寒暖差が激しい
季節の変わり目だ。
体調を崩さないよう
外出や就寝時の服装等
賢明に工夫と準備を!
秋元殿御返事 P1070
『九月九日は経の一字のまつり戌を以て神とす、此くの如く心得て南無妙法蓮華経と唱へさせ給へ現世安穏後生善処疑なかるべし、法華経の行者をば一切の諸天不退に守護すべき経文分明なり』
【通解】
九月九日は経の一字の祭りで、戌をもって神とする。このように心得て南無妙法蓮華経と唱えていきなさい。現世は安穏であり後生は善処に生まれることは疑いないことである。
法華経の行者を一切の諸天が不退に守護することは経文に明らかである。
名字の言 "日本初"を数多く生んだ大阪・堺市 2021年9月9日
「ものの始まりなんでも堺」という。鉄砲、傘、三味線、水練学校など、大阪・堺市は"日本初"のものを数多く生んだ地である▼国産自転車も堺発祥とされるものの一つ。とある人物が明治期にアメリカから輸入した自転車で、時間貸しを始めたことがきっかけだ。その後、鉄砲鍛冶の技術を生かして自転車製造が本格化。"庶民の乗り物"として愛される自転車は、今も堺の地場産業である▼まだ庶民にとって自動車が高級品だった昭和31年、「大阪の戦い」でも自転車が大活躍した。若き日の池田先生は、自転車で大阪中の辻々を回り、友に励ましを重ねた。何台も乗りつぶしたことは語り草だ▼堺の地でも、先生は中古自転車のペダルをこいで路地から路地へ。地元の同志が「こちらです」「あのお宅です」と案内を務めた。先生はその姿から「わが街を愛し、それこそ地を這うように、地域を回りに回られていることが、痛いほど伝わってきた」と述懐している▼アインシュタインは人生を自転車に例えた。「バランスを失わないために走りつづけなければならない」と(鈴木主税訳)。広宣流布に走り続けることは、幸福と勝利の軌道に乗ること——それを尊き関西の父母たちが証明している。
寸鉄 2021年9月9日
「各各思い切り給へ」御書一念を定めれば智慧が湧く。必勝の祈りで今日も
若者は実行と決意、やれば必ずできる—牧口先生大胆な挑戦が青年の特権
北海道の日。難攻不落の三代城の友が拡大に先駆立正安国の大道を勇んで
英知磨き人格を陶冶する尊き青春!福智のスクラム広げる女子学生部の日
コロナ禍で都内のバイク利用者と事故死が増加。安全最優先で法令順守を
〈社説〉 2021・9・9 きょう「女子学生部の日」
◇新時代を開く幸福博士に
1975年のきょう、女子部学生局(当時)の集いに、池田先生が初めて出席された。メンバーの歓声と拍手が会場を包んだ。
先生は席上、「開目抄」を拝して、さまざまな人生の転機や環境の変化に屈せず、「不退の心」で広宣流布の大願に生き抜いてほしい、と万感の期待を込めて呼び掛けた。この出会いが、9・9「女子学生部の日」の淵源である。
女性として唯一、二つのノーベル賞を受賞したキュリー夫人は、生涯、"永遠の女子学生"のように向学心に燃え、夢を追った。"1世紀前に生まれてきたかった"と手紙を寄せた、めいに対して彼女が贈った言葉がある。「わたしは、どの時代でも、人はおもしろく有意義な人生を送れると思っています。肝心なのは、与えられた人生をむだにせず、<わたしは自分にできることはやった>と自分自身に言えるようにすること」(エーヴ・キュリー著『キュリー夫人伝』河野万里子訳、白水社)
存分に学ぶこともできない貧苦の学生時代を耐え、後に偉業を成し遂げたキュリー夫人だからこそ、その言葉に重みを感じる。
かつて、池田先生は創価女子短大生に、彼女の生き方を通して「順境のなかでは、人間の真の力は発揮できない。逆境に真正面から立ち向かっていくとき、本当の底力がわいてくる。逆境と闘うから、大いなる理想を実現することができるのです」と語った。
今年、愛知の短大を卒業した、ある女子部員。テーマパークのダンサーになる夢をかなえようとしていた昨年、コロナ禍に直面し、オーディションが相次ぎ中止に。目の前が真っ暗になったが、"こんな時こそ、ダンスで勇気と希望を送りたい"と奮起。唱題を重ねて挑戦し、ダンスインストラクターの職を得た。現在、地区リーダーとして学会活動に励みながら、ダンサーへの夢を追い続けている。
女子学生たちとの出会いから35年後の2010年、池田先生は記念の集いにメッセージを寄せた。
「妙法は、何があろうと、決して行き詰まりのない『希望の力』であります。永遠の『幸福の法則』であります。そして絶対の『勝利の秘術』なのであります」
妙法は希望の哲学である。聡明なる女子学生たちが、いかなる苦難にも信仰を貫き、"華陽姉妹"の誇りで、新時代を開く「幸福勝利の博士」になることを願う。
☆Switch——共育のまなざし 仕事、子育て、学会活動——"3立"を考える"創価のパパ"たち
