幸福を開く力は
自身の胸中に具わる。
師子奮迅の生命力を
強盛な祈りで湧き出し
勇気凜々と進もう!
松野殿後家尼御前御返事 P1393
『故に四衆とりどりにそねみ上下同くにくむ讒人国に充満して奸人土に多し故に劣を取りて勝をにくむ、譬えば犬は勝れたり師子をば劣れり星をば勝れ日輪をば劣るとそしるが如し然る間邪見の悪名世上に流布しややもすれば讒訴し或は罵詈せられ或は刀杖の難をかふる或は度度流罪にあたる』
【通解】
故に、四衆がそれぞれ日蓮をねたみ、上下こぞってにくむのである。讒言する者は国に充満し、また、奸人もその地に多い。故に劣った念仏を取り、勝れた南無妙法蓮華経の題目をにくむのである。譬えば犬は勝れて師子が劣り、星が勝れて太陽が劣ると誹るようなものである。それゆえ、日蓮は邪見のものであるとの悪名は世間に流布し、ややもすれば讒訴され、あるいは罵詈され、あるいは刀杖の難を蒙り、あるいは度々流罪に処された。
名字の言 「人間の内面は外的な運命よりも強靱」——精神科医フランクル 2021年2月24日
ナチス収容所で過酷だったのは、労働や飢餓だけではない。「どれほど長く強制収容所に入っていなければならないのかまるでわからないこと」もそうだったと、精神科医のフランクルが著書に記している▼出口のない日常は暴力や窃盗をまん延させ、人々を"生ける屍"に変えた。だが一方で、思いやりの言葉を掛け、なけなしのパンを譲る被収容者もいた。誰かを支えることに生きる意味を見いだした人たちだ。「人間の内面は外的な運命よりも強靱なのだ」と彼は訴える(『夜と霧』みすず書房)▼岡山の婦人部員は15年前に愛息を亡くした。希望への出口を見失い、信心からも遠ざかった。そんな彼女に一人の先輩が関わった。「特別なことは言えないから」と祈り、寄り添う日々は何年にも及んだ▼実は先輩にも家族を亡くした過去があった。その事実を知った婦人は、再び学会活動に励むように。仏法を語り歩く中で気付いた。"息子が生きる意味を教えてくれている"。使命を自覚した彼女の確信に触れ、コロナ禍の1年間で4人の友が入会した▼深い悲しみを乗り越えた人は、深い哲学をつかむことができる。その経験はやがて誰かを助ける力になる。「妙とは蘇生の義なり」(御書947ページ)——創価の母たちが、それを教えてくれる。(子)
寸鉄 2021年2月24日
学会員には家族のような温かさが—博士。ここに我らの強さ。励まし合い
誠実こそが戦いの全てだ—恩師。一瞬の出会いを大切に。真心は必ず通ず
ごはんといのちの物語展—学会HPで公開。食は命。親子で語らう契機に
備えておいて良かった—1位は懐中電灯。災害は忘れた頃に。自助意識を
お金払えば優先接種等、ワクチンに便乗した詐欺電話が多発。騙されるな
☆御書の旭光を 第9回 強き「志」が幸福境涯を開く
〈御文〉
『凡夫は志ざしと申す文字を心へて仏になり候なり』(白米一俵御書、1596ページ)
〈通解〉
凡夫は「志」という文字を心得て仏になるのである。
〈池田先生が贈る指針〉
万人が成仏できる民衆仏法である。凡夫がそのまま仏になれる要諦が、信心の強き「志」なのだ。
「心こそ大切」である。法のため、友のため、立正安国のため、自らも悩みと闘いながら、今できることに真心を尽くす。そこに揺るがぬ幸福境涯が開かれる。
同志の尊き志を労い、讃え合い、歓喜も功徳も増しゆこう!
