2021年9月13日月曜日

2021.09.13 わが友に贈る

新聞休刊日

中興入道消息 P1333
『彼の人は年ふりたる上心かしこく身もたのしくて国の人にも人とをもはれたり』

【通解】
その人は、年齢を重ねた上に、心が賢く、身も壮健で、社会の人々からも人格者として尊敬を集めていた。

☆世界広布の本陣・総本部 池田先生ご夫妻が近隣友好に尽力
あす12日で、1966年(昭和41年)に池田大作先生ご夫妻が、総本部の置かれる東京・新宿区信濃町に転居してから55周年を迎える。
転居は、大田区の小林町の自宅が道路拡張による区画整理の対象となったことがきっかけ。それを機に、信濃町に居を構えることになった。
先生は、"自身が住んでいる地域を愛し、地域に貢献し、そこを常寂光土としていくことが仏法者の使命である"と、自ら率先して近隣友好・地域貢献に力を注いだ。
総本部の敷地で開催されてきた「信濃町ふるさと盆踊り大会」は、先生が近隣と築いた信頼が出発点だ。ある時、信濃町商店振興会から「町内で盆踊りをしたい」との相談が。先生は即座に賛成し、協力を約束。85年に第1回が開かれ、コロナ禍前の2019年までに34回、行われている。

◇わが地域を「和楽の町」「繁栄の都」に
先生の"地域を大切にする心"は、恩師・戸田城聖先生から受け継いだもの。古くからの屋敷町で歴史に名を刻む著名人、文化人が数多く住む信濃町。戸田先生は、1953年に学会本部が西神田からこの地に移転して以来、町内をあいさつに回るなど、池田先生と共に近隣友好に心を砕いた。
恩師の思いを胸に池田先生は、転居する前から池田勇人総理や日中友好の先覚者である高碕達之助氏ら、各界の名士と対話を広げてきた。
「身土不二」——仏法では、自身と国土、人間と地域は一体であると説く。"郷土こそ世界の縮図""わが地域を「和楽の町」「繁栄の都」に"との強き祈りと実践の中に、広宣流布と立正安国の道が開かれることを忘れまい。

〈長編詩「本陣に永遠の栄光あれ勝利あれ」から抜粋〉
おお 信の濃き町よ!
一九五三年(昭和二十八年)
この地に 二代会長は
本部を定めたり

あの懐かしい洋館
師弟不二の同志の歓喜
賑やかな同志の語り合い
そして
決意に満ちた唱題の声
確信あふるる決意の声

尊貴な心は
新宿に高まり
信濃町に躍った
新しい偉大な歴史が始まった

やがて 私は
新宿 南元支部の一員になった
なんと 嬉しく
なんと 名誉なことであろうか

近隣の同志が
わが家の仏間を いっぱいにして
楽しく語り
明るい座談会をしたことも
今は 懐かしい

私の そして わが家の
広宣流布の激戦は
この地 新宿で
この町 信濃町で
展開されたことは
永遠の歴史と 薫るに違いない

☆教学随想 日蓮仏法の視座 生命尊厳を時代精神に
女性平和文化会議議長 小松法子
無意識の偏見の克服へ 自他共に輝く青春の日々を歩む

◇憎しみの連鎖
私たち青年部は今夏、広島・長崎・沖縄で、「戦争・被爆証言を聞く会」を開催し、オンラインで全国をつなぎ、不戦の誓いを新たにしてきました。証言してくださった方たちは、思い出したくもないであろう悲痛な戦争体験を語り、恒久平和への切実な願いを、青年部に託してくださいました。
今も地球上では紛争の渦中で苦しむ人々がいます。その意味で、現代を生きる私たちにとって「戦争」は決して過去の出来事ではありません。
証言会に参加された方からは、「世界平和のために、自分にできることが必ずあると確信した」「小さなことでも、自分にできることから始めていきたい」等の声が多く寄せられました。皆さん、何か行動を起こしたいと決意されていました。
今いる場所で、私たちにできること——それは、目の前の一人を理解していく努力ではないでしょうか。
アメリカ創価大学の学生だった時、私にとって忘れられない出来事がありました。
2013年(平成25年)9月、ケニアの首都・ナイロビでテロ事件が起こり、67人もの死者が出たのです。そのニュースに大きなショックを受け、「なぜ、人間が人間を殺すのか」「憎しみの連鎖を断つにはどうすればよいのか」と真剣に悩みました。
同時に、"今、私にできることは、世界中から集まった多様な学生と友情を育むことで、異文化間に平和の懸け橋を築いていくことだ"と、使命を深く自覚しました。

