リーダー率先の励ましが
勇気と団結を生む。
拡大の突破口を開く。
歓喜と希望が広がる。
足取り軽く動き語ろう!
日興遺誡置文 P1618
『下劣の者為りと雖も我より智勝れたる者をば仰いで師匠とす可き事』
【通解】
たとえ位の低い者であっても、自分より智慧がすぐれている人を、師匠と仰いで仏法を学ぶべきである。
名字の言 母の教え「大きな願いは10年かけて祈りなさい」 2020年1月22日
「大きな願いは10年かけて祈りなさい」——この母の言葉通り、10年ごとに目標を立て、50年以上になる婦人がいる▼彼女は結婚後、20歳の時に東京で年中無休の中華料理店を開店。仕事と家事・育児に追われる日々が続いた。多忙な中で脳裏に浮かんだのは新潟・佐渡の"広布の一粒種"である母の姿。"母のように信心で宿命を転換したい"と、どんなに大変でも唱題と仏法対話だけは欠かさなかった▼以来、実らせた弘教は20世帯を超える。地域友好のために50歳で始めた舞踊では名取・師範の資格を取得。60歳で家業を後継に譲り、悠々と学会活動ができる境涯になった。「途中で諦めずに祈り続けたことは必ずかなってきました。本当に気持ちがいいです」と。昨年末には、青年世代の友を入会に導くこともできた▼「十年一昔」どころではなく、世の中の変化は激しい。人の心もまた移ろう。どんなに決意していても、周囲の状況が変われば、意志が揺らぐこともある。そのたびに初心を思い起こし、自ら決めた目標へ、挑戦を続けることができるかどうか。そこに人生勝利の要諦がある▼ロシアの科学者ロモノーソフは「小事ができない者に大事はできない」と。広布と人生の壮大な建設もまた、今の決意、今日一日の勝利から始まる。(仁)
寸鉄 2020年1月22日
学会は強気でいけ!それが正義のため—戸田先生地涌の誇りに胸張り前進
高知青年部の日。魁光る勇者よ対話の大旋風を!愛する志国に勝ち鬨轟け
「各各なにをかなげかせ給うべき」御書。苦難の時こそ題目。誓願の祈りで
大麻摘発、若年層に増加。興味本位の中高生にも。根絶へ対策の強化が急務
災害時の救助は初動が重要、向こう三軒両隣が鍵と。日常的な声掛けこそ
☆ロータスラウンジ——法華経への旅 第12回 授学無学人記品第九
◇信じる者、信じない者にも妙法を説き救っていく——ここに真の"授記"がある
法華経について、皆で学び、深めよう——「ロータスラウンジ——法華経への旅」の第12回は、「授学無学人記品第九」です(前回は12月10日付。原則、月1回掲載)。
■大要
十大弟子で「多聞第一」の「阿難」と「密行第一」の「羅?羅」、そして有学(まだ学ぶものがある者)・無学(もはや学ぶものがなくなった者)の2000人の声聞たちに授記がなされます。
釈尊にとって阿難はいとこ、羅?羅は子に当たります。
それでは内容を追ってみましょう。
●シーン1
阿難・羅?羅は、思います。
"私たちにも授記してくださればうれしいのに……"
そして二人は、座から立ち上がって、釈尊のもとに行って礼拝し、語ります。
「私たちにも記別を授けてくだされば、私たちの願い、そして衆生の望みも満足することができます」
その時、学・無学の弟子2000人も、同じ思いになり、立ち上がって合掌します。
●シーン2
釈尊は、阿難に告げます。
"来世に、山海慧自在通王如来という仏になる……"
そして、仏として出現する国土や時代などが語られます。
発心して間もない8000人の菩薩たちは、それを目の当たりにして、疑問を抱きます。
"そうそうたる大菩薩たちが記別を授けられていないのに、どういう因縁によって、もろもろの声聞たちは授記されたのだろう"
釈尊は、人々の疑念を払うように、告げます。
"私と阿難たちは、空王仏のもとで同時に発心した。
阿難は常に多くの説法を聞くことを願い、私は常に精進した。
ゆえに、私は先に仏になることができたのだ……"
阿難は記別を受け、大いに歓喜し、深心の本願を思い出すことができた。
続いて釈尊は、羅?羅に授記します。
"来世に、蹈七宝華如来という仏になる……"
そして、仏として出現する国土や時代が語られます。
●シーン3
釈尊は、居並ぶ学・無学の2000人を見つめ、その求道心を確信し、阿難に告げます。
"この2000人を見ているか"
"もちろん、確かに見ています"と、阿難は応じます。
釈尊は、さらに語ります。
"阿難よ。この人たちは、無量の仏に供養し、同時に十方の国で成仏することができる。皆が同じ宝相如来という仏になる……"
学・無学の2000人は、記別を授けられ、歓喜しました。
——この「授学無学人記品第九」までで、声聞たちへの授記が終わります。
■十界の成仏
