2021年9月30日木曜日

2021.09.30 わが友に贈る

祈りが一切の根本だ。
「朝朝・仏と共に起き
夕夕仏と共に臥し」
胸中に大生命力を涌現し
日々 勝利のリズムで!

道妙禅門御書 P1242
『祈祷に於ては顕祈顕応・顕祈冥応・冥祈冥応・冥祈顕応の祈祷有りと雖も只肝要は此の経の信心を致し給い候はば現当の所願満足有る可く候』

【通解】
祈りには、顕祈顕応・顕祈冥応・冥祈冥応・冥祈顕応の4種があるが、ただ肝心なことは、この法華経の信心をされるのなら、現在および未来の所願が満足されるという事である。

名字の言 世界をつなぐ翻訳の力 2021年9月30日
きょう9月30日は「世界翻訳の日」である。聖書をラテン語に訳し、キリスト教史に多大な影響を与えた聖職者ヒエロニムスの命日にちなんで認定された▼元中村学園大学教授で翻訳家の飼牛万里さんが西日本新聞(21日付)につづっている。「(翻訳の)使命は、言語と言語、文化と文化に橋を架けて行くことである」。的確に他の言語に変えゆくための作業は真剣勝負。一文字一文字に心血を注ぎ、身を削る思いで臨むのだという▼私たちが今、言葉の垣根を越えて、古今東西の文学作品や外国映画に親しんだり、多彩な文化を堪能したりできるのは、翻訳の力と言ってもいいだろう▼池田先生がつづった小説『新・人間革命』は海外13言語に翻訳・出版されている。マレーシア創価学会では、学会創立100周年となる2030年を目指し、今年から小説の朝の朗読運動をスタート。ニュージーランドSGIでは、小単位での研さんに取り組み、一人一人が創価の精神を心に刻む▼『新・人間革命』は、"信心の教科書"として世界中で学び深められている。師が魂魄をとどめた一書を、海外の同志が学ぶことができるのも、翻訳に全精魂を傾ける友がいるからだ。陰の労苦を誇りとする友への感謝は尽きない。

寸鉄 2021年9月30日
学会は青年が主体。どんな時も強くいけ—恩師。従藍而青の誇りで猛然と
広島・岡山・山口・鳥取・島根に開拓の炎は赤々!民衆の底力で激戦突破を
宮城・岩手・青森・秋田・山形・福島が師子奮迅。先手必勝で勇敢に前へ!
交通事故死0目指す日。慣れた道でも油断禁物。互いに声掛け未然に防止
社会の分断防ぐ公明の政策が安心感生む—作家。誰も取り残さぬ政治頼む

〈社説〉 2021・9・30 東京富士美術館で「エジプト展」
◇悠久の歴史に思い馳せる
かつて池田大作先生は、エジプト・ギザの三大ピラミッドを間近にしながら、現地の専門家と語り合ったことがある(1992年)。
5000年の時の重みに耐えて立つピラミッド——それは、人間の短い生に対し、死後の「永遠の生命」を保証してくれる「永遠の家」である、と。この話を通し、池田先生は後に「永遠感覚」ともいうべきものがエジプト文明を貫いているとつづった。
ピラミッドはその一つの象徴であり、背後には、古代エジプトの人々の、永遠性を志向してやまなかった精神の宇宙が豊かに広がっているといえようか。
今、東京富士美術館(八王子市)で開催中の海外文化交流特別展「古代エジプト展 天地創造の神話」は、まさにこの"心の世界"を伝えるものだ。"世界を語る美術館"をうたう東京富士美術館が、アフリカの国の文化を紹介する初の「交流展」でもある〈12月5日(日)まで。月曜休館〉。
展示品は、ドイツのベルリン国立博物館群エジプト博物館が所蔵する10万点以上の考古品・古代文書から約130点を厳選。このうち100点以上が日本初公開である。同博物館群は、大英博物館やルーブル美術館と並ぶ、欧州最大級の規模と質の高さを誇る総合博物館として知られる。
本展では、ファラオ(王)よりも神々が主役かもしれない。獅子や鳥をかたどった神像が並び、人の力を超えた存在を「神」として仰いだことがうかがわれる。王が神々に捧げ物をする場面を描いた遺物も。万物の奥には「マアト」(宇宙の秩序)があり、王はこれを守るよう求められていたという。
展示には、創造神話や人々の信仰の姿を伝える遺物、古代の宗教改革の息吹を伝えるアマルナ時代の彫像などもある。長大な「死者の書」や、装飾を施したミイラマスクなども興味深い。
死後の生命の復活は、エジプト神話の主題の一つである。多くのピラミッドの背面は、日が沈む「来世」の方向、西を向く。ミイラ製作も復活の際に必要な肉体を残すための風習だった。棺などにびっしりと書かれた象形文字「ヒエログリフ」は、死後の世界の幸福への願いが込められている。
「永遠の生命」を希求した古代エジプトの人々。本展は、彼らの死生観を知り、悠久の歴史に思いを馳せる好機となろう。

☆君も立て——若き日の挑戦に学ぶ 第9回 「山口開拓指導〈上〉」
◇"草の根"を貫いたところが勝つ
【拡大の原動力】
一、勝利への揺るぎなき一念
一、祈りを合わせる
一、電光石火のスピード
(「随筆 我らの勝利の大道」〈未来を開く青年大会�〉から)

◇「晋作の如く戦うか」
「大阪の戦い」を勝ち抜いた翌月の1956年(昭和31年)8月、全国の新支部結成大会が開催された。
この月、学会の支部数は、それまでの16支部から倍増。池田大作先生が陣頭指揮を執った「札幌・夏の陣」や「大阪の戦い」を経て、第2代会長・戸田城聖先生の生涯の願業である75万世帯の達成へ、大きな飛躍を遂げたのである。
9月5日、戸田先生と池田先生は、学会本部の会長室で、日本地図を広げながら、広布の展望を語り合った。地図には各県ごとの会員世帯数が書かれていた。地域によって大きなバラツキがあった。東京は10万、関西は6万を超えていたのに対して、山口県は430世帯。戸田先生は中国広布の未来を案じた。そして、愛弟子にこう言明した。
「ひとつ山口県で、指導・折伏の旋風を起こしてみないか」
池田先生は、間髪を入れず答えた。
「はい、やらせていただきます」
この年は、明治維新の先覚者・吉田松陰が松下村塾で講義を始めた年から、ちょうど100周年に当たっていた。池田先生は、日記に認めている。「来月より、山口県、全面折伏の指示あり。小生、総司令……。義経の如く、晋作の如く戦うか。歴史に残る法戦」(『若き日の日記』、1956年9月5日)
「晋作」とは、松陰の弟子・高杉晋作。戸田先生が「会ってみたい」と語っていた風雲児である。
池田先生は、山口に縁故のある同志を派遣メンバーとして募り、拡大の計画を綿密に練った。「山陽方面の派遣闘争日程を決める」「歴史的、先駆の闘争だ。誇り高き、前進を」(同、同年10月1日)
滞在費を工面するのも大変な中、全国26支部から派遣された同志は、山口広布の「開拓」の使命に燃えて活動を展開していった。

【「若き日の日記」1956年(昭和31年)12月23日から】
平坦な道を悠々と歩むより、嶮しき山を登ろう。革命児は。

◇魂を揺さぶる励まし
先生の山口入りは、1956年(昭和31年)10月から翌年1月までの間に3度。それぞれの訪問に、明確な意義を定めた。1回目——現地の同志と心を合わせ、闘争の火ぶたを切る。2回目——組織の勢いをつける。3回目——拡大をし抜いて勝利を決める、である。
池田先生の1回目の山口入りは、10月9日から18日の10日間だった。9日の早朝、先生は山口・下関駅に降り立った。
下関の拠点に到着すると、居並ぶ地元の同志や、派遣メンバーと祈りを合わせ、御書の「四信五品抄」を拝読した。山口開拓指導でも、「大阪の戦い」と同様、「祈り」と「御書」を根幹とした勝利のリズムを徹底したのである。
さらに、勝利の方程式として先生が示したのは、"中心者に呼吸を合わせる"ということだった。
防府では、なかなか対話が実らない状況が続いた。先生は下関で指揮を執っていたが、派遣メンバーは防府にとどまって対話を続けた。"下関に移動する時間を、対話に使った方が効率が良い"と考えていた。
先生は防府を訪れた折、派遣メンバーを諭した。
「君たちは、なぜ下関に来ないんだい。私は折伏の師匠である戸田先生の名代として指揮を執っている。その中心に呼吸が合わなければ、折伏はできないよ」
物事を効率良く進めることは大切だ。だが、それだけで広宣流布が進むわけではない。「中心者に呼吸を合わせる」とは、自らの境涯を広げることである。先生は、派遣メンバーの団結できない"一念の壁"を破ろうとしたのである。
山口に滞在中、先生は県下7都市を転戦しながら、一人一人に徹底して励ましを送り続けた。その激励は、"幸福にせずにはおくものか"との、真心と執念に満ちていた。
10月18日、岩国で弘教に励んでいた仙台支部の一人の派遣メンバーは、先生を乗せた列車が岩国駅を通ることを聞いた。この日は、先生が1回目の山口入りを終え、宇部から関西へと向かうタイミングだった。
列車が岩国駅で停車すると、先生はホームに降りた。派遣メンバーが、目標である5世帯の弘教が実った喜びを報告すると、先生は「ご苦労さま。本当にご苦労さま」と優しく包み込むように励ましを送った。列車に戻った先生は、岩国駅に集った友たちの姿が見えなくなるまで手を振った。一瞬でも、一言しか声を掛けられなくとも、先生は友との出会いを大切にし、真心の絆を結んでいった。
先生は強調する。
「日の当たらないところまで光を当てて、あらゆる人を味方にしながら、新しい道を切り開く。そうやって勝利してきたのが、学会の歴史である」
先生が、再び山口に入ったのは11月15日。2回目の山口滞在は、21日までの7日間。貴重な時間を無駄にできない。電光石火で動き、激励に次ぐ激励を重ねていった。

◇弟子よ偉大であれ
会える人だけでなく、会えない人にも励ましを——先生は山口開拓指導で、ペンを走らせ、筆を躍らせた。
徳山市(現・周南市)の拠点に、広島からの派遣メンバーがやって来た。婦人たちは、わずかな縁をたどり必死に対話を繰り広げていた。先生は、さまざまな状況を聞くと、留守を守る夫に、はがきを書いた。
「留守、何かと不自由と存じますが、よろしく頼みます。使命を果し早急に帰宅する様 申し居きました」
別の友には、こう記した。
「お葉書で失礼致します。奥様 元気で徳山にて頑張って居られます……山口の廣布の夜明です」
先生は、目の前にいない同志にも心を配り、感謝を述べた。
「山陽広布の黎明の聖鐘を打とう」——19日には、墨痕鮮やかに認めた。
この揮毫を受け取ったのは、高森(現・岩国市)の地で結核と闘いながら対話に奮闘する女性だった。「高森の人へ」との伝言が添えられていた。
20日、先生は萩市に足を延ばした。渾身の激励の合間を縫って、萩城址や松下村塾を訪れた。
明治維新の歴史に触れながら、先生は同志に語っている。
「吉田松陰だけが偉大であったのではない。弟子もまた、偉かったから、吉田松陰の名が世に出たんです。戸田先生が、どんなに偉大でも、弟子のわれわれがしっかりしなければ、なんにもならない」
翌年1月、先生は3回目の山口入りを果たす。先生自らが、弟子の模範を示し、山口県下の世帯数は、4カ月前から約10倍の4073世帯へと大拡大を遂げたのである。
吉田松陰は、「草莽崛起(民衆の決起)」を訴えた。山口開拓指導は、自他共の幸福のために、庶民が立ち上がった歴史である。
「草莽崛起」の思想を通し、先生は中国方面の同志に強調した。
「民衆とともに進んだところが勝つ。『草の根』の闘争を貫いたところが勝つ」
「『草の根の戦い』は、現実に根を張っているゆえに地味である。たいへんである。つらいことや、ときには、つまらなく思うこともあるかもしれない。
しかし、『草の根』の戦いがいちばん強く、いちばん尊いのである。これをやりぬいているから、学会は強い。学会は負けない」

2021年9月29日水曜日

2021.09.29 わが友に贈る

朝晩が冷え込む時季。
一枚多く羽織るなど
賢明に工夫を!
疲れをためないよう
体調管理を万全に!

開目抄下 P236
『仏法を壊乱するは仏法中の怨なり慈無くして詐り親しむは是れ彼が怨なり能く糾治せんは是れ護法の声聞真の我が弟子なり彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が親なり能く呵責する者は是れ我が弟子駈遣せざらん者は仏法中の怨なり』

【通解】
仏法を破壊し乱す者は仏法の中の怨である。慈悲を失い、いたずらに偽り謗法の人々に親しむ者は、これ彼が為には怨となる。此等の人々を糾弾し治罰する者は、これ護法の声聞、真の我が弟子である。彼が為に謗法の悪知識を捨てさせる者は彼が親である。よく責め立てる者は、これは我が弟子である。謗法を追い出さない者は、仏法の中の怨である。

名字の言 夢はかなうのか?——ユーチューバー"トクサン"の答え 2021年9月29日
「夢は必ずかないますか」。子どもにそう聞かれたらどう答えるか。野球系ユーチューバー"トクサン"こと徳田正憲さんはイエスかノーで返さない▼幼い頃から創価大学時代までプロ野球選手を目指した。教員を志したこともある。どちらにもなれなかったが今、登録者数64万人を超えるユーチューブ番組でプロ野球選手と共演し、子どもに野球の素晴らしさを伝えている。「夢を持ち続けていれば、カタチを変えてかなっていきます」と断言した(「未来ジャーナル」9月号)▼人生を旅に例えるなら、夢は一つの道しるべに違いない。目標があるから「努力の道」を歩み続けることもできる。米国の公民権運動の指導者キング博士は「今日も、そして明日もわれわれが困難に直面するとしても、私にはなお夢がある」(梶原寿監訳)と言った。夢をかなえること以上に「夢を持つこと」に意味がある▼戸田先生は「青年は夢が大きすぎるくらいでいい」と語っていたという。人間は自分の夢以上にはなれない。夢に生き続ける人こそ永遠の青年だろう▼御書に「願くは我が弟子等・大願ををこせ」(1561ページ)と。人類の幸福と平和を目指す広宣流布ほど、壮大な夢はない。ここに限りない向上の道がある。

寸鉄 2021年9月29日
我らは随自意で戦うのだ—牧口先生。確信の言葉は通ず。対話の道、堂々と
福岡、佐賀、長崎、熊本、大分、宮崎、鹿児島が凱歌へ熱闘!拡大の先駆を今
沖縄健児の使命は平和の楽土建設。気迫の言論戦で新たな勝利の突破口を
「日中国交正常化の日」。青年よ先達の魂胸に民衆交流の"金の橋"を万代へ
笑顔忘れぬ人は見た目も心も若い—研究。生命力満々と今日も楽観主義で

☆御書の旭光を 第54回 功徳満開の人生を共々に
【御文】
『我が身は藤のごとくなれども法華経の松にかかりて妙覚の山にものぼりなん、一乗の羽をたのみて寂光の空をもかけりぬべし』(盂蘭盆御書、1430ページ)

【通解】
わが身は藤のようであるが、法華経という松の木に懸かれば妙覚の山にも登るであろう。一乗(妙法)の羽をたのんで寂光の空をもかけるであろう。

【池田先生が贈る指針】
人は生老病死の坂を幾つも越えねばならない。妙法と共に、御本仏と共に生命の旅を歩めることが、いかに素晴らしいか。どんな労苦も転じ、常楽我浄の境涯を必ず開ける。絶対の安心と希望の軌道である。
不退の信心で、家族も眷属も友人も、妙覚の山へ、寂光の空へ導いていけるのだ。功徳満開の人生を共々に!

☆ロータスラウンジ——法華経への旅 第29回 如来神力品第二十一
◇広宣流布を目指して進む我が同志こそ現代における「仏」です
法華経について、皆で学び、深めよう——「ロータスラウンジ——法華経への旅」の第29回は、「如来神力品第二十一」です。

■大要
地涌の菩薩が、仏の滅後に広く法華経を説くことを誓います。その時、仏が十神力(10種の不思議な力)を示して法華経の功徳をたたえ、上行菩薩をリーダーとする地涌の菩薩たちに未来の弘通を託します。それでは内容を追ってみましょう。

●シーン1
その時、千世界を微塵にした数の"地から湧き出てきた菩薩"(地涌の菩薩)が心一つに合掌し、釈尊の顔を仰ぎ見て、語ります。
「釈尊よ。私たちは、仏が入滅された後、分身の諸仏がおられた国土で、仏が入滅された所で、広く法華経を説きます。
それは、私たちもまた、受持・読・誦・解説・書写の『五種の妙行』を実践したいからです」
このように「地涌の菩薩」が、仏の滅後の弘通を誓います。

●シーン2
その時、釈尊は、文殊菩薩など無量百千万億の昔から娑婆世界に住んでいる菩薩、男女の出家者や在家の者、諸天や鬼神、人間や人間でないものなど、全ての生きとし生けるものの前で、十神力を現します。
�仏が広く長い舌を出すと、天まで届く。
�釈尊の全身の毛穴から、あらゆる色の光が放たれ、十方世界を照らす。諸仏も同じように、広く長い舌を出し、無量の光を放つ。
釈尊と諸仏が舌を収めると、今度は、�一斉に咳払いし、�一斉に指を弾いて鳴らす。
声と指の音が全宇宙に響き渡ることで、�十方の諸仏の世界の大地が六種に震動する。
�そこにいる生きとし生けるものが、娑婆世界の諸仏の姿を見ることができる。釈尊と多宝仏が宝塔の中の師子座におられるのも見ることができる。釈尊を、無量の菩薩や出家・在家の男女が取り囲んでいるのも見ることができる。そして、皆、いまだかつて味わったことのない大歓喜を得る。
�空中から、諸天の大きな声が響きわたり、「娑婆世界というところに、釈迦牟尼仏という仏がおられて、今、菩薩のために妙法蓮華経を説いておられる。あなたたちは、深く随喜して、釈迦牟尼仏を礼拝し供養しなさい」と語る。
その呼び掛けに応じて、�もろもろの衆生が合掌して、釈迦牟尼仏に帰命する。
�十方世界から種々の華や香や、ありとあらゆる宝物が娑婆世界に届けられ、雲のごとく集まって、一つの大きな宝の帳となり、それが十方の諸仏を覆う。
�十方の世界の隔てがなくなり、一つの仏土になる。

●シーン3
その時、釈尊は上行菩薩などに告げます。
「諸仏の神力は、このように無量無辺であり、不可思議である。
しかし、付嘱(教えを弘めるように託す)のために、この神力をもって、無量無辺百千万億阿僧祇劫の間、この経の功徳を説いたとしても、説き尽くせないのだ」
そして、次のように話します。
「肝要をまとめて語るならば、『如来の一切の所有の法』『如来の一切の自在の神力』『如来の一切の秘要の蔵』『如来の一切の甚深の事』が、全てこの法華経に宣べ、示され、明らかに説かれているのだ」
このように、釈尊が上行菩薩たちに、法華経の肝要を「四句の要法」にまとめて付嘱します。これを「結要付嘱」といいます。
続けて語ります。
「あなたたちは、仏の入滅後に、一心に法華経を受持し、読誦し、解説し、書写して修行すべきである」
「五種の妙行に励むならば、その場所がどこであろうと道場であり、多くの仏が完全な覚りを得て、説法をし、入滅された場所である」
法華経を修行する所は、どこであれ、道場であることが示されます。

●偈文
続いて偈文(詩の形式)で、これまでと同じ内容が述べられます。
ただ、十神力によって法の功徳の偉大さをたたえていた箇所は、次のように法を受持する人の功徳の偉大さの表現になっています。
「是の経を嘱累せんが故に 受持の者を讃美すること 無量劫の中に於いてすとも 猶故尽くすこと能わじ」(妙法蓮華経並開結574ページ)
御書に「法自ら弘まらず人・法を弘むる故に人法ともに尊し」(856ページ)とある通り、法を弘めるのは、どこまでいっても「人」です。法華経の願いである万人成仏は、弘通の人がいてこそ可能になるのです。
ゆえに「如来神力品」では、上行菩薩をリーダーとする地涌の菩薩に滅後の弘通が託されるのです。

■結要付嘱
「如来神力品」に関する「御義口伝」には「此の妙法蓮華経は釈尊の妙法には非ざるなり既に此の品の時上行菩薩に付属し給う故なり」(御書770ページ)と記されています。
つまり付嘱された法華経の肝要である「四句の要法」とは、法華経の文の底に秘し沈められた、成仏の根源の法である南無妙法蓮華経のことです。
さらに結要付嘱には、滅後末法に向けた重大な意味があります。それは、末法に、地涌の菩薩の上首である上行菩薩が出現して南無妙法蓮華経を弘通することを予言している内容だからです。
結要付嘱は、末法の弘通へ、釈尊から地涌の菩薩、なかんずくそのリーダーである上行菩薩へと、教主が交代することを示す儀式といえるのです。

【『法華経の智慧』から】 「人間」以外に「仏」はない
仏という「一人」から「全民衆」への正法広宣流布を担うのは、いかなる国土であってもつねに「地涌の菩薩」なのです。それはなぜか。
「地涌の菩薩」とは、内証の境涯が「仏」と同じでありながら、しかも、どこまでも「菩薩」として行動していくからです。いわば「菩薩仏」です。境涯が「仏」と師弟不二でなければ、正法を正しく弘めることはできない。

ありのままの凡夫が瞬間瞬間、久遠元初の生命を身にわき立たせていくのが、唯一、実在の「仏」なのです。
「人間」以外に「仏」はないのです。「人間以上」の「仏」は、にせものなのです。方便なのです。だから、人間らしく、どこまでも人間として「無上の道」を生きていくのが正しい。その人が「仏」です。それを教えているのが、法華経であり、神力品の「上行菩薩への付属」には、そういう「人間主義の仏法」への転換の意義が含まれているのです。
「日蓮と同意ならば」(御書1360ページ)と大聖人が仰せのように、広宣流布をめざして進む我が同志こそ、現代における「仏」です。
(普及版〈下〉「如来神力品」)

【コラム】 民衆の中へ
「如来神力品」の偈文(詩の形式)の中に、地涌の菩薩が民衆の中に入って、人々を救済する姿が、次のように描かれています。
「日月の光明の 能く諸の幽冥を除くが如く 斯の人は世間に行じて 能く衆生の闇を滅し 無量の菩薩をして 畢竟して一乗に住せしめん」(妙法蓮華経並開結575ページ)
太陽が昇れば、闇が消えるように、悪世末法にあって、地涌の菩薩が出現すれば、民衆に希望と勇気の光を送ることができるのです。それは人格、振る舞いが、月や太陽のような輝きを放っていくといえます。
さらに、「世間に行じて」とあるように、地涌の菩薩は、世間から離れるのではなく、どこまでも現実社会の中で、人々を救済していくことを教えているのです。
大変なところ、苦しんでいるところへ足を運び、民衆の幸福のために戦う——そこに地涌の使命があるのです。

2021年9月28日火曜日

2021.09.28 わが友に贈る

勝負を決するのは
電光石火のスピードだ。
迷いや躊躇する心を
勇敢に打ち破り
決意みなぎる力走を!

日女御前御返事 P1244
『曼陀羅と云うは天竺の名なり此には輪円具足とも功徳聚とも名くるなり、此の御本尊も只信心の二字にをさまれり以信得入とは是なり』

【通解】
曼陀羅というはインドの言葉であり、訳すれば輪円具足とも、功徳聚ともいうのである。この御本尊も、ただ信心の二字に収まっている。以信得入(信を以って入ることを得たり)とあるのは、このことである。

名字の言 地域のために用水路を造った咽声忠左衛門 2021年9月28日
広島の安芸高田市八千代町は江戸時代、たびたび水不足に陥ったという。農民の咽声忠左衛門は村の仲間と用水路を造り始めた。しかし、一人また一人と諦め、脱落していく▼忠左衛門は一人で作業を続けた。周囲は「農民を惑わす者」との理由で、忠左衛門の首と手と足に枷をつけた。それでも工事を続ける彼に、協力者が現れた。やがて、用水路は完成。農民たちは自分たちの行為を恥じ、彼の功績をたたえる石碑を建てた▼安芸高田市で、仏法を語り抜いてきた女性部員がいる。23歳で結婚し、島根から越してきた。当時、地域に学会員は彼女一人。近隣の人は素っ気ない態度をとった。だが、彼女は真心の対話を重ね、新入会者が誕生した▼女性部員は入会62年。多くの苦難を乗り越えてきた。3年前の西日本豪雨や今夏の豪雨災害では、自宅が浸水被害に遭いながら、同志や友人に電話で励ましを。他者への献身が、地域に信頼の輪を大きく広げてきた▼御書に「須弥山の始を尋ぬれば一塵なり・大海の初は一露なり・一を重ぬれば二となり・二を重ぬれば三・乃至十・百・千・万・億・阿僧祇の母は唯・一なるべし」(1237ページ)と。偉大な歴史も、一人から始まる。それは古今東西、不変の法則である。

寸鉄 2021年9月28日
「例には他を引くべからず」御書。幹部自ら拡大の喜びを語れば勇気が伝播
総東京が民衆凱歌へ勢い加速!破邪顕正の剣持ち再びの大逆転の劇を必ず
北の大地に模範の人材城 北海道は一つの大闘争で連続勝利の金字塔を断固
生きるとは目標に向かって歩むこと—哲人。広布の誓願に進む日々は偉大
3回目のワクチン無料等公明が重点政策次々と。命守る政治へ死力尽くせ

☆池田先生と共に 希望・勝利の師弟旅 「永遠の青春」を舞いゆけ 2021年9月18日
1978年(昭和53年)の11月、学会伝統の個人指導と仏法対話に率先する方々に、私は歌を贈った。
指導部の歌「永遠の青春」である。

ああはるかなる
      あの地にも
我はとびゆき 抱きたり
わたしは歩みて
      共に泣く
この世の思い出 幾度か
ああ法戦に 我勝てり

10年後の11月、この使命を受け継ぎ、先駆の誉れ・九州で「多宝会」が誕生し、その波動は全国各方面に広がり、東京では「宝寿会」、関西では「錦宝会」が結成された。
尊貴なる創価の長者のスクラムは、今や世界中で、金秋の生命の光彩を放っている。
日蓮大聖人は、流難の佐渡で、なぜ守られたか——中興の次郎入道という「年ふりたる上心かしこく身もたのしくて国の人にも人と・をもはれたりし人」が、厳然と正義の声をあげてくれたお陰であると記されている。〈御書1333ページ〉
仏勅の学会も、そうした力ある円熟の境涯の方々が地域に社会に絶大なる信頼を勝ち得ているからこそ、広宣流布と立正安国の伸展があることを忘れまい。
「敬老の日」(9月20日)を前に、共戦の尊き宝友のますますの健康福徳と無事安穏を心より祈ります。
◇ ◆ ◇
齢90に至る富木家の悲母を讃えられた御文は、そのまま学会の功労者への仰せと拝される。
「全宇宙の諸天が信心の志を知られるでしょう。その功徳は、露を大海に入れ、土を大地に加えるようなものです。生生に失われず、世世に朽ちないでしょう」(御書968ページ、趣意)と。
コロナ禍で思うように動けなくとも、電話や、時にオンラインにも挑み、慈愛の励ましと大情熱の仏縁を広げゆく多宝の振る舞いほど、胸打たれるものはない。
当然、年齢とともに、体の不調や予期せぬ困難なども避けられないであろう。
しかし大聖人は、「法華経の行者は久遠長寿の如来なり」(同1136ページ)とご断言くださっている。
何があろうと、わが学会家族が三世永遠の生命の凱歌に包まれることは、絶対に間違いないのだ。
◇ ◆ ◇
嬉しいことに、地涌の父母たちの負けじ魂を従藍而青の男女青年部が継承し奮闘している。
若き日の読書ノートに、私はドイツの詩人ヘルダーリンの言葉を書き留めた。
「いつも力一杯に活動していて、楽しみと仕事とに自己を打込んでいる事が、永遠の青春だよ」
我ら創価の師弟は、老いも若きも元初の誓願のまま妙法と共に、民衆のために「永遠の青春」を力いっぱい舞いゆこうではないか!

☆桂冠詩人40周年 勇気の舞 凱歌の行進 第7回 四国
本年は、「桂冠詩人」の称号が池田先生に贈られてから40周年。連載企画「勇気の舞 凱歌の行進」では、先生がつづった長編詩を紹介します。第7回は、四国の同志に詠んだ「不滅の大城 永遠勝利の四国」(2001年)です。

◇「志国」は不滅の大城!
おお四国!
おお志国!
我々にとって
誉れ高き
不可分の栄光は
永遠に
堅固な大城が
四国にあることだ。
いや
四国自体が
不滅の大城なのである。

◆◇◆

厳然たる勝利の鐘が
あらゆる嘆きを
打ち破って響く。
その生命の胸中を
流れゆく血潮にまで
満々たる決意が躍動する。

我らの四国は
永遠に勝利の四国!
不敗不滅の四国!

