2020年6月30日火曜日

2020.06.30 わが友に贈る

「話すと元気になる」
「あの人がいるから
心強い」と慕われる
安心と信頼の存在に!
励ましの光を幾重にも!

報恩抄 P319
『何れの月何れの日何れの夜の何れの時に日出ずるという公家諸家叡山等の日記あるならばすこし信ずるへんもや』

【通解】
いずれの月・いずれの日・いずれの夜、いずれの時間に、太陽が出現したという、公家・諸家・叡山等の日記があるならば、少しは信ずることもできようが、それにも、ぜんぜんないではないか。

名字の言 クラシック音楽は「変わらないから面白い」 2020年6月30日
作曲家・ピアニストの山中惇史さんが、本紙の文化欄で語っていた。クラシック音楽は、楽譜に沿った忠実な演奏が求められる。その奏法は何百年も変わらない。「変わらないから面白いのです」と▼クラシックの名曲には、偉大な音楽家たちの"魂"が息づいている。魂の力は、時を経ても衰えない。そこに迫ろうとする限り、楽器や演奏者が変わっても人々を魅了し続けるだろう▼変化変化の社会。近年は、インターネット等が普及し、新しい情報、新しい製品が容易に手に入るようになった。が、どんな新情報や新製品もすぐに古くなる。しかも、そのサイクルはますます短くなるようだ。心したいのは、いかに技術が進歩しても、人間の本質に関わる「生老病死」という根本的な苦悩はなくならないということだ▼仏法は「生老病死」という四苦を「常楽我浄」の四徳に転じる哲理と実践を説く。すなわち、「生」を喜びと充実で満たし、「老」や「病」さえ大きな境涯を開く糧にし、「死」を永遠の幸福への晴れやかな出発にしていく。この仏法の叡智は、古くなることがない▼混迷を深める時代に、「生きた哲学」を共に学び、共に実践し、支え励まし合いながら希望を広げる創価の世界。この陣列の尊さを、改めて思う。(実)

寸鉄 2020年6月30日
「一切の法は皆是れ仏法」御書。智慧の太陽が輝く信心即生活の賢者たれ!
学生部結成記念日。俊英の使命は先駆!学び語り新時代の扉を堂々と開け
牧口先生は70歳でも「われわれ青年は」が口癖と。生涯青春の多宝会、尊し
あすからレジ袋有料化。地球守る鍵は一人一人の意識変革と具体的行動に
7月は「熱中症予防強化月間」。絶対に油断せず。健康こそ人生勝利の基盤

☆心に御書を 第55回 未来を開く真の知性と光れ
<御文>
『智者と申すは国のあやうきを・いさめ人の邪見を申しとどむるこそ智者にては候なれ』(頼基陳状、1156ページ)

<通解>
智者というのは、国の危機を諫め、人の邪見をとどめることこそ、智者ではないでしょうか。

<池田先生が贈る指針>
讒言で陥れられた門下の冤罪を晴らすために執筆された御書である。
激動の乱世だからこそ、正義と真実を語り、勇気と希望を贈るのが、真の知性だ。その原動力が、仏法の人間主義の大哲学である。
虚偽や悪意が渦巻く社会に、創価の普賢たる男女学生部の言論は、凜と輝き光る。未来を開く「善の絆」を強固に!

☆明日を照らす テーマ:善知識 2020年6月9日
かつて池田先生は、組織について悩んでいるという青年に語りました。「学会の組織は、一人一人を強くし、魔に打ち勝っていくためにある。一人で孤立していては、人間革命も広宣流布もできない。今はわからなくても、学会と共に、同志と共に、前進してごらん。学会の組織のありがたさを深く感じる時が、必ず来るよ」と。これまで多くの友が、学会の中で蘇生のドラマをつづってきました。今回の「明日を照らす」は、「善知識」をテーマに学びます。

三三蔵祈雨事
『されば仏になるみちは善知識にはすぎず、わが智慧なににかせん、ただあつきつめたきばかりの智慧だにも候ならば善知識たいせちなり、而るに善知識に値う事が第一のかたき事なり』(御書1468ページ)

◇成仏の方向を示す
【通解】仏になる道は善知識に勝るものはない。わが智慧は何の役に立とう。ただ暑さ寒さを知るだけの智慧でもあるならば、善知識が大切なのである。しかしながら、善知識に値うことが最も難しいことである。

本抄は、日蓮大聖人が建治元年(1275年)、あるいはその翌年に身延で著され、駿河国(静岡県中央部)の富士方面に住む西山入道に送られたとされています。当時は、大聖人が予言した他国侵逼難が的中し(文永の役)、危機感を募らせた幕府と朝廷は有力寺社等に蒙古調伏の祈祷を命じていました。
社会が騒然としたなか、成仏のためには「善知識」という縁が大切であることを教えられました。
仏法用語で「知識」とは友人や知人を意味し、仏法の正しい実践に導いてくれる存在を「善知識」と呼びます。
成仏を目指そうと仏道修行に励むことは、一人一人の実践が基本です。しかし、信心を阻もうとする三障四魔を一人で打ち破るのは決して容易ではありません。ゆえに、師匠や同志という"善き友"の支えや触発が、確固とした幸福境涯を築くためには必要不可欠なのです。
しかし凡夫は、「わが智慧」が勝れていると思い込んでしまい、求道の心を失い、善知識を遠ざけてしまいがちです。また、末法は悪知識が充満する時代でもあります。よって、善知識を自ら求める姿勢が肝要だと仰せなのです。
創価学会は、最高の善知識の集いです。「題目を唱えましょう」「仏法を学びましょう」——広宣流布の方向、成仏の方向を指し示す、学会の組織の中で行学に励むことこそ、幸福と勝利の人生を歩む要諦なのです。

種種御振舞御書
『国主等のかたきにするは既に正法を行ずるにてあるなり、釈迦如来の御ためには提婆達多こそ第一の善知識なれ、今の世間を見るに人をよくなすものはかたうどよりも強敵が人をば・よくなしけるなり』(御書917ページ)

◇悪知識をも成長の糧に
【通解】国主等が敵にするのは、こちらがすでに正法を行じているということである。釈迦如来にとっては(迫害を加えてきた)提婆達多こそ第一の善知識ではなかったか。今の世間を見ると、人をよくするものは、味方よりも強敵が人をよくしているのである。

本抄は、日蓮大聖人が建治2年(1276年)に身延で認められ、光日房に与えられたとされていましたが、詳細は不明です。大聖人御自身のお振る舞いや不惜身命の闘争が記されています。
仏法の修行と理解が深まれば、三障四魔が必ず競い起こる——天台大師の『摩訶止観』に記された通り、大聖人御自身が国主等の迫害に遭うこと自体が、正法を行じている証しであると教えられています。
提婆達多は、釈尊の親戚で才能豊かな弟子でありながら、釈尊を嫉んで敵対し殺害や教団の分裂などを企てます。
釈尊は、提婆達多と戦い魔を打ち破ることで自身の偉大さが証明され、教団も発展しました。ゆえに大聖人は、釈尊を迫害し抜いた提婆達多を善知識と仰せなのです。
同じように大聖人にとって、御自身の命を狙う極楽寺良観や平左衛門尉ら迫害者こそが、仏になるための"第一の味方"であったと喜ばれています。
"世間においても、自身を成長させ強くするものは、味方よりも強敵である"と仰せの通り、私たちの人生においても、信心を妨げる存在や、苦手な人に直面したり、行き詰まりを感じたりした時が、成長のチャンスです。相手のことを祈り、信心で立ち向かうことで、自身の境涯を大きく開く好機にできます。
何があっても強盛な信心を奮い起こし、人生を勝利することで、悪知識をも善知識へと変えていけるのです。

☆きょう「学生部結成記念日」
◇希望の哲学で新たな歴史を開け
きょう6月30日は「学生部結成記念日」である。1957年のこの日、第2代会長・戸田城聖先生のもとに男女学生の代表約500人が集って、学生部は結成。池田大作先生が祝電を送った。男女学生部の友は、今月を「希望の哲学を胸に! 先駆励まし月間」として、御書の研さんと希望の拡大に走ってきた。また結成記念日に寄せて、各国学生部のリーダーからメッセージが届けられた。

◇男子学生部は全国オンライン総会を開催
新型コロナウイルスの世界的流行は、学生たちの生活に大きな影響をもたらしている。

大学等の授業の多くはオンラインとなり、友人と直接会う機会は激減。不況による経済的困難に直面する学生も多く、就職活動でも不安な状況が続く。
だからこそ、互いの「心の距離」を近づけ、「希望」を広げていこう!——男女学生部はインターネットを駆使して、多彩な取り組みを進めてきた。そうした中、共に唱題や仏法対話、研さんに励む友は例年よりも増加している。
男子学生部は、ライブ講義「学生部スタディーチャンネル」を3月末から、ほぼ毎週配信。学生部のリーダーが、基礎教学や御書の講義を行ってきた。6月は「佐渡御書」を学び、「困難に負けずに頑張ります!」などの声が多数寄せられた。
また、全国で8万人を超える友人に励ましの対話を広げてきた。28日には全学生部員を対象とした"オンライン総会"を動画配信で実施。さらなる成長を皆で誓い合った。

◇女子学生部は各地でオンラインの集い
女子学生部は「開目抄」をはじめ「池田華陽会御書30編」の研さんに取り組んできた。
同世代の友と勉強や信心について気軽に語り合える会合をオンラインで開く地域も。会合では、新入生から先輩への質問コーナーや広布史を学ぶクイズ、御書講義、信仰体験などを通し、福智のスクラムを拡大。「この集いが、自分が頑張れる原動力です!」など喜びの声が聞かれる。
池田先生は、学生部の友に万感の期待を寄せている。
「新たな地球文明の創造へ、創価の世界宗教の真価を、いよいよ発揮する本舞台が、わが不二の学生部を待っているのだ」
さあ、共に希望の歴史の建設を!——師弟の誓いを胸に、若き友は前進を続ける。

◇活躍する友の話題を紹介
富山の山谷祐貴さん(大学3年)は医学部で学ぶとともに、5月からは大学生への生活支援として、総菜を届けるボランティア活動に参加している。
組織ではグループ長として「皆の成長の原動力になれば」と、オンラインの集いを毎週開催。自ら御書講義などを行う。
集いには大学の友人も毎週のように参加しており、「ここに来ると、1週間頑張ろうと思えるんです」と感想を。その姿を見て、他の部員が自身の友人を集いに招くなど、決意の波が広がる。
山谷さんは「周囲を安心させられる力と人格をもった医師となり、地域医療の発展に貢献したい」と誓う。

神奈川の岩崎優里花さん(大学6年)は、明年の歯科医師国家試験の合格を目指し全力を尽くす。昨年は勉強や人間関係の問題で悩んだこともあったが、同志と御書を学ぶ中で、自分を信じて進むことができた。
その確信のままに、今月、新入生とオンライン御書学習会を開き、「諸法実相抄」を共に研さん。また、仏法対話にも挑戦し、先日は友人に『ワールド セイキョウ』を渡すことができた。
岩崎さんは力強く語る。「今まで支えてくれた家族、同志、そして池田先生への感謝を忘れず、勝利の実証を示してまいります」

◇各国のリーダーからメッセージ
フィリピン アンダヤ学生部長
フィリピンの大学生は、通信環境が十分でない場合もある中、オンライン授業と、個人のレベルに合わせた課題に取り組むなどして学業に励んでいます。
こうした状況下で、学生部は、各人がどのように自身の困難を乗り越えているかを共有する「Breakthrough(突破口を開こう)」運動を開始。早速、唱題根本に奨学生として大学入学を果たした体験や、御書の一節を胸に、自己への挑戦を重ねる様子が報告されています。
今こそ信心への確信を胸に、物理的に離れていようとも、SNS等を駆使して部員へ、友人へ、励ましの輪を大きく広げる時と実感します。
「逆境に打ち勝つ」との哲学に満ちた池田先生の指導などを、オンラインの学習会を通して深めながら、強固な心の団結を築き、民衆を守る学生部の使命を果たしていきます!

イタリア ヴァレンテ女子学生部長
イタリア学生部はコロナ禍でも、友人を招いての集いをオンラインで継続。小説『新・人間革命』で学生部に触れられている箇所や「開目抄」「観心本尊抄」の研さんなどを通し、池田先生との絆を強め、学生部の使命を確認し合っています。
さらに、人権の闘士・エスキベル博士と池田先生の共同声明をもとに、持続可能な社会への展望と提案をまとめた「イタリア学生部宣言」の実現へ、実践を続けています。
きょう30日には、オンライン会議を開催します。学生部の代表が先生の平和提言や創価の社会活動などを紹介し、大学教授らがSDGs(持続可能な開発目標)について多様なテーマで講演する予定です。
学生部員の成長こそ社会の希望と確信し、民衆のために学び行動できる一人一人に成長していく決意です。

2020年6月29日月曜日

2020.06.29 わが友に贈る

今週のことば
新時代の「青年の月」だ。
地涌の誓願の若き命に
越えられぬ試練はない。
舞を舞うがごとく
歓喜踊躍の前進を!
2020年6月29日

四条金吾女房御書 P1109
『夫婦共に法華の持者なり法華経流布あるべきたねをつぐ所の玉の子出で生れん目出度覚え候ぞ』

【通解】
あなた方夫婦はともに法華経を持つ人である。法華経が流布していく種を継ぐ、玉のような子どもが生まれるであろう。まことにめでたいことである。

名字の言 新たな栄光の共戦譜を 2020年6月29日
日に1度は必ず御書を手にし、年頭から全編拝読に挑む青年部員。彼は、充実の日々をこう表現する。「毎日、日蓮大聖人から個人指導を受けている気持ちになります」と▼「立正安国論」など法門についての論文に、教義の深遠さを知り、世界が開ける。門下を激励する御消息文に、自身も励まされ、勇気が湧く——時代を超え、大聖人から信心の薫陶を受けていると思うと、研さんにも真剣さが増す▼御聖訓に「(法華経の文字は)肉眼の者は文字と見る。(中略)仏は一字一字を金色の釈尊、つまり仏の生命そのものと見る」(御書1025ページ、通解)とある。同じ御文でも、拝する人の境涯や一念によって、理解の深さはいかようにも変わる▼現在、池田先生の会長就任60周年記念年譜『栄光の共戦譜』が友に贈呈されている。収録された年表に先生の死身弘法の軌跡を学びつつ、その行間から、当時の自身が宿命と戦いながらも師と紡いだ"わが栄光の共戦譜"がよみがえる友も多いことだろう▼同書は"あの時の誓いと奮闘を忘れてはならない""これからも共に人生を開いていこう"との思いがこもる、先生から私たち一人一人への励ましともいえる。学会創立100周年へ、新たな師弟凱歌の歴史を築いていこう。(城)

寸鉄 2020年6月29日
「他人なれどもかたらひぬれば命にも替る」御書。一本の電話も真心込めて
全てを価値創造に転じていけるのが創価の智慧—恩師。勇敢に困難に挑め
人は大きな目的があってこそ大きくなる—詩人。我らは立正安国のために
感染の誤った情報に触れていた人は7割—総務省正確な情報が不安除く要
警察等装い訪問する詐欺多し。銀行カードは他人に絶対渡すな。厳重管理

☆心に御書を 第64回 創価の若師子が対話に勇進
〈御文〉
『経に云く「若し法を聞くこと有らん者は一として成仏せざること無し」云云、文の心は此の経を持つ人は百人は百人ながら・千人は千人ながら・一人もかけず仏に成ると申す文なり』(上野尼御前御返事、1580ページ)

〈通解〉
法華経方便品に「もし法を聞いた者は、一人として成仏しない者はいない」と説かれている。経文の心は、この経を持つ人は、百人は百人すべて、千人は千人すべて、一人も欠けずに仏に成るという文である。

〈池田先生が贈る指針〉
妙法の世界は大きい。どんな差異も超えて、平等に「一人も欠けず仏になる」法理である。
創価の若師子たる男子部が、同世代を包み、地涌の対話を広げている。誠実と確信の声は、不安や悲嘆を払い、友を蘇生させずにはおかない。
分断の世相にも勇気の師子吼を響かせ、希望と信頼の連帯を築いてくれ給え!

2020年6月28日日曜日

2020.06.28 わが友に贈る

いつも笑顔を忘れずに!
心に不屈の太陽を!
負けないことそれ自体が
全ての勝利につながる。
焦らず弛まず一歩ずつ!

南条殿御返事 P1531
『御心ざしのあらわれて候事申すばかりなし、せんするところはこなんでうどの(故南条殿)の法華経の御しんようのふかかりし事のあらわるるか、王の心ざしをば臣のべをやの心ざしをば子の申しのぶるとはこれなり、あわれことののうれしとをぼすらん』

【通解】
 (南条時光の供養に)表れている志は、言葉では言い尽くせない。結局は、故南条殿(時光の父)の法華経への御信用が深かったことの表れであろうか。王の志を臣が述べ、親の志を子が申し述べるとはこのことである。本当に故殿はうれしく思っておられるであろう。

名字の言 コロナ禍で実感する「歌の力」 2020年6月28日
「歌は祈り」。オペラ歌手・佐藤しのぶさんが生前、自らの民音コンサートに掲げたタイトルである▼「私にとって歌うことと祈ることは、同じ」と、佐藤さんは本紙で語っていた。祈りも歌も、目には見えない。だが確かに人の心に届く。「今まで出会ったすべての方々への感謝の気持ちが、歌という形で伝えられたら」との願いを込めて、毎回のステージに全力で臨んでいたという▼"コロナ禍で歌の力を実感した"という人は少なくない。青年部の参加型プロジェクト「うたつく」(歌をつくろう)をはじめ、婦人部・白ゆり合唱団や未来部の代表、海外の友が作成した合唱動画を本紙電子版で視聴した読者も、多くおられるだろう▼信心に消極的だった青年が、同志の歌声を聞いた感想を寄せてくれた。一家を襲う宿命の嵐と戦っているさなかという彼。「"負けないで!"という祈りにも似た皆さんの思いが、僕の背中を押してくれました」。彼は友人にも合唱動画を送り、電話で仏法対話にも挑戦。"勇気の一歩"を踏み出した▼「歌は『訴う』こと」だと、池田先生は言う。「天に向かえば祈りとなり、人に向かえば心を伝えます」と。友の幸福を願う歌声は距離を超え、互いの心と心を結ぶ。そこから希望は生まれる。(之)

寸鉄 2020年6月28日
「青年の強みは燃ゆるが如き熱情」戸田先生。さあ若人の声の力で希望拡大
悩みを知らぬ者は幸福を知ることもない—文学者祈り強く変毒為薬の劇を
今後の社会で助け合いが必要と思う—9割。激励で心結ぶ我らの使命は大
大気が不安定な時期。気象情報を常に意識。無冠の皆様も無事故最優先で
空調の誤った洗浄方法で火災事故多発。説明書を必ず確認。自己流は禁物

☆第3代会長就任60周年記念 広布史アルバム 第5回 昭和54年6月
◇一人を味方に 友の幸福に尽くせ
あの友、この友の幸福を祈り、心を通わせる。胸襟を開いて、耳を傾け、日々の挑戦をたたえ合う。ここにこそ、創価学会の真実がある。
1979年(昭和54年)4月24日、池田先生は第3代会長を辞任。"会合で指導してはならない"など、宗門僧らによる師弟分断の謀略の嵐が吹き荒れる中、先生は功労者への訪問・激励を開始する。
「御聖訓通りの、ありとあらゆる中傷非難、そして迫害のなか、わが同志は、決して広宣流布の旗を下ろさなかった。この方々を護らずして、誰を護るのか! この方々を讃えずして、誰を讃えるのか! 本当ならば、尊い仏子である全学会員のお宅を、私は一軒一軒、訪問したかった」
先生は、一人、また一人と励ましを重ね、その数は600軒を超えた。
私の功労者宅への訪問は続いた。
その家の後継者や、小さいお孫さんとも親しく語り合った。一家一族を永遠に幸福の軌道に乗せることが、私の願いであり、祈りであったからだ。
母親の信心が立派な家庭は、どこも後継者がしっかりと育ち、栄えていた。全国を転戦しながら、移動の途中に、会員の家や店があれば、寄らせていただいた。
山口県では、離島にも足を運んだ。
兵庫県の中堅幹部のお宅では、関西の幹部に「3・16」の意義を後世に留める話をした。
大分空港に降り、坊主たちの苛めと戦い、苦しんできた方がいると知って、直ちにその場に向かったこともある。
二百軒目は、文京支部で共に戦った草創の支部長のお宅であった。
三百軒目は、神奈川の功労者で、ご一家のお母さんが病に伏したことを知り、お見舞いに伺った。
五百軒目は、坊主の迫害に耐え抜いた愛媛の勇者の家であった。一九八五年(昭和六十年)の寒い二月のことである。
一軒また一軒と数が増えるにつれ、自分の家族も増えるような思いであった。
苦労して個人指導、家庭指導に歩けば、その分だけ、人間としての厚みがまし、豊かな境涯になれるものだ。
きめ細かい生活指導こそ、不屈の信心の確立につながることを痛感する一日一日であった。会長辞任の直後、地道な家庭訪問から闘争を開始し、今や学会の民衆のスクラムは、世界をも結ぶまでになった。
一人を味方にできない人は、世界を味方にできない。
一つの家庭の幸福に尽くせない人は、人類の幸福に貢献できない。
一対一の対話——これこそ最も確かで崩れぬ、平和と幸福の人間の連帯を築く方途であるからだ。ここに、学会が永遠に栄え伸びゆく生命線があることを決して忘れてはならない。

2020年6月27日土曜日

2020.06.27 わが友に贈る

「励まされる側」から
「励ます側」へ!
目の前の「一人」を
徹して大切に!
そこに広布の直道が。

月水御書 P1201
『殊に二十八品の中に勝れてめでたきは方便品と寿量品にて侍り、余品は皆枝葉にて候なり』

【通解】
ことに二十八品の中でも勝れて立派な品は方便品と寿量品である。その他の品は、皆、枝葉なのである。

名字の言 子どもたちの生命を守ったもの——映画「未来への伝言」 2020年6月27日
「未来への伝言」という映画がある。大流行したポリオ(小児まひ)から子どもたちの生命を救うため、ソ連(当時)の生ワクチンを入手しようと運動した日本の母親たちと、大量のワクチンを製造したソ連の医学者たちの奮闘を描く▼日本で大流行したのは、東西冷戦下の1960年。北海道を中心に感染は瞬く間に拡大し、年間報告患者数は5000人を超えた。300人以上が犠牲になっている。当時、有効とされた生ワクチンは国内使用が認められておらず、研究が進んでいたソ連からのワクチン寄贈の申し出もストップがかかった▼翌61年も流行は続き、「ポリオ患者発生数即日集計」が毎日、報道された。生ワクチンを求める声は国民運動となり、国は1300万人分の緊急輸入を決定。ソ連からは1000万人分が届けられた。ワクチン投与後、流行は急速に収束した▼「私も克服を真剣に祈った」。池田先生は第3代会長就任直後でもあった状況を振り返り、こう強く語っている。「『わが子を救いたい!』という母親たちの一念と、『日本の子どもを救いたい!』というソ連の医師の一念が、国家のコンクリートの壁を壊した」▼尊き生命を守るためには国境を超えた「人間としての連帯」が不可欠——これが未来への伝言だろう。(側)

寸鉄 2020年6月27日
「法華経は宝の山なり人は富人なり」御書。妙法の力は偉大。確信の題目で
天を晴らすような信心で生活照らせ—牧口先生。今いる場所で輝く実証を
結成50周年の未来会の日誓い貫く人生こそ崇高。生涯、共戦の道を進め!
「勝利は最も根気のある者にもたらされる」英雄。苦闘の先に歓喜は厳然と
7〜9月は平年より暑さ厳しく。熱中症に注意を。水分・塩分補給、小まめに

☆第3代会長就任60周年記念 広布史アルバム 第4回 昭和35年6月、福島での激励
◇生命即宇宙の悠々たるリズムで
1960年(昭和35年)5月23日、南米チリで観測史上最大の巨大地震が発生。津波は太平洋を横断し、翌24日未明に東北を襲った。
池田先生の行動は迅速だった。第3代会長就任から3週間。早朝、学会本部から、次々に見舞いと激励の電報を打つ。同時に災害対策本部を設け、津波の被害がなかった周辺地域に救援を呼び掛けた。
6月3日、先生は東北の同志を励ますため、福島の郡山へ。翌4日、東北総支部幹部会(郡山市民会館)に出席した。
津波襲来から、まだ10日余り。太平洋沿岸を走る鉄道は津波で断たれ、バスで何時間もかけて駆け付けた同志も多かった。
「どうしようもない津波というような三災七難……科学でも、政治でも、経済でも解決できないものは、たくさんあります」
「いずれの時代、いずこの国でも、宗教を根底としない文化、政治というものは、砂上の楼閣です」
登壇した池田先生は、苦難に直面する友を全精魂を込めて励ましつつ、災害の根本的な解決への道を訴えた。
「日蓮大聖人の生命哲学は、宇宙即生命、生命即宇宙であります。御本尊に題目をあげれば、365日、生命が大宇宙のリズムにキチッと合致して、悠々たるリズムの上に立った人生を生きていけるのです」
「仏法は勝負です。勝つか負けるかが仏法です。個人の宿命転換のためにも勝負です。生活革命のためにも勝負です。日本のためにも、世界のためにも、全部、勝負が根本です。その勝負も、御本尊が宇宙大の力をお貸しくださるわけですから、各々の立場で、洋々たる前進の戦をしていただきたいと思います」

2020年6月26日金曜日

2020.06.26 わが友に贈る

集中豪雨や地震など
突然の災害に警戒!
「備えあれば憂いなし」
避難経路の確認や
備蓄品の準備を入念に!

