2021年9月21日火曜日

2021.09.21 わが友に贈る

一人一人と語り合い
納得し合ってこそ
固い団結が生まれる。
広宣流布の大誓願へ
異体同心で前進しよう!

如説修行抄 P502
『万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば吹く風枝をならさず雨壤を砕かず、代は羲農の世となりて今生には不祥の災難を払ひ長生の術を得、人法共に不老不死の理顕れん時を各各御覧ぜよ現世安穏の証文疑い有る可からざる者なり』

【通解】
すべての人々が一同に南無妙法蓮華経と唱えるならば、吹く風は穏やかで、枝を鳴らさず、降る雨も土壌を砕かず、代は羲農(昔の中国における伏羲や神農)の時代のような理想社会となり、人々は今生には不幸な災難を払い、長生きできる方法を得て、人法ともに不老不死であるという道理がはっきりとあらわれてくるのである。
その時をおのおの見てごらんなさい。「現世安穏」という証文の正しさは疑いないのである。

名字の言 相手に「幸」を届けようとすると…… 2021年9月21日
地図を手書きしながら道を教えていた時のこと。テーブルを挟んで、向かいに座る相手側から読めるよう、文字を上下逆さまに書いた。説明の途中で、「あっ」と思わず声を出してしまった。幸町という地名の「幸」と書いた時だった。この文字が自分の側からも「幸」と見えたからだ▼相手に「幸」を届けようとすれば、自分にも「幸」が届くことになる……そう感じ、二人して笑顔になった。人の前に明かりをともせば、自分の前も明るくなるという仏法の教えを思い返した▼ただ現実は、なかなか思い通りにはいかない。ある女性部員は一人の友人の幸福を祈っては、折伏に出向いた。だが、友人は言い返すばかり。対話は実らず、月日が流れた▼それでも彼女は「反発や対立も"心の結び付き"の表れの一つですから」と言って、とても楽しそうだった。対話を諦めたり、友人を避けたりせず、機会をつくっては何度も喜んで足を運んだ。5年越しで弘教が実った▼御聖訓に「とにもかくにも法華経を強いて説き聞かせるべきである。信じる人は仏になり、謗る者は毒鼓の縁となって仏になる」(御書552ページ、通解)とある。「幸」の思いを誠実に語り続ければ、いつか必ず「自他共の幸福」を築いていける。

寸鉄 2021年9月21日
平坦な道を歩いていては宿命転換はできぬ—恩師 激戦は誉れ。飛躍の好機
中部が猛進。皆が青年の心で進む勝利の一番星!堅塁の誓い胸に歴史開け
信越・北陸が栄光の峰へ疾駆!縁の同志よ列島の中央から対話拡大の波を
臆病は大きな唯一の障壁—哲人。題目で自己の壁破れ。信心は勇気の異名
国連の「国際平和デー」。市民社会の連帯こそ希望核なき世界への潮流必ず

☆ヒーローズ 逆境を勝ち越えた英雄たち 第11回 アショーカ大王
〈アショーカ大王〉
「法による勝利」こそ、すなわち最上の勝利なり。それは現世また後世にまで利益と安楽をもたらす。

池田大作先生と対談した識者は、その人をたたえてやまない。
20世紀最大の歴史学者アーノルド・トインビー博士は「仏教哲人王」と評し、欧州統合の父クーデンホーフ=カレルギー伯爵は「世界で最高に尊敬したい大王」と絶賛した。
その人とは、インド史上最初の統一国家を築いたマウリヤ王朝の第3代の王・アショーカ大王である。
時は紀元前3世紀。今から約2300年前、仏教に帰依したアショーカは、戦争を悔いて「武力による政治」を「人道による政治」へと大転換し、「法(ダルマ)による統治」を実践した。
強者が弱者を支配する"弱肉強食の時代"。その中で福祉に力を入れ、井戸や道路などを整備し、人間はもとより家畜のための病院もつくった。正しい法に出あい、「民衆のために」生きようと決意したのである。
アショーカは述べている。
「世のすべての人の利益のために働くことよりも崇高な事業はない」「みずから民衆に親しみ、近づくことが、私がなせる最上のことである」と。そこには、活躍を支えてくれた民衆への感謝があったに違いない。
さらにアショーカは、仏教興隆の礎を築き、その教えを基調とした思想を伝え広めるため、石柱や岩石に「法勅」(碑文)を刻み、各地に残した。
仏典には「阿育」の名で登場し、釈尊に土の餅を供養した子どもが、その功徳で後にアショーカ大王として生まれたと説かれている。<「仏に土の餅を供養せし徳勝童子は阿育大王と生れたり」(御書1315ページ)>
法勅の一つに、こうある。
「法による勝利なるものこそ、これ、即ち、最上の勝利なれ……この法による勝利は、現世に関する利益安楽にして、また、後世に関するそれなり。人の凡ての愛楽をして、法に対する愛楽たらしめよ」
全ての人はわが子である——この深き信念で万人の利益と安楽を求めたアショーカの生涯。それは「一切の衆生は吾が子なり」との釈尊の慈悲の精神を、現実の世界で実現しようとした"未聞の挑戦"であった。

