2021年2月28日日曜日

2021.02.28 わが友に贈る

「継続」が大事だ。
友のため 広布のため
地道な実践を重ねる中で
自らの境涯も開かれる。
焦らず たゆまず 前進!

乙御前御消息 P1221
『抑一人の盲目をあけて候はん功徳すら申すばかりなし、況や日本国の一切衆生の眼をあけて候はん功徳をや、何に況や一閻浮提四天下の人の眼のしゐたるをあけて候はんをや、法華経の第四に云く「仏滅度の後に能く其の義を解せんは是諸の天人世間之眼なり」等云云、法華経を持つ人は一切世間の天人の眼なりと説かれて候、日本国の人の日蓮をあだみ候は一切世間の天人の眼をくじる人なり』

【通解】
そもそも一人の盲目を開ける功徳でさえ言葉に表せないほどである。まして日本国の一切の人々の眼を開ける功徳にいたっては言うまでもない。さらにそれ以上に、全世界の人々の見えない眼を開ける功徳は、とうてい、言い尽くせない。法華経の第四の巻(宝塔品)には、「仏の滅後に、よく法華経の義を解する者は、諸の天人世間の眼である」等とある。法華経(御本尊)を持つ人は一切世間の天界と人界の衆生の「眼」であると説かれている。日本国の人々が日蓮をあだむのは、一切世間の天と人の眼をえぐりとる人なのである。

名字の言 欧州の同志から届いた東北へのメッセージ 2021年2月28日
喜寿(77歳)を迎えた婦人部員に、離れて暮らす孫から手編みのマフラーが届いた。お礼の電話で「誕生日、よく覚えていたね」と言うと、「おばあちゃんのこと、忘れたことないから」と孫。婦人の目が潤んだ▼"あなたのことを忘れていません"——同じように「心の距離」を近く感じる出来事が、先日もあった。今月13日、東北地方で大きな地震が発生した。すぐさま、欧州の同志からお見舞いと激励の言葉が届いた▼というのも3年前、来日した欧州21カ国の同志が東北を訪れた際、共に地域名が「オウシュウ」であることにちなみ、「OSHU2(欧州×奥州)青年友好総会」を開催。今日までさまざまな形で交流を温めてきたからだ▼今回のメッセージにも"久遠の同志として、私たちの心は東北にあります"という言葉があった。たとえ、一期一会であっても、その出会いをどう捉えるかによって、人生の豊かさは変わってくる▼池田先生はつづる。「『忘れない』ということは、何と妙なるいのちの力でしょうか。(中略)苦楽を分かち合う友がいれば、絶対に負けないという希望を忘れない」と。君が憂いに我は泣き、我が喜びに君は舞う。それが創価の世界である。人ごとを自分ごとにする。それが信心である。(代)

寸鉄 2021年2月28日
「蓮華と申す花は菓と花と同時なり」御書。さあ今を挑戦!これ明日開く力
一人を大切にする心がある限り学会は盤石だよ—恩師。真心の声を今日も
青年部と医学者の会議に反響。誰も孤立させぬ!誓願の青春こそ社会の光
季節の変わり目。寒暖差に留意し重ね着等賢く。強き祈りで健康勝ち取れ
あおり運転の検挙、証拠9割が車載映像と。導入は積極的に。己守るため

〈社説〉2021・2・28 明日から「未来部希望月間」
◇努力の足跡を最大にたたえよう
この1年、新型コロナウイルスの影響を受け、臨時休校や学校行事の中止・縮小など、予想だにしない変化が続いた。いくつもの試練を耐えに耐え、この春、卒業・進級を迎える未来部員の心中を思うと胸が痛む。
中学・高校でいえば、入学後も友達と直接触れ合う機会が少なかった1年生。部活動の練習の時間・場所が限定され、大会の中止や延期を余儀なくされた2年生。最終学年として思い描いていた学校生活を送れなかった3年生。個々においては、一人一人、言葉にできない感情や心境があるだろう。
一方で、丁寧に自分自身を振り返ってみると、厳しい状況下だからこそ、実は、地道な努力や創意工夫に挑戦できたこともあったはずだ。
新潟県のある高等部員は、所属するソフトテニス部の練習が減ってしまった。もどかしさを感じながらも自身で唱題に挑み、所属チームでZoom(ビデオ通話アプリ)を使ってのトレーニングやミーティングを重ねていった。地道な努力は実を結び、県大会出場が目標だったところを、北信越大会への出場を果たすという大躍進を遂げた。その陰には、ビデオ通話を使って幾度も語り合ってくれた未来部担当者の存在があったという。高等部員はこの1年間を振り返り、「担当者の励ましのおかげでくじけそうな時も自信を失わず、前向きになれた」と語る。
目まぐるしく状況が変わる中で、自分で自覚していなくても、人知れず、努力を積み重ねているものだ。それは目に見える形や結果にはならないかもしれない。だからこそ、関わる人がじっくりと耳を傾け、見つめ直す機会をつくってあげることが大切だろう。
「オートクライン」効果と呼ばれるコーチングの用語がある。他人に自分の考えを話すことで、その言葉を自ら聞き、"自分はこんなことを考えていたのか"と、考えが整理されるというものだ。人に自ら話し、聞いてもらうことは、自身の成長とつながっているのである。
したがって、話を聞く際には、心情を引き出す「問い掛け」も重要だ。未来部員が何を感じ、どう頑張ってきたのか。記憶の底に沈む"努力の足跡"を一緒に拾い上げ、最大にたたえることで、自信と希望を持たせていきたい。
池田先生はつづられている。「何でも話を聞いてくれる、親身に相談にのってくれる、一緒に真剣に祈ってくれる——その真心の励ましこそ、未来部の成長の力だ」(『勝利の人間学』)
明日から未来部希望月間。一人一人の心の声に耳を澄まし、たたえ励ましながら、一歩を踏み出せる月間にしたい。

☆ストーリーズ 師弟が紡ぐ広布史 第5回 ブラジルに燃える求道の炎 栄光編
◇ムイト・マイス・ダイモク(もっと題目を)
恩師・戸田城聖先生の生誕93周年となる1993年2月11日、ブラジルのリオデジャネイロ連邦大学から、池田大作先生に「名誉博士号」が授与された。
これが、ブラジルの大学・学術機関からの第1号となる名誉学術称号である。
授与式の席上、池田先生は「本日の栄誉を、この大切なブラジルの友と分かち合わせていただきたい」と述べ、「わが恩師に捧げたい」と戸田先生への尽きせぬ感謝を語った。
この日、連載開始から28星霜を重ねて、恩師の生涯をつづった小説『人間革命』全12巻が完結。その最後に、先生は「わが恩師 戸田城聖先生に捧ぐ 弟子 池田大作」と記した。
リオ連邦大学からの栄誉とともに、『人間革命』の完結は、池田先生が戸田先生に捧げるもう一つの"栄冠"であった。

これまで、ブラジルの大学・学術機関から、池田先生に授与された「知性の宝冠」は29に上る。昨年の11月17日には、ピアウイ連邦大学から「名誉博士号」が贈られている。
また、クリチバ市の「牧口常三郎公園」、イタペビ市の「戸田城聖先生橋」、ロンドリーナ市の「池田大作博士環境公園」など、創価の三代会長の名を冠した公園・橋・通りなどはブラジル国内で40を超える。
ブラジルSGI(創価学会インタナショナル)の平和・文化・教育・環境への貢献に対して、各界から寄せられる信頼と共感。この栄光の時代が開かれたのは、師の励ましと、師の心をわが心とする幾多の友の激闘があったからである。
1974年3月、池田先生はブラジルを訪問する予定だった。しかし、ビザが発給されず、入国できなかった。当時、ブラジルは軍事政権下で、学会に対する誤解が渦巻いていた。
先生は当初の予定を変更し、パナマへ。諸行事を終えた後、ペルーを訪問。そこに、2人のブラジルの婦人部員が駆け付けた。シルビア・サイトウさん(故人)とエレーナ・タグチさんである。
先生は2人に「時代を変えていくんだよ。婦人部の祈りだよ」と励ましを。師の言葉にシルビアさん、エレーナさんは固く誓った。
「ブラジルの国土を変革するような題目をあげ抜こう!」
「"ムイト・マイス・ダイモク(もっと題目を)"が合言葉だ!」
宿命の嵐が強ければ強いほど、広布を阻む障魔が激しければ激しいほど、「ムイト・マイス・ダイモク」。一切を変毒為薬する強盛な祈りから、ブラジルの友は戦いを開始した。

シルビア・サイトウさんは京都出身。小学4年生の頃から、ぜんそくの発作に苦しんだ。"娘の病が治るなら"と母が入会し、シルビアさんも続く。1955年のことである。
入会後、ぜんそくの症状が快方に向かう。その喜びを語り、入会6年で50世帯を超す弘教を実らせた。
56年(昭和31年)の「大阪の戦い」にも、シルビアさんは勇んで駆けた。旧関西本部での池田先生の早朝の御書講義に、京都から通い続けた。激闘の中で、シルビアさんは先生から、開目抄の一節を教わる。
「つたなき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし」(御書234ページ)
先生は「この御文だけは、生涯、忘れてはいけないよ」と。
翌57年7月、池田先生が無実の罪で大阪拘置所に勾留された時には、同志と共に連日、差し入れを届けた。「常勝・不敗の原点」は、シルビアさんの信心の土台となった。
結婚後、東京・目黒で広布拡大に挑み、65年にブラジルへ。軍事政権下のブラジルでは、創価学会に対する意図的な中傷が繰り返された。その苦難を耐え抜く根幹に、シルビアさんは先の開目抄の一節を据え、青年・未来部のメンバーにも、御文の意味を語り続けた。
いかなる大難が競い起ころうとも、師との約束は絶対に果たす——常勝関西の地で、池田先生から学んだ「師弟」という仏法の魂を、シルビアさんはブラジルの大地に根付かせていった。

エレーナ・タグチさんが渡伯したのは71年末のこと。その年の2月、夫のエドワルドさんがブラジルに単身赴任していた。
東京・荒川で育ったエドワルドさん。ブラジル広布に燃え、開拓に挑んだが、言葉や生活習慣の違いに苦しめられた。さらに風土病を患い、9月に療養のため一時帰国する。
込み上げる悔しさとふがいなさ。その思いを御本尊にぶつけ、今度は家族でブラジルに渡り、同志に尽くす覚悟を定めた。
夫の決意に、エレーナさんも心を合わせた。ブラジルに出発する12月、池田先生はタグチさん一家に「何があっても10年頑張れ」とエールを送った。
84年2月、先生は18年ぶりにブラジルを訪問。その折、エレーナさんは、シルビアさんの後を受け、第2代のブラジル婦人部長の任命を受けた。
「清く、明るく、仲良く」との師の指針を胸に奮闘。全地区幹部に激励の手紙を書いた。2000キロ離れた友のもとを訪れ、師弟共戦を誓い合った。婦人部長を務めた10年で、10倍のブラジル婦人部の陣列を築いた。
エドワルドさんは93年10月、ブラジルSGIの理事長に。3年後の96年3月には、世界で初めて初代会長の名を冠した「牧口常三郎先生通り」が、イタペビ市に開通した。

2001年7月22日、イタペビ市から池田先生ご夫妻に「名誉市民」称号が授与された。
市長は「これは、わが市の立法府と行政府の総意であり、市民の総意です。誉れある『名誉市民』として、池田会長ご夫妻をお迎えいたします!」と高らかに宣言した。
この日、先生は一編の長編詩を詠んだ。タイトルは「世界の王者たれ! ブラジル」である。

今日は
昨日より進んだ日であれ!
明日もまた
今日より進む歩みであれ!

一番苦しんでいる人の
味方になって戦う
勇敢なる人間主義者であれ!

行動だ!
「今」という
現在に生ききることだ。
現在のこの瞬間にこそ
永遠が脈動しているからだ。

足跡を残すことだ!
自分自身の常勝の歴史を
刻みゆくことだ!
今の刻苦は
即 未来の栄光なり。
君が歩んだ分だけ
新世紀の道が拓かれるのだ。

さらに、先生は長編詩で、「さあ/二〇一〇年の/ブラジル広布五十周年へ/共々に/比類なき団結で/朗らかに勝ち進もう!」と呼び掛けた。
その2010年、師の期待に応えようと、ブラジルSGIは大きな目標を掲げた。「7割以上の世帯が座談会に参加する」など、4項目を達成するブロックを「王者ブロック」とし、それぞれのブロックが「王者ブロック」を目指して、戦いを開始したのである。
ある婦人が担当したブロックでは、訪問・激励を重ね、あと一人が座談会に参加すれば「王者ブロック」に。その一人の家は、アマゾン川の支流を船で7時間さかのぼり、そこから歩いて数時間かかる場所にあった。
婦人の家庭は、夫の仕事が行き詰まり、経済的な苦境にあった。その中で生活費を工面し、船賃を支出。船に自転車を乗せて、友のもとへ向かった。彼女の広布への熱い思いに触れ、メンバーは座談会に参加し、機関紙も購読。婦人の戦いに呼応するように、夫の仕事も好転した。
「王者ブロック」への挑戦は、こうした功徳の体験を次々と生んだ。学会活動の目標を達成する歓喜の連鎖を広げた。
池田先生は若き日、「二月闘争」で「組(現在のブロック)」に焦点を当て、「一人」を大切にした。ブラジルの友も、全てのリーダーがブロックに入り、友の励ましに徹した。
同年11月に行われた「世界の王者ブラジル総会」。全ブロックが目標を完遂し、「王者ブロック」となった。

「信心の王者」とは——
自らが立てた師匠との約束を忘れず、必ず果たす人。
試練の烈風が猛るほど、「もっと題目を」唱え、力強く前へ前へと進む人。
ブラジルSGIの歩みは、そのことを私たちに教えてくれている。


【引用・参考文献】池田大作著『新・人間革命』第11巻、『池田大作全集』第47巻、『民衆こそ王者——池田大作とその時代』第7巻(潮出版社)、渡辺雅子著『ブラジル日系新宗教の展開』(現代社会学叢書)


【アナザーストーリー】
1964年に始まったブラジルの軍事政権は、創価学会の動向に関して、警戒を強めた。
偏見や誤解の目が向けられる中で、ブラジルの友は良き市民として社会に貢献し、地域に信頼の輪を広げていった。
ブラジルで生まれたカルロス・ウノさん(故人)は、65年5月に創刊された、ブラジルの機関紙の編集に携わった。
同年8月、夏季講習会に参加するため来日。しかし、日本語が分からず、御書の拝読もできなかった。
悔しさに身を震わせていたカルロスさんに、池田先生は声を掛けた。率直な思いを伝えると、先生は力強く語った。
「負けてはいけない! 君はブラジル広布の開拓者じゃないか」。そして、「立派に成長してください。待っているよ」と。
わずか数分の出会いだった。だが、この魂の触発は、カルロスさんを飛躍させる原点となった。
帰国後、カルロスさんは日本語の勉強に全力を注いだ。御書を何度も拝読し、日本語の学会の出版物を読み込んだ。
短期間で日本語の力を磨き、66年3月の池田先生のブラジル訪問では通訳を務めた。
この時、先生の行動を監視する政治警察の姿がいたるところにあった。思わず感情的になるカルロスさんに、先生は語った。
「今は、耐えることが大事だよ。10年後、20年後に勝てばいいじゃないか」
74年3月、入国ビザが発給されず、先生はブラジル訪問を断念。多くの友と同様、カルロスさんも悔しさを広布前進の力に変え、ブラジルを奔走した。
耐えに耐えた10年後の84年2月、先生の訪伯が実現。ブラジルの友の激闘は今、創価の三代会長への数々の顕彰となって、栄光の輝きを放っている。

2021年2月27日土曜日

2021.02.27 わが友に贈る

挑戦重ねる未来部員を
真心こめて称えよう。
"苦難は成長するための
大きなチャンス"と
自信を育む励ましを!

乙御前御消息 P1221
『今日本国の人人は法華経のかたきとなりて身を亡ぼし国を亡ぼしぬるなり、かう申せば日蓮が自讚なりと心えぬ人は申すなり、さにはあらず是を云わずば法華経の行者にはあらず、又云う事の後にあへばこそ人も信ずれ、かうただかきをきなばこそ未来の人は智ありけりとはしり候はんずれ、又身軽法重死身弘法とのべて候ば身は軽ければ人は打ちはり悪むとも法は重ければ必ず弘まるべし』

【通解】
今、日本国の人々は、法華経の敵となって、身を亡ぼし、国を亡ばしてしまうのである。こう言うと、「日蓮の自讃だ」と、よく分かっていない人は言う。決してそうではない。これを言わなければ、法華経の行者ではない。また、言ったことが後になって符合すればこそ、人も信じる。このように、そのまま書き残しておけばこそ、未来の人は「日蓮は智慧があった」と知るであろう。また(涅槃経疏に)「身は軽く法は重し、身を死して法を弘む」と述べている。日蓮の身は軽く賤しいから、人は打ちたたき、憎むけれども、法は重いから必ず弘まるであろう。

名字の言 文豪ゲーテの「時間の概念」 2021年2月27日
「一月往ぬる二月逃げる三月去る」という。行事が多く、あっという間に時間が過ぎる季節。壁掛けカレンダーをめくる日も間近となり、その言葉が身に染みる▼去年の手帳を開いてみた。1年前の今の時期は取り消し線だらけ。コロナ禍によって次々と予定が中止となったからである。友人たちと当時を振り返ると、暇になって困ったという人もいれば、仕事の対応でむしろ多忙を極めた人もいて、状況はさまざまだ▼文豪ゲーテの詩に「わが時を短くするものは何ぞ 活動 堪えがたく時を長くするものは何ぞ 怠惰」(小牧健夫訳)とある。時間の概念にはクロノス(時計が刻む時)とカイロス(精神的な時)があり、ゲーテは後者を重視した。ただ忙しければ良いわけではない。「今」という瞬間を真剣に生きる中に、真の充実と幸福があるとの洞察だろう▼大切なのは刻々と流れる時間を何のために、どう価値的に使うか。池田先生は詠んだ。「平凡は 真理であるかも知れない」「話せることも幸せだ 歩けることも幸せだ その間に『人生』は 何かをしなければならない 私は『広宣流布』をする」▼御書には「一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ」(970ページ)と。伝統の2月から「3・16」へ、今日も悔いなき挑戦の一日を!(恭)

寸鉄 2021年2月27日
「白ゆり希望カレッジ」の配信が開始。新時代創る価値創造の「創春」の舞を
各地で「女性の日」。友の心に幸の陽光を。皆様は地域を照らす平和の太陽
青年よ、汝の尊き使命に目覚めよ—恩師。君こそ次の10年の主役。扉開け
ひったくりが頻発。歩きスマホやイヤホンは注意散漫に。警戒心を持って
花粉症、対策早めに。コロナと共通症状多く。発熱や息苦しさは感染の疑い

☆忘れ得ぬ旅 太陽の心で 第12回 東京・大田
月刊誌「パンプキン」誌上の池田先生の連載エッセー「忘れ得ぬ旅 太陽の心で」を紹介する本企画。今回は「東京・大田——勇気の声で新たな故郷を」〈2013年6月号〉を掲載する(潮出版社刊の同名のエッセー集から抜粋)。「大切な縁の人々がいる天地こそ、故郷」とつづる池田先生は、生まれ育った大田での懐かしき思い出を述懐。勇気の対話で友情を広げ、喜びあふれる故郷を築きゆこうと呼び掛ける。若き池田先生が大田を舞台に個人激励に徹し抜いた「二月闘争」のように、一人を大切にする励ましの心を、わが地域の隅々に届けていきたい。

幼き日
 大田が私の
  全世界
 あの町この道
  生涯忘れじ

不思議なもので、年齢を重ねるほどに鮮やかさを増して蘇ってくるのが、「故郷」の光景です。
故郷は、自らの命を生み、育んでくれた大地です。生まれた場所はもとより、青春の飛躍を遂げる転機となった舞台も、故郷と言えるでしょう。仲間と力を合わせ、その発展を願って貢献した地域も、これまた故郷となります。そして、忘れ得ぬ、大切な縁の人々がいる天地こそ、故郷ではないでしょうか。
私と妻にとって、この懐かしさに満ちた宝の故郷が、大田区であり、大東京なのです。

◇平和の建設へ
〈現在の大田区の地域で、海苔の製造業を営む家に生まれた池田先生。大田は、人生の師と出会い、平和への闘争を開始した"原点の地"である〉
私は入新井で生まれ、糀谷で育ちました。間近に東京湾の海が広がり、浜の潮風が野を吹き渡りました。近辺を流れる多摩川を越えれば、隣の神奈川県です。伸びやかな自然は、春夏秋冬、彩り豊かな思い出を織りなしてくれました。
戦時中、わが家が疎開していた馬込は、大正末期から昭和初期にかけて、多くの文人、芸術家が住み、「文士村」と呼ばれました。
この地で、名作『赤毛のアン』を翻訳した児童文学者の村岡花子さんは、「現実をよく見て、その地点から過去をかえりみ、将来を見とおし、現在を正しくしていこう」と、常に心がけていました。
戦後、私たち青年も、読書サークルを作り、学び合いました。読書会を終え、友人と森ケ崎の海辺を散策しながら、社会に貢献しゆく人生をと約し合ったことも懐かしい一コマです。
そうした人生の道を求める日々の中、私は一九四七年、十九歳の夏、蒲田での座談会で、師匠・戸田城聖先生にお会いすることができました。軍国主義と戦い、二年間の投獄にも屈しなかった信念の指導者に師事して、新たな平和社会の建設へと踏み出したのです。
私と妻は結婚して一時期、お隣・目黒区三田の借家に住んだ後、妻の実家に近い大田区山王のアパート秀山荘に約三年、小林町に約十二年、暮らしました。夫婦で力を合わせて、少しでも地域のお役に立てばと奔走してきました。
大田区の地名をペンネームにした作家・子母澤寛氏は、わが師の同郷の友人でした。戦前、師が営む出版社から刊行された名作『大道』には、郷土の庶民の幸福、未来の世代のために命がけで尽くす、誇り高き人生が描かれています。
「如何なるものとでも戦い抜き、打破る迄は一歩も退かぬ」「どのように踏まれても叩かれても、いつでも再び飛び上る。以前よりもっともっと高く飛び上れる心の備え、身の備えがなくてはならぬ」——胸に迫る一節一節です。
私は大田を起点として、東京中、また関西をはじめ日本中を駆け巡りました。少年雑誌の編集者として、隣接する世田谷や町田に住む作家・画家のもとへ原稿を受け取りに行きました。
師が生命哲学を講義した公会堂を擁する豊島にも、愛する庶民の街・荒川や人情こまやかな下町の足立・墨田、縁の深い新宿・中野など、いずこの地でも信頼する友との交流があります。

◇負けるものか
〈池田先生は、度重なる苦難にも負けず、幸福の連帯を広げる大田の婦人の姿を紹介。近隣とのつながりが希薄化する時代だからこそ、自身の手で故郷をつくっていこうと呼び掛ける〉
私と妻の大切な友人である大田の母は、兄弟を皆、戦争や事故で失いました。父親の喘息、わが子の病気、経済苦、夫に先立たれるなど、試練は打ち続きました。
しかし、誰もが自分の中から、最高に尊い、強く豊かな生命を引き出せる——この希望の哲学を胸に、「幸せになるんだ。皆で幸せになるんだ。負けるものか」と、友と手を携えながら、すべてを勝ち越えてきたのです。
この大田の母は語っています。
「どんな人にも必ず悩みはあります。相手の姿や形だけではわかりません。心を開いて語り合えば、皆、悩みを抱えています。まして生老病死の問題は、誰にも訪れます」と。
だからこそ、確固たる哲学が必要であり、地域と生活の中で声をかけ合い、励まし合うことが、幸福の安全地帯であると、婦人は微笑むのです。
東京には、日本と世界の各地から故郷を離れた人々が集まっています。調査によれば、東京二十三区の半数の世帯が一人暮らしです。オートロックマンションが数を増し、隣に誰が住んでいるのかわからない場合もあるようです。
現代は、無縁社会と言われます。それは、地縁や血縁がなくなったというより、縁を維持し、作り、育めていないという側面があるのではないでしょうか。
故郷は「自分たちで作るもの」です。今、暮らす地域を新たな故郷とし、今、縁する人を同郷の友として、友情を広げていきたい。そこに喜びも広がります。その第一歩は、挨拶であり、勇気を出して声をかけていくことです。私が知る友や青年たちも、この時代の先駆を切って東京を愛し、地域貢献に努力しています。
私も生粋の「江戸っ子」として、ますます、"ふるさと大東京"に恩返しをと願っています。

君も立て
 我も立ちゆく
  朗らかに
 太陽輝く
  東京家族と
(『忘れ得ぬ旅 太陽の心で』第2巻所収)

2021年2月26日金曜日

2021.02.26 わが友に贈る

学会は何でも語り合える
「善き友」の集いだ。
悩みに沈む同志に
同苦の心で寄り添おう。
慈悲の光を幾重にも!