神国王御書 P1521
『銅鏡等は人の形をばうかぶれどもいまだ心をばうかべず、法華経は人の形を浮ぶるのみならず心をも浮べ給へり、心を浮ぶるのみならず先業をも未来をも鑒み給う事くもりなし』

【通解】
銅鏡などは、人の姿は映しても、心までは映さない。法華経(という明鏡)は、人の姿のみならず、人の心も映し出してくださる。心のみならず、過去の業因も、未来も照らし出してくださって曇りがない。

名字の言 本当の自由とは?——車いすの青年に出会い感じたこと 2020年6月26日
車いす生活を送りながら、書家として活動している青年がいる。小学校6年の時、交通事故で重い障がいを負った。何度も絶望のふちに立たされた。しかし家族や同志の支えもあり、見事に"復活の劇"を演じてきた▼「二度と動かないでしょう」と医師から告げられた手。"絶対に動かしてみせる"と祈り、つらい治療に耐えた。そして動いた! 「立つことは無理」と言われた足。だが、介助があれば歩けるまでに回復した▼もともとリハビリのために始めた書道だったが、その才能が開花する。躍動感あふれる書の数々。彼の作品展はメディアでも大きく紹介され、反響を呼んだ。「ぼくが頑張れば、周りも元気になってくれる。だから努力は怠れませんよ」。そう語り、筆を走らせる姿が凜々しかった▼自由とは何か——。自分のことだけ考えて楽をする。それは自由ではなく、わがまま。つらいこと、嫌なことはしない。それは逃避。そうした生き方を続けていると自分の可能性はどんどん狭まり、逆に不自由になる▼困難の壁にぶつかっても希望を捨てない。自分らしく1歩でも1ミリでも挑戦を続け、可能性を開いていく。その生き方にこそ、真の自由と満足がある。そして真の幸福がある。伸び伸びと活躍する青年を見て、そう感じた。(誠)

寸鉄 2020年6月26日
「一日・片時も・たゆむ事なく」御書。信行学の実践で一歩前進の日々を
良き友に守られた人生は絶対負けない—戸田先生創価城は希望の安全地帯
国連憲章の調印記念日。不戦の誓いを共に、強く。民衆の声こそ"変革の力"
マスク着用による皮膚炎が増加。汗の除去・保湿などが有効と。賢く対策
「国際麻薬乱用撲滅デー」人間破壊の魔物を社会から根絶。監視の目厳しく

☆第3代会長就任60周年記念「師弟凱歌の記憶」 第9回「写真——眼で詠む詩」
池田先生の写真は「眼で詠まれた詩」——フランス・ルーブル美術館の絵画部長を務めた美術史家ルネ・ユイグ氏は、そう評した。
先生が写真の撮影を本格的に開始したのは、1970年ごろ。過労で体調を崩した折、カメラを贈られ、撮影した写真をそのお礼に届けるためであった。
しかし「自由な写真旅行とか、写真行脚とはいかない」。「そこで、会合等で、遠出をした場所を選んで、たまにファインダーをのぞくということを覚えた」
最初に本格的にレンズを向けたのは「月」だった。71年6月、北海道・函館近郊の大沼湖畔で周囲を照らす壮麗な月を目にした先生は、"日夜、戦っている学会員の皆さまが、この月の光に照らされ、英知輝く人になってほしい。名月天子よ、我が友を見守ってください"との願いを込めて、シャッターを切った。
今しかない"この一瞬"を捉える。先生にとって写真とは"自然との対話"であるとともに、同志に励ましを送る、瞬間瞬間の行動の結実なのである。
先生は71年以来、奮闘する友の励みになればと、折に触れてカメラを手にしてきた。移動の車中や海外を訪問した際など、激務の合間に出合った"瞬間の美"を捉えた作品は「自然との対話——池田大作写真展」に。82年の初開催から、これまで世界41カ国・地域、151都市で行われ、好評を博している。
しばしば同展のポスターなどにも使用され、広く親しまれる一葉がある。95年11月に撮影された、ヒマラヤを収めた写真。海外の高名な画家も「この写真には物語があります」と賛辞を惜しまない。
変わりやすい天候のため、なかなか目にすることはできないという夕日に染まった"世界一"の雄姿を、雲が開けた一瞬で収めた。
この折、集まってきた子どもたちに池田先生は「仏陀は、偉大なヒマラヤを見て育ったんです。あの山々のような人間になろうと頑張ったのです。堂々とそびえる勝利の人へと自分をつくり上げたんです。みなさんも同じです」「必ず、偉い人になれるんです」と語り、励ました。
"自然は偉大! 生命は偉大! 全ての人に希望を!"——深い願いが投影された先生の写真は、目にする人を鼓舞し続ける。

2020年6月25日木曜日

2020.06.25 わが友に贈る

相手の思いを受け止め
心を通わせよう!
違いを認め 尊重する
創価家族の姿こそ
世界の共生の模範だ!

妙一女御返事 P1259
『権門に寄せて日蓮ををどさんより但正しき文を出だせ、汝等は人をかたうどとせり日蓮は日月帝釈梵王をかたうどとせん』

【通解】
事を権力に寄せて日蓮をおどすよりも、正しい経文を出しなさい。汝等は人を味方としている。日蓮は日月・帝釈・梵王を味方としよう。

名字の言 団地の自治会長を務めた82歳壮年の心意気 2020年6月25日
東京の板橋区と北区の境にある浮間公園の自然は、梅雨の季節も美しい。野鳥が憩う池の周辺ではアジサイなどが彩りを競う。隣接する都営団地で、一昨年まで自治会長を務めた82歳の壮年は、自治会のモットーに「和」を掲げ、尽力してきた▼一家で団地に入居したのは11年前。住民との心をつないだのは、ダウン症の長女だった。長女と一緒にいると、「こんにちは」と皆が声を掛けてくれるのだ。温かく迎え入れてくれた人たちのためにと、壮年は自治会で活動するように▼今年はコロナ禍で自治会行事は一切中止。現在、長女を自宅で介護する壮年は、「娘とゆっくり過ごす良い時間になりました」と。かつては信心に反対したが、長女の誕生を機に入会した▼「娘のおかげで私も妻も信心に目覚め、地域活動に頑張ることもできました。生まれてきてくれたことに感謝でいっぱいです」。自粛の中でも毎月2部以上の聖教の購読推進を。一昨年は同じ団地の若い壮年を入会に導いた▼池田先生は、団地を「小さな合衆国」と表現した。各人が自立しつつ、困難があれば共に分かち合い、支え合う。他者のために行動することで、地域も自分も豊かになる。美しい調和社会の建設に奮闘する団地部の姿は、コロナ禍の今、ますます輝いていく。(進)

寸鉄 2020年6月25日
「大闇をば日輪やぶる」御書。題目で胸中に希望の太陽を!逆境の闇破れ
団地部の日。皆が友情と信頼の輪広げる全権大使励ましの声掛けを今こそ
「人材養成の基本は自分を養成するにある」恩師。まず自分!これ幹部の心
緊急事態宣言の全面解除から1カ月。第2波警戒。油断なく予防策の継続を
コロナの偽情報を信じて拡散した人35%。情報源を必ず確認。賢明に看破

☆新時代を築く 「勇気と理想」に生き抜け! 2020年6月23日
6月23日は、愛する沖縄の「慰霊の日」である。今年は戦後75年。全ての戦争犠牲者に追善の題目を捧げ、世界不戦の誓いを新たにしたい。
筆舌に尽くせぬ戦禍に苦しめられた沖縄で、私は憤悱を込め、小説『人間革命』を書き始めた。この一念を汲み、人類の宿命転換へ平和の起点となって、たゆみなく「立正安国」の金波を起こしてくれているのが、沖縄家族である。
「命どぅ宝(命こそ宝)」という深き心が光る沖縄で、自行化他の妙法を唱え弘めてきた父母たちこそ、最極の生命の「宝塔」にほかならない。
「世界で最初の広宣流布の地帯」へと進みゆく沖縄を、御本仏は「ここさながら宝塔の住処なり」(御書1304ページ)と、ご照覧であろう。
『人間革命』起稿の日、私は瞳凜々しき沖縄学生部の友と固い握手を交わした。何があっても、朗らかに舞い戦う沖縄健児たちは、二陣三陣と不退の人材群を築いてくれた。
そして今も、私は沖縄青年部・未来部の一人一人と心の握手を交わす思いで、成長を祈りゆく日々である。

* * *
1957年の6月30日、恩師・戸田城聖先生のもと、学生部は、夕張炭労事件、大阪事件という正義の人権闘争の渦中に結成された。
私は、師弟の故郷たる北海道から祝電を送った。権力の魔性に立ち向かう共戦の同志たちが、「我らの学会に学生部が誕生した!」と誇り高く喝采した笑顔も蘇る。
恩師は「多彩な学生が集えば校舎なき総合大学だ」と喜ばれ、「地球民族主義」の連帯の核となることを望まれた。
今、日本はもとより世界中で、男女学生部がオンラインなどを活用して励まし合い、平等大慧の仏法を研鑽し、地涌のスクラムを広げている。
さまざまな制約の中での学業、アルバイト、就職活動等、辛労は絶えないことだろう。
しかし、大変な時に、歯を食いしばって学び鍛えたことが、偉大な底力となる。真心を尽くして結んだつながりが、一生涯の陣列となる。
草創の学生部と学んだ御義口伝に、「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは生死の闇を照し晴して涅槃の智火明了なり」「煩悩の薪を焼いて菩提の慧火現前するなり」(同710ページ)と仰せである。
妙法は、人生と社会のいかなる苦悩も幸福前進の力に変えながら、人類を覆う「生死の闇」を照らし晴らしゆく「絶対勝利」の智慧の炎なのだ。

* * *
学生部結成の翌年の6月30日、私は新設の総務に就任した。恩師逝去後の全学会の指揮を不二の心で執り始めたのである。その日の日記に、「勇気と理想に生きる、純真なる信仰者で生涯を、ただただ貫きたい」と記した。
わが創価の学徒たちよ!
わが普賢の若人たちよ!
この「勇気と理想」を、しかと受け継いでくれ給え。

2020年6月24日水曜日

2020.06.24 わが友に贈る

就職活動に挑む友を
皆で励まし応援しよう!
新たな時代を切り開く
社会の宝となる存在だ。
使命の航路へ追い風を!

華果成就御書 P900
『よき弟子をもつときんば師弟仏果にいたりあしき弟子をたくはひぬれば師弟地獄にをつといへり、師弟相違せばなに事も成べからず』

【通解】良い弟子をもつならば、師弟は、ともに成仏し、悪い弟子をたくわえるならば、師弟は、ともに地獄に堕ちるといわれている。
師匠と弟子の心が違えば、何事も成し遂げることはできない。

名字の言 生活に根差した戸田先生の『推理式指導算術』 2020年6月24日
梅雨の風物詩にちなんだクイズを一つ。「カタツムリがいる。昼間に木を3メートル登るが、夜間には2メートル下がってしまう。高さ9メートルの頂上に達するには、何日かかるか」▼"1日に1メートルずつ登る"と決めてかかると、正解にならない。答えは「7日」。7日目の昼に3メートル登れば頂上に着く。戸田先生の『推理式指導算術』に出てくる問いだ。発刊は1930年6月25日で、当時のベストセラーに。カタツムリ算の他にも「旅人算」「年齢算」など内容は多彩である▼哲学者の鶴見俊輔氏も少年時代に同書で学び、難関の中学受験を突破したという。「受験勉強の書であるにもかかわらず、人生経験から勉強に入るように仕組まれていた」と(『鶴見俊輔著作集』筑摩書房)▼どうすれば子どもたちが幸せな人生を送れるか。創価教育を提唱した牧口、戸田両先生の主眼はそこにあった。受験勉強すらも「人生」や「正しさ」について自ら考える機会にと促したのである▼「たゆまざる 歩みおそろし かたつむり」(北村西望)。かつて池田先生はこの句を創価学園生に紹介し、「努力の歩みを決して止めてはならない」と訴えた。環境が大きく変化する中で、一歩を重ねる受験生へのエールにも通じよう。学び続ける人は必ず、青春勝利という頂にたどり着ける。(之)

寸鉄 2020年6月24日
「現世安穏・後生善処」の妙法。不退の信心を今。乗り越えられぬ試練なし
東京・世田谷女性の日。婦女の仲良き模範の前進希望の対話拡大に先駆!
体内時計の乱れは心身の健康悪化に。生活リズム正しく。朝の祈り根本に
小学1年生の交通事故が多い時期。運転は歩行者優先で。思いやり持って
コロナ関連詐欺が横行。個人情報は教えず。銀行カードも渡さず。要警戒

☆四季の励まし きょう「父の日」——信頼広げる人間王者に 2020年6月21日
【写真の説明】北海道の大沼湖畔。白波が次々と打ち寄せる。そのかなたには、駒ケ岳の英姿があった。1982年(昭和57年)6月、池田大作先生がカメラに収めた。
駒ケ岳の別名は「渡島富士」。その悠然とした姿は、毀誉褒貶の風にも揺るがず、わが信念に生き抜く創価の父たちと重なる。
かつて池田先生は述べた。「大変なときに、変わらずに頑張れば、あとで尊敬される。状況が厳しかろうが、人が変わろうが、自分は自分の決めた道を貫く。その人が『人間として』の王者です」と。
きょうは「父の日」。社会や地域で一歩一歩、信頼を広げる"人間王者"に、皆で心からの感謝の拍手を送ろう。

◇池田先生の言葉
家庭や地域にあっても、
厳しい経済闘争に
あっても、
宿命転換の激戦に
あっても、
一家の柱、
広布の要として、
辛抱強く
頑張ってくれている
創価の父に、
感謝と労いの笑顔を
贈っていただきたい。

波瀾万丈の苦労をしてこそ
「人間」はできる。
苦労もせず、
思い通りにいけば、
よいように思える
かもしれないが、
結局は、
傲慢で小さな人間に
なってしまうものだ。
やりづらくとも、
耐えて、努力し、
乗り越えていく。
その積み重ねのなかで
「人格」はできる。

偉い人の仕事は、
「自分のため」の
次元ではない。
「人のため」
「社会のため」である。
後輩のため、そして
後継の友のために戦い、
道を残していく——
ここに偉大な
「父」の心がある。

人生は長い。
勝つ時もあれば、
負ける時もある。
行き詰まり、
七転八倒する時も
あるだろう。
だが、人生の勝敗は
途中で決まらない。
栄光は、粘り抜いた
逆転劇によって
勝ち取るものだ。
だからこそ
心は負けてはならない。
あきらめてはならない。

父が厳然としていれば、
どれほど
安心と喜びが広がるか。
一騎当千である。
その「一人」を
大切にする。
粘り強く通い、
信頼を育み、
励まし続ける。
熱い男の友情と連帯を、
私は最大に讃えたい。

2020年6月23日火曜日

2020.06.23 わが友に贈る

苦難の中だからこそ
人の絆を一層強く!
友の不安を取り除く
慈愛の声を届けよう。
抜苦与楽の実践者たれ!

四条金吾殿御返事 P1180
『人のよにすぐれんとするをば賢人聖人とをぼしき人人も皆そねみねたむ事に候、いわうや常の人をや』

【通解】
人の世の中に勝れようとすると、賢人・聖人と思われるような人々さえも、皆そねみ、ねたむのである。まして常人はいうまでもない。

名字の言 きょう沖縄「慰霊の日」。"声なき声"を世界へ 2020年6月23日
75年前、沖縄は残酷な戦場と化した。軍は「ひめゆり学徒隊」など、10代後半の女子生徒を看護隊に動員。ところが6月18日に突然、壕の中にいた同学徒隊に「解散命令」が下された。少女らは砲弾の飛び交う外へ追い出され、若い命が奪われた▼先日、激戦地の一つの糸満市に立つ「梯梧之塔」を訪れた。「梯梧学徒隊」はじめ私立昭和高等女学校同窓生の慰霊碑は、「ひめゆりの塔」に近い林の中にある。脇の献歌には「一人来て 抱きしめて見ぬ わが友の 名の刻まれし 濡れし碑文」と。生き残った同窓生が戦地に散った友を思い、つづった言葉である▼沖縄戦などの犠牲者約24万人の名を刻む糸満市の「平和の礎」に、今年も新たに30人が刻銘された。戦争体験者の婦人の言葉を思い出す。「単なる名前と思わないでください」「ここに刻まれた方々の"声なき声"を、全世界の人に伝える使命があるから、私は生きているんです」▼60年前の7月、沖縄を初訪問した池田先生は「ひめゆりの塔」へ。沖縄戦で生き残った関係者から当時の模様を聞くと、平和への祈りを込めて合掌。「二度とこの悲劇を繰り返してはならない」と強く語った▼きょう23日は沖縄「慰霊の日」。"不戦の願い"を未来へつなぐのは、私たちの大きな使命である。(踊)

寸鉄 2020年6月23日
「根ふかきときんば枝葉かれず」御書。信心こそ人生勝利の力。祈り深く
沖縄慰霊の日。心に光る命どぅ宝の精神。不戦の誓い新たに対話の波を!
青年は決して、へこたれてはいけない—戸田先生逆境に挑め!戦えば成長
エコバッグ洗わない人が51%と。食中毒につながる恐れ。洗濯・除菌が有効
「あおり運転」厳罰化の改正道交法が今月末施行危険行為は断じて許すな

☆心に御書を 第53回 人間教育の太陽を赫々と!
〈御文〉
『妙と申す事は開と云う事なり世間に財を積める蔵に鑰なければ開く事かたし開かざれば蔵の内の財を見ず』(法華経題目抄、943ページ)

〈通解〉
「妙」とは、「開く」ということである。世間の例えで言えば、財宝を積んである蔵も、鍵がなければ開くことはできない。開かなければ蔵の中の財宝を見ることはできないのである。

〈池田先生が贈る指針〉
どの子も最極の生命の宝を持っている。その宝を信じ開く教育の真髄を牧口先生は示された。
日々、後継の教育本部の友が、使命の現場で尊い実践を貫いてくれている。多難な時代だからこそ、「子どもの幸福」を皆で祈り、一人一人を温かく励ますのだ。
人間教育の太陽を赫々と輝かせ、若き価値創造の生命を照らしゆこう!

☆「世界を照らす太陽の仏法」に学ぶ 第2回 一家和楽の信心<下> 長谷川理事長
「紙上教学研さん『世界を照らす太陽の仏法』に学ぶ」の第2回は、前回(6日付)に続いて、「一家和楽の信心」について、長谷川理事長と共に学びます。(第3回は7月4日付に掲載の予定。池田先生の講義は『創価学会 永遠の五指針』から引用)

池田先生が講義で示された一家和楽を築く要諦
一、自らが「家庭の太陽」となって
   慈悲の陽光で皆を包もう
二、親子、夫婦の絆は三世の宿縁
   互いに尊敬し、励まし合おう
三、社会に貢献していくとともに
   未来を創る人材を送り出そう

1 子を亡くした母に寄り添う
それでは、前回に続いて「一家和楽の信心」について学びましょう。
池田先生は、講義の中で、愛する息子を亡くした女性門下に送られた御書を拝して、次のように教えられています。

【御文】
光日上人は子を思うあまりに法華経の行者と成り給ふ、母と子と倶に霊山浄土へ参り給うべし、其の時御対面いかにうれしかるべき・いかにうれしかるべき(光日上人御返事、御書934ページ7行目〜8行目)

【現代語訳】
光日上人は、わが子を思うあまり、法華経の行者となられた。母と子がともに霊山浄土に参ることができよう。その時の御対面は、どんなにかうれしいことであろう。どんなにかうれしいことであろう。

■ 池田先生の講義
仏法は「人間のための宗教」です。いかなる生死の悲しみをも乗り越え、家族が永遠に幸福の軌道を進みゆく希望の哲学です。
誰しも死を迎えるゆえに、大切な家族を失う悲しみは避けられません。
とりわけ、子どもを亡くし悲嘆にくれる門下に対し、大聖人は、長年にわたって、その心に寄り添われ、大激励を続けられました。
その一人が、光日尼という安房国(千葉県南部)の女性です。光日尼には弥四郎という息子がいました。真摯に師匠を求めた弟子であり、また母親思いの孝行息子でした。
—◆—
なんという日蓮大聖人のお心でしょう。大聖人は"無常の現実"に悲しむ母に、どこまでも寄り添われました。
池田先生は、御聖訓を拝しつつ、一人一人を包むように励まし続けてこられました。お子さんを亡くした両親に「おつらい気持ちは痛いほどわかります。ご家族の方が幸福になることが、息子さんの厳然たる成仏の証しです」と、「親子一体」「生死不二」の成仏の法理の上から激励されたこともあります。先生の真心に、誰もが心に希望の太陽を昇らせます。
創価学会は、どこまでも一人の人間のために尽くし切る宗教です。

2 妙法の絆は三世永遠
■ 池田先生の講義
大切な家族を失うことは、あまりにもつらく悲しい出来事です。頭ではわかっていても、感情や心の次元で肉親の死を受け入れるまでには、時間がかかるでしょう。
心が落ち着くまでの時間は、人それぞれです。心が及ぶまで追善の題目を唱えなさい、という御文もあります。
病気で亡くなる場合もある。災害や事故で突然、命を失う場合もある。しかし、「心の財」は壊れることはありません。広宣流布の途上で亡くなった場合は、断じて今世の宿命転換を果たし、悠然たる境涯で霊山へと旅立っているのです。自らは信心していなくとも、家族の題目に包まれた方も同じです。
「生死不二」の仏法です。
大聖人は、妙法の絆で結ばれた家族は、死してなお、再び巡り合えると仰せです。親子、夫婦は三世の宿縁です。ゆえに、どこまでも信頼し、互いに成長していこうと励まし合うことで、妙法の絆はますます深くなっていきます。これが「和楽」の第二の要諦です。
「生も歓喜、死も歓喜」の仏法の眼から見るならば、「生も和楽、死も和楽」の大境涯を必ず開いていけるのです。
—◆—
東日本大震災の後、先生の激励を伝えるため、各部のリーダーが被災地を訪ねました。私も、大切なご家族を亡くされた方々と何人もお会いしました。
先生は、「悲しみに負ければ、故人が悲しみます。『生も仏』『死も仏』なのです。いつも、一緒なのです。一体なのです」と励まされました。この先生のお心を伝えるとともに自分自身の体験を話し、相手の方と同苦し、共に涙しました。
私は、4歳の時に東京大空襲に遭いました。火の海の中、母が私を布団にくるんで逃げたこと。布団の隙間から入ってくる火の粉の熱かったこと。母はさぞ熱かっただろうと思います。全てを失い、私はその後、親戚、知人の家に6年間預けられました。寂しいこと、つらいことがたくさんありました。おかげで、人の苦労がわかる自分になれました。やがて学会に巡り合うことができました。全て苦労のおかげ、と思います。
東北の方々は、一日一日、一年一年と歯を食いしばり、"負げでたまっか"と前に向かって生き抜きました。
先生は、何度も教えてくださいました。"悩みがあるから不幸、悩みがないから幸せ、そうじゃないよ。大事なことは悩みに負けないこと。信心根本に負けなければ、必ず幸せになるよ"と。
苦難から立ち上がれば、「生も歓喜、死も歓喜」「生も和楽、死も和楽」の大境涯になれる。亡くなられた家族ともども、「一家和楽」という勝利の姿を示すことができる。妙法の絆は三世永遠なのです。

3 後継の人材を育てよう
わが子を立派な後継の人材に。それは、皆が願っていることでしょう。しかし、現実は違う場合も多い。子どもがなかなか信心をしないと悩んでいる人も多いと思います。後継を育てゆく大切さについても、先生は教えてくださっています。

【御文】
こうへのどのをこそ・いろあるをとこと人は申せしに・其の御子なればくれないのこきよしをつたへ給えるか(上野殿御返事、御書1554ページ9行目〜10行目)

【現代語訳】
亡くなられた上野殿(南条兵衛七郎)こそ、情けに厚い人と言われていたが、(南条時光は)そのご子息であるから、父のすぐれた素質を受け継がれたのであろう。

■ 池田先生の講義
「和楽」の第三の要諦は、"開かれた家庭"として、社会へ貢献し、未来を創る人材を送り出すことです。

兵衛七郎が亡くなった時に時光は7歳でした。その後、時光は家督を相続して地頭となり、父母からの信仰も受け継ぎました。
大聖人が身延に入山された文永11年(1274年)、16歳の凜々しい青年に成長した時光は大聖人のもとへ訪ねていきます。
大聖人はこの再会の折、立派に育った後継者に、「(父の兵衛七郎に)姿も違わないばかりか、お心まで似ていることは言いようもありません」(御書1507ページ、通解)と愛でられています。
—◆—
信心する以前は、誰もが自分のことだけで精いっぱい。人を思いやる心の余裕などなかった。学会に入って、いつの間にか、人の幸せを祈り、人に尽くす自分になっていました。"励まされていた自分"が、"励ます自分"に成長していました。私もその一人です。一人一人の「人間革命」です。
先生は語られました。
「この世に生まれて、いったい、何人の人を幸福にしたか。何人の人に『あなたのおかげで私は救われた』と言われる貢献ができたか。人生、最後に残るのは、最後の生命を飾るのは、それではないだろうか」
学会員は、自分がどんなに悩んでいても、どんな状況であっても、人の幸せのために、社会の安穏と平和のために、祈り、励まし、行動し続けている。「心の王者」です。「人間王者」です。
その皆さんの姿を、必ず子どもは見ています。必ず子どもの心に響いています。「わが子を、わが未来部を、広布と社会に貢献する人材に育てたい」との尊い心自体が素晴らしいと思います。

4 私たちは、皆、創価家族
今は、多様な価値観の時代です。家庭の在り方も大きく変わりました。しかし、「一家和楽」の価値は不変です。それを最後に学びましょう。

■ 池田先生の講義
互いに和楽の信心を築く中に、慈悲の生命が強く育まれます。青年が親を愛する中に、他者を思う心もこみ上げてきます。
一人暮らしの方、結婚されていない方もいます。お子さんのいない夫妻もおられます。ひとり親のご家庭もあります。家族の在り方は千差万別です。
しかし、私たちは、皆、創価家族です。久遠元初からの誓願という最も深く、最も麗しい生命の絆で結ばれています。
苦労を分かち合い、困難を克服し、互いの成長をたたえ合い、感謝し合う。愚痴を祈りに変え、非難を励ましに変え、苦楽を共にする価値創造の家族から、地域や共同体を変革する希望が生まれます。和楽の家庭が築かれてこそ、真の平和社会が創出されていきます。
—◆—
「これからは、私をお父さんと思っていきなさい。負けては、いけません。強くなるんです。ご両親の分まで幸せになっていくんです」——先生は、両親を亡くした女子部員に激励をされたこともあります。
先生が手作りで一人一人の同志を抱きかかえるように励まし、築いてきたのが、創価学会です。創価家族です。一人暮らしであっても、お子さんがいなくても、学会の庭には、温かい父母や仲間、たくましい青年や未来っ子がいます。皆が励まし合い、互いの幸福を祈り合いながら前進しています。信心で結ばれた創価家族ほど温かい世界は、ほかにありません。
今、コロナとの闘いの中で、人々が「大悪をこれば大善きたる」(御書1300ページ)と立ち上がっています。会えない場合があっても、電話やSNS等を使って友を勇気づけています。
多様性の社会の中で、あらゆる人を、友を大切にしていく。一人一人が地域・社会に貢献していく。この人間性の振る舞いにこそ、私たちの目指す「和楽の信心」「価値創造の家族」の真髄があるのではないでしょうか。

■ 池田先生の講義
今、世界中で妙法の和楽の家族が陸続と輝き、そこから、友情と調和と平和の連帯が幾百万、幾千万にも広がっています。家庭革命こそ、人類の宿命転換に直結するのです。
社会に安心を与える生命のオアシス——それが、私たちの「一家和楽」の実証によって、この地球のいたるところに誕生しています。
まさに、創価の「和楽」の家庭こそ、人類宗教の希望の太陽なのです。

2020年6月22日月曜日

2020.06.22 わが友に贈る

◇今週のことば
「御みやづかいを
法華経とをぼしめせ」
変化の社会にこそ
新たな価値創造の力を。
妙法の賢者と光れ!
2020年6月22日

妙法比丘尼御返事 P1415
『法華経の中に仏説かせ給はく我が滅度の後後の五百歳二千二百余年すぎて此の経閻浮提に流布せん時、天魔の人の身に入りかはりて此の経を弘めさせじとて、たまたま信ずる者をば或はのり打ち所をうつし或はころしなんどすべし、其の時先さきをしてあらん者は三世十方の仏を供養する功徳を得べし、我れ又因位の難行苦行の功徳を譲るべしと説かせ給う』

【通解】
法華経のなかで仏は「我が滅度の後・後の五百歳・二千二百余年を過ぎてこの経を閻浮提に流布しようとする時、天魔が人の身に入り代わって、この経を弘めさせまいと、たまたま信ずる者を、あるいは罵詈したり、あるいは打擲したり、所を追い払ったり、あるいは打ち殺したりするであろう。その時、第一に先駆けした者は三世十方の仏を供養するのと同じ功徳を得るであろう。また我が因位の難行・苦行の功徳を譲るであろう」と説かれています。

名字の言 自身の殻を破る「出会いパワー」 2020年6月22日
クルミは硬い殻に覆われているが、それを割るとおいしい実が現れる。「私にとって教育とは、まさにこの『殻を破る』こと」と語るのは、明治大学の齋藤孝教授。氏は、教師志望の学生たちが"殻を破る"契機にと、工夫を凝らした授業を行う▼例えば、それぞれ学んだ専門知識をショートコントで披露する授業。歌を歌う、キャラクターに扮する……最初は恥ずかしがっていた学生も、終わると"やってよかった"と笑顔に。実際、"翌年に残したい授業"を学生に尋ねると、多くがこの授業を挙げるそうだ▼殻を破るきっかけは、自分の内側からだけでなく、外側からの刺激で生まれることも多い、と氏は語る。「言わば、『出会いパワー』『縁の力』です」と(『潜在能力を引き出す「一瞬」をつかむ力』祥伝社新書)▼コロナ禍の中、電話やSNSでの励ましを印象的に語る人が少なくない。"地区婦人部長の明るい声にホッとしました""支部長の力強い言葉が胸に響いています"。直接、会えなくても、人の心を変える「出会いパワー」を生み出すことはできる▼御書に「万法は己心に収まりて一塵もかけず」(1473ページ)と。誰の生命にも、宇宙に等しい智慧と力が秘められている。その可能性を開く「出会いの劇」を、きょうも朗らかに。(誼)

寸鉄 2020年6月22日
創価の女性が記念月間を快走。太陽が輝けば世界は明るく。激励の光更に
心は王者でいけ。誇り高く生き抜け—恩師。皆が幸福になる仏法。信強く
奄美の日。試練の時こそ同志と共に、地域と共に。支え合いの絆は広布の鑑
東西の創価学園がウェブ見学会を開催中。英才よ集え!人類貢献の学舎へ
新型コロナの抗体、保有せぬ人が大半—厚労省。手洗い等、引き続き励行

☆第3代会長就任60周年記念 師弟凱歌の記憶 特別編
◇各地の婦人部総会に届いた1枚のレコード(1977年)
1977年(昭和52年)、全国各地で「第7回婦人部総会」が開催され、全会場にシートレコード(ビニール製レコード)が届けられた。これには、池田先生が総会に寄せた長文のメッセージと、真心のピアノ演奏が吹き込まれていた。
同年初頭から、宗門僧による理不尽な学会攻撃が行われ、同志は悔し涙をのみながら、広布の活動に励んでいた時である。
レコードから響く慈愛のメッセージと、「荒城の月」「さくら」、創価学園の寮歌(現在の創価中学・高校の校歌)、「うれしいひなまつり」「夕焼小焼」「春が来た」「熱原の三烈士」の力強くも優しいピアノの音色が、激闘を続ける友の胸を打った。
みんな負けるな! 何があっても学会と共に、私と共に希望の人生の並木道を歩こうよ!——先生と一緒に総会に参加しているかのような喜びが、日本列島の津々浦々に広がった。

◇〈「熱原の三烈士」の歌とは〉
池田先生が、1279年(弘安2年)の熱原の法難で殉教した三兄弟に思いをはせて作詞し、1976年7月(昭和51年)に発表。いかなる苦難があろうとも「わが友よ負けるな!」「断じて勝ちゆけ!」との、師の祈りが込められている。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

「熱原の三烈士」の歌詞

作詞 山本伸一

富士の裾野の朝ぼらけ
若葉の露は彩なして
潤井の川のせせらぎに
雲雀の声にも児は舞いて
かくものどかな今朝の村

時末の世か水濁り
仏法の乱れは麻に似て
民の恨みも悲しけれ
熱原の郷百姓に
若き丈夫愁いあり

その名 熱原神四郎
弟 弥五郎 弥六郎
求道めし日々は浅けれど
清き血潮の布教進む
栄えの生命の法讃歌

誉れの優勢 口惜しさに
膏油煮え立ち喘ぎ立ち
障魔の権力は卑劣にも
和合の綱に手を伸ばし
攪き乱さんと仇心

諸行無常の鐘やみて
常楽我浄の風吹けば
ああ神四郎その兄弟
淋しく法戦消え去りぬ
繁れる法庭の杉木立

生死流転の神四郎
桜の花に吹く風に
あれよ広布の鑑よと
その名かんばし熱原の
烈士の命 誉れあり

2020年6月21日日曜日

2020.06.21 わが友に贈る

御書をひもとけば
勇気がみなぎる。
仏の智慧が湧く。
「師子王の心」で
挑戦の歴史を刻もう!

