は、師子が吼えているようなものである。
名字の言 「第九の怒濤」に込められたメッセージ 2021年10月29日
本紙の企画「絵画は語る」で、ロシアの画家アイヴァゾフスキーの傑作「第九の怒濤」が紹介された(10月26日付3面)▼第九の怒濤とは、嵐の海の中で最も巨大で恐ろしい破壊的な波とされる。ロシア文学の名作『戦争と平和』にも「ちょうど船をも破壊する最後の、第九の波のごとく、最後の抗いがたい大波」(望月哲男訳)と書いてある▼イギリスの風景画家ターナーの「難破船」は自然と人間の戦いを描いた「第九の怒濤」と構図が極めて類似する作品だが、両者には決定的な違いがある。ロシア美術研究家の山口恭子さんによれば、人間を自然の猛威の前になすすべもない存在と描いたターナーに対し、「第九の怒濤」には自然と勇敢に戦い、最後は勝つという希望が輝き、歓喜の賛歌が響き渡る、と(「海の詩人アイヴァゾフスキー」)▼池田先生は長編詩「『第九の怒濤』を観て」でうたった。「信念のある彼は/受難も受苦も/必ずや人間は/乗り越えゆく/使命と力を/持っていることを/教えたかった」「乗り越えゆくのだ/すべてを!/自身の前途の苦難を!/君よ/あなたよ/断じて/乗り越えていってくれ給え!」▼波浪は障害にあうごとに、その頑固の度を増す——わが人生も、かくありたい。
寸鉄 2021年10月29日
御書「思い切って強強に」真実を語れば信頼が広がる。劇が起こる。共に前へ
若師子よ走れ。青年の一の拡大で二倍三倍の波動が!君の手で栄光の朝を
公明比例、各地とも激戦。断固攻め抜き勝ち上がれ民衆が味方!皆でエール
軽減税率・教育無償化等公明の実績多数。公約は実現可能か"画餅"か喝破
大音量のイヤホン使用は難聴の因と。人と話せ程度の音量で。賢く活用
☆池田先生ご夫妻が「創立の月」を前に恩師記念会館で勤行 全同志の福徳と勝利を祈念
池田大作先生ご夫妻は「創立の月」を前にした28日、総本部の創価学会恩師記念会館(東京・新宿区)を訪れ、勤行・唱題した。
今年の11月は、三代の会長の誓願であり学会の使命である世界広宣流布へ、池田先生が本格的な反転攻勢の激励行を開始して40周年、宗門から"魂の独立"を果たして30周年の意義ある時を刻む。
先生ご夫妻は、「大いなる広布の山」を越えゆかんと力走する全国・全世界の同志の福徳と健康、大勝利を心から祈念した。
☆いのちの賛歌 心に刻む一節 生死と向き合う 2021年10月19日
企画「いのちの賛歌 心に刻む一節」では、御聖訓を胸に、宿命に立ち向かってきた創価学会員の体験を紹介するとともに、池田先生の指導を掲載する。今回は「生死と向き合う」をテーマに、広島県の女性に話を聞いた。
テーマ:生死と向き合う
◇御文
『心の師とは・なるとも心を師とせざれとは六波羅蜜経の文なり』(兄弟抄、御書1088ページ)
◇通解
わが心に対して師とはなっても、わが心を師としてはならない、とは六波羅蜜経の文である。
いかなる時も師と共に
新生児死を経験
「宿命の渦中にいる時は分からなくても、後から振り返ったら"一つ一つに意味があったんだ"と思える時が、必ず来るんです」
そう語る矢的三枝子さん=総広島女性部副総合長=には、決して忘れられない出来事があった——。
◇
女子部時代は広布の本陣・東京で信心一筋に走り抜き、縁あって夫・正吉さん(74)=広島戸田総県副総合長=と結婚。出産を経て、30歳の時に夫の転勤に伴い、広島・安佐北区に転居した。
矢的さんにとって、ゆかりのない土地での新生活。不安がなかったわけではない。それでも、「住むからには、この地こそが自分の使命の舞台だと心を定めていこうと、御本尊に誓ったんです」と振り返る。
その後、2人目の子を授かり、35歳の時に3人目を妊娠した。順調に発育し、双子であることも分かった。夫婦で喜んでいたのもつかの間、妊娠30週を過ぎた頃から、矢的さんは体に違和感を覚え始めた。出産に向けて埼玉県の実家に帰省していた時のことだった。
「上の子たちの時と違って、おなかが張るなと思ったんです。それがどんどん膨らみ、食事も取れないほど苦しくなってきて……」
近くの大学病院で検査してもらったところ、「羊水過多症」と告げられた。そのまま緊急入院に。その後、破水してしまったため、緊急の帝王切開手術によって1420グラムの極低出生体重児と、842グラムの超低出生体重児の双子を出産した。
「手術は無事でした。でも、聞こえた産声は、双子のうちの一人だけだったんです」
不安がよぎったが、双子の新生児は直ちに保育器へ保護されたため、矢的さんは、わが子たちの顔を見ることができなかった。2日後、病室で正吉さんから伝えられたのは、「1420グラムで生まれた子が、今日、亡くなった」ということだった。矢的さんはベッドの上で泣き崩れた。
一度も顔を見ないままの、わが子との永遠の別れ。気持ちの整理がつかず、悲哀の底に沈んだ。そんな折、池田先生ご夫妻から温かな激励の言葉が届いた。
「意味のあることです」「落胆しないで、前を向いていきなさい」——命が揺さぶられるようだった。
「まるで先生ご夫妻が、抱きかかえるように励ましてくださっているみたいで。涙があふれて止まりませんでした」
矢的さんは、「意味があること」と、すぐにうなずけたわけではなかったという。それでも、「そうなんだ」と自分に言い聞かせて、涙を拭い、顔を上げた。
この時、拝した御書が「心の師とは・なるとも心を師とせざれ」(1088ページ)との一節だった。
「弱い自分の心に引っ張られてしまうのか。それとも、世界一の師匠と心を合わせて、今世の使命を果たすのか。私は"師と共に生き抜く"と決めたんです」
その後、祈りに祈り、自らの生命を"どん底"から引き上げた矢的さんは、"亡き子の分まで"という誓いをかみ締め、学会活動に今まで以上の情熱を注いだ。その中で、同じように子どもを亡くした同志と出会うこともあった。
「経験したからこそ、相手の苦悩の深さも分かる。広布に生きる中で、自分が悩んだことの『意味』も、少しずつ見えてきて……」
矢的さんは広布の第一線で同志に尽くし抜き、総広島婦人部長(当時)等を歴任。これまで夫の脳梗塞をはじめ、さまざまな宿業の嵐に家族が幾度も襲われたが、そのたびに強盛な信心を奮い起こし、一家で不屈の前進を貫いてきた。
「同志に心から寄り添える自分になれたこと。それが、私が悩んできたことの意味なのかなと思います。断言できることは、どんな時も学会の中に身を置いていれば、人生の軌道に間違いはないということです。師の心をわが心として進む人生に、不幸があるわけがないんです」
矢的さんは、「人生の意味が全て分かったわけではない」と前置きしつつ話す。
「結局、自分の人生の意味というのは、自らの境涯によって、良い方向にも悪い方向にも変わるんです。同じことでも、そこにどんな意味を見いだすかは、その時の境涯次第。だからこそ、自分を善の方向、希望の方向へ力強く引っ張ってくれる『心の師』が必要なんです。戦い続ける中でしか、本当の意味は感じとれないんです」
試練の峰を何度も乗り越えてきた確信が、声ににじむ。
池田先生は語っている。
「法を体現した師匠、法と一体となった師匠を求め、その師匠を模範と仰いで弟子が実践していく。そのとき、初めて『心の師』となる生き方が実現するのです。
言い換えれば、私たちの一生成仏には、衆生の持つ『心の可能性』がどれだけ広いかを教え示す『法の体現者』であり、『法と一体化』した『師』の存在が不可欠となるのです。(中略)
私の胸中には、いつも『心の師』である戸田先生がいる。今も日々、瞬間瞬間、胸中の師と対話しています。これが『師弟不二』です」
「いかなる人も、真面目に、そして粘り強く、信心を貫き通すならば、必ず、この一生のうちに、尊き仏の境涯を勝ちとることができると、大聖人が、断言されているのであります」(池田大作先生の指導選集〈上〉『幸福への指針』)
偉大な師と心を合わせることで、自らの境涯も、大きく開いていける。いかなる行き詰まりも、必ず打開していくことができる——矢的さんがつかんだ確信だ。
「悩みが消えるわけではありません。けれど、悩みが悩みでなくなるんです。それが、この信心の真髄なのでしょう。
人生は、宿業との連続闘争。途中で何があっても、私はどこまでも師匠と共に進み続けていきます」
[教学コンパス]
「誕生死」という言葉がある。流産・死産・新生児死などを示す造語だが、元になったのは、そうした体験を持つ家族たちを取り上げた『誕生死』(三省堂)という本。反響は大きく、後に、寄せられた感想が一冊の本(『誕生死・想』三省堂)となった。
そこには、「1度だけ抱くことができた時の1802gの命の重さを温かさを今でも忘れる事はできません」といった声や、「『悲しい、かわいそうな話』ではなく、あの娘がいてくれたからこそ今の幸福があることを知ってくださる方がいれば」といった声が(全て原文ママ)。読むほどに、命の"かけがえのなさ"が胸に迫る。とりわけ感じたのは"同じ経験をした人の存在が励みになった"という声の多さだ。
創価学会でも、本紙や座談会などで日々語られる同志の体験談を励みとし、「あの人のように」と苦難に挑んでいる友は無数にいる。日蓮大聖人は「一は万が母」(御書498ページ)と仰せになった。負けじ魂で試練に挑み勝つ一人の雄姿は、万人を鼓舞する"希望の道しるべ"となるのだ。
強盛の大信力を致して」
諸天をも揺り動かす
強き一念と勇気の行動で
自分史に輝く金字塔を!
聖人御難事 P1190
『各各師子王の心を取り出していかに人をどすともをづる事なかれ、師子王は百獣にをぢず師子の子又かくのごとし、彼等は野干のほうるなり日蓮が一門は師子の吼るなり』
【通解】
各々、師子王の心を奮い起こし、いかに人が脅そうとも、決して恐れてはならない。師子王は百獣を恐れない。師子の子もまた同じである。彼らは、野干(狐)が吼えているようなものである。日蓮の一門は、師子が吼えているようなものである。
名字の言 「第九の怒濤」に込められたメッセージ 2021年10月29日
本紙の企画「絵画は語る」で、ロシアの画家アイヴァゾフスキーの傑作「第九の怒濤」が紹介された(10月26日付3面)▼第九の怒濤とは、嵐の海の中で最も巨大で恐ろしい破壊的な波とされる。ロシア文学の名作『戦争と平和』にも「ちょうど船をも破壊する最後の、第九の波のごとく、最後の抗いがたい大波」(望月哲男訳)と書いてある▼イギリスの風景画家ターナーの「難破船」は自然と人間の戦いを描いた「第九の怒濤」と構図が極めて類似する作品だが、両者には決定的な違いがある。ロシア美術研究家の山口恭子さんによれば、人間を自然の猛威の前になすすべもない存在と描いたターナーに対し、「第九の怒濤」には自然と勇敢に戦い、最後は勝つという希望が輝き、歓喜の賛歌が響き渡る、と(「海の詩人アイヴァゾフスキー」)▼池田先生は長編詩「『第九の怒濤』を観て」でうたった。「信念のある彼は/受難も受苦も/必ずや人間は/乗り越えゆく/使命と力を/持っていることを/教えたかった」「乗り越えゆくのだ/すべてを!/自身の前途の苦難を!/君よ/あなたよ/断じて/乗り越えていってくれ給え!」▼波浪は障害にあうごとに、その頑固の度を増す——わが人生も、かくありたい。
寸鉄 2021年10月29日
御書「思い切って強強に」真実を語れば信頼が広がる。劇が起こる。共に前へ
若師子よ走れ。青年の一の拡大で二倍三倍の波動が!君の手で栄光の朝を
公明比例、各地とも激戦。断固攻め抜き勝ち上がれ民衆が味方!皆でエール
軽減税率・教育無償化等公明の実績多数。公約は実現可能か"画餅"か喝破
大音量のイヤホン使用は難聴の因と。人と話せ程度の音量で。賢く活用
☆池田先生ご夫妻が「創立の月」を前に恩師記念会館で勤行 全同志の福徳と勝利を祈念
池田大作先生ご夫妻は「創立の月」を前にした28日、総本部の創価学会恩師記念会館(東京・新宿区)を訪れ、勤行・唱題した。
今年の11月は、三代の会長の誓願であり学会の使命である世界広宣流布へ、池田先生が本格的な反転攻勢の激励行を開始して40周年、宗門から"魂の独立"を果たして30周年の意義ある時を刻む。
先生ご夫妻は、「大いなる広布の山」を越えゆかんと力走する全国・全世界の同志の福徳と健康、大勝利を心から祈念した。
☆いのちの賛歌 心に刻む一節 生死と向き合う 2021年10月19日
企画「いのちの賛歌 心に刻む一節」では、御聖訓を胸に、宿命に立ち向かってきた創価学会員の体験を紹介するとともに、池田先生の指導を掲載する。今回は「生死と向き合う」をテーマに、広島県の女性に話を聞いた。
テーマ:生死と向き合う
◇御文
『心の師とは・なるとも心を師とせざれとは六波羅蜜経の文なり』(兄弟抄、御書1088ページ)
◇通解
わが心に対して師とはなっても、わが心を師としてはならない、とは六波羅蜜経の文である。
いかなる時も師と共に
新生児死を経験
「宿命の渦中にいる時は分からなくても、後から振り返ったら"一つ一つに意味があったんだ"と思える時が、必ず来るんです」
そう語る矢的三枝子さん=総広島女性部副総合長=には、決して忘れられない出来事があった——。
◇
女子部時代は広布の本陣・東京で信心一筋に走り抜き、縁あって夫・正吉さん(74)=広島戸田総県副総合長=と結婚。出産を経て、30歳の時に夫の転勤に伴い、広島・安佐北区に転居した。
矢的さんにとって、ゆかりのない土地での新生活。不安がなかったわけではない。それでも、「住むからには、この地こそが自分の使命の舞台だと心を定めていこうと、御本尊に誓ったんです」と振り返る。
その後、2人目の子を授かり、35歳の時に3人目を妊娠した。順調に発育し、双子であることも分かった。夫婦で喜んでいたのもつかの間、妊娠30週を過ぎた頃から、矢的さんは体に違和感を覚え始めた。出産に向けて埼玉県の実家に帰省していた時のことだった。
「上の子たちの時と違って、おなかが張るなと思ったんです。それがどんどん膨らみ、食事も取れないほど苦しくなってきて……」
近くの大学病院で検査してもらったところ、「羊水過多症」と告げられた。そのまま緊急入院に。その後、破水してしまったため、緊急の帝王切開手術によって1420グラムの極低出生体重児と、842グラムの超低出生体重児の双子を出産した。
「手術は無事でした。でも、聞こえた産声は、双子のうちの一人だけだったんです」
不安がよぎったが、双子の新生児は直ちに保育器へ保護されたため、矢的さんは、わが子たちの顔を見ることができなかった。2日後、病室で正吉さんから伝えられたのは、「1420グラムで生まれた子が、今日、亡くなった」ということだった。矢的さんはベッドの上で泣き崩れた。
一度も顔を見ないままの、わが子との永遠の別れ。気持ちの整理がつかず、悲哀の底に沈んだ。そんな折、池田先生ご夫妻から温かな激励の言葉が届いた。
「意味のあることです」「落胆しないで、前を向いていきなさい」——命が揺さぶられるようだった。
「まるで先生ご夫妻が、抱きかかえるように励ましてくださっているみたいで。涙があふれて止まりませんでした」
矢的さんは、「意味があること」と、すぐにうなずけたわけではなかったという。それでも、「そうなんだ」と自分に言い聞かせて、涙を拭い、顔を上げた。
この時、拝した御書が「心の師とは・なるとも心を師とせざれ」(1088ページ)との一節だった。
「弱い自分の心に引っ張られてしまうのか。それとも、世界一の師匠と心を合わせて、今世の使命を果たすのか。私は"師と共に生き抜く"と決めたんです」
その後、祈りに祈り、自らの生命を"どん底"から引き上げた矢的さんは、"亡き子の分まで"という誓いをかみ締め、学会活動に今まで以上の情熱を注いだ。その中で、同じように子どもを亡くした同志と出会うこともあった。
「経験したからこそ、相手の苦悩の深さも分かる。広布に生きる中で、自分が悩んだことの『意味』も、少しずつ見えてきて……」
矢的さんは広布の第一線で同志に尽くし抜き、総広島婦人部長(当時)等を歴任。これまで夫の脳梗塞をはじめ、さまざまな宿業の嵐に家族が幾度も襲われたが、そのたびに強盛な信心を奮い起こし、一家で不屈の前進を貫いてきた。
「同志に心から寄り添える自分になれたこと。それが、私が悩んできたことの意味なのかなと思います。断言できることは、どんな時も学会の中に身を置いていれば、人生の軌道に間違いはないということです。師の心をわが心として進む人生に、不幸があるわけがないんです」
矢的さんは、「人生の意味が全て分かったわけではない」と前置きしつつ話す。
「結局、自分の人生の意味というのは、自らの境涯によって、良い方向にも悪い方向にも変わるんです。同じことでも、そこにどんな意味を見いだすかは、その時の境涯次第。だからこそ、自分を善の方向、希望の方向へ力強く引っ張ってくれる『心の師』が必要なんです。戦い続ける中でしか、本当の意味は感じとれないんです」
試練の峰を何度も乗り越えてきた確信が、声ににじむ。
池田先生は語っている。
「法を体現した師匠、法と一体となった師匠を求め、その師匠を模範と仰いで弟子が実践していく。そのとき、初めて『心の師』となる生き方が実現するのです。
言い換えれば、私たちの一生成仏には、衆生の持つ『心の可能性』がどれだけ広いかを教え示す『法の体現者』であり、『法と一体化』した『師』の存在が不可欠となるのです。(中略)
私の胸中には、いつも『心の師』である戸田先生がいる。今も日々、瞬間瞬間、胸中の師と対話しています。これが『師弟不二』です」
「いかなる人も、真面目に、そして粘り強く、信心を貫き通すならば、必ず、この一生のうちに、尊き仏の境涯を勝ちとることができると、大聖人が、断言されているのであります」(池田大作先生の指導選集〈上〉『幸福への指針』)
偉大な師と心を合わせることで、自らの境涯も、大きく開いていける。いかなる行き詰まりも、必ず打開していくことができる——矢的さんがつかんだ確信だ。
「悩みが消えるわけではありません。けれど、悩みが悩みでなくなるんです。それが、この信心の真髄なのでしょう。
人生は、宿業との連続闘争。途中で何があっても、私はどこまでも師匠と共に進み続けていきます」
[教学コンパス]
「誕生死」という言葉がある。流産・死産・新生児死などを示す造語だが、元になったのは、そうした体験を持つ家族たちを取り上げた『誕生死』(三省堂)という本。反響は大きく、後に、寄せられた感想が一冊の本(『誕生死・想』三省堂)となった。
そこには、「1度だけ抱くことができた時の1802gの命の重さを温かさを今でも忘れる事はできません」といった声や、「『悲しい、かわいそうな話』ではなく、あの娘がいてくれたからこそ今の幸福があることを知ってくださる方がいれば」といった声が(全て原文ママ)。読むほどに、命の"かけがえのなさ"が胸に迫る。とりわけ感じたのは"同じ経験をした人の存在が励みになった"という声の多さだ。
創価学会でも、本紙や座談会などで日々語られる同志の体験談を励みとし、「あの人のように」と苦難に挑んでいる友は無数にいる。日蓮大聖人は「一は万が母」(御書498ページ)と仰せになった。負けじ魂で試練に挑み勝つ一人の雄姿は、万人を鼓舞する"希望の道しるべ"となるのだ。
2021年10月28日木曜日
2021.10.28 わが友に贈る
「いかに強敵重なるとも・
ゆめゆめ退する心なかれ」
広布は仏と魔との攻防戦。
勢いと粘りの対話で
激戦突破の歴史綴ろう!
上野殿御消息 P1527
『かくれての信あればあらはれての徳あるなり』
【通解】
今は知られなくとも誠意があれば、いつか外にあらわれての徳があるといわれているとおりである。
名字の言 琉球の外交史に刻まれた精神 2021年10月28日
琉球王国時代の440年余にわたる膨大な外交文書が収められた「歴代宝案」。諸外国との外交の歴史と共に、海の往来で起きた遭難に関する記録も多く残されている▼琉球には外国の漂着者を保護し、本国に送還する態勢が整っていた。ある時、救助した中国の漂着船に重病者がいた。琉球王府の医師が懸命に治療するが及ばず、遺体は手厚く葬られた。後に帰国した一人が、琉球での厚遇を伝え広めた▼一方、傍若無人に振る舞う外国人には、毅然とした態度で交渉した。交易国の間で琉球人は"正直で人を裏切らない"として、一目置かれたという。琉球の外交史には大国を相手に長期繁栄を築いた、生命尊厳と信義重視の精神が刻まれている▼池田先生は、外交で重要なのは「勇気」と「誠実」であると述べた。難しそうな相手にも胸襟を開いて率直に語り合う。そして"この人なら信じられる"と思われるような信頼関係を築くことである、と▼法華経に説かれる不軽菩薩は、万人に仏の生命が具わると確信し、礼拝行を続けた。相手にも自身にも仏性があるとの信念を貫いた精神闘争だ。ここに"創価の外交戦"の魂がある。「勇気の対話」「誠実の振る舞い」から、共感の万波は広がっていく。
寸鉄 2021年10月28日
「やすみぬれば火をえず」御書。中途半端で壁は破れない。悔い残さず拡大
大空知、留萌、サロベツに栄光の虹を!北海同志が猛追。日本中から大声援
公明、東京の12区と比例で追走。逆転へ議員が全力を!民衆の連帯で支援
公明党の「公約実現度」は8割超—NPO調査。コロナ克服の推進力たれ
歩きスマホの視界は通常の20分の1と。事故の元。"私は大丈夫"の油断排し
☆人間主義の哲学の視座 第12回 対談集「21世紀への選択」に学ぶ(下)
テーマ:安心と安全
池田大作先生の著作から、現代に求められる視点を学ぶ「人間主義の哲学の視座」。「安心と安全」をテーマに掲げ、前回に引き続き、マジッド・テヘラニアン博士との対談集『21世紀への選択』をひもとく。
【池田先生】
互いに「対話」に徹してこそ異文明の接触は創造的方向へ
【テヘラニアン博士】
平和を目指す私たちの挑戦は一人一人の人間革命が基軸に
◇崩壊か突破か
「私たちは歴史の転換点を迎えている」——グテーレス国連事務総長は、先月10日に発表した報告書「私たちの共通の課題」で、そう述べた。
創設75周年を迎えた昨年、国連では、全世界の150万人に対して、未来の優先課題や行動のアイデアに関する調査を実施。同報告書は、この調査結果やその後に行われた協議の内容を踏まえ、国連としてのビジョンを打ち出したものである。
事務総長は、気候変動や新型コロナ感染症といった共通の課題を前に、人類は「ブレークダウン(崩壊)かブレークスルー(突破)か」といった緊急の選択を迫られているとし、そうした選択をする同様の機会は「二度と訪れない」。つまり、手遅れになる前に行動を加速すべき時は「今」であることを訴えている。
◇想像力の所産
危機を前に、崩壊ではなく突破するための方途としてグテーレス事務総長が強調したのは、グローバルな連帯、多国間の協力の必要性であった。
もとより、連帯と協力は、人々の安心と安全を実現する上で最重要の課題の一つである。社会を分断し、混乱へと陥れようとする力が働く危機の時代にあっては、それらの価値をいやまして高めていく挑戦が不可欠だ。
池田先生とテヘラニアン博士との対談が行われた1990年代、宗教や民族の対立に端を発する紛争が、世界各地で発生していた。「文明の衝突」は、国際社会の論壇の主たるテーマとなった。
ノーベル経済学賞受賞者のアマルティア・セン博士は、衝突が不可避であるかどうか以前に、文明という側面で人間を「一面だけから見」「ひと括りにする」こと自体が、政情不安をあおると指摘した(東郷えりか訳『人間の安全保障』集英社)。この視点は、先生と博士の対談にも通底している。
先生は、紛争などの背景にある複雑な要因を「文明の衝突」という図式だけで捉えると、"文明が異なるのだから、対立は不可避である"といった見方が定着し、ゆえに、対立の真の原因が見失われてしまうと指摘する。
博士は賛同しつつ、ではなぜ、「文明の衝突」というテーゼが世界中の注目を集めたのかを語る。
——国民の団結を強めるために外敵を必要とした国々は、目に見える外敵がいない場合、新たに敵を想定しようとする。「文明の衝突」は、排他的な立場をとる人々にとって、都合のよい理論となった、と。
文明とは、分析上のカテゴリーとしての有用性を超えた、多様な人間が織りなす生き方や価値観の表現である——これが両者に共通する捉え方だった。
テヘラニアン 文化と文明はすべて、有限、はかなさといった人間の普遍的状況に順応しながら、その状況を変革し乗り越えようとする人間のイマジネーション(想像力)の所産であると、私は思うのです。
池田 限りある自己を乗り越えていく想像力、またその所産としての変革のダイナミズムにこそ文化や文明の生命があるという見解に、私も全面的に賛成です。
テヘラニアン それぞれの文化、それぞれの文明が、それ独自の生態的、歴史的状況のなかで「生の神秘」に向きあっているのです。
だからこそ、それぞれの違いは人間の天分の多様な表れとして尊重され、讃美されるべきです。
◇
文明間の出合いには、破壊的な関係だけでなく創造的な関係もありえます。おそらく、その両方と言ってもよいでしょう。
池田 異文明の接触によってもたらされるエネルギーを、真に創造的な方向へと生かせるかどうかはひとえに双方の努力、まさに「対話」にかかっている、と私は思うのです。
◇賢者の論
異なる文化や背景の人同士が、語り合い、学び合う中で、互いの世界観は大きく広がる。先生と博士の交流自体、そうした「文明間の対話」にほかならなかった。
先生は、文明間の対話を想起させる歴史的な事例として、仏教の古典である「ミリンダ王の問い」を紹介。力による「王者の論」ではなく、対話による「賢者の論」が重んじられた話を通して語る。
「『賢者の論』という象徴的な言葉に、時代を超えた普遍的な対話の要件、つまり、理性的で実りある対話を成立させる基本が示されていると思います。それはまた、平等で自由な対話を根本としてきた、釈尊以来の仏教者の姿勢でもありました」
さらに先生は、そうした「賢者の論」の精神と共に、互いの差異を乗り越える普遍性へのまなざしが、実りある対話には欠かせないと強調。国や民族の多様性の奥に輝く「人間性」という普遍の光を、人類の心に灯し、その輝きを高め合うことが、民族や文化・伝統といった多様性を真に生かす道であると訴える。
テヘラニアン 科学技術の大進歩は私たちの社会に絶え間ない変化をもたらしましたが、その一方で限りない欲望が人々の心を支配しているのです。
◇
そうしたなかで、人生の意味を探求する世界中の思慮深い人々は、自分たちのかぎられた文化の地平の彼方をのぞみ見て、他の文化や文明のなかに現在の難局を打破する答えを求めています。(中略)世界のどこを訪れても、排他的な民族主義、自民族中心主義、「文化の自己讃美主義」を超えることのできる普遍性が希求されているのを、つくづく実感するのです。
池田 私も1994年に行ったモスクワ大学での講演(「人間——大いなるコスモス」)で大要、次のように論じました。(中略)「普遍性」とは、人間と自然と宇宙が共存し、小宇宙(ミクロ・コスモス)と大宇宙(マクロ・コスモス)が一個の生命体として融合しゆく「共生」の秩序感覚であり、そうしたみずみずしい「普遍性」を生命に充溢させていくならば、たとえ属する集団が異なったとしても、対話も相互理解もつねに可能である——と、訴えたのです。
また先生は同講演を踏まえつつ、トルストイの小説『アンナ・カレーニナ』をひもときながら、「内発性」こそが、人格的な価値の枢軸をなし、対話の要件ともいうべき謙虚さ、寛容さを生み出してきた母胎であったと述べた。そして、この内発性をおろそかにしたがゆえに、"宗教のため"に人間が傷つけ合うといった転倒が繰り返されてきたと指摘している。
池田 "宗教のため"ではない、いっさいの根本は"人間のため"という一点にある——私たちSGIがめざす「人間革命」運動は、こうした歴史の転倒を正し、ともに光り輝く地球文明を創出するための方途として、一人一人の人間生命の次元からの変革を第一義として掲げているのです。
テヘラニアン "宇宙船地球号"を文明間の平和、友好、超越をめざす私たちの共同の旅の乗り物と見なす「地球文明」は、(池田SGI)会長が主張されるように、まさに一人一人の「人間革命」を基軸として創造されなくてはならないのです。
【編集後記】対談集の終章では、書名に冠された「選択」の意味について語り合われる。選択とは「どちらかといえばA、どちらかといえばB」というような消極的なものではなく、「未来を敢然と開く人間の意志の力を示した言葉」(池田先生)であり、「人間が未来に対してなしうる大いなる挑戦の異名」(テヘラニアン博士)なのだ、と。社会の挑戦課題が複雑に山積する「歴史の転換点」にあって、最善の選択を共に求めゆく「対話」の重要性は、いくら強調してもし過ぎることはない。その対話の実践の中に、「安心と安全」の未来はある。
☆ストーリーズ 師弟が紡ぐ広布史 第13回 詩心とは「正義の闘魂」の異名なり(上)
◇高らかな喝采と凱歌をあげよ!
フランスのビエーブル市に立つその建物は、かつて「ロシュの館」と呼ばれていた。芸術や文学を語り合うサロンであった。文豪ビクトル・ユゴーも家族と共に足を運び、詩想を練ったという。
1991年6月、この「ロシュの館」が、「ビクトル・ユゴー文学記念館」として装いを新たにした。ユゴーの小説の下書き原本や直筆書簡など、約7000点を所蔵。そのうち、長編小説『レ・ミゼラブル』の校正刷り、『静観詩集』の校正刷りなど、5点がフランスの「国宝」に指定されている。
記念館の誕生から、さかのぼること10年。81年6月15日、池田大作先生はフランス上院のアラン・ポエール議長と会談した。その折、議長の厚意で、リュクサンブール宮殿を見学。一室がユゴーをたたえる部屋になっていた。
先生は同行の友に、「ユゴーも反対勢力によって、島流しにされた経験をもっているね」と語り、文豪の生涯に思いを巡らせた。
ナポレオン3世の弾圧によって、ユゴーが亡命を余儀なくされたのは49歳の時。迫害の渦中、ユゴーは『レ・ミゼラブル』やナポレオン3世を弾劾する『懲罰詩集』などを完成させた。試練が創造の魂を鍛えたのである。
先生のリュクサンブール宮殿の訪問は、10年後の「ビクトル・ユゴー文学記念館」の創立を着想するきっかけとなった。
先生がユゴーと同じ49歳の時、宗門僧は衣の権威をかさに、悪辣な学会批判を繰り返し始めた。宗門は先生に、"会合で指導してはならない""聖教新聞に出てはいけない"と制約をつけた。この師弟分断の謀略に対する本格的な反転攻勢が、開始されたのが81年である。
先生は1月の北米訪問、2月中旬からの北・中米訪問に続き、5月9日からは61日間で北半球を一周する平和旅へ。この時の思いを、「海外から日本を激励するんだ」と記している。
永遠の法をよりどころとしながら、縁に随って、最も適切に対応していく真実の自在の智慧を「随縁真如の智」という。聖教新聞の海外報道の記事は、日本の同志の歓喜となり、希望となった。それは、先生の「随縁真如の智」の励ましにほかならなかった。
帰国後の10月31日、先生は創価大学の第11回「創大祭」のオープニングセレモニーに出席。学生からの要請を受け、「歴史と人物を考察——迫害と人生」と題する講演を行った。
その中で、菅原道真や頼山陽をはじめ、ユゴーやルソーなど、古今東西の人物について言及した。苦難の渦中に信念を貫いた生き方に触れ、率直に真情を語った。
「私も一仏法者として、一庶民として、全くいわれなき中傷と迫害の連続でありました。しかし、僭越ながら、この"迫害の構図"に照らして見れば、迫害こそ、むしろ仏法者の誉れであります」
「後世の歴史は、必ずや事の真実を厳しく糾弾していくであろうことを、この場をお借りして断言しておきます」
講演の会場となった中央体育館(当時)は、79年5月3日、第3代会長辞任後の本部総会が行われた場所だった。同じ場所で、先生は高らかに勝利を宣言した。
その日、フランスのソー市にあるパリ会館で、フランス青年部の大会が開催されることになっていた。1981年6月14日のことである。
宿舎を出た池田先生は、ルーブル美術館に隣接するチュイルリー公園沿いの通りを歩き、地下鉄の駅に向かった。構内に入ると、先生は語った。
「青年たちの新しい出発のために、詩を贈ろう」
ホームで口述が始まった。
「今 君達は/万年への広宣流布という/崇高にして偉大な運動の/先駆として立った……」
チュイルリー駅から三つ目のシャトレ駅で、郊外へ向かう線に乗り換える。待ち時間の間も、詩作は続いた。乗車後、しばらくして口述は終わった。
詩は走り書きのメモから、ノートに清書された。先生は車内で推敲を重ね、直しを入れていく。その時、「センセイ!」と呼ぶ声がした。3人のフランスの青年が立っていた。
その一人、ナタリー・パパンさんは、前年の80年に信心を始めたばかり。彼女は胸の内の悩みを口にした。
「私が住む町で信心しているのは、私だけです。座談会の会場まで数時間かかります。どうしたら、この仏法を広げていけるでしょうか」
先生は答えた。
「心配ありません。あなたがいるではありませんか。全ては一人から始まるんです」
「仏法を持ったあなたが、大樹のように、皆から慕われ、信頼されていくことが、そのまま仏法への共感となり、弘教へとつながっていきます」
師の励ましを原点に、ナタリーさんは劇作家として活躍。"私自身が地域の大樹になろう"と、地道に対話と励ましを重ねた。彼女が住む町サン・ブリューでは今、座談会が幾つもの会場で開かれている。
列車がソー駅に着く頃、詩は完成した。先生一行がパリ会館に到着すると、直しが入ったままの原稿が、翻訳のスタッフに手渡された。先生は翻訳の作業室に足を運び、一人一人に感謝を伝えている。
午後5時半、青年部の代表者大会の幕が開けた。先生の詩「我が愛する妙法のフランスの青年諸君に贈る」を男子部のリーダーが読み上げていった。
「君達よ/フランス広布の第二幕の/峰の頂上に立ちて/高らかなるかっさいと/凱歌をあげるのだ/そのめざしゆく指標の日は/西暦二〇〇一年六月十四日/この日なりと——」
詩の誕生から20年後の2001年6月。師との約束の時を迎えた青年たちは皆、フランス広布のリーダーへと成長した。
この月、先生は再び詩を贈った。タイトルは「希望のシャトー(大城)よ 永遠に輝け!」である。
「時は来た/勇敢に立ち上がれ!/満々たる希望をもて!/新鮮な光で身を包みながら/新しき世紀の城門を開くのだ」
「さあ 前進だ!/今再び/学会創立百周年の/二〇三○年へ/共に行進しよう!」
師が示した学会創立100周年の2030年へ——。フランスの友は「良き市民」として、社会貢献に力を尽くしている。
フランスの青年に詩を贈った2日後の81年6月16日、シャルル・ド・ゴール空港を出発した池田先生は、大西洋を越えて、アメリカ・ニューヨークに降り立った。
翌17日の朝、今度はアメリカの青年に指針となる詩を贈ろうと、先生は詩作に取り掛かった。詩が完成したのは、3日後の20日である。
この日、先生はアメリカの詩人・ホイットマンの生家を訪ねた。ニューヨークに到着した16日、青年たちからホイットマンについての評論集と、その日本語訳が届けられていた。
79年、一人の青年が古書店でホイットマンの評論集を手に入れた。時あたかも第1次宗門事件の渦中。余波は、ニューヨークにも及んでいた。その中で、青年たちが創価の旗を掲げ、学会の正義を語り抜いた。
"今こそ、自分たちの決意を先生に伝えたい"との一心で、翻訳を開始した。しかし、専門家ではない。有志も手伝い、2年越しでようやく完成した。
一緒に添えた手紙に、「ホイットマンの生家を、ぜひ訪問してください」とつづった。先生が生家に足を運んだのは、青年たちの苦労と真心に応えるためでもあった。
ホイットマンの詩集『草の葉』は、ユゴーの『レ・ミゼラブル』などと共に、先生の青春時代からの座右の書である。
「さあ、出発しよう! 悪戦苦闘をつき抜けて! 決められた決勝点は取り消すことができないのだ」(富田砕花訳)——78年2月19日、先生は東京・立川文化会館で開催された信越男子部幹部会で、『草の葉』にある「大道の歌」の一節を贈っている。折々にホイットマンの言葉を通し、励ましを送ってきた。
生家を訪れた先生は、生家協会の関係者から請われ、ノートに記した。
「我が青春の新鮮なる心を/いやがうえにも燃え上げた/ホイットマン生誕の家に今来る/詩人とは 詩心とはを/今再び/自然の心に戻りて/思索の一時を送る」
先生がホイットマンの生家を後にした午後4時ごろ、ニューヨーク市内の高校で、日米親善交歓会が行われていた。2人の青年が、先生が詠んだ長編詩「我が愛するアメリカの地涌の若人に贈る」を朗読した。
「私は広布への行動の一切を/諸君に託したのだ/一切の後継を信ずるがゆえに/今 世界のすみずみを歩みゆくのだ/君達が/小さき道より/大いなる道を創りゆくことを/私は信ずる/ゆえに/私は楽しく幸せだ」
朗読が終わると、会場は喝采に包まれた。ニューヨークの多くの友が、当時を振り返り、こう語っている。
「あの"魂の詩"で、ニューヨークの組織は蘇生したんです」
慈雨は大地に等しく降り注ぎ、万物を潤す。師の激闘によって、アメリカは第1次宗門事件という"干ばつ"に終止符を打ち、新たな黎明の時を迎えたのである。
先生がアメリカで激励を重ねていた81年7月1日、詩人の国際団体「世界芸術文化アカデミー」が、先生に「桂冠詩人」の称号の授与を決定した。
「桂冠詩人」として、先生が初めて作詞した学会歌は、四国で誕生した「紅の歌」。最初の長編詩は、九州・大分で詠んだ「青年よ 21世紀の広布の山を登れ」である。
ゆめゆめ退する心なかれ」
広布は仏と魔との攻防戦。
勢いと粘りの対話で
激戦突破の歴史綴ろう!
上野殿御消息 P1527
『かくれての信あればあらはれての徳あるなり』
【通解】
今は知られなくとも誠意があれば、いつか外にあらわれての徳があるといわれているとおりである。
名字の言 琉球の外交史に刻まれた精神 2021年10月28日
琉球王国時代の440年余にわたる膨大な外交文書が収められた「歴代宝案」。諸外国との外交の歴史と共に、海の往来で起きた遭難に関する記録も多く残されている▼琉球には外国の漂着者を保護し、本国に送還する態勢が整っていた。ある時、救助した中国の漂着船に重病者がいた。琉球王府の医師が懸命に治療するが及ばず、遺体は手厚く葬られた。後に帰国した一人が、琉球での厚遇を伝え広めた▼一方、傍若無人に振る舞う外国人には、毅然とした態度で交渉した。交易国の間で琉球人は"正直で人を裏切らない"として、一目置かれたという。琉球の外交史には大国を相手に長期繁栄を築いた、生命尊厳と信義重視の精神が刻まれている▼池田先生は、外交で重要なのは「勇気」と「誠実」であると述べた。難しそうな相手にも胸襟を開いて率直に語り合う。そして"この人なら信じられる"と思われるような信頼関係を築くことである、と▼法華経に説かれる不軽菩薩は、万人に仏の生命が具わると確信し、礼拝行を続けた。相手にも自身にも仏性があるとの信念を貫いた精神闘争だ。ここに"創価の外交戦"の魂がある。「勇気の対話」「誠実の振る舞い」から、共感の万波は広がっていく。
寸鉄 2021年10月28日
「やすみぬれば火をえず」御書。中途半端で壁は破れない。悔い残さず拡大
大空知、留萌、サロベツに栄光の虹を!北海同志が猛追。日本中から大声援
公明、東京の12区と比例で追走。逆転へ議員が全力を!民衆の連帯で支援
公明党の「公約実現度」は8割超—NPO調査。コロナ克服の推進力たれ
歩きスマホの視界は通常の20分の1と。事故の元。"私は大丈夫"の油断排し
☆人間主義の哲学の視座 第12回 対談集「21世紀への選択」に学ぶ(下)
テーマ:安心と安全
池田大作先生の著作から、現代に求められる視点を学ぶ「人間主義の哲学の視座」。「安心と安全」をテーマに掲げ、前回に引き続き、マジッド・テヘラニアン博士との対談集『21世紀への選択』をひもとく。
【池田先生】
互いに「対話」に徹してこそ異文明の接触は創造的方向へ
【テヘラニアン博士】
平和を目指す私たちの挑戦は一人一人の人間革命が基軸に
◇崩壊か突破か
「私たちは歴史の転換点を迎えている」——グテーレス国連事務総長は、先月10日に発表した報告書「私たちの共通の課題」で、そう述べた。
創設75周年を迎えた昨年、国連では、全世界の150万人に対して、未来の優先課題や行動のアイデアに関する調査を実施。同報告書は、この調査結果やその後に行われた協議の内容を踏まえ、国連としてのビジョンを打ち出したものである。
事務総長は、気候変動や新型コロナ感染症といった共通の課題を前に、人類は「ブレークダウン(崩壊)かブレークスルー(突破)か」といった緊急の選択を迫られているとし、そうした選択をする同様の機会は「二度と訪れない」。つまり、手遅れになる前に行動を加速すべき時は「今」であることを訴えている。
◇想像力の所産
危機を前に、崩壊ではなく突破するための方途としてグテーレス事務総長が強調したのは、グローバルな連帯、多国間の協力の必要性であった。
もとより、連帯と協力は、人々の安心と安全を実現する上で最重要の課題の一つである。社会を分断し、混乱へと陥れようとする力が働く危機の時代にあっては、それらの価値をいやまして高めていく挑戦が不可欠だ。
池田先生とテヘラニアン博士との対談が行われた1990年代、宗教や民族の対立に端を発する紛争が、世界各地で発生していた。「文明の衝突」は、国際社会の論壇の主たるテーマとなった。
ノーベル経済学賞受賞者のアマルティア・セン博士は、衝突が不可避であるかどうか以前に、文明という側面で人間を「一面だけから見」「ひと括りにする」こと自体が、政情不安をあおると指摘した(東郷えりか訳『人間の安全保障』集英社)。この視点は、先生と博士の対談にも通底している。
先生は、紛争などの背景にある複雑な要因を「文明の衝突」という図式だけで捉えると、"文明が異なるのだから、対立は不可避である"といった見方が定着し、ゆえに、対立の真の原因が見失われてしまうと指摘する。
博士は賛同しつつ、ではなぜ、「文明の衝突」というテーゼが世界中の注目を集めたのかを語る。
——国民の団結を強めるために外敵を必要とした国々は、目に見える外敵がいない場合、新たに敵を想定しようとする。「文明の衝突」は、排他的な立場をとる人々にとって、都合のよい理論となった、と。
文明とは、分析上のカテゴリーとしての有用性を超えた、多様な人間が織りなす生き方や価値観の表現である——これが両者に共通する捉え方だった。
テヘラニアン 文化と文明はすべて、有限、はかなさといった人間の普遍的状況に順応しながら、その状況を変革し乗り越えようとする人間のイマジネーション(想像力)の所産であると、私は思うのです。
池田 限りある自己を乗り越えていく想像力、またその所産としての変革のダイナミズムにこそ文化や文明の生命があるという見解に、私も全面的に賛成です。
テヘラニアン それぞれの文化、それぞれの文明が、それ独自の生態的、歴史的状況のなかで「生の神秘」に向きあっているのです。
だからこそ、それぞれの違いは人間の天分の多様な表れとして尊重され、讃美されるべきです。
◇
文明間の出合いには、破壊的な関係だけでなく創造的な関係もありえます。おそらく、その両方と言ってもよいでしょう。
池田 異文明の接触によってもたらされるエネルギーを、真に創造的な方向へと生かせるかどうかはひとえに双方の努力、まさに「対話」にかかっている、と私は思うのです。
◇賢者の論
異なる文化や背景の人同士が、語り合い、学び合う中で、互いの世界観は大きく広がる。先生と博士の交流自体、そうした「文明間の対話」にほかならなかった。
先生は、文明間の対話を想起させる歴史的な事例として、仏教の古典である「ミリンダ王の問い」を紹介。力による「王者の論」ではなく、対話による「賢者の論」が重んじられた話を通して語る。
「『賢者の論』という象徴的な言葉に、時代を超えた普遍的な対話の要件、つまり、理性的で実りある対話を成立させる基本が示されていると思います。それはまた、平等で自由な対話を根本としてきた、釈尊以来の仏教者の姿勢でもありました」
さらに先生は、そうした「賢者の論」の精神と共に、互いの差異を乗り越える普遍性へのまなざしが、実りある対話には欠かせないと強調。国や民族の多様性の奥に輝く「人間性」という普遍の光を、人類の心に灯し、その輝きを高め合うことが、民族や文化・伝統といった多様性を真に生かす道であると訴える。
テヘラニアン 科学技術の大進歩は私たちの社会に絶え間ない変化をもたらしましたが、その一方で限りない欲望が人々の心を支配しているのです。
◇
そうしたなかで、人生の意味を探求する世界中の思慮深い人々は、自分たちのかぎられた文化の地平の彼方をのぞみ見て、他の文化や文明のなかに現在の難局を打破する答えを求めています。(中略)世界のどこを訪れても、排他的な民族主義、自民族中心主義、「文化の自己讃美主義」を超えることのできる普遍性が希求されているのを、つくづく実感するのです。
池田 私も1994年に行ったモスクワ大学での講演(「人間——大いなるコスモス」)で大要、次のように論じました。(中略)「普遍性」とは、人間と自然と宇宙が共存し、小宇宙(ミクロ・コスモス)と大宇宙(マクロ・コスモス)が一個の生命体として融合しゆく「共生」の秩序感覚であり、そうしたみずみずしい「普遍性」を生命に充溢させていくならば、たとえ属する集団が異なったとしても、対話も相互理解もつねに可能である——と、訴えたのです。
また先生は同講演を踏まえつつ、トルストイの小説『アンナ・カレーニナ』をひもときながら、「内発性」こそが、人格的な価値の枢軸をなし、対話の要件ともいうべき謙虚さ、寛容さを生み出してきた母胎であったと述べた。そして、この内発性をおろそかにしたがゆえに、"宗教のため"に人間が傷つけ合うといった転倒が繰り返されてきたと指摘している。
池田 "宗教のため"ではない、いっさいの根本は"人間のため"という一点にある——私たちSGIがめざす「人間革命」運動は、こうした歴史の転倒を正し、ともに光り輝く地球文明を創出するための方途として、一人一人の人間生命の次元からの変革を第一義として掲げているのです。
テヘラニアン "宇宙船地球号"を文明間の平和、友好、超越をめざす私たちの共同の旅の乗り物と見なす「地球文明」は、(池田SGI)会長が主張されるように、まさに一人一人の「人間革命」を基軸として創造されなくてはならないのです。
【編集後記】対談集の終章では、書名に冠された「選択」の意味について語り合われる。選択とは「どちらかといえばA、どちらかといえばB」というような消極的なものではなく、「未来を敢然と開く人間の意志の力を示した言葉」(池田先生)であり、「人間が未来に対してなしうる大いなる挑戦の異名」(テヘラニアン博士)なのだ、と。社会の挑戦課題が複雑に山積する「歴史の転換点」にあって、最善の選択を共に求めゆく「対話」の重要性は、いくら強調してもし過ぎることはない。その対話の実践の中に、「安心と安全」の未来はある。
☆ストーリーズ 師弟が紡ぐ広布史 第13回 詩心とは「正義の闘魂」の異名なり(上)
◇高らかな喝采と凱歌をあげよ!