四条金吾殿御返事 P1169
『夜廻の殿原はひとりもたのもしき事はなけれども法華経の故に屋敷を取られたる人人なり、常はむつばせ給うべし、又夜の用心の為と申しかたがた殿の守りとなるべし、吾方の人人をば少少の事をばみずきかずあるべし』

【通解】
夜廻りをしている同志の人たちは、一人も頼りがいがあるとはいえないが、法華経のために屋敷を取られた人々であるから、常に親しくしていきなさい。夜の用心のためにもなり、また殿の守りにもなるであろう。わが味方の人々のことは、少々の過ちがあっても、見ず聞かずのふりをしていきなさい。

名字の言 "差別の繁殖"を防ぐために 2021年2月26日
「他者への想像力が枯渇するとき、差別は繁殖します」と語るのは、社会学者の好井裕明氏。差別は"特別な誰か"が起こす限られた社会問題ではない、と▼差別を受ける人がどれほど苦悩し、憤り、困窮しているか——他者に対する想像力の欠如によって、誰もが差別する可能性がある。それを防ぐには「『他者へのより深く豊かで、しなやかでタフな想像力』が必要」という(『他者を感じる社会学』ちくまプリマー新書)▼コロナ禍の中で、感染者・医療従事者などへの差別や"自粛警察"と呼ばれる現象が問題となっている。そうした行為の背景には、目に見えないウイルスに対する恐怖や不安があるとされる。だがその感情を向ける相手は、自分と同じように毎日の生活を営む人間である。一人一人に家族などの大切な存在があることを忘れてはならない▼日蓮大聖人は「一切衆生が受けているさまざまな苦悩は、ことごとく日蓮一人の苦である」(御書758ページ、通解)と仰せだ。相手の苦境を"わがこと"として受け止めようと心を砕く。目の前の一人に、とことん寄り添い続ける。日々の学会活動は、仏の境涯へと自身の生命を鍛える修行でもある▼きょうも、わが地域に"心の安全地帯"を広げよう。"誰も置き去りにしない"心で。(誼)

寸鉄 2021年2月26日
「人生は信の上に立つ」牧口先生。強盛な信力・行力で生活革命の日々を
3月の壮年幹へ幹部率先で連帯拡大。多宝の友も勇躍。更に若々しい心で
「人を憑みて・あやぶむ事無かれ」御書。誰かではなく自分!道開く勇者に
「孤独」の健康リスク高、最も憂慮すべき課題と。励ましの絆を今こそ強く
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〈社説〉 2021・2・26 各国で進む火星探査
◇宇宙的視野で地球課題の解決を
先週、米航空宇宙局(NASA)が公開した映像が世界を駆け巡った。火星に到着した探査車「パーシビアランス」の着陸の模様だ。
動画を見ると、エンジンによって巻き上げられた塵の中へ降下していく探査車の様子がはっきりと分かる。着陸後、まず探査車のシステムを立ち上げ、周囲の詳細画像などを撮影した。
今後、数年をかけて生命体の証拠を探すほか、岩のサンプルを収集することになっている。
これに先立って今月、アラブ首長国連邦(UAE)の探査機「HOPE」、中国の「天問1号」が火星軌道に入っていると報じられた。
HOPEは周回軌道上から探査、天問1号は火星への着陸を試み、着陸地の周辺を調査するという。
火星は地球のすぐ外側の軌道にある惑星。直径は地球の約半分、重力は3分の1ほどしかない。希薄な大気と平均気温がマイナス40度以下という、生命体にとっては過酷な環境にある。
ただ、極域では氷(二酸化炭素が凍ったドライアイスではなく水が凍った氷)が存在していることが分かっており、生命やその痕跡の発見が期待されている。
宇宙における生命探求の旅は、太陽系内にある地球と近縁の惑星や多くの衛星などの探査と並行して、ハビタブルゾーン(液体の水が存在する条件)の系外惑星観測も行われている。系外惑星の中には水の存在が明らかになるなど、地球外生命の存在の可能性が高まっている。
生命の起源を探す壮大な旅——それは、生命の謎を探る挑戦であるとともに、地球という"生命のゆりかご"が限りなく尊いことを再発見する機会でもある。宇宙的な視点を獲得することで、新しく見えてくるものがあるのだ。
ロシアの宇宙飛行士セレブロフ博士は創価大学で行った講演で、「我々は、宇宙から見れば、とても小さな地球という宇宙船で宇宙を旅しているようなものです……今こそ、我々は『地球は人類共通の家』という『宇宙の哲学』を打ち立てる時代に入りました」と語った。
池田先生は同博士との対談の中で、「21世紀に必要なのは『宇宙的視野』です。大宇宙と一体のものとして、人類を、そして人間を捉えていく見方です」と強調している。
言うまでもなく、宇宙から見れば、地球に国境線など存在しない。対立から融和へ、分断から協調へ、社会を変える契機も、この宇宙的視野にあろう。
人類は地球という乗り物の乗客であり、地球と一体の運命共同体。地球的課題を乗り越えることもできるはずだ。
今こそ宇宙的視野を基盤に、生命の世紀、平和の世紀を建設していきたい。

☆【御聖誕800年】 学会の翻訳事業の軌跡
「日蓮大聖人直結」「御書根本」こそ、創価の永遠不変の精神である。絶対勝利の要諦であり、広布発展の原動力である。この誉れある正道は、御書発刊という師弟の大闘争によって開かれた。
戸田城聖先生は、1951年(昭和26年)5月3日の第2代会長就任後、すぐに御書全集の刊行に着手した。完成までの期間はわずか10カ月。資金調達や人員確保など幾多の困難が立ちはだかる中、陰で師を支え、奮闘し続けたのが、若き日の池田大作先生である。
そして、連日連夜の編さん・校正作業を経て、52年4月28日、立宗700年の佳節に、御書全集は発刊を迎えた。

◇「本朝の聖語も広宣の日は亦仮字を訳して梵震に通ず可し」——日興上人
大聖人の不二の弟子である日興上人は、広宣流布の伸展に合わせ、御書を外国語に翻訳して世界中に伝えるべきであると仰せである(御書1613ページ、趣意)。このお言葉の通りに学会は、池田先生のリーダーシップのもと、御書の翻訳・出版事業に力を注いできた。
まず取り掛かったのは英訳。国際共通語として話者が多いのはもちろん、他言語への重訳が比較的容易であり、翻訳作業の推進に拍車を掛けることができるためである。
66年には、英語版機関誌「セイキョウ・タイムズ」に、初めて英文の御書が掲載。79年には「観心本尊抄」や「佐渡御書」など、英訳36編を収録した『英文御書解説』第1巻が発刊された。以来、2年に1度のペースで第7巻まで刊行され、その全巻をまとめた待望の『英訳御書』上巻が99年に完成した。
この『英訳御書』の翻訳の監修を務めたのが、米コロンビア大学のバートン・ワトソン博士である。博士は『英文御書解説』の翻訳時から多大な貢献を果たしてきた。司馬遷の『史記』を初めて英訳した中国文学研究の第一人者であり、高名な翻訳家として知られる。
博士が御書の翻訳に携わるきっかけとなったのが、73年12月の池田先生との語らいである。
その際、先生は鳩摩羅什の『法華経』の英訳を博士に要請した。その後、博士は『英文御書選集』や『御義口伝』の英訳など、仏教の精神を世界に広げる翻訳作業に尽力していく。

◇10言語以上で御書を刊行
2006年には『英訳御書』下巻が刊行。英語以外の言語訳も着実に進み、今や御書は中国語、スペイン語、フランス語、ドイツ語をはじめ10言語以上で翻訳・出版されている。世界広布の伸展に合わせ、各国の人々が慣れ親しんだ言語で希望の哲学を繙ける意義は大きい。
戸田先生は御書の「発刊の辞」につづった。「この貴重なる大経典が全東洋へ、全世界へ、と流布して行く事をひたすら祈念して止まぬものである」
この恩師の大願は、未来への布石を打ち続けた池田先生の手によって実現されていく。

◇"信を通わす"尊い作業
池田先生はかつて語った。
「御書を開けば、そこから光があふれてくる。それは『哲学の光線』であり、『生命の太陽』である。御書は『日蓮大聖人の御声』であり、御金言・御聖訓である」
先生は自らの実践で「御書根本」の範を示しながら、文化的背景の異なる世界各地の人々にも大聖人のお心が間違いなく伝わるよう心を砕いてきた。
こうした先生の言葉を通し、御書の言々句々を広く世界の友に伝える使命は、第1次宗門事件を経て、「セイキョウ・タイムズ」から「SGI通信」に引き継がれた。1984年(昭和59年)7月3日に英語版が創刊。ファクスと郵送で、毎週、58カ国に送られるようになった。
池田先生は、この年の2月から3月にかけて北南米指導へ。青年を励まし、各国の大統領らと会見。6月には、中国・北京大学で記念講演も行った。日蓮仏法の精神を根本に、創価の人間主義の思想を縦横に語る先生。その言葉を求めるメンバーの心に応えるために、SGI通信は作られた。
その後、89年5月から1カ月以上にわたる先生の欧州指導を速報するために日刊となる。
翌年末に第2次宗門事件が勃発。「法華経の智慧」「青春対話」、会合でのスピーチなどの翻訳が掲載されたSGI通信は、「人間のための宗教」という大聖人仏法の本義を正しく伝え、人間を手段化する邪宗門の"衣の権威"と戦い、尊き仏子を守り抜く"武器"となった。
91年にはスペイン語版、中国語版も相次ぎ発行され、90年代後半にメールでの送信が始まり、世界各地に瞬時に届くようになる。
現在は、小説『新・人間革命』、メッセージや随筆、大白蓮華の巻頭言や講義「世界を照らす太陽の仏法」などを翻訳し、英語版は75カ国・地域、スペイン語版は22カ国、中国語版は15カ国・地域に送信。各国の機関紙誌にも掲載されている。
「翻訳は大事だ。200年先まで残るから」——かつて池田先生が、SGI通信を編集する友に語った言葉である。また先生は、「語学は手段。根本は信心なんだ」とも。
ゆえに友は、ただ言葉を他の言語に置き換えるのではなく、大聖人の精神や師匠の心に迫り、それを言葉にすることに注力してきた。
例えば「異体同心」を直訳すれば「many in body, one in mind」。これを文脈によっては「unity in diversity」(多様性を尊重した団結)と翻訳する。一人一人の個性を大切にしながら、広宣流布という大目的に向かって団結することの重要性を強調して伝えるためである。
このように、一つの言葉を翻訳するに当たっても試行錯誤を繰り返す。日本語が堪能な外国人翻訳者と日本人翻訳者が意見を交わしながら、膨大な時間と労力を費やして"信を通わす"作業である。
SGI通信が誕生して本年で37年。英語版は1万717号に。また、スペイン語版は9524号、中国語版は1万3677号を数えている(15日現在)。
日蓮仏法の精神が脈打つ池田先生の言葉を、翻訳を通して学び、「日蓮と同意」の地涌の菩薩の自覚に立って、各地で広布を進める創価の同志。自身の人間革命を基盤に、家庭や地域をより良いものへと変革し、人類の宿命転換に挑みゆく友の連帯は、世界中に広がり続けている。

◇根本経典を民衆の手に
2013年11月の「広宣流布大誓堂」の完成に合わせ、「御書」や「法華経」など、日蓮仏法の根本経典の英訳を紹介するウェブサイト「創価学会 日蓮仏法ライブラリー」が開設された。現在は、創価学会版のスペイン語訳、フランス語訳『御書』にそれぞれ収録される諸御抄172編等の閲覧もできる。
同サイトは充実した検索機能を備えており、スマートフォンやタブレット端末から見られる点も特長の一つ。
また、中国語版のサイトもあり、各国・各地域で行学錬磨に挑む同志が、研さんに励むための糧になっている。
日蓮大聖人の聖典が、誰もが自由に学べる形で民衆に開かれている——サイト開設は重要な意味を持っている。

◇192カ国・地域の人々が閲覧
また昨年には、創立90周年を記念して、多言語版の創価学会公式ホームページである「創価学会グローバルサイト」が開設された。
世界宗教として飛躍を遂げる学会の基本情報とともに、日常の信仰実践や多角的に展開される社会活動、各国・地域の学会ニュース等を紹介。会員用の研さん教材として、SGI通信で配信された小説『新・人間革命』第30巻や指導選集『幸福と平和を創る智慧』、「教学入門」なども掲載している。
言語は英語、スペイン語、中国語(繁体字・簡体字)に加え、一部の情報を日本語で発信。現在までに192カ国・地域からアクセスされている。
同サイトと連動したSNS(フェイスブック、インスタグラム、ツイッター)や動画投稿サイト「ユーチューブ」でも随時情報が発信され、創価の思想・哲学は五大州に広がる。
御書に「日は東より出づ日本の仏法の月氏へかへるべき瑞相なり」(589ページ)と。日蓮仏法を学び深め、人間革命の実証を示しゆく世界中の同志の雄姿は、大聖人が予見された、仏法が日本から東洋、世界へと弘まっていくという「仏法西還」の未来記そのものである。
誰も成しえなかった世界広宣流布を現実のものとしてきた——この紛れもない事実こそ、創価学会が仏意仏勅の教団である証しにほかならない。

2021年2月25日木曜日

2021.02.25 わが友に贈る

医療従事者をはじめ
命を守り支える方々の
尊き献身に心から感謝。
どうかお体を大切に。
健康と安全を祈ります。

南条殿御返事 P1542
『今のむぎは法華経のもんじなり、又は女人の御ためにはかがみとなり身のかざりとなるべし、男のためにはよろひとなりかぶととなるべし』

【通解】
今の麦は法華経の文字である。または、女性のためには鏡となり、身の装飾となるであろう。男性のためには鎧となり兜となるであろう。

名字の言 不変の目的のために、変わり続ける 2021年2月25日
本紙配達員を務める、ある婦人部員は、担当地域の配達ルートを記した手作りの地図を、毎月、何種類も準備する。"雨の日のこの道は、渋滞して時間がかかる"など、これまでの経験を生かし、道順を天気や季節によって変えるという▼「戸田先生が願われ、池田先生が実現された『聖教新聞を日本中、世界中の人に読ませたい』という精神を、自分なりに継承したくて……」。いわば"変わらない"師の心を届けるために、婦人は"変わり続ける"行動を貫いてきた▼「伝統の2月」——伝統とは、過去から現在、そして未来へと「不変の目的」を受け継ぐことで築かれる。そのためには時代に即して柔軟、かつ的確に変化し続けることが求められる。仏法では本義に違わない限り、地域の習慣や時代の風習などを尊重する「随方随時毘尼」の法理を教えている▼池田先生は語る。「もっとも根源の真理を説いたがゆえに、もっとも自在に価値を創造していける——それが日蓮大聖人の仏法なのである。そして、もっとも根本の道理を示したがゆえに、だれ人にも納得のできる実践をしていける」と▼広宣流布という我らの目的は永遠に不変である。その目的の実現のために、変化する時代に即して価値創造に挑戦する。それが「創価」である。(白)

寸鉄 2021年2月25日
「我心本来の仏なりと知るを即ち大歓喜」御書。今日も朗々たる唱題から
新しい息吹を入れる事が組織繁栄の道—戸田先生後輩を自分以上の人材に
男子部大学校生が各地で船出。さあ決意即挑戦!先輩も共に動き大成長を
G7首脳が世界への普及で一致。感染との闘いを国際協調強化の転換点に
変化が激しい時故に地域密着の公明に期待—識者声を形に。実績で応えよ

〈社説〉 2021・2・25 北海道「雪の文化祭」から50年
◇"試練の冬"越え春爛漫の境涯へ
新型コロナウイルスの影響で、冬のイベントが中止となる中、毎年恒例の「さっぽろ雪まつり」は初のオンラインでの開催となった。SNS上では「雪フォトまつり」として、札幌の雪をテーマに市民が写真を投稿している。ある意味で、皆で作り上げた"新たな雪まつり"の形ともいえよう。
今から50年前にも、庶民の手で作られた雪と氷の祭典があった。1971年2月25日からの4日間、札幌市内の中島公園と、スキー場のテイネオリンピア(当時)の2会場で創価学会主催の「'71北海道 雪の文化祭」が開催された。
しかし、当初、この計画は無謀だといわれた。開催予定の2月末は、気温が少しずつ上がり、雪が緩み始める。"雪まつり"の関係者は「雪像を作るのは無理じゃないでしょうか」と忠告。さらに、作業をするのは経験や技術もない素人ばかり。雪の運搬、雪像や氷像のデザイン・制作、スケートリンクの造設……。"不可能"と思われる課題が山積していた。
当時、北海道女子部長として運営に携わった友は述懐する。「全てが手探り。でも、"できない"と思っている人はいなかった。誰もが"信心で必ず打開できる"と、瞳を輝かせていました」
そして、わずか25日足らずで"不可能を可能"に。素晴らしい雪像や氷像、青年部によるスケートとスキーの演技、音楽隊・鼓笛隊の演奏等、全てが努力の結晶として光った。参加人員、約3万人。雪の運搬に使われた車両は約1万台。観覧者は25万人を超えた。庶民の手で、新しき民衆文化の潮流を起こしたのだ。
池田先生は連日、出演者や役員の激励に会場へ。そして、取材に来ていた全国紙などの記者たちに語った。「これは、芸術家が造ったものじゃないんです。全部、働いている人間が一日の仕事を終え、それから集まって、造ったものです。だから、庶民の文化なんです」
当時、女子部員としてスキーのマスゲームに出場した友は、数年前に腸結核に侵され、大腸を半分切除していた。毎日、職場にスキーを持って通い、終業後にバスで練習会場へ。極寒の夜空の下、山を登っては滑っての繰り返し。"病を克服した姿を先生にご報告したい"と、体力の限界に挑んだ。当日、師の前で勝利の滑走を披露すると、冬の太陽を囲むように七色の環が輝いた。
池田先生は「法華経の信心は、いわば"冬の信心"である」「厳しい宿命転換の戦いがあって初めて"春"を到来させ、福運を築くことができる。ゆえに試練の冬を避けてはならない」と。私たちも、いかなる試練も、悠々と見下ろす「春爛漫の大境涯」で勝ち越えていきたい。

☆人間主義の哲学の視座 第6回 対談集『20世紀の精神の教訓』に学ぶ�
テーマ:連帯
【池田先生】
透徹した自己洞察を実践する中で
生命の尊厳性と普遍性を自覚する

【ゴルバチョフ元大統領】
民族的価値から全人類的価値へ——
歴史と文化に"世界的な心"を学ぶ

◇人類に共通する利益
先月22日、核兵器の開発や保有、使用をはじめとした一切の活動を違法化する「核兵器禁止条約」が発効した。 自国第一主義や利己主義が台頭し、格差や分断が深まる時勢にあって、「核兵器廃絶」という、国益を超越した人類共通の願いによって、国際社会の連帯を促す意義は大きい。
ゴルバチョフ氏がソ連共産党の書記長に就任したのは、1985年。氏が推進した「ペレストロイカ」と呼ばれる政治改革は、核開発競争をもたらした冷戦を終結させ、全人類の利益を追求する挑戦につながった。
昨年に出版された回顧録の中で、氏はつづっている。
「核の世紀はもはや、世界の分断を前提とすることはできない」「世界は相互に関係し、相互に依存している。国家の、階級の、団体の利益のほかに、すべての人々に共通する利益が存在している」(『ミハイル・ゴルバチョフ 変わりゆく世界の中で』副島英樹訳、朝日新聞出版)
全人類的価値を、いかに追求していくのか——これは、氏と池田先生が語り合ったテーマであり、コロナ禍を生きる私たちの課題でもある。

ゴルバチョフ ペレストロイカを始めた当時、私たちの間で、熱心に討論したテーマがありました。万人に共通の価値を何に求めるべきか、ということでした。
もし、共通の"道徳"がないとすると、共通の価値体系もないということになる。それは、とりもなおさず対話の可能性を否定し、ひいては共産主義と資本主義の二つの体制は、対立を乗り越えられないことを意味してしまう。
私たちは、「万人が共有すべき根本的価値」があるはずであり、その最重要の価値とは、「人間生命」にほかならない、との結論にいたりました。

池田 「分断された道徳・価値」を捨てて、「万人に共通な根本的価値」という価値の源泉に戻ろうとしたこと、そして、最重要の価値は、「人間生命」であるとの認識に立ったことは、ペレストロイカの本質的な偉大さを示しています。その人類史的な意義は、改革の成否を超えて、決して消えることはないでしょう。

◇抽象化の罠
冷戦終結後の「最大の人類的課題の一つ」として、先生と氏は、民族問題の議論にも1章を割いている。
多民族で構成されていたソ連が解体し、イデオロギーが崩壊する中で、ナショナリズムが高揚し、右翼政党の台頭や移民問題、外国人排斥問題が先鋭化している——。そうした先生の指摘に、氏は、「今日、最も大きな障害となっている問題が、民族中心主義です」と応じる。
そして、その民族中心主義とは「エスノス(民族)的要因を陳腐に絶対化してしまい、すべての問題を軽率に、民族の違い、対立に集約させてしまおうという試み」であるとし、それは、旧ソ連時代に多くの惨事をもたらした"病"であった、と。
だが、やみくもに民族を否定する中に、問題解決の道があるのではない。先生は、人間は根無し草のように生きることはできず、常にアイデンティティー(自分が自分であることの根拠)を求め、民族的な帰属意識をもつのが当然であると論じる。

ゴルバチョフ 「民族」は、家族、国家、宗教、所有などと同様に肯定的価値であると、私は考えます。民族感情は、これまで一度として消えたことはなく、またこれからもおそらく消えることはないとすれば、まさにその理由からです。
私が主眼においているのも、ベルジャーエフ(※ロシアの哲学者=編集部注)の思想の核となっている「民族的帰属感」から「全人類的帰属感」へという考えなのです。

池田 そうした進歩、発展のプロセスを逆行させ、「民族」という言葉が絶対化していく背景には、ガブリエル・マルセル(※フランスの哲学者=同)が「抽象化の精神」と名づけた"魔性"が、強く働いているように思えてなりません。
「民族」という概念が、現実からしだいに離れていって、いわば絶対的な偶像としてまつり上げられてしまうという、人間の古今変わらぬ通弊を、彼はえぐり出しています。そこには、「抽象化の罠」ともいうべき落とし穴が待ちかまえている、と。昨今の民族問題にスポットを当ててみても、この「抽象化の精神」の毒は、相当深く浸透しているようです。

ゴルバチョフ 人々は往々にして、自分が聞きたいことだけを聞くものです。したがって、人間が抽象的概念を絶対視している場合、最も賢明にして、最も正しい言葉は、あたかも壁にぶつかった豆のように、"認識の壁"に跳ね返されてしまいます。
すでに手遅れとなって、初めて、人々は耳をかたむける気になるのが常であるという事実こそが、今世紀の悲劇であるように思います。

◇個別性を足場に
排他的な「民族主義」とは何か——。先生との語らいを通して、氏は"定義するのが容易になりました"と真情を吐露し、改めて、こう概説する。
つまり、それは、まず偽りの自信やエゴイズムとなって現れ、次に民族の排他的優越性を教え、さらに民族的傲慢となる。そして、他者への憎悪を生み出す、と。
そうした民族感情が、人間に不可分の要素として残っている現実を認識した上で、いかに「民族的価値」を「全人類的価値」へと転換していくのか。
先生は、世界・人類という「究極的な一体感」への視点を養う世界市民教育の重要性に言及する。そして、そうした「世界性」「全人類性」への志向を、文学をはじめとするロシアの精神に見ると述べる。
氏は言う。ロシアが誇る"世界的な心"を育んでいくための最も効果的な方法は、自らの民族の文化を認識し、その歴史を知ることである、と。
先生は、自己の歴史を掘り下げた先に見える仏法の「地涌」の法理を通して、人間としての根源のアイデンティティーの探求を訴える。

池田 「地涌」というとき、そこに排他的な宗教性の臭みなどまったくなく、心広々と心豊かに、人を慈しみ人に好かれ、権力にこびず財力になびかず、いかなる困難をも乗り越えていく、慈悲と勇気の理想的人間像を意味しています。畢竟すれば、人類のすべてに内在する、大いなるコスモポリタンとしての"自己"を開きゆくこと——。その道を示したのが仏法の哲理であり、私どもの実践なのです。
透徹した自己洞察の実践をつらぬくとき、おのずから開けてくる自己の生命の「尊厳性」「全体性」「普遍性」の自覚——前にもお話しした「内在的普遍」という私の主張も、こうした「自己知」を説く仏法の哲理に根ざしたものです。

ゴルバチョフ 民族に限らず「個別性」を大切にし、足場にしなければ、いかなる「普遍性」も開かれてこないでしょう。自分の歴史を知れば、そこには否定しようもない普遍性、全人類性があるのです。
ロシア人は人種をも超える人間の普遍性を学びとり、民族をただ血縁や物理的実体とする単純化された低級な民族観を超越していきました。

池田 統合(求心力)と分離(遠心力)のせめぎ合いのなか、全人類の命運を担う自覚とともに、苦悩の選択を重ねてきた貴国の歴史は、20世紀の大いなる「教訓」となるものです。

【編集後記】ゴルバチョフ氏の回顧録には、池田先生との出会いについて言及された箇所も。対談集を発刊した意義に触れ、「異なる文化に属し、異なる教育を経てきた我々二人が、共通の倫理的綱領を見つけたという事実そのものが、多くを物語っている」と述懐する。世界の分断が深まりつつあるコロナ禍の今、この対談集は、全人類の連帯を促す普遍的な価値とは何であるかを学び、実践することの大切さを教えてくれる。

2021年2月24日水曜日

2021.02.24 わが友に贈る

幸福を開く力は
自身の胸中に具わる。
師子奮迅の生命力を
強盛な祈りで湧き出し
勇気凜々と進もう!

松野殿後家尼御前御返事 P1393
『故に四衆とりどりにそねみ上下同くにくむ讒人国に充満して奸人土に多し故に劣を取りて勝をにくむ、譬えば犬は勝れたり師子をば劣れり星をば勝れ日輪をば劣るとそしるが如し然る間邪見の悪名世上に流布しややもすれば讒訴し或は罵詈せられ或は刀杖の難をかふる或は度度流罪にあたる』

【通解】
故に、四衆がそれぞれ日蓮をねたみ、上下こぞってにくむのである。讒言する者は国に充満し、また、奸人もその地に多い。故に劣った念仏を取り、勝れた南無妙法蓮華経の題目をにくむのである。譬えば犬は勝れて師子が劣り、星が勝れて太陽が劣ると誹るようなものである。それゆえ、日蓮は邪見のものであるとの悪名は世間に流布し、ややもすれば讒訴され、あるいは罵詈され、あるいは刀杖の難を蒙り、あるいは度々流罪に処された。

名字の言 「人間の内面は外的な運命よりも強靱」——精神科医フランクル 2021年2月24日
ナチス収容所で過酷だったのは、労働や飢餓だけではない。「どれほど長く強制収容所に入っていなければならないのかまるでわからないこと」もそうだったと、精神科医のフランクルが著書に記している▼出口のない日常は暴力や窃盗をまん延させ、人々を"生ける屍"に変えた。だが一方で、思いやりの言葉を掛け、なけなしのパンを譲る被収容者もいた。誰かを支えることに生きる意味を見いだした人たちだ。「人間の内面は外的な運命よりも強靱なのだ」と彼は訴える(『夜と霧』みすず書房)▼岡山の婦人部員は15年前に愛息を亡くした。希望への出口を見失い、信心からも遠ざかった。そんな彼女に一人の先輩が関わった。「特別なことは言えないから」と祈り、寄り添う日々は何年にも及んだ▼実は先輩にも家族を亡くした過去があった。その事実を知った婦人は、再び学会活動に励むように。仏法を語り歩く中で気付いた。"息子が生きる意味を教えてくれている"。使命を自覚した彼女の確信に触れ、コロナ禍の1年間で4人の友が入会した▼深い悲しみを乗り越えた人は、深い哲学をつかむことができる。その経験はやがて誰かを助ける力になる。「妙とは蘇生の義なり」(御書947ページ)——創価の母たちが、それを教えてくれる。(子)

寸鉄 2021年2月24日
学会員には家族のような温かさが—博士。ここに我らの強さ。励まし合い
誠実こそが戦いの全てだ—恩師。一瞬の出会いを大切に。真心は必ず通ず
ごはんといのちの物語展—学会HPで公開。食は命。親子で語らう契機に
備えておいて良かった—1位は懐中電灯。災害は忘れた頃に。自助意識を
お金払えば優先接種等、ワクチンに便乗した詐欺電話が多発。騙されるな

☆御書の旭光を 第9回 強き「志」が幸福境涯を開く
〈御文〉
『凡夫は志ざしと申す文字を心へて仏になり候なり』(白米一俵御書、1596ページ)

〈通解〉
凡夫は「志」という文字を心得て仏になるのである。

〈池田先生が贈る指針〉
万人が成仏できる民衆仏法である。凡夫がそのまま仏になれる要諦が、信心の強き「志」なのだ。
「心こそ大切」である。法のため、友のため、立正安国のため、自らも悩みと闘いながら、今できることに真心を尽くす。そこに揺るがぬ幸福境涯が開かれる。
同志の尊き志を労い、讃え合い、歓喜も功徳も増しゆこう!

