「南無妙法蓮華経は
師子吼の如し」
病魔に打ち勝つ力は
強き祈りから生まれる。
不屈の心を燃やして!
佐渡御書 P961
『日蓮御房は師匠にておはせども余にこはし我等はやはらかに法華経を弘むべしと云んは螢火が日月をわらひ蟻塚が華山を下し井江が河海をあなづり烏鵲が鸞鳳をわらふなるべしわらふなるべし』
【通解】
「日蓮さんは私たちの師匠ではあられるが、あまりにも強引だ。私たちは(師匠と違って)柔らかに法華経を弘めましょう」と言うのは、ホタルの光が太陽と月を笑い、アリ塚が華山を見くだし、井戸や小川が大河や大海を軽蔑し、小鳥のカササギが偉大な鸞鳥と鳳凰を笑うようなものである、笑うようなものである。
名字の言 キンモクセイの香りに包まれて 2021年9月17日
いつも歩く道がキンモクセイの優しい香りに包まれた。マスクをしていても、それと分かる香りが、秋の訪れを感じさせる▼キンモクセイは春のジンチョウゲ、夏のクチナシと並ぶ三大香木の一つ。常緑樹で普段は目立たないが、1週間ほどの開花期間に存在感を増す。近づくと、オレンジ色の小さな花が輝いていた▼キンモクセイを見ながら、ふと、ある文化人のまなざしを思い出した。取材場所は築65年を超えるビル。階段の手すりや滑り止めなどに使われている真ちゅうはピカピカに磨き上げられていた。その方は清掃作業員を見つけると「いつもありがとうございます」と深々と頭を下げた。「こういう方々を絶対に忘れてはいけません」▼私たちの生活は、陰の役割に徹して苦労を厭わない方々に支えられている。新聞を手にできるのも、配達や印刷してくださる方がいるから。会合に気持ちよく参加できるのも、案内や清掃などに黙々と励む友がいるから。コロナ禍の今この時も、命を守る人々の懸命な奮闘があることを忘れまい▼ともすれば当たり前と思い、見過ごしてしまいがちなことに視線を注ぎ、感謝を伝える人でありたい。先の文化人のように。キンモクセイの花言葉は、「謙虚」である。
寸鉄 2021年9月17日
誠実が戦いの全て—戸田先生。周囲に信頼の輪を。立正安国の一歩はそこに
北海道・大空知総県、留萌創価県が弾む心で勇戦!新たな勝利の歴史を皆で
鳥取・島根の日。一人立つ勇者がいれば地域に希望が!山光を照らす太陽と
大雨への備えは"早めの避難"が必須。情報注視しためらわず命守る行動を
ネット中傷厳罰化へ議論進む。卑劣な言論の暴力、人権侵害の撲滅を今こそ
☆御書の旭光を 第52回 広布の開拓は若人の手で
〈御文〉
『此の十法界は一人の心より出で八万四千の法門と成るなり、一人を手本として一切衆生平等なること是くの如し』(三世諸仏総勘文教相廃立、564ページ)
〈通解〉
この十法界は一人の心から生み出されて八万四千の法門となるのである。この法門は、一人を手本として、いかなる人にも等しく当てはまるのである。
〈池田先生が贈る指針〉
一人の生命が、いかに偉大な光を放つか。全人類を包含する十界互具・一念三千の普遍の法理を掲げ、人間革命の実証を世界中で示しているのが創価の師弟である。
広布の地平を開くのは若き地涌の熱と力だ。誠実に一人の若人の心をつかむことは、万人に通ずる。わが男女青年部よ、新時代の勇敢なる開拓を頼む!
