リーダーの率先の姿が
同志を鼓舞する。
さあ誠実な対話へ!
動いてつかんだ実感を
ありのままに語ろう!
治病大小権実違目 P997
『元品の法性は梵天帝釈等と顕われ元品の無明は第六天の魔王と顕われたり、善神は悪人をあだむ悪鬼は善人をあだむ、末法に入りぬれば自然に悪鬼は国中に充満せり』
【通解】
元品の法性が梵天・帝釈等の諸天善神と顕れ、元品の無明は第六天の魔王と顕れているのである。善神は悪人をあだみ悪鬼は善人をあだむ。今は末法に入っているから、おのずから悪鬼が国中に充満している。
名字の言 歌手の魅力を最大限に引き出した作曲家・筒美京平氏 2021年9月16日
誰もが一度は耳にしたことがあるだろう。アニメ「サザエさん」の主題歌、日本レコード大賞受賞曲「また逢う日まで」など、作曲家・筒美京平氏が手掛けた曲は2800以上。作品総売上枚数は歴代1位を誇る▼数多くのヒット曲を生んだ氏が、作曲とともに力を入れたのが歌手の魅力を最大限に引き出すこと。歌い手の声質や性格を見抜いて助言し、要望に応じて編曲もした。その人の個性を重視し、多くのアーティストの才能を開花させた▼法華経に登場する妙音菩薩は、相手の境遇に応じて「三十四種類の姿」に身を変え、法を説いたという。それに歓喜した八万四千の菩薩も、同じように人々を救う行動を起こした。一人に尽くす慈悲は、幸の万波となった▼時には共にカメラに納まり、時にはピアノを弾いて——。池田先生の励ましは、その時、その場、その人に応じて自在である。ある出版関係者は、先生の言葉には、ぶれがなく、縁する人に「幸福になってほしい」との思いがあふれている、と。相手を思う真心こそ、励ましの智慧を生む根幹である▼妙音菩薩は、「能く娑婆世界の諸の衆生を救護する者なり」(法華経616ページ)と説かれる。友の心を揺さぶる「希望の妙音」を紡ぎ奏でたい。
寸鉄 2021年9月16日
新しい仕事は自分の枠を破ることから—戸田先生 弾ける生命で日々前進!
東京・秋川「師弟原点の日」。正義の魂継ぐ誉れ。勇み立正安国の言論戦を
他人にある勇気や忍耐はあなたの中にも—詩人。信心は胸中の宝輝かす力
流感とコロナ、同時流行警戒—医師。ワクチン・手洗い・マスク等聡明に
炊飯器や加湿器の蒸気による幼子の火傷に注意。設置は手の届かない所へ
☆男子部大学校生大会への池田先生のメッセージ
◇使命の舞台で挑戦貫き青年凱歌の連帯広げよ
正義の若師子たる大学校生の諸君、たくましき鍛えと成長の夏、ご苦労さま! 共戦の先輩たちも、尊き献身、いつもありがとう!
この秋は、日蓮大聖人の「竜の口の法難」より750年です。命に及ぶ大難に臨まれても、不二の弟子に悠然と、「これほどの悦びをば・わらへかし」(御書914ページ)と語られながら、発迹顕本されたのです。
戸田先生は、御本仏の闘争を通し、語られました。「行き詰まりを感じたならば、大信力を奮い起こして、自分の弱い心に挑み、それを乗り越え、境涯を開いていくことだ。それが、我々の月々日々の『発迹顕本』である」と。
今、試練の時代の中、思わぬ苦労や困難があるに違いない。
しかし、地涌の君たちには、「我即宇宙」「宇宙即我」という、生命の無限の可能性を解き放てる自行化他の題目がある。自他共に「人間革命」即「立正安国」の歴史を開ける広布の実践がある。
御聖訓に、「智者とは世間の法より外に仏法を行ず、世間の治世の法を能く能く心へて候を智者とは申すなり」(同1466ページ)と仰せです。
どうか、誉れの大学校生は、わが使命の舞台たる職場でも地域でも、「信心即生活」の挑戦を貫き、「仏法即社会」の実証を示しながら、「仏法勝負」の先駆の英雄として、青年凱歌のスクラムを勝ち広げてくれ給え!