☆2月度御書講義 四条金吾殿御返事(此経難持御書)(上) 森中教学部長
◇戦い続けるなかに如来の生命が涌現

◇背景と大意
本抄は、文永12年(1275年)3月、日蓮大聖人が54歳の時、身延から鎌倉の四条金吾に送られたお手紙です。
前年9月、金吾は主君・江間氏を折伏します。しかし、主君は、極楽寺良観を信奉していることもあり、金吾を遠ざけます。そして、それにつけ込んだ同僚たちが金吾を迫害するようになります。
金吾は「法華経を持つ者は『現世安穏・後生善処』——現世は安穏であり、後生は善き処に生まれる——と聞き、言われた通り信心に励んできたが、大難が雨の降るように次々と起こっています」という戸惑いを、大聖人の弟子に語ったようです。弟子からその報告を聞き、心配された大聖人が金吾に認められたのがこのお手紙です。
本抄の冒頭に「此経難持の事」とあります。此経難持とは、「此の経は持ち難し」と読み、法華経見宝塔品第11に説かれる一節です。仏の滅後悪世に、法華経を受持することがいかに困難であるかを示しています。
これが拝読範囲の直前までの内容です。ここから本抄の終わりまでが、今回の範囲となります。
大難や困難は、誰も避けることができません。この苦難を、前進の糧にするのが、日蓮仏法です。前進の中に「人間革命」があります。自身の一念の転換が、自分も周囲も変えて、自他共の宿命転換を実現します。

◇御文
『法華経の文に難信難解と説き給ふは是なり、此の経をききうくる人は多し、まことに聞き受くる如くに大難来れども憶持不忘の人は希なるなり』(御書1136ページ3行目〜5行目)

◇迫害や大難は必定
常に前進し続けることが信心の要諦であることを教えられている一節です。
大聖人は、「此経難持」を説明するに当たって、「法華経の文に『難信難解』と説かれているのは、このこと」であると、「難信難解」の原理から説明されます。
「是なり」——このこととは、「四条金吾が難を受けて法華経の『現世安穏・後生善処』の文に不審を抱いたこと」です。
「難信難解」とは、法華経法師品第10の文です。法華経は仏の覚りが直ちに説かれている教えなので、一代聖教のなかで、最も信じ難く、理解し難いとされています。
それでは、なぜ、法華経が諸経と比べて「難信」であり「難解」であるのか。その一つの観点として"法華経は、仏の真意をありのままに説いた「随自意」の教え"であることが挙げられます。
つまり、法華経は、仏自身の内面の覚りが、そのまま説き示されている経典です。これに対して、諸経は、教えを聞く側の水準に合わせて説いたので、分かりやすい半面、まだ仏の真意が示し切れていない、ということです。
例えば、法華経には万人成仏の法理が説かれています。しかし、「全ての人に仏性がある」という教えを弘めると、人間の可能性を確信できない人たちは反発し、批判します。
具体的な例が、不軽菩薩の万人への礼拝行であり、それに対しての、増上慢の人々からの迫害です。まさに、「法華経の行者」が迫害や大難を受けることは必定であり、そのことは経文にも明確に説かれているのです。

◇常に前進の信心
一面から言えば、難を受けるということは、その教えが本物であることの証しです。だからこそ、自他共に、深い次元で生命の変革が可能になるのです。
問題は、こうした法理を日頃から聞いていても、実際に難に遭うと、それを忘れて退転してしまうということです。それゆえに大聖人は、次のように仰せです。
——この法華経を聞き受ける人は多い。しかし、聞き受けた通りに実際に大難が来た時、それでも法華経を心にとどめて持ち続け、忘れることのない人は希である——。
ここで、「憶持不忘」の原理が説かれています。法華経の結経に当たる普賢経の一節です。深い教えを聞いて、その内容を理解し、いかなる場合にも銘記し、忘れないことをいいます。
大難や困難が襲う「まことの時」(御書234ページ)に、「疑う心」と戦い、前進しゆく信心こそが、成仏への要諦となるのです。
信心とは、いついかなる時も、挑戦する心を忘れずに、前進し続けることが大事であるということです。
反対に言えば、私たちの信仰を妨げる第六天の魔王の働きは、私たちの心を揺さぶり、不信や不安、疑いの心を起こさせて、結局、前進を止めてしまうことを狙っていると言えます。歩みを止めてしまえば、第六天の魔王の勝利であり、私たちが前進し続ける限り、第六天の魔王は必ず敗北するのです。

◇御文
『受くるは・やすく持つはかたし・さる間・成仏は持つにあり、此の経を持たん人は難に値うべしと心得て持つなり、「則為疾得・無上仏道」は疑なし』(御書1136ページ5行目〜6行目)

◇成仏は「持つ」にあり
持続の信心の重要性を教えられている箇所です。
——「受ける」ことは、まだ易しく、「持つ」ことは難しい。そうであるから、成仏は「持つ」ことにある——有名な一節です。
大聖人は、「受持」について、「受ける」と「持つ」に立て分けられ、「受ける」と「持つ」とを比べると、持つことのほうが難しいと仰せです。しかし、成仏は、「持ち続ける」なかにあります。
ここで、持ち続けることが難しいのは、私たちが正法を実践すると、成仏を妨げようとする三障四魔の働きが必ず競い起こるからです。また、広宣流布が進めば三類の強敵が出来します。その根底にあるのは、先にも触れた第六天の魔王の働きです。そうした障魔が競うことを理解することが大事です。
「此の経を持たん人は難に値うべしと心得て持つなり」と仰せです。
大聖人は、常日頃、門下に対して、この信心に励めば必ず難に遭う。その中で、信仰を貫き通すところに成仏があるということを、繰り返し強調されていました。

◇不退の信仰を貫く
大難は、信仰を深めます。信心が強盛になることで成仏が実現します。ゆえに大事なのは、確信をもって不退の信仰を貫く覚悟です。それがまさに、誓願の信心です。
まず、魔を魔と見破ることが大事です。「月月・日日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし」(御書1190ページ)との精神で、常に、魔と戦い続ける信心、つまり、魔の正体を見破りながら、前進し続けることが重要となるのです。
創価学会は、三代の会長の不惜身命の実践によって、あらゆる大難を乗り越えて発展してきました。「難来るを以て安楽と意得可きなり」(同750ページ)との御聖訓のままに生きる生き方を、創価の三代の師匠は私たちに教えてくださいました。
私たちも、その実践に連なっていくと決意することで、勇気が生まれ、不屈の信仰を貫き、広布の大道を歩むことができます。
続いて大聖人は、「『則為疾得・無上仏道』は疑なし」と仰せです。
これは、法華経見宝塔品第11の経文で、「則ち為れ疾く 無上の仏道を得ん」と読みます。意味は、法華経を受持することで、速やかに成仏できるということです。
まさに、戦い続けることで、直ちに如来の生命が涌現してくるのです。

2021年2月23日火曜日

2021.02.23 わが友に贈る

「昨日より今日」
「今日より明日」へ
挑戦しゆく日々を!
その粘り強い歩みが
人間革命の大道を開く。

崇峻天皇御書 P1171
『彼等が柱とたのむ竜象すでにたうれぬ、和讒せし人も又其の病にをかされぬ、良観は又一重の大科の者なれば大事に値うて大事をひきをこしていかにもなり候はんずらん、よもただは候はじ』

【通解】
彼らが柱とたのむ竜象房も、すでにたおれてしまった。讒言した人々も、また同じ病におかされてしまった。良観はもう一層仏法上の大罪がある者であるから、大事件にあい、大事をひきおこして、法罰をこうむることにもなるであろう。よもやただではすまないでしょう。

名字の言 批評家・若松英輔氏が挙げた三つの「話す行為」 2021年2月23日
「どのような言葉にふれるかは、私たちの人生と人格に大きな影響を与える」とは、批評家・若松英輔氏の言葉。氏は、話す行為について次の三つを挙げる。一人で行う「独話」。誰かと言葉を交わす「会話」。そして、深いところでつながりながら、言葉や経験の深みを探る「対話」である▼多くの言葉を交わしても、互いの呼吸が合わなければ「会話」にとどまる。一方、「対話」は、自分の言いたいことを話すのではなく「相手の『おもい』を受け止めたところに始まる」と氏は言う▼さらに対話で人が伝えたい「おもい」とは、言葉にできる「思い」や「想い」だけではなく「言葉にならない『念い』なのではあるまいか」とも(『読書のちから』亜紀書房)▼対話の中で、相手が話してくれる「心情」が、常に偽りなき「真情」とは限らない。遠慮したり、相手に合わせたりして話しているかもしれない。心を開いてもらうには、まず自分がありのままを心掛け、繕わないこと。言葉の巧拙よりも、相手の幸福と成長を「念う」ことだろう▼日蓮大聖人は「意は心法・声は色法・心より色をあらはす」(御書469ページ)と仰せである。友を「念う」祈りは声となって必ず相手に通じる。自他共の人生を豊かに彩る語らいを、きょうも朗らかに。(銘)

寸鉄 2021年2月23日
妙法を唱え感激に燃えて戦うのだ—恩師。最高の師と同志と進む喜び胸に
「九州婦人部の日」。さあ希望と勝利の春へ先駆。友情対話をはつらつと!
「唯一の実り豊かな道は繰り返しの道」建築家。今日も行学の軌道を進め
顔合わせる数が多い程、相手は好感—研究。人材育成も粘り強い励ましで
核禁条約批准、54カ国に。人間が生んだ兵器、必ず廃絶できる。民衆の声を

☆「わが愛する青年に贈る」に学ぶ 第8回 人間学〈下〉 報恩の振る舞いに仏法の真髄 大串女子部長
◇池田先生の指導
万人を尊敬し、尊重する。
この最上第一の「人間学」を
持った創価の青年が
人類の新時代を勝ち開いていきます。

1 "同じ心"で友に励ましを
前回学んだ「師匠への報恩」について、池田先生は、さらに、「祈祷抄」に示される中国の故事を通して語られています。
ある国王が、身の危険を救ってくれた白烏に恩を返そうと、白烏を捜します。
しかし白烏は見つからず、賢臣の「代わりに全ての黒烏に"恩返し"をすれば、白烏の恩に報いたことになる」との進言により、黒烏へ恩を報じたとの故事です。

■ 池田先生の講義
この故事で「白烏」は聖人、「黒烏」は衆生ととらえることができます。
すなわち、私たちの立場でいえば、自分が師匠から受けた恩を、今度は人々に返していくことと受け止めていくことができます。
師への報恩について「若し法を伝えて衆生を利せば、畢竟、恩を報ずるなり」(「報恩抄文段」)とあります。大法弘通慈折広宣流布に生き抜くことこそ、究極の報恩なのです。
—◆—
師と同じ心で、縁する友に励ましを送ることが、全ての友の幸福を心から願われている仏法の師への報恩となります。
コロナ禍にあって、師との誓いを胸に「全世界の安穏」そして「全世界の一切の会合の無事故」を祈り続けているのが、白蓮グループのメンバーです。
普段は会館で任務に就く白蓮グループですが、今は多くの会合がオンラインです。ある地域では「オンラインでも、皆のためにできることをしたい」との思いから、白蓮メンバーが会合開始まで、画面上で「ようこそ」「ご参加ありがとうございます」などのカードを掲げ、参加者を歓迎しています。"オンライン着任"と称し、司会や音響、映像操作などで、会合を支えている地域もあります。こうした取り組みは海外でも広がっています。
「師匠ならばどうされるか」との"白蓮精神"で、友のための行動を貫く、世界中の白蓮姉妹の姿は皆の希望です。
日蓮大聖人は「あらゆる人々の苦悩は、ことごとく私の苦悩である」(御書587ページ、通解)と述べられました。門下一人一人に寄り添い、全魂を傾けて励ます——この慈愛溢れる精神を受け継いできた創価三代の師に連なり、目の前の友のため、自分だからこそできる一歩を踏み出し、報恩の道を前進し続けたいと思います。

2 「当起遠迎当如敬仏」
師への報恩を胸に人々に尽くすことは、仏法が示す「万人尊敬」の振る舞いに通じます。池田先生は「御義口伝」の一節を通し、こう教えてくださっています。

【御文】
『此の品の時最上第一の相伝あり、釈尊八箇年の法華経を八字に留めて末代の衆生に譲り給うなり八字とは当起遠迎当如敬仏の文なり』(御義口伝、御書781ページ9行目〜10行目)

【現代語訳】
この普賢品の時に、最上第一の相伝がある。釈尊が八年にわたって説いた法華経を八文字に留めて、後の悪世の人々に譲り与えられたのである。
その八文字とは「当起遠迎当如敬仏(当に起って遠く迎うべきこと、当に仏を敬うが如くすべし)」の文である。

■ 池田先生の講義
「仏子」を尊敬する。「人間」を尊重する。この「振る舞い」の中にこそ、仏法の真髄が脈動するということです。
(中略)
未来を担い立つ後継の皆さんも、この人間主義の系譜に直結して、どこまでも人々を尊敬し、誠心誠意の「振る舞い」を貫き通していただきたい。これこそ末法万年に輝きわたる、誉れの創価の「人間学」だからです。
—◆—
私が小学生だった時のことです。池田先生が海外の来賓と会見し、お見送りされる場で、合唱団の一員として歌を披露する機会がありました。懸命に歌った私たちに、優しく何度も「ありがとう」と語り掛けてくださり、また、お客さまを見送られた後も、私たちの方を振り返り、深々とお辞儀をしてくださった先生の姿が、脳裏に焼き付いています。
小説『新・人間革命』に描かれているのも、万人を抱きかかえるように励ます山本伸一の「行動」であり「心」です。
ある女子部のメンバーは、『新・人間革命』全30巻を学び、先生のように、縁する人を大切にしていける自分になりたいと決意。職場での振る舞いが評価されて最年少の中間管理職に抜てきされました。さらに、同僚が心身ともに健康で働けるようにと、彼女が真心込めて取り組んだ環境改善のプログラムが、県知事賞に輝いたのです。
先生が誠実な振る舞いを貫かれる姿に、私たちが実践すべき「人間学」の真髄があると感じます。師の生き方を受け継ぎ、信頼を大きく広げていく決意です。

3 一人一人が広布の勇者
縁する友の幸福を願い、広布に尽くす一人一人がどれほど尊いか。
池田先生は「身軽法重」(身は軽く法は重し、不惜身命で法を弘める姿を表現)との言葉でたたえられています。

■ 池田先生の講義
現代で、この師弟不二の魂を実践しているのは、一体誰か。まさしく世界へ妙法を弘めている私たち学会員にほかなりません。
たとえ人前でうまく話せなくとも、弘教がなかなか実らなくとも、広宣流布を願って御本尊に必死に祈り、地道に活動している人こそが「身軽法重の行者」です。自分の大切な時間を使って、法のために、人のために、行動している勇者なのです。
だからこそ私は、陰に陽に広布に戦う同志の学会員を、仏のように敬い、大切にしてきました。
—◆—
対話に挑戦するなかで、悩む友を前にしても、掛ける言葉が見つからなかったり、必死に語ったけれども、うまく伝わったのか不安になったり——このような思いをした経験が、誰しもあるのではないでしょうか。私自身もこれまで、話そうと思っても、なかなか勇気が出ないという場面が多々ありました。
女子部になってすぐの頃、あるお店の店主の女性と知り合い、「ぜひ、この信心の素晴らしさを知っていただきたい」と祈りはじめました。
しかし、いざ語ろうと思うと緊張し、お店の前で引き返したことも。それでも「私は師子王である先生の弟子じゃないか」と勇気を奮い起こし、再度、お店に向かい、語ることを繰り返してきました。
そのようにして、数年、対話を重ねる中、聖教新聞をお店に置いてくれるようになり、信心や学会のことも、深く理解してくださるようになりました。
店主さんからは「最初はあなたも緊張していたけど、最近はちゃんと話せるようになったわね」と言われ、今ではそのことを思い出しながら、二人で笑い合っています。
そして、こうして一歩ずつ、勇気を出して挑戦をしてきたこと、また、挑戦しようとしている心を、女子部の先輩たちは、いつもたたえ、励ましてくれました。
その一言一言が、どれほどうれしく、自身の力になったか計り知れません。
勇気の行動全てが、何よりも尊い広宣流布の行動であると確信し、同志を尊敬し、互いをたたえ合いながら、前進していきたいと思います。

4 新たな平和の大航海を
先生は、仏法の哲学を持つ創価の青年は世界平和を担う一人一人であると、限りない期待と信頼を寄せられています。

■ 池田先生の講義
釈尊から大聖人、そして創価学会に「最上第一の相伝」として、確かに継承されているのが「当起遠迎当如敬仏」の実践です。
一人ももれなく等しく仏なり。ゆえに、万人を尊敬し、尊重する。
この最上第一の「人間学」を持った創価の青年が、人類の新時代を勝ち開いていきます。
分断から結合へ! 孤立の冷たき闇を、協和の温かな光へ! 悪世の修羅闘諍を、立正安国の世界平和へ!——人類の宿命を転換する本門の地涌の青年が、いよいよ新たな平和の大航海を始めたのです。
—◆—
新時代を開く「人間学」といっても、何か特別なことではありません。目の前の一人を敬い、誠実を貫く日々の地道な行動が、世界平和へとつながっていくことを、先生は、私たち青年に幾度となく教えてくださっています。
私が胸に刻む先生の指導があります。
「苦楽を分かち合って祈る。共に笑い、共に歌い、共に進む。ここに、孤独や不安を深める現代社会にあって、かけがえのない連帯がある。草の根の対話は、地味であり、地道である。しかし、草創の女子部のリーダーたちとも、私は語り合った。——世界広布といっても全ては足元から始まる。足元のできることから一つ一つ着実に積み重ねれば、必ず道は開ける」(2017年1月22日付、「池田先生と共に 新時代を進む」)
この言葉の通り、今、女子部は華陽姉妹との一対一の励ましを積み重ね、地域、社会においても、信頼を一歩ずつ勝ち得ていく対話拡大の挑戦をしています。
その原動力は、師匠の励ましです。
コロナ禍において、聖教新聞や「大白蓮華」等を通して送ってくださる言葉に触れ、何度、生命に勇気の炎をともしていただいたことか。感謝の思いが溢れてきます。
世界中の華陽姉妹が歌う、池田華陽会歌の最後の歌詞は"報恩の「華陽の誓い」喜び果たさむ"。私たち池田華陽会は、師匠への感謝を行動に変えて、自分にしか描けない師弟不二の「人間革命」の歴史をつづり続けていきます。

■ 池田先生の講義
戸田先生は、「大法弘通慈折広宣流布大願成就」の御本尊の御前で、青年たちを紹介して讃えられました。
「皆さん、この青年男女諸君に、どうか期待してください。この若者たちが、この大法戦をやり遂げる人びとです。この青年たちがいる限り、学会は絶対に盤石であります」
私も恩師と同じ心で宣言したい。
「わが愛する創価の青年たちがいる限り、世界の広宣流布は末法万年尽未来際まで絶対に盤石であります!」

さらなる研さんのために
本連載で学ぶ『わが愛する青年に贈る』は、「大白蓮華」に連載中の池田先生の講義「世界を照らす太陽の仏法」の中の、男女青年部への御書講義を収録した書籍です。

2021年2月22日月曜日

2021.02.22 わが友に贈る

◇今週のことば
恩師「地道でなければ
難攻不落の城は築けぬ」
わが支部・地区の城から
一歩また一歩と共進を!
一人また一人と共戦を!
2021年2月22日

如説修行抄 P502
『所詮仏法を修行せんには人の言を用う可らず只仰いで仏の金言をまほるべきなり』

【通解】
結局、仏法を修行するためには、人の言葉を用いるべきではなく、ただ仰いで仏の金言を守るべきである。

名字の言 コンサートで聴衆の喝采が大きくなった理由 2021年2月22日
コロナ禍以前のこと。ある交響楽団のコンサートに行った。全ての演奏を終え、指揮者がカーテンコールに応えて舞台袖とステージを往復し、最後に花束を受け取った。すると指揮者は、そこから数本のバラを抜き、低音の弦楽器であるコントラバスと、打楽器の奏者らに手渡しで贈った▼その日の演奏曲は、華やかな旋律を奏でる高音楽器が花形のものだった。だが、コントラバスが厚みある和音を支え、打楽器が正確なリズムを刻んだがゆえの名演だったと、指揮者は"陰の立役者"をたたえたのだろう。そう感じた聴衆の喝采も一段と大きくなった▼かつて屋外競技場で行われた学会の文化祭でのこと。池田先生が友を激励しながらグラウンドを1周した。スタンド席のあちこちから歓声が響く中、先生の足が止まった。視線の先に一婦人。胸に抱く夫の小さな遺影に先生は合掌した。婦人は涙し、力強くうなずいた▼婦人を信心に導いてくれたのは生前の夫だった。これからも胸中の夫と広布に生き抜くと誓う心の声を、師は心で聞き止められたのだろう▼目を凝らさなければ見えない、耳を澄まさなければ聞こえない"大切なもの"がある。その真実をしっかりと見極めるために、わが生命を磨く。そこから自他共の幸福の社会は建設される。(城)

寸鉄 2021年2月22日
精神荒廃の現代には会長の人間主義思想が必要—博士。我らの振舞で拡大
鳥取広布原点の日。試練の今、周囲に希望の励ましを!山光の誓いは赤々
幸福は君の外ではなく内に—文豪。題目は歓喜の中の大歓喜。祈りを強く
親子の会話は子に語らせる事が重要—医師。聞き上手。これ自主性育む力
りっぱなしの暮らしは死亡リスク高める—研究室内でも体動かす工夫を

☆御書の旭光を 第8回 皆さまの無事安穏を祈念
〈御文〉
『今は遠国に居住候に依りて面謁を期する事更になし、されば心中に含みたる事も使者玉章にあらざれば申すに及ばず歎かし歎かし、当年の大厄をば日蓮に任せ給へ』(太田左衛門尉御返事、1017ページ)

〈通解〉
今は遠国の身延に住んでいるので、お会いすることはかなわない。そうであるから心の中に思っていることも、使者や手紙でなければ伝えることができない。嘆かわしいことである。(あなた〈太田左衛門尉〉が心配している)今年の大厄のことは、日蓮に任せなさい。

〈池田先生が贈る指針〉
福島・宮城などの地震の被災に、心からお見舞い申し上げます。
御本仏は、遠く離れた門下と会えないことを嘆かれつつ、絶大なる励ましを送られています。「梵天・帝釈・日月・衆星も昼夜・朝暮に」守らぬわけがないともお約束です。
大聖人と同じ心で、全同志と共に、敬愛する東北家族の無事安穏を祈りに祈っています。

☆【御聖誕800年】 各国に広がる仏法研さんの喜び 欧州の友から決意の声
◇混迷の時代を照らす太陽の仏法
日蓮大聖人の御聖誕800年を寿ぐかのように、仏法を学ぶ喜びが今、地球を包む時代を迎えている。ここでは、「欧州広布サミット」(1月16、17日)で、池田大作先生の講義「世界を照らす太陽の仏法」を研さんした友から寄せられた声(代表19カ国)を、講義の抜粋と共に紹介する。(抜粋は『人間革命の宗教』から)

『人間革命の宗教』から
日蓮大聖人の仏法は、人間革命の光源として、混迷の現代を生きる民衆に、いやまして勇気と希望の輝きを贈っていくのです。
人間革命は即、生命の変革です。
人間革命は即、宿命の転換です。
人間革命は即、幸福の確立です。
人間革命は即、立正安国の源泉です。
人間革命は即、平和の基盤です。

【スロベニア】
世界広布の出発点は、自身の人間革命であると感じ、希望が持てました。何より、一人の人間革命が、仏法の偉大さを証明するだけでなく、人々にインスピレーションを湧かせることに感動しました。(アレシャ・チュク・アンティチェビチ)

【アイスランド】
2000年に仏法と出合ってから、さまざまな苦難がありましたが、今、「本当に幸せである」と断言できます。日蓮仏法は、勇気と希望の光を、この厳しい世界に生きる人々に送ります。宿命を転換する人間革命は、人に真の幸福と充実を与えてくれます。(ベティ・グンナースドッティル)

【スペイン】
自身と社会の宿命を転換できる"人間革命の人生"を生きられることほど、素晴らしいことはないと確信できました。変革を実現する力が誓願であることも学びました。(カローラ・ベンディンガー)

【ドイツ】
広宣流布の使命を果たすために、あらゆる自身の弱さに果敢に挑戦し、乗り越えなければなりません。自身の人間革命で、周囲を照らし、希望を広げていく、自身の地涌の菩薩としてのアイデンティティーをより深く理解できました。(スザンネ・ファン・クライフ)

【リトアニア】
一人を大切にする重要性を改めて学ぶことができました。友の心に寄り添い、希望を送り、幸福と勝利を祈っていきます。それが私の人間革命への挑戦です。(マリア・キシダ)

☆新池御書☆
『如我等無異と申して釈尊程の仏にやすやすと成り候なり』(御書1443ページ)

『人間革命の宗教』から
師匠の偉大な誓願を、弟子も我が誓願とし、自らの小さな境涯を勇敢に打ち破りながら、他の人々も励まして共に仏道を成就していくのです。いわば不二の弟子の人間革命であり、同じ誓願を抱きしめての魂の継承が、仏法の師弟の道です。

【クロアチア】
日蓮仏法の成仏観に深く感銘を受けました。仏の境涯は、日常から懸け離れた生活で得られるのではなく、現実に生きる日々の中でしか得られないことを学びました。(ジョルジョ・ダシェンツォ)

【チェコ】
師匠の誓願に、自身の誓願を高めることで、自らの境涯を広げ、周りの人の仏性をも開いていけることを学びました。苦しむ人に希望を与え、人類の宿命を転換し、世界を包み込んでいける大きな心を養っていきます。(フラビア・デ・ストラッセル)

【スロバキア】
SGIメンバーであることに誇りをもっています。私たちは、人生の師匠をもつことができた喜びと感謝を、日々の生活で示し、対話の王者となって友情のネットワークを拡大していきます。(アントネッラ・ラポーネ)

【オランダ】
"人類の宿命転換をするために、今、ここにいる"こと、そしてロックダウンの状況下にあっても広宣流布の流れは止まっていないことを自覚しました。日々、人間革命の道を歩んでいきます。(ビル・ムックホク)

【イタリア】
違う地域に住んでいたとしても、時を同じくして、地球規模の幸福と平和の運動に関わる一員であるとの思いを強くしました。社会に対する、暗い雲に覆われたような自身の考えが晴れました。(ミケーレ・ジュゼッポーネ)

「生命尊厳」「人間尊敬」の希望の哲学を人類が希求
『人間革命の宗教』から
自身が十界のどの境涯にあっても、一人の人間の無限の価値を信じ開く妙法を根本として生きることに心を定めれば、必ず、希望の未来が見渡せます。挑戦する勇気が湧きます。不屈の闘志、あきらめない心、粘り強さ、忍耐が生まれます。自身の果たす使命、この世に生まれ出た目的も自覚できるのです。世界の見方が変わり、生き方が根底から変わる。自身の行動で現実を変えていけるのです。(中略)
目の前の具体的な人間——その「一人」を幸福にできるかどうか。宿命を転換し、苦悩の闇を晴らすことができるかどうかです。一人を救えないなら、その宗教は虚妄になってしまう。一人に関わることに、宗教の存在意義の全てがあるのです。

【スウェーデン】
この10年は、人類にとって大事な分岐点です。人々は人種差別、愛国主義、環境の変化などを目の前にして、無力さを感じています。だからこそ、人間革命の宗教である日蓮仏法は、生きた哲学として、多くの人々に、人間の尊厳と、お互いを敬う心を目覚めさせてくれるのだと思います。(ジャネット・シュピューラー)

【ウクライナ】
今、社会には、あらゆる面で不信感が広がり、解決の方途が見当たらない不安感に、多くの人がさいなまれています。自身の生命を見つめ、勇敢に変革することが、一切の出発点となることを教える日蓮仏法が、今こそ求められていると感じています。(ヨシオ・ヤブサキ)

【エストニア】
仏法が、全ての人に仏性を見る、万人に開かれた、差別のない人間主義の宗教であることに、大変に感動しました。目の前の一人を励まし、友の仏界を開く対話で、友情の輪を広げていきます。(ダイゴ・タカギ)

【ポルトガル】
誰も置き去りにしないためにも、眼前の一人を大切に、善知識のスクラムを広げていきます。一人一人が、師匠との誓いを深め、自分らしく、無限の可能性を開けるように、心通わせる対話に取り組んでいきます。(リタ・アマド)

【スイス】
行き詰まりを感じる中でも、相手の仏性を信じ、絶望することなく、希望を届けていこうと決意しました。池田先生の平和への展望を実現するため、報恩の心で皆と楽しく前進していきます。(アレクサンドラ・マサコ・ゴッサンス)

☆松野殿御返事☆
過去の不軽菩薩は一切衆生に仏性あり法華経を持たば必ず成仏すべし、彼れを軽んじては仏を軽んずるになるべしとて礼拝の行をば立てさせ給いしなり、法華経を持たざる者をさへ若し持ちやせんずらん仏性ありとてかくの如く礼拝し給う(御書1382ページ)

『人間革命の宗教』から
「一切衆生に仏性あり」——これが法華経の根本の視座です。生命は最極の宝です。誰一人、大切でない人などいません。この生命尊厳と人間尊敬の根源の視座を知れば、自分を見る目も、他者を見る目も、いな、自分と他者の関係も、根底から変わります。
不軽菩薩は知ったのです。誰かを軽んじることは仏を軽んじることであり、自分自身をも軽んじることになる、と。

【ノルウェー】
自らが地涌の菩薩の使命に目覚め、自身の仏性を開き顕さなければなりません。そして、私たちには、誰もが仏性を具え、尊極なる生命を南無妙法蓮華経で開いていけることを伝えていく使命があるのです。(ツリネ・フルベルグ)