◇普遍性と共通性
大学に入学した当初、私の何げない質問で友人を不快にさせてしまったことがありました。日本人が皆、和食や着物、相撲観戦を好むとは限らないように、サッカーが嫌いなブラジル人がいても当然です。にもかかわらず、相手の国や文化の特徴にとらわれて、無意識のうちに"ラベル"を貼って接していたことが原因でした。
人はどうしても、自分と異なる人に"ラベル"を貼り、個人を判断しようとしがちです。これが、「無意識の偏見」です。それでは、他者への無理解やステレオタイプ(固定観念)を助長しかねません。
さまざまな文化を持つ友人たちとの大学生活では、「差異」と同様に、人間としての「普遍性」「共通性」に目を向ける大切さを学びました。
例えば、相手をよく知らないうちは、「○○○人の女性」など、出身国にひも付けて相手を見ていました。しかし、相手の好きなものや性格、将来の夢を知るうちに、その人を"同じ一人の人間"として理解できるようになります。
相手の個性を知り、"その人の代わりになる人は、世界のどこを探してもいない"と思えることで、深い友情を結ぶことができました。
人は誰しも生まれ育った環境によって、ある種の固定観念が育まれます。それに合わない他者への偏見を持っています。また、知らない相手への恐怖ゆえ、誤った先入観が肥大してしまう場合もあります。差別を生み出す、こうした偏見から完全に逃れる手段はないのかもしれません。
だからこそ、自身に対して「固定観念にとらわれてはいないか」「相手の思いを考慮しているか」と常に問い続けていくことが大切です。

◇万人に宝塔を見いだす
池田先生は、小説『新・人間革命』第30巻〈下〉で、東西冷戦下の複雑な国際情勢を憂慮し、「分断は分断を促進させる。ゆえに、人間という普遍的な共通項に立ち返ろうとする、統合の哲学の確立が求められる」とつづられています。
「人間という普遍的な共通項」に立ち返るとはどういうことか——ここでは、法華経で説かれる「宝塔」について、日蓮大聖人が門下に送られたお手紙から拝察したいと思います。
宝塔とは、法華経の虚空会の儀式に登場する、金・銀などの七宝で飾られた巨大な塔のことです。その大きさは、高さ五百由旬、幅二百五十由旬——一説には、地球の直径の3分の1から半分にも及ぶといわれる宝塔は、万人に具わる、仏界の生命の偉大さを表したものであると拝されます。
大聖人は次のように仰せです。
「末法に入って法華経を持つ男女の・すがたより外には宝塔なきなり、若し然れば貴賤上下をえらばず南無妙法蓮華経と・となうるものは我が身宝塔にして我が身又多宝如来なり」(御書1304ページ)
「男女の・すがたより外には」「貴賤上下をえらばず」とあるように、性別や社会的立場など、一切の差異を超え、仏の尊極な生命が、"ほかならぬあなた自身の胸中に具わっています"と大聖人は教えられています。
ここに、万人が等しく尊い存在である、との大聖人の人間観が輝いています。この究極の平等思想、人間尊敬の思想が、あらゆる悲惨をなくすための希望の源泉であると感じます。

◇変革は一人から
人類が、紛争に加え、新型コロナウイルスの感染拡大という困難に直面している今、分断や憎悪が表面化する場面があります。SNSでの誹謗・中傷問題も深刻です。
一人一人の尊厳を認め合う社会を築くために、重要な役割を果たすのが人権教育です。
本年は、「人権教育および研修に関する国連宣言」の採択から10年。これまでもSGI(創価学会インタナショナル)は、人権教育を市民社会の中で推進してきました。
SGIは、国連人権高等弁務官事務所などと共に、映画「尊厳への道——人権教育の力」を制作。映画では、女性が虐げられる慣習に苦しんだインドの少女が、教師に相談したことで人権教育が広まり、人々の意識変革につながった事例などが紹介されています。映画には一貫して「変革は一人から始まる」とのメッセージが込められています。
今月行われた「青年不戦サミット」(第30回青年平和連絡協議会)でも、一人一人が今いる場所で"平和の旗手"になっていくことを確認し合いました。
サミットに際し、先生は「一日の命は三千界の財にもすぎて候なり」(御書986ページ)との御文を拝し、「太陽の仏法を実践して一日また一日、かけがえのない青春の生命を自他共に明るく輝かせていくこと自体、不戦への挑戦です」とメッセージを贈ってくださいました。
わが身が宝塔である、尊い「宝」であると自身が生命の尊厳に目覚めることで、縁する人にも宝塔を見いだすことができます。
自分とあらゆる人の生命が尊い「宝」であり、生命の宝塔を輝かせていく——ここに、自他共の幸福を築いていくための大切な挑戦があると確信します。
目の前の一人と友情を結び、生命尊厳の哲学を時代精神へと高めゆくことが、地球上の全人類の幸福をつくることになると確信し、学会活動や草の根の平和運動に励んでいきます。