2021年9月11日土曜日

2021.09.11 わが友に贈る

平和——それは
諦めや無力感との
間断なき戦いだ。
対話を、対話を、
それでも対話を!

四条金吾殿御消息 P1113
『かかる日蓮にともなひて法華経の行者として腹を切らんとの給う事かの弘演が腹をさいて主の懿公がきもを入れたるよりも百千万倍すぐれたる事なり、日蓮霊山にまいりてまづ四条金吾こそ法華経の御故に日蓮とをなじく腹切らんと申し候なりと申し上げ候べきぞ』

【通解】
このような日蓮にともなひて、法華経の行者として腹を切ろうと言われたことは、かの中国の弘演が自分の腹をさいて主人の懿公の肝を入れたことよりも、百千万倍すぐれたことである。
日蓮が霊山に詣でた時には、まず四条金吾こそ法華経の故に、この日蓮と同じように腹を切ろうとしたと言いましょう。

【先生の指導】
「法」の貴きゆえに、護法の「行動」もまた最高に尊い。皆さまの日々の広布への「行動」こそ、「大福運」を積み、「大境涯」を開きゆく行動であると確信していただきたい。

名字の言 「結」の心で守られてきた岐阜の白川郷 2021年9月11日
真冬の岐阜・白川郷を取材したことがある。茅葺き屋根の合掌造り集落が世界文化遺産になったのは、1995年。建物や景観と共に、村民の相互扶助の暮らしも評価されたという▼白川郷の美観は「結」と呼ばれる助け合いの精神によって守られてきた。合掌造りは豪雪に強い一方、屋根の葺き替えは重労働で1軒に数百人の力が必要だ。村民は手を携え、厳しい自然に打ち勝ってきた▼白川郷もコロナ禍と無縁ではない。明治創業の旅館は存続の危機に。地区部長の館主は信心で乗り越えると決めた。家族全員で朝の勤行から出発し、広布拡大にも奔走。やがて経営支援の輪が大きく広がった▼「何より同志の励ましにどれほど支えられたか」と館主。まだ苦境を脱したわけではない。思い出すのは90年9月に池田先生が白川郷の友に寄せた伝言だ。「みんな仲良く守り合って、村の発展のために頑張ってください」。地域の創価家族は師の言葉を再びかみ締め、「世界遺産の里を永遠に」と誓う▼「合掌造り」の名は掌を合わせて祈る姿が由来ともいう。御書に「題目を唱え奉る音は十方世界にとずかずと云う所なし」(808ページ)と。コロナ禍の中で苦闘する全国・全世界の友に届けと真剣な祈りを絶やすまい。

寸鉄 2021年9月11日
形式ではなく本当の心で御本尊にぶつかれ—恩師 壁を破る祈りから出発!
「米同時多発テロ」20年。分断から協調へ—人間の心を結ぶ善の連帯今こそ
「賢人は金の如く」御書 目の前の試練を勝ち越え真価が!青年よ勇み挑め
感染禍で最もストレスを感じているのは子を持つ母と。真心の励まし皆で
変異株でも接種の重症化 予防効果は変わらずと。正しく恐れ聡明な日々を

〈社説〉 2021・9・11 あす「竜の口の法難」満750年
◇"今いる場所"で「発迹顕本」を
「今夜頸切られへ・まかるなり、この数年が間・願いつる事これなり」(御書913ページ)、「今度頸を法華経に奉りて其の功徳を父母に回向せん其のあまりは弟子檀那等にはぶくべし」(同ページ)——武装した兵士たちに連行され、竜の口に向かわれる日蓮大聖人が、決死の覚悟でお供する四条金吾に語った言葉である。
頸の座に臨んだ大聖人は、落涙する金吾に言い放たれた。「不かくのとのばらかな・これほどの悦びをば・わらへかし」(同ページ)
なんと偉大な御境涯であろう。
あす9月12日は、大聖人が「発迹顕本」された「竜の口の法難」から満750年である。
「発迹顕本」とは、宿業や苦悩を抱えた凡夫という姿(迹)を開き、仏の境地を、凡夫の身のままで顕すことをいう。それは、人間を離れた超越的な存在になるのではない。大聖人も、凡夫の身を捨てられたわけではない。凡夫の身そのものに久遠の仏の生命を顕されたのである。
「竜の口の法難」における「発迹顕本」とは、大聖人が身をもって示された、"人間はかくも偉大なり!"との大宣言といえまいか。
大聖人御在世の当時、打ち続く天災に加え、疫病が流行し、凄惨な状況だった。現実を厭い、死後の安楽を説く思想がはびこり、人間から生きる力を奪っていた。大聖人の仏法は、この民衆の生命を覆う苦悩とあきらめの闇を破り、人間勝利へ"希望の太陽"の光を注いだのだ。
翻って今、コロナ禍の中、社会には不安や悲観、閉塞感が重く沈殿し、誰もが生きる力の危機に直面しているのではないか。
だからこそ、私たちも大聖人のごとく、民衆を目覚めさせる広布に生き抜き、胸中に大聖人と同じ仏の生命を涌現していきたい。
池田先生は「発迹顕本」について語っている。「捨てるべき迹とは『弱気』です。『臆病の心』です。大聖人は、『勇気』の本地の御姿を示すことで、発迹顕本を万人に示された。この大聖人の『勇気』の御心を、自身の決意として、あらゆる困難に莞爾として立ち向かっていくことが、今度は私たちの発迹顕本につながる」
今いる場所が「発迹顕本」の舞台である。今こそ題目を唱え、臆病の心をたたき出し、勇敢に戦い、久遠の生命を輝かせ、地域と社会を明るく照らしていきたい。