【フィンランド】
私たちが、仏法という素晴らしい生命哲学を持っていることを痛感しました。世界が危機にある時代に、多くの人々に希望をもたらし、いかなる苦境にあっても勝利する道を指し示す広宣流布に生きられることに歓喜しています。(マルヤッタ・バルカマ)

【ルーマニア】
新型コロナのパンデミック(世界的大流行)で、人となかなか会えない昨年、その状況でも対話が進み、友情を深めることができました。今こそ、自分から人とつながっていくこと、絆を強めていくことの大切さを学びました。(リカ・サトウ)

【ギリシャ】
人々の幸せのために祈るから、仏の智慧が湧き、相手の仏性を呼び覚ます対話ができることを学びました。同志と共に、希望の対話の波を起こしていきます。(モニカ・バーミューレン)

2021年2月21日日曜日

2021.02.21 わが友に贈る

学び続ける向上の人は
決して行き詰まらない!
たゆまぬ日々の研鑽が
困難に負けない心を育み
友を励ます力となる。

妙心尼御前御返事 P1480
『このやまひは仏の御はからひかそのゆへは浄名経涅槃経には病ある人仏になるべきよしとかれて候、病によりて道心はをこり候なり』

【通解】
この病は仏の御はからいであろうか。そのわけは、浄名経、涅槃経には病がある人は仏になると説かれている。病によって仏道を求める心は起こるものである。

名字の言 「梅」は春の季語。では「探梅」は? 2021年2月21日
俳句で「梅」は春の季語。だが「探梅」は冬の季語となる。咲き始めた梅を探して歩くことを指す。「探梅のこころもとなき人数かな」(後藤夜半)。この一年は例年と比べて思うように外出できず、梅を一段と恋しく感じた人もいるだろう▼新型コロナの感染が全国的な広がりを見せて一年がたつ。先日、婦人部の友が梅の写真を送ってくれた。家の近くの一輪を、スマホで撮影したもの。「大変な状況は続きますが、心に希望の花を咲かせていきましょう」とのメッセージが添えてあった▼人は花に思いを重ねる。力の開花、個性の開花、可能性の開花……。こうしたたとえは、いずれも、人間の内側にあるものが外に向かって開き顕れる様子を表現している▼花をこよなく愛された日蓮大聖人は、「木中の花」(御書242ページ)と仰せだ。冬枯れの木に花の気配はなくとも、中には花が息づいている。春が来れば必ず万朶と咲く。同じように、ほかでもない自身の胸中に、仏性という無限に広がる"生命の花"があることを示されたのである▼「冬枯れに春の若芽は因果倶時」と池田先生は詠んだ。幸の花を外に探し求める必要はない。苦難の厳冬に立ち向かうわが心中に、見えなくとも花は育っている。冬は必ず勝利の花咲く春となる。(之)

寸鉄 2021年2月21日
「諸仏の成道も信の一字より起る」御書。大確信の祈りを。ここに壁破る力
学会は御書を通し大聖人と直結するのだ—恩師。立正安国の魂を心に刻み
若い頃に叩き込んだ事はいつまでも残る—哲人。青年よ苦労は買ってでも
受験直前に掛ける言葉は「頑張れ」より「大丈夫」!後悔のない挑戦を後押し
歩行者の死亡事故、原因6割は信号無視等の法令違反。油断せず無事故で

〈社説〉 2021・2・21 きょう「国際母語デー」
◇多様性あふれる社会の実現へ
きょう2月21日は「国際母語デー」。1999年11月17日、ユネスコ(国連教育科学文化機関)によって文化や言語の多様性、それぞれの母語を尊重することを推進する目的で制定された。
この日が制定に至った契機は、1952年、命を懸けて母語を守ろうとしたバングラデシュでのデモだった。
当時、バングラデシュはパキスタンの一部(東パキスタン)で、政治の中枢は西パキスタンにあった。
異なる言語を使用していた東西のパキスタンで、政府は西側で主に使われていたウルドゥー語を唯一の国語と規定。さらに抗議デモを行うことを禁止する法律までも作られた。
これに対し、ベンガル語が主に使用されていた東側で、ダッカ大学の学生を中心に2月21日、抗議デモが開かれた。
警官隊が発砲し、死者が出る事態となったが、後に独立を果たしたバングラデシュはこの日を「言語運動記念日」と制定。独立運動の重要な事件の一つとして、人々の心に強くとどめられているという。
現在、世界では6000から7000の言語があるといわれる。ユネスコは2009年2月、世界で約2500に上る言語が「消滅の危機」にあるとしてリストを発表した。日本では「極めて深刻」とされたアイヌ語など8言語・方言が含まれている。
母語は幼時に習得する言語で、生まれ育ってきた環境が影響を与える。
日本語を例にすると、何が大切か。お茶の水女子大学名誉教授の内田伸子氏は、本紙インタビューで「乳幼児期から児童期は母語(日本語)の土台をしっかりと築いてください。英語学習も急がず、まず、日本語で論理的に考える力や文章の流れをつかむ力を付けることです」と強調。その上で、異なる文化に触れることが世界市民の意識を養うと述べている。
1972年に発刊された小説『人間革命』英語版に始まる池田先生の著作の外国語版は、昨年6月にスペインの自治州の公用語であるガリシア語、バスク語の翻訳が出て、50言語となった。両言語とも、かつての独裁政権下では話すことすら禁じられていた。その言語による出版は、地域固有の文化を尊重する取り組みとして歓迎されている。
SGI憲章には「SGIはそれぞれの文化の多様性を尊重し、文化交流を推進し、相互理解と協調の国際社会の構築を目指す」とある。世界192カ国・地域への発展は、この精神が体現された証しといえるだろう。
さまざまな母語を尊重することは、その文化の多様性を尊重することにつながる。多様性あふれる国際社会の実現へ創価の民衆の連帯は一段と輝きを放っていくに違いない。

☆御書の旭光を 第7回 世界広布の旅路を共々に
〈御文〉
『安州の日蓮は恐くは三師に相承し法華宗を助けて末法に流通す三に一を加えて三国四師と号く』(顕仏未来記、509ページ)

〈通解〉
安房国(現在の千葉県南部)の日蓮は、恐れ多いことではあるが、釈尊・天台・伝教の三師のあとを受け継いで、法華宗を助けて末法に流通するのである。それゆえ、三師に日蓮一人を加えて「三国四師」と名付けるのである。

〈池田先生が贈る指針〉
日蓮大聖人の御聖誕から800年。太陽の仏法は地球を照らしている。
御本仏の未来記たる仏法西還、一閻浮提広布を実現した仏勅の教団が創価学会だ。異体同心の学会と共に地涌の誓願を貫く生命にこそ、生死一大事の血脈は流れ通う。
「安州の日蓮」と郷土を誇りとされたお心を拝し、わが使命の天地から立正安国の光を!

☆共生の地球社会へ〜仏法の英知に学ぶ テーマ:核兵器廃絶への挑戦
登場人物
【ミライさん】好奇心旺盛な女子部員。世の中の出来事について、父・ホープ博士と語り合うことを楽しみにしている。
【ホープ博士】勉強熱心な壮年部員。毎月1回、家族と一緒に教学を研さんしている。「博士」はニックネーム。本業は会社員。

◇"生命尊厳"を人類共通の理念に
ミライ 先月22日、「核兵器禁止条約」が発効されたね。

ホープ この条約は、核兵器が全面的に「禁止されるべき対象」とされた、初の国際法だよ。兵器の近代化、小型化が進み、核兵器が「使える兵器」となろうとしている今、条約が発効された意義はとても大きいんだ。
国連が発足した翌年の1946年(昭和21年)、国連総会の第1号決議で核兵器廃絶が掲げられたんだよ。75年の時の重みを考えると、歴史的な節目を迎えたといえるね。

◇元品の無明
ミライ 創価学会も一貫して核兵器の廃絶を訴えてきたけど、その運動の出発点は何になるのかな?

ホープ 1957年(同32年)に、第2代会長・戸田先生が発表された「原水爆禁止宣言」だよ。
戦後、東西冷戦が深刻化し、核実験が繰り返される中、戸田先生は次のように叫ばれたんだ。
「世界の民衆は、生存の権利をもっております。その権利をおびやかすものは、これ魔ものであり、サタンであり、怪物であります」

ミライ 「魔もの」という言葉に、核兵器の存在そのものに対する、強い憤りが伝わってくるね。

ホープ この宣言を継承し、核兵器を"絶対悪"と断じた池田先生は、私たちに重要な視点を教えてくださっている。
「核時代に終止符を打つために戦うべき相手は、核兵器でも保有国でも核開発国でもありません。真に対決し克服すべきは、自己の欲望のためには相手の殲滅も辞さないという『核兵器を容認する思想』です」(「核廃絶提言」、2009年)

ミライ 核兵器の開発、保有、使用等、あらゆる活動を例外なく禁じた条約を、「核兵器を容認する思想」に打ち勝つための人類の共通理念としていかなければいけないね。

ホープ 「自己の欲望のためには相手の殲滅も辞さない」という心の働きを、仏法の眼で捉えていこう。
この働きは、人間の心の奥底に潜む「生命軽視」の魔性によるものとされ、仏法では、「元品の無明」によって生み出されると説かれているよ。
「元品の無明」とは、誰の生命にも具わる根源的な無知のことで、ここから他者の生命への蔑視や、人間の尊厳に対する不信が生まれるんだ。

◇「魔」の産物
ミライ 「元品の無明」について、日蓮大聖人はどのように仰せなのかな?

ホープ 「元品の法性は、梵天・帝釈などの諸天善神として顕れ、元品の無明は、第六天の魔王として顕れるのである」(御書997ページ、通解)と仰せだよ。
「魔」は、古代インドの言葉「マーラ」を漢字で表したもので、仏道修行を妨げる働きのことなんだ。また、「奪命者」「奪功徳者」とも訳され、仏道修行者の心を悩まし、破壊しようとするんだよ。
この「魔」の頂点に立つのが、「第六天の魔王」なんだ。「他化自在天」ともいわれ、権力欲、支配欲として現れるんだよ。

ミライ 自己の思うままに他者を隷属させる——こうした権力の魔性に、人間の心が支配されるから、争いが引き起こされるのね。
人類を何度も滅ぼすほどの危険性を持った、核兵器に「魔」の働きが重なるね。もはや、この脅威に無関係な人がいない以上、無関心では済まされないよね。

ホープ その通り。核兵器は「魔」の産物なんだ! 私たちは、平和建設を阻む「一凶」である、「元品の無明」と対峙しなくてはいけない。
そのためには、自他共に「元品の法性」を輝かせる対話が大事なんだ。それは大変な道だけど、粘り強く語り続けていくしかないんだ。

ミライ 「元品の法性」には、どういう意味があるのかな?

ホープ 私たちの生命に具わる、根本の覚りの生命のことだよ。先の御文を私たちの立場で拝せば、人間の生命に内在する仏性を尊ぶ——つまり、万人の尊厳を人類共通の理念にすることなんだ。
池田先生は、「仏性とは慈悲の生命であり、破壊から創造へ、分断から融合へと向かう、平和を創造する原動力である」と教えられているよ。(小説『新・人間革命』第4巻)

ミライ 仏法の生命観は、他者にも等しく仏性を見いだすことを示しているよね。
だからこそ、意見が合わないような相手とも、必ず理解し合えると信じ、人類共通の平和な社会に向けて、不断の努力を重ねることが大切になってくるんだね。

ホープ 平和とは単に"戦争のない状態"を指すのではないんだ。すべての人々が生きる上での尊厳を脅かされることがなく、幸せな生活を送れる社会を築いていこう。

メモ(治病大小権実違目、997ページ)
仏法では、人間の生命には「善」も「悪」も具わっていると説きます。
善性である「元品の法性」は諸天善神の働き、悪性である「元品の無明」は「第六天の魔王」の働きとなって顕れます。
「元品の無明」とは、生命に具わる迷い、根本的無知のことであり、そこから生命の尊厳への不信が生まれるのです。それは、他者だけでなく、自身の生命の軽視にも通じます。

◇[コラム:"いま"を知る]あすの語り部
IPPNW(核戦争防止国際医師会議)共同会長のティルマン・ラフ博士は、本紙インタビューで「核兵器の真実を知る最良の道」に、被爆者の体験に耳を傾けることを挙げた。さらに、被爆者の言葉が、国際会議の場でも各国の代表の心を動かしてきた事実を紹介している。
被爆体験を聞くたびに、核兵器の使用が引き起こす病や差別、そして死——あまりにも不条理な被害の実相に、胸が押しつぶされそうになる。それでも被爆者は、希望を託すように語っていた。「きょうの聞き手は、あすの語り部」と。
御聖訓に、「言と云うは心の思いを響かして声を顕すを云うなり」(御書563ページ)と仰せだ。
「心の思い」を響かせてこそ、相手の「心に届く言葉」となる。
被爆者の平均年齢が83歳を超える今、"悲惨の記憶"を風化させないためにも、私たちが"平和への願い"を語り継がなければならない。(雅)

2021年2月20日土曜日

2021.02.20 わが友に贈る

「共感」「励まし」「感謝」
心通う我らの座談会には
この全てがある。
伝統の2月の総仕上げへ
創価家族と朗らかに!

王舎城事 P1138
『御勘気を二度までかほりすでに頚となりしかどもついにをそれずして候へば、今は日本国の人人も道理かと申すへんもあるやらん』

【通解】
(日蓮は)流罪を二度までもこうむり、すでに頸の座にもついたけれども、ついに恐れず信仰を貫き通したので、今では日本国の人々も「日蓮の言うことが道理かもしれない」という人もあることであろう。

名字の言 "88歳の青年"から学んだ生き方 2021年2月20日
「88歳の青年!」と評判の快活な壮年がいる。生まれつき目に障がいがあり、盲学校を卒業後、はり・きゅう師になって53年。昨年末には新たな治療院を開設し、経営も順調だ▼入会の動機を伺うと——。「世間には『大変だね』と同情してくれる人はいたけど、学会員さんは全然違った。『心の眼を開いて強く生きよう』って力強く励まされて腹が決まった」と。25歳で入会し、100人近くに弘教を実らせてきた▼当然つらいこともあっただろう。それでも、実に愉快そうに思い出を語ってくださる。仏法対話が実り、うれしさ余って段差につまずき、転んだこと。座談会の帰り道、弾む心で歩いていると柱にぶつかり、たんこぶができたこと。「全部、名誉の勲章」と笑う。「100歳まで仕事も学会活動も現役バリバリで頑張る!」とも▼地位、名誉、経済的な成果……。ともすると人は、目先の利益や目に見える豊かさばかりを追い求めがちだ。だが"近視眼"的な生き方では、真の幸福は見つからない▼御聖訓に「蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり」(御書1173ページ)とある。この"正視眼"の生き方を貫き、真の幸福を示してくれる先輩が、創価の世界にはたくさんいる。ありがたく、誇らしい。

寸鉄 2021年2月20日
学会精神とは信心の炎を燃え上がらせる事—戸田先生。今を悔いなく前進
東京「荒川の日」。誇り高き常勝不敗の民衆城。新時代の凱歌の歴史綴れ
自転車運転の事故や摘発が増。通勤、宅配利用等の拡大で。共にルール順守
国連「世界社会正義の日」貧困・差別の根絶へ。共生の哲学持つ我らの使命大
寒暖差が激しく。適度な睡眠・食事・運動が体調理の鍵。聡明なリズムで

☆四季の励まし 御書は希望・勝利の源泉 2021年2月14日
◇池田先生の言葉
太陽は
万人を平等に照らす。
太陽の光には力がある。
闇を破ることができる。
闇が深い時代にこそ、
人間の持つ
無限大の可能性を開く
宗教が必要となる。
日蓮大聖人の仏法は、
誰人も尊極な生命を持ち、
誰人も太陽の如く
輝いていけることを
説き明かされた
希望の宗教である。
世界は今、
人間主義の宗教を
待望している。

御書には、
何ものも恐れぬ
師子王の心と、
人々を救わずには
おかないという
仏の大慈悲が
脈打っている。
御本仏が直接、
私たちを励まして
くださっているのだ。

少しずつでもいい、
日々、
御書に接していく人は、
自身の生命に、
常に新しい風を
送ることができる。
その清風が、
信心を健康にしていく。
御書は、本当に深い。
拝するたびに
新しい発見がある。
新たな決意が漲ってくる。

大切なのは、
学び続けることだ。
たとえ、学んだことを
忘れてしまっても、
必ず何かが残る。
命が忘れない。
それが、いざという時、
信心の底力になるのだ。
根本の一書を
持つ人間は強い。
一切の勝利の源泉は
御書にある。

御書で学んだ通りに、
実践することである。
その人こそ、
本当の信心の勝利者、
教学の勝利者である。
きょうよりまた、
「信・行・学」という
仏道修行の根本の大道を、
生き生きと
歩んでまいりたい。

【写真説明】凜と咲く蓮の花。気高く清らかな生命の輝きが、見る人の心を打つ。2008年(平成20年)7月、池田大作先生が都内で撮影した。
日蓮大聖人は「蓮はきよきもの泥よりいでたり」(御書1492ページ)と。濁った泥水から大輪を咲かせる蓮の花を通して、厳しい社会の現実と格闘し、けなげに信仰を貫く門下へ真心の励ましを送った。
「御書」には、誤った思想を撃つ破邪顕正の師子吼がある。平和と安穏の社会を築く明解な指針がある。生老病死の苦しみに直面する民衆、迫害と戦う門下への慈愛にあふれている。2月16日は、大聖人の御聖誕から、数えで800年。御書を一段と心肝に染め、希望・勝利の春へ、前進の足音を高めよう。

2021年2月19日金曜日

2021.02.19 わが友に贈る

朝方の冷え込みと
積雪・路面凍結に注意!
日中の気温上昇など
大きな寒暖差も想定し
体調管理を心掛けよう!

曾谷殿御返事 P1056
『何に法華経を信じ給うとも謗法あらば必ず地獄にをつべし、うるし千ばいに蟹の足一つ入れたらんが如し』

【通解】
いかに法華経を信じていても、謗法があれば必ず地獄に堕ちるのである。漆千ばいの中に蟹の足を一つ入れたようなものである。

名字の言 歴史家カーライルの不運 2021年2月19日
歴史家カーライルが『フランス革命史』第1巻を書き上げた時のこと。友人の哲学者ミルが書評を書くために、原稿を借りた。ところが、ミルのお手伝いさんが、原稿を不要な紙と勘違いして焼却してしまう▼数カ月に及ぶ執筆の苦闘は、一瞬で灰と消えた。それでもカーライルは、謝罪に来たミルを懸命に励まし、翌日には重ねて「友よ、元気を出すんだぞ!」「ぼくはふたたびそれにかかる」(入江勇起男訳)と手紙につづった▼実際には、カーライルの落胆は大きく、何も手につかない日が続いた。だが、"第一に貴いのは、この艱難を耐え再び筆を執ること"と奮起し、半年後に再び原稿を完成させた▼思わぬ苦境に陥った時、その原因をつくった人さえも励ます。そんな心の強さをカーライルは持っていた。余裕があるから、人を励ませるのではない。自らが戦っているからこそ、人を励ませるのである▼この出来事を通して、内村鑑三は記した。「不運にあっても(中略)事業を捨ててはならぬ、勇気を起してふたたびそれに取りかからなければならぬ」(『後世への最大遺物』岩波文庫)と。人生に思わぬ難局はつきもの。その運命を引き受け、周囲を励ましながら、不屈の一歩を踏み出す。そこから"勝利の自分史"は紡がれる。(芯)

寸鉄 2021年2月19日
会長は相手から学ぶ勇気を教えてくれる—博士。互いに啓発し合う対話道
第2宮城総県の日。試練越え希望と勝利の春へ。さあ地域に励ましを拡大
「心の内に仏はをはしましける」御書。不屈の生命引き出す題目を朗々と!
青年の強みは燃ゆるが如き情熱—戸田先生。若師子よ!新しき開拓を頼む
温室ガス削減で年間数百万の命が救えると。気候危機は人道問題と銘記し

☆不二の旅 池田先生と東北 新たな希望のドラマを
〈宮城〉
仙台市の青葉城址で、戸田先生が永遠の指針を示した"青葉の誓い"——この師弟の原点から40周年を記念する勤行会で、池田先生は"言葉の力、声の力で広宣流布を"と望んだ(1994年9月、東北池田記念墓地公園で)

〈岩手〉
池田先生が、盛岡市の岩手県営体育館で行われた記念撮影会に出席。「幸せは自分でつくる以外にないんです」と励ました。この折に先生が示した「希望と開拓の岩手」とのモットーは、永遠の指針として刻まれている(1972年7月)

〈青森〉
青森広布の礎を築いた功労の友らを池田先生がねぎらう(1994年8月、十和田市の東北研修道場で)。15年ぶりとなった青森での激励行は6日間にわたり、スローガン「伸びゆく楽土 世界の青森」が発表された

〈秋田〉
1982年1月、池田先生は、宗門事件の嵐を越えてきた秋田の同志のもとへ。吹雪に胸はり いざや征け——「人間革命の歌」を高らかに、共に正義の勝ち鬨を轟かせた師弟のドラマは、友の不滅の原点と輝く

〈山形〉
完成間もない山形池田講堂(現・山形平和会館)を訪れ、未来の鳳雛に慈愛のまなざしを注ぐ(1983年4月18日)。同日の第1回山形県総会では、「桜梅桃李」の原理を通し、"自分らしく輝く人生を"と呼び掛けた

〈福島〉
1995年6月の福島指導で、帰京の直前まで友との交流を深める池田先生(福島研修道場で)。「東洋の スイスと讃えむ 福島の 宝の天地は 人材宝庫と」との和歌を詠み贈った

◇東北の友に贈った指針
新しき前進! 新しきエネルギー! そのためには、何が必要か。
それは、自分から、まず「何かに動く」ことである。「何かを始める」ことである。「何かのドラマをつくる」ことである。それしか方法はない。それをやったところが勝つ。
御本尊を持つ人は、決して行き詰まらない。妙法は、永遠の宇宙の法則だからである。それを持っているのだから、何があっても困らない! 絶対に負けない! この確信が信仰である。
それなのに、すぐに悲観し、弱気になるのは、信仰ではない。そういう「弱い心」だから、苦しんでしまう。
永遠の大法則であるゆえに、勝つに決まっている! 幸福になるに決まっている! 楽しい人生になるに決まっている! そう"決めて"胸を張って進んでいただきたい。
朗らかな出来事がなければ、自分でつくればよい。希望がなければ、自分で希望をつくればよい。心は自由自在だからである。
いわんや、妙法という「自在の大法」を持っている皆さまである。
戸田先生は、遺言のように言われていた。
「人間の妬みほど、恐ろしいものはない。人間の魔性ほど、怖いものはない。ゆえに、汝自身に力をつけよ! 汝自身に悔いのなき信念をもて!」と。
激動の時代になればなるほど、一人一人が、いよいよ力をつけることである。いよいよ強くなることである。
自分も勝つ。皆も勝つ。これが「民衆勝利」の原則である。
(第15回本部幹部会・第7回東北総会<1997年9月>、第38回本部幹部会・第10回東北総会<99年10月>でのスピーチから抜粋)

2021年2月18日木曜日

2021.02.18 わが友に贈る

受験シーズン最終盤。
奮闘する友よ 負けるな!
最後まで諦めず挑む中に
勝利の人生を開きゆく
青春の土台が築かれる。

経王御前御書 P1123
『如何に申さじと思うとも毀らん人には弥よ申し聞かすべし』

【通解】
どんなに、言うまいと思っても、妙法を毀る人には、いよいよ強く、言い聞かせなさい。

名字の言 ニュースキャスター・国谷裕子さんが決めた、ある覚悟 2021年2月18日
長年、報道番組でキャスターを務めた国谷裕子さんは、これまでに多くのインタビューを行ってきた▼国谷さんが、映画俳優の高倉健さんにインタビューした時のこと。事前に出演映画を見続け、資料も大量に読み込むなど万全の準備で臨んだ。しかし実際の場面では、いくら質問を重ねても、短い答えが返ってくるだけ。そこで彼女はある覚悟を決めた▼それは、話が途切れても、相手が話し始めるのをじっと待つこと。すると17秒の沈黙の後、静かに高倉さんが話し始めた。沈黙は「高倉さんにとって自分の話すべき言葉を探している大事な時間だった」と国谷さん。「『待つこと』も『聞くこと』につながる」と(『キャスターという仕事』岩波新書)▼会話が途切れると、つい言葉を発したくなる。だが相手は、伝える言葉を必死にまとめているのかもしれない。言うに言われぬ苦悩を抱えている場合もあるだろう。表情の微妙な変化や声の調子に気を配り、相手を最大に尊重する——「目」と「耳」と「心」で聞くことを大切にしたい▼池田先生は「聞いてあげること自体が、仏法で説く慈悲の実践、『抜苦与楽』の『抜苦』となるのだ」とつづる。友の幸福を真剣に祈りながら、どんな相手をも温かく包み込む"聞き上手"でありたい。(巍)

寸鉄 2021年2月18日
「讃むる者は福を安明に積み」御書。さあ座談会!体験を語り合い共に前へ
九州壮年部の日。同志の心に燃える先駆の誇り。勇んで励ましの対話拡大
庶民の手で世界を変える学会の活動は希望—博士今日も目の前の友のため
コロナストレスで鬱症状—高校生3割。寄り添う心常に。SOS見逃さず
警官装い銀行カード持ち去る手口が多発。高齢者狙う詐欺だ。絶対渡すな

☆不二の旅 池田先生と中国方面 今こそ「まことの時」 勇んで前へ
<広島>
1986年6月の広島指導の折、池田先生は太田川に沿った道へ。かなたには、同志が躍動する広島市安佐南・安佐北区の天地や中国山地の山々が。この10年前にも先生は太田川沿いを友と散策。「妙法の 轟きわたる 広島に 右に左に 幸の花咲け」などの和歌を詠み贈っている

<岡山>
未来部の代表との記念撮影で、後継の友を励ます池田先生(1985年5月26日、岡山文化会館<現・岡山南文化会館>で)。この前日に行われた代表者懇談会で、先生は「限りなき前進の岡山」とのモットーを贈った

<山口>
山口開拓指導のさなかに池田先生が贈った書「山陽広布の黎明の聖鐘(かね)を打とう」
山口開拓指導の折の記念撮影(1956年11月16日、柳井市で)。延べ22日間で、当時の山口の会員世帯数を約10倍とする弘教を達成した

<鳥取>
"日本一美しい、憧れのふるさと山光を"——池田先生が万感の思いを語った第1回「山光総会・音楽祭」から2日後、先生は米子文化会館で行われた代表記念勤行会に出席。同志の奮闘をたたえた(1991年9月10日)

<島根>
池田先生ご夫妻が安来会館を初訪問。友の真心こもる展示物を丹念に観賞した(1991年9月9日)。同日行われた島根県代表幹部会の席上、先生は「山光と たれがつけたか この光彩 日々の輝き 山陰消えたり」との和歌を贈った

<中国の友に贈った指針>
人生は、ともかく「勝つ」ことである。
「勝つ」ということは、人生を愉快にする。幸福にする。満足をもたらす。
自身の課題に挑み、一歩一歩勝利する。これほど充実した、愉快なことはない。
「仏法は勝負」と、日蓮大聖人は教えてくださっている。また、一切法はこれ仏法なるがゆえに"一切が勝負"なのである。
どこまでも伸び、どこまでも生きぬいていく——人生は休みなき自己への挑戦である。
戦いをやめれば敗北が待っている。否、挑むことをやめた人生は、もはやその時点で"生きながらの死"となってしまう。
生きて生きて生きぬくこと——これが一つの人生観の精髄である。その闘争の原動力こそ「信心」なのである。
同じ戦う一生ならば、後ろ向きよりも、勇んで進んだほうが得である。楽しいし、信心の功徳も大きい。
"なぜ自分は、こんなたいへんな所に来てしまったのか"などと嘆くよりも、"苦労が大きいほど勝った喜びも大きい。成長も大きい。充実も大きい。わが人生も大きくなる"と、一念を決めたほうが価値的である。その一念が、苦労をすべて幾百倍、幾千倍もの福徳に変える。
「まことの時」。今が、その「時」である。私どもは進む。大聖人の仰せのとおりの道を行く。
絶対に正義であるゆえに、恐れないし動じない。そんな必要は微塵もない。一切は「時」とともに明らかとなろう。御本仏が私どもの最大の味方であられる。勝利しないはずがない。
「戦う人間主義」が、わが学会である。徹底的な大闘争心が学会精神である。信仰に妥協はない。また信心は口先ではない。行動である。結果である。
皆さまのために、皆さまの戦いで、この中国に、どうか「広宣」と「人間主義」の壮大なる民衆山脈を築いていただきたい。
(第1回中国総会<1991年3月>でのスピーチから抜粋)

2021年2月17日水曜日

2021.02.17 わが友に贈る

広宣流布の拡大の鍵は
一対一の励ましにある。
真心からの声掛けで
同志と絆を強く結び
幸の薫風を送ろう!