フランスのビエーブル市に立つその建物は、かつて「ロシュの館」と呼ばれていた。芸術や文学を語り合うサロンであった。文豪ビクトル・ユゴーも家族と共に足を運び、詩想を練ったという。
1991年6月、この「ロシュの館」が、「ビクトル・ユゴー文学記念館」として装いを新たにした。ユゴーの小説の下書き原本や直筆書簡など、約7000点を所蔵。そのうち、長編小説『レ・ミゼラブル』の校正刷り、『静観詩集』の校正刷りなど、5点がフランスの「国宝」に指定されている。
記念館の誕生から、さかのぼること10年。81年6月15日、池田大作先生はフランス上院のアラン・ポエール議長と会談した。その折、議長の厚意で、リュクサンブール宮殿を見学。一室がユゴーをたたえる部屋になっていた。
先生は同行の友に、「ユゴーも反対勢力によって、島流しにされた経験をもっているね」と語り、文豪の生涯に思いを巡らせた。
ナポレオン3世の弾圧によって、ユゴーが亡命を余儀なくされたのは49歳の時。迫害の渦中、ユゴーは『レ・ミゼラブル』やナポレオン3世を弾劾する『懲罰詩集』などを完成させた。試練が創造の魂を鍛えたのである。
先生のリュクサンブール宮殿の訪問は、10年後の「ビクトル・ユゴー文学記念館」の創立を着想するきっかけとなった。
先生がユゴーと同じ49歳の時、宗門僧は衣の権威をかさに、悪辣な学会批判を繰り返し始めた。宗門は先生に、"会合で指導してはならない""聖教新聞に出てはいけない"と制約をつけた。この師弟分断の謀略に対する本格的な反転攻勢が、開始されたのが81年である。
先生は1月の北米訪問、2月中旬からの北・中米訪問に続き、5月9日からは61日間で北半球を一周する平和旅へ。この時の思いを、「海外から日本を激励するんだ」と記している。
永遠の法をよりどころとしながら、縁に随って、最も適切に対応していく真実の自在の智慧を「随縁真如の智」という。聖教新聞の海外報道の記事は、日本の同志の歓喜となり、希望となった。それは、先生の「随縁真如の智」の励ましにほかならなかった。
帰国後の10月31日、先生は創価大学の第11回「創大祭」のオープニングセレモニーに出席。学生からの要請を受け、「歴史と人物を考察——迫害と人生」と題する講演を行った。
その中で、菅原道真や頼山陽をはじめ、ユゴーやルソーなど、古今東西の人物について言及した。苦難の渦中に信念を貫いた生き方に触れ、率直に真情を語った。
「私も一仏法者として、一庶民として、全くいわれなき中傷と迫害の連続でありました。しかし、僭越ながら、この"迫害の構図"に照らして見れば、迫害こそ、むしろ仏法者の誉れであります」
「後世の歴史は、必ずや事の真実を厳しく糾弾していくであろうことを、この場をお借りして断言しておきます」
講演の会場となった中央体育館(当時)は、79年5月3日、第3代会長辞任後の本部総会が行われた場所だった。同じ場所で、先生は高らかに勝利を宣言した。
その日、フランスのソー市にあるパリ会館で、フランス青年部の大会が開催されることになっていた。1981年6月14日のことである。
宿舎を出た池田先生は、ルーブル美術館に隣接するチュイルリー公園沿いの通りを歩き、地下鉄の駅に向かった。構内に入ると、先生は語った。
「青年たちの新しい出発のために、詩を贈ろう」
ホームで口述が始まった。
「今 君達は/万年への広宣流布という/崇高にして偉大な運動の/先駆として立った……」
チュイルリー駅から三つ目のシャトレ駅で、郊外へ向かう線に乗り換える。待ち時間の間も、詩作は続いた。乗車後、しばらくして口述は終わった。
詩は走り書きのメモから、ノートに清書された。先生は車内で推敲を重ね、直しを入れていく。その時、「センセイ!」と呼ぶ声がした。3人のフランスの青年が立っていた。
その一人、ナタリー・パパンさんは、前年の80年に信心を始めたばかり。彼女は胸の内の悩みを口にした。
「私が住む町で信心しているのは、私だけです。座談会の会場まで数時間かかります。どうしたら、この仏法を広げていけるでしょうか」
先生は答えた。
「心配ありません。あなたがいるではありませんか。全ては一人から始まるんです」
「仏法を持ったあなたが、大樹のように、皆から慕われ、信頼されていくことが、そのまま仏法への共感となり、弘教へとつながっていきます」
師の励ましを原点に、ナタリーさんは劇作家として活躍。"私自身が地域の大樹になろう"と、地道に対話と励ましを重ねた。彼女が住む町サン・ブリューでは今、座談会が幾つもの会場で開かれている。
列車がソー駅に着く頃、詩は完成した。先生一行がパリ会館に到着すると、直しが入ったままの原稿が、翻訳のスタッフに手渡された。先生は翻訳の作業室に足を運び、一人一人に感謝を伝えている。
午後5時半、青年部の代表者大会の幕が開けた。先生の詩「我が愛する妙法のフランスの青年諸君に贈る」を男子部のリーダーが読み上げていった。
「君達よ/フランス広布の第二幕の/峰の頂上に立ちて/高らかなるかっさいと/凱歌をあげるのだ/そのめざしゆく指標の日は/西暦二〇〇一年六月十四日/この日なりと——」
詩の誕生から20年後の2001年6月。師との約束の時を迎えた青年たちは皆、フランス広布のリーダーへと成長した。
この月、先生は再び詩を贈った。タイトルは「希望のシャトー(大城)よ 永遠に輝け!」である。
「時は来た/勇敢に立ち上がれ!/満々たる希望をもて!/新鮮な光で身を包みながら/新しき世紀の城門を開くのだ」
「さあ 前進だ!/今再び/学会創立百周年の/二〇三○年へ/共に行進しよう!」
師が示した学会創立100周年の2030年へ——。フランスの友は「良き市民」として、社会貢献に力を尽くしている。
フランスの青年に詩を贈った2日後の81年6月16日、シャルル・ド・ゴール空港を出発した池田先生は、大西洋を越えて、アメリカ・ニューヨークに降り立った。
翌17日の朝、今度はアメリカの青年に指針となる詩を贈ろうと、先生は詩作に取り掛かった。詩が完成したのは、3日後の20日である。
この日、先生はアメリカの詩人・ホイットマンの生家を訪ねた。ニューヨークに到着した16日、青年たちからホイットマンについての評論集と、その日本語訳が届けられていた。
79年、一人の青年が古書店でホイットマンの評論集を手に入れた。時あたかも第1次宗門事件の渦中。余波は、ニューヨークにも及んでいた。その中で、青年たちが創価の旗を掲げ、学会の正義を語り抜いた。
"今こそ、自分たちの決意を先生に伝えたい"との一心で、翻訳を開始した。しかし、専門家ではない。有志も手伝い、2年越しでようやく完成した。
一緒に添えた手紙に、「ホイットマンの生家を、ぜひ訪問してください」とつづった。先生が生家に足を運んだのは、青年たちの苦労と真心に応えるためでもあった。
ホイットマンの詩集『草の葉』は、ユゴーの『レ・ミゼラブル』などと共に、先生の青春時代からの座右の書である。
「さあ、出発しよう! 悪戦苦闘をつき抜けて! 決められた決勝点は取り消すことができないのだ」(富田砕花訳)——78年2月19日、先生は東京・立川文化会館で開催された信越男子部幹部会で、『草の葉』にある「大道の歌」の一節を贈っている。折々にホイットマンの言葉を通し、励ましを送ってきた。
生家を訪れた先生は、生家協会の関係者から請われ、ノートに記した。
「我が青春の新鮮なる心を/いやがうえにも燃え上げた/ホイットマン生誕の家に今来る/詩人とは 詩心とはを/今再び/自然の心に戻りて/思索の一時を送る」
先生がホイットマンの生家を後にした午後4時ごろ、ニューヨーク市内の高校で、日米親善交歓会が行われていた。2人の青年が、先生が詠んだ長編詩「我が愛するアメリカの地涌の若人に贈る」を朗読した。
「私は広布への行動の一切を/諸君に託したのだ/一切の後継を信ずるがゆえに/今 世界のすみずみを歩みゆくのだ/君達が/小さき道より/大いなる道を創りゆくことを/私は信ずる/ゆえに/私は楽しく幸せだ」
朗読が終わると、会場は喝采に包まれた。ニューヨークの多くの友が、当時を振り返り、こう語っている。
「あの"魂の詩"で、ニューヨークの組織は蘇生したんです」
慈雨は大地に等しく降り注ぎ、万物を潤す。師の激闘によって、アメリカは第1次宗門事件という"干ばつ"に終止符を打ち、新たな黎明の時を迎えたのである。
先生がアメリカで激励を重ねていた81年7月1日、詩人の国際団体「世界芸術文化アカデミー」が、先生に「桂冠詩人」の称号の授与を決定した。
「桂冠詩人」として、先生が初めて作詞した学会歌は、四国で誕生した「紅の歌」。最初の長編詩は、九州・大分で詠んだ「青年よ 21世紀の広布の山を登れ」である。
2021年10月27日水曜日
2021.10.27 わが友に贈る
「まいをも・まいぬべし」
歓喜踊躍の生命こそ
広布拡大の原動力だ。
困難な状況であるほど
赤々と情熱を燃やして!
御義口伝巻上 P718
『疵を蔵くし徳を揚ぐは上慢を釈す、自ら省ること能わざるは我慢を釈す』
【通解】
自らの疵(きず)をかくし、外面には徳のあるがごとき姿を示すのは上慢の姿であり、自ら省みることができないというのは我慢の姿である。
名字の言 広島・北広島町に自生する「テングシデ」の群落 2021年10月27日
広島県・北広島町に約100本の「テングシデ」の木がある。幹や枝がくねくね曲がった特異性を持つ国の天然記念物。本来、こうした変種は生存競争に勝ち残れないとされるが、世界で唯一、ここだけに自生する▼その形質は代々受け継がれ、群落(同種が近接すること)を形成。団結して他種に打ち勝ってきたのだろう。実際に見ると、ただ群れているだけではない。どの木も太陽に向かって懸命に葉を広げている。自身が"大樹"に成長してこそ、周囲の支えとなれる——テングシデの群落が、人の生き方と重なった▼30歳で入会した同町の壮年部員は信心に消極的だった。ある時、職場の人間関係に悩んでいた彼を学会の先輩が励ました。「全てやり切ると腹を決めるんだよ」▼以来、彼の姿勢に少しずつ変化が。何事にも全力を尽くすと決意した時、同僚への感謝が湧き、環境は一変した。後年、彼は社長に就任。成長を喜んだ両親を入会に導いた。今、支部長として東京23区の総面積を上回る広さの町内を駆ける姿に、他の同志も立ち上がる▼池田先生はつづる。「広宣流布を成就する力は、師子の団結にある」と。"私が一人立つ!"と心を定める。そこから真の団結が生まれ、広布の勢いは加速する。
寸鉄 2021年10月27日
どんな行動も民衆の支持なしには成功せぬ—恩師今日も一人一人を味方に
北海道が総力の追い上げ全国挙げてもう一押し!庶民の底力で大逆転劇を
東京の勝利が凱歌の秋の決定打。攻めた方が勝つ。皆で怒濤の反撃ここから
広島が一瀉千里の追走。今が正念場!気迫と執念の言論戦で勝ち上がれ!
公明、大阪16・3・5・6区と兵庫2・8区が大激闘。我らは力強い支援を益々
〈社説〉 2021・10・27 「読書週間」がスタート
◇良書と出合い 人生を豊かに
きょう27日は「文字・活字文化の日」。毎年この日から、読書週間が始まる(11月9日まで)。
文部科学省はホームページで「読書は、人類が獲得した文化である」と掲げるとともに、「情報化社会の進展は、自分でものを考えずに断片的な情報を受け取るだけの受け身の姿勢を人々にもたらしやすい。自分でものを考える必要があるからこそ、読書が一層必要になる」と読書の重要性を指摘している。
一人楽しむ読書もいいが、近年は読書会や、子どもを中心に家族で同じ本を読み、感想を話し合う中でコミュニケーションを深める「家読」など、読書に親しむ取り組みも盛んだ。
関西創価中学校では、5年前から「全校ビブリオバトル(書評合戦)」を毎学期実施し、読書の推進に全校を挙げて取り組んでいる。昨年の休校期間中もオンラインで開催。
同校の教員は、「ビブリオバトルは、単に本を読むだけでなく、本の主題を的確に捉え、その魅力が伝わるように原稿をまとめ、発表する力が求められます。『読む・書く・話す・聞く』の四つの技能が鍛えられ、"自分で考える力"が磨かれていきます」という。
作家の佐藤優氏は「自分の気持ちを知り、整理するのも言葉、自分の思考や意志、思想を形づくるのも言葉。そしてそれを他者に表現として伝える手段も言葉しかありません。ですから表現には言語力が必要不可欠で、その力をつけるのが読書です。読書で養った読解力と表現力は表裏の関係にあり、読解力以上に表現力を高めることはできません」(『人をつくる読書術』青春出版社)と語る。
読書によって、自身の言葉で考えや意見を言語化し、他者に伝えられるようになるといえよう。
それだけではない。読書は心を養う糧であり、人生の旅の友だ。
池田先生は「一冊の良書は、偉大な教師に巡り会ったのと同じです。読書は『人間だけができる特権』であり、いかなる動物も読書はできない。自分の人生は一回切りだが、読書によって、何百、何千のほかの人生に触れることもできるし、二千年前の賢者と話もできる」(『青春対話』)と"読書の喜び"を知ることで、人生を大きく深くしていけると訴える。
秋が深まるこの時期にかけがえのない良書と出合い、人生を豊かに潤していきたい。
☆switch——共育のまなざし 聴覚障がいの有無を超えて——誰もが共生の未来の担い手
生まれつき、高度の「感音難聴」の女子部員がいます。彼女は、デフ(聴覚障がい者)フットサルとデフサッカーの日本代表選手。育ててくれた両親、10歳から頑張ってきた各種スポーツの経験、創価学会の女子部の仲間の存在——「たくさんの"出あい"のおかげで、今の私があります」と。その歩みから、共生社会の未来について考えます。
◇"二つの世界"で
10月初旬、埼玉県にあるフットサル場を訪ねると、岩渕亜依さん=東京都新宿区、華陽リーダー=が自主練習に励んでいた。岩渕さんを含め6人の参加者全員が、デフ(聴覚障がい者)フットサルの日本代表。それぞれ健聴者のチームにも所属し、技術を磨いている。
デフフットサルもデフサッカーも、基本的なルールは、健聴者のそれと変わらない。ただ、主審は、プレーヤーが分かるように笛と共に旗を使用する。また、プレーヤー同士は目のアイコンタクトや手話などでコミュニケーションを取りながら、試合を展開していく。
岩渕さんが日本代表として出場した2015年(平成27年)のデフフットサルワールドカップでは、強豪スペインを破って初の決勝トーナメント進出を果たした。
キャプテンとして10番を背負った19年大会は、決勝トーナメントでブラジルに1—2で惜敗。現在は、明年開催予定のデフリンピック(聴覚障がい者のための国際的な総合スポーツ大会)のデフサッカーと、2023年開催予定のデフフットサルワールドカップで、世界一を目指す。
岩渕さんは「とにかく首を動かし、コミュニケーションのために視野を広く取ります」と。加えて「健聴者のチームの中では、特に、指示を見逃さないようにしています。デフの時は、中心者として試合を組み立てることも必要なので、それが課題です」とも語る。
健聴者のチームと、デフの日本代表——そうした"二つの世界"で奮闘する。今日に至るまでには、私生活でも数多くの経験を重ねてきた。
◇一緒に戦う
岩渕さんは2歳の時に保健師から指摘を受け、病院での聴力検査の結果、「先天性高度感音難聴」と告げられた。
母・由貴さん=千葉県船橋市、地区女性部長=は、娘の障がいが分かった時の思いを、「頭の中が真っ白になりました」と振り返る。
「"耳の聞こえない子を育てるって、何をどうしたらいいんだろう……"と。"分からない"ということが不安でした」。そんな時、脳裏に浮かんだのが、近くに住む義理の母・佐藤津矢野さん=地区副女性部長=の「笑顔」だった。
当時、佐藤さんは、孫を引き取り、育てていた。若くして亡くなった長男の忘れ形見であり、岩渕さんの母・由貴さんからみれば「夫の兄の息子」に当たる。その、義理のおいには知的障がいがあった。"孫育て"に励む佐藤さんは、どんな時も、穏やかな笑顔を失わなかった。
由貴さんは言う。「お義母さんに、『どうして、いつも笑顔でいられるのですか』って、尋ねたんです。聞かずには、いられなかった。義母は一言、『うーん、創価学会員だからかなあ』と。私は学会に入っていませんでしたが、この時から、学会への興味が湧いたんです」
夫の健浩さん=壮年部員=との交際時から、健浩さんや家族が、学会の信仰をしていることは知っていた。ただ、由貴さん自身は、入会しようとは思わなかった。その由貴さんが、義母とのやりとりを契機に、自ら題目を唱えるようになった。
「唱題を重ねるほど"亜依は大丈夫だ!"っていう気持ちが、心の底から湧いてきたんです」
1997年4月、亜依さんの特別支援学校幼稚部への入学を機に、由貴さんは親子で創価学会に入会する。
学校への送迎とともに療育に付き添い、学校以外の時間も、口の動きを見て言葉を読み取ることや、発話の練習に明け暮れた。当時、聴覚障がいがある子どもの療育は、そうした「口話」が重視され、手話などが取り入れられるのは、後のことであった。
「例えば亜依が泣いて、私は"抱っこしてほしい"のだと分かっても、亜依が『抱っこ』と言えるまで抱かない。亜依は"伝える戦い"、私は"待つ戦い"——それを一緒に頑張ったと感じています」
亜依さんの成育状況を踏まえ、教員からは「地域の小学校でもやっていける」との言葉があった。由貴さんは、娘の「お友達がたくさんできたらうれしい」との希望を尊重し、地域の普通学級へと送り出した。
◇自信をくれた
岩渕さんは小・中学、高校と、友達に恵まれ笑顔を絶やすことがなかった。しかし、人知れず抱く孤独があった。
1対1のコミュニケーションは取れる。だが1対多数だと、難しい。横や後ろからは、誰が何を話しているか分からない。「聞こえなかった」と伝えれば、会話の流れを遮ってしまう。授業の途中で教師の話を止めることも、遠慮してしまう。
思春期を迎えると、授業中は顔を上げずに、教科書の文字を目で追うことが多くなった。中学では「一人の方が楽しい」、高校では「大勢でいると寂しい」——そんな本音を家族にこぼした。
岩渕さんに「自信を与えてくれた」のは、スポーツだった。小学4年でサッカーを始め、野球好きの父の影響で、中学からはソフトボール部に。健聴者の中でレギュラーとなり、千葉県選抜にも選出された。高校のソフトボール部の顧問が、聴覚障がい者のために「情報保障」がなされている大学があることを教えてくれた。
オープンキャンパスの日、岩渕さんは、見学者の数十人全員が"聞こえない"状況にあることに衝撃を受けたという。
「ずっと健聴者の中で生きてきたから、100%情報が分かることに、逆に驚きました」。この大学に進学後、手話を習得した。在学中に先輩から誘われデフサッカーを始め、さらにデフフットサルの選手にもなった。
卒業後は、企業で働きながら、トレーニングの時間を捻出した。再び始まった、健聴者の中での日常生活。そんな時、自分を訪ねてきてくれたのが、創価学会の女子部の先輩たちだった。
◇分かち合える場
岩渕さんは、女子部の先輩たちの印象を語る。「笑顔と目が"安心できる"んです。私に限らず耳の聞こえない人は、その分、相手の表情をよく見るんですよね。社会人になって6年になるので、来てくださる女子部の先輩も何人か変わりましたけど、皆さんが"私のことを知りたい"と思ってくれていることを、感じるんです」
酒匂光子さん=女子部本部長=は、創価大学在学時、手話サークルに在籍した経験がある。卒業後は補聴器のメーカーに就職。「自分の行動が誰かの力になれたら」との思いで、仕事に、学会活動にと尽力してきた。
「サークルや仕事での経験から、例えば1(いち)と7(しち)など、口の形が似た言葉は、紛らわしくないように7(なな)と言うなど、自分なりに工夫します。でも、それ以外は、他のメンバーと接するのと同じように、亜依ちゃんに接しています。私が逆の立場だったら、きっとそうしてほしいと思うから」
好きなアイドルや小説の話、また、日本代表のキャプテンとしての奮闘など、多くを聞き、語り合った。
酒匂さんは「亜依ちゃんの選手としての向上心、ピンチにも負けない心がすごい。そして私にも『お体、大丈夫ですか』『最近、お仕事どうですか』と聞いてくれる思いやりがある。訪ねる私たちの方が励まされています」と。
コロナ禍の中、よく訪問・激励に来てくれたのが、松下玲子さん=総区女子部主任部長=だ。「亜依ちゃんに会う前は"耳が聞こえない"ことに対し、"私の振る舞いで、嫌な思いをさせたりしないか"と緊張していました」
だが、岩渕さんと会い、彼女を知れば知るほど、ある思いが湧いた。「亜依ちゃんの笑顔に、緊張はすぐに解けました。明るくユーモアがあって、どんな時も、周りの人への『感謝』を忘れない亜依ちゃん。耳が聞こえないということについて、コミュニケーションする上で配慮を忘れてはいけませんが、"多様な特徴の一つなのだ"と感じるようになりました」
松下さん自身は、「コンプレックスの塊で自信がなく、人と関わることが苦手。そんな自分を変えたい」と学会活動に励んできた。「誰もが何かの悩みを持っている。それを分かち合い、励まし合い、自分自身を輝かせる生き方へ変革できる場が、創価学会」だと感じている。
◇差異を超えて
池田先生は語っている。
「私たちが広宣流布に向かって『異体同心』の姿で輝くことそれ自体が、人間共和の縮図であり、人類の共生の理想像なのです。人種や言語、文化など、あらゆる差異を超え、『生命』という共通の大地に立って、尊敬し合い、学び合い、助け合っていくからです」
岩渕さんは自身の青春を振り返り、「私は出会いに恵まれました」と語る。家族をはじめ、同級生、部活の恩師やチームメート、女子部の先輩たち……。
そして、困難に直面する時は、祈ることができた。"今いる場所で必要とされる人に""唱題は、自分の心と向き合う時間""ピンチはチャンス"——母や女子部の先輩たちが教えてくれたことを胸に刻み、挑戦を重ねてきた。
「10代のころ、人と関わることに難しさを感じた自分が、日本代表のキャプテンを務めることができたのも、本来の明るさを出せるようになったのも、自分の心を挑戦の方向にもっていけるようになったからです」
それは、母・由貴さんが、幼児期の療育で娘と分かち合いたかった思いにも通じているという。「"人とコミュニケーションすることは楽しい""障がいがあることが不幸なのではない。障がいに負けてしまうことが不幸なんだ"——私が伝えたかった思いを、亜依は、自らの人生で示してくれました」
岩渕さんは今、こう感じている。
「口の形の読み取り方、発話の仕方、手話などの表現方法……。『聴覚障がい者』といっても一人一人違います。女子部の先輩たちをはじめ、心ある人が私にしてくれたように、『一人の人間』として接してもらえたら、『障がい者』という言葉の先入観もなくなって、"違い"を"特徴"として理解し合えると思う」
時に孤独を抱えながらも、懸命に、挑戦を続けてきた岩渕さん。"亜依さんの心を知りたい"と交流を重ねた周囲の人々。障がいの有無を超えて、社会の全員が、共生の未来を担う当事者である——そのことを、彼女の歩みは気付かせてくれる。
歓喜踊躍の生命こそ
広布拡大の原動力だ。
困難な状況であるほど
赤々と情熱を燃やして!
御義口伝巻上 P718
『疵を蔵くし徳を揚ぐは上慢を釈す、自ら省ること能わざるは我慢を釈す』
【通解】
自らの疵(きず)をかくし、外面には徳のあるがごとき姿を示すのは上慢の姿であり、自ら省みることができないというのは我慢の姿である。
名字の言 広島・北広島町に自生する「テングシデ」の群落 2021年10月27日
広島県・北広島町に約100本の「テングシデ」の木がある。幹や枝がくねくね曲がった特異性を持つ国の天然記念物。本来、こうした変種は生存競争に勝ち残れないとされるが、世界で唯一、ここだけに自生する▼その形質は代々受け継がれ、群落(同種が近接すること)を形成。団結して他種に打ち勝ってきたのだろう。実際に見ると、ただ群れているだけではない。どの木も太陽に向かって懸命に葉を広げている。自身が"大樹"に成長してこそ、周囲の支えとなれる——テングシデの群落が、人の生き方と重なった▼30歳で入会した同町の壮年部員は信心に消極的だった。ある時、職場の人間関係に悩んでいた彼を学会の先輩が励ました。「全てやり切ると腹を決めるんだよ」▼以来、彼の姿勢に少しずつ変化が。何事にも全力を尽くすと決意した時、同僚への感謝が湧き、環境は一変した。後年、彼は社長に就任。成長を喜んだ両親を入会に導いた。今、支部長として東京23区の総面積を上回る広さの町内を駆ける姿に、他の同志も立ち上がる▼池田先生はつづる。「広宣流布を成就する力は、師子の団結にある」と。"私が一人立つ!"と心を定める。そこから真の団結が生まれ、広布の勢いは加速する。
寸鉄 2021年10月27日
どんな行動も民衆の支持なしには成功せぬ—恩師今日も一人一人を味方に
北海道が総力の追い上げ全国挙げてもう一押し!庶民の底力で大逆転劇を
東京の勝利が凱歌の秋の決定打。攻めた方が勝つ。皆で怒濤の反撃ここから
広島が一瀉千里の追走。今が正念場!気迫と執念の言論戦で勝ち上がれ!
公明、大阪16・3・5・6区と兵庫2・8区が大激闘。我らは力強い支援を益々
〈社説〉 2021・10・27 「読書週間」がスタート
◇良書と出合い 人生を豊かに
きょう27日は「文字・活字文化の日」。毎年この日から、読書週間が始まる(11月9日まで)。
文部科学省はホームページで「読書は、人類が獲得した文化である」と掲げるとともに、「情報化社会の進展は、自分でものを考えずに断片的な情報を受け取るだけの受け身の姿勢を人々にもたらしやすい。自分でものを考える必要があるからこそ、読書が一層必要になる」と読書の重要性を指摘している。
一人楽しむ読書もいいが、近年は読書会や、子どもを中心に家族で同じ本を読み、感想を話し合う中でコミュニケーションを深める「家読」など、読書に親しむ取り組みも盛んだ。
関西創価中学校では、5年前から「全校ビブリオバトル(書評合戦)」を毎学期実施し、読書の推進に全校を挙げて取り組んでいる。昨年の休校期間中もオンラインで開催。
同校の教員は、「ビブリオバトルは、単に本を読むだけでなく、本の主題を的確に捉え、その魅力が伝わるように原稿をまとめ、発表する力が求められます。『読む・書く・話す・聞く』の四つの技能が鍛えられ、"自分で考える力"が磨かれていきます」という。
作家の佐藤優氏は「自分の気持ちを知り、整理するのも言葉、自分の思考や意志、思想を形づくるのも言葉。そしてそれを他者に表現として伝える手段も言葉しかありません。ですから表現には言語力が必要不可欠で、その力をつけるのが読書です。読書で養った読解力と表現力は表裏の関係にあり、読解力以上に表現力を高めることはできません」(『人をつくる読書術』青春出版社)と語る。
読書によって、自身の言葉で考えや意見を言語化し、他者に伝えられるようになるといえよう。
それだけではない。読書は心を養う糧であり、人生の旅の友だ。
池田先生は「一冊の良書は、偉大な教師に巡り会ったのと同じです。読書は『人間だけができる特権』であり、いかなる動物も読書はできない。自分の人生は一回切りだが、読書によって、何百、何千のほかの人生に触れることもできるし、二千年前の賢者と話もできる」(『青春対話』)と"読書の喜び"を知ることで、人生を大きく深くしていけると訴える。
秋が深まるこの時期にかけがえのない良書と出合い、人生を豊かに潤していきたい。
☆switch——共育のまなざし 聴覚障がいの有無を超えて——誰もが共生の未来の担い手
生まれつき、高度の「感音難聴」の女子部員がいます。彼女は、デフ(聴覚障がい者)フットサルとデフサッカーの日本代表選手。育ててくれた両親、10歳から頑張ってきた各種スポーツの経験、創価学会の女子部の仲間の存在——「たくさんの"出あい"のおかげで、今の私があります」と。その歩みから、共生社会の未来について考えます。
◇"二つの世界"で
10月初旬、埼玉県にあるフットサル場を訪ねると、岩渕亜依さん=東京都新宿区、華陽リーダー=が自主練習に励んでいた。岩渕さんを含め6人の参加者全員が、デフ(聴覚障がい者)フットサルの日本代表。それぞれ健聴者のチームにも所属し、技術を磨いている。
デフフットサルもデフサッカーも、基本的なルールは、健聴者のそれと変わらない。ただ、主審は、プレーヤーが分かるように笛と共に旗を使用する。また、プレーヤー同士は目のアイコンタクトや手話などでコミュニケーションを取りながら、試合を展開していく。
岩渕さんが日本代表として出場した2015年(平成27年)のデフフットサルワールドカップでは、強豪スペインを破って初の決勝トーナメント進出を果たした。
キャプテンとして10番を背負った19年大会は、決勝トーナメントでブラジルに1—2で惜敗。現在は、明年開催予定のデフリンピック(聴覚障がい者のための国際的な総合スポーツ大会)のデフサッカーと、2023年開催予定のデフフットサルワールドカップで、世界一を目指す。
岩渕さんは「とにかく首を動かし、コミュニケーションのために視野を広く取ります」と。加えて「健聴者のチームの中では、特に、指示を見逃さないようにしています。デフの時は、中心者として試合を組み立てることも必要なので、それが課題です」とも語る。
健聴者のチームと、デフの日本代表——そうした"二つの世界"で奮闘する。今日に至るまでには、私生活でも数多くの経験を重ねてきた。
◇一緒に戦う
岩渕さんは2歳の時に保健師から指摘を受け、病院での聴力検査の結果、「先天性高度感音難聴」と告げられた。
母・由貴さん=千葉県船橋市、地区女性部長=は、娘の障がいが分かった時の思いを、「頭の中が真っ白になりました」と振り返る。
「"耳の聞こえない子を育てるって、何をどうしたらいいんだろう……"と。"分からない"ということが不安でした」。そんな時、脳裏に浮かんだのが、近くに住む義理の母・佐藤津矢野さん=地区副女性部長=の「笑顔」だった。
当時、佐藤さんは、孫を引き取り、育てていた。若くして亡くなった長男の忘れ形見であり、岩渕さんの母・由貴さんからみれば「夫の兄の息子」に当たる。その、義理のおいには知的障がいがあった。"孫育て"に励む佐藤さんは、どんな時も、穏やかな笑顔を失わなかった。
由貴さんは言う。「お義母さんに、『どうして、いつも笑顔でいられるのですか』って、尋ねたんです。聞かずには、いられなかった。義母は一言、『うーん、創価学会員だからかなあ』と。私は学会に入っていませんでしたが、この時から、学会への興味が湧いたんです」
夫の健浩さん=壮年部員=との交際時から、健浩さんや家族が、学会の信仰をしていることは知っていた。ただ、由貴さん自身は、入会しようとは思わなかった。その由貴さんが、義母とのやりとりを契機に、自ら題目を唱えるようになった。
「唱題を重ねるほど"亜依は大丈夫だ!"っていう気持ちが、心の底から湧いてきたんです」
1997年4月、亜依さんの特別支援学校幼稚部への入学を機に、由貴さんは親子で創価学会に入会する。
学校への送迎とともに療育に付き添い、学校以外の時間も、口の動きを見て言葉を読み取ることや、発話の練習に明け暮れた。当時、聴覚障がいがある子どもの療育は、そうした「口話」が重視され、手話などが取り入れられるのは、後のことであった。
「例えば亜依が泣いて、私は"抱っこしてほしい"のだと分かっても、亜依が『抱っこ』と言えるまで抱かない。亜依は"伝える戦い"、私は"待つ戦い"——それを一緒に頑張ったと感じています」
亜依さんの成育状況を踏まえ、教員からは「地域の小学校でもやっていける」との言葉があった。由貴さんは、娘の「お友達がたくさんできたらうれしい」との希望を尊重し、地域の普通学級へと送り出した。
◇自信をくれた
岩渕さんは小・中学、高校と、友達に恵まれ笑顔を絶やすことがなかった。しかし、人知れず抱く孤独があった。
1対1のコミュニケーションは取れる。だが1対多数だと、難しい。横や後ろからは、誰が何を話しているか分からない。「聞こえなかった」と伝えれば、会話の流れを遮ってしまう。授業の途中で教師の話を止めることも、遠慮してしまう。
思春期を迎えると、授業中は顔を上げずに、教科書の文字を目で追うことが多くなった。中学では「一人の方が楽しい」、高校では「大勢でいると寂しい」——そんな本音を家族にこぼした。
岩渕さんに「自信を与えてくれた」のは、スポーツだった。小学4年でサッカーを始め、野球好きの父の影響で、中学からはソフトボール部に。健聴者の中でレギュラーとなり、千葉県選抜にも選出された。高校のソフトボール部の顧問が、聴覚障がい者のために「情報保障」がなされている大学があることを教えてくれた。
オープンキャンパスの日、岩渕さんは、見学者の数十人全員が"聞こえない"状況にあることに衝撃を受けたという。
「ずっと健聴者の中で生きてきたから、100%情報が分かることに、逆に驚きました」。この大学に進学後、手話を習得した。在学中に先輩から誘われデフサッカーを始め、さらにデフフットサルの選手にもなった。
卒業後は、企業で働きながら、トレーニングの時間を捻出した。再び始まった、健聴者の中での日常生活。そんな時、自分を訪ねてきてくれたのが、創価学会の女子部の先輩たちだった。
◇分かち合える場
岩渕さんは、女子部の先輩たちの印象を語る。「笑顔と目が"安心できる"んです。私に限らず耳の聞こえない人は、その分、相手の表情をよく見るんですよね。社会人になって6年になるので、来てくださる女子部の先輩も何人か変わりましたけど、皆さんが"私のことを知りたい"と思ってくれていることを、感じるんです」
酒匂光子さん=女子部本部長=は、創価大学在学時、手話サークルに在籍した経験がある。卒業後は補聴器のメーカーに就職。「自分の行動が誰かの力になれたら」との思いで、仕事に、学会活動にと尽力してきた。
「サークルや仕事での経験から、例えば1(いち)と7(しち)など、口の形が似た言葉は、紛らわしくないように7(なな)と言うなど、自分なりに工夫します。でも、それ以外は、他のメンバーと接するのと同じように、亜依ちゃんに接しています。私が逆の立場だったら、きっとそうしてほしいと思うから」
好きなアイドルや小説の話、また、日本代表のキャプテンとしての奮闘など、多くを聞き、語り合った。
酒匂さんは「亜依ちゃんの選手としての向上心、ピンチにも負けない心がすごい。そして私にも『お体、大丈夫ですか』『最近、お仕事どうですか』と聞いてくれる思いやりがある。訪ねる私たちの方が励まされています」と。
コロナ禍の中、よく訪問・激励に来てくれたのが、松下玲子さん=総区女子部主任部長=だ。「亜依ちゃんに会う前は"耳が聞こえない"ことに対し、"私の振る舞いで、嫌な思いをさせたりしないか"と緊張していました」
だが、岩渕さんと会い、彼女を知れば知るほど、ある思いが湧いた。「亜依ちゃんの笑顔に、緊張はすぐに解けました。明るくユーモアがあって、どんな時も、周りの人への『感謝』を忘れない亜依ちゃん。耳が聞こえないということについて、コミュニケーションする上で配慮を忘れてはいけませんが、"多様な特徴の一つなのだ"と感じるようになりました」
松下さん自身は、「コンプレックスの塊で自信がなく、人と関わることが苦手。そんな自分を変えたい」と学会活動に励んできた。「誰もが何かの悩みを持っている。それを分かち合い、励まし合い、自分自身を輝かせる生き方へ変革できる場が、創価学会」だと感じている。
◇差異を超えて
池田先生は語っている。
「私たちが広宣流布に向かって『異体同心』の姿で輝くことそれ自体が、人間共和の縮図であり、人類の共生の理想像なのです。人種や言語、文化など、あらゆる差異を超え、『生命』という共通の大地に立って、尊敬し合い、学び合い、助け合っていくからです」
岩渕さんは自身の青春を振り返り、「私は出会いに恵まれました」と語る。家族をはじめ、同級生、部活の恩師やチームメート、女子部の先輩たち……。
そして、困難に直面する時は、祈ることができた。"今いる場所で必要とされる人に""唱題は、自分の心と向き合う時間""ピンチはチャンス"——母や女子部の先輩たちが教えてくれたことを胸に刻み、挑戦を重ねてきた。
「10代のころ、人と関わることに難しさを感じた自分が、日本代表のキャプテンを務めることができたのも、本来の明るさを出せるようになったのも、自分の心を挑戦の方向にもっていけるようになったからです」
それは、母・由貴さんが、幼児期の療育で娘と分かち合いたかった思いにも通じているという。「"人とコミュニケーションすることは楽しい""障がいがあることが不幸なのではない。障がいに負けてしまうことが不幸なんだ"——私が伝えたかった思いを、亜依は、自らの人生で示してくれました」
岩渕さんは今、こう感じている。
「口の形の読み取り方、発話の仕方、手話などの表現方法……。『聴覚障がい者』といっても一人一人違います。女子部の先輩たちをはじめ、心ある人が私にしてくれたように、『一人の人間』として接してもらえたら、『障がい者』という言葉の先入観もなくなって、"違い"を"特徴"として理解し合えると思う」
時に孤独を抱えながらも、懸命に、挑戦を続けてきた岩渕さん。"亜依さんの心を知りたい"と交流を重ねた周囲の人々。障がいの有無を超えて、社会の全員が、共生の未来を担う当事者である——そのことを、彼女の歩みは気付かせてくれる。
2021年10月26日火曜日
2021.10.26 わが友に贈る
一人一人が持つ底力を
最大に発揮してこそ
不可能は可能になる。
「あと一歩」「もう一歩」
広布の山を越えゆこう!
兄弟抄 P1083
『各各随分に法華経を信ぜられつるゆへに過去の重罪をせめいだし給いて候、たとへばくろがねをよくよくきたへばきずのあらわるるがごとし、石はやけばはいとなる金はやけば真金となる』
【通解】
各々(池上兄弟)は、随分と法華経を信ぜられたために、現世において、過去世の重罪を招き出した。譬えてみれば、鉄をよくよく鍛えると、その疵が顕れるようなものである。石は焼けば灰となるが、金は焼けば(不純物が取り除かれて)真金となる。
名字の言 今年も"冬の使者"ツルが飛来 2021年10月26日
"冬の使者"が到来した。先日、国内最大のツルの越冬地である鹿児島県の出水平野で、今季初となるナベヅル17羽の飛来が確認された。昨シーズンまで24季連続で"万羽鶴"の飛来が続いている▼夏を過ごしたロシアや中国などからやって来るナベヅルは約9000羽、マナヅルが約3000羽。これは世界のナベヅルの8割以上、マナヅルは約半数に当たるという。毎年、大空を渡って同じ場所に戻ってくるツルを見ると、自然の不思議を感じる▼御書には「虚空に鳥の飛跡あり人此をみず・大海に魚の道あり人これをみず」(1250ページ)とある。天空を飛ぶ鳥にも、大海原を泳ぐ魚にも、人間の目には見えない道がある。同じように、たとえ見えなくとも、わが胸中に仏の生命が厳然と具わっている、との仰せだ▼社会的な地位を得る道、豊かな富を得る道など、人はそれぞれに目指し歩む道がある。では私たちが進むべきは、どんな道なのか。池田先生は「立正安国を願い、臆さず誠実に、真心を尽くして対話をする。相手がどうあれ、聡明に自信満々と、信念を語り切るのだ。これが自他共に『仏になる道』だ」とつづった▼学会創立の月・11月は目前。広布の大誓願を胸に、わが信念の道を堂々と進もう。
寸鉄 2021年10月26日
「師子奮迅之力」法華経。最後まで攻めの一手で!勇気の師子吼で断固勝つ
逆転の劇へ大空知、留萌、サロベツが総力で猛追!全国から北海道に大応援
北、足立、豊島、板橋が猛反撃!皆が執念の拡大で援軍。東京勝利断じて
列島全て大接戦。語ればまだまだ広がる。民衆パワーで栄光のゴールへ!
歩幅広げて歩けば認知症の予防に—研究。今日も学会活動にはつらつ闊歩
☆桂冠詩人40周年 勇気の舞 凱歌の行進 第13回 中国
本年は、「桂冠詩人」の称号が池田先生に贈られてから40周年。連載企画「勇気の舞 凱歌の行進」では、先生がつづった長編詩を紹介します。第13回は、中国方面の同志に詠んだ「完璧なる勝利へ 栄光の劇を!」(2003年)です。
◇人間主義の針路を示せ
中国よ!
おお
偉大なる中国よ!
君たちの活動の姿を
連想すると
私の心は嬉しい。
私の心は躍る。
◆◇◆
中国が生んだ吉田松陰は
こう賞讃されている。
「彼が一生は、
教唆者に非ず、率先者なり。
夢想者に非ず、実行者なり。
彼は未だ嘗て
背後より人を煽動せず、
彼は毎に前に立って
これを麾けり」
これが
真の革命家の方程式だ。
すべての戦野とともに
忘れ得ぬ
あの山口開拓闘争もまた
私たちは
その精神で戦った。
折伏の波は広がり
人材の石垣は築かれ
盤石の基盤は成った。
◆◇◆
中国の友よ!
今再び
新しい開拓の
その時が到来した。
かつて
岡山地区が
折伏の金字塔を
打ち立てたごとく!
中国総支部が
連続の全国制覇を果たし
三百万の達成へと
怒濤の前進を
成し遂げたごとく!
人材山脈の大中国が
広宣の新時代の開拓に
今こそ先駆するのだ。
歴史の夜明けの旭日は
いつも中国から昇る。
「環日本海の世紀」の
希望と友情の光源は
鳥取であった。
そして島根であった。
人間共和の光彩は
我らの山光の天地より
燦然と煌めき始めたのだ。
そしてまた
壊れた磁石のような
迷走する日本の行く手に
確固たる人間主義の針路をば
永遠なる平和の都・広島が
厳然と示しゆくのだ。
◆◇◆
おお
信心の帝王たる
偉大なる中国の友よ!
勝利の讃歌の音律と
交差しながら
白い光線を浴び
無数の天からの
加護と祝福を受けつつ
永遠に
楽しき栄光の劇を
展開していくのだ!
☆Switch——共育のまなざし 池田先生の励ましの言葉から 2021年10月7日
◇幼い子どもを育てる親御さんたちへ
わが子を授かってから成人するまで、どの時代も子育てに苦労はつきもの。とは言っても、「子どもが幼いうちは毎日バタバタしていて本当に大変!」という方は多いのではないでしょうか。今回の「Switch——共育のまなざし」では、幼い子どもを育てる親御さんたちに向けて池田先生が送った励ましの言葉を、『21世紀への母と子を語る』(『池田大作全集』第62巻所収)の中から抜粋して紹介します。(編集・構成=大宮将之)
◇人を育むことほど尊いことはない
◇今は基盤を築く時
<1年365日、目まぐるしい毎日を送る親御さんたちの奮闘を池田先生はたたえつつ、語りました>
皆さんは、結婚、出産、子育てと、次から次へ、新しい経験の連続でしょう。環境の変化に、戸惑うことも多いにちがいない。
毎日の生活の中で、ふと我に返った時に、「いったい自分は何をやっているのだろう?」と思うようなこともあるかもしれない。
今は、幸福の基盤を築いていく時です。まず自分の足元を固めることです。
現実の生活の中で、がっちりと根を張っていってほしい。根は見えない。建物の基礎も地中深く、人の目にふれることはない。それを築くのは、地味な作業かもしれません。
しかし、どんな立派な建物も、一朝一夕にできあがるものではない。また、いくら華やかでも、かんたんにできあがったものは、もろく、壊れやすいものです。
地道に、着実に——これは、平凡のように見えて、じつはもっとも偉大なことなのです。その繰り返しによって、揺るがぬ堅固な基礎が築かれていくのです。
太陽は、うまず、たゆまず、みずからの軌道を進み、万物を照らし、育んでいく。皆さんは"一家の太陽"です。太陽のごとく明るく、太陽のごとく力強く、太陽のごとく健康に、「きょうも、何かに挑戦しよう!」「きょうも、もう一歩進もう!」と、目標を持って、張りのある一日一日を積み重ねていってほしい。
その積み重ねによって、20年、30年と経った時、わが家庭を「幸福の殿堂」、「幸福の大樹」としていくことができるのです。
◇リズムを大切に
<子育てに家事に仕事にと、目の前のことだけで精一杯。そんな状況にある人にとっては「何かに挑戦しよう」と決意すること自体、大きな前進といえるでしょう。ある母親が、その"決意の出発の場"として「朝の勤行」を大切にしてきたことを話すと、先生はこう応えました>
「朝の勝利」は「一日の勝利」だね。「一日の勝利」の積み重ねは、やがて「人生の勝利」につながっていく。すがすがしい「一日の出発」こそ、充実の人生の秘訣です。
きょう一日がどのような一日となるかは、自分自身の朝の勤行の姿を見ると分かる。朝の勤行の姿は、その日一日の"生活の縮図"と言ってもよいでしょう。
あわてて勤行・唱題した時は、その日一日も、なんとなくあわただしく過ぎ去ってしまい、実りのない日であったと経験されたこともあるでしょう。
反対に、朗々とすがすがしく勤行・唱題をしてスタートした一日は、さわやかな充実した一日であるはずです。
祈りというのは、さまざまな思い、願いの凝縮とも言える。毎朝の祈りで、自身と一家の成長を願い、そのための目標をゆるぎなく定める。そして胸中に太陽を昇らせて、生き生きと出発していきたいものです。
<親にとって一日のリズムが大切であるように、子どもにとっても「安心して育つリズム」があります。早めに就寝することであったり、毎日なるべく決まった時間帯に朝食や夕食を取ることであったり……>
子どもが小さいうちは、とくに「睡眠」と「食事」が大切と言われている。リズム正しく、きちんと取れないと、子どもの成長に影響しかねません。生活が順調に回転するためには、おのずからリズムがある。それを身につけさせていくのが、しつけとも言えるでしょう。
それは、親と子のふれあいの中で身についていく。それもふれあう時間の長短ではなくして、子どもの生活リズムは、家庭で、親子で工夫して、知恵を働かせてつくっていくものです。子どもが、すこやかに成長するリズムを、どう確立するか。これは、親としての「戦い」の一つと考えてほしい。
◇親切と思いやり
<続いて話題は池田先生の「創作童話」を巡って。先生はこれまで未来部世代に向けて、20作以上もの創作物語をつづってきました>
子ども向けの作品を書くというのは、大人に対する以上に心を引き締めていかねば書けません。「子どもだから」などと、甘く見ることは少しもできません。子どもは、驚くほど、豊かな感受性を持っている。大人が思っている以上に、子どもは多くのことを理解しているのです。
だから私は、その子どもの心に、「勇気」と「正義」を育むために、直接、語りかける思いで、童話や物語を書いてきました。
<平和の尊さを伝える作品『少年とさくら』(1974年発表)も、その一つ。わが子に何度も読み聞かせてきたという母親の話に耳を傾けながら、先生は言葉を継ぎました>
戦争の悪と戦い、平和を訴えた作品といえば、喜劇王チャップリンの「独裁者」があります。これは、第2次世界大戦が始まった翌年(1940年)に制作された映画です。
この映画の中で、チャップリンはヒトラーを風刺した、ヒンケルという独裁者と、ヒンケルと瓜二つのユダヤ人の二役を演じている。
<チャップリン扮する、ヒンケルと取りちがえられたユダヤ人が、独裁者を否定して戦争反対の演説をするラストシーンは有名です>
当時、独裁者ヒトラーは日の出の勢いだった。この映画は、チャップリンにとって命懸けだったのです。その演説の最後にチャップリンは、「ハンナ、ぼくの声が聞こえるかい?」と呼びかけている。ハンナとは、映画に出てくる恋人の名だが、じつは、チャップリンのお母さんの名前だったのです。
「ハナ(ハンナ)、ぼくの声が聞こえるかい? いまどこにいようと、さあ、顔を上げて! 見上げてごらんよ、ハナ! 雲が切れるよ! 光が射してきたよ! やみが去って、僕たちの上にも光が輝くんだ! 欲望と憎しみと残忍さをなくした、よりよい世界がやってくるよ。見上げてごらん、ハナ!」(ラジ・サクラニー『チャップリン——ほほえみとひとつぶの涙を』上田まさ子訳、佑学社)
画面は、雲の流れる空。チャップリンはきっと、天にいるお母さんに向かって呼びかけたのでしょう。波瀾万丈の人生を歩んだ、チャップリンを支えたのは「母の愛」でした。その「母の愛」が、人間性を踏みにじる「独裁者」との戦いへとチャップリンを駆りたてたのです。
また、チャップリンは演説のなかで、こう言っている。「知識はわたしたちに冷ややかな目を与え、知恵はわたしたちを非情で冷酷にしました。考えるばかりで、思いやりがなくなってしまいました。わたしたちに必要なのは、機械ではなく、人間性です。頭のよさよりも親切と思いやりが必要なのです」(同)
◇わが命を何に使うか
<「人間性」「思いやり」を、子どもの心に育んでいけるかどうか。現代は親の負担が増えているだけに、地域や社会全体で子どもを育てていくことが重要でしょう。創価学会が果たすべき使命と役割も、そこにあります。池田先生は訴えました>
人を育てるのは、楽なことではありません。ともすれば、たいへんな疲労をともなうこともある。
しかし、命を削るような労苦なくして、本当に人を育てることなどできません。日蓮大聖人は「命限り有り惜む可からず」(御書955ページ)と仰せです。命には限りがある。惜しんではならない。だからこそ、何に命を使うかが重要なのです。
「人間を育てる」ことこそ、最高に尊いことではないだろうか。
◆◇◆
私は今、「命を惜しまず」教育に情熱をそそいでいこうと思っています。人生最終の事業を「教育」と決めているからです。
私は、晩年の戸田先生の命をかけた闘争を思い出します。あれは逝去の前年、先生はすでに、立ち上がれないほど衰弱しておられた。それでも先生は、同志の待つ広島へなんとしても行こうとされていた。先生の命を危ぶみ、必死にお止めする私を、先生は叱咤された。
「行く、行かなければならんのだ!」「同志が待っている。……死んでも俺を行かせてくれ。死んだら、あとはみんなで仲よくやってゆけ。死なずに帰ったなら、新たな決意で新たな組織を創ろう……」
最後の最後まで、命をふりしぼって同志に尽くそうとした恩師の姿を、私は忘れることはできません。
最大に発揮してこそ
不可能は可能になる。
「あと一歩」「もう一歩」
広布の山を越えゆこう!
兄弟抄 P1083
『各各随分に法華経を信ぜられつるゆへに過去の重罪をせめいだし給いて候、たとへばくろがねをよくよくきたへばきずのあらわるるがごとし、石はやけばはいとなる金はやけば真金となる』
【通解】
各々(池上兄弟)は、随分と法華経を信ぜられたために、現世において、過去世の重罪を招き出した。譬えてみれば、鉄をよくよく鍛えると、その疵が顕れるようなものである。石は焼けば灰となるが、金は焼けば(不純物が取り除かれて)真金となる。
名字の言 今年も"冬の使者"ツルが飛来 2021年10月26日
"冬の使者"が到来した。先日、国内最大のツルの越冬地である鹿児島県の出水平野で、今季初となるナベヅル17羽の飛来が確認された。昨シーズンまで24季連続で"万羽鶴"の飛来が続いている▼夏を過ごしたロシアや中国などからやって来るナベヅルは約9000羽、マナヅルが約3000羽。これは世界のナベヅルの8割以上、マナヅルは約半数に当たるという。毎年、大空を渡って同じ場所に戻ってくるツルを見ると、自然の不思議を感じる▼御書には「虚空に鳥の飛跡あり人此をみず・大海に魚の道あり人これをみず」(1250ページ)とある。天空を飛ぶ鳥にも、大海原を泳ぐ魚にも、人間の目には見えない道がある。同じように、たとえ見えなくとも、わが胸中に仏の生命が厳然と具わっている、との仰せだ▼社会的な地位を得る道、豊かな富を得る道など、人はそれぞれに目指し歩む道がある。では私たちが進むべきは、どんな道なのか。池田先生は「立正安国を願い、臆さず誠実に、真心を尽くして対話をする。相手がどうあれ、聡明に自信満々と、信念を語り切るのだ。これが自他共に『仏になる道』だ」とつづった▼学会創立の月・11月は目前。広布の大誓願を胸に、わが信念の道を堂々と進もう。
寸鉄 2021年10月26日
「師子奮迅之力」法華経。最後まで攻めの一手で!勇気の師子吼で断固勝つ
逆転の劇へ大空知、留萌、サロベツが総力で猛追!全国から北海道に大応援
北、足立、豊島、板橋が猛反撃!皆が執念の拡大で援軍。東京勝利断じて
列島全て大接戦。語ればまだまだ広がる。民衆パワーで栄光のゴールへ!
歩幅広げて歩けば認知症の予防に—研究。今日も学会活動にはつらつ闊歩
☆桂冠詩人40周年 勇気の舞 凱歌の行進 第13回 中国
本年は、「桂冠詩人」の称号が池田先生に贈られてから40周年。連載企画「勇気の舞 凱歌の行進」では、先生がつづった長編詩を紹介します。第13回は、中国方面の同志に詠んだ「完璧なる勝利へ 栄光の劇を!」(2003年)です。
◇人間主義の針路を示せ
中国よ!
おお
偉大なる中国よ!
君たちの活動の姿を
連想すると
私の心は嬉しい。
私の心は躍る。
◆◇◆
中国が生んだ吉田松陰は
こう賞讃されている。
「彼が一生は、
教唆者に非ず、率先者なり。
夢想者に非ず、実行者なり。
彼は未だ嘗て
背後より人を煽動せず、
彼は毎に前に立って
これを麾けり」
これが
真の革命家の方程式だ。
すべての戦野とともに
忘れ得ぬ
あの山口開拓闘争もまた
私たちは
その精神で戦った。
折伏の波は広がり
人材の石垣は築かれ
盤石の基盤は成った。
◆◇◆
中国の友よ!
今再び
新しい開拓の
その時が到来した。
かつて
岡山地区が
折伏の金字塔を
打ち立てたごとく!
中国総支部が
連続の全国制覇を果たし
三百万の達成へと
怒濤の前進を
成し遂げたごとく!