私たちは嘆きの歌を
永遠に歌わない!
声高く歌うのは
馬上も豊かに
地獄を抑え
観念の天国の存在を抑える
真実の哲理の歌だ。

それは
永遠に大宇宙とともに
厳然として実在する
仏界という
宇宙究極の法則と
人間の真髄とが
合致した世界である。
 
その歌は
天国のように
遠くにあるものではない。
きらびやかな
王宮にあるものではない。
変哲もない
一日一日の我が身に
脈々として湧き上がる曲だ。

◆◇◆

耐え難い苦難の山々があっても
風の前の塵などに
埋もれることなく
正々堂々と
新しき生命の因果の
壮大なる善意の累積を
無量無辺の遺産として
最後の落日を眺めるまで
輝き残すのだ。

君よ!
親しき友らに
そして
縁深き 我が一族に
勝ち誇った宝冠を
残し給え!
三世に光り輝く
ピラミッドのごとく
黄金の金字塔をば
幾千万年の後まで
君よ 残しゆけ!
偉大なる四国の君よ
残し給え!

2021年9月27日月曜日

2021.09.27 わが友に贈る

◇今週のことば
「言と云うは心の思いを
響かして声を顕す」
友を思う深き祈りと
社会に尽くす強き志で
仏事を為す声の響きを!
2021年9月27日

法華取要抄 P335
『此の一閻浮提は縦広七千由善那八万の国之れ有り正像二千年の間未だ広宣流布せざるに法華経当世に当つて流布せしめずんば釈尊は大妄語の仏多宝仏の証明は泡沫に同じく十方分身の仏の助舌も芭蕉の如くならん』

【通解】
この一閻浮提(全世界)は、タテもヨコも七千由旬(一由旬は古代インドで帝王が一日に行軍する距離)に広がり、そのなかに八万の国がある。この国々に、正像二千年間、法華経はいまだ広まらなかった。今、末法においても広宣流布できなければ、釈尊は大ウソつきの仏となり、多宝仏の証明も水の泡となり、十方分身の仏の長舌による助証も芭蕉の葉のように、はかなく破れてしまおう。

名字の言 失敗から生まれた売れ筋商品——壮年の体験から 2021年9月27日
沖縄で洋菓子店を営む壮年を取材した時のこと。売れ筋商品について聞くと、「実はこれ、失敗から生まれたんです」と教えてくれた▼ふっくらさせたいと思っていたケーキが、手順を間違えてぺしゃんこに。この"失敗作"自体は味が濃厚でおいしかった。壮年は"これを商品化できないか"と考え、改良して販売した。「こんなにおいしいケーキは初めて食べた」と反響を呼び、店の看板商品となった▼生涯で数多くの特許を取得したエジソン。母ナンシーは彼に、"失敗は最高のレッスン"と教えたという。エジソンは失敗を指摘されても、「うまくいかないということを確認した成功例なのだ」と、"前進の証し"と捉えた。そこから新たな可能性を見いだし、世紀の発明を次々と生み出した(『こども座右の銘』メトロポリタンプレス)▼失敗は敗北を決定づけるものでも、不幸を意味するものでもない。確かに失敗が重なれば落胆は大きい。大切なことは、挑戦の火を自身の胸中から決して絶やさないこと。前へ進む限り、失敗は自己を飛躍させる糧となる▼自身の理想や目標へ、どれほど魂を燃焼させることができたか。そこに、真の人生の充実がある。広布という大理想を胸に日々前進したい。

寸鉄 2021年9月27日
一人の人に会えばよい—恩師。ここに立正安国の道も。絆結ぶ交流、今日も
徳島・香川・愛媛・高知よ勇敢に語れ!正義の四国から新しき勝利の暁鐘を
大関東が燃える敢闘精神で拡大!埼玉・茨城・栃木・群馬の団結固く凱歌へ
座りっぱなしは血流悪化の因。30分に1回立つ等、賢く工夫。健康守るため
秋の全国交通安全運動。薄暮時の事故多し。交通ルール守って点灯早めに

〈社説〉 2021・9・27 "情報の格差"なき世界を築く
◇ネットの時代を共生の時代へ
あるじの使いで都にやって来た太郎冠者。「すえひろがり」を買ってくるように言われたが、それが何か、どこで買える物か、確かめもせず、分からぬまま。声を掛けてきた"すっぱ(詐欺師)"の言葉に、古傘を「すえひろがり」と信じ込み……。
狂言の「末広がり」は、こんなあらすじで展開する。「すえひろがり」は扇のこと。知っているのに言わないあるじ。知ろうとしない太郎冠者。2人の"情報格差"が事の起こりともいえる。
国連の専門機関である国際電気通信連合(ITU)は、2019年末の時点で世界人口の51%、40億人がインターネットを利用していると推定している。新型感染症の世界的大流行で社会の仕組みが変化した20年以降、利用者はさらに増加していることだろう。
この数字は同時に、世界のほぼ半数の人がインターネットを利用する手段や機会を持てない状態にあることも意味する。増える利用者、取り残される人々。情報格差が広がる一方にしてはいけない。災害に直面して、あるいは昨年からのコロナ禍で私たちが学んだように、情報が命に直結することもある。その意味でも、正確で信頼できる情報が迅速に得られる環境の整備は急務だろう。
国連教育科学文化機関(ユネスコ)は、毎年9月28日を「情報へのユニバーサル・アクセスのための国際デー」と定めている。国籍や年齢、性別、障害などあらゆる要因にかかわらず、誰もが同じようにインターネットが利用でき、情報を得ることができる。この状態がユニバーサル・アクセスだ。
"情報の格差なき世界"を築く担い手に——この呼び掛けに市民としてどう応えるか。例えば、オンラインで開かれる学会の座談会や協議会に、同志に声を掛け、共に集い合う。こうした草の根の行動からユニバーサル・アクセスへの関心も広がるのではないか。
インターネットを使った技術は教育・医療など、さまざまな分野に革新をもたらす基軸として大きな期待が寄せられている。どのような未来を開き、世界を創るか。技術を「善用」するのも「悪用」するのも人間にほかならない。だからこそ、「他人の不幸の上に自分の幸福を築くことはしない」という哲学を、自ら貫きつつ、広げたい。世界の人々を結び、共生の時代を築くために。

☆御書の旭光を 第53回 慈悲の心を時代精神に
〈御文〉
『仏心とは大慈悲心是なりと説かれたれば礼拝の住処は慈悲なり』(御義口伝、769ページ)

〈通解〉
仏心とは大慈悲心を指すと説かれているのであるから、(不軽菩薩の)礼拝の住所は慈悲なのである。

〈池田先生が贈る指針〉
仏法の慈悲の大地に依って立ち、人を敬う行動を貫いたのが不軽菩薩である。医療・看護・介護等の最前線で献身する創価の友の心だ。抜苦与楽の振る舞いに、皆が感謝と敬愛を捧げる。
わがドクター部の結成50周年。負けじ魂で戦う「妙法の善医」を先頭に、慈悲の心を"健康の世紀""生命の世紀"の時代精神に!

☆世界を照らす太陽の仏法」に学ぶ 第13回 発迹顕本
◇開目抄
『日蓮といゐし者は去年九月十二日子丑の時に頸はねられぬ、此れは魂魄・佐土の国にいたりて返年の二月・雪中にしるして有縁の弟子へをくればをそろしくて・をそろしからず・みん人いかに・をぢぬらむ、此れは釈迦・多宝・十方の諸仏の未来日本国・当世をうつし給う明鏡なりかたみともみるべし』(御書223ページ16行目〜18行目)

◇池田先生の講義から
門下が師子王の心を取り出して、どこまでも不退の信心を貫いた時に、本来自身が持っていた仏と同じ智慧と勇気と慈悲の大境涯を現していけるということです。それゆえに、凡夫成仏の鍵は、大聖人が示された如説修行の実践にあります。
◆◇◆
発迹顕本といっても、凡夫の身を離れて、何か特別な姿になるということではありません。どこまでも現実社会の中にあって、菩薩としての行動を貫くということです。
◆◇◆
発迹顕本を私たちの実践の上でとらえれば、永遠なる仏の願いの継承者としての自覚に立ち、不屈の挑戦を開始することといえましょう。一個の人間が、仏と同じ誓願の大道を力強く歩み出す。この不惜の民衆の連帯が、立正安国の大闘争を起こし、仏国土を建設し、平和な楽土を実現していく。ここに、日蓮仏法の発迹顕本の深義があると拝せるのではないでしょうか。
◆◇◆
地球全体が困難に直面する中、人類の宿命転換のために、今こそ一人一人が「人間はかくも偉大なり」との挑戦に生き抜く時です。(中略)いよいよ、断固として悪世末法の闇を晴らすことを決意して、威風堂々と我らの信念の行動を貫き通そうではありませんか!
(「大白蓮華」2021年9月号から)

藤井江利子 東海道女性部長
◇"大いなる使命"の目覚め
本年は「竜の口の法難」満750年。
日蓮大聖人が魂魄を留められた地で戦う"正義の神奈川"の友、そして「魂の独立」から30周年を迎える"太陽の静岡"の同志の闘魂は今、師への報恩の一念に燃え盛っています。
池田先生は今月の「大白蓮華」で、大聖人が、絶体絶命ともいえる最大の法難の渦中で「発迹顕本」された意義を講義してくださっています。この指針を命に刻み、立正安国の闘争へと前進する糧としていきたいと思います。

◇地涌の菩薩の本領
先生は講義の中で、「今、一人一人が"大いなる自分"、すなわち地涌の菩薩の本領を発揮し、"大いなる使命"、すなわち広宣流布と立正安国の大願を掲げ、人類の境涯を高めゆく聖業に邁進しています」とつづってくださいました。
東海道の同志も、長引くコロナ禍の今、地涌の使命を自覚し、智慧と勇気で幸の輪を広げています。
私自身、女子部時代、母に脳腫瘍が見つかり、失明の危機に。10時間を超える手術を前に、池田先生から万感のご伝言が届きました。師の励ましを胸に私も祈り抜く中、母は手術を乗り越えましたが、翌年、今度は卵巣がんの宣告が。加えて脳腫瘍も再発。さらに追い打ちをかけるように父と妹が病で亡くなったのです。
激しい病魔に私自身、何度も心が折れそうになりましたが、母は決して負けませんでした。抗がん剤で髪が抜けた頭に帽子をかぶり、勇んで対話を広げ、同じ病室で亡くなった方のご家族に弘教を実らせたのです。
その姿に衝撃を受けた私は、必ず信心で勝ち越えると定め、改めて猛然と唱題に挑みました。母はその後、健康を取り戻し、闘病中に5世帯の折伏を。私自身もヤング・ミセス(当時)時代に8世帯の折伏を実らせることができました。
"地涌の使命を自覚したなら、どんな障魔の嵐にも負けない! 誰もがこの信心で幸せになれる!"——この体験を通して広布に生き抜く確信をつかみました。

◇「励まし」が転機に
また、講義では、発迹顕本といっても、何か特別な姿になることではなく、"全ての人を揺るぎない幸福へ"との仏の「毎自作是念の悲願」(御書466ページ)を胸に、「悩める人々の真っただ中で妙法の広宣流布に励み、民衆の幸福と平和で安穏な社会の構築を目指していく」ことであると示されています。そして、私たちの実践の上でとらえたとき、発迹顕本とは「永遠なる仏の願いの継承者としての自覚に立ち、不屈の挑戦を開始すること」と教えてくださっています。
仕事や子育て、介護など、現実はさまざまな悩みの連続です。ましてやコロナ禍の今、さまざまな苦難に直面していらっしゃる方も少なくありません。その苦悩の現実の中で、不屈の信心に奮い立ち、自他共の幸福に尽くしていくことこそ、地涌の菩薩の"大いなる使命"です。では、逆境に負けず、皆が使命を自覚するために必要なことは何か——。そのきっかけこそ、「励まし」ではないでしょうか。
わが家も池田先生の励ましが転機となって苦境を勝ち越えることができました。「一は万が母」(同498ページ)です。目の前の一人を励ますことは、その背後にいるご家族をはじめ、多くの方に希望を送ることに通じます。私も、一度でも語り合った方が、信心で立ち上がれるようにと祈り、その後も電話をするなど、関わりを続けています。友の声に耳を傾け、励ましの絆をさらに強めていきたいと思います。
先生は、講義の結びで「地球全体が困難に直面する中、人類の宿命転換のために、今こそ一人一人が『人間はかくも偉大なり』との挑戦に生き抜く時です」と呼び掛けてくださいました。
過去でも未来でもない、師匠の総仕上げの戦いの「今この時」に生まれ合わせ、広布に戦える私たちは、どれほど深い使命をもった一人一人でしょうか。この"大いなる自分""大いなる使命"に目覚めた地涌の連帯ほど強いものはありません。
皆が発迹顕本に挑み、社会に生命尊厳の正義の哲理を打ち立てる勇気の対話拡大で、創立100周年への初陣の本年を、勝ち飾っていきましょう!

メモ
「開目抄」は、佐渡流罪中に認められ、文永9年(1272年)2月、門下一同に与えられた書。今回の御文は、大聖人が「竜の口の法難」で発迹顕本されたことを示す箇所である。「魂魄」とは、大聖人の御生命に顕された仏の境涯であり、勇気と智慧と慈悲にあふれた自在の境地。それに続く部分では、三類の強敵は恐ろしいように見えても、法華経の行者としての透徹した信心があれば、必ず打ち破れるとの大確信が込められている。

2021年9月26日日曜日

2021.09.26 わが友に贈る

心と心の触れ合いから
安心と喜びが生まれる。
故郷の友や親戚等との
旧交も大切に温めよう。
希望の連帯を朗らかに!

上野殿御返事 P1556
『権宗の人人無量にいひくるふともただほうろく千につち一つなるべし、法華折伏破権門理とはこれなり、尤もいみじく秘奥なる法門なり』

【通解】
権宗の人々が無量に言い狂ったとしても、要するに「千の土鍋も、たった一つの槌で砕ける」ようなものである。「法華は折伏にして、権門の理を破す」とは、このことである。最も大事な秘奥の法門である。

名字の言 紡がれ続ける「再会」の物語 2021年9月26日
「詩聖」と仰がれる杜甫が48歳の時、若き日の友人・衛八のもとを訪れ、「衛八処士に贈る」と題する詩を詠んだ▼杜甫が衛八と再会したのは、20年ぶりのこと。衛八は結婚しており、子どももいた。共通の友人のことが話題になった。「十盃の酒にも酔わないのは、あなたの友情の深いのに感動するからである」(『杜甫詩選』岩波文庫)。衛八との語らいは、杜甫を深い感動で包んだ▼ある友と一緒に、高校時代の恩師を訪ねた。懐かしい"生徒"との再会を喜んでくれた。歴史のクラブ活動でモンゴルの住居・包を実際に造ったり、古代の料理に挑戦したりなど、思い出話に花が咲いた▼再会は、楽しみと緊張が交錯する。年月を経た再会であればあるほど、その気持ちが強くなる。最初はぎこちなくても、語らっているうちに記憶が次々とよみがえり、心が弾んでくる。人とつながるツールは日進月歩だ。しかし、「会うこと」でしか得られない心の交流がある。それは古くから変わらぬ人生の真理だろう▼池田先生は「『会う』ことから何かが始まる。何かを学べるし、自分の世界も広がる。次の、新しい出会いへと、つながっていく」と。対話の秋。詩を詠ずる才はなくとも、感動の出会いを刻みたい。

寸鉄 2021年9月26日
「心かひなければ多くの能も無用なり」御書。勇気が広布の力。堂々と開拓
東京の北、足立、豊島、板橋よ今再びの凱歌を!感激の同志と怒濤の拡大
大阪から対話の大旋風を新たな常勝の金字塔へ—いざや前進、恐れなく!
人材を愛さなければ英雄とはいえぬ—戸田先生。励まし送り、共々に挑戦
核兵器の全面的廃絶のための国際デー。草の根の絆強く。ここに平和の礎

☆希望の指針——池田先生の指導に学ぶ 立正安国�
◇「人間」こそ我らの原点
連載「希望の指針——池田先生の指導に学ぶ」では、テーマごとに珠玉の指導・激励を紹介します。今回は小説『人間革命』『新・人間革命』から、「立正安国」(全4回予定)の第2回を掲載します。

【創価学会の使命】 平和担う人材育てる「教育的母体」
<1956年(昭和31年)7月、創価学会は初めて参議院議員選挙に候補(全国区4人、地方区2人)を推薦。山本伸一が指揮を執った大阪地方区は勝利を収めたが、当選は6人中3人にとどまる。伸一は、戸田城聖と今後の支援活動について語り合う>

戸田は、急に観点を変えて話しだした。
(中略)
「新しい民衆の基盤から、新しい民衆の代表である政治家を誕生させることが、今ほど望まれている時代はないだろう。創価学会から、同志を政治の分野に送ったのも、時代の要請ともいえる。(中略)
今回の選挙でも、学会の支援活動は、政治に無関心であった多くの人びとに、政治への関心をもたせた。これには、大きな意味がある。本来、政治は民衆のものだから、人びとが、政治を監視する意識をもつことが大事だ。そうした土壌を深め、広げていけば、そこから、新しい本格派の政治家が出現していくにちがいない。政治家を育てるのは、結局は民衆であるからだ。
将来、何十年先になるかわからないが、多くの民衆の期待に応え、衆望を担う真の政治家が、続々と出現したらどうだろう。世論は、彼らを信頼するに足る政治家として、支持するにちがいない。(中略)
政治家一人では、何もできるものではない。民衆が大事なんだよ。つまり、人間が原点だ。人間が的だよ。
また、こうも考えられる。
広宣流布が進んでいけば、社会のあらゆる分野に人材が育っていく。政治の分野にも、経済の分野にも、学術・芸術・教育など、どんな分野にも、社会の繁栄、人類の平和のために、献身的に活躍している学会員がいるようになるだろう。(中略)
要するに、創価学会は、人類の平和と文化を担う、中核的な存在としての使命を課せられることになると、私は考えている。
伸ちゃん、創価学会は、そのための人材を育て上げていく、壮大な教育的母体ということになっていくんじゃないか。要は、『人間』をつくることだ。伸ちゃん、この人間革命の運動は、世界的に広がっていくことになるんだよ」
戸田は、伸一と語り合っているうちに、知らず知らず、広宣流布の未来図を話していた。(中略)伸一は、その未来図を、遠く望むように目を細めて言った。
「創価学会が、広く社会を潤し、壮大な人間触発の大地となる。そこから、人類の輝かしい、新しい未来が眼前に開ける、まことに雄大な構想ですね。ずいぶん先の将来に思えますが……」
「遠いといっても、百年も先ということにはなるまい。しかし、私の生涯に、そのような時代が来るとは思えない。伸ちゃん、君たちの時代だ」
(『人間革命』第10巻「展望」の章、341〜344ページ)

【政教分離の原則とは?】 国家権力から「信教の自由」を守る
<1962年(昭和37年)1月、創価学会推薦の議員らによって、「公明政治連盟」の発足が発表される。これによって政治団体の"公政連"と宗教団体である創価学会の役割がより明確となった>

山本伸一が「公明政治連盟」という政治団体結成に踏み切った最大の理由は、創価学会は、どこまでも宗教団体であり、その宗教団体が、直接、政治そのものに関与することは、将来的に見て、避けた方がよいという判断からであった。
いわば、学会として自主的に、組織のうえで宗教と政治の分離を図っていこうとしていたのである。
本来、宗教団体が候補者を立てることも、政治に関与することも、憲法で保障された自由であり、権利である。宗教団体であるからといって、政治に関与することを制限するなら、「表現の自由」「法の下の平等」、さらには「信教の自由」をも侵害することになる。
憲法の第二〇条には「政教分離」がうたわれているが、ここでいう「政」とは国家のことであり、「教」とは宗教、または宗教団体をいい、国と宗教との分離をうたったものである。つまり、国は、宗教に対しては中立の立場を取り、宗教に介入してはならないということであり、宗教が政治に関与することや、宗教団体の政治活動を禁じたものではない。
憲法にうたわれた「政教分離」の原則とは、欧米の歴史をふまえつつ、戦前、戦中の、国家神道を国策とした政府による宗教弾圧の歴史の反省のうえに立って、「信教の自由」を実質的に保障しようとする条文にほかならない。
したがって、創価学会が政界に同志を送り出すことも、学会自体が政治活動を行うことも自由である。
宗教も、政治も、民衆の幸福の実現という根本目的は同じである。しかし、宗教が大地であるならば、政治はその土壌の上に繁茂する樹木の関係にあり、両者は次元も異なるし、そのための取り組み方も異なる。
たとえば、核兵器の問題一つとっても、核兵器は、人類の生存の権利を脅かすものであり、絶対に廃絶しなければならないという思想を、一人ひとりの心に培っていくことが、宗教としての学会の立場である。それに対して、政治の立場は、さまざまな利害が絡み合う国際政治のなかで、核兵器の廃絶に向かい、具体的に削減交渉などを重ね、協調、合意できる点を見いだすことから始まる。
また、宗教は教えの絶対性から出発するが、政治の世界は相対的なものだ。
そうした意味から、やはり、宗教団体のなかでの政治活動と宗教活動との、組織的な立て分けが必要であると伸一は結論したのだ。そして、政治活動は、政治団体が主体的に行い、学会は、その支援をするという方向性を考えてきたのである。
(『新・人間革命』第5巻「獅子」の章、302〜304ページ)

【社会建設の原理】 各人の心に生命尊厳の法理を確立
<1954年(昭和29年)の春のある夜、戸田城聖は「王仏冥合」すなわち、王法(世間の法)と仏法が奥深くで合致するとはどういうことか、山本伸一に語った>

「『王法』とは、そのまま解釈すれば、王の政治ということになるが、ただ政治だけに限定するわけにはいかない。むしろ、王の定めた法の及ぶ範囲、すなわち、世間法ととらえるべきだろう。
つまり、政治だけでなく、経済も、教育も、学術も含め、社会の文化的な営みのすべてを、『王法』と解釈すべきだ。そして、『王法』と『仏法』の『冥合』とは、いかなる姿をいうのかが、極めて重要になってくる」(中略)
「『王仏冥合』は、政治と仏法が制度的に、直接、一体化することでは決してない。
まず、『三大秘法抄』で述べられた『王法仏法に冥じ仏法王法に合して』(御書1022ページ)とは、いかなることか、から考えなくてはならない。
この『王法仏法に冥じ』の『冥』の字には『暗い』『幽か』『深い』という意味がある。つまり、表面的な形式や制度上の合体とは異なっている。『王法』と『仏法』が、奥深くで合致することであり、人間の営みである、あらゆる文化の根底に、仏法の哲理、精神が、しっかりと定着するということだ。もちろん、文化の根底といっても、社会を建設していく人間の心、一念のなかに仏法の哲理が確立されることを意味する。
また、『仏法王法に合して』とは、仏法の哲理、精神が、一人ひとりの生き方、行動を通して表れ、世間の法が、社会そのものが、仏法の在り方と合致していく姿だ。
仏法の哲理とは、簡単にいえば、『皆宝塔』『皆仏子』なるがゆえに、人間の生命は尊極無上であり、誰もが皆、幸福になる権利をもつというものだ。また、それを実現するための慈悲のことだよ。そして、自身の仏の生命を開き、いかなる環境にも負けない、創造的で主体的な自己を確立する人間革命の思想が仏法だ。いわば、仏法の哲理は、生命の尊厳と、人類の平等と、自由の原理であり、人権を守り、本当の民主主義を実現する根本の理念になるものといえる。
その仏法を一人ひとりの心に打ち立て、人格を陶冶していくことが、大聖人の示された社会建設の基本原理であり、その帰結が『王仏冥合』ということだ。
要するに『王仏冥合』といっても、あるいは『立正安国』といっても、具体的な一個の人間を離れてはあり得ない。それは、どこまでも、人間一人ひとりの一念を変え、生命を変革していく人間革命ということが、最大のポイントになるのだよ」
(『新・人間革命』第5巻「獅子」の章、325〜327ページ)

2021年9月25日土曜日

2021.09.25 わが友に贈る

創価の開拓魂とは
困難を突き抜ける
広布の志にあり。
情熱を燃え上がらせ
対話へ打って出よう!

上野殿後家尼御返事 P1504
『いきてをはしき時は生の仏今は死の仏生死ともに仏なり、即身成仏と申す大事の法門これなり』

【通解】
(故上野殿は)生きておられた時は「生の仏」、亡くなった今は「死の仏」であり、生死ともに仏である。これが即身成仏という大事な法門である。

名字の言 虫の声で思い出すこと 2021年9月25日
猛暑の日々が過ぎ、過ごしやすい日が増えてきた。学会活動の帰路、耳を澄ますと、コオロギの鳴き声が聞こえた▼昆虫は最初の抒情詩人——昆虫学者・ファーブルの言葉だ。コオロギは「歌い手の第一位」とも述べている(平野威馬雄訳『虫と自然を愛するファーブルの言葉』興陽館)。昆虫たちの"詠唱"は、心なごむ忙中閑のひとときとなった▼虫の声で思い出すことがある。ある識者が、アメリカの大学で日本文学の講義をした。そこで「虫が鳴く」を説明したが、受講した学生はなかなか理解を示さなかったという。虫の声に趣を感じる人もいれば、単なる雑音に聞こえる人もいる。"声"の感じ方は、人や文化でそれぞれだ▼法華経に説かれる観世音菩薩は、悩みの声を慈愛で受け止める菩薩である。人間は喜怒哀楽のさまざまな声を発する。言葉にならない"心の声"もある。耳を傾け、時には心まで澄ませて、相手の声に応えようとする。そこに、観世音菩薩のごとき実践がある▼耳にする内容が同じであったとしても、聞く人の境涯によって声の捉え方は異なってくる。だからこそ、心を磨きたい。創価学会は苦悩する人に寄り添う励ましの団体。きょうも友の幸福を祈り、声に耳を傾けよう。

寸鉄 2021年9月25日
妙法を「唱うるより外の遊楽なきなり」御書。題目の人は負けず。勇気凜々
北海道の大空知・留萌・サロベツの同志が進撃!壁破り自分自身の凱歌を
広島戸田総県が総立ち。百万一心の団結で拡大を 強気で攻めた方が勝つ!
青年は真実の師弟の教学を身に付けよ—戸田先生 絶対勝利の大哲学を胸に
国連のSDGs採択6年 青き地球を未来につなぐ全市民の指標。実践の時

〈社説〉 2021・9・25 「川越地区講義」開始70周年
◇「最前線」から平和の連帯を
「皆に信心の楔を打ってくるんだ!」「戸田の名代として、毅然として行ってきなさい!」——。1951年(昭和26年)9月25日、師の命を受けた23歳の池田大作先生が担当し、埼玉・志木支部の川越地区で第1回「地区講義」が行われた。戸田城聖先生の会長就任から4カ月。9月に教学部が発足し、各地で「地区講義」「支部講義」が開催された。池田先生は同じ時期、神奈川・鶴見支部市場地区の講義も担当している。
当時、朝鮮戦争の戦火はやまず、東西冷戦の対立と分断は世界に暗い影を落としていた。"世界平和のために何をすべきか"——後に池田先生は、当時の真情を語っている。「まず足もとの地区を、足もとの組織を、一歩一歩、確実に、粘り強く固め、『創価の力』をつけていこう! 時をつくり、『平和』と『友情』の懸け橋を世界中に結んでいこう!」。この誓いを胸に、組織の「最前線」で人材育成に全精魂を傾けた。
川越地区講義は、足かけ3年、記録に残るだけでも計10回行われた。研さん御書は「治病大小権実違目」「生死一大事血脈抄」「聖人御難事」など10編を超える。
「勇気が湧いてきました」「戦います! 私たちは、すごい仏法を、目の覚める思いで自分のものにできました」。受講者は地涌の使命に立ち上がった。当時の池田先生の日記には「川越地区に講義。——『佐渡御書』。受講者、約五十名。次第に、人材、人物が、輩出して来た様子」とある。
講義の開始から70年。御書根本の伝統は、確かに受け継がれている。埼玉ではこの佳節を目指し、青年部を中心に1年かけて教学運動を展開。中でも学生部は、夏休みにオンラインで週3回の勉強会を行うなど研さんに力を入れてきた。学生部伝統の教学実力試験では、今夏の高得点者が前年比1・5倍になるなど、多くの若人が希望の哲学を胸にはつらつと進む。
若き日の池田先生の誓願通り、地涌の連帯は192カ国・地域に広がった。世界中の同志が日々、コロナ禍をはじめ山積する地球的課題の克服を祈り、社会に貢献している。11月18日には『日蓮大聖人御書全集 新版』が発刊される。
今こそ、立正安国の御生涯を貫かれた御本仏の精神を学び、わが地域から平和と友情の連帯を広げたい。ここに、創価の師弟が目指す立正安世界の第一歩がある。

☆桂冠詩人40周年 勇気の舞 凱歌の行進 第6回 中部
本年は、「桂冠詩人」の称号が池田先生に贈られてから40周年。連載企画「勇気の舞 凱歌の行進」では、先生がつづった長編詩を紹介します。第6回は、中部の同志に詠んだ「新しき大中部の太陽よ 勝ち昇れ!」(2007年)です。

◇完勝の「この道」を開け
堂々と
 堅塁中部は
  確かなり
 完璧完勝
  師弟城かな

古き時代を変えゆく
天地がある。
それが
私の信ずる大中部だ!

