2021年9月15日水曜日

2021.09.15 わが友に贈る

飛躍の秋に挑む
受験生にエールを!
努力の先に栄光がある。
支える家族への
温かな配慮も忘れずに!

撰時抄 P288
『日蓮が法華経を信じ始めしは日本国には一?一微塵のごとし、法華経を二人三人十人百千万億人唱え伝うるほどならば妙覚の須弥山ともなり大涅槃の大海ともなるべし仏になる道は此れよりほかに又もとむる事なかれ』

【通解】
日蓮が法華経を信じ始めたことは、日本の国にとっては、一つのしずく、一つの小さな塵のようなものであるが、二人・三人・十人・百千万億人と唱え伝えていくならば、妙覚の須弥山ともなり、大涅槃の大海ともなるであろう。仏になる道は、これよりほかに求めてはならない。

【先生の指導から】
有名人になる道。名声を得る道。社会的に高い地位に上る道。それは、いろいろあるだろう。しかし「仏になる道」は、どこにあるのか。それは「広宣流布の拡大」にしかない。
大聖人の仏法は「広宣流布の信心」である。
信心即生活である。ゆえに、今がどれだけ厳しくとも、この広宣流布の信心さえ貫けば、すべての努力が生かされ、いくらでも生活の面で、また社会の面で、勝利し、成功していけるのである。

名字の言 「束」という文字の意味 2021年9月15日
広島県安芸高田市の稲作農家の壮年が語っていた。「あと2週間で稲刈りだった。でも収穫は無理でしょう」。田んぼに土砂が流入し、稲が根元から折れてしまった。手塩にかけた作物を、先月の豪雨は奪い去った。憤りや悔しさは察するに余りある▼古代、稲の収穫量を量る単位は「束」が用いられた。刈り取った稲を1束、2束と数えたそうだ。家屋の床下などに立てる短い柱は、同じ漢字で「束」と読む。日本の"食"と"住"を縁の下で支えてきたのは同じ言葉だった▼同市に住む女性部員は、田んぼと自宅が土砂に襲われた。途方に暮れていた時、壮年・男子部有志による「かたし隊」が駆け付けてくれた▼"縁の下"に潜り、必死で土砂をかき出す彼らには一つの共通点があった。それは「苦境の渦中にあること」。家族の大病、会社の経営難、学業の断念……。大変な時でも、否、大変な時だからこそ、"被災者のために!"と行動を起こしたのだ▼試練と戦う人は、苦しむ人の心が分かる。かたし隊の作業は"束の間"だったかもしれない。だが、苦楽を分かち合おうとする友の力が"結束"すれば、復興への大きな力となる。被災者が"人生の実りの時"を迎えるまで、励ましを送り続けたい。

寸鉄 2021年9月15日
「闇鏡も磨きぬれば玉と見ゆるが如し」御書。全員が輝ける仏法。祈り強く
結成50周年のドクター部が「部の日」。生命の世紀を開く抜苦与楽の医王と
東北女性部の日。今日も友情を拡大!皆様の連帯こそ立正安世界築く太陽
勇気なくしては空虚だ—文豪。同志と共に前へ!真の充実は広布の挑戦に
友の話から心まで理解する—これが真の聞き上手 耳を傾け、真心の激励を