四条金吾殿御返事 P1180
『此の法門につきし人あまた候いしかどもをほやけわたくしの大難度度重なり候いしかば一年二年こそつき候いしが後後には皆或はをち或はかへり矢をいる、或は身はをちねども心をち或は心はをちねども身はをちぬ』

【通解】
この法門についた人は数多くいるけれども、公私ともに大難がたびたび重なってきたので、一年、二年はついてきたものの、後々には、皆、あるいは退転し、あるいは反逆の矢を射た。また、あるいは身は堕ちなくても心は堕ち、あるいは心は堕ちなくても身は堕ちてしまった。

名字の言 きょう夕方、全国各地で「部分日食」 2020年6月21日
きょうの午後4時ごろから6時ごろまで、国内各地で「部分日食」を見ることができるという。月が太陽の一部を隠す"天体ショー"。梅雨の時季なので、晴れるかどうか気掛かりではあるが、期待が高まる▼ただ、観察する際には「絶対に肉眼では見ない」「専用の道具を用いる」など、目を傷めないための注意が必要だ。よく確認して、安全に空を見上げていただきたい▼この次に、日本で日食が起きるのは2023年4月20日で、国内の一部地域で見ることができるそうだ。この日は、3年後の本紙創刊記念日であり、さらなる充実・発展への指標を得たようにも思える▼さらに、その次に日本全国で部分日食が観測できるのは、学会創立100周年となる2030年。大宇宙の壮大なリズムとともに、"大いなる佳節を目指して、平和への歩みを強く、大きく!"との決意を深めたい▼こうした時の一致を"偶然"と片付けるのは簡単だが、そこに積極的な意味を見いだし、新たな前進の力としていくことは、"知恵の戦い"ともいえる。その意味において、きょうが「父の日」であることもまた、偶然ではないだろう。「広布のロマンを語り、平和への一歩をリードするのは、われら」と、創価の父たちが立ち上がる日としたい。(道)

寸鉄 2020年6月21日
梵音声と申すは仏の第一の相なり—御書。声は力。一瞬の出会いも心込めて
「足立女性の日」35周年。東京の王者の誇り胸に!婦女一体で励ましを拡大
予防の基本は�身体的距離を取る�取れないならマスク、と。新しい習慣に
社会を支え、家族を守る黄金柱に「ありがとう」の笑顔を。きょう父の日
夕方から部分日食—夏至では372年ぶり。肉眼での観測厳禁。親子で楽しく

☆心に御書を 第52回 「真金の信心」光る丈夫たれ
〈御文〉
『返す返す今に忘れぬ事は頸切れんとせし時殿はともして馬の口に付きて・なきかなしみ給いしをば・いかなる世にか忘れなん』(崇峻天皇御書、1173ページ)

〈通解〉
返す返す今も忘れられない事は、(竜の口で日蓮が)首を切られようとした時、あなたが私の供をし、馬の口にとりつき、泣き悲しまれたことである。これはいかなる世にも忘れることはできない。

〈池田先生が贈る指針〉
いざという時に丈夫の真価が光る。竜の口にお供した四条金吾の「真金の信心」は、学会壮年部に継承されている。
幾多の嵐を越えてきた、我ら師弟の誇りは高い。誰が褒めなくとも、御本仏が御照覧である。
乱世なればこそ、創価の負けじ魂で開拓だ。揺るがぬ黄金柱として、家族と同志を守り、民衆の城を厳然と!

2020年6月20日土曜日

2020.06.20 わが友に贈る

短時間の語らいでも
一本の電話でも
真心は必ず伝わる。
一人一人を大切に
安心の輪を広げよう!

御講聞書 P825
『三類の強敵来る来るを以て現世安穏の記文顕れたり、法華の行者なる事疑無きなり、法華の行者はかかる大難に値うべしと見えたり、大難に値うを以て後生善処の成仏は決定せり是れ豈現世にして安穏なるに非ずや』

【通解】
三類の強敵が来ることをもって「現世安穏」の経文は現れる。(三類の強敵を呼び起こした人が)法華経の行者であることは疑いない。法華経の行者は、このような大難にあうと(経文に)書かれている。大難にあうことをもって「後生善処(未来の世に必ず幸せな処に生まれてくる)」の成仏が決定したのである。これこそ、まさに現世において安穏であることではないか。

名字の言 一枚の家族写真に込められた思い 2020年6月20日
商店を営むその同志は、店内の隅に一枚の写真を置いている。既に成人した娘さんと息子さんが幼かった頃に撮ったものだという。皆で楽しく遊ぶ様子を収めた、よくある家族写真だった▼そのきょうだいの母である婦人部員が教えてくれた。「あの頃は商売も家計も一番大変な時で……。"必ず実証を示します!"と池田先生に誓った思いを忘れないための写真なんです」。一家にとって、この一枚は、過去の大切な思い出であり、未来への決意を新たにする起点でもある▼プロカメラマンである別の壮年部員は、学校の卒業・入学式の季節は例年、多忙を極めていた。式典が次々と中止になった今春、連絡を取ると「毎日忙しい」との返事。"コロナ禍の中で、懸命に生きる「今の自分」を撮ってもらいたい"と来る客が多いそうだ▼壮年は、客が歩んできた来し方を事前に電話で取材する。大変ながらも何とか今日まで頑張ってきた自分、優しい家族と過ごせる幸せ……話をする客のほとんどが、撮影時には人生の年輪とこれからの決意を感じさせる素晴らしい顔になるという▼"負けまい"と今を戦う自身は、将来の自分を励ます力にもなる。「今」という時は二度と来ない。そのかけがえのない瞬間瞬間を自分らしく刻みゆこう。(代)

寸鉄 2020年6月20日
「青年のために、学会はあるのだ」戸田先生。未来の建設が若人の責務なり
高知の日。地域を照らす魁の同志。弛まぬ"水の信心"と団結で新時代開け
習慣はあらゆるものの最も力強き師—学者。睡眠・食事・運動等、聡明に工夫
エアコンでの飛沫拡散に要注意。1時間に5分程、窓を開け換気を—専門家
川や水路で小学生の水難多発。一瞬の油断で悲劇が。家族・近隣で注意喚起

☆忘れ得ぬ旅 太陽の心で 第4回 大阪
月刊誌「パンプキン」誌上の池田先生の連載エッセー「忘れ得ぬ旅 太陽の心で」を紹介する本企画。今回は「大阪——希望を生み出す庶民の絆」を掲載する(潮出版社刊の同名のエッセー集から抜粋)。いかなる苦難も、強き心の絆と不屈の魂で乗り越えてきた大阪そして関西の友。コロナ禍によって、逆境をはね返す智慧が求められる今だからこそ、フィジカルディスタンス(身体的距離)を保ちつつも、苦楽を分かち合うつながりを強化し、「庶民の都」に脈打つ「負けたらあかん!」の心意気に学びたい。

懐かしき
 思い出多き
  関西は
 私の故郷
  永遠の都か

故郷とは、いずこにあっても、心から離れることのない宝土です。
故郷の人々とは、いついかなる時も、心と心が通い合う宝友です。
大阪——。その名を聞けば、青春を賭して奔走した、あの町この道が胸に蘇ります。
関西——。その名を聞けば、苦も楽も分かち合ってきた、忘れ得ぬ友の笑顔が命に光ります。
〈池田先生との師弟のドラマが無数に刻まれている関西。中でも1952年8月、先生が24歳で第一歩をしるした大阪は、行く先々で友を激励し、幾重にも心通う交流を重ねてきた天地である。先生はそうした思い出を振り返りつつ、「庶民の都」の象徴である大阪城の歴史を通し、民衆の大地に根差した「和楽」と「幸福」の崩れざる大城の建設を託されたのが、大阪、関西であると期待を寄せる〉
人情の街、笑いの街、くいだおれの街、商いの街、町工場の街、技術革新の街……。大阪を表現する言葉は尽きません。それだけ多彩な魅力に富んでいるということでしょう。その源泉は、なんといっても明るい「庶民の都」という点にあるのではないでしょうか。
この「庶民の都」の象徴が、大阪城です。
太閤秀吉が築いた「大坂城」は冬の陣・夏の陣で落城し、続いて徳川家が再建した「大坂城」も、一六六五年の落雷で大天守が焼失してしまいました。以来、二百六十余年もの間、天守閣なき城のままでした。
昭和の初め、天守閣の再興が決定されると、待ち望んでいた市民から大変な勢いで寄付が集まり、三代目の天守閣が完成したといいます。
市井の願いと力が結集された、この城は、激しい大阪大空襲にも耐え抜きました。
特急列車「つばめ」で関西の母なる川・淀川を渡りながら目にした、夕焼け空に浮かぶ大阪城の威風堂々たる雄姿は、今も瞼に焼きついています。
どんなに栄華を極めた権力者の楼閣も、いずれ跡形もなく消え去る歴史を、関西の聡明な庶民はいずこにもまして鋭く見つめてきました。
だからこそ、草の根の民衆の大地に根差して、何ものにも崩れぬ「和楽」と「幸福」の大城を築き上げる——この人類の積年の夢を託された天地こそ、大阪であり、関西であると、私には思えてなりません。

◇希望は人生の宝
〈次いで池田先生は、大阪で世界的企業を育て上げた実業家・松下幸之助氏との交流を述懐するとともに、いかなる逆境も「負けたらあかん!」の関西魂で勝ち越えてきた常勝の同志をたたえた〉
私が幾度もお会いしてきた"経営の神様"松下幸之助先生は、まさしく大阪の偉大な庶民の人間性と商才を生き生きと発揮されていました。
ご夫妻は借家の四畳半でのソケット作りから始め、不況の波や戦後の大混乱など幾多の風雪を乗り越えました。私が、いかなる信念で困難を打開されたか尋ねると、こう答えられました。
「その日その日を精いっぱいに努力してきたということに尽きるように思われます。そして、その過程のなかには、常に希望があって、それが苦労とか苦闘を感じさせなかったのではないかと思っております」と。
希望は人生の宝です。いかなる苦労も充実に変え、苦しみさえも楽しみに転じながら、限りない価値を創造する希望のエネルギーが、大阪そして関西には朗らかに湧き立っています。
私は、関西の友との語らいが、大好きです。
関西には、気どりもなければ、裏表もない、地位や肩書も関係ない、"ありのまま"の人間と人間の交流が躍動しているからです。
私も友も、一番大事にしている関西弁は何か——それは「負けたらあかん!」です。
妻も、家族姉妹のような関西の友人たちと、家計や子育て、闘病、地域のことなど、あらゆる悩みに耳を傾け、励まし合ってきました。
「過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ 未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」という仏典を踏まえつつ、「苦労した分だけ、先の幸せが大きいのが、因果の理法です。どんなことも、いい方に、いい方に思いをもっていきましょう」等と語り合ったこともあるようです。
賢くたくましい関西の女性たちは、皆が頭を上げ、逆境を笑い飛ばしてきました。あの阪神・淡路大震災の苦難も、皆で支え合い、助け合いながら、復興してこられたのです。
関西の至るところに、「こんなに幸せになりました」「私は勝ちました」と笑顔で語ってくれる友がいる。そして、その方々の子や孫の世代も立派に成長していることこそ、私と妻の無上の喜びです。

◇苦楽を誇りとし
〈最後に先生は、青年の成長が未来を開く決定打になると強調。その模範こそ、理想のスクラムが広がる関西であると呼び掛ける〉
日本のシェークスピアとも称される、関西が生んだ劇作家・近松門左衛門の物語に、「一粒の花の種」が「芽を吹き終には千輪の花が咲く梢となる」というくだりがあります。
少子高齢社会にあっては、ますます、お互いを支え合う人々の絆が重要になってきます。その根幹は、「一人を大切にする」心でしょう。
なかでも、次代を担う青年を、心を込めて、自分以上の人材へと育成していくことが、地域も、社会も、未来へ勝ち栄えていくための決定打です。
思えば、堺出身の歌人・与謝野晶子も、「善い後継者が次々に絶えないのを祝福せずにいられない」と語っていました。
彼女は青年を励まし、青年の成長を喜び、むしろ青年の努力から新鮮な啓発を受けながら、わが人生を向上させていきました。
「私達にはみずみずしい魂があります」
「私達も未来を目掛けて躍り上がる自らの若々しい心を抑えることが出来ません」と。
心の垣根を作らず、広々と心を開いて、共に笑い、共に歌い、共に汗を流し、共々に、常勝の人生を飾っていく。これが大阪です。関西です。
この「庶民の都」そして「人間共和の都」の女性のスクラムにこそ、これからの社会が学ぶべき模範があるのではないでしょうか。

関西の
 友との苦楽を
  誇りとし
 原点深く
  常勝永久にと

(『忘れ得ぬ旅 太陽の心で』第1巻所収)

2020年6月19日金曜日

2020.06.19 わが友に贈る

いかなる労苦も困難も
全てプラスの力に!
その原動力が信心だ。
たくましき楽観主義で
生き生きと前へ前へ!

主師親御書 P386
『或時は人に生れて諸の国王大臣公卿殿上人等の身と成つて是れ程のたのしみなしと思ひ少きを得て足りぬと思ひ悦びあへり、是を仏は夢の中のさかへまぼろしのたのしみなり唯法華経を持ち奉り速に仏になるべしと説き給へり』

【通解】
ある時は人間として生まれて、諸の国王、大臣、貴族や宮廷での昇殿をゆるされる高い身分などになって、「これほどの楽しみはない」と思い、わずかなものを得て「満足した」と思い、喜びあっている。このことを仏は「夢の中の栄え、幻の楽しみである。ただ法華経を持ちたてまつり、すみやかに仏になりなさい」と説いておられる。

名字の言 きょうプロ野球開幕——表舞台を支える人々 2020年6月19日
プロ野球2020年の公式戦が、きょう開幕する。一時は、コロナ禍によってシーズン自体が危ぶまれていただけに、選手や関係者、ファンの喜びもひとしお。好ゲームが繰り広げられることを期待したい▼以前、ある球団の練習を見学した。多くの選手を育ててきたコーチが話してくれた。「彼らのおかげで選手が活躍できる。本当に大事な存在」と指さしたのは打撃投手たち。現役を退いた投手が務めることが多いという。50歳を過ぎたベテランも、選手のために黙々と投げていた。高い制球力。鋭い変化球。技術は卓越している。が、彼らが脚光を浴びることはない▼表舞台に立つ人がいれば、それを陰で支える人が必ずいる。野球チーム一つとっても、打撃投手の他に用具係、トレーナー、スコアラー等々、裏方を担う面々が選手を支えていた▼本紙を配達してくださる無冠の友、励ましの対話に汗する人、会場提供者、会合の役員……。池田先生は、そうした縁の下の力持ちの方々に光を当て、心から励まし、尊ぶ文化を築き上げてきた。だから学会は発展した▼人が見ていようがいまいが、誠実に友のため、社会のために尽くす人生を歩みたい。そして、目立たぬところで奮闘する陰の人を見つけ、たたえる眼を常に持ちたいと思う。(誠)

寸鉄 2020年6月19日
「法華経と申す御経は身心の諸病の良薬」御書。朝晩の勤行でリズム刻み
愛知女性勝利の日。堅塁の婦女は明るく朗らか。師弟勝利の「この道」を!
信仰は「無限の向上」の異名—戸田先生。昨日より今日。挑戦の人は皆、青年
きょう「朗読の日」。良書に触れれば心が豊かに。読み聞かせ、親子で実践
高温多湿で食中毒多発。入念な手洗いや加熱調理で賢く対策。油断は禁物

☆学ぼう「黄金柱の誉れ Q&A 第6回
仏法から見て、「健康」とは、また「病気」とは、どう捉えていけばよいのでしょうか。信心を真面目に実践していても、病気になることはあります。池田先生の健康と病気についての考察、また、病気と闘う友への励ましを、壮年部指導集『黄金柱の誉れ』から紹介します(指導集132ページから134ページまでを抜粋)。

●テーマ 健康・長寿「病」と闘う友に—— 
〈健康と病気は、本来、一体〉
「現代人は、みんな"半健康"であるといわれるぐらい、なんらかの病気をかかえているし、年齢とともに、体も弱っていきます。
では、病気だから不幸なのか。決して、そうではない。病に負けて、希望を失ってしまうから不幸なんです。広布の使命を忘れてしまうから不幸なんです。
体は健康でも、精神が不健康で、不幸な人は、たくさんいます。反対に、病気をかかえたり、体が不自由であっても、自らも幸福を満喫し、人をも幸福にしている同志もいる。
生命の根源においては、健康と病気は、本来、一体であり、"健病不二"なんです。ある時は、健康な状態として現れることもあれば、ある時は病気の状態となって現れることもある。
この両者は、互いに関連し合っているがゆえに、信心に励み、病気と闘うことによって、心身ともに、真実の健康を確立していくことができるんです」
(小説『新・人間革命』第10巻「桂冠」)

〈敗北ではない。信心が弱いからでもない〉
病気になることは、決して敗北などではない。信心が弱いからでもない。広宣流布に生き抜く中で起きた病気という苦難は、成仏を阻もうとする魔の働きである。ゆえに、怯んではならない。
勇敢に立ち向かって、一生成仏を勝ち開いていく勇気を教えられているのです。
(本紙2012年7月26日付「若き君へ——新時代の主役に語る」)

〈生命力が病気を治す根本の力に〉
(戸田先生は)「こっちの薬王(=菩薩)が働いていますから、医者が自然にいい治療をせざるをえなくなるのです」と言われていた。
医者を選ばなくてよいということではなくて、「病気を治すのは自分自身」だということです。なかんずく自分自身の「生命力」「自然治癒力」が病気を治す根本の力です。医者は、それを手伝うだけです。
(『池田大作全集』第31巻「法華経の智慧」)

〈「いかなる病さはりをなすべきや」〉
「南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや」(御書1124ページ)です。
あらゆる病苦を打開する根源の力が、妙法にはある。妙法は最強の「生命の大良薬」です。戸田先生もよく「人間の体は一大製薬工場だ」と言われていました。
今、受けている治療が最高の効果を発揮していくよう、全身に仏の大生命力を現して病魔を打ち破っていくよう、祈り抜き、祈り切ることです。信心を根本に戦っていくならば、必ず一切を変毒為薬できます。

2020年6月18日木曜日

2020.06.18 わが友に贈る

他者を敬う行動が
自身を磨き高める。
「一切衆生に仏性あり」
この仏法の人間観こそ
平和と共生の基盤だ!

妙密上人御消息 P1241
『日本国の中に但一人南無妙法蓮華経と唱えたり、これは須弥山の始の一塵大海の始の一露なり、二人三人十人百人一国二国六十六箇国已に島二にも及びぬらん、今は謗ぜし人人も唱へ給うらん、又上一人より下万民に至るまで法華経の神力品の如く一同に南無妙法蓮華経と唱へ給ふ事もやあらんずらん、木はしづかならんと思へども風やまず春を留んと思へども夏となる』

【通解】
また日蓮は日本国でただ一人、南無妙法蓮華経と題目を唱えたのである。このことは須弥山という大山を形成する最初の一塵であり、大海を構成する最初の一露である。二人・三人・十人・百人・一国・二国・六十六箇国まで弘まり壱岐・対馬まにまで及ぶであろう。今は日蓮を謗じていた人達も題目を唱えるであろう。
また日本国の上一人より下万民にいたるまで、法華経の神力品が説かれているように、必ず一同に声を合わせて南無妙法蓮華経ととなえることがあるだろう。それは木は静かであると思っても風がやまないために動くし、春を留めようと思っても必ず夏が来るのと同じようにとどめようのないことである。

名字の言 社会現象となった小説『ルーツ』 2020年6月18日
アメリカの作家ヘイリーの小説『ルーツ』は、アフリカ系アメリカ人一家の歴史を描いたもの。黒人の奴隷問題を扱った物語で、1970年代のアメリカ社会に、最も影響を与えた作品の一つといわれる▼小説はテレビドラマ化され、日本でも放映された。多くの人々が自身の「ルーツ探し」を始め、社会現象にもなった。「ルーツ」には「根」という意味もある。「自分のルーツ」を追い求めることは、"魂のよりどころ"を探すことでもあろう▼小説『新・人間革命』第1巻「錦秋」の章に、山本伸一がアメリカ・シカゴの座談会で質問に答える場面がある。肌の色の違いなど、「ルーツ」にこだわっていた青年に対して、"私たちの究極のルーツとは、「地涌の菩薩」である"と訴えた▼法華経には「地涌の菩薩」について「其の心に畏るる所無し」と説かれる。「畏るる」とは、自分と他者との間に「壁」をつくる心の働き。人種や民族など、あらゆる差異を超え、自他共の幸福と世界平和の実現へ行動するのが「地涌の菩薩」といえよう▼仏法の思想から見れば、誰もが尊い使命を持った同じ「人間」だ。だからこそ、一切の差別、一切の暴力を否定する——それは、「地涌の菩薩」をルーツとする、私たちの変わらぬ信念である。(澪)

寸鉄 2020年6月18日
我らは願兼於業の人生を勇み前進。試練を使命に変える人間革命の劇を!
北海道婦人部の日。心の財積みゆく三代城の母。地域に福徳の花を爛漫と
他人まで幸福にしていく事が信心の根底に—恩師自他共に輝く地涌の大道
屋内でも熱中症に注意。早めの水分補給、空調利用を。高齢者は特に警戒
偽通販サイトに誘導する詐欺メール急増と。安易に個人情報は打ち込むな

☆四季の励まし 緑の地球を守る世界市民に 2020年6月14日
【写真の説明】陽光に映える木々の緑。木漏れ日の中を、愛らしいリスが駆け回っている。1996年(平成8年)6月、池田大作先生がアメリカ・デンバーの公園でシャッターを切った。
今月は「環境月間」。地球温暖化をはじめ、世界的な異常気象は、地球の危険を知らせる一つの"サイン"であろう。環境問題の解決のカギを握るのは、私たち一人一人の意識の変革と具体的な行動である。
プラスチックごみの削減を目的として、来月からレジ袋の有料化も始まる。「シンク・グローバリー、アクト・ローカリー(地球的に考え、地域で行動する)」の言葉の通り、節電や節水、リサイクルなど、できることから取り組んでいきたい。緑輝く地球を守るために——。

◇池田先生の言葉
地球では、
生きものの誕生は
40億年前という。
それ以来、
連綿と、
命が命を育み、
命が命を支えて、
私たちを生んだのだ。
この"生命の輪"が、
一つでも欠けていたら、
あなたは今、
ここにいない。

自然を壊すのは、
人間を壊すことになる。
なぜなら自然は、
人類の
「ふるさと」だからだ。
あらゆる生命も人類も、
大自然の中から誕生した。
自然という
環境の中から
誕生したものである。

自然を愛する人は、
人を清らかに愛せる。
平和を大切にする。
損得の計算の世界を
超越した、
情緒豊かな人生である。

戦争やテロは、
人間への暴力である。
環境の破壊は、
自然への暴力である。
それぞれ
別の問題ではない。
根は一つである。
その根とは、人間、
そして
人間を支える自然・環境、
全ての
生命の尊厳の軽視である。
その根本を
正さなくてはならない。

人間がそこにいる限り、
同じ地球に生を営む
仲間がそこにいる限り、
全てのことに
断じて無縁ではないのだ。
私はそうやって、
国家や体制の壁や
価値観の違いを超え、
信仰を持っている、
いないにかかわらず、
地球民族として
友情を結び、
世界市民の信頼を
広げてきた。
今こそ"母なる地球"を、
生命尊厳と人間尊敬という
精神の宝で、
いやまして
輝かせていきたい。

2020年6月17日水曜日

2020.06.17 わが友に贈る

「仏法と申すは道理」
何事も大事なのは
基本に徹すること。
「信行学」を柱に
地道な努力を貫こう!

