挑戦重ねる未来部員を
真心こめて称えよう。
"苦難は成長するための
大きなチャンス"と
自信を育む励ましを!
乙御前御消息 P1221
『今日本国の人人は法華経のかたきとなりて身を亡ぼし国を亡ぼしぬるなり、かう申せば日蓮が自讚なりと心えぬ人は申すなり、さにはあらず是を云わずば法華経の行者にはあらず、又云う事の後にあへばこそ人も信ずれ、かうただかきをきなばこそ未来の人は智ありけりとはしり候はんずれ、又身軽法重死身弘法とのべて候ば身は軽ければ人は打ちはり悪むとも法は重ければ必ず弘まるべし』
【通解】
今、日本国の人々は、法華経の敵となって、身を亡ぼし、国を亡ばしてしまうのである。こう言うと、「日蓮の自讃だ」と、よく分かっていない人は言う。決してそうではない。これを言わなければ、法華経の行者ではない。また、言ったことが後になって符合すればこそ、人も信じる。このように、そのまま書き残しておけばこそ、未来の人は「日蓮は智慧があった」と知るであろう。また(涅槃経疏に)「身は軽く法は重し、身を死して法を弘む」と述べている。日蓮の身は軽く賤しいから、人は打ちたたき、憎むけれども、法は重いから必ず弘まるであろう。
名字の言 文豪ゲーテの「時間の概念」 2021年2月27日
「一月往ぬる二月逃げる三月去る」という。行事が多く、あっという間に時間が過ぎる季節。壁掛けカレンダーをめくる日も間近となり、その言葉が身に染みる▼去年の手帳を開いてみた。1年前の今の時期は取り消し線だらけ。コロナ禍によって次々と予定が中止となったからである。友人たちと当時を振り返ると、暇になって困ったという人もいれば、仕事の対応でむしろ多忙を極めた人もいて、状況はさまざまだ▼文豪ゲーテの詩に「わが時を短くするものは何ぞ 活動 堪えがたく時を長くするものは何ぞ 怠惰」(小牧健夫訳)とある。時間の概念にはクロノス(時計が刻む時)とカイロス(精神的な時)があり、ゲーテは後者を重視した。ただ忙しければ良いわけではない。「今」という瞬間を真剣に生きる中に、真の充実と幸福があるとの洞察だろう▼大切なのは刻々と流れる時間を何のために、どう価値的に使うか。池田先生は詠んだ。「平凡は 真理であるかも知れない」「話せることも幸せだ 歩けることも幸せだ その間に『人生』は 何かをしなければならない 私は『広宣流布』をする」▼御書には「一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ」(970ページ)と。伝統の2月から「3・16」へ、今日も悔いなき挑戦の一日を!(恭)
寸鉄 2021年2月27日
「白ゆり希望カレッジ」の配信が開始。新時代創る価値創造の「創春」の舞を
各地で「女性の日」。友の心に幸の陽光を。皆様は地域を照らす平和の太陽
青年よ、汝の尊き使命に目覚めよ—恩師。君こそ次の10年の主役。扉開け
ひったくりが頻発。歩きスマホやイヤホンは注意散漫に。警戒心を持って
花粉症、対策早めに。コロナと共通症状多く。発熱や息苦しさは感染の疑い
☆忘れ得ぬ旅 太陽の心で 第12回 東京・大田
月刊誌「パンプキン」誌上の池田先生の連載エッセー「忘れ得ぬ旅 太陽の心で」を紹介する本企画。今回は「東京・大田——勇気の声で新たな故郷を」〈2013年6月号〉を掲載する(潮出版社刊の同名のエッセー集から抜粋)。「大切な縁の人々がいる天地こそ、故郷」とつづる池田先生は、生まれ育った大田での懐かしき思い出を述懐。勇気の対話で友情を広げ、喜びあふれる故郷を築きゆこうと呼び掛ける。若き池田先生が大田を舞台に個人激励に徹し抜いた「二月闘争」のように、一人を大切にする励ましの心を、わが地域の隅々に届けていきたい。
幼き日
大田が私の
全世界
あの町この道
生涯忘れじ
不思議なもので、年齢を重ねるほどに鮮やかさを増して蘇ってくるのが、「故郷」の光景です。
故郷は、自らの命を生み、育んでくれた大地です。生まれた場所はもとより、青春の飛躍を遂げる転機となった舞台も、故郷と言えるでしょう。仲間と力を合わせ、その発展を願って貢献した地域も、これまた故郷となります。そして、忘れ得ぬ、大切な縁の人々がいる天地こそ、故郷ではないでしょうか。
私と妻にとって、この懐かしさに満ちた宝の故郷が、大田区であり、大東京なのです。
◇平和の建設へ
