誰も見ていない時に
何をなしているかに
その人の本質が現れる。
広布の祈りと行動を貫く
"一人立つ"勇者たれ!
三世諸仏総勘文教相廃立 P564
『心の不思議を以て経論の詮要と為すなり、此の心を悟り知るを名けて如来と云う』
【通解】
心の不思議さをもって、仏教の経典と論の説く肝要とする。この不思議なる心を悟り知った人を、名付けて如来という。
名字の言 人生の意味を求めることとは——精神科医フランクルの洞察 2020年1月21日
ナチスのユダヤ人強制収容所から生還した精神科医V・E・フランクルは「生きがい」について思索した。そして人生の意味を見いだし、生きがいを探求する心理療法「ロゴセラピー」をに結実させる▼彼は「意味を求めること」こそ「人間の生命の根源的な力」だと考えた。「この意味は各人にとって唯一かつ独自なものであり、まさにその人によって充たされねばならず、またその人だけが充たすことのできるもの」だ、と(『意味による癒し』春秋社)▼忘れられない先輩の励ましがあると、男子部の友が教えてくれた。「君がこれまで悩み苦しんできたことは、君にしか救えない人を励ます力になる」——その通りだった。弘教を実らせるたびに彼は、友人のそれぞれが自分と同じように病や経済苦を抱えていたことに気付く▼法華経には地涌の菩薩が六万恒河沙の眷属と共に出現する姿が説かれる。一恒河沙はガンジス川の砂粒の数。眷属とは共に生きる仲間であり、仏の教えに連なる人々の意味だ。一人の地涌の菩薩には、数え切れない人々に希望を送り、仏法に導く力が備わっている▼妙法を語り弘めることこそ「今生人界の思出」(御書467ページ)。この世界のどこかに自分を待っている人が必ずいる。かけがえのない"私の使命"を果たしていこう。(之)
寸鉄 2020年1月21日
日蓮仏法は「百発百中の生活法則」—先師。大確信の祈りで"諦め"の壁破れ
練馬の日。大東京に光る広布の師弟城。皆が青年の心で模範の対話拡大を
幹部は速度が勝負。悩める同志に励ましを!陰の友に感謝を!電光石火で
幸福は一人では味わえない—作家。最高の宝友と歩む触発と歓喜の無上道
火災に注意。タコ足配線、コンセントの埃、建物周囲の可燃物—指差し確認
☆みんなで学ぶ教学 第5回 信行学
◇信心の基本を実践しよう
今回の「みんなで学ぶ教学」は、「信行学」をテーマに学びます。日蓮仏法の実践の基本に徹し、正しい信心の軌道を歩んでいきましょう。さっそく、新年の決意に満ちた新会員のリホさんが、地区婦人部長のユリコさんに抱負を語っています。
ユリコ リホさん、「今年こそ!」と決意しているようね。目標に向かって挑戦する今こそ、仏法を実践していく上での基本である、「信」「行」「学」を確認しましょうね。
リホ はい。基本といえば、学生時代、テニス部の先輩も"基本が大事だ!"と熱っぽく語っていました。私はつい、手を抜いちゃって注意されていましたけど……。
ユリコ 地道に努力を重ねることは簡単ではないけれど、どんな分野でも一流の人は基本を怠らないわ。
リホ 「信」「行」「学」について、それぞれ詳しく聞かせてください。
ユリコ OK! まず、仏の教えを信じて受け入れることが「信」で、信受とも言うの。
私たち学会員が信じる仏の教えとは、日蓮大聖人の仏法のこと。その信仰の根本の対象が御本尊なのよ。御本尊には、全ての人々を救おうという大聖人御自身の仏の生命が、そのまま顕されていると、言われているわ。
この御本尊を、私たちが成仏の境涯を開くための唯一の縁として深く信じることが、信心の根本なの。
リホ 私も御本尊を信じて題目を唱えるようになって、強くなったというか、困難に負けない自分自身に変わってきたと感じます。
ユリコ 素晴らしい体験ね! "何ものにも揺るがない仏性が、私たちの生命には具わっている"ことは以前に学んだよね。この仏の生命を開くために、御本尊を信受した上での具体的な実践が必要になるの。これが「行」よ。
「行」には、自身が法の功徳を得るために実践する「自行」と、他人に功徳を受けさせるために仏法を教える「化他行」の二つがあるの。日々の勤行(読経・唱題)が自行で、折伏、仏法を人に語ることが化他行よ。
リホ なんだ、修行というからには、特別なことかと思ったら、日々、挑戦していることですね。
ユリコ そのとおりよ! 広宣流布のための、いろいろな活動も化他の修行に含まれるわ。
リホ 友人に信心のことを語った方がいいのですね?
ユリコ 大聖人は「自行と化他の両方にわたる南無妙法蓮華経である」(御書1022ページ、通解)と仰せになっているの。自行化他の両方に取り組むことが正しい修行だから、ぜひ仏法対話にも挑戦していこうね。
私も、はじめて友人に学会の素晴らしさを語った時、緊張したわ。でも、信心で得た功徳や体験を自分の言葉で語り切った時の感動は忘れられないわ。
リホ 私もユリコさんみたいに語ってみたいです。
ユリコ リホさんは、聖教新聞を通して地道に「御書」を学んでいるじゃない。この実践こそが、「学」よ。大聖人が遺された御書の拝読を根本に、仏法の正しい法理を学んでいるなんて本当に素晴らしいわ。
第2代会長・戸田城聖先生は、「信は理を求め、求めたる理は信を深からしむ」と語っていたのよ。御書を学べば、信が深まり、深まった信は、自然と行動へとつながるからね。
リホ 照れますね……。ただ、信心について何も分からないので、自分勝手に間違って捉えちゃうのが怖いと思ったんです。
ユリコ 大聖人は、「返す返す此の書をつねによませて御聴聞あるべし」(同1444ページ)等と、御書を繰り返し拝すよう呼び掛けられているわ。
さらに、「行学の二道に励んでいきなさい。行学が絶えてしまえば、仏法はない。自分も行い、人をも教え導いていきなさい。行学は信心から起こる。力があるなら一文一句であっても人に語っていきなさい」(同1361ページ、通解)と仰せになっているの。
リホ 「行学の二道」——心に刻みました! ユリコさんを見習って私も頑張ります!