「開かれた心」で
自ら語り掛けていく。
ここに仏法者の真価が。
誠実の声を響かせ
信頼の輪を広げよう!
四条金吾殿御返事 P1169
『日蓮は少より今生のいのりなし只仏にならんとをもふ計りなり、されども殿の御事をばひまなく法華経釈迦仏日天に申すなり其の故は法華経の命を継ぐ人なればと思うなり』
【通解】
日蓮は、若き日より、今世の栄を祈ったことはない。ただ仏になろうと思い願ってきただけである。けれども、あなたの事は、いつも法華経、釈尊、日天にお願いしている。そ
名字の言 「古代エジプト展」で心豊かな交流を 2021年9月23日
東京富士美術館で開催中の「古代エジプト展」に足を運んだ。ドイツの国立ベルリン・エジプト博物館が誇る約130点の至宝に圧倒された(12月5日まで)▼会場に入ると、古代エジプト人が「世界をどう見ていたのか」が伝わってくる。世界の始まりは原初の海「ヌン」で、この海から全てのものが創造されると考えられた。しかし、世界に終わりがやって来るとヌンに戻り、再びヌンから新たな世界が創られる。実に壮大な生と死のサイクルである▼太陽とロータスが装飾された作品が印象的だった。エジプトロータスは睡蓮のこと。太陽が昇ってから沈むまでが現世、沈んでから昇るまでが死後の世界とされたため、日の出とともに開花し、夕方に花を閉じる睡蓮は太陽と共に再生の象徴だった。また、水の中で成長し、水面から顔を出して花を咲かせる様子は、原初の海から世界を創造する力を示していた▼時代も風土も異なるが、仏教も太陽と蓮を象徴的に扱う。睡蓮は蓮と種は違うものの、御書に「法華経は日輪のごとし」(1114ページ)、「妙法蓮華経と申すは蓮に譬えられて候」(1580ページ)等とある▼心が豊かになり、視野が広がるのが文化交流の催しの魅力。秋の一日、友人と訪れるのもいい。
寸鉄 2021年9月23日
「題目の光無間に至りて」御書。秋の彼岸。広布の闘士の唱題こそ最高の追善
関東が力闘!勇気の対話から友情の劇が。大善の連帯で民衆勝利の歴史を
東海道よ破竹の進撃を。正義の太陽の同志は勇敢 師子吼を放ち勝ち飾れ!
少年少女部の結成記念日 後継の若芽を伸ばそう。励ましの陽光を隅々まで
公明がコロナ早期治療の道を開いた—医師。生命守る対策に死力を尽くせ
〈社説〉2021・9・23 少年少女部結成記念日
◇学会の永遠性を確かなものに
きょう9月23日は少年少女部の結成記念日。高等部、中等部に続き、21世紀の広布の未来を展望して池田先生が提案し、1965年のこの日に各地で結成の集いが行われた。当時の聖教新聞には、子どもたちが喜々として参加する様子が報じられている。
翌66年には首都圏の代表による合唱団が誕生。その後、各地にもつくられ、合唱団運動は後継の人材育成の要となってきた。
しかし、合唱団誕生から55周年を迎えた本年は、コロナ禍による感染防止のため、集まって一緒に歌うことができない状況が続いている。
そうした中にあっても、各地の合唱団では、子どもたちに池田先生の精神を伝え、広布後継の大樹を育もうと、担当者の知恵と工夫が光る取り組みが行われている。
九州では「Be Brave! プロジェクト」と称して、各家庭で少年少女部歌「Be Brave! 獅子の心で」を歌う様子を撮影する運動を推進。合唱団として皆が挑戦の第一歩を踏み出した。宮城県青葉少年少女合唱団の友は、7月の第2回「東北青年音楽祭」で「母」の曲を手話で披露し、家族への感謝を表現した。
富士少年希望少女合唱団では昨年来、オンラインでの歌唱練習を続けている。直接会えない分、担当者はきめ細かな激励に努めてきた。するとメンバーから「団員同士の仲をもっと深めたい」と、先輩が後輩と電話で対話する取り組みを開始。本年はその後輩たちが「今度は自分が」と、下の学年の友と語らいを広げている。
子どもの心は純粋で敏感だ。その心のキャンバスにどんな絵を描けるかは、周囲の大人たちの関わりによって大きく左右される。コロナ禍の今はなおさらだろう。
未来部育成の歴史は、どんな時も子どもたちに寄り添い、共に祈り、歌い、悩み、支えてきた担当者や地域の同志の献身の歴史である。その真心の言葉や振る舞いが、子どもたちの心に成長の因として刻まれてきたのである。
池田先生は「未来部の友を育てることは、未来を創ることそのものです。未来からの使者たちは、学会という究極の人間主義の庭で大きく豊かに育てていきたい」とつづる。少年少女部員は一人ももれなく使命ある宝の存在だ。その励ましの流れを止めないことが、学会の永遠性を築いていく。