種種御振舞御書 P919
『日蓮によりて日本国の有無はあるべし、譬へば宅に柱なければたもたず人に魂なければ死人なり、日蓮は日本の人の魂なり』

【通解】
日蓮によって日本国の存亡は決まる。たとえば家に柱がなければ保てず、人に魂がなければ死人である。日蓮は、日本の人の魂である。

名字の言 星のように輝くゲンジボタルの光 2020年6月17日
幻想的な光の乱舞だった。先日、案内していただいたゲンジボタルの里。しばらく見ていると、蛍たちが呼吸を合わせたように、一斉に光ることに気付いた。「集団同時明滅」というらしい▼雄は周期的な発光を繰り返しながら集まり、次第に大きな集団をつくっていく。そして、集団で飛び回りながら、同調した明滅を繰り返すようになる。草むらに潜む雌を探すためのようだが、まさに「沢辺にみゆる螢の光・あまつ空なる星かと誤り」(御書492ページ)の光景だった▼星といえば、来月7日は七夕。地元の商店には短冊をつるす竹が早くも設置され、来店者が願い事を書いていた。「コロナが早く終わって学校に行けますように」「早くみんなと会いたい」「医療従事者の方が幸せでありますように」等々▼池田先生と対談した、天文学者ジャストロウ博士の持論を思い出した。「生命を進化させたのは逆境」——"もはや、これまでか"という圧迫に負けない限り、生命はそれを乗り越えるために創造的に変化する▼コロナ禍で経済活動が縮小した分、大気中の汚染物質や二酸化炭素などが大幅に減ったという。きれいな星空を見上げ、大宇宙と交流する気概で、生命の新しい可能性を開きたい。この間断なき挑戦の中に希望は輝く。(川)

寸鉄 2020年6月17日
学会は将来、必ずや世界平和を担う存在となる—恩師。広布の大理想胸に
茨城の日。試練の時こそ直通の信心!揺るぎなき不屈の前進に凱歌の人生
「一人を手本として一切衆生平等」御書。励ましの流れをリーダー率先で!
各国で感染第2波の懸念広がる。絶対に油断せず。身体的距離確保等を意識
困っても相談できる相手がいない—4割と。孤立進む現代。同志の絆は宝

☆未来に輝く知性の宝冠——池田先生の名誉学術称号45周年
◇クイーンズ大学ベルファスト 心を結ぶ対話の力
イギリスの名門・クイーンズ大学ベルファストからの「名誉博士号」の授与式で、グレッグソン学長(当時)�から池田先生に学位記が。学長は「創価教育の価値観は、クイーンズ大学の価値観と深く共鳴するものです」と(2009年5月、東京・八王子市の創価大学で)
「この冬を生き抜けば、私たちはどこでも、夏を迎えることができる」

イギリス・北アイルランド出身で、ノーベル文学賞を受賞した詩人のシェイマス・ヒーニーは、1972年、インタビューに答えてこんな言葉を残した。
時は北アイルランド紛争の渦中。過酷な"冬"を乗り越え、陽光注ぐ"夏"を呼ぼう——詩人の言葉からは、平和への願いと、困難に屈しない人間への、深い信頼が感じられる。
世界中で新型コロナウイルスの感染拡大が深刻化する昨今、この言葉が、再び注目を浴び、メディアやSNSで取り上げられた。
戦禍で生まれた魂の叫びが、危機に立ち向かう人々の、希望と勇気の"源"となったのだろう。
北アイルランドの中心都市ベルファストにある、クイーンズ大学ベルファストは、ヒーニーの母校であり、彼が教壇に立った学府でもある。
1845年、ビクトリア女王によって創立されて以来、各分野に一級の人材を送り出してきた。
同大学から池田先生に、「名誉博士号」が贈られたのは2009年5月18日。創価大学での授与式には、グレッグソン学長(当時)ら一行が出席した。
「授与の辞」で学長は、先生を顕彰する理由の一つに、「対話」を挙げた。
紛争の終結と和平の前進に貢献した同大学。対話によって世界を結ぶ先生の行動は、大学の理念を、そのまま体現するものだった。

◇平和の「模範」を自ら示し 皆の背中を押すのが指導者
北アイルランドが位置するアイルランド島では、1919年、イギリスからの独立戦争が勃発。同島南部は後に、現在のアイルランドになった。
一方で、イギリスの統治下に残った北部の6州が、北アイルランドに。
イングランド、ウェールズ、スコットランドと共に、主権国家としてのイギリス(グレートブリテン及び北アイルランド連合王国)を構成している。
その北アイルランドでは60年代から、イギリスの体制維持を求めるプロテスタント系住民と、アイルランドとの南北統一を望むカトリック系住民との間で紛争が始まった。激しい争いは30年あまり続き、3000人以上の尊い命が犠牲になった。
「ベルファスト合意」が結ばれ、紛争に終止符が打たれたのは98年4月。
翌99年に発表した「SGIの日」記念提言で、先生は、"不治の病"とまでいわれた北アイルランド紛争が、対話路線によって和解へとたどり着いた事例を通して、相手を"敵"ではなく、同じ人間として見ることから、平和の糸口が開かれると述べた。
対話を根本とした人間同士の交流で、平和の前途を開く——それこそ、教育の挑戦そのものである。
紛争下、その挑戦の旗を高く掲げて前進したのが、クイーンズ大学だった。
学生が中心となって舞台芸術や視覚芸術などを披露する、世界的に有名な芸術祭は、紛争中も中断することなく行われ、文化の力で人々の心を結んだ。
「(池田博士は)平和構築の基盤として、『対話』に徹してこられました。冷戦時代の最中にも、民間外交を通して、異なる国々や文化、また多様な哲学や信仰の伝統をもつ人々の間に理解の橋を架けようと尽力してこられたのです」
名誉博士号の授与式で、グレッグソン学長がそう語ったのは、平和創出のための「対話」の価値と、その実践に伴う勇気と困難の大きさを、深く知るからにほかならなかった。
先生の世界との友情は、北アイルランドの識者とも結ばれた。その一人がクイーンズ大学で学んだ、「世界子ども慈愛センター」創設者のベティ・ウィリアムズ博士である。
76年、博士はベルファストの市街地で、警察の発砲を受けて暴走したテロリストの車が、3人の子どもの命を奪う事件に遭遇した。
「もう、黙っていられない。こんな悲劇はたくさんだ!」。博士は一人、声を上げ、平和を求める署名運動を開始した。紛争地帯に乗り込み、対立する双方の陣営の家を一軒一軒、訪問した。運動は瞬く間に広がり、2日後には6000人の署名が集まった。
さらに、平和を願う女性たちの行進を始めると、その輪は敵味方関係なく、3万5千人に広がった。
こうした運動が評価され、博士は76年度のノーベル平和賞を受賞した。
2006年11月、博士との会見で先生は、平和への偉大な功績をたたえつつ、単刀直入にこう聞いた。
「どうすれば、平和をつくることができるか。そして、どうすれば、それを永続させていけるか。この点を、どう思われますか」
博士は応じた。
「平和とは、何か『具体的な形』があるわけではないと思います。ですから、誰かが『模範を示す』しかないのではないでしょうか」
「指導者は、まず、自分で模範を示した後、すぐに後ろに回って、皆を押してあげる。それが本当のリーダーシップだと思います」
09年4月、ベルファストに本部を置く「文化・経済・社会関係のためのアイルランド協会」は、先生に外国人初となる「名誉会員証」を贈った。
同年5月の名誉博士号の授与式の折には、クイーンズ大学と創価大学が学術交流協定を調印。多くの若人が、先生が開いた友情の橋を渡った。
クイーンズ大学のキャンパスには、名誉博士号授与から10周年となった昨年5月、先生と香峯子夫人の平和貢献をたたえて、ご夫妻の名前が刻まれた銘板を付した「平和のベンチ」が設置された。
紛争終結から20年以上がたつ今なお、北アイルランドの住民の間には確執が残る。宗派によって居住区を隔てる壁や鉄条網が、設けられている地域もある。
そして、世界に目を向ければ、新型コロナ禍で人々の不安が増大され、"心の分断"も叫ばれている。
それでもなお、ウィリアムズ博士が語り、自らの行動で証明したように、平和への模範を示し、人々の背中を押す一人がいる限り、どんな社会の暗闇にも、必ず灯はともされる。
博士と信条を同じくして、「一人」の励ましに全力を注いできた先生。名誉博士号に対する謝辞で、青年たちに呼び掛けた。
「皆さんにこそ、『平和の特使』『平和博士』になってもらいたい。大学で学びながら、平和のために何も貢献できない。たとえ偉くなったとしても、自分のことばかり考えて威張る——そんな人生では情けない」
「教育は人間を創る。その人間が平和を創る。ゆえに人間の力を信じ合う教育の結合がある限り、人類の前途に、断じて行き詰まりはありません」

◇グレッグソン元学長の声
(池田)博士は国際的に高く評価された指導者であり、平和の懸け橋です。生涯にわたり、教育のため、また、一人一人の可能性を引き出すために献身されてきたお姿は、博士が世界の指導者である証しです。私は、博士の心の広さ、幅広い知恵、またクイーンズ大学と創価大学との間に平和・友好の絆を築こうとされる強い熱意に胸を打たれました。(中略)
創価大学のように素晴らしく、また触発を与えてくれる教育機関を訪問できたことは、私たちにとって光栄であり大きな喜びでした。師弟の絆の強さを感じ、その絆は、一人一人の成長に焦点を当てることによって育まれており、博士のおっしゃる「戸田大学」で師から受けた一対一の教育に対する博士の永遠の恩義が、ここに映し出されているように思いました。
また、博士が創立された創価学園でも、創価大学においても、学生たちが示す師の構想への理解の深さに心を打たれました。学生たちの誇りは、有能な世界市民に育てとの、創立者のビジョンを実現することにある——これは私たちが訪れた全ての教育機関においてはっきりと感じられました。(中略)
歴史を見ると、民衆を守る側に立つ人々が常に弾圧を受けています。池田博士もその例外ではありません。多くの人々が無力感に陥る世の中にあって、一人の人間のなかに力を見いだす池田博士の信念は、ビジョンをもった指導者としての偉大さを証明するものです。
より良い未来を建設しようとするとき、博士の生涯は、私たち人類に示唆を与えてくれます。
(本紙2011年11月27日付)

◇英国女王創立の総合大学 ノーベル賞受賞者らを輩出
北アイルランドの中心都市ベルファストにあるイギリス屈指の総合大学。1845年、ビクトリア女王によって創立され、1908年に現在の大学になった。3学部に約2万4千人が学ぶ。
オックスフォード大学やケンブリッジ大学など、優れた学府で構成される「ラッセル・グループ」に所属。大規模かつ高い研究・教育水準を誇り、ノーベル賞受賞者や政治指導者、医師、オリンピックの金メダリスト、俳優ら社会貢献の人材を輩出している。
同大学からは池田先生のほかに、ブレア元イギリス首相、マンデラ元南アフリカ大統領らに名誉博士号が授与されている。

2020年6月16日火曜日

2020.06.16 わが友に贈る

知勇兼備の学生部よ!
普賢の力を磨き抜き
世界広布の先駆と光れ!
若き情熱と発想と行動で
新たな価値創造の道を!

上野殿御消息 P1527
『親によき物を与へんと思いてせめてする事なくば一日に二三度えみて向へとなり』

【通解】
親によい物を贈ろうと思っても、何もできることがなければ、せめて一日に二度三度は、笑顔を見せてあげなさい。

名字の言 13度目の御書全編拝読に励む婦人が心に刻んだ御文 2020年6月16日
入会して59年。毎朝、御書を拝し続け、現在、13度目の全編拝読に挑戦中の婦人がいる。どのページにも朱線や書き込みがいっぱい。それを繙きながら体験を話してくださった▼経済苦にあえいでいた時、心に刻んだ御文は「いかなる乞食には・なるとも法華経にきずをつけ給うべからず」(御書1163ページ)。20回、30回と声に出して読むと、"池田先生の弟子として信心に傷はつけられない。負けてなるものか"と闘志が湧いた▼肺がんを宣告された時、心に刻んだ御文は「鬼神めらめ此の人をなやますは剣をさかさまに・のむか……」(同1587ページ)。愛弟子を苦しめる病魔を烈々と叱り飛ばされる御本仏の大慈悲に触れ、弱気を打ち砕くことができた。今、確信を込めて語る。「師匠と御書さえあれば怖いものなし。鬼に金棒よ!」▼近代日本を代表する思想家・内村鑑三は世界に向けて、日蓮大聖人を「代表的日本人」と宣揚した。大聖人こそ「最も偉大なる者の一人」「我等の理想的宗教家」(原文は英語、鈴木俊郎訳)と。さらに、大聖人を正当に評価するためにもっと努力するべき、とも▼一切衆生の幸福を願われた大聖人の御境涯に接すれば、自身の境涯が開かれる。「永遠の経典」御書を学ぼう。勇気が燃える。希望が湧く。決意が生まれる。(実)

寸鉄 2020年6月16日
他者を思う学会員の現代の役割は大きい—日本の教授。心結ぶ声掛け更に
福島女性の日。笑顔輝く婦女の連帯は福光の力。さあ郷土に希望を拡大!
「友情は喜びを二倍にし、悲しみを半分に」詩人。電話等で励まし合い前進
コロナとの長期戦に備え免疫力の強化を—医師。睡眠・食事・運動しっかり
大流行の克服には世界の連携が不可欠—WHO。「地球民族」の思潮今こそ

☆日蓮大聖人の慈愛の眼差し 国府入道夫妻 「広布に尽くす功徳は無量」
◇阿仏房・千日尼夫妻と共に純真な信仰を貫き、迫害を恐れず大聖人をお守りした佐渡の門下
最も尊く、最も充実した人生とは何か——。
かつて池田先生は語った。
「博士になるよりも、有名人になるよりも、権力者になるよりも、一生懸命に広宣流布に汗を流しゆく人がいちばん尊いのである。そういう真面目な学会員を、大聖人はいちばん称讃してくださるにちがいない。抱きかかえてくださるにちがいない。
愚直なまでに、まっすぐに戦っていく信心——これが本当の名誉ある人生である。その人こそ『広宣流布の宝』であり、『創価学会の宝』である」と。
日蓮大聖人御在世当時、佐渡で流罪の身であった大聖人をお守りし、赦免後も身延の大聖人のもとへ御供養をお届けするなど広布のために尽くし抜いた門下が、国府入道夫妻である。
大聖人は、黙々と広布に励む、けなげな門下の信心を最大にたたえられ、抱きかかえるように万感の励ましを送られている。

◇師と心合わせる 異体同心の団結
国府入道夫妻については、生没年や家柄など詳しいことは分かっていない。佐渡国の国府(朝廷が国ごとに設置した役所の所在地)に住んでいたことから、夫は「国府入道」と呼ばれていた。
大聖人から夫妻に宛てられたお手紙で、現在、残っているのは2通だけである。しかし、阿仏房の妻である千日尼に宛てたお手紙に、国府入道夫妻に関する記述がいくつかあり、これらの内容から、阿仏房・千日尼夫妻と共に、佐渡の門下の中心的な存在として、信心に励んでいたことが分かる。
大聖人が国府入道の妻である尼御前に宛てたお手紙には「阿仏房の尼(千日尼)と『同心』なのだから、二人そろって、この手紙を人に読んでもらって聞きなさい」(御書1324ページ、通解)と記されている。二人が日頃から仲良く、常に励まし合っていたことがうかがえる。
ここで大聖人が「同心」と記された背景には、権力者からの圧迫にも恐れることなく、団結して大聖人を守り抜いた、信心強き二人の姿を思われてのことではないかと拝される。「異体同心」の団結の信心に励むことがいかに大切か。それを教えてくださっている御文ともいえよう。
佐渡流罪中の大聖人は、監視を付けられ、衣食に事欠く生活を強いられるだけでなく、念仏者らに常に命を狙われるような、過酷な環境に置かれていた。
そうした中で大聖人に帰依した国府入道夫妻。大聖人を外護することは、文字通り、命懸けの戦いであった。当時の様子を大聖人が述懐されている。
「国府入道夫妻は、私が佐渡国にいる間、人目を忍んで夜中に食べ物を届けてくださいました。ある時は国からの処罰も恐れず、日蓮の身代わりにさえなろうとしてくださいました」(同1325ページ、通解)
入信間もなかった夫婦の外護を、大聖人は心からたたえられた。さらに「つらかった佐渡国でしたけれども、(赦免されて別れる時は、名残惜しく)剃った髪を後ろに引かれ、進もうとする足も後ろに戻ってしまいました」(同ページ、通解)と、佐渡から鎌倉に戻られる際の心情をつづられている。
国府入道夫妻は、大聖人が佐渡流罪を赦免された後も師匠を求める心を強めていった。国府入道は、佐渡から身延の大聖人のもとを訪れ、御供養をお届けしている。
大聖人は、「(身延と佐渡では)国も遠く隔たり、年月も経っているのに、信仰に緩みが出るどころか、ますます強盛な信心の姿を現している」(同1323ページ、趣意)と、月日や距離を超えて信仰を貫く夫妻の信心を称賛されている。
さらにお手紙で、国府尼の心を深く推し量られる。当時は遠い道のりを女性が訪ね歩くことが難しい時代だった。彼女は"佐渡から遠く離れた身延の大聖人と再会することは、とうてい、かなわないことだ"と頭では分かっていても、大聖人にお会いしたいとの思いを抱いていたに違いない。大聖人は、国府尼に励ましの言葉を送り、労われている。
「日蓮を恋しく思われるなら、いつも昇る太陽、夕べに出る月をご覧になってください」(同1325ページ、通解)
"私たちは、いつでも一緒ですよ"との大聖人の温かいお心があふれた御文である。この御文を拝した国府尼は、朝も昼も夜も、大空を見上げるたびに、大聖人の慈顔を仰ぐ思いだっただろう。まさに、「心こそ大切なれ」(同1192ページ)のうるわしい世界である。

◇不安抱える友を 包み込むように
大聖人は、国府入道夫妻に、こうも仰せである。
「あなた方には子どもはいらっしゃらないが、教主釈尊が、あなた方の慈父であり、日蓮はまた、あなた方の子どもと同じです。蒙古の襲来があった時には、この身延の私のところへお越しください。ご子息もいらっしゃらないのだから、行く末には、こちらに移っておいでになればよい」(同1323ページ、趣意)
なんと人情味にあふれた激励であろうか。
もとより大聖人は、「どのような地に住んだとしても、無常のすみかである。成仏することこそ、最終の常住のすみかであると心に決めていきなさい」(同ページ、通解)と仰せである。信心とは住んでいる場所で決まるものではなく、成仏の境涯を得ることこそが、最も肝要であると、深い信心の自覚を促されている。
その上で、当時は、再度の蒙古襲来への不安があった時期でもあり、大聖人は夫妻に、行く末は、身延へ移り住んではどうかと勧められたのである。
疫病が日本中に蔓延していた弘安元年(1278年)7月に認められた千日尼へのお手紙には、阿仏房夫妻と国府入道夫妻の身を案じられていたことが記されている。
身延の大聖人のもとを訪ねてきた阿仏房に大聖人は問われる。「千日尼御前はご無事でしょうか? 国府入道殿はどうであろうか?」と。阿仏房は「まだ疫病にかかっていません。国府入道は、私と一緒にこちら(身延)へ向かいましたが、早稲刈りの時期が近づき、手伝ってくれる子どもがいないため、やむなく途中で引き返しました」(同1314ページ、通解)と報告した。
必死の思いで身延に来た阿仏房、無念にも引き返した国府入道。両者の気持ちを酌み取られた上で大聖人は、佐渡の門下たちが無事であることに対し、「死んだ父母が夢の中に現れ出たのを見て喜んでいるような気持ちです」(同ページ、趣意)と仰せになっている。
国府入道夫妻は、この大聖人の御心情に、どれほど感激したか計り知れない。
どんなに遠く離れていても、弟子の無事と健康を気に掛け、成長を祈る師。師の慈愛に応え、師を守り、求め続けた佐渡の門下たち。この師弟の絆の力によって、佐渡における地域広布は大きく進んでいったに違いない。
愚直に信心を貫き、大聖人を支え続けた国府入道夫妻が、どれほどの無量の功徳を築くか。大聖人はお手紙で仰せである。
「末法の法華経の行者を供養するのは、十種の尊称を具えられた仏を供養するよりも、その功徳が大きい」(同1324ページ、通解)
どこまでも師匠を求め、広宣流布に生き抜こうとする深き「心」が、無量の功徳の因となることを、大聖人は教えられている。
形式や格好ではない。信心根本に悩みや苦難と向き合い、目の前の一人を励ましていく——そうした一つ一つの地道な行動の積み重ねが、無量の功徳となって輝き、無上の幸福の人生が築かれていくのである。

2020年6月15日月曜日

2020.06.15 わが友に贈る

新聞休刊日

経王殿御返事 P1124
『此の曼荼羅能く能く信ぜさせ給うべし、南無妙法蓮華経は師子吼の如しいかなる病さはりをなすべきや』

【通解】
この曼陀羅をよくよく信じなさい。南無妙法蓮華経は師子吼のようなものである。どのような病が、障りをなすことができようか。

☆日蓮大聖人の慈愛の眼差し 上野尼御前(南条時光の母) ますます信心に励む「求道の人」たれ
◇亡き夫を胸に後継の子らと広布に生き抜いた偉大な母
今月10日は「婦人部の日」。けなげに広布に走る創価の女性たちに心からの敬意を表し、かつて池田先生はつづった。
「気取らず飾らず、ありのままの笑顔で皆を励まし続ける創価の母たちの振る舞いは、まぎれもなく『仏の振る舞い』ではないか。
婦人部あればこそ、学会家族は明るく温かい。
婦人部あればこそ、広宣流布は限りなく進む。
婦人部あればこそ、令法久住は行き詰まらない」
家庭に、地域に、社会に、希望の励ましの光を送りゆく女性ほど、尊貴で偉大な存在はない。
日蓮大聖人の御在世当時も、多くの女性門下が純真に信心に励み、広布に尽くし抜いた。その一人が、南条時光の母・上野尼御前(=上野殿母尼御前、上野殿後家尼御前)である。
上野尼御前は、夫や子どもを亡くしながらも愚直に広布に走り抜き、後継を立派に育て上げた。その原動力こそ、尼御前に真心で寄り添われた、大聖人の慈愛の励ましであった。

◇夫を亡くした悲哀に寄り添う
上野尼御前は、駿河国富士上方上野郷(静岡県富士宮市下条)に住んでいた女性門下である。一族で最初に大聖人に帰依した夫・南条兵衛七郎に勧められて入信した。
「子ども・あまたをはしませば」(御書1567ページ)と仰せのように、夫妻は、次郎時光、五郎ら多くの子宝に恵まれた。
尼御前に試練が訪れたのは文永2年(1265年)3月8日。若くして、信心を教えてくれた夫を病気で亡くしたのである。
夫方の親族は念仏を信仰しており、信心に反発していた。その中で、残された多くの子どもたちを養っていかなければならない。尼御前は夫の後を追って死のうとまで思い詰めた。それを踏みとどまらせたのは、尼御前のおなかの中にいた末っ子の五郎の存在であった(同1572ページ参照)。
夫の追善のため、尼御前が大聖人に御供養を送ったことに対して、大聖人は嘆きと悲しみを深くくみとり、心を解きほぐすように励まされた。
「生死を繰り返しゆく間に夫婦となった男性は、大海の砂の数よりも多くいらっしゃったことでしょう。そのなかで、今度の夫婦の絆こそが、真実の絆で結ばれた夫なのです。そのわけは、あなたは夫の勧めによって法華経の行者になられたからです。ですから、亡くなった夫を仏と拝するべきです。生きていらっしゃった時は生の仏。今は死の仏。生死ともに仏なのです。即身成仏という重要な法門は、このことです」(同1504ページ、通解)
地域の一粒種として、命を懸けて妙法を守り抜いた夫の姿を、尼御前は目の当たりにしていただけに、何度もこの大聖人の仰せを拝し、うなずいたに違いない。
さらに大聖人は竜女の即身成仏を通し、「なをなを信心をはげむを・まことの道心者とは申すなり」(同1505ページ)と呼び掛けられている。大聖人は「亡き夫の成仏」から「上野尼御前自身の成仏」に焦点を移され、"道心者(=求道の人)とは、ますます信心に励んでいく人をいうのですよ"と、万感こもる激励を続けられた。
そして「夫は『法華経の行者』であったがゆえに即身成仏は間違いない。それでも、つい嘆いてしまうのが凡夫の理であり、聖人といわれる人ですら、特別なときには、やはり嘆くものです。何としても、追善供養を心ゆくまで励まれることです」(同1506ページ、趣意)と、尼御前の心に寄り添われている。その真心にどれほど感銘を受けたか計り知れない。
池田先生は次のように講義している。
「夫に先だたれた嘆きも、妙法の祈りへと昇華させれば、自身を高め、一生成仏へと結実していくための修行になるのです。追善の祈りも、妙法の祈りであれば、立派な仏道修行になるのです。御本尊の前では、何も飾る必要はない。嬉しいときは嬉しいままに、悲しいときは悲しいままに、ありのままの自分で御本尊を拝していくことです。(中略)何があろうと唱題し抜いた人が、真の勝利を得るのです。何があっても、妙法を唱え、妙法の力用を我が生命に現していける人。その人こそが『生の仏』に他ならないのです」

◇妙法で結ばれた絆は三世永遠
夫から託された信心という宝を、わが子にも!——上野尼御前は、そう心に期していたであろう。
大聖人が文永11年(1274年)に身延に入山された直後、16歳となった次男の南条時光は、いち早く師のもとを訪れた。その時の時光の姿を、大聖人はお手紙で「父上の形見として、御身を若くして、子息を遺しおかれたのでしょうか」(同1507ページ、通解)とまで記された。母は、大聖人のお心に触れて、子どもたちを後継の人材に育てようと、いっそう固く誓ったに違いない。
その後、時光は毎年、大聖人からお手紙でご指導を受けながら、駿河の門下のリーダーへと成長する。そして、「熱原の法難」をも乗り越えていくのである。
熱原の法難の余燼くすぶる弘安3年(1280年)は、南条家にとって、生の喜びと死の嘆きが相次いで起こった年となった。
生の喜びとは、時光のもとに男児が誕生したことである。大聖人は同年8月、この男の子に「日若御前」(同1566ページ)と命名された。家を継ぐ孫の誕生は尼御前にとって無上の喜びであっただろう。
ところが、それからわずか10日後、今度は悲劇が訪れる。同年9月5日、末っ子の五郎が突然、16歳の若さで亡くなったのである。
尼御前にとって、五郎は大聖人に期待を懸けられた自慢の息子であり、夫の後を追い、死にたいとまで思った自身を踏みとどまらせた存在である。
"その息子にもう会えないとは、なんと悲しいことであろうか"と大聖人は心の底から、その死を惜しまれ、たびたびお手紙を送り、尼御前に希望の灯をともし続けた。
五郎の四十九日を前にして、尼御前は追善のため、大聖人に御供養をお届けした。大聖人は法要を営まれ、返事を送られている。
「悲母がわが子を恋しく思われるなら、南無妙法蓮華経と唱えられて、故・南条兵衛七郎殿、故・五郎殿と同じところに生まれようと願いなさい。(中略)同じ妙法蓮華経の種を心に孕まれるなら、同じ妙法蓮華経の国へお生まれになるでしょう。父と母と子の3人が顔を合わせられる時、そのお悦びはいかばかりで、どんなにうれしく思われることでしょう」(同1570ページ、通解)
妙法によって結ばれた絆は、何ものにも断ち切られることはない。子の成仏は間違いないと、大聖人はこれ以降のお手紙でも、何度も何度も断言されている。尼御前は心を尽くす師の言葉に、師弟の絆を強くし、いや増して広布に励んでいったことだろう。
尼御前の晩年は定かではないものの、大聖人御入滅後、息子の南条時光は日興上人を支えながら、真っすぐな信仰を貫いた。その日蓮仏法を継承する雄姿を見守り、天寿を全うした母の心は、晴れ晴れと澄み切っていたに違いない。
尼御前の生涯は、いかなる障魔が競い起ころうとも、師弟を根本に信心を貫く姿勢が真の幸福境涯を開く要諦であることを示している。
そして、いかなる悲哀があろうと、どこまでも寄り添い、一人一人の生命を力強く鼓舞しゆく、日蓮仏法の人間主義の励ましこそ、地球を包み、混迷する時代を照らす陽光といえよう。