〈社説〉 2021.9.15 きょう「ドクター部の日」
◇医療の最前線に立つ友に感謝
きょうは9・15「ドクター部の日」。1975年(昭和50年)の9月15日、池田大作先生がドクター部の第3回総会に出席したことが淵源である。
この歴史的な総会の4年前、71年(同46年)9月12日に同部は結成され、本年で結成50周年の節を刻んだ。
コロナ禍の中で迎えた本年、医療現場は、かつてないほどの正念場にある。
その時にあって、ドクター部の友は、師弟共戦の心を一段と燃やしながら、"使命を果たす「まことの時」は今"と、一人一人が命を守り支える献身と挑戦を重ねている。
兵庫のある男子部員は、国内屈指の医薬品メーカーに勤務。関西創価学園時代に、池田先生と科学者・ポーリング博士の対談集に感銘を受けて薬学の道に進んだ。
彼は感染症の終息のために、今こそ培ってきた技術や経験を生かそうと、社内でワクチン製造プロジェクトの発足に携わり、責任者として奮闘。国内のワクチン接種の加速へ、安定した供給を続けながら、海外への提供にも貢献を果たしている。
医療の最前線での尽力とともに、これまで磨き抜いてきた英知と行動力を社会の中で発揮するドクター部員の活躍は目覚ましい。
創価青年医学者会議、創価女性医学者会議等の友は、青年部の代表との意見交換を、昨年3月から22回開催し、感染症に関する正確な情報発信を続けてきた。
また、本紙で4月から連載を開始した「危機の時代を生きる——創価学会ドクター部編」では、各分野に精通する同部の友が、「生老病死」を説き明かす仏法の哲理、池田先生のリーダーシップのもとで全国・全世界の同志が実践する学会活動の意義を論じ、社会に希望の光を届ける言論を展開している。
池田先生は結成50周年記念指導集『生命の世紀』に発刊の辞を寄せた。
その中で、歴史学者・トインビー博士の"菩薩とは、苦悩の多い世界にとどまるためにあえて安息の境地に入ろうとしない"との見解を通して、「それぞれの誓願の舞台で、創価の名医として、広布の闘士として、郷土の依怙依託として奮闘するドクター部の群像にこそ、この崇高なる菩薩の精神が漲っている」とたたえた。
一瞬も気の抜けない生死の現場に立つ友に感謝を寄せつつ、健勝と活躍を祈りたい。

☆四季の励まし 健康の智慧を 大満足の人生を 2021年9月5日
◇池田先生の言葉
健康で、長生きをして、
価値ある充実の人生を
楽しんでいくのが、
信仰の目的である。
健康は、
自らの智慧と
決心でつくるものだ。

聡明に自己を律し、
賢明な生活を心掛け、
自分自身の健康を
勝ち取っていただきたい。
健康を保っている
ということ、
それ自体が、勝利である。

適度な運動も大事である。
また、上手に休息をとる。
ゆったりと睡眠をとる。
疲れをためないよう
工夫することだ。
根本は、信心である。
「健康でありますように」と
毎日、御本尊に祈ることだ。

題目は、
宇宙根源のリズムであり、
仏の偉大な生命力の
根本である。
ゆえに、
妙法の大良薬を持つ人は、
一人ももれなく
「更賜寿命」して、
大満足の使命の人生を
存分に生き切ってほしい。
また、生き切ることが
できるのだ。

懸命に努力し、
もてる力を発揮する。
その時に人は
生きがいを感じる。
元気になる。
その意味で、
学会活動は、
最高の健康の道である。

今は病気の人も、
決して
弱気になってはいけない。
何があっても強気で!
すべてに意味があるのだ。
どんなことがあっても、
微動だにしてはいけない。
悠然と進むのだ。
生命は永遠なんだから!

暑い夏だからこそ、
白馬が
大草原を駆けゆくような
清々しい題目で、
生命力満々と、
きょうも
価値創造の行動を!

【写真説明】7月13日に、池田大作先生が都内で撮影した蓮の花。薄紅がかった白色の花びらが凜と咲き、涼しさを届けてくれる。
蓮華は、他の花々と違い、花と実が同時に成長する。ゆえに、仏法では、仏の生命を開く因も果も同時に具わる「因果倶時」の法理の譬えなどに用いられる。
御書には「浄き事・蓮華にまさるべきや」(1109ページ)と。泥沼の中でも高潔な美しさを失わない蓮のように、我らも苦難や無理解に負けず、自他共の幸福に尽くす生き方を貫いていきたい。
張りのある勤行・唱題で生活のリズムを整え、心身共に健康第一で進みゆこう。