人材山脈の大中国が
広宣の新時代の開拓に
今こそ先駆するのだ。
歴史の夜明けの旭日は
いつも中国から昇る。
「環日本海の世紀」の
希望と友情の光源は
鳥取であった。
そして島根であった。
人間共和の光彩は
我らの山光の天地より
燦然と煌めき始めたのだ。
そしてまた
壊れた磁石のような
迷走する日本の行く手に
確固たる人間主義の針路をば
永遠なる平和の都・広島が
厳然と示しゆくのだ。
◆◇◆
おお
信心の帝王たる
偉大なる中国の友よ!
勝利の讃歌の音律と
交差しながら
白い光線を浴び
無数の天からの
加護と祝福を受けつつ
永遠に
楽しき栄光の劇を
展開していくのだ!
☆Switch——共育のまなざし 池田先生の励ましの言葉から 2021年10月7日
◇幼い子どもを育てる親御さんたちへ
わが子を授かってから成人するまで、どの時代も子育てに苦労はつきもの。とは言っても、「子どもが幼いうちは毎日バタバタしていて本当に大変!」という方は多いのではないでしょうか。今回の「Switch——共育のまなざし」では、幼い子どもを育てる親御さんたちに向けて池田先生が送った励ましの言葉を、『21世紀への母と子を語る』(『池田大作全集』第62巻所収)の中から抜粋して紹介します。(編集・構成=大宮将之)
◇人を育むことほど尊いことはない
◇今は基盤を築く時
<1年365日、目まぐるしい毎日を送る親御さんたちの奮闘を池田先生はたたえつつ、語りました>
皆さんは、結婚、出産、子育てと、次から次へ、新しい経験の連続でしょう。環境の変化に、戸惑うことも多いにちがいない。
毎日の生活の中で、ふと我に返った時に、「いったい自分は何をやっているのだろう?」と思うようなこともあるかもしれない。
今は、幸福の基盤を築いていく時です。まず自分の足元を固めることです。
現実の生活の中で、がっちりと根を張っていってほしい。根は見えない。建物の基礎も地中深く、人の目にふれることはない。それを築くのは、地味な作業かもしれません。
しかし、どんな立派な建物も、一朝一夕にできあがるものではない。また、いくら華やかでも、かんたんにできあがったものは、もろく、壊れやすいものです。
地道に、着実に——これは、平凡のように見えて、じつはもっとも偉大なことなのです。その繰り返しによって、揺るがぬ堅固な基礎が築かれていくのです。
太陽は、うまず、たゆまず、みずからの軌道を進み、万物を照らし、育んでいく。皆さんは"一家の太陽"です。太陽のごとく明るく、太陽のごとく力強く、太陽のごとく健康に、「きょうも、何かに挑戦しよう!」「きょうも、もう一歩進もう!」と、目標を持って、張りのある一日一日を積み重ねていってほしい。
その積み重ねによって、20年、30年と経った時、わが家庭を「幸福の殿堂」、「幸福の大樹」としていくことができるのです。
◇リズムを大切に
<子育てに家事に仕事にと、目の前のことだけで精一杯。そんな状況にある人にとっては「何かに挑戦しよう」と決意すること自体、大きな前進といえるでしょう。ある母親が、その"決意の出発の場"として「朝の勤行」を大切にしてきたことを話すと、先生はこう応えました>
「朝の勝利」は「一日の勝利」だね。「一日の勝利」の積み重ねは、やがて「人生の勝利」につながっていく。すがすがしい「一日の出発」こそ、充実の人生の秘訣です。
きょう一日がどのような一日となるかは、自分自身の朝の勤行の姿を見ると分かる。朝の勤行の姿は、その日一日の"生活の縮図"と言ってもよいでしょう。
あわてて勤行・唱題した時は、その日一日も、なんとなくあわただしく過ぎ去ってしまい、実りのない日であったと経験されたこともあるでしょう。
反対に、朗々とすがすがしく勤行・唱題をしてスタートした一日は、さわやかな充実した一日であるはずです。
祈りというのは、さまざまな思い、願いの凝縮とも言える。毎朝の祈りで、自身と一家の成長を願い、そのための目標をゆるぎなく定める。そして胸中に太陽を昇らせて、生き生きと出発していきたいものです。
<親にとって一日のリズムが大切であるように、子どもにとっても「安心して育つリズム」があります。早めに就寝することであったり、毎日なるべく決まった時間帯に朝食や夕食を取ることであったり……>
子どもが小さいうちは、とくに「睡眠」と「食事」が大切と言われている。リズム正しく、きちんと取れないと、子どもの成長に影響しかねません。生活が順調に回転するためには、おのずからリズムがある。それを身につけさせていくのが、しつけとも言えるでしょう。
それは、親と子のふれあいの中で身についていく。それもふれあう時間の長短ではなくして、子どもの生活リズムは、家庭で、親子で工夫して、知恵を働かせてつくっていくものです。子どもが、すこやかに成長するリズムを、どう確立するか。これは、親としての「戦い」の一つと考えてほしい。
◇親切と思いやり
<続いて話題は池田先生の「創作童話」を巡って。先生はこれまで未来部世代に向けて、20作以上もの創作物語をつづってきました>
子ども向けの作品を書くというのは、大人に対する以上に心を引き締めていかねば書けません。「子どもだから」などと、甘く見ることは少しもできません。子どもは、驚くほど、豊かな感受性を持っている。大人が思っている以上に、子どもは多くのことを理解しているのです。
だから私は、その子どもの心に、「勇気」と「正義」を育むために、直接、語りかける思いで、童話や物語を書いてきました。
<平和の尊さを伝える作品『少年とさくら』(1974年発表)も、その一つ。わが子に何度も読み聞かせてきたという母親の話に耳を傾けながら、先生は言葉を継ぎました>
戦争の悪と戦い、平和を訴えた作品といえば、喜劇王チャップリンの「独裁者」があります。これは、第2次世界大戦が始まった翌年(1940年)に制作された映画です。
この映画の中で、チャップリンはヒトラーを風刺した、ヒンケルという独裁者と、ヒンケルと瓜二つのユダヤ人の二役を演じている。
<チャップリン扮する、ヒンケルと取りちがえられたユダヤ人が、独裁者を否定して戦争反対の演説をするラストシーンは有名です>
当時、独裁者ヒトラーは日の出の勢いだった。この映画は、チャップリンにとって命懸けだったのです。その演説の最後にチャップリンは、「ハンナ、ぼくの声が聞こえるかい?」と呼びかけている。ハンナとは、映画に出てくる恋人の名だが、じつは、チャップリンのお母さんの名前だったのです。
「ハナ(ハンナ)、ぼくの声が聞こえるかい? いまどこにいようと、さあ、顔を上げて! 見上げてごらんよ、ハナ! 雲が切れるよ! 光が射してきたよ! やみが去って、僕たちの上にも光が輝くんだ! 欲望と憎しみと残忍さをなくした、よりよい世界がやってくるよ。見上げてごらん、ハナ!」(ラジ・サクラニー『チャップリン——ほほえみとひとつぶの涙を』上田まさ子訳、佑学社)
画面は、雲の流れる空。チャップリンはきっと、天にいるお母さんに向かって呼びかけたのでしょう。波瀾万丈の人生を歩んだ、チャップリンを支えたのは「母の愛」でした。その「母の愛」が、人間性を踏みにじる「独裁者」との戦いへとチャップリンを駆りたてたのです。
また、チャップリンは演説のなかで、こう言っている。「知識はわたしたちに冷ややかな目を与え、知恵はわたしたちを非情で冷酷にしました。考えるばかりで、思いやりがなくなってしまいました。わたしたちに必要なのは、機械ではなく、人間性です。頭のよさよりも親切と思いやりが必要なのです」(同)
◇わが命を何に使うか
<「人間性」「思いやり」を、子どもの心に育んでいけるかどうか。現代は親の負担が増えているだけに、地域や社会全体で子どもを育てていくことが重要でしょう。創価学会が果たすべき使命と役割も、そこにあります。池田先生は訴えました>
人を育てるのは、楽なことではありません。ともすれば、たいへんな疲労をともなうこともある。
しかし、命を削るような労苦なくして、本当に人を育てることなどできません。日蓮大聖人は「命限り有り惜む可からず」(御書955ページ)と仰せです。命には限りがある。惜しんではならない。だからこそ、何に命を使うかが重要なのです。
「人間を育てる」ことこそ、最高に尊いことではないだろうか。
◆◇◆
私は今、「命を惜しまず」教育に情熱をそそいでいこうと思っています。人生最終の事業を「教育」と決めているからです。
私は、晩年の戸田先生の命をかけた闘争を思い出します。あれは逝去の前年、先生はすでに、立ち上がれないほど衰弱しておられた。それでも先生は、同志の待つ広島へなんとしても行こうとされていた。先生の命を危ぶみ、必死にお止めする私を、先生は叱咤された。
「行く、行かなければならんのだ!」「同志が待っている。……死んでも俺を行かせてくれ。死んだら、あとはみんなで仲よくやってゆけ。死なずに帰ったなら、新たな決意で新たな組織を創ろう……」
最後の最後まで、命をふりしぼって同志に尽くそうとした恩師の姿を、私は忘れることはできません。
2021年10月25日月曜日
2021.10.25 わが友に贈る
◇今週のことば
「国の為 法の為 人の為」
師子奮迅の地涌の誉れよ!
諸天も諸仏も必ず動く。
皆で悔いなく戦い切って
広布と人生の凱歌を!
2021年10月25日
辧殿御消息 P1225
『おのおのは随分の日蓮がかたうどなり、しかるをなづきをくだきていのるにいままでしるしのなきはこの中に心のひるがへる人の有るとをぼへ候ぞ、をもいあわぬ人をいのるは水の上に火をたき空にいゑをつくるなり』
【通解】
各々方(河辺殿等の四人)は、それぞれに日蓮の大切な味方である。そうであるのに、頭を砕くほど真剣に祈っても今まで験がないのは、この中に信心退転の者がいると思われるのである。思いの応じ合わない人を祈るのは、水の上で火をたき、空中に家を建てるようなものである。
名字の言 相手と心を通わせるには…… 2021年10月25日
「ホンネの交流がない淋しさや、つながりに絶えず縛られて気をつかうばかりの鬱陶しさを、だれもがどこかで感じている」と、心理学博士の榎本博明氏は現代人の心象風景を語る▼一見、にぎやかに話しているようでも、気持ちがつながっていない場合がある。そこには、傷つく・傷つけることを防ぐために、互いの気持ちに立ち入らない「予防としてのやさしさ」が働いているという▼だがそれでは、いつまでも気を使うばかり。氏は「こちらから一歩踏み出すこと」を提案する。そうすれば、相手はうれしいだけでなく、自己開示をしたくなることが研究によって分かっている(『「対人不安」って何だろう?』ちくまプリマー新書)。相手と心を通わせるには、まず自分が心を開くことだ▼釈尊は「自分から話し掛ける人」だった。悟りの地から約250キロもの距離を歩き、5人の旧友に法を説いた。話に納得した旧友たちは、やがて釈尊の弟子に。その後も釈尊は各地へ説法に歩いた▼御書に「日蓮は、この法門を語ってきたので、他の人と比較にならないほど、多くの人に会ってきた」(1418ページ、通解)と。人と会い語る。ここに仏法の魂がある。開かれた心で、語りに語る"対話の秋"に!
寸鉄 2021年10月25日
信心とは何があろうと勝つと心を決めることだ—恩師。さあ本領発揮の時
大空知、留萌、サロベツの情勢緊迫。全国が大声援。北海天地に大勝旗を必ず
東京の北、足立、豊島、板橋が重大局面。逆転へ一丸の押し上げを今こそ
列島各地、どこも激戦。全同志の総立ちの拡大で反転攻勢を!栄冠を断固
ワクチン確保の道開いた公明が日本救った—識者語れば刺さる確かな実績
〈社説〉 2021・10・25 「望まない孤独」をなくす
◇「話を聞くこと」が"万の力"
政府は今年2月、「孤独・孤立対策担当室」を新設した。背景には昨年、コロナ禍で国内自殺者数が11年ぶりに増加したことや、格差や不寛容、差別、虐待などによる生きづらさがある。
各種調査においても「20代〜30代の若年層の2人に1人が日常において孤独を感じている」(野村総合研究所)、「男性・高齢であるほど社会的孤立に陥りやすく、孤独感に深刻な影響」(東京都健康長寿医療センター研究所)など、孤独感の広がりは顕著だ。「孤独」とは特定の境遇の人だけが陥るのではなく、誰もが直面しうる問題と言えるかもしれない。
インターネット上で悩み事の相談を受けるNPO法人理事長の大空幸星さんは、「望まない孤独」という表現を用いている。「孤立」とは客観的に判断できることだが、「孤独」とは、周りに家族や友人がいたとしても、「頼りたくても頼れない、信頼できる人がいない」状態を指すとしている。
多くの相談を受けてきた大空さんが本紙で強調したのは、「話を聞く」姿勢に徹すること。相談者が求めているのは、アドバイスよりも、まず話を聞いてほしい、今の自分の苦しみを知ってほしいということだ。「もしもの時に話を聞いてもらえる場所がある——そうした安心感を与えることが、とても大きな力になる」と語った。
仏法では、慈悲の具体的な実践として「抜苦与楽(苦を抜き、楽を与えること)」を説く。それは目の前で苦しむ人に寄り添おうとする「同苦」の振る舞いである。
学会活動で多くの友と関わる中で、自分が経験したことのないような悩みを打ち明けられることもあるだろう。しかし、たとえ具体的なアドバイスはできなくても、真摯に耳を傾け、相手の悩みを受け止めることはできる。悩んでいる人を救えるのは、同じ悩みを乗り越えた人だけとは限らない。池田先生は「(相手の話を)聞いてあげること自体が、仏法で説く慈悲の実践、『抜苦与楽』の『抜苦』となるのだ」とつづっている。
誰もが孤独と"隣り合わせ"の現代、人とのつながりを最も大切にする創価の励まし運動の力は大きい。相手を心から敬い、じっくり話を聞く。それは時に、言葉を掛ける以上の励まし——"万の力"となる。「聞いてもらえて、よかった」。そんな安心感をもたらす励ましの名手でありたい。
☆ロータスラウンジ——法華経への旅 第30回 嘱累品第二十二
◇仏の願い、師匠の願いはただ「広宣流布」にある。ゆえに弘教に走ることが「報恩」
法華経について、皆で学び、深めよう——「ロータスラウンジ——法華経への旅」の第30回は、「嘱累品第二十二」です。
■大要
釈尊が、無量の菩薩の頭をなで、"一心に、この経を弘めていきなさい"と語ります。それに応え、菩薩たちが"釈尊の仰せの通りに実践します!"と、誓います。それでは内容を追ってみましょう。
●シーン1
その時、釈尊は、座から立ち上がり、偉大な力を現します。右手で無量の菩薩の頭をなでて語ります。
「私が無量百千万億阿僧祇劫という久遠の昔に修行した、阿耨多羅三藐三菩提(完全な覚り)の法を、今、あなたたちに付嘱する(教えを弘めるように託す)。
この法を、一心に流布して、広く人々に利益を与えていきなさい」
このように3度、菩薩たちの頭をなでて、述べます。
「私が無量百千万億阿僧祇劫という久遠の昔に修行した、阿耨多羅三藐三菩提の法を、今、あなたたちに付嘱する。
この経を受持・読誦し、広くこの法を語って、一切衆生が聞き、知ることができるようにしなさい」
そして、その理由を語ります。
「仏は大慈悲があり、物惜しみすることも、また畏れることもなく、衆生に仏の智慧を与える。仏は一切衆生の大施主である。それに従って仏の法を学び、物惜しみしてはならない。
未来において、法華経を信じる男女が、仏の智慧を信じるならば、その人に仏の智慧を得させるために、法華経を説き、聞き知ることができるようにしなさい。
もし、人々がこの経を信じ、受けるならば、仏の深き法の中において、教えを示し、利益を与え、歓喜させるべきである。
このようにするならば、諸仏の恩を報ずることになる」
●シーン2
菩薩たちは皆、釈尊の説法を聞き終わって、大歓喜します。
ますます仏を敬うようになり、体を曲げて頭を下げ、手を合わせて、共に語ります。
「釈尊の仰せの通りに実践します。仰せのままにします。
釈尊よ、どうか心を煩わされませんように」
菩薩たちは、このように3度、共に声を上げます。
「釈尊の仰せの通りに実践します。仰せのままにします。
釈尊よ、どうか心を煩わされませんように」
●シーン3
その時、釈尊は、十方より集まってきた分身の仏たちを、それぞれの本土に帰し、宝塔を元通りにするように語ります。
最後に、十方の無量の分身の仏や、多宝仏と上行菩薩をはじめとする無量の菩薩たち、舎利弗などの声聞、四衆、一切世間の天界・人界・修羅界の人々など、生きとし生けるものが、仏の説法を聞いて大歓喜します。
■総付嘱
「嘱累品」での付嘱は、釈尊に教化された本化(地涌)と、迹仏に教化された迹化の両方を含めた無量の菩薩に付嘱されたので、総付嘱といいます。
日蓮大聖人は、付嘱の光景を次のように記されています。
「嘱累品の心は、釈尊が虚空に立たれて、四百万億那由他の世界一面に、武蔵野の芒のように、富士山の木のように群がり、膝を詰め寄せ、頭を地につけ、身をかがめて、手を合わせ、汗を流して、釈尊の前に露のようにおびただしく集まった上行菩薩等や文殊等、大梵天王・帝釈・日月・四天王・竜王・十羅刹女等に法華経を譲るため、3度も頂をなでられたことにある。たとえば、悲母が子どもの髪をなでるようなものである。その時に、上行や日月天等は、かたじけない仰せを受けて、法華経を滅後末代に弘通することを誓われたのである」(御書1245ページ、通解)
菩薩の頭を3回なでられたことについては、「御義口伝」に「三摩の付嘱とは身口意三業三諦三観と付嘱し給う事なり」(同772ページ)と記されています。
池田先生は、次のように教えられています。
「弟子の立場から言えば、師の教えを『身』で行じ、『口』で行じ、『意』で行じて、一心三観の智慧を得ていく。すなわち自分の仏界を無量に開いていく——そういう意味になるでしょう」
「『弘教』です。広宣流布に動いていくことです。広宣流布に連なった『身』『口』『意』の三業は、塵も残さず、全部、大功徳に変わる」
付嘱といっても、託される側が、広布の戦いを起こしてこそ、法を受け継ぐことができるのです。
■嘱累
品の題名である「嘱累」の「嘱」には「たのむ」「まかせる」「たくす」など、「累」には「かさなる」の他に「つなぐ」「わずらわす」という意味があります。つまり「嘱累」には、"大変だが、弘通を頼む"という意味合いがあるのです。
また、嘱累品は、弟子の末法弘通の誓いで終わっています。
池田先生は「弟子の側から言えば、『私が全部、苦労を担っていきます』というのが『嘱累』です。それで師弟相対になる。師弟というのは、厳粛なものです。師の一言でも、どれだけ真剣に受けとめているか。『すべて実行しよう』と受けとめるのが弟子です」と。
「嘱累品」は、師から弟子へ法を託し、弟子が師に誓いを立てる——歓喜に彩られた"師弟の品"とも言えるのです。
【『法華経の智慧』から】 弟子の自覚を
慈悲と言っても、凡夫には慈悲なんか、なかなか出るものではない。「自分は慈悲がある」なんて言うのは、たいていは偽善者です。だから慈悲に代わるものは「勇気」です。「勇気」をもって、正しいものは正しいと語っていくことが「慈悲」に通じる。表裏一体なのです。表は勇気です。
◇
嘱累品に、弘教の人は「諸仏の恩を報ず」(法華経579ページ)とある。仏の願い、師匠の願いは、ただ「広宣流布」にある。ゆえに弘教に走ることが、それこそが師匠への「報恩」になるのです。恩を忘れて仏法はない。否、人道はない。仏法は「人間の生き方」を教えたものです。ゆえに、仏法者は、だれよりも「知恩の人」「報恩の人」でなければならない。
◇
たとえ師匠から離れた地にいようとも、直接話したことがなくても、自分が弟子の「自覚」をもって、「師匠の言う通りに実行するのだ」と戦っていれば、それが師弟相対です。根幹は、師匠対自分です。
(普及版〈下〉「嘱累品」)
【コラム】 二処三会
「嘱累品」で、「宝塔品」から始まった虚空会の儀式が、終わります。この後、法華経の説法の舞台は、再び霊鷲山へと移ります。
このように説法の場所が、霊鷲山から虚空会、虚空会から霊鷲山へと、二つの場所で三つの会座があることを「二処三会」といいます。
池田先生は、「『二処三会』には、深い意義があった。それは法華経全体の構成によって、『現実の世界から〈永遠の生命の世界〉へ』(霊鷲山から虚空会へ)、そしてまた『現実の世界へ』(虚空会から霊鷲山へ)という"人間革命のリズム"を示している」
私たちにとっては、現実社会で広宣流布の苦悩を誓願の祈りに変え、生命力を満々とたたえ、再び民衆救済、立正安国へと挑んでいく。
この往復作業こそが変革への確かな道であり、その実践の中に、自身の成長と人生の充実もあるのです。
「国の為 法の為 人の為」
師子奮迅の地涌の誉れよ!
諸天も諸仏も必ず動く。
皆で悔いなく戦い切って
広布と人生の凱歌を!
2021年10月25日
辧殿御消息 P1225
『おのおのは随分の日蓮がかたうどなり、しかるをなづきをくだきていのるにいままでしるしのなきはこの中に心のひるがへる人の有るとをぼへ候ぞ、をもいあわぬ人をいのるは水の上に火をたき空にいゑをつくるなり』
【通解】
各々方(河辺殿等の四人)は、それぞれに日蓮の大切な味方である。そうであるのに、頭を砕くほど真剣に祈っても今まで験がないのは、この中に信心退転の者がいると思われるのである。思いの応じ合わない人を祈るのは、水の上で火をたき、空中に家を建てるようなものである。
名字の言 相手と心を通わせるには…… 2021年10月25日
「ホンネの交流がない淋しさや、つながりに絶えず縛られて気をつかうばかりの鬱陶しさを、だれもがどこかで感じている」と、心理学博士の榎本博明氏は現代人の心象風景を語る▼一見、にぎやかに話しているようでも、気持ちがつながっていない場合がある。そこには、傷つく・傷つけることを防ぐために、互いの気持ちに立ち入らない「予防としてのやさしさ」が働いているという▼だがそれでは、いつまでも気を使うばかり。氏は「こちらから一歩踏み出すこと」を提案する。そうすれば、相手はうれしいだけでなく、自己開示をしたくなることが研究によって分かっている(『「対人不安」って何だろう?』ちくまプリマー新書)。相手と心を通わせるには、まず自分が心を開くことだ▼釈尊は「自分から話し掛ける人」だった。悟りの地から約250キロもの距離を歩き、5人の旧友に法を説いた。話に納得した旧友たちは、やがて釈尊の弟子に。その後も釈尊は各地へ説法に歩いた▼御書に「日蓮は、この法門を語ってきたので、他の人と比較にならないほど、多くの人に会ってきた」(1418ページ、通解)と。人と会い語る。ここに仏法の魂がある。開かれた心で、語りに語る"対話の秋"に!
寸鉄 2021年10月25日
信心とは何があろうと勝つと心を決めることだ—恩師。さあ本領発揮の時
大空知、留萌、サロベツの情勢緊迫。全国が大声援。北海天地に大勝旗を必ず
東京の北、足立、豊島、板橋が重大局面。逆転へ一丸の押し上げを今こそ
列島各地、どこも激戦。全同志の総立ちの拡大で反転攻勢を!栄冠を断固
ワクチン確保の道開いた公明が日本救った—識者語れば刺さる確かな実績
〈社説〉 2021・10・25 「望まない孤独」をなくす
◇「話を聞くこと」が"万の力"
政府は今年2月、「孤独・孤立対策担当室」を新設した。背景には昨年、コロナ禍で国内自殺者数が11年ぶりに増加したことや、格差や不寛容、差別、虐待などによる生きづらさがある。
各種調査においても「20代〜30代の若年層の2人に1人が日常において孤独を感じている」(野村総合研究所)、「男性・高齢であるほど社会的孤立に陥りやすく、孤独感に深刻な影響」(東京都健康長寿医療センター研究所)など、孤独感の広がりは顕著だ。「孤独」とは特定の境遇の人だけが陥るのではなく、誰もが直面しうる問題と言えるかもしれない。
インターネット上で悩み事の相談を受けるNPO法人理事長の大空幸星さんは、「望まない孤独」という表現を用いている。「孤立」とは客観的に判断できることだが、「孤独」とは、周りに家族や友人がいたとしても、「頼りたくても頼れない、信頼できる人がいない」状態を指すとしている。
多くの相談を受けてきた大空さんが本紙で強調したのは、「話を聞く」姿勢に徹すること。相談者が求めているのは、アドバイスよりも、まず話を聞いてほしい、今の自分の苦しみを知ってほしいということだ。「もしもの時に話を聞いてもらえる場所がある——そうした安心感を与えることが、とても大きな力になる」と語った。
仏法では、慈悲の具体的な実践として「抜苦与楽(苦を抜き、楽を与えること)」を説く。それは目の前で苦しむ人に寄り添おうとする「同苦」の振る舞いである。
学会活動で多くの友と関わる中で、自分が経験したことのないような悩みを打ち明けられることもあるだろう。しかし、たとえ具体的なアドバイスはできなくても、真摯に耳を傾け、相手の悩みを受け止めることはできる。悩んでいる人を救えるのは、同じ悩みを乗り越えた人だけとは限らない。池田先生は「(相手の話を)聞いてあげること自体が、仏法で説く慈悲の実践、『抜苦与楽』の『抜苦』となるのだ」とつづっている。
誰もが孤独と"隣り合わせ"の現代、人とのつながりを最も大切にする創価の励まし運動の力は大きい。相手を心から敬い、じっくり話を聞く。それは時に、言葉を掛ける以上の励まし——"万の力"となる。「聞いてもらえて、よかった」。そんな安心感をもたらす励ましの名手でありたい。
☆ロータスラウンジ——法華経への旅 第30回 嘱累品第二十二
◇仏の願い、師匠の願いはただ「広宣流布」にある。ゆえに弘教に走ることが「報恩」
法華経について、皆で学び、深めよう——「ロータスラウンジ——法華経への旅」の第30回は、「嘱累品第二十二」です。
■大要
釈尊が、無量の菩薩の頭をなで、"一心に、この経を弘めていきなさい"と語ります。それに応え、菩薩たちが"釈尊の仰せの通りに実践します!"と、誓います。それでは内容を追ってみましょう。
●シーン1
その時、釈尊は、座から立ち上がり、偉大な力を現します。右手で無量の菩薩の頭をなでて語ります。
「私が無量百千万億阿僧祇劫という久遠の昔に修行した、阿耨多羅三藐三菩提(完全な覚り)の法を、今、あなたたちに付嘱する(教えを弘めるように託す)。
この法を、一心に流布して、広く人々に利益を与えていきなさい」
このように3度、菩薩たちの頭をなでて、述べます。
「私が無量百千万億阿僧祇劫という久遠の昔に修行した、阿耨多羅三藐三菩提の法を、今、あなたたちに付嘱する。
この経を受持・読誦し、広くこの法を語って、一切衆生が聞き、知ることができるようにしなさい」
そして、その理由を語ります。
「仏は大慈悲があり、物惜しみすることも、また畏れることもなく、衆生に仏の智慧を与える。仏は一切衆生の大施主である。それに従って仏の法を学び、物惜しみしてはならない。
未来において、法華経を信じる男女が、仏の智慧を信じるならば、その人に仏の智慧を得させるために、法華経を説き、聞き知ることができるようにしなさい。
もし、人々がこの経を信じ、受けるならば、仏の深き法の中において、教えを示し、利益を与え、歓喜させるべきである。
このようにするならば、諸仏の恩を報ずることになる」
●シーン2
菩薩たちは皆、釈尊の説法を聞き終わって、大歓喜します。
ますます仏を敬うようになり、体を曲げて頭を下げ、手を合わせて、共に語ります。
「釈尊の仰せの通りに実践します。仰せのままにします。
釈尊よ、どうか心を煩わされませんように」
菩薩たちは、このように3度、共に声を上げます。
「釈尊の仰せの通りに実践します。仰せのままにします。
釈尊よ、どうか心を煩わされませんように」
●シーン3
その時、釈尊は、十方より集まってきた分身の仏たちを、それぞれの本土に帰し、宝塔を元通りにするように語ります。
最後に、十方の無量の分身の仏や、多宝仏と上行菩薩をはじめとする無量の菩薩たち、舎利弗などの声聞、四衆、一切世間の天界・人界・修羅界の人々など、生きとし生けるものが、仏の説法を聞いて大歓喜します。
■総付嘱
「嘱累品」での付嘱は、釈尊に教化された本化(地涌)と、迹仏に教化された迹化の両方を含めた無量の菩薩に付嘱されたので、総付嘱といいます。
日蓮大聖人は、付嘱の光景を次のように記されています。
「嘱累品の心は、釈尊が虚空に立たれて、四百万億那由他の世界一面に、武蔵野の芒のように、富士山の木のように群がり、膝を詰め寄せ、頭を地につけ、身をかがめて、手を合わせ、汗を流して、釈尊の前に露のようにおびただしく集まった上行菩薩等や文殊等、大梵天王・帝釈・日月・四天王・竜王・十羅刹女等に法華経を譲るため、3度も頂をなでられたことにある。たとえば、悲母が子どもの髪をなでるようなものである。その時に、上行や日月天等は、かたじけない仰せを受けて、法華経を滅後末代に弘通することを誓われたのである」(御書1245ページ、通解)
菩薩の頭を3回なでられたことについては、「御義口伝」に「三摩の付嘱とは身口意三業三諦三観と付嘱し給う事なり」(同772ページ)と記されています。
池田先生は、次のように教えられています。
「弟子の立場から言えば、師の教えを『身』で行じ、『口』で行じ、『意』で行じて、一心三観の智慧を得ていく。すなわち自分の仏界を無量に開いていく——そういう意味になるでしょう」
「『弘教』です。広宣流布に動いていくことです。広宣流布に連なった『身』『口』『意』の三業は、塵も残さず、全部、大功徳に変わる」
付嘱といっても、託される側が、広布の戦いを起こしてこそ、法を受け継ぐことができるのです。
■嘱累
品の題名である「嘱累」の「嘱」には「たのむ」「まかせる」「たくす」など、「累」には「かさなる」の他に「つなぐ」「わずらわす」という意味があります。つまり「嘱累」には、"大変だが、弘通を頼む"という意味合いがあるのです。
また、嘱累品は、弟子の末法弘通の誓いで終わっています。
池田先生は「弟子の側から言えば、『私が全部、苦労を担っていきます』というのが『嘱累』です。それで師弟相対になる。師弟というのは、厳粛なものです。師の一言でも、どれだけ真剣に受けとめているか。『すべて実行しよう』と受けとめるのが弟子です」と。
「嘱累品」は、師から弟子へ法を託し、弟子が師に誓いを立てる——歓喜に彩られた"師弟の品"とも言えるのです。
【『法華経の智慧』から】 弟子の自覚を
慈悲と言っても、凡夫には慈悲なんか、なかなか出るものではない。「自分は慈悲がある」なんて言うのは、たいていは偽善者です。だから慈悲に代わるものは「勇気」です。「勇気」をもって、正しいものは正しいと語っていくことが「慈悲」に通じる。表裏一体なのです。表は勇気です。
◇
嘱累品に、弘教の人は「諸仏の恩を報ず」(法華経579ページ)とある。仏の願い、師匠の願いは、ただ「広宣流布」にある。ゆえに弘教に走ることが、それこそが師匠への「報恩」になるのです。恩を忘れて仏法はない。否、人道はない。仏法は「人間の生き方」を教えたものです。ゆえに、仏法者は、だれよりも「知恩の人」「報恩の人」でなければならない。
◇
たとえ師匠から離れた地にいようとも、直接話したことがなくても、自分が弟子の「自覚」をもって、「師匠の言う通りに実行するのだ」と戦っていれば、それが師弟相対です。根幹は、師匠対自分です。
(普及版〈下〉「嘱累品」)
【コラム】 二処三会
「嘱累品」で、「宝塔品」から始まった虚空会の儀式が、終わります。この後、法華経の説法の舞台は、再び霊鷲山へと移ります。
このように説法の場所が、霊鷲山から虚空会、虚空会から霊鷲山へと、二つの場所で三つの会座があることを「二処三会」といいます。
池田先生は、「『二処三会』には、深い意義があった。それは法華経全体の構成によって、『現実の世界から〈永遠の生命の世界〉へ』(霊鷲山から虚空会へ)、そしてまた『現実の世界へ』(虚空会から霊鷲山へ)という"人間革命のリズム"を示している」
私たちにとっては、現実社会で広宣流布の苦悩を誓願の祈りに変え、生命力を満々とたたえ、再び民衆救済、立正安国へと挑んでいく。
この往復作業こそが変革への確かな道であり、その実践の中に、自身の成長と人生の充実もあるのです。
2021年10月24日日曜日
2021.10.24 わが友に贈る
「いかなる事ありとも・
すこしもたゆむ事なかれ」
勇気と執念の言論が
混迷の時代を照らす。
声も惜しまず語ろう!
十字御書 P1492
『今日本国の法華経をかたきとしてわざわいを千里の外よりまねきよせぬ、此れをもつてをもうに今又法華経を信ずる人はさいわいを万里の外よりあつむべし』
【通解】
今、日本の国は法華経を敵として、禍を千里の外から招き寄せています。このことから考えてみると、今また、法華経を信ずる人は幸いを万里の外から集めることでしょう。
名字の言 国内初の快挙を成し遂げた広島市の安佐動物公園 2021年10月24日
今秋、開園50周年を迎えた広島市安佐北区の安佐動物公園は、世界最大級の両生類・オオサンショウウオの飼育下繁殖を成功させたことで知られる。国内初の快挙は徹底した"現場主義"によって実現した▼当初は文献も少なく、生態は謎だらけ。ならばと職員は生息地の川に何度も入った。行動を観察する中で気付いた。"自然の巣穴と同じ構造なら繁殖するのでは?"。そこで四つの水槽をパイプでつないだ「四連繁殖水槽」を製作。8年後、ついに繁殖に成功した▼58歳で突然のリストラに遭った同区の壮年部員がいる。再就職するも慣れない夜勤で体調を崩しがちに。そんな時、本部長の任命を受けた。壮年は"全てに意味がある"と捉え、出勤前に訪問・激励に歩いた▼その中で気付いた。"同じように苦難と戦う同志がいる。共に乗り越えるために俺の悩みはあったのだ!"。壮年は同苦の励ましを貫き、その姿に皆が奮起。本部内の全ブロックに、広布に立つ5人の勇士が誕生した。今、壮年は好条件の会社に転職。信心根本に仕事で実証を示す▼座して一人悶々と悩むよりも、現実の中に飛び込み挑み抜いてこそ、つかめるものがある。"現場から学ぶ"——そこに人生の変革も広布の発展もある。
寸鉄 2021年10月24日
「但偏に思い切るべし」御書。さあ勝負を決する日曜!気迫の対話を皆で
大阪、兵庫、京都、奈良、和歌山、滋賀に常勝の旗を!関西魂の見せ所は今
愛知、静岡、岐阜、三重よ攻め込め!爆発的拡大で燦然と光る金星この手に
福岡、佐賀、長崎、熊本、大分、宮崎、鹿児島、沖縄が総力戦。逆転ここから
全国各地で反転大攻勢が急務。栄光開くのは草の根の力。全員で総当たり
☆四季の励まし 「今」「ここで」ベストを尽くせ 2021年10月17日
◇池田先生の言葉
「誰か」ではない。
「どこか」でもない。
「自分が今いる
その場所」が、
わが人生の
晴れ舞台である。
自分にしかできない
使命の劇を、
思う存分、勝ち飾るのだ。
眼前の課題に
一つ一つ挑戦し、
勝利していくなかに、
栄光の未来が開かれる。
人生の勝利者とは、
今日を勝ち抜く人である。
未来の勝利は今にある。
ゆえに、過去を振り向いて
嘆く必要もない。
いたずらに
未来に心をとらわれて、
焦りや不安を
覚える必要もない。
師匠の示した道に続いて、
今この時に、若き生命を
完全燃焼させて、
賢く朗らかに、
そして、粘り強く、
一歩また一歩、ベストを
尽くしていけばよい。
自分一人の幸せではない。
社会の平穏と繁栄を祈り、
その実現に尽くしてこそ、
真実の幸福は実現される。
また、そうした生き方を
貫いてこそ、
自己の小さな殻を
打ち破り、
本当に価値のある、
充実した人生を
築いていくことができる。
今、縁を結びゆく
一人一人を
誠実に大切にすることだ。
そして、今、
なすべきことをなし、
語るべきことを
語り切っていくことだ。
人生には、
これまでの壁を破り、
生まれ変わったように、
立ち上がるべき時がある。
今が、その時なのだ。
その原動力となるのが、
強く、正しき信仰である。
三世永遠の法則である、
大仏法への大確信なのだ。
過去の壁を破って、
決然と立ち上がれ!
自分が今いる
その場所から!
【写真説明】北海道・旭川文化会館に咲くコスモスが秋の気配を醸し出す。町並みの向こうには、山々の稜線と湧き上がる白雲。季節の交錯を捉えた味わい深い一葉は1992年(平成4年)8月31日、池田大作先生が旭川を訪れた折に撮影したもの。
同日の旭川の幹部会には留萌、稚内、名寄、士別、富良野、また天売・焼尻などの離島やサロベツ地域からも同志が参加。先生は「『信心』という『旭日』を心に昇らせれば、人生は常に新しき『黎明』を迎える」と呼び掛けた。
日蓮仏法は本因妙。決意した今、ここから勝利への回転が始まる。さあ、新しき決意で前進だ! 民衆凱歌の夜明けへ!
☆桂冠詩人40周年 勇気の舞 凱歌の行進 第11回 総東京
本年は、「桂冠詩人」の称号が池田先生に贈られてから40周年。連載企画「勇気の舞 凱歌の行進」では、先生がつづった長編詩を紹介します。第11回は、総東京の同志に詠んだ「広布の都 大東京の晴れ舞台」(2003年)です。
◇連戦連勝の広布の本陣
おお
若々しき闘争の魂が
常に燃え上がる
東京の偉大なる友よ!
旭日の光に包まれ
新しく祈り
立ち上がる
勇気ある友よ!
◆◇◆
おお
懐かしき多摩
さらには山梨
そして
我らの二十三区とが
深く固く結合して
大東京の
難攻不落の常勝城は
築かれているのだ。
おお 常勝
おお 連勝の
大東京合衆国よ!
二十三区も
第二総東京も
首都圏も
大関東も
つまり
環東京圏の中に
広宣流布の境界線は
ないのだ。
東京は
一つとなって呼吸する
巨大な心臓である。
各区が
それぞれに
共に生命を分かち合う
心房であり
心室であり
大動脈なのだ。
◆◇◆
さあ 今日は
君は北へ!
あなたは南へ!
さあ 私は
今日は東へ!
明日は西へ!
人生の目的を知った
我らは強い。
◆◇◆
おお
新鮮な自由を
勝ち取る
連戦連勝の翼の光る
東京よ!
聡明な
智慧と力と連帯をもって
黄金の勝利と
誉れ高き
豊かな王国を
建設するのだ。
そして
勇敢なる不死鳥の
魂を光らせながら
声も朗らかに
互いに顔を見合わせながら
晴れ晴れと
勝ち戦の人生を
喜び語り合っていくのだ。
◆◇◆
「人材」の東京
「団結」の東京
「日本の中心」の東京
「広布の原動力」の東京に
栄光と勝利あれ!
☆桂冠詩人40周年 勇気の舞 凱歌の行進 第12回 北海道
本年は、「桂冠詩人」の称号が池田先生に贈られてから40周年。連載企画「勇気の舞 凱歌の行進」では、先生がつづった長編詩を紹介します。第12回は、北海道の同志に詠んだ「幸光れ! 広宣の大天地」(2000年)です。
◇三代城に栄光の幸光れ
北海道!
おお
偉大なる大地の
北海道!
忍耐と希望の
栄光輝く
北海道!
北海道の友は
高く さらに高く
勝利の喇叭を
吹き鳴らしながら
広宣流布という
金色の光を浴びて
また
真昼の光を浴びて
今日も断固として
思想の光の
輝く道を走り回る。
その魂は
使命感に燃え
清く 楽しく
爽やかである。
北海道!
おお 北海道!
我らの
連綿と連なる
果てしなき大地は
みな 我らの
愉快な大舞台である。
◆◇◆
思えば
「私も
北海道の
貧しい漁師の倅だよ。
それを何よりも
誇りとしているのだ」とは
戸田先生の口癖であった。
恩師は慈父の如く
二十六歳の私を
故郷・厚田村に
連れて来てくださり
広宣の開拓を託された。
北海道は
未来の新天地だ。
多くの友をつくろう!
青年は
この広野の中を
まっしぐらに進むのだ。
雪の日も 嵐の日も!
それが青春だ。
それが若人だ。
舞台を大きく持つことだ。
正義のために!
不幸の人々のために! と。
◆◇◆
北海道!
おお
北海道よ!
若き未来の北海道よ!
雄大なる王者の
わが北海道よ!
二十一世紀の天地
北海道に栄光あれ!
未来の大天地
北海道に祝福あれ!
偉大なる
広布の大天地
北海道の全同志に
勝利あれ!
おお
光り輝く三代城に
栄光の幸 光れ!
すこしもたゆむ事なかれ」
勇気と執念の言論が
混迷の時代を照らす。
声も惜しまず語ろう!
十字御書 P1492
『今日本国の法華経をかたきとしてわざわいを千里の外よりまねきよせぬ、此れをもつてをもうに今又法華経を信ずる人はさいわいを万里の外よりあつむべし』
【通解】
今、日本の国は法華経を敵として、禍を千里の外から招き寄せています。このことから考えてみると、今また、法華経を信ずる人は幸いを万里の外から集めることでしょう。
名字の言 国内初の快挙を成し遂げた広島市の安佐動物公園 2021年10月24日
今秋、開園50周年を迎えた広島市安佐北区の安佐動物公園は、世界最大級の両生類・オオサンショウウオの飼育下繁殖を成功させたことで知られる。国内初の快挙は徹底した"現場主義"によって実現した▼当初は文献も少なく、生態は謎だらけ。ならばと職員は生息地の川に何度も入った。行動を観察する中で気付いた。"自然の巣穴と同じ構造なら繁殖するのでは?"。そこで四つの水槽をパイプでつないだ「四連繁殖水槽」を製作。8年後、ついに繁殖に成功した▼58歳で突然のリストラに遭った同区の壮年部員がいる。再就職するも慣れない夜勤で体調を崩しがちに。そんな時、本部長の任命を受けた。壮年は"全てに意味がある"と捉え、出勤前に訪問・激励に歩いた▼その中で気付いた。"同じように苦難と戦う同志がいる。共に乗り越えるために俺の悩みはあったのだ!"。壮年は同苦の励ましを貫き、その姿に皆が奮起。本部内の全ブロックに、広布に立つ5人の勇士が誕生した。今、壮年は好条件の会社に転職。信心根本に仕事で実証を示す▼座して一人悶々と悩むよりも、現実の中に飛び込み挑み抜いてこそ、つかめるものがある。"現場から学ぶ"——そこに人生の変革も広布の発展もある。
寸鉄 2021年10月24日
「但偏に思い切るべし」御書。さあ勝負を決する日曜!気迫の対話を皆で
大阪、兵庫、京都、奈良、和歌山、滋賀に常勝の旗を!関西魂の見せ所は今
愛知、静岡、岐阜、三重よ攻め込め!爆発的拡大で燦然と光る金星この手に
福岡、佐賀、長崎、熊本、大分、宮崎、鹿児島、沖縄が総力戦。逆転ここから
全国各地で反転大攻勢が急務。栄光開くのは草の根の力。全員で総当たり
☆四季の励まし 「今」「ここで」ベストを尽くせ 2021年10月17日
◇池田先生の言葉
「誰か」ではない。
「どこか」でもない。
「自分が今いる
その場所」が、
わが人生の
晴れ舞台である。
自分にしかできない
使命の劇を、
思う存分、勝ち飾るのだ。
眼前の課題に
一つ一つ挑戦し、
勝利していくなかに、
栄光の未来が開かれる。
人生の勝利者とは、
今日を勝ち抜く人である。
未来の勝利は今にある。
ゆえに、過去を振り向いて
嘆く必要もない。
いたずらに
未来に心をとらわれて、
焦りや不安を
覚える必要もない。
師匠の示した道に続いて、
今この時に、若き生命を
完全燃焼させて、
賢く朗らかに、
そして、粘り強く、
一歩また一歩、ベストを
尽くしていけばよい。
自分一人の幸せではない。
社会の平穏と繁栄を祈り、
その実現に尽くしてこそ、
真実の幸福は実現される。
また、そうした生き方を
貫いてこそ、
自己の小さな殻を
打ち破り、
本当に価値のある、
充実した人生を
築いていくことができる。
今、縁を結びゆく
一人一人を
誠実に大切にすることだ。
そして、今、
なすべきことをなし、
語るべきことを
語り切っていくことだ。
人生には、
これまでの壁を破り、
生まれ変わったように、
立ち上がるべき時がある。
今が、その時なのだ。
その原動力となるのが、
強く、正しき信仰である。
三世永遠の法則である、
大仏法への大確信なのだ。
過去の壁を破って、
決然と立ち上がれ!
自分が今いる
その場所から!
【写真説明】北海道・旭川文化会館に咲くコスモスが秋の気配を醸し出す。町並みの向こうには、山々の稜線と湧き上がる白雲。季節の交錯を捉えた味わい深い一葉は1992年(平成4年)8月31日、池田大作先生が旭川を訪れた折に撮影したもの。
同日の旭川の幹部会には留萌、稚内、名寄、士別、富良野、また天売・焼尻などの離島やサロベツ地域からも同志が参加。先生は「『信心』という『旭日』を心に昇らせれば、人生は常に新しき『黎明』を迎える」と呼び掛けた。
日蓮仏法は本因妙。決意した今、ここから勝利への回転が始まる。さあ、新しき決意で前進だ! 民衆凱歌の夜明けへ!
☆桂冠詩人40周年 勇気の舞 凱歌の行進 第11回 総東京
本年は、「桂冠詩人」の称号が池田先生に贈られてから40周年。連載企画「勇気の舞 凱歌の行進」では、先生がつづった長編詩を紹介します。第11回は、総東京の同志に詠んだ「広布の都 大東京の晴れ舞台」(2003年)です。
◇連戦連勝の広布の本陣
おお
若々しき闘争の魂が
常に燃え上がる
東京の偉大なる友よ!
旭日の光に包まれ
新しく祈り
立ち上がる
勇気ある友よ!
◆◇◆
おお
懐かしき多摩
さらには山梨
そして
我らの二十三区とが
深く固く結合して
大東京の
難攻不落の常勝城は
築かれているのだ。
おお 常勝
おお 連勝の
大東京合衆国よ!
二十三区も
第二総東京も
首都圏も
大関東も
つまり
環東京圏の中に
広宣流布の境界線は
ないのだ。
東京は
一つとなって呼吸する
巨大な心臓である。
各区が
それぞれに
共に生命を分かち合う
心房であり
心室であり
大動脈なのだ。
◆◇◆
さあ 今日は
君は北へ!
あなたは南へ!
さあ 私は
今日は東へ!
明日は西へ!
人生の目的を知った
我らは強い。
◆◇◆
おお
新鮮な自由を
勝ち取る
連戦連勝の翼の光る
東京よ!
聡明な
智慧と力と連帯をもって
黄金の勝利と
誉れ高き
豊かな王国を
建設するのだ。
そして
勇敢なる不死鳥の
魂を光らせながら
声も朗らかに
互いに顔を見合わせながら
晴れ晴れと
勝ち戦の人生を
喜び語り合っていくのだ。
◆◇◆
「人材」の東京
「団結」の東京
「日本の中心」の東京
「広布の原動力」の東京に
栄光と勝利あれ!
☆桂冠詩人40周年 勇気の舞 凱歌の行進 第12回 北海道
本年は、「桂冠詩人」の称号が池田先生に贈られてから40周年。連載企画「勇気の舞 凱歌の行進」では、先生がつづった長編詩を紹介します。第12回は、北海道の同志に詠んだ「幸光れ! 広宣の大天地」(2000年)です。
◇三代城に栄光の幸光れ
北海道!
おお
偉大なる大地の
北海道!
忍耐と希望の
栄光輝く
北海道!
北海道の友は
高く さらに高く
勝利の喇叭を
吹き鳴らしながら
広宣流布という
金色の光を浴びて
また
真昼の光を浴びて
今日も断固として
思想の光の
輝く道を走り回る。
その魂は
使命感に燃え
清く 楽しく
爽やかである。
北海道!
おお 北海道!
我らの
連綿と連なる
果てしなき大地は
みな 我らの
愉快な大舞台である。
◆◇◆
思えば
「私も
北海道の
貧しい漁師の倅だよ。
それを何よりも
誇りとしているのだ」とは
戸田先生の口癖であった。
恩師は慈父の如く
二十六歳の私を
故郷・厚田村に
連れて来てくださり
広宣の開拓を託された。
北海道は
未来の新天地だ。
多くの友をつくろう!
青年は
この広野の中を
まっしぐらに進むのだ。
雪の日も 嵐の日も!
それが青春だ。
それが若人だ。
舞台を大きく持つことだ。
正義のために!
不幸の人々のために! と。
◆◇◆
北海道!
おお
北海道よ!
若き未来の北海道よ!
雄大なる王者の
わが北海道よ!
二十一世紀の天地
北海道に栄光あれ!
未来の大天地
北海道に祝福あれ!
偉大なる
広布の大天地
北海道の全同志に
勝利あれ!
おお
光り輝く三代城に
栄光の幸 光れ!
2021年10月23日土曜日
2021.10.23 わが友に贈る
「遂に願う可きは仏国也」
創価の柱の壮年部よ
黄金に輝く時は今だ!
地涌の誓いを胸に
勇んで打って出よう!
