2020年1月13日月曜日

2020.01.13 わが友に贈る

◇今週のことば
華陽のロマン総会を
明るく楽しく賑やかに!
「女子は門をひらく」
友情と幸の仏縁を結び
青春勝利の門を広々と!
2020年1月13日

西山殿御返事 P1474
『いかにも御信心をば雪漆のごとくに御もち有るべく候』

【通解】
心して法華経の御信心を白い雪、黒い漆の(何物にも染められない)ように堅固に持たれるがよい。

名字の言 ナポレオンの"アウステルリッツの太陽" 2020年1月13日
「梅が香に 初日さして 唱題す」。元旦の初勤行に際し、72歳の壮年の友が詠んだ。初日の出と共に新しい一年を出発したのだろう▼この句を見て思い浮かぶ言葉がある。アウステルリッツの太陽——ナポレオン率いるフランス軍がロシア・オーストリア連合軍に完全勝利した「アウステルリッツの戦い」の時に生まれた言葉である▼215年前の1805年の12月2日。この日はナポレオンの皇帝戴冠式1周年の記念日だった。太陽は朝霧を破って燦然と輝き、フランス軍の前進に呼応するかのように霧を消し去っていった。ナポレオンは兵士たちに呼び掛けた。「いざ諸君と共に太陽にゆこう!」。以来、朝の太陽の光はフランス軍の士気を高め、勝利のシンボルとなった▼信仰とは、わが生命に「希望の太陽」を昇らせる営みにほかならない。「日天東に出でぬれば万星の光は跡形もなし」(御書1393ページ)。太陽が昇れば一切の闇が消えるように、題目を唱えれば、現実の生活で自分の成すべきことが明確に見えてくる。「さあ、やろう!」という熱と力がみなぎってくる▼何があっても、胸中に「希望の太陽」を輝かせて進みたい。寒風の中、凜と咲く梅の花言葉は「忍耐」。厳しい冬にも、不屈の心で挑み続ける人に勝利の春は必ず来る。(川)

寸鉄 2020年1月13日
広布とは万人の幸福勝ち取る人権闘争—戸田先生一人一人が今いる所から
東京でSGI交流交歓会世界の友と"皆が前進"の劇を!創価家族は心一つ
幹部は会合に集えない友のもとへ。全員が使命の人。耳を傾け、真心の激励
成人の日、おめでとう!君たちの成長こそ社会の光。若竹の如く伸びゆけ
入浴中の急死、高齢者が9割。冬に増加の傾向と。寒暖差を意識し賢く予防

☆仏法の教え 新春随想 誓願の大潮流は世界へ 清水信次SGI副教学部長
◇広布躍進の原動力とは
「誓願」——それは、近年、世界広布がますます勢いを増して伸展する中、海外メンバーの間で広く理解され、定着してきた仏教用語の一つである。
昨年9月、私はアルゼンチン、メキシコで開催された中南米教学研修会の講義を担当させていただいた。そこで驚いたことは、多くの参加者が、日本語で「セイガン(誓願)」と口々に語っていたことだ。
アルゼンチンでは、未来部の教学研修会も初めて行われ、「上野殿御返事(竜門御書)」を研さんし合った。その際、未来部員から、「広宣流布の師弟の誓願を貫いていくために大切なことは何ですか?」との質問が寄せられた。その質問自体に感動した私は、未来部員を心から称賛しつつ、"「求道」「学び」「向上」の青春を""善知識である学会の同志と組織を大切に"と若き心に向けて全力で語り、励ました。 
今や、広布の誓願は、国や文化の違いを超えて、世界の青年部、未来部世代にまで継承される時代を迎えている。
地理的な広がりや国の数、会員数だけではなく、日蓮仏法の核心をなす法理や信念が、地球の隅々にまで、広く深く、伝播しているところに、世界宗教としての真価と実像があり、今日の世界広布の躍進の原動力があると実感した。

◇願って悪世に生まれる
一切衆生の救済の成就を願って立てる誓いが「誓願」である。とりわけ、法華経に登場する大乗菩薩の誓願には、際立った特徴がある。
それは、本来は善業を積んで善処に生まれるところを、苦悩する衆生を救うために、あえて願って悪世に生まれ、悪業の人と同じ苦しみを受けて、法を弘めるという点である。法華経法師品に説かれる「願兼於業」の法理である。
まさに今、現代世界はより一層、悪世・乱世の様相を呈している。分断と対立、人間不信が渦巻く社会情勢、政治や経済の混乱、打ち続く自然災害など、民衆の苦悩は絶えない。
しかし、その苦悩も、ひとたび地涌の菩薩の誓願に目覚めて捉え直せば、妙法の偉大な力用を証明する源泉へと転じることができる。自分が今いる場所も、最高に尊い使命の舞台へ、平和と幸福の楽土へと、必ず変えていくことができるのだ。
この「願兼於業」の法理を踏まえた価値創造の生き方を、池田先生は「宿命を使命に変える」と分かりやすく教えてくださっている。そして、苦難に立ち向かう友に対し、「『宿命』は、そのまま、その人固有の尊き『使命』となる。ならば、広布に生き抜く時、転換できぬ『宿命』など絶対にない」と、強く、温かな励ましの風を送ってくださっている。
こうした珠玉の指針は、日々、切実な国情や社会の現実と真正面から向き合い、格闘し、広布を推進する各国の友の心の奥深くに共鳴し、限りない希望と勇気、そして、揺るぎない信心の確信となって、地球上に広がっている。

