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如説修行抄 P502
『かたきは多勢なり法王の一人は無勢なり今に至るまで軍やむ事なし』
【通解】
敵は多勢である。法王(仏)の使いは日蓮一人であり、多勢に無勢である。今に至るまで軍はやむ事がなく、戦いの連続である。
名字の言 フランスの思想家ルソーが述べた「第2の誕生」 2020年6月7日
私たちは2回、この世に生まれる——そう洞察したのはフランスの思想家ルソーである。「一回目は存在するために、二回目は生きるために」と(今野一雄訳『エミール』岩波文庫)▼1度目は、母親の"産みの苦しみ"を伴って生命を授かる瞬間だ。ルソーが「第2の誕生」と呼ぶのは、子どもから大人へと成長する時期。自我に目覚め、自分らしく生きたいと苦悩する。その"苦しみ"は自身で引き受ける以外にない▼思春期に加え、コロナ禍という"二重の葛藤"と向き合う中で、京都伏見総県高等部の代表がある事に取り組んだ。未来部担当者の勧めを受けて行った、両親や祖父母へのインタビューである。質問内容は「自分が生まれた時のこと」から「なぜ信心を始めたの?」など多岐にわたる▼初めて聞いた話も多い。学会との縁をつくってくれた同志の励まし。信心根本に病や経済苦から蘇生した体験。ある父親は息子に語った。「池田先生との出会いを通して、お父さんは人間としての生き方を学んだんだ」。信仰とは、師弟とは……子どもたちが自らに"生きる意味"を問う端緒になったという▼小説『新・人間革命』第9巻「鳳雛」の章に「未来の使命を自覚した人は強い」と。使命に生きると決めた時、人は何度でも新生の輝きを放つ。(之)
寸鉄 2020年6月7日
青年ならば世界の運命を考えて動け—戸田先生。皆が新時代の山本伸一と
高等部結成記念日。君らの成長こそ創価の希望!正義の走者よ学びに学べ
人に与えた喜びは輝きを増して自分に戻る—文豪励ましに自他共の幸福道
換気の悪い所での会話が感染拡大の引き金—研究正しい知識で危険回避を
自転車事故、原因の7割が法令違反と。一時停止や歩行者優先などを順守
☆ロータスラウンジ——法華経への旅 第14回 法師品第十〈下〉
自らの喜びを他者にも——歓喜の連鎖の中に滅後の「成仏の道」がある
◇一切衆生のために
日蓮大聖人は、「方便品より人記品に至るまで八品は正には二乗作仏を明し傍には菩薩凡夫の作仏を明かす、法師・宝塔・提婆・勧持・安楽の五品は上の八品を末代の凡夫の修行す可き様を説くなり」(御書1499ページ)と仰せです。
つまり、「法師品第十」から「安楽行品第十四」まで、濁世末法の衆生にとって、どうすることが修行となり、どう生きることが仏になる道なのかが示されています。
とくに、「如来滅度するの後に」(法華経355ページ)と法師品にあるように、ここから、釈尊が亡き後(滅後)のことについて説かれていきます。
また、「在家・出家の法華経を読誦する者」(同358ページ)等の表現に示されるように、在家と出家、男性と女性といった差別はなく、あらゆる差異を超えて、一切衆生のために語られています。
さらに、「若し人有って妙法華経の乃至一偈一句を聞いて、一念も随喜せば、我は亦与に阿耨多羅三藐三菩提の記を授く」(同355ページ)と、誰であっても、法華経に少しでも触れて歓喜するならば、覚りを得ることができると約束されているのです。法華経は、末法の万人成仏の道を明らかにしているのです。
◇五種の妙行
滅後の修行とは、どういったものなのでしょうか。
法師品では、「妙法華経の乃至一偈を受持・読・誦・解説・書写し」(同355ページ)と、受持・読(経文を見ながら読む)・誦(経文を暗唱する)・解説(人に法を説く)・書写の五つを挙げています。これを「五種の妙行」といい、この修行に励む人を「五種法師」といいます。
これらの修行は、正法・像法時代におけるもので、煩悩のけがれを払い落として、眼・耳・鼻・舌・身・意の六根を清らかにするものとされていました。
日蓮大聖人は、「五種の妙行」について、「法華経を受け持ちて南無妙法蓮華経と唱うる即五種の修行を具足するなり」(御書1245ページ)と仰せです。
末法の今日にあっては、御本尊を「受持」することに尽きます。つまり、御本尊を強く信じ、自行化他にわたって唱題行に励んでいくことが、最高最善の仏道修行になるのです。
◇衣座室の三軌
釈尊滅後の弘通は難が大きいと説かれています ゆえに、それらの苦難に負けず法華経を弘めるための心得として、「衣座室の三軌」が教えられています。
●大慈悲心
一つ目は、「如来の室」です。
「如来の室とは、一切衆生の中の大慈悲心是れなり」(法華経367ページ)とあるように、室(部屋)が大慈悲心に譬えられています。