撰時抄 P265
『法華経をひろむる者は日本国の一切衆生の父母なり章安大師云く「彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が親なり」等云云、されば日蓮は当帝の父母念仏者禅衆真言師等が師範なり又主君なり』
【通解】
法華経をひろめる者は、日本国の一切衆生の父母である。章安大師は「相手のために悪を除いてあげることは、相手にとって親である」と言っている。そうであれば、日蓮は日本の帝王の父母であり、念仏者、禅衆、真言師らの師範であり、また主君である。
名字の言 宿命の吹雪に立ち向かう、北海道岩見沢市の壮年。 2021年10月23日
「諦めて、やめるのは簡単。どんなに苦しくても、ガムシャラに泥だらけになって最後までやり切る」。恩師・栗山英樹監督のこの言葉を支えに、試練と戦い続けた11年だった。プロ野球・北海道日本ハムの斎藤佑樹投手が現役を引退した▼「ハンカチ王子」として人気を博したが、プロ入り後は度重なるけがに泣いた。それでもチームに貢献しようと、前だけを見て必死に腕を振った。だから「やり続けたことに後悔はありません」――そう語る表情は晴れやかだった▼眼瞼けいれんを患う岩見沢市の壮年に新たな宿命の吹雪が襲ったのは昨年のこと。ステージ3Cの大腸がんが判明し、時同じく自動車修理工場の経営が最悪の苦境に陥った▼絶望で諦めかけていた時、次々と同志が駆け付け、共に祈り励ましてくれた。「あの時ほど同志に感謝したことはなかった。自分を諦めないこと。そして自分にも生きる使命があることを強く確信できました」と壮年。先日、初雪を観測した北海道で今、宿命転換を懸けた対話に走る▼支えてくれる同志がいる。信じてくれる師匠がいる。そう思えば越えられない苦難の冬は絶対にない。「冬は必ず春となる」(御書1253ページ)。不屈の人に人生の春は必ずやって来る。
寸鉄 2021年10月23日
朝の祈りから一日を勢いよく出発。御書「湿れる木より火を出し」と強盛に
列島全てかつてない激戦 決定打放つ対話を断固!社会の安定と未来のため
神奈川、千葉、山梨が猛追 執念で押し広げ逆転を!正義の同志は勝ってこそ
埼玉、茨城、栃木、群馬が追撃。我らの団結は無敵。さあ限界突破!凱歌皆で
若者の声を一番聞くのは公明―識者。政治は結果が全て。実現力で応えよ
〈社説〉 2021・10・23 あす24日「社会部の日」
◇「仏法即社会」の勇者にエール
コロナ禍で企業のテレワークが普及する一方、それが働き手のモチベーション(動機付け)に影響を与えているようだ。リクルートキャリアの調査では「働く意欲」の低下を感じる人はコロナ禍前に比べて1・6倍に増えたという。チームでの仕事が減少したことが要因とされ、人との関わり合いの重要性が浮き彫りになった。
そうした中にあって、試練と向き合い、使命の場所で奮闘するのが社会部の友である。あす24日は「社会部の日」。1973年(昭和48年)、職場・職域を同じくする同志が、共に職場の第一人者となることを目指し、結成された。
池田先生は、小説『新・人間革命』に同部への期待をつづった。「社会部の同志は、信仰で培った力を発揮し、なんとしても、試練を乗り越えていってほしかった。社会のテーマに、真っ向から挑み、活路を開き、人びとを勇気づけていくことこそ、仏法者の使命であるからだ」(第24巻「灯台」の章)
師の言葉のままに、職場の希望と光る友が各地で活躍している。
大手電気機器メーカーに勤務する男子部の友は昨年、過去最悪の赤字に苦しんだ。誰もが焦りを抱える中、男子部のオンライン会合の経験を生かし、社内で自由参加型のオンラインイベントを主催。皆で新たな商品企画等のアイデアを出し合うなど、社内交流を促進した。参加者から「希望がもてた」「また開催してほしい」等の声が。積極的な取り組みに上司からも高い評価が寄せられている。
広告営業に携わる壮年部の同志は相次ぐイベントの中止で受注数が激減。しかし、真剣に祈る中で、これまで断られてきたいくつもの団体や企業から思いもよらぬ注文が舞い込んだ。題目根本に地道に積み重ねた信頼が"まことの時"に実を結び、コロナ禍前の年を上回る売り上げへとつながった。
社会の激流の中に立ち、信心の偉大さを示しゆく同部の友。その姿には、いかなる逆境をもはね返す不屈の闘魂が脈打つ。
池田先生は語った。
「壁にぶつかった時こそ、信心で立つのだ。題目をあげぬき、決して負けてはいけない。『祈りとして叶わざるなし』の妙法である」
「仏法即社会」の勇者たちに、心からのエールを送りつつ、私たちも今一重の信心を奮い起こし、平和と希望と幸福が輝く社会の建設に尽力していきたい。
☆御書の旭光を 第57回 正義の師子吼が時代創造の力
〈御文〉
『仮令強言なれども人をたすくれば実語・輭語なるべし、設ひ輭語なれども人を損ずるは妄語・強言なり』(善無畏三蔵抄、890ページ)
〈通解〉
たとえ強い言葉であっても、人を助ければ真実の言葉、柔らかい言葉である。たとえ柔らかい言葉であっても、人を誤らせれば偽りの言葉であり、強い言葉である。
〈池田先生が贈る指針〉
深い慈悲から発する言葉には、心を打つ深い響きがある。邪な虚偽の言説は、いかに取り繕っても、いずれ見破られる。
人々の幸福と安穏を祈り、誠実に語り合う対話が、真の民主主義の成熟をもたらす。
生命尊厳の哲理、立正安国の信念に基づいた正義の師子吼こそ、時代創造の力だ。胸を張って真実を語り抜け!
☆「世界を照らす太陽の仏法」に学ぶ 第15回 覚悟の信心
◇種種御振舞御書
『各各我が弟子となのらん人人は一人もをくしをもはるべからず(中略)法華経をばそこばく行ぜしかども・かかる事出来せしかば退転してやみにき、譬えばゆをわかして水に入れ火を切るにとげざるがごとし、各各思い切り給へ此の身を法華経にかうるは石に金をかへ糞に米をかうるなり』(御書910ページ12行目~16行目)
◇池田先生の講義から
弟子が勝って、師匠の勝利を決するのです。どこまでも弟子の決意、覚悟で決まります。次元は異なりますが、私自身も、恩師の構想を全て実現してきました。そのために、生きて生きて、生き抜き、戦い抜いてきました。
◆◇◆
人生の正念場に際して、今こそと「思い切る」勇気が勝利を開くのです。どこまでも「師匠と共に!」との共戦の中に、無窮の力がみなぎるのです。
◆◇◆
仏法を知り、広宣流布のために生き抜くことは、人生の意味を一変させます。(中略)師匠と同じ大願に生きる時、わが生命に「師子王の心」が涌現するのです。自分中心の「小願」にとどまっていれば、力も出ない。小さな自分で終わってしまう。大いなる自分へ、覚悟を決め、ど真ん中に「大願」を打ち立てることです。
◆◇◆
三世の師弟に貫かれた使命に、いよいよ生き抜こうではないか!
そして、我らの手で、断固として創価の勝利を決しようではないか!
(『わが「共戦の友」――各部の皆さんに贈る』から)
坂元信行 北陸長
◇師と同じ大願に立つ!
「北陸にも、広布の響き始まる」――1957年(昭和32年)10月、北陸を初訪問された池田先生は「若き日の日記」にこう記されました。
先生は26日に石川で、27日に富山で、指導会などに出席し、北陸広布の礎を築いてくださったのです。
この"原点の10月"を、正義の勝利で荘厳するため、友は今いる場所で師弟の誓願に奮い立っています。創立100周年を勝ち開く今この時、「種種御振舞御書」を通し、いざという時に立ち上がる"覚悟の信心"を心肝に染めていきましょう。
◇「思い切る」勇気
先生は講義の中で、「信心に励めば、三障四魔が紛然として競い起こることは必然です。だからこそ、大事なことは、『各各思い切り給へ』です」と述べられ、一大事の時こそ、覚悟の信心に立つ重要性を教えてくださっています。
私自身、大学を卒業後、大手建設機械メーカーに就職し、富山県に配属されました。環境の変化に戸惑いましたが、"ここで根を張り、誰よりも職場・地域に尽くせる人間に"と腹を決め、仕事に、学会活動に、汗まみれになって奔走しました。社会人として出発した富山で、信心の基礎を教えていただきました。
その後、石川に異動。工場で150人の社員の命を預かる立場となり、学会では男子部の本部長、圏男子部長に。どちらも真剣勝負です。一瞬の油断も許されない。追い詰められる中で、必死に題目を唱えて踏ん張りました。本部の男子部としては県で随一の弘教拡大ができました。
先生は、「人生の正念場に際して、今こそと『思い切る』勇気が勝利を開くのです。どこまでも『師匠と共に!』との共戦の中に、無窮の力がみなぎるのです」と講義されていますが、北陸は私にとって、まさに「思い切る」勇気の信心、覚悟の信心を教えていただいた天地なのです。
今、北陸の同志は、不屈の誓願に総立ちとなり、各地で共戦のドラマが生まれています。
ある富山の壮年は10もの病を抱え、透析を続けておられます。しかし"いよいよ誓願を果たす時。対話に動き切る"と、SNSも活用しつつ、かくしゃくと拡大へ歩いていらっしゃいます。また、長年地域に尽くしてきた石川のある壮年は、"毎日必ず1人以上の人を励ますこと"に挑戦。「正直行き詰まることもありますが、それでも1軒でも訪ねて語り合う。その中で自分の境涯も開けてくるんですよ」と語ってくれました。
さまざまな課題を抱えながらも、"先生への誓いを果たすんだ!"と懸命に戦い抜く、こうした最前線の同志こそが、広布を切り開かれていることを実感せずにはいられません。
◇全て生かしていける
誰しも現実の課題を抱えています。
「思い切る」といっても、そうした現実を投げ出して"学会活動だけ頑張る"などというわけでは決してありません。仕事や病、家族のこと……。言うに言われぬ悩みや思いを、「宿命」として諦めて足を止めるのではなく、あえて願って引き受けた「使命」と捉え返していく誓願に立ち上がっていくことではないでしょうか。先生の講義には次のようにあります。
「信心する前のあらゆる体験も、全部、生かし切っていけるのが妙法です。今、この時に仏法に巡り合い、広布の陣列に連なることができたのは、仏法の眼から見れば、決して偶然ではありません。師弟の宿縁は三世である」
覚悟の信心に立てば、これまでの葛藤も、苦しい日々も、全て意味あるものに変えていける。
"今この時、先生と共に、この天地で立正安国の大闘争を展開することを誓ったのだ!""困難な状況をあえて背負い、逆転劇を演じるために生まれてきたのだ!"――そう心を定めれば、無窮の力が湧いてきます。今いる場所で、自分ができる最大の挑戦に勇気をもって臨む。これこそ、師匠と同志から教えていただいた、学会員の何ものにも負けない生き方であると確信します。
肩書でも名誉でもない。広布のための行動こそが「心の財」と積まれ、生命を飾ります。さあ、北陸から新時代の扉を開く時です。師の心をわが心とする誓願に立ち、立正安国と人間革命の凱歌へ、共々に師弟勝利のドラマをつづり残しましょう!
メモ
「種種御振舞御書」は、建治2年(1276年)の御述作とされているが、詳細は不明。文永5年(1268年)から建治2年まで、約9年間にわたる日蓮大聖人の御闘争について述べられている。
創価の柱の壮年部よ
黄金に輝く時は今だ!
地涌の誓いを胸に
勇んで打って出よう!
撰時抄 P265
『法華経をひろむる者は日本国の一切衆生の父母なり章安大師云く「彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が親なり」等云云、されば日蓮は当帝の父母念仏者禅衆真言師等が師範なり又主君なり』
【通解】
法華経をひろめる者は、日本国の一切衆生の父母である。章安大師は「相手のために悪を除いてあげることは、相手にとって親である」と言っている。そうであれば、日蓮は日本の帝王の父母であり、念仏者、禅衆、真言師らの師範であり、また主君である。
名字の言 宿命の吹雪に立ち向かう、北海道岩見沢市の壮年。 2021年10月23日
「諦めて、やめるのは簡単。どんなに苦しくても、ガムシャラに泥だらけになって最後までやり切る」。恩師・栗山英樹監督のこの言葉を支えに、試練と戦い続けた11年だった。プロ野球・北海道日本ハムの斎藤佑樹投手が現役を引退した▼「ハンカチ王子」として人気を博したが、プロ入り後は度重なるけがに泣いた。それでもチームに貢献しようと、前だけを見て必死に腕を振った。だから「やり続けたことに後悔はありません」――そう語る表情は晴れやかだった▼眼瞼けいれんを患う岩見沢市の壮年に新たな宿命の吹雪が襲ったのは昨年のこと。ステージ3Cの大腸がんが判明し、時同じく自動車修理工場の経営が最悪の苦境に陥った▼絶望で諦めかけていた時、次々と同志が駆け付け、共に祈り励ましてくれた。「あの時ほど同志に感謝したことはなかった。自分を諦めないこと。そして自分にも生きる使命があることを強く確信できました」と壮年。先日、初雪を観測した北海道で今、宿命転換を懸けた対話に走る▼支えてくれる同志がいる。信じてくれる師匠がいる。そう思えば越えられない苦難の冬は絶対にない。「冬は必ず春となる」(御書1253ページ)。不屈の人に人生の春は必ずやって来る。
寸鉄 2021年10月23日
朝の祈りから一日を勢いよく出発。御書「湿れる木より火を出し」と強盛に
列島全てかつてない激戦 決定打放つ対話を断固!社会の安定と未来のため
神奈川、千葉、山梨が猛追 執念で押し広げ逆転を!正義の同志は勝ってこそ
埼玉、茨城、栃木、群馬が追撃。我らの団結は無敵。さあ限界突破!凱歌皆で
若者の声を一番聞くのは公明―識者。政治は結果が全て。実現力で応えよ
〈社説〉 2021・10・23 あす24日「社会部の日」
◇「仏法即社会」の勇者にエール
コロナ禍で企業のテレワークが普及する一方、それが働き手のモチベーション(動機付け)に影響を与えているようだ。リクルートキャリアの調査では「働く意欲」の低下を感じる人はコロナ禍前に比べて1・6倍に増えたという。チームでの仕事が減少したことが要因とされ、人との関わり合いの重要性が浮き彫りになった。
そうした中にあって、試練と向き合い、使命の場所で奮闘するのが社会部の友である。あす24日は「社会部の日」。1973年(昭和48年)、職場・職域を同じくする同志が、共に職場の第一人者となることを目指し、結成された。
池田先生は、小説『新・人間革命』に同部への期待をつづった。「社会部の同志は、信仰で培った力を発揮し、なんとしても、試練を乗り越えていってほしかった。社会のテーマに、真っ向から挑み、活路を開き、人びとを勇気づけていくことこそ、仏法者の使命であるからだ」(第24巻「灯台」の章)
師の言葉のままに、職場の希望と光る友が各地で活躍している。
大手電気機器メーカーに勤務する男子部の友は昨年、過去最悪の赤字に苦しんだ。誰もが焦りを抱える中、男子部のオンライン会合の経験を生かし、社内で自由参加型のオンラインイベントを主催。皆で新たな商品企画等のアイデアを出し合うなど、社内交流を促進した。参加者から「希望がもてた」「また開催してほしい」等の声が。積極的な取り組みに上司からも高い評価が寄せられている。
広告営業に携わる壮年部の同志は相次ぐイベントの中止で受注数が激減。しかし、真剣に祈る中で、これまで断られてきたいくつもの団体や企業から思いもよらぬ注文が舞い込んだ。題目根本に地道に積み重ねた信頼が"まことの時"に実を結び、コロナ禍前の年を上回る売り上げへとつながった。
社会の激流の中に立ち、信心の偉大さを示しゆく同部の友。その姿には、いかなる逆境をもはね返す不屈の闘魂が脈打つ。
池田先生は語った。
「壁にぶつかった時こそ、信心で立つのだ。題目をあげぬき、決して負けてはいけない。『祈りとして叶わざるなし』の妙法である」
「仏法即社会」の勇者たちに、心からのエールを送りつつ、私たちも今一重の信心を奮い起こし、平和と希望と幸福が輝く社会の建設に尽力していきたい。
☆御書の旭光を 第57回 正義の師子吼が時代創造の力
〈御文〉
『仮令強言なれども人をたすくれば実語・輭語なるべし、設ひ輭語なれども人を損ずるは妄語・強言なり』(善無畏三蔵抄、890ページ)
〈通解〉
たとえ強い言葉であっても、人を助ければ真実の言葉、柔らかい言葉である。たとえ柔らかい言葉であっても、人を誤らせれば偽りの言葉であり、強い言葉である。
〈池田先生が贈る指針〉
深い慈悲から発する言葉には、心を打つ深い響きがある。邪な虚偽の言説は、いかに取り繕っても、いずれ見破られる。
人々の幸福と安穏を祈り、誠実に語り合う対話が、真の民主主義の成熟をもたらす。
生命尊厳の哲理、立正安国の信念に基づいた正義の師子吼こそ、時代創造の力だ。胸を張って真実を語り抜け!
☆「世界を照らす太陽の仏法」に学ぶ 第15回 覚悟の信心
◇種種御振舞御書
『各各我が弟子となのらん人人は一人もをくしをもはるべからず(中略)法華経をばそこばく行ぜしかども・かかる事出来せしかば退転してやみにき、譬えばゆをわかして水に入れ火を切るにとげざるがごとし、各各思い切り給へ此の身を法華経にかうるは石に金をかへ糞に米をかうるなり』(御書910ページ12行目~16行目)
◇池田先生の講義から
弟子が勝って、師匠の勝利を決するのです。どこまでも弟子の決意、覚悟で決まります。次元は異なりますが、私自身も、恩師の構想を全て実現してきました。そのために、生きて生きて、生き抜き、戦い抜いてきました。
◆◇◆
人生の正念場に際して、今こそと「思い切る」勇気が勝利を開くのです。どこまでも「師匠と共に!」との共戦の中に、無窮の力がみなぎるのです。
◆◇◆
仏法を知り、広宣流布のために生き抜くことは、人生の意味を一変させます。(中略)師匠と同じ大願に生きる時、わが生命に「師子王の心」が涌現するのです。自分中心の「小願」にとどまっていれば、力も出ない。小さな自分で終わってしまう。大いなる自分へ、覚悟を決め、ど真ん中に「大願」を打ち立てることです。
◆◇◆
三世の師弟に貫かれた使命に、いよいよ生き抜こうではないか!
そして、我らの手で、断固として創価の勝利を決しようではないか!
(『わが「共戦の友」――各部の皆さんに贈る』から)
坂元信行 北陸長
◇師と同じ大願に立つ!
「北陸にも、広布の響き始まる」――1957年(昭和32年)10月、北陸を初訪問された池田先生は「若き日の日記」にこう記されました。
先生は26日に石川で、27日に富山で、指導会などに出席し、北陸広布の礎を築いてくださったのです。
この"原点の10月"を、正義の勝利で荘厳するため、友は今いる場所で師弟の誓願に奮い立っています。創立100周年を勝ち開く今この時、「種種御振舞御書」を通し、いざという時に立ち上がる"覚悟の信心"を心肝に染めていきましょう。
◇「思い切る」勇気
先生は講義の中で、「信心に励めば、三障四魔が紛然として競い起こることは必然です。だからこそ、大事なことは、『各各思い切り給へ』です」と述べられ、一大事の時こそ、覚悟の信心に立つ重要性を教えてくださっています。
私自身、大学を卒業後、大手建設機械メーカーに就職し、富山県に配属されました。環境の変化に戸惑いましたが、"ここで根を張り、誰よりも職場・地域に尽くせる人間に"と腹を決め、仕事に、学会活動に、汗まみれになって奔走しました。社会人として出発した富山で、信心の基礎を教えていただきました。
その後、石川に異動。工場で150人の社員の命を預かる立場となり、学会では男子部の本部長、圏男子部長に。どちらも真剣勝負です。一瞬の油断も許されない。追い詰められる中で、必死に題目を唱えて踏ん張りました。本部の男子部としては県で随一の弘教拡大ができました。
先生は、「人生の正念場に際して、今こそと『思い切る』勇気が勝利を開くのです。どこまでも『師匠と共に!』との共戦の中に、無窮の力がみなぎるのです」と講義されていますが、北陸は私にとって、まさに「思い切る」勇気の信心、覚悟の信心を教えていただいた天地なのです。
今、北陸の同志は、不屈の誓願に総立ちとなり、各地で共戦のドラマが生まれています。
ある富山の壮年は10もの病を抱え、透析を続けておられます。しかし"いよいよ誓願を果たす時。対話に動き切る"と、SNSも活用しつつ、かくしゃくと拡大へ歩いていらっしゃいます。また、長年地域に尽くしてきた石川のある壮年は、"毎日必ず1人以上の人を励ますこと"に挑戦。「正直行き詰まることもありますが、それでも1軒でも訪ねて語り合う。その中で自分の境涯も開けてくるんですよ」と語ってくれました。
さまざまな課題を抱えながらも、"先生への誓いを果たすんだ!"と懸命に戦い抜く、こうした最前線の同志こそが、広布を切り開かれていることを実感せずにはいられません。
◇全て生かしていける
誰しも現実の課題を抱えています。
「思い切る」といっても、そうした現実を投げ出して"学会活動だけ頑張る"などというわけでは決してありません。仕事や病、家族のこと……。言うに言われぬ悩みや思いを、「宿命」として諦めて足を止めるのではなく、あえて願って引き受けた「使命」と捉え返していく誓願に立ち上がっていくことではないでしょうか。先生の講義には次のようにあります。
「信心する前のあらゆる体験も、全部、生かし切っていけるのが妙法です。今、この時に仏法に巡り合い、広布の陣列に連なることができたのは、仏法の眼から見れば、決して偶然ではありません。師弟の宿縁は三世である」
覚悟の信心に立てば、これまでの葛藤も、苦しい日々も、全て意味あるものに変えていける。
"今この時、先生と共に、この天地で立正安国の大闘争を展開することを誓ったのだ!""困難な状況をあえて背負い、逆転劇を演じるために生まれてきたのだ!"――そう心を定めれば、無窮の力が湧いてきます。今いる場所で、自分ができる最大の挑戦に勇気をもって臨む。これこそ、師匠と同志から教えていただいた、学会員の何ものにも負けない生き方であると確信します。
肩書でも名誉でもない。広布のための行動こそが「心の財」と積まれ、生命を飾ります。さあ、北陸から新時代の扉を開く時です。師の心をわが心とする誓願に立ち、立正安国と人間革命の凱歌へ、共々に師弟勝利のドラマをつづり残しましょう!
メモ
「種種御振舞御書」は、建治2年(1276年)の御述作とされているが、詳細は不明。文永5年(1268年)から建治2年まで、約9年間にわたる日蓮大聖人の御闘争について述べられている。
2021年10月22日金曜日
2021.10.22 わが友に贈る
幾多の険難の山を
越えてきた歴戦の勇者よ
"常に挑戦""永遠に青春"
それが創価の生き方だ。
全同志の模範を今こそ!
法蓮抄 P1045
『赤子の水火をわきまへず毒薬を知らざれども乳を含めば身命をつぐが如し、阿含経を習う事は舎利弗等の如くならざれども華厳経をさとる事解脱月等の如くならざれども乃至一代聖教を胸に浮べたる事文殊の如くならざれども一字一句をも之を聞きし人仏にならざるはなし』
【通解】
赤子が水と火をわきまえることができなくても、また毒と薬を知ることができなくても、乳を飲めば身命を継ぐようなものである。阿含経を習うことは舎利弗等のようではなくとも、華厳経を悟ることは解脱月等のようではなくとも、ないし一代聖教を胸に浮かべることは文殊菩薩のようではなくとも、一字一句でも法華経を聞いた人は仏にならない人はいない。
名字の言 あすは「霜降」——配達員の健康と無事故を祈る 2021年10月22日
ある土曜の昼下がり、電車に乗った。向かいの席には幼稚園の運動着姿の男の子と軽装の両親が座っていた。運動会からの帰り道らしい▼男の子の手にはプラスチック製の金メダルが。今日のことを思い出したのか、メダルを見てはほほ笑んでいる。そんなわが子に両親も目を細めていた。父と母のうれしそうな顔を見た男の子は、さらに笑顔になった。まるで幸せの輪が広がっていくように見えた▼勤務時間の関係で、学会活動になかなか参加できない男子部員がいた。それでも彼は"広布に尽くしたい"と祈り、本紙配達員に。その純粋な信心の姿勢を多くの同志がたたえた。励ましの輪が彼の心をより強くし、使命感を一段と燃え上がらせることになった▼かつて池田先生は学会の発展を称賛する実業家の言葉を紹介した。「労苦を惜しまない(聖教新聞の)配達員の方々が、全国におられる。最も地道で、最も真面目な方々に、創価学会は光をあてていらっしゃる。その無事と活躍を祈っておられる。すばらしいことだ。だからこそ、世界的な創価学会になったのですね」▼あすは「霜降」。寒さが増す季節、配達や集金に携わる皆さんの健康と無事故を強く祈る。そこに自他共の幸福の拡大もある。
寸鉄 2021年10月22日
同志の健闘を称えよう!「喜とは自他共に喜ぶ事」御書。共に前進。共に歓喜
北海道の大空知、留萌、サロベツに全国がエール 智勇尽くし大金星必ず!
公明、東京が12区と比例で追い上げ。議員が総力で逆転を!皆が全力支援
広島3区・中国B、大激戦 公明よここから総攻撃し勝ち抜け!庶民が大応援
食品ロスの削減、各地で。無駄減らす工夫着実に。まず自分自身の実践から
〈社説〉 2021・10・22 "ネット誕生日"に思う
◇"人間らしく"の一点を問う
帰宅のため、電車に乗り込む。周りを見渡すと、ほとんどの人がスマートフォンの操作をしていた。最近では見慣れた光景だが、人が一様に小さな画面と向き合う様子に"本当の豊かさとは"と、ふと考えた。
10月29日は"インターネット誕生日"。1969年の同日、研究用のネットワークで、初めてメッセージのやりとりに成功したのが起源とされる。この時、送信できたのは"LOGIN"のうちの冒頭2文字だけ。しかし、この「挑戦」が情報社会の未来を開いた。
総務省の令和3年版「情報通信白書」によると、国内のインターネット利用率(個人)は約83%。端末別ではスマートフォンがパソコンを上回り、企業や家庭ではなく、個人がネットで世界とつながる時代となった。情報技術やAI(人工知能)などの進歩も目覚ましい。だが一方で、人間関係の希薄化、SNSでの誹謗中傷など、課題は多い。国は法整備を中心とした対策を講じているが、技術の進歩は新たな課題も生む。
2009年10月、中国・遼寧師範大学でのシンポジウムに寄せたメッセージの中で池田先生は、情報社会が、「人間を豊かにするはずの科学技術が『非人間化』を引き起こす」ジレンマに直面していると洞察。「何を考え、何を行うに際しても、一人の『人間』から決して離れない」との人間主義の思想が必要であると述べた。
技術者たちが初めてネットでのメッセージ送信に成功した時も、"この一歩が人間社会の豊かさにつながる"と、未来に希望を抱いていたはずだ。
本当の豊かさや幸福といっても、具体的な一人一人の「人間」がどこまでも人間らしく生きることができるのかどうか、という一点を、いかに死守できるかにかかっているのではないか。
「人間のため」をうたって登場したどんなに優れた技術も、一歩間違えれば、人間を手段化、隷属化してしまう。そういう両面性をもっていることを、人間自身が常に問い掛けていかなければならない。人間の幸福のためにインターネットを生かしていく智慧が、いよいよ問われている。
アルファベット2文字から未来が切り開かれたように、仏法の生命哲学を持った私たちは、人間の絆を強め、人間性を豊かにする対話の「挑戦」に徹したい。
☆希望の指針——池田先生の指導に学ぶ 立正安国�
◇明るく、楽しく歓喜の行進!
連載「希望の指針——池田先生の指導に学ぶ」では、テーマごとに珠玉の指導・激励を紹介します。「立正安国」の第4回は、小説『人間革命』『新・人間革命』から、1956年(昭和31年)の「大阪の戦い」について学びます。
【不可能を可能にする】 強盛な祈りで妙法の力を引き出す
〈1956年(昭和31年)1月、山本伸一は大阪へ。関西本部での地区部長会に臨んだ伸一は、関西に模範となる組織を築き上げるとともに、7月に予定されている大阪地方区の参議院議員選挙の勝利を強く訴える。しかし、現状の厳しさに大阪の同志たちは、勝利は実現不可能だとの思いを抱く〉
この瞬間に、伸一の熾烈な戦いが開始されたのである。
「誰人も、これでは全く勝利は不可能と思うでしょう。今、皆さんもそう考えておられる。
しかし、私どもは、立派な御本尊を頂いている。世間の人びとの常識では、とうてい不可能と思い込んでいることを可能にする力が、御本尊にはあるんです。
ただあきらめて、不可能と思っている人は、妙法の力を知らない人たちです。すべてを可能にする人は、その妙法の力を引き出すことのできる人です。
日蓮大聖人様は、このことを、ちゃんと御書にお認めになっている。
『呵責謗法滅罪抄』の末尾に、次のような御文があります。
『何なる世の乱れにも各各をば法華経・十羅刹・助け給へと湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり』(御書1132ページ)
これは、佐渡においでになった大聖人様から、四条金吾に宛てられた御手紙の一節であります。
当時、鎌倉で弾圧に遭っていた弟子たちの身の上を思い、佐渡流罪のさなか、"諸天善神たちよ。なんとしてもわが弟子たちを守れ!"と、遠く御祈念なさっている、深い偉大な慈悲の御心がうかがえます。
ひどい乱世で、佐渡におられる大聖人は、弟子たちを、どうしようにも守ることはできない。とても不可能なことです。
しかし、大聖人様の御祈念は"しっぽりと濡れた木をこすってでも、なお火を出させてみせる。また、カラカラに乾いている砂漠のような大地から、水をほとばしり出させてみせる。このように私は、強盛に祈っているのだ"と、お認めになっている。
御本尊に対する祈りというものは、一大事の時には、このようなものでなければならぬとお示しになっているのです。
今、私たちの置かれた立場や、合理的な考えに慣れてしまった頭脳では、不可能と思うでしょう。しかし、無量の力を御本尊は秘めていることを、日蓮大聖人は、明確に教えていらっしゃる。
これを信じるか信じないかは、私たちの問題です。大聖人の正統派の弟子として戦う以上、まず、強盛な祈りによって、不可能を可能とする実践が勇んで出てこなければなりません」
(『人間革命』第10巻「一念」の章、42〜44ページ)
【活動推進の源泉】 御書講義通して地涌の使命を自覚
〈1956年(昭和31年)、関西の広布の波は、日を追うごとに大きく広がっていった。その原動力は、山本伸一の御書講義をはじめ、彼の師子奮迅の闘争であった〉
山本伸一は、一切の活動の推進にあたって、どこまでも御書を根本としていた。その御書を基軸とした指導の脈動は、心ある会員に、教学の重要さを気づかせていった。"すべては、御書にある"という自覚ほど、教学への求道心を奮い起こさせるものはない。
このころの伸一の大阪訪問は、まだ土曜、日曜を主としていたが、彼は、朝の八時というと、決まって関西本部三階仏間の御本尊の前に端座し、勤行を始めた。(中略)
厳然とした勤行が終わると、伸一の御書講義に移る。彼の講義は、講義のための講義ではなかった。
不可能を可能にするという大願を秘めた彼は、その朝、その朝、その原動力ともいうべき、時々刻々の焦点を、御書を通して明確にしたのである。
不可能と誰しも考える厚い壁は、信心の利剣で、こつこつと崩すよりほかにはない。伸一の口を通した朝の御書の一節一節は、全く鮮烈な意味を帯びて、彼らが、今、何をなすべきかを教えていた。
伸一の一念は、朝ごとに具体性をもって発露しつつあった。関西の活動の源泉は、まことに、この「朝の御書講義」に集約されていたといってよい。
ここから各組織の最先端へと散った、すべての幹部は、その日のうちに、朝、会得した御書を根本とする適切な指導を、そのまま全会員の胸へ、次から次へと語りかけていった。
組織の鼓動は脈打ちながら、まず、会員の胸につかえている不可能の壁の一角一角を、崩していったといってよい。山本伸一の胸ひとつに秘めた強烈な一念は、ようやく日ごとに脈動しつつ、重い巨大な歯車を、彼を軸として回転させ始めたのである。
伸一は、ここ二カ月余りの徹底的な個人指導で、信心のいかなるものかという「信」を自覚させた。そして、座談会活動によって、弘教の「行」の歓喜を沸き立たせていった。それに加えて、「朝の御書講義」で、実践の指針のすべてが、御書に歴然と込められていることを示し、「学」の重要さと、活動理念の崇高さを教えた。
地涌の菩薩の使命に燃えた「信」「行」「学」の実践ほど、無敵のものはない。智勇兼備の戦力は、このようにして、人知れず刻々と育まれていったのである。
(『人間革命』第10巻「脈動」の章、150〜152ページ)
【勝利の道を開く要件】 師の心をわが心として弟子が敢闘
〈1956年(昭和31年)、山本伸一の誠実と確信の対話によって、関西の同志は、一人、また一人と立ち上がっていった〉
勝利への力は、魂の触発にある。自身の燃え盛る生命が、同志の生命を燃え上がらせるのだ。伸一の敢闘を目の当たりにして、関西の幹部たちは深く思った。
"これが、ほんまのリーダーなんや。生命を削って戦うから境涯革命があるんや。やったろやないか!"
山本伸一の率先垂範の行動が、全同志を触発し、共に戦う何人もの"山本伸一"をつくり出していったのである。
共感することによって、行動するのが人間である。ゆえに、リーダーが臆し、ずる賢くなって、率先して行動せずに、皆を動かそうとしても、動いてくれるわけがない。
すると、リーダーは焦りを感じて、その言動は、ともすれば、威圧的、命令的になっていく。そして、組織は、重く、暗くなり、人心は、ますます離れてしまうことになる。
それに対して、率先垂範のリーダーは、自らの行動を通して人に触発を与え、人びとの"やる気"を引き出し、皆の自主性、自発性を呼び覚ましていく。
ゆえに、その組織は、明るく、歓喜にあふれ、上昇気流に乗るように、勝利への流れがつくられていくのだ。
また、伸一は、戸田城聖こそ、広宣流布に、ただ一人立ち上がった、われらの師であり、この大阪、関西から、いや、日本、世界から、不幸に泣く人をなくしたいというのが、戸田の誓いであることを語り抜いた。
そして、こう訴えたのである。
「その戸田先生の心を、わが心として、先生に代わって戦おうではないですか! そうすることによって、私たちは、広宣流布の闘将である先生に直結していくことができる。そこに力が湧くんです。
先生を思えば、勇気が湧きます。自分が鼓舞されます。どうか、常に戸田先生を心に思い描いて、"先生は、じっと見ていてくださる""先生なら、どうされるか"と、日々、己心の師匠と対話しながら、戦っていこうではありませんか!」
広宣流布の戦いを進めるうえで、仏法の師と心を合わせていくことこそが、団結の根本である。そこに勝利への前進がある。
自転車も、車軸にスポークがしっかりと繋がってこそ、車輪の回転がある。この車軸の存在が師匠にあたるといってよい。
伸一の指揮のもと、関西は、怒濤の大前進を開始した。(中略)
戸田城聖の会長就任五周年となる五月には、遂に関西は、大阪支部一万一千百十一世帯、堺支部千五百十五世帯という弘教を成し遂げた。
「戸田先生は折伏の師匠である。なれば、弟子として弘教をもって、会長就任五周年をお祝いしよう」との伸一の思いを、関西の同志は、皆が共有していたのだ。
(『新・人間革命』第23巻「勇気」の章、242〜245ページ)
越えてきた歴戦の勇者よ
"常に挑戦""永遠に青春"
それが創価の生き方だ。
全同志の模範を今こそ!
法蓮抄 P1045
『赤子の水火をわきまへず毒薬を知らざれども乳を含めば身命をつぐが如し、阿含経を習う事は舎利弗等の如くならざれども華厳経をさとる事解脱月等の如くならざれども乃至一代聖教を胸に浮べたる事文殊の如くならざれども一字一句をも之を聞きし人仏にならざるはなし』
【通解】
赤子が水と火をわきまえることができなくても、また毒と薬を知ることができなくても、乳を飲めば身命を継ぐようなものである。阿含経を習うことは舎利弗等のようではなくとも、華厳経を悟ることは解脱月等のようではなくとも、ないし一代聖教を胸に浮かべることは文殊菩薩のようではなくとも、一字一句でも法華経を聞いた人は仏にならない人はいない。
名字の言 あすは「霜降」——配達員の健康と無事故を祈る 2021年10月22日
ある土曜の昼下がり、電車に乗った。向かいの席には幼稚園の運動着姿の男の子と軽装の両親が座っていた。運動会からの帰り道らしい▼男の子の手にはプラスチック製の金メダルが。今日のことを思い出したのか、メダルを見てはほほ笑んでいる。そんなわが子に両親も目を細めていた。父と母のうれしそうな顔を見た男の子は、さらに笑顔になった。まるで幸せの輪が広がっていくように見えた▼勤務時間の関係で、学会活動になかなか参加できない男子部員がいた。それでも彼は"広布に尽くしたい"と祈り、本紙配達員に。その純粋な信心の姿勢を多くの同志がたたえた。励ましの輪が彼の心をより強くし、使命感を一段と燃え上がらせることになった▼かつて池田先生は学会の発展を称賛する実業家の言葉を紹介した。「労苦を惜しまない(聖教新聞の)配達員の方々が、全国におられる。最も地道で、最も真面目な方々に、創価学会は光をあてていらっしゃる。その無事と活躍を祈っておられる。すばらしいことだ。だからこそ、世界的な創価学会になったのですね」▼あすは「霜降」。寒さが増す季節、配達や集金に携わる皆さんの健康と無事故を強く祈る。そこに自他共の幸福の拡大もある。
寸鉄 2021年10月22日
同志の健闘を称えよう!「喜とは自他共に喜ぶ事」御書。共に前進。共に歓喜
北海道の大空知、留萌、サロベツに全国がエール 智勇尽くし大金星必ず!
公明、東京が12区と比例で追い上げ。議員が総力で逆転を!皆が全力支援
広島3区・中国B、大激戦 公明よここから総攻撃し勝ち抜け!庶民が大応援
食品ロスの削減、各地で。無駄減らす工夫着実に。まず自分自身の実践から
〈社説〉 2021・10・22 "ネット誕生日"に思う
◇"人間らしく"の一点を問う
帰宅のため、電車に乗り込む。周りを見渡すと、ほとんどの人がスマートフォンの操作をしていた。最近では見慣れた光景だが、人が一様に小さな画面と向き合う様子に"本当の豊かさとは"と、ふと考えた。
10月29日は"インターネット誕生日"。1969年の同日、研究用のネットワークで、初めてメッセージのやりとりに成功したのが起源とされる。この時、送信できたのは"LOGIN"のうちの冒頭2文字だけ。しかし、この「挑戦」が情報社会の未来を開いた。
総務省の令和3年版「情報通信白書」によると、国内のインターネット利用率(個人)は約83%。端末別ではスマートフォンがパソコンを上回り、企業や家庭ではなく、個人がネットで世界とつながる時代となった。情報技術やAI(人工知能)などの進歩も目覚ましい。だが一方で、人間関係の希薄化、SNSでの誹謗中傷など、課題は多い。国は法整備を中心とした対策を講じているが、技術の進歩は新たな課題も生む。
2009年10月、中国・遼寧師範大学でのシンポジウムに寄せたメッセージの中で池田先生は、情報社会が、「人間を豊かにするはずの科学技術が『非人間化』を引き起こす」ジレンマに直面していると洞察。「何を考え、何を行うに際しても、一人の『人間』から決して離れない」との人間主義の思想が必要であると述べた。
技術者たちが初めてネットでのメッセージ送信に成功した時も、"この一歩が人間社会の豊かさにつながる"と、未来に希望を抱いていたはずだ。
本当の豊かさや幸福といっても、具体的な一人一人の「人間」がどこまでも人間らしく生きることができるのかどうか、という一点を、いかに死守できるかにかかっているのではないか。
「人間のため」をうたって登場したどんなに優れた技術も、一歩間違えれば、人間を手段化、隷属化してしまう。そういう両面性をもっていることを、人間自身が常に問い掛けていかなければならない。人間の幸福のためにインターネットを生かしていく智慧が、いよいよ問われている。
アルファベット2文字から未来が切り開かれたように、仏法の生命哲学を持った私たちは、人間の絆を強め、人間性を豊かにする対話の「挑戦」に徹したい。
☆希望の指針——池田先生の指導に学ぶ 立正安国�
◇明るく、楽しく歓喜の行進!
連載「希望の指針——池田先生の指導に学ぶ」では、テーマごとに珠玉の指導・激励を紹介します。「立正安国」の第4回は、小説『人間革命』『新・人間革命』から、1956年(昭和31年)の「大阪の戦い」について学びます。
【不可能を可能にする】 強盛な祈りで妙法の力を引き出す
〈1956年(昭和31年)1月、山本伸一は大阪へ。関西本部での地区部長会に臨んだ伸一は、関西に模範となる組織を築き上げるとともに、7月に予定されている大阪地方区の参議院議員選挙の勝利を強く訴える。しかし、現状の厳しさに大阪の同志たちは、勝利は実現不可能だとの思いを抱く〉
この瞬間に、伸一の熾烈な戦いが開始されたのである。
「誰人も、これでは全く勝利は不可能と思うでしょう。今、皆さんもそう考えておられる。
しかし、私どもは、立派な御本尊を頂いている。世間の人びとの常識では、とうてい不可能と思い込んでいることを可能にする力が、御本尊にはあるんです。
ただあきらめて、不可能と思っている人は、妙法の力を知らない人たちです。すべてを可能にする人は、その妙法の力を引き出すことのできる人です。
日蓮大聖人様は、このことを、ちゃんと御書にお認めになっている。
『呵責謗法滅罪抄』の末尾に、次のような御文があります。
『何なる世の乱れにも各各をば法華経・十羅刹・助け給へと湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり』(御書1132ページ)
これは、佐渡においでになった大聖人様から、四条金吾に宛てられた御手紙の一節であります。
当時、鎌倉で弾圧に遭っていた弟子たちの身の上を思い、佐渡流罪のさなか、"諸天善神たちよ。なんとしてもわが弟子たちを守れ!"と、遠く御祈念なさっている、深い偉大な慈悲の御心がうかがえます。
ひどい乱世で、佐渡におられる大聖人は、弟子たちを、どうしようにも守ることはできない。とても不可能なことです。
しかし、大聖人様の御祈念は"しっぽりと濡れた木をこすってでも、なお火を出させてみせる。また、カラカラに乾いている砂漠のような大地から、水をほとばしり出させてみせる。このように私は、強盛に祈っているのだ"と、お認めになっている。
御本尊に対する祈りというものは、一大事の時には、このようなものでなければならぬとお示しになっているのです。
今、私たちの置かれた立場や、合理的な考えに慣れてしまった頭脳では、不可能と思うでしょう。しかし、無量の力を御本尊は秘めていることを、日蓮大聖人は、明確に教えていらっしゃる。
これを信じるか信じないかは、私たちの問題です。大聖人の正統派の弟子として戦う以上、まず、強盛な祈りによって、不可能を可能とする実践が勇んで出てこなければなりません」
(『人間革命』第10巻「一念」の章、42〜44ページ)
【活動推進の源泉】 御書講義通して地涌の使命を自覚
〈1956年(昭和31年)、関西の広布の波は、日を追うごとに大きく広がっていった。その原動力は、山本伸一の御書講義をはじめ、彼の師子奮迅の闘争であった〉
山本伸一は、一切の活動の推進にあたって、どこまでも御書を根本としていた。その御書を基軸とした指導の脈動は、心ある会員に、教学の重要さを気づかせていった。"すべては、御書にある"という自覚ほど、教学への求道心を奮い起こさせるものはない。
このころの伸一の大阪訪問は、まだ土曜、日曜を主としていたが、彼は、朝の八時というと、決まって関西本部三階仏間の御本尊の前に端座し、勤行を始めた。(中略)
厳然とした勤行が終わると、伸一の御書講義に移る。彼の講義は、講義のための講義ではなかった。
不可能を可能にするという大願を秘めた彼は、その朝、その朝、その原動力ともいうべき、時々刻々の焦点を、御書を通して明確にしたのである。
不可能と誰しも考える厚い壁は、信心の利剣で、こつこつと崩すよりほかにはない。伸一の口を通した朝の御書の一節一節は、全く鮮烈な意味を帯びて、彼らが、今、何をなすべきかを教えていた。
伸一の一念は、朝ごとに具体性をもって発露しつつあった。関西の活動の源泉は、まことに、この「朝の御書講義」に集約されていたといってよい。
ここから各組織の最先端へと散った、すべての幹部は、その日のうちに、朝、会得した御書を根本とする適切な指導を、そのまま全会員の胸へ、次から次へと語りかけていった。
組織の鼓動は脈打ちながら、まず、会員の胸につかえている不可能の壁の一角一角を、崩していったといってよい。山本伸一の胸ひとつに秘めた強烈な一念は、ようやく日ごとに脈動しつつ、重い巨大な歯車を、彼を軸として回転させ始めたのである。
伸一は、ここ二カ月余りの徹底的な個人指導で、信心のいかなるものかという「信」を自覚させた。そして、座談会活動によって、弘教の「行」の歓喜を沸き立たせていった。それに加えて、「朝の御書講義」で、実践の指針のすべてが、御書に歴然と込められていることを示し、「学」の重要さと、活動理念の崇高さを教えた。
地涌の菩薩の使命に燃えた「信」「行」「学」の実践ほど、無敵のものはない。智勇兼備の戦力は、このようにして、人知れず刻々と育まれていったのである。
(『人間革命』第10巻「脈動」の章、150〜152ページ)
【勝利の道を開く要件】 師の心をわが心として弟子が敢闘
〈1956年(昭和31年)、山本伸一の誠実と確信の対話によって、関西の同志は、一人、また一人と立ち上がっていった〉
勝利への力は、魂の触発にある。自身の燃え盛る生命が、同志の生命を燃え上がらせるのだ。伸一の敢闘を目の当たりにして、関西の幹部たちは深く思った。
"これが、ほんまのリーダーなんや。生命を削って戦うから境涯革命があるんや。やったろやないか!"
山本伸一の率先垂範の行動が、全同志を触発し、共に戦う何人もの"山本伸一"をつくり出していったのである。
共感することによって、行動するのが人間である。ゆえに、リーダーが臆し、ずる賢くなって、率先して行動せずに、皆を動かそうとしても、動いてくれるわけがない。
すると、リーダーは焦りを感じて、その言動は、ともすれば、威圧的、命令的になっていく。そして、組織は、重く、暗くなり、人心は、ますます離れてしまうことになる。
それに対して、率先垂範のリーダーは、自らの行動を通して人に触発を与え、人びとの"やる気"を引き出し、皆の自主性、自発性を呼び覚ましていく。
ゆえに、その組織は、明るく、歓喜にあふれ、上昇気流に乗るように、勝利への流れがつくられていくのだ。
また、伸一は、戸田城聖こそ、広宣流布に、ただ一人立ち上がった、われらの師であり、この大阪、関西から、いや、日本、世界から、不幸に泣く人をなくしたいというのが、戸田の誓いであることを語り抜いた。
そして、こう訴えたのである。
「その戸田先生の心を、わが心として、先生に代わって戦おうではないですか! そうすることによって、私たちは、広宣流布の闘将である先生に直結していくことができる。そこに力が湧くんです。
先生を思えば、勇気が湧きます。自分が鼓舞されます。どうか、常に戸田先生を心に思い描いて、"先生は、じっと見ていてくださる""先生なら、どうされるか"と、日々、己心の師匠と対話しながら、戦っていこうではありませんか!」
広宣流布の戦いを進めるうえで、仏法の師と心を合わせていくことこそが、団結の根本である。そこに勝利への前進がある。
自転車も、車軸にスポークがしっかりと繋がってこそ、車輪の回転がある。この車軸の存在が師匠にあたるといってよい。
伸一の指揮のもと、関西は、怒濤の大前進を開始した。(中略)
戸田城聖の会長就任五周年となる五月には、遂に関西は、大阪支部一万一千百十一世帯、堺支部千五百十五世帯という弘教を成し遂げた。
「戸田先生は折伏の師匠である。なれば、弟子として弘教をもって、会長就任五周年をお祝いしよう」との伸一の思いを、関西の同志は、皆が共有していたのだ。
(『新・人間革命』第23巻「勇気」の章、242〜245ページ)
2021年10月21日木曜日
2021.10.21 わが友に贈る
学会は全員が主役だ。
自分にしか演じられない
広布と人生の劇がある。
痛快な勝利のドラマを!
使命の舞台は今ここに!
小乗大乗分別抄 P525
『或ははづかの小乗一途の小法をしりて大法を行ずる人はしからずと我慢して我が小法を行ぜんが為に大法秘法の山寺をおさへとる者もあり』
【通解】
あるいは、わずかの小乗のみの小法を知って、大法を行ずる人を間違いであると我慢の心を起こし、自分の小法を弘めるために大法秘法を弘める山寺を抑え取る者もあり
名字の言 抜けるような秋空を仰いで 2021年10月21日
秋は「天高し」。青く澄み渡る空が一段と高く見える季節である▼「見あぐれば塔の高さよ秋の空」。正岡子規がこう詠んだのは、親友・夏目漱石の下宿先で病気療養していた28歳の時だった。体調が戻り、愛媛・松山市の道々を久方ぶりに散歩した折の句という。漱石も回復を喜んだに違いない。松山城を望んで「見上ぐれば城屹として秋の空」と子規に贈っている。励まし高め合う2人の青年にとって、空は志を引き上げてくれるものだったのだろう▼法華経において空は境涯の高みを象徴している。見宝塔品の後半で想像を絶する高さの宝塔が衆生の前に現れるや、釈尊は説法の場を霊鷲山から空中へ移した。御書に「虚空とは寂光土なり」(742ページ)とある通り、虚空での会座は、広大な仏の世界を示している▼我らの信仰は、小さな自我の殻を破り、現実に悲観しがちな心を鍛え上げ、高き境涯へ到達するためにある。その眼から見れば、一切の苦しみや悩みは信心を強める糧と映ろう。厭うものだった現実は仏法を実践し、生命の偉大さを証明する尊き舞台へと変わる▼「秋天にわれがぐんぐんぐんぐんと」(高浜虚子)。抜けるような空を仰ぎ、わが心も高みへ高みへと誓う挑戦の秋である。
寸鉄 2021年10月21日
「師子吼とは仏の説なり」御書。唱題の力は偉大。祈りと誠実が心の扉開く
京都、奈良、和歌山、滋賀が勇戦!常勝の大行進をここから。破竹の拡大を
公明が大阪16・3・5・6で大接戦。断じて勝ち上がれ!皆が強力に支援!