2020年6月14日日曜日

2020.06.14 わが友に贈る

◇今週のことば
「法華経に勝る兵法なし」
大変な時こそ題目だ。
一つ一つ具体的に祈り
以信代慧で勝ち開け!
仏天も動かす生命力で。
2020年6月14日

四条金吾殿御返事 P1186
『李広将軍と申せしつはものは虎に母を食れて虎に似たる石を射しかば其の矢羽ぶくらまでせめぬ、後に石と見ては立つ事なし、後には石虎将軍と申しき』

【通解】
(昔、中国の)李広将軍という武将は、虎に母を食い殺されて、虎に似た石を射たところ、矢は羽ぶくら(矢の先と反対側に付いている羽根形の部分)まで石に突き刺さった。しかし、あとで、それが石と知ってからは、射ても矢は石に立つことがなかったという。それからのち、人々は李広将軍のことを石虎将軍と呼ぶようになった。

名字の言 「不倒翁」と呼ばれた中国の周恩来総理 2020年6月14日
中国の周恩来総理が使用する洗面室を「第二執務室」、寝室を「第三執務室」と、総理を支えた人たちは名付けた。幾多の逆境を勝ち越え、「不倒翁」と呼ばれた総理は、朝起きて洗面室で顔を洗う時から仕事を始め、書類の山を抱えて寝室に入ることが常だった▼専属保健医を務めた張佐良氏は、周総理が夜、ベッドでうたた寝をしながらも、手には書類と鉛筆を握る姿を見ることがあった。休息を勧めても、総理は人民を思い、「第三執務室」で働き続けた(『周恩来・最後の十年』日本経済新聞社)▼総理の膨大な仕事量は、海外でも有名だった。そのバイタリティーは、どこから来るのか——海外の要人から問われると、総理は"革命を共に戦った同志のことを、私が忘れないからです"と。「不倒翁」の原動力は、同じ志に生きた人たちへの感謝だった▼「苦楽をともにした同志のことを、私は生涯、忘れない。同志への感謝があるところ、力は無限にわき出ずるものだ」と池田先生は語る。感謝は歓喜を呼び覚まし、苦難に立ち向かう勇気の源泉となる▼恩を感じ、恩に報いようとする行動に、人間性の真髄がある。自分を支えてくれる方々への感謝を胸に、我らは妙法の「不撓王」として、はつらつと日々を歩みたい。(嶺)

寸鉄 2020年6月14日
年譜『栄光の共戦譜』贈呈が順次開始。友と絆固く。立正安国へ新たな前進!
女子部・華冠Gの結成日。皆の個性を輝かせる美の創造者。使命の道、颯爽と
大東京の要・町田が「師弟原点の日」。特区の誇りも高く!励ましを隅々まで
感染対策のマスクで熱中症の危険大。身体的距離確保し外す等の工夫賢く
気象災害は事前に備えられる—専門家。防災地図確認。梅雨時に意識強め

☆第3代会長就任60周年記念 師弟凱歌の記憶 特別編「婦人部総会の歩み」
◇きょう6・10「婦人部の日」
きょう6月10日は「婦人部の日」。1951年(昭和26年)同日の結成から満69年を迎えた。本年は、「婦人部総会」が地域に根差した小単位で行われるようになって45周年でもある。会合形式での開催は見送られたが、「希望の絆 女性月間」(30日まで)を通じて、総会と同じ心で、友人・同志に励ましの輪を広げていく。ここでは連載企画「師弟凱歌の記憶」の特別編として、婦人部総会の伝統を築いた池田大作先生ご夫妻の励ましの軌跡をたどる。

◇45年前の淵源
全国の婦人部員が、足取り軽く"わが地域"の会場に集まった。
1975年(昭和50年)1月10日。総ブロック(現在の支部)ごとに、一斉に開かれた「第5回婦人部総会」である。
前年までの総会は、全国の代表が一堂に会する形式で開かれていた。そこから、地域に密着した"小単位"への大転換。開催を報じる当時の聖教新聞は、"学会の総会として史上初であり、地域広布の幕開けを告げる壮挙"とつづった。
会場数は列島の北から南まで約6200。参加者は60万人以上。北国では大雪や氷点下の寒さになった地域もあったが、参加者の顔は、一人一人が「広布の主役」の誇りに輝いていた。
なぜ、総会は小単位になったのか。当時の婦人部リーダーは振り返る。「池田先生は当時、個人指導に、非常に力を入れておられました。『大きい会合も大事だが、各人が抱える悩みや問題は違う。一人一人を、もれなく激励するんだよ』と指導されていました」
折しもこの年は、「男女平等の促進」「国際友好と世界平和に対する女性の貢献の重要性」等をうたった国連の「国際婦人年」。女性の社会との関わりも多様化し、一人一人の状況に応じた励ましを届けることが一段と重要になっていた。
池田先生は総会を心から祝福し、アメリカからメッセージを贈った。
——婦人部が健在である限り、創価学会は不滅です。また、皆さま方の福運と功徳も永遠不滅です——と。
総会の当日・1月10日(現地時間)に先生は、ニューヨークの国連本部を訪問。全米6都市を駆け巡り、同26日には、グアムでSGI(創価学会インタナショナル)が発足した。
師が進む世界広布開拓の力強い足音を聞きながら、
わが地域に幸と平和の花を咲かせる婦人部総会の歩みは始まったのである。

◇名古屋市南区の総会に出席(1976年)
一番尊く偉いのは太陽のように 雨の日も風の日も 友と家族を守るお母さんです
粉雪が舞う寒い日だった。76年(同51年)1月16日夕刻、池田先生は、愛知県名古屋市の名古屋文化会館(当時)に到着した。
この日は市内の約300会場で「第6回婦人部総会」が予定されていた。前年から始まった、地域単位の開催の2回目である。
到着するや、先生は"今夜の総会に行こう!"と。
選んだのは、名古屋文化会館から車で50分ほどかかる南区の名古屋南会館(当時)だった。
足早に会場へと急ぐ婦人部員の後ろから声がした。「こんばんは。婦人部の方ですね。いつも本当にご苦労さまです」
振り向いた婦人は息をのんだ。全く想像もしていない、池田先生の姿があったからだ。
「さあ、一緒に行きましょう。私も皆さんの総会にこれから参加するのです」
会場に入る前から、全身全霊の励ましは始まっていたのである。
池田先生は背中に乳飲み子を抱えた婦人を見つけると、にっこりと赤ちゃんの頭をなで、記念撮影。総会を陰で支える運営役員には、ねぎらいの声を掛けた。
総会で懇談的にスピーチした先生は、アメリカで交わしたある財界人との対話を紹介した。
——「世界で一番尊く偉いのは誰か」と聞かれた。その財界人は、釈尊などの名前を挙げると予想していたようだが、私は答えた。
「一番尊く偉いのは、一般市民のお母さんです!」「お母さんこそ、雨の日も風の日も、太陽のように変わることなく、わが友とわが家族を、慈愛を込めて守ってくれています!」——と。
それは先生の実感であり、信念であった。
愛知は、1970年(昭和45年)の、いわゆる「言論問題」で学会攻撃にさらされ、最も悔しい思いをした地域の一つだった。
思い掛けない先生の訪問に、けなげに耐えてきた婦人部の友の喜びは大きかった。婦人部総会に参加していた友は振り返る。
「人生の冬のような時に、先生が春を運んできてくださった。皆の心に太陽が昇ったようでした」

◇各地の総会に届いた1枚のレコード(1977年)
メッセージと真心のピアノ演奏
77年(同52年)の「第7回婦人部総会」は、桜前線が列島を駆け抜ける4月10日、大ブロック(現在の地区)ごとに開催された。
同年初頭から、宗門僧による理不尽な学会攻撃が行われ、同志は悔し涙をのみながら、広布の活動に励んでいた時である。
歌や体験発表に加え、感謝を込めた未来部の作文朗読、学生部の「母」の歌など、各部も協力し、楽しい語らいの花を咲かせた。
総会の初の試みとして、各会場に、事前にシートレコード(ビニール製レコード)が届けられた。青いシートにレコードプレーヤーの針を落とすと、張りのある池田先生の声が響いてくる。「きょうは婦人部の方々が、各地域で和やかに総会を開催されております。誠におめでとうございます」
先生が寄せた長文のメッセージとピアノ演奏が吹き込まれていた。東京・創価学園の卒業式に出席した翌日の同年3月17日と18日、創価大学のAV教室で録音されたものである。
「数千年の仏法の歴史において、このような姿は、いまだかつてありませんでした。まさしく、広宣流布の姿であります。あとは、ご一家におかれて、笑いの止まらない、幸せな家庭を築いていただきたいものであります」——一人一人に語り掛けるような、どこまでも温かい声だった。
「たとえ、ご一家が信心していなくても、奥さま、お母さまが立派な信行学をしているならば、ご一家全員が、福運に、もはや包まれていることを確信していただきたいのであります。決して焦ってはなりません。焦らないでください。
第一にも第二にも、ご一家が和やかに生きていくように、お願い申し上げるのであります」
さらに先生は、「然る間・仏の名を唱へ経巻をよみ華をちらし香をひねるまでも皆我が一念に納めたる功徳善根なりと信心を取るべきなり」(御書383ページ)を拝し、訴えた。
「御本尊を持った私どもの活動は、人生は、全部、自分自身の福運善根に変わると思って信心に励んでいただきたいし、また信心即生活を大切にしていただきたい」「信心の世界だけは、その功徳善根を消さないように、怨嫉や反感、そしてまた感情的にならないように注意してください。それは自分自身が損をするだけであります」「喜びの世界、楽しみの生活をつくるために、信心をしていただきたい」
そして——こう続けた。「婦人部の皆さん方が少しでも喜んでいただければと思いまして、大変に下手ではありますけれども、私のピアノを真心として弾かせていただきます」
レコードから、先生の力強くも優しいピアノの音色が響いてくる。
「荒城の月」「さくら」、創価学園の寮歌(現在の創価中学・高校の校歌)、「うれしいひなまつり」「夕焼小焼」「春が来た」「熱原の三烈士」……。
みんな負けるな! 何があっても学会と共に、私と共に希望の人生の並木道を歩こうよ!——そうした慈愛が、一音一音からあふれ出るようである。
先生と一緒に総会に参加しているかのような喜びが、日本列島の津々浦々に広がった。

◇ほほ笑みを携えて
78年(同53年)の「第8回婦人部総会」は6月に前年と同様、大ブロック単位での開催となった。
香峯子夫人は同17日に北海道の厚田、25日に東京・江戸川の集いに足を運んでいる。
続く79年(同54年)の「第9回婦人部総会」は5月26、27日の2日間、大ブロックごとに開催。地域単位での総会はすっかり恒例となったが、学会を取り巻く状況は大きく変わっていた。
前月24日、池田先生が第3代会長を辞任。邪宗門と背信の徒が結託し、師弟を分断しようとする謀略が渦巻いていた。
先生は会合で指導することを制限され、聖教新聞に動向が載ることも少なくなった。
そうした中で、先生の闘いは「草の根」に向かった。一人一人への励ましであり、功労者宅の訪問である。"声がだめなら音がある"と、魂の叫びをピアノ演奏に託すこともあった。
この年、香峯子夫人は5月27日午後、横浜市神奈川区内で催された婦人部総会に出席した。
「池田でございます。きょうはよろしくお願いいたします」
参加者の中には、初めて会合に参加する多宝の友や、育児に奮闘しながら、やっとの思いで駆け付けた友もいた。
勤行、体験発表や研究発表の後、香峯子夫人は、懇談的にあいさつ。
「先生は、お元気ですか? 先生が新聞に載らなくて、さみしい思いをしています」と言う友には、「元気ですよ。伝えておきますよ」と笑顔で。
家族の病気、経済苦など一人一人が抱える悩みに丁寧に耳を傾け、信心根本で進む人は、必ず無量の福徳に包まれていくとの確信を語った。
先生の第3代会長就任の日には「きょうは池田家のお葬式です」と言い、会長辞任の日には、「これからは、今までお会いできなかった大勢の学会員さんのお宅へ行けますね」とほほ笑んだ香峯子夫人。時は移り、人の心も変われど、ただ師弟の道をひとすじに生きる信念は、少しも揺るがなかった。
後日、5月27日の総会の中心者に、一通の封書が届いた。香峯子夫人からであった。
「団結して仲良い姿が感じられ、とても素晴しい大Bだと思いました」。総会を記念して届けられた文集への感謝の思いが、丁寧な文字で記されていた。
「悩まれる時もあると思います。でも、そのような時こそ、自身の力のつく時と心に決めて、益々、広布の人材に成長なされますことを祈っております」
「おばあちゃま方が何もお話なさらなかったので、私の声のかけ方が悪かったかしらと反省しておりましたが、文集を読んで緊張なされていたのだ、と分り安心いたしました」

◇どこまでも一人を大切に——池田先生と築いた婦人部総会の伝統
45年前に始まった"地域ごと"の婦人部総会は、現在では、地区よりもブロックよりも小さい、グループ単位で開かれている。地域の実情に合わせ、どうすれば一人一人にこまやかな励ましを送れるか、工夫を凝らし、より自由な発想で多彩な企画を行っている。
老いも若きも、同志も友人も、全ての垣根を越えて、屈託なく、明日への希望を語り合う。この婦人部総会の伝統は、池田先生ご夫妻の、草の根に分け入って一人一人を励ます行動によって築かれてきた。
今月1日の随筆で、池田先生はつづった。「"第三代"の六十年は不二の女性たちの祈りと勇気と慈愛の行動で、断固と勝ったのだ!」
「『創価の太陽』のスクラムよ、どんなに時代の苦悩の夜が暗くとも、一つ一つ変毒為薬して闇を打ち払い、地球の明日を照らし晴らしてくれ給え!」
師の限りない励ましを力に変え、ひたぶるな祈りで智慧を湧きいだして、創価女性の希望の行進は、今日も元気に続く。

2020年6月13日土曜日

2020.06.13 わが友に贈る

幸福を築く舞台は
身近な生活の中にある。
家庭・地域・職場など
大切な人々と
温かな絆を結びゆこう!

日女御前御返事 P1247
何に況や父母国王に百千万億倍まされる世間の師をや、何に況や出世間の師をや、何に況や法華経の御師をや

【通解】
父母や国王よりも、百千万億倍優れた世間の師匠に背けば、なおさらである(必ず天に捨てられ、地獄に堕ちる)。さらに、出世間(仏法)の師に対して、まして、法華経の正しき師匠に背く罪は、いかに大きいであろうか。

名字の言 梅雨に映えるアジサイの花言葉は? 2020年6月13日
東北南部までが梅雨入りした。アジサイが映える季節である▼正岡子規の一句に「紫陽花や はなだにかはる きのふけふ」と。アジサイの色は、きのうからきょうへと、日に日に変わる。別名「七変化」。そんな性質から、人の心の移ろいに重ねられてきた▼先日、70代の婦人部員から、"心変わりした"という連絡を頂いた。「携帯電話を"ガラケー"からスマホに変えたんです」。理由は二つ。「オンラインで地区の同志と語りたい」「聖教電子版を活用して、友人と対話を広げたい」。長年のこだわりもあったようだが、「コロナ禍を機に変わろうと思って」と笑った▼手にする端末は変わっても、信心で培った「励ましの心」は変わらない。もともと筆まめな方だったが、「スマホを持っていない方々に寂しい思いをさせないように」と、直筆の手紙を送り続けている。今月は折り紙で作ったアジサイを添えているそうだ▼アジサイには「移り気」のほかに、一枚一枚が寄り添う姿から「家族の結びつき」という花言葉もある。時に応じて自在に色を変えながらも、支え合うように咲く。雲で日の光が遮られた街に彩りを添え、雨に打たれて一段と輝きを増す——けなげなその姿は、創価家族の麗しい前進を映し出すかのようだ。(之)

寸鉄 2020年6月13日
いくら踏みつけられても伸びるのが青年—恩師。艱難に挑む中に成長あり
青森の日。人材の森から新たな広布のドラマを!試練の時こそ励まし拡大
自己に打ち克つ者こそ最も偉大な勝利者—首相。君よ誓い果たす勇者たれ
SNSのコロナ関連投稿は4割信頼できず—国連機関。必ず情報源を確認
各地で大雨。河川の増水や土砂災害等に警戒を。無冠の皆様も安全第一で

☆心に御書を 第51回 励ましの「一言」を誠実に
〈御文〉
『一滴を江海に加へ?火(しゃっか)を日月にそへて水をまし光を添ふると思し食すべし』(月水御書、1200ページ)

〈通解〉
(あなたからのお尋ねに対して、満足する答えにならないかもしれませんが)一滴の水を大河大海に加えて水を増し、ともしびを日月に添えて光を加えたほどと思ってください。

〈池田先生が贈る指針〉
求道の質問に大誠実で答えられた御書である。平等大慧の極致の振る舞いが示されている。
その人の人格を最大に尊重しつつ紡ぎ出す確信の言葉が、生命を蘇生させる。創価の励ましは、自他共に福徳の大海をいや増し、希望の太陽を一段と輝かせゆく人間主義の光だ。
今日も真心の「一言」を爽やかな風のごとく!

☆原田会長を中心に全国方面長会議
◇池田先生の会長就任60周年記念映像の上映会 7月10日から各地の会館で
全国方面長会議が12日午後、原田会長、長谷川理事長、永石婦人部長らが出席し、方面長・方面婦人部長らとテレビ中継で結んで、東京・信濃町の学会本部別館で行われた。
ここでは7月の活動について協議した。
原田会長は、新型コロナウイルスの感染防止に留意しながら社会活動が再開され、イベント参加人数の上限も段階的に拡大される政府の指針を踏まえ、7月10日以降、学会としても徐々に活動を再開すると言及。
各会館の使用を開始し、その第1弾の行事として、池田大作先生の第3代会長就任60周年の「記念映像上映会」を7月10日から26日まで、全国の会館(SOKAチャンネルの個人会場を含む)で行うと発表した。開催日時等の詳細は今後、各県・区で検討・決定される。
上映される作品には、先生の会長就任式と、師弟誓願の大闘争の軌跡が描かれている。まもなく各世帯への贈呈が開始される記念年譜『栄光の共戦譜』と共に、師への報恩感謝と、新たなる広布前進を誓う機会となろう。
さらに会長は、年譜の贈呈に続いて、感染防止のための諸注意を順守しながら、訪問による激励を進めたいとし、電話・手紙・メール・SNS・オンライン等での励ましも継続したいと強調した。
なお7月度の座談会は行わず、森中教学部長による7月度拝読御書の講義動画を7月4日から「SOKAnet」で配信することも発表された。
志賀青年部長は、7月1日から8月31日を「未来部ドリームチャレンジ期間」とし、期間中、各種コンクールと併せ、従来の「E—1グランプリ」に代わって全未来部員を対象に「未来部イングリッシュチャレンジ」を推進すると述べた(応募要項等は後日掲載)。
最後に原田会長は、今、リーダーに最も必要なのは、断固、広宣流布を進めるとの強き一念であり、それこそ三代の会長に連なる師弟の魂であると力説。創立90周年の11月18日へ新たな決意に燃えて出発しようと訴えた。

2020年6月12日金曜日

2020.06.12 わが友に贈る

変化に対する柔軟性は
確固たる哲学から。
「今なすべき事は何か」
賢明に祈り行動するのが
仏法者の在り方だ。

新池御書 P1439
『かかる悪所にゆけば王位将軍も物ならず獄卒の呵責にあへる姿は猿をまはすに異ならず、此の時は争か名聞名利我慢偏執有るべきや』

【通解】
死後の地獄等という苦悩の世界に行ったならば、王の位も、将軍の位も、何の役にも立たない。獄卒の責めにあう姿は、猿回しに回される猿と変わらない。
こうなった時は、どうして名聞名利や我慢偏執の心でいられようか。

名字の言 脳科学者の茂木健一郎氏「過去は育つ」 2020年6月12日
過日、小欄で約70年前の神奈川・鶴見での池田先生の奮闘を紹介した。それを読んだ鶴見出身の方から「これが鶴見で先生が運んでくださったバケツです」と写真が送られてきた。時代を感じさせるブリキのバケツ。師との思い出が詰まっているように見えた▼月刊誌「潮」の連載「民衆こそ王者」では今、学会草創期の「地区講義」の物語がつづられている。7月号は<識者の声>篇。その中で脳科学者の茂木健一郎氏が「過去は育つ」という脳の働きに言及している。人間の記憶は、歳月と共に、心の中で大切な思い出として育っていくもの、と▼毎年、小説『新・人間革命』等を学ぶ"平和大学校"を開校する東京・北総区の壮年部。持続して20年以上になるが、今年はコロナ禍で、かつてない状況に。しかしSNS等を駆使して、感想を交換し励まし合うなど、研さんの火は赤々と▼コロナで仕事が激減したある地区部長は、悩みながらも読み進めていた時、先生が新任の地区部長を激励するシーンに目が留まった。「あなたが敗れれば、(任命した)私が敗れたことです」。"自分も負けてなるものか"と、再び題目の挑戦を開始した▼あの苦しい時があったから、今の自分がある。そう未来に振り返るであろう歴史の日々を私たちは生きている。(進)

寸鉄 2020年6月12日
「信心と申すは別にはこれなく候」御書。倦まず弛まず。不屈の祈りで前進
「6・30」へ学生部が先駆の月間。君の双肩に未来。磨いた英知で社会を潤せ
墨田女性の日。新時代を開く麗しき婦女の連帯。地域を照らす太陽と輝け
流行前の暮らしに戻ると都内で7月中に再流行—試算。生活の新様式徹底
各地で梅雨入り。正しきリズムで体調管理。水分・塩分補給で熱中症対策も

☆心に御書を 第50回 教学こそ希望の大光
<御文>
『上行菩薩等・末法の始の五百年に出生して此の境智の二法たる五字を弘めさせ給うべしと見えたり経文赫赫たり明明たり誰か是を論ぜん』(曾谷殿御返事、1055ページ)

<通解>
上行菩薩等は、末法の始めの五百年に出現して、この「境智の二法」である妙法五字を弘められるであろうと説かれている。経文は、あまりにも明らかである。誰がこれについて異論を立てるであろうか。

<池田先生が贈る指針>
御書は末法万年を照らす智慧の光源だ。人類を正しく導く生命観、人生観、社会観、宇宙観がここにある。
「大変なときにこそ、御書を開け」と恩師は叫ばれた。真剣な求道は、大聖人から直々にご指導を受けるに等しい。
「いまだこりず候」。御書と共に不屈の勇気で前進だ。希望の大光を今この時に!

☆〈KANTO広布史ファイル〉 「6・6」先師をしのび千葉に来県
2018年(平成30年)6月2日、千葉・船橋池田講堂で関東総会(本部幹部会)が開催された。ブロック1を超える拡大を達成し、皆の勝利の笑顔がはじけた。
そして総会直後の6日、初代会長・牧口先生の生誕日に、池田先生が千葉に来県。"栄光の金字塔"をもって師を迎えた千葉の全同志に、大きな喜びの輪が広がった。
先生は雨の中、旧江戸川を渡って浦安平和会館を訪れ、車中から視察。「千葉の皆さんにくれぐれもよろしく」との伝言を寄せた。さらに、千葉に転教された、先師の率先の足跡をしのばれた先生。その思いを後日の随筆でつづられるなど、師の激励は続いた。
師弟の絆を胸に、旭日の天地・千葉から民衆勝利の新時代を開きゆく。

2020年6月11日木曜日

2020.06.11 わが友に贈る

「仏になるみちは
善知識にはすぎず」
互いに支え合い
触発し合っていく
善友こそ人生の宝だ!

南部六郎殿御書 P1374
『眠れる師子に手を付けざれば瞋らず流にさをを立てざれば浪立たず謗法を呵嘖せざれば留難なし』

【通解】
眠っている師子に、こちらから手を付けなければ瞋ることはない。水の流れにさおを立てなければ、浪は立たない。これと同様に謗法を呵嘖しなければ難を受けることはない。

名字の言 日常の貴重さを映す「サラリーマン川柳」 2020年6月11日
「我が家では 最強スクラム 妻・娘」。最近発表された第一生命「サラリーマン川柳」の人気投票で、第1位に選ばれた作品だ。思わずうなずいた人もいるだろう。記者もその一人である▼時代の世相を映しながら、家庭や職場における悲哀をユーモアたっぷりに詠んだ"サラ川"。今回の入選作品は、空前のブームに沸いたラグビーにまつわるものが目立った。「ノーサイド 笛が鳴らない 我が職場」「お小遣い 値上げトライも 逆ジャッカル」など、くすっと笑える秀句が並ぶ▼詠まれたのは、新型コロナウイルスの感染が拡大する前。人生の労苦や葛藤はサラリーマンに限らない。それぞれの平穏な日常がどれほど貴重であったか、と改めて思う。一日も早く全てを笑い飛ばせる日が来ることを、強く願わずにはいられない▼そんな決意に通じる句が、本紙の「新・生き生き川柳」で紹介されていた。「コロナ禍を 退治の唱題 自粛なし」(5月29日付)。行動の制約は続いても、信心まで窮屈になる必要はない。心の翼を大きく広げ、世界の平和と安穏を祈念する。ここに仏法者の使命がある▼「コロナ終息 祈る我らは ワンチーム」(5日付)。創価のチームワークは苦難の中でこそ光る。さあ今日も団結の祈りを!(仁)

寸鉄 2020年6月11日
「必ず大なる・さはぎが大なる幸となる」御書。負けじ魂で逆境に挑め!
同志を励ます中で本当の信心を肌身で知る—恩師真心光る声掛けを今日も
東京・板橋師弟の日。地域に信頼と友情の連帯拡大本陣に常勝の錦州城築け
オフィス等で空調使用、飛沫拡散の恐れありと。感染防止へ定期的換気を
海外からの不審な着信に注意。折り返すと高額請求も。知らぬ番号は警戒

☆四季の励まし 子どもは「人類の未来」 2020年6月7日
【写真の説明】緑の豊かな大地を、悠然と流れるドナウ川。1981年(昭和56年)5月、池田大作先生がオーストリアの首都ウイーンで撮影した。
ドナウ川はドイツ南西部を水源とし、欧州諸国を経て、黒海に注ぐ。全長2860キロに及ぶ美しい流れは、大地とともに人々の心を潤してきた。
幾多の支流が合わさって大河となるように、広宣流布もまた、後継の人材によって永遠の流れとなる。
きょう6月7日は、高等部の結成記念日。同部をはじめとする未来部は、池田先生が第3代会長に就任後、最初に結成された部である。師の心を受け継ぎ、真心の励ましで人材の大河を築きゆこう。

◇池田先生の言葉
子どもたちは
「未来の宝」である。
かけがえのない
「地球の財産」である。
その貴重な生命を守ることは、
人類の未来を
守ることにつながる。

未来部の皆さんにとって、
学ぶことは、
かけがえのない権利だ。
特権である。
勉強をすれば、
自分の視野が広がる。
活躍の舞台が大きくなる。
今まで見えなかった世界が、
はっきりと
見えてくるようになる。
大空から大地を見渡す「翼」を
手に入れるようなものだ。
ゆえに、
今は大いに学んでもらいたい。

決意した通りに
勉強できる場合もある。
できない場合も
多いかもしれない。
調子がいい時も、
悪い時もある。
しかし、
どんな時も、へこたれないで、
「また頑張ろう」と決意する。
あきらめない。
その人が最後には伸びていく。

栄養を与えるほど、
木は大きく育つ。
同じように、
魂にも「滋養」を
与えることである。
そのためには読書である。
十代、二十代に読んだ本は
一生の財産となる。

皆さん方のお父さん、お母さんは、
偉大な民衆の歴史を
切り開いている。
そして後継の皆さんは、
若き正義の英雄なのである。
世界広布の先頭を走る、
若き後継の未来部を、
皆で応援しよう!
皆さん方の成長を、
世界が待っている。
勉学第一を、
そして
親孝行を頼みます。

2020年6月10日水曜日

2020.06.10 わが友に贈る

「心の師とは・なるとも
心を師とせざれ」御聖訓。
いかなる逆境にあっても
妙法を根本に進もう!
そこに幸福への道が!