☆きょう少年少女部結成記念日
◇学会歌「青年よ広布の山を登れ」 富士少年希望少女合唱団がさわやかに
池田先生の提案で1965年(昭和40年)9月23日に結成された少年少女部がきょう、56周年を迎えた。
部の日を記念して、富士少年希望少女合唱団が、学会歌「青年よ広布の山を登れ」をリモート合唱。"学会創立100周年の2030年を目指し、広布後継の道を歩みゆく!"との誓いを込めて歌い上げた。
さわやかな歌声を収録した動画には、各地の合唱団の"未来っ子"たちも友情出演。将来の夢を書いたボードを掲げ、映像に彩りを添えている。
少年少女部の伝統である合唱団運動の歴史は長い。部結成の翌66年(同41年)5月5日には、富士少年希望少女合唱団の前身となった「富士少年合唱団」「希望少女合唱団」が誕生。その後、全国各地に少年少女部の合唱団が生まれ、後継育成の合唱団運動が広がっていった。
合唱団メンバーはコロナ禍の中にあっても、地域の創価家族の励ましに支えられ、オンラインなどを活用して練習を継続。"獅子の子"らしく、勉強や読書、親孝行にと全てに挑戦する。
佐保少年部長、角田少女部長は語る。
「"未来からの使者"である少年少女部員一人一人が使命の舞台で輝いていけるよう、智慧を湧かせ、さらなる激励に全力を尽くしてまいります」
☆人間主義の哲学の視座 第11回 対談集「21世紀への選択」に学ぶ�
◇テーマ:安心と安全
池田大作先生の著作から、現代に求められる視点を学ぶ「人間主義の哲学の視座」。「安心と安全」をテーマに掲げ、今回からは、マジッド・テヘラニアン博士との対談集『21世紀への選択』をひもとく。
【テヘラニアン博士】
対話は平和を保障する唯一の手段。
21世紀において人類が進むべき方向
【池田先生】
「人間性」という共通の大地に立ち、
語り合うことが問題解決の糸口に。
◇恩師の遺訓
創価学会の平和運動の原点である戸田先生の「原水爆禁止宣言」(1957年9月8日)から、間もなく64年を迎える。
冷戦下の当時、「核抑止論」のもとで軍拡競争が繰り広げられていた。
「私は、その奥に隠されているところの爪をもぎ取りたい」——戸田先生は、核兵器を正当化する思想に潜む生命軽視の"魔性"を糾弾し、青年への「遺訓の第一」として訴えた。
恩師の遺志を継ぎ、世界中で対話と友好を広げ、生命の尊厳を時代精神へと高めていったのが池田先生である。
宣言から38年がたった、96年2月11日。恩師の生誕日に、先生は、「戸田記念国際平和研究所」を創設した。その初代所長に就任したのが、マジッド・テヘラニアン博士であった。
先生と博士は、92年7月以来、10度を超える語らいを重ね、2000年10月に対談集『21世紀への選択』を刊行。これまでに英語、フランス語、アラビア語、ヘブライ語などに翻訳されている。
◇研究所の使命
テヘラニアン博士は、イラン生まれの平和学者。イスラム世界に造詣が深い。先生との対話は、仏教とイスラムという文明間に橋を架ける作業となった。
対談集の冒頭、二人はそれぞれの生い立ちや、「平和への道」を歩み始めたきっかけを語る。
互いを「よく知る」ことが、友好を深めるための第一歩となり、社会の連帯の力となる。宗教的・文化的背景の異なる二人によるこの対談を、その一助に——これが先生と博士の真情であった。
池田 テヘラニアン博士は、私たちの対談を始めるにあたって、これを「対話への選択」と意義づけたいと提案されましたね。
テヘラニアン 今や私たちの時代は、この「生命」や「平和」と同程度に「対話」が必要とされる歴史の段階に入ったのです。じつのところ「対話」こそが、「生命」と「平和」を保障しうる唯一の手段かもしれないのです。
池田 そうした思いを共有して、私は、この対談の日本語版のタイトルを「21世紀への選択」と発案させていただきました(注=英語版のタイトルは「対話への選択」)。
思うに、人間の人間たる証は、つまるところ対話の精神に表れるのではないでしょうか。博士の故国イランの大詩人サアディーは、こう訴えています。「人は語るの術において獣にまさる、善きことを語らぬなら獣が汝に勝ろう!」(『薔薇園』蒲生礼一訳、平凡社)と。
戸田平和研究所の所長就任を、博士は「平和探求に生きてきた私にとっての、いうなれば『責任への挑戦』」であったと振り返る。
グローバリゼーションの進展は、国家間、文化間の交流や協力を促進した反面、経済や政治はより競争的になり、認識や利害が対立する状況が生まれてきた。