「イクメン」(育児に励む男性)という言葉が生まれて10年余り。今回は、東京都江東区に住む男子部員のパパたちを紹介します。仕事、子育て、学会活動の"3立"は、簡単なことではありません。でも、「信心することで、生まれる力がある」と"創価のパパ"たちは語ります。課題と向き合いながら、「子育てを"自分のこと"として頑張りたい」と思う、その背景に迫ります。
◇"板挟み"の中で
「僕らの世代は、子育てについて"時代の過渡期"を生きているんだと思います」
岡田正人さん(41)=男子部本部長=は、息子が小学2年になる今日までの歩みを、そのように振り返る。
2014年(平成26年)3月、長男・英明君(7)が生まれた。岡田さんは広告代理店で働いている。「当時、会社は、男性が育児休暇を取る体制が、あまり整っていなかった」と言う。一方、社会では年々、男性の育児参加が話題になっていた。
◇"わが子と、何かしらの、つながりを持ちたい"
残業が多かった広告制作の傍ら、出勤前の朝、わが子のもく浴(入浴)は、自分が担当した。しかし、思いがけないことから、育児にさらに関わっていくことになる。
英明君が生まれて半年がたった頃、妻・久仁子さん=地区女性部長=が体調を崩す。「冷静な自分とパニックになる自分がいる不思議な感覚」(久仁子さん)を抱き、受診すると、「産後うつ」と診断された。
"少しでも、妻の負担を軽くしたい"。岡田さんは、会社の先輩や上司に相談したものの、返ってくる答えは、ほとんど同じだった。
「子育てが大変だと言っても一時のこと。皆、経験している。俺はどんなに大変でも、家庭と仕事なら、仕事を取ってきた」
各人が年間、数千万円規模の案件を抱え、評価を懸け、血眼になって働いていた。
「現在は改善されましたが、土日も休日返上で出社している同僚も、少なくありませんでした」
そうした職場と家庭の"板挟み"の中で、岡田さんは、土日は休み、平日も週の半分は定時に退勤し、洗濯や皿洗いを行った。だが、頑張っているつもりでも、「おっぱいをあげたり、夜泣きをあやしてくれたりするのは妻で、なかなか体調が改善するまでには至らない。申し訳なく思いました」と。
1カ月、2カ月、半年……そうした日々が続くと、蓄積した疲労が岡田さんの心身にも、ダメージを与えた。
"職場の信頼を維持できるか? 家族を守っていけるか? その前に、自分が倒れないだろうか?"
「苦しい」——会社の同僚にも家族にも言えない。その、孤立しそうになる岡田さんの心を受け止めてくれたのが、同世代の男子部の仲間で、子育てにも奮闘する若旅貴範さん(42)=区主任部長(部長兼任)=だった。
◇感謝の気持ち
若旅さんと岡田さんがファミリーレストランで語り合ったのは、岡田さんの長男・英明君が幼稚園の年少にあがる頃だ。
その間、岡田さんの妻・久仁子さんは、医師から「鉄欠乏性の貧血が、体調不良を招いた可能性がある」と言われ、その治療が奏功した。とはいえ体調には、依然として好不調の波があった。
また、育児についても、「子育てを担った分、妻に認めてほしい」と思う岡田さんと、「育児は"手伝い"じゃなくて"自分のこと"でしょ」と言う妻の間で、ズレが起こることもあった。
岡田さんと2人で話した日のことを、若旅さんは振り返る。「お互いに、妻からの指摘とか、自分の至らなさを吐き出して『まあ、それでも俺たちなりに頑張ってみよう』と。『忍耐、忍耐、また忍耐』と言い合って。そんな言葉を僕の妻が聞いたら、絶対に怒ったと思いますけど」と苦笑い。
一方で岡田さんは、若旅さんと一緒に、メンバーへの訪問・激励に歩いた日のことも、よく覚えている。若旅さんが何気なく口にした一言。それは「妻に、感謝できる自分でありたい」。
——若旅さんは、職場の上司から仏法の話を聞き、22歳の時に創価学会に入会した。信心に励む中で、確信を深める出来事が、妻・珠理さん=地区副女性部長(白ゆり長兼任)=との結婚から2年後に起きた。
検査の結果、若旅さん自身が精巣がんのステージ3で、肺とリンパ節にも、がんが転移していることが判明したのだ。間もなく、手術と抗がん剤治療、さらに2度目の手術と、約6カ月に及ぶ入院生活が始まった。
珠理さんは連日、病院に通い、支えてくれた。若旅さんは、抗がん剤の副作用で、吐き気と倦怠感に襲われ、ほとんど、ベッドから動くことができなかった。
そうした中で、ある思いを抱くようになった。"当たり前のように生きていられる一日がどれほど幸せか。一緒に歩んでくれる人がいることが、どれだけありがたいか。元気になって、この感謝の気持ちを、返していこう"
闘病を乗り越え、手術前に凍結保存した精子で授かったのが、一人娘の愛莉ちゃん(7)=小学1年=だ。そのような歩みがあって、子育てについて、若旅さんは、こう捉える。「妻から子育ての文句を言われたら、それはありがたい。リクエストが明確なのだから」と。