☆桂冠詩人40周年 勇気の舞 凱歌の行進 第4回 北陸
本年は、「桂冠詩人」の称号が池田先生に贈られてから40周年。連載企画「勇気の舞 凱歌の行進」では、先生がつづった長編詩を紹介します。第4回は、北陸の同志に詠んだ「大北陸に幸福の旭日よ輝け!」(2003年)です。

◇皆の未来の運命は勝利
昭和三十二年の十月
夢に見た
師の生まれ故郷を
初訪問した私は
金沢へ 高岡へ
そして富山へと走った。

一途にして真剣なる
求道の友と
膝詰めで語り続けた。
皆 かけがえのない
一騎当千の勇者であった。

私は心躍らせ
日記に記した。
「北陸にも
広布の響き始まる」

そして今
かくも堅固に聳え立った
地域の平和と幸福の城よ!

再び 私は
こう書き綴りたい。
「北陸に
広布の勝利の響きは
永遠なり!」と。

◆◇◆

北陸の勝利!
それは
烈しい日差しのなかも
金の汗を光らせ
そしてまた
白雪の吹きつけるなかも
頬を紅に火照らせながら
歩きに歩いた
決意と信念の勝利だ!

北陸の勝利!
それは
無理解と偏見の堆積を
掘り崩し
打ち破り
友の心に響くまで
語りに語り続けた
執念の勝利だ。

ああ
新しい歌声が聞こえてくる。
美しい愉快な
音楽が聞こえてくる。
豊かな勝利の
祝福の音楽が聞こえてくる。

◆◇◆

北陸の灯台となりゆく
皆様の未来の運命は
勝利だ!
そして裕福だ!

さらにまた
社会の柱となりゆく
皆様の惜しみなき活躍には
永遠の栄光を決定づける
自由と完勝が待っている。

さあ
名誉ある
北陸の天地のために
今日も
そして今年も
心ゆくまで楽しみながら
意義ある自分史を綴り
戦いを進めよう!

☆「世界を照らす太陽の仏法」に学ぶ 第12回 敢闘精神
◇椎地四郎殿御書
『これにつけても・いよいよ・はげまして法華経の功徳を得給うべし、師曠が耳・離婁が眼のやうに聞見させ給へ、末法には法華経の行者必ず出来すべし、但し大難来りなば強盛の信心弥弥悦びをなすべし』(御書1448ページ1行目〜3行目)

◇池田先生の講義から
「師子王の如くなる心」を持つ人には、いかなる逆境にも希望を創り広げていく「勇気」が具わっています。一切を乗り越え、重い宿命の鉄鎖をも断ち切る「智慧」が湧きます。何ものにも負けない「力」があるのです。
◆◇◆
私たちは、宿命を使命に変えるという「宿命転換」即「人間革命」の大哲理を持っています。それは、過去に呪縛されるのではなく、過去は受け継ぎつつも、それでもなお、自らの一念の変革でその意味を変え、自身の行動で価値を創造し、現在のこの瞬間から、新たな人生を断固として切り開くことを可能にする哲学です。
◆◇◆
今この瞬間から、再びチャンスを開く。新たなチャレンジを始める。このように、どんな苦難に突き当たろうとも、「負けじ魂」を燃やして立ち上がるのが、創価の勇者です。その胸に脈打っているのが、「いまだこりず候」(御書1056ページ)との御聖訓に連なる不撓不屈の学会精神です。
◆◇◆
いかなる人の人生も、自分自身の「物語」を書きつづっているのではないでしょうか。(中略)どんなことから書き始めるか、どんな波瀾万丈の筋書きにするか、どういう逆転劇を描くか、一切を自分で決めていくのです。
(『世界広布新時代の指針』から)