新しき歴史を創りゆく
勇者がいる。
それこそ
私の誉れの中部の友だ!

日蓮大聖人は
「撰時抄」に仰せになられた。
「我が弟子等
心みに法華経のごとく
身命も おしまず修行して
此の度 仏法を心みよ」

わが使命の人生において
「此の度」とは
いったい何時か。
待っていれば来るのか。
いな!
自分で定めるしかない。
弟子が決めるしかない。
それができなければ
永遠に「時」は来ない。
わが生命の全権は
汝自身の一念にあるからだ。

法華経では
おごそかに宣言されている。
「今 正しく是れ其の時なり
決定して大乗を説く」

栄光の
 中部の城は
   人間城
 今日も朗らか
   今日も楽しく

◆◇◆

ああ! 大中部の同志の瞳は
いつも私の胸中に
一番星の如く
燦然と煌めいている。

◆◇◆

列島を貫いて
日本の真ん中に
堂々と広がりゆく大中部よ!
幾たびも私と共に
死闘 激闘を勝ち越えた
その人間王者の風格は
なんと頼もしいことか!

中部は
常に大勝利するのだ!
中部は
必ず勝鬨を挙げるのだ!
中部は
断固として勝つのだ!

新たな
創価の完勝の「この道」は
名誉ある大中部から
断じて開いてくれ給え!

2021年9月24日金曜日

2021.09.24 わが友に贈る

「地区」こそ
幸福の楽土を創る起点だ。
どこまでも一人を大切に
桜梅桃李の和楽の園を
わが地域に広げゆこう!

唱法華題目抄 P8
『国を損じ人を悪道にをとす者は悪知識に過ぎたる事なきか』

【通解】
国を滅ぼし、人を悪道に堕とすものは、悪知識に過ぎるものはない。

名字の言 3000年に1度咲く「優曇華」の花 2021年9月24日
仏典に登場する「優曇華」の花は3000年に1度咲くという。人生を80年とすると、生きているうちに花を見られる可能性は極めて低い。日蓮大聖人は正法と巡り合うことが、いかに至難であり、有り難いことかを優曇華を例に教えられた▼数年前、ある青年部員が母と一緒に祖母の家へ行った。滞在中、祖母と共に広布に歩いた女性部員が来訪。皆で語らう中、祖母の入会動機が話題になった▼50年前、祖母の娘、つまり青年の母が幼くして命に及ぶ大病を患った。その際、先の女性部員に折伏を受けた祖母は、娘の病を治したい一心で入会。良医にも恵まれ、奇跡的に完治した。その後、娘は充実の女子部時代を送り、結婚。後年、青年を産み、母となった▼黙って聞く青年の目が潤む。青年は入会以来、学会活動に消極的だった。だが話を聞き、"今の自分があるのは祖母と母が信心と巡り合い、貫いたおかげ"と胸を熱くし、"この道に連なろう"と発心した。長い時を経て、青年の信心が確かに芽吹いた▼仏典では、月光が優曇華を開花させるように、慈愛の光明が衆生の善心の花を開かせる、と説く。一人一人に慈悲の励ましを送る創価の世界——ここに幸福の人生を花開かせる"希望の光"がある。

寸鉄 2021年9月24日
一つの方針を定めたら、それを貫く意志力を持て—恩師。壁破る鍵は執念
東北健児が勇戦。強気の拡大で勝ち捲れ。不屈の庶民の連帯に恐れなし!
中国方面が大車輪の奮闘 誉れの友の開拓魂光る!勝利つかみ新時代を開け
環境衛生週間。ゴミ削減やリサイクル等、小さな積み重ねから変革の波が
飲酒運転による死亡事故—5年間で950件と。一瞬の油断排し皆で根絶

☆Switch——共育のまなざし 池田先生の励ましの言葉から
◇父と母 妻と夫——支え合う同志として
子育てに地域や周囲の支援は必要ですが、何といっても夫婦間の理解と支えほど大事なものはないでしょう。今回の「Switch——共育のまなざし」のテーマは「父と母 妻と夫——支え合う同志として」。池田先生が女性リーダーや創価の教育者と語り合ったてい談『21世紀への母と子を語る』(『池田大作全集』第62巻所収)の中から、先生の励ましの言葉を抜粋して紹介します。

◇ささいなことでも
〈「夫婦の関係は、家族の人間関係の基本です。軸であり、柱です。夫婦のあり方が、子どもの成長にも大きな影響をおよぼします」——そう池田先生は訴えます。ある女性リーダーが忙しい夫との間で「夫婦らくがき帳」を作り、お互いの近況や伝言、さらに率直な思いなどを書いて共有している様子を伝えると、先生はこう応えました〉
夫婦が忙しい場合、おたがいにコミュニケーションを図っていくために「工夫」や「知恵」は必要だね。
信仰者とは、特別な人間になることではない。立派な社会人として働き、「よき父」「よき夫」として、「よき母」「よき妻」として、誠実に生きぬいていくことです。
現実の生活、家庭という足元をおろそかにして、いくら立派な理想論を振りかざしても、なんの説得力もない。夫婦は、おたがいに相手を理解していこうという努力が大切でしょう。そのためには、日ごろのちょっとした心づかいが大事だね。
◆ ◇ ◆
人の心というのは、思っている以上に繊細なものです。微妙な心の動きが、すべてを大きく変えていく。
その「心」に、どう気づき、思いやり、いい方向へ、皆が幸福になる方向へと持っていくか。現実生活のなかで、そういう知恵を発揮していくのが仏法の人間学です。
夫婦であれ、親子であれ、たとえ、ささいなことでも、「ありがとう」とか、「ごめんなさい」とか、言葉に出して表現していくのです。
小さなことのようだが、そうした小事の積み重ねが、大きなことにつながっていく。「小事」が「大事」です。また、こちら側の考えを一方的に押しつけるのではなく、相手の立場や考えをよく理解したうえでの言葉づかいやふるまいを心がけることです。

◇周恩来夫妻の八互原則
〈「模範の夫婦」とは? 池田先生が真っ先に挙げたのは、中国の周恩来総理と�穎超夫人でした〉

中国だけでなく、国際的にも尊敬を集め、「模範夫婦」と謳われたお二人です。ともに、革命の同志として、中国人民のために尊い生涯をささげられた。
そんなお二人ですから、若い人たちから結婚生活についてのアドバイスを求められることも多かったという。のちに、自分たちの経験をもとに「八互原則」——つまり「八つの互いの取り決め」というのをつくられ、若い人たちに教えたそうです。
西園寺一晃氏が著書の中で紹介されています。(『�穎超 妻として同志として』潮出版社、参照)
まず第一に「互愛」——互いに愛しあうこと。これが基本です。
第二に「互敬」——互いに尊敬しあうこと。新婚のころは守られても、時間がたつにつれ、なかなかできなくなる。とくに人前では注意しなくてはいけないとされていた。
第三に「互勉」——互いに励ましあうことです。
第四に「互慰」——互いに慰めあうこと。つらいこと、不愉快なことがあった時は、相手の気持ちを理解し、あたたかく接する。こういう時は相手を責めたり、感情を傷つけたりしてはいけないと言われている。
第五に「互譲」——互いに譲りあうことです。意見の相違や感情的な対立があっても、譲りあう気持ちがあれば、解決は早い。長引けば、感情的なしこりが残ってしまう。
第六は、「互諒」——互いに諒解しあうことです。どちらかが誤りを犯しても、それを責めるのでなく、諒解し、許しあうことです。
第七は「互助」——互いに助けあうこと。
そして第八は「互学」——謙虚になって、互いに学びあうことです。
�穎超さんは、これらのうちで「互譲」と「互諒」がもっともむずかしい、と言われていたそうです。

◇大らかに 賢明に
〈夫婦間では、ささいなことでケンカになり、互いに「我」を張っているうちに、いつのまにか根深いしこりになってしまう——ということがよくあります。例えば、夫が「自分は悪くない! 悪いのはあっちのほうだ!」と思っていたり、妻は妻で「相手が先に素直に謝ってさえくれれば、こちらも謝れるのに」と思ったりしている……〉

お互いに、そう思っていてはしようがないね(笑い)。
周総理夫妻の「八互原則」でいえば、先に譲り、許したほうが境涯が高いのです。相手が、怒っていても、「これだけ元気なら、当分、倒れないな」(笑い)というぐらいの大らかな気持ちで、賢明に家庭を操縦していくのです。
人間、だれしも欠点はある。その欠点をあげつらって、責めあっていたのでは、お互いにいやになってしまう。たとえ、それが「正しい」としても、いや、「正しい」からこそ、耐えがたい批判というのもあるのです。家庭においては、とくにそうです。
少しくらいの欠点や誤りは、大きな心でつつみこんで、長所を認め、たたえあっていくという、心豊かな励ましあいの家庭を築いていってほしい。父と母が、いつもいがみあい、争っているようでは、子どもの心に暗い影を落としてしまう。また、どちらかのいないところで、子どもに片方の親の悪口を言うようなことも、あってはならない。

◇わが子に心豊かな励まし合いの家庭を
◇活動と育児の両立
〈話題はさらに、�穎超さんが若い母親を励ましたエピソードにも及びました。当時は中国建国の真っただ中であり、女性も男性も、同じく新しい社会の建設に汗を流していたそうです。「活動と育児の両立」に悩む母親からの相談にじっくりと耳を傾けた�穎超さんは、どんな言葉で応えたのか。先生は一つ一つ紹介します〉
(�穎超さんは)さとすように、優しく、こう語りかけた。
「あなたの困難はよくわかるわ。でもね、まず精神的に負けてはだめよ」「特に母親の負担は大きいのよね。大変だけど、だからこそ女性は強い、すばらしいと思うわ」
「私たちのこの偉大な事業は次の世代、その次の世代へと引き継いでゆかなくてはならないわ。そのためには次の世代を担う若い人たち、そしてその次を担う子供たちが立派に育たなければならないのよ。子供は宝よ。あなたの宝でもあるし、私の宝でもあるの」
「要するに、子供の世話、教育などは前向きに考えるべきよ。負担ではなく、光栄な任務なの。この子たちが成長し、立派になり私たちの未来の事業を引き継いでくれる。考えただけでわくわくするでしょう。後継者を育てない革命は途中で必ず挫折してしまうわ」(前掲書)
〈それは「広宣流布」、そして一人一人の「人間革命」を懸けた信心の活動にも通じるでしょう。先生は語らいを次のように結びます〉
牧口先生が、「生涯でもっとも感銘を受けた」という言葉がある。
それは、ノーベルの「遺産は相続することが出来るが、幸福は相続する事は出来ぬ」という言葉でした。牧口先生は、これは、「幸福と財産との不一致を喝破」したものであると意義づけられました。(「教育目的論」、『創価教育学体系』第1巻所収)
いくら財産を残しても、それで子どもが幸福になるとはかぎらない。かえって、不幸にしてしまう場合だってある。
親が信念を貫き、懸命に生きぬいた姿そのものが、最高の"遺産"です。私どもでいえば、わが子に信心を教え、広布の立派な後継者に、そして社会に貢献しゆく力ある人材に育てていくことが、永遠に尽きることのない、不滅の財宝を残してあげることになるのです。

2021年9月23日木曜日

2021.09.23 わが友に贈る

「開かれた心」で
自ら語り掛けていく。
ここに仏法者の真価が。
誠実の声を響かせ
信頼の輪を広げよう!

四条金吾殿御返事 P1169
『日蓮は少より今生のいのりなし只仏にならんとをもふ計りなり、されども殿の御事をばひまなく法華経釈迦仏日天に申すなり其の故は法華経の命を継ぐ人なればと思うなり』

【通解】
日蓮は、若き日より、今世の栄を祈ったことはない。ただ仏になろうと思い願ってきただけである。けれども、あなたの事は、いつも法華経、釈尊、日天にお願いしている。そ

名字の言 「古代エジプト展」で心豊かな交流を 2021年9月23日
東京富士美術館で開催中の「古代エジプト展」に足を運んだ。ドイツの国立ベルリン・エジプト博物館が誇る約130点の至宝に圧倒された(12月5日まで)▼会場に入ると、古代エジプト人が「世界をどう見ていたのか」が伝わってくる。世界の始まりは原初の海「ヌン」で、この海から全てのものが創造されると考えられた。しかし、世界に終わりがやって来るとヌンに戻り、再びヌンから新たな世界が創られる。実に壮大な生と死のサイクルである▼太陽とロータスが装飾された作品が印象的だった。エジプトロータスは睡蓮のこと。太陽が昇ってから沈むまでが現世、沈んでから昇るまでが死後の世界とされたため、日の出とともに開花し、夕方に花を閉じる睡蓮は太陽と共に再生の象徴だった。また、水の中で成長し、水面から顔を出して花を咲かせる様子は、原初の海から世界を創造する力を示していた▼時代も風土も異なるが、仏教も太陽と蓮を象徴的に扱う。睡蓮は蓮と種は違うものの、御書に「法華経は日輪のごとし」(1114ページ)、「妙法蓮華経と申すは蓮に譬えられて候」(1580ページ)等とある▼心が豊かになり、視野が広がるのが文化交流の催しの魅力。秋の一日、友人と訪れるのもいい。

寸鉄 2021年9月23日
「題目の光無間に至りて」御書。秋の彼岸。広布の闘士の唱題こそ最高の追善
関東が力闘!勇気の対話から友情の劇が。大善の連帯で民衆勝利の歴史を
東海道よ破竹の進撃を。正義の太陽の同志は勇敢 師子吼を放ち勝ち飾れ!
少年少女部の結成記念日 後継の若芽を伸ばそう。励ましの陽光を隅々まで
公明がコロナ早期治療の道を開いた—医師。生命守る対策に死力を尽くせ

〈社説〉2021・9・23 少年少女部結成記念日
◇学会の永遠性を確かなものに
きょう9月23日は少年少女部の結成記念日。高等部、中等部に続き、21世紀の広布の未来を展望して池田先生が提案し、1965年のこの日に各地で結成の集いが行われた。当時の聖教新聞には、子どもたちが喜々として参加する様子が報じられている。
翌66年には首都圏の代表による合唱団が誕生。その後、各地にもつくられ、合唱団運動は後継の人材育成の要となってきた。
しかし、合唱団誕生から55周年を迎えた本年は、コロナ禍による感染防止のため、集まって一緒に歌うことができない状況が続いている。
そうした中にあっても、各地の合唱団では、子どもたちに池田先生の精神を伝え、広布後継の大樹を育もうと、担当者の知恵と工夫が光る取り組みが行われている。
九州では「Be Brave! プロジェクト」と称して、各家庭で少年少女部歌「Be Brave! 獅子の心で」を歌う様子を撮影する運動を推進。合唱団として皆が挑戦の第一歩を踏み出した。宮城県青葉少年少女合唱団の友は、7月の第2回「東北青年音楽祭」で「母」の曲を手話で披露し、家族への感謝を表現した。
富士少年希望少女合唱団では昨年来、オンラインでの歌唱練習を続けている。直接会えない分、担当者はきめ細かな激励に努めてきた。するとメンバーから「団員同士の仲をもっと深めたい」と、先輩が後輩と電話で対話する取り組みを開始。本年はその後輩たちが「今度は自分が」と、下の学年の友と語らいを広げている。
子どもの心は純粋で敏感だ。その心のキャンバスにどんな絵を描けるかは、周囲の大人たちの関わりによって大きく左右される。コロナ禍の今はなおさらだろう。
未来部育成の歴史は、どんな時も子どもたちに寄り添い、共に祈り、歌い、悩み、支えてきた担当者や地域の同志の献身の歴史である。その真心の言葉や振る舞いが、子どもたちの心に成長の因として刻まれてきたのである。
池田先生は「未来部の友を育てることは、未来を創ることそのものです。未来からの使者たちは、学会という究極の人間主義の庭で大きく豊かに育てていきたい」とつづる。少年少女部員は一人ももれなく使命ある宝の存在だ。その励ましの流れを止めないことが、学会の永遠性を築いていく。

☆きょう少年少女部結成記念日
◇学会歌「青年よ広布の山を登れ」 富士少年希望少女合唱団がさわやかに
池田先生の提案で1965年(昭和40年)9月23日に結成された少年少女部がきょう、56周年を迎えた。
部の日を記念して、富士少年希望少女合唱団が、学会歌「青年よ広布の山を登れ」をリモート合唱。"学会創立100周年の2030年を目指し、広布後継の道を歩みゆく!"との誓いを込めて歌い上げた。
さわやかな歌声を収録した動画には、各地の合唱団の"未来っ子"たちも友情出演。将来の夢を書いたボードを掲げ、映像に彩りを添えている。
少年少女部の伝統である合唱団運動の歴史は長い。部結成の翌66年(同41年)5月5日には、富士少年希望少女合唱団の前身となった「富士少年合唱団」「希望少女合唱団」が誕生。その後、全国各地に少年少女部の合唱団が生まれ、後継育成の合唱団運動が広がっていった。
合唱団メンバーはコロナ禍の中にあっても、地域の創価家族の励ましに支えられ、オンラインなどを活用して練習を継続。"獅子の子"らしく、勉強や読書、親孝行にと全てに挑戦する。
佐保少年部長、角田少女部長は語る。
「"未来からの使者"である少年少女部員一人一人が使命の舞台で輝いていけるよう、智慧を湧かせ、さらなる激励に全力を尽くしてまいります」

☆人間主義の哲学の視座 第11回 対談集「21世紀への選択」に学ぶ�
◇テーマ:安心と安全
池田大作先生の著作から、現代に求められる視点を学ぶ「人間主義の哲学の視座」。「安心と安全」をテーマに掲げ、今回からは、マジッド・テヘラニアン博士との対談集『21世紀への選択』をひもとく。

【テヘラニアン博士】
対話は平和を保障する唯一の手段。
21世紀において人類が進むべき方向

【池田先生】
「人間性」という共通の大地に立ち、
語り合うことが問題解決の糸口に。

◇恩師の遺訓
創価学会の平和運動の原点である戸田先生の「原水爆禁止宣言」(1957年9月8日)から、間もなく64年を迎える。
冷戦下の当時、「核抑止論」のもとで軍拡競争が繰り広げられていた。
「私は、その奥に隠されているところの爪をもぎ取りたい」——戸田先生は、核兵器を正当化する思想に潜む生命軽視の"魔性"を糾弾し、青年への「遺訓の第一」として訴えた。
恩師の遺志を継ぎ、世界中で対話と友好を広げ、生命の尊厳を時代精神へと高めていったのが池田先生である。
宣言から38年がたった、96年2月11日。恩師の生誕日に、先生は、「戸田記念国際平和研究所」を創設した。その初代所長に就任したのが、マジッド・テヘラニアン博士であった。
先生と博士は、92年7月以来、10度を超える語らいを重ね、2000年10月に対談集『21世紀への選択』を刊行。これまでに英語、フランス語、アラビア語、ヘブライ語などに翻訳されている。

◇研究所の使命
テヘラニアン博士は、イラン生まれの平和学者。イスラム世界に造詣が深い。先生との対話は、仏教とイスラムという文明間に橋を架ける作業となった。
対談集の冒頭、二人はそれぞれの生い立ちや、「平和への道」を歩み始めたきっかけを語る。
互いを「よく知る」ことが、友好を深めるための第一歩となり、社会の連帯の力となる。宗教的・文化的背景の異なる二人によるこの対談を、その一助に——これが先生と博士の真情であった。

池田 テヘラニアン博士は、私たちの対談を始めるにあたって、これを「対話への選択」と意義づけたいと提案されましたね。

テヘラニアン 今や私たちの時代は、この「生命」や「平和」と同程度に「対話」が必要とされる歴史の段階に入ったのです。じつのところ「対話」こそが、「生命」と「平和」を保障しうる唯一の手段かもしれないのです。

池田 そうした思いを共有して、私は、この対談の日本語版のタイトルを「21世紀への選択」と発案させていただきました(注=英語版のタイトルは「対話への選択」)。
思うに、人間の人間たる証は、つまるところ対話の精神に表れるのではないでしょうか。博士の故国イランの大詩人サアディーは、こう訴えています。「人は語るの術において獣にまさる、善きことを語らぬなら獣が汝に勝ろう!」(『薔薇園』蒲生礼一訳、平凡社)と。

戸田平和研究所の所長就任を、博士は「平和探求に生きてきた私にとっての、いうなれば『責任への挑戦』」であったと振り返る。
グローバリゼーションの進展は、国家間、文化間の交流や協力を促進した反面、経済や政治はより競争的になり、認識や利害が対立する状況が生まれてきた。
対話が欠ければ、「憎しみの種子」がまかれ続けてしまう——そう強い危機感を抱く博士が、スタッフと討議する中で掲げた研究所のモットーは、「地球市民のための文明間の対話」であった。

テヘラニアン 対話がない世界は、暗黒です。「対話」がなければ、人間は独善という暗闇の中を歩み続けねばならないのです。

池田 人間と人間が語りあうこと——ここからすべては始まります。(中略)友か敵かといった、二者択一的な関係を打ち破り、「人間性」という共通の大地に立って心を開いて話しあうことが、問題解決の糸口を見いだすことにつながると固く信じてきました。

テヘラニアン ご指摘のように、「相違点」と同時に「共通点」を見いだし、認めあうことから新しい価値は生まれてくるのです。

◇対立から共生へ
対談集発刊の翌年・2001年は、国連の「文明間の対話年」に定められた。文明と文明が出あい、交流を重ねる中から、新たな価値が生まれる——希望と期待に照らされた21世紀の幕開けであった。
だが、同年9月11日にアメリカ同時多発テロ事件が勃発。「文明の衝突」を象徴するかのような、国際社会を揺るがす事件だった。
対談で二人は、頻発する紛争やテロを取り上げ、時代を対立から共生へと転換する方途について論じ合っていた。各国語版に翻訳された対談集は、人々が求めてやまない「安心と安全」の社会への視座を育む糧となっていく。

テヘラニアン 今日の国際社会が取り組むべき最大の課題は、おたがいにスローガンの投げあいをやめて、世界平和を脅かしている貧困、無知、強欲という人間にとっての真の問題を解決する道筋を考えることだと思います。

池田 戦争や暴力が生みだす悲劇というものは、なにもそのときだけのものではない。憎しみが憎しみを呼び、暴力がまた新たな暴力をまねいてしまう——このことは、これまでの歴史が示している重い教訓と言えましょう。(中略)
たがいのことを、初めから"対立する存在"としてとらえるのではなく、何が障害になっているのか、何が対立を生みだしているのか——それを見きわめる作業こそが、まず求められるのではないでしょうか。

テヘラニアン そこで要請されるのが、「開かれた対話」の精神ですね。それはまさに、池田会長がこれまで率先して取り組んでこられたものですが、これこそ、21世紀において人類が進むべき方向なのです。

◇畏敬の念
「『相違』は『多様』に通じます。共通性を基盤として、ともに協力していく。また相違性に着目し、それぞれの役割を尊重し、おたがいの長所を学びながら危機にある現代世界に対し、いかなる貢献ができるか模索せねばなりません」
先生の言葉に、博士は深い賛同の意を表した。二人の対話には、そうした実践の具体例が、随所に散りばめられている。
例えば両者は、日蓮仏法とイスラム、また釈尊とムハンマドについて、互いに論じ、学び合う。
先生は、仏教やイスラムをはじめ、宗教の創始者は皆が「人間の解放」を目指したと述べ、その原点に戻れば、対立や争いは解消するであろうと訴える。
一方、博士は歴史上、諸宗教の共存共栄が可能であった都市の例を挙げ、民衆の次元では「区別をもちながらも共存」し、「共存しつつも差異は厳然として存在」するのが実像であったと語る。
信仰心が薄れ、対立や分断が社会を覆いつつある現代。科学技術や経済、政治など、全ての分野に、生きた人間の「生の重み」の復権を——二人は、その方途としての宗教の重要性を巡り論じ合った。

テヘラニアン 近代的世俗性と宗教的信仰は、たがいに排斥しあうものではありません。それとは反対に、宗教的信仰のない近代性の未来というものは、寒々として見通しは暗い。

主要な諸宗教に道徳的、精神的に導かれない現代の世界は、自滅してしまうでしょう。

池田 他者や未知のものに対する畏敬の念が、今、失われているのではないでしょうか。すべてを予測可能なもの、既知のものと矮小化してとらえ、それを支配したり加工しようとする。また、できると思っている。

自分以外のものを、軽視したり敵視するのではなく、まず「驚きの感覚」「畏敬の念」をもって見る。「存在の重み」「生の重み」の実感です。その感覚をたもっておくために、「永遠なるもの」「自分を超えたもの」を感じようとする宗教的な感性は、絶対に必要ですね。

【プロフィル】マジッド・テヘラニアン 1937年、イラン・マシュハド生まれ。政治学、政治経済学、中東研究などを専攻し、ハーバード大学で修士号、博士号を取得。ハワイ大学教授、同大学スパーク・マツナガ平和研究所所長、タフツ大学外交大学院客員教授などを歴任。戸田記念国際平和研究所の初代所長として発展に尽力した。2012年12月、死去。

2021年9月22日水曜日

2021.09.22 わが友に贈る

幸・不幸を決めるのは
環境や他人ではない。
全ては自分の一念だ。
人生の全権は我にあり!
この確信で生き生きと!