兵庫2・8も激戦。公明よ全議員が死力尽くし凱旋を!民衆の連帯で後押し
偽情報4人に1人が気付かず拡散—調査。情報源の真偽確認。落ち着いて
〈社説〉 2021・10・21 増加する子どもの事故
◇社会全体で安全環境を構築
愛娘を亡くした後で夫婦関係にひずみが生まれ、修復できぬまま、妻もこの世から旅立つ——。今夏公開の映画「ドライブ・マイ・カー」には、家族を失った主人公の悲嘆や喪失感が描かれ、胸を締め付けられる思いがした。
翻って、乳幼児が誤って転落し死亡する事故が後を絶たない。子どもの「不慮の事故」は、14歳以下の死因で常に上位。コロナ禍によって在宅時間が延び、家の中の事故は増加傾向にあるという。日本小児科学会の「Injury Alert(傷害速報)」には、さまざまな事例が掲載されている。ボタン電池や洗濯用ジェルボールの誤飲、歯磨き中の喉突き、浴槽での溺水といった、家庭で警戒すべきポイントを確認できる。
注意深い見守りが大切なのは当然だが、事故の責任を親に押し付けても解決にはつながらない。小児科医の山中龍宏氏は「目を離さないでいることは、ほぼ不可能」(西田佳史、山中龍宏編著『保育・教育施設における事故予防の実践』中央法規出版)と断言する。小学校低学年にもなれば、ベランダの柵をよじ登るのに10秒も要さない。目の前にいても、制止すら容易ではないだろう。
子どもから危険を遠ざけ、親が仮に目を離した瞬間があっても、安全が守られるような環境の構築——安全に配慮した製品、適切な安全基準の設定、事故の危険性や予防方法の周知徹底、などを企業や行政、消費者が推進し、社会全体で事故を防いでいきたい。
コロナ禍に限らず、子育てには不安がつきものだ。最近は、対面による育児の相談機会が減り、父親の「産後うつ」も顕在化しつつある。育児支援団体の中心メンバーである男子部員は、絵本の読み聞かせや映画の上映会などを定期的に開催。「微力かもしれないが無力ではない」と、"新米パパ"たちの悩みに耳を傾ける。
何よりも、事故を防ぐために情報をアップデート(更新)し、学び続ける姿勢を忘れずにいたい。大阪市立大空小学校の初代校長・木村泰子さんは「自分をほんのちょっと変えるだけで、子どもを取り巻く環境が大きく変わる」(尾木直樹、木村泰子著『「みんなの学校」から「みんなの社会」へ』岩波ブックレット)と、願いを込める。未来の宝の安全と健康を祈りながら、1人も欠けることなく、一歩成長の毎日を。
☆随筆「人間革命」光あれ 凱歌の秋へ勇者共戦 2021年10月14日
広宣流布に生きゆく我らは、御本仏と常に共にある。
日蓮大聖人は、甲州(山梨)と「一千里の山海」を隔てた佐渡の老いたる功労の国府尼に仰せになられた。
「日蓮こい(恋)しく・をはせば 常に出ずる日ゆうべに・いづる月ををが(拝)ませ給え、いつ(何時)となく日月にかげ(影)をう(浮)かぶる身なり」(御書一三二五ページ)
妙法で結ばれた創価家族には、日天・月天という天の明鏡にも映し出されゆく、壮大なロマンの絆がある。日本中、世界中の地涌の宝友と誓願の祈りを一つに、共に励まし合い、異体同心の大連帯を広げゆくのだ。
◇模範の勝利島部
去る十月七日は、「勝利島部」の日であった。
この記念日に際して、全国の二百三十を超える島々で活躍されている、多くの友の近況を伺った。
北は北海道、東北から、東京、信越・北陸の島々、中部、関西の島々、広島など中国、四国の島々、南の九州・沖縄の島々まで——。
草創より、無理解な批判の中、忍耐して根を張り、地域の発展のために汗を流し、厚い信頼を勝ち得てきた多宝の父母がおられる。
負けじ魂を燃やし、コロナ禍の苦難とも闘い、人間革命の実証を示しゆく同志がいる。島の"希望の宝"と光る、凜々しき男女青年部、未来部の友もいる。
どんな烈風もはね返し、友好と貢献の見事な模範を打ち立てている創価の不軽菩薩たちに、私は合掌する。一つ一つの島に届けと題目を唱え、一人ひとりに福徳安穏あれ、栄光凱歌あれと祈る日々である。
大聖人は、荒海に浮かぶ佐渡で、門下はもとより島の人びとを大きく包容されながら、「一閻浮提広宣流布」の未来記を宣言された。
「一身一念法界に遍し」(同二四七ページ)である。
地涌大願の一念は、どんな限界をも破る。
一つの島の広布、一つの地域の立正安国は、紛れもなく「一つの世界」の広布であり、立正安国なのである。
御本仏は「其の国の仏法は貴辺にまか(任)せたてまつり候ぞ」(同一四六七ページ)と門下を激励された。
私たちは、いずこの地にあっても、わが使命の郷土、地域で、広布を託された幸福責任者なりと、誇りに胸を張っていきたい。
◇母の「豊富な力」
佐渡の千日尼へのお手紙には、「悲母の恩を報ぜんために此の経の題目を一切の女人に唱えさせんと願ず」(同一三一二ページ)と記されている。
牧口・戸田両先生以来、このお心を拝し、母たち女性たちを大切にするのが、創価の師弟の心である。
早いもので、私が長編詩「母」を作ってから、半世紀になる。一九七一年(昭和四十六年)の十月、大阪市の東淀川体育館で行われた関西婦人部幹部会が、発表の場であった。
あの"大阪の戦い"から十五年。私と共に、けなげに奮闘してくれた常勝関西の母たち女性たちに真っ先に贈りたかったのである。
まだ推敲の跡が残る詩の最終原稿を携えて、妻が私の名代として参加した。
「母よ!/おお 母よ」
「あなたは なんと不思議な力を/なんと豊富な力を もっているのか」
私が詩にうたった感嘆と敬愛は、今も変わらない。
否、これからこそ、女性たちの「豊富な力」が輝き光っていくはずだ。
折々に、クリームイエローの気品ある創価世界女性会館の前を通るたびに、妻が笑顔をほころばせる。
二十一世紀開幕の前年、「婦人」ではなくして「世界女性」との名を冠して誕生した殿堂の意義は深い。
日眼女(四条金吾夫人)に送られた御書には、妙法の大功力を譬え、「明かなる事・日月にすぎんや浄き事・蓮華にまさるべきや」(一一〇九ページ)と仰せである。
太陽と月の如く、蓮華の如く、まさに今、人びとに幸と智慧を送り、生命尊厳の女性の世紀を勝ち開く、希望のスクラムが新生しようとしている。
来る創立記念日の十一月十八日を期して、女子部が女性部として新出発する。いよいよ多様性の時代をリードし、桜梅桃李の個性をのびやかに尊重して生かし合い、朗らかな幸福と平和の大前進が始まるのだ!
いかなる混迷の世の闇も打ち払う、この創価の宝光を世界が待っている。
◇青年の大確信で
青年の秋だ。希望の秋だ。そして勝利の秋だ!
大文豪ゲーテは言った。
「青年は青年にたいしてもっとも強く働きかける」「これが世界を活気づけ、精神的にも肉体的にも死滅せしめない力なのである」と。
七十年前(一九五一年)の十月、私たち青年部は猛然と立ち上がった。
皆が若き胸に抱いていたのは、恩師からいただいた指針「青年訓」である。
「新しき世紀を創るものは、青年の熱と力である」
「奮起せよ! 青年諸氏よ。闘おうではないか! 青年諸氏よ」
その一言一言に、男子部も女子部も心躍らせた。
恩師は、さらに"同志の士気を鼓舞し、広宣流布の大願の中心人物たることを、自覚せよ"と絶大なる期待を託されたのだ。
翌月、東京都内で行われた学会全体の総会で、私は男子部を代表して「青年の確信」と題する決意発表を行った。当時は班長だったから、今でいえばニュー・リーダー、地区リーダーに当たるだろうか。
それは、恩師の「青年訓」への報恩の誓いであった。
「われら青年は、そのお言葉を絶対虚妄にいたしません」「闘争力と、勇気に満ちたる青年が、学会青年の確信であります」と——。
この総会で戸田先生は、弟子に応えてくださるかのように、「創価学会の大誓願」と題して講演された。
「北条時宗への御状」——文永五年(一二六八年)、執権の北条時宗を諫暁された御書を拝して、訴えられたのだ。
"創価学会の魂とは、この日蓮大聖人の魂を魂とし、一乗妙法の力で、全民衆を救うのが、学会精神であります"
この日から十年後(一九六一年)の十一月——。
「男子部の日」の淵源となった五日の男子部総会には十万人、そして十二日の「女子部の日」の淵源となった女子部総会には八万五千人の友が、勝ち鬨をあげて集ったのである。
この時、私が第三代会長として指揮を執り始めて一年半——生命の宝塔を林立させゆく青年たちの「勝利」の二字こそ、恩師に捧げる「師弟不二の誓願の結晶」となったのである。
◇舞を舞うが如く
それから、さらに二十星霜を経た一九八一年(昭和五十六年)。「青年の年」と銘打ったこの一年、私は、総東京はもちろん、東海道、関東、関西、信越、中部と、列島各地、そして北中米、ハワイ、ソ連(ロシア)、欧州と、世界中を駆け巡った。
一人の青年が本気で立ち上がれば、「二人・三人・百人と」広宣流布の陣列は必ずや広がっていく。
師の心を、わが心とする若人が一人いれば、その地域、その国の未来は明るい。これこそが、私が恩師のもとで先駆けた道であった。ゆえに、直接、会える、会えないではなく、私は、あらゆる機会を捉え、全精魂を注いで青年を励ました。
この年の九月に行われた「北海道青年部総会」の大成功を報じる聖教新聞を手に、私は「見たか! 北海道の青年が立ち上がったぞ!」と快哉を叫んだことも懐かしい。
十一月には、私は東京と関西で「嗚呼黎明は近づけり」の歌の指揮を執り、四国では、青年と共に「紅の歌」で新時代の暁鐘を打ち鳴らした。そして、「青年の年」の総仕上げが、九州・大分での長編詩「青年よ 二十一世紀の広布の山を登れ」の誕生であった。
この勇者の共戦によって本格的に始まった反転攻勢から、今日に至る世界広布の大道が開かれたのだ。
◇今再び「大いなる広布の山」を登れ!
大聖人は、「大悪を(起)これば大善きたる」(御書一三〇〇ページ)と断言され、勇み立つ生命を、「ま(舞)いをも・まいぬべし」「立ってをど(踊)りぬべし」、そして「上行菩薩の大地よりいで給いしには・をど(踊)りてこそい(出)で給いしか」と明かされている。
大悪——最も大変な時こそ、大善へと、自分自身を、さらに社会をも転じていけると勇み、立ち上がるのが、仏法者にほかならない。
そこには、憂いも悲嘆も、感傷も諦めもない。喜びだ。最高無上の妙法を実践する大歓喜であり、わが使命を果たす誉れである。これほど尊く充実した「青春の勝利劇」はないのだ。
当時の若師子も、華陽の乙女も、まっしぐらに広布の山を、私と一緒に登攀し、後継の陣列を築いてくれている。皆、私の生命の奥底から離れることはない。
今再び、我らの前には「大いなる広布の山」がある。学会創立百周年の二〇三〇年へ、さらに二十二世紀の民衆勝利を開くために、越えてゆかねばならぬ山だ。
ゆえに私は、今再び、愛し信ずる地涌の君たちに、声を大にして訴えたい。
この山を登攀したならば、見える限りの世界がすべて君たちのものだ!
その所願満足の歓喜の法戦こそ、無上道の人生であり、青春であるがゆえに、私はすべてを本門の君たちに託したい!——と。
自分にしか演じられない
広布と人生の劇がある。
痛快な勝利のドラマを!
使命の舞台は今ここに!
小乗大乗分別抄 P525
『或ははづかの小乗一途の小法をしりて大法を行ずる人はしからずと我慢して我が小法を行ぜんが為に大法秘法の山寺をおさへとる者もあり』
【通解】
あるいは、わずかの小乗のみの小法を知って、大法を行ずる人を間違いであると我慢の心を起こし、自分の小法を弘めるために大法秘法を弘める山寺を抑え取る者もあり
名字の言 抜けるような秋空を仰いで 2021年10月21日
秋は「天高し」。青く澄み渡る空が一段と高く見える季節である▼「見あぐれば塔の高さよ秋の空」。正岡子規がこう詠んだのは、親友・夏目漱石の下宿先で病気療養していた28歳の時だった。体調が戻り、愛媛・松山市の道々を久方ぶりに散歩した折の句という。漱石も回復を喜んだに違いない。松山城を望んで「見上ぐれば城屹として秋の空」と子規に贈っている。励まし高め合う2人の青年にとって、空は志を引き上げてくれるものだったのだろう▼法華経において空は境涯の高みを象徴している。見宝塔品の後半で想像を絶する高さの宝塔が衆生の前に現れるや、釈尊は説法の場を霊鷲山から空中へ移した。御書に「虚空とは寂光土なり」(742ページ)とある通り、虚空での会座は、広大な仏の世界を示している▼我らの信仰は、小さな自我の殻を破り、現実に悲観しがちな心を鍛え上げ、高き境涯へ到達するためにある。その眼から見れば、一切の苦しみや悩みは信心を強める糧と映ろう。厭うものだった現実は仏法を実践し、生命の偉大さを証明する尊き舞台へと変わる▼「秋天にわれがぐんぐんぐんぐんと」(高浜虚子)。抜けるような空を仰ぎ、わが心も高みへ高みへと誓う挑戦の秋である。
寸鉄 2021年10月21日
「師子吼とは仏の説なり」御書。唱題の力は偉大。祈りと誠実が心の扉開く
京都、奈良、和歌山、滋賀が勇戦!常勝の大行進をここから。破竹の拡大を
公明が大阪16・3・5・6で大接戦。断じて勝ち上がれ!皆が強力に支援!
兵庫2・8も激戦。公明よ全議員が死力尽くし凱旋を!民衆の連帯で後押し
偽情報4人に1人が気付かず拡散—調査。情報源の真偽確認。落ち着いて
〈社説〉 2021・10・21 増加する子どもの事故
◇社会全体で安全環境を構築
愛娘を亡くした後で夫婦関係にひずみが生まれ、修復できぬまま、妻もこの世から旅立つ——。今夏公開の映画「ドライブ・マイ・カー」には、家族を失った主人公の悲嘆や喪失感が描かれ、胸を締め付けられる思いがした。
翻って、乳幼児が誤って転落し死亡する事故が後を絶たない。子どもの「不慮の事故」は、14歳以下の死因で常に上位。コロナ禍によって在宅時間が延び、家の中の事故は増加傾向にあるという。日本小児科学会の「Injury Alert(傷害速報)」には、さまざまな事例が掲載されている。ボタン電池や洗濯用ジェルボールの誤飲、歯磨き中の喉突き、浴槽での溺水といった、家庭で警戒すべきポイントを確認できる。
注意深い見守りが大切なのは当然だが、事故の責任を親に押し付けても解決にはつながらない。小児科医の山中龍宏氏は「目を離さないでいることは、ほぼ不可能」(西田佳史、山中龍宏編著『保育・教育施設における事故予防の実践』中央法規出版)と断言する。小学校低学年にもなれば、ベランダの柵をよじ登るのに10秒も要さない。目の前にいても、制止すら容易ではないだろう。
子どもから危険を遠ざけ、親が仮に目を離した瞬間があっても、安全が守られるような環境の構築——安全に配慮した製品、適切な安全基準の設定、事故の危険性や予防方法の周知徹底、などを企業や行政、消費者が推進し、社会全体で事故を防いでいきたい。
コロナ禍に限らず、子育てには不安がつきものだ。最近は、対面による育児の相談機会が減り、父親の「産後うつ」も顕在化しつつある。育児支援団体の中心メンバーである男子部員は、絵本の読み聞かせや映画の上映会などを定期的に開催。「微力かもしれないが無力ではない」と、"新米パパ"たちの悩みに耳を傾ける。
何よりも、事故を防ぐために情報をアップデート(更新)し、学び続ける姿勢を忘れずにいたい。大阪市立大空小学校の初代校長・木村泰子さんは「自分をほんのちょっと変えるだけで、子どもを取り巻く環境が大きく変わる」(尾木直樹、木村泰子著『「みんなの学校」から「みんなの社会」へ』岩波ブックレット)と、願いを込める。未来の宝の安全と健康を祈りながら、1人も欠けることなく、一歩成長の毎日を。
☆随筆「人間革命」光あれ 凱歌の秋へ勇者共戦 2021年10月14日
広宣流布に生きゆく我らは、御本仏と常に共にある。
日蓮大聖人は、甲州(山梨)と「一千里の山海」を隔てた佐渡の老いたる功労の国府尼に仰せになられた。
「日蓮こい(恋)しく・をはせば 常に出ずる日ゆうべに・いづる月ををが(拝)ませ給え、いつ(何時)となく日月にかげ(影)をう(浮)かぶる身なり」(御書一三二五ページ)
妙法で結ばれた創価家族には、日天・月天という天の明鏡にも映し出されゆく、壮大なロマンの絆がある。日本中、世界中の地涌の宝友と誓願の祈りを一つに、共に励まし合い、異体同心の大連帯を広げゆくのだ。
◇模範の勝利島部
去る十月七日は、「勝利島部」の日であった。
この記念日に際して、全国の二百三十を超える島々で活躍されている、多くの友の近況を伺った。
北は北海道、東北から、東京、信越・北陸の島々、中部、関西の島々、広島など中国、四国の島々、南の九州・沖縄の島々まで——。
草創より、無理解な批判の中、忍耐して根を張り、地域の発展のために汗を流し、厚い信頼を勝ち得てきた多宝の父母がおられる。
負けじ魂を燃やし、コロナ禍の苦難とも闘い、人間革命の実証を示しゆく同志がいる。島の"希望の宝"と光る、凜々しき男女青年部、未来部の友もいる。
どんな烈風もはね返し、友好と貢献の見事な模範を打ち立てている創価の不軽菩薩たちに、私は合掌する。一つ一つの島に届けと題目を唱え、一人ひとりに福徳安穏あれ、栄光凱歌あれと祈る日々である。
大聖人は、荒海に浮かぶ佐渡で、門下はもとより島の人びとを大きく包容されながら、「一閻浮提広宣流布」の未来記を宣言された。
「一身一念法界に遍し」(同二四七ページ)である。
地涌大願の一念は、どんな限界をも破る。
一つの島の広布、一つの地域の立正安国は、紛れもなく「一つの世界」の広布であり、立正安国なのである。
御本仏は「其の国の仏法は貴辺にまか(任)せたてまつり候ぞ」(同一四六七ページ)と門下を激励された。
私たちは、いずこの地にあっても、わが使命の郷土、地域で、広布を託された幸福責任者なりと、誇りに胸を張っていきたい。
◇母の「豊富な力」
佐渡の千日尼へのお手紙には、「悲母の恩を報ぜんために此の経の題目を一切の女人に唱えさせんと願ず」(同一三一二ページ)と記されている。
牧口・戸田両先生以来、このお心を拝し、母たち女性たちを大切にするのが、創価の師弟の心である。
早いもので、私が長編詩「母」を作ってから、半世紀になる。一九七一年(昭和四十六年)の十月、大阪市の東淀川体育館で行われた関西婦人部幹部会が、発表の場であった。
あの"大阪の戦い"から十五年。私と共に、けなげに奮闘してくれた常勝関西の母たち女性たちに真っ先に贈りたかったのである。
まだ推敲の跡が残る詩の最終原稿を携えて、妻が私の名代として参加した。
「母よ!/おお 母よ」
「あなたは なんと不思議な力を/なんと豊富な力を もっているのか」
私が詩にうたった感嘆と敬愛は、今も変わらない。
否、これからこそ、女性たちの「豊富な力」が輝き光っていくはずだ。
折々に、クリームイエローの気品ある創価世界女性会館の前を通るたびに、妻が笑顔をほころばせる。
二十一世紀開幕の前年、「婦人」ではなくして「世界女性」との名を冠して誕生した殿堂の意義は深い。
日眼女(四条金吾夫人)に送られた御書には、妙法の大功力を譬え、「明かなる事・日月にすぎんや浄き事・蓮華にまさるべきや」(一一〇九ページ)と仰せである。
太陽と月の如く、蓮華の如く、まさに今、人びとに幸と智慧を送り、生命尊厳の女性の世紀を勝ち開く、希望のスクラムが新生しようとしている。
来る創立記念日の十一月十八日を期して、女子部が女性部として新出発する。いよいよ多様性の時代をリードし、桜梅桃李の個性をのびやかに尊重して生かし合い、朗らかな幸福と平和の大前進が始まるのだ!
いかなる混迷の世の闇も打ち払う、この創価の宝光を世界が待っている。
◇青年の大確信で
青年の秋だ。希望の秋だ。そして勝利の秋だ!
大文豪ゲーテは言った。
「青年は青年にたいしてもっとも強く働きかける」「これが世界を活気づけ、精神的にも肉体的にも死滅せしめない力なのである」と。
七十年前(一九五一年)の十月、私たち青年部は猛然と立ち上がった。
皆が若き胸に抱いていたのは、恩師からいただいた指針「青年訓」である。
「新しき世紀を創るものは、青年の熱と力である」
「奮起せよ! 青年諸氏よ。闘おうではないか! 青年諸氏よ」
その一言一言に、男子部も女子部も心躍らせた。
恩師は、さらに"同志の士気を鼓舞し、広宣流布の大願の中心人物たることを、自覚せよ"と絶大なる期待を託されたのだ。
翌月、東京都内で行われた学会全体の総会で、私は男子部を代表して「青年の確信」と題する決意発表を行った。当時は班長だったから、今でいえばニュー・リーダー、地区リーダーに当たるだろうか。
それは、恩師の「青年訓」への報恩の誓いであった。
「われら青年は、そのお言葉を絶対虚妄にいたしません」「闘争力と、勇気に満ちたる青年が、学会青年の確信であります」と——。
この総会で戸田先生は、弟子に応えてくださるかのように、「創価学会の大誓願」と題して講演された。
「北条時宗への御状」——文永五年(一二六八年)、執権の北条時宗を諫暁された御書を拝して、訴えられたのだ。
"創価学会の魂とは、この日蓮大聖人の魂を魂とし、一乗妙法の力で、全民衆を救うのが、学会精神であります"
この日から十年後(一九六一年)の十一月——。
「男子部の日」の淵源となった五日の男子部総会には十万人、そして十二日の「女子部の日」の淵源となった女子部総会には八万五千人の友が、勝ち鬨をあげて集ったのである。
この時、私が第三代会長として指揮を執り始めて一年半——生命の宝塔を林立させゆく青年たちの「勝利」の二字こそ、恩師に捧げる「師弟不二の誓願の結晶」となったのである。
◇舞を舞うが如く
それから、さらに二十星霜を経た一九八一年(昭和五十六年)。「青年の年」と銘打ったこの一年、私は、総東京はもちろん、東海道、関東、関西、信越、中部と、列島各地、そして北中米、ハワイ、ソ連(ロシア)、欧州と、世界中を駆け巡った。
一人の青年が本気で立ち上がれば、「二人・三人・百人と」広宣流布の陣列は必ずや広がっていく。
師の心を、わが心とする若人が一人いれば、その地域、その国の未来は明るい。これこそが、私が恩師のもとで先駆けた道であった。ゆえに、直接、会える、会えないではなく、私は、あらゆる機会を捉え、全精魂を注いで青年を励ました。
この年の九月に行われた「北海道青年部総会」の大成功を報じる聖教新聞を手に、私は「見たか! 北海道の青年が立ち上がったぞ!」と快哉を叫んだことも懐かしい。
十一月には、私は東京と関西で「嗚呼黎明は近づけり」の歌の指揮を執り、四国では、青年と共に「紅の歌」で新時代の暁鐘を打ち鳴らした。そして、「青年の年」の総仕上げが、九州・大分での長編詩「青年よ 二十一世紀の広布の山を登れ」の誕生であった。
この勇者の共戦によって本格的に始まった反転攻勢から、今日に至る世界広布の大道が開かれたのだ。
◇今再び「大いなる広布の山」を登れ!
大聖人は、「大悪を(起)これば大善きたる」(御書一三〇〇ページ)と断言され、勇み立つ生命を、「ま(舞)いをも・まいぬべし」「立ってをど(踊)りぬべし」、そして「上行菩薩の大地よりいで給いしには・をど(踊)りてこそい(出)で給いしか」と明かされている。
大悪——最も大変な時こそ、大善へと、自分自身を、さらに社会をも転じていけると勇み、立ち上がるのが、仏法者にほかならない。
そこには、憂いも悲嘆も、感傷も諦めもない。喜びだ。最高無上の妙法を実践する大歓喜であり、わが使命を果たす誉れである。これほど尊く充実した「青春の勝利劇」はないのだ。
当時の若師子も、華陽の乙女も、まっしぐらに広布の山を、私と一緒に登攀し、後継の陣列を築いてくれている。皆、私の生命の奥底から離れることはない。
今再び、我らの前には「大いなる広布の山」がある。学会創立百周年の二〇三〇年へ、さらに二十二世紀の民衆勝利を開くために、越えてゆかねばならぬ山だ。
ゆえに私は、今再び、愛し信ずる地涌の君たちに、声を大にして訴えたい。
この山を登攀したならば、見える限りの世界がすべて君たちのものだ!
その所願満足の歓喜の法戦こそ、無上道の人生であり、青春であるがゆえに、私はすべてを本門の君たちに託したい!——と。
2021年10月20日水曜日
2021.10.20 わが友に贈る
必死の一人は万軍に勝る。
まず自らが一人立つ。
そして一人を励まし抜く。
勇気の連帯を大きく広げ
限界突破の大行進を!
兵衛志殿御返事 P1091
『千年のかるかやも一時にはひとなる百年の功も一言にやぶれ候は法のことわりなり』
【通解】
千年も生い茂ったかるかやでも、火がつけば一時に灰となってしまい、百年もかかって立てた功績もわずか一言でやぶれてしまうことは、法の道理です。
名字の言 「未来までの・ものがたり」 2021年10月20日
「過去の歴史を正しく伝えれば、子どもたちは未来への希望を発見してくれるんです」。小学生に被爆体験を話してきた女性部員が言っていた。彼女は"語り部"を務める際、被爆後の復興の歩みを伝えることにも心を砕いてきた▼家族や身近な人を失った悲しみ、後遺症の恐怖、いわれなき偏見や差別を受けた悔しさ……。過酷な試練に耐えながら、多くの被爆者が懸命に生き抜いてきた。そして焦土と化し"もう草木は生えない"といわれた広島、長崎は緑輝く美しい都市へと見事に復興した▼この不屈の歴史に感動した子どもたちは、平和への感謝と強く生き抜く決意で、とびきりの笑顔になるという▼小説『人間革命』『新・人間革命』を読んで発心した青年が語っていた。「どの巻にも、庶民が苦難を乗り越えて幸福を勝ち取っていく姿が描かれている。読めば読むほど"自分も人間革命できる"と勇気が湧きます!」。三代会長と共に不屈の心で歩んできた「草創」の学会員の姿が、「今」を生きる私たちをどれほど奮い立たせてきたか▼「未来までの・ものがたりなに事か・これにすぎ候べき」(御書1086ページ)。今この時、苦難に挑み、断固と勝ち越える。その歩みは必ず、未来の"希望の物語"となる。
寸鉄 2021年10月20日
仏法は「本因妙」。未来はいくらでも変えられる。いつかではなく今全力で
北海道に全国から大声援民衆パワー全開で猛追!未聞の大逆転劇を共に!
北、足立、豊島、板橋が激戦。団結の大攻勢を!首都の空に勝利の旗必ず
広島の安佐南・北区、安芸高田、安芸太田、北広島が猛進!正義の勝鬨断固と
確保をいの一番に訴え、行き渡らせたのは公明—知事。命守る政治さらに
☆桂冠詩人40周年 勇気の舞 凱歌の行進 第10回 関西
本年は、「桂冠詩人」の称号が池田先生に贈られてから40周年。連載企画「勇気の舞 凱歌の行進」では、先生がつづった長編詩を紹介します。第10回は、関西の同志に詠んだ「常勝の空高く」(1983年)です。
◇勝利を私は待っている
関西の同志よ!
君達の
尊き心より広がりゆく
関西の空は
ある時は茜色に
ある時は紺碧に
また
ある時は曇天に
またある時は嵐の空に
移り変わることだろう
しかし
君達の行動は
何ものにも屈服せず
足取りも軽く
清新の生命の行進となって
続いていくことを
私は祈りたい
そして その若き地涌の行列をば
必ずや諸天も諸仏も
称え守りゆくに違いない
◆◇◆
かの 三十二年七月三日
そして 七月十七日の
あの 権力の熱火を
乗り越え
いつも 私を
心配してくれた
関西の 親しき
くずれざる 友情は
絶対に 忘れない
◆◇◆
私とともに
広布峻厳な
険しき山を乗り越え
天空万里を仰いだ
関西の同志よ!
あの人の顔も
あの人の家も
あの人の子らも
また病に臥せるあの人も
私は知っている
その健気なる
そして強盛なる
確かなる信心の軌跡を
私は知っている
◆◇◆
愛する関西の
あの「常勝の空」の歌声が
新時代へ
新章節へ
そして全世界へと こだまし
広く
また力強く
私の耳朶にも
響き渡ってくるような
気がしてならない
我が 心から愛する
関西の
偉大なる同志よ!
再びの大法戦に
「前進」また「前進」を合言葉に
威風にして
堂々の
勝利への大行進を
私は待っている
☆君も立て——若き日の挑戦に学ぶ 第10回「山口開拓指導〈下〉 私はどこまでも歩き続ける
【「若き日の日記」1956年(昭和31年)12月19日から】
信心による人間革命だけは、生涯必要。
これ、絶対に、根本なり。
1983年4月、山口広布開拓27周年を記念する県総会で、池田先生が贈った「広布源流」の書。脇書には「山口の友に贈る也」と
◇"まだできる"と前へ
池田大作先生が陣頭指揮を執り、山口の会員世帯を約10倍に拡大した「山口開拓指導」。先生は最前線に飛び込み、動きに動いた。
ある拠点を訪れた時のこと。そこには、メンバーのグループ分けの張り紙があった。イロハに区分されたグループが、「イ隊」「ロ隊」「ハ隊」と記されていた。
先生は、ユーモアを交えて語った。「こんな名前では戦う元気が出ないじゃないか。"イ隊"では"痛い"じゃないか」
会場には同志の笑顔が咲き、雰囲気がパッと明るくなった。先生は、拡大の上げ潮の時だからこそ、皆が窮屈にならないよう、リーダーとして気を配ったのである。
山口への派遣メンバーや地元の同志が、喜々として対話に励む中で、拡大の勢いはみるみる加速していった。しかし、対話が進めば進むほど、無理解や批判の壁にぶつかった。
防府市と岩国市を中心に対話を広げた、派遣メンバーの女性。話を快く聞いてくれる人は少なく、対話は実らなかった。降り出した雨に濡れながら、悔し涙をこらえた。
そんな時、先生の「四条金吾殿御返事」の講義を受けた。渾身の講義に、彼女は、これまでの苦闘の意味を深くかみ締めた。そして弾むような気持ちで決意を記した。
「苦難を乗り切ったとき、その難が大きければ大きいほど喜びは大きい。苦難から逃げるのではなく、信心で難を乗り越えるのだ」
彼女は同志と共に、元気に拠点を飛び出した。そして、その直後に知り合った一家をはじめ、縁する友に次々と対話を実らせた。
"もう無理だ"と退くのか。"まだできる"と前へ進むのか。拡大のカギは挑み続ける心にこそある。先生は、「御書」と「激励」を通し、一人一人の心に"挑戦の火"をともしていった。
430世帯だった山口の会員世帯は、1956年(昭和31年)の開拓指導を通じ、12月末には、3214世帯へと大きく飛躍。
57年(同32年)1月21日、先生は3度目の山口入りを果たす。滞在期間は、わずか5日間である。
「一月二十一日、山口県東端の岩国市にやってきて、二十二日、徳山、二十三日、防府、二十四日、宇部、二十五日、下関と、瀬戸内を西へと移動しながら、総仕上げの指導をして、組織をつくっていった」
◇開拓指導の意義
一、全国に拡大が波及
一、師の構想実現へうねり
一、中国広布の基盤構築
山口広布開拓20周年を祝う記念勤行会で、ピアノを演奏する池田先生(1977年5月21日、徳山文化会館〈当時〉で)
山口開拓指導の際、御書講義などが行われた宇部市の松屋旅館。池田先生は、1956年10月、11月、57年1月と、友の激励のために同旅館を訪れている
◇フル回転の激闘
池田先生は、会合での指導や一対一の激励とともに、わずかな時間を見つけては、励ましのはがきをつづっていった。列車で移動する際も、同志のために時間を割いた。
1957年(昭和32年)1月24日、先生は宿舎を出る直前まで個人指導を行い、列車に乗った。山陽本線から宇部線に乗り換えるために降りた小郡駅(当時)では、駆け付けた同志に心からの励ましを送った。
同日、宇部に移動した先生は、宇部市での開拓指導を締めくくる会合に参加。その前後も、拠点で渾身の激励を続けている。
滞在中、先生は食事の時間も惜しんだ。ある時、ご飯にお茶をかけ、サラサラッとかき込む姿を同志が見て、先生の健康を案じた。
すると先生は笑顔で言った。「悪いと分かっていても、次にやらなきゃいけないことがあって、急いでしまうんだね」
同志は、広布の"戦"に挑む中心者の覚悟の一念を、先生の姿を通して深く心に刻んだ。先生のフル回転の激闘は、最前線の友を鼓舞した。
先生は仏道修行における信念について、「動き続けていくのが仏道修行なのだ」「ともかく私は歩き続ける。どこまでも歩き続ける」と述べている。
戸田先生の真の弟子として、池田先生は一切の責任を担い、山口広布の土台を築いていった。だが、人知れない苦悩もあった。
3度目の山口入りの前月、先生は最愛の父親を亡くした。その時の思いを、日記にこう記している。
「私の生涯に、忘れ得ぬ日となる」「旧き、実直な父。封建的な、誠実な、スケール大なる父」「(戸田)先生より、種々の御配慮を戴く。感謝」(『若き日の日記』、1956年12月10日)
「此の永劫の離別の苦しみ。この絶対の解決こそ、仏法以外になき事を、唯々念う」(同、同年12月11日)
また、多くの派遣メンバーと同様、先生も経済的に厳しい状況にあった。
「体も疲れきっていた。経済的工面もたいへんだった。わが家の売れるものはすべて売って、交通費や滞在費等をやりくりした。ただ、私は戸田先生の山口に対する深き思いを、何としても実現したかった」
どんな苦悩があろうとも、池田先生は師匠への誓いを抱き締め、友のために走り抜いた。その先生のもとで、同志の"心の結合"が生まれていった。
小説『新・人間革命』には、開拓指導の勝利の要諦がつづられている。
「戸田城聖と(山本)伸一の師弟の魂の結合、さらに、伸一を中心とした同志の結合——それが、あの山口開拓指導の大勝利を打ち立てたのだ」
1月25日、開拓指導の掉尾を飾る「各支部合同総会」が下関で開催された。圧倒的な拡大と人材輩出で、歓喜が弾ける総会となった。一人一人の師弟直結の実践によって、山口は見違えるような組織へと生まれ変わったのである。
【「若き日の日記」1956年(昭和31年)12月6日から】
先生、折伏の師ならば、
われも折伏の弟子である。
1994年11月26日、池田先生は、山口文化会館で開催された第5回中国大勝利総会に出席。開拓指導の実践を振り返りながら、「かつて山口は明治の革命の源流であった。今度は壮大なる平和への『世界革命』の原動力となっていただきたい。そして盤石なる『中国の時代』を、ともどもに、つくりゆきたい」と呼び掛けた
◇「全責任を取ります」
3度目の山口入りの前後で、池田先生は二つの地を初めて訪れている。
一つが北海道の夕張。1957年(同32年)1月13日、池田先生は文京支部長代理として、夕張地区の友を激励するため、北へ向かった。
この日の地区総決起大会で、班の増設が発表された。
55年(同30年)11月に結成された夕張地区は、由仁、栗山、岩見沢、美唄、奈井江、滝川、赤平、芦別など、破竹の勢いで広がっていく。毎月、折伏の成果は支部のトップクラス。地区は当初、9班だったが、この日、45班まで増えた。
夕張に3日間滞在した先生は、同志に力強く訴えた。「逆境すら追い風にしていく生命力で師子王のごとく前進していきましょう!」
もう一つの地が広島だった。26日の開拓指導の帰途、先生は広島を初めて訪れ、岡山支部の広島地区総決起大会で"難にひるまぬ信心""清らかな信心""一生涯、不退の信心"との確たる指針を示した。
広島初訪問の2日後、先生は日記にこう書きとどめている。
「宿命打開と、広布の布石に、全力傾注の闘争せり。その実証、いつの日に出づるや」(同、57年1月28日)
山口開拓指導には、北海道から九州まで、全国各地から有志が参加し、その多くが先生の励ましに触れ、結果を出し、地元に戻った。山口の各市、夕張、広島——入魂の激励行によって、恩師・戸田先生の生涯の願業である75万世帯達成の実現へ、拡大のうねりが起こった。
山口滞在の最終日、池田先生は派遣メンバーに語り残している。
「この1年間が大切です。しっかり頑張りなさい。75万をやり遂げるのです。私が全責任を取ります」
師匠の構想実現へ、先生は全てを懸ける覚悟であった。
池田先生は、恩師・戸田先生と"山口で指導・折伏の旋風を"と交わした約束を果たした。開拓指導は、中国方面に揺るぎない広布の基盤を構築した。
先生は後年、地殻変動が山をつくるように、広布の大闘争が偉大なる歴史をつくり、渾身の山口開拓指導によって"大中国の陣列"が築かれたことを述べている。そして、こう強調した。
「あとは、その上に、自身の最高峰の戦いをもって、新しき『常勝』の歴史を開拓することだ!」
錦川に架かる5連の名橋「錦帯橋」を池田先生が撮影(1984年10月24日、山口・岩国市で)
まず自らが一人立つ。
そして一人を励まし抜く。
勇気の連帯を大きく広げ
限界突破の大行進を!
兵衛志殿御返事 P1091
『千年のかるかやも一時にはひとなる百年の功も一言にやぶれ候は法のことわりなり』
【通解】
千年も生い茂ったかるかやでも、火がつけば一時に灰となってしまい、百年もかかって立てた功績もわずか一言でやぶれてしまうことは、法の道理です。
名字の言 「未来までの・ものがたり」 2021年10月20日
「過去の歴史を正しく伝えれば、子どもたちは未来への希望を発見してくれるんです」。小学生に被爆体験を話してきた女性部員が言っていた。彼女は"語り部"を務める際、被爆後の復興の歩みを伝えることにも心を砕いてきた▼家族や身近な人を失った悲しみ、後遺症の恐怖、いわれなき偏見や差別を受けた悔しさ……。過酷な試練に耐えながら、多くの被爆者が懸命に生き抜いてきた。そして焦土と化し"もう草木は生えない"といわれた広島、長崎は緑輝く美しい都市へと見事に復興した▼この不屈の歴史に感動した子どもたちは、平和への感謝と強く生き抜く決意で、とびきりの笑顔になるという▼小説『人間革命』『新・人間革命』を読んで発心した青年が語っていた。「どの巻にも、庶民が苦難を乗り越えて幸福を勝ち取っていく姿が描かれている。読めば読むほど"自分も人間革命できる"と勇気が湧きます!」。三代会長と共に不屈の心で歩んできた「草創」の学会員の姿が、「今」を生きる私たちをどれほど奮い立たせてきたか▼「未来までの・ものがたりなに事か・これにすぎ候べき」(御書1086ページ)。今この時、苦難に挑み、断固と勝ち越える。その歩みは必ず、未来の"希望の物語"となる。
寸鉄 2021年10月20日
仏法は「本因妙」。未来はいくらでも変えられる。いつかではなく今全力で
北海道に全国から大声援民衆パワー全開で猛追!未聞の大逆転劇を共に!
北、足立、豊島、板橋が激戦。団結の大攻勢を!首都の空に勝利の旗必ず
広島の安佐南・北区、安芸高田、安芸太田、北広島が猛進!正義の勝鬨断固と
確保をいの一番に訴え、行き渡らせたのは公明—知事。命守る政治さらに
☆桂冠詩人40周年 勇気の舞 凱歌の行進 第10回 関西
本年は、「桂冠詩人」の称号が池田先生に贈られてから40周年。連載企画「勇気の舞 凱歌の行進」では、先生がつづった長編詩を紹介します。第10回は、関西の同志に詠んだ「常勝の空高く」(1983年)です。
◇勝利を私は待っている
関西の同志よ!
君達の
尊き心より広がりゆく
関西の空は
ある時は茜色に
ある時は紺碧に
また
ある時は曇天に
またある時は嵐の空に
移り変わることだろう
しかし
君達の行動は
何ものにも屈服せず
足取りも軽く
清新の生命の行進となって
続いていくことを
私は祈りたい
そして その若き地涌の行列をば
必ずや諸天も諸仏も
称え守りゆくに違いない
◆◇◆
かの 三十二年七月三日
そして 七月十七日の
あの 権力の熱火を
乗り越え
いつも 私を
心配してくれた
関西の 親しき
くずれざる 友情は
絶対に 忘れない
◆◇◆
私とともに
広布峻厳な
険しき山を乗り越え
天空万里を仰いだ
関西の同志よ!
あの人の顔も
あの人の家も
あの人の子らも
また病に臥せるあの人も
私は知っている
その健気なる
そして強盛なる
確かなる信心の軌跡を
私は知っている
◆◇◆
愛する関西の
あの「常勝の空」の歌声が
新時代へ
新章節へ
そして全世界へと こだまし
広く
また力強く
私の耳朶にも
響き渡ってくるような
気がしてならない
我が 心から愛する
関西の
偉大なる同志よ!
再びの大法戦に
「前進」また「前進」を合言葉に
威風にして
堂々の
勝利への大行進を
私は待っている
☆君も立て——若き日の挑戦に学ぶ 第10回「山口開拓指導〈下〉 私はどこまでも歩き続ける
【「若き日の日記」1956年(昭和31年)12月19日から】
信心による人間革命だけは、生涯必要。
これ、絶対に、根本なり。
1983年4月、山口広布開拓27周年を記念する県総会で、池田先生が贈った「広布源流」の書。脇書には「山口の友に贈る也」と
◇"まだできる"と前へ
池田大作先生が陣頭指揮を執り、山口の会員世帯を約10倍に拡大した「山口開拓指導」。先生は最前線に飛び込み、動きに動いた。
ある拠点を訪れた時のこと。そこには、メンバーのグループ分けの張り紙があった。イロハに区分されたグループが、「イ隊」「ロ隊」「ハ隊」と記されていた。
先生は、ユーモアを交えて語った。「こんな名前では戦う元気が出ないじゃないか。"イ隊"では"痛い"じゃないか」
会場には同志の笑顔が咲き、雰囲気がパッと明るくなった。先生は、拡大の上げ潮の時だからこそ、皆が窮屈にならないよう、リーダーとして気を配ったのである。
山口への派遣メンバーや地元の同志が、喜々として対話に励む中で、拡大の勢いはみるみる加速していった。しかし、対話が進めば進むほど、無理解や批判の壁にぶつかった。
防府市と岩国市を中心に対話を広げた、派遣メンバーの女性。話を快く聞いてくれる人は少なく、対話は実らなかった。降り出した雨に濡れながら、悔し涙をこらえた。
そんな時、先生の「四条金吾殿御返事」の講義を受けた。渾身の講義に、彼女は、これまでの苦闘の意味を深くかみ締めた。そして弾むような気持ちで決意を記した。
「苦難を乗り切ったとき、その難が大きければ大きいほど喜びは大きい。苦難から逃げるのではなく、信心で難を乗り越えるのだ」
彼女は同志と共に、元気に拠点を飛び出した。そして、その直後に知り合った一家をはじめ、縁する友に次々と対話を実らせた。
"もう無理だ"と退くのか。"まだできる"と前へ進むのか。拡大のカギは挑み続ける心にこそある。先生は、「御書」と「激励」を通し、一人一人の心に"挑戦の火"をともしていった。
430世帯だった山口の会員世帯は、1956年(昭和31年)の開拓指導を通じ、12月末には、3214世帯へと大きく飛躍。
57年(同32年)1月21日、先生は3度目の山口入りを果たす。滞在期間は、わずか5日間である。
「一月二十一日、山口県東端の岩国市にやってきて、二十二日、徳山、二十三日、防府、二十四日、宇部、二十五日、下関と、瀬戸内を西へと移動しながら、総仕上げの指導をして、組織をつくっていった」
◇開拓指導の意義
一、全国に拡大が波及
一、師の構想実現へうねり
一、中国広布の基盤構築
山口広布開拓20周年を祝う記念勤行会で、ピアノを演奏する池田先生(1977年5月21日、徳山文化会館〈当時〉で)
山口開拓指導の際、御書講義などが行われた宇部市の松屋旅館。池田先生は、1956年10月、11月、57年1月と、友の激励のために同旅館を訪れている
◇フル回転の激闘
池田先生は、会合での指導や一対一の激励とともに、わずかな時間を見つけては、励ましのはがきをつづっていった。列車で移動する際も、同志のために時間を割いた。
1957年(昭和32年)1月24日、先生は宿舎を出る直前まで個人指導を行い、列車に乗った。山陽本線から宇部線に乗り換えるために降りた小郡駅(当時)では、駆け付けた同志に心からの励ましを送った。
同日、宇部に移動した先生は、宇部市での開拓指導を締めくくる会合に参加。その前後も、拠点で渾身の激励を続けている。
滞在中、先生は食事の時間も惜しんだ。ある時、ご飯にお茶をかけ、サラサラッとかき込む姿を同志が見て、先生の健康を案じた。
すると先生は笑顔で言った。「悪いと分かっていても、次にやらなきゃいけないことがあって、急いでしまうんだね」
同志は、広布の"戦"に挑む中心者の覚悟の一念を、先生の姿を通して深く心に刻んだ。先生のフル回転の激闘は、最前線の友を鼓舞した。
先生は仏道修行における信念について、「動き続けていくのが仏道修行なのだ」「ともかく私は歩き続ける。どこまでも歩き続ける」と述べている。
戸田先生の真の弟子として、池田先生は一切の責任を担い、山口広布の土台を築いていった。だが、人知れない苦悩もあった。
3度目の山口入りの前月、先生は最愛の父親を亡くした。その時の思いを、日記にこう記している。
「私の生涯に、忘れ得ぬ日となる」「旧き、実直な父。封建的な、誠実な、スケール大なる父」「(戸田)先生より、種々の御配慮を戴く。感謝」(『若き日の日記』、1956年12月10日)
「此の永劫の離別の苦しみ。この絶対の解決こそ、仏法以外になき事を、唯々念う」(同、同年12月11日)
また、多くの派遣メンバーと同様、先生も経済的に厳しい状況にあった。
「体も疲れきっていた。経済的工面もたいへんだった。わが家の売れるものはすべて売って、交通費や滞在費等をやりくりした。ただ、私は戸田先生の山口に対する深き思いを、何としても実現したかった」
どんな苦悩があろうとも、池田先生は師匠への誓いを抱き締め、友のために走り抜いた。その先生のもとで、同志の"心の結合"が生まれていった。
小説『新・人間革命』には、開拓指導の勝利の要諦がつづられている。
「戸田城聖と(山本)伸一の師弟の魂の結合、さらに、伸一を中心とした同志の結合——それが、あの山口開拓指導の大勝利を打ち立てたのだ」
1月25日、開拓指導の掉尾を飾る「各支部合同総会」が下関で開催された。圧倒的な拡大と人材輩出で、歓喜が弾ける総会となった。一人一人の師弟直結の実践によって、山口は見違えるような組織へと生まれ変わったのである。
【「若き日の日記」1956年(昭和31年)12月6日から】
先生、折伏の師ならば、
われも折伏の弟子である。
1994年11月26日、池田先生は、山口文化会館で開催された第5回中国大勝利総会に出席。開拓指導の実践を振り返りながら、「かつて山口は明治の革命の源流であった。今度は壮大なる平和への『世界革命』の原動力となっていただきたい。そして盤石なる『中国の時代』を、ともどもに、つくりゆきたい」と呼び掛けた
◇「全責任を取ります」
3度目の山口入りの前後で、池田先生は二つの地を初めて訪れている。
一つが北海道の夕張。1957年(同32年)1月13日、池田先生は文京支部長代理として、夕張地区の友を激励するため、北へ向かった。
この日の地区総決起大会で、班の増設が発表された。
55年(同30年)11月に結成された夕張地区は、由仁、栗山、岩見沢、美唄、奈井江、滝川、赤平、芦別など、破竹の勢いで広がっていく。毎月、折伏の成果は支部のトップクラス。地区は当初、9班だったが、この日、45班まで増えた。
夕張に3日間滞在した先生は、同志に力強く訴えた。「逆境すら追い風にしていく生命力で師子王のごとく前進していきましょう!」
もう一つの地が広島だった。26日の開拓指導の帰途、先生は広島を初めて訪れ、岡山支部の広島地区総決起大会で"難にひるまぬ信心""清らかな信心""一生涯、不退の信心"との確たる指針を示した。
広島初訪問の2日後、先生は日記にこう書きとどめている。
「宿命打開と、広布の布石に、全力傾注の闘争せり。その実証、いつの日に出づるや」(同、57年1月28日)
山口開拓指導には、北海道から九州まで、全国各地から有志が参加し、その多くが先生の励ましに触れ、結果を出し、地元に戻った。山口の各市、夕張、広島——入魂の激励行によって、恩師・戸田先生の生涯の願業である75万世帯達成の実現へ、拡大のうねりが起こった。
山口滞在の最終日、池田先生は派遣メンバーに語り残している。
「この1年間が大切です。しっかり頑張りなさい。75万をやり遂げるのです。私が全責任を取ります」
師匠の構想実現へ、先生は全てを懸ける覚悟であった。
池田先生は、恩師・戸田先生と"山口で指導・折伏の旋風を"と交わした約束を果たした。開拓指導は、中国方面に揺るぎない広布の基盤を構築した。
先生は後年、地殻変動が山をつくるように、広布の大闘争が偉大なる歴史をつくり、渾身の山口開拓指導によって"大中国の陣列"が築かれたことを述べている。そして、こう強調した。
「あとは、その上に、自身の最高峰の戦いをもって、新しき『常勝』の歴史を開拓することだ!」
錦川に架かる5連の名橋「錦帯橋」を池田先生が撮影(1984年10月24日、山口・岩国市で)
2021年10月19日火曜日
2021.10.19 わが友に贈る
「仏法は勝負」だ。
我らの祈りと行動が
人類の未来を決める。
燃え上がる決意で
壁を破る一日一日を!
千日尼御前御返事 P1313
『天此の国を罰すゆへに此の疫病出現せり』
【通解】
天はこの国を罰するゆえに、この疫病が現れたのである。
名字の言 ナポレオンが語る「戦術の三大原則」 2021年10月19日
常勝将軍ナポレオンが語る「戦術の三大原則」がある。�全力を結集すること�活力を失わぬこと�名誉の戦死も辞さぬという断固たる決意を固めること▼この原則は、人生の戦いにも通じる。��は誰もが納得できるだろう。�を文豪トルストイの言葉で言い換えれば、「戦いに勝利するのは、勝とうという決意の固い側だ」となる。ナポレオン軍とロシア軍の戦いを描いた小説『戦争と平和』にある(望月哲男訳)▼ナポレオンがイタリア方面軍最高司令官としてオーストリア軍を迎え撃った時のこと。彼は訴えた。「わが兵力は半数だが、小をもって大を制するのが本当の勝利であることを忘れてはならん。粘り強さによって、すべてに打ち勝つことができるのだ」▼前進していたナポレオンの軍が止まった。敵は橋の向こうで砲列を敷いていた。この時、ナポレオンは軍の先頭に立って橋を渡り始めた。奮い立った兵士たちは司令官に続き、大勝をもぎとった(長�隆二著『不可能を可能にするナポレオン語録』日本教文社)▼強き一念は必ず伝播する。一念の「念」は「今の心」と書く。今の心に「断じて勝つ!」と刻み付け、一日一日を悔いなく前進したい。「心こそ大切なれ」(御書1192ページ)である。
寸鉄 2021年10月19日
「国は法に依って昌え」御書。生命尊厳の哲理掲げ立正安国の前進断じて
全国はどこも大激戦地。必ず勝つ!総立ちの拡大で巻き返しをここから!
衆院選公示。安定か混乱か—命運を決する一票。実現力と人物見極め選択
投票先で重視する政策、1位は対策—若者調査。「実績」抜群の公明よ戦え
一気に秋深まる1週間—予報。服装など賢く工夫。「前前の用心」で健康管理
☆小説「新・人間革命」に学ぶ
◇勝利
私たちは、なんのために戦うのか。
自身の幸福のためである。何があっても挫けない、自分自身を築くためである。人間革命のためである。また、人びとの幸福のためである。社会の繁栄と平和のためである。(中略)
私たちは、妙法をもって、末法の一切衆生を救うために出現した地涌の菩薩である。まさに広宣流布という「人間全体の幸福」の実現こそ、私たちの使命だ。
戦う限り、勝たねばならない。絶対に勝つと決めて、戦い抜くのだ。
勝利のためには、何よりも己自身を制覇せねばならぬ。牙をむく獰猛な敵も、所詮は自分の心の影にすぎない。
自身に勝つのだ!
臆病に勝つのだ!
あきらめの心に勝つのだ!
怠惰に勝つのだ!