阿仏房御書 P1304
『今阿仏上人の一身は地水火風空の五大なり、此の五大は題目の五字なり、然れば阿仏房さながら宝塔・宝塔さながら阿仏房此れより外の才覚無益なり』

【通解】
今、阿仏上人の一身は、地・水・火・風・空の五大である。この五大は題目の五字である。それゆえに阿仏房はそのまま宝塔であり、宝塔はそのまま阿仏房である。

名字の言 紛争地域の人々が広島を訪れ、元気になった理由 2021年2月17日
「人の最大の悲しみは『命を失う』こと。突き詰めれば『命を失う』最大の暴力が戦争。だから私たちが『生き抜きましょう』と呼び掛けると、世界のほとんどの人が理解してくれるのです」▼こう語るのは、英語で被爆体験を証言する広島の被爆者。増加傾向にあるとされる紛争や暴力で苦しむ人々は、被爆者に会いたいと望むという。こんな話を教えてくれた▼中東の紛争地域から広島を訪れたグループがいた。彼らは古里を破壊され、身内や友人を失った。そんな彼らが日を追って元気になっていく。理由は二つある。一つは、被爆者と交流し、生きる力をもらったから。もう一つは、不死鳥のようによみがえった街を見たからだった▼中東の人たちは頭を上げた。「原爆で広島の街は壊滅したけど、人々の心までは壊せなかった。生き残った人がその心を継ぎ、今の素晴らしい広島をつくったんだ。僕らだって復興できるんだ!」▼世界の人々が被爆者を求めるのは、自分たちの悲しみや心の痛み、恐怖などを分かってくれると思うからだろう。同じ経験はできないが、相手の状況を人ごとではなく、自分のこととして捉え、想像力を働かせる「同苦」の心を忘れまい。それが相手に寄り添うことである。生きる力を贈ることになる。(側)

寸鉄 2021年2月17日
いよいよ法華経こそ信心まさり候へ—御書。苦難の時ほど強き祈りで前進
農漁光部の日。命支える聖業に感謝!地域照らし心結ぶ共生世紀の灯台と
広布は私がやるとの心で己を磨け—恩師。ここに新たな歴史が。壁破ろう
「簡単に儲かる」等と騙る情報商材が若者に蔓延。甘い囁きに惑わされるな
きょう医療従事者に先行接種開始。マスク、3密を避ける等の対策も弛まず

〈社説〉 2021・2・17 きょう農漁光部の日
◇試練の時こそ"地域の灯台"と
「『農』に従事する方々への深い『感謝の心』をもつことは、『人間らしい社会』を築くうえで不可欠の要件であり、とくにこれからの時代、地球市民としての重要な資質となる」(『「緑の革命」と「心の革命」』)。
池田先生は、インドの農学者スワミナサン博士との対談で、食を支え、人間文化を支える農業従事者に感謝することの大切さを語った。
2月17日は「農漁光部の日」である。農村部(当時)が結成されて4年後の1977年のこの日、農村・団地部の第1回勤行集会が開かれ、席上、池田先生は「妙法の下種に励みゆく地域の灯台——農村部たれ」との指針を発表。この集いが「部の日」の淵源となった。
今、新型コロナウイルス感染症の拡大は、農林水産業にも深刻な影響を及ぼしている。外食産業の需要低迷により、米や野菜の取引量が減少し、価格も下落した。その中で懸命に奮闘を続ける農漁光部の友に深く敬意を表したい。
岩手・遠野市でワサビ農家を営む圏男子部長も、コロナ禍のあおりを受けた一人だ。
彼が生産する"根ワサビ"は一昨年、県の品評会で最高賞に輝くなど高い評価を。だが昨年、取引先が次々と営業自粛になり、受注が減少。"何か手を打たなければ"と思案した彼は、まず真剣に祈った。
すると、創価班での薫陶で培った"一人立つ精神"が湧き上がった。受け身の姿勢ではなく、自分から行動を起こそうと決意。行政と協力した特産品のPRやSNSでの情報発信などに積極的に挑戦した。
また、新たな販路開拓なども推進。そんな姿が周囲にも活力を呼び起こし、昨秋、地域誌で紹介された。
父と共に水産加工会社を営む宮城・気仙沼の地区部長。港町の活気が年々失われていると危惧していた10年前、東日本大震災に見舞われた。自身も工場と自宅が流失した。
だが、親子して"創価の金看板"を掲げてきた自負があった。再起を誓い、一から工場を再建。さらに"地域の未来を開きたい"と、三陸の海産物を全国へネット販売する会社を仲間と設立し、話題になった。
コロナ禍で、本業は深刻な影響を受けたが、新会社の売り上げは好調で、本業にも相乗効果が波及。今も"攻めの挑戦"を続ける。
池田先生は、農漁光部の友に呼び掛けた。「一番、苦労した人が、一番、幸福になる。これが、(日蓮)大聖人の仏法です」「農漁光部の宝の同志は、この仏法の絶対勝利の法則を、先頭に立って示し抜いていく証明者なのです」と。
未曽有の試練の時だからこそ、命を支える誇りと、妙法に根差した知恵の行動で、"地域の灯台"と輝く農漁光部——尊き同志の絶対勝利を祈ろう。

☆池田華陽会御書30編 減劫御書
◇信心根本に輝く日々を
今月は「減劫御書」を学びます。池田先生はつづられています。
「各人の生活と人生の中に脈動してこそ、真の仏法です。(中略)信心を根本に、どこまでも現実の生活を大切にして努力し、皆で励まし合いながら"前へ前へ"と前進し、勝利の春を迎えていくのです」「信仰によって希望が生まれ、自身の人生の根本目的が明確になる。ゆるぎない基盤が固まり、挑戦する勇気が生まれ、忍耐の力が漲るのです。その歓喜は絶大です。これこそが、真実の信仰です。生命変革の仏法であり、人間革命の宗教です」
伝統の2月。「信心即生活」の生き方を心に刻み、一日一日を勝ち進んでいきましょう!

◇本抄について
本抄は、日蓮大聖人が建治2年(1276年)ごろに認められたお手紙とされ、内容から、駿河国(静岡県中央部)の門下・高橋六郎兵衛入道が亡くなった後、その縁者に送られたものであると考えられています。
題号の「減劫」とは、人々の心の貪瞋癡(貪り・瞋り・癡か)の三毒が盛んになるにしたがい、人間の生命力が衰えていく時代のことです。
本抄の御執筆当時、再びの蒙古襲来に対する不安と恐怖が国中に広がり、人々は大きく動揺していました。
大聖人は本抄で、誤った教えを用いることこそ、民衆の不幸の根本原因であることを示されます。さらに、大悪は大善の起こる前兆であり、今こそ妙法が広宣流布することは疑いないとの確信を述べられます。

◇御文
『法華経に云く「皆実相と相違背せず」等云云、天台之を承けて云く「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」等云云、智者とは世間の法より外に仏法を行ず、世間の治世の法を能く能く心へて候を智者とは申すなり』(御書1466ページ13行目〜15行目)

◇通解
法華経法師功徳品第19には、「(法華経を受持し抜いた人が世間のいかなることを説いても)全ては実相(仏法)に違背しない」とあり、天台大師はこれを受けて、「一切の日常の生活や社会の営みは、みな実相に違背しない」(法華玄義)と言っている。
智者とは、世間の法から離れて仏法を行ずるのではない。世間において、世を治める法を十分に心得ている人を智者というのである。

◇解説
仏法は、現実に一人一人の幸福を勝ち開くための教えです。
本抄で大聖人は、まず「減劫」の考え方に基づき、「今の代」(御書1465ページ)、すなわち現在の「末法」は、心身の生命力を奪う貪瞋癡の三毒がますます強くなり、仏法の上からみても、最も困難な悪世の時代であることを示されます。
さらに「今、末法の悪世においては、世間の悪よりも、むしろ仏教の法門によって大悪が生じている」(同1466ページ、趣意)と仰せです。
この当時、本来であれば、仏法の智慧をもって人々を救うべき諸宗の僧たちが、民衆救済という根本の理想を見失い、「万人成仏」という仏の真意が説かれた法華経を誹謗していました。一方で、彼らは自らを「智者」のように見せ、人々の尊敬を集めていたのです。
大聖人は本抄で、このような僧に供養することは"仏教を実践し、善根を積んでいるつもりでも、実際には大悪を行ってしまっているのである"と警鐘を鳴らされます。そして、末法において人々の幸福と社会の安穏を築くのは、「仏の智慧」を持った真の「智者」による、現実変革の戦いであることを述べられました。
「仏の智慧」とは"宇宙の森羅万象(諸法)は、すべて妙法(実相)である"との、法華経に説かれる「諸法実相」の法理です。この法理を踏まえ、大聖人は掲げた御文で、仏法における真の「智者」の在り方を明らかにされていきます。
はじめに、法華経法師功徳品第19の経文と、それについての解釈を挙げ、生活や社会の事象は「皆実相と相違背せず」、すなわち、すべて仏法そのものであることを確認されます。
ゆえに真の「智者」とは"決して世間から離れて仏法を行じることはない"と仰せです。大切なのは、現実の中で仏法の智慧と慈悲の力を発揮し、自他共の幸福に尽くすことです。
"現実のあらゆる事象が、すべて妙法である"との「仏の智慧」は、私たちが、どんなことにも「信心」を根本に向き合い、挑戦する"生き方"の中に輝きます。
創価学会には"決めて、祈って、行動する"という勝利のリズムがあります。一人一人が、自身の夢や願い、また、一日の目標を掲げて題目を唱え、"必ず勝つ"と決意を深める。そして、祈った通りに挑戦し、現実の中で勝利する。この勝利のリズムの前進が「信心即生活」の実践です。
目の前の課題を、一つ一つ、祈って挑戦し、華陽姉妹と共に大成長の日々を送っていきましょう。

◇池田先生の指針から
真実の仏法は、仏とは現実を離れた世界にいるのではない、わが心こそ最も尊厳なる仏の生命であると、自身の中から現実の苦悩を乗り越える力を引き出す教えです。
「智者とは世間の法から離れて仏法を行ずるのではない」——この一言を、私たちは、あらためて深く胸に刻みたい。(「大白蓮華」2021年1月号「世界を照らす太陽の仏法」)
◇ ◆ ◇
一日一日の勝利が真の勝利です。その積み重ね以外に、人生の大勝利もありません。
一人一人が、日々の生活を営むその場所で、人生の幸福と勝利の花を咲かせ、励ましの輪を広げる。それが、「人間革命」即「社会変革」への最も確かな道です。「立正安国」即「世界平和」という間違いのない軌道です。(同)
◇ ◆ ◇
断じて勝ってみせると決める。真剣に祈る。そして勇敢に行動する。やりきったことが、すべて永遠の財産となる。
「決めて」「祈って」「行動する」——この勝利のリズムで、新たな広布の開拓闘争を勝ちまくれ!(『勝利の人間学』)

研さんのために
〇…『勝利の経典「御書」に学ぶ』第7巻(聖教新聞社)

2021年2月16日火曜日

2021.02.16 わが友に贈る

日蓮仏法は「万年の外・
未来までもながるべし」。
全人類の幸福・安穏への
祈りと行動を根本に
生命尊厳を時代精神へ。

観心本尊抄 P254
『天晴れぬれば地明かなり法華を識る者は世法を得可きか』

【通解】
天が晴れるならば、地はおのずから明らかとなる。同様に、法華経を知る者は世間の法をもおのずから得るであろう。

名字の言 東北の友に心を重ねて 2021年2月16日
「3・11」の余震とされる地震が13日深夜、東北地方を襲った。福島県浜通りでコンビニエンスストアを営む壮年部員は「揺れは10年前に匹敵するほどだった」と語る。商品が崩れ散らかった店には、すぐさま従業員らが復旧に駆け付けたという。10年前、店を営業することが、いかに地域を勇気づけたかを、身をもって知るからだろう▼壮年は続けた。「片付け終わると配送トラックが来て、次々と商品を補充し、朝8時半には開店できた。物流が止まらなかったことが大きかった」▼流れを止めない——それは前を向き、歩み続けることを意味する。44年前の3月、池田先生は福島の地で「広宣流布は"流れ"それ自体である」と語った。未来へ、その流れを強く大きくしていく重要性を訴えた。変わらぬ思いで、この10年を前進してきた東北の同志の姿が胸に迫る▼先の壮年の住む地域には高村光太郎の詩「開拓十周年」を刻んだ記念碑がある。詩には「見わたすかぎりはこの手がひらいた十年辛苦の耕地の海だ」「開拓の危機はいくどでもくぐろう 開拓は決して死なん」と、強靱な負けじ魂をつづった一節がある▼フェニックス(不死鳥)のごとく、今も東北の友は苦難に屈せず、復興の大道を切り開いている。私たちも心を重ねて共に進もう。(城)

寸鉄 2021年2月16日
大聖人御聖誕800年。試練の時代に民衆救済の大法持つ我ら。使命に胸張り
千葉の日。源流の誇りに燃えて励まし拡大!有縁の天地に輝く希望の旭日
できない事を嘆くよりもできる事を探す。仏法は価値創造の源。さあ挑戦
野菜・果物が含む物質は免疫力を向上と。食生活賢く。「食は命」と銘記し
マスクは密着せねば効果減。着用は隙間なく。今が勝負と距離確保も忘れず

☆希望・勝利の師弟旅 賢者の勇気と巌窟王の忍耐 2021年2月11日
恩師・戸田城聖先生の生誕の日を、年々歳々、広がりゆく世界の友とお祝いできることは、何ものにも代え難い喜びである。
戸田先生は1900年の生まれであられたから、121年となる。今年の晴れの新成人は、2000年、2001年の生まれであり、ちょうど100歳の開きがある。
創立100周年へ第1回の青年部幹部会が、戸田先生と牧口先生の肖像画が見守る東京戸田記念講堂で行われ、今、全国に配信されている。
21世紀の「地涌大歓喜」の若人たちの英姿を、両先生が誰よりも喜んでくださっているに違いない。
◇ ◆ ◇
戸田先生と一緒に拝した御聖訓が蘇る。
「夏と秋と冬と春とのさかひには必ず相違する事あり凡夫の仏になる又かくのごとし、必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退くこれなり」(御書1091ページ)
人生と社会のどんな事態にも、「賢者はよろこび」と立ち向かっていく「勇気」を、先生は青年に示された。
時には断崖絶壁に立たされ、「もう、これでおしまいか」と落胆することがあるかもしれない。しかし、その時こそが信心の勝負どころであり、宿命転換のチャンスなのだ。
「さあ来い、負けてたまるか」と勇み戦えば、障魔は必ず退散する。そして、巌窟王の如き忍耐で「今に見よ」と辛抱強く頑張り抜けば、あとになって、本当に良かったと、爽やかに思い返せるものだ。
◇ ◆ ◇
恩師の遺訓の第一である「核兵器の廃絶」への挑戦も不撓不屈の執念の行動だ。
戸田先生のもと私が編集していた雑誌『少年日本』で、原爆の悲劇を主題とする小説を掲載したこともある(1949年11月号)。
被爆直後の広島で、母たちを支え、友と励まし合ってたくましく立ち上がる子らが描かれた物語である。
当時は、まだGHQ(連合国軍総司令部)の検閲があったが、若き心の大地に平和の種を蒔きたかったのである。厳しい経営難の中、先生が広島や長崎をはじめ各地の新聞に広告まで出してくださったことも忘れられない。
先月には、かけがえのない重みを持つ「核兵器禁止条約」が遂に発効した。
世界の良心の連帯が、いやまして求められている。
その尊き担い手たる、わが国際本部は、きょう11日、団結固く結成50周年の佳節を迎えた。
恩師の名を冠する「戸田記念国際平和研究所」も、意義深く創立25周年の歴史を刻む。
差別を共生へ、憎悪をも友情へと、人類史を転換しゆく壮大なる「人間革命」と「立正安国」の旅路は、いよいよこれからだ。
創価の青年を先頭に、「賢者の勇気」と「巌窟王の忍耐」でスクラムを組み、地球民族の未来に平和と人道の春を呼ぼう!

2021年2月15日月曜日

2021.02.15 わが友に贈る

新聞休刊日

三三蔵祈雨事 P1468
『されば仏は善知識に値う事をば一眼のかめの浮木に入り梵天よりいとを下て大地のはりのめに入るにたとへ給へり』

【通解】
それ故、仏は善知識にあうことを、一眼の亀が浮き木に入るようなものであり、梵天から糸を下ろして、大地にある針の目に通すようなものであると譬えられている。

☆御書の旭光を 第6回 全民衆の幸福の大道を進め
〈御文〉
『此の経文は一切経に勝れたり地走る者の王たり師子王のごとし・空飛ぶ者の王たり鷲のごとし』(千日尼御前御返事、1310ページ)

〈通解〉
この経文(法華経)は一切の経文に勝っている。地上を走るものの王である師子王のようであり、空を飛ぶものの王である鷲のようなものである。

〈池田先生が贈る指針〉
戸田先生は、学会は「宗教界の王者」なりと宣言された。王者なれば、混迷の時代にこそ民衆に希望を、青年に勇気を、社会に安寧を!——これが恩師から託された使命である。
恩師の生誕月「伝統の2月」。皆で励まし合い、人間王者、生命王者の大道を進もう! 全民衆の幸福のために、師子王の如く、大鷲の如く。

☆御書カフェ 華陽姉妹の語らい 2021年2月9日
◇御文
『設ひ・いかなる・わづらはしき事ありとも夢になして只法華経の事のみさはくらせ給うべし』(兄弟抄、1088ページ)

◇通解
たとえ、心を煩わせる、どのようなことがあっても、夢のようなものだと思って、ただ法華経のことだけに専念していきなさい。

◇教えて
「負けない心」を強くしていきたいです。

◇池田先生の指導
苦難に直面した時には、自分一人で悶々とあれこれ嘆く前に、まず決然と御本尊に向かって題目を唱える。その真剣な祈りから挑戦を始める。
そして、同志と語り合い、支え合いながら、強く賢く朗らかに打開していくのです。(中略)
「何があっても題目」と決めた青春には、断じて行き詰まりはありません。
「勝つ」こと以上に、自分の弱い心に「負けない」ことが大事です。ひとたび負けても次は負けないという挑戦にこそ、自分の人間性を高め、可能性を開く最高の鍵があるのです。(2019年7月号「未来ジャーナル」掲載の「誓いの明日へ——日蓮門下を語る」)
◇ ◆ ◇
真剣に題目を唱えていけば福運がつき、自身が成長していきます。ゆえに、現実がどんなに厳しくとも、希望を捨ててはいけません。御本尊への大確信をもってもらいたい。皆さんには、何があっても妙法がある。この永遠不滅の法がある限り、人生の大勝利者になれないわけがない。(『新・人間革命』第30巻〈上〉「雄飛」の章)

2021年2月14日日曜日

2021.02.14 わが友に贈る

◇今週のことば
「日蓮に共する時は
宝処に至る可し」
御本仏と共に
立正安国・立正安世界へ
幸と平和の仏縁を!
2021年2月14日

聖愚問答抄下 P500
『人の心は水の器にしたがふが如く物の性は月の波に動くに似たり、故に汝当座は信ずといふとも後日は必ず翻へさん魔来り鬼来るとも騒乱する事なかれ』

【通解】
人の心は水の器の形にしたがって変わるようなものであり、物の性質は月影が波に動くのに似ている。ゆえにあなたはしばらくは信ずるといっても、後日になってからかならず心を翻すであろう。しかし魔が来ても鬼が来ても、けっして心を乱してはならない。

名字の言 大分の婦人を支えた池田先生の長編詩 2021年2月14日
かつて、黒澤明監督の映画「生きる」を見た。重い病になった主人公が、残された命の限りを尽くし、一つの事業を成し遂げる物語だ▼今生きている日々の時間は、かけがえのない貴重なもの。頭では分かる。だが、心で感じ、一日一日を大切に過ごしているだろうか。命と時間の貴さについて、深く考えさせられた▼大分市のある婦人は二十数年前、夫を病で失った。泣きじゃくる幼い息子を見て、胸が締め付けられた。不安、孤独に押しつぶされそうになった時、彼女を支えたのは、池田先生が大分の地で発表した長編詩「青年よ 21世紀の広布の山を登れ」だった▼「いかなる苦衷の最中に入っても/希望を失うな!」「私は 君達を信ずる!/君達に期待する!」……。先生の魂のほとばしりともいえる一節一節に触れるたび、負けじ魂が湧き上がった。"息子を立派に育ててみせる""夫の分まで広布に尽くす日々を"。彼女はピアノ教室で生計を立て、息子を創価大学に送った。今、婦人リーダーとして友を励まし、幸を広げる対話の先頭に立つ。「毎日、完全燃焼します!」と▼なぜ「広布の山」に登るのか——。それは命が躍動するから。きょうという一日が、今この瞬間が、最高に輝くから。まぶしい婦人の笑顔がそう伝えてくれた。(実)

寸鉄 2021年2月14日
「一切法皆是仏法」。地域を大切に。爽やかな挨拶、誠実な振舞で友情の絆を
岡山の日。拡大の発火点が同志の誉れ。希望の春呼ぶ勇気の対話を今こそ
青年幹配信、きょうまで。次代担う頼もしき誓い—この渦にわが家の後継も
「人生は航海なり」文豪。信仰の羅針盤を持つ人は波浪に負けぬ。大確信で
大気汚染は感染重症化の遠因と。地球守れば命も守られる。依正不二は光

〈社説〉 2021・2・14 日蓮大聖人御聖誕の日
◇"立正安国の誓い"を新たに
2月16日は、日蓮大聖人の御聖誕800年の大佳節である。私たちはその日を、人類が未曽有の感染症と闘う中で迎える。この危機の時代を生きる今こそ、末法の御本仏・日蓮大聖人の崇高な御生涯を学び、民衆救済への大情熱と、不屈の精神を拝していきたい。
大聖人がお生まれになった、貞応元年(1222年)の前年に、朝廷と鎌倉幕府との間で合戦が勃発(承久の乱)。幕府軍の圧勝により、朝廷の権威は地に落ち、それまでの社会秩序は崩れ去った。災害、疫病、飢饉等も続発した。
"苦悩の民衆を救い切る大法は何か""混迷する社会を照らす宗教とは"——大聖人は、その本質を求めて、一切経を研さんされ、仏法を学び究められた。そして、法華経の肝心たる「南無妙法蓮華経」こそ、万人成仏の根本法であるとの確信から、御年32歳で立宗を宣言し、妙法弘通の御闘争を始められたのだ。
同時に、正法を誹謗する勢力による迫害が競い起こる。なかでも、竜の口の法難では「頸の座」に臨まれ、2年半に及んだ佐渡流罪では、過酷で不自由な環境に置かれ、命の危険にもさらされた。さらに、門下も多くは退転した。
その窮地にあって、大聖人は大難と戦う御境涯を、諸御抄で認められている。
「当世・日本国に第一に富める者は日蓮なるべし」(御書223ページ)、「流人なれども喜悦はかりなし」(同1360ページ)——成仏の境涯、真の幸福とは環境や境遇に決して左右されないことを、御自身の姿をもって示されたのである。
"万人に具わる、尊極な仏界の生命を開くことで、絶対的な幸福境涯を築くことができる"との大確信に、当時の門下もどれほど励まされただろう。
大聖人は、門下一同に成仏の軌道を歩むための要諦を示されている。
「総じて日蓮が弟子と云って法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ、さだにも候はば釈迦・多宝・十方の分身・十羅刹も御守り候べし」(同989ページ)
「日蓮のようにしなさい」——その通りの実践を、さまざまな障魔の嵐にも、一歩も引くことなく貫いてきたのが創価三代の会長であり、創価学会である。過日、SGI(創価学会インタナショナル)の友は求道の喜びを語っていた。
"自身の生命を変革することが一切の出発点となることを教える、日蓮仏法が今こそ求められています"
大聖人の大慈悲心と一体となり、自他共の幸福と社会の安穏を祈り、行動しゆく創価の連帯。地球規模の困難と戦う今、全人類の宿命転換を目指し、"立正安国""立正安世界"の実現への誓いを新たにしたい。

☆ヒーローズ 逆境を勝ち越えた英雄たち 第4回 マハトマ・ガンジー
〈マハトマ・ガンジー〉
この試練を乗り越えた時、すべては好転する。そう信じて耐え抜いた時、とてつもない力を手にすることだろう。

インドを植民地支配から解放へと導いた力——それは暴力による革命ではなかった。「非暴力の精神」で結ばれた不屈の民衆のスクラムであった。
その連帯を率いた「マハトマ(偉大なる魂)」と呼ばれる人物は、いかなる苦境にあっても、理想への歩みを止めなかった。
インド独立の父・ガンジー。「一人の人に可能なことは、万人に可能である」。この確信のままに、彼が貫いた人権闘争は一人から百人、千人、万人へと広がり、人々の胸中に勇気の炎を燃え上がらせていった。
支配国から経済的に自立するため、外国産を脱ぎ捨て、チャルカ(紡ぎ車)を使って衣服を生産。塩の専売という不当な政策には、デモで徹底抗議した。有名な「塩の行進」である。
こうした運動の先に待ち構えていたのは、激しい迫害の嵐だった。だが、無名の庶民たちは"人と戦うのではない。人の中に潜む憎しみと戦うのだ"と、抵抗も屈服もしなかった。
その先頭には常にガンジーの痩身があった。彼は幾度も投獄されながら、命を削って同志を鼓舞し、励ましを送り続けた。
「人は何度でも立ち上がる。立ち上がっては倒れ、立ち上がっては倒れ、その足もとはおぼつかないかもしれない。けれども、立ち上がったことは、一生忘れることのない、かけがえのない記憶となる」
「不幸はわたしたちに与えられた試練である。この試練を乗り越えたとき、すべてはきっと好転する。そう信じて、辛抱強く耐え抜こう。耐え抜いたとき、あなたはとてつもない力を手にしていることだろう」
ガンジーの闘争は、やがて国際社会を、敵対する人々の心さえも動かしていく。そして1947年8月15日、インドは自由の夜明けを迎えたのである。
その前日。日本では19歳の池田大作先生が、恩師・戸田城聖先生と運命的な出会いを刻んでいた。インドを源流とする仏法を世界へ未来へ——新たな平和の潮流が起ころうとしていた。

〈マハトマ・ガンジー〉
自己浄化は自由への最も確実な道である。
そのために必要なのは——何ものにもたじろがぬ、山のように不動の信仰なのだ。

1869年10月2日に生まれたガンジーが、人権闘争に立ち上がったのは23歳の時。弁護士となり、インド人商人の顧問として南アフリカへ赴いた。
彼はそこで「人種差別」の分厚い壁にぶつかる。以来、南アで"インド人救済法"の可決を勝ち取るまでの21年間、熾烈な戦いに身をささげた。
メディアでの抗議や地位向上を目指した政府への協力……。試行錯誤を繰り返しても、光の見えない現実が続く。そんなガンジーに大きな影響を与えたのが、英国の思想家ラスキンの著書『この最後の者にも』だった。
個人の中にある善は、全てのものの中に潜んでいる善——この本との出あいを機に、誰も犠牲にしない社会の建設を目指すようになった。後に、仏法にも啓発を受けたガンジーは「人間ひとりひとりに非暴力を展開させる無限の可能性が備わっている」との信念で、人々に"内面の変革"を促していった。
「(自己浄化は)自由へ向かういちばん真直で確実な道であり、同時にいちばんの早道でもある。自己浄化のためには、いかに努力しようともし過ぎるということはない。それに必要なのは、——何ものにもたじろがぬ、山のように不動の——信仰なのだ」
1914年、南アでの長い戦いに勝利した後、祖国に帰国。そこで彼は、「カースト」という身分階級制度の外に置かれた最下層の"不可触民"を「ハリジャン(神の子)」と呼んで敬意を示し、その解放を最大の悲願として戦い抜いた。
ガンジーの闘争——それは単に独立という国外に向けられた戦いだけではなかった。国内で虐げられた全民衆のために起こした戦いでもあった。だからこそ性別や年齢、地位といった、あらゆる差異を超えて皆が連なり、一つとなったのだ。
その精神は、インド独立の翌年、彼が凶弾に倒れた後も決して失われることはなかった。後継の人々が遺志を伝え続け、アメリカ公民権運動の指導者マーチン・ルーサー・キング博士をはじめ、世界各地で人権闘争に戦う勇者たちの希望となった。

〈マハトマ・ガンジーを語る池田先生〉
「進むべき距離がいかに遠くとも第一歩はどこまでも第一歩であり踏み出さなければ第二歩はない」
その地道な忍耐と執念こそが偉大な勝利を可能にする。

池田先生は1961年2月1日、ガンジーを荼毘に付した聖地ラージ・ガートを訪問。独立の父の足跡を偲び、記念碑の前で題目を唱えた。
「すべての人びとの目から涙をぬぐい去りたい」と願ったマハトマと、「地球上から"悲惨"の二字をなくしたい」と祈った恩師——。先生の胸には、両者の峻厳な精神を継承しゆく熱情がほとばしっていた。
92年2月11日には、ガンジー記念館の招請を受け、インド国立博物館で「不戦世界を目指して——ガンジー主義と現代」と題して講演。その日はくしくも戸田先生の誕生日であった。
池田先生はガンジー主義の特徴として、�楽観主義�実践�民衆�総体性の四点に言及。マハトマが理想とした「開かれた宗教性」にこそ、人類を蘇生させゆく大道があると論じ、聴講したガンジー研究者などから惜しみない賛辞が寄せられた。
先生はこれまで、ガンジーの直弟子である同記念館のパンディ副議長やJ・P・ナラヤン氏、インド・ガンジー研究評議会議長のN・ラダクリシュナン博士のほか、歴代大統領や首相など、マハトマの精神に連なるインドの知性と友情を結んできた。
さらにはガンジーの言葉を通し、友を励まし続けている。
「『これから進まなければならない距離が1マイルであっても、または、1000マイルでも、第一歩はどこまでも第一歩であり、第一歩が踏み出されなければ第二歩はない』
いかなる道も、一歩また一歩と進んでいくことだ。いかなる戦いも、一つ一つ、手を打っていくことだ。その地道な忍耐と執念こそが、偉大な勝利を可能にする」(2007年6月14日、「7・3」記念協議会でのスピーチ)
「ガンジーいわく。『あなたの崇高な夢、大志は、必ず実現されるでしょう。良い目的のために努力すれば、それは決して無駄になることはない』と。強き意志のあるところ、夢を実現する道は必ず開かれる。いわんや、私たちには、『祈り』がある。絶対に勝つことができるのだ」(08年9月30日、新時代第22回本部幹部会でのスピーチ)
全ては一歩から始まる。意志のあるところに道は開ける。
本年は、先生のインド初訪問から60周年の節目である。

2021年2月13日土曜日

2021.02.13 わが友に贈る

どんなに厳しい"冬"も
必ず栄光の"春"となる。
妙法への大確信を胸に
同志と励まし合い
試練に立ち向かおう!