若旅さんは、術後10年を経て、昨年、医師から寛解を告げられた。
◇"自分のこと"として
男子部の部長であった岡田さんは、若旅さんとの交流を経て、より一層、仲間への訪問・激励に力を注ぐようになった。休みの日は、しばしば、幼稚園の年中になった息子を連れて、友のもとへ足を運んだ。
「最初のうちは子どもとのペースの違いもあるから、サクサク回れなかったですけど、"これも自分のトレーニングだ"と思って。やがて慣れました」
仕事のこと、家庭のこと、その両方……。悩みはメンバーによって違う。その思いを受け止め、池田先生の指導をもとに、一緒に答えを探そうと努めた。
「この時間までに仕事を終わらせて、活動に駆け付けるという一念が、一段階、上の集中力と成果を生むよ」
「育児は"自分のこと"。俺も父親に遊んでもらった記憶があまりないから、今、その考え方を自分に染み込ませてるんだ。一緒に頑張ろう」
友と語り合うことは同時に、「自分の中にある"父親像"を更新していくことでした」と岡田さんは言う。
訪問・激励を終え、帰宅後は御本尊に向かった。子どもの夕食、入浴、寝かし付け。子育てに終わりはない。祈れる時間が無限にあるわけでもない。だからこそ真剣に、「生命力を湧き立たせていこう」と、自分を鼓舞するように題目を唱えた。
祈りを重ねることで、物事の見え方が変わってくることを感じた。
"仕事の重圧は大きいが、業績を残せば、出退勤など、自由裁量の部分もある。妻からの要望も、言ってもらえることでコミュニケーションが取れる。見方によって、全部がチャンスになるんだ"と——。「僕には仲間がいる。そして、自分で自分を励ませる題目がある。"強みが、いっぱいある"と思うようになりました」
岡田さんが訪ね、絆を結んだ男子部の仲間たちもまた、その出会いから多くのことを学び、信心の実践を始めるきっかけになっていった。
岡田さんが部長を担い、部活動者会の参加者は、15人にまで増えた。現在は本部長を務める岡田さんの魅力をメンバーに尋ねると、「一緒に解決の道を考えてくれる」「等身大で自分の話をしてくれる」との言葉が返ってくる。
◇つくろわない姿
「人間は、自分を人に良く見せようとするものだ。誰にでもその癖がある。ありのままの姿でいきなさい」——この恩師・戸田先生による青年への指導を紹介し、かつて池田先生は次のようにつづった。
「御書にも、『はたらかさず・つくろわず・もとの儘』(759ページ)と仰せである。この無作三身の生命こそが、最も尊く、最も美しく、最も胸を打つのだ」
生命と生命の触発が、新たな触発を生んでいく。
30代独身の部長は、ある日、メンバーのもとを共に訪ねる道すがら、岡田さんが、早朝、仕事関連の資格取得を目指して勉強していることを知った。訪問後は、「これから公園で息子を遊ばせてくるね」と言って去っていく。「僕自身は、結婚に対して及び腰なんですけど、岡田さんのその背中は、すてきだなと思いました」と。
30歳の地区副リーダーは、"広布の役職"を受けようと決意した理由を明かす。「岡田さんが訪ねてくれて、『君の力を貸してほしい』って。僕を信頼してくれていることが、率直にうれしかった」
その地区副リーダーは2児の父親でもあり、育児のことで悩むたびに、岡田さんに相談してきた。
かつて岡田さんから言われた言葉が、心に残っている。「妻が笑顔でいられるように、また、子どもが成長できるように、自分がしてあげられることは何か。それを考え続けることが大切だなって、常々、僕も感じている」と。
岡田さんは、若旅さんをはじめ学会の同志との語らいを通して、こう考えるようになった。
「子育てに"正解"も"満点"もない。だからこそ、うまくいかなくても前向きに捉えられるし、頑張った分だけ得られるものがあるんじゃないかって」
共に積み重ねた、息子との時間。その中でいろいろな横顔を知ることができた。
「優しくて、人に手を出すことは絶対にしなくて、多くの友達の中では要領よくできなくて、一対一なら安心して自分を出せて、お風呂が好きで、水鉄砲で攻撃してくるのが好きで……」
気ぜわしく過ぎていく日常の中で、向き合わなければ見過ごしたであろう、その景色全てが「最高の思い出」となり、心に残り続けるものなのだろう。
最後に、岡田久仁子さん、若旅珠理さんから。「うーん。今も夫へ(子育てに関して)いろいろ言いたいことはありますけれども(笑い)。"わが子を広布後継の人材に"という同じ願いをもって、一緒に歩もうとしてくれる姿勢に、感謝しています」と異口同音に。
やはり、"もうこれで完璧"という"ゴール"はない。これからも、学童期、青年期へと続いていく親子の関係。子どもと一緒に歩むからこそ、折々に見える景色があるはずだ。
それを楽しみ、分かち合っていきたいと、"創価のパパ"たちは思う。家族と共に、また、支え合う学会の仲間と共に——。