自身に打ち勝ってこそ、大いなる「前進」があり、燦然と「勝利」の陽光は輝くのだ。
(第19巻「陽光」の章、199〜200ページ)
◇仏法は勝負
「御書には『仏法と申すは勝負をさきとし』(1165ページ)と仰せです。それは、広宣流布とは、第六天の魔王という生命破壊の魔性との戦いであり、さらには人間が生きるということ自体が、人生そのものが戦いであるからです。
人間の幸福といっても、自分の臆病や怠惰などの弱さと戦い、勝つことから始まります。人間革命とは、自己自身に勝利していくことであり、そのための、いわば道場が、学会活動の場であるともいえます。
私は、その時々の折伏の成果など、問題にしておりません。大事なことは、皆さんが強盛な信心に励み、大功徳を受け、生活も豊かになり、幸福に満ち満ちた悠々たる大境涯になっていくことです。そのための布教であり、学会の活動であることを、銘記していただきたいのであります」
(第8巻「布陣」の章、48〜49ページ)
☆御書カフェ 華陽姉妹の語らい 各各師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ 2021年10月10日
◇御文
『各各師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ』(聖人御難事、1190ページ)
◇通解
あなたがた一人一人が師子王の心を奮い起こして、どのように人が脅そうとも、決して恐れてはなりません。
◇教えて
師匠と同じ心で勇気の対話に挑戦したいです!
◇池田先生の指導
「師子王の心」とは何か。日蓮大聖人の大精神であり、末法の一切衆生を救済していこうという御心です。そして、その仰せのままに、広宣流布に立たれた、牧口先生、戸田先生のご精神でもあります。また、師子王の「師子」とは、師匠と弟子であり、師弟を意味しています。つまり、弟子が師匠と呼吸を合わせ、同じ決意に立ってこそ、何ものをも恐れぬ、勇敢な「師子王の心」を取り出していくことができるんです。(『新・人間革命』第26巻「奮迅」の章)
◇ ◆ ◇
勇気は、遠くにあるのではない。十界互具のわが生命の中に、厳然とある。老若男女を問わず、誰でも勇気は出せるのです。題目の師子吼で自身の弱い心を打ち破るのです。諦めの壁を乗り越えて戦っていくのです。
そして自他共の幸福を願って勇気の対話を実践していくことが慈悲に通じていくのです。(中略)
我ら創価の師弟は、永遠に、この「勇気の力」をもって戦い、勝っていくのです。(『わが愛する青年に贈る』)
☆池田華陽会御書30編 研さんのために 報恩抄�
◇今いる場所で使命を果たす
今月は「報恩抄」の前半を学びます。池田先生はつづられました。
「報恩は誓願を生みます。報恩は行動を生みます。報恩は勇気を生みます。報恩は勝利を生みます。報恩に徹する人は、自身の生命を最高に磨き、境涯を最大に勝ち光らせることができるのです」
日蓮大聖人が示された「報恩」の生き方を心に刻み、栄光の「11・18」へ、自分らしく、挑戦と勝利の歴史を築いていきましょう。(拝読範囲は御書293ページ冒頭〜310ページ11行目「已上三人なり」です)
◇本抄について
本抄は、旧師・道善房の逝去の知らせを聞かれた日蓮大聖人が、建治2年(1276年)7月、身延で認められた御書です。修学時代の兄弟子である浄顕房と義浄房に「本抄を道善房の墓前でも読むように」との伝言を添え、託されました。
道善房は、大聖人が若き日、安房国(千葉県南部)清澄寺で仏教を学んだ時に、師匠となった人物です。
本抄で大聖人は、師匠への報恩として、御自身の求道と弘教の御生涯を示されます。そして、「三大秘法の南無妙法蓮華経」の無量の功徳を明かされ、人類の未来を救う道を開いたことを宣言されます。
◇御文
『夫れ老狐は塚をあとにせず白亀は毛宝が恩をほうず畜生すらかくのごとしいわうや人倫をや、されば古への賢者予譲といゐし者は剣をのみて智伯が恩にあてこう演と申せし臣下は腹をさひて衛の懿公が肝を入れたり、いかにいわうや仏教をならはん者父母・師匠・国恩をわするべしや、此の大恩をほうぜんには必ず仏法をならひきはめ智者とならで叶うべきか』(御書293ページ1行目〜4行目)
◇通解
そもそも、狐は決して生まれた古塚を忘れず、また白亀は毛宝の恩に報いたという。畜生ですらこのように恩を知っている。まして人間においてはなおさらである。
ゆえに昔、予譲という賢人は、智伯の恩に報いようとして剣に伏して死んだという。また衛の弘演という臣下は、自分の腹を割き、懿公の肝を入れたという。ましてや、仏教を学ぶものが、どうして父母、師匠、国土や社会の恩を忘れてよいであろうか。
この大恩を報ずるためには、必ず仏法を学び究めて、智者とならなければ叶うことではない。
◇解説
日蓮大聖人は、掲げた御文の冒頭、恩を知り、恩に報いた「老狐」や「白亀」の説話と、命懸けで主君の恩に報いた、中国古代の賢人の故事を引き、"仏法者"であればなおさら、父母や師匠、国土・社会の恩を忘れてはならないと仰せです。
経典上の「報恩」の原語と考えられる、サンスクリット(古代インドの文語)の「クリタ・ジュニャー」には、「なされたこと」(クリタ)を「知る」(ジュニャー)との意味があります。
周囲の存在に目を向け、さまざまな恩を知り、感じた時に湧き上がる感動や感謝の思い。それが、次は自らが、恩ある人や周囲のために尽くしていこうという、報恩の決意となり、行動となる——これが仏法における知恩・報恩の生き方です。
続く御文で大聖人は、「大恩」に報いるための道として「仏法を学び究めて真の智者となり、人々を必ずや幸福に導いていく」との誓願を立てられたことを示されています。
報恩こそ、日蓮仏法の出発点であり、大聖人は誓願を果たすため、徹底して仏法の求道を重ねられました。そして、妙法弘通の大闘争を起こし、いかなる大難も敢然と勝ち越えながら、広宣流布の大道を切り開かれたのです。
本抄において、大聖人が特に重視されているのが「師匠の恩」です。
大聖人の修学時代の師・道善房は、最後まで念仏への執着が捨てられず、大聖人が迫害にあった時も、守ることができなかった人物でした。
それでも大聖人は、若き日、最初に仏法を教えてくれた恩ある師匠として大切にされ、逝去の報を聞かれるや、追善と報恩のために、本抄を書き留められました。
本抄の結論部分では、大聖人の妙法流布の功徳は全て、師である道善房に集まるとまで仰せです。どこまでも「師恩」に報いる生き方を、自らのお姿をもって示されたのです。
1958年(昭和33年)4月3日、戸田先生の逝去の翌日に、池田先生は「報恩抄」の一節を拝し、語られました。
「戸田先生の師恩に報いる道は、ただ一つ、先生が命を賭けてこられた広宣流布に邁進し、『先生、このように広布を進めました』と報告できる見事な闘争を展開する以外には、断じてありません」
師の心をわが心として、信心根本に人間革命に挑み、今いる場所で広布の使命を果たし抜いていく中に、最高の報恩の道があります。
縁する友の幸福を祈り、勇気と誠実の対話を朗らかに広げ、師弟勝利の青春を歩んでいきましょう。
★池田先生の指針から
信心を深め、無明を打ち破って、「大我」に生きゆく人生——。そこには、自分が縁する人々、自身を育んでくれた人々に尽きせぬ感謝の念が生じます。そして「知恩」「報恩」の清々しい道を力強く歩み抜くことができます。(中略)
「知恩」は、最も豊かな人間性の開発を目指す仏法の精神の発露です。
「報恩」は、無明に打ち勝った智慧の生命の証です。
知恩・報恩は、仏法者の人生を彩る生命の光なのです。(『希望の経典「御書」に学ぶ』第3巻)
◇ ◆ ◇
妙法弘通の大願に生き切る青春のなかに、父母への孝養も、お世話になった方々への報恩も、そして自他共の未来の幸福の創造も、一切が包含されている。(中略)
今いる場所で勝利を!
そう誓い、祈り、走り、戦い、勝つのが青年だ。
私が信頼する若き友よ!
偉大なる信力を奮い起こし、永遠不滅の勝利の城を築きゆくのだ!
青年よ、勝ちまくれ!
母たち、父たちの願った民衆勝利の朝を、威風も堂々と開きゆけ。(『随筆 出発の光』)
研さんのために
○…『わが愛する青年に贈る』(聖教新聞社)
○…『世界広布新時代の指針』(同)
○…『希望の経典「御書」に学ぶ』第3巻(同)
我らの祈りと行動が
人類の未来を決める。
燃え上がる決意で
壁を破る一日一日を!
千日尼御前御返事 P1313
『天此の国を罰すゆへに此の疫病出現せり』
【通解】
天はこの国を罰するゆえに、この疫病が現れたのである。
名字の言 ナポレオンが語る「戦術の三大原則」 2021年10月19日
常勝将軍ナポレオンが語る「戦術の三大原則」がある。�全力を結集すること�活力を失わぬこと�名誉の戦死も辞さぬという断固たる決意を固めること▼この原則は、人生の戦いにも通じる。��は誰もが納得できるだろう。�を文豪トルストイの言葉で言い換えれば、「戦いに勝利するのは、勝とうという決意の固い側だ」となる。ナポレオン軍とロシア軍の戦いを描いた小説『戦争と平和』にある(望月哲男訳)▼ナポレオンがイタリア方面軍最高司令官としてオーストリア軍を迎え撃った時のこと。彼は訴えた。「わが兵力は半数だが、小をもって大を制するのが本当の勝利であることを忘れてはならん。粘り強さによって、すべてに打ち勝つことができるのだ」▼前進していたナポレオンの軍が止まった。敵は橋の向こうで砲列を敷いていた。この時、ナポレオンは軍の先頭に立って橋を渡り始めた。奮い立った兵士たちは司令官に続き、大勝をもぎとった(長�隆二著『不可能を可能にするナポレオン語録』日本教文社)▼強き一念は必ず伝播する。一念の「念」は「今の心」と書く。今の心に「断じて勝つ!」と刻み付け、一日一日を悔いなく前進したい。「心こそ大切なれ」(御書1192ページ)である。
寸鉄 2021年10月19日
「国は法に依って昌え」御書。生命尊厳の哲理掲げ立正安国の前進断じて
全国はどこも大激戦地。必ず勝つ!総立ちの拡大で巻き返しをここから!
衆院選公示。安定か混乱か—命運を決する一票。実現力と人物見極め選択
投票先で重視する政策、1位は対策—若者調査。「実績」抜群の公明よ戦え
一気に秋深まる1週間—予報。服装など賢く工夫。「前前の用心」で健康管理
☆小説「新・人間革命」に学ぶ
◇勝利
私たちは、なんのために戦うのか。
自身の幸福のためである。何があっても挫けない、自分自身を築くためである。人間革命のためである。また、人びとの幸福のためである。社会の繁栄と平和のためである。(中略)
私たちは、妙法をもって、末法の一切衆生を救うために出現した地涌の菩薩である。まさに広宣流布という「人間全体の幸福」の実現こそ、私たちの使命だ。
戦う限り、勝たねばならない。絶対に勝つと決めて、戦い抜くのだ。
勝利のためには、何よりも己自身を制覇せねばならぬ。牙をむく獰猛な敵も、所詮は自分の心の影にすぎない。
自身に勝つのだ!
臆病に勝つのだ!
あきらめの心に勝つのだ!
怠惰に勝つのだ!
自身に打ち勝ってこそ、大いなる「前進」があり、燦然と「勝利」の陽光は輝くのだ。
(第19巻「陽光」の章、199〜200ページ)
◇仏法は勝負
「御書には『仏法と申すは勝負をさきとし』(1165ページ)と仰せです。それは、広宣流布とは、第六天の魔王という生命破壊の魔性との戦いであり、さらには人間が生きるということ自体が、人生そのものが戦いであるからです。
人間の幸福といっても、自分の臆病や怠惰などの弱さと戦い、勝つことから始まります。人間革命とは、自己自身に勝利していくことであり、そのための、いわば道場が、学会活動の場であるともいえます。
私は、その時々の折伏の成果など、問題にしておりません。大事なことは、皆さんが強盛な信心に励み、大功徳を受け、生活も豊かになり、幸福に満ち満ちた悠々たる大境涯になっていくことです。そのための布教であり、学会の活動であることを、銘記していただきたいのであります」
(第8巻「布陣」の章、48〜49ページ)
☆御書カフェ 華陽姉妹の語らい 各各師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ 2021年10月10日
◇御文
『各各師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ』(聖人御難事、1190ページ)
◇通解
あなたがた一人一人が師子王の心を奮い起こして、どのように人が脅そうとも、決して恐れてはなりません。
◇教えて
師匠と同じ心で勇気の対話に挑戦したいです!
◇池田先生の指導
「師子王の心」とは何か。日蓮大聖人の大精神であり、末法の一切衆生を救済していこうという御心です。そして、その仰せのままに、広宣流布に立たれた、牧口先生、戸田先生のご精神でもあります。また、師子王の「師子」とは、師匠と弟子であり、師弟を意味しています。つまり、弟子が師匠と呼吸を合わせ、同じ決意に立ってこそ、何ものをも恐れぬ、勇敢な「師子王の心」を取り出していくことができるんです。(『新・人間革命』第26巻「奮迅」の章)
◇ ◆ ◇
勇気は、遠くにあるのではない。十界互具のわが生命の中に、厳然とある。老若男女を問わず、誰でも勇気は出せるのです。題目の師子吼で自身の弱い心を打ち破るのです。諦めの壁を乗り越えて戦っていくのです。
そして自他共の幸福を願って勇気の対話を実践していくことが慈悲に通じていくのです。(中略)
我ら創価の師弟は、永遠に、この「勇気の力」をもって戦い、勝っていくのです。(『わが愛する青年に贈る』)
☆池田華陽会御書30編 研さんのために 報恩抄�
◇今いる場所で使命を果たす
今月は「報恩抄」の前半を学びます。池田先生はつづられました。
「報恩は誓願を生みます。報恩は行動を生みます。報恩は勇気を生みます。報恩は勝利を生みます。報恩に徹する人は、自身の生命を最高に磨き、境涯を最大に勝ち光らせることができるのです」
日蓮大聖人が示された「報恩」の生き方を心に刻み、栄光の「11・18」へ、自分らしく、挑戦と勝利の歴史を築いていきましょう。(拝読範囲は御書293ページ冒頭〜310ページ11行目「已上三人なり」です)
◇本抄について
本抄は、旧師・道善房の逝去の知らせを聞かれた日蓮大聖人が、建治2年(1276年)7月、身延で認められた御書です。修学時代の兄弟子である浄顕房と義浄房に「本抄を道善房の墓前でも読むように」との伝言を添え、託されました。
道善房は、大聖人が若き日、安房国(千葉県南部)清澄寺で仏教を学んだ時に、師匠となった人物です。
本抄で大聖人は、師匠への報恩として、御自身の求道と弘教の御生涯を示されます。そして、「三大秘法の南無妙法蓮華経」の無量の功徳を明かされ、人類の未来を救う道を開いたことを宣言されます。
◇御文
『夫れ老狐は塚をあとにせず白亀は毛宝が恩をほうず畜生すらかくのごとしいわうや人倫をや、されば古への賢者予譲といゐし者は剣をのみて智伯が恩にあてこう演と申せし臣下は腹をさひて衛の懿公が肝を入れたり、いかにいわうや仏教をならはん者父母・師匠・国恩をわするべしや、此の大恩をほうぜんには必ず仏法をならひきはめ智者とならで叶うべきか』(御書293ページ1行目〜4行目)
◇通解
そもそも、狐は決して生まれた古塚を忘れず、また白亀は毛宝の恩に報いたという。畜生ですらこのように恩を知っている。まして人間においてはなおさらである。
ゆえに昔、予譲という賢人は、智伯の恩に報いようとして剣に伏して死んだという。また衛の弘演という臣下は、自分の腹を割き、懿公の肝を入れたという。ましてや、仏教を学ぶものが、どうして父母、師匠、国土や社会の恩を忘れてよいであろうか。
この大恩を報ずるためには、必ず仏法を学び究めて、智者とならなければ叶うことではない。
◇解説
日蓮大聖人は、掲げた御文の冒頭、恩を知り、恩に報いた「老狐」や「白亀」の説話と、命懸けで主君の恩に報いた、中国古代の賢人の故事を引き、"仏法者"であればなおさら、父母や師匠、国土・社会の恩を忘れてはならないと仰せです。
経典上の「報恩」の原語と考えられる、サンスクリット(古代インドの文語)の「クリタ・ジュニャー」には、「なされたこと」(クリタ)を「知る」(ジュニャー)との意味があります。
周囲の存在に目を向け、さまざまな恩を知り、感じた時に湧き上がる感動や感謝の思い。それが、次は自らが、恩ある人や周囲のために尽くしていこうという、報恩の決意となり、行動となる——これが仏法における知恩・報恩の生き方です。
続く御文で大聖人は、「大恩」に報いるための道として「仏法を学び究めて真の智者となり、人々を必ずや幸福に導いていく」との誓願を立てられたことを示されています。
報恩こそ、日蓮仏法の出発点であり、大聖人は誓願を果たすため、徹底して仏法の求道を重ねられました。そして、妙法弘通の大闘争を起こし、いかなる大難も敢然と勝ち越えながら、広宣流布の大道を切り開かれたのです。
本抄において、大聖人が特に重視されているのが「師匠の恩」です。
大聖人の修学時代の師・道善房は、最後まで念仏への執着が捨てられず、大聖人が迫害にあった時も、守ることができなかった人物でした。
それでも大聖人は、若き日、最初に仏法を教えてくれた恩ある師匠として大切にされ、逝去の報を聞かれるや、追善と報恩のために、本抄を書き留められました。
本抄の結論部分では、大聖人の妙法流布の功徳は全て、師である道善房に集まるとまで仰せです。どこまでも「師恩」に報いる生き方を、自らのお姿をもって示されたのです。
1958年(昭和33年)4月3日、戸田先生の逝去の翌日に、池田先生は「報恩抄」の一節を拝し、語られました。
「戸田先生の師恩に報いる道は、ただ一つ、先生が命を賭けてこられた広宣流布に邁進し、『先生、このように広布を進めました』と報告できる見事な闘争を展開する以外には、断じてありません」
師の心をわが心として、信心根本に人間革命に挑み、今いる場所で広布の使命を果たし抜いていく中に、最高の報恩の道があります。
縁する友の幸福を祈り、勇気と誠実の対話を朗らかに広げ、師弟勝利の青春を歩んでいきましょう。
★池田先生の指針から
信心を深め、無明を打ち破って、「大我」に生きゆく人生——。そこには、自分が縁する人々、自身を育んでくれた人々に尽きせぬ感謝の念が生じます。そして「知恩」「報恩」の清々しい道を力強く歩み抜くことができます。(中略)
「知恩」は、最も豊かな人間性の開発を目指す仏法の精神の発露です。
「報恩」は、無明に打ち勝った智慧の生命の証です。
知恩・報恩は、仏法者の人生を彩る生命の光なのです。(『希望の経典「御書」に学ぶ』第3巻)
◇ ◆ ◇
妙法弘通の大願に生き切る青春のなかに、父母への孝養も、お世話になった方々への報恩も、そして自他共の未来の幸福の創造も、一切が包含されている。(中略)
今いる場所で勝利を!
そう誓い、祈り、走り、戦い、勝つのが青年だ。
私が信頼する若き友よ!
偉大なる信力を奮い起こし、永遠不滅の勝利の城を築きゆくのだ!
青年よ、勝ちまくれ!
母たち、父たちの願った民衆勝利の朝を、威風も堂々と開きゆけ。(『随筆 出発の光』)
研さんのために
○…『わが愛する青年に贈る』(聖教新聞社)
○…『世界広布新時代の指針』(同)
○…『希望の経典「御書」に学ぶ』第3巻(同)
2021年10月18日月曜日
2021.10.18 わが友に贈る
◇今週のことば
「異体同心なれば
万事を成じ」
我らの団結に恐れなし。
負けじ魂の宝友と
破竹の勢いで攻め勝て!
2021年10月18日
三沢抄 P1487
『仏法をがくする者は大地微塵よりをほけれどもまことに仏になる人は爪の上の土よりもすくなし』
【通解】
そもそも、仏教を学ぶ者は、大地微塵の数よりも多い。けれども、その中で、真に仏になる人は、爪の上に置いた土よりも少ない。
名字の言 カーリンガ王の敗因とアッサカ王の勝因 2021年10月18日
古代インドの仏教説話を一つ。強大な軍を擁し、王自身も象のように強いカーリンガという国があった。ある日、カーリンガ王は策謀を巡らせてアッサカ国に戦争を仕掛けた▼開戦前、天帝が勝敗を占い、「カーリンガ国が勝つ」と予想した。それを聞いた王は大喜び。この話は広く伝わり、すでに勝った気でいる王に率いられたカーリンガ軍は"我々の勝ちだそうだ"と、戦いの手を緩めた▼一方のアッサカ王は、決死の覚悟で自ら馬に乗り、千人の精鋭と共に敵陣へ突撃。油断したカーリンガ軍を打ち破った。それを見た天帝は語る。「心のゆるぎなき集中と、統一乱さず、時にのぞみての出陣」。そして「確固たる勇気」。このゆえに「アッサカ王に勝利あり」と(松村恒・松田慎也訳『ジャータカ全集4』春秋社)▼「大丈夫だろう」という慢心、「自分ぐらいは」という人任せ――どんな強者でも、世評や風聞に惑わされて歩みを止めてしまえば、足をすくわれる。勝負の厳しさである▼池田先生は「自分らしく精一杯戦っていくことだ。その真剣な一念によってこそ、自分ならではの、最高の力が発揮される」と教える。自分が活路を開いてみせる――その決定した一念の行動から勝利への回転は始まる。
寸鉄 2021年10月18日
「一日一時もゆるがせにせず闘い抜け」戸田先生。"挑戦の自分史"を今日も
北海道の大空知、留萌、サロベツが奮戦。日本中がエール。大逆転を断固
東京の北、足立、豊島、板橋よ頑張れ!勝機摑む拡大を。全同志が応援!
広島戸田総県が一気呵成の行軍。民衆の大連帯で栄光の峰へ駆け上がれ!
交通死は10~12月の薄暮時に突出と。早めの点灯、交差点の左右確認を徹底
〈社説〉 2021・10・18 きょう「民音」創立記念日
◇音楽から人間の魂を学ぶ
きょう10月18日は、民主音楽協会(民音)の創立記念日である。
「人類共通の宝である最高の音楽を民衆の手に」「音楽の力で人々を結び、世界平和の礎を築く」――これらの創立理念を掲げ、民音は1963年(昭和38年)10月18日に産声を上げた。
110カ国・地域と広く交流を結び、先日も世界屈指の規模である「東京国際音楽コンクール〈指揮〉」を成功裏に終えるなど、民音は世界に存在感を示す音楽団体として着実な発展を続けている。
この58年の歴史は、推進委員、賛助会員をはじめ、毎回の公演等を陰で支えてきてくださった、全ての方々の歩みにほかならない。
今、本紙では、民音の軌跡をたどる「世界に魂を 心に翼を――民音が開いた文化の地平」を連載しており、たくさんの読者から感想が寄せられている。
連載中のオペラ編では、ウィーン国立歌劇場やミラノ・スカラ座といった、日本のオペラ史における画期をなした超一流歌劇場の引っ越し公演を特集している。
これまで、オーケストラやバレエ、民族舞踊、各種コンクールなど、各分野における民音の貢献を取材する中で、各界の専門家にインタビューを行ってきた。そこで異口同音に語られるのは、民音の創立理念の先見性、何より民音創立者・池田先生の音楽と民衆へのまなざしに触れた感動である。
先日、ある識者が、連載で描いた一場面について、感慨深く語ってくれた。
民音でアーティストが来日するたびに、池田先生は感謝の伝言を寄せ、公演を支える人々にも心を尽くしてきた。ある折、先生は招へいに携わるスタッフに言う。
「いつも本当にありがとう。でも"素晴らしい公演だった"で終わってはいけない。歌や音楽から"人間の魂"を学ぶんだ」
音楽に込められたメッセージ、奏者や団体が持つ歴史や精神――その一つ一つに敬意を表し、次世代に伝えていくことが、芸術交流に取り組む者の責務なのだ、と。そこには、文化を守り、育む主体者であるとの誇りが脈打つ。
「そこまで思いをはせ、公演を支えてくれるのが民音の皆さんです。その源流は創立者の思想なのでしょう」と、その識者は語る。
人間の不屈の魂をたたえ、音楽で世界を結びゆく民音の挑戦を、これからも力強く応援したい。
☆創価学園「情熱の日」への池田先生のメッセージ
◇君たちの負けじ魂こそ人類を照らす希望の光
尊き友情のスクラム輝く「情熱の日」、誠におめでとう!
私の心には、いつも君たち学園生が、躍動しています。コロナ禍にも屈しない一人一人の努力をたたえ、私は全員に青春勝利の金メダルを差し上げたい思いです。
今日は、わが創価教育に溢れるばかりの期待を寄せてくださっている世界の友と一緒に、愛する皆さんへ、三つのエールを送ります。
一つ目は、「若獅子よ、怯まず進め!」です。
30年以上前になりますが、澄み渡る秋空の下、南アフリカの人権の大英雄、ネルソン・マンデラ氏を、皆さんの先輩たちと共に熱烈に歓迎しました。
27年半、1万日にも及ぶ過酷な投獄に負けず、人間の平等と尊厳のために戦い抜いた正義の獅子は、青年に語り掛けています。「自分の運命の脚本を自分で書き、自分で主役を演じてください」(『ネルソン・マンデラ 未来を変える言葉』セロ・ハタン、サーム・フェンター編、長田雅子訳、明石書店)と。皆さんも、勇気ある若獅子として、自ら決めた道を怯まず、自分らしく胸を張って進んでいってください。
二つ目は、「鳳雛よ、翼を鍛えよ!」です。
創価大学にも訪問してくださった、環境の母、ケニアのワンガリ・マータイ博士は、素晴らしい笑顔のリーダーでした。確信に満ちて「全力を注いであきらめずに難問に立ち向かえば、驚くほどの成果が生まれる」(『UNBOWED へこたれない ワンガリ・マータイ自伝』小池百合子訳、小学館)と、皆を励ましています。
使命深き鳳雛たる皆さんも、目の前の課題をあきらめずにベストを尽くしていく時、必ずや若き翼を限りなく鍛え上げ、希望の大空へ悠々と羽ばたいていくことができます。
三つ目は、「世界を照らす太陽に!」です。
70年前の秋、私の恩師である戸田城聖先生は「新しき世紀を創るものは、青年の熱と力である」と叫ばれました。
まさしく、皆さんの生命に燃え上がる熱と力こそが、世界を照らす太陽なのです。青春時代は、先の見えないことや、言い知れぬ悩みも絶えないことでしょう。しかし皆さんの負けじ魂は、その一切を勝利のエネルギーに転じ、世界の未来を明るく晴らしていくことができます。これこそが人類の希望の光なのです。
私は毎日、懸命に、かけがえのない皆さんの健康と無事故、そして楽しく有意義な学園生活を祈り抜いていきます。
☆質問BOX 仏法対話をしたのですが、反発され、落ち込んでしまいました。
◇回答
たしかに、勇気を奮い起こしたのに、友人から反発されると、思いが通じなかったように感じてしまうかもしれません。しかし、友の幸福を祈り、語った真心は、必ず相手に通じていきます。
ある男子部員は、仏法対話をした友人から"二度と信心の話をしないでほしい"と言われました。それでも、思いを込めて祈り抜くと、8年後、友人の方から"仏法の話を聞きたい"と連絡が。その後、入会に導くことができ、"何でも言い合える"親友になったと振り返っています。
池田先生は「祈りと確信を込めた慈悲の振る舞いは、必ず『仏縁』となります。その時は、かりに反発されたとしても、相手の生命の奥深くに仏縁を結んでいるのです」と語っています。
相手の反応がどうあれ、仏縁を広げられたことを確信し、友人の幸せのため、勇気を出せたことに胸を張っていきましょう。
☆Switch――共育のまなざし 幼い子どもを育てる親御さんたちへ
◇人を育むことほど尊いことはない
わが子を授かってから成人するまで、どの時代も子育てに苦労はつきもの。とは言っても、「子どもが幼いうちは毎日バタバタしていて本当に大変!」という方は多いのではないでしょうか。今回の「Switch――共育のまなざし」では、幼い子どもを育てる親御さんたちに向けて池田先生が送った励ましの言葉を、『21世紀への母と子を語る』(『池田大作全集』第62巻所収)の中から抜粋して紹介します。(編集・構成=大宮将之)
◇今は基盤を築く時
<1年365日、目まぐるしい毎日を送る親御さんたちの奮闘を池田先生はたたえつつ、語りました>
皆さんは、結婚、出産、子育てと、次から次へ、新しい経験の連続でしょう。環境の変化に、戸惑うことも多いにちがいない。
毎日の生活の中で、ふと我に返った時に、「いったい自分は何をやっているのだろう?」と思うようなこともあるかもしれない。
今は、幸福の基盤を築いていく時です。まず自分の足元を固めることです。
現実の生活の中で、がっちりと根を張っていってほしい。根は見えない。建物の基礎も地中深く、人の目にふれることはない。それを築くのは、地味な作業かもしれません。
しかし、どんな立派な建物も、一朝一夕にできあがるものではない。また、いくら華やかでも、かんたんにできあがったものは、もろく、壊れやすいものです。
地道に、着実に――これは、平凡のように見えて、じつはもっとも偉大なことなのです。その繰り返しによって、揺るがぬ堅固な基礎が築かれていくのです。
太陽は、うまず、たゆまず、みずからの軌道を進み、万物を照らし、育んでいく。皆さんは"一家の太陽"です。太陽のごとく明るく、太陽のごとく力強く、太陽のごとく健康に、「きょうも、何かに挑戦しよう!」「きょうも、もう一歩進もう!」と、目標を持って、張りのある一日一日を積み重ねていってほしい。
その積み重ねによって、20年、30年と経った時、わが家庭を「幸福の殿堂」、「幸福の大樹」としていくことができるのです。
◇リズムを大切に
<子育てに家事に仕事にと、目の前のことだけで精一杯。そんな状況にある人にとっては「何かに挑戦しよう」と決意すること自体、大きな前進といえるでしょう。ある母親が、その"決意の出発の場"として「朝の勤行」を大切にしてきたことを話すと、先生はこう応えました>
「朝の勝利」は「一日の勝利」だね。「一日の勝利」の積み重ねは、やがて「人生の勝利」につながっていく。すがすがしい「一日の出発」こそ、充実の人生の秘訣です。
きょう一日がどのような一日となるかは、自分自身の朝の勤行の姿を見ると分かる。朝の勤行の姿は、その日一日の"生活の縮図"と言ってもよいでしょう。
あわてて勤行・唱題した時は、その日一日も、なんとなくあわただしく過ぎ去ってしまい、実りのない日であったと経験されたこともあるでしょう。
反対に、朗々とすがすがしく勤行・唱題をしてスタートした一日は、さわやかな充実した一日であるはずです。
祈りというのは、さまざまな思い、願いの凝縮とも言える。毎朝の祈りで、自身と一家の成長を願い、そのための目標をゆるぎなく定める。そして胸中に太陽を昇らせて、生き生きと出発していきたいものです。
<親にとって一日のリズムが大切であるように、子どもにとっても「安心して育つリズム」があります。早めに就寝することであったり、毎日なるべく決まった時間帯に朝食や夕食を取ることであったり……>
子どもが小さいうちは、とくに「睡眠」と「食事」が大切と言われている。リズム正しく、きちんと取れないと、子どもの成長に影響しかねません。生活が順調に回転するためには、おのずからリズムがある。それを身につけさせていくのが、しつけとも言えるでしょう。
それは、親と子のふれあいの中で身についていく。それもふれあう時間の長短ではなくして、子どもの生活リズムは、家庭で、親子で工夫して、知恵を働かせてつくっていくものです。子どもが、すこやかに成長するリズムを、どう確立するか。これは、親としての「戦い」の一つと考えてほしい。
◇親切と思いやり
<続いて話題は池田先生の「創作童話」を巡って。先生はこれまで未来部世代に向けて、20作以上もの創作物語をつづってきました>
子ども向けの作品を書くというのは、大人に対する以上に心を引き締めていかねば書けません。「子どもだから」などと、甘く見ることは少しもできません。子どもは、驚くほど、豊かな感受性を持っている。大人が思っている以上に、子どもは多くのことを理解しているのです。
だから私は、その子どもの心に、「勇気」と「正義」を育むために、直接、語りかける思いで、童話や物語を書いてきました。
<平和の尊さを伝える作品『少年とさくら』(1974年発表)も、その一つ。わが子に何度も読み聞かせてきたという母親の話に耳を傾けながら、先生は言葉を継ぎました>
戦争の悪と戦い、平和を訴えた作品といえば、喜劇王チャップリンの「独裁者」があります。これは、第2次世界大戦が始まった翌年(1940年)に制作された映画です。
この映画の中で、チャップリンはヒトラーを風刺した、ヒンケルという独裁者と、ヒンケルと瓜二つのユダヤ人の二役を演じている。
<チャップリン扮する、ヒンケルと取りちがえられたユダヤ人が、独裁者を否定して戦争反対の演説をするラストシーンは有名です>
当時、独裁者ヒトラーは日の出の勢いだった。この映画は、チャップリンにとって命懸けだったのです。その演説の最後にチャップリンは、「ハンナ、ぼくの声が聞こえるかい?」と呼びかけている。ハンナとは、映画に出てくる恋人の名だが、じつは、チャップリンのお母さんの名前だったのです。
「ハナ(ハンナ)、ぼくの声が聞こえるかい? いまどこにいようと、さあ、顔を上げて! 見上げてごらんよ、ハナ! 雲が切れるよ! 光が射してきたよ! やみが去って、僕たちの上にも光が輝くんだ! 欲望と憎しみと残忍さをなくした、よりよい世界がやってくるよ。見上げてごらん、ハナ!」(ラジ・サクラニー『チャップリン――ほほえみとひとつぶの涙を』上田まさ子訳、佑学社)
画面は、雲の流れる空。チャップリンはきっと、天にいるお母さんに向かって呼びかけたのでしょう。波瀾万丈の人生を歩んだ、チャップリンを支えたのは「母の愛」でした。その「母の愛」が、人間性を踏みにじる「独裁者」との戦いへとチャップリンを駆りたてたのです。
また、チャップリンは演説のなかで、こう言っている。「知識はわたしたちに冷ややかな目を与え、知恵はわたしたちを非情で冷酷にしました。考えるばかりで、思いやりがなくなってしまいました。わたしたちに必要なのは、機械ではなく、人間性です。頭のよさよりも親切と思いやりが必要なのです」(同)
◇わが命を何に使うか
<「人間性」「思いやり」を、子どもの心に育んでいけるかどうか。現代は親の負担が増えているだけに、地域や社会全体で子どもを育てていくことが重要でしょう。創価学会が果たすべき使命と役割も、そこにあります。池田先生は訴えました>
人を育てるのは、楽なことではありません。ともすれば、たいへんな疲労をともなうこともある。
しかし、命を削るような労苦なくして、本当に人を育てることなどできません。日蓮大聖人は「命限り有り惜む可からず」(御書955ページ)と仰せです。命には限りがある。惜しんではならない。だからこそ、何に命を使うかが重要なのです。
「人間を育てる」ことこそ、最高に尊いことではないだろうか。
◆◇◆
私は今、「命を惜しまず」教育に情熱をそそいでいこうと思っています。人生最終の事業を「教育」と決めているからです。
私は、晩年の戸田先生の命をかけた闘争を思い出します。あれは逝去の前年、先生はすでに、立ち上がれないほど衰弱しておられた。それでも先生は、同志の待つ広島へなんとしても行こうとされていた。先生の命を危ぶみ、必死にお止めする私を、先生は叱咤された。
「行く、行かなければならんのだ!」「同志が待っている。……死んでも俺を行かせてくれ。死んだら、あとはみんなで仲よくやってゆけ。死なずに帰ったなら、新たな決意で新たな組織を創ろう……」
最後の最後まで、命をふりしぼって同志に尽くそうとした恩師の姿を、私は忘れることはできません。
「異体同心なれば
万事を成じ」
我らの団結に恐れなし。
負けじ魂の宝友と
破竹の勢いで攻め勝て!
2021年10月18日
三沢抄 P1487
『仏法をがくする者は大地微塵よりをほけれどもまことに仏になる人は爪の上の土よりもすくなし』
【通解】
そもそも、仏教を学ぶ者は、大地微塵の数よりも多い。けれども、その中で、真に仏になる人は、爪の上に置いた土よりも少ない。
名字の言 カーリンガ王の敗因とアッサカ王の勝因 2021年10月18日
古代インドの仏教説話を一つ。強大な軍を擁し、王自身も象のように強いカーリンガという国があった。ある日、カーリンガ王は策謀を巡らせてアッサカ国に戦争を仕掛けた▼開戦前、天帝が勝敗を占い、「カーリンガ国が勝つ」と予想した。それを聞いた王は大喜び。この話は広く伝わり、すでに勝った気でいる王に率いられたカーリンガ軍は"我々の勝ちだそうだ"と、戦いの手を緩めた▼一方のアッサカ王は、決死の覚悟で自ら馬に乗り、千人の精鋭と共に敵陣へ突撃。油断したカーリンガ軍を打ち破った。それを見た天帝は語る。「心のゆるぎなき集中と、統一乱さず、時にのぞみての出陣」。そして「確固たる勇気」。このゆえに「アッサカ王に勝利あり」と(松村恒・松田慎也訳『ジャータカ全集4』春秋社)▼「大丈夫だろう」という慢心、「自分ぐらいは」という人任せ――どんな強者でも、世評や風聞に惑わされて歩みを止めてしまえば、足をすくわれる。勝負の厳しさである▼池田先生は「自分らしく精一杯戦っていくことだ。その真剣な一念によってこそ、自分ならではの、最高の力が発揮される」と教える。自分が活路を開いてみせる――その決定した一念の行動から勝利への回転は始まる。
寸鉄 2021年10月18日
「一日一時もゆるがせにせず闘い抜け」戸田先生。"挑戦の自分史"を今日も
北海道の大空知、留萌、サロベツが奮戦。日本中がエール。大逆転を断固
東京の北、足立、豊島、板橋よ頑張れ!勝機摑む拡大を。全同志が応援!
広島戸田総県が一気呵成の行軍。民衆の大連帯で栄光の峰へ駆け上がれ!
交通死は10~12月の薄暮時に突出と。早めの点灯、交差点の左右確認を徹底
〈社説〉 2021・10・18 きょう「民音」創立記念日
◇音楽から人間の魂を学ぶ
きょう10月18日は、民主音楽協会(民音)の創立記念日である。
「人類共通の宝である最高の音楽を民衆の手に」「音楽の力で人々を結び、世界平和の礎を築く」――これらの創立理念を掲げ、民音は1963年(昭和38年)10月18日に産声を上げた。
110カ国・地域と広く交流を結び、先日も世界屈指の規模である「東京国際音楽コンクール〈指揮〉」を成功裏に終えるなど、民音は世界に存在感を示す音楽団体として着実な発展を続けている。
この58年の歴史は、推進委員、賛助会員をはじめ、毎回の公演等を陰で支えてきてくださった、全ての方々の歩みにほかならない。
今、本紙では、民音の軌跡をたどる「世界に魂を 心に翼を――民音が開いた文化の地平」を連載しており、たくさんの読者から感想が寄せられている。
連載中のオペラ編では、ウィーン国立歌劇場やミラノ・スカラ座といった、日本のオペラ史における画期をなした超一流歌劇場の引っ越し公演を特集している。
これまで、オーケストラやバレエ、民族舞踊、各種コンクールなど、各分野における民音の貢献を取材する中で、各界の専門家にインタビューを行ってきた。そこで異口同音に語られるのは、民音の創立理念の先見性、何より民音創立者・池田先生の音楽と民衆へのまなざしに触れた感動である。
先日、ある識者が、連載で描いた一場面について、感慨深く語ってくれた。
民音でアーティストが来日するたびに、池田先生は感謝の伝言を寄せ、公演を支える人々にも心を尽くしてきた。ある折、先生は招へいに携わるスタッフに言う。
「いつも本当にありがとう。でも"素晴らしい公演だった"で終わってはいけない。歌や音楽から"人間の魂"を学ぶんだ」
音楽に込められたメッセージ、奏者や団体が持つ歴史や精神――その一つ一つに敬意を表し、次世代に伝えていくことが、芸術交流に取り組む者の責務なのだ、と。そこには、文化を守り、育む主体者であるとの誇りが脈打つ。
「そこまで思いをはせ、公演を支えてくれるのが民音の皆さんです。その源流は創立者の思想なのでしょう」と、その識者は語る。
人間の不屈の魂をたたえ、音楽で世界を結びゆく民音の挑戦を、これからも力強く応援したい。
☆創価学園「情熱の日」への池田先生のメッセージ
◇君たちの負けじ魂こそ人類を照らす希望の光
尊き友情のスクラム輝く「情熱の日」、誠におめでとう!
私の心には、いつも君たち学園生が、躍動しています。コロナ禍にも屈しない一人一人の努力をたたえ、私は全員に青春勝利の金メダルを差し上げたい思いです。
今日は、わが創価教育に溢れるばかりの期待を寄せてくださっている世界の友と一緒に、愛する皆さんへ、三つのエールを送ります。
一つ目は、「若獅子よ、怯まず進め!」です。
30年以上前になりますが、澄み渡る秋空の下、南アフリカの人権の大英雄、ネルソン・マンデラ氏を、皆さんの先輩たちと共に熱烈に歓迎しました。
27年半、1万日にも及ぶ過酷な投獄に負けず、人間の平等と尊厳のために戦い抜いた正義の獅子は、青年に語り掛けています。「自分の運命の脚本を自分で書き、自分で主役を演じてください」(『ネルソン・マンデラ 未来を変える言葉』セロ・ハタン、サーム・フェンター編、長田雅子訳、明石書店)と。皆さんも、勇気ある若獅子として、自ら決めた道を怯まず、自分らしく胸を張って進んでいってください。
二つ目は、「鳳雛よ、翼を鍛えよ!」です。
創価大学にも訪問してくださった、環境の母、ケニアのワンガリ・マータイ博士は、素晴らしい笑顔のリーダーでした。確信に満ちて「全力を注いであきらめずに難問に立ち向かえば、驚くほどの成果が生まれる」(『UNBOWED へこたれない ワンガリ・マータイ自伝』小池百合子訳、小学館)と、皆を励ましています。
使命深き鳳雛たる皆さんも、目の前の課題をあきらめずにベストを尽くしていく時、必ずや若き翼を限りなく鍛え上げ、希望の大空へ悠々と羽ばたいていくことができます。
三つ目は、「世界を照らす太陽に!」です。
70年前の秋、私の恩師である戸田城聖先生は「新しき世紀を創るものは、青年の熱と力である」と叫ばれました。
まさしく、皆さんの生命に燃え上がる熱と力こそが、世界を照らす太陽なのです。青春時代は、先の見えないことや、言い知れぬ悩みも絶えないことでしょう。しかし皆さんの負けじ魂は、その一切を勝利のエネルギーに転じ、世界の未来を明るく晴らしていくことができます。これこそが人類の希望の光なのです。
私は毎日、懸命に、かけがえのない皆さんの健康と無事故、そして楽しく有意義な学園生活を祈り抜いていきます。
☆質問BOX 仏法対話をしたのですが、反発され、落ち込んでしまいました。
◇回答
たしかに、勇気を奮い起こしたのに、友人から反発されると、思いが通じなかったように感じてしまうかもしれません。しかし、友の幸福を祈り、語った真心は、必ず相手に通じていきます。
ある男子部員は、仏法対話をした友人から"二度と信心の話をしないでほしい"と言われました。それでも、思いを込めて祈り抜くと、8年後、友人の方から"仏法の話を聞きたい"と連絡が。その後、入会に導くことができ、"何でも言い合える"親友になったと振り返っています。
池田先生は「祈りと確信を込めた慈悲の振る舞いは、必ず『仏縁』となります。その時は、かりに反発されたとしても、相手の生命の奥深くに仏縁を結んでいるのです」と語っています。
相手の反応がどうあれ、仏縁を広げられたことを確信し、友人の幸せのため、勇気を出せたことに胸を張っていきましょう。
☆Switch――共育のまなざし 幼い子どもを育てる親御さんたちへ
◇人を育むことほど尊いことはない
わが子を授かってから成人するまで、どの時代も子育てに苦労はつきもの。とは言っても、「子どもが幼いうちは毎日バタバタしていて本当に大変!」という方は多いのではないでしょうか。今回の「Switch――共育のまなざし」では、幼い子どもを育てる親御さんたちに向けて池田先生が送った励ましの言葉を、『21世紀への母と子を語る』(『池田大作全集』第62巻所収)の中から抜粋して紹介します。(編集・構成=大宮将之)
◇今は基盤を築く時
<1年365日、目まぐるしい毎日を送る親御さんたちの奮闘を池田先生はたたえつつ、語りました>
皆さんは、結婚、出産、子育てと、次から次へ、新しい経験の連続でしょう。環境の変化に、戸惑うことも多いにちがいない。
毎日の生活の中で、ふと我に返った時に、「いったい自分は何をやっているのだろう?」と思うようなこともあるかもしれない。
今は、幸福の基盤を築いていく時です。まず自分の足元を固めることです。
現実の生活の中で、がっちりと根を張っていってほしい。根は見えない。建物の基礎も地中深く、人の目にふれることはない。それを築くのは、地味な作業かもしれません。
しかし、どんな立派な建物も、一朝一夕にできあがるものではない。また、いくら華やかでも、かんたんにできあがったものは、もろく、壊れやすいものです。
地道に、着実に――これは、平凡のように見えて、じつはもっとも偉大なことなのです。その繰り返しによって、揺るがぬ堅固な基礎が築かれていくのです。
太陽は、うまず、たゆまず、みずからの軌道を進み、万物を照らし、育んでいく。皆さんは"一家の太陽"です。太陽のごとく明るく、太陽のごとく力強く、太陽のごとく健康に、「きょうも、何かに挑戦しよう!」「きょうも、もう一歩進もう!」と、目標を持って、張りのある一日一日を積み重ねていってほしい。
その積み重ねによって、20年、30年と経った時、わが家庭を「幸福の殿堂」、「幸福の大樹」としていくことができるのです。
◇リズムを大切に
<子育てに家事に仕事にと、目の前のことだけで精一杯。そんな状況にある人にとっては「何かに挑戦しよう」と決意すること自体、大きな前進といえるでしょう。ある母親が、その"決意の出発の場"として「朝の勤行」を大切にしてきたことを話すと、先生はこう応えました>
「朝の勝利」は「一日の勝利」だね。「一日の勝利」の積み重ねは、やがて「人生の勝利」につながっていく。すがすがしい「一日の出発」こそ、充実の人生の秘訣です。
きょう一日がどのような一日となるかは、自分自身の朝の勤行の姿を見ると分かる。朝の勤行の姿は、その日一日の"生活の縮図"と言ってもよいでしょう。
あわてて勤行・唱題した時は、その日一日も、なんとなくあわただしく過ぎ去ってしまい、実りのない日であったと経験されたこともあるでしょう。
反対に、朗々とすがすがしく勤行・唱題をしてスタートした一日は、さわやかな充実した一日であるはずです。
祈りというのは、さまざまな思い、願いの凝縮とも言える。毎朝の祈りで、自身と一家の成長を願い、そのための目標をゆるぎなく定める。そして胸中に太陽を昇らせて、生き生きと出発していきたいものです。
<親にとって一日のリズムが大切であるように、子どもにとっても「安心して育つリズム」があります。早めに就寝することであったり、毎日なるべく決まった時間帯に朝食や夕食を取ることであったり……>
子どもが小さいうちは、とくに「睡眠」と「食事」が大切と言われている。リズム正しく、きちんと取れないと、子どもの成長に影響しかねません。生活が順調に回転するためには、おのずからリズムがある。それを身につけさせていくのが、しつけとも言えるでしょう。
それは、親と子のふれあいの中で身についていく。それもふれあう時間の長短ではなくして、子どもの生活リズムは、家庭で、親子で工夫して、知恵を働かせてつくっていくものです。子どもが、すこやかに成長するリズムを、どう確立するか。これは、親としての「戦い」の一つと考えてほしい。
◇親切と思いやり
<続いて話題は池田先生の「創作童話」を巡って。先生はこれまで未来部世代に向けて、20作以上もの創作物語をつづってきました>
子ども向けの作品を書くというのは、大人に対する以上に心を引き締めていかねば書けません。「子どもだから」などと、甘く見ることは少しもできません。子どもは、驚くほど、豊かな感受性を持っている。大人が思っている以上に、子どもは多くのことを理解しているのです。
だから私は、その子どもの心に、「勇気」と「正義」を育むために、直接、語りかける思いで、童話や物語を書いてきました。
<平和の尊さを伝える作品『少年とさくら』(1974年発表)も、その一つ。わが子に何度も読み聞かせてきたという母親の話に耳を傾けながら、先生は言葉を継ぎました>
戦争の悪と戦い、平和を訴えた作品といえば、喜劇王チャップリンの「独裁者」があります。これは、第2次世界大戦が始まった翌年(1940年)に制作された映画です。
この映画の中で、チャップリンはヒトラーを風刺した、ヒンケルという独裁者と、ヒンケルと瓜二つのユダヤ人の二役を演じている。
<チャップリン扮する、ヒンケルと取りちがえられたユダヤ人が、独裁者を否定して戦争反対の演説をするラストシーンは有名です>
当時、独裁者ヒトラーは日の出の勢いだった。この映画は、チャップリンにとって命懸けだったのです。その演説の最後にチャップリンは、「ハンナ、ぼくの声が聞こえるかい?」と呼びかけている。ハンナとは、映画に出てくる恋人の名だが、じつは、チャップリンのお母さんの名前だったのです。
「ハナ(ハンナ)、ぼくの声が聞こえるかい? いまどこにいようと、さあ、顔を上げて! 見上げてごらんよ、ハナ! 雲が切れるよ! 光が射してきたよ! やみが去って、僕たちの上にも光が輝くんだ! 欲望と憎しみと残忍さをなくした、よりよい世界がやってくるよ。見上げてごらん、ハナ!」(ラジ・サクラニー『チャップリン――ほほえみとひとつぶの涙を』上田まさ子訳、佑学社)
画面は、雲の流れる空。チャップリンはきっと、天にいるお母さんに向かって呼びかけたのでしょう。波瀾万丈の人生を歩んだ、チャップリンを支えたのは「母の愛」でした。その「母の愛」が、人間性を踏みにじる「独裁者」との戦いへとチャップリンを駆りたてたのです。
また、チャップリンは演説のなかで、こう言っている。「知識はわたしたちに冷ややかな目を与え、知恵はわたしたちを非情で冷酷にしました。考えるばかりで、思いやりがなくなってしまいました。わたしたちに必要なのは、機械ではなく、人間性です。頭のよさよりも親切と思いやりが必要なのです」(同)
◇わが命を何に使うか
<「人間性」「思いやり」を、子どもの心に育んでいけるかどうか。現代は親の負担が増えているだけに、地域や社会全体で子どもを育てていくことが重要でしょう。創価学会が果たすべき使命と役割も、そこにあります。池田先生は訴えました>
人を育てるのは、楽なことではありません。ともすれば、たいへんな疲労をともなうこともある。
しかし、命を削るような労苦なくして、本当に人を育てることなどできません。日蓮大聖人は「命限り有り惜む可からず」(御書955ページ)と仰せです。命には限りがある。惜しんではならない。だからこそ、何に命を使うかが重要なのです。
「人間を育てる」ことこそ、最高に尊いことではないだろうか。
◆◇◆
私は今、「命を惜しまず」教育に情熱をそそいでいこうと思っています。人生最終の事業を「教育」と決めているからです。
私は、晩年の戸田先生の命をかけた闘争を思い出します。あれは逝去の前年、先生はすでに、立ち上がれないほど衰弱しておられた。それでも先生は、同志の待つ広島へなんとしても行こうとされていた。先生の命を危ぶみ、必死にお止めする私を、先生は叱咤された。
「行く、行かなければならんのだ!」「同志が待っている。……死んでも俺を行かせてくれ。死んだら、あとはみんなで仲よくやってゆけ。死なずに帰ったなら、新たな決意で新たな組織を創ろう……」
最後の最後まで、命をふりしぼって同志に尽くそうとした恩師の姿を、私は忘れることはできません。
2021年10月17日日曜日
2021.10.17 わが友に贈る
磨かれた人格の輝きは
百万言の雄弁に勝る。
真心と誠実の振る舞いは
皆を味方に変える。
朗らかに! 堂々と!