四条金吾殿御返事 P1164
『されば同くはなげきたるけしきなくて此の状にかきたるがごとくすこしもへつらはず振舞仰せあるべし、中中へつらふならばあしかりなん、設ひ所領をめされ追い出し給うとも十羅刹女の御計いにてぞあるらむとふかくたのませ給うべし。日蓮はながされずしてかまくらにだにもありしかば有りしいくさに一定打ち殺されなん、此れも又御内にてはあしかりぬべければ釈迦仏の御計いにてやあるらむ』

【通解】
それゆえ、同じくは、(あなたの決意はすでに定まっているのであるから)嘆いた様子を見せないで、この誓状に書かれたように、少しもへつらわずに振る舞い、語っていきなさい。
なまじ、へつらうようなことがあれば、かえって(状況は)悪くなるであろう。たとえ、所領を没収され、(土地を)追い出されようとも、それは十羅刹女(諸天善神)の御計いであるのだろう、と深く信をとり、十羅刹女にまかせておきなさい。もし日蓮が(佐渡に)流罪されないで鎌倉にでもいたならば、あの戦い(文永九年二月の北条一族の内乱=二月騒動)に巻きこまれて、きっと打ち殺されていたにちがいない。今、あなたが江間家を追い出されることも、このまま江間家にとどまっていてはよくないだろう、という釈迦仏の御計いなのであろう。

【先生の指導から】
大聖人は佐渡流罪という大難にあわれた。しかし、そうであったからこそ、戦乱をまぬかれることができ、かえって良かったのだと仰せである。
長引く不況のなか、リストラや失業に直面している方もおられるかもしれない。しかし、仏法の眼で見るならば、すべてに深い意味がある。嘆いてはいけない。「強き信心」「勇気ある信心」さえあれば、あらゆる困難を、必ず「変毒為薬」していける。
どうか、この大聖人の御聖訓を心に刻み、何があっても前へ、また前へ、前進していただきたい。
仏法は勝負である。断じて勝たねばならない。自身に勝ち、人生に勝利していく。そのための信心である。雄々しく苦難と闘う皆さま、そして誠実な心で戦う皆さまの姿は、すべて大聖人が御覧になっている。安心して、使命深き、わが人生を生きぬいていただきたい。
この一生、毅然と、勇敢に、胸を張り、一日一日を、自分らしく進んでいっていただきたい。

名字の言 ノーベル賞受賞者・山中伸弥氏の苦闘 2021年9月22日
「壁にぶつかったことが、ぼくに新しい道を開いてくれた」。京都大学iPS細胞研究所の山中伸弥所長が苦闘の日々を振り返り、語っている▼整形外科の研修医だった頃のこと。不器用で、他の人が20分で終わる手術を、氏は2時間もかかってしまう。指導医から「ほんまジャマや。ジャマナカや」と言われた。努力しても上達せず、自信を失うばかり。仕方なく研究者の道に方向転換すると、これが功を奏した▼ある時、新しい遺伝子を発見した。驚きと感動で胸がいっぱいになった。"ぼくにも苦しむ患者さんの役に立てる可能性がある"と研究に没頭するように。やがてノーベル賞受賞につながるiPS細胞の開発を手掛けるまでになった(「PHP」7月増刊号)▼病苦、経済苦など数々の試練を乗り越え、76歳で夢のCDデビューを果たした女性部員がいる。今年87歳。若々しく歌手活動を続ける彼女の言葉が印象的だった。「一度きりの人生、祈って動いたもん勝ち! 成功すれば自信になるし、失敗したって"こやし"になるじゃない。何もしないと大損しちゃいますよ」▼挑戦を重ねれば重ねるほど幸福への価値を生み出せる。それが人生の醍醐味。信仰に生きる私たちは、何があっても前に進もう。

寸鉄 2021年9月22日
誠実であれ。策や要領ではいけない—恩師。これ絆結ぶ要。振舞、爽やかに
四国こそ正義の反転攻勢の電源地。さあ魁の誇りに燃えて勝利開く拡大を
東京よ立ち上がれ!本陣が動けば波動は全軍に。歴史的凱旋へ猛攻今こそ
成果より努力を褒められた方がやる気は向上と。激励一つも寄り添う心で
コロナ禍の政府の政策、8割が公明の提言—識者 皆の安心守る実績を益々

〈社説〉 2021・9・22 今月26日まで「SDGs週間」
◇目標達成へ青年と共に歩む
最近、メディアで触れる機会が増えている「SDGs」。どんなイメージを持っているだろうか。
貧困や不平等、気候変動の克服などを掲げる国連の「持続可能な開発目標」のことで、2030年までの達成を目指している——。そう何となく知っているものの、どこか自分には縁遠い世界の話と感じている人も多いだろう。
だが、現実は、各国政府だけで目標達成はできない。ゆえに国連は「市民社会や企業、国際機関、信仰団体、個人など、その他の主体による協調行動も必要」と多様な参加を促しているのだ。
2015年のSDGs採択から6年。現在、一人一人の意識を高め、行動を喚起することを目的とした「SDGs週間」(今月26日まで)が開催され、世界各地で数多くのイベントが行われている。
SDGsへの人々の意識や行動の変化、また、それらが与える地域・社会への影響は確実に広がっている。特に、学校教育などで「気候変動問題」や「サステナブル(持続可能)」について学んできたZ世代(1990年代中盤以降生まれ)と呼ばれる若者たちに関わる分野では顕著だ。
例えば、来春卒業予定の就活生に就職先企業を選ぶ上で重視した点を聞いた調査では、「SDGsに対する姿勢や取り組み」と回答した人の割合(17・3%)は「有名企業であるかどうか」と回答した人の割合(13・8%)よりも高かった(「『22卒就活生の選社軸とSDGsの関係性』に関する調査」株式会社ベイニッチ)。
また、近年は、表面的にしかSDGsに取り組んでいないことを指す「SDGsウォッシュ」といった言葉も生まれるなど、企業を見る目は厳しくなってきている。
池田先生は、昨年のSGI提言で、気候変動問題において、若い世代の息吹がプラスの連鎖を起こす源泉になってきていると指摘し、「SDGsの目標を達成する道は、決して平坦なものではないでしょう。しかし、青年たちの連帯がある限り、乗り越えられない壁など決してない」とつづった。
聖教新聞社は、国連が世界中の報道機関などに対し、参画拡大のために、その力の積極的な活用を促す目的で設立した「SDGメディア・コンパクト」に加盟している。SDGsの推進と達成へ、充実した紙面を通し、青年と共に歩んでいきたい。

☆Switch——共育のまなざし 今こそ「パパスイッチ」ON!
◇NPO法人ファザーリング・ジャパン代表理事 安藤哲也さんに聞く
【プロフィル】あんどう・てつや 1962年生まれ。出版社、IT企業など9回の転職を経て、2006年に父親支援のNPO法人ファザーリング・ジャパンを設立。「笑っている父親を増やしたい」と講演や企業向けセミナー、絵本の読み聞かせなどで全国各地を歩いてきた。近年は管理職養成事業の「イクボス」で企業・自治体での研修も多く実施している。厚生労働省「イクメンプロジェクト推進チーム」顧問も務める。著書に『「パパは大変」が「面白い!」に変わる本』(扶桑社)など多数。1女2男の父。

◇コロナ禍のピンチはチャンス 自分も職場もアップデート!
共働き世帯の増加、さらにコロナ禍で在宅勤務が推奨されるようになったことで「パパの育児への関わり」が一段と求められています。2020年度の男性の育児休業取得率は12.65%で過去最高を記録。女性の81.6%と比べるとその差はいまだ大きいものの、"社会の空気"は着実に変わりつつあるといえるでしょう。パパ自身が、また職場の管理職の方々が意識をスイッチ(転換)する意味とは何か。父親の育児を支援するNPO法人「ファザーリング・ジャパン」の代表理事・安藤哲也さんに語ってもらいました。(聞き手=大宮将之) 

◇背中より笑顔を見せて
<団体名の「ファザーリング」には「父親であることを楽しもう」という意味があるそうですね>

ええ。設立したのは15年前。「イクメン」という言葉もなかった時代です。当時の僕は、小学3年の長女と保育園年長の長男を育てながら企業の管理職として働いていました。「仕事も育児も両立しよう」「よい父親になろうとするよりも、笑っている父親に」——これが発信し続けてきたメッセージです。
実は、僕の父が「笑わない父親」だったんですよ。いわゆる典型的な"昭和のオヤジ"。専業主婦の母に「誰のおかげで飯が食えると思っているんだ!」とか、「あそこの嫁と比べてお前は」とか、暴言ばかり。自分も遊んでもらった記憶がほとんどない。大学まで行かせてもらった恩は感じていますが、率直に言って僕は父親が嫌いでした(苦笑い)。
でも、もし父が僕にとって「よい父親」だったら、ファザーリング・ジャパンを設立していなかったでしょう。「オヤジを反面教師にしよう」「笑っている父親を増やそう」と思ったことがきっかけでしたから。
「子どもは親の背中を見て育つ」という言葉がありますよね。日本全体が右肩上がりの経済成長をしていた時代は、父親も仕事一筋の"背中"を見せていれば、よかったかもしれません。けれど今は違う。教育現場も社会も多くの課題を抱え、地域の絆も希薄になる中で、みんながイライラしたり不安を口にしたりしている。そんな大人たちの背中を見て、子どもたちが未来に希望を持てるでしょうか。これからの時代、父親が子どもと向き合って"笑顔"を見せていかなくては、子どもも健やかに育たない——そう一貫して「父親像」の転換を訴えてきました。
近年、「社会での女性活躍」が叫ばれていますが、むしろ変わらなければならないのは僕ら男性です。女性たちは家事や育児の両立、人によっては仕事や地域活動の"3立""4立"と、大変な思いをしながら頑張ってきたじゃないですか。次は男性の番でしょう。「家庭での男性活躍」こそが社会を変えていくんです。

◇OSを入れ替えよう
<とはいえ、パパたちの中には目の前に膨大な仕事を抱えて「笑顔で子育てできる余裕なんてない」という人も少なくありません>

長時間労働の職場だったり、上司が子育てに理解のない人だったりしたら、葛藤も多いでしょう。その上で、いや、だからこそ僕は今、パパたちや管理職の方々に強く呼び掛けているんです。「コロナ禍というピンチを千載一遇のチャンスと捉え、自分も職場もアップデート(更新)しませんか」って。具体的には「OS(基本ソフト)を入れ替えよう!」と伝えています。ライフスタイルや考え方をガラッと転換して、「パパスイッチ(切り替え装置)をONに!」ともいえるでしょうか。
女性は妊娠・出産の実感をもって「ママスイッチ」が自然と入ります。しかし男性だとすぐ入らない人が多い。それはパソコンのOSに例えるとWindows95(1995年版)のままで仕事をするようなものです。もしも今、そのOSで仕事をしようものなら、作業速度は遅いわ、いちいち画面がフリーズ(動作停止)してしまうわで、イライラするばかりでしょう。ソフトウエアも最新のワードやエクセルは入れられません。
パパがOSを入れ替えないと、それと同じようなことが家庭で起きてしまうんです。子育ての新しい知識を得ながら能力を高めているママにとって、古いOSのままのパパがどんなふうに見えるか——簡単に想像できますよね。「父親であることを楽しむ」といっても、その第一歩は「OSを入れ替える」ことです。
これは職場にも通じます。今の若い世代では、男女問わず「父親も子育てするのは当たり前」との意識が高まっているのは、間違いありません。にもかかわらず、「母親は育児」「男性は稼ぎ手」という性別によって役割を分ける古い感覚に上司が縛られたままだと、どうでしょう? 逆に理解のある上司のもとで、部下のやる気が上がって仕事の生産性も高まったり、メンタルヘルス不調による退職が減ったり、優秀な若い人材が集まったりして業績を伸ばした企業の例は、たくさんあります。
コロナ禍によって、家で過ごす時間がいくらかは増えたパパたち。そして、生き残りを懸けて経営戦略の見直しを迫られている企業——その双方にとって「OSを入れ替える」チャンスが、まさに"今"なんです。

<そう考えるとパパの「家庭での活躍」は、一層の「仕事の活躍」にもつながっていきますね>

その通りです。例えば、保育園に通う子どもを迎えに行くため、仕事の時間をやりくりして定時で終わらせようと努力するのは、時間管理の能力を磨くことに通じるでしょう。また子どもの体調管理に気を配る経験は、職場の部下一人一人の心身を守る健康管理にも生かせます。
さらに、子どもはたくさんの失敗を経験しながら成長していくものです。心豊かに伸びている子どもの親に共通するのは、わが子の可能性が開くのを「信じて待つ」力に長けている点なんですよね。自分のことを信じてくれない人より、信じて根気強く励ましてくれる人の期待にこそ応えたいと思うのは、人間の自然な感情ではないでしょうか。それは、子どもでも部下でも同じです。
子育てをしている男性は職場でも"懐が深いな"と感じることが多い。自分のことが自分でできる「自立した人間」でもありますよね。日本では妻に依存して自立できていない夫が少なくありません。子育ては「生活力」「自活力」「人間力」を培うことでもあるんです。

◇同じ船の乗組員
<8月28日付の本連載で紹介した東京・江東区の創価学会男子部のパパたちも、子育てをすることで仕事も家庭も充実していくことを実感していました。また積極的に地域に飛び出し、パパ同士がつながることの重要性を感じたようです>

いいですね! パパにとって悩みや弱音を吐ける場所って大事なんですよ。家庭と職場の行き来だけでなく、地域に友人を多くつくることは定年退職後の人生をも豊かにしてくれるでしょう。「人生100年時代」を生きていくからこそ、パパたちにはぜひ地域との関わりを広げていっていただきたいですね。
地域であれ職場であれ、どんな組織であれ、ものごとを一人で進めていくことはできません。何かしらの大きな目標を達成するには「チーム」として支え合い、励まし合っていくことが欠かせないですよね。それは夫婦だって同じ。でも、そのことをパパは忘れがちではありませんか。
夫婦とは、子育てという"期間限定のプロジェクト"を共に遂行する同志であり、同じ船の乗組員です。パパ自身もまた、ハンドルを握った"主体者"であるとの自覚を持ってほしい——世のママたちがパパたちに一番求めているのも、その主体者意識ではないでしょうか。ママたちが「もっと話に耳を傾けてほしい」「一緒に考えてほしい」と口にするのも、全てそこに通じます。
主体者意識を持っていれば、家事も育児も妻に言われる前にやるはずです。やった事を、いちいち自慢もしないでしょう(笑い)。職場でも当たり前のことをやった上で、それ以上の成果を出して初めて評価されるものじゃないですか。
特にお子さんが幼いうちは週末だけでなく平日も、毎日10分や20分でいいから関わってほしい。男性は出産や授乳はできずとも、絵本の読み聞かせやお風呂入れ、保育園の送迎など、できることはいくらでもあります。日常の関わりなくして子どもとの信頼関係も育まれません。
パパにとって一番うれしく誇らしい成果——つまり"金メダル"は何かといえば、子どもの笑顔であり、「パパ大好き」という言葉であり、家族の絆です。ぜひ手に入れましょうよ。そんなパパが増えた分だけ、社会もより良くなるんですから。

2021年9月21日火曜日

2021.09.21 わが友に贈る

一人一人と語り合い
納得し合ってこそ
固い団結が生まれる。
広宣流布の大誓願へ
異体同心で前進しよう!

如説修行抄 P502
『万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば吹く風枝をならさず雨壤を砕かず、代は羲農の世となりて今生には不祥の災難を払ひ長生の術を得、人法共に不老不死の理顕れん時を各各御覧ぜよ現世安穏の証文疑い有る可からざる者なり』

【通解】
すべての人々が一同に南無妙法蓮華経と唱えるならば、吹く風は穏やかで、枝を鳴らさず、降る雨も土壌を砕かず、代は羲農(昔の中国における伏羲や神農)の時代のような理想社会となり、人々は今生には不幸な災難を払い、長生きできる方法を得て、人法ともに不老不死であるという道理がはっきりとあらわれてくるのである。
その時をおのおの見てごらんなさい。「現世安穏」という証文の正しさは疑いないのである。

名字の言 相手に「幸」を届けようとすると…… 2021年9月21日
地図を手書きしながら道を教えていた時のこと。テーブルを挟んで、向かいに座る相手側から読めるよう、文字を上下逆さまに書いた。説明の途中で、「あっ」と思わず声を出してしまった。幸町という地名の「幸」と書いた時だった。この文字が自分の側からも「幸」と見えたからだ▼相手に「幸」を届けようとすれば、自分にも「幸」が届くことになる……そう感じ、二人して笑顔になった。人の前に明かりをともせば、自分の前も明るくなるという仏法の教えを思い返した▼ただ現実は、なかなか思い通りにはいかない。ある女性部員は一人の友人の幸福を祈っては、折伏に出向いた。だが、友人は言い返すばかり。対話は実らず、月日が流れた▼それでも彼女は「反発や対立も"心の結び付き"の表れの一つですから」と言って、とても楽しそうだった。対話を諦めたり、友人を避けたりせず、機会をつくっては何度も喜んで足を運んだ。5年越しで弘教が実った▼御聖訓に「とにもかくにも法華経を強いて説き聞かせるべきである。信じる人は仏になり、謗る者は毒鼓の縁となって仏になる」(御書552ページ、通解)とある。「幸」の思いを誠実に語り続ければ、いつか必ず「自他共の幸福」を築いていける。

寸鉄 2021年9月21日
平坦な道を歩いていては宿命転換はできぬ—恩師 激戦は誉れ。飛躍の好機
中部が猛進。皆が青年の心で進む勝利の一番星!堅塁の誓い胸に歴史開け
信越・北陸が栄光の峰へ疾駆!縁の同志よ列島の中央から対話拡大の波を
臆病は大きな唯一の障壁—哲人。題目で自己の壁破れ。信心は勇気の異名
国連の「国際平和デー」。市民社会の連帯こそ希望核なき世界への潮流必ず

☆ヒーローズ 逆境を勝ち越えた英雄たち 第11回 アショーカ大王
〈アショーカ大王〉
「法による勝利」こそ、すなわち最上の勝利なり。それは現世また後世にまで利益と安楽をもたらす。

池田大作先生と対談した識者は、その人をたたえてやまない。
20世紀最大の歴史学者アーノルド・トインビー博士は「仏教哲人王」と評し、欧州統合の父クーデンホーフ=カレルギー伯爵は「世界で最高に尊敬したい大王」と絶賛した。
その人とは、インド史上最初の統一国家を築いたマウリヤ王朝の第3代の王・アショーカ大王である。
時は紀元前3世紀。今から約2300年前、仏教に帰依したアショーカは、戦争を悔いて「武力による政治」を「人道による政治」へと大転換し、「法(ダルマ)による統治」を実践した。
強者が弱者を支配する"弱肉強食の時代"。その中で福祉に力を入れ、井戸や道路などを整備し、人間はもとより家畜のための病院もつくった。正しい法に出あい、「民衆のために」生きようと決意したのである。
アショーカは述べている。
「世のすべての人の利益のために働くことよりも崇高な事業はない」「みずから民衆に親しみ、近づくことが、私がなせる最上のことである」と。そこには、活躍を支えてくれた民衆への感謝があったに違いない。
さらにアショーカは、仏教興隆の礎を築き、その教えを基調とした思想を伝え広めるため、石柱や岩石に「法勅」(碑文)を刻み、各地に残した。
仏典には「阿育」の名で登場し、釈尊に土の餅を供養した子どもが、その功徳で後にアショーカ大王として生まれたと説かれている。<「仏に土の餅を供養せし徳勝童子は阿育大王と生れたり」(御書1315ページ)>
法勅の一つに、こうある。
「法による勝利なるものこそ、これ、即ち、最上の勝利なれ……この法による勝利は、現世に関する利益安楽にして、また、後世に関するそれなり。人の凡ての愛楽をして、法に対する愛楽たらしめよ」
全ての人はわが子である——この深き信念で万人の利益と安楽を求めたアショーカの生涯。それは「一切の衆生は吾が子なり」との釈尊の慈悲の精神を、現実の世界で実現しようとした"未聞の挑戦"であった。

〈アショーカ大王〉
私は満足しない。世のすべての人々が幸福になるまでは。
それまで私は努力し働き続ける。

「王の中の王」として、世界史に名を刻むアショーカ大王。しかし彼は、最初から慈悲の指導者だったわけではない。むしろ、残忍なまでに武力を行使する「暴君」と恐れられた。
転機となったのは、即位から8年目。アショーカは大軍を率いて、インド南東部のカリンガ国(現在のオディシャ州など)を征服した。15万人が捕虜になり、10万人が殺されたといわれる「カリンガの大虐殺」である。
戦乱が招いた地獄の惨劇を前に、悔恨の念が大王を襲う。
「こんなことのために人は生まれたのか」「生きるとは、死ぬとは何のためか」——彼はその答えを仏教に見いだし、信仰の道を歩み始める。そして二度と戦争を起こさぬことを誓い、武器ではなく、「法」の剣を手に立ち上がったのである。
仏教を根底にした慈悲の政治によって、国内では数々の社会事業が進められ、他国には平和使節が派遣された。
彼は、個人としては熱心な仏教徒となったが、宗教を公平に扱ったことでも知られ、"法の阿育"として崇敬を集める。
「私は満足しない。世のすべての人々が利益を得るまでは。それまで私は努力し、政務に励む」「現世と来世〔における利益と安楽〕は、最上の法に対する愛慕、最上の観察、最上の敬信、最上の怖畏、最上の努力がなければ、達成することは困難である」——この熱誠に貫かれた「法による統治」は、約30年という歳月にわたった。
大王の没後、インドは分裂状態に陥るが、仏教は世界に広がり、さまざまな思想に影響を及ぼす"文化創造の源泉"となっていく。
アショーカが建立した「獅子柱頭」は、現在のインドの国章に制定されている。

〈アショーカ大王を語る池田先生〉
人間、何が幸せか。一日一日、「きょうもやり切った」「私は勝った」という行動を重ねることだ。
毎日、自分として「これでよし」と言えるよう精いっぱい生きることだ。

インド発祥の仏教は、アショーカ大王の没後、中国、韓・朝鮮半島を経て、日本へ伝わった。
日本では13世紀に日蓮大聖人が出現し、全人類の幸福と世界の平和を実現する「南無妙法蓮華経」の仏法を確立。その魂は創価学会の初代・牧口常三郎先生、第2代・戸田城聖先生、第3代・池田先生の三代会長に受け継がれ、「世界広宣流布」という師弟の大誓願となった。
1961年1、2月、池田先生は大聖人が予見した「仏法西還」の第一歩をアジアにしるす。
インドでは、アショーカ大王の法勅を刻んだ石柱を見学。その模様は小説『新・人間革命』第3巻「月氏」の章に詳しい。
石柱の下の語らいで、山本伸一は述べている。
「広宣流布の目的は、人びとが仏法を信じ、その結果、民衆が幸福になり、社会が平和になることにある。つまり、仏法の哲理が人間の生き方につながり、それが現実の社会に反映されなければならない。その一つの模範が、アショーカ大王の治世だと思う」
以来、60星霜——。太陽の仏法は、先生を中心とした同志のスクラムによって全世界へと広がり、192カ国・地域を照らす希望の陽光となった。
後に先生は、インド文化国際アカデミー理事長のロケッシュ・チャンドラ博士との対談の中で、アショーカを巡る語らいを展開。また、折々のスピーチや随筆などで大王の言葉と生涯を紹介してきた。
「民族や文化の違いを超えて、同じ人間として、一つの世界に生き、ともどもに幸福を願う——これこそが、アショーカ王の行動を支えた人間観であり、世界観です。世界市民の哲学といえるでしょう」(対談集『東洋の哲学を語る』)
「大王は『行動の人』であった。法勅に『私は、正しいと思ったことは、すべて我が身で実行したい。そして、正義を実現したいと願う』と——。
人間、何が幸せか。一日一日、『きょうも、やり切った』『きょうも悔いがない』『きょうも、私は勝った』という行動を重ねることです。毎日、自分として『これでよし』と言えるよう、精いっぱいの努力で生きる。その積み重ねが、大勝利の人生となるのです」(本紙1993年7月17日付「名誉会長の語らい」)
きょうの「行動」「努力」が未来を開く。永遠に変わらぬ、仏法勝利の方程式である。

2021年9月20日月曜日

2021.09.20 わが友に贈る

◇今週のことば
「我が身又多宝如来なり」
多宝会・宝寿会・錦宝会は
妙法の真実の証明者だ!
この偉大な父母を誇りに
立正安国の確信の対話を。
2021年9月20日

上野殿御返事 P1562
『花は開いて果となり月は出でて必ずみち燈は油をさせば光を増し草木は雨ふればさかう人は善根をなせば必ずさかう』

【通解】
花は咲いて果となり、月は出て必ず満ち、燈は油をさせば光を増し、草木は雨が降れば茂る。(同じように)人は善根を積めば必ず栄える。

名字の言 詩人が指摘する「再読」の大切さ 2021年9月20日
「本」には「もととなるもの」との意味がある。本を読み、思考する行為は、自身を見つめ、生き方の骨格を築くことにつながる▼ただ、一度読んだ本の内容は、時間の経過とともに忘れていくことが多い。詩人の長田弘氏は「再読」の大切さを指摘する。「再読のチャンスを自分であたえることで、読書という経験を、自分のなかで、絶えず新しい経験にしてゆくことができる」と(『読書からはじまる』ちくま文庫)▼現在、小説『新・人間革命』の4回目の読了に挑戦している福岡の女性。1回目は連載とともに読み終えた。2回目は山本伸一の行動記録を、3回目は小説に登場する御書の御文をノートに書き写し、心に刻んだ。4回目の今は、伸一の言葉を書き出している▼女性は、民生委員・児童委員を務めて16年。地域活動の大切さを実感してきた。小説を再読する中で、その思いはより一層強くなった。「『新・人間革命』は読み返すたび、新しい発見と感動があります」と▼「通読」で終わるのでも、「精読」で満足するのでもない。挑戦しながら読み、読んでは新たな挑戦へ。それを繰り返すことが、自身の人間革命につながる『新・人間革命』の読み方だろう。このリズムで、人生を勝ち飾りたい。

寸鉄 2021年9月20日
広布の使命に遅れて幸せはつかめぬ—戸田先生。宿命転換へ、戦う時は今
共戦の三代城・北海道が力闘。開拓魂で限界破る挑戦を!勝利劇ここから
九州・沖縄よ勇猛果敢に先駆の拡大を。力合わせ民衆凱歌の歴史を必ず!
コロナ禍で友人が少なくなった—8割。孤立進む社会に絆を!我らの声で
脱炭素宣言都市が増加。温暖化対策待ったなし!節電等、皆も足元で行動

〈社説〉 2021・9・20 きょうは「敬老の日」 
◇健康の鍵は人とのつながり
最近、メディアで話題の高齢者がいる。2人とも90代前半だ。
一人はファストフード大手マクドナルドの最高齢男性スタッフ。2019年、90歳から店舗で働き始めた。空き時間を有効活用したいと、偶然目にしたアルバイト情報に応募。もともと働くことが好きで、客席の清掃やサイドメニュー作りを担当している。
もう一人は、趣味の「新聞ちぎり絵」がSNSで話題になり、作品集を出版した木村セツさん。ちぎり絵を始めたのは90歳。夫を亡くした彼女を心配した家族が勧めた。作品の反響が励みだという。
いま、外出自粛の影響で高齢者の「フレイル(虚弱)」のリスクが高まっている。フレイルとは、加齢とともに体や心の働き、社会的なつながりが低下した状態のこと。要介護状態の一歩手前と位置付けられている。
厚生労働省は、フレイル予防のポイントとして「栄養」「身体活動」「社会参加」の三つを挙げている。中でも、社会参加の減少はフレイルの入り口といわれ、うつや筋力低下など負の連鎖を起こしやすい。そのため、社会参加を維持することが健康長寿の鍵となる。
各自治体もフレイル予防に力を入れ始めた。独自の取り組みを行う長崎県佐世保市は、昨年5月、高齢者と子どもが手紙をやりとりする文通プロジェクトを開始。参加者は徐々に増え、本年3月には感染予防対策の上で、文通相手と初めて対面するイベントが行われた。
日本老年学的評価研究機構(JAGES)の調査によると、コロナ禍の前からも趣味、スポーツ、ボランティアなどに月1回以上参加していた人、コロナ禍になってから開始した人は、そうでない人と比べ、フレイルになる割合が低いことが分かった。電話や手紙、メールなど非対面の交流でも、積極的に取り組む人は、うつになりにくいことが確認された。
創価学会では、多くの高齢の友が活躍する。コロナ禍でオンラインも活用するようになった。多宝の先輩の中には、慣れないスマホの操作に悪戦苦闘した人もいただろう。配慮を尽くしながら友と対面で交流を深めている方もいる。
池田先生は「広宣流布に生きる人の生命は、『生涯青春』である」と。祈りと知恵で人とつながる挑戦は、人生100年時代を輝かせる。きょうは敬老の日。

☆池田先生と共に 希望・勝利の師弟旅 一閻浮提第一の正義の誇り 2021年9月9日
9月12日は、竜の口の法難から満750年となる。
いかなる権力の魔性の闇も打ち晴らす、正義の太陽が末法万年尽未来際へ勝ち昇った光源の日である。
日蓮大聖人の大慈大悲は御自身の「発迹顕本」を、愛弟子たちとの共戦譜として留め残してくださった。
大聖人の乗られた馬の口に取り付いてお供した四条金吾は、「一閻浮提第一の法華経の御かたうど(=味方)」(御書1184ページ)と讃嘆された。梵天・帝釈から厳然と守られ、「御ともの御ほうこうにて仏にならせ給うべし」(同ページ)とお約束である。
御本仏に直結して「死身弘法」された牧口・戸田両先生に続き、我ら創価の師弟は三類の強敵と戦い抜いて世界広宣流布を成し遂げてきた。学会こそ、必ずや現代における「一閻浮提第一の法華経の御かたうど」と、御照覧いただけるであろう。
誉れの同志は、大聖人のお心を体した御奉公というべき立正安国の貢献に労苦をいとわず挑んでいる。
梵天・帝釈を悠然と味方にしながら、地涌の勇者がそれぞれの眷属と共に、仏の大境涯を開きゆけることは、絶対に間違いないのだ。
◇ ◆ ◇
竜の口の法難に続く佐渡流罪の渦中も、けなげな門下たちは師弟不二の信心を貫き通した。
幼子を抱えて、鎌倉から佐渡の大聖人を訪ねた母は「日妙聖人」と賞讃された。
大聖人は、なぜ御自身が流罪に遭われたのか——それは「貴女の厚いお志があらわれるためであったのかと、ただありがたく思うばかりです」(御書1222ページ、通解)とまで仰せである。
あの大阪事件の折、戸田先生はこうした御書を拝しつつ、私と一緒に難に立ち向かってくれた関西の同志、なかんずく母たち女性たちを最大に讃えられた。
そして先生は、勇気をもって進め! 人類の平和と幸福のために、何があっても恐れなく戦い、みんなで常勝不滅なる生命の凱歌を飾りゆけ!と、励ましてくださったのである。
今、関西をはじめ全国、全世界のいずこにも、創価の四条金吾、日妙聖人が輝き光っている。この学会家族の異体同心の連帯で、試練に直面する地域へ社会へ「変毒為薬」の希望と安心を力強く送っていきたい。
◇ ◆ ◇
わが尊き女子部は、「11・18」を目指して、白蓮グループを先頭に、仲良く朗らかに前進している。
きょう9日は、「女子学生部」の日である。
「蓮華と申す花は菓と花と同時なり」(同1580ページ)。妙法蓮華の当体たる乙女が祈り、学び、語り、舞う生命は、そのまま幸の花を咲かせ、今ここから福徳の実りを広げゆけるのだ。
どうか、かけがえのない青春の一日一日、一生涯の友情のスクラムと、永遠の幸福の土台を楽しく聡明に築いていただきたい。そう、妻と朝な夕な祈っている。

2021年9月19日日曜日

2021.09.19 わが友に贈る

さあ心軽やかに
仏縁を広げゆこう!
人と人の絆を結ぶ交流は
平和と安穏を築く
最も確かな原動力だ!

