どんなに厳しい"冬"も
必ず栄光の"春"となる。
妙法への大確信を胸に
同志と励まし合い
試練に立ち向かおう!
法華初心成仏抄 P552
『とてもかくても法華経を強いて説き聞かすべし、信ぜん人は仏になるべし謗ぜん者は毒鼓の縁となつて仏になるべきなり』
【通解】
とにもかくにも法華経を強いて説き聞かせるべきである。信ずる人は仏になり、謗る者は毒鼓の縁となって仏になるのである。
名字の言 "日本一早く咲く"ヒカンザクラ 2021年2月13日
"日本一早い桜"で元気を届けようと、沖縄のヒカンザクラが全国へ発送された。国内の航空会社が手掛けたもの。各地の空港に飾られ、利用客を迎えた▼桜の花芽は冬の寒さにさらされることで休眠から目覚め、気温の上昇とともに開花する。常夏の地ではきれいに咲かないといわれるが、目覚めに必要な低温は種類によって異なる。ソメイヨシノは5度前後なのに対し、ヒカンザクラは約15度。だから沖縄では一足早く花開く▼造園業に携わる男子部員が、母校の小学校に桜を植樹した。荒れていたかつての彼を知る人たちは驚き、喜んだ。彼の転機をつくったのは弟だった▼彼以上に周囲に迷惑を掛けてきた弟は信心に励み、人のために祈るようになった。男子部員は弟に触発されて発心。その後、父の死で心を閉ざしてしまった友人と出会う。悩みを聞いた彼は「一緒に使命の花を咲かせよう」と真剣に仏法対話。今、入会した友人と共に人間革命の道を歩む▼御書に「桜は趣のある花だが、木の中から咲き出る」(1492ページ、通解)と。ごつごつした木からも桜が咲くように、環境や時期の差はあれ、誰もが使命を開花させる力を秘めている。その花が開くことを信じ、寄り添い続けよう。ヒカンザクラの花言葉は「善行」である。(首)
寸鉄 2021年2月13日
「南無妙法蓮華経・無上の中の極無上なり」御聖訓。題目第一の人は常に向上
東京・葛飾の日。わが地域は麗しき人間共和の宝土断固と師弟勝利の歴史を
東京・世田谷婦人部の日。貴女の励ましが希望の光心広々と幸の連帯を拡大
10都府県の病床使用率は然高く。マスク、3密避ける等、対策改めて確認
国難打開には現場の声を丁寧に聴く公明の力必要—識者。3千の議員網で
☆Switch(スイッチ)——共育のまなざし 「不登校」と向き合う友へ〈池田先生の励ましの言葉から〉
◇子どもが安心できる場所をつくる
子育てや教育の視点をスイッチ(転換)する意味を考える企画「Switch(スイッチ)——共育のまなざし」。1月14日付では「不登校と向き合う中で」と題して愛知の友の取り組みを、同18日付では創価大学教職大学院の田村修一教授の話を紹介しました。今回は、池田先生が婦人部のリーダーと子育てについて語り合ったてい談『21世紀への母と子を語る』(『池田大作全集』第62巻所収)から、不登校に悩む親御さんに送った励ましの言葉を抜粋して掲載します。(編集・構成=大宮将之)
◇必ず意味がある
〈わが子が突然、「学校に行きたくない」と言いだした——不登校という現実に直面して、悩んでいる親御さんは少なくありません。元気に登校する他の子たちを見ていると、「このままでは落ちこぼれてしまうのではないか……」と心配する声もあります。池田先生は語りました〉
不登校の原因は、さまざまでしょう。しかし、"「不登校」は子育ての失敗"などと、母親が落ちこんでしまうことはありません。一見、学校に行かなくなったことは、"遠まわり"のように思えるかもしれません。しかし、人生に起こることで意味のないことなどいっさいないのです。
つい先日も、「不登校」で悩んでいる方を激励したさい、私はこう励ましました。 「心配する必要はない。何より、お子さんのことを、しっかり祈ってあげることです。あなたが真剣に頑張っていれば、大丈夫です。いつも、いい方向へと考えていくのです」——と。
今は、子どもにとって、本当につらいことが多い社会になってきています。つねにいい子でいることが望まれ、失敗することが許されない——そんな「管理社会」「競争社会」が、子どもの世界にも浸透している。そのなかで、ともすれば学校も楽しい場所どころか、たえず他の子と比較され、緊張を強いられる場になっている面もあります。
「不登校」は、いわば"氷山の一角"でしょう。学校に通うのがつらいと感じている子どもは、想像以上に多いのではないだろうか。私たち大人は、何か学校に行くことを当たり前のように思っていますが、そもそも「学校に行く」ということ自体、子どもにとってたいへんなエネルギーを要するものなのです。