◇御本仏の悠然たる境涯
日蓮大聖人は、「かかる時刻に日蓮仏勅を蒙りて此の土に生れけるこそ時の不祥なれ」(御書501ページ)——末法濁世に仏の命を受けて生まれたことは、まさに時の不運である、と仰せになった。しかし、それは嘆いて言われているのではない。迫害や困難を覚悟の上で、御自身の妙法流布の深い使命を宣言され、弟子に共戦の決意を促されているのである。
むしろ大聖人は、「うれしきかな末法流布に生れあへる我等」(同1439ページ)と、広宣流布すべき「時」に生まれ合わせたことを喜ばれている。
他にも、大聖人は、「日蓮悦んで云く本より存知の旨なり」(同910ページ)、「これほどの悦びをば・わらへかし」(同914ページ)、「流人なれども喜悦はかりなし」(同1360ページ)等、命に及ぶ幾多の大難に遭われながらも、法華経をわが身で読むことができる大歓喜を随所で述べられている。
強靭な広布の誓願を生命の基底部にどっしりと据えるならば、いかなる苦難にも断じて負けない。否、必ず一切に打ち勝っていくことができる——そうした大聖人の悠然たる大境涯に連なり、SGIの友もまた、「賢者はよろこび愚者は退く」(同1091ページ)との御聖訓の通り、幾多の試練を、堂々と、朗らかに乗り越えてきた。
御書に、「菊は草の後に仙草と見へて候、代のおさまれるには賢人見えず代の乱れたるにこそ聖人愚人は顕れ候へ」(1095ページ)——他の草が秋になって枯れても、菊は咲いているがゆえに「仙草」(妙なる草)と呼ばれる。同様に、世の中が乱れている時にこそ、聖人と愚人は明らかになる(趣意)——という御文がある。
学会創立の月である昨年11月、香港SGIの呉楚�理事長は、同SGI機関誌に、「創立の精神に立ち返り、広布の大願を燃え上がらせよう!」とのテーマで巻頭言を寄せ、この御文を引用していた。
そして、「御書に示された英知に学び、実践することにより、激動する時代にあって、『朗らかに自分らしく開花する』賢人となることができ、混沌とした暗闇の中でも惑うことなく、先の見えない未来にも怯むことがなくなるのです」と、満々たる信心の確信をつづっている。
「誓願」という仏法の深義を、難を乗り越える信心を貫く中で体得し、世界広布の道なき道を切り拓いてきたSGIの友の奮闘が、全て凝縮されているこの言葉に、感動を禁じ得ない。

◇根深い「人間不信」
かつて池田先生は、ヨーロッパの広布のリーダーと懇談の折、仏法上の「師弟」の意義に言及され、"人のため、社会のため、世界のために尽くしていく。その最も尊い人間の絆が師弟である"と語られた。同席していた私は、この崇高な創価の師弟の誓願に連なる深い喜びと感謝を、ヨーロッパの友と分かち合ったことを鮮明に覚えている。
以来、二十数年を経た今、あらためて自身の心に刻んでいるのは、「いかにも今度・信心をいたして法華経の行者にてとをり、日蓮が一門となりとをし給うべし」(御書1360ページ)との御聖訓である。
悪世末法にあって、生涯不退の信心で、広布の誓願を貫き通すことは、決して容易なことではない。そのことを端的に示すのが、「開目抄」や「兄弟抄」など、諸御抄に記されている「乞眼の婆羅門」という有名な説話である。
六十劫もの長遠な菩薩行を積んだ舎利弗であったが、婆羅門に乞われてささげた自分の眼が、唾を吐きかけられ、踏み潰されてしまう。
「眼をささげる」とは、換言すれば、他者への究極の誠実や真心、献身といえよう。しかし、それがいとも簡単に踏みにじられたことで、舎利弗は人間の可能性を、もはや信じられなくなった。"もう我慢の限界だ"と利他の仏道修行をやめて、無量劫の間、地獄に堕ちてしまうのである。
現代世界の混迷の谷底には、根深い「人間不信」が横たわっている。それこそが、人間を分断と破壊の衝動に駆り立てる「根源悪」であり、「元品の無明」である。人類は今、舎利弗のように"人間への絶望と諦め"の坂を転げ落ちるか、あるいは"人間への希望と信頼"の道を断固として前に進むか、その瀬戸際に立たされているのではないだろうか。
ゆえに、"万人に尊極の仏性あり"との不動の信念を胸に、「今に飜返ること無く」(同962ページ)、「いまだこりず候」(同1056ページ)と、忍耐と誠実の励ましの対話で、苦悩の人を蘇生させゆく創価の友の存在は、各国・地域で、ますますその重みを増し、光り輝いていくに違いない。

◇人類共通のルーツ
池田先生は、"地涌"の意義をより深く洞察し、「一切の差異を超え、生命の大地の奥深くに広がる大いなる創造的生命——人類共通のルーツに基づく使命といってもよい。それに気づくことを『地涌』というのです」と述べている。
平和と幸福は万人に共通する本源の願いである。広宣流布とは、その願いを自他共に成就しゆく主体者を、一人また一人と林立させ、善の連帯を築いていく戦いである。民衆の生命の大地に秘められた地涌の誓願という「心の財」(同1173ページ)を開きゆく、慈悲と勇気の精神の戦いなのである。
世界広布の誓願の炎を、わが胸中にいや増して燃え上がらせ、学会創立90周年となる「前進・人材の年」を大勝利していきたい。