法華初心成仏抄 P552
『とてもかくても法華経を強いて説き聞かすべし、信ぜん人は仏になるべし謗ぜん者は毒鼓の縁となつて仏になるべきなり』

【通解】
とにもかくにも法華経を強いて説き聞かせるべきである。信ずる人は仏になり、謗る者は毒鼓の縁となって仏になるのである。

名字の言 "日本一早く咲く"ヒカンザクラ 2021年2月13日
"日本一早い桜"で元気を届けようと、沖縄のヒカンザクラが全国へ発送された。国内の航空会社が手掛けたもの。各地の空港に飾られ、利用客を迎えた▼桜の花芽は冬の寒さにさらされることで休眠から目覚め、気温の上昇とともに開花する。常夏の地ではきれいに咲かないといわれるが、目覚めに必要な低温は種類によって異なる。ソメイヨシノは5度前後なのに対し、ヒカンザクラは約15度。だから沖縄では一足早く花開く▼造園業に携わる男子部員が、母校の小学校に桜を植樹した。荒れていたかつての彼を知る人たちは驚き、喜んだ。彼の転機をつくったのは弟だった▼彼以上に周囲に迷惑を掛けてきた弟は信心に励み、人のために祈るようになった。男子部員は弟に触発されて発心。その後、父の死で心を閉ざしてしまった友人と出会う。悩みを聞いた彼は「一緒に使命の花を咲かせよう」と真剣に仏法対話。今、入会した友人と共に人間革命の道を歩む▼御書に「桜は趣のある花だが、木の中から咲き出る」(1492ページ、通解)と。ごつごつした木からも桜が咲くように、環境や時期の差はあれ、誰もが使命を開花させる力を秘めている。その花が開くことを信じ、寄り添い続けよう。ヒカンザクラの花言葉は「善行」である。(首)

寸鉄 2021年2月13日
「南無妙法蓮華経・無上の中の極無上なり」御聖訓。題目第一の人は常に向上
東京・葛飾の日。わが地域は麗しき人間共和の宝土断固と師弟勝利の歴史を
東京・世田谷婦人部の日。貴女の励ましが希望の光心広々と幸の連帯を拡大
10都府県の病床使用率は然高く。マスク、3密避ける等、対策改めて確認
国難打開には現場の声を丁寧に聴く公明の力必要—識者。3千の議員網で

☆Switch(スイッチ)——共育のまなざし 「不登校」と向き合う友へ〈池田先生の励ましの言葉から〉
◇子どもが安心できる場所をつくる
子育てや教育の視点をスイッチ(転換)する意味を考える企画「Switch(スイッチ)——共育のまなざし」。1月14日付では「不登校と向き合う中で」と題して愛知の友の取り組みを、同18日付では創価大学教職大学院の田村修一教授の話を紹介しました。今回は、池田先生が婦人部のリーダーと子育てについて語り合ったてい談『21世紀への母と子を語る』(『池田大作全集』第62巻所収)から、不登校に悩む親御さんに送った励ましの言葉を抜粋して掲載します。(編集・構成=大宮将之)

◇必ず意味がある
〈わが子が突然、「学校に行きたくない」と言いだした——不登校という現実に直面して、悩んでいる親御さんは少なくありません。元気に登校する他の子たちを見ていると、「このままでは落ちこぼれてしまうのではないか……」と心配する声もあります。池田先生は語りました〉

不登校の原因は、さまざまでしょう。しかし、"「不登校」は子育ての失敗"などと、母親が落ちこんでしまうことはありません。一見、学校に行かなくなったことは、"遠まわり"のように思えるかもしれません。しかし、人生に起こることで意味のないことなどいっさいないのです。
つい先日も、「不登校」で悩んでいる方を激励したさい、私はこう励ましました。 「心配する必要はない。何より、お子さんのことを、しっかり祈ってあげることです。あなたが真剣に頑張っていれば、大丈夫です。いつも、いい方向へと考えていくのです」——と。
今は、子どもにとって、本当につらいことが多い社会になってきています。つねにいい子でいることが望まれ、失敗することが許されない——そんな「管理社会」「競争社会」が、子どもの世界にも浸透している。そのなかで、ともすれば学校も楽しい場所どころか、たえず他の子と比較され、緊張を強いられる場になっている面もあります。
「不登校」は、いわば"氷山の一角"でしょう。学校に通うのがつらいと感じている子どもは、想像以上に多いのではないだろうか。私たち大人は、何か学校に行くことを当たり前のように思っていますが、そもそも「学校に行く」ということ自体、子どもにとってたいへんなエネルギーを要するものなのです。

◇親があせらない
子どもの心は、多感でデリケートです。学校や家庭でのちょっとした出来事で、ストレスを感じてしまう。疲れることもあるでしょう。
勉強や友だち関係の悩みなど、学校という集団生活のなかでの出来事を、"重圧"に感じる子がふえてきている。かつて問題行動の一つと見られがちだった「不登校」も、今では、「どの子にも起こりうるもの」と受けとめられるようになってきている。何も恥じたりすることはないのです。
親がいたずらにあせったり、言うことをきかないからと突き放してしまえば、ただでさえ苦しんでいる子どもは、ますます居場所を失ってしまいます。

〈戸惑いや世間体から、"つい子どもを責めてしまう"という親御さんも多いようです。池田先生はそんな声にこう応えます〉

その気持ちはよく分かりますが、"なぜ、こうなってしまったか"と思い悩んでいるのは親だけではない。当のお子さんにとっても、心に重くのしかかっているのです。
じっさい、「不登校」というのは、家庭や学校でのほんの些細なことがきっかけとなっている。親から見れば、たいした問題には思えなくても、それで自信を失ったり、思いつめたりして、学校が嫌いになったり、行けなくなってしまう場合が多いのです。
かつて「不登校」だった、あるお子さんは当時を振り返って、こう語っています。
「親に心配をかけていることも、友だちや学校の先生の善意も分かっているのに、それに応えることができない。そんな自分が嫌になり、責め、負い目を感じていた。将来も絶望的に見てしまい、自分は人生の落伍者だ、と閉じこもるようになっていた」と。

◇何に胸を痛めているか
〈不登校は、ある日突然やって来ます。親も"なぜ!?""どうして!?"と気が動転してしまい、そうした子どもの心の葛藤を、理解してあげる余裕がなくなってしまうのかもしれません。〉

すぐにどうしようと解決を急ぐよりも、まず落ち着いて、子どもの心をしっかりと受けとめ、信じてあげることが重要です。一言で「不登校」といっても、子どもの状況は、それぞれ異なっている。"こうすれば、大丈夫"というような万能の策などはないでしょう。
大切なのは、そのお子さんが何に苦しみ、何に胸を痛めているかを、慎重にくみとってあげることです。そして、お子さんが安心できる場所を築いてあげることです。
そんな時、子どもは、母親が自分のほうを向いてくれることを何よりも望んでいるのです。傷ついた心をゆっくり癒しながら、あたたかくつつみこんでいく。強く生きる力を回復させてあげる——それが、母親の役割でしょう。
今一度、子どもの心を見つめ直し、親子の絆をしっかり深め、ともに大きく成長していくチャンスにしていけばよいのです。

◇"綿"になって包み込む
〈家族の"ピンチ"を"チャンス"に——この視点の転換の重要性は、母親だけでなく父親にも通じるものでしょう。親子を支える周囲の人々にも、温かなまなざしが求められます。いずれにしても池田先生は、"親自身が変わること"の大切さを、恩師・戸田先生の思い出を通して語ります〉

忘れもしない、昭和26年(1951年)5月3日——。苦闘の日々を突きぬけて、戸田先生が待望の第2代会長に就任された時のことです。
最後に先生は学会歌の指揮に立たれたのですが、その時の勢いで、卓上の水差しとコップがふれて、どちらも壊れてしまった。先生はその時、当意即妙にこうおっしゃったのです。
「水差しは"コップがふれたから割れた"と言い、コップは"水差しがぶつかったのだから割れたのだ"と言うかもしれない。しかし、両方に壊れる素質があったから、壊れたのです。
これが、綿とガラスだったらどうだ? 決して壊れはしまい。信心も同じです。
他人が悪いから不幸になったと思っているが、そうではない。自分が綿になれば、決してだれからも壊されはしないだろう。
他人ではない。自分の宿命を変えていく以外に道はないのだ」——と。
目の前に起こった一つの出来事を生かして、仏法の深さ、人生の哲理を、分かりやすく自在に教えてくださったのです。
子育ても同じです。環境ではない。
同じ縁にふれても、惑わされず、振りまわされない「強さ」を、まず親がもっていくことが根本です。"綿"になって、ふんわりと子どもをつつみこんであげるのです。それが、本当の「強さ」でしょう。
一時期、子どもが揺れ動いたとしても心配ない。親が子をどこまでも信じぬき、その「強さ」を忍耐強く養ってあげれば、何があろうと最後には、勝てる。一緒に大きく人生を開いていけるのです。

2021年2月12日金曜日

2021.02.12 わが友に贈る

勝利の要諦は異体同心。
広布のため団結しよう!
この一念と努力に
自らの人間革命もある。
朗らかな行進を共々に!

生死一大事血脈抄 P1337
『日蓮が弟子の中に異体異心の者之有れば例せば城者として城を破るが如し』

【通解】
日蓮の弟子の中に異体異心の者があれば、それはたとえば、城の内部の者が城を破るようなものである。

名字の言 後世のために書き残す 2021年2月12日
釈尊の過去世の姿である雪山童子は、人々を幸せに導きたいと修行に励んでいた。そこに帝釈天が身を変じた鬼神が現れ、「そのための教えを聞かせてやる」と言う。ただし、"命と引き換え"を条件にし、求道心を試した▼雪山童子はためらうことなく教えを求めた。そして聞き終わるや、周囲の石や木々に次々と書き付けた。"何としても人々のため、後世のために真実の法を書き残さなければならない"と▼この仏法説話を思い出すたび、本紙通信員が脳裏に浮かぶ。先月、通信員制度発足67周年を刻んだ。今や全都道府県で活躍している。自身の仕事や生活の現実的課題に挑みつつ、"何としても、わが地域や同志の感動のドラマを書き残す!"との真心を原動力に奮闘されている▼世界広布の前進を知る手だてとして、本紙の役割は大きい。また「地域密着」「具体的」「等身大」の同志の話題を満載する方面・県版への期待も、同様に高い▼一般的に2月は「立春」を迎えても"春は名ばかり"。「二八」とも称され、コロナ禍ならずとも経済も冷え込む時期。だが、寒風の中を本紙配達に奔走する「無冠の友」に感謝し、通信員の方々と団結して、春を呼び、春に立つ創価の友の雄姿を書き残す「伝統の2月」を進みたい。(代)

寸鉄 2021年2月12日
仏法は現当二世。何があろうと信心で再び立ち上がれる。常に今ここから
青年の活躍の陰には必ず育てた人がいる—恩師。人材育む聖業に福徳燦然
大なる危機に大なる勇気を知る—劇作家。苦闘を勝ち越え真金の勇者たれ
風疹"ゼロ"へ抗体検査と接種が重要と。妊婦に移さぬ為にも。流行防ごう
「あおり運転」後絶たず。急な進路変更等はしない—誘発せぬ運転を心掛け

〈社説〉 2021・2・12 あす「世界ラジオデー」
◇惜しみなき"励ましの声"を
あすは「世界ラジオデー」。世界で幅広く利用されているラジオの重要性について意識を高める意義で、2011年にユネスコによって制定された。
日本における、ラジオ放送の始まりは1925年(大正14年)。以降、ライフラインの一つとして人々の生活を支えてきたラジオだが、テレビやパソコンの普及により、情報を受け取る媒体としての役割が薄まり"ラジオ離れ"が進んだ。
それでも、ラジオは時代とともに変化し、人々の身近な存在であり続けている。現在は、ラジオアプリ「radiko(ラジコ)」の登場でスマートフォンが"受信機"となり、一人1台、誰もが気軽にラジオを持ち歩けるように。そうした背景やコロナ禍による外出自粛の影響もあり、今、ラジオを聴く人が増えている。ラジコの提供データによると、昨年、コロナの感染拡大が問題化していた2月から3月にかけて、約750万人だったユーザーが、1カ月で約910万人まで増加したという。
茶の間で家族と見るテレビとは違い、ラジオは1人で聴くケースが多い。その分、発信側との距離は近く、ハガキやSNSなどを利用し、双方向的なやりとりも行える。過日取材したラジオ関係者は「ラジオは"皆さん"ではなく、"あなた"に届ける。そういう意識で制作しています」と語っていた。さまざまに制約され、孤独を感じることも多い社会状況の中、ラジオの持つ力が多くの人の心を癒やしている。
そんなラジオの特性を生かした取り組みが東京・創価高校で行われた。コロナ禍で長期の自粛期間が続いた3年生の生徒たちに、同級生の有志が励ましを送ろうと、ビデオ会議システムを活用して、ラジオ番組「ラジオニア」を配信した。
同番組の内容は、リスナーから届いた「おうち時間の過ごし方」などの便りを紹介するコーナーや、教員をゲストに迎え、「先生に聞きたい10の質問」など。直接会えない友人たちのはつらつとした声を聞き、多くの生徒の気持ちが和らいだという。
コロナ禍は私たちに不安や不自由をもたらすだけではなく、こんな時だからこそできる"何か"を問うているともいえるだろう。会合や訪問・激励などの学会活動が制限されることのある私たちも、SNSや電話などの通信手段を駆使して、心を込めた言葉を友へ送れるはずだ。
池田先生は「現実に生きゆく人々に、希望と勇気を送るのは、真心からの『励ましの声』である」と語っている。一対一の対話を根本に、一人でも多くの"あなた"へ、惜しみなき"励ましの声"を届けていきたい。

☆ロータスラウンジ——法華経への旅 第22回 如来寿量品第十六�
◇妙法に根ざした生と死は永遠常住の大生命を舞台とした歓喜のドラマ
■大要の続き(�から)
「私が成仏してからこれまで、実に久遠の時が経過している。その寿命は無量阿僧祇劫という長遠な時間であり、この世界に常住して滅することがない」
「私が菩薩の道を行じて成就した寿命は、今なお尽きていない。にもかかわらず今、真実の滅度ではないが、まさに、"仏は入滅するだろう"と言うのである」
その理由について語ります。
「如来は、この方便をもって衆生を教え導くのである。その理由は何であろうか。
もし仏が久しく世の中に住するならば、徳の薄い人は、善根を植えようとしないだろう。
また、貧しく賤しい生活に落ち込み、欲望に執着し、間違った思想の網の中に入ってしまうだろう。
もし如来が、常にこの世にあって入滅しないと見れば、すぐに驕りや、怠る心などを抱いて、仏に対して"なかなか会えない"と慕う思いや、敬う心を生ずることができないだろう。だから如来は、方便として『諸仏の出現に会うことは、難しい』と説くのである。
それは、福徳の薄い多くの人は、無量百千万億劫という長い期間を過ぎても、仏を見る人も、仏を見ない人もいるからである。ゆえに私は言う。『仏に会うことは難しい』と。
衆生たちは、このような言葉を聞いて必ず、"仏には会い難い"という思いを生じ、心に恋慕を抱き、仏を渇仰して、善根を植えるようになるであろう。
この故に如来は、実際は滅しないが、滅するというのである」
「あらゆる仏は、皆、このように(方便をもって)法を説くのである。これは、衆生を正しく教え導くためであるから、皆、真実であり、ウソではない」

ここから有名な「良医病子の譬え」が始まります。
——譬えば、智慧が聡明で、病気の診断と薬の処方に熟練し、多くの病気を治すことができる名医がいたとします。その人には、十人、二十人、ないしは百人のたくさんの子どもがいました。
良医は所用で、遠く他国に出掛けていました。その間に、子どもたちは、他の人の作った毒薬を飲んでしまい、毒が回って、悶え苦しみ、大地を転げ回っています。そこに、父が戻って来ました。
子どもたちは父を見て、大歓喜し、合掌し、ひざまずいてお願いします。
「私たちは愚かなことに、誤って毒薬を飲んでしまったのです。どうか救って、寿命を与えてください」
父は、子どもたちが苦しんでいる姿を見て、良き薬草を求め、つき、ふるい、調合し、飲ませようとします。
父は子どもたちに語ります。
「この大良薬は、色と香りと良きき味の全てを具えているから、この薬を飲みなさい。そうすれば、すぐに苦悩が除かれ、かずかずの病気にわずらわされることはなくなる」
正気を失っていない子どもは、薬の色や香りが良いのが分かって、すぐにこれを飲んで、苦しみが除かれます。
ところが、正気を失った子どもたちは決して薬を飲もうとしません。
そこで父は考えます。
"かわいそうだ。毒で心が転倒している。私が帰ってきたのを見て喜び、治療を願っているのに、この良薬をどうしても飲もうとしない。私は今、方便を用いて、この薬を飲ませよう"
父は言います。
「いいか、私は、老いてしまって死期が迫っている。この素晴らしい良薬を置いていくから、飲みなさい。苦痛が癒えないことを心配しなくていいよ」。こう言い残して、他国に行きます。
そして、家に使いを出して語らせます。「あなた方のお父さんは、すでに亡くなりました」
この時、子どもたちは思います。
"もし父がいたら、私たちを慈しみ、あわれんで、救ってくれただろう。今、父は遠い他国で亡くなった。私たちには、頼れるものがなくなってしまった"
子どもたちは嘆き悲しみ、ついに心が目覚めます。そして、父が置いていった薬は、色も香りも味わいも良いことが分かり、すぐに飲み、毒の病が全て治ります。
父は、子どもたちが治ったと聞いて家に帰り、皆の前に姿を現しました——。

釈尊は語ります。
「良医にウソをついた罪があると説く人がいるだろうか」
菩薩たちが答えます。
「いるはずがありません」
そこで釈尊は言います。
「私も(この譬え話と)同じである。
私は成仏してからすでに無量無辺百千万億那由他阿僧祇劫もたっている。
しかし、衆生のためを思い、方便の力によって、まさに入滅するであろうと説くのである。
したがって、私がウソをついたと言って、型どおりに、その罪を言う者はいないであろう」
(�に続く)

◇なるほど
寿量品で説かれる久遠実成によって明かされた成仏の因果を、本因本果と言います。
寿量品に「我は本菩薩の道を行じて、成ぜし所の寿命は、今猶未だ尽きず」(法華経482ページ)と記されている通り、久遠に菩薩道を行じてきたことが成仏の本因であり、その菩薩の生命は成仏してからも尽きることなく具わり、常住であると教えています。
さらに「我は成仏してより已来、甚だ大いに久遠なり。寿命は無量阿僧祇劫にして、常住にして滅せず」(同ページ)と、本果である仏界の生命も常住であると説きます。
このことによって「九界即仏界」「仏界即九界」が明かされたので、大聖人は「九界も無始の仏界に具し仏界も無始の九界に備りて・真の十界互具・百界千如・一念三千なるべし」(御書197ページ)と仰せられました。
本因本果が明かされることによって、一切衆生が凡夫のままで一生成仏を実現する道が開かれたのです。

【『法華経の智慧』から】 凱歌の軌道を歩む
"生と死はない"というのは、生命の常住の側面を強調しているわけです。
その面だけにとらわれると、ある意味で抽象論になってしまう。
"生と死がある"のは人生の現実だからです。その現実から逃避しては観念論になる。
大聖人は、もう一歩深く、「自身法性の大地を生死生死と転ぐり行くなり」(御書724ページ)と仰せです。
妙法に根ざした生と死は、「法性の大地」すなわち永遠常住の大生命を舞台としたドラマなのです。ドラマを演じていると思えば楽しいでしょう。生と死が苦しみでなく、楽しみになる。「生も歓喜」「死も歓喜」となっていくのです。
妙法は、生死の苦しみを乗り越える大良薬です。寿量品に「是好良薬(是の好き良薬)」(法華経487ページ)とあります。
法のため、友のために——くる日もくる日も、心を使い、体を使いきっている学会の同志は、永遠にわたる「生命の凱歌」の軌道を歩んでいるのです。(普及版<中>「如来寿量品」)

【コラム】是好良薬——どこまでも自発を促す
「良医病子の譬え」で、毒を飲んで苦しんでいる子どもたちの中に、なぜか良薬を飲もうとしない子がいました。
その時、父親の良医は、力ずくで薬を飲ませることはしませんでした。その代わりに、どうすれば子どもたちが良薬を飲もうとする心が起こせるかと、智慧を湧かせたのです。
教え導くことは、どこまでも相手の求道心を呼び覚ますことが大切であることを教えていると言えるでしょう。
どんなに素晴らしい良薬、私たちでいえば仏法であっても、それを無理強いすることではなく、"やってみよう""信じよう"という自発を促していくことです。
どんなにそれが困難に思えたとしても、良医が智慧を尽くしたように、相手の成長と幸福を心から願う時、計り知れない仏の智慧を発揮していくことができるのです。この慈悲の振る舞いこそ、仏の振る舞いなのです。

2021年2月11日木曜日

2021.02.11 わが友に贈る

青年を大切に!
若人に学ぼう!
そこに新たな挑戦への
活力が生まれる。
共に青年学会の建設へ!