方便品第二から授学無学人記品第九までは、法華経迹門の中心的な部分となります。
法理としては「開三顕一(三乗を開いて一仏乗を顕す)」が説かれ、物語としては、大部分が声聞への授記になっています。実は、声聞たちへの授記の物語を通して、十界互具の法理が示されています。
池田先生は「声聞への授記」について、次のように語られています。
「『一切衆生への授記』です。声聞に、とどまるものではありません。すべての人が成仏できる。すべての人が、仏の智慧を譲り受けて、『人を救う人間』になれる。そういう考えが、阿羅漢も学・無学もなく、すべての声聞に授記されるということのなかに示されています」
法華経以外の大乗経典では、二乗(声聞・縁覚)は、煎った種から決して芽が出ないように、仏種を断じられて永久に成仏できないとされていました。
二乗の成仏が許された意義について、池田先生は語っています。
「法華経に至って成仏を許された。これは、十界の成仏を明かしたことになるのです。
なぜなら、一人の声聞には十界の生命が具わっている。ゆえに、一人の声聞に授記したことは、その生命の十界が成仏できるということです。十界が成仏できるということは、どの界の衆生も成仏できるということになる。
反対に、声聞界が成仏できなければ、菩薩の生命の声聞界も、仏の生命の声聞界も成仏しないことになる」
声聞たちへの授記には、法華経の説く十界互具の哲理が輝いているのです。
■三周の声聞
声聞にも機根(仏法を理解し信じ実践する能力・資質)の差があり、方便品第二から授学無学人記品第九まで、それぞれに応じて説き進められ、記別が与えられました。
用いられた説法は、法理を説く「法説周」、譬えを用いて説く「譬説周」、因縁を明かして説く「因縁周」の三つです。「周」とは「めぐる」という意味で、釈尊の説法を受ける→声聞が理解したことを語る→声聞の理解を釈尊が承認する→記別を授ける、という流れの一巡を一周といい、これを三度繰り返します(三周)。
具体的には、法説周の声聞は智慧第一の舎利弗です。方便品第二で諸法実相などの法理を聞いて理解し、譬喩品第三で記別を受けました。
次に譬説周の声聞は、須菩提、迦旃延、迦葉、目?連の四大声聞です。釈尊が譬喩品第三で「三車火宅の譬え」を説きます。それに対して四大声聞は「長者窮子の譬え」で理解したことを示し、授記品第六で授記されます。
因縁周の声聞は、まだ理解できない富楼那、阿若?陳如、阿難をはじめ多くの声聞たちです。化城喩品第七で、三千塵点劫という遠い昔からの師弟の因縁を聞き、五百弟子受記品第八・授学無学人記品第九において記別が与えられます。
釈尊は、声聞たちに法を理解させようと、あらゆる手段を使い、心を尽くして導いたのです。
大事なことは、諦めずに、粘り強く、相手の理解を確認しながら、対話を深めていくことです。
【『法華経の智慧』から】 あなたも仏と同じ境涯になれる
「二乗成仏」が仏法の要なのです。
そもそも声聞は、つねに釈尊の周囲にいた、最も身近な人々です。その人々を成仏させられないのでは、何のための仏法かということになりかねない。
一方、二乗は「焦種」といって、仏種を焦がし亡ぼしているとされる。そういう二乗も成仏させられるということを通して、一切衆生を成仏させる法華経の力を示したのです。
一切衆生に対して「あなたも仏と同じ境涯になれる」と宣言したのです。これが"授記の心"です。
◆ ◇ ◆
智者、愚者を問わず、妙法を説いていく。信じる者も信じない者も問わず説いていく。信じない者も、毒鼓の縁、いわゆる逆縁の功徳で救っていく。ここに真の"授記"があるのです。
このことを実践してきたのが創価学会員です。
学会の中にこそ、法華経の心は生きているのです。
(普及版<上>「五百弟子受記品 授学無学人記品」)
【コラム】 多聞と精進——分かるよりも変わること
「授学無学人記品第九」では、釈尊と阿難の前世の因縁が明かされている箇所があります。
——私(釈尊)は阿難と一緒に、空王仏に仕え、同時に発心した。
阿難は多聞(多くの教えを聞くこと)を願い、私は精進(絶えず修行に励むこと)に勤めた。だから私は先に仏になれた——と。
釈尊が先に仏になれたのは、絶えず実践に励んだからであると記されています。
戸田城聖先生は語っています。「講義を受け、また、御書を拝して、ただ分かったというだけでは、理である。いかに、その通りに信行に励んだかが大切である」「分かることよりも変わることだ」
さあ、友の幸福を祈ろう! さあ、対話に挑戦しよう!——自他共の幸福を真剣に願える境涯に自らを変革し、仏法対話にまい進できる自分に革命することこそが、成仏の直道なのです。