〈現在の大田区の地域で、海苔の製造業を営む家に生まれた池田先生。大田は、人生の師と出会い、平和への闘争を開始した"原点の地"である〉
私は入新井で生まれ、糀谷で育ちました。間近に東京湾の海が広がり、浜の潮風が野を吹き渡りました。近辺を流れる多摩川を越えれば、隣の神奈川県です。伸びやかな自然は、春夏秋冬、彩り豊かな思い出を織りなしてくれました。
戦時中、わが家が疎開していた馬込は、大正末期から昭和初期にかけて、多くの文人、芸術家が住み、「文士村」と呼ばれました。
この地で、名作『赤毛のアン』を翻訳した児童文学者の村岡花子さんは、「現実をよく見て、その地点から過去をかえりみ、将来を見とおし、現在を正しくしていこう」と、常に心がけていました。
戦後、私たち青年も、読書サークルを作り、学び合いました。読書会を終え、友人と森ケ崎の海辺を散策しながら、社会に貢献しゆく人生をと約し合ったことも懐かしい一コマです。
そうした人生の道を求める日々の中、私は一九四七年、十九歳の夏、蒲田での座談会で、師匠・戸田城聖先生にお会いすることができました。軍国主義と戦い、二年間の投獄にも屈しなかった信念の指導者に師事して、新たな平和社会の建設へと踏み出したのです。
私と妻は結婚して一時期、お隣・目黒区三田の借家に住んだ後、妻の実家に近い大田区山王のアパート秀山荘に約三年、小林町に約十二年、暮らしました。夫婦で力を合わせて、少しでも地域のお役に立てばと奔走してきました。
大田区の地名をペンネームにした作家・子母澤寛氏は、わが師の同郷の友人でした。戦前、師が営む出版社から刊行された名作『大道』には、郷土の庶民の幸福、未来の世代のために命がけで尽くす、誇り高き人生が描かれています。
「如何なるものとでも戦い抜き、打破る迄は一歩も退かぬ」「どのように踏まれても叩かれても、いつでも再び飛び上る。以前よりもっともっと高く飛び上れる心の備え、身の備えがなくてはならぬ」——胸に迫る一節一節です。
私は大田を起点として、東京中、また関西をはじめ日本中を駆け巡りました。少年雑誌の編集者として、隣接する世田谷や町田に住む作家・画家のもとへ原稿を受け取りに行きました。
師が生命哲学を講義した公会堂を擁する豊島にも、愛する庶民の街・荒川や人情こまやかな下町の足立・墨田、縁の深い新宿・中野など、いずこの地でも信頼する友との交流があります。
◇負けるものか
〈池田先生は、度重なる苦難にも負けず、幸福の連帯を広げる大田の婦人の姿を紹介。近隣とのつながりが希薄化する時代だからこそ、自身の手で故郷をつくっていこうと呼び掛ける〉
私と妻の大切な友人である大田の母は、兄弟を皆、戦争や事故で失いました。父親の喘息、わが子の病気、経済苦、夫に先立たれるなど、試練は打ち続きました。
しかし、誰もが自分の中から、最高に尊い、強く豊かな生命を引き出せる——この希望の哲学を胸に、「幸せになるんだ。皆で幸せになるんだ。負けるものか」と、友と手を携えながら、すべてを勝ち越えてきたのです。
この大田の母は語っています。
「どんな人にも必ず悩みはあります。相手の姿や形だけではわかりません。心を開いて語り合えば、皆、悩みを抱えています。まして生老病死の問題は、誰にも訪れます」と。
だからこそ、確固たる哲学が必要であり、地域と生活の中で声をかけ合い、励まし合うことが、幸福の安全地帯であると、婦人は微笑むのです。
東京には、日本と世界の各地から故郷を離れた人々が集まっています。調査によれば、東京二十三区の半数の世帯が一人暮らしです。オートロックマンションが数を増し、隣に誰が住んでいるのかわからない場合もあるようです。
現代は、無縁社会と言われます。それは、地縁や血縁がなくなったというより、縁を維持し、作り、育めていないという側面があるのではないでしょうか。
故郷は「自分たちで作るもの」です。今、暮らす地域を新たな故郷とし、今、縁する人を同郷の友として、友情を広げていきたい。そこに喜びも広がります。その第一歩は、挨拶であり、勇気を出して声をかけていくことです。私が知る友や青年たちも、この時代の先駆を切って東京を愛し、地域貢献に努力しています。
私も生粋の「江戸っ子」として、ますます、"ふるさと大東京"に恩返しをと願っています。
君も立て
我も立ちゆく
朗らかに
太陽輝く
東京家族と
(『忘れ得ぬ旅 太陽の心で』第2巻所収)