四条金吾殿御返事 P1185
『今度の命たすかり候は偏に釈迦仏の貴辺の身に入り替らせ給いて御たすけ候か』

【通解】
このたび私の命が助かったことは、ひとえに釈迦仏が、あなたの身に入りかわって助けてくださったと思っております。

名字の言 校長を務める壮年の体験 2021年9月19日
生花店を営む友の言葉が、ずっと心に残っている。「植物には、寒くても、暗い日陰でも、美しく咲く花がたくさんあります。人間にも通じる話ではないでしょうか」▼ある壮年から体験を聞いた。少年時代、両親が離婚。母は働きづめで、夕食が済むと、すぐにまた仕事へ。夕食の時間が嫌いになった。母を捜し、泣きながら夜の町をさまよい、警察に保護されたことも▼寂しさが募る彼の心を、学会の同志が太陽のように月のように明るく照らした。「おなかすいてない?」と顔をのぞかせる女性部の"お母さん"。寡黙な男子部の"お兄さん"は、何も聞かず話さず、一緒に部屋でマンガを読むだけ。でも帰り際、いつも肩を抱き「俺は味方だから」。照れくさかったが、うれしかった。真心に支えられた彼は教育者を目指し、勉強に励むようになった▼現在、音楽・映像技術などを習得しながら高卒資格が取れる高等専修学校の校長を務める。生徒の多くが不登校の経験者。「彼、彼女たちこそ人の痛みが分かる大人材です」と。"寒く""暗く"感じた日々さえ糧にして人生に花を咲かせた壮年の話を聞き、胸が温かくなった▼人は何があろうと幸福の花を咲かせられる。信じ、祈り、寄り添う存在さえあれば。

寸鉄 2021年9月19日
歴史をつくらずして何の人生か—戸田先生。自身の最高記録へ勇敢に挑戦
大阪の勝利が凱歌の秋を開く。"負けたらあかん"の執念で圧倒的な拡大を
兵庫よ今が総立ちの時!対話の大渦を。勝ち鬨を"常勝の電源地"に轟かせ
100歳以上の人が過去最多と。生涯青春で進む多宝の友こそ長寿社会の模範
全国の感染者減の要因に接種—専門家。重症予防の効果も。公明の貢献大

☆四季の励まし 「竜の口の法難」満750年——「法華経の兵法」こそ無敵 2021年9月12日
◇池田先生の言葉
妙法は無限の希望である。
この永遠の大法則に
則って生きるならば、
何ものにも屈しない
希望が生まれ、
何ものをも打開する
希望が広がる。
私たちの
日々の真剣な祈り、
地道な励ましの行動、
たゆまぬ
確信の対話こそが、
千年、万年までも
人類を導く
「立正安国」の大道を
開くのだ。

我らには
無敵の妙法がある。
社会の繁栄、
民衆の幸福のための
大言論戦に、
「断じて勝つ」と決めて、
祈ることだ。
誰かに
やらせるのではない。
自分が、
わが身を惜しまず、
戦い抜くことである。

御書を
心肝に染めた人は強い。
その胸には
嵐に揺るがぬ柱が立つ。
いかなる障魔をも見破り、
断ち切っていける。
それが、
真剣勝負の研鑽で磨いた
信仰の利剣なのだ。

戦いは、
勝つと決めた人が勝つ。
いわんや、
「一念三千」の妙法を
行じゆく皆さま方は、
無量の仏の力を
湧き出すことができる。
無数の諸天善神を
動かすことができる。
これが、
「何の兵法にも勝る」
法華経の兵法である。

どうせ戦うならば、
楽しく戦おう!
苦難をも笑い飛ばして、
朗らかに進もう!
勝てば、楽しい。
痛快である。
どれだけ、
自分自身を
大きくしていけるか。
思い切って
挑んでいくことだ。

【写真説明】稜線のシルエットの向こうに、雲海を突き抜け、白雪の富士がそびえる。2001年(平成13年)10月、池田大作先生が山梨で撮影した。
王者の富士のごとく、日蓮大聖人はいかなる烈風にも屈せず、民衆救済の闘争を貫かれた。
きょう9月12日は、大聖人が斬首の危機に直面した「竜の口の法難」から満750年。文永8年(1271年)のこの日、大聖人は発迹顕本され、凡夫の身のままで末法の御本仏の御境地を顕された。
御書に「賢人は八風と申して八のかぜにをかされぬを賢人と申すなり」(1151ページ)と。大聖人直結の私たちは、毀誉褒貶の嵐に揺るがず、正義の対話を広げゆこう。

☆質問BOX 悩んでいる友人に、どう声を掛ければいいか分かりません。
◇回答
"どんな声を掛けようか?"と考えるあまり、タイミングを逃してしまった——。そんな経験をしたことがある人は、多いかもしれません。
何を話すかも、もちろん大切ですが、何気ないあいさつでも、相手への思いや、真心は十分に伝わります。
もし、対面や電話で声を掛けることが難しければ、メールやSNSを活用してもいいでしょう。"気に掛けてくれる人がいる"と伝わることで大きな励みになります。
池田先生は「たった一言の励ましによって、気力が倍加し、勇気が漲ることは、じつに多い。励ましは英語で『エンカレッジ』。勇気(カレッジ)を吹き込むことだ」とつづっています。
一言でも、一通のメールでも、思いを込めれば必ず相手に伝わります。勇気を出して、友に声を掛けていきましょう

☆桂冠詩人40周年 勇気の舞 凱歌の行進 第5回 東海道・神奈川編
◇「正義の旗 平和の心」(1988年)
詩人は
海を見ていた
埠頭に立って
夜明けを待った

◆◇◆

君たちよ あなたたちよ
「正義」 必ずしも勝つとはかぎらぬ
肝要なのは 「正義」なるがゆえに
断じて勝たねばならないという
我らの強靱なる不退の一念だ
「仏法は勝負」だからだ

そのために
自己を磨こう 力をつけよう
力とは 真剣だ
力とは 信頼だ
力とは 実証だ
力とは 持続だ
また 力とは 団結だ

◆◇◆

愛する 愛する
君たちよ あなたたちよ
恩師が託した平和の心をいだいて
この港より陸続と船出してくれ給え
私とともに金の航路を
文化の走者 平和の走者として
さっそうと 胸張り進み
太平洋はるかに また はるかに
友情の虹を懸けてくれ給え

そして ここに
我が町 我が近隣 我が職場に
「友よ 見てくれ
これが地球の平和の縮図だ」といえる
幸と歓喜の
アルカディア(理想郷)を創りゆこうよ
あなたこそが
そのパイオニアにして
人間外交の全権大使なのだ

☆御書カフェ 華陽姉妹の語らい 深く信心を発して日夜朝暮に又懈らず磨くべし何様にしてか磨くべき只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを是をみがくとは云うなり 2021年9月12日
◇御文
『深く信心を発して日夜朝暮に又懈らず磨くべし何様にしてか磨くべき只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを是をみがくとは云うなり』(一生成仏抄、御書384ページ)

◇通解
深く信心を起こし、日夜朝暮に怠らずわが心を磨くべきである。どのように磨くべきか。ただ南無妙法蓮華経と唱えることが磨くことになる。

◇教えて
自分の壁を破るために、どう祈ることが大切ですか?

◇池田先生の指導
題目を唱え切っていく時、私たちの生命が錬磨され、無明を打ち払うことができる。(中略)
成仏を阻む根本の迷いである無明と戦うためには、深い信心を起こす「勇気」が必要です。また、一生成仏のためには、弛むことなく「持続の信心」を重ねていくことが大切であると教えられているのです。(『信仰の基本「信行学」』)
◇ ◆ ◇
何があろうと、題目を唱えていくならば、必ず、より善い方向へ、幸福の方向へ、勝利の方向へと、ありのままの自分を輝かせていけます。
この自分自身の人間革命の前進の息吹で、友も変えていける。境遇も変えていける。地域も社会も変えられるのです。
どうか、この「人間革命」即「立正安国」の仏法を、生き生きと学び、自信満々と語り、粘り強く実践していってください。(2021・6・4付、「世界池田華陽会の日」記念 池田先生ご夫妻のメッセージ)

2021年9月18日土曜日

2021.09.18 わが友に贈る

台風による大雨や
土砂災害に厳重警戒!
過ぎ去った後も
増水河川に近づかない等
油断をせずに行動を!

上野殿御返事 P1557
『とにかくに法華経に身をまかせ信ぜさせ給へ、殿一人にかぎるべからず信心をすすめ給いて過去の父母等をすくわせ給へ』

【通解】
ともかくも法華経に身をまかせて信じていきなさい。あなた一人だけが信ずるだけでなく、信心をすすめて、過去の父母等を救っていきなさい。

名字の言 "祖父と孫"の会話を聞いて—— 2021年9月18日
今年の正月、届いた年賀状に牛の絵が多いことを不思議がる子どもに母が教えた。「うし年だから。ちなみに来年はとら年」。すると子どもは驚いて言った。「もう決まったの?」▼十二支の慣習を知らない子どもにとっては素朴な疑問だろう。ただ、時に子どもの無垢な発言は、大人がすでに認知しているつもりの"事の本質"を見直すきっかけになることがある▼3世代が同居する男子部の友から心温まる話を聞いた。過日、彼の実父と小学生の息子が隣の部屋で話し込んでいたという。聞くともなく、"祖父と孫"の会話が耳に届いた▼「僕、夏休みに題目をあげたけれど、願いはかなわなかったよ」。不平をもらす孫を祖父が諭した。「かなうまで祈らにゃ、祈りとはいわん。でも祈りきれば必ず道は開けるよ」。「絶対?」「ああ、絶対だ」という会話を数回繰り返した後、孫が言った。「じゃあ、もう少し頑張ってみようっと」。このやりとりに男子部の友は、わが子の成長を喜ぶとともに、自身も信心の決意を新たにしたという▼今月20日の敬老の日と、23日の少年少女部結成記念日に挟まれた21日は中秋の名月である。多宝会と広布後継の宝——宝の両者が月を仰ぎつつ、心広々と信心を語らうのもいい。

寸鉄 2021年9月18日
「仏をば世雄と号し」御書 現実社会が青年の本舞台 誠実第一で信頼の大旗を
広島戸田総県が不撓不屈の魂で前進!動き、語り、勝利への突破口を今こそ
東京の北、足立、豊島、板橋が勇進。勢いで勝て。総力で正義の対話拡大!
打ち合わせや会議は要点を定め簡潔に。清々しい心で励ましを友のもとへ
抗体カクテル療法、患者95%が症状改善。公明推進で外来でも投与広がる

〈社説〉 2021・9・18 ハーバード大学講演30年
◇「内発の力」で人間の絆を蘇生
「ソフト・パワー」という概念が生まれたのは、1990年。米ハーバード大学教授で国際政治学者のジョセフ・ナイ博士が提唱した。それは、文化や価値観を通じて他国を魅了する力であり、軍事力や権力、富といった「ハード・パワー」とは対極にあるものだ。
ナイ博士自身や、同大学ケネディ政治大学院の"創立の父"といわれるジョン・モンゴメリー博士らを中心に、同大学から池田先生に講演を要請する招聘状が、3度にわたって送られた(87年3月、同年6月、91年3月)。
世界は当時、東欧民主化、米ソ冷戦の終結、東西ドイツの統合、湾岸戦争の勃発……と激変した。古い国際秩序は崩れ、希望と不安が錯綜する中、人類は新たな道を模索していたといってよい。
要請に応え、先生が「ソフト・パワーの時代と哲学」と題して、同大学での1回目の講演を行ったのは91年9月26日であった(2年後に2度目の講演が実現)。
歴史を動かす力の軸足が、ハード・パワーからソフト・パワーに移りゆく時代状況を見据えつつ、先生は、今こそ、ソフト・パワーを支える哲学、人間自身の「内発の力」が必要だと訴えた。
例えば、文化が必ずしも友好を促すわけではない。異文化の接触が嫌悪や反目につながる可能性もある。そうした破壊の悪を抑え、人間の絆を結ぶ善きものにしていくには、苦悩や忍耐や熟慮を厭わぬ「内発的な自己規律、自己制御の心」が求められるのだ。
世界には今も、ハード・パワーの衝突や対立がある。だが一方で、地球規模の気候変動や感染症等に対する国境を超えた協力などを見ても、国際外交における対話重視の傾向を見ても、ソフト・パワーの重要性は確実に増している。
先生は、自己規律の哲学は「友情、信頼、愛情など、かけがえのない人間の絆を瑞々しく蘇生」させうるとも期待を込めた。
ソフト・パワーは身近なものだ。文化や価値観の異なる他者と向き合う時、どんなに苦悩や葛藤があっても、相手の善性を信じ、対話を諦めない。その内発的な自己規律に裏打ちされた言葉は、いつか必ず相手の心に届く。共に平和への一歩を踏み出す力となる。
ハーバード講演から30年。平和を創るソフト・パワーの「内発の力」は、我らの日々の対話に脈打っていると、誇り高く前進したい。

☆桂冠詩人40周年 勇気の舞 凱歌の行進 第5回 東海道・静岡編
◇「富士光る幸の宝土」(1988年)
刻々と動きゆく天空に
富士は堂々とそびえ立つ
七彩の雲をいだきし頂は
純白にきらめき
その包容の裾野は
美しき羽を広げぬ

◆◇◆

広宣流布のために
自分は何をすべきか——
常に その問いかけを忘れまい
そして
人を恃むな
そこに後退の因はある
どんなに大勢でも
それに安住してはならない
それぞれが それぞれの
使命を果たさずしては
大願の成就は決してないからだ

ゆえに君よ
創価学会のなかの自分ではない
自分のなかに
創価学会はあることを忘れまい

おお 素晴らしきかな
広宣の生涯!
一滴の水も葉上に眠れば
はかない露と消える
しかし 大海に合せば
世界をつつむ

◆◇◆

さあ 友よ
金の絆で
心と心を結びし君たちよ
歓喜の旗をなびかせながら
富士と語りつつ
三世に薫るこの道を
肩組み ともどもに行こう!
どこまでも また どこまでも

☆みんなで学ぶ教学 第20回 声仏事を為す
◇相手を思いやる
今回の「みんなで学ぶ教学」は、「声仏事を為す」がテーマです。一人一人に勇気と希望を送り、世界広布を前進させてきた、"声の力"について学んでいきましょう。新入会者のカツヤくんは、資格試験を明日に控え、不安を抱えています。そこにユタカ支部長から電話が……。

カツヤ ユタカ支部長の声を聞いていたら、なんだか心が落ち着いてきました。ありがとうございます。

ユタカ それは良かった! そう言ってくれると、私もうれしいよ。

カツヤ 声って不思議ですよね。
例えば、同じ言葉でも、表情や声のトーンなどによって、相手への伝わり方も変わりますよね。

ユタカ そうだね。同じ言葉でも、人に希望を与えることもあれば、人を傷つけてしまうこともあるからね。

カツヤ 確かにそうですよね。
声って大事だなあ。

ユタカ 日蓮大聖人は、「言葉というのは心の思いを響かせて、声に表したものをいうのである」(御書563ページ、通解)と仰せになっている。
声や言葉には、心の思いがそのまま反映するんだ。だから、いつも何を思い、祈っているかが大切なんだよ。

カツヤ 仏教の創始者である釈尊は、対話の名人だったんですよね。

ユタカ 釈尊は、"自身が悟った法を、人々が理解できるだろうか"と悩み、説くべきかどうか葛藤したと伝えられているんだ。
それでも、困難を覚悟した上で、声を発し、言葉を紡ぎ、民衆救済の言論戦を開始していった。やむにやまれぬ思いが人々の心に響いたんだよ。その釈尊の言葉が、後に弟子たちによって集められ仏典となっていったんだ。

カツヤ そうなんですね。

ユタカ 日蓮大聖人は「経とは一切衆生の言語音声を経と云うなり、釈に云く声仏事を為す之を名けて経と為すと」(同708ページ)と述べられている。(南無妙法蓮華経の)経とは一切衆生が仏法を語り広げる声であり、声が「仏事」を成し遂げるということを教えられているんだ。
「仏事」とは、あらゆる障魔を打ち破り、衆生を成仏へと導こうとする仏の戦いのことをいうんだよ。
大聖人は経典に照らして、妙法を弘めれば、必ず大難が競い起こることを覚悟の上で、正義の声、慈悲の声で、末法の衆生を救う御闘争を貫かれたんだ。

カツヤ なるほど。
声の重要性が分かりました。

ユタカ 池田先生は「衆生を救いゆくために仏が具える特性の第一は、『声』なのだ。それは何か特別な声ではない。相手を思いやる深く強い慈愛の声といえまいか。その真剣にして確信あふれる響きが、人びとを励まし、救う力を持つのである」と語られているんだ。
友人や同志の幸福を真剣に祈り抜く、その真心から発せられる"声の力"で、人々を不幸に陥れる魔の働きを打ち破り、一人一人の人生を希望の方向へ、幸福の方向へと導いてきたんだ。そうした立正安国の"声"が積み重なり、世界に仏法が広がっていったんだよ。

カツヤ なんだか、ユタカ支部長と話していたら、友人と仏法対話したくなってきました。今から連絡してみようかな。

ユタカ 素晴らしいね。でも、まずは明日の資格試験をやり切ってからだね! 応援しているよ。

2021年9月17日金曜日

2021.09.17 わが友に贈る

「南無妙法蓮華経は
師子吼の如し」
病魔に打ち勝つ力は
強き祈りから生まれる。
不屈の心を燃やして!

佐渡御書 P961
『日蓮御房は師匠にておはせども余にこはし我等はやはらかに法華経を弘むべしと云んは螢火が日月をわらひ蟻塚が華山を下し井江が河海をあなづり烏鵲が鸞鳳をわらふなるべしわらふなるべし』

【通解】
「日蓮さんは私たちの師匠ではあられるが、あまりにも強引だ。私たちは(師匠と違って)柔らかに法華経を弘めましょう」と言うのは、ホタルの光が太陽と月を笑い、アリ塚が華山を見くだし、井戸や小川が大河や大海を軽蔑し、小鳥のカササギが偉大な鸞鳥と鳳凰を笑うようなものである、笑うようなものである。

名字の言 キンモクセイの香りに包まれて 2021年9月17日
いつも歩く道がキンモクセイの優しい香りに包まれた。マスクをしていても、それと分かる香りが、秋の訪れを感じさせる▼キンモクセイは春のジンチョウゲ、夏のクチナシと並ぶ三大香木の一つ。常緑樹で普段は目立たないが、1週間ほどの開花期間に存在感を増す。近づくと、オレンジ色の小さな花が輝いていた▼キンモクセイを見ながら、ふと、ある文化人のまなざしを思い出した。取材場所は築65年を超えるビル。階段の手すりや滑り止めなどに使われている真ちゅうはピカピカに磨き上げられていた。その方は清掃作業員を見つけると「いつもありがとうございます」と深々と頭を下げた。「こういう方々を絶対に忘れてはいけません」▼私たちの生活は、陰の役割に徹して苦労を厭わない方々に支えられている。新聞を手にできるのも、配達や印刷してくださる方がいるから。会合に気持ちよく参加できるのも、案内や清掃などに黙々と励む友がいるから。コロナ禍の今この時も、命を守る人々の懸命な奮闘があることを忘れまい▼ともすれば当たり前と思い、見過ごしてしまいがちなことに視線を注ぎ、感謝を伝える人でありたい。先の文化人のように。キンモクセイの花言葉は、「謙虚」である。

寸鉄 2021年9月17日
誠実が戦いの全て—戸田先生。周囲に信頼の輪を。立正安国の一歩はそこに
北海道・大空知総県、留萌創価県が弾む心で勇戦!新たな勝利の歴史を皆で
鳥取・島根の日。一人立つ勇者がいれば地域に希望が!山光を照らす太陽と
大雨への備えは"早めの避難"が必須。情報注視しためらわず命守る行動を
ネット中傷厳罰化へ議論進む。卑劣な言論の暴力、人権侵害の撲滅を今こそ

☆御書の旭光を 第52回 広布の開拓は若人の手で
〈御文〉
『此の十法界は一人の心より出で八万四千の法門と成るなり、一人を手本として一切衆生平等なること是くの如し』(三世諸仏総勘文教相廃立、564ページ)

〈通解〉
この十法界は一人の心から生み出されて八万四千の法門となるのである。この法門は、一人を手本として、いかなる人にも等しく当てはまるのである。

〈池田先生が贈る指針〉
一人の生命が、いかに偉大な光を放つか。全人類を包含する十界互具・一念三千の普遍の法理を掲げ、人間革命の実証を世界中で示しているのが創価の師弟である。
広布の地平を開くのは若き地涌の熱と力だ。誠実に一人の若人の心をつかむことは、万人に通ずる。わが男女青年部よ、新時代の勇敢なる開拓を頼む!

☆池田華陽会御書30編 研さんのために 法華証明抄
◇"戦う心"に希望と確信が
今月は「法華証明抄」を学びます。池田先生はつづられました。
「本抄は、日蓮大聖人が、病魔・死魔と戦う愛弟子のために、渾身の力を振り絞られて大激励をされた御書であります」「弟子が師と不二の道を貫けば、打ち破れない魔性などありません。師弟が一体であれば、変毒為薬できない病気などありません。健康・長寿の要諦を示す『師弟勝利の一書』。これが『法華証明抄』です」
若き青年門下のため、烈々たる気迫で病魔を打ち破られる日蓮大聖人の"師子吼"を心に刻み、敢然と障魔と戦い、勝ち抜く「法華経の行者」の真髄を学んでいきましょう。

◇本抄について
本抄は、弘安5年(1282年)2月28日、日蓮大聖人が身延で認められ、駿河国(静岡県中央部)の門下、南条時光に送られました。
この前年から、大聖人は病と闘われていました。そのような時に、駿河の地で勇敢に戦ってきた時光が、重病であるとの報告が入ります。当時、時光は24歳の青年でした。
大聖人は、本抄を著される3日前の2月25日、時光へのお見舞いの書状を弟子に代筆させて送られます。そして今度は、自ら病を押して筆を執られ、全精魂を注いで激励のお手紙を認められたのです。
本抄は、冒頭に「法華経の行者 日蓮(花押)」と記されています。末法広宣流布のため、あらゆる大難を勝ち越えてきた「法華経の行者」として、大聖人が後継の弟子へ、厳愛の御指導をつづられています。

◇御文
『すでに仏になるべしと見へ候へば・天魔・外道が病をつけてをどさんと心み候か、命はかぎりある事なり・すこしも・をどろく事なかれ、又鬼神めらめ此の人をなやますは剣をさかさまに・のむか又大火をいだくか、三世十方の仏の大怨敵となるか、あなかしこ・あなかしこ、此の人のやまいを忽になをして・かへりてまほりとなりて鬼道の大苦をぬくべきか』(1587ページ4行目〜7行目)

◇通解
(南条時光が)もはや仏に成ることは間違いないと見えたからこそ、天魔や外道が病にさせて脅そうと試みているのでしょう。人の命には限りがあります。ですから少しも驚いてはいけません。
また、鬼神どもよ。この人(時光)を悩ますとは、剣を逆さまにのむのか。自ら、大火を抱くのか。三世十方の仏の大怨敵となるのか。まことに恐れるべきである。この人の病をすぐに治して、反対に、この人の守りとなって餓鬼道の大苦から免れるべきではないか。

◇解説
大聖人は病床の南条時光に、まず、末法に法華経を信じる人は、経文に「過去に十万億の仏を供養した人である」(御書1586ページ、通解)と説かれることを示されます。
末法の時代に、最高真実の法である法華経を持つことは、計り知れないほど大きな福運です。そう確信し、信心を貫いていけば、「転重軽受」「変毒為薬」の妙法の功力によって、必ず苦難を乗り越えられる——この希望と確信を教えられ、時光を力強く励まされています。
続いて、悪世末法に強盛な信心を貫き通した時光の両親を称賛され、あとを継いだ時光もまた、不屈の信仰を貫いてきたとたたえられます。
時光は、駿河の日蓮門下たちが大弾圧を受けた「熱原の法難」でも、矢面に立って同志を守り、門下の要として戦い抜きました。
それを踏まえ、掲げた御文で大聖人は、現在の病は、時光が強盛な信心を貫いてきたために、成仏を阻もうといよいよ大きく競い起こってきた、障魔の働きであることを教えられます。
そして、時光への明快な御指導として「すこしも・をどろく事なかれ」と仰せです。病気になること自体は、決して敗北や後退ではありません。大事なことは"断じて病魔に打ち勝つ"と決め、"必ず変毒為薬してみせる"との一念で、祈り、闘い抜くことです。
大聖人は、時光を苦しめる病魔をたたき出すかのように、「鬼神めらめ」と叫ばれます。さらに"この人を苦しめるとは、自らを滅ぼそうとしているのか。あらゆる仏を敵にまわそうというのか"と、鬼神を烈火のごとく叱り飛ばされました。
鬼神とは、人の生命をむしばみ、奪う働きをするものの総称です。もともと、大苦の餓鬼道の衆生である鬼神は、法華経を持つ人を守護することで、その苦悩の境涯を脱することができます。ゆえに、大聖人は鬼神に対して、時光の病を速やかに治し、餓鬼道の苦しみを免れていくよう厳しく命じられているのです。
大聖人は本抄で、いかなる障魔も勇気の信心で勝ち越えていく、法華経の行者の"戦う心"を示されました。この厳愛の御指導を胸に、時光は不屈の信心を燃やし、見事に大病を克服します。寿命を50年も延ばし、師匠への報恩の人生を歩み抜いたのです。
師の一念に心を合わせ、祈り抜く時、無限の勇気と力が湧き上がります。師弟誓願の題目を根本に、幸福勝利の青春を開いていきましょう。

◇池田先生の指針から
病気になった時に、病魔と闘う信心を奮い起こせば、その時こそ、常楽我浄の人生の勝利を開く転機となる。(中略)
大事なことは、どんな壁が立ちはだかっても、絶対に変毒為薬できるとの「確信」をもつことです。この「変毒為薬してみせるという大確信」こそ、病気をはじめ種々の困難をも打ち破り、必ず必ず成仏への道を広々と開いていく要諦なのです。(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第6巻)
◇ ◆ ◇
鬼神どもを厳然と弾呵していく。この「法華経の行者」の何ものをも恐れぬ大確信を、大聖人は時光に示されていると拝されます。
であればこそ、私たちも、いよいよ、「法華経の行者の祈り」を強盛にして、病魔に対しては「鬼神めらめ」と叱責しながら、一切の悪鬼をも、わが使命の人生の味方に変えていく決心で前進していきたい。
ゆえに、師子吼の如き題目が大切です。(中略)
いかなる病魔に対しても、わが生命の奥底から「師子王の心」を取りいだして、敢然と立ち向かっていく——この「勇気ある信心」が根幹となるのです。(同)

研さんのために
○…『勝利の経典「御書」に学ぶ』第6巻(聖教新聞社)。

2021年9月16日木曜日

2021.09.16 わが友に贈る

リーダーの率先の姿が
同志を鼓舞する。
さあ誠実な対話へ!
動いてつかんだ実感を
ありのままに語ろう!