千日尼御前御返事 P1311
『但法華経計りこそ女人成仏悲母の恩を報ずる実の報恩経にて候へと見候いしかば悲母の恩を報ぜんために此の経の題目を一切の女人に唱えさせんと願す』

【通解】
ただ法華経だけが女人成仏の経であり、悲母の恩を報じる真実の「報恩の経」であると見きわめました。そこで(私は)悲母の恩を報じるために、この経の題目を一切の女人に唱えさせようと願ったのです。

名字の言 アメリカ建国の父・フランクリンの実践 2020年6月10日
「時は金なり」の名言で知られるアメリカ建国の父ベンジャミン・フランクリン。彼は、こんな言葉も残している。「人間の幸福というものは、時たま起るすばらしい幸運よりも、日々起って来る些細な便宜から生れる」▼彼は自らの「道徳的完成」を目指して、勤勉・誠実・正義など、13の実践項目を手帳に記した。さらに、その一つ一つが実行できたかを毎日、振り返ったという。「良い習慣を作ってこれをしっかり身につけねばならない」と▼手帳には、1日24時間の使い方も細かく記されていた。その冒頭には毎朝、自らへの質問が。「今日はいかなる善行をなすべきか」。そして一日を終えた夜、再び自身に問う。「今日はいかなる善行をなしたか」(松本慎一・西川正身訳『フランクリン自伝』岩波文庫)▼朝、清新な決意で出発する。目標に向かって、着実に行動する。日々、反省を怠らない——時代は変わっても、偉人の生き方から学ぶものは多い▼日蓮大聖人は「深く信心を発して日夜朝暮に又懈らず磨くべし」(御書384ページ)と、持続の信心の重要性を御教示された。時間は万人に平等だ。だからこそ一日一日を大切に、自身を磨き抜きたい。その積み重ねによって、豊かな人生は築かれていく。きょう10日は「時の記念日」。(巍)

寸鉄 2020年6月10日
世界一の「婦人部の日」。希望広げる創価の太陽!励ましの光を更に地域へ
「須弥山の始を尋ぬれば一塵なり」御書。一人への激励。ここに広布の潮も
群馬の日。難を乗り越えゆく信心を今こそ!師弟の原点を胸に固き団結で
専門でない人が番組等で述べる対策は混乱の一因に—関係者。賢く判断を
人との会話不足で「心の不調」感じる人が増加と。電話等を上手に。絆強く

☆心に御書を 第49回 地涌の母よ 今日も元気で!
〈御文〉
『涅槃経に云く「一切衆生異の苦を受くるは悉く是如来一人の苦なり」等云云、日蓮云く一切衆生の同一苦は悉く是日蓮一人の苦と申すべし』(諫暁八幡抄、587ページ)

〈通解〉
涅槃経に「一切衆生が種々の苦しみを受けるのは、ことごとくこれ如来一人の苦である」等と説かれている。日蓮も同じく「一切衆生の同一に受ける苦は、ことごとくこれ日蓮一人の苦である」と言うのである。

〈池田先生が贈る指針〉
友の悩みを"我が事"と同苦する創価の女性は、御本仏に直結している。仏の心であり、菩薩の振る舞いである。地涌の智慧と力が出ないわけがない。諸天も動かないわけがない。
ゆえに苦しみに引きずられず、励まし合って勇敢に乗り越えるのだ。世界の同志と心通わせ、大きく祈り、大きく境涯を開いていこう!

☆「世界を照らす太陽の仏法」に学ぶ 第1回 一家和楽の信心<上> 長谷川理事長
会合自粛が続く今こそ、学会精神を心肝に染めよう——。新連載「紙上教学研さん『世界を照らす太陽の仏法』に学ぶ」では、「大白蓮華」に掲載された池田先生の「世界を照らす太陽の仏法」の中から、「創価学会 永遠の五指針」についての講義を学びます(各テーマごとに上下2回。合計10回連載)。最初は「一家和楽の信心」について、長谷川理事長と共に研さんします。(<下>は20日付に掲載の予定。先生の講義は『創価学会 永遠の五指針』から引用)

創価学会 永遠の五指針
一、一家和楽の信心
一、幸福をつかむ信心
一、難を乗り越える信心
一、健康長寿の信心
一、絶対勝利の信心

1 師が示された「全同志の目標」
きょうは、創価学会初代会長・牧口常三郎先生の生誕149年の記念日です。今や学会は、世界平和と人々の幸福の実現を目指す、世界宗教となりました。牧口先生も、さぞお喜びのことと思います。
学会では、牧口先生の獄死、戸田先生の事業の挫折、池田先生への不当な弾圧等、三代会長が迫害や苦難と戦いながら、全同志に、いかなる困難をも乗り越えて、希望の人生を生きていくことを教えてくださいました。
「永遠の五指針」こそ、全ての人々の夢であり、目標です。その淵源について、池田先生はこう語ってくださっています。

■ 池田先生の講義
指針の淵源は、1957年(昭和32年)12月に遡ります。戸田先生は、75万世帯達成という生涯の願業をついに果たされました。その先生が、衰弱した体をおして、熟慮されていたことがあります。
全同志を、一人ももれなく幸福に導くために、一人一人が目指すべき信心の在り方を、また、そもそも、何のための信心なのかを、明確に示し留めておこうとされたのです。
そして、同月末の本部幹部会の席上、75万世帯の達成と共に、「学会の三指針」として発表されました。以来、一人一人が、この永遠の指針を深く胸に刻み、幾多の苦難や困難を乗り越えて前進してきたのです。
時を経て2003年(平成15年)12月、私は、21世紀の広宣流布を展望し、新たに2項目の指針を加えることを提案しました。(『創価学会 永遠の五指針』9ページ〜10ページ)

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現在、新型コロナウイルスと全世界が闘っています。目に見えない敵との闘いであるからこそ、今こそ、「太陽の仏法」で闇を照らしていきたい。
自然災害も含め、いつ何が起こるか分からない時代です。加えて、私たちの周りには、自身や家族の病、とりわけ子どもの病気、経済苦、家庭内暴力、幼児虐待、ひきこもりなど、さまざまな課題と戦っている方も多い。
しかし、私たちの信心に"諦め"はありません。必ず宿命転換、変毒為薬できる。「冬は必ず春となる」の勝利の信心です。

2 家庭は社会の繁栄の基盤
それでは、先生の講義の第1回である「一家和楽の信心」をともどもに学んでまいりたいと思います。

■ 池田先生の講義
家族は、日蓮仏法の信仰において、かけがえのないテーマです。ゆえに「一家和楽の信心」が一番目に掲げられているのです。
戸田先生は、「社会の基盤は、家庭にある。そして、盤石な家庭を建設していく源泉は、一家和楽の信心である。それこそが、一家の幸せのためにも、社会の繁栄のためにも、不可欠な要件といってよい」と構想されていました。
地域や社会の繁栄といっても、その基盤はどこまでも家族や家庭にある。家庭という最小単位において、一人一人が互いに尊重し、励まし合い、成長して、調和の世界を築いていくことが平和の起点です。
「和楽」という、世界平和の縮図を実現するために、いかにあるべきか。
第一は、自らが「家庭の太陽」となって、慈悲の陽光で皆を包むことです。
第二は、親子、夫婦という家族の絆は、三世の宿縁であることを知って、互いに尊敬し合うことです。
そして第三は、社会に貢献していくことと、その後継の流れを創り出すことです。(同11ページ〜12ページ)

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学会の草創期は、戦後で多くの庶民が苦しんでいる時代でした。その頃に入会したわが家にとって「一家和楽」は、夢のような世界です。母が学会に入ったのは、1951年(昭和26年)。当時、私は10歳でした。両親の仲は悪く、けんかの絶えない家庭。やがて離婚しますが、その後も生活苦や母自身の病気など、言いしれぬ苦労が続きました。
そんなわが家が、信心で一転しました。苦労した母が、学会のおかげで元気に、幸せになっていく姿を見ながら、私は育ちました。そうした母を、池田先生は、何度も何度もたたえてくださいました。
「苦労をたくさんしたことで、信心できた。学会のおかげで私は最高の幸せ者になった」。母のこの言葉こそ、わが家の「一家和楽」の実証です。
先生が、一貫して励まし、教えてくださったこと——。
「大聖人の仏法は、不幸な人のためにある。悩んでいる人のためにこそある。まじめに働き、生きている人のためにある。逆境にある人が、幸せになる宗教だよ」「『生きた宗教』とは、民衆の苦悩と真正面から対決し、さらに、その苦しみを生み出す悪と戦う宗教だ」
これほど温かく、力強い励ましの言葉があるでしょうか。

3 本当の「親孝行」とは
先生は、親孝行について、「兄弟抄」を拝して講義してくださいました。
【御文】
一切は・をやに随うべきにてこそ候へども・仏になる道は随わぬが孝養の本にて候か(兄弟抄、御書1085ページ7行目〜8行目)
【現代語訳】
一切のことは親に随うべきではあるけれども、仏に成る道においては親に随わないことが孝養の根本なのではないだろうか。

■ 池田先生の講義
大聖人は本抄で、真の孝養の在り方について教えられています。
親の言うことを聞き、安心させることが親孝行であることに違いないけれども、成仏への道についてだけは、たとえ親に反対されたとしても、貫き通すことが最高の孝養になると示されているのです。
もとより、親子なのですから、いたずらに反発するようなことがあってはなりません。
大聖人は、釈尊が父・浄飯王の心に随わず出家したことによって、真実の報恩の道に入ったというエピソードも紹介されています。すなわち「孝養」か「信仰」かといった二者択一ではなく、万人成仏の妙法を持ち続けることで、必ず真の孝養の道を開いていくことができると教えられているのです。(同14ページ〜15ページ)

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親孝行といえば、忘れられないシーンがあります。それは、創価学園の卒業式でした。創立者である池田先生が、壇上に立った瞬間、学園生に呼び掛けました。
「親孝行している人」(「ハーイ」との返事)
「しようと思っている人」(「ハーイ」)
「後悔している人」(「ハーイ」)
「みんな正直だね。みんな親孝行しようね。約束しようね」
「お父さん、お母さん、苦労しているからね。偉くなって両親を海外旅行に連れていってあげて。頼むよ」
また、創価大学に行かれた時のことです。車で構内を回られる創立者を、学生が見つけ、近寄ってきます。
先生は窓を開けられ「どこから来たの? お母さんは元気? お父さん、お母さんによろしく。親孝行頼むよ」と。先生は出会う学生に、よく親のことを聞かれます。
こうした励ましは、日本中、世界中、どこに行かれても、誰に会われても、同じように続けられています。
親の苦労が分かる子。子の成長を、幸せを願う親。その当たり前の人間愛、家族愛を自然な中で教えておられる。その先生の大きい、深い心にいつも感激、感動です。

4 自身が「一家の太陽」に
■ 池田先生の講義
(戸田先生は)未入会の親がいる青年をよく励まされていました。
「慌てて、信心の理屈を話す必要はない。時間がかかっても、かまわないから、まず自分自身が立派になって親を安心させていくことだ。そして本当に親を愛し、慈しみ、親孝行してもらいたい」と。
私も19歳で入信した時、父親は信心に猛反対でした。父と私の間に立って、母親も大変に苦しんでいました。この私自身の体験の上からも、未入会の家族を持った方々の苦労は痛いほどわかります。
だからこそ、信心のことで、感情的になって争ってはならないし、焦ってもならないと申し上げたい。(同16ページ〜17ページ)

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ご主人が未入会で、悩んでいる方もいるでしょう。お子さんが信心の活動に参加していない、という家庭もあるでしょう。家族の中で、自分だけが信心している、という人もいると思います。
親をはじめ、身近な人に信心を理解させることは難しいものです。「全員が入会することが一家和楽」ということでは、決してありません。自分自身が成長することが大切であり、自分が家族のこと、一家全員の幸せを祈っていけば、状況は必ず変わっていきます。
「一人」が大切です。私たちは、どこまでも「一人」を励ましてまいりたい。
先生の変わらぬご指導があります。
「いつでも、どこでも、誰でも、目の前に苦しんでいる人がいれば、親身に声をかける。悩みを聞き、共に泣き、共に祈り、共に喜び合う。この『一人を大切にする』人間主義の行動が、あらゆる人に無条件に開かれているところに、創価学会が世界に広がった理由があるのだ」
戸田先生の時代は、みんな貧乏。みんな病気。みんな悩みのどん底でした。そうした学会員を戸田先生は励まされます。
「今はみんな辛いだろう。苦しいだろう。今のうちにうんと貧乏の味、苦労の味をかみしめておきなさい。後になって懐かしくなるよ。本当だよ。戸田はウソをつかないよ」
苦労や悩みは、今の時代もこれからも、形は変われ、さまざまあるでしょう。しかし、信心さえあれば、今の苦労は、やがて全てが功徳、福運となります。私たちの苦労の先には希望があり、幸福があり、勝利があります。

■ 池田先生の講義
御書に仰せの通り、誰か一人でも「仏になる道」を貫いて信心に励んでいくならば、それが家族への真の孝養の道となります。
信心をしている一人が、どこまでも家族を愛し、大切にしていくことです。家族に希望の光を贈っていく光源へと、自分自身を磨き「人間革命」させていくことです。
自身が「一家の太陽」となることが、一家和楽を築いていく直道にほかならないのです。これが「和楽」の第一の要諦です。(同17ページ)

<下>に続く

さらなる研さんのために
本連載で学ぶ講義「世界を照らす太陽の仏法」は、『創価学会 永遠の五指針』に収められています。本社刊。713円(税込み)。全国の書店で発売中。コンビニ通販サイト「セブンネットショッピング」「HMV&BOOKS online」での注文、受け取りも可能。電子書籍でも好評発売中。

2020年6月9日火曜日

2020.06.09 わが友に贈る

友の「1」の奮闘に
皆で「10」の感謝を!
「万」の「力」で励ます。
それが仏法者だ。
称え合えば勢いも倍加!

法蓮抄 P1043
『百福と申すは仮令大医ありて日本国漢土五天竺十六の大国五百の中国十千の小国乃至一閻浮提四天下六欲天乃至三千大千世界の一切衆生の眼の盲たるを本の如く一時に開けたらんほどの大功徳を一つの福として此の福百をかさねて候はんを以て三十二相の中の一相を成ぜり』

【通解】
百福というのは、たとえば大医がいて、日本国・中国・インドの十六の大国・五百の中国・一万の小国、ないしは一閻浮提・四天下・六欲天、ないしは三千大千世界の一切衆生の盲目となっているのを、もとのように一時に開けるような大功徳を一つの福として、この福を百重ねることによって、三十二相の中の一相を得たのである。

名字の言 幕末の志士・高杉晋作が病床で詠んだ句 2020年6月9日
「おもしろきこともなき世をおもしろく」。肺結核を患った幕末の志士・高杉晋作は、病床でこう詠んだ▼敬愛する師・吉田松陰は、罪人として裁かれ、命を奪われた。海外を巡りたいという望みもかなわなかった。晋作にとって幕末は、いわば"思い通りにならない時代"。それでも、師の仇討ちを誓い、維新回天の流れを開いた。激動の27年の生涯は、今なお多くの人々を魅了してやまない▼冒頭の句に、幕末の女性歌人・野村望東尼が「すみなすものは心なりけり」と続けたとされる。面白くない世の中を、面白くするのは自分次第、となろう。自身の置かれた境遇を嘆いていても、何も変わらない。むしろ、困難な現実と格闘し、活路を開く逆転劇に、人生の面白さはあるものだ▼池田先生も若き日、肺結核に苦しんだ。医師からは「30歳まで生きられるかどうか」と言われた。先生は「だからこそ、一瞬一瞬を大切に生きよう、片時も無駄にせず、生あるうちになすべきことをなそう、と完全燃焼で生きてこられた」と振り返っている▼御書に「一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ」(970ページ)と。コロナ禍の前も今も、一日は一日。心一つで、人生は大きく変わる。さまざまな変化に賢明に対応しつつ、自他共に価値ある日々を朗らかに創造したい。(芯)

寸鉄 2020年6月9日
「法華経に名をたて身をまかせ給うべし」御書。題目根本の人生は無敵!
兵庫・西宮婦人部の日。胸に常勝の太陽赫々と。励まし広げ友情の大輪を
理想を抱き足元から実践—牧口先生。広布の戦いは常に"今ここ"にあり
自宅待機続いた子の防犯意識低下と。登下校時の警戒等、家庭で呼び掛け
1分間の会話でウイルス飛沫が1000個—研究マスク着用、換気を徹底

☆「配達員・販売店制度」発足65周年 無冠の友の献身に感謝
今月、本紙の「配達員・販売店制度」発足65周年を迎えました。聖教を全国の隅々まで届けてくださる「無冠の友」(配達員)の皆さまをはじめ、全ての関係者、読者の皆さまに深く感謝申し上げます。ここでは、「創価学会 世界聖教会館」の展示室に掲げられている池田先生のメッセージ「最も信頼する無冠の友の皆さまに贈る」(1995年1月)を紹介します。

◇最も信頼する無冠の友の皆さまに贈る
さあ、新しい年の舞台へ!
きょうも、あなたは、暁の鐘とともに朝明けの新舞台へ、さっそうと躍り出る。
余裕しゃくしゃくと、早起きの小鳥の歌声をハミングしながら。使命の瞳を輝かせ、一日の勝利を心に深く祈念しながら。
愛する家族も、仲良き宝友も、あなたに力いっぱい声援を送ってくれている。
「全世界は一つの舞台、そして人間はみな役者」と、シェークスピアは言った。
あなたと私は、人生の醍醐味を演じゆく一流の名優。
あなたも私も、人生のハッピーエンドを謳い上げる喜劇役者。
舞台は、目まぐるしく変わる。明から暗へ、暗から明へ。また、暗から暗に沈む時もあろう。
しかし、あなたは負けない!
「私の場合、何でも簡単にできたことは一度だってなかった。常に困難があって、むしろそれをのり越えるのが好きだ」
このナターシャおばさん(ロシアのナターリア・サーツ女史)の言葉の通り、あなたも恐れることなく立ち向かう。
父の演奏会に"泣き役"でデビューした一歳の時から、九十歳で亡くなるまで——ナターシャおばさんは、幾つもの山を越え、谷を越え続けた。世界唯一の子供のための音楽宮殿(モスクワ児童音楽劇場)の実現という「青い鳥」を求めて!
困難に出あうたび、彼女は自分に話しかける。鏡にウインクでもするかのように。"人生劇場"の新展開を楽しむかのように。
「ちょっぴりやっかいになってきちゃったね。さあ、ナターシャ、あなたがどうやってここを切りぬけるか、みものだわ」
勇気の人には知恵がわく。
確信の人には余裕がある。
心が定まれば自由になる。
その自在な自身となるための、自らが「人生の主役」となるための信仰なのだ。
"一人二役"どころか、五役も六役もこなしながら、主役のあなたは、あなたらしく生きる。
ある時は、悩める友のもとに、真っ先に駆けつける救援隊。
自身に勝ち、勝ち続けながら、一日一日を価値あらしめる楽しき人生の演出家。
邪悪に対しては、だれがなんといおうとも、叫ばずにはいられない我が町の大雄弁家。
またある時は、沈んだ空気を、爆笑の渦で吹き飛ばす名コメディアン。
あなたがいると楽しくなる。
あなたの声を聞くと安心する。
「まるで暖かな太陽のよう」
あなたを知る人は、口々に感謝の心で語る。
太陽は自分で輝く。
自分で燃え輝きながら、すべての人の顔を明るく照らしながら、ていねいに光を送る。
私たちの胸中にも「妙法」という永遠の太陽が昇る。
その希望の光彩は、みんなの「心の部屋」を赤々と輝かせる。
自身はつらい苦境にあっても、「もっと大変な人がいる」と勇んで寒風に飛び出してゆく。
どんなに疲れていても、人生に疲れた人を見ると、力の限り励まさずにはいられない。
閉ざした「心のドア」を開いてくれない時もある。
でも、必ず、わかってくれる! あの友の笑顔こそが、私の喜びなのだ。
おお、無冠の同志よ。
日々、北風に雄々しく挑みゆく「不敗の王者」よ!
常に春風の心で人々を包みゆく、美しき使命の宝冠に輝く「境涯の女王」よ!
喜劇王チャップリンも、きっとあの山高帽を取って、あなたに最敬礼を送っている。
あなたは、日々、勇気と希望の「金文字」を運びゆく。あの人の家の戸口へ、この人の窓辺へ、あなたは、人間主義の「光の花束」を携えてゆく。
庶民こそ賢い。
庶民こそ尊貴である。
無冠の友よ! あなたの確実な一歩一歩にこそ未来がある。
毎朝、あなたが走る銀の道は、平和の金の道なのである。
人類の悲劇を希望の劇へと転じながら、友よ、あなたは、愉快に、にぎやかに駆けてゆく。
私たちの進む「この道」はハッピー・ロード。路傍の人も「楽しそうね」と一緒に歩き出す。
私たちの進む「この道」はビクトリー・ロード。凜々しき民衆のヒーロー、ヒロインは、皆のあこがれだ。
最後は勝つ!
最後に笑う!
友よ、世界一の無冠の友よ!
偉大なるヒューマン・コメディー(人間喜劇)の勝利は、あなたの笑顔のなかにある。

私が最も信頼し、最も尊敬する皆さまの無事安穏を心より祈りつつ——。
一九九五年 元旦

2020年6月8日月曜日

2020.06.08 わが友に贈る

◇今週のことば
「煩悩の淤泥の中に
真如の仏あり」
濁世の試練に挑む友こそ
妙法蓮華の当体なり。
悩みに負けず凜と咲け!
2020年6月8日

御義口伝巻上 P736
『大願とは法華弘通なり』

【通解】
大願とは、法華弘通のことである。

名字の言 ウルトラセブンのメトロン星人が企てた陰謀とは? 2020年6月8日
「ウルトラマン」シリーズを彩る個性豊かな怪獣たち。見た目もさることながら、地球を侵略する手段も実に多様だ。「ウルトラセブン」に登場するメトロン星人は、人間同士の「信頼感」に目を付けた▼人間を凶暴化させる物質を社会に拡散させ、互いの関係を壊そうともくろむメトロン星人。潜伏するアパートでちゃぶ台の前に座り、自らの陰謀を語る。「地球を壊滅させるのに暴力を振るう必要はない。人間同士の信頼感をなくせばいい。人間たちは互いに敵視し傷付け合い、やがて自滅していく」▼社会を支えている基盤は互いの信頼感——実に示唆に富んでいる。メトロン星人は、ウルトラセブンの必殺技の一つエメリウム光線によって謀略もろとも撃破された。しかし、現実社会の諸課題を乗り越えるのは、そう容易ではない▼世界の各地では今なお、人種や思想等の差異を巡る複雑な対立が続いている。こうした問題を短日月に解決する"とどめの一撃"は現実には存在しない。互いに信頼し、尊敬し合う社会を築くには不断の努力が必要だ▼日蓮仏法とは「分断された、人間と人間の心を結ぶ、人類の統合の原理」と池田先生。周囲の一人一人と仏縁を結び、信頼を広げる。ここに、分断を乗り越える地道にして着実な実践がある。(値)

寸鉄 2020年6月8日
広宣流布は現実社会での格闘—恩師。故に生命力満々と。今いる場所から
創価の女性から困難に屈せぬ強さを感じる—識者共戦の絆は混迷時代の光
男女青年部がオンラインの集いを活発に。触発はどこでも。頼もしき智慧
人口の自然減進む。ますます「一人」が大切。誰も置き去りにしない社会へ
高齢者の転倒・転落事故に注意。使い慣れた椅子や台も確認。油断を排し

☆心に御書を 第48回 従藍而青の誉れの青春を
〈御文〉
『あいは葉のときよりも・なをそむれば・いよいよあをし、法華経はあいのごとし修行のふかきは・いよいよあをきがごとし』(上野殿後家尼御返事、1505ページ)

〈通解〉
藍は、葉の時よりも、染めれば染めるほど、いよいよ青くなる。法華経は藍のようである。修行が深いのは、藍が染まるにしたがって、ますます青くなるようなものである。

〈池田先生が贈る指針〉
烈風は鳳雛の翼を鍛える。艱難の中、わが高等部が凜々しく成長している。大変な時こそ、いよいよ学び伸びていくのが若き地涌の大樹だ。
信心ほど、青春の生命の輝きを増すものはない。仏法ほど、未来の揺るがぬ人材を育てるものはない。
従藍而青の誉れの友よ、苦労を力に変え、「我等の時代の柱」と光れ!