同一鹹味御書 P1447
『夫れ味に六種あり一には淡二には鹹三には辛四には酸五には甘六には苦なり、百味の?膳を調ふといへども一つの鹹の味なければ大王の膳とならず、山海の珍物も鹹なければ気味なし』
【通解】
味に六種がある。一には淡、二には鹹、三には辛、四には酸、五には甘、六には苦である。たとえ百味の料理を調えたとしても、一つの鹹の鹹味がなければ大王の膳とはならない。山海の珍物も、鹹がなければ何の風味もない。
名字の言 じっくり一歩ずつ 2021年10月17日
先日、知り合いの夫妻に子どもが生まれた。その時に思った。赤ちゃんが母の胎内にいる期間を俗に「十月十日」という。そして誕生し、成人するまで20年……実に長い▼社会にはスピード重視の分野も多い。おかげで便利を享受できる面がある。ただ、人間の心身の成長は"じっくり一歩ずつ"が望ましいと感じる▼信仰も同じだ。問題の解決を祈った途端、ぱっとかなってしまえば、本物の信心は築けない。ある女性部員の話。彼女は、故郷から離れた山村に住む未入会の男性と結婚した。同居家族、集落の人は信心に無理解だった。"私の宿命か……"と苦悶した▼だが祈るほどに心が変わった。"この悩みは信心の素晴らしさを証明するための「私の使命」だ"と。以来、誠実に一家和楽と地域発展に尽くした。やがて家族から「自慢の嫁」、周囲では「立派な女性」と口々に言われるようになった。そして家族全員が入会。足かけ10年の勝利の実証だった▼御聖訓には「地獄の苦しみがぱっと消えて」(御書1000ページ、通解)とある。これは"ぱっと"解決するというより、一念が変わった「瞬間」を意味する。それを裏付けるように彼女は語った。「宿命を使命に変えた瞬間からの10年間は『宝の歳月』でした」
寸鉄 2021年10月17日
「かしこへ・おしかけ・ここへ・おしよせ」御書。果敢な行動力で圧倒せよ
大東京よ爆発的拡大を。本陣には喜び勝たなむ力あり—今こそ本領発揮!
新潟、長野、石川、富山、福井よ押しまくれ!ここから渾身の攻めで逆転を
徳島、香川、愛媛、高知が力闘。執念で正義を叫び、新たな勝利の暁鐘鳴らせ
相手に与える印象は表情や声で9割が決まると。一瞬の出会いも真剣勝負
☆ヒーローズ 逆境を勝ち越えた英雄たち 第12回 ローザ・パークス
〈パークス氏〉
ウィ・シャル・オーバーカム!
私たちは必ず勝利する。決意すれば恐れることなど何もないのです。
今から65年前の1956年1月、池田大作先生の師子吼が関西本部に響きわたった。「今度の関西の戦いは勝った!」——広布史に燦然と輝く「大阪の戦い」の出発である。
若き指導者の大確信に呼応して、関西では5月に大阪支部が「1万1111世帯」という未曽有の弘教を達成。7月には世間をあっと言わせる"まさかが実現"の金字塔を打ち立てた。
その勢いはやがて、新たな民衆勢力の台頭を恐れた権力による弾圧を呼び起こす。ここから、創価の人権闘争が本格的に始まったのである。
「大阪の戦い」の開始に先立つこと1カ月。太平洋を隔てたアメリカでは、一人の女性が正義の人権闘争に立ち上がった。「公民権運動の母」と敬愛されるローザ・パークス氏である。
当時のアメリカ社会には人種差別がはびこり、黒人への暴力や殺人が横行していた。
55年12月、アラバマ州モンゴメリーで市営バスに乗車していたパークス氏は、運転手から白人乗客に席を譲るよう恫喝される。しかし彼女は「ノー!」と拒否。駆け付けた警官に逮捕されてしまう。
この勇気ある行動は民衆の心に火をつけ、M・L・キング博士を中心とした「バス・ボイコット運動」へと発展。その後、公民権運動は各地に広がり、63年には20万人による「ワシントン大行進」が行われ、「ウィ・シャル・オーバーカム(私たちは必ず勝利する)」の歌声が轟いた。そして翌64年7月、人種差別を撤廃する公民権法が制定されたのである。
後に氏は自らの半生をこう振り返っている。「私は長年の経験から、『決意すれば、恐れる心を打ち消すことができる』ということを学びました。何をすべきかわかっていさえすれば、恐れることなど何もないのです」
あの日、もし彼女が決意の声を上げなければ、差別の壁は動かなかったかもしれない。
「一人の勇気」が社会を変える——人権闘争の歴史は、それを雄弁に物語っている。
〈パークス氏〉
希望を捨ててはいけません。
未来の世界がどうなるかは、今の自分の行動にかかっています。
パークス氏の人権闘争のルーツは、偏見にさらされた苦悩の実体験にある。
青春時代を過ごした祖父母の家は、黒人差別の強い地域にあった。祖父は銃を側に置いて眠りにつき、彼女はいつ白人に襲われても逃げられるように、服を着たまま寝かされた。
白人と黒人の"違い"を意識するようになったのは、学校に通い始めた頃。黒人学校には窓ガラスがなかった。徒歩で通学中、バスに乗った白人からゴミを投げ付けられもした。多感な少女の心は、差別に対する憤りでいっぱいになった。
19歳の時、全米黒人地位向上協会(NAACP)のメンバーだったレイモンド・パークス氏と結婚。人権運動に身を投じていく。
1940年代に入ると、人種差別は一段と激化。公共のバスは座席の前部が白人用、後部が黒人用に区別された。黒人は前方のドアで運賃を支払った後、一度降車して、後方のドアから再び乗車することを義務づけられた。
43年の冬のある日のこと。パークス氏は前方ドアからバスに乗り、乗客をかき分けて後方へと移動した。拳銃を持った運転手は後方ドアからの乗車を命令。拒否すると威嚇され、強制的にバスを降ろされた。車内の人種隔離の規則を作るなど、運転手には警察的権限が与えられていたのだ。
後に氏が逮捕された際のバスを運転していたのも同じ男だった(55年12月)。12年の時を経ても、黒人への不当な扱いは何ら変わっていなかった。
「よく人は、あの日私が席を譲らなかったのは、疲れていたからだと言います。しかし、それは違います。(中略)私が疲れていたのは、白人のいいなりになることに対してだったのです」——彼女の不服従の行動に端を発し、「バス・ボイコット運動」の波は急速に拡大。怒りを爆発させた人々は抗議のためにバスを拒み、来る日も来る日も歩き続けた。さまざまな脅迫も妨害も、目覚めた民衆の行進を止めることはできなかった。
「強くありつづけなければなりません。希望を捨ててはいけません。そうすれば、きっと打ち勝つことができます」
56年11月、連邦最高裁は"公共の交通機関における差別は憲法違反"との歴史的な判決を出す。バス・ボイコット運動が勝利を収めた瞬間だった。
その後、氏は公民権運動の精神を継承しゆく青少年の育成などに力を注ぎ、87年に「ローザ&レイモンド・パークス自己開発教育センター」を設立する。
92年12月には、講演会に招かれてアメリカ創価大学ロサンゼルス・キャンパス(当時)を訪問。語学研修中の創価女子短大生と交流し、学生の純真さに心から感動した氏は、翌月、訪米した創立者・池田大作先生と会見する。
〈パークス氏を語る池田先生〉
生きている限り、前進する。
人間を差別し、見くだす邪悪は絶対に許さない。
この強き心で民衆の世紀を照らしゆけ!
1993年1月30日。アメリカ創大ロサンゼルス・キャンパスに到着した"人権の母"を出迎えたのは、あの日、「ワシントン大行進」でキング博士らと共に歌った「ウィ・シャル・オーバーカム」の大合唱だった。
「会ってすぐに、これほどまでに親しみを覚え、『友人だ』と実感できる人には会ったことがありません」。和やかな語らいが弾む中、パークス氏はそう述べると、アメリカで『写真は語る』という本が出版されることに言及した。各界の著名人が"人生に最も影響を与えた写真"を選んで掲載する企画で、彼女にもその依頼があったのだ。
当初は、バス・ボイコット運動の写真にしようとした。だが"池田会長との出会いこそ、人生に最も大きな影響を及ぼすに違いない"と考えた氏は、会見での写真を載せたいと切望。その要請に池田先生は笑顔で応じた。
「きょう会長にお会いしたことによって、『世界平和』への活動という新しい側面が、私の人生に開けてきたような気がします」——新たな展望を口にした氏は、翌94年5月、81歳で初めて太平洋を渡り創価大学へ。訪問の翌日には旧・聖教新聞本社で、先生と再会を果たした。
先生は、氏の歩みや公民権運動における女性の貢献に触れ、女性部をはじめ使命に生きる創価の友にエールを送ってきた。
「パークスさんは語っている。『私が生きている限り、私が動ける限り、偏見や人種差別、人々を後退させる悪に対して戦い抜いてまいります』
生きている限り、前進する。人間を差別し、民衆を見くだす邪悪は、絶対に許さない。この強き心が、民衆の世紀——21世紀を希望で照らす」(2003年8月21日、21世紀女性研修会でのスピーチ)
「パークスさんは、『未来の世界がどうなるかは、私たちが今どのように生きるかにかかっています』と強調されていた。
未来のために、今、自分に何ができるか。一流の人物は、この一点を見つめながら、命ある限り行動を続ける」(07年11月24日、婦人部最高協議会でのスピーチ)
「歴史を変える民衆運動の根幹には、女性の『励まし』がある。我ら創価の広宣流布の運動もまた、女性たち、母たちの『励まし』の力で朗らかに勝ってきた。これからも徹して励まし合いながら勝ち続けていくのだ」(本紙13年2月9日付「随筆 我らの勝利の大道」)
正義が栄え、民衆が輝く未来——立正安国の凱歌を開くのは「勇気の行動」「真心の激励」、そして「必ず勝つ!」という「決定した一念」にほかならない。
百万言の雄弁に勝る。
真心と誠実の振る舞いは
皆を味方に変える。
朗らかに! 堂々と!
同一鹹味御書 P1447
『夫れ味に六種あり一には淡二には鹹三には辛四には酸五には甘六には苦なり、百味の?膳を調ふといへども一つの鹹の味なければ大王の膳とならず、山海の珍物も鹹なければ気味なし』
【通解】
味に六種がある。一には淡、二には鹹、三には辛、四には酸、五には甘、六には苦である。たとえ百味の料理を調えたとしても、一つの鹹の鹹味がなければ大王の膳とはならない。山海の珍物も、鹹がなければ何の風味もない。
名字の言 じっくり一歩ずつ 2021年10月17日
先日、知り合いの夫妻に子どもが生まれた。その時に思った。赤ちゃんが母の胎内にいる期間を俗に「十月十日」という。そして誕生し、成人するまで20年……実に長い▼社会にはスピード重視の分野も多い。おかげで便利を享受できる面がある。ただ、人間の心身の成長は"じっくり一歩ずつ"が望ましいと感じる▼信仰も同じだ。問題の解決を祈った途端、ぱっとかなってしまえば、本物の信心は築けない。ある女性部員の話。彼女は、故郷から離れた山村に住む未入会の男性と結婚した。同居家族、集落の人は信心に無理解だった。"私の宿命か……"と苦悶した▼だが祈るほどに心が変わった。"この悩みは信心の素晴らしさを証明するための「私の使命」だ"と。以来、誠実に一家和楽と地域発展に尽くした。やがて家族から「自慢の嫁」、周囲では「立派な女性」と口々に言われるようになった。そして家族全員が入会。足かけ10年の勝利の実証だった▼御聖訓には「地獄の苦しみがぱっと消えて」(御書1000ページ、通解)とある。これは"ぱっと"解決するというより、一念が変わった「瞬間」を意味する。それを裏付けるように彼女は語った。「宿命を使命に変えた瞬間からの10年間は『宝の歳月』でした」
寸鉄 2021年10月17日
「かしこへ・おしかけ・ここへ・おしよせ」御書。果敢な行動力で圧倒せよ
大東京よ爆発的拡大を。本陣には喜び勝たなむ力あり—今こそ本領発揮!
新潟、長野、石川、富山、福井よ押しまくれ!ここから渾身の攻めで逆転を
徳島、香川、愛媛、高知が力闘。執念で正義を叫び、新たな勝利の暁鐘鳴らせ
相手に与える印象は表情や声で9割が決まると。一瞬の出会いも真剣勝負
☆ヒーローズ 逆境を勝ち越えた英雄たち 第12回 ローザ・パークス
〈パークス氏〉
ウィ・シャル・オーバーカム!
私たちは必ず勝利する。決意すれば恐れることなど何もないのです。
今から65年前の1956年1月、池田大作先生の師子吼が関西本部に響きわたった。「今度の関西の戦いは勝った!」——広布史に燦然と輝く「大阪の戦い」の出発である。
若き指導者の大確信に呼応して、関西では5月に大阪支部が「1万1111世帯」という未曽有の弘教を達成。7月には世間をあっと言わせる"まさかが実現"の金字塔を打ち立てた。
その勢いはやがて、新たな民衆勢力の台頭を恐れた権力による弾圧を呼び起こす。ここから、創価の人権闘争が本格的に始まったのである。
「大阪の戦い」の開始に先立つこと1カ月。太平洋を隔てたアメリカでは、一人の女性が正義の人権闘争に立ち上がった。「公民権運動の母」と敬愛されるローザ・パークス氏である。
当時のアメリカ社会には人種差別がはびこり、黒人への暴力や殺人が横行していた。
55年12月、アラバマ州モンゴメリーで市営バスに乗車していたパークス氏は、運転手から白人乗客に席を譲るよう恫喝される。しかし彼女は「ノー!」と拒否。駆け付けた警官に逮捕されてしまう。
この勇気ある行動は民衆の心に火をつけ、M・L・キング博士を中心とした「バス・ボイコット運動」へと発展。その後、公民権運動は各地に広がり、63年には20万人による「ワシントン大行進」が行われ、「ウィ・シャル・オーバーカム(私たちは必ず勝利する)」の歌声が轟いた。そして翌64年7月、人種差別を撤廃する公民権法が制定されたのである。
後に氏は自らの半生をこう振り返っている。「私は長年の経験から、『決意すれば、恐れる心を打ち消すことができる』ということを学びました。何をすべきかわかっていさえすれば、恐れることなど何もないのです」
あの日、もし彼女が決意の声を上げなければ、差別の壁は動かなかったかもしれない。
「一人の勇気」が社会を変える——人権闘争の歴史は、それを雄弁に物語っている。
〈パークス氏〉
希望を捨ててはいけません。
未来の世界がどうなるかは、今の自分の行動にかかっています。
パークス氏の人権闘争のルーツは、偏見にさらされた苦悩の実体験にある。
青春時代を過ごした祖父母の家は、黒人差別の強い地域にあった。祖父は銃を側に置いて眠りにつき、彼女はいつ白人に襲われても逃げられるように、服を着たまま寝かされた。
白人と黒人の"違い"を意識するようになったのは、学校に通い始めた頃。黒人学校には窓ガラスがなかった。徒歩で通学中、バスに乗った白人からゴミを投げ付けられもした。多感な少女の心は、差別に対する憤りでいっぱいになった。
19歳の時、全米黒人地位向上協会(NAACP)のメンバーだったレイモンド・パークス氏と結婚。人権運動に身を投じていく。
1940年代に入ると、人種差別は一段と激化。公共のバスは座席の前部が白人用、後部が黒人用に区別された。黒人は前方のドアで運賃を支払った後、一度降車して、後方のドアから再び乗車することを義務づけられた。
43年の冬のある日のこと。パークス氏は前方ドアからバスに乗り、乗客をかき分けて後方へと移動した。拳銃を持った運転手は後方ドアからの乗車を命令。拒否すると威嚇され、強制的にバスを降ろされた。車内の人種隔離の規則を作るなど、運転手には警察的権限が与えられていたのだ。
後に氏が逮捕された際のバスを運転していたのも同じ男だった(55年12月)。12年の時を経ても、黒人への不当な扱いは何ら変わっていなかった。
「よく人は、あの日私が席を譲らなかったのは、疲れていたからだと言います。しかし、それは違います。(中略)私が疲れていたのは、白人のいいなりになることに対してだったのです」——彼女の不服従の行動に端を発し、「バス・ボイコット運動」の波は急速に拡大。怒りを爆発させた人々は抗議のためにバスを拒み、来る日も来る日も歩き続けた。さまざまな脅迫も妨害も、目覚めた民衆の行進を止めることはできなかった。
「強くありつづけなければなりません。希望を捨ててはいけません。そうすれば、きっと打ち勝つことができます」
56年11月、連邦最高裁は"公共の交通機関における差別は憲法違反"との歴史的な判決を出す。バス・ボイコット運動が勝利を収めた瞬間だった。
その後、氏は公民権運動の精神を継承しゆく青少年の育成などに力を注ぎ、87年に「ローザ&レイモンド・パークス自己開発教育センター」を設立する。
92年12月には、講演会に招かれてアメリカ創価大学ロサンゼルス・キャンパス(当時)を訪問。語学研修中の創価女子短大生と交流し、学生の純真さに心から感動した氏は、翌月、訪米した創立者・池田大作先生と会見する。
〈パークス氏を語る池田先生〉
生きている限り、前進する。
人間を差別し、見くだす邪悪は絶対に許さない。
この強き心で民衆の世紀を照らしゆけ!
1993年1月30日。アメリカ創大ロサンゼルス・キャンパスに到着した"人権の母"を出迎えたのは、あの日、「ワシントン大行進」でキング博士らと共に歌った「ウィ・シャル・オーバーカム」の大合唱だった。
「会ってすぐに、これほどまでに親しみを覚え、『友人だ』と実感できる人には会ったことがありません」。和やかな語らいが弾む中、パークス氏はそう述べると、アメリカで『写真は語る』という本が出版されることに言及した。各界の著名人が"人生に最も影響を与えた写真"を選んで掲載する企画で、彼女にもその依頼があったのだ。
当初は、バス・ボイコット運動の写真にしようとした。だが"池田会長との出会いこそ、人生に最も大きな影響を及ぼすに違いない"と考えた氏は、会見での写真を載せたいと切望。その要請に池田先生は笑顔で応じた。
「きょう会長にお会いしたことによって、『世界平和』への活動という新しい側面が、私の人生に開けてきたような気がします」——新たな展望を口にした氏は、翌94年5月、81歳で初めて太平洋を渡り創価大学へ。訪問の翌日には旧・聖教新聞本社で、先生と再会を果たした。
先生は、氏の歩みや公民権運動における女性の貢献に触れ、女性部をはじめ使命に生きる創価の友にエールを送ってきた。
「パークスさんは語っている。『私が生きている限り、私が動ける限り、偏見や人種差別、人々を後退させる悪に対して戦い抜いてまいります』
生きている限り、前進する。人間を差別し、民衆を見くだす邪悪は、絶対に許さない。この強き心が、民衆の世紀——21世紀を希望で照らす」(2003年8月21日、21世紀女性研修会でのスピーチ)
「パークスさんは、『未来の世界がどうなるかは、私たちが今どのように生きるかにかかっています』と強調されていた。
未来のために、今、自分に何ができるか。一流の人物は、この一点を見つめながら、命ある限り行動を続ける」(07年11月24日、婦人部最高協議会でのスピーチ)
「歴史を変える民衆運動の根幹には、女性の『励まし』がある。我ら創価の広宣流布の運動もまた、女性たち、母たちの『励まし』の力で朗らかに勝ってきた。これからも徹して励まし合いながら勝ち続けていくのだ」(本紙13年2月9日付「随筆 我らの勝利の大道」)
正義が栄え、民衆が輝く未来——立正安国の凱歌を開くのは「勇気の行動」「真心の激励」、そして「必ず勝つ!」という「決定した一念」にほかならない。
2021年10月16日土曜日
2021.10.16 わが友に贈る
広宣流布は言論戦だ。
語らなければ
真実は伝わらない。
今こそ友の心に
確信の声を届けよう!
四信五品抄 P342
『天子の襁褓に纒れ大竜の始めて生ずるが如し蔑如すること勿れ蔑如すること勿れ』
【通解】
(妙法信受の人の位は)生まれたばかりの天皇の子が産着に包まれたようなものであり、また生まれたての大竜のようなものである。故に、わが門下を決して蔑むようなことがあってはならない。
名字の言 ゴルフの渋野日向子選手の強さ 2021年10月16日
ゴルフの渋野日向子選手が国内ツアーで復活の逆転優勝を果たした。海外初参戦でメジャー制覇を遂げた2019年以来、約2年ぶりの勝利に涙する姿は、その間の苦悩を物語っていた▼渋野選手の強さの一つは「バウンスバック」。"跳ね返り"を意味し、ボギー以上の悪いスコアを出した次のホールで、バーディー以上の成績をマークすること。2年前、彼女は国内トップのバウンスバック率で勝利を積み上げ、精神力の強さを示した▼大きな期待を背に迎えた昨年は、力を発揮できず苦しい一年に。悩んだ末に着手したのがスイングの改造だった。五輪代表を逃し、冷評も浴びたが、"過去の自分を超える"と逆境を跳ね返し、再び頂点に立った▼スポーツジャーナリストの二宮清純氏は「成功体験は未来の失敗体験」と語る。「一つの成功に酔いすぎると、その後の変化が見えなくなり、進歩が止まる」(『対論・勝利学』第三文明社)と。スポーツに限らず、人間の成長を阻む難敵は"自分はこれでやってきた"という、成功した過去への執着心だろう▼変化を恐れず、変化の中に飛び込み、新しい自分をつくる。昨日より今日、今日より明日へと進みゆく「挑戦の人」「向上の人」に勝利の栄冠は輝く。
寸鉄 2021年10月16日
「いよいよ」「なをなを」が仏法者の魂。社会の為、自身の勝利の為に挑戦!
北、足立、豊島、板橋が猛追!再びの東京凱歌へ大胆に切り込み大金星を
広島戸田総県に必勝の炎が赤々。さあ未踏の峰へ。攻め抜いたほうが勝つ!
彼等は野干のほうるなり日蓮が一門は師子の吼るなり—御書。青年よ叫べ
3回目接種も無料化へ—公明が提言。試練克服へ具体策更に。政権の要と
〈社説〉 2021・10・16 きょう「世界食料デー」
◇わが家の一工夫が大きな力に
コンビニエンスストアでデザートに手を伸ばすと、黄緑色の表示「てまえどり」が目に飛び込んできた。すぐ食べるなら、棚の手前から販売期限の迫った商品を積極的に選ぼうという勧めだ。環境省、農林水産省、消費者庁とコンビニ4社が連携して促進する。選び方一つで、まだ食べられるのに捨てられる食品ロスの削減に貢献できる。本紙に登場した女優の柴田理恵さんも、豆腐を手前から取るようにしているそうだ。
約半分が家庭から出るとされる食品ロス。私たちの生活ではどんな工夫ができるだろうか。
例えば家庭菜園。読者から寄せられたアイデアは、生ごみは菜園の肥料にする、お米のとぎ汁で花を育てる、野菜くずでだしを取る、などなど。ちなみに野菜の栄養は、捨てられがちな皮などにより多く含まれるので、体にも地球にも良く、一石二鳥だ。
コロナ禍で手作りに対する考え方が変化している。おうち時間を活用するストレス解消法として、パンやお菓子を作る「ストレスベイキング」が広がった。同時に食の社会問題に関心を持つ人も増加。余った食材をおいしく変身させる「サルベージ(=救う)クッキング」のシェフ、キムラカズヒロさんは「食への興味やワクワク感こそが、フードロス削減の第一歩」と語る(『「使い切る」ための4つのアイデアと50のレシピ』誠文堂新光社)。楽しくポジティブに食を考える価値観が生まれつつある。余り物こそが食卓を彩る宝になるかもしれない。
ノーベル平和賞を昨年受賞した、国連世界食糧計画(WFP)日本事務所代表の焼家直絵さんは本紙で、先進国の肉食が増えるにつれ、餌となる穀物の消費も増え、その結果、貧困層から食料を奪うことになると指摘。「食料問題を"対岸の火事"だと思わないでください。世界がボーダーレスになっている今、私たちの行動が直接、世界に影響することがある」と語った。毎日の一工夫は、重なれば大きな力になる。
「余り物を使って思わず食べちゃうおつまみを作りたい」「今月の家計費を抑えたい」。興味でも節約でもいい。その一歩が、実は世界につながる一歩になるのだ。きょう10月16日は、世界の食料問題を考える「世界食料デー」。目に留まった何か一つから始めてみよう。
☆創大祭・白鳥祭「記念フェスティバル」への池田先生のメッセージ
◇不屈の英知と勇気で試練の壁を打ち破れ
一、不屈の負けじ魂光る青春凱歌の祭典、誠におめでとう!
打ち続くコロナ禍の中、知恵と工夫を凝らし、見事なチームワークで創立50周年を飾ってくれた、わが創大生、わが短大生、わが留学生の皆さん、本当にありがとう!
一、今回の創大祭・白鳥祭のテーマには、「友よ! 希望の新世紀を!」「百花の姉妹 彩ろう 希望の虹を」と掲げられております。
実は60年前の今日10月8日、造られて間もない「ベルリンの壁」の前に立った私が、深く強く胸に抱いていたのも、断固として「希望の新世紀」を開き、「希望の虹」を懸けてみせるとの一念でありました。
民衆を引き裂く残酷な悲劇を目の当たりにし、憤怒を込め「30年後には必ず壁はなくなる」と、私は同行の青年に語りました。
30年とはワン・ジェネレーション、一世代であります。分断と対立の壁という負の遺産を、次の世代には決して残さないとの決意でありました。
私は、人類の良心と英知と勇気は、いかなる魔性にも断じて勝つと「希望」を燃え上がらせて、世界を結ぶ対話を開始しました。そして、10年後には、わが希望を分かち合う「平和のフォートレス(要塞)」たる創大を創立したのです。ベルリンの壁は、28年にして崩壊しました。
一、東西冷戦終結の功労者であるゴルバチョフ氏と語り合ったように、人類が崩すべき壁は、未だ、たくさんあります。また、君たち一人一人の青春にも、立ちはだかる試練の壁が尽きないに違いない。
しかし、我ら創価の世界市民には、「どんな壁も必ず打ち破れる。否、絶対に打ち破ってみせるのだ」という大いなる希望があります。
希望とは、冬を耐え、春を呼ぶ忍耐であり、執念です。
希望とは、人間の善性を信じ、高め合う信頼であり、友情です。
そして希望とは、青年の連帯で社会を照らす価値創造です。
大先哲の至言に「未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」と。
どうか、「明日の希望は今日のわが探究にあり。この我らのスクラムにあり」と朗らかに確信し、新世紀の虹を勝ち光らせてくれたまえ!
敬愛してやまない宝の君たちの健康と無事故、栄光勝利を祈ります。
☆法華経に勝る兵法なし 千葉への指針から 第1回
立正安国の凱歌の秋へ——新連載「法華経に勝る兵法なし」では、池田先生が千葉の同志に送られたスピーチや指針の抜粋を紹介する。
◇愚痴を排して連続勝利へ
広宣流布に立った以上、難があるのは当然である。避けようのない法則である。「法華経」にそう説かれている。「御書」に繰り返し、そう仰せである。
難を乗り越えてこそ、仏に成れるのである。
ゆえに、何が起ころうと、今さら、あわてる必要はない。グチなど言っても、しかたがない。だれを恨む筋合いのものでもない。
一般の世間でも、「勝つ」ためには、死にもの狂いである。スポーツの世界しかり。経済の世界も、他の分野も同様である。人の知らないところで、皆、筆舌に尽くせぬ苦労を重ねている。だれもが必死なのである。そのなかにあって、微塵も甘さがあれば、勝てるわけがない。全部、"戦争"である。
いわんや、仏道修行に苦労がないはずがない。大聖人は、御自身があれほどの大難をすべて連続勝利してこられたのは、絶対にグチを言わない、人を恨まない「一念」が祈りとなったからだとおっしゃっているのである。
"全部、自分が決めたことだ""何のグチも文句もない""ただ、まっすぐに戦うのみである""勇んで、前へ進むだけである"——腹を決めた、晴ればれとした信心の一念によってこそ、連続勝利はある。諸天も動く。自身も大福運を開く。晴れわたる大空のごとき大境涯となる。
大聖人は、この原理を教えてくださっている。
(1993年1月、第3回千葉県総会でのスピーチ、『池田大作全集』第82巻所収)
◇広布のために労をいとわず
牧口先生は、若き日の名著『人生地理学』の中で、「半島は文明の起点である」と論じられた。先生は、その例として、千葉の房総半島が、大聖人という「宗教改革の巨人」を出したことを強調されていた。当時、先生は、まだ入信をされていなかった。しかし、文明論的な次元から、大聖人の故郷・千葉の天地に注目されていた。偉大な先生である。
その後、先生ご自身が、日蓮大聖人の仏法を奉じ、「宗教改革」に身を投じられたのである。
牧口先生は、千葉で立宗された大聖人の御姿を通して、学会員を励まされた。一九三九年(昭和十四年)、折伏のために九州に足を運ばれたときのことである。
当時は、列車の長旅である。今のように飛行機はない。高齢(六十七歳)のお体には、そうとうこたえたはずである。しかし、先生は、法のためならば、いかなる労もいとわれなかった。
その折、初対面のある婦人も、牧口先生の青年のようなすがすがしい音声、絶対の確信、誠実と慈愛の姿に感動して入会を決意する。
声が大事である。確信が大事である。姿が大事である。すべて諸法実相である。
(中略)
先生に中途半端はない。話すかぎりは、全魂をこめて、相手の心に使命と希望の火を灯さなければ——そういう一念であられた。
「あなたが御本尊をいただくということは、仏法の原理に照らして、九州の全民衆が不幸という悩みから救われることになるのです!」
「一人立て!」である。どの地でも、広宣流布はつねに「一人」から始まる。
(1997年1月、第5回千葉県総会でのスピーチ、『池田大作全集』第87巻所収)
☆みんなで学ぶ教学 第21回 勇気
◇幸福の扉を開く挑戦を
今回の「みんなで学ぶ教学」は、「勇気」がテーマです。私たち一人一人に具わる勇気を、"取り出す"信心について学んでいきましょう。支部女性部長のユリコさんは、新入会者のリホさんが、道に迷っている人を助けているのを見掛けたようです。
ユリコ 感動したわ! 今、リホさんが人助けしているところを見掛けたのよ。本当に偉いわね。
リホ あ! ユリコさん、こんにちは。"困ってそうだな"と感じたので、とっさに声を掛けました。勇気を出して良かったです。
ユリコ 心に思っていても、それを行動に移すことは簡単じゃないわ。リホさんは、勇気を"取り出せる"ように成長しているのよ。
リホ 勇気を"取り出せる"ですか。
ユリコ そうよ。日蓮大聖人は、「各各師子王の心を取り出して」(御書1190ページ)と弟子たちへ呼び掛けられているの。「師子王」とは、ライオンが百獣に優れていることを王に譬えた、仏の異名のことよ。
「師子王の心」とは、仏が具える、何ものをも恐れない「勇気」のことをいうの。その勇気は、自分の中にあるものなのよ。
リホ ライオンのような勇気!
すごいですね。
ユリコ 大聖人は立宗以来、いかなる迫害の嵐が吹き荒れても、民衆救済のため、全ての大難を勝ち越えて、万人成仏の妙法を説き弘められたの。その末法の御本仏としての御境涯を「師子王」に譬えられ、弟子たちにも「師子の子・又かくのごとし」(同ページ)と、「師子王の子」として成仏の境涯を開いていけることを教えられているのよ。
リホ 私には、とてもそんな勇気はないです……。
ユリコ そう思うかもしれないけど、私たちは、いつも自身の中にある小さな勇気を奮い起こしているのよ。日々の生活を振り返ってみても、何をするにも勇気が必要じゃないかしら。朝、早起きするのも、人に優しくするのも、皆に感謝を伝えるのも、勇気がなければ行動に移すことはできないわ。
勇気は、人生を豊かにしていくために、必要不可欠なものといえるわね。
リホ たしかに、身近な一つ一つのことにも勇気が必要かもしれません。でも、どうしたら私も、全てを勝ち越えていける「師子王」のような勇気を"取り出せる"ようになるんでしょうか?
ユリコ 私たちでいえば、日々の学会活動に全力で挑んでいくことよ。
勤行・唱題に励む中で、勇気を奮い起こしていく——。そうやって毎日、新たに仏法対話に挑戦するなど、一つ一つの活動の積み重ねが、自身の臆病の壁を破り、どんな時でも勇気を取り出せる境涯を築いていくのよ。
リホ なるほど。毎日の実践が勇気につながっていくんですね。
ユリコ そうね。それが自身の幸福を開いていくのよ。だからこそ、大聖人は弟子たちに「師子王の心を取り出して」と教えられているのよ。
池田先生は「勇気は、誰でも平等にもっています。勇気は、幸福という無尽蔵の宝の扉を開くカギです。しかし、多くの人が、それを封印し、臆病、弱気、迷いの波間を漂流している。どうか皆さんは、勇気を取り出し、胸中の臆病を打ち破ってください。そこに人生を勝利する要因があります」とつづられているわ。
リホ なんだか、一日の捉え方が変わった気がします。だから学会員の皆さんからは、前向きな勢いを感じるんですね。
私もユリコさんのような、すてきな人を目指して、悔いの無い"全力の日々"にしていこうと思います。
語らなければ
真実は伝わらない。
今こそ友の心に
確信の声を届けよう!
四信五品抄 P342
『天子の襁褓に纒れ大竜の始めて生ずるが如し蔑如すること勿れ蔑如すること勿れ』
【通解】
(妙法信受の人の位は)生まれたばかりの天皇の子が産着に包まれたようなものであり、また生まれたての大竜のようなものである。故に、わが門下を決して蔑むようなことがあってはならない。
名字の言 ゴルフの渋野日向子選手の強さ 2021年10月16日
ゴルフの渋野日向子選手が国内ツアーで復活の逆転優勝を果たした。海外初参戦でメジャー制覇を遂げた2019年以来、約2年ぶりの勝利に涙する姿は、その間の苦悩を物語っていた▼渋野選手の強さの一つは「バウンスバック」。"跳ね返り"を意味し、ボギー以上の悪いスコアを出した次のホールで、バーディー以上の成績をマークすること。2年前、彼女は国内トップのバウンスバック率で勝利を積み上げ、精神力の強さを示した▼大きな期待を背に迎えた昨年は、力を発揮できず苦しい一年に。悩んだ末に着手したのがスイングの改造だった。五輪代表を逃し、冷評も浴びたが、"過去の自分を超える"と逆境を跳ね返し、再び頂点に立った▼スポーツジャーナリストの二宮清純氏は「成功体験は未来の失敗体験」と語る。「一つの成功に酔いすぎると、その後の変化が見えなくなり、進歩が止まる」(『対論・勝利学』第三文明社)と。スポーツに限らず、人間の成長を阻む難敵は"自分はこれでやってきた"という、成功した過去への執着心だろう▼変化を恐れず、変化の中に飛び込み、新しい自分をつくる。昨日より今日、今日より明日へと進みゆく「挑戦の人」「向上の人」に勝利の栄冠は輝く。
寸鉄 2021年10月16日
「いよいよ」「なをなを」が仏法者の魂。社会の為、自身の勝利の為に挑戦!
北、足立、豊島、板橋が猛追!再びの東京凱歌へ大胆に切り込み大金星を
広島戸田総県に必勝の炎が赤々。さあ未踏の峰へ。攻め抜いたほうが勝つ!
彼等は野干のほうるなり日蓮が一門は師子の吼るなり—御書。青年よ叫べ
3回目接種も無料化へ—公明が提言。試練克服へ具体策更に。政権の要と
〈社説〉 2021・10・16 きょう「世界食料デー」
◇わが家の一工夫が大きな力に
コンビニエンスストアでデザートに手を伸ばすと、黄緑色の表示「てまえどり」が目に飛び込んできた。すぐ食べるなら、棚の手前から販売期限の迫った商品を積極的に選ぼうという勧めだ。環境省、農林水産省、消費者庁とコンビニ4社が連携して促進する。選び方一つで、まだ食べられるのに捨てられる食品ロスの削減に貢献できる。本紙に登場した女優の柴田理恵さんも、豆腐を手前から取るようにしているそうだ。
約半分が家庭から出るとされる食品ロス。私たちの生活ではどんな工夫ができるだろうか。
例えば家庭菜園。読者から寄せられたアイデアは、生ごみは菜園の肥料にする、お米のとぎ汁で花を育てる、野菜くずでだしを取る、などなど。ちなみに野菜の栄養は、捨てられがちな皮などにより多く含まれるので、体にも地球にも良く、一石二鳥だ。
コロナ禍で手作りに対する考え方が変化している。おうち時間を活用するストレス解消法として、パンやお菓子を作る「ストレスベイキング」が広がった。同時に食の社会問題に関心を持つ人も増加。余った食材をおいしく変身させる「サルベージ(=救う)クッキング」のシェフ、キムラカズヒロさんは「食への興味やワクワク感こそが、フードロス削減の第一歩」と語る(『「使い切る」ための4つのアイデアと50のレシピ』誠文堂新光社)。楽しくポジティブに食を考える価値観が生まれつつある。余り物こそが食卓を彩る宝になるかもしれない。
ノーベル平和賞を昨年受賞した、国連世界食糧計画(WFP)日本事務所代表の焼家直絵さんは本紙で、先進国の肉食が増えるにつれ、餌となる穀物の消費も増え、その結果、貧困層から食料を奪うことになると指摘。「食料問題を"対岸の火事"だと思わないでください。世界がボーダーレスになっている今、私たちの行動が直接、世界に影響することがある」と語った。毎日の一工夫は、重なれば大きな力になる。
「余り物を使って思わず食べちゃうおつまみを作りたい」「今月の家計費を抑えたい」。興味でも節約でもいい。その一歩が、実は世界につながる一歩になるのだ。きょう10月16日は、世界の食料問題を考える「世界食料デー」。目に留まった何か一つから始めてみよう。
☆創大祭・白鳥祭「記念フェスティバル」への池田先生のメッセージ
◇不屈の英知と勇気で試練の壁を打ち破れ
一、不屈の負けじ魂光る青春凱歌の祭典、誠におめでとう!
打ち続くコロナ禍の中、知恵と工夫を凝らし、見事なチームワークで創立50周年を飾ってくれた、わが創大生、わが短大生、わが留学生の皆さん、本当にありがとう!
一、今回の創大祭・白鳥祭のテーマには、「友よ! 希望の新世紀を!」「百花の姉妹 彩ろう 希望の虹を」と掲げられております。
実は60年前の今日10月8日、造られて間もない「ベルリンの壁」の前に立った私が、深く強く胸に抱いていたのも、断固として「希望の新世紀」を開き、「希望の虹」を懸けてみせるとの一念でありました。
民衆を引き裂く残酷な悲劇を目の当たりにし、憤怒を込め「30年後には必ず壁はなくなる」と、私は同行の青年に語りました。
30年とはワン・ジェネレーション、一世代であります。分断と対立の壁という負の遺産を、次の世代には決して残さないとの決意でありました。
私は、人類の良心と英知と勇気は、いかなる魔性にも断じて勝つと「希望」を燃え上がらせて、世界を結ぶ対話を開始しました。そして、10年後には、わが希望を分かち合う「平和のフォートレス(要塞)」たる創大を創立したのです。ベルリンの壁は、28年にして崩壊しました。
一、東西冷戦終結の功労者であるゴルバチョフ氏と語り合ったように、人類が崩すべき壁は、未だ、たくさんあります。また、君たち一人一人の青春にも、立ちはだかる試練の壁が尽きないに違いない。
しかし、我ら創価の世界市民には、「どんな壁も必ず打ち破れる。否、絶対に打ち破ってみせるのだ」という大いなる希望があります。
希望とは、冬を耐え、春を呼ぶ忍耐であり、執念です。
希望とは、人間の善性を信じ、高め合う信頼であり、友情です。
そして希望とは、青年の連帯で社会を照らす価値創造です。
大先哲の至言に「未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」と。
どうか、「明日の希望は今日のわが探究にあり。この我らのスクラムにあり」と朗らかに確信し、新世紀の虹を勝ち光らせてくれたまえ!
敬愛してやまない宝の君たちの健康と無事故、栄光勝利を祈ります。
☆法華経に勝る兵法なし 千葉への指針から 第1回
立正安国の凱歌の秋へ——新連載「法華経に勝る兵法なし」では、池田先生が千葉の同志に送られたスピーチや指針の抜粋を紹介する。
◇愚痴を排して連続勝利へ
広宣流布に立った以上、難があるのは当然である。避けようのない法則である。「法華経」にそう説かれている。「御書」に繰り返し、そう仰せである。
難を乗り越えてこそ、仏に成れるのである。
ゆえに、何が起ころうと、今さら、あわてる必要はない。グチなど言っても、しかたがない。だれを恨む筋合いのものでもない。
一般の世間でも、「勝つ」ためには、死にもの狂いである。スポーツの世界しかり。経済の世界も、他の分野も同様である。人の知らないところで、皆、筆舌に尽くせぬ苦労を重ねている。だれもが必死なのである。そのなかにあって、微塵も甘さがあれば、勝てるわけがない。全部、"戦争"である。
いわんや、仏道修行に苦労がないはずがない。大聖人は、御自身があれほどの大難をすべて連続勝利してこられたのは、絶対にグチを言わない、人を恨まない「一念」が祈りとなったからだとおっしゃっているのである。
"全部、自分が決めたことだ""何のグチも文句もない""ただ、まっすぐに戦うのみである""勇んで、前へ進むだけである"——腹を決めた、晴ればれとした信心の一念によってこそ、連続勝利はある。諸天も動く。自身も大福運を開く。晴れわたる大空のごとき大境涯となる。
大聖人は、この原理を教えてくださっている。
(1993年1月、第3回千葉県総会でのスピーチ、『池田大作全集』第82巻所収)
◇広布のために労をいとわず
牧口先生は、若き日の名著『人生地理学』の中で、「半島は文明の起点である」と論じられた。先生は、その例として、千葉の房総半島が、大聖人という「宗教改革の巨人」を出したことを強調されていた。当時、先生は、まだ入信をされていなかった。しかし、文明論的な次元から、大聖人の故郷・千葉の天地に注目されていた。偉大な先生である。
その後、先生ご自身が、日蓮大聖人の仏法を奉じ、「宗教改革」に身を投じられたのである。
牧口先生は、千葉で立宗された大聖人の御姿を通して、学会員を励まされた。一九三九年(昭和十四年)、折伏のために九州に足を運ばれたときのことである。
当時は、列車の長旅である。今のように飛行機はない。高齢(六十七歳)のお体には、そうとうこたえたはずである。しかし、先生は、法のためならば、いかなる労もいとわれなかった。
その折、初対面のある婦人も、牧口先生の青年のようなすがすがしい音声、絶対の確信、誠実と慈愛の姿に感動して入会を決意する。
声が大事である。確信が大事である。姿が大事である。すべて諸法実相である。
(中略)
先生に中途半端はない。話すかぎりは、全魂をこめて、相手の心に使命と希望の火を灯さなければ——そういう一念であられた。
「あなたが御本尊をいただくということは、仏法の原理に照らして、九州の全民衆が不幸という悩みから救われることになるのです!」
「一人立て!」である。どの地でも、広宣流布はつねに「一人」から始まる。
(1997年1月、第5回千葉県総会でのスピーチ、『池田大作全集』第87巻所収)
☆みんなで学ぶ教学 第21回 勇気
◇幸福の扉を開く挑戦を
今回の「みんなで学ぶ教学」は、「勇気」がテーマです。私たち一人一人に具わる勇気を、"取り出す"信心について学んでいきましょう。支部女性部長のユリコさんは、新入会者のリホさんが、道に迷っている人を助けているのを見掛けたようです。
ユリコ 感動したわ! 今、リホさんが人助けしているところを見掛けたのよ。本当に偉いわね。
リホ あ! ユリコさん、こんにちは。"困ってそうだな"と感じたので、とっさに声を掛けました。勇気を出して良かったです。
ユリコ 心に思っていても、それを行動に移すことは簡単じゃないわ。リホさんは、勇気を"取り出せる"ように成長しているのよ。
リホ 勇気を"取り出せる"ですか。
ユリコ そうよ。日蓮大聖人は、「各各師子王の心を取り出して」(御書1190ページ)と弟子たちへ呼び掛けられているの。「師子王」とは、ライオンが百獣に優れていることを王に譬えた、仏の異名のことよ。
「師子王の心」とは、仏が具える、何ものをも恐れない「勇気」のことをいうの。その勇気は、自分の中にあるものなのよ。
リホ ライオンのような勇気!
すごいですね。
ユリコ 大聖人は立宗以来、いかなる迫害の嵐が吹き荒れても、民衆救済のため、全ての大難を勝ち越えて、万人成仏の妙法を説き弘められたの。その末法の御本仏としての御境涯を「師子王」に譬えられ、弟子たちにも「師子の子・又かくのごとし」(同ページ)と、「師子王の子」として成仏の境涯を開いていけることを教えられているのよ。
リホ 私には、とてもそんな勇気はないです……。
ユリコ そう思うかもしれないけど、私たちは、いつも自身の中にある小さな勇気を奮い起こしているのよ。日々の生活を振り返ってみても、何をするにも勇気が必要じゃないかしら。朝、早起きするのも、人に優しくするのも、皆に感謝を伝えるのも、勇気がなければ行動に移すことはできないわ。
勇気は、人生を豊かにしていくために、必要不可欠なものといえるわね。
リホ たしかに、身近な一つ一つのことにも勇気が必要かもしれません。でも、どうしたら私も、全てを勝ち越えていける「師子王」のような勇気を"取り出せる"ようになるんでしょうか?
ユリコ 私たちでいえば、日々の学会活動に全力で挑んでいくことよ。
勤行・唱題に励む中で、勇気を奮い起こしていく——。そうやって毎日、新たに仏法対話に挑戦するなど、一つ一つの活動の積み重ねが、自身の臆病の壁を破り、どんな時でも勇気を取り出せる境涯を築いていくのよ。
リホ なるほど。毎日の実践が勇気につながっていくんですね。
ユリコ そうね。それが自身の幸福を開いていくのよ。だからこそ、大聖人は弟子たちに「師子王の心を取り出して」と教えられているのよ。
池田先生は「勇気は、誰でも平等にもっています。勇気は、幸福という無尽蔵の宝の扉を開くカギです。しかし、多くの人が、それを封印し、臆病、弱気、迷いの波間を漂流している。どうか皆さんは、勇気を取り出し、胸中の臆病を打ち破ってください。そこに人生を勝利する要因があります」とつづられているわ。
リホ なんだか、一日の捉え方が変わった気がします。だから学会員の皆さんからは、前向きな勢いを感じるんですね。
私もユリコさんのような、すてきな人を目指して、悔いの無い"全力の日々"にしていこうと思います。
2021年10月15日金曜日
2021.10.15 わが友に贈る
昨日の自分に勝つ!
この間断なき挑戦の中に
人間革命はある。
「負けてたまるか!」と
不屈の魂を燃やして!
崇峻天皇御書 P1174
『蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり、此の御文を御覧あらんよりは心の財つませ給うべし』
【通解】
蔵に蓄える財宝よりも、身の財がすぐれ、身の財よりも、心に積んだ財が第一である。この手紙をご覧になってから以後は、心の財を積んでいきなさい。
名字の言 揺るぎない哲学を世界へ——きょうから新聞週間 2021年10月15日
医師と作家の対談を取材した時の話。異業種ということもあってか、なかなか2人の対話はかみ合わなかった。だが話題が東日本大震災に移るや、一気に心は打ち解けた。両者は復興ボランティアで東北に何度も足を運んでいた▼取材後、雰囲気が一変した理由を聞くと、2人の答えは同じ内容だった。「悩み、苦闘する人への深い思いやりと行動のある人は"本物"。この価値観で人を見ます」と▼かつて、本紙を購読する識者が語った。「さまざまな立場、分野で生きる人の信仰体験に深い感銘を受ける」——その訳は、信仰で自身の宿命を転換したことが、単に生活上の悩みを解決させたという域にとどまっていない。その実証が、やがて周囲の人や社会に良い変化を与えていくと確信していることに感動する。だから「この哲学に生きる人は強い」と述べていた▼きょうから新聞週間。今年の週間標語の佳作の一つに、こうある。「ゆれる世に ゆるがぬ記事の 存在感」。聖教新聞の存在感は、生き抜く力を説く"揺るぎない哲学"を世界に普遍化するところにあると自負する▼「世界市民は新聞を読むことから生まれた」(田才益夫訳)とは、チェコの作家カレル・チャペックの言葉。本紙の使命は大きい。
寸鉄 2021年10月15日
「広宣流布は私がやる!」この気概で進め—恩師。誓願の勇者に無限の力が
北海道の大空知、留萌、サロベツが執念の開拓。攻め抜き勝利の大旗を!