治病大小権実違目 P997
『元品の法性は梵天帝釈等と顕われ元品の無明は第六天の魔王と顕われたり、善神は悪人をあだむ悪鬼は善人をあだむ、末法に入りぬれば自然に悪鬼は国中に充満せり』

【通解】
元品の法性が梵天・帝釈等の諸天善神と顕れ、元品の無明は第六天の魔王と顕れているのである。善神は悪人をあだみ悪鬼は善人をあだむ。今は末法に入っているから、おのずから悪鬼が国中に充満している。

名字の言 歌手の魅力を最大限に引き出した作曲家・筒美京平氏 2021年9月16日
誰もが一度は耳にしたことがあるだろう。アニメ「サザエさん」の主題歌、日本レコード大賞受賞曲「また逢う日まで」など、作曲家・筒美京平氏が手掛けた曲は2800以上。作品総売上枚数は歴代1位を誇る▼数多くのヒット曲を生んだ氏が、作曲とともに力を入れたのが歌手の魅力を最大限に引き出すこと。歌い手の声質や性格を見抜いて助言し、要望に応じて編曲もした。その人の個性を重視し、多くのアーティストの才能を開花させた▼法華経に登場する妙音菩薩は、相手の境遇に応じて「三十四種類の姿」に身を変え、法を説いたという。それに歓喜した八万四千の菩薩も、同じように人々を救う行動を起こした。一人に尽くす慈悲は、幸の万波となった▼時には共にカメラに納まり、時にはピアノを弾いて——。池田先生の励ましは、その時、その場、その人に応じて自在である。ある出版関係者は、先生の言葉には、ぶれがなく、縁する人に「幸福になってほしい」との思いがあふれている、と。相手を思う真心こそ、励ましの智慧を生む根幹である▼妙音菩薩は、「能く娑婆世界の諸の衆生を救護する者なり」(法華経616ページ)と説かれる。友の心を揺さぶる「希望の妙音」を紡ぎ奏でたい。

寸鉄 2021年9月16日
新しい仕事は自分の枠を破ることから—戸田先生 弾ける生命で日々前進!
東京・秋川「師弟原点の日」。正義の魂継ぐ誉れ。勇み立正安国の言論戦を
他人にある勇気や忍耐はあなたの中にも—詩人。信心は胸中の宝輝かす力
流感とコロナ、同時流行警戒—医師。ワクチン・手洗い・マスク等聡明に
炊飯器や加湿器の蒸気による幼子の火傷に注意。設置は手の届かない所へ

☆男子部大学校生大会への池田先生のメッセージ
◇使命の舞台で挑戦貫き青年凱歌の連帯広げよ
正義の若師子たる大学校生の諸君、たくましき鍛えと成長の夏、ご苦労さま! 共戦の先輩たちも、尊き献身、いつもありがとう!
この秋は、日蓮大聖人の「竜の口の法難」より750年です。命に及ぶ大難に臨まれても、不二の弟子に悠然と、「これほどの悦びをば・わらへかし」(御書914ページ)と語られながら、発迹顕本されたのです。
戸田先生は、御本仏の闘争を通し、語られました。「行き詰まりを感じたならば、大信力を奮い起こして、自分の弱い心に挑み、それを乗り越え、境涯を開いていくことだ。それが、我々の月々日々の『発迹顕本』である」と。
今、試練の時代の中、思わぬ苦労や困難があるに違いない。
しかし、地涌の君たちには、「我即宇宙」「宇宙即我」という、生命の無限の可能性を解き放てる自行化他の題目がある。自他共に「人間革命」即「立正安国」の歴史を開ける広布の実践がある。
御聖訓に、「智者とは世間の法より外に仏法を行ず、世間の治世の法を能く能く心へて候を智者とは申すなり」(同1466ページ)と仰せです。
どうか、誉れの大学校生は、わが使命の舞台たる職場でも地域でも、「信心即生活」の挑戦を貫き、「仏法即社会」の実証を示しながら、「仏法勝負」の先駆の英雄として、青年凱歌のスクラムを勝ち広げてくれ給え!
愛弟子一人一人の健康と前進、負けじ魂の活躍を祈りつつ。

☆9月度座談会拝読御書 四条金吾殿御返事(煩悩即菩提御書)
◇拝読御文
『法華経の信心を・とをし給へ・火をきるに・やすみぬれば火をえず、強盛の大信力をいだして法華宗の四条金吾・四条金吾と鎌倉中の上下万人乃至日本国の一切衆生の口にうたはれ給へ、あしき名さへ流す況やよき名をや何に況や法華経ゆへの名をや』(御書全集1117ページ18行目〜1118ページ3行目、編年体御書485ページ18行目〜486ページ3行目)

◇[池田先生の指針から]人間として最高の生き方
大難が起きた時こそ、誰が真の信仰者か、本当の弟子かが明らかになります。
一心に師匠を求め、師匠をお守りしようと行動した弟子・(四条)金吾の信心を、大聖人がどれほど喜ばれたことでしょう。
「前々より変わらない弟子の志が、本当にありがたい」——大聖人は、その率直な御心情を綴られています。
それとともに、大聖人は御自身に競い起こった大難については、「悔しいとは思わない」「これほどすばらしい果報の生死はない」と御断言になっています。
さらには、「生死の苦しみを断ち切り、仏の果徳を得られる身となったことが喜ばしい」とまで仰せになっているのです。
すべては経文の通りであり、どれほど非難され、どれほど迫害されようとも、それこそ身命に及ぶ大難に遭われても、大聖人は「喜び」として悠然と乗り切られました。これが御本仏の御境涯です。
同時にこれは、大聖人が示してくださった、人間としての「最高の生き方」であり、「最高に尊い人生」であると拝したい。(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第20巻)
  ◇ ◇ ◇
友の身を案じ、無事を祈り、声をかけ、励ましを送る。自分ができることからと、賢く朗らかに足取り軽く行動する。
いずこであっても、わが同志は「信心即生活」「仏法即社会」なりと一念を定めて実証を示し、世のため、人のため、家族のため、未来のために、粘り強く戦い続けている。
真正の「地涌の菩薩」でなければ、決してなし得ぬ行動である。
この「自他共の幸福」を願って動く、世界市民の連帯の壮大な広がりは、さながら御本仏が「地涌の義」と仰せの姿そのものであると、私は確信してやまない。(本紙2020年12月25日付、「随筆『人間革命』光あれ」)

◇師弟共戦が勝利の要諦
[キーワード�]不退の実践を
「法華経の信心を・とをし給へ」(御書1117ページ)、「日蓮が一門となりとをし給うべし」(同1360ページ)——日蓮大聖人は門下に対して、御書の随所で、信心を貫き通すことの重要性を教えられています。
そのことを、拝読御文では「火をきる」、つまり火をおこすことに例えられました。木をこすり合わせた摩擦熱で火をおこすには、休みなく作業しなくてはなりません。一生成仏を目指す信心もまた、何があろうと地道な歩みを止めないことが肝要です。
一方で、御書には「受くるは・やすく持つはかたし」(1136ページ)ともあります。悪縁の多い末法において、純粋な信仰を生涯、持ち続けることは容易ではありません。
まして、正法を実践する人の前に障魔が現れ、難にあうことは、御聖訓に照らしても明らかです。
その上で、大聖人は「大風吹けば求羅は倍増するなり」(同ページ)と述べられています。「求羅」とは、風に吹かれるほど体が大きくなるという想像上の生き物のことです。試練の大風が吹き荒れるほど、自分自身を大きく成長させ、信心を深めていける好機である!——こう捉えるのが、創価の希望の哲学です。
いかなる困難の壁が立ちはだかろうと、拝読御文に「強盛の大信力をいだして」とあるように、今一重の深い信心を奮い起こし、粘り強く不退の実践を貫き通す。その先に、誰人からも賛嘆されるような、人間革命の勝利の姿を輝かせていけるのです。

[キーワード�]これほどの喜び
今月は、日蓮大聖人が斬首の危機に直面した「竜の口の法難」から750年。この大難の折、殉死の覚悟で大聖人にお供したのが、鎌倉の中心的門下であった四条金吾です。
文永8年(1271年)9月12日、鎌倉にあった大聖人の草庵を、平左衛門尉頼綱が率いる多数の兵が襲撃。捕縛された大聖人は同日夜半、竜の口の刑場へ連行されますが、その際、急報に接した金吾は、すぐさま駆け付け、自らも命をなげうつ決心で同行しました。
いよいよ、大聖人が頸の座に臨まれると、金吾は「今が最期です」と嘆きましたが、それに対して大聖人は、「これほどの喜びを笑っていきなさい」(御書914ページ、通解)と師子吼され、悠然と金吾を励まされたのです。結局、幕府は大聖人への刑を執行することができず、大聖人を佐渡流罪に処します。どこまでも師匠を求めた金吾は、流罪地の佐渡にまで渡りました。
そうした金吾のあつい志を大聖人は本抄のほか、別の御書でも「いついかなる世に思い忘れることができようか」(1193ページ、通解)等、度々、御称賛されています。
その後も、大聖人の御指導を胸に、主君や同僚の抑圧など数々の逆境を乗り越えた金吾の雄姿は、師弟の一念さえ揺るがなければ、乗り越えられない困難などないことを示しているでしょう。
"さあ今日も、師と共に!"——誉れある共戦の道を、私たちも力強く歩んでいきましょう。

2021年9月15日水曜日

2021.09.15 わが友に贈る

飛躍の秋に挑む
受験生にエールを!
努力の先に栄光がある。
支える家族への
温かな配慮も忘れずに!

撰時抄 P288
『日蓮が法華経を信じ始めしは日本国には一?一微塵のごとし、法華経を二人三人十人百千万億人唱え伝うるほどならば妙覚の須弥山ともなり大涅槃の大海ともなるべし仏になる道は此れよりほかに又もとむる事なかれ』

【通解】
日蓮が法華経を信じ始めたことは、日本の国にとっては、一つのしずく、一つの小さな塵のようなものであるが、二人・三人・十人・百千万億人と唱え伝えていくならば、妙覚の須弥山ともなり、大涅槃の大海ともなるであろう。仏になる道は、これよりほかに求めてはならない。

【先生の指導から】
有名人になる道。名声を得る道。社会的に高い地位に上る道。それは、いろいろあるだろう。しかし「仏になる道」は、どこにあるのか。それは「広宣流布の拡大」にしかない。
大聖人の仏法は「広宣流布の信心」である。
信心即生活である。ゆえに、今がどれだけ厳しくとも、この広宣流布の信心さえ貫けば、すべての努力が生かされ、いくらでも生活の面で、また社会の面で、勝利し、成功していけるのである。

名字の言 「束」という文字の意味 2021年9月15日
広島県安芸高田市の稲作農家の壮年が語っていた。「あと2週間で稲刈りだった。でも収穫は無理でしょう」。田んぼに土砂が流入し、稲が根元から折れてしまった。手塩にかけた作物を、先月の豪雨は奪い去った。憤りや悔しさは察するに余りある▼古代、稲の収穫量を量る単位は「束」が用いられた。刈り取った稲を1束、2束と数えたそうだ。家屋の床下などに立てる短い柱は、同じ漢字で「束」と読む。日本の"食"と"住"を縁の下で支えてきたのは同じ言葉だった▼同市に住む女性部員は、田んぼと自宅が土砂に襲われた。途方に暮れていた時、壮年・男子部有志による「かたし隊」が駆け付けてくれた▼"縁の下"に潜り、必死で土砂をかき出す彼らには一つの共通点があった。それは「苦境の渦中にあること」。家族の大病、会社の経営難、学業の断念……。大変な時でも、否、大変な時だからこそ、"被災者のために!"と行動を起こしたのだ▼試練と戦う人は、苦しむ人の心が分かる。かたし隊の作業は"束の間"だったかもしれない。だが、苦楽を分かち合おうとする友の力が"結束"すれば、復興への大きな力となる。被災者が"人生の実りの時"を迎えるまで、励ましを送り続けたい。

寸鉄 2021年9月15日
「闇鏡も磨きぬれば玉と見ゆるが如し」御書。全員が輝ける仏法。祈り強く
結成50周年のドクター部が「部の日」。生命の世紀を開く抜苦与楽の医王と
東北女性部の日。今日も友情を拡大!皆様の連帯こそ立正安世界築く太陽
勇気なくしては空虚だ—文豪。同志と共に前へ!真の充実は広布の挑戦に
友の話から心まで理解する—これが真の聞き上手 耳を傾け、真心の激励を

〈社説〉 2021.9.15 きょう「ドクター部の日」
◇医療の最前線に立つ友に感謝
きょうは9・15「ドクター部の日」。1975年(昭和50年)の9月15日、池田大作先生がドクター部の第3回総会に出席したことが淵源である。
この歴史的な総会の4年前、71年(同46年)9月12日に同部は結成され、本年で結成50周年の節を刻んだ。
コロナ禍の中で迎えた本年、医療現場は、かつてないほどの正念場にある。
その時にあって、ドクター部の友は、師弟共戦の心を一段と燃やしながら、"使命を果たす「まことの時」は今"と、一人一人が命を守り支える献身と挑戦を重ねている。
兵庫のある男子部員は、国内屈指の医薬品メーカーに勤務。関西創価学園時代に、池田先生と科学者・ポーリング博士の対談集に感銘を受けて薬学の道に進んだ。
彼は感染症の終息のために、今こそ培ってきた技術や経験を生かそうと、社内でワクチン製造プロジェクトの発足に携わり、責任者として奮闘。国内のワクチン接種の加速へ、安定した供給を続けながら、海外への提供にも貢献を果たしている。
医療の最前線での尽力とともに、これまで磨き抜いてきた英知と行動力を社会の中で発揮するドクター部員の活躍は目覚ましい。
創価青年医学者会議、創価女性医学者会議等の友は、青年部の代表との意見交換を、昨年3月から22回開催し、感染症に関する正確な情報発信を続けてきた。
また、本紙で4月から連載を開始した「危機の時代を生きる——創価学会ドクター部編」では、各分野に精通する同部の友が、「生老病死」を説き明かす仏法の哲理、池田先生のリーダーシップのもとで全国・全世界の同志が実践する学会活動の意義を論じ、社会に希望の光を届ける言論を展開している。
池田先生は結成50周年記念指導集『生命の世紀』に発刊の辞を寄せた。
その中で、歴史学者・トインビー博士の"菩薩とは、苦悩の多い世界にとどまるためにあえて安息の境地に入ろうとしない"との見解を通して、「それぞれの誓願の舞台で、創価の名医として、広布の闘士として、郷土の依怙依託として奮闘するドクター部の群像にこそ、この崇高なる菩薩の精神が漲っている」とたたえた。
一瞬も気の抜けない生死の現場に立つ友に感謝を寄せつつ、健勝と活躍を祈りたい。

☆四季の励まし 健康の智慧を 大満足の人生を 2021年9月5日
◇池田先生の言葉
健康で、長生きをして、
価値ある充実の人生を
楽しんでいくのが、
信仰の目的である。
健康は、
自らの智慧と
決心でつくるものだ。

聡明に自己を律し、
賢明な生活を心掛け、
自分自身の健康を
勝ち取っていただきたい。
健康を保っている
ということ、
それ自体が、勝利である。

適度な運動も大事である。
また、上手に休息をとる。
ゆったりと睡眠をとる。
疲れをためないよう
工夫することだ。
根本は、信心である。
「健康でありますように」と
毎日、御本尊に祈ることだ。

題目は、
宇宙根源のリズムであり、
仏の偉大な生命力の
根本である。
ゆえに、
妙法の大良薬を持つ人は、
一人ももれなく
「更賜寿命」して、
大満足の使命の人生を
存分に生き切ってほしい。
また、生き切ることが
できるのだ。

懸命に努力し、
もてる力を発揮する。
その時に人は
生きがいを感じる。
元気になる。
その意味で、
学会活動は、
最高の健康の道である。

今は病気の人も、
決して
弱気になってはいけない。
何があっても強気で!
すべてに意味があるのだ。
どんなことがあっても、
微動だにしてはいけない。
悠然と進むのだ。
生命は永遠なんだから!

暑い夏だからこそ、
白馬が
大草原を駆けゆくような
清々しい題目で、
生命力満々と、
きょうも
価値創造の行動を!

【写真説明】7月13日に、池田大作先生が都内で撮影した蓮の花。薄紅がかった白色の花びらが凜と咲き、涼しさを届けてくれる。
蓮華は、他の花々と違い、花と実が同時に成長する。ゆえに、仏法では、仏の生命を開く因も果も同時に具わる「因果倶時」の法理の譬えなどに用いられる。
御書には「浄き事・蓮華にまさるべきや」(1109ページ)と。泥沼の中でも高潔な美しさを失わない蓮のように、我らも苦難や無理解に負けず、自他共の幸福に尽くす生き方を貫いていきたい。
張りのある勤行・唱題で生活のリズムを整え、心身共に健康第一で進みゆこう。

2021年9月14日火曜日

2021.09.14 わが友に贈る

人の心を動かすのは
方法や策ではない。
困難な状況の中でも
広布を成し遂げゆく
熱情を一段と燃やそう!

法蓮抄 P1050
『我をば誰とか思食す我は是れ汝が子息法蓮が毎朝誦する所の法華経の自我偈の文字なり、此の文字は汝が眼とならん耳とならん足とならん手とならん』

【通解】
「私を誰だと思われる。私はあなたの子息の法蓮が毎朝、読誦するところの法華経の自我偈の文字である。この文字はあなたの目となり、耳となり、足となり、手となるであろう」

名字の言 「小さな楽しみ」が心を癒やす 2021年9月14日
身体の傷を癒やすには、栄養と休養を取って体力をつけることが大切である。同じように、心の傷を癒やすには、心の体力というべきものをつける必要がある、と医学博士の青木省三氏が論じている▼その一つが「小さな楽しみを見つけ、増やすこと」。道端の草花の撮影でもいい。自分が心地よく楽しいと感じる時間を見つけ、積み重ねていくことが、心の傷を癒やすことにつながるという(『ぼくらの中の「トラウマ」』ちくまプリマー新書)▼ある女性は毎朝、御書の音読を日課としている。きっかけは夫の「一緒にやろう」との一言だった。最初は気が進まなかったが、やり始めると、夫との音読は女性にとって、日々の小さな楽しみになった▼その夫が年頭、霊山に旅立った。だが、女性は今も、音読を続けている。「夫と一緒にいるようで、元気が出るんです。"お父さん、頑張るからね!"って」。これまで50世帯以上の弘教を実らせ、地域の同志から"お母さん"と慕われる女性はきょうも、胸中の夫と共に、一日をさっそうと出発する▼「月月・日日につより給へ」(御書1190ページ)。ささやかでも、たゆまぬ挑戦の一日一日が、苦難に負けない心をつくる。その歩みが幸の人生の足跡を刻んでいく。

寸鉄 2021年9月14日
対話という武器で平和を築く学会がいかに崇高か—識者。偉大な民衆運動
常勝関西が立ち上がれば日本の広宣流布は盤石!新たな勝利の一頁を頼む
東京・北区の日。創価の北極星の誇り胸に前進!皆で壁破り、凱歌の秋を
他人に親切にできる人ほど幸福を感じやすいと。地域に尽くす我らの人生
公明の強みは連携による意思決定の速さ—識者。持ち味生かし、庶民守れ

☆勇気の源泉——創立者が語った指針 真の優等生は母校愛の人——池田先生が贈る同窓生へのエール
全国、全世界で奮闘する創価教育の同窓生を励ますため、池田先生は各地を訪れる度に、同窓の集いを開き、人生勝利のエールを送ってきた。
1999年2月26日、池田先生は九州・宮崎を8年ぶりに訪問。同28日には、宮崎をはじめ九州各地から集った同窓の友と記念撮影を行い、スピーチを贈った。

●1999年2月 九州・宮崎創価教育同窓の集い
〈先生はスピーチの冒頭、72年5月のトインビー博士との初会見を振り返り、母校愛とは何かを語った〉

真の優等生とは、「母校を愛し続ける人」である。「同窓の友を、一生涯大切にし続ける人」である。
ご存じのように、トインビー博士は、最晩年に、仏法の若き実践者である私との対談を強く望まれた。
本来であれば、日本にご招待して、誕生して間もない創価大学に、ぜひ来ていただきたかったが、高齢の博士ご夫妻の体調が、もはや、それを許さなかった。そこで、若い私のほうから、ロンドンの博士のご自宅にお邪魔して、対談が始まったのである。
ご夫妻は、親愛の情を込めて、家の中のすみずみまで案内してくださった。
博士の書斎には、オックスフォード大学の同窓生で、第一次世界大戦で亡くなった友人たちの写真があった。二十枚ほど、大切に飾ってあった。深く、私の心に焼きついている。
また、博士との対談が続くなか、私はケンブリッジ大学を訪問した。
すると、その翌日の対談の際、ベロニカ夫人から、開口一番、丁重なごあいさつをいただいた。
「私の母校ケンブリッジ大学を訪問してくださったことを、心より感謝申し上げます」と。
夫人は、つねに、私の妻と二人で、対話を穏やかに微笑みながら見守っておられた。ティータイムになると、紅茶を入れ、手作りのクッキーを出してくださった。
その夫人も、「わが母校への誇りと愛情」を生涯、清々しく輝かせておられたのである。
トインビー博士との対談集は、世界中で読まれている。
博士は「世界の知性との対話」「文明と文明を結ぶ対話」を私に託された。遺言のごとく——。その通りに私は、対話の波を、深く広く世界に起こしてきた。
あとに続くのは、創価同窓の諸君である。

◇誰人とも堂々と
〈続いて、「遠くから、私のつくった学園、創大に、本当によく来てくださった」との真情を語った池田先生は、九州ゆかりの国木田独歩の小説『日の出』を通して、生涯母校の誇りを忘れない、一流の人物たれと呼び掛ける〉

ところで、小説『武蔵野』の作者として有名な国木田独歩は、九州の大分で教鞭を執ったことがある。独歩の作品に『日の出』という忘れ得ぬ短編小説がある。(以下、『日の出』〈『日本現代文学全集』18所収、講談社〉から引用・参照)
それは、明治の青年たちの懇談の場面から始まる。
欧米に留学したエリートたちが、意気揚々と"オックスフォード大学出身"とか"ハーバード大学出身"と誇る。
そのなかに、世間の注目を集める新進気鋭の青年がいた。彼は、こう聞かれた。
「貴殿は何処の御出身ですか」「三田(=慶応)ですか、早稲田ですか」
「違います」
青年は微笑した。
「大島学校です」「故郷の小学校です、私立小学です」
彼は、小学校しか出ていなかったのである。人々は笑い出した。嘲りの色を浮かべる者もいた。
しかし、彼は毅然と続ける。
「僕はオックスフォードにもハーバードにも帝国大学にも早稲田にも三田にも高等商業学校にも居たことは無いのです」
「斯う申すと、諸君は妙にお取になるかも知れませんが、僕はこれでも窃かに大島小学校出身ということを誇って居るのです。又た心から感謝して居るので御座います」
彼は、愛する母校の創立者が、無名でありながら、どれほどすばらしい人物であるかを、なみいるエリートたちに、堂々と語っていった。
その小学校の校訓は、ただ一言、「日の出を見よ」であった。
すなわち、"朝日が波を躍り出るような元気"をもて! 堂々たる勢いと、あくまでも気高い心で、一日一日を、全力を尽くして働こう! という指針である。
この創立の教えを胸に、青年は、同窓生とともに友情も固く生きぬいてきたのである。
その話を聞き、最後には皆、深く感銘し、ぜひ、その創立者に会ってみたい、と口々に語る——そういう物語である。
ともあれ、相手が誰人であろうとも、怯んではならない。臆してもならない。いわんや、嫉妬など絶対にする必要はない。「妬まない」ということが「一流の人格」の証である。
仏法では「本有無作」と説く。要するに"はたらかさず、つくろわず、もとのまま"である。本然のわが生命を「最高最善」に輝かせていく生き方である。
すましたり、気取ったり、いばったりしないで、ありのままの姿で、「人間らしく」いくのである。
「私は、こういう人間ですが、一生懸命、頑張ります。どうか、なんでも遠慮なく言ってください。一緒に前進しましょう!」
日南の大海原のような、こういう広々とした境涯になったら、勝ちである。
自由自在である。小さな、狭いエゴに固まったり、つまらない意地を張っても、損をするだけである。

◇「智慧」で道を開く
〈池田先生は未来を見すえ、激動の時代は「価値創造」の新世紀であると強調。同窓生こそ、新世紀を照らす太陽であるとたたえた〉

「言葉一つ」「言い方一つ」、そして「心一つ」で、人生は、どのようにでも悠々と開いていける。これが「智慧」である。
「知識」それ自体は、幸福ではない。「幸福」をつくるのは「智慧」である。
「知識」だけでは行き詰まりがある。「智慧」は行き詰まりがない。
「智慧」の水は、わが心の泉から限りなく汲み出していけるのである。
これからの激動の時代は、いよいよ「智慧」のある人が勝つ時代である。それが、「創価」すなわち「価値創造」の新世紀である。
トインビー博士も、名著『試練に立つ文明』のなかで、次のように論じておられた。
"生命であれ、社会であれ、新たなものを創造しようとする努力が、はじめから成功することなど、まったくありません。創造というのは、そんなに、なまやさしい仕事ではないのです。試行錯誤の過程を通して、はじめて究極の成功に達するのです。「悩みを通して、得られる智慧」によって、成功のチャンスがもたらされるのです。われわれ自身の努力を通じて、何らかの新しい「前例のない変化を歴史に与える道」が、われわれには開かれているのです"(深瀬基寛訳、『トインビー著作集』5所収、社会思想社、参照)と。
諸君こそ、「新しい世紀を照らす太陽」である。社会の中で光り、社会の中で、厳然と勝っていただきたい。
何があっても戦う。何があっても負けない。これが、創価魂である。
結びに、アメリカのロングフェローの詩を贈りたい。
「おお、このような世の中で恐れるな、
そうすればやがて君はかならず知るだろう、
苦しみに耐えて強くあることが
どんなに崇高なことであるかを」(「星の光」大和資雄訳、『世界名詩集大成』11所収、平凡社)

2021年9月13日月曜日

2021.09.13 わが友に贈る

新聞休刊日

中興入道消息 P1333
『彼の人は年ふりたる上心かしこく身もたのしくて国の人にも人とをもはれたり』

【通解】
その人は、年齢を重ねた上に、心が賢く、身も壮健で、社会の人々からも人格者として尊敬を集めていた。

☆世界広布の本陣・総本部 池田先生ご夫妻が近隣友好に尽力
あす12日で、1966年(昭和41年)に池田大作先生ご夫妻が、総本部の置かれる東京・新宿区信濃町に転居してから55周年を迎える。
転居は、大田区の小林町の自宅が道路拡張による区画整理の対象となったことがきっかけ。それを機に、信濃町に居を構えることになった。
先生は、"自身が住んでいる地域を愛し、地域に貢献し、そこを常寂光土としていくことが仏法者の使命である"と、自ら率先して近隣友好・地域貢献に力を注いだ。
総本部の敷地で開催されてきた「信濃町ふるさと盆踊り大会」は、先生が近隣と築いた信頼が出発点だ。ある時、信濃町商店振興会から「町内で盆踊りをしたい」との相談が。先生は即座に賛成し、協力を約束。85年に第1回が開かれ、コロナ禍前の2019年までに34回、行われている。

◇わが地域を「和楽の町」「繁栄の都」に
先生の"地域を大切にする心"は、恩師・戸田城聖先生から受け継いだもの。古くからの屋敷町で歴史に名を刻む著名人、文化人が数多く住む信濃町。戸田先生は、1953年に学会本部が西神田からこの地に移転して以来、町内をあいさつに回るなど、池田先生と共に近隣友好に心を砕いた。
恩師の思いを胸に池田先生は、転居する前から池田勇人総理や日中友好の先覚者である高碕達之助氏ら、各界の名士と対話を広げてきた。
「身土不二」——仏法では、自身と国土、人間と地域は一体であると説く。"郷土こそ世界の縮図""わが地域を「和楽の町」「繁栄の都」に"との強き祈りと実践の中に、広宣流布と立正安国の道が開かれることを忘れまい。

〈長編詩「本陣に永遠の栄光あれ勝利あれ」から抜粋〉
おお 信の濃き町よ!
一九五三年(昭和二十八年)
この地に 二代会長は
本部を定めたり

あの懐かしい洋館
師弟不二の同志の歓喜
賑やかな同志の語り合い
そして
決意に満ちた唱題の声
確信あふるる決意の声

尊貴な心は
新宿に高まり
信濃町に躍った
新しい偉大な歴史が始まった

やがて 私は
新宿 南元支部の一員になった
なんと 嬉しく
なんと 名誉なことであろうか

近隣の同志が
わが家の仏間を いっぱいにして
楽しく語り
明るい座談会をしたことも
今は 懐かしい

私の そして わが家の
広宣流布の激戦は
この地 新宿で
この町 信濃町で
展開されたことは
永遠の歴史と 薫るに違いない

☆教学随想 日蓮仏法の視座 生命尊厳を時代精神に
女性平和文化会議議長 小松法子
無意識の偏見の克服へ 自他共に輝く青春の日々を歩む

◇憎しみの連鎖
私たち青年部は今夏、広島・長崎・沖縄で、「戦争・被爆証言を聞く会」を開催し、オンラインで全国をつなぎ、不戦の誓いを新たにしてきました。証言してくださった方たちは、思い出したくもないであろう悲痛な戦争体験を語り、恒久平和への切実な願いを、青年部に託してくださいました。
今も地球上では紛争の渦中で苦しむ人々がいます。その意味で、現代を生きる私たちにとって「戦争」は決して過去の出来事ではありません。
証言会に参加された方からは、「世界平和のために、自分にできることが必ずあると確信した」「小さなことでも、自分にできることから始めていきたい」等の声が多く寄せられました。皆さん、何か行動を起こしたいと決意されていました。
今いる場所で、私たちにできること——それは、目の前の一人を理解していく努力ではないでしょうか。
アメリカ創価大学の学生だった時、私にとって忘れられない出来事がありました。
2013年(平成25年)9月、ケニアの首都・ナイロビでテロ事件が起こり、67人もの死者が出たのです。そのニュースに大きなショックを受け、「なぜ、人間が人間を殺すのか」「憎しみの連鎖を断つにはどうすればよいのか」と真剣に悩みました。
同時に、"今、私にできることは、世界中から集まった多様な学生と友情を育むことで、異文化間に平和の懸け橋を築いていくことだ"と、使命を深く自覚しました。