☆6月度座談会御書 「曾谷殿御返事」(輪陀王御書)研さんのために
◇拝読御文
『白馬のなくは我等が南無妙法蓮華経のこえなり、此の声をきかせ給う梵天・帝釈・日月・四天等いかでか色をましひかりをさかんになし給はざるべき、いかでか我等を守護し給はざるべきと・つよづよと・をぼしめすべし』(御書全集1065ページ3行目〜5行目、編年体御書 1204ページ15行目〜17行目)

◇[池田先生の指針から]いかなる時も朗々たる唱題を
私たちが唱える題目のあり方について、この「白馬のいななき」には、譬喩とはいえ、大変に重要な意義が込められています。
すなわち、白馬が颯爽と大草原を疾駆するが如く、軽快で、すがすがしく、朗々たる唱題が大切だということです。
そのうえで、唱題にあって大事なことは、「ありのままの心」「素直な心」で祈っていくことです。
悩んでいる時もある。苦しい時、悲しい時もある。そんな時は、子どもが母親の胸に飛び込むように、御本尊にそのままの命でぶつかっていけばいいのです。
よく戸田先生は、「形式ではない」と言われた。先生は「御本尊へ本当の心でぶつかっていくのです」とも語られていました。唱題行は、大聖人の生命をわが身に現していく修行であるとして、「大聖人の御生命のこもった題目を」と指導されたこともあります。
たとえ悔やまれることがあっても、二度と繰り返さぬ決意をして、未来へ向かって新しい出発の唱題を。勝負を決する時は、断じて勝つと勇気凜々の力強い唱題を。三障四魔との戦いの時は、魔を断固、打ち破る師子王の如き唱題を。宿命転換の時は、断じて負けないとの不退の唱題を。喜びの時は、深い感謝の唱題を——。
御書に仰せの通り、「苦楽ともに思い合せて」(1143ページ)、ただひたすら、題目を唱え抜いていくことです。
わが生命を磨くには、唱題行しかありません。
「題目第一」の人は、無明に曇った生命も磨き抜かれ、必ず法性の明鏡の生命となることができます。題目は生命錬磨の作業です。ゆえに、「心こそ大切」(御書1192ページ)なのです。
したがって、題目の功徳は、何遍唱えたかという数量で決まるものでは絶対にありません。「心ゆくまで唱える」ことこそが大事なのです。
御書には、これだけの題目を唱えよなどと、唱えるべき量を定めた仰せはありません。祈りは「心の固き」(1220ページ)であり、「信心の厚薄」(1244ページ)であり、「志ざし」(1596ページ)、「我が一念」(383ページ)で決まります。
(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第7巻)

「題目第一」で生命を磨き抜く
◇[キーワード1]諸天を揺り動かす祈り
日蓮大聖人は本抄で、輪陀王と白馬・白鳥の故事を通して題目の意義を教えられています。
——かつて輪陀王という賢王は、白馬のいななく声を聞くことで自身の生命力を高め、威光勢力を増して、立派に国を治めていました。
この白馬は、白鳥を見ていななくのですが、ある日、白鳥が一羽もいなくなります。その結果、白馬が、いななくことはなくなり、大王をはじめ人々の生命力まで弱まりました。さらに、国は衰え、外国からの侵略も始まったのです。
他の者が祈っても白鳥は戻りません。そこに馬鳴菩薩が現れ、三世十方の仏に祈ったところ、たちまちに白鳥が現れ、白馬もいななき、輪陀王は回復します。以前にも増して力に満ち、人々も活気を取り戻し、国が安穏となった——という物語です。
私たちの唱題の声は自身の仏性を呼び覚まし、諸天善神の働きを強めます。
諸天善神は、宇宙生命それ自体に具わる、正法を実践する人を守護する種々の働きを意味します。その諸天の守護の強弱は、信心の強弱によって決まると大聖人は仰せです。
よって、唱題行においては、弱々しい祈りではなく、諸天善神を揺り動かすほどの"誓願の題目"が重要となります。
広宣流布へ強盛の信心を貫けば、自身が勝利の人生を歩むことはもちろん、安心の世界が現れることは間違いありません。

◇[キーワード2]社会の暗雲を打ち払う
拝読御文の直前では、日蓮大聖人の一門が題目に巡り合った宿縁の深さを述べた上で、「白馬は日蓮なり・白鳥は我らが一門なり」と仰せです。
民衆救済に立ち、南無妙法蓮華経の大法を弘められた大聖人。その師と同じく、弟子が妙法を自行化他にわたって弘めるからこそ「我らが一門」となります。
社会といっても、それを形作っているのは、その地域にいる人間です。仏法では「依正不二」といって、生を営む主体である人間(正報)と、人間が生を営むためのよりどころとなる環境・国土(依報)は密接不可分で、互いに影響され合うと説きます。
ゆえに、人間(正報)の主体的な働き掛けが大事であり、特に、人々や社会が災害などの危機に瀕した際は、生命と宇宙に具わる仏界の生命を涌現させることが肝要です。私たちの題目の音声は、自らの仏界だけでなく、周りの人々の仏性をも薫発していけるのです。
「立正安国論」では「国は法に依って昌え法は人に因って貴し」(御書26ページ)と仰せです。妙法は社会を繁栄へと導く福徳の源です。また、この法がいかに偉大であるかを証明するのは、妙法を受持する「人」です。
新型コロナウイルスの危機と向き合う今、創価の友は世界各地で、自ら困難に直面しながらも励ましの心を広げています。今こそ題目の音声で地球を包み、社会の暗雲を打ち払いましょう。

2020年6月7日日曜日

2020.06.07 わが友に贈る

ストレスの軽減が
免疫力を高める。
睡眠・食事・運動など
規則正しい生活を心掛け
一日一日を笑顔で!

如説修行抄 P502
『かたきは多勢なり法王の一人は無勢なり今に至るまで軍やむ事なし』

【通解】
敵は多勢である。法王(仏)の使いは日蓮一人であり、多勢に無勢である。今に至るまで軍はやむ事がなく、戦いの連続である。

名字の言 フランスの思想家ルソーが述べた「第2の誕生」 2020年6月7日
私たちは2回、この世に生まれる——そう洞察したのはフランスの思想家ルソーである。「一回目は存在するために、二回目は生きるために」と(今野一雄訳『エミール』岩波文庫)▼1度目は、母親の"産みの苦しみ"を伴って生命を授かる瞬間だ。ルソーが「第2の誕生」と呼ぶのは、子どもから大人へと成長する時期。自我に目覚め、自分らしく生きたいと苦悩する。その"苦しみ"は自身で引き受ける以外にない▼思春期に加え、コロナ禍という"二重の葛藤"と向き合う中で、京都伏見総県高等部の代表がある事に取り組んだ。未来部担当者の勧めを受けて行った、両親や祖父母へのインタビューである。質問内容は「自分が生まれた時のこと」から「なぜ信心を始めたの?」など多岐にわたる▼初めて聞いた話も多い。学会との縁をつくってくれた同志の励まし。信心根本に病や経済苦から蘇生した体験。ある父親は息子に語った。「池田先生との出会いを通して、お父さんは人間としての生き方を学んだんだ」。信仰とは、師弟とは……子どもたちが自らに"生きる意味"を問う端緒になったという▼小説『新・人間革命』第9巻「鳳雛」の章に「未来の使命を自覚した人は強い」と。使命に生きると決めた時、人は何度でも新生の輝きを放つ。(之)

寸鉄 2020年6月7日
青年ならば世界の運命を考えて動け—戸田先生。皆が新時代の山本伸一と
高等部結成記念日。君らの成長こそ創価の希望!正義の走者よ学びに学べ
人に与えた喜びは輝きを増して自分に戻る—文豪励ましに自他共の幸福道
換気の悪い所での会話が感染拡大の引き金—研究正しい知識で危険回避を
自転車事故、原因の7割が法令違反と。一時停止や歩行者優先などを順守

☆ロータスラウンジ——法華経への旅 第14回 法師品第十〈下〉
自らの喜びを他者にも——歓喜の連鎖の中に滅後の「成仏の道」がある
◇一切衆生のために
日蓮大聖人は、「方便品より人記品に至るまで八品は正には二乗作仏を明し傍には菩薩凡夫の作仏を明かす、法師・宝塔・提婆・勧持・安楽の五品は上の八品を末代の凡夫の修行す可き様を説くなり」(御書1499ページ)と仰せです。
つまり、「法師品第十」から「安楽行品第十四」まで、濁世末法の衆生にとって、どうすることが修行となり、どう生きることが仏になる道なのかが示されています。
とくに、「如来滅度するの後に」(法華経355ページ)と法師品にあるように、ここから、釈尊が亡き後(滅後)のことについて説かれていきます。
また、「在家・出家の法華経を読誦する者」(同358ページ)等の表現に示されるように、在家と出家、男性と女性といった差別はなく、あらゆる差異を超えて、一切衆生のために語られています。
さらに、「若し人有って妙法華経の乃至一偈一句を聞いて、一念も随喜せば、我は亦与に阿耨多羅三藐三菩提の記を授く」(同355ページ)と、誰であっても、法華経に少しでも触れて歓喜するならば、覚りを得ることができると約束されているのです。法華経は、末法の万人成仏の道を明らかにしているのです。

◇五種の妙行
滅後の修行とは、どういったものなのでしょうか。
法師品では、「妙法華経の乃至一偈を受持・読・誦・解説・書写し」(同355ページ)と、受持・読(経文を見ながら読む)・誦(経文を暗唱する)・解説(人に法を説く)・書写の五つを挙げています。これを「五種の妙行」といい、この修行に励む人を「五種法師」といいます。
これらの修行は、正法・像法時代におけるもので、煩悩のけがれを払い落として、眼・耳・鼻・舌・身・意の六根を清らかにするものとされていました。
日蓮大聖人は、「五種の妙行」について、「法華経を受け持ちて南無妙法蓮華経と唱うる即五種の修行を具足するなり」(御書1245ページ)と仰せです。
末法の今日にあっては、御本尊を「受持」することに尽きます。つまり、御本尊を強く信じ、自行化他にわたって唱題行に励んでいくことが、最高最善の仏道修行になるのです。

◇衣座室の三軌
釈尊滅後の弘通は難が大きいと説かれています ゆえに、それらの苦難に負けず法華経を弘めるための心得として、「衣座室の三軌」が教えられています。

●大慈悲心
一つ目は、「如来の室」です。
「如来の室とは、一切衆生の中の大慈悲心是れなり」(法華経367ページ)とあるように、室(部屋)が大慈悲心に譬えられています。
池田先生は「慈悲は、上に立って見おろすようなものではない。タテではなくヨコです。水平です。平等の人間としての共感である。相手への尊敬が基本になっている。だから『慈悲の部屋』なのです。
慈悲の生命空間の中に友をまねき入れ、つつみ、同じ部屋にともに座って人生を語っていくのです」(『法華経の智慧』普及版<上>=以下※)と、教えています。
相手がどんな態度を取ったとしても、慈しみ、同苦し、共に幸福に、共に成長しようとの真心で、温かく包み込んでいくことです。

●柔和忍辱の心
二つ目は「如来の衣」です。
「如来の衣とは、柔和忍辱の心是れなり」(法華経367ページ)とあるように、暑さ、寒さから身を守る衣のように、いかなる迫害にも屈しない強さを教えられています。
池田先生は「滅後の弘教においては、難は必然です。そこで『忍辱の心』が必要になる。
耐え忍ぶ心です。耐えるといっても、退くことでも、負けることでもない。耐えて勝つのです。心は何があってもへこたれないのです。広宣流布は精神の闘争です。
心が負けていては『忍辱の心』にはなりません」(※)と、語っています。
不撓不屈の精神が、末法の弘通には必要です。
また、その強靱な力も、弘教の実践の中で、着実に培われていくのです。

●一切法空
最後は「如来の座」です。
「如来の座とは、一切法空是れなり」(法華経367ページ)とあるように、ここでは、固定的な偏見や先入観なしに、変化する世界の実相をありのままに見て、何ものにもとらわれることのない境涯といえます。
池田先生は語っています。
「大聖人は『座とは不惜身命の修行なれば空座に居するなり』(御書737ページ)と言われている。不惜身命の行動こそが、一切法空の座に居ることになるというのです。
人間の常として、何かに執着し、とらわれがちなものです。
たとえば名声や地位などにとらわれ、それを手放したくないと惜しんでしまう。それは人間として、ある意味では自然かもしれないが、その執着をあえて乗り越え、身命をも惜しまず戦っていくということが『空座に居する』ことです。
『我が人生を広宣流布のために捧げていこう』というのが信心です。その信心に『空』の極意がある。
もちろん、それは命を粗末にするということではない。自分の尊い生命を、仏法のために惜しまず使っていくということです」(※)
世間のさまざまなことに振り回されずに、ひたぶるに信心に励んでいくことが大切なのです。
大聖人は、「衣座室とは法報応の三身なり空仮中の三諦身口意の三業なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は此の三軌を一念に成就するなり」(御書737ページ)と仰せです。
自行化他にわたる題目を唱え抜く人は、この「衣座室の三軌」を実践している人なのです。

【『法華経の智慧』から】 「仏の心」を伝え弘める
法華経は、釈尊を含めて、あらゆる仏を仏たらしめた「根源の法」を説く経典です。その「本因」の法を説くのが末法の法師なのです。

「況んや滅度の後をや」——なぜ、仏の「在世」よりも「滅後」のほうが難が大きいのか。
「滅後」とは、仏の精神が忘れられ、宗教的、思想的に混迷する時代のことです。仮に仏を崇めているようでも、肝心の「仏の精神」は忘れ去られている。仏教の「宗派」はあっても、「仏の心」は生きていない。「宗教のための宗教」はあっても「人間のための宗教」はない。法華経は、とくにそういう時代のために説かれた経典です。
「仏の心」を忘れ去った時代に、「仏の心」を伝える法華経を弘めるからこそ、怨嫉が多いのです。人間性を失った時代に、人間性の回復を唱えきっていくのは大変なのです。

法師自身が、法華経を聞いて歓喜の心を起こした人です。その法師が説いた法華経を他の人が聞いて、歓喜の心を起こす。その「歓喜」と「歓喜」の連鎖の中に、滅後の「成仏の道」があるのです。(普及版<上>「法師品」)

【コラム】 願兼於業——宿命を使命に変える
法師品には、本来、菩薩として大きな福運を積んだ人が、苦悩の衆生を救いたいとの願いによって、あえて悪世に出現し、妙法を弘通する姿が説かれています。このことを妙楽大師は、『法華文句記』で「願兼於業(願、業を兼ぬ)」と呼びました。
今、自分が直面している苦難も、"それを乗り越えて、妙法の偉大さを証明し、弘通していくために、自らが願って受けている"のです。私たちにとっての宿命は、法華経に照らせば使命なのです。
戸田先生は「時には、"貧乏菩薩"や"病気菩薩"のように見えるかもしれない。しかし、それは人生の劇を演じているんだよ。正真正銘の地涌の菩薩なんだ」と語られています。
大変な状況だからこそ、「願兼於業」の哲理を胸に、断じて勝つと決め、自身の人間革命に喜び勇む姿で、地域や社会を希望で照らしていきましょう。

2020年6月6日土曜日

2020.06.06 わが友に贈る

「初心忘るべからず」
壁にぶつかったときこそ
原点に立ち返ろう。
新たな誓いの一歩から
飛躍の道は開かれる。

草木成仏口決 P1339
『一念三千の法門をふりすすぎたてたるは大曼荼羅なり、当世の習いそこないの学者ゆめにもしらざる法門なり』

【通解】
一念三千の法門の肝心要をとって建立したのが南無妙法蓮華経の大曼陀羅なのです。これは当世の仏法に未熟な学僧たちの決して知ることのない法門です。

名字の言 人道的競争の時代へ。きょう、牧口先生の生誕記念日 2020年6月6日
他者を思いやる心や振る舞いが、どれほど自身の生命に影響を及ぼすか。あの過酷なナチス収容所の中で、奇跡的に生き抜いた人々を調査した結果がある。それによると、生存者のうち82%もの人が、餓死寸前になっても、わずかな食料を分け合うなどして、「周りの人たちを助けたいと思った」というのだ(ケリー・マクゴニガル『スタンフォードのストレスを力に変える教科書』神崎朗子訳、だいわ文庫)▼もちろん極限状態に置かれた人々の体験は、軽々しく論じられるものではない。が、それほど重い事実ゆえに、「人類の教訓」であることは間違いないだろう▼近年の度重なる自然災害、そして未曽有のコロナ禍を経験し、強く実感したことがある。それは"自分だけの幸福や安全もなければ、自国だけの平和もない"ということだ▼きょう、生誕149周年を迎えた初代会長の牧口常三郎先生は、軍事力や経済力を競う時代から「人道的競争」の時代に転換する重要性を訴えた。他を押しのけて己を利する——その生き方の先には、人間の真の幸福も、国や地域の永続的な繁栄もない▼他者に尽くせば尽くすほど、自身の生命力が増す。自らも栄える。これが菩薩道の妙。自他共の幸福を目指す挑戦と連帯で、「人道的競争」をリードしていきたい。(誠)

寸鉄 2020年6月6日
牧口先生の生誕日。今や創価の大連帯は192カ国へ三代の師弟の闘争に感謝
「大悪は大善の来るべき瑞相」御聖訓。苦難の時が好機。勇敢に祈り、前進!
関東婦人部の日。地域と社会を照らす希望の太陽今日も朗らかに対話拡大
鬱の兆候、世界で確認と。感染の恐怖や不安等で。友に寄り添う励まし更に
職場の熱中症は製造業が最多。屋内と軽視をせず小まめな水分・塩分補給

☆ONE GOSHO この一節とともに! 椎地四郎殿御書
◇信心根本こそ幸福の直道
教学の研さんは、単なる知識の習得ではない。日蓮大聖人が社会で奮闘する門下に送られた御文を通し、妙法を根本とした生き方を学ぶ。

◇御文
『貴辺すでに俗なり善男子の人なるべし、此の経を一文一句なりとも聴聞して神にそめん人は生死の大海を渡るべき船なるべし』(御書1448ページ)

◇通解
(法華経法師品第10には、僧も俗も尼も女も、法華経の一句をも人に語る人は如来の使いであると説かれている)あなたは、すでに俗であり、この善男子に当たる人なのである。この経を一文一句であっても聴聞して心に染める人は、生死の大海を渡ることのできる船のようなものである。

◇背景
本抄は日蓮大聖人が椎地四郎に与えられたお手紙であり、弘長元年(1261年)4月の御執筆と伝えられているが、諸説ある。四郎に送られた御書は本抄のみで、どのような人物であったのか詳しくは分かっていないが、地道に信仰を貫いた門下であったと推察されている。
また、四条金吾や富木常忍に宛てた御書にその名が見られることから、各地の門下と大聖人のもとを行き来して、門下の様子を大聖人に報告し、大聖人のお心を門下に伝える役割を担っていたことがうかがえる。
本抄冒頭で大聖人は、四郎からの何らかの報告に対して、私心なくありのまま正確に伝えたことを称賛され、いよいよ信心に励んで法華経の功徳を得ていくよう励まされている。

◇解説
大聖人は、法華経を一文一句でも聞いて心肝に染める人は、出家・在家の立場や性別を問わず、等しく「如来の使い」であり、大海を渡る船のように、あらゆる苦悩を乗り越えていけると教えられている。
仏法では、苦悩が渦巻く現実社会を「大海」に譬える。この大海を渡りきるには、妙法が顕された御本尊に対する信を鍛え、強めていく以外にない。
「聴聞して神にそめん」——つまり、正法を聞くだけでなく、心肝に染めて生きる根本とし、行・学を実践していく中で、生命は磨かれ、鍛えられていく。
大聖人は、在家として混迷する時代の真っただ中にいた椎地四郎に、妙法を根幹にした生き方を期待されたのである。
仏法は、何ものにも揺るがぬ幸福境涯を開く方途を教えている。ゆえに教えを学ぶだけでなく、「如来の使い」として仏法を語り広げる"実践"は、世間のいかなる善行よりも、人間として尊い行為なのである。そして在家の椎地四郎に呼び掛けられたように、誰もがそれを実践することで、「生死の大海」を渡ることができるのだ。
もとより、仕事の苦境や人間関係の悩み、病魔との闘いなど、人生は順調な時ばかりではない。
しかし、順風の時も逆風の時も、学会活動を通して仏法を実践し、広宣流布に生き抜く人は、最も尊貴な「如来の使い」であり、成仏の軌道を進んでいけることは絶対に間違いないのである。
池田先生は語っている。
「自分より社会的に偉そうな人や、幸福そうに見える人が、いるかもしれない。しかし、妙法を信じ、弘める人は、すでに世界第一の幸福者であり、指導者なのである」
「現在の境遇がどうあれ、妙法を唱え、弘めゆく人は、すべて仏の使いである。はかりしれないほどの大福徳を積み、永遠の幸福への直道を歩んでいることを誇りにしていただきたい」
その上で、大聖人が繰り返し述べられているように、法華経は仏の真実の言葉であり、それを一言でも語る意義は計り知れない。相手の反応どうこうではなく、「語る」という行為自体が最高に尊いのである。
私たちの日常の実践に当てはめてみれば、唱題や研さんに励む中でつかんだ信仰体験や歓喜、確信を、飾らずありのまま伝えていくことである。
現在、新型コロナウイルスの感染拡大により、社会に大きな不安が広がり、日常生活にもさまざまな制約がある。
仏法者として一日も早い終息と家族や友人の幸福を真剣に祈るとともに、そうした中だからこそ、仏法の希望の哲学を学び、心肝に染め、友人や同志に励ましを大きく広げていきたい。

2020年6月5日金曜日

2020.06.05 わが友に贈る

「法華を識る者は
世法を得可きか」
学会精神の真髄は
振る舞いの中に輝く。
誠実の姿で信頼の花を!

阿仏房御書 P1304
『多宝如来の宝塔を供養し給うかとおもへばさにては候はず我が身を供養し給う我が身又三身即一の本覚の如来なり、かく信じ給いて南無妙法蓮華経と唱え給へ、ここさながら宝塔の住処なり』

【通解】
多宝如来の宝塔を供養されるかと思えば、そうではありません。あなたは、わが身を供養しておられるのです。わが身がまた三身即一身の本覚の仏なのです。このように信じて、南無妙法蓮華経と唱えていきなさい。その場所が、そのまま、宝塔の場所なのです。

名字の言 オンライン使用は家族にも配慮を 2020年6月5日
海外の報道番組で、専門家が自宅からオンラインで出演していた時のこと。後方から突然、幼い子ども2人が"登場"。慌てて母親が駆け込み、子どもたちを連れていった。この光景がほほ笑ましいと、動画は数多く再生され、話題となった▼テレワークが進み、オンライン会議なども増えた。ただ家庭で行う際は"画面に映らない部分"にも配慮したい。同居する家族は部屋に入れないし、大きな音を立てないよう気を使っているものだ▼青年部を中心に取り組むオンラインの会合も、家族の協力があってこその企画。ある男子部リーダーは、手紙での激励にも力を入れ、友の家族への感謝も添えるようにしている。手紙の内容を知った家庭の中で、互いに感謝の言葉を掛け合うきっかけにもなったそうだ。「ちょっとしたことですが、メンバーとの絆が一段と強まっていることを実感します」と▼「ありがとう」の反対の言葉は「当たり前」といわれる。確かに、"してもらって当たり前"と受け止める姿勢は「感謝」とは正反対だろう。相手の立場に立って考える余裕をもちたい▼コロナ禍によって、さまざまな「当たり前」が、実は「有り難い」ことであったと知ることができた。一つ一つの真心に、一つ一つ感謝を伝えよう。(文)

寸鉄 2020年6月5日
仏法は逆境にある人が幸福になる信心—戸田先生確信の祈りで変毒為薬!
沖縄市の友が執念の猛追総力の攻勢で大逆転劇を新たな民衆勝利の歴史を
福井の日。広布の旅路を師と共に前進。試練の今、勇敢に希望の対話を拡大
国連の「世界環境デー」。空調温度見直し等、家庭でも。持続可能な社会へ
学校再開で不審者による子の被害増。登下校時が危険。地域の見守り強化

☆みんなで学ぶ教学 第7回 御書根本
◇学ぼう、開こうとの一念が大事
今回の「みんなで学ぶ教学」は「御書根本」をテーマに学びます。日々の生活の中で御書を拝し、信心を深めていきましょう。御書の研さんに挑戦しようとしている新会員のリホさんに、地区婦人部長のユリコさんがアドバイスしています。

ユリコ 御書を学ぼうということ自体がすばらしいことよ。私だって、難しいと思うこともあるけど、御書を研さんすると元気になるわ!

リホ 具体的には、どんなことが書いてあるんですか?

ユリコ そうよね。そこからよね。御書には、日蓮大聖人が書かれた論文や、弟子に送られたお手紙が収められているのよ。

リホ へー。こんなに厚くて、ずっしりとしているけど、お手紙とか、論文なんですね。

ユリコ そうなの。大聖人の時代に、こんなに文章を残された人はいないといわれているわ。"人々を幸福にしたい"という大聖人の願いがいっぱい詰まっている"希望の経典"。それが「御書」なの。

リホ "希望の経典"ですか、なんか読みたくなってきました。でも難しそう……。

ユリコ 安心して! 大丈夫よ。お手紙には、病と闘う弟子や家族・親族を亡くした門下への激励から、職場でトラブルに遭っている時の振る舞い方など、生活に根差したアドバイスもあるのよ。もちろん、大切な法門も書かれているから、私たちの信仰の根本となるわ。

リホ すごく身近なことも書かれているんですね。

ユリコ そうなの。それだけでなく、大聖人は仮名交じり文にしたり、さまざまな譬喩や故事を用いたりして、庶民にも分かりやすく仏法を説いたのよ。どこまでも民衆の幸福を願われていたの。

リホ 多くの人たちのことを考えられていたんですね。でも、現代の私たちにも当てはまるんですか?

ユリコ もちろんよ。確かに鎌倉時代に書かれたものだけど、御書にある仏法の思想は時代に関係なく、私たちの希望となっているわ。

リホ そうなんですね。

ユリコ そうよ。学会が第2代会長の戸田先生の発願で、1952年(昭和27年)4月28日に『日蓮大聖人御書全集』を発刊したのも、全民衆が大聖人の御精神を学べるように、との思いからだったの。その通りに今、御書は各国語にも翻訳されて、世界の人たちが学んでいるの。それってすごいことよね!

リホ 世界中で拝読されてるって驚きですね! 難しそうだけど、私もがんばって御書を学んでみます。

ユリコ そうね。御書を学ぶのに大切なことは、信心で拝していくことなの。それは"全部、その通り"と、難しくても、大聖人の御精神に触れていこうとすることなのよ。池田先生は「『御書を学ぼう』『御書を開こう』との一念が大切である。内容を忘れてもいい。生命の奥底では何かが残っている」と指導されているわ。

リホ 安心しました。学んでいて分からないことがあったら教えてください。

ユリコ もちろんよ! 日々、生活の中で、一行でもいいから、御書を拝していくことが、私たちにとっての「御書根本」の生き方になるのよ。一緒に学んでいきましょう!

リホ はい! でも、明日からでもいいですか?(笑)

2020年6月4日木曜日

2020.06.04 わが友に贈る

大きな変化の時。
「一緒に苦難を
乗り越えましょう!」
今一重の声掛けで
社会に蘇生の連帯を!

四条金吾殿女房御返事 P1135
『但し信心のよはきものをば法華経を持つ女人なれどもすつるとみえて候』

【通解】
ただし信心の弱い者は、法華経を受持する女性といえども、諸仏・諸天は捨てると書かれている。

名字の言 沖縄の海の英雄「久松五勇士」 2020年6月4日
かつて沖縄の首里城の正殿に掛けられていた「万国津梁の鐘」。その銘文には「舟楫を以て万国の津梁となし」、すなわち「船を操って世界の架け橋となり」とあった。気宇壮大な沖縄の心意気がみなぎっている▼沖縄の"海の英雄"とたたえられている「久松五勇士」がいる。時は1905年。日露戦争中、北上するロシアのバルチック艦隊に、宮古島へ向かう沖縄の帆船が遭遇した。"一刻も早く本土に知らせなければ!"。だが、当時の宮古島には無線の施設がなかったため、約130キロ離れた隣の石垣島まで行くしかない▼そこで立ち上がったのが5人の青年漁師。石垣島へ、サバニと呼ばれる小さな丸木舟で出発した。荒波にもまれながら、懸命にこぎ続けること15時間。決死の航海の末に、危急の情報を届けた▼池田先生は、久松五勇士を歌った歌「黒潮の闘魂」(作詞作曲・奥平潤)に触れつつ、「無名の庶民の不屈の精神」をたたえた。そして「有名でも偉大な人はいる。しかし、無名にして偉業をなす人は、さらに偉大である」と▼世界広布の大航路もまた、池田先生と共に進む、名もなき民衆によって切り開かれてきた。「一人」が立ち上がれば、時代が変わる。不屈の心を胸に、"自分自身の新時代"を築こう。(踊)

寸鉄 2020年6月4日
偉大なものは苦労の中でこそ生まれる—戸田先生今日一日を全力で勝利!
「世界池田華陽会の日」。女子部が一人立てば希望の光が!誓春の道朗らか
企業の採用面接本格化。就職活動の友よ頑張れ。諦めない挑戦が活路開く
貧困の子、世界で8千万人増加の恐れ。コロナが影響。国際社会が連携を
拡大前に比べ自転車保険の加入者が数倍に。「ながら運転」避け絶対無事故

☆四季の励まし 女性が社会を輝かせる 2020年5月31日
【写真の説明】ピンク色のじゅうたんを敷き詰めたように、一面に咲くレンゲソウ。初夏の陽光に照らされ、いっそう輝いていた——。1980年(昭和55年)5月、池田大作先生が岐阜市内でカメラに収めた。
中国では、古くから生薬として使われてきたレンゲソウ。花言葉の一つ「あなたと一緒なら苦痛が和らぐ」も、その薬効が由来とされる。
6月は、創価の女性の月である。4日は女子部の「世界池田華陽会の日」、そして10日は「婦人部の日」。あす6月1日から"婦女一体"の「希望の絆 女性月間」がスタートする(同30日まで)。
悩みや不安を抱える友に温かく寄り添い、励ましの力で"自他共の幸福の花園"を広げていこう。

◇池田先生の言葉
時代は、
女性のもつ
しなやかな創造力、
優しさ、温かさ、
人間味などが
社会に反映されることを
求めている。
物や効率ばかりを
追うような社会から、
心の通う人間らしい
社会に戻していくには、
女性の力が
不可欠なのである。

女性の聡明な笑顔、
生き生きとした
声の響きこそ、
皆に勝ち進む活力を
みなぎらせていく
源泉である。

女性こそ
平和の担い手であり、
生命尊厳の世界を築きゆく
偉大な使命をもっている。
女性を大切にし、
女性の意見を尊重する——
そうすれば、
世界は、
より良い方向へと
変わっていく。

女性は、
いくつになっても、
自分らしく花を
開かせることができる。
心にしっかりとした芯を
もっている人は、
時とともに輝いていく。
そのためにも、
何か、自分を進歩させる
目標をもつこと、
さらに人のため、
社会のために
尽くしていくことが
大切である。

女性には命を育む
「慈悲」がある。
生活に根差した
「智慧」が光り、
堅実に生きる
「忍耐」があり、
一歩も退かぬ
「信念」が燃えている。
世界一、宇宙一の妙法を
持ち弘めゆく女性は、
この社会で
最高に尊貴なる
宝の方々だ。
「法華経の師子王」を
持った女性こそ、
時代・社会の最先端をいく
一人一人なのである。

2020年6月3日水曜日

2020.06.03 わが友に贈る

気温の急上昇による
熱中症に厳重注意。
小まめな水分補給や
室温調整を心掛け
万全の体調管理を!

