2020年1月19日日曜日

2020.01.19 わが友に贈る

わが家庭・地域の
未来部・青年部を
信心の後継者に!
全員が使命の人だ。
皆で励まし 共に前へ!

四条金吾殿御返事 P1122
『父母師匠主君を頂を地につけて恭敬し奉りしゆへに此の相を感得せり』

【通解】
父母・師匠・主君を恭敬したゆえにこの相を感得したのである。

名字の言 生誕250周年のベートーベン。楽聖に学ぶ生き方とは? 2020年1月19日
今年はベートーベンの生誕250年。国や時代を超え、人々を魅了し続ける名曲の数々は、いかにして生み出されたのか。楽聖の生き方に学ぶことは多い▼彼は立場や肩書を気にする人ではなかった。「僕の芸術は貧しい人々に最もよく役立たねばならぬ」(片山敏彦訳)と宮廷を飛び出し、市民の前で演奏した。権威の象徴とされたかつらもかぶらなかった▼彼は、何があっても前進し続ける人だった。古い社会との摩擦、耳の病、母や弟の死、経済苦……。過酷な"運命"を打ち砕くかのように猛然と曲を作り、己の胸中に"歓喜"を湧き上がらせた。「一行なりとも書かざる日なし」(佐々木斐夫・原田煕史訳)と▼哲人ソクラテスの「シビレエイの譬え」のごとく、自分自身が感動すれば、その生命の波動は必ず周囲に広がっていくものだ。人材を育て、歴史を築く要諦もまた、立場や境遇では決まらない。わが心に広布への情熱が燃えているかどうかだ▼どんなに優れた音楽でも、楽譜に書かれているうちは、ただの音符にすぎない。奏でる人がいてこそ、魂がよみがえり、人の心に響く。人生もしかり。最高の仏法哲理を持ったからには、自分が語る! 自分が行動する! 一人立つ勇者の気概で勇躍、まい進していきたい。(誠)

寸鉄 2020年1月19日
『新・人間革命』は人生の価値を高めてくれる一書—作家。学び成長の糧に
一対一が広布伸展の鍵。会合と個人指導の比率を2対8に。今日から挑戦
負けてたまるかと祈るのだ—戸田先生。闘病の友よ大生命力で蘇生の劇を
70歳超えても働きたい—60代の半数超。豊かな経験は宝。生かす社会、皆で
歯周病で脳卒中等の危険増と。丁寧な歯磨きから。良き習慣こそ健康の秘訣

☆「求道の大航海」40周年特集——池田先生が四国の友に贈る指針 2020年1月13日
1980年(昭和55年)1月14日。第1次宗門事件の嵐が吹き荒れる中、四国4県の代表約800人が客船「さんふらわあ7」号に乗り、池田先生の待つ神奈川文化会館へ駆け付けた。この共戦の原点から、あすで40周年。池田先生が四国の友に贈ったスピーチや指針などを紹介する。

◇「私たちの師匠は池田先生だ!」
<四国から広布の新時代を告げる"紅の朝"が明けようとしていた。
1979年(昭和54年)、池田先生が第3代会長を辞任。宗門の悪侶と退転・反逆者が結託して、仏意仏勅の学会を破壊しようと画策し、先生と会員の絆を断ち切ることに躍起になっていた。
荒れ狂う烈風は、四国でも激しさを増していた。だが、友の正義の心は、紅のごとく燃えていた。
「池田先生が動けないのなら、私たちが先生のもとへ行こう!」「私たちの師匠は永遠に先生だ!」——師弟共戦の思いは、「求道の大航海」となって結実した。
池田先生は「広宣流布の勝利の大船」と題した随筆で、当時を述懐している。>

昭和五十五年初頭——あの狂気じみた宗門事件の暗黒の嵐が、まだ吹き荒れていた日々であった。青年の決意に燃えて立ち上がった、わが四国の賢者たちが、神奈川で広宣流布の指揮をとっていた私のもとへ、客船をチャーターして、海路、意気揚々と駆けつけてくれたのである。

船は白亜の客船「さんふらわあ7」号である。東海上に低気圧があり、海上は荒れて、出航が危ぶまれていた。しかし、船は高らかに汽笛を響かせ、さっそうと、大波浪に向かって勇敢に旅立った。

同志の胸の奥は、義憤に燃えたぎっていた。"なんと卑劣な宗門か。なんと残酷な宗門か。先生を狙い打ちにして、広布の師弟の絆を断絶させようとの謀略だ。なんという卑怯な陰謀だ。宗祖の精神に背いた、この悪逆なしわざは永劫に広布の大汚点として残りゆくことは間違いない!"と。