〈アショーカ大王〉
私は満足しない。世のすべての人々が幸福になるまでは。
それまで私は努力し働き続ける。

「王の中の王」として、世界史に名を刻むアショーカ大王。しかし彼は、最初から慈悲の指導者だったわけではない。むしろ、残忍なまでに武力を行使する「暴君」と恐れられた。
転機となったのは、即位から8年目。アショーカは大軍を率いて、インド南東部のカリンガ国(現在のオディシャ州など)を征服した。15万人が捕虜になり、10万人が殺されたといわれる「カリンガの大虐殺」である。
戦乱が招いた地獄の惨劇を前に、悔恨の念が大王を襲う。
「こんなことのために人は生まれたのか」「生きるとは、死ぬとは何のためか」——彼はその答えを仏教に見いだし、信仰の道を歩み始める。そして二度と戦争を起こさぬことを誓い、武器ではなく、「法」の剣を手に立ち上がったのである。
仏教を根底にした慈悲の政治によって、国内では数々の社会事業が進められ、他国には平和使節が派遣された。
彼は、個人としては熱心な仏教徒となったが、宗教を公平に扱ったことでも知られ、"法の阿育"として崇敬を集める。
「私は満足しない。世のすべての人々が利益を得るまでは。それまで私は努力し、政務に励む」「現世と来世〔における利益と安楽〕は、最上の法に対する愛慕、最上の観察、最上の敬信、最上の怖畏、最上の努力がなければ、達成することは困難である」——この熱誠に貫かれた「法による統治」は、約30年という歳月にわたった。
大王の没後、インドは分裂状態に陥るが、仏教は世界に広がり、さまざまな思想に影響を及ぼす"文化創造の源泉"となっていく。
アショーカが建立した「獅子柱頭」は、現在のインドの国章に制定されている。

〈アショーカ大王を語る池田先生〉
人間、何が幸せか。一日一日、「きょうもやり切った」「私は勝った」という行動を重ねることだ。
毎日、自分として「これでよし」と言えるよう精いっぱい生きることだ。

インド発祥の仏教は、アショーカ大王の没後、中国、韓・朝鮮半島を経て、日本へ伝わった。
日本では13世紀に日蓮大聖人が出現し、全人類の幸福と世界の平和を実現する「南無妙法蓮華経」の仏法を確立。その魂は創価学会の初代・牧口常三郎先生、第2代・戸田城聖先生、第3代・池田先生の三代会長に受け継がれ、「世界広宣流布」という師弟の大誓願となった。
1961年1、2月、池田先生は大聖人が予見した「仏法西還」の第一歩をアジアにしるす。
インドでは、アショーカ大王の法勅を刻んだ石柱を見学。その模様は小説『新・人間革命』第3巻「月氏」の章に詳しい。
石柱の下の語らいで、山本伸一は述べている。
「広宣流布の目的は、人びとが仏法を信じ、その結果、民衆が幸福になり、社会が平和になることにある。つまり、仏法の哲理が人間の生き方につながり、それが現実の社会に反映されなければならない。その一つの模範が、アショーカ大王の治世だと思う」
以来、60星霜——。太陽の仏法は、先生を中心とした同志のスクラムによって全世界へと広がり、192カ国・地域を照らす希望の陽光となった。
後に先生は、インド文化国際アカデミー理事長のロケッシュ・チャンドラ博士との対談の中で、アショーカを巡る語らいを展開。また、折々のスピーチや随筆などで大王の言葉と生涯を紹介してきた。
「民族や文化の違いを超えて、同じ人間として、一つの世界に生き、ともどもに幸福を願う——これこそが、アショーカ王の行動を支えた人間観であり、世界観です。世界市民の哲学といえるでしょう」(対談集『東洋の哲学を語る』)
「大王は『行動の人』であった。法勅に『私は、正しいと思ったことは、すべて我が身で実行したい。そして、正義を実現したいと願う』と——。
人間、何が幸せか。一日一日、『きょうも、やり切った』『きょうも悔いがない』『きょうも、私は勝った』という行動を重ねることです。毎日、自分として『これでよし』と言えるよう、精いっぱいの努力で生きる。その積み重ねが、大勝利の人生となるのです」(本紙1993年7月17日付「名誉会長の語らい」)
きょうの「行動」「努力」が未来を開く。永遠に変わらぬ、仏法勝利の方程式である。