対話が欠ければ、「憎しみの種子」がまかれ続けてしまう——そう強い危機感を抱く博士が、スタッフと討議する中で掲げた研究所のモットーは、「地球市民のための文明間の対話」であった。
テヘラニアン 対話がない世界は、暗黒です。「対話」がなければ、人間は独善という暗闇の中を歩み続けねばならないのです。
池田 人間と人間が語りあうこと——ここからすべては始まります。(中略)友か敵かといった、二者択一的な関係を打ち破り、「人間性」という共通の大地に立って心を開いて話しあうことが、問題解決の糸口を見いだすことにつながると固く信じてきました。
テヘラニアン ご指摘のように、「相違点」と同時に「共通点」を見いだし、認めあうことから新しい価値は生まれてくるのです。
◇対立から共生へ
対談集発刊の翌年・2001年は、国連の「文明間の対話年」に定められた。文明と文明が出あい、交流を重ねる中から、新たな価値が生まれる——希望と期待に照らされた21世紀の幕開けであった。
だが、同年9月11日にアメリカ同時多発テロ事件が勃発。「文明の衝突」を象徴するかのような、国際社会を揺るがす事件だった。
対談で二人は、頻発する紛争やテロを取り上げ、時代を対立から共生へと転換する方途について論じ合っていた。各国語版に翻訳された対談集は、人々が求めてやまない「安心と安全」の社会への視座を育む糧となっていく。
テヘラニアン 今日の国際社会が取り組むべき最大の課題は、おたがいにスローガンの投げあいをやめて、世界平和を脅かしている貧困、無知、強欲という人間にとっての真の問題を解決する道筋を考えることだと思います。
池田 戦争や暴力が生みだす悲劇というものは、なにもそのときだけのものではない。憎しみが憎しみを呼び、暴力がまた新たな暴力をまねいてしまう——このことは、これまでの歴史が示している重い教訓と言えましょう。(中略)
たがいのことを、初めから"対立する存在"としてとらえるのではなく、何が障害になっているのか、何が対立を生みだしているのか——それを見きわめる作業こそが、まず求められるのではないでしょうか。
テヘラニアン そこで要請されるのが、「開かれた対話」の精神ですね。それはまさに、池田会長がこれまで率先して取り組んでこられたものですが、これこそ、21世紀において人類が進むべき方向なのです。
◇畏敬の念
「『相違』は『多様』に通じます。共通性を基盤として、ともに協力していく。また相違性に着目し、それぞれの役割を尊重し、おたがいの長所を学びながら危機にある現代世界に対し、いかなる貢献ができるか模索せねばなりません」
先生の言葉に、博士は深い賛同の意を表した。二人の対話には、そうした実践の具体例が、随所に散りばめられている。
例えば両者は、日蓮仏法とイスラム、また釈尊とムハンマドについて、互いに論じ、学び合う。
先生は、仏教やイスラムをはじめ、宗教の創始者は皆が「人間の解放」を目指したと述べ、その原点に戻れば、対立や争いは解消するであろうと訴える。
一方、博士は歴史上、諸宗教の共存共栄が可能であった都市の例を挙げ、民衆の次元では「区別をもちながらも共存」し、「共存しつつも差異は厳然として存在」するのが実像であったと語る。
信仰心が薄れ、対立や分断が社会を覆いつつある現代。科学技術や経済、政治など、全ての分野に、生きた人間の「生の重み」の復権を——二人は、その方途としての宗教の重要性を巡り論じ合った。
テヘラニアン 近代的世俗性と宗教的信仰は、たがいに排斥しあうものではありません。それとは反対に、宗教的信仰のない近代性の未来というものは、寒々として見通しは暗い。
◇
主要な諸宗教に道徳的、精神的に導かれない現代の世界は、自滅してしまうでしょう。
池田 他者や未知のものに対する畏敬の念が、今、失われているのではないでしょうか。すべてを予測可能なもの、既知のものと矮小化してとらえ、それを支配したり加工しようとする。また、できると思っている。
◇
自分以外のものを、軽視したり敵視するのではなく、まず「驚きの感覚」「畏敬の念」をもって見る。「存在の重み」「生の重み」の実感です。その感覚をたもっておくために、「永遠なるもの」「自分を超えたもの」を感じようとする宗教的な感性は、絶対に必要ですね。
【プロフィル】マジッド・テヘラニアン 1937年、イラン・マシュハド生まれ。政治学、政治経済学、中東研究などを専攻し、ハーバード大学で修士号、博士号を取得。ハワイ大学教授、同大学スパーク・マツナガ平和研究所所長、タフツ大学外交大学院客員教授などを歴任。戸田記念国際平和研究所の初代所長として発展に尽力した。2012年12月、死去。