◇普遍性と共通性
大学に入学した当初、私の何げない質問で友人を不快にさせてしまったことがありました。日本人が皆、和食や着物、相撲観戦を好むとは限らないように、サッカーが嫌いなブラジル人がいても当然です。にもかかわらず、相手の国や文化の特徴にとらわれて、無意識のうちに"ラベル"を貼って接していたことが原因でした。
人はどうしても、自分と異なる人に"ラベル"を貼り、個人を判断しようとしがちです。これが、「無意識の偏見」です。それでは、他者への無理解やステレオタイプ(固定観念)を助長しかねません。
さまざまな文化を持つ友人たちとの大学生活では、「差異」と同様に、人間としての「普遍性」「共通性」に目を向ける大切さを学びました。
例えば、相手をよく知らないうちは、「○○○人の女性」など、出身国にひも付けて相手を見ていました。しかし、相手の好きなものや性格、将来の夢を知るうちに、その人を"同じ一人の人間"として理解できるようになります。
相手の個性を知り、"その人の代わりになる人は、世界のどこを探してもいない"と思えることで、深い友情を結ぶことができました。
人は誰しも生まれ育った環境によって、ある種の固定観念が育まれます。それに合わない他者への偏見を持っています。また、知らない相手への恐怖ゆえ、誤った先入観が肥大してしまう場合もあります。差別を生み出す、こうした偏見から完全に逃れる手段はないのかもしれません。
だからこそ、自身に対して「固定観念にとらわれてはいないか」「相手の思いを考慮しているか」と常に問い続けていくことが大切です。

◇万人に宝塔を見いだす
池田先生は、小説『新・人間革命』第30巻〈下〉で、東西冷戦下の複雑な国際情勢を憂慮し、「分断は分断を促進させる。ゆえに、人間という普遍的な共通項に立ち返ろうとする、統合の哲学の確立が求められる」とつづられています。
「人間という普遍的な共通項」に立ち返るとはどういうことか——ここでは、法華経で説かれる「宝塔」について、日蓮大聖人が門下に送られたお手紙から拝察したいと思います。
宝塔とは、法華経の虚空会の儀式に登場する、金・銀などの七宝で飾られた巨大な塔のことです。その大きさは、高さ五百由旬、幅二百五十由旬——一説には、地球の直径の3分の1から半分にも及ぶといわれる宝塔は、万人に具わる、仏界の生命の偉大さを表したものであると拝されます。
大聖人は次のように仰せです。
「末法に入って法華経を持つ男女の・すがたより外には宝塔なきなり、若し然れば貴賤上下をえらばず南無妙法蓮華経と・となうるものは我が身宝塔にして我が身又多宝如来なり」(御書1304ページ)
「男女の・すがたより外には」「貴賤上下をえらばず」とあるように、性別や社会的立場など、一切の差異を超え、仏の尊極な生命が、"ほかならぬあなた自身の胸中に具わっています"と大聖人は教えられています。
ここに、万人が等しく尊い存在である、との大聖人の人間観が輝いています。この究極の平等思想、人間尊敬の思想が、あらゆる悲惨をなくすための希望の源泉であると感じます。

◇変革は一人から
人類が、紛争に加え、新型コロナウイルスの感染拡大という困難に直面している今、分断や憎悪が表面化する場面があります。SNSでの誹謗・中傷問題も深刻です。
一人一人の尊厳を認め合う社会を築くために、重要な役割を果たすのが人権教育です。
本年は、「人権教育および研修に関する国連宣言」の採択から10年。これまでもSGI(創価学会インタナショナル)は、人権教育を市民社会の中で推進してきました。
SGIは、国連人権高等弁務官事務所などと共に、映画「尊厳への道——人権教育の力」を制作。映画では、女性が虐げられる慣習に苦しんだインドの少女が、教師に相談したことで人権教育が広まり、人々の意識変革につながった事例などが紹介されています。映画には一貫して「変革は一人から始まる」とのメッセージが込められています。
今月行われた「青年不戦サミット」(第30回青年平和連絡協議会)でも、一人一人が今いる場所で"平和の旗手"になっていくことを確認し合いました。
サミットに際し、先生は「一日の命は三千界の財にもすぎて候なり」(御書986ページ)との御文を拝し、「太陽の仏法を実践して一日また一日、かけがえのない青春の生命を自他共に明るく輝かせていくこと自体、不戦への挑戦です」とメッセージを贈ってくださいました。
わが身が宝塔である、尊い「宝」であると自身が生命の尊厳に目覚めることで、縁する人にも宝塔を見いだすことができます。
自分とあらゆる人の生命が尊い「宝」であり、生命の宝塔を輝かせていく——ここに、自他共の幸福を築いていくための大切な挑戦があると確信します。
目の前の一人と友情を結び、生命尊厳の哲学を時代精神へと高めゆくことが、地球上の全人類の幸福をつくることになると確信し、学会活動や草の根の平和運動に励んでいきます。

2021年9月12日日曜日

2021.09.12 わが友に贈る

◇今週のことば
師子王の心で戦う時
「必ず仏になるべし」
御本仏の大闘争に続き
難を乗り越える信心を。
わが発迹顕本を共々に!
2021年9月12日

松野殿御返事 P1383
『何なる鬼畜なりとも法華経の一偈一句をも説かん者をば「当に起ちて遠く迎えて当に仏を敬うが如くすべし」の道理なれば仏の如く互に敬うべし、例せば宝塔品の時の釈迦多宝の如くなるべし』


【通解】
どのような悪鬼・畜生であっても、法華経の一偈一句を説く者に対しては「まさに、心から礼を尽くして遠くより出迎え、まさに仏を敬うようにしなさい」との、経の道理であるゆえに、仏法を持った者は、仏に仕えるごとく、互いに尊敬しあうべきである。
たとえば、法華経宝塔品の儀式のとき、釈迦多宝が半座を分けて釈迦仏を迎え、二仏が並座したように、たがいに尊敬しあわなければならない。

名字の言 刀鍛冶・吉原義人さんが語る「良い刀を作る急所」 2021年9月12日
高温の鋼から不純物をたたき出して、強度を上げる工程を「鍛錬」という。当代随一の刀鍛冶・吉原義人さんは、その重要性を本紙で語った。「良い刀を作れるかの急所」「少しでも手を抜いたり妥協すれば、いいもんはできない」▼御書に「鉄を念入りに鍛え打てば、内部の疵が表面に現れてくる」(1083ページ、通解)と。疵である"宿命"を転換し、人間革命するために、競い起こる障魔や難と戦い、勝つ。これが「信心の鍛錬」である▼日蓮大聖人は、立宗宣言に踏み切られるまで、葛藤を繰り返された。正法を説けば大難が起こる。門下は耐えられるか。だが、仏になるには諸難を乗り越えねばならない。ゆえに正法を説かれた▼大聖人は門下を慈愛の心で励ましつつ、徹底して鍛錬された。自らが迫害に耐え抜き、正法を弘める姿を通し、法華経の行者の在り方も示された▼750年前、大聖人は竜の口の法難を勝ち越え、発迹顕本された。池田先生は語る。「私どもは毎朝・毎夕、発迹顕本しているのです。久遠の大生命を己心にわき立たせて、広宣流布へと前進している。それ自体が、総じては、日々、寿量品を身で読んでいることに通じるのです」と。さあ、わが広布の使命を果たす「時」である。

寸鉄 2021年9月12日
竜の口の法難から750年。死身弘法の闘魂は三代に脈々。立正安国の志高く
埼玉の日。彩の国に地涌の勇者は陸続と。鉄桶の団結で新しき常勝の扉を
閉ざされた青年であってはならぬ—恩師。後継よ進んで対話を!拡大を!
御書「一大三千界にいたらざる所なし」。さあ確信の祈り今日も。宇宙の日
ゲーム時間長い子は学力低い傾向—調査。家庭で規則決め。未来の宝守れ

☆希望の指針——池田先生の指導に学ぶ 立正安国�
◇仏法は現実を変革する力
連載「希望の指針——池田先生の指導に学ぶ」では、テーマごとに珠玉の指導・激励を紹介します。今回は小説『人間革命』『新・人間革命』から、「立正安国」(全4回予定)の第1回を掲載します。

【宗教の使命とは?】 広宣流布は人類への「貢献活動」
<1954年(昭和29年)、戸田城聖は政治・経済・教育など、社会のあらゆる分野に広布の人材を輩出しようと「文化部」を設置。翌年、各界で活躍する同志を文化部員に任命し、その代表を4月の統一地方選挙の候補者に推薦した>

広宣流布の活動は、宗教革命を基本として、それによって、広く人類社会に貢献する活動である。日蓮大聖人の仏法が、行き詰まった現実の社会を見事に蘇生させることを目的とする以上、この宗教活動が、いつか社会化していくことは必然の道程であった。社会の各分野で活躍する人材を輩出していくという戸田城聖の構想は、水滸会や身近にいる幹部との会話で、しばしば語られていたが、政治改革は、未聞の活動領域であっただけに、現実の問題として認識する人は、ほとんどいなかったといってよい。戸田の壮大な構想を耳にしても、心地よいユートピアの夢物語として、歓喜するにすぎなかった。
そのなかで、師弟不二の道程を着々と歩んできていた山本伸一だけが、戸田の予言的展望を脳裏に刻んで、秘められた理想を現実化するための、うかがい知れぬ多くの辛労を、戸田と共に分かち合っていたのである。構想が未聞であっただけに、辛労の質もまた未聞であった。(中略)
この新しい展開に示された戸田の構想は、最初から人類の文化活動全般に向けられていた。それは、人間の幸福の実現をめざす日蓮大聖人の仏法の実践展開として、必然的なことであった。したがって、文化部の活動は、政治の分野に限られるものではない。もっと広範な社会的分野における活動が、意図されていたのである。
創価学会の存在を際立たせているものは、日蓮大聖人の仏法の唯一の正統派として、広宣流布を掲げ、立正安国をめざす実践活動に尽きるのである。この実践活動は即、一人の人間に人間革命をもたらす実践でもあった。
自らの生命を革命したといっても、社会に生きる一社会人であることには変わりはない。その一人ひとりが、社会建設の新しい力を発揮していくはずである。そして、この慈悲の哲理を掲げた運動の波動は波動を呼び、やがて社会のあらゆる分野を潤していくことになるのも確かなことだ。いかにそれが、遠い道のりに思われようと、他に確実な方途がない以上、確信のあるこの道を、真っしぐらに進むよりほかに使命の完遂はない。
戸田城聖は、広宣流布のはるかなる道程をつぶさに思いつつ、文化部の手塩にかけた要員をもって、社会を覚醒させる第一歩を踏み出したことに、油断のない配慮を、あらためて重ねなければならなかった。
(『人間革命』第9巻「展開」の章、179〜181ページ)

【立正安国の目指すもの】 人間の幸福のための社会を築く
<1961年(昭和36年)8月、創価学会恒例の夏季講習会が開かれる。講習会の中心となったのは、山本伸一の「立正安国論」講義であった。伸一は、御書を拝し、気迫と情熱を込めて講義していった>

「立正安国とは、わかりやすくいえば、真実のヒューマニズムの哲理を根本に、一人ひとりが自らの人間革命を行い、社会の繁栄と世界の平和を創造する主体者となっていくということです。
日蓮大聖人の御一代の弘法は、『立正安国論に始まり、立正安国論に終わる』と言われております。
大聖人が、この『立正安国論』をお認めになった目的は、地震や洪水、飢餓、疫病などに苦しみ喘ぐ、民衆の救済にありました。そして、そのために、まことの人間の道を説く仏法という生命の哲理を流布し、人間自身の革命をめざされたのです。つまり、一人ひとりの悪の心を滅し、善の心を生じさせ、知恵の眼を開かせて、利己から利他へ、破壊から創造へと、人間の一念を転換する戦いを起こされた。
なぜなら、人間こそが、いっさいの根本であるからです。肥沃な大地には、草木が繁茂する。同様に、人間の生命の大地が耕されれば、そこには、平和、文化の豊かな実りが生まれるからであります……」
(中略)
「社会の混乱や悲惨な現実をもたらす原因は、人間という原点を忘れた考え方に、皆が心を奪われていくことにあります。
現在、日本にあっては、昨年の新安保条約の成立以来、政治不信、政治離れが起こり、人びとの関心は、経済に向かっている。
確かに、党利党略に終始し、実力行使や強行採決など、議会制民主主義を踏みにじる現在の政治を見ていれば、国民が失望し、不信をいだくのも当然かもしれない。それも、政治家が民衆の幸福を、人間という原点を忘れているからです。しかし、だからといって国民が政治に無関心になって、監視を怠れば、政治の腐敗はさらに進んでいく。
また、人間を忘れた経済も冷酷です。ただ利潤第一主義、経済第一主義に走れば、社会はどうなるか。豊かにはなっても、人心はすさみ、自然環境の破壊も起こり、結局、人びとが苦しむことになります。
科学の世界にあっても、科学万能主義に陥れば、その進歩は、かえって、人間性を奪い、人間を脅かすものになっていきます。
ヒューマニズムに帰れ——これが、現代的にいえば日蓮大聖人の主張です。そして、政治や経済、科学に限らず、教育も、芸術も、社会のすべての営みを、人間の幸福のために生かしていく原理が、立正安国なのであります」
(『新・人間革命』第4巻「立正安国」の章、284〜287ページ)

◇【創価学会の目的】 地上から"悲惨"の二字を根絶へ
<1961年(昭和36年)8月の、夏季講習会で「立正安国論」を講義した山本伸一は、「須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祷らん者か」(御書31ページ)の御文を拝し、力強く訴える>

四表とは、東西南北の四方であり、広く社会を、また、世界をさす。
「この意味は、『当然のこととして、一身の安堵、つまり、個人の安泰を願うならば、まず、四表、すなわち、社会の安定、世界の平和を祈るべきである』ということです。
ここには、仏法者の姿勢が明確に示されている。
自分の安らぎのみを願って、自己の世界にこもるのではなく、人びとの苦悩を解決し、社会の繁栄と平和を築くことを祈っていってこそ、人間の道であり、真の宗教者といえます。
社会を離れて、仏法はない。宗教が社会から遊離して、ただ来世の安穏だけを願うなら、それは、既に死せる宗教です。本当の意味での人間のための宗教ではありません。
ところが、日本にあっては、それが宗教であるかのような認識がある。宗教が権力によって、骨抜きにされてきたからです」
(中略)
「世の中の繁栄と平和を築いていく要諦は、ここに示されているように、社会の安穏を祈る人間の心であり、一人ひとりの生命の変革による"個"の確立にあります。
そして、社会の安穏を願い、周囲の人びとを思いやる心は、必然的に、社会建設への自覚を促し、行動となっていかざるを得ない。
創価学会の目的は、この『立正安国論』に示されているように、平和な社会の実現にあります。この地上から、戦争を、貧困を、飢餓を、病苦を、差別を、あらゆる"悲惨"の二字を根絶していくことが、私たちの使命です。
そこで、大事になってくるのが、そのために、現実に何をするかである。実践がなければ、すべては夢物語であり、観念です。
具体的な実践にあたっては、各人がそれぞれの立場で、考え、行動していくことが原則ですが、ある場合には、学会が母体となって、文化や平和の交流機関などをつくることも必要でしょう。また、たとえば、人間のための政治を実現するためには、人格高潔な人物を政界に送るとともに、一人ひとりが政治を監視していくことも必要です。(中略)
また、そうした社会的な問題については、さまざまな意見があって当然です。試行錯誤もあるでしょう。しかし、根本は『四表の静謐』を祈る心であり、人間が人間らしく、楽しく幸福に生きゆくために、人間を第一義とする思想を確立することです。
さらに、その心を、思想を深く社会に浸透させ、人間の凱歌の時代を創ることが、私どもの願いであり、立正安国の精神なのです」
(『新・人間革命』第4巻「立正安国」の章、287〜289ページ)

2021年9月11日土曜日

2021.09.11 わが友に贈る

平和——それは
諦めや無力感との
間断なき戦いだ。
対話を、対話を、
それでも対話を!

四条金吾殿御消息 P1113
『かかる日蓮にともなひて法華経の行者として腹を切らんとの給う事かの弘演が腹をさいて主の懿公がきもを入れたるよりも百千万倍すぐれたる事なり、日蓮霊山にまいりてまづ四条金吾こそ法華経の御故に日蓮とをなじく腹切らんと申し候なりと申し上げ候べきぞ』

【通解】
このような日蓮にともなひて、法華経の行者として腹を切ろうと言われたことは、かの中国の弘演が自分の腹をさいて主人の懿公の肝を入れたことよりも、百千万倍すぐれたことである。
日蓮が霊山に詣でた時には、まず四条金吾こそ法華経の故に、この日蓮と同じように腹を切ろうとしたと言いましょう。

【先生の指導】
「法」の貴きゆえに、護法の「行動」もまた最高に尊い。皆さまの日々の広布への「行動」こそ、「大福運」を積み、「大境涯」を開きゆく行動であると確信していただきたい。

名字の言 「結」の心で守られてきた岐阜の白川郷 2021年9月11日
真冬の岐阜・白川郷を取材したことがある。茅葺き屋根の合掌造り集落が世界文化遺産になったのは、1995年。建物や景観と共に、村民の相互扶助の暮らしも評価されたという▼白川郷の美観は「結」と呼ばれる助け合いの精神によって守られてきた。合掌造りは豪雪に強い一方、屋根の葺き替えは重労働で1軒に数百人の力が必要だ。村民は手を携え、厳しい自然に打ち勝ってきた▼白川郷もコロナ禍と無縁ではない。明治創業の旅館は存続の危機に。地区部長の館主は信心で乗り越えると決めた。家族全員で朝の勤行から出発し、広布拡大にも奔走。やがて経営支援の輪が大きく広がった▼「何より同志の励ましにどれほど支えられたか」と館主。まだ苦境を脱したわけではない。思い出すのは90年9月に池田先生が白川郷の友に寄せた伝言だ。「みんな仲良く守り合って、村の発展のために頑張ってください」。地域の創価家族は師の言葉を再びかみ締め、「世界遺産の里を永遠に」と誓う▼「合掌造り」の名は掌を合わせて祈る姿が由来ともいう。御書に「題目を唱え奉る音は十方世界にとずかずと云う所なし」(808ページ)と。コロナ禍の中で苦闘する全国・全世界の友に届けと真剣な祈りを絶やすまい。

寸鉄 2021年9月11日
形式ではなく本当の心で御本尊にぶつかれ—恩師 壁を破る祈りから出発!
「米同時多発テロ」20年。分断から協調へ—人間の心を結ぶ善の連帯今こそ
「賢人は金の如く」御書 目の前の試練を勝ち越え真価が!青年よ勇み挑め
感染禍で最もストレスを感じているのは子を持つ母と。真心の励まし皆で
変異株でも接種の重症化 予防効果は変わらずと。正しく恐れ聡明な日々を

〈社説〉 2021・9・11 あす「竜の口の法難」満750年
◇"今いる場所"で「発迹顕本」を
「今夜頸切られへ・まかるなり、この数年が間・願いつる事これなり」(御書913ページ)、「今度頸を法華経に奉りて其の功徳を父母に回向せん其のあまりは弟子檀那等にはぶくべし」(同ページ)——武装した兵士たちに連行され、竜の口に向かわれる日蓮大聖人が、決死の覚悟でお供する四条金吾に語った言葉である。
頸の座に臨んだ大聖人は、落涙する金吾に言い放たれた。「不かくのとのばらかな・これほどの悦びをば・わらへかし」(同ページ)
なんと偉大な御境涯であろう。
あす9月12日は、大聖人が「発迹顕本」された「竜の口の法難」から満750年である。
「発迹顕本」とは、宿業や苦悩を抱えた凡夫という姿(迹)を開き、仏の境地を、凡夫の身のままで顕すことをいう。それは、人間を離れた超越的な存在になるのではない。大聖人も、凡夫の身を捨てられたわけではない。凡夫の身そのものに久遠の仏の生命を顕されたのである。
「竜の口の法難」における「発迹顕本」とは、大聖人が身をもって示された、"人間はかくも偉大なり!"との大宣言といえまいか。
大聖人御在世の当時、打ち続く天災に加え、疫病が流行し、凄惨な状況だった。現実を厭い、死後の安楽を説く思想がはびこり、人間から生きる力を奪っていた。大聖人の仏法は、この民衆の生命を覆う苦悩とあきらめの闇を破り、人間勝利へ"希望の太陽"の光を注いだのだ。
翻って今、コロナ禍の中、社会には不安や悲観、閉塞感が重く沈殿し、誰もが生きる力の危機に直面しているのではないか。
だからこそ、私たちも大聖人のごとく、民衆を目覚めさせる広布に生き抜き、胸中に大聖人と同じ仏の生命を涌現していきたい。
池田先生は「発迹顕本」について語っている。「捨てるべき迹とは『弱気』です。『臆病の心』です。大聖人は、『勇気』の本地の御姿を示すことで、発迹顕本を万人に示された。この大聖人の『勇気』の御心を、自身の決意として、あらゆる困難に莞爾として立ち向かっていくことが、今度は私たちの発迹顕本につながる」
今いる場所が「発迹顕本」の舞台である。今こそ題目を唱え、臆病の心をたたき出し、勇敢に戦い、久遠の生命を輝かせ、地域と社会を明るく照らしていきたい。

☆桂冠詩人40周年 勇気の舞 凱歌の行進 第4回 北陸
本年は、「桂冠詩人」の称号が池田先生に贈られてから40周年。連載企画「勇気の舞 凱歌の行進」では、先生がつづった長編詩を紹介します。第4回は、北陸の同志に詠んだ「大北陸に幸福の旭日よ輝け!」(2003年)です。

◇皆の未来の運命は勝利
昭和三十二年の十月
夢に見た
師の生まれ故郷を
初訪問した私は
金沢へ 高岡へ
そして富山へと走った。

一途にして真剣なる
求道の友と
膝詰めで語り続けた。
皆 かけがえのない
一騎当千の勇者であった。

私は心躍らせ
日記に記した。
「北陸にも
広布の響き始まる」

そして今
かくも堅固に聳え立った
地域の平和と幸福の城よ!

再び 私は
こう書き綴りたい。
「北陸に
広布の勝利の響きは
永遠なり!」と。

◆◇◆

北陸の勝利!
それは
烈しい日差しのなかも
金の汗を光らせ
そしてまた
白雪の吹きつけるなかも
頬を紅に火照らせながら
歩きに歩いた
決意と信念の勝利だ!

北陸の勝利!
それは
無理解と偏見の堆積を
掘り崩し
打ち破り
友の心に響くまで
語りに語り続けた
執念の勝利だ。

ああ
新しい歌声が聞こえてくる。
美しい愉快な
音楽が聞こえてくる。
豊かな勝利の
祝福の音楽が聞こえてくる。

◆◇◆

北陸の灯台となりゆく
皆様の未来の運命は
勝利だ!
そして裕福だ!

さらにまた
社会の柱となりゆく
皆様の惜しみなき活躍には
永遠の栄光を決定づける
自由と完勝が待っている。

さあ
名誉ある
北陸の天地のために
今日も
そして今年も
心ゆくまで楽しみながら
意義ある自分史を綴り
戦いを進めよう!

☆「世界を照らす太陽の仏法」に学ぶ 第12回 敢闘精神
◇椎地四郎殿御書
『これにつけても・いよいよ・はげまして法華経の功徳を得給うべし、師曠が耳・離婁が眼のやうに聞見させ給へ、末法には法華経の行者必ず出来すべし、但し大難来りなば強盛の信心弥弥悦びをなすべし』(御書1448ページ1行目〜3行目)

◇池田先生の講義から
「師子王の如くなる心」を持つ人には、いかなる逆境にも希望を創り広げていく「勇気」が具わっています。一切を乗り越え、重い宿命の鉄鎖をも断ち切る「智慧」が湧きます。何ものにも負けない「力」があるのです。
◆◇◆
私たちは、宿命を使命に変えるという「宿命転換」即「人間革命」の大哲理を持っています。それは、過去に呪縛されるのではなく、過去は受け継ぎつつも、それでもなお、自らの一念の変革でその意味を変え、自身の行動で価値を創造し、現在のこの瞬間から、新たな人生を断固として切り開くことを可能にする哲学です。
◆◇◆
今この瞬間から、再びチャンスを開く。新たなチャレンジを始める。このように、どんな苦難に突き当たろうとも、「負けじ魂」を燃やして立ち上がるのが、創価の勇者です。その胸に脈打っているのが、「いまだこりず候」(御書1056ページ)との御聖訓に連なる不撓不屈の学会精神です。
◆◇◆
いかなる人の人生も、自分自身の「物語」を書きつづっているのではないでしょうか。(中略)どんなことから書き始めるか、どんな波瀾万丈の筋書きにするか、どういう逆転劇を描くか、一切を自分で決めていくのです。
(『世界広布新時代の指針』から)

中井暢一 関東長
◇敢えて闘う勇気の信心を
本年、関東は幾重にも意義深い佳節を刻んでいます。
日蓮大聖人が千葉にお生まれになり、数えで800年。
牧口先生が茨城を訪れ、青年教育者と共に座談会に出席されて85周年。
戸田先生が、戦後初の地方指導の第一歩を栃木にしるされて75周年。
池田先生が、恩師の名代として埼玉で御書講義を開始されて70周年。
「人材の王国 使命の群馬」との永遠のモットーが発表されてから35周年。
先生は後年、「関東には、恐れなき敢闘精神がある」とたたえてくださいました。
学会にとっても大事な一年である本年。いかなる苦難にも、"いよいよの信心"で立ち上がることを教えられた「椎地四郎殿御書」を拝し、「敢えて闘う」「敢えて一歩踏み出す」敢闘精神をみなぎらせて、立正安国の対話に打って出ていきたいと思います。

◇君自身が成長しているか
創価大学3年だった1980年(昭和55年)11月、思いがけず池田先生との出会いが。先生は「これからは君たちの時代だ。あとはしっかり頼むよ!」と語られました。当時は、第3代会長を辞任された翌年。"生涯、何があろうと先生の弟子として広布に戦う"と誓いました。
先生は本抄の講義の中で、学会の同志が、苦難に直面するたびに、「今こそ成長の時だ!」と、「強盛の信心」を燃え上がらせ、人生の道を切り開いてきた事実を強調され、現在のこの瞬間から、新たな人生を断固として切り開いていく「本因妙の生き方」を教えてくださっています。
私自身、創大卒業後、専門商社に入社し、ほどなくして営業の部署へ。"社会で実証を"と奮闘しました。しかし、なかなか結果が出ない日々。あまりに多忙で会合にも参加できず、心身共に疲労困憊し、仕事にも活動にも中途半端になっている自分がいました。先輩に指導を求めると、"大事なことは、君自身が成長しているか。信心の歓喜がみなぎっているか、ということだよ"と。
はっとしました。表面的なことにとらわれ、広布への一念が揺らいでいた自分に気付いたのです。
先生は講義の中で、「根本的に宿命を転換していくためには、どうすればよいか。『法華経の行者』として、広宣流布の大願に戦い抜くことです」と教えてくださっています。
私は"全てをやり切り、成長しよう"と腹を決め、朝は誰よりも早く出勤し、一日の予定を綿密に立てました。日々真剣に仕事と活動に取り組む中で、喜びを実感するように。営業の成績は次第に向上し、やがて上司からも深い信頼を寄せてもらえるようになりました。強き信心に立てば、いかなる苦境も勝ち開いていけると確信した体験です。

◇金剛不壊の生命
今この時に生まれ、広布に生きる私たちにとって、病苦や経済苦など、目の前に現れてくる全ての苦難は、仏という大境涯を勝ち開くためのチャンスです。"これ以上は何もできない""もう無理だ"と思うような壁にぶち当たった時こそ、人間革命の勝負どころなのです。私たちは試練に直面するたびに、いよいよ強盛な信心を燃え上がらせたい。師子王の心で前進する生命には、勇気と智慧と力が湧き上がる——この先生の講義を心に刻みたいと思います。
私自身、コロナ禍の中で「立正安国論」を改めて研さんしました。災害が打ち続き、疫病がはびこる中、国主諫暁に打って出られた大聖人。社会の安穏、民衆の幸福のために、敢えて戦いを起こす——この精神は永遠に忘れてはなりません。先の見えない不安が社会を覆う今こそ、目の前の一人にどこまでも寄り添いながら、正義の対話で、善の連帯を拡大していこうではありませんか。
先生は、関東の同志への長編詩の中で、「私と共に 師子奮迅の力で 金剛不壊の大功徳の生命を 創り飾ってくれ給え!」と呼び掛けられました。
今この時に敢闘精神を燃やして戦うことが、決して崩れることのない金剛不壊の自分を築き、創立100周年への大道を開くことになります。
一日一日、全力で人間革命に挑み、栄光の11・18「創立記念日」を勝ち飾っていきましょう!

◇メモ
「椎地四郎殿御書」は、弘長元年(1261年)に鎌倉から椎地四郎に送られたとされる御消息。人物についての詳細は不明だが、四条金吾や富木常忍に宛てた御書に、椎地四郎の名があることから、同志と共に地道に弘教に励んできた人物だと推察される。本抄では、何らかの重要な情報を報告した椎地四郎に対し、大聖人御自身でも確認されたところ、まさしく椎地四郎が伝えてきた通りであったと称賛された上で、"いよいよ"の心で一段と信心に励み、功徳を受け切っていくよう御教示されている。師曠とは、中国・周の音楽家で耳がよかった。離婁とは、中国古代の伝説上の人物で、目が非常によかったとされる。

2021年9月10日金曜日

2021.09.10 わが友に贈る

近隣との絆を大切に。
「何か困っていないか」
「力になれる事はないか」
真心あふれる声掛けで
支え合う地域を築こう!