中井暢一 関東長
◇敢えて闘う勇気の信心を
本年、関東は幾重にも意義深い佳節を刻んでいます。
日蓮大聖人が千葉にお生まれになり、数えで800年。
牧口先生が茨城を訪れ、青年教育者と共に座談会に出席されて85周年。
戸田先生が、戦後初の地方指導の第一歩を栃木にしるされて75周年。
池田先生が、恩師の名代として埼玉で御書講義を開始されて70周年。
「人材の王国 使命の群馬」との永遠のモットーが発表されてから35周年。
先生は後年、「関東には、恐れなき敢闘精神がある」とたたえてくださいました。
学会にとっても大事な一年である本年。いかなる苦難にも、"いよいよの信心"で立ち上がることを教えられた「椎地四郎殿御書」を拝し、「敢えて闘う」「敢えて一歩踏み出す」敢闘精神をみなぎらせて、立正安国の対話に打って出ていきたいと思います。

◇君自身が成長しているか
創価大学3年だった1980年(昭和55年)11月、思いがけず池田先生との出会いが。先生は「これからは君たちの時代だ。あとはしっかり頼むよ!」と語られました。当時は、第3代会長を辞任された翌年。"生涯、何があろうと先生の弟子として広布に戦う"と誓いました。
先生は本抄の講義の中で、学会の同志が、苦難に直面するたびに、「今こそ成長の時だ!」と、「強盛の信心」を燃え上がらせ、人生の道を切り開いてきた事実を強調され、現在のこの瞬間から、新たな人生を断固として切り開いていく「本因妙の生き方」を教えてくださっています。
私自身、創大卒業後、専門商社に入社し、ほどなくして営業の部署へ。"社会で実証を"と奮闘しました。しかし、なかなか結果が出ない日々。あまりに多忙で会合にも参加できず、心身共に疲労困憊し、仕事にも活動にも中途半端になっている自分がいました。先輩に指導を求めると、"大事なことは、君自身が成長しているか。信心の歓喜がみなぎっているか、ということだよ"と。
はっとしました。表面的なことにとらわれ、広布への一念が揺らいでいた自分に気付いたのです。
先生は講義の中で、「根本的に宿命を転換していくためには、どうすればよいか。『法華経の行者』として、広宣流布の大願に戦い抜くことです」と教えてくださっています。
私は"全てをやり切り、成長しよう"と腹を決め、朝は誰よりも早く出勤し、一日の予定を綿密に立てました。日々真剣に仕事と活動に取り組む中で、喜びを実感するように。営業の成績は次第に向上し、やがて上司からも深い信頼を寄せてもらえるようになりました。強き信心に立てば、いかなる苦境も勝ち開いていけると確信した体験です。

◇金剛不壊の生命
今この時に生まれ、広布に生きる私たちにとって、病苦や経済苦など、目の前に現れてくる全ての苦難は、仏という大境涯を勝ち開くためのチャンスです。"これ以上は何もできない""もう無理だ"と思うような壁にぶち当たった時こそ、人間革命の勝負どころなのです。私たちは試練に直面するたびに、いよいよ強盛な信心を燃え上がらせたい。師子王の心で前進する生命には、勇気と智慧と力が湧き上がる——この先生の講義を心に刻みたいと思います。
私自身、コロナ禍の中で「立正安国論」を改めて研さんしました。災害が打ち続き、疫病がはびこる中、国主諫暁に打って出られた大聖人。社会の安穏、民衆の幸福のために、敢えて戦いを起こす——この精神は永遠に忘れてはなりません。先の見えない不安が社会を覆う今こそ、目の前の一人にどこまでも寄り添いながら、正義の対話で、善の連帯を拡大していこうではありませんか。
先生は、関東の同志への長編詩の中で、「私と共に 師子奮迅の力で 金剛不壊の大功徳の生命を 創り飾ってくれ給え!」と呼び掛けられました。
今この時に敢闘精神を燃やして戦うことが、決して崩れることのない金剛不壊の自分を築き、創立100周年への大道を開くことになります。
一日一日、全力で人間革命に挑み、栄光の11・18「創立記念日」を勝ち飾っていきましょう!

◇メモ
「椎地四郎殿御書」は、弘長元年(1261年)に鎌倉から椎地四郎に送られたとされる御消息。人物についての詳細は不明だが、四条金吾や富木常忍に宛てた御書に、椎地四郎の名があることから、同志と共に地道に弘教に励んできた人物だと推察される。本抄では、何らかの重要な情報を報告した椎地四郎に対し、大聖人御自身でも確認されたところ、まさしく椎地四郎が伝えてきた通りであったと称賛された上で、"いよいよ"の心で一段と信心に励み、功徳を受け切っていくよう御教示されている。師曠とは、中国・周の音楽家で耳がよかった。離婁とは、中国古代の伝説上の人物で、目が非常によかったとされる。