2021年9月7日火曜日

2021.09.07 わが友に贈る

全民衆の幸福を祈り
苦悩する「一人」に関わる。
これが創価の誇りだ!
安穏な社会の構築へ
粘り強く対話に挑もう!

新池御書 P1439
『かかる悪所にゆけば王位将軍も物ならず獄卒の呵責にあへる姿は猿をまはすに異ならず、此の時は争か名聞名利我慢偏執有るべきや』

【通解】
死後の地獄等という苦悩の世界に行ったならば、王の位も、将軍の位も、何の役にも立たない。獄卒の責めにあう姿は、猿回しに回される猿と変わらない。こうなった時は、どうして名聞名利や我慢偏執の心でいられようか。

【先生の指導】
王様や将軍の地位など、死後の世界では、何の力もない。にもかかわらず、世間の欲望に執着して、正しき仏法に背くならば、その人の末路は、あまりに哀れであり、愚かである。
このことを、よくよく考え、妙法を信じていくべきであるとの大聖人の御叱責とも拝せられるであろう。
この生命の厳粛な因果の理法からは、だれ人も逃れることはできない。それは、いくら遠くに逃げようとしても、地球の外には、ましてや宇宙の外には行けないのと同じなのである。

名字の言 "心の距離"を縮める語らい 2021年9月7日
大学進学で上京した数十年前のこと。公衆電話で実家に連絡した時、10円玉が次々と落ちる早さに驚いた。実家からの小包が、発送から到着まで何日もかかったことにも閉口した。身近なことに故郷の遠さを実感。と同時に、ありがたさも感じていた▼今年の夏、帰省したくてもできなかった人たちは、望郷の念を強くしただろう。募る思いはその人にとって、「会う」ということが、いかに重要な意味を持っているかの証しでもある▼広宣流布は、一人一人のもとへ幾度となく足を運び、直接会って励まし合い、共に前進することで築かれてきた。日蓮大聖人も「面にあらずば申しつくしがたし」(御書1099ページ)などと、顔を合わせて語らうことの大切さを教えられている▼一方で、大聖人は実際には会えない門下にも心を砕かれた。高齢のため、大聖人がおられる身延まで来られない女性門下には「あなたの身は佐渡でも、心はこの身延に来ています(会っているのと同じです)」(同1316ページ、趣意)と励まされた▼「会う」には、「2人以上の人間の間がなくなること」との意味もある。その"間"とは、実際の距離以上に、お互いの"心の距離"であろう。信じ合い、通じ合う心があればいい。

寸鉄 2021年9月7日
御書「朝朝・仏と共に起き夕夕仏と共に臥し」。日々新生の決意で広布に前進
鹿児島の日。皆が青年の心で"凱歌の秋"へ勇躍!歴史開く拡大を我らから
苦しい環境に支配されてはならぬ—恩師。試練を勝ち抜く人生の名優に!
家庭の蔵書数多い小中生ほど試験の正答率高く—調査。親子で繙く習慣を
教育の無償化を実現した公明党に敬意—大学学長万民が輝く社会へ死力を

☆明日を照らす テーマ:不動の信心
日蓮大聖人は門下に対して、障魔に負けることなく、不動の信心に励めば、揺るがぬ仏界の境涯を開くことができると教えられています。
池田先生は「学会は、日蓮大聖人の仰せ通りに死身弘法の実践を貫き、忍辱の鎧を着て進んできた。創価の師弟は、この不動の信心によって、すべてを勝ち抜いてきたのだ」とつづっています。
今回の「明日を照らす」は、「不動の信心」をテーマに学んでいきましょう。

◇兄弟抄
『心の師とは・なるとも心を師とせざれとは六波羅蜜経の文なり。設ひ・いかなる・わづらはしき事ありとも夢になして只法華経の事のみさはくらせ給うべし』(御書1088ページ)

◇師弟不二が勝利開く
【通解】わが心に対して師とはなっても、わが心を師としてはならない、とは六波羅蜜経の文である。たとえ、どんな煩わしい苦難があっても、夢の中のこととして、ただ法華経のことだけを思っていきなさい。

何かあれば揺れ動くような、凡夫の心を基準としては、仏の境涯を得ることはできません。
本抄は、日蓮大聖人が門下の池上宗仲、宗長兄弟と、その夫人たちに与えられたお手紙です。池上家は、鎌倉幕府に仕える有力な工匠でした。兄の宗仲は、法華経の信仰に反対する父から勘当を受け、社会的立場や経済基盤を失う危機に直面していました。一方で、弟の宗長は、信仰を捨てれば家督を譲り受ける状況にありました。ゆえに大聖人は、兄弟の信心が動揺することを心配され、激励されました。
「心の師」となるとは、確固不動の「法」を持つ生き方です。私たちでいえば、御本尊根本、御書根本の姿勢が「心の師」を求めることになります。そのために、「法」と私たちを結び付ける、仏法実践の師匠の存在が不可欠となります。自分中心ではなく、師弟不二の信心を貫いていけば、あらゆる苦難をも"一時の夢のようなもの"と悠然と見下ろしながら、前へ進んでいくことができると教えられているのです。
池上兄弟は、大聖人のご指導を実践する中で試練を乗り越え、信心に反対していた父を入信へと導きました。大聖人直結の創価学会には、いかなる烈風にさらされようとも、師と共に人生を切り開いてきた同志が数多くいます。いかなる時も、師の心をわが心とし、未来まで続く"勝利の物語"をつづっていきましょう。

◇四条金吾殿御返事
『賢人は八風と申して八のかぜにをかされぬを賢人と申すなり、利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽なり、をを心は利あるに・よろこばず・をとろうるになげかず等の事なり、此の八風にをかされぬ人をば必ず天はまほらせ給うなり』(別名「八風抄」、御書1151ページ)

◇全てを"追い風"に変え
【通解】賢人とは八風といって八つの風に侵されない人をいうのである。八つの風とは、利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽である。おおよその意味は、利益があっても喜ばず、衰えても嘆かないなどのことである。この八風に侵されない人を、必ず諸天は守護されるのである。

"決して世間の毀誉褒貶や、目先の利害損得に振り回されてはいけない"
日蓮大聖人は四条金吾に、諭すように教えられました。
金吾は主君の江間氏を折伏したことから疎まれ、領地替えの命令を下されます。同僚からは「金吾は主君を軽んじている」などと讒言され、窮地に陥りました。金吾は、身の潔白を証明するため、主君に対して訴訟をしようとまで、思いつめるようになりました。本抄は、これらの報告を聞かれた大聖人の御返事になります。
「八風」とは、人々の心を動かし、仏道修行を妨げる8種類の働きのことです。この「八風」には、一般的に人々が望み求める「四順」と、いやがり避ける「四違」があります。人から褒めたたえられることで、慢心を起こして信心に励むことを怠れば、魔に付け入られてしまいます。また、軽蔑や悪口を受けることで前進をやめてしまえば、成仏への道を閉ざしてしまいます。風が吹けばなびくように、自身を取り巻く環境に流されるのではなく、何があっても広布に歩む人を、必ず諸天が守るとの仰せです。
その後、大聖人のご指南通り、状況や感情に左右されることなく「賢人」の振る舞いを重ねた金吾は、信頼を回復し、以前の3倍の領地を賜りました。
信心の実践を貫けば、全てのことを、人間革命への"追い風"に変えていくことができるのです。