☆2月度御書講義 四条金吾殿御返事(此経難持御書)(上) 森中教学部長
◇戦い続けるなかに如来の生命が涌現
◇背景と大意
本抄は、文永12年(1275年)3月、日蓮大聖人が54歳の時、身延から鎌倉の四条金吾に送られたお手紙です。
前年9月、金吾は主君・江間氏を折伏します。しかし、主君は、極楽寺良観を信奉していることもあり、金吾を遠ざけます。そして、それにつけ込んだ同僚たちが金吾を迫害するようになります。
金吾は「法華経を持つ者は『現世安穏・後生善処』——現世は安穏であり、後生は善き処に生まれる——と聞き、言われた通り信心に励んできたが、大難が雨の降るように次々と起こっています」という戸惑いを、大聖人の弟子に語ったようです。弟子からその報告を聞き、心配された大聖人が金吾に認められたのがこのお手紙です。
本抄の冒頭に「此経難持の事」とあります。此経難持とは、「此の経は持ち難し」と読み、法華経見宝塔品第11に説かれる一節です。仏の滅後悪世に、法華経を受持することがいかに困難であるかを示しています。
これが拝読範囲の直前までの内容です。ここから本抄の終わりまでが、今回の範囲となります。
大難や困難は、誰も避けることができません。この苦難を、前進の糧にするのが、日蓮仏法です。前進の中に「人間革命」があります。自身の一念の転換が、自分も周囲も変えて、自他共の宿命転換を実現します。
◇御文
『法華経の文に難信難解と説き給ふは是なり、此の経をききうくる人は多し、まことに聞き受くる如くに大難来れども憶持不忘の人は希なるなり』(御書1136ページ3行目〜5行目)
◇迫害や大難は必定
常に前進し続けることが信心の要諦であることを教えられている一節です。
大聖人は、「此経難持」を説明するに当たって、「法華経の文に『難信難解』と説かれているのは、このこと」であると、「難信難解」の原理から説明されます。
「是なり」——このこととは、「四条金吾が難を受けて法華経の『現世安穏・後生善処』の文に不審を抱いたこと」です。
「難信難解」とは、法華経法師品第10の文です。法華経は仏の覚りが直ちに説かれている教えなので、一代聖教のなかで、最も信じ難く、理解し難いとされています。
それでは、なぜ、法華経が諸経と比べて「難信」であり「難解」であるのか。その一つの観点として"法華経は、仏の真意をありのままに説いた「随自意」の教え"であることが挙げられます。
つまり、法華経は、仏自身の内面の覚りが、そのまま説き示されている経典です。これに対して、諸経は、教えを聞く側の水準に合わせて説いたので、分かりやすい半面、まだ仏の真意が示し切れていない、ということです。
例えば、法華経には万人成仏の法理が説かれています。しかし、「全ての人に仏性がある」という教えを弘めると、人間の可能性を確信できない人たちは反発し、批判します。
具体的な例が、不軽菩薩の万人への礼拝行であり、それに対しての、増上慢の人々からの迫害です。まさに、「法華経の行者」が迫害や大難を受けることは必定であり、そのことは経文にも明確に説かれているのです。
◇常に前進の信心
一面から言えば、難を受けるということは、その教えが本物であることの証しです。だからこそ、自他共に、深い次元で生命の変革が可能になるのです。
問題は、こうした法理を日頃から聞いていても、実際に難に遭うと、それを忘れて退転してしまうということです。それゆえに大聖人は、次のように仰せです。
——この法華経を聞き受ける人は多い。しかし、聞き受けた通りに実際に大難が来た時、それでも法華経を心にとどめて持ち続け、忘れることのない人は希である——。
ここで、「憶持不忘」の原理が説かれています。法華経の結経に当たる普賢経の一節です。深い教えを聞いて、その内容を理解し、いかなる場合にも銘記し、忘れないことをいいます。
大難や困難が襲う「まことの時」(御書234ページ)に、「疑う心」と戦い、前進しゆく信心こそが、成仏への要諦となるのです。
信心とは、いついかなる時も、挑戦する心を忘れずに、前進し続けることが大事であるということです。
反対に言えば、私たちの信仰を妨げる第六天の魔王の働きは、私たちの心を揺さぶり、不信や不安、疑いの心を起こさせて、結局、前進を止めてしまうことを狙っていると言えます。歩みを止めてしまえば、第六天の魔王の勝利であり、私たちが前進し続ける限り、第六天の魔王は必ず敗北するのです。
◇御文
『受くるは・やすく持つはかたし・さる間・成仏は持つにあり、此の経を持たん人は難に値うべしと心得て持つなり、「則為疾得・無上仏道」は疑なし』(御書1136ページ5行目〜6行目)
◇成仏は「持つ」にあり
持続の信心の重要性を教えられている箇所です。
——「受ける」ことは、まだ易しく、「持つ」ことは難しい。そうであるから、成仏は「持つ」ことにある——有名な一節です。
大聖人は、「受持」について、「受ける」と「持つ」に立て分けられ、「受ける」と「持つ」とを比べると、持つことのほうが難しいと仰せです。しかし、成仏は、「持ち続ける」なかにあります。
ここで、持ち続けることが難しいのは、私たちが正法を実践すると、成仏を妨げようとする三障四魔の働きが必ず競い起こるからです。また、広宣流布が進めば三類の強敵が出来します。その根底にあるのは、先にも触れた第六天の魔王の働きです。そうした障魔が競うことを理解することが大事です。
「此の経を持たん人は難に値うべしと心得て持つなり」と仰せです。
大聖人は、常日頃、門下に対して、この信心に励めば必ず難に遭う。その中で、信仰を貫き通すところに成仏があるということを、繰り返し強調されていました。
◇不退の信仰を貫く
大難は、信仰を深めます。信心が強盛になることで成仏が実現します。ゆえに大事なのは、確信をもって不退の信仰を貫く覚悟です。それがまさに、誓願の信心です。
まず、魔を魔と見破ることが大事です。「月月・日日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし」(御書1190ページ)との精神で、常に、魔と戦い続ける信心、つまり、魔の正体を見破りながら、前進し続けることが重要となるのです。
創価学会は、三代の会長の不惜身命の実践によって、あらゆる大難を乗り越えて発展してきました。「難来るを以て安楽と意得可きなり」(同750ページ)との御聖訓のままに生きる生き方を、創価の三代の師匠は私たちに教えてくださいました。
私たちも、その実践に連なっていくと決意することで、勇気が生まれ、不屈の信仰を貫き、広布の大道を歩むことができます。
続いて大聖人は、「『則為疾得・無上仏道』は疑なし」と仰せです。
これは、法華経見宝塔品第11の経文で、「則ち為れ疾く 無上の仏道を得ん」と読みます。意味は、法華経を受持することで、速やかに成仏できるということです。
まさに、戦い続けることで、直ちに如来の生命が涌現してくるのです。