上野殿御返事 P1561
『願くは我が弟子等大願ををこせ』

【通解】
願わくは、我が弟子らは、大願を起こしなさい。

名字の言 恩師・戸田先生の生誕121年 2021年2月11日
ファシズムが吹き荒れたナチス統制下のフランス。抵抗する文化人の多くが投獄され、読み書きを禁じられた。だが作家のジャン・カッスーは、独房でも詩を作り続けた▼出獄後、獄中で紡いだ33編のソネット(14行詩)を詩集として出版。23番目のソネットで、こう詠んだ。「明日は……とみんなが叫ぶ美しい物語を」「祭りの朝が ついにやってくるように!」(『レジスタンスと詩人たち』白石書店)▼詩人は「明日」に希望を抱くことを訴えた。体の自由を奪われても、心までは縛られない。試練は、それを乗り越えるたび、魂の飛翔をもたらす力となる。迫害に耐え抜いた彼の言葉は、祖国解放を願う人々を鼓舞した▼創価の平和運動の源流もまた、軍国主義に抗した先師・恩師の獄中闘争にある。殉教の初代・牧口先生の遺志を継いだ第2代の戸田先生は、拘置所にあっても家族などに短歌を贈り、2人の看守を入会に導くなど不屈の言論を貫いた。その信念を継承した池田先生によって、学会は今、世界へと広がる▼戸田先生は詠んだ。「辛くとも 嘆くな友よ 明日の日に 広宣流布の 楽土をぞ見ん」。きょうは、恩師の生誕121年。師弟の歴史を深く心に刻み、「忍耐の今日」を「希望の明日」へ転じゆく後継の物語をつづろう。(市)

寸鉄 2021年2月11日
戸田先生の生誕日。地球民族主義の先見は希望の羅針盤。後継よ語りゆけ
国際部結成50周年。語学の力と人格で光る人間外交の旗手。使命益々深く
「風大なれば波大なり」御書。大仏法を語れば難は必然。宿命転換の時と
ネット上の名誉毀損など10年で3倍と。人権侵害の社会悪を皆の手で根絶
感染の闘いに国境なし。国際枠組で145カ国に供給へ。人類が協働し応戦を

〈社説〉2021・2・11 きょう戸田城聖先生の生誕日
◇まっしぐらに師弟の道を!
池田先生が神奈川の同志に、恩師・戸田先生との"共戦の心"について語ったことがある。
「私どもにとって戸田先生は"人生の師"であった。その人生の師の遺志を継いで、私どもは日本中に、また全世界へと、広布と平和のために走り、戦ったのである。なぜ創価学会の平和運動が世界的な広がりをもち、永続的な展開をすることができたか。その一つの理由を、ある識者が論じていた。
『仏法という平和理念を基調として、人生の師弟という美しい絆がそうさせたにちがいない。師の遺訓をそのまま受け継いでの実践があったからであろう』と。
他の平和運動の多くが、政治的に偏向して分裂をした。あるいは利害と売名の運動に陥ったりした。そのなかで創価学会は、これだけの一大平和勢力を築き、歴史的な成果を後世に残すことができた。これも恩師の遺訓を受け継いで、利害でも売名でもなく、"師弟の道"をまっしぐらに進んできたからである」(1987年、神奈川文化総会)
核兵器禁止条約が発効した今、再び銘記すべき指導である。
「全部、戸田先生から教わったことなんだよ」「今の私の98パーセントは、すべて、恩師より学んだものであります」——戸田先生を語る池田先生の言葉には常に、深い敬愛の念が込められている。
昭和20年代の半ば、若き池田先生が経済的苦境に陥った戸田先生を一人支え、第2代会長に推戴しゆく激闘の日々は、初代会長・牧口先生の獄死という絶体絶命の危機を経て、"もう一度、弟子が師と共に立ち上がる"戦いだった。
私たちもまた、この不屈にして誉れの「師弟の道」に連なっている。
きょう2月11日は戸田先生の生誕日。池田先生は、この記念日に幾重もの意義をとどめてきた。今年、開学50周年を迎える創価大学。その竣工式も2月11日に行われている(1971年)。
先生は出来上がったばかりのLL教室や図書室などを視察しながら「素晴らしいね……ため息が出るよ」「僕も入学させてくれないかな」と語り、戸田先生と共に散策しているような雰囲気で真新しいキャンパスを歩いた。同日、創価学園にも足を運び、生徒たちを激励している。
創大のあるスタッフは、池田先生から「"自ら人間革命している人"が青年に接する。これこそ人材育成の要点だ」と教わった。それは戸田先生と不二の心で進む池田先生の確信の一言だった。
今、私たちは「コロナ後」を見据えて「自分自身との戦い」に挑み、励ましの実践を刻みたい。そこにのみ、次代を担う人材の沃野を切り開く鍵があるからだ。

☆「わが愛する青年に贈る」に学ぶ 第7回 人間学〈上〉——報恩の振る舞いに仏法の真髄 大串女子部長
◇池田先生の指導
報恩は誓願を生みます。
報恩は行動を生みます。
報恩は勇気を生みます。
報恩は勝利を生みます。

1 仏法は「振る舞い」のなかに
未曽有のコロナ禍が続く中、女子部の華陽姉妹は、互いに励まし、支え合い、「私たちが周囲を照らす希望の存在に」と、それぞれの立場で挑戦を重ねています。
池田先生は講義の冒頭、仏法の真髄である誠実な「振る舞い」を受け継ぐ、創価の青年の使命をつづられています。

■ 池田先生の講義
青年が思う存分活躍し、栄え光る。これ以上に頼もしく、希望に溢れることはありません。常日頃から青年を応援し、汗を流してくださっている婦人部、壮年部の皆さん方にも感謝は尽きません。
(中略)
仏法を基調とした人間主義の行動を受け継ぐ皆さんこそ、「未来の希望」であり、「人類の宝」です。一人残らず、深い使命を持って生まれてきた「地涌の菩薩」です。
一人の地涌の青年の誠実な行動が、周囲に幸福と平和の波動を広げています。「人の振る舞い」こそ、仏法の人間主義の結論です。
—◆—
今、多くの女子部メンバーが、友が孤独や不安を感じていないかと思いを馳せながら、電話やオンライン、手紙などで、励ましの絆を結び、広げています。
相手の話に耳を傾け、「一人じゃないからね」と寄り添い、共に祈って、共に一歩を踏み出す——仏法の"一人を大切にする精神"も、また"自他共の幸福を目指す生き方"も、こうした一人一人の「振る舞い」となって表れる「人間学」です。
2009年に設立されたNPO法人「BONDプロジェクト」代表として、虐待やいじめなど深刻な問題を抱える10代、20代の女性を支援してきた橘ジュン氏は「居場所がないと悲鳴をあげている女性はたくさんいる。私たちの活動だけでは、手が届かない人もいる。その人たちに手を差しのべ、本当に一人の人を思って行動できるのが学会の女子部ではないか」と期待を寄せてくださいました。
他者のためといっても、悲壮感ただよう自己犠牲ではなく、明るくはつらつとした姿で友を思い行動する、創価の青年の"励ましの振る舞い"が必要とされている——だからこそ、どんな時も、どんな形であっても、私たちの励ましの行動を絶対に止めてはいけないと決意しています。

2 感謝の心が境涯を開く
池田先生は「報恩抄」の一節を通し、仏法が教える「人の振る舞い」の真髄として、知恩・報恩について語られています。

【御文】
仏教をならはん者父母・師匠・国恩をわするべしや、此の大恩をほうぜんには必ず仏法をならひきはめ智者とならで叶うべきか(報恩抄、御書293ページ3行目〜4行目)

【現代語訳】
仏教を学ぼうとするものが、どうして父母の恩、師匠の恩、国の恩を忘れてよいだろうか。この大恩に報いるには、仏法を完全に習得し、智慧のある人となってはじめて可能となるのではないか。

■ 池田先生の講義
知恩とは、言うならば、親や家族、周囲の人、師匠、一切の生きとし生けるもの、さらに社会、仏法の存在へと、自分がつながるネットワークを知り、感謝していくことです。
すなわち、知恩・報恩とは、"今の自分があるのは自身が関係する人々のおかげ"であり、その感謝の心から、"今度は自分が人々のために尽くしていこう"とすることではないでしょうか。
だからこそ、目の前の一人を大切にすることができる。その人は、孤独の苦悩から離れ、他者との心の交流を築いていける。そして境涯を開き、自他共に人間性を豊かにすることができるのです。
—◆—
仏法において大切な「感謝の心」。しかし私自身、忙しいときや、余裕がないときには、感謝の心を失いそうになる瞬間があります。そんなとき、私は"自分のこれまでの人生"を振り返る題目をあげ、再出発を切っています。
祈ると、自分を信じ、励ましを送り続けてくださっている池田先生、家族や友人、女子部の方々が思い浮かびます。
そして、決して一人で歩んできた道ではなかったと思えたとき、自然と感謝が溢れ、恩を返せるように成長したいと決意が固まっていくのを感じます。
自分の小さな境涯を破り、"誰かのために"と思える大きな境涯を開く鍵が、感謝の心だと思います。
小説『新・人間革命』には、山本伸一が、次のように語る場面があります。
「感謝があり、ありがたいなと思えれば、歓喜が湧いてくる。歓喜があれば、勇気も出てくる。人に報いよう、頑張ろうという気持ちにもなる。感謝がある人は幸せであるというのが、多くの人びとを見てきた、私の結論でもあるんです」(第9巻「光彩」の章)
何でも語り合える同志がいて、ありのままでいられる居場所があること。そうした身の回りの幸福を感じ、感謝する心が、何より強い、生きる前進の力を生んでいくと感じられてなりません。

3 親孝行は人間革命の第一歩
知恩・報恩といっても、具体的には、どのような挑戦が大切なのでしょうか。池田先生は、戸田先生から教わった「人間学」について、こう語られています。

■ 池田先生の講義
戸田先生は「青年訓」に示されました。
「青年は、親をも愛さぬような者も多いのに、どうして他人を愛せようか。その無慈悲の自分を乗り越えて、仏の慈悲の境地を会得する、人間革命の戦いである」
自他共の幸福へと行動するためにも、まずは身近な父母への恩を報ずるべきである。それが偉大なる「人間革命」の第一歩である、ということです。
ただ、現代は一段と難しい時代です。さまざまな事情で、どうしても、今すぐは親を愛せないという複雑なケースもあるでしょう。素直に親孝行できない時もある。
しかし、焦る必要はありません。自分が人の親になって初めて分かる場合もあります。他人を愛してから、後で親を愛せる自分に変わることもあります。
どこまでも大事なのは自身の人間革命です。粘り強く境涯の変革に挑戦し、自分が太陽となって、縁する人々を包み照らす慈光を放っていけばよいのです。
—◆—
最も身近な「親」に感謝し、恩を報ずることは、私たち一人一人にとって、自身の「人間革命」の前進の一歩でもあります。
その上で、家庭の状況は多様であり、女子部のメンバーから、家族との関係について悩みを聞くことも多くあります。
あるメンバーは、高校生の時に両親が離婚し、その後、母が再婚をして、新しい父と暮らすようになりました。決して仲が悪いわけではありませんでしたが、心の中では、どこか寂しさが拭い切れませんでした。同時に、学校での人間関係にも悩み、安心できる居場所がないと感じるように。数年、実家を離れて生活しました。
そんな時、彼女に変わらず接してくれたのが、女子部の先輩たちでした。どんな自分も受け入れてくれる姿に「私にも居場所がある」と、少しずつ人を信じられるように。先生の「自分が変われば周囲が変わる」との指導にも出合い、"親にも、もっと自分から心を開いてみたら何かが変わるかもしれない"と思うようになりました。
今では、家族を支えたいとの思いから、父が営む内装業を手伝い、「いろいろな経験をしてきた自分だからこそ寄り添える人がいる」と、女子部でもリーダーとして、皆に希望の励ましを送っています。
さまざまな事情から、親孝行をしようとはすぐに思えない場合もあるのが現実かもしれません。しかし、創価家族の輪の中にいると、自分でも思ってもみなかったような形で、境涯が広がっていきます。決して焦らず、そして、粘り強く、太陽のように、温かく大いなる心を築いていきたいと思います。

4 師匠への報恩に生きる
池田先生はさらに、法華経に説かれる薬王菩薩の物語を通し、「師匠への報恩」について教えてくださっています。
薬王菩薩は、過去世で一切衆生喜見菩薩といい、師匠が説く法華経を聞いて修行に励み、素晴らしい境涯を得ました。師と法華経への報恩を誓い、自らの身を燃やして捧げた光明が、1200年にわたり、広大な世界を照らし続けたといいます。

■ 池田先生の講義
(一切衆生喜見菩薩は)「死後もまた、師匠のもとに生まれて戦うのだ」と決め、再び師と同じ国に生まれて報恩の供養を捧げようとします。そして仏が入滅した後、今度は、七万二千年にわたって、自分の両臂(腕)を燃やして師匠に供養し続けます。この功徳で、最後は失った両臂も戻り、金色の身を得て、薬王菩薩となったと説かれるのです。何と透徹した「報恩」の姿でしょうか。
—◆—
私が「師匠への感謝」を強く感じたのは、高校生の時です。
目標をもって前向きに挑戦する友達との温度差を感じ、悶々と悩んだことがありました。
祈っていると、"今は苦しいけれど、乗り越えたい"という思いが自分の中にあることを感じました。
「なぜだろう」とさらに題目を唱えていくと「これまで池田先生から、どんな不可能に思えることにも立ち向かえる負けない生き方を学んできたからだ」とハッとしました。
その時に、師弟の絆を強く感じ、負けない心を教えてくださる先生への感謝でいっぱいになりました。
一昨年の11・12「女子部の日」。先生は輝く満月を写真に収めて、女子部に贈ってくださいました。世界中で華陽姉妹が眺めていた月を一緒にご覧くださり、一人一人と心で繋がり、原点を築いてくださった瞬間だと感動が溢れました。
先生は「昼は太陽とともに、情熱をたぎらせ行動の汗を流そう。夜は優しき月の光を仰いで、一日の勝利に心を満たし、明日の前進を夢見よう」(『池田大作全集』第131巻)とつづられています。
師と同じ太陽、月を見ながら、師と心で対話し、歩む一日一日が、どれほどかけがえのない日々か——この感謝を胸に、どんな夜も月の周りで輝く星のように、いついかなる時も、師と共に全世界に希望と勇気の光を広げていきます。

■ 池田先生の講義
報恩は誓願を生みます。報恩は行動を生みます。報恩は勇気を生みます。報恩は勝利を生みます。
報恩に徹する人は、自身の生命を最高に磨き、境涯を最大に勝ち光らせることができるのです。
(中略)
「師匠の恩」を報ずることは、人間として最も尊貴な正道です。
そして「師恩」に報いることこそが、最も深く、最も強く、最も気高く「四恩」全体を報ずることに広がっていくのです。

◇さらなる研さんのために
本連載で学ぶ『わが愛する青年に贈る』は、「大白蓮華」に連載中の池田先生の講義「世界を照らす太陽の仏法」の中の、男女青年部への御書講義を収録した書籍です。本社刊。713円(税込み)。全国の書店で発売中。聖教ブックストアへの電話でも注文できます(0120-983-563、平日9時〜17時)。コンビニ通販サイト「セブンネットショッピング」「HMV&BOOKS online」での注文、受け取りも可能。

「紙上教学研さん『わが愛する青年に贈る』に学ぶ」では、今回と次回で「人間学——報恩の振る舞いに仏法の真髄」について、大串女子部長と共に学んでいきます。(〈下〉は20日付の予定。前回は1月30日付に掲載。池田先生の講義は『わが愛する青年に贈る』から引用)

2021年2月10日水曜日

2021.02.10 わが友に贈る

人生は強気でいけ!
「大丈夫!」「できる!」と
自分で自分を励まそう。
「臆病にては
叶うべからず」だ。

一生成仏抄 P384
『只今も一念無明の迷心は磨かざる鏡なり是を磨かば必ず法性真如の明鏡と成るべし、深く信心を発して日夜朝暮に又懈らず磨くべし何様にしてか磨くべき只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを是をみがくとは云うなり』

【通解】
今の私達の一念が、無明におおわれて迷いの心である時は磨いていない鏡であり、これを磨けば必ず法性真如の明鏡となるのである。強く信心を起こして、日夜朝暮に怠ることなく磨いていきなさい。では、どの様にして磨くのか。ただ南無妙法蓮華経と唱える事、これが磨くという事である。

名字の言 「目は心の窓」「目は心の鏡」 2021年2月10日
目は口ほどに物を言う——この言葉を、より実感するようになった。コロナ禍でマスクの着用が日常化し、口元を見る・見せる機会が激減したからだ▼近年の研究によれば、面と向かった相手の感情を読み取る際、欧米の人々が相手の口元を重視するのに対し、日本人は目元を重視する傾向があるという。目の動きで思いを伝える意味の「目顔で知らす」や、驚いた様子を表す「目を皿にする」など、目にまつわる慣用句が多いのもうなずける▼仏典では、財力によらない"他者への施し"を、さまざまな形で説く。その中には「目」や「顔」を用いたものもある。例えば「眼施」。常に慈愛のまなざしで相手と向き合うことだ。また柔和な笑顔で友と接することを「和顔悦色施」という▼「心施」と呼ばれる施しもある。相手への思いやりを持ち、喜びも悲しみも共にすることだ。「目は心の窓」「目は心の鏡」ともいう。心は目に見えないが、心のぬくもりは目の輝きや表情に表れる。「心こそ大切なれ」(御書1192ページ)である▼マスクで顔の半分を覆い隠しても、友の幸せを願う心は隠すまい。こんな時だからこそ、まなざしや言葉に一段と心を乗せて表現できる自分でありたい。仏法とは、「人の振舞」(同1174ページ)である。(之)

寸鉄 2021年2月10日
会長の思想を知れば未来に悲観的ではなくなる—博士。我らの対話で拡大
「御書講義」が学会HPで配信。民衆救済の大哲理。激動の今こそ心肝に染め
いざという時に先駆ける人が一番偉いのだ—恩師真心の激励を幹部率先で
人は皆と一歩を踏み出す時に希望を感じる—心理学者。新たな挑戦を共に
読書は加齢による認知症リスクを低減と。良書は心を豊かに。開く習慣を

〈社説〉 2021・2・10 あす「国際部」結成50周年
◇"開かれた心"で友情の対話を
"グローバルな団結に、未来のあらゆる危機に対する勝利がある"——イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ氏は、昨年春の時点で、感染症と人類の闘争の歴史を紹介し、新型コロナウイルスの感染収束へ、各国が互いに、科学的情報の共有や医療提供等を行う重要性を主張。とともに、この連携がより緊密な国際協力を生み、将来襲い来る困難にも打ち勝つことができると訴えた(『緊急提言 パンデミック』河出書房新社)。
一方、昨年11月、日米中などの20カ国・地域首脳会議(G20サミット)は、感染症拡大、気候変動など、社会の諸課題の対応へ「多国間協力がこれまでになく必要との信念の下に結束」することを宣言した。ここでもグローバルな団結が求められている。
各国政府や市民社会などあらゆる次元で国際協調の流れを取り戻したい。それを確かなものにする原動力は、民衆の広範な連帯であろう。
今日の世界の状況下、仏法の平和主義を胸に、各分野で民間交流や国際貢献等に尽力する「国際本部」の友の使命はますます深い。
あす11日、その前身である「国際部」の結成から50周年を迎える。1971年(昭和46年)2月11日に発足した同部の淵源は、3年前の68年8月29日、池田先生が"これからは語学の時代"と、通訳や翻訳など国際舞台で活躍する同志を激励したことにある。
師の慈愛に包まれて誕生した同部は、現在、通訳翻訳部、国際ボランティア部、国際交流部、在日外国人部の4部で構成される国際本部に発展。一人一人が、世界広布の誓いに燃え、職場や地域で挑戦の日々を送りながら、国や立場を超えて信頼の連帯を広げている。
ある女子部国際部員は世界的な情報通信企業に勤務。日本政府も注力する事業や、会社役員とノーベル賞受賞者との会談で通訳を担当するなど、信頼を勝ち取ってきた。
学会活動にも率先し、昨年9月の世界青年部総会では、フィリピンの友人が視聴してくれるなど、国内外の多くの友に対話を広げた。"分断された世界を繋ぐことこそ、自分の使命"と定め、仕事と活動に朗らかに励む。
先生は小説『新・人間革命』第30巻<下>「勝ち鬨」の章につづっている。
「いつの時代にあっても、"開かれた心"をもつことこそ、国際人として最も大切な要件といえよう。真の国際化とは、人間は皆、等しく尊厳なる存在であるとの信念をもち、友情を広げていく心を培うことから始まる」と。
危機の時代の中、社会に分断や孤独が広がるなら、我らは一段と人と人の心を結び、力づけていこう。国際本部の友を先頭に、友情を広げる対話に挑戦したい。

☆君も立て——若き日の挑戦に学ぶ 第1回「二月闘争」 あきらめの"心の壁"を打ち破れ
「君も立て 我も立つ 広布の天地に 一人立て……」。「人間革命の歌」の歌詞には、一人立つことから広宣流布は開かれるとの、池田先生の確信が脈打つ。新企画「君も立て——若き日の挑戦に学ぶ」では、第2代会長・戸田城聖先生のもと、若き池田先生が一人立ち、広布の金字塔を築いた師弟の共戦譜を連載(毎月、最終土曜日付の予定)。輝かしいドラマの陰にあった先生の挑戦に光を当てながら、"勝利の鉄則""弟子の道"を学ぶ。第1回のテーマは「二月闘争」。

【先生が呼び掛けた実践】
一、祈りから始めよう
一、近隣を大切にしよう
一、体験を語ろう
(「随筆 希望の大道」<新時代の二月闘争�>から)

◇最前線の学会員が主役
「戸田先生の指導があって、今の私たちがあります。ご恩返しをするには、広宣流布の戦いしかない」
1952年(昭和27年)1月29日、蒲田支部の緊急組長会の会場に、若き支部幹事である池田先生の声が響きわたった。「戸田先生の52回目の誕生の月を、なんとしても歴史的金字塔で荘厳しましょう!」
そして、具体的な指標として、「組2世帯の拡大」を訴えたのである。「二月闘争」の火ぶたが切られた瞬間だった。
この8カ月前、戸田先生が第2代会長に就任し75万世帯の弘教を宣言したが、その年の12月の拡大は全国で466世帯。なかなか広布は進まなかった。翌年1月、戸田先生は、「いよいよ大を出すか」と、池田先生を蒲田支部の支部幹事に任命する。
池田青年が二月闘争で実践したのは、当時の組織の最も小さい単位である「組」(現在のブロック)を軸に、一人一人に光を当てることである。「『組』中心とは、形式ではなく、第一線の学会員が主役となって、自信満々と行動していくことである。勇気の対話へ一人立つ友がいるところ、そこが"広布開拓の主戦場"なのだ」
最前線の同志を一人ももれなく"幸福拡大の主役"に!——池田先生は、"広布の主戦場"である「組」を駆け回りながら、一人一人との絆を強めていった。

◇組織の人間化に挑む
「一緒に頑張りましょう!」
池田先生はニッコリとほほ笑み、優しく蒲田支部の婦人に声を掛けた。婦人は、なかなか弘教が進まず、しょんぼりと道を歩いていたところだった。先生の"励ましの一言"で、婦人の心に明かりがともった瞬間だった。
「優しさ」「ほほ笑み」——二月闘争を共に戦った草創の同志は、「闘争」という言葉とは、まるでかけ離れた池田支部幹事の印象を語っている。
先生の力強い姿や確信の言葉が、一人一人の心を打った場面もある。しかし、"広布拡大の証しをもって、戸田先生の誕生月を荘厳したい"との若き池田先生の強い思いは、同志に対する「慈愛」の表情・言葉として表れていった。リーダーの深い祈りがこもった、包み込むような励ましが、同志に勇気を送り、"心の壁"を打ち破る闘争につながっていったのである。
それまで、一つの支部で月に100世帯前後の弘教が限界だった。蒲田支部は2月の1カ月間で、201世帯の未聞の金字塔を打ち立てた。この二月闘争から、戸田先生の願業であった75万世帯の弘教達成へ、具体的な突破口が開かれていった。
先生は二月闘争の挑戦について語る。
「組織といっても、『人』である。『組』という小さな単位に光を当てた結果、一人一人に、きめ細かな激励ができた。納得し、心から立ち上がる人が増えてきた。その"新しい波動"が次の波動を呼び、組織全体がフレッシュに躍動しはじめた」
「組」単位を軸にした実践は、「いわば"組織の人間化"への挑戦であった。わが生命をふりしぼって、地域のすみずみにまで、清新な『信心』の息吹を脈動させていく。その戦いであった」。
小さな「組」中心という"新しい発想"と、"きめ細かな励まし"。そこから生まれた"新しい波動"——「組織」を、血の通った"強固なつながり"に変えた二月闘争の「小単位」「一対一の激励」は、学会の"励まし運動"の源流となった。

【「若き日の日記」1951年(昭和26年)6月6日から】
前進——この言葉の中には、成長がある。
希望がある。勇気がある。
若さがある。正義がある。——
25歳へ——二つの誓い
二月闘争の一年前の1951年(昭和26年)2月、池田先生は、25歳までに果たすべき二つの誓いを記している。「二十五歳までに、広宣流布に生命を捧げられる用意をなす事」「二十五歳までに、指導力を養い、先生の御意志を継げる決意を固める事」(『若き日の日記』、1951年2月18日)
それは、法華経に説かれた「不自惜身命」(自ら身命を惜しまず)の心を、現代によみがえらせる誓いでもあった。
ここに記された「25歳」という年齢に、大きな意味が秘められていた。池田先生は青春時代、病を抱え、医師からは「30歳まで生きられないだろう」と言われた。
「健康再び勝れず。苦しい」「身体の具合悪し。口をきくのも億劫なくらいである」——二十三、四歳当時も、体調不良と向き合う記述が数多く見られる。若き日の先生には、一年一年そして一日一日が、まさに命懸けだった。戸田先生は、そんな池田先生の体を誰よりも心配した。
52年(同27年)の12月、池田青年は、「本年も、三障四魔との戦闘の連続であった。而し、本年は、立派に勝ち通した」(同、52年12月8日)と、師に応えようと戦い抜いた一年の充実と、その勝利の喜びをつづった。
その10日後、こうとどめる。「先生を護ろう、力の限り。先生を護ろう、吾が生命のある限り」「師弟の道、師弟不二。人類最高の道を、私は、真っしぐらに進むだけだ」(同、52年12月18日)
「広布の道」「師弟の道」に"休み"はなかった。師匠のために、前進に次ぐ前進の連続闘争を起こしていくことこそ、先生にとっての弟子の道だった。年が明けた53年(同28年)1月2日、25歳の誕生日のその日、若き先生は男子部の第一部隊長の任を受け、恩師に報いる新たな闘争を始めるのである。
池田先生は述べている。
「前進を阻む最大の壁は、あきらめや臆病など自分の胸中にある。その心の壁を決然と打ち破れば、必ず新たな変革の大波を起こしていける。これが『一念三千』の大仏法だ」

2021年2月9日火曜日

2021.02.09 わが友に贈る

バランスの良い食事
適度な運動や睡眠は
自らの免疫力を高める。
聡明に体調を整えながら
日々 生命力を豊かに!

最蓮房御返事 P1341
『悪象の為に殺されては三趣に至らず、悪友の為に殺さるれば必ず三趣に至らん』

【通解】
悪象のために殺されたときは三趣(地獄・餓鬼・畜生の三悪道)に至らない。悪友のために殺されたときは必ず三趣に至るであろう。

名字の言 書の校正は「塵を掃うが如し」 2021年2月9日
中国の古典に「書を校するは塵を掃うが如し」という言葉がある。「書物の校正は、その度ごとに誤脱などが発見され、いくら塵を払っても払い尽くせないように、完全無欠を期することは至難」(広辞苑)ということ▼本社にも校正を担う部署がある。新聞や書籍の校正で、訂正する文字は主に赤色で書き込むことから赤字と言うが、赤字をなくす校正は、まさに「塵を掃うが如し」。冒頭の言葉は三十年来、校正を担当する先輩の座右の銘▼今年1月、高品質のコーヒー豆の販売店を新装開店した夫妻がいる。こだわりの一つが、自家焙煎した豆を手作業で選別する「ハンドピック」。割れたり欠けたりした不良の豆を丁寧に取り除くからだろう。ショーケースには、粒がそろったきれいな豆が並んでいた▼同じ豆でも焙煎が異なれば、味わいや香りといった個性は大きく変わる。焙煎のやり方も、その日その時の気象条件で異なる。「だから毎回が真剣勝負。過去のデータを参考に、コーヒー豆と対話しながらの作業です」。地域ブランドにも認定され、信頼の輪を広げる▼「苟に日に新たに、日日に新たに、又た日に新たなり」(『大学』)。慣れや油断を排し、日々、新たな挑戦と努力を重ねる。その真剣勝負の中に歴史は創られる。(川)

寸鉄 2021年2月9日
相手の悩みの中心に触れ応えていくのだ—恩師。抜苦与楽の語らいを友と
民音の日。心を潤し、結ぶ音楽の力。オンライン充実。更なる発展に期待
御書「病ある人仏に」。信心根本で闘えば絶対に負けない。宿命転換の時
20・30代の患者8%、酸素投与必要に—研究。3密回避等、断じて油断せず
1週間レジ袋使わぬ人、3割から7割に増加と。未来開く変革は足元から

☆御書の旭光を 第5回 地域に生命の"安全地帯"を
〈御文〉
『一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ日蓮一人の苦なるべし』(御義口伝、758ページ)

〈通解〉
一切衆生が受けているさまざまな苦悩は、ことごとく日蓮一人の苦である。

〈池田先生が贈る指針〉
"あなたの苦しみは、私の苦しみです"。苦難と戦う民衆に寄り添われる御本仏の大慈大悲が胸に迫る。この同苦の心を継ぐのが創価の菩薩行だ。
「話を聞いてくれた」「分かってもらえた」——信頼できる先輩や同志の存在が、悩める友を安心と希望で包む。
眼前の一人を大切に、わが地域に生命の"安全地帯"を!