本因妙抄 P874
『彼の天台大師には三千人の弟子ありて章安一人朗然なり、伝教大師は三千人の衆徒を置く義真已後は其れ無きが如し、今以て此くの如し数輩の弟子有りと雖も疑心無く正義を伝うる者は希にして一二の小石の如し』

【通解】
かの天台大師には、三千人の弟子がいたが、章安一人だけが同じ明朗な悟りを得ている。伝教大師は、三千人の多くの門下を置いたが、一番弟子の義真の後は、同じ悟りを継ぐ人はいなかった。今も、それと同じようなものである。幾人かの弟子がいるといっても、疑う心がなく、正義を伝える者は希であって、一、二の小石のようなものだ。

名字の言 人は「ことばで色をぬる絵描きさん」 2021年9月10日
詩人の矢崎節夫さんが教えてくれた。言葉には色があり、人は「ことばで色をぬる絵描きさん」と(『金子みすゞ・ことばのまど あなたはあなたでいいの』ポプラ社)▼高校時代に体調を崩し、人と会うことができない時期が長く続いた友がいる。ある時、主治医が言った。「あなたはあえて苦しみを背負い、世の中に出てきた宝の人です。よくならないわけがありません。自分にしかできない、素晴らしい物語をつづっていってください」▼この言葉が友の心に届いた。家族や周囲の協力を得て数年前から農業の道へ。少しずつ元気を取り戻し、今年、JAの広報誌に「輝く農の人」と紹介された。「私は今、自分にしかできない『人間革命の物語』の第一歩を踏み出したように思います」▼言葉の色とは、言葉を発する人の「心の色」だろう。相手を思う心が根底にあるから言葉は生きる。まさに「言と云うは心の思いを響かして声を顕すを云うなり」(御書563ページ)。同じ言葉でも、言葉を発する人の「心の色」次第で、受け止め方は全く異なってくる▼「自分の使うことばの色で、自分のこころと相手のこころのキャンバスに色をぬるのです」(前掲書)。心を磨き、すてきな色の言葉を届けたいと思う。

寸鉄 2021年9月10日
「足は経なり」御聖訓。広布の魂は行動の二字に脈動。今日も開拓の一歩
戦いには突進力がなければならぬ—恩師。全幹部が"対話の秋"へ勢いよく
適度な運動や会話で心身が元気に—医師。学会活動は健康作る最高の良薬
夕暮れ時の交通事故が増える季節。反射材や明るい色の服の着用等対策を
太陽系に「未知の惑星」が存在の可能性と。宇宙は不思議に満ちて。生命も

〈社説〉 2021・9・10 米同時多発テロから20年
◇対話で 分断と差別からの転換を
あす11日、米同時多発テロから20年を迎える。未曽有のテロ事件は、その後の世界に分断と差別が広がる発火点となった。
2001年10月、凶行に及んだテロ組織が潜伏するアフガニスタンに対し、米国が武力攻撃を開始。時のタリバン政権を打倒した。だが、去る8月、駐留米軍の撤退によりタリバンが再びアフガニスタンを掌握し、世界に衝撃を与えている。この20年間の評価は分かれ、歴史の審判を待たなければならないが、軍事介入の問題点を改めて浮き彫りにした。
アフガニスタンへの攻撃と同じ頃、欧米諸国でイスラム教徒に対するヘイトクライム(憎悪犯罪)が増加。米国では、それまで年30件弱だった同様の犯罪が、01年には481件に激増した。
その後、米国は03年のイラクへの攻撃など、長きにわたり「対テロ戦争」を継続していく。
この頃から、主に中東地域でテロ事件の件数が増加し、その流れは時を経て、過激派組織「イスラム国(IS)」の台頭とともに、世界に波及する。15年のパリ同時多発テロをはじめ、欧米などで凶悪なテロ事件が頻発。それらは、生まれ育った自国の社会に不満を持つ青年やイスラム系移民の2世として差別を受けていた若者ら、やり場のない屈折した気持ちを抱えていた者たちの犯行でもあった。
なぜ、テロは繰り返されるのか。千葉大学の酒井啓子教授は、著書『9・11後の現代史』(講談社)の中で「ISが衰退し、息が絶えたとしても、世界の至る所で疎外され鬱屈を抱えてドロップアウトする者が存在する限り、終息することはないだろう」と述べている。
誰にも認められず、地域や集団に溶け込むことができない人々の悲痛な叫びは、出自や人種に関係なく、ここ日本にも存在するのではないだろうか。
池田先生はかつて、SGI提言の中で「対話がなければ、人間は独善という暗闇の中を歩き続けねばならない。いわば、対話とは、その暗闇にあって互いの足元を照らし合い、歩むべき道を見出す灯火といえます」と綴った。
混迷を深める世界にあって、対話を軸に、万人平等の人間主義の旗を掲げ、進む創価学会の使命はいやまして大きい。目の前の一人との対話こそが、"人類にとって最重要の10年"を切り開く一歩だと確信して前進していきたい。

☆池田先生と共に 希望・勝利の師弟旅 仏法で人格の芯を固めよ 2021年8月31日
正義の青年は、もとより多事多難である。だからこそ、偉大な人格が鍛えられる。
日蓮大聖人は、若き南条時光を繰り返し励まされた。「たがふ事あらば・いよいよ悦びとこそおもひて」(御書1542ページ)等と。
思うようにいかないことがあればあるほど、いよいよ喜び勇んで剛胆に立ち向かうのだ。
この勇気ある不退の信心を受け継いでいるのが、創価の青年たちである。
◇ ◆ ◇
きょう8月31日は「学生部の日」。
さらに、9月9日の「女子学生部の日」も間近である。
感染症の拡大が続き、学業や生活や進路など万般にわたり、苦労が絶えないであろう。
その中で、男女学生部の友はスクラム凜々しく「行学の二道」に励み、「立正安国」の対話を広げている。皆、智勇と福智の哲学者だ。
イギリスの歴史学者・トインビー博士との懇談の折、21世紀の青年へ助言を求めると、一言、「忍耐強くあれ」と語られた。挑戦と応戦という視点から人類史を俯瞰されてきた博士の一つの結論である。
今、大仏法の生命尊厳の哲理を掲げて、現代文明からの挑戦に忍耐強く応戦している君たちこそ、新たな地球文明の黎明を告げる旭日なりと、私は讃えたい。
トインビー博士が、困難な時代のリーダーの要件に、
一、洞察力
一、節度
一、度量
一、持久力
の4点を挙げられていたことも、思い起こされる。
特に度量について博士は、苦しいことさえ楽しそうに耐え忍んで乗り越えていく達人芸のような力とされた。
「御義口伝」には、「今日蓮等の類いの修行は妙法蓮華経を修行するに難来るを以て安楽と意得可きなり」(御書750ページ)と仰せである。
大聖人が示された仏道修行の真髄を、生き生きと現実社会で展開しているのが、学会活動にほかならない。
学生部出身者の中には、コロナ禍の今、命を救う最前線である医療に従事している友もいる。
後継の若人たちも、地涌の使命の青春を思う存分、乱舞し、仏法で人格の芯を揺るぎなく固め、新時代の指導者群を築き上げていただきたい。
◇ ◆ ◇
宝の未来部の鳳雛たちも、新学期である。
一人ももれなく、健やかに、伸び伸びと安心して前進し、成長していけるように、これまで以上に、皆で題目を送り、応援していこう!
創価家族の「教育力」で、いやまして希望の未来を創り開いていくのだ。

☆「世界を照らす太陽の仏法」に学ぶ 第11回 絶対勝利の要諦
◇四条金吾殿御返事
『いかに日蓮いのり申すとも不信ならばぬれたる・ほくちに・火をうちかくるが・ごとくなるべし、はげみをなして強盛に信力をいだし給うべし』(御書1192ページ14行目〜15行目)

◇池田先生の講義から
どこまでも「師弟不二の心」で、「師弟一体の祈り」を貫き通していくことこそ、いかなる苦難や困難をも勝ち越えゆくための信心の要諦なのです。また、ここに「法華経の兵法」の肝要があります。
◆◇◆
「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」(御書1360ページ)と仰せのように、大聖人の大誓願をわが誓願として、民衆の幸福のために不二の心で立ち上がる人が「地涌の菩薩」です。「誓願の祈り」が、「誓願の人生」を築くのです。
現代において、この御聖訓の通りに、広宣流布のために立ち上がったのが、先師・牧口先生、恩師・戸田先生です。創価学会は、この偉大な師弟の誓願から出発したのです。
◆◇◆
最初は"自分のための祈り"だったものが、そのまま"師と同じ誓願の祈り"へと発展していく。それは「師匠に守られる弟子」から、「師匠と共に戦う弟子」への一大転換劇ともいえるでしょう。(中略)
「師弟」とは、目覚めた民衆の陣列を築く、師匠の「精神」と「行動」を共戦の弟子が継承していくことなのです。
(『調和と希望の仏法 「人間の宗教」の時代へ』から)

五十嵐真理子 信越女性部長
◇弟子の人間革命の劇を!
「恩師の生涯を、後世永遠に書き伝えることは、わが人生の使命なり!」——今回学ぶ、「四条金吾殿御返事」の講義の中で、池田先生は述べられました。
恩師の広布の生涯をつづる小説『人間革命』の執筆を決意され、師の構想を実現する弟子の戦いを記す『新・人間革命』を起稿・脱稿された天地こそ信越です。
この有縁の地で戦う私たちは、今一度、いかなる苦難にも負けない絶対勝利の信心の要諦である師弟誓願の祈りについて、学び深め、弟子の人間革命の歴史をつづっていきましょう。

◇地涌の「真の力」
先生は講義の中で、「師弟の祈りが一致しなければ、真の力は出せません」と述べられています。
婦人部本部長(当時)を務めていた時、広布拡大がなかなか進まず、悩んだ時期がありました。
"このままではいけない。池田先生なら、どうされるだろうか"と祈る中、先輩にも指導を受け、"誰かではない。私が境涯を開き、必ず勝利する"と決めました。以来、メンバーや友人一人一人の幸せを真剣に祈るとともに、自身が先頭に立って動きました。皆さんも勇気を奮って戦われ、結果として目標を大きく上回る弘教を達成できたのです。
何より、拡大に挑戦した皆さんが、人間革命した歓喜の体験をつかむことができました。皆で喜び合ったことは忘れることができません。
"師匠のために"との誓願の一念で立ち上がり、自身の祈りが、皆の幸福・勝利という師の祈りに合致した時、地涌の菩薩としての「真の力」が出るのだと痛感します。広布の戦いは、一人一人が人間革命し、さらなる幸福を勝ち開いていく好機にほかなりません。

◇久遠の誓いに立ち返る
先生はさらに講義の中で、「私たち学会員は、信心の年数に関係なく、誰もが等しく、久遠(はるかな昔。永遠・根源のこと)からの誓いで末法広宣流布のために出現した誉れの地涌の菩薩です」と強調されています。
今、この地涌の使命を自覚し、多くの友が立ち上がっておられます。
南信圏の山間地域で活躍する、ある地区女性部長は2年前、乳がんが判明。抗がん剤治療の末に寛解を告げられました。しかし昨年11月、検診で新たに大腸がんが見つかり、リンパまで転移している可能性もあることが分かりました。
動揺する心を抑え、池田先生にお手紙を書くと、先生からの激励の伝言が。"絶対勝ちます"と誓いを立て、祈りに祈りました。後日、手術のためにもう一度検査をすると、不思議なほど、がんが小さくなっていたのです。手術ではなく内視鏡治療へと切り替わりました。
病魔に負けまいと継続して祈り、先生の指導を読み進めていくと、"あなたには、この地域の広宣流布を成し遂げていく、尊い使命がある"との一節が彼女の目に留まりました。
"そうだ。私には、先生と共に広布に生き抜く使命がある! だから病気に負けるわけにはいかない"——まさに、久遠からの誓いに立ち返るような深い祈りを重ねる中、治療が功を奏し、彼女は健康を取り戻されたのです。
闘病の中で、未入会のご主人は信心に理解を深め、彼女の活動を応援してくれるように。地区でも、ヤング白ゆり世代の方が入会されたのをはじめ、青年部が転勤してくるなど、人材が躍動しています。先生が講義されている通り、師と同じ誓願の祈りへと、祈りが深まる中での勝利劇に大きな感動が広がっています。

◇屹立した信心
広布の使命。弟子としての自覚。
今、祈りの中で、こうした根源的なことに向き合い、主体者として立ち上がられている方が、たくさんおられます。単なる目標や決意といった次元を突き抜け、皆の幸福と勝利を願う師の心、師の誓願に迫る信心を、改めて、今こそ打ち立てていく時です。一人一人が屹立した信心に立てば、どんな三障四魔にも紛動されない師弟の人材山脈が築かれると確信します。
2008年(平成20年)8月24日、池田先生は信越代表者会議の席上、語られました。
「師匠がいるから、勝利の軌道を歩める。師匠がいるから、増上慢を打ち破れる。師匠がいるから、人間革命できるのだ」
さあ、師弟の真実を叫ぶ、正義と勇気の言論戦で、新しい広布の勝利へ勇んで前進する時! 共戦の魂が刻み込まれた信越には、その先頭を走る使命があります。
師弟誓願の祈りを強く、自分自身の「人間革命」のドラマをつづっていきましょう!

◇メモ
「四条金吾殿御返事」は、弘安2年(1279年)の御述作。主君の江間氏を折伏した結果、主君の不興を買った四条金吾は、日蓮大聖人の御指導通り、強盛な信心と主君への誠実を貫く。金吾は主君の信頼を回復し、以前の3倍に及ぶ領地を与えられたが、今度は成功をねたむ人々から命を狙われる。本抄は、その危機を乗り越えた報告に対する御返事である。別名「法華経兵法事」。師と同じく、弟子が今一重、強盛な信心を奮い起こしていくことを教えられている。

2021年9月9日木曜日

2021.09.09 わが友に贈る

寒暖差が激しい
季節の変わり目だ。
体調を崩さないよう
外出や就寝時の服装等
賢明に工夫と準備を!

秋元殿御返事 P1070
『九月九日は経の一字のまつり戌を以て神とす、此くの如く心得て南無妙法蓮華経と唱へさせ給へ現世安穏後生善処疑なかるべし、法華経の行者をば一切の諸天不退に守護すべき経文分明なり』

【通解】
九月九日は経の一字の祭りで、戌をもって神とする。このように心得て南無妙法蓮華経と唱えていきなさい。現世は安穏であり後生は善処に生まれることは疑いないことである。
法華経の行者を一切の諸天が不退に守護することは経文に明らかである。

名字の言 "日本初"を数多く生んだ大阪・堺市 2021年9月9日
「ものの始まりなんでも堺」という。鉄砲、傘、三味線、水練学校など、大阪・堺市は"日本初"のものを数多く生んだ地である▼国産自転車も堺発祥とされるものの一つ。とある人物が明治期にアメリカから輸入した自転車で、時間貸しを始めたことがきっかけだ。その後、鉄砲鍛冶の技術を生かして自転車製造が本格化。"庶民の乗り物"として愛される自転車は、今も堺の地場産業である▼まだ庶民にとって自動車が高級品だった昭和31年、「大阪の戦い」でも自転車が大活躍した。若き日の池田先生は、自転車で大阪中の辻々を回り、友に励ましを重ねた。何台も乗りつぶしたことは語り草だ▼堺の地でも、先生は中古自転車のペダルをこいで路地から路地へ。地元の同志が「こちらです」「あのお宅です」と案内を務めた。先生はその姿から「わが街を愛し、それこそ地を這うように、地域を回りに回られていることが、痛いほど伝わってきた」と述懐している▼アインシュタインは人生を自転車に例えた。「バランスを失わないために走りつづけなければならない」と(鈴木主税訳)。広宣流布に走り続けることは、幸福と勝利の軌道に乗ること——それを尊き関西の父母たちが証明している。

寸鉄 2021年9月9日
「各各思い切り給へ」御書一念を定めれば智慧が湧く。必勝の祈りで今日も
若者は実行と決意、やれば必ずできる—牧口先生大胆な挑戦が青年の特権
北海道の日。難攻不落の三代城の友が拡大に先駆立正安国の大道を勇んで
英知磨き人格を陶冶する尊き青春!福智のスクラム広げる女子学生部の日
コロナ禍で都内のバイク利用者と事故死が増加。安全最優先で法令順守を

〈社説〉 2021・9・9 きょう「女子学生部の日」
◇新時代を開く幸福博士に
1975年のきょう、女子部学生局(当時)の集いに、池田先生が初めて出席された。メンバーの歓声と拍手が会場を包んだ。
先生は席上、「開目抄」を拝して、さまざまな人生の転機や環境の変化に屈せず、「不退の心」で広宣流布の大願に生き抜いてほしい、と万感の期待を込めて呼び掛けた。この出会いが、9・9「女子学生部の日」の淵源である。
女性として唯一、二つのノーベル賞を受賞したキュリー夫人は、生涯、"永遠の女子学生"のように向学心に燃え、夢を追った。"1世紀前に生まれてきたかった"と手紙を寄せた、めいに対して彼女が贈った言葉がある。「わたしは、どの時代でも、人はおもしろく有意義な人生を送れると思っています。肝心なのは、与えられた人生をむだにせず、<わたしは自分にできることはやった>と自分自身に言えるようにすること」(エーヴ・キュリー著『キュリー夫人伝』河野万里子訳、白水社)
存分に学ぶこともできない貧苦の学生時代を耐え、後に偉業を成し遂げたキュリー夫人だからこそ、その言葉に重みを感じる。
かつて、池田先生は創価女子短大生に、彼女の生き方を通して「順境のなかでは、人間の真の力は発揮できない。逆境に真正面から立ち向かっていくとき、本当の底力がわいてくる。逆境と闘うから、大いなる理想を実現することができるのです」と語った。
今年、愛知の短大を卒業した、ある女子部員。テーマパークのダンサーになる夢をかなえようとしていた昨年、コロナ禍に直面し、オーディションが相次ぎ中止に。目の前が真っ暗になったが、"こんな時こそ、ダンスで勇気と希望を送りたい"と奮起。唱題を重ねて挑戦し、ダンスインストラクターの職を得た。現在、地区リーダーとして学会活動に励みながら、ダンサーへの夢を追い続けている。
女子学生たちとの出会いから35年後の2010年、池田先生は記念の集いにメッセージを寄せた。
「妙法は、何があろうと、決して行き詰まりのない『希望の力』であります。永遠の『幸福の法則』であります。そして絶対の『勝利の秘術』なのであります」
妙法は希望の哲学である。聡明なる女子学生たちが、いかなる苦難にも信仰を貫き、"華陽姉妹"の誇りで、新時代を開く「幸福勝利の博士」になることを願う。

☆Switch——共育のまなざし 仕事、子育て、学会活動——"3立"を考える"創価のパパ"たち
「イクメン」(育児に励む男性)という言葉が生まれて10年余り。今回は、東京都江東区に住む男子部員のパパたちを紹介します。仕事、子育て、学会活動の"3立"は、簡単なことではありません。でも、「信心することで、生まれる力がある」と"創価のパパ"たちは語ります。課題と向き合いながら、「子育てを"自分のこと"として頑張りたい」と思う、その背景に迫ります。

◇"板挟み"の中で
「僕らの世代は、子育てについて"時代の過渡期"を生きているんだと思います」 
岡田正人さん(41)=男子部本部長=は、息子が小学2年になる今日までの歩みを、そのように振り返る。
2014年(平成26年)3月、長男・英明君(7)が生まれた。岡田さんは広告代理店で働いている。「当時、会社は、男性が育児休暇を取る体制が、あまり整っていなかった」と言う。一方、社会では年々、男性の育児参加が話題になっていた。

◇"わが子と、何かしらの、つながりを持ちたい"
残業が多かった広告制作の傍ら、出勤前の朝、わが子のもく浴(入浴)は、自分が担当した。しかし、思いがけないことから、育児にさらに関わっていくことになる。
英明君が生まれて半年がたった頃、妻・久仁子さん=地区女性部長=が体調を崩す。「冷静な自分とパニックになる自分がいる不思議な感覚」(久仁子さん)を抱き、受診すると、「産後うつ」と診断された。
"少しでも、妻の負担を軽くしたい"。岡田さんは、会社の先輩や上司に相談したものの、返ってくる答えは、ほとんど同じだった。
「子育てが大変だと言っても一時のこと。皆、経験している。俺はどんなに大変でも、家庭と仕事なら、仕事を取ってきた」
各人が年間、数千万円規模の案件を抱え、評価を懸け、血眼になって働いていた。
「現在は改善されましたが、土日も休日返上で出社している同僚も、少なくありませんでした」
そうした職場と家庭の"板挟み"の中で、岡田さんは、土日は休み、平日も週の半分は定時に退勤し、洗濯や皿洗いを行った。だが、頑張っているつもりでも、「おっぱいをあげたり、夜泣きをあやしてくれたりするのは妻で、なかなか体調が改善するまでには至らない。申し訳なく思いました」と。
1カ月、2カ月、半年……そうした日々が続くと、蓄積した疲労が岡田さんの心身にも、ダメージを与えた。
"職場の信頼を維持できるか? 家族を守っていけるか? その前に、自分が倒れないだろうか?"
「苦しい」——会社の同僚にも家族にも言えない。その、孤立しそうになる岡田さんの心を受け止めてくれたのが、同世代の男子部の仲間で、子育てにも奮闘する若旅貴範さん(42)=区主任部長(部長兼任)=だった。

◇感謝の気持ち
若旅さんと岡田さんがファミリーレストランで語り合ったのは、岡田さんの長男・英明君が幼稚園の年少にあがる頃だ。
その間、岡田さんの妻・久仁子さんは、医師から「鉄欠乏性の貧血が、体調不良を招いた可能性がある」と言われ、その治療が奏功した。とはいえ体調には、依然として好不調の波があった。
また、育児についても、「子育てを担った分、妻に認めてほしい」と思う岡田さんと、「育児は"手伝い"じゃなくて"自分のこと"でしょ」と言う妻の間で、ズレが起こることもあった。
岡田さんと2人で話した日のことを、若旅さんは振り返る。「お互いに、妻からの指摘とか、自分の至らなさを吐き出して『まあ、それでも俺たちなりに頑張ってみよう』と。『忍耐、忍耐、また忍耐』と言い合って。そんな言葉を僕の妻が聞いたら、絶対に怒ったと思いますけど」と苦笑い。
一方で岡田さんは、若旅さんと一緒に、メンバーへの訪問・激励に歩いた日のことも、よく覚えている。若旅さんが何気なく口にした一言。それは「妻に、感謝できる自分でありたい」。
——若旅さんは、職場の上司から仏法の話を聞き、22歳の時に創価学会に入会した。信心に励む中で、確信を深める出来事が、妻・珠理さん=地区副女性部長(白ゆり長兼任)=との結婚から2年後に起きた。
検査の結果、若旅さん自身が精巣がんのステージ3で、肺とリンパ節にも、がんが転移していることが判明したのだ。間もなく、手術と抗がん剤治療、さらに2度目の手術と、約6カ月に及ぶ入院生活が始まった。
珠理さんは連日、病院に通い、支えてくれた。若旅さんは、抗がん剤の副作用で、吐き気と倦怠感に襲われ、ほとんど、ベッドから動くことができなかった。
そうした中で、ある思いを抱くようになった。"当たり前のように生きていられる一日がどれほど幸せか。一緒に歩んでくれる人がいることが、どれだけありがたいか。元気になって、この感謝の気持ちを、返していこう"
闘病を乗り越え、手術前に凍結保存した精子で授かったのが、一人娘の愛莉ちゃん(7)=小学1年=だ。そのような歩みがあって、子育てについて、若旅さんは、こう捉える。「妻から子育ての文句を言われたら、それはありがたい。リクエストが明確なのだから」と。
若旅さんは、術後10年を経て、昨年、医師から寛解を告げられた。

◇"自分のこと"として
男子部の部長であった岡田さんは、若旅さんとの交流を経て、より一層、仲間への訪問・激励に力を注ぐようになった。休みの日は、しばしば、幼稚園の年中になった息子を連れて、友のもとへ足を運んだ。
「最初のうちは子どもとのペースの違いもあるから、サクサク回れなかったですけど、"これも自分のトレーニングだ"と思って。やがて慣れました」
仕事のこと、家庭のこと、その両方……。悩みはメンバーによって違う。その思いを受け止め、池田先生の指導をもとに、一緒に答えを探そうと努めた。
「この時間までに仕事を終わらせて、活動に駆け付けるという一念が、一段階、上の集中力と成果を生むよ」
「育児は"自分のこと"。俺も父親に遊んでもらった記憶があまりないから、今、その考え方を自分に染み込ませてるんだ。一緒に頑張ろう」
友と語り合うことは同時に、「自分の中にある"父親像"を更新していくことでした」と岡田さんは言う。
訪問・激励を終え、帰宅後は御本尊に向かった。子どもの夕食、入浴、寝かし付け。子育てに終わりはない。祈れる時間が無限にあるわけでもない。だからこそ真剣に、「生命力を湧き立たせていこう」と、自分を鼓舞するように題目を唱えた。
祈りを重ねることで、物事の見え方が変わってくることを感じた。
"仕事の重圧は大きいが、業績を残せば、出退勤など、自由裁量の部分もある。妻からの要望も、言ってもらえることでコミュニケーションが取れる。見方によって、全部がチャンスになるんだ"と——。「僕には仲間がいる。そして、自分で自分を励ませる題目がある。"強みが、いっぱいある"と思うようになりました」
岡田さんが訪ね、絆を結んだ男子部の仲間たちもまた、その出会いから多くのことを学び、信心の実践を始めるきっかけになっていった。
岡田さんが部長を担い、部活動者会の参加者は、15人にまで増えた。現在は本部長を務める岡田さんの魅力をメンバーに尋ねると、「一緒に解決の道を考えてくれる」「等身大で自分の話をしてくれる」との言葉が返ってくる。

◇つくろわない姿
「人間は、自分を人に良く見せようとするものだ。誰にでもその癖がある。ありのままの姿でいきなさい」——この恩師・戸田先生による青年への指導を紹介し、かつて池田先生は次のようにつづった。
「御書にも、『はたらかさず・つくろわず・もとの儘』(759ページ)と仰せである。この無作三身の生命こそが、最も尊く、最も美しく、最も胸を打つのだ」
生命と生命の触発が、新たな触発を生んでいく。
30代独身の部長は、ある日、メンバーのもとを共に訪ねる道すがら、岡田さんが、早朝、仕事関連の資格取得を目指して勉強していることを知った。訪問後は、「これから公園で息子を遊ばせてくるね」と言って去っていく。「僕自身は、結婚に対して及び腰なんですけど、岡田さんのその背中は、すてきだなと思いました」と。
30歳の地区副リーダーは、"広布の役職"を受けようと決意した理由を明かす。「岡田さんが訪ねてくれて、『君の力を貸してほしい』って。僕を信頼してくれていることが、率直にうれしかった」
その地区副リーダーは2児の父親でもあり、育児のことで悩むたびに、岡田さんに相談してきた。
かつて岡田さんから言われた言葉が、心に残っている。「妻が笑顔でいられるように、また、子どもが成長できるように、自分がしてあげられることは何か。それを考え続けることが大切だなって、常々、僕も感じている」と。
岡田さんは、若旅さんをはじめ学会の同志との語らいを通して、こう考えるようになった。
「子育てに"正解"も"満点"もない。だからこそ、うまくいかなくても前向きに捉えられるし、頑張った分だけ得られるものがあるんじゃないかって」
共に積み重ねた、息子との時間。その中でいろいろな横顔を知ることができた。
「優しくて、人に手を出すことは絶対にしなくて、多くの友達の中では要領よくできなくて、一対一なら安心して自分を出せて、お風呂が好きで、水鉄砲で攻撃してくるのが好きで……」
気ぜわしく過ぎていく日常の中で、向き合わなければ見過ごしたであろう、その景色全てが「最高の思い出」となり、心に残り続けるものなのだろう。
最後に、岡田久仁子さん、若旅珠理さんから。「うーん。今も夫へ(子育てに関して)いろいろ言いたいことはありますけれども(笑い)。"わが子を広布後継の人材に"という同じ願いをもって、一緒に歩もうとしてくれる姿勢に、感謝しています」と異口同音に。
やはり、"もうこれで完璧"という"ゴール"はない。これからも、学童期、青年期へと続いていく親子の関係。子どもと一緒に歩むからこそ、折々に見える景色があるはずだ。
それを楽しみ、分かち合っていきたいと、"創価のパパ"たちは思う。家族と共に、また、支え合う学会の仲間と共に——。