いずこであろうが、いかなる怒濤があろうが、広宣流布のためなら、その主戦場へ、真っ先に駆けつける! 正義の言論戦で、勝利の旗を必ず打ち立てる! 大四国には、その闘争の精神が、時代とともに燃え上がっている。

<真冬の香川・高松港から、横浜市の神奈川文化会館へ。船旅は20時間以上に及んだ。
80年(同55年)1月14日、陽光が注ぐ中、船が横浜港に入っていくと、「池田先生が桟橋にいらっしゃいます!」という船内放送が。同志の歓呼が轟いた。
その後、航海は第2陣(同年5月16日、徳島・小松島港発)、第3陣(同19日、愛媛・三津浜港発)と続き、計3回、約3000人が先生のもとに集ったのである。
先生は折あるごとに、四国の友に脈打つ共戦の魂を語ってきた。>

会長を勇退していた私は、四国の地から、四国の同志とともに、反転攻勢の指揮を執り始めた。そして今日までの、世界広宣流布の大道を勝ち開いてきたのである。
原点は四国である。

四国は、私とともに「正義」の歴史を創り、「闘争」の歴史を残し、そして「勝利」の歴史を開いてきた。そのことを明言しておきたい。二十一世紀の勝利の暁鐘もまた、四国から全日本に、晴れ晴れと乱打していただきたい。

◇信心の強き一念
<四国の各会場に2万5000人が集った第1回四国総会(90年11月)。池田先生は「一念」の重要性を訴えている。>

気迫が大事である。嘲笑や迫害に、ひるんだり、へつらったりする弱い心であると、ますます増長するものである。魔は、こちらが強い心で進んでいけば退いていくし、心が弱くなれば、ますます勢いを増して襲いかかってくるものである。
「仏法は勝負」である。ひるんではいけない。負けてもならない。相手に財力があるから、名声があるから、権威・権力があるから——そんなものは、信心とはまったく関係がない。信心の利剣で戦い勝っていけばよい。信心の強き一念が、知恵を生み、その知恵によって、一切の幸福を勝ち開いていけるのである。

大目的に向かって懸命に行動しゆく人生ほど、気高いものはない。また強いものはない。
いわんや、強盛な信心を貫く「信念の人」には、梵天・帝釈をはじめ、諸天善神の守護があることは間違いない。
信心の大道も、広布の正道も長い。その途上には、さまざまな苦難があることも必定である。しかし、苦難や障害に、決して屈することなく、信心を持続し抜いていただきたい。その不退転の行動がある限り、諸天の加護によって、加速度的に回転を速め、常識では思いもよらない大勝利の"証"を築いていくことができるのである。

◇正義の潮流は四国から全国、全世界へ
<2001年の四国総会で池田先生は、四国の求道の息吹が全国への波動を生んできた歴史に言及。四国の同志の奮闘をたたえた。>

すべてにおいて、四国の皆さまの健闘は素晴らしい。「四国広布の基盤は盤石に築かれた」と私は確信している。
何事も勝つことである。
勝つことは喜びであり、功徳であり、幸福である。負けるような人間は、人を幸せにする力がない。
激しき社会のなかで、正義を貫き、人格を磨きながら、戦い、勝つ人間。強い人間。力ある人間。そういう人間にならねばならない。

信仰とは「精神の強さ」である。人間としての「生きる力」の泉である。弱い信仰は、本当の信仰ではないのである。
強き人には、"苦悩の烈風"さえも"歓喜の春風"に感じられる。弱き人は、すべてが地獄の苦しみとなる。それでは敗北者の姿である。「友のために」「広宣流布のために」——悪と戦い、一切の苦悩をも楽しみながら、悠然と前進してまいりたい。

<反転攻勢の基点となった正義の航海——四国の青年は、不滅の原点を胸に、拡大の金字塔を打ち立ててきた。2006年11月、第4回「四国青年部新世紀総会」で、池田先生は四国の青年に訴えた。>

この仏意仏勅の崇高なる創価学会を、何ものにも壊させてはならない。なかんずく、四国は、どこよりも学会精神が燃え上がる天地であります。
学会精神は、いかなる時も師匠と共に戦い抜く「師弟不二」の魂です。
学会精神は、わが身を惜しまず広布に生き抜く「不惜身命」の決意です。
学会精神は、同志を護り後輩を励まし育てる「異体同心」の団結です。
この学会精神の真髄を、わが四国青年部こそが、永遠に全世界の青年部に示し切っていただきたい。

<今、新たな志を立て、「正義の志国 魁け 勝利月間」を躍進する四国の友。学会歌「紅の歌」を歌いながら、広宣拡大の暁鐘を打ち鳴らし、誓いの航路を突き進む。>