愛弟子一人一人の健康と前進、負けじ魂の活躍を祈りつつ。
☆9月度座談会拝読御書 四条金吾殿御返事(煩悩即菩提御書)
◇拝読御文
『法華経の信心を・とをし給へ・火をきるに・やすみぬれば火をえず、強盛の大信力をいだして法華宗の四条金吾・四条金吾と鎌倉中の上下万人乃至日本国の一切衆生の口にうたはれ給へ、あしき名さへ流す況やよき名をや何に況や法華経ゆへの名をや』(御書全集1117ページ18行目〜1118ページ3行目、編年体御書485ページ18行目〜486ページ3行目)
◇[池田先生の指針から]人間として最高の生き方
大難が起きた時こそ、誰が真の信仰者か、本当の弟子かが明らかになります。
一心に師匠を求め、師匠をお守りしようと行動した弟子・(四条)金吾の信心を、大聖人がどれほど喜ばれたことでしょう。
「前々より変わらない弟子の志が、本当にありがたい」——大聖人は、その率直な御心情を綴られています。
それとともに、大聖人は御自身に競い起こった大難については、「悔しいとは思わない」「これほどすばらしい果報の生死はない」と御断言になっています。
さらには、「生死の苦しみを断ち切り、仏の果徳を得られる身となったことが喜ばしい」とまで仰せになっているのです。
すべては経文の通りであり、どれほど非難され、どれほど迫害されようとも、それこそ身命に及ぶ大難に遭われても、大聖人は「喜び」として悠然と乗り切られました。これが御本仏の御境涯です。
同時にこれは、大聖人が示してくださった、人間としての「最高の生き方」であり、「最高に尊い人生」であると拝したい。(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第20巻)
◇ ◇ ◇
友の身を案じ、無事を祈り、声をかけ、励ましを送る。自分ができることからと、賢く朗らかに足取り軽く行動する。
いずこであっても、わが同志は「信心即生活」「仏法即社会」なりと一念を定めて実証を示し、世のため、人のため、家族のため、未来のために、粘り強く戦い続けている。
真正の「地涌の菩薩」でなければ、決してなし得ぬ行動である。
この「自他共の幸福」を願って動く、世界市民の連帯の壮大な広がりは、さながら御本仏が「地涌の義」と仰せの姿そのものであると、私は確信してやまない。(本紙2020年12月25日付、「随筆『人間革命』光あれ」)
◇師弟共戦が勝利の要諦
[キーワード�]不退の実践を
「法華経の信心を・とをし給へ」(御書1117ページ)、「日蓮が一門となりとをし給うべし」(同1360ページ)——日蓮大聖人は門下に対して、御書の随所で、信心を貫き通すことの重要性を教えられています。
そのことを、拝読御文では「火をきる」、つまり火をおこすことに例えられました。木をこすり合わせた摩擦熱で火をおこすには、休みなく作業しなくてはなりません。一生成仏を目指す信心もまた、何があろうと地道な歩みを止めないことが肝要です。
一方で、御書には「受くるは・やすく持つはかたし」(1136ページ)ともあります。悪縁の多い末法において、純粋な信仰を生涯、持ち続けることは容易ではありません。
まして、正法を実践する人の前に障魔が現れ、難にあうことは、御聖訓に照らしても明らかです。
その上で、大聖人は「大風吹けば求羅は倍増するなり」(同ページ)と述べられています。「求羅」とは、風に吹かれるほど体が大きくなるという想像上の生き物のことです。試練の大風が吹き荒れるほど、自分自身を大きく成長させ、信心を深めていける好機である!——こう捉えるのが、創価の希望の哲学です。
いかなる困難の壁が立ちはだかろうと、拝読御文に「強盛の大信力をいだして」とあるように、今一重の深い信心を奮い起こし、粘り強く不退の実践を貫き通す。その先に、誰人からも賛嘆されるような、人間革命の勝利の姿を輝かせていけるのです。
[キーワード�]これほどの喜び
今月は、日蓮大聖人が斬首の危機に直面した「竜の口の法難」から750年。この大難の折、殉死の覚悟で大聖人にお供したのが、鎌倉の中心的門下であった四条金吾です。
文永8年(1271年)9月12日、鎌倉にあった大聖人の草庵を、平左衛門尉頼綱が率いる多数の兵が襲撃。捕縛された大聖人は同日夜半、竜の口の刑場へ連行されますが、その際、急報に接した金吾は、すぐさま駆け付け、自らも命をなげうつ決心で同行しました。
いよいよ、大聖人が頸の座に臨まれると、金吾は「今が最期です」と嘆きましたが、それに対して大聖人は、「これほどの喜びを笑っていきなさい」(御書914ページ、通解)と師子吼され、悠然と金吾を励まされたのです。結局、幕府は大聖人への刑を執行することができず、大聖人を佐渡流罪に処します。どこまでも師匠を求めた金吾は、流罪地の佐渡にまで渡りました。
そうした金吾のあつい志を大聖人は本抄のほか、別の御書でも「いついかなる世に思い忘れることができようか」(1193ページ、通解)等、度々、御称賛されています。
その後も、大聖人の御指導を胸に、主君や同僚の抑圧など数々の逆境を乗り越えた金吾の雄姿は、師弟の一念さえ揺るがなければ、乗り越えられない困難などないことを示しているでしょう。
"さあ今日も、師と共に!"——誉れある共戦の道を、私たちも力強く歩んでいきましょう。