☆2月度座談会拝読御書 種種御振舞御書
◇拝読御文
『仏滅後・二千二百二十余年が間・迦葉・阿難等・馬鳴・竜樹等・南岳・天台等・妙楽・伝教等だにも・いまだひろめ給わぬ法華経の肝心・諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字・末法の始に一閻浮提にひろまらせ給うべき瑞相に日蓮さきがけしたり、わたうども二陣三陣つづきて迦葉・阿難にも勝ぐれ天台・伝教にもこへよかし』(御書全集910ページ17行目〜911ページ1行目、編年体御書947ページ17行目〜948ページ1行目)

◇[池田先生の指針から] 学会こそ仏意仏勅の教団
戸田先生は、この「種種御振舞御書」の御文を拝し、叫ばれました。
「我ら創価学会員こそ、この御聖訓に応えたものであり、この名誉と功徳は、何ものにもかえることはできえない」
釈尊、そして日蓮大聖人が仰せになられた「一閻浮提広宣流布」の御遺命を実現しているのは、いったい誰か。創価学会以外にありません。学会こそが、仏意仏勅の最極の教団なのであります。
これもすべて、創価三代の師弟が、大聖人の御金言を寸分も違えず、競い起こる三障四魔、三類の強敵と戦い、死身弘法を貫いてきたからです。(中略)
日本のみならず、世界百九十二カ国・地域で、正義の炎と燃える門下が陸続と起ち上がっている。世界に澎湃と湧き起こった使命の青年の大河こそ、創価の勝利の証です。
迦葉や阿難をはじめ釈尊の高弟たちも、仏法正統の大指導者であった天台や伝教も、この広布後継の俊英の群像を見たならば、きっと驚嘆するにちがいない。そして心から喝采を送り、讃嘆するでありましょう。
三代の師弟は「さきがけ」の勇気で勝ちました。そして、これからも、「二陣三陣」の後継の闘魂で永遠に勝ち続けていくのです。師弟不二なる創価の師子吼の前には、いかなる誹謗・中傷も、「風の前の塵」にすぎません。
大聖人の御在世と同じく、今、時代は乱気流の中に入っている。しかし、いかに社会が動揺していても、いな社会が動揺しているからこそ、自分の信心だけは微動だにしてはならない。"広布のため""学会のため"という心の操縦桿を握りしめていけば、必ず打開できる、勝利できる。こう確信して、師子奮迅の力を出し切っていくことです。(『御書と師弟』第2巻)

◇師の大闘争に二陣三陣と続こう
[キーワード1] 世界広宣流布を予見
日蓮大聖人の御生涯——それは、万人に仏の境涯を開かせたいとの大慈悲に貫かれた御一生でした。同時に、妙法流布を阻むあらゆる悪を責め抜き、大難を一身に受けられた御生涯でもありました。
「種種御振舞御書」では、文永5年(1268年)から建治2年(1276年)まで、約9年間にわたる大聖人の御闘争について述べられています。この間に起きた、「竜の口の法難」や「佐渡流罪」といった、権力による大弾圧と戦われる、大聖人のお振る舞いが記されています。
拝読御文で大聖人は、釈尊滅後、2220年余りの間、そうそうたる仏教者たちでさえ妙法を弘めることがなかったことを明かされています。
これに対して、大聖人自らが弘められたのが、「法華経の肝心・諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字」である、南無妙法蓮華経の大法です。妙法は万人成仏を説いた法華経の真髄であり、あらゆる仏を成仏させた根源の法です。
「日蓮さきがけしたり」との仰せから、先陣を切って妙法を弘められた御覚悟が拝されます。
さらに、「一閻浮提にひろまらせ給う」との言葉に、大聖人の仏法が、その出発点から、世界広宣流布を目指していることが分かります。門下たちは、迫害の渦中にあって、"世界広宣流布は実現できる"との大聖人の御確信に触れ、どれほど心が躍ったことでしょう。
現代にあって、妙法を世界192カ国・地域に弘め、大聖人の未来記を壮大なスケールで実現したのが、創価三代の会長であり、創価学会なのです。

[キーワード2] 難に揺るがぬ信心を
文永5年、蒙古からの国書が日本に到着した後、諸宗との公場対決を迫る大聖人の御闘争によって、大聖人ならびに門下に、幕府から弾圧が加えられようとします。
その模様は、本抄で次のようにつづられています。
「頸をはぬべきか鎌倉ををわるべきか弟子檀那等をば所領あらん者は所領を召して頸を切れ或はろうにてせめ・あるいは遠流すべし」(御書910ページ)
門下への弾圧が激化した結果、「千が九百九十九人は堕ちて候」(同907ページ)と仰せのように、退転する弟子が後を絶ちませんでした。
こうした逆境のなかで、大聖人は、「日蓮悦んで云く本より存知の旨なり」(同910ページ)と、拝読御文の前段で毅然と叫ばれました。妙法流布ゆえの大難など、はじめから承知されていたのです。さらに、弟子たちに「各各思い切り給へ」(同ページ)と、難と戦う覚悟を訴えられています。
師弟こそ日蓮仏法の真髄です。成仏の直道です。ゆえに、不惜身命で妙法を弘め抜かれた、師・大聖人の御闘争に「二陣三陣」と続いていきなさい、と呼び掛けられたのです。
二陣、三陣と、弟子が師匠に続く——この途切れることのない、師弟不二の戦いで人類の幸福、広宣流布の未来は開かれていきます。
2月16日は、数えで大聖人御聖誕800年の佳節。民衆救済の大法を弘める、大聖人門下としての無上の誇りと使命を胸に、いかなる烈風にも揺るがない信心を築いていきましょう。

2021年2月8日月曜日

2021.02.08 わが友に贈る

◇今週のことば
題目の功徳は
「大海のごとし」
「日月のごとし」
強く明るく悠々と
不屈の価値創造を!
2021年2月8日

上野殿御消息 P1528
『法華経を持つ人は父と母との恩を報ずるなり、我が心には報ずると思はねども此の経の力にて報ずるなり』

【通解】
法華経を持つ人は、父と母との恩を報じているのである。自分の心には父母の恩を報じているとは思わなくても、この経の力によって報じているのである。

名字の言 コロナ対策はインフルエンザの予防効果も 2021年2月8日
「小鳥がいたの。その名はエンザ。窓を開けたら飛び込んで来たの」——およそ100年前の米国で、少女たちが縄跳びをしながら歌っていた歌だという。当時、世界各地で「スペイン風邪」と呼ばれたインフルエンザが流行していた▼日本では内務省衛生局が、国民に注意喚起を促す標語を作成した。1920年1月には、次の標語が考案されている。「近寄るな——咳する人に」「鼻口を覆へ——他の為にも/身の為にも」「予防注射を——転ばぬ先に」「含嗽せよ——朝な夕なに」▼スペイン風邪の流行から100年以上がたち、医学は長足の進歩を遂げた。だが、感染症の対策に変わりはない。「フィジカルディスタンス(身体的距離)を保つ」「マスクを着用する」「ワクチンの接種」「小まめな手洗い・うがい」▼この冬のインフルエンザの患者数は、例年に比べると記録的に少なくなっている。新型コロナウイルスへの対策が、インフルエンザの予防にもつながっていると指摘されている▼「さきざきよりも百千万億倍・御用心あるべし」(御書1169ページ)との御聖訓を今一度、深く心に刻みたい。"自分だけは大丈夫"という慢心こそ、感染防止の最大の敵だ。油断を排し、基本の予防対策に徹しつつ、価値創造の一日一日を。(嶺)

寸鉄 2021年2月8日
御書「闇なれども灯入りぬれば明かなり」。まず己が立つ!ここから希望が
沖縄の日。幸のスクラム広げる模範の前進。勝利の春へ対話の花は爛漫と
潜水艦の如く—二月闘争の歴史は水面下の激励が開いた。我らもこの心で
「運動不足感じる」66%。心身に悪影響の恐れも。体を動かす聡明な習慣を
「簡単に稼げる」「誰でもできる」等、SNSの甘い話は詐欺だ!騙されるな

〈社説〉 2021・2・8 漫画家・手塚治虫氏に学ぶ
◇翼広げる後継の友に励ましを
新型コロナ禍の影響で自宅で過ごす時間が増え、書店市場は4年ぶりに拡大する可能性があるという。中でもコミック(紙、電子)は好調で「鬼滅の刃」の爆発的なヒットも要因となり、昨年12月までの月ごとの売り上げは15カ月連続で前年を上回る(日本出版販売株式会社調べ)など、その需要はさらに高まっている。
日本の漫画は娯楽として存在する一方で、世界に誇れる文化としても発展を遂げてきた。漫画家・みなもと太郎氏が"彼のおかげで昭和のマンガは一挙に花開き、21世紀には世界のマンガをリードするまでに発展した"と語っているように、多くの人が、戦後の漫画文化をけん引した人物として頭に浮かぶのは、手塚治虫氏だろう。9日は氏の祥月命日(1989年没)。「治虫忌」とも呼ばれ、この日を中心に、多くの漫画家やイラストレーターが"自身の手塚作品"を描き、現代によみがえらせることで偉大な先駆者をしのぶという。
鉄腕アトム、火の鳥、ブッダ……生前、自身の作品は「"生命の尊厳"を常にテーマにしてきた」と語っていたが、今なお多くの人に親しまれ、それぞれの心に鮮やかに生き続けるのは、その哲学が作品の根底に流れ通っているからだろう。
また、氏は「自分の描くものには絶対の自信があった」「いつも次の作品、次の仕事こそ、と信じ続けた」と、いかなる境遇でも自分を信じ、決して諦めない"執念の人"だった。その自負が創作活動においてあらゆる知恵を生んだ。アシスタントの雇用、鉄腕アトムのアニメーション番組の制作など、新しいシステムや手法を開拓した。氏が日本の漫画業界にもたらした功績は計り知れない。
そして何より、子どもたちのために作品を残し続けた人だった。「信念を持って行動し、決してあきらめたりしない。時には、どう考えても勝ち目のなさそうな相手にもぶつかっていく」という鉄腕アトムに、子どもたちへの願いを込めた。また"夢は二つ以上持ってください"と語ったことがある。一つの夢が破れてしまった時でも挫折しないようにとの、子どもたちに対する深い期待と愛情がうかがえる。氏も、漫画家以外に医者や昆虫学者になる夢を持っていた。
池田先生は、そんな氏の体験に触れ、「夢は与えられるものではありません。自分の好きなこと、興味のあることから見つけ出すものです。いろいろなことに挑戦していけば、自分の『夢のつばさ』を大きく広げることができます」と。
後継の友が夢に向かって翼を大きく広げられるよう、また信念を貫き、困難に挑んでいる人たちの背中を押せるよう、心からの励ましを送りたい。

☆第1回青年部幹部会 池田先生のメッセージ
◇信ずる君よ舞いに舞い征け 「人間革命」の誓願の劇を!
一、日蓮大聖人の御聖誕から800年となる2月を、新たな広宣流布の歴史を創りゆく第1回の青年部幹部会で飾ってくれました。
大聖人が、いかばかり御賞讃くださることか。
みな、寒い中、また、さまざまな制約の中、本当にご苦労さま!
一、きょうは、青年の皆さんに、「『地涌大歓喜』の青春を舞いに舞い征け」と申し上げたい。
「汝自身を知れ」とは、古代ギリシャ時代からの哲学の大命題であります。
この「汝自身」について、「生命」という本源的な次元から、また「過去・現在・未来」という永遠性の次元から解明したのが、日蓮仏法の法理であります。
大聖人は、「初めて自分の心が本来の仏であると知ることを、すなわち大歓喜と名づける。いわゆる南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜である」(御書788ページ、通解)と示してくださっております。
題目を唱えることは、「わが生命は仏なり。妙法の当体なり」と目覚めていくことです。汝自身は、決して無力な、弱く小さな存在などではない。大宇宙と一体の、最も偉大な仏の力を発揮していける尊極の生命なのだと、自覚することなのです。

一、恩師・戸田先生は、経済苦や病苦などと懸命に闘う友に対して、「それは、人生の劇を演じているんだよ。生命の本地は、正真正銘の地涌の菩薩なんだ。人生の劇ならば、思い切って楽しく演じ、勝ちまくって、妙法の偉大さを証明していこうではないか!」と励まされました。
この師弟の不二の絆から、どれほど多くの地涌の群像が奮い立ち、あえて泥沼の如き困難な社会に躍り出て、「人間革命」即「立正安国」の誓願の劇を勝ち光らせてきたことでしょうか。
あのトインビー博士が、「人類の生存に対する現代の脅威は、人間一人一人の心の中の革命的な変革によってのみ、取り除くことができるものです」と語られ、仏法に啓発された創価の民衆の人間革命運動に絶大なる期待を寄せてくださったことを、改めて思い起こします。
21世紀の青年に立ちはだかる脅威は、いやまして大きい。使命深き青春に、苦労や悩みは絶えないでしょう。壁にぶつかって、行き詰まる時も、スランプの時もあるにちがいない。
しかし、「苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経」(同1143ページ)と唱え抜く中で、一つ、また一つ、必ず「変毒為薬」していくことができます。
今、打ち続くコロナ禍にあって、日本も、世界も、若者が先の見えない不安や絶望、無力感や諦めに覆われている中で、若き地涌の君たち、あなたたちが「歓喜の中の大歓喜」の生命を躍動させて、英知の探究と正義の行動の青春を勇気凜々と舞いに舞い征くことこそ、人類の未来を照らす限りない希望なのであります。
地球民族の平和の大連帯を築け——価値創造の智慧と一人を大切にする慈悲で

一、大聖人は、真の喜びとは自分一人に閉ざされたものではない。「自他共に喜ぶ」(同761ページ)ことであり、さらに「自他共に智慧と慈悲と有る」(同ページ)ことであると教えてくださっています。
どうか、何があっても、そこから価値創造していく「智慧」を光らせ、どこまでも一人の人間を大切にする「慈悲」をいよいよ深めながら、地域に社会に友情と信頼を結び、若き世界市民の友と「桜梅桃李」のスクラムを広げていってください。
そして「生命尊厳」の大哲理を高らかに掲げ、「大悪をこれば大善きたる」(同1300ページ)と一念を定めて、地球民族の平和と人道の大連帯を築き上げていただきたいのであります。

一、最後に、愛し信ずる君たち一人一人の「地涌大歓喜の青春」に、栄光勝利あれ!と祈りに祈って、メッセージとします。

☆インド最大の日刊英字紙に池田先生が寄稿
◇「新たな生命ルネサンスの創出へ」
インド最大の日刊英字紙「タイムズ・オブ・インディア」の2月4日付に、池田先生の寄稿「新たな生命ルネサンスの創出へ」が掲載された。
寄稿の中で先生は、新型コロナとそれに伴う混乱が続く中でも、苦境に陥った人々を支援する行動が世界各地で起きていると紹介。
深刻な打撃から社会を立て直す上で国連のSDGs(持続可能な開発目標)を貫く「誰も置き去りにしない」との理念が重要であるとし、法華経の「化城宝処」の譬えに言及。
どれだけつらく絶望しそうな状況でも、手を携えて共に前に進み続けるというこの説話の主題には、自他共の幸福を求める人間精神の大宣言ともいうべき輝きがあると述べ、SDGsにおいても新型コロナの問題においても、数値的な改善と同時に、さまざまな困難を抱えた「人間」に目を向け、その苦しみを取り除くことが社会の再建を図る上で重要になると強調した。
さらに、トインビー博士の"文明も、人生も、絶え間なく襲いかかる試練の挑戦に応戦し、打ち勝つところに、偉大な価値の創造がある"との哲学に触れ、人間の限りない智慧と創造性と力を結集すれば、パンデミック(世界的大流行)を必ず克服できると力説。
試練に屈せず、挑戦し、勝ち越えていく中で、偉大な精神の源流を持つ「青年の大国」「21世紀の大国」インドが機軸となり、新たな生命のルネサンスが創出されることを確信してやまないと述べた。

2021年2月7日日曜日

2021.02.07 わが友に贈る

躍動の青年部幹部会の
配信がスタート!
地涌の若人と共に
広布誓願の旅路へ
歓喜の前進をしよう!

御義口伝巻上 P716
『衆生に此の機有つて仏を感ず故に名けて因と為す、仏機を承けて而も応ず故に名けて縁となす、是を出世の本意と為す』

【通解】
衆生に仏を渇望する機根があってはじめて仏を感じるのである。ゆえにこの機根を名づけて「因」と言い、また仏はこれを承け、応じて出現するのである。これを「縁」という。この一大事因縁こそ、仏の出世の本懐である。

名字の言 青年部幹部会で体験発表した男子部員と、彼を支えた本部長 2021年2月7日
第1回青年部幹部会を終えた東京戸田記念講堂でのこと。感極まった様子で言葉を交わす二人の男子部員がいた▼一人は体験発表に立った地区副リーダー。中途失明をした彼は文字が見えない。検討の末、原稿を読み上げるパソコンの音声を、イヤホンで聞いて話すことにした。もう一人はパソコンを操作した本部長。本番まで二人で懸命に練習を重ねた。本部長が小説『新・人間革命』を朗読して共に研さん。当日のサポート役も担った▼終了後、「あの時、言っていましたよね」と本部長が声を詰まらせた。かつて全盲の彼が自信なさげに「僕の姿が希望になるんですかね」と言ったことが忘れられなかったのだ。以来、彼のことを祈り支え続けた。そして今回、大役の声が掛かり、見事にやり遂げた。「今、こんなにも大勢の方に希望を届けているじゃないですか……」と本部長。二人の目に涙が光った▼「悩みや苦しみがあるから、信心が深く、強くなる。そして、未来に幸福の花を咲かせられるんだよ」と戸田先生は言う。その"花"が開くまで寄り添い、励ましの光を注ぎ続ける——そんな太陽のような同志がいる人生は幸福である▼"冬"を越えて咲いた花は、やがて新たな"春"を呼ぶ。この蘇生と歓喜の連鎖に学会の実像がある。(渉)

寸鉄 2021年2月7日
「法妙なるが故に人貴し」御書。仏法は勝利の源泉。強盛な祈りに活路は必ず
心動かすのは誠実と熱意—戸田先生。電話一本も大切。満々たる生命力で
「生命のある限り希望はある」文豪。不屈の魂で前へ。境涯を開く時は今
震災風化を懸念—東北の首長9割。日頃の備えが防災の基本。教訓忘れず
自粛で家族のありがたみ感じた—7割。支え合いの心こそ一家和楽の土台

☆四季の励まし 恐れなく進め、わが青年よ 2021年1月31日
池田先生の言葉
青年は、未来の希望だ。
青年が情熱の炎を燃やし
理想に生きる
社会の前途は、
大きく開けていく。
青年が時代を創る。

青春時代は、
「決意の根」を
鍛え上げる時である。
じっとこらえて
「今に見よ!」と、
負けじ魂で決心と挑戦を
繰り返した人が、
栄光の未来を
勝ち取ることができる。

世界広布の流れは
間違いなく進んでいる。
それも急速に!
ならば、我らは
変化を厭うのではなく、
若人を先頭に、
現在の変化の中に、
「人間の幸福と
平和のために」という
立正安国の精神性を
打ち込んでいきたい。

今日ほど
青年の熱と力の糾合が
待望されている
時代はあるまい。
わが青年部が、
満を持して、
今再びの「拡大」に
挑む時が来たのだ。
それは、人間革命による
自らの境涯の拡大である。
また、勇気の対話による
友情と仏縁の拡大である。

「師匠のために」と思えば、
勇気百倍、
無限の力がわいてくる。
この無上の人生を
与えられたことに、
報恩感謝は尽きない。
妙法は不老不死であり、
わが師弟の誓いも
不老不死である。
だから
幾十星霜を重ねようが、
常に若々しく
生き抜いていける。

仏法には、何一つ、
失われるものはない。
すべての行動が、
すべての誓いが、
最後は幸福と勝利へと
結実していくからだ。
君よ、動ずるな!
君よ、恐れるな!
そして、君よ、
大胆不敵に
人生を生き抜き給え!

【写真説明】一隻の船が、水面を蹴って進んでいく。両岸には、陽光を楽しむように、緑の木々が輝いている。1981年(昭和56年)5月、池田大作先生がロシアのモスクワ運河を走る船上から撮影した。
この訪露の折、池田先生は青春時代から親しんだ文豪トルストイの家と資料館を訪れている。
最晩年までペンを握り続けた文豪は書き残した。「人生とは、変化し、成長し、限界を広げることである」(『レフ・トルストイ全集 88・89』テラ出版社<ロシア語>)
さあ、あすから「伝統の2月」。「第1回青年部幹部会」も、2月6日から配信される(同14日まで)。人間革命を目指して、青年と共に、青年の心意気で前進しよう!

2021年2月6日土曜日

2021.02.06 わが友に贈る

「音も惜まず」御聖訓。
真心を込めた言葉は
相手の胸に必ず響く。
あの友 この友へ
勇気と希望の語らいを!

上野殿御返事 P1539
『梵天帝釈等の御計として日本国一時に信ずる事あるべし、爾時我も本より信じたり信じたりと申す人こそおほくをはせずらんとおぼえ候』

【通解】
梵天や帝釈のおはからいとして、日本国の人々が一度に(正法を)信じることがあるであろう。その時、「私も、もとから信じていた」「私も信じていた」という人が大勢、出てくるであろう。

名字の言 牧口先生が説いた「三つの自覚」 2021年2月6日
沖縄の誇りを歌う民謡「ひやみかち節」。歌詞の元は戦時中、米国で強制収容された平良新助氏が、戦禍に苦しんだ故郷を励まそうと詠んだ琉歌だ。「七転び転でぃ ひやみかち起きてぃ わしたくぬ沖縄 世界に知らさ(何度転んでも、えい!と起きて、我らの沖縄を世界に知らそう)」▼海外移民の先駆者である氏は120年前、ハワイに渡航。現地の状況を故郷に伝え、移民の生活の向上に尽くした。戦後は沖縄に帰郷。80歳を過ぎてなお、"私はまだ青年"と地域事業の発展に意欲を燃やし続けた▼浦添市の80歳の壮年は、FMラジオのパーソナリティーを務めて20年以上になる。話のネタは実際に地域を歩く中で得たものばかり。地元愛あふれる内容に、放送を楽しみにしている人も多い▼旧習深い土地で、学会活動を始めた当初は周囲の無理解に苦しんだ。だが壮年は"今に見ろ"と歯を食いしばり、信心根本に生活苦を克服。夫婦で地域貢献の汗を流し、認識を一変させてきた▼初代会長の牧口先生は「世界民」「国民」、そして「郷土民」という三つの自覚をもって生きる中に、人間の可能性の開花があると説いた。沖縄の先達の生き方はそれを強く物語る。「立正安国」「立正安世界」は、地道な足元の実践から始まる。(踊)

寸鉄 2021年2月6日
"青年幹"の配信が開始。共に『新・人間革命』学び前進!皆が新時代の主役
青年部は先駆者の気概で戦え—恩師。新たな対話拡大で勝利の突破口開け
一切の功徳を合せて妙の文字とならせ給う—御書広布の祈りに福徳は燦然
全国で感染者減少も医療体制の逼迫続く。マスク、3密回避等、改めて確認
特殊詐欺被害額減少も依然深刻。高齢者は要警戒。怪しい話はキッパリ拒否

☆池田先生が贈る「無冠の友」への新春メッセージ 希望と励ましの襷を友の心へ
◇皆さまこそ広布を開く担い手
新しい世界の夜明けを開く「希望・勝利の年」が始まりました。日本全国の「無冠の友」の皆さま、新年明けましておめでとうございます。
本年、わが聖教新聞は創刊70周年の佳節を迎えます。
あらゆる試練を越えて発刊を続け、読者のもとにお届けすることができたのは、ひとえに無冠の皆さま一人ひとりの奮闘あればこそと、心より深く御礼申し上げます。
厳寒期の今、配達には人一倍の苦労があることでしょう。日の出も遅いため、普段より入念に準備をして、無事故の配達へ勇んで出発される尊き姿にこそ、元初の太陽の輝きがあります。
そうした行動の全てが、「如来の使にして、如来に遣わされて、如来の事を行ず」(法華経357ページ)という広布の聖業にほかなりません。私と妻は最敬礼して、感謝の祈りを捧げる毎日です。
それは1951年(昭和26年)の3月17日。わが師・戸田城聖先生は、私たち青年有志をご自宅に呼ばれ、機関紙創刊への企画会を行われました。私は、日記にこう記しました。
「日本一、世界一の大新聞に発展せしむる事を心に期す。広宣流布への火蓋は遂にきられた。決戦に挑む態勢は準備完了」
紙名を検討した折には「文化新聞」や「創価新聞」、また「公正新聞」「世界新聞」などの案が出る中、戸田先生は「将来のことを考え、たとえば『宇宙新聞』なんてどうだい」と語られました。
師匠の壮大なスケールの構想を胸に、弟子は基盤を固める地道な一歩また一歩を踏み出していきました。遂に創刊された聖教新聞を手に、学会本部のあった西神田を歩き、自ら紙面を近隣の方々に紹介しながら配ったことも思い出されます。
今日に至るまで、この創刊時の歓喜と情熱のまま、聖教新聞は時代の要請に応じ、未来を展望して、仏法の智慧と慈悲の視座を示してきました。平和・文化・教育の橋を架け、分断から融和へ、人類の良心の連帯を幾重にも広げているのです。
近年、学校教育の次元を超えて、「学び(ラーニング)」の大切さが注目されています。聖教新聞は、その当初から、向学の民衆にとって、かけがえのない"生命哲理の教科書""人間学の教科書"として学ばれてきました。今では、各国各界の識者からの共感の声なども厚みを増し、世界市民を結ぶ平和と人道のテキストとして、いやまして真価を発揮しています。
現下のコロナ禍にあって、医療従事者をはじめとする方々により懸命な奮闘が尽くされていますが、いまだ世界を覆う不安は大きい。だからこそ「希望」が力です。「励まし」が光です。
この「希望と励ましの襷」をつなぐトップランナーこそ、無冠の友の皆さまです。昨年、学会活動もままならない中も、たゆまず配達を続けてくださった皆さまが、どれほど友の支えであったことか。たとえ、なかなか会えなくとも、聖教新聞を通して、創価家族の心は結ばれます。全世界の異体同心の絆も、紙面を通して一段と強まっています。
フランスの哲学者アランは、「幸福」を皆に広げていける人の大切さを綴っています。それは、どのような人であるか。「自分に『これでよし』と言っている人たち、自分のよろこびを顔に出している人たちのことだ」というのであります。
私には、真っ先に無冠の友の皆さんの生き生きとした足取り、爽やかな挨拶が胸に浮かんできます。その姿が地域に幸の風を運びます。信心の確信と喜びが、仏法を大きく広げるのです。
先日も、妻が「声」の欄を読んで感銘していました。関西の、あるお母さんからの感謝の声です。——九州の大学へ娘さんを送り出したところ、コロナ禍で入学式も中止となり、不慣れな地で不安な1人暮らしが始まりました。そこへ、地域の配達員の方が、手作りのマスクと手紙を届けてくださったのです。温かい創価家族の真心に触れ、どれほど嬉しく心強かったことか、というのです。
御本仏・日蓮大聖人は仰せになられました。
「釈迦仏と法華経の文字とはかはれども心は一つなり、然れば法華経の文字を拝見せさせ給うは生身の釈迦如来にあひ進らせたりと・おぼしめすべし」(御書1122ページ)
聖教新聞の「文字」を通して、「太陽の仏法」は現代に蘇り、世界広布の大道は開かれました。その誉れの担い手こそ「無冠の友」の皆さまであることは、御聖訓に照らして、間違いありません。
次代へバトンタッチして、配達の使命を終えられても、生命に刻まれた栄光と福運は、三世永遠に消えることはありません。
無量の福徳を積みゆく使命深き皆さまであればこそ、無事安穏で、ご健康・ご長寿で、幸多き人生の道を、ますます賢く朗らかに歩んでいってください。くれぐれも疲れをためないよう工夫して、十分な睡眠を取ってください。愛する無冠の友の功徳満開の人生を、私と妻は、朝な夕な真剣に御祈念してまいります。
さあ、創立100周年へ、希望の大行進のスタートです。スクラム強く、誓願の出発をしようではありませんか!
私と共に!
全世界の同志と共に!
 2021年 元旦

本紙は本年、創刊70周年の節目を迎える(4月20日)。未曽有の試練の中にあっても、本紙を配達してくださる「無冠の友」。皆さまの力走によって、苦難に負けない"師弟の絆"は全国に大きく広がっている。ここでは、配達員の機関紙「無冠」の聖教新聞創刊70周年記念特集に掲載された、池田先生の新春メッセージを紹介する。