神戸の兵庫・北・長田区、西宮が大激戦。戦いは勢い!総力の拡大で凱旋へ
尼崎に聳える民衆の大城関西魂で必ず勝ち抜く!圧倒的な攻勢をここから
「無料お試し」が高額定期購入になる事故増。甘い謳い文句に罠。よく確認
☆忘れ得ぬ旅 太陽の心で 第15回 ハワイ
月刊誌「パンプキン」誌上の池田先生の連載エッセー「忘れ得ぬ旅 太陽の心で」を紹介する本企画。今回は「ハワイ——世界にアロハ(人類愛)の魂を」〈2013年1月号〉を掲載する(潮出版社刊の同名のエッセー集から抜粋)。明日2日は、1960年に池田先生が初の海外指導に出発した日であり、ハワイはその第一歩の地。現地の挨拶「アロハ」には、人類愛や思いやり、自然への感謝、敬意などの意義が込められている。世界が大きな苦難に直面する今、この「アロハ」の精神に学び、朗らかに、平和の連帯をわが地域へと広げていきたい。
新たなる
前途かがやけ
君の旅
「人の呼ぶ声には生命があります」とは、私の好きなハワイのことわざです。
人が人を気づかい、呼びかける声ほど、温もりのある生命の響きはありません。
ハワイには、「アロハ」という素晴らしい挨拶があります。もはや、世界市民の挨拶と言っても過言ではないくらい、ハワイの人々のホスピタリティー(もてなしの心)とともに、人類に広く親しまれています。
人々は出会いの時にも、別れの時にも、「アロハ」と挨拶を交わします。その短い一言のなかに、「人類愛」「思いやり」「同苦」「寛容」「慈悲」などの意義があります。さらには自らを育んでくれている人や自然への「感謝」「敬意」まで込められているのです。
ハワイでは、「アロハ」の精神を、こう歌い上げてきました。
「ハワイの人々よ 思いやりを持って/共に助け合いましょう/明るい方向へ思いを向けて/謙虚に慎み深く/辛抱強く続けると勝利が訪れます」と。
この「アロハ」の精神を携えて人生の旅を進めれば、暗く寒々しい世相にあっても、明るく温かな心の楽園を創り広げることができるはずです。
◇感謝・誠実・励まし
〈池田先生が初の海外指導に飛び立ったのは、1960年10月2日。最初に訪れたのが、太平洋戦争の開戦の地となったハワイだった。先生は、この場所から平和への闘争を開始する〉
私は、真っ先にパールハーバー(真珠湾)や国立太平洋記念墓地に向かい、すべての戦没者の冥福を深く深く祈りました。
とともに、この地に根を張ってこられた日系人の方々が、日本の奇襲攻撃で始まった戦争のせいで、どれほど厳しい苦難に直面されたか。そして、どれほど粘り強い苦労を重ねて、再び信頼を勝ち取ってこられたかに、思いを馳せました。
私は私の立場で、不戦の誓いを新たにし、"ハワイを世界平和の先駆の地にしよう!"と貢献を決意したのです。
〈池田先生は、これまで幾度もハワイを訪問。多民族が共生する美しい島々を「人類の心を結ぶ宝島」とたたえ、そこに息づく"調和の心"を紹介した〉
「アロハ」の精神を誇りとされていたのが、ここハワイで、米国初の日系人州知事を務められたジョージ・アリヨシさん夫妻です。多様な人種と文化が共存するハワイのリーダーとして、こう語っておられました。
「人間は、だれでも、ひとりで生きているんじゃない、『オタガイニ(お互いに)』世話になっているんだというのが、父の哲学でした。私は知事の仕事をする上でも、この信条でやりました」
「人は、ロボットではありません。『あなたの努力のおかげです』と尊敬され、認められてこそ、力が出るんです」と。
これからのリーダーシップに不可欠な「感謝」や「敬愛」、そして「誠実」や「励まし」を生き生きと先駆的に示してくださっていました。
◇不屈の信念で
〈ハワイ訪問を予定していた95年1月、阪神・淡路大震災が発生。池田先生は愛する関西の友を思い、被災地への激励を重ね続ける中、ハワイに向かった〉
一九九五年の一月十七日早朝、この大震災が発生しました。私は、ハワイの東西センターでの講演(一月二十六日)が予定されていましたが、前日まで出国を遅らせ、救援と激励の手を打ち続けました。
若い頃から何度も通ってきた兵庫の尊きあの友この友を思い、被災地のことをただただ祈るなかで、機中の人となりました。
国連創設五十周年を記念して行った東西センターでの講演は、「平和と人間のための安全保障」がテーマでした。安全保障とは、一人一人の安心や精神の充実を創出することでもあります。その源は、地域の絆や、人間自身の変革、不屈の精神でありましょう。講演する私の胸には、大震災に立ち向かう友の姿がありました。また、関西の友の苦しみを、わが苦しみとして案じてくれるハワイの方々の心がありました。
そして、その心と共に、私はハワイから関西に直行したのです。
私の思いは今も、前へ前へと立ち上がった関西の友、ハワイの友と一緒に歩み続けています。
関西の友が大事にする「負けたらあかん」の合言葉と響き合う、ハワイの伝統精神があります。
名歌「アロハ・オエ」の作者でもあるリリウオカラニ女王(ハワイ最後の王)は、十九世紀末、故郷を守るために、外国の圧力に対して堂々と立ち向かいました。ついに位を奪われるに至る女王は、自らのモットー「オニパー(たじろぐことなく強く立つ)」を、ハワイの子らにも贈りました。
この精神を通して、ハワイ大学スパーク・マツナガ平和研究所の所長を務められたグアンソン博士は、「人生において勇気と不屈の信念によって立つことほど重要なものはない」と強調されていました。
ハワイのことわざには「雨が降るから、虹も出る」とあります。苦難の雨があってこそ幸福の虹がかかるのです。「虹の州(レインボー・ステート)」ハワイでは、多彩な個性と文化を持つ子どもたちが仲良く学ぶ姿を、「虹の子どもたち」とも表現するといいます。
わが人生と地域社会に、「アロハ」の心で、友情の虹、希望の虹、勝利の虹を大きく明るく描いていきたいものです。
虹の道
ともども歩まむ
平和かな
(『忘れ得ぬ旅 太陽の心で』第3巻所収)
この間断なき挑戦の中に
人間革命はある。
「負けてたまるか!」と
不屈の魂を燃やして!
崇峻天皇御書 P1174
『蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり、此の御文を御覧あらんよりは心の財つませ給うべし』
【通解】
蔵に蓄える財宝よりも、身の財がすぐれ、身の財よりも、心に積んだ財が第一である。この手紙をご覧になってから以後は、心の財を積んでいきなさい。
名字の言 揺るぎない哲学を世界へ——きょうから新聞週間 2021年10月15日
医師と作家の対談を取材した時の話。異業種ということもあってか、なかなか2人の対話はかみ合わなかった。だが話題が東日本大震災に移るや、一気に心は打ち解けた。両者は復興ボランティアで東北に何度も足を運んでいた▼取材後、雰囲気が一変した理由を聞くと、2人の答えは同じ内容だった。「悩み、苦闘する人への深い思いやりと行動のある人は"本物"。この価値観で人を見ます」と▼かつて、本紙を購読する識者が語った。「さまざまな立場、分野で生きる人の信仰体験に深い感銘を受ける」——その訳は、信仰で自身の宿命を転換したことが、単に生活上の悩みを解決させたという域にとどまっていない。その実証が、やがて周囲の人や社会に良い変化を与えていくと確信していることに感動する。だから「この哲学に生きる人は強い」と述べていた▼きょうから新聞週間。今年の週間標語の佳作の一つに、こうある。「ゆれる世に ゆるがぬ記事の 存在感」。聖教新聞の存在感は、生き抜く力を説く"揺るぎない哲学"を世界に普遍化するところにあると自負する▼「世界市民は新聞を読むことから生まれた」(田才益夫訳)とは、チェコの作家カレル・チャペックの言葉。本紙の使命は大きい。
寸鉄 2021年10月15日
「広宣流布は私がやる!」この気概で進め—恩師。誓願の勇者に無限の力が
北海道の大空知、留萌、サロベツが執念の開拓。攻め抜き勝利の大旗を!
神戸の兵庫・北・長田区、西宮が大激戦。戦いは勢い!総力の拡大で凱旋へ
尼崎に聳える民衆の大城関西魂で必ず勝ち抜く!圧倒的な攻勢をここから
「無料お試し」が高額定期購入になる事故増。甘い謳い文句に罠。よく確認
☆忘れ得ぬ旅 太陽の心で 第15回 ハワイ
月刊誌「パンプキン」誌上の池田先生の連載エッセー「忘れ得ぬ旅 太陽の心で」を紹介する本企画。今回は「ハワイ——世界にアロハ(人類愛)の魂を」〈2013年1月号〉を掲載する(潮出版社刊の同名のエッセー集から抜粋)。明日2日は、1960年に池田先生が初の海外指導に出発した日であり、ハワイはその第一歩の地。現地の挨拶「アロハ」には、人類愛や思いやり、自然への感謝、敬意などの意義が込められている。世界が大きな苦難に直面する今、この「アロハ」の精神に学び、朗らかに、平和の連帯をわが地域へと広げていきたい。
新たなる
前途かがやけ
君の旅
「人の呼ぶ声には生命があります」とは、私の好きなハワイのことわざです。
人が人を気づかい、呼びかける声ほど、温もりのある生命の響きはありません。
ハワイには、「アロハ」という素晴らしい挨拶があります。もはや、世界市民の挨拶と言っても過言ではないくらい、ハワイの人々のホスピタリティー(もてなしの心)とともに、人類に広く親しまれています。
人々は出会いの時にも、別れの時にも、「アロハ」と挨拶を交わします。その短い一言のなかに、「人類愛」「思いやり」「同苦」「寛容」「慈悲」などの意義があります。さらには自らを育んでくれている人や自然への「感謝」「敬意」まで込められているのです。
ハワイでは、「アロハ」の精神を、こう歌い上げてきました。
「ハワイの人々よ 思いやりを持って/共に助け合いましょう/明るい方向へ思いを向けて/謙虚に慎み深く/辛抱強く続けると勝利が訪れます」と。
この「アロハ」の精神を携えて人生の旅を進めれば、暗く寒々しい世相にあっても、明るく温かな心の楽園を創り広げることができるはずです。
◇感謝・誠実・励まし
〈池田先生が初の海外指導に飛び立ったのは、1960年10月2日。最初に訪れたのが、太平洋戦争の開戦の地となったハワイだった。先生は、この場所から平和への闘争を開始する〉
私は、真っ先にパールハーバー(真珠湾)や国立太平洋記念墓地に向かい、すべての戦没者の冥福を深く深く祈りました。
とともに、この地に根を張ってこられた日系人の方々が、日本の奇襲攻撃で始まった戦争のせいで、どれほど厳しい苦難に直面されたか。そして、どれほど粘り強い苦労を重ねて、再び信頼を勝ち取ってこられたかに、思いを馳せました。
私は私の立場で、不戦の誓いを新たにし、"ハワイを世界平和の先駆の地にしよう!"と貢献を決意したのです。
〈池田先生は、これまで幾度もハワイを訪問。多民族が共生する美しい島々を「人類の心を結ぶ宝島」とたたえ、そこに息づく"調和の心"を紹介した〉
「アロハ」の精神を誇りとされていたのが、ここハワイで、米国初の日系人州知事を務められたジョージ・アリヨシさん夫妻です。多様な人種と文化が共存するハワイのリーダーとして、こう語っておられました。
「人間は、だれでも、ひとりで生きているんじゃない、『オタガイニ(お互いに)』世話になっているんだというのが、父の哲学でした。私は知事の仕事をする上でも、この信条でやりました」
「人は、ロボットではありません。『あなたの努力のおかげです』と尊敬され、認められてこそ、力が出るんです」と。
これからのリーダーシップに不可欠な「感謝」や「敬愛」、そして「誠実」や「励まし」を生き生きと先駆的に示してくださっていました。
◇不屈の信念で
〈ハワイ訪問を予定していた95年1月、阪神・淡路大震災が発生。池田先生は愛する関西の友を思い、被災地への激励を重ね続ける中、ハワイに向かった〉
一九九五年の一月十七日早朝、この大震災が発生しました。私は、ハワイの東西センターでの講演(一月二十六日)が予定されていましたが、前日まで出国を遅らせ、救援と激励の手を打ち続けました。
若い頃から何度も通ってきた兵庫の尊きあの友この友を思い、被災地のことをただただ祈るなかで、機中の人となりました。
国連創設五十周年を記念して行った東西センターでの講演は、「平和と人間のための安全保障」がテーマでした。安全保障とは、一人一人の安心や精神の充実を創出することでもあります。その源は、地域の絆や、人間自身の変革、不屈の精神でありましょう。講演する私の胸には、大震災に立ち向かう友の姿がありました。また、関西の友の苦しみを、わが苦しみとして案じてくれるハワイの方々の心がありました。
そして、その心と共に、私はハワイから関西に直行したのです。
私の思いは今も、前へ前へと立ち上がった関西の友、ハワイの友と一緒に歩み続けています。
関西の友が大事にする「負けたらあかん」の合言葉と響き合う、ハワイの伝統精神があります。
名歌「アロハ・オエ」の作者でもあるリリウオカラニ女王(ハワイ最後の王)は、十九世紀末、故郷を守るために、外国の圧力に対して堂々と立ち向かいました。ついに位を奪われるに至る女王は、自らのモットー「オニパー(たじろぐことなく強く立つ)」を、ハワイの子らにも贈りました。
この精神を通して、ハワイ大学スパーク・マツナガ平和研究所の所長を務められたグアンソン博士は、「人生において勇気と不屈の信念によって立つことほど重要なものはない」と強調されていました。
ハワイのことわざには「雨が降るから、虹も出る」とあります。苦難の雨があってこそ幸福の虹がかかるのです。「虹の州(レインボー・ステート)」ハワイでは、多彩な個性と文化を持つ子どもたちが仲良く学ぶ姿を、「虹の子どもたち」とも表現するといいます。
わが人生と地域社会に、「アロハ」の心で、友情の虹、希望の虹、勝利の虹を大きく明るく描いていきたいものです。
虹の道
ともども歩まむ
平和かな
(『忘れ得ぬ旅 太陽の心で』第3巻所収)
2021年10月14日木曜日
2021.10.14 わが友に贈る
急いでいる時ほど
安全第一の心掛けを!
無理・油断・焦りは禁物。
「事故を起こさない」と
強き祈りで進もう!
崇峻天皇御書 P1174
『蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり、此の御文を御覧あらんよりは心の財つませ給うべし』
【通解】
蔵に蓄える財宝よりも、身の財がすぐれ、身の財よりも、心に積んだ財が第一である。この手紙をご覧になってから以後は、心の財を積んでいきなさい。
名字の言 ことわざ「六日の菖蒲、十日の菊」 2021年10月14日
今の季節は、七十二候の「菊花開」(10月13〜17日ごろ)という。七十二候とは1年を72分割し、およそ5日ごとの季節の変化を短い文章で表現したもの。四季と共に暮らした先人の心の結晶である▼新暦と旧暦とは1カ月ほどずれがあり、きょう10月14日は旧暦の9月9日。季節の変わり目に無病息災を願う五節句の一つ、「重陽の節句」の日である。この時季に見頃となる菊を使って不老長寿を願う節句なので、「菊の節句」とも呼ばれる▼「六日の菖蒲、十日の菊」ということわざがある。5月5日の「端午の節句」に用いる菖蒲、「重陽の節句」に使用する菊——いずれも1日遅れの6日、10日に準備しても役に立たないことから「時機を逃すな」と戒めるもの▼御書に「末法の女性が、法華経を修行して定まった寿命を転じて延ばすことは、秋に稲が実り、冬に菊花が咲くようなもので、誰が驚くであろうか」(985ページ、通解)と。時を示す比喩として「秋の稲米」「冬の菊花」が用いられている▼人生にも「時」があり、「四季」がある。希望の春を迎えるために今、何をすべきか。「未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」(御書231ページ)——時を逃さない行動の積み重ねが、輝く未来を開く。
寸鉄 2021年10月14日
戦いは迅速であれ—戸田先生。時を逃さぬ先手の行動を。電光石火で拡大
関西の電源地、堺市の堺・東・北区よ断固、反転攻勢を。凱歌を庶民の都に!
大阪市の大正・住之江・住吉・西成区が大奮闘!常勝の万歳を断じて皆で
東淀川・淀川・西淀川・此花区に民衆の勝鬨を!入魂の対話で激戦を突破
旭・鶴見区、守口・門真市が執念の猛攻!栄光の頂を目指して連帯固く前進
☆忘れ得ぬ旅 太陽の心で 第14回 広島
月刊誌「パンプキン」誌上の池田先生の連載エッセー「忘れ得ぬ旅 太陽の心で」を紹介する本企画。今回は「広島——母の祈りに満ちた平和の天地」〈2012年8月号〉を掲載する(潮出版社刊の同名のエッセー集から抜粋)。人類史上、初めて原爆が投下された広島。池田先生は、苦難に屈せず平和の旗を掲げる人々の姿を紹介し、「限りなく勇気の光を贈りゆく『希望の天地』」とたたえる。平和な世界の建設へ!——「広島の心」に学び、今いる場所から、友好を大きく広げていきたい。
偉大なる
母あり 友あり
平和あり
わが愛する広島には、偉大なる慈愛の母がいます。不屈の信念の友がいます。ゆえに、決して尽きることのない平和への希望があります。
戦争の最も悲惨にして残酷な苦悩から立ち上がり、「平和の都」の建設の夢へ、全世界の先頭を進んできた天地こそ、私たちの広島なのです。
私の恩師である戸田城聖先生は、青年への第一の遺訓として「原水爆禁止宣言」を発表しました。
一九五七年九月八日、五万人の若人らを前に、核兵器を「絶対悪」として使用禁止と廃絶を叫び切ったのです。
「われわれ世界の民衆は、生存の権利をもっております。その権利をおびやかすものは、これ魔ものであり、サタンであり、怪物であります」と。
この宣言の二カ月後、恩師が衰弱の著しい身を押して訪問しようとしたのが、広島です。必死で止める私に、「死んでも行かせてくれ」と言われた言葉は、わが胸奥から離れることはありません。
私にとって、広島は常に、この師匠の分身として訪ねる天地となりました。だからこそ、平和への燃え上がる情熱と具体的な行動なくして、広島へ行くことはできないと、自らに厳しく言い聞かせてきたのです。
◇強く生き抜く
〈池田先生はたびたび広島を訪れ、原爆の犠牲者らに追善の祈りを捧げてきたことを述懐。続いて、平和を築きゆく広島の友の生き方に光を当てた〉
原爆によって一瞬にして最愛の家族や友人を失った悲しみ、原爆症との壮絶な闘い、自分や子どもの後遺症への底知れぬ不安……。それぞれに痛切な苦悩に立ち向かいながら、広島の母の生命は何と清く美しく、広島の友の人生は何と強くたくましいのか。
あまりにも多くの命を奪った原爆にも負けず、新しい命を育て上げていくことが、平和への闘争であると、心を定めた母がいます。
被爆した自分が「生きて生きて生き抜いていくこと」それ自体が、死の兵器に打ち勝つ挑戦なりと、闘志を奮い立たせる青年がいました。
ひとたびは破壊され尽くした、この広島に根を張り、明るく仲良く幸福と歓喜の花を咲かせていくことが、亡くなった方々への追悼であると、活動してきた女性もおります。
一人一人の心には、人類のなかから選ばれて広島で戦いゆく使命の誇りが光っています。
私がお会いした尾道市出身の平山郁夫画伯も、若き日に被爆した八月六日を原点に、平和と文化の創造に立ち上がり、「生きることが美である」「生きよう、成長しようとしているときには、美しさを表す」と強調されていました。
私と妻が知る婦人は、爆心地から二キロほどの自宅で被爆し、最愛の妹や親友、多くの同僚を亡くしました。自身も甲状腺の異常に苦しめられます。終戦後に結婚して四人の子に恵まれましたが、交通事故で夫を失い、多額の借金を抱え、体調不良の身で悪戦苦闘が続きました。
婦人はある日、戸田先生の「原水爆禁止宣言」を知り、「私の苦しい心をわかってくれる人がいたんだ!」と感激し、そして誓いを立てます。
「人々の暮らしを破壊する核兵器を絶対に許してはならない!」と、勇気を出して各地で被爆体験を語るようになりました。
一九八二年六月、国連広報局、また広島・長崎市と共に、私たちは「核兵器——現代世界の脅威」展をニューヨークの国連本部で開催しました。国連本部で初めて広島と長崎の被爆の実態が展示されたのです。この婦人も、被爆者の代表として参加しました。
ところが、「ノーモア・ヒロシマ」と語れば、アメリカ人から「リメンバー・パールハーバー」と返ってくる。「原爆投下のおかげで戦争が終わったんだ」という元兵士もいました。
婦人は思わず「あなたは親や家族の頭の上に原爆を落とせますか」と言い返しました。さらに「アメリカが憎いのではありません。戦争が憎いのです。共に平和を!」と訴えると、元兵士をはじめ人々は皆、涙を流したといいます。
母の渾身の勇気ある叫びは、悲劇の歴史さえも、人を結び、平和を築く種子へと変えているのです。
◇開拓精神で!
〈広島青年部は、国内外の識者から平和を学ぶ「広島学講座」を、これまで180回以上開催。長崎、沖縄の青年部と共に「平和サミット」(2015年から「青年不戦サミット」に名称変更)を毎年のように開いてきた。池田先生はこうした取り組みを紹介しつつ、世代を超えて不戦の誓いを伝える広島は、「人類の永遠の『平和の都』」であるとたたえる〉
北広島町の中国平和記念墓地公園の「世界平和祈願の碑」には、六体の像が深い誓いを秘めて凜然と立っています。その一つの「後継の像」は、母が子を抱き上げる姿をしています。制作されたフランスの世界的彫刻家ルイ・デルブレ氏は語られていました。
「子どもを上にかざしているのは、子どもは自分の所有物ではなく、『未来の平和のために、世界へと送り出していく』そういう意義です。幼児のほうも、一人の人間として、きりっとした表情をしています。後継の困難な使命を自覚し、決意しているからです」
生命を慈しむ「母の祈り」を、青年たちが継承してこそ、平和は永続します。頼もしいことに、平和のために行動してきた広島の父母のスクラムに若き不撓の波が続いています。
かつて広島から海外へ移住した人の数は全国一であったといいます。その進取の気性に富んだ広島のパイオニア精神は、今日、平和と人道の開拓においても、輝きを放っています。
最も苦しんだところが、最も幸福になる——。
広島は人類の永遠の「平和の都」です。東日本大震災の被災地や、世界で苦難に立ち向かう人々とも連帯し、限りなく勇気の光を贈りゆく「希望の天地」なのです。
君立ちて
世界の平和の
幕ひらき
この道走れや
彼方の虹見て
(『忘れ得ぬ旅 太陽の心で』第3巻所収)
安全第一の心掛けを!
無理・油断・焦りは禁物。
「事故を起こさない」と
強き祈りで進もう!
崇峻天皇御書 P1174
『蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり、此の御文を御覧あらんよりは心の財つませ給うべし』
【通解】
蔵に蓄える財宝よりも、身の財がすぐれ、身の財よりも、心に積んだ財が第一である。この手紙をご覧になってから以後は、心の財を積んでいきなさい。
名字の言 ことわざ「六日の菖蒲、十日の菊」 2021年10月14日
今の季節は、七十二候の「菊花開」(10月13〜17日ごろ)という。七十二候とは1年を72分割し、およそ5日ごとの季節の変化を短い文章で表現したもの。四季と共に暮らした先人の心の結晶である▼新暦と旧暦とは1カ月ほどずれがあり、きょう10月14日は旧暦の9月9日。季節の変わり目に無病息災を願う五節句の一つ、「重陽の節句」の日である。この時季に見頃となる菊を使って不老長寿を願う節句なので、「菊の節句」とも呼ばれる▼「六日の菖蒲、十日の菊」ということわざがある。5月5日の「端午の節句」に用いる菖蒲、「重陽の節句」に使用する菊——いずれも1日遅れの6日、10日に準備しても役に立たないことから「時機を逃すな」と戒めるもの▼御書に「末法の女性が、法華経を修行して定まった寿命を転じて延ばすことは、秋に稲が実り、冬に菊花が咲くようなもので、誰が驚くであろうか」(985ページ、通解)と。時を示す比喩として「秋の稲米」「冬の菊花」が用いられている▼人生にも「時」があり、「四季」がある。希望の春を迎えるために今、何をすべきか。「未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」(御書231ページ)——時を逃さない行動の積み重ねが、輝く未来を開く。
寸鉄 2021年10月14日
戦いは迅速であれ—戸田先生。時を逃さぬ先手の行動を。電光石火で拡大
関西の電源地、堺市の堺・東・北区よ断固、反転攻勢を。凱歌を庶民の都に!
大阪市の大正・住之江・住吉・西成区が大奮闘!常勝の万歳を断じて皆で
東淀川・淀川・西淀川・此花区に民衆の勝鬨を!入魂の対話で激戦を突破
旭・鶴見区、守口・門真市が執念の猛攻!栄光の頂を目指して連帯固く前進
☆忘れ得ぬ旅 太陽の心で 第14回 広島
月刊誌「パンプキン」誌上の池田先生の連載エッセー「忘れ得ぬ旅 太陽の心で」を紹介する本企画。今回は「広島——母の祈りに満ちた平和の天地」〈2012年8月号〉を掲載する(潮出版社刊の同名のエッセー集から抜粋)。人類史上、初めて原爆が投下された広島。池田先生は、苦難に屈せず平和の旗を掲げる人々の姿を紹介し、「限りなく勇気の光を贈りゆく『希望の天地』」とたたえる。平和な世界の建設へ!——「広島の心」に学び、今いる場所から、友好を大きく広げていきたい。
偉大なる
母あり 友あり
平和あり
わが愛する広島には、偉大なる慈愛の母がいます。不屈の信念の友がいます。ゆえに、決して尽きることのない平和への希望があります。
戦争の最も悲惨にして残酷な苦悩から立ち上がり、「平和の都」の建設の夢へ、全世界の先頭を進んできた天地こそ、私たちの広島なのです。
私の恩師である戸田城聖先生は、青年への第一の遺訓として「原水爆禁止宣言」を発表しました。
一九五七年九月八日、五万人の若人らを前に、核兵器を「絶対悪」として使用禁止と廃絶を叫び切ったのです。
「われわれ世界の民衆は、生存の権利をもっております。その権利をおびやかすものは、これ魔ものであり、サタンであり、怪物であります」と。
この宣言の二カ月後、恩師が衰弱の著しい身を押して訪問しようとしたのが、広島です。必死で止める私に、「死んでも行かせてくれ」と言われた言葉は、わが胸奥から離れることはありません。
私にとって、広島は常に、この師匠の分身として訪ねる天地となりました。だからこそ、平和への燃え上がる情熱と具体的な行動なくして、広島へ行くことはできないと、自らに厳しく言い聞かせてきたのです。
◇強く生き抜く
〈池田先生はたびたび広島を訪れ、原爆の犠牲者らに追善の祈りを捧げてきたことを述懐。続いて、平和を築きゆく広島の友の生き方に光を当てた〉
原爆によって一瞬にして最愛の家族や友人を失った悲しみ、原爆症との壮絶な闘い、自分や子どもの後遺症への底知れぬ不安……。それぞれに痛切な苦悩に立ち向かいながら、広島の母の生命は何と清く美しく、広島の友の人生は何と強くたくましいのか。
あまりにも多くの命を奪った原爆にも負けず、新しい命を育て上げていくことが、平和への闘争であると、心を定めた母がいます。
被爆した自分が「生きて生きて生き抜いていくこと」それ自体が、死の兵器に打ち勝つ挑戦なりと、闘志を奮い立たせる青年がいました。
ひとたびは破壊され尽くした、この広島に根を張り、明るく仲良く幸福と歓喜の花を咲かせていくことが、亡くなった方々への追悼であると、活動してきた女性もおります。
一人一人の心には、人類のなかから選ばれて広島で戦いゆく使命の誇りが光っています。
私がお会いした尾道市出身の平山郁夫画伯も、若き日に被爆した八月六日を原点に、平和と文化の創造に立ち上がり、「生きることが美である」「生きよう、成長しようとしているときには、美しさを表す」と強調されていました。
私と妻が知る婦人は、爆心地から二キロほどの自宅で被爆し、最愛の妹や親友、多くの同僚を亡くしました。自身も甲状腺の異常に苦しめられます。終戦後に結婚して四人の子に恵まれましたが、交通事故で夫を失い、多額の借金を抱え、体調不良の身で悪戦苦闘が続きました。
婦人はある日、戸田先生の「原水爆禁止宣言」を知り、「私の苦しい心をわかってくれる人がいたんだ!」と感激し、そして誓いを立てます。
「人々の暮らしを破壊する核兵器を絶対に許してはならない!」と、勇気を出して各地で被爆体験を語るようになりました。
一九八二年六月、国連広報局、また広島・長崎市と共に、私たちは「核兵器——現代世界の脅威」展をニューヨークの国連本部で開催しました。国連本部で初めて広島と長崎の被爆の実態が展示されたのです。この婦人も、被爆者の代表として参加しました。
ところが、「ノーモア・ヒロシマ」と語れば、アメリカ人から「リメンバー・パールハーバー」と返ってくる。「原爆投下のおかげで戦争が終わったんだ」という元兵士もいました。
婦人は思わず「あなたは親や家族の頭の上に原爆を落とせますか」と言い返しました。さらに「アメリカが憎いのではありません。戦争が憎いのです。共に平和を!」と訴えると、元兵士をはじめ人々は皆、涙を流したといいます。
母の渾身の勇気ある叫びは、悲劇の歴史さえも、人を結び、平和を築く種子へと変えているのです。
◇開拓精神で!
〈広島青年部は、国内外の識者から平和を学ぶ「広島学講座」を、これまで180回以上開催。長崎、沖縄の青年部と共に「平和サミット」(2015年から「青年不戦サミット」に名称変更)を毎年のように開いてきた。池田先生はこうした取り組みを紹介しつつ、世代を超えて不戦の誓いを伝える広島は、「人類の永遠の『平和の都』」であるとたたえる〉
北広島町の中国平和記念墓地公園の「世界平和祈願の碑」には、六体の像が深い誓いを秘めて凜然と立っています。その一つの「後継の像」は、母が子を抱き上げる姿をしています。制作されたフランスの世界的彫刻家ルイ・デルブレ氏は語られていました。
「子どもを上にかざしているのは、子どもは自分の所有物ではなく、『未来の平和のために、世界へと送り出していく』そういう意義です。幼児のほうも、一人の人間として、きりっとした表情をしています。後継の困難な使命を自覚し、決意しているからです」
生命を慈しむ「母の祈り」を、青年たちが継承してこそ、平和は永続します。頼もしいことに、平和のために行動してきた広島の父母のスクラムに若き不撓の波が続いています。
かつて広島から海外へ移住した人の数は全国一であったといいます。その進取の気性に富んだ広島のパイオニア精神は、今日、平和と人道の開拓においても、輝きを放っています。
最も苦しんだところが、最も幸福になる——。
広島は人類の永遠の「平和の都」です。東日本大震災の被災地や、世界で苦難に立ち向かう人々とも連帯し、限りなく勇気の光を贈りゆく「希望の天地」なのです。
君立ちて
世界の平和の
幕ひらき
この道走れや
彼方の虹見て
(『忘れ得ぬ旅 太陽の心で』第3巻所収)
2021年10月13日水曜日
2021.10.13 わが友に贈る
青年の勇気と知恵こそ
新たな時代を創る力だ!
皆が活躍できるよう
最大の励ましと応援を。
共に希望の未来へ!
新池御書 P1440
『始より終りまで弥信心をいたすべしさなくして後悔やあらんずらん、譬えば鎌倉より京へは十二日の道なり、それを十一日余り歩をはこびて今一日に成りて歩をさしをきては何として都の月をば詠め候べき』
【通解】
始めから終わりまでいよいよ信心をすべきである。そうでなければ後悔するであろう。例えば、 鎌倉から京都へは12日を要する道のりである。それを11日あまり歩いて、あと1日になって歩くのをやめてしまったならば、どうして都の月を眺めることができようか。
名字の言 亡き父から学んだ「心の財」 2021年10月13日
医師として多くの人の臨終に立ち会ってきた友の言葉が、とても印象に残っている。「亡くなる時、その人の分まで価値ある人生を生きようと"心のバトン"を受け継いでくれる存在があれば、『死』は永遠の幸福への出発に感じられるのではないでしょうか」▼ある女子部員は2年前、父が末期がんで「余命」を告げられた。しかし、父の残りの人生は"余り"などではなく、宝のように輝く日々だった。家族で一日一日を大切にしながら、共に祈り、学会活動の話題で盛り上がり、笑い、涙した▼昨秋、父はほほ笑みを浮かべ、安らかに旅立った。生前を知る同志は「あなたのお父さんにどれほど励まされたか」「今の自分があるのはお父さんのおかげ」と感謝を口々に。父がこれほどに慕われ、心の財を積んできたことに彼女は感動し、「私も広布に生き抜きます!」と"使命のバトン"を受け継いだ▼「先臨終の事を習うて後に他事を習うべし」(御書1404ページ)。命には限りがある。分かっていても、それを身近な人や自分に引き当てて考えるのは勇気がいる。だが、この一点に真剣に向き合った時、大切なものが見えてくる▼地位、財産、名声などより「心の財」を求める人生にこそ、真の幸福と満足がある。
寸鉄 2021年10月13日
一生懸命だから不可能も可能になる—恩師。絶対勝つ。皆がこの心で挑戦
神奈川、千葉、山梨よ正義の底力発揮を。大逆転へ気迫の進撃をここから!
埼玉、茨城、栃木、群馬が猛追。敢闘魂で新記録の拡大へ!総力で勝機を
愛知、静岡、岐阜、三重に金星を断固!誰をも味方にする攻めの対話今こそ
電話は孤独感を和らげる効果—研究。絆が希薄な社会。一本に真心込めて
〈社説〉 2021・10・13 「日蓮大聖人御入滅の日」
◇一人一人の幸福が平和の基盤に
「日蓮生れし時より・いまに一日片時も・こころやすき事はなし、此の法華経の題目を弘めんと思うばかりなり」(御書1558ページ)——民衆の幸福を願い、妙法流布に生き抜かれた日蓮大聖人は、弘安5年(1282年)10月13日、61歳で崇高な御一生を終えられた。本年で739年を数える。
その御生涯は、正法流布を阻む障魔との連続闘争であったが、多くの弟子もまた、迫害に屈することなく、不退の信心を貫いた。
「日蓮は、この法門を語ってきたので、他の人と比較にならないほど、多くの人に会ってきた」(同1418ページ、通解)
人と会い、人と語り、妙法を弘め抜かれたのが大聖人である。
大聖人と門下との強い絆。その背景には、常に一人を大切にされる大聖人の慈愛があった。
夫を亡くし、病弱な幼子を抱える妙一尼には、「冬は必ず春となる」(同1253ページ)と、悲しみに寄り添いながら、抱きかかえるように励まされている。
南条時光が重病であるとの報告を受けた時には、時光を苦しめる病魔に対して、「鬼神めらめ」(同1587ページ)と厳しく叱責された。大聖人御自身が病と闘う中、自らの命を振り絞るかのような師子吼に触れ、時光は、50年も更賜寿命することができた。
"強盛な信心を貫き、人生を勝ち開け!"——大聖人の深き御慈愛が胸に迫ってくる。
弟子への真剣な薫陶は、御生涯の最後まで続いた。御入滅の前月に、池上宗仲の屋敷で病を押して、「立正安国論」を講義されたという記録もある。命を削る思いで、弟子たちに"立正安国の戦い"を託されたのだ。
民衆一人一人の幸福なくして、社会の平和・繁栄はない。この立正安国の大理想を、現代において展開しているのが創価学会である。
池田先生は語っている。
「一人を励まし、命の底から生き抜く力を蘇生させるのです。この地道な行動の積み重ねこそが、世界192カ国・地域にまで地涌の民衆連帯を広げ、創価学会を世界宗教へ飛翔させてきた原動力にほかなりません」
私たちは、「仏の如く互に敬うべし」(同1383ページ)との、大聖人の根本精神を心に刻み、目の前の一人に誠実な語らいを広げ、"立正安国""立正安世界"の社会を築きゆこうではないか。
☆忘れ得ぬ旅 太陽の心で 第13回 ロサンゼルス
月刊誌「パンプキン」誌上の池田先生の連載エッセー「忘れ得ぬ旅 太陽の心で」を紹介する本企画。今回は「ロサンゼルス——共に踏み出す開拓の一歩」〈2013年8月号〉を掲載する(潮出版社刊の同名のエッセー集から抜粋)。20世紀の初めに急成長を遂げたアメリカ・ロサンゼルス。半砂漠地帯から大都市へ——その開拓は、一本の長い水路を引いたことから始まった。地道な、そして着実な歩みを重ねていく先に、希望の未来は開けてくる。さあ、今日も開拓の心を燃やし、挑戦の一歩を踏み出そう!
勇気ある
この第一歩に
未来あり
人生も、社会も、勇敢なチャレンジの第一歩から開かれます。
アメリカの開拓時代、旅人が街に到着すると、「どこから来たか?」とは聞かれませんでした。最初に問われたことは、「これから、どこへ行くのか? 何をするつもりなのか?」であったと言います。
過去がどうあれ、大事なことは、今ここから、いかなる一歩を踏み出していくかでしょう。
思えば、カリフォルニアの陽光が降り注ぐ世界屈指の大都市ロサンゼルスも、百年ほど前までは、比較的人口が少ない半砂漠地帯でした。二十世紀の初めに急成長を遂げたのです。
その繁栄を開いた大いなる一歩は、約四百キロ離れた山脈から一本の水路を引いたことです。
四百キロといえば、東京から東北に行けば宮城や岩手、西へ進めば大阪や兵庫ほどの直線距離になります。
それほどの遠大なスケールで、山岳地帯を越えて水を引いてきたのですから、先人たちの苦労が偲ばれます。
さらに、雨があまり降らない気候を映画撮影の格好の条件として活かし、ハリウッドに象徴される映画産業を発達させました。広大な砂漠地帯を、みずみずしい夢と文化の発信地として栄えさせていったのです。
ハリウッド映画にもなった小説『怒りの葡萄』『エデンの東』等で有名な、カリフォルニアの作家スタインベック(一九〇二〜六八)は語っていました。
「たとえ怖くても、新しい試みをするごとに驚きと希望と喜びがあるのです」と。
◇できることから
〈中南米やアジアからの移住者も多い、多様性の天地・ロサンゼルス。池田先生は1960年10月に初訪問し、母国を離れて暮らす日本出身の女性らを激励。未来へ希望の灯をともした〉
初訪問の折には、アメリカ軍人の夫との結婚を機に渡米したものの、異国の生活になじめず悪戦苦闘する女性たちから「日本に帰りたい……」という声も、多く聞きました。
その苦労は痛いほど察せられました。しかし、不思議な宿縁で舞い来たった天地です。断じて幸福を勝ち取れないわけがない。私は、具体的に三つのアドバイスを申し上げました。
�市民権を取り、良きアメリカ市民になる
�自動車の運転免許を取る
�英語をマスターする
思うにまかせぬ境遇にあって、あれこれ考え過ぎても、身動きがとれなくなってしまう。まず、できることから目標を立てて、一歩、前へ進めば、そこから希望の活路が広がります。
それから半世紀——。それぞれに、最良のアメリカ市民、模範のアメリカの母として、お子さんやお孫さん方、また、後輩たちに囲まれ、悠々と、晴れやかに社会貢献と勝利の人生を飾っておられることが、私の何よりの喜びです。
◇悔いなく大歓喜で
〈ロサンゼルスは、池田先生が世界の多くの識者らと交流を結んだ地でもある。先生はアメリカの「人権の母」ローザ・パークスさんとの語らいを振り返りつつ、万人に共通する「生命」を見つめることで、一切の差異を超えて理解し合えると強調。続いて、一人の女性の生き方を通し、自分が変われば環境を変えられると訴える〉
ロスの地で、友と美しい満月を仰いだことも、忘れ得ぬ思い出です。
月が静かに満ちていくように、一歩一歩、淡々と、前を見つめて歩み抜いてこそ、所願満足の人生があるのではないでしょうか。
私と妻の友人で、満月のような笑顔を湛えた女性がいます。ロスを拠点として、法曹界で活躍するとともに、市民のリーダーとなって献身してきた方です。
この女性は幼い頃、母と一緒に、生活が荒れた父と離別することになりました。さらに、結婚を決意した男性からは悩まされ、胎内に宿した生命も亡くしました。
彼女は、"学歴や地位、知識や富があっても、自分の生命を変えていかない限り、本当の幸福はない"と痛感したといいます。そして、希望にあふれた友たちと支え合って、生命尊厳の哲学を探究していきます。
そのなかで、かつては許せなかった父を看病し、心を通わせ、安穏な人生の総仕上げに尽くすこともできました。
「自分が人間革命すれば、環境を変えることができる!」——彼女は、苦難と戦う友をどこまで勇気づけられるか、月月日日に強く挑戦しつつ、多くの青少年を、わが子のように育んでいます。
「幸福は、誰かがもたらしてくれるものではない。自分自身の手でつかみ取るものである」
正義の旗を掲げ、満月の如く悔いなく大歓喜の人生を進みゆく女性の断固たる信念です。
〈結びに池田先生は、勇敢なる歩みは世代を超えて伝わっていくと述べ、「今日より明日へ」の着実な前進を望んだ〉
カリフォルニア出身の国民的大詩人ロバート・フロスト(一八七四〜一九六三)は、「世界を救えるのは、大胆、勇気、前進のみである」と強調しました。
勇気の一歩は、未来の世代に受け継がれます。
私は、敬愛するアメリカへの恩返しの心を込めて、アメリカ創価大学(SUA)を創立しました。ロサンゼルス・キャンパスを経て、同じカリフォルニア州のオレンジ郡キャンパスで、地域と共に発展を続けています。
教職員の方々は、「SUAは学生中心の教育機関」として、世界から集った俊英を大切に薫陶してくださっています。学生たちは、他者のため、地域社会のため、世界のために「貢献的人生を生きよう」と大情熱で学び抜いてくれています。生命尊厳、また、人間主義を根幹とした地球文明の揺籃と光っていることが、私の誇りです。
生命を慈しむ女性たちの心は、カリフォルニアの大空と大海原のように、大きく寛やかです。その心に包まれて、わが向学の英才たちが、新たな開拓の一歩を踏み出してくれています。
今日より明日へ、この一歩前進とともに、「生命尊厳」と「人間共和」の希望の光が広がりゆくことを、私は確信してやみません。
(『忘れ得ぬ旅 太陽の心で』第4巻所収)
新たな時代を創る力だ!
皆が活躍できるよう
最大の励ましと応援を。
共に希望の未来へ!
新池御書 P1440
『始より終りまで弥信心をいたすべしさなくして後悔やあらんずらん、譬えば鎌倉より京へは十二日の道なり、それを十一日余り歩をはこびて今一日に成りて歩をさしをきては何として都の月をば詠め候べき』
【通解】
始めから終わりまでいよいよ信心をすべきである。そうでなければ後悔するであろう。例えば、 鎌倉から京都へは12日を要する道のりである。それを11日あまり歩いて、あと1日になって歩くのをやめてしまったならば、どうして都の月を眺めることができようか。
名字の言 亡き父から学んだ「心の財」 2021年10月13日
医師として多くの人の臨終に立ち会ってきた友の言葉が、とても印象に残っている。「亡くなる時、その人の分まで価値ある人生を生きようと"心のバトン"を受け継いでくれる存在があれば、『死』は永遠の幸福への出発に感じられるのではないでしょうか」▼ある女子部員は2年前、父が末期がんで「余命」を告げられた。しかし、父の残りの人生は"余り"などではなく、宝のように輝く日々だった。家族で一日一日を大切にしながら、共に祈り、学会活動の話題で盛り上がり、笑い、涙した▼昨秋、父はほほ笑みを浮かべ、安らかに旅立った。生前を知る同志は「あなたのお父さんにどれほど励まされたか」「今の自分があるのはお父さんのおかげ」と感謝を口々に。父がこれほどに慕われ、心の財を積んできたことに彼女は感動し、「私も広布に生き抜きます!」と"使命のバトン"を受け継いだ▼「先臨終の事を習うて後に他事を習うべし」(御書1404ページ)。命には限りがある。分かっていても、それを身近な人や自分に引き当てて考えるのは勇気がいる。だが、この一点に真剣に向き合った時、大切なものが見えてくる▼地位、財産、名声などより「心の財」を求める人生にこそ、真の幸福と満足がある。
寸鉄 2021年10月13日
一生懸命だから不可能も可能になる—恩師。絶対勝つ。皆がこの心で挑戦
神奈川、千葉、山梨よ正義の底力発揮を。大逆転へ気迫の進撃をここから!
埼玉、茨城、栃木、群馬が猛追。敢闘魂で新記録の拡大へ!総力で勝機を
愛知、静岡、岐阜、三重に金星を断固!誰をも味方にする攻めの対話今こそ
電話は孤独感を和らげる効果—研究。絆が希薄な社会。一本に真心込めて
〈社説〉 2021・10・13 「日蓮大聖人御入滅の日」
◇一人一人の幸福が平和の基盤に
「日蓮生れし時より・いまに一日片時も・こころやすき事はなし、此の法華経の題目を弘めんと思うばかりなり」(御書1558ページ)——民衆の幸福を願い、妙法流布に生き抜かれた日蓮大聖人は、弘安5年(1282年)10月13日、61歳で崇高な御一生を終えられた。本年で739年を数える。
その御生涯は、正法流布を阻む障魔との連続闘争であったが、多くの弟子もまた、迫害に屈することなく、不退の信心を貫いた。
「日蓮は、この法門を語ってきたので、他の人と比較にならないほど、多くの人に会ってきた」(同1418ページ、通解)
人と会い、人と語り、妙法を弘め抜かれたのが大聖人である。
大聖人と門下との強い絆。その背景には、常に一人を大切にされる大聖人の慈愛があった。
夫を亡くし、病弱な幼子を抱える妙一尼には、「冬は必ず春となる」(同1253ページ)と、悲しみに寄り添いながら、抱きかかえるように励まされている。
南条時光が重病であるとの報告を受けた時には、時光を苦しめる病魔に対して、「鬼神めらめ」(同1587ページ)と厳しく叱責された。大聖人御自身が病と闘う中、自らの命を振り絞るかのような師子吼に触れ、時光は、50年も更賜寿命することができた。
"強盛な信心を貫き、人生を勝ち開け!"——大聖人の深き御慈愛が胸に迫ってくる。
弟子への真剣な薫陶は、御生涯の最後まで続いた。御入滅の前月に、池上宗仲の屋敷で病を押して、「立正安国論」を講義されたという記録もある。命を削る思いで、弟子たちに"立正安国の戦い"を託されたのだ。
民衆一人一人の幸福なくして、社会の平和・繁栄はない。この立正安国の大理想を、現代において展開しているのが創価学会である。
池田先生は語っている。
「一人を励まし、命の底から生き抜く力を蘇生させるのです。この地道な行動の積み重ねこそが、世界192カ国・地域にまで地涌の民衆連帯を広げ、創価学会を世界宗教へ飛翔させてきた原動力にほかなりません」
私たちは、「仏の如く互に敬うべし」(同1383ページ)との、大聖人の根本精神を心に刻み、目の前の一人に誠実な語らいを広げ、"立正安国""立正安世界"の社会を築きゆこうではないか。
☆忘れ得ぬ旅 太陽の心で 第13回 ロサンゼルス
月刊誌「パンプキン」誌上の池田先生の連載エッセー「忘れ得ぬ旅 太陽の心で」を紹介する本企画。今回は「ロサンゼルス——共に踏み出す開拓の一歩」〈2013年8月号〉を掲載する(潮出版社刊の同名のエッセー集から抜粋)。20世紀の初めに急成長を遂げたアメリカ・ロサンゼルス。半砂漠地帯から大都市へ——その開拓は、一本の長い水路を引いたことから始まった。地道な、そして着実な歩みを重ねていく先に、希望の未来は開けてくる。さあ、今日も開拓の心を燃やし、挑戦の一歩を踏み出そう!
勇気ある
この第一歩に
未来あり
人生も、社会も、勇敢なチャレンジの第一歩から開かれます。
アメリカの開拓時代、旅人が街に到着すると、「どこから来たか?」とは聞かれませんでした。最初に問われたことは、「これから、どこへ行くのか? 何をするつもりなのか?」であったと言います。
過去がどうあれ、大事なことは、今ここから、いかなる一歩を踏み出していくかでしょう。
思えば、カリフォルニアの陽光が降り注ぐ世界屈指の大都市ロサンゼルスも、百年ほど前までは、比較的人口が少ない半砂漠地帯でした。二十世紀の初めに急成長を遂げたのです。
その繁栄を開いた大いなる一歩は、約四百キロ離れた山脈から一本の水路を引いたことです。
四百キロといえば、東京から東北に行けば宮城や岩手、西へ進めば大阪や兵庫ほどの直線距離になります。
それほどの遠大なスケールで、山岳地帯を越えて水を引いてきたのですから、先人たちの苦労が偲ばれます。
さらに、雨があまり降らない気候を映画撮影の格好の条件として活かし、ハリウッドに象徴される映画産業を発達させました。広大な砂漠地帯を、みずみずしい夢と文化の発信地として栄えさせていったのです。
ハリウッド映画にもなった小説『怒りの葡萄』『エデンの東』等で有名な、カリフォルニアの作家スタインベック(一九〇二〜六八)は語っていました。
「たとえ怖くても、新しい試みをするごとに驚きと希望と喜びがあるのです」と。
◇できることから
〈中南米やアジアからの移住者も多い、多様性の天地・ロサンゼルス。池田先生は1960年10月に初訪問し、母国を離れて暮らす日本出身の女性らを激励。未来へ希望の灯をともした〉
初訪問の折には、アメリカ軍人の夫との結婚を機に渡米したものの、異国の生活になじめず悪戦苦闘する女性たちから「日本に帰りたい……」という声も、多く聞きました。
その苦労は痛いほど察せられました。しかし、不思議な宿縁で舞い来たった天地です。断じて幸福を勝ち取れないわけがない。私は、具体的に三つのアドバイスを申し上げました。
�市民権を取り、良きアメリカ市民になる
�自動車の運転免許を取る
�英語をマスターする
思うにまかせぬ境遇にあって、あれこれ考え過ぎても、身動きがとれなくなってしまう。まず、できることから目標を立てて、一歩、前へ進めば、そこから希望の活路が広がります。
それから半世紀——。それぞれに、最良のアメリカ市民、模範のアメリカの母として、お子さんやお孫さん方、また、後輩たちに囲まれ、悠々と、晴れやかに社会貢献と勝利の人生を飾っておられることが、私の何よりの喜びです。
◇悔いなく大歓喜で
〈ロサンゼルスは、池田先生が世界の多くの識者らと交流を結んだ地でもある。先生はアメリカの「人権の母」ローザ・パークスさんとの語らいを振り返りつつ、万人に共通する「生命」を見つめることで、一切の差異を超えて理解し合えると強調。続いて、一人の女性の生き方を通し、自分が変われば環境を変えられると訴える〉
ロスの地で、友と美しい満月を仰いだことも、忘れ得ぬ思い出です。
月が静かに満ちていくように、一歩一歩、淡々と、前を見つめて歩み抜いてこそ、所願満足の人生があるのではないでしょうか。
私と妻の友人で、満月のような笑顔を湛えた女性がいます。ロスを拠点として、法曹界で活躍するとともに、市民のリーダーとなって献身してきた方です。
この女性は幼い頃、母と一緒に、生活が荒れた父と離別することになりました。さらに、結婚を決意した男性からは悩まされ、胎内に宿した生命も亡くしました。
彼女は、"学歴や地位、知識や富があっても、自分の生命を変えていかない限り、本当の幸福はない"と痛感したといいます。そして、希望にあふれた友たちと支え合って、生命尊厳の哲学を探究していきます。
そのなかで、かつては許せなかった父を看病し、心を通わせ、安穏な人生の総仕上げに尽くすこともできました。
「自分が人間革命すれば、環境を変えることができる!」——彼女は、苦難と戦う友をどこまで勇気づけられるか、月月日日に強く挑戦しつつ、多くの青少年を、わが子のように育んでいます。
「幸福は、誰かがもたらしてくれるものではない。自分自身の手でつかみ取るものである」
正義の旗を掲げ、満月の如く悔いなく大歓喜の人生を進みゆく女性の断固たる信念です。
〈結びに池田先生は、勇敢なる歩みは世代を超えて伝わっていくと述べ、「今日より明日へ」の着実な前進を望んだ〉
カリフォルニア出身の国民的大詩人ロバート・フロスト(一八七四〜一九六三)は、「世界を救えるのは、大胆、勇気、前進のみである」と強調しました。
勇気の一歩は、未来の世代に受け継がれます。
私は、敬愛するアメリカへの恩返しの心を込めて、アメリカ創価大学(SUA)を創立しました。ロサンゼルス・キャンパスを経て、同じカリフォルニア州のオレンジ郡キャンパスで、地域と共に発展を続けています。
教職員の方々は、「SUAは学生中心の教育機関」として、世界から集った俊英を大切に薫陶してくださっています。学生たちは、他者のため、地域社会のため、世界のために「貢献的人生を生きよう」と大情熱で学び抜いてくれています。生命尊厳、また、人間主義を根幹とした地球文明の揺籃と光っていることが、私の誇りです。
生命を慈しむ女性たちの心は、カリフォルニアの大空と大海原のように、大きく寛やかです。その心に包まれて、わが向学の英才たちが、新たな開拓の一歩を踏み出してくれています。
今日より明日へ、この一歩前進とともに、「生命尊厳」と「人間共和」の希望の光が広がりゆくことを、私は確信してやみません。
(『忘れ得ぬ旅 太陽の心で』第4巻所収)
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