「初心忘るべからず」
壁にぶつかったときこそ
原点に立ち返ろう。
新たな誓いの一歩から
飛躍の道は開かれる。
草木成仏口決 P1339
『一念三千の法門をふりすすぎたてたるは大曼荼羅なり、当世の習いそこないの学者ゆめにもしらざる法門なり』
【通解】
一念三千の法門の肝心要をとって建立したのが南無妙法蓮華経の大曼陀羅なのです。これは当世の仏法に未熟な学僧たちの決して知ることのない法門です。
名字の言 人道的競争の時代へ。きょう、牧口先生の生誕記念日 2020年6月6日
他者を思いやる心や振る舞いが、どれほど自身の生命に影響を及ぼすか。あの過酷なナチス収容所の中で、奇跡的に生き抜いた人々を調査した結果がある。それによると、生存者のうち82%もの人が、餓死寸前になっても、わずかな食料を分け合うなどして、「周りの人たちを助けたいと思った」というのだ(ケリー・マクゴニガル『スタンフォードのストレスを力に変える教科書』神崎朗子訳、だいわ文庫)▼もちろん極限状態に置かれた人々の体験は、軽々しく論じられるものではない。が、それほど重い事実ゆえに、「人類の教訓」であることは間違いないだろう▼近年の度重なる自然災害、そして未曽有のコロナ禍を経験し、強く実感したことがある。それは"自分だけの幸福や安全もなければ、自国だけの平和もない"ということだ▼きょう、生誕149周年を迎えた初代会長の牧口常三郎先生は、軍事力や経済力を競う時代から「人道的競争」の時代に転換する重要性を訴えた。他を押しのけて己を利する——その生き方の先には、人間の真の幸福も、国や地域の永続的な繁栄もない▼他者に尽くせば尽くすほど、自身の生命力が増す。自らも栄える。これが菩薩道の妙。自他共の幸福を目指す挑戦と連帯で、「人道的競争」をリードしていきたい。(誠)
寸鉄 2020年6月6日
牧口先生の生誕日。今や創価の大連帯は192カ国へ三代の師弟の闘争に感謝
「大悪は大善の来るべき瑞相」御聖訓。苦難の時が好機。勇敢に祈り、前進!
関東婦人部の日。地域と社会を照らす希望の太陽今日も朗らかに対話拡大
鬱の兆候、世界で確認と。感染の恐怖や不安等で。友に寄り添う励まし更に
職場の熱中症は製造業が最多。屋内と軽視をせず小まめな水分・塩分補給
☆ONE GOSHO この一節とともに! 椎地四郎殿御書
◇信心根本こそ幸福の直道
教学の研さんは、単なる知識の習得ではない。日蓮大聖人が社会で奮闘する門下に送られた御文を通し、妙法を根本とした生き方を学ぶ。
◇御文
『貴辺すでに俗なり善男子の人なるべし、此の経を一文一句なりとも聴聞して神にそめん人は生死の大海を渡るべき船なるべし』(御書1448ページ)
◇通解
(法華経法師品第10には、僧も俗も尼も女も、法華経の一句をも人に語る人は如来の使いであると説かれている)あなたは、すでに俗であり、この善男子に当たる人なのである。この経を一文一句であっても聴聞して心に染める人は、生死の大海を渡ることのできる船のようなものである。
◇背景
本抄は日蓮大聖人が椎地四郎に与えられたお手紙であり、弘長元年(1261年)4月の御執筆と伝えられているが、諸説ある。四郎に送られた御書は本抄のみで、どのような人物であったのか詳しくは分かっていないが、地道に信仰を貫いた門下であったと推察されている。
また、四条金吾や富木常忍に宛てた御書にその名が見られることから、各地の門下と大聖人のもとを行き来して、門下の様子を大聖人に報告し、大聖人のお心を門下に伝える役割を担っていたことがうかがえる。
本抄冒頭で大聖人は、四郎からの何らかの報告に対して、私心なくありのまま正確に伝えたことを称賛され、いよいよ信心に励んで法華経の功徳を得ていくよう励まされている。
◇解説
大聖人は、法華経を一文一句でも聞いて心肝に染める人は、出家・在家の立場や性別を問わず、等しく「如来の使い」であり、大海を渡る船のように、あらゆる苦悩を乗り越えていけると教えられている。
仏法では、苦悩が渦巻く現実社会を「大海」に譬える。この大海を渡りきるには、妙法が顕された御本尊に対する信を鍛え、強めていく以外にない。
「聴聞して神にそめん」——つまり、正法を聞くだけでなく、心肝に染めて生きる根本とし、行・学を実践していく中で、生命は磨かれ、鍛えられていく。
大聖人は、在家として混迷する時代の真っただ中にいた椎地四郎に、妙法を根幹にした生き方を期待されたのである。
仏法は、何ものにも揺るがぬ幸福境涯を開く方途を教えている。ゆえに教えを学ぶだけでなく、「如来の使い」として仏法を語り広げる"実践"は、世間のいかなる善行よりも、人間として尊い行為なのである。そして在家の椎地四郎に呼び掛けられたように、誰もがそれを実践することで、「生死の大海」を渡ることができるのだ。
もとより、仕事の苦境や人間関係の悩み、病魔との闘いなど、人生は順調な時ばかりではない。
しかし、順風の時も逆風の時も、学会活動を通して仏法を実践し、広宣流布に生き抜く人は、最も尊貴な「如来の使い」であり、成仏の軌道を進んでいけることは絶対に間違いないのである。
池田先生は語っている。
「自分より社会的に偉そうな人や、幸福そうに見える人が、いるかもしれない。しかし、妙法を信じ、弘める人は、すでに世界第一の幸福者であり、指導者なのである」
「現在の境遇がどうあれ、妙法を唱え、弘めゆく人は、すべて仏の使いである。はかりしれないほどの大福徳を積み、永遠の幸福への直道を歩んでいることを誇りにしていただきたい」
その上で、大聖人が繰り返し述べられているように、法華経は仏の真実の言葉であり、それを一言でも語る意義は計り知れない。相手の反応どうこうではなく、「語る」という行為自体が最高に尊いのである。
私たちの日常の実践に当てはめてみれば、唱題や研さんに励む中でつかんだ信仰体験や歓喜、確信を、飾らずありのまま伝えていくことである。
現在、新型コロナウイルスの感染拡大により、社会に大きな不安が広がり、日常生活にもさまざまな制約がある。
仏法者として一日も早い終息と家族や友人の幸福を真剣に祈るとともに、そうした中だからこそ、仏法の希望の哲学を学び、心肝に染め、友人や同志に励ましを大きく広げていきたい。