池田先生は「慈悲は、上に立って見おろすようなものではない。タテではなくヨコです。水平です。平等の人間としての共感である。相手への尊敬が基本になっている。だから『慈悲の部屋』なのです。
慈悲の生命空間の中に友をまねき入れ、つつみ、同じ部屋にともに座って人生を語っていくのです」(『法華経の智慧』普及版<上>=以下※)と、教えています。
相手がどんな態度を取ったとしても、慈しみ、同苦し、共に幸福に、共に成長しようとの真心で、温かく包み込んでいくことです。
●柔和忍辱の心
二つ目は「如来の衣」です。
「如来の衣とは、柔和忍辱の心是れなり」(法華経367ページ)とあるように、暑さ、寒さから身を守る衣のように、いかなる迫害にも屈しない強さを教えられています。
池田先生は「滅後の弘教においては、難は必然です。そこで『忍辱の心』が必要になる。
耐え忍ぶ心です。耐えるといっても、退くことでも、負けることでもない。耐えて勝つのです。心は何があってもへこたれないのです。広宣流布は精神の闘争です。
心が負けていては『忍辱の心』にはなりません」(※)と、語っています。
不撓不屈の精神が、末法の弘通には必要です。
また、その強靱な力も、弘教の実践の中で、着実に培われていくのです。
●一切法空
最後は「如来の座」です。
「如来の座とは、一切法空是れなり」(法華経367ページ)とあるように、ここでは、固定的な偏見や先入観なしに、変化する世界の実相をありのままに見て、何ものにもとらわれることのない境涯といえます。
池田先生は語っています。
「大聖人は『座とは不惜身命の修行なれば空座に居するなり』(御書737ページ)と言われている。不惜身命の行動こそが、一切法空の座に居ることになるというのです。
人間の常として、何かに執着し、とらわれがちなものです。
たとえば名声や地位などにとらわれ、それを手放したくないと惜しんでしまう。それは人間として、ある意味では自然かもしれないが、その執着をあえて乗り越え、身命をも惜しまず戦っていくということが『空座に居する』ことです。
『我が人生を広宣流布のために捧げていこう』というのが信心です。その信心に『空』の極意がある。
もちろん、それは命を粗末にするということではない。自分の尊い生命を、仏法のために惜しまず使っていくということです」(※)
世間のさまざまなことに振り回されずに、ひたぶるに信心に励んでいくことが大切なのです。
大聖人は、「衣座室とは法報応の三身なり空仮中の三諦身口意の三業なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は此の三軌を一念に成就するなり」(御書737ページ)と仰せです。
自行化他にわたる題目を唱え抜く人は、この「衣座室の三軌」を実践している人なのです。
【『法華経の智慧』から】 「仏の心」を伝え弘める
法華経は、釈尊を含めて、あらゆる仏を仏たらしめた「根源の法」を説く経典です。その「本因」の法を説くのが末法の法師なのです。
◇
「況んや滅度の後をや」——なぜ、仏の「在世」よりも「滅後」のほうが難が大きいのか。
「滅後」とは、仏の精神が忘れられ、宗教的、思想的に混迷する時代のことです。仮に仏を崇めているようでも、肝心の「仏の精神」は忘れ去られている。仏教の「宗派」はあっても、「仏の心」は生きていない。「宗教のための宗教」はあっても「人間のための宗教」はない。法華経は、とくにそういう時代のために説かれた経典です。
「仏の心」を忘れ去った時代に、「仏の心」を伝える法華経を弘めるからこそ、怨嫉が多いのです。人間性を失った時代に、人間性の回復を唱えきっていくのは大変なのです。
◇
法師自身が、法華経を聞いて歓喜の心を起こした人です。その法師が説いた法華経を他の人が聞いて、歓喜の心を起こす。その「歓喜」と「歓喜」の連鎖の中に、滅後の「成仏の道」があるのです。(普及版<上>「法師品」)
【コラム】 願兼於業——宿命を使命に変える
法師品には、本来、菩薩として大きな福運を積んだ人が、苦悩の衆生を救いたいとの願いによって、あえて悪世に出現し、妙法を弘通する姿が説かれています。このことを妙楽大師は、『法華文句記』で「願兼於業(願、業を兼ぬ)」と呼びました。
今、自分が直面している苦難も、"それを乗り越えて、妙法の偉大さを証明し、弘通していくために、自らが願って受けている"のです。私たちにとっての宿命は、法華経に照らせば使命なのです。
戸田先生は「時には、"貧乏菩薩"や"病気菩薩"のように見えるかもしれない。しかし、それは人生の劇を演じているんだよ。正真正銘の地涌の菩薩なんだ」と語られています。
大変な状況だからこそ、「願兼於業」の哲理を胸に、断じて勝つと決め、自身の人間革命に喜び勇む姿で、地域や社会を希望で照らしていきましょう。