☆池田華陽会御書30編 研さんのために 法華証明抄
◇"戦う心"に希望と確信が
今月は「法華証明抄」を学びます。池田先生はつづられました。
「本抄は、日蓮大聖人が、病魔・死魔と戦う愛弟子のために、渾身の力を振り絞られて大激励をされた御書であります」「弟子が師と不二の道を貫けば、打ち破れない魔性などありません。師弟が一体であれば、変毒為薬できない病気などありません。健康・長寿の要諦を示す『師弟勝利の一書』。これが『法華証明抄』です」
若き青年門下のため、烈々たる気迫で病魔を打ち破られる日蓮大聖人の"師子吼"を心に刻み、敢然と障魔と戦い、勝ち抜く「法華経の行者」の真髄を学んでいきましょう。
◇本抄について
本抄は、弘安5年(1282年)2月28日、日蓮大聖人が身延で認められ、駿河国(静岡県中央部)の門下、南条時光に送られました。
この前年から、大聖人は病と闘われていました。そのような時に、駿河の地で勇敢に戦ってきた時光が、重病であるとの報告が入ります。当時、時光は24歳の青年でした。
大聖人は、本抄を著される3日前の2月25日、時光へのお見舞いの書状を弟子に代筆させて送られます。そして今度は、自ら病を押して筆を執られ、全精魂を注いで激励のお手紙を認められたのです。
本抄は、冒頭に「法華経の行者 日蓮(花押)」と記されています。末法広宣流布のため、あらゆる大難を勝ち越えてきた「法華経の行者」として、大聖人が後継の弟子へ、厳愛の御指導をつづられています。
◇御文
『すでに仏になるべしと見へ候へば・天魔・外道が病をつけてをどさんと心み候か、命はかぎりある事なり・すこしも・をどろく事なかれ、又鬼神めらめ此の人をなやますは剣をさかさまに・のむか又大火をいだくか、三世十方の仏の大怨敵となるか、あなかしこ・あなかしこ、此の人のやまいを忽になをして・かへりてまほりとなりて鬼道の大苦をぬくべきか』(1587ページ4行目〜7行目)
◇通解
(南条時光が)もはや仏に成ることは間違いないと見えたからこそ、天魔や外道が病にさせて脅そうと試みているのでしょう。人の命には限りがあります。ですから少しも驚いてはいけません。
また、鬼神どもよ。この人(時光)を悩ますとは、剣を逆さまにのむのか。自ら、大火を抱くのか。三世十方の仏の大怨敵となるのか。まことに恐れるべきである。この人の病をすぐに治して、反対に、この人の守りとなって餓鬼道の大苦から免れるべきではないか。
◇解説
大聖人は病床の南条時光に、まず、末法に法華経を信じる人は、経文に「過去に十万億の仏を供養した人である」(御書1586ページ、通解)と説かれることを示されます。
末法の時代に、最高真実の法である法華経を持つことは、計り知れないほど大きな福運です。そう確信し、信心を貫いていけば、「転重軽受」「変毒為薬」の妙法の功力によって、必ず苦難を乗り越えられる——この希望と確信を教えられ、時光を力強く励まされています。
続いて、悪世末法に強盛な信心を貫き通した時光の両親を称賛され、あとを継いだ時光もまた、不屈の信仰を貫いてきたとたたえられます。
時光は、駿河の日蓮門下たちが大弾圧を受けた「熱原の法難」でも、矢面に立って同志を守り、門下の要として戦い抜きました。
それを踏まえ、掲げた御文で大聖人は、現在の病は、時光が強盛な信心を貫いてきたために、成仏を阻もうといよいよ大きく競い起こってきた、障魔の働きであることを教えられます。
そして、時光への明快な御指導として「すこしも・をどろく事なかれ」と仰せです。病気になること自体は、決して敗北や後退ではありません。大事なことは"断じて病魔に打ち勝つ"と決め、"必ず変毒為薬してみせる"との一念で、祈り、闘い抜くことです。
大聖人は、時光を苦しめる病魔をたたき出すかのように、「鬼神めらめ」と叫ばれます。さらに"この人を苦しめるとは、自らを滅ぼそうとしているのか。あらゆる仏を敵にまわそうというのか"と、鬼神を烈火のごとく叱り飛ばされました。
鬼神とは、人の生命をむしばみ、奪う働きをするものの総称です。もともと、大苦の餓鬼道の衆生である鬼神は、法華経を持つ人を守護することで、その苦悩の境涯を脱することができます。ゆえに、大聖人は鬼神に対して、時光の病を速やかに治し、餓鬼道の苦しみを免れていくよう厳しく命じられているのです。
大聖人は本抄で、いかなる障魔も勇気の信心で勝ち越えていく、法華経の行者の"戦う心"を示されました。この厳愛の御指導を胸に、時光は不屈の信心を燃やし、見事に大病を克服します。寿命を50年も延ばし、師匠への報恩の人生を歩み抜いたのです。
師の一念に心を合わせ、祈り抜く時、無限の勇気と力が湧き上がります。師弟誓願の題目を根本に、幸福勝利の青春を開いていきましょう。
◇池田先生の指針から
病気になった時に、病魔と闘う信心を奮い起こせば、その時こそ、常楽我浄の人生の勝利を開く転機となる。(中略)
大事なことは、どんな壁が立ちはだかっても、絶対に変毒為薬できるとの「確信」をもつことです。この「変毒為薬してみせるという大確信」こそ、病気をはじめ種々の困難をも打ち破り、必ず必ず成仏への道を広々と開いていく要諦なのです。(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第6巻)
◇ ◆ ◇
鬼神どもを厳然と弾呵していく。この「法華経の行者」の何ものをも恐れぬ大確信を、大聖人は時光に示されていると拝されます。
であればこそ、私たちも、いよいよ、「法華経の行者の祈り」を強盛にして、病魔に対しては「鬼神めらめ」と叱責しながら、一切の悪鬼をも、わが使命の人生の味方に変えていく決心で前進していきたい。
ゆえに、師子吼の如き題目が大切です。(中略)
いかなる病魔に対しても、わが生命の奥底から「師子王の心」を取りいだして、敢然と立ち向かっていく——この「勇気ある信心」が根幹となるのです。(同)
研さんのために
○…『勝利の経典「御書」に学ぶ』第6巻(聖教新聞社)。