◇親があせらない
子どもの心は、多感でデリケートです。学校や家庭でのちょっとした出来事で、ストレスを感じてしまう。疲れることもあるでしょう。
勉強や友だち関係の悩みなど、学校という集団生活のなかでの出来事を、"重圧"に感じる子がふえてきている。かつて問題行動の一つと見られがちだった「不登校」も、今では、「どの子にも起こりうるもの」と受けとめられるようになってきている。何も恥じたりすることはないのです。
親がいたずらにあせったり、言うことをきかないからと突き放してしまえば、ただでさえ苦しんでいる子どもは、ますます居場所を失ってしまいます。
〈戸惑いや世間体から、"つい子どもを責めてしまう"という親御さんも多いようです。池田先生はそんな声にこう応えます〉
その気持ちはよく分かりますが、"なぜ、こうなってしまったか"と思い悩んでいるのは親だけではない。当のお子さんにとっても、心に重くのしかかっているのです。
じっさい、「不登校」というのは、家庭や学校でのほんの些細なことがきっかけとなっている。親から見れば、たいした問題には思えなくても、それで自信を失ったり、思いつめたりして、学校が嫌いになったり、行けなくなってしまう場合が多いのです。
かつて「不登校」だった、あるお子さんは当時を振り返って、こう語っています。
「親に心配をかけていることも、友だちや学校の先生の善意も分かっているのに、それに応えることができない。そんな自分が嫌になり、責め、負い目を感じていた。将来も絶望的に見てしまい、自分は人生の落伍者だ、と閉じこもるようになっていた」と。
◇何に胸を痛めているか
〈不登校は、ある日突然やって来ます。親も"なぜ!?""どうして!?"と気が動転してしまい、そうした子どもの心の葛藤を、理解してあげる余裕がなくなってしまうのかもしれません。〉
すぐにどうしようと解決を急ぐよりも、まず落ち着いて、子どもの心をしっかりと受けとめ、信じてあげることが重要です。一言で「不登校」といっても、子どもの状況は、それぞれ異なっている。"こうすれば、大丈夫"というような万能の策などはないでしょう。
大切なのは、そのお子さんが何に苦しみ、何に胸を痛めているかを、慎重にくみとってあげることです。そして、お子さんが安心できる場所を築いてあげることです。
そんな時、子どもは、母親が自分のほうを向いてくれることを何よりも望んでいるのです。傷ついた心をゆっくり癒しながら、あたたかくつつみこんでいく。強く生きる力を回復させてあげる——それが、母親の役割でしょう。
今一度、子どもの心を見つめ直し、親子の絆をしっかり深め、ともに大きく成長していくチャンスにしていけばよいのです。
◇"綿"になって包み込む
〈家族の"ピンチ"を"チャンス"に——この視点の転換の重要性は、母親だけでなく父親にも通じるものでしょう。親子を支える周囲の人々にも、温かなまなざしが求められます。いずれにしても池田先生は、"親自身が変わること"の大切さを、恩師・戸田先生の思い出を通して語ります〉
忘れもしない、昭和26年(1951年)5月3日——。苦闘の日々を突きぬけて、戸田先生が待望の第2代会長に就任された時のことです。
最後に先生は学会歌の指揮に立たれたのですが、その時の勢いで、卓上の水差しとコップがふれて、どちらも壊れてしまった。先生はその時、当意即妙にこうおっしゃったのです。
「水差しは"コップがふれたから割れた"と言い、コップは"水差しがぶつかったのだから割れたのだ"と言うかもしれない。しかし、両方に壊れる素質があったから、壊れたのです。
これが、綿とガラスだったらどうだ? 決して壊れはしまい。信心も同じです。
他人が悪いから不幸になったと思っているが、そうではない。自分が綿になれば、決してだれからも壊されはしないだろう。
他人ではない。自分の宿命を変えていく以外に道はないのだ」——と。
目の前に起こった一つの出来事を生かして、仏法の深さ、人生の哲理を、分かりやすく自在に教えてくださったのです。
子育ても同じです。環境ではない。
同じ縁にふれても、惑わされず、振りまわされない「強さ」を、まず親がもっていくことが根本です。"綿"になって、ふんわりと子どもをつつみこんであげるのです。それが、本当の「強さ」でしょう。
一時期、子どもが揺れ動いたとしても心配ない。親が子をどこまでも信じぬき、その「強さ」を忍耐強く養ってあげれば、何があろうと最後には、勝てる。一緒に大きく人生を開いていけるのです。