祈祷抄 P1347
『されば法華経の行者の祈る祈は響の音に応ずるがごとし影の体にそえるがごとし、すめる水に月のうつるがごとし方諸の水をまねくがごとし磁石の鉄をすうがごとし琥珀の塵をとるがごとし、あきらかなる鏡の物の色をうかぶるがごとし』

【通解】
したがって、法華経の行者が祈る祈りは、音に応じて響きがあるように、影が体に添うように、澄んだ水に月が映るように、冷えた鏡が表面に露をつけるように、磁石が鉄を吸うように、琥珀が塵を取るように、曇りのない鏡が物の色を浮かべるように、必ず叶うのである。

名字の言 ピカソがたどり着いた理想とは? 2020年6月3日
ピカソは"変貌の画家"と呼ばれた。作風の目まぐるしい変化を繰り返したからである。彼は、こんな言葉を残している。「私があの子供たちの年齢のときには、ラファエロと同じように素描できた。けれどもあの子供たちのように素描することを覚えるのに、私は一生かかった」▼巨匠がたどり着いた理想の形は、"子どもが描く自由な絵"だったのだろう。彼は「芸術家とは見つける人だ」(『ピカソ——生と創造の冒険者』など参照)とも。童心とは、何げない日常の中に"美しさ"を見いだす心を言うのかもしれない▼ピカソの言葉を思い出したのは、本紙電子版で無料公開されている第34回「少年少女希望絵画展」の受賞作品を見たからだ。家族の笑顔や見慣れた景色、身近にいる虫や花も、"小さな芸術家"の筆にかかると、何と豊かな色彩と躍動感を放つことか▼愛知の少女部員が語っていた。「絵を通して心が広がった分、何でも前向きに挑戦したいと思うようになりました」。絵画展の受賞を励みとして、地域の絵画展でも表彰を受けた子、英検3級に合格した子もいる▼仏典に「心は工なる画師の如し」と。心は誰も縛れない。"名画"を生み出す子どもたちのように、自在に希望の未来を描き出す、強くしなやかな心を持ちたい。(之)

寸鉄 2020年6月3日
励ましの心溢れる創価の女性の姿こそ希望—博士さあ記念月間。絆結ぼう
苦しみ悩む人を救うのが本当の宗教—戸田先生。試練の今、声掛けを拡大
「新しい生活様式」定着を皆で。身体的距離の確保、マスク・手洗い等、緩めず
学校再開で子らの心も揺れ動く時と。些細な変化見逃さず。寄り添う心で
「環境月間」。自然破壊は感染症の危険とも連動—学者。地球守る努力更に

☆小説「新・人間革命」学習のために 第10巻
小説『新・人間革命』の山本伸一の激励・指導などを、巻ごとに紹介する「My Human Revolution(マイ・ヒューマン・レボリューション)」。今回は第10巻を掲載する。次回の第11巻は6月5日付2面の予定。挿絵は内田健一郎。

◇信心に励む人は成仏の軌道に
<1965年(昭和40年)1月、山本伸一は大阪から急きょ、鳥取の米子へ向かう。若き支部長の事故死によって多くの同志の胸に生じた、信心への疑いと迷いを晴らすためであった>
真の信仰者として広宣流布に邁進している人は、いかなるかたちで命を終えようとも、成仏は間違いない。
初期の仏典には、次のような話がある。
——摩訶男(マハーナーマ)という、在家の信者がいた。彼は、もし、街の雑踏のなかで、三宝への念を忘れている時に、災難に遭って命を失うならば、自分はどこで、いかなる生を受けるのかと、仏陀に尋ねる。
すると、仏陀は言う。
「摩訶男よ、たとえば、一本の樹木があるとする。その樹は、東を向き、東に傾き、東に伸びているとする。もしも、その根を断つならば、樹木は、いずれの方向に、倒れるであろうか」
摩訶男は答えた。
「その樹木が傾き、伸びている方向です」
仏陀は、仏法に帰依し、修行に励んでいるものは、たとえ、事故等で不慮の死を遂げたとしても、法の流れに預かり、善処に生まれることを教えたのである。
また、日蓮大聖人は、南条時光に、弟の死に際して与えられたお手紙で、「釈迦仏・法華経に身を入れて候いしかば臨終・目出たく候いけり」(御書1568ページ)と仰せになっている。信心に励んだ人の、成仏は間違いないとの御指南である。(中略)
彼は、十八日、空路、大阪から米子に向かった。最も大変なところへ、自ら足を運ぶ——それが伸一の、指導者としての哲学であった。
(「言論城」の章、20〜22ページ)

◇学会活動は生命を鍛錬する場
<伸一は8月15日、アメリカのロサンゼルスで行われた海外初の野外文化祭に出席。翌日の懇談会で、自身の幸福を築くための学会活動であることを確認する>
「今回の文化祭は、(中略)極めて大変な条件のなかでの文化祭であったと思う。
途中で、やめてしまおうかと思った人もいるかもしれない。だが、そんな自分と戦い、懸命に唱題し、それぞれの分野で、真剣に努力されてきた。
まず、広宣流布の大きな布石となる文化祭のための唱題が、努力が、献身が、そのまま、大功徳、大福運となりゆくことは、絶対に間違いありません。これが妙法の因果の力用です。
また、皆さんは、文化祭を大成功させるために、不可能と思われた限界の壁、困難の壁を、一つ一つ破ってこられた。そして、この文化祭を通して、自信と、信心への揺るぎない確信をつかまれたことと思う。
実は、それが何よりも、大事なことなんです。
人生には、さまざまな試練がある。病に倒れることもあれば、仕事で行き詰まることもある。
その時に、悠々と乗り越えていくためには、生命の鍛錬が必要です。精神の骨格となる、信心への大確信が必要なんです。
この文化祭に全力で取り組み、唱題を根本に、あらゆる困難を克服してこられた皆さんは、"仏法に行き詰まりはない"との体験をつかまれたと思います。
こうした体験を、どれだけ積んできたかによって、仏法への揺るぎない大確信が育まれ、何があっても負けることのない、強い自身の生命が鍛え上げられていきます。
そのための『場』となるのが、学会活動です。また、文化祭でもあります。つまり、自分の幸福の礎を築いていくための活動なんです」
(「幸風」の章、133〜134ページ)

◇民衆による民衆のための宗教
<10月、フランスのパリを訪れた伸一は、ヨーロッパの拠点となる事務所の開所式に参加。世界広布の先駆を切る女性たちを励ましながら、民衆こそが広宣流布の主役であることを思う>
アメリカでも、東南アジアでも、日蓮仏法を弘めてきたのは、キリスト教のような宣教師ではなかった。
世界広布を担ってきたのは、"衣の権威"に身を包んだ僧侶たちではなく、在家である創価学会の、名もなき会員たちであった。しかも、その多くは女性たちである。
なんの後ろ盾もない、不慣れな土地で、日々の生活と格闘しながら、言葉や風俗、習慣の違いを超えて、人びとの信頼と友情を育み、法を伝えてきたのだ。誤解や偏見による、非難もあったにちがいない。まさに、忍耐の労作業といってよい。
宗教の歴史には、武力や権力、財力などを背景にした布教も少なくなかった。しかし、それでは、どこまでも対話主義を貫き、触発と共感をもって布教してきた、日蓮大聖人の御精神を踏みにじることになる。「力」に頼ることなく、民衆が主役となって布教を推進してきたところに、日蓮仏法の最大の特徴があるといってよい。
また、それ自体が、「民衆のための宗教」であることを裏付けている。
伸一は、遠く異国の地にあって、広宣流布に生き抜こうとする、健気なる同志に、仏を見る思いがしてならなかった。
(「新航路」の章、224〜225ページ)

◇広布誓願の祈りが病魔を克服
<伸一は11月、関西本部新館で奈良本部の同志と記念撮影に臨む。そこで、"病気の宿業は乗り越えられるのか"との質問に答える>
「どんなに深い宿業だろうが、必ず断ち切っていけるのが、日蓮大聖人の大仏法です。(中略)
本来、その宿業は少しずつしか出ないために、何世にもわたって、長い間、苦しまなければならない。
しかし、信心に励むことによって、これまでの宿業が、一気に出てくる。そして、もっと重い苦しみを受けるところを、軽く受け、それで宿業を転換できる。『転重軽受』です。(中略)
御本尊への、深い感謝の一念が、大歓喜の心を呼び覚まします。そして、この大歓喜が大生命力となっていくんです。
唱題するにしても、ただ漫然と祈っていたり、御本尊への疑いを心にいだいて祈っていたのでは、いつまでたっても、病魔を克服することはできません。
大事なことは、必ず、病魔に打ち勝つぞという、強い強い決意の祈りです。そして、懺悔滅罪の祈りであり、罪障を消滅してくださる御本尊への、深い深い感謝の祈りです。
胃が癌に侵されているというのなら、唱題の集中砲火を浴びせるような思いで、題目を唱えきっていくんです。
さらに、重要なことは、自分は広宣流布のために生き抜くのだと、心を定めることです。そして、"広布のために、自在に働くことのできる体にしてください"と、祈り抜いていくんです。広宣流布に生き抜く人こそが、地涌の菩薩です。法華経の行者です。広布に生きる時には、地涌の菩薩の大生命が全身に脈動します。その燦然たる生命が、病を制圧していくんです」
(「桂冠」の章、300〜302ページ)

◇創価教育の誓い
<1965年11月、創価大学設立審議会が発足。牧口常三郎初代会長と戸田城聖第2代会長の悲願の実現へ、本格的な準備が始まる。「桂冠」の章には、山本伸一が両会長の構想実現を誓う場面が描かれている>
伸一は、師の戸田から大学設立の構想を聞かされた折のことが、一日として頭から離れなかった。
——それは、戸田が経営していた東光建設信用組合が、経営不振から業務停止となり、再起を期して設立した新会社の大東商工が、細々と回転し始めようとしていた、一九五〇年(昭和二十五年)の十一月十六日のことであった。
戸田のもとにいた社員たちも、給料の遅配が続くと、一人、また、一人と、恨み言を残して去っていった。伸一も、オーバーなしで冬を迎えねばならぬ、秋霜の季節であった。
この日、伸一は、西神田の会社の近くにある、日本大学の学生食堂で、師の戸田と昼食をともにした。安価な学生食堂にしか行けぬほど、戸田城聖の財政は逼迫していた。
彼にとっては、生きるか死ぬかの、戦後の最も厳しい"激浪の時代"である。
しかし、戸田は泰然自若としていた。彼は、学生食堂へ向かう道々、伸一に、壮大な広宣流布の展望を語るのであった。
食堂には、若々しい談笑の声が響いていた。
戸田は、学生たちに視線を注ぎながら、微笑みを浮かべて言った。
「伸一、大学をつくろうな。創価大学だ」
伸一が黙って頷くと、戸田は、彼方を仰ぐように目を細めて、懐かしそうに語り始めた。
「間もなく、牧口先生の七回忌だが、よく先生は、こう言われていた。
『将来、私が研究している創価教育学の学校を必ずつくろう。もし、私の代に創立できない時は、戸田君の代でつくるのだ。小学校から大学まで、私の構想する創価教育の学校をつくりたいな』と……」
ここまで語ると、戸田は険しい顔になった。
「しかし、牧口先生は、牢獄のなかで生涯を閉じられた。さぞ、ご無念であったにちがいない。私は、構想の実現を託された弟子として、先生に代わって学校をつくろうと、心に誓ってきた。牧口先生の偉大な教育思想を、このまま埋もれさせるようなことがあっては、絶対にならない。そんなことになったら、人類の最高最大の精神遺産をなくしてしまうようなものだ。
人類の未来のために、必ず、創価大学をつくらねばならない。しかし、私の健在なうちにできればいいが、だめかもしれない。伸一、その時は頼むよ。世界第一の大学にしようじゃないか!」
この時の戸田の言葉を、伸一は、決して、忘れることはなかったのである。
だが、既に、その戸田も世を去っていた。創価教育の学校の設立は、牧口から戸田へ、戸田から伸一へと託され、今、すべては、彼の双肩にかかっていたのである。
伸一は、先師・牧口の、そして、恩師・戸田の構想の実現に向かい、いよいよ第一歩を踏み出せたことが嬉しかった。(中略)
師匠が描いた構想を現実のものとし、結実させてこそ、まことの弟子である。その不断の行動と勝利のなかにのみ、仏法の師弟の、尊き不二の大道がある。金色に輝く、共戦の光の道がある。
(293〜296ページ)

2020年6月2日火曜日

2020.06.02 わが友に贈る

配達員、販売店制度、
発足から65周年。
尊き献身に、心から感謝!。
雨の日が増える時季。
どうか、健康、無事故で!

王舎城事 P1138
『法華経の敵となりし人をば梵天帝釈日月四天罰し給いて皆人にみこりさせ給へと申しつけて候』

【通解】法華経の敵となった人を罰して、皆、人の見せしめにするようにと、梵天、帝釈、日月、四天に申しつけてある。日蓮が法華経の行者であるか否かは、これをもってご覧なさい。

名字の言 ブルーインパルスの飛行を見た友からの電話 2020年6月2日
先週金曜の昼下がり、都内のあちこちで青空を見上げる人がいた。航空自衛隊の「ブルーインパルス」が、コロナ禍で奮闘する医療従事者らに敬意と感謝を示すため、都心上空を飛行した▼その光景を見た友から電話があった。「仕事とはいえ、今回に限らず、さまざまな災害支援に尽力してきた自衛隊の皆さんは、いわば感謝される側です。それなのに頑張る他の人たちに感謝のエールを送るなんて……」と声を詰まらせていた。友は9年前、住んでいた東北で大震災に遭い、自衛隊に救助された経験を持つ▼病と闘う婦人部員がいる。彼女はある時、仏法セミナーに参加し、終了後、折り紙で作った、たくさんのメッセージカードを担当講師に手渡した。一枚一枚に励ましの言葉が書いてあった。「今日まで私が病に負けなかったのは、師や同志の激励のおかげです。今後、講演などで各地に行った際、出会った人の励ましに使ってもらえればと思って」▼後日、その講師から彼女に連絡があった。「頼まれた通り、カードは多くの方に贈り、とても喜ばれました。今、手元に最後の一枚を残し、あなたの健康を祈っています」と▼試練に負けまいと戦う人だからこそ、苦難と戦う人を心から励ませる。同苦の心はつながっていく。(城)

寸鉄 2020年6月2日
「いよいよ・はりあげてせむべし」御書。信心の闘士は苦難に遭うほど強く
沖縄市の友が逆転勝利へ奮戦。今こそ総立ちを!圧倒的な拡大で競り勝て
豊島女性の日。婦女一体で進めば無限の希望が。皆が新たな歴史開く主役
迷惑電話が昨年比3倍。"給付金"便乗の詐欺目的も。声掛け重ね断固撃退
乳幼児の熱中症死、半数は車内放置が原因。「少しだけなら」の油断排して

☆心に御書を 第47回 世界の華陽姉妹に幸光れ
〈御文〉
『闇なれども灯入りぬれば明かなり濁水にも月入りぬればすめり』(四条金吾女房御書、1109ページ)

〈通解〉
闇であっても灯をともせば明るくなり、濁った水でも月が映れば澄んで見えるものである。

〈池田先生が贈る指針〉
妙法の乙女は一人ももれなく「幸福の太陽」だ。清く明るい元初の生命を輝かせ、どんな逆境の闇にも負けない。
「苦楽ともに思い合せて」題目を唱え、励まし合う華陽姉妹こそ、世界の希望ではないか。
深い「祈り」が、深い「幸と平和の土台」を築く。試練を越えゆく福智の光は、必ずや未来を照らすに違いない。

☆大学校生とナットクTALK 2020年5月30日
テーマ:教学の研さん
男子部大学校生からの質問に答える連載「大学校生とナットクTALK」。今回のテーマは「教学の研さん」。中村区男子部大学校団長が安藤ニュー・リーダーとウェブ会議アプリを使って懇談をしています。

登場人物
中村区男子部大学校団長 20歳の時に入会。情熱に燃える新進気鋭のリーダー。33歳。
安藤ニュー・リーダー 大手金融機関に勤務する27歳。一昨年に友人の紹介で入会した。

Q御書ってどう学べばいい?
A自分に当てはめて拝してみよう
中村区男子部大学校団長 お疲れさま! 元気そうだね。
安藤ニュー・リーダー 5月から毎週、勝利長とウェブ会議アプリで、大学校指導集の感想を語り合うようになって、徐々に題目を唱える習慣が身に付いてきました。
中村 それはいいことだね!
安藤 先週から御書の研さんにも挑戦し始めたんです! でも、難しくて、心が折れそうです(笑い)。
中村 学ぼうとする姿勢がすごいじゃないか。ちなみに、男子部LIVE講義も活用しているかな?
安藤 はい! 毎回楽しみにしています。担当者の体験談もあって感動します。
中村 そうだね。その「信仰体験」に御書を学ぶ鍵があるんだ。
安藤 どういうことですか?
中村 御書には、僕たちが人生でぶつかる悩みや日々の疑問に対する"答え"が書かれている。例えば、仕事に臨む姿勢とか、朝晩唱題をする意味とか。だから教学を学んで実践する人ほど、悩みに負けないし、勝利の体験を積むことができるんだよ。
安藤 御書に書かれていることって、昔の話だと思ってました。
中村 "今の僕たちへのお手紙"と捉えて、「自分に当てはめて拝する」ことが特に重要だと思う。僕もよく、"心に残る御文"を書いて、挑戦するように心掛けているんだ。御文の通りに実践して結果が出ると、"こういうことだったのか"と心の底から納得できるし、信心の確信も深まる。池田先生は「どの御書の一節でもよい。悩みと格闘し困難と戦いながら、深く心に刻み、祈り、身で読みきっていく——これが、創価学会の『実践の教学』の真髄です」と言われているよ。
安藤 「身で読む」ってすごいですね! でも御書は分厚いので、何から手を付けていいか分からなくて。
中村 僕が学び始めた頃は、会合で教えてもらった御文や聖教新聞で目にした一節を自分の御書の中で探して、線を引くことから始めたよ。すると、線を引いた箇所の前後は何て書いてあるんだろう、誰に宛てられたお手紙なんだろうって、徐々に興味が出てきたんだ。ほかにも、短くてもいいから一編の御書を選んで、読み深めていくのもいいと思う。すると他の御書も理解しやすくなるよ。
安藤 1ページ目から順番に読まなくてもいいんですね! 僕も好きな御書を見つけてみようと思います!
中村 よし! 一緒に、信心の原点を作ろう!

2020年6月1日月曜日

2020.06.01 わが友に贈る

◇今週のことば
創価の女性には
世界一の笑顔の光あり。
家庭に地域に社会に
明るい希望の輝きを!
妙法の清々しい音声で。
2020年6月1日

日女御前御返事 P1243
『是全く日蓮が自作にあらず多宝塔中の大牟尼世尊分身の諸仏すりかたぎたる本尊なり』

【通解】
これは、決して日蓮が勝手に作り出したものではなく、(法華経で涌現した)多宝塔の中の釈尊や、十方分身の諸仏を、あたかも版木で摺るように、そのまま写し顕したのが、この御本尊である。

名字の言 「生活即野球」という信条 2020年6月1日
栃木・作新学院硬式野球部の小針崇宏監督が本紙「トーク」に登場した。チームの合言葉は「環境と習慣」。良い環境は、良い習慣、良い人を生む。例えば、県大会優勝の翌日は、ごみ拾いから始めるという。掃除しながら近隣の方々に感謝を伝える球児たち。「この人たちのため」との思いが力になる▼高校野球の指導者から「生活即野球」という信条を伺ったことがある。ごみが落ちていれば拾い、トイレのスリッパを脱いだらそろえる。勉強にも手を抜かない。グラウンド外の姿がプレーに表れる。生活も一流、野球の技術も一流のチームこそ甲子園にふさわしい▼その大会が夏も中止になった。選手らの落胆は察するに余りある。しかし大会はなくなっても、なくならないものがある。大切な時の集中力。諦めない心。仲間を思うチームワーク。努力する習慣……▼かつて創立者の池田先生は学園生に「戦いは、時の運です。ちょっとしたことから、どのように展開するかわからないものです。しかし、命をかけた戦いをしていくなかに、道は開けていくものです」と。命をかけて築かれた胸中の"宝の塔"は誰人も奪えない▼6月、人々が少しずつ動き始める。頑張ってきた友の未来が、栄光へと開かれていくことを心から祈りたい。(進)

寸鉄 2020年6月1日
会長の著作は人々の精神を啓発する人類の遺産—総長。海外50言語に翻訳
設い身は此の難に値うとも心は仏心に同じ—御書最後は勝つ!この確信で
未来部の各種コンクール募集が開始。挑戦と成長の思い出を。皆でエール
悲嘆の底の時、友の言葉ほど嬉しいものはない—劇作家。励ましの絆強く
毎日同時刻に起床—心の健康維持のコツと。賢き生活リズムを祈り根本に

☆大白蓮華巻頭言 2020年6月号 地涌の覚悟に惑いなし
六月は、創立の父・牧口常三郎先生の生誕の月である。
御本仏の佐渡流罪より満六百年(一八七一年=明治四年)に、有縁の新潟で誕生されたことも、不思議な符合である。
日蓮大聖人は佐渡での御書「顕仏未来記」に、「日来の災・月来の難・此の両三年の問の事 既に死罪に及ばんとす今年・今月万が一も脱がれ難き身命なり」(P509)と記された。それほどまで過酷な只中で、「太陽の仏法」が一閣浮提を照らしゆく未来を大宣言なされたのだ。
戦時中、この正法正義の命脈が途絶えんとするその時、まさしく「地涌の菩薩」の覚悟に立って、「死身弘法」を貫かれたのが、牧口先生にほかならない。
法難の獄中からの手紙には、「大聖人様の佐渡の御苦しみをしのぶと何でもありません」と綴られている。
御本仏とご一緒に、牧口先生か命を賭して示し遺してくださった、何ものにも負けない「師子王の心」こそ、我ら師弟の不滅の原点といってよい。
広布と人生の途上において、いかに先の見えない苦境に追い込まれても、殉教の先師の忍難弘通の姿を思えば、何を嘆くことがあろうか。何を惑うことがあろうか。
恩師・戸田城聖先生と私の覚悟も、ここにあった。
「妙法蓮華経を修行するに難来るを以て安楽と意得可きなり」(P750)と仰せの如く、題目を唱え抜いて難に挑む中にこそ、真の仏道修行があり、大福運も積まれる。
「今生にかかる重苦に値い候へば地獄の苦みぱっときへて」(P1000)という「転重軽受」の法理に則り、崩れざる仏の境涯を開き、希望と勇気を民衆へ贈れるのだ。
人類が一丸となって試練に立ち向かう今、「生命尊厳」の信念と「変毒為薬」の英知輝く、若き創価の世界市民の連帯は何と頼もしいことか。日本そして地球を結ぶ歌声も明るく力強い。インドの同志は高らかに歌い舞う。
♪あなたと私は共に 決して負けない 永遠に
 今こそ その時だ 決して負けない 永遠に
に−−
先師に続く地涌の人材山脈に「従藍而青」の光あれ!

嵐にも
 不動の大山
  ここにあり
 嘆かず惑わず
  凱歌の虹を

〈2020 学会史メモリアル〉 6月
◎6・6「初代会長・牧口常三郎先生誕生日」
1871年(明治4年)6月6日、初代会長の牧口常三郎先生が、現在の新潟県柏崎市荒浜に生まれた。
1928年(昭和3年)に日蓮大聖人の仏法に帰依。
30年(同5年)11月18日、『創価教育学体系』第1巻を発刊。この日が創価学会(当時は創価教育学会)の創立記念日となった。
戦時下、軍部政府による弾圧に抗して信仰を貫き、44年(同19年)11月18日、獄中で73歳の生涯を閉じた。
※参考資料=小説『新・人間革命』第2巻「勇舞」、第15巻「開花」

◎6・7「高等部結成記念日」
64年(昭和39年)6月7日、東京の各本部(当時)で高等部の結成式が行われた。東京第2本部での男子高等部結成式には池田大作先生が出席し、参加者と共に勤行を。
先生が第3代会長に就任後、最初に結成した未来部が高等部である。
※参考資料=『新・人間革命』第9巻「鳳雛」

◎6・10「婦人部の日」
51年(昭和26年)6月10日、第2代会長に就任したばかりの戸田城聖先生のもとに、婦人の代表52人が集い、出発した日が淵源。
戸田先生は席上、「白ゆりの/香りも高き/集いかな/心の清き/友どちなれば」との和歌を詠み贈った。
※参考資料=『人間革命』第5巻「随喜」

◎6・11、12 戸田先生の最後の「水滸会」野外研修から65周年
55年(昭和30年)6月11、12の両日、戸田先生にとって最後となった「水滸会」の第2回野外研修が、若き池田先生が中心となり、山梨県の河口湖畔と山中湖畔で行われた。本年で65周年。
※参考資料=『人間革命』第9巻「上げ潮」

◎6・25「団地部の日」
78年(昭和53年)6月25日、団地部の第1回全国大会が開催。これを記念して、部の日に定められた。
※参考資料=『新・人間革命』第24巻「灯台」

◎6・27 「未来会」結成50周年
70年(昭和45年)6月27日、現・神奈川研修道場に高等部・中等部・少年少女部の代表が集い、全国に先駆けて、東京未来会第1期が結成。池田先生は"いかなる試練にも負けない獅子に"と念願した。
2003年(平成15年)の6月27日には、池田先生が「未来会/広布と創価を/展望し/山の如くに/人材育ちぬ」と詠み贈った。本年で結成50周年。
※参考資料=『新・人間革命』第14巻「大河」

◎6・30「学生部結成記念日」
57年(昭和32年)6月30日、戸田先生のもと、東京で学生部結成大会が行われた。北海道で人権闘争の指揮を執っていた池田先生が祝電を寄せた。
※参考資料=『人間革命』第8巻「学徒」、第11巻「夕張」