2020年1月31日金曜日

2020.01.31 わが友に贈る

受験シーズン本番。
受験生とその家族にも
こまやかな心配りを!
悔いなく挑戦できるよう
皆で大応援しよう!

松野殿御返事 P1386
『とても此の身は徒に山野の土と成るべし惜みても何かせん惜むとも惜みとぐべからず人久しといえども百年には過ず其の間の事は但一睡の夢ぞかし』

【通解】
どんなことをしてみても、この身は、空しく、山野の土となってしまう。惜しんでも、どうしようもない。どんなに惜しんでも、惜しみ遂げることができない。人は、いくら長く生きたとしても、百年を過ぎることはない。その間のことは、ただ一睡の夢である。

名字の言 人間魚雷「回天」に乗った兄の手紙 2020年1月31日
戦地の兄が、当時5歳の弟・本井文昭さんに手紙を送った。<サビシガラナイデクダサイ>。勉学に励み、父母を大切に。そして末尾に記した。<イツデモニイサンハ、フミアキヲミテオリマスカラ>▼手紙を出した2日後、兄は人間魚雷「回天」に乗り、北太平洋で敵艦に向かった。享年19歳。本井さんは「優しい兄でした」と。手紙は山口県の回天記念館に寄贈された。同館の展示は戦争の惨禍に遭った家族の真実を伝えている▼戦後75年の今、広島・長崎・沖縄の青年部と未来部が被爆・戦争体験の聞き取りを行っている。最初は「戦争を知らない世代」の自分たちが、思いを受け止められるか不安もあった。だが一人一人の「記憶」に耳を傾け、「記録」する中で銘記した。"多くの犠牲があった。そして、生き抜いた人々のおかげで今の自分がある。平和を未来に「つなげる」ことが大切なんだ"▼過日の「SGIの日」記念提言で池田先生は、核兵器禁止条約の普遍性を高めるために、「『人間としての実感』に根差した思いを多くの人々の間で分かち合うことが、重要な意味を持ってくる」と指摘した▼私たちは地球という"家"で生活を営む"家族"。戦争には勝者も敗者もない。目の前の「一人」と語り、心を結んでいく。平和の未来は、そこから開ける。(子)

寸鉄 2020年1月31日
曖昧な的に放った矢が当たるわけがない—先師。祈りは明確に!誓い込め
男子部が拡大月間。折伏は最極の"仏の仕事"だ。後継よ自身の限界を破れ
打ち合わせは要点を定め価値的に。呼吸を合わせ幹部は最前線の友の元へ
2月は省エネ月間。一枚多く羽織る「ウォームビズ」等、無理なく賢く実践
福島の農産物輸出が過去最多。安全性や品質に信頼と。復興へ後押し更に

第45回SGI提言� 危機の回避だけでなく建設の挑戦を
利己主義や悲観主義を乗り越え大切なものを共に守る世界を
◇パリ協定の運用が今月からスタート
次に第二の柱として提起したいのは、危機感の共有だけでなく、建設的な行動を共に起こすことの重要性です。
そもそも地球温暖化に対する警鐘は1980年代から鳴らされてきたもので、気候変動枠組条約が採択されたのは、ブラジルのリオデジャネイロでの国連環境開発会議(地球サミット)が開催される直前の92年5月でした。
その後、先進国を対象にした温室効果ガスの排出量を削減する枠組みとして「京都議定書」が97年に採択され、新興国や途上国も含めた枠組みとして「パリ協定」が合意をみたのは2015年12月でした。
全地球的な枠組みが成立した背景には、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が積み上げてきた科学的検証を通じて、温暖化がもたらす影響への認識が広がってきたのに加えて、異常気象が各地で相次ぎ、"目に見える脅威"としての危機感が募ってきたことがあるといえましょう。
いよいよ今月から「パリ協定」の本格運用が始まりましたが、その前途には容易ならざる課題が立ちはだかっています。
IPCCの特別報告書によれば、温暖化が現在のペースで進むと、早ければ2030年に、世界の平均気温は「パリ協定」が抑えようとしている"1.5度の上昇幅"を突破する恐れがあり、各国の取り組みを即座に加速させねばならない状況があるからです。
事態を打開するためには、危機感の共有に加えて、多くの人々の積極的な行動を鼓舞するような、連帯の結集軸となるものを掲げる必要があるのではないでしょうか。
脅威を強調するだけでは、被害が直接及ばない限り、関心の輪が広がりにくい傾向がみられます。また、脅威を深刻に受け止めた場合でも、その規模の大きさを前にして"自分が何かをしたところで状況は変わらない"との無力感に陥る可能性があるからです。

◇ボールディング博士の問題提起
この点、課題の分野は異なりますが、平和学者のエリース・ボールディング博士が、私との対談の中で印象深いエピソードを紹介してくださったことを思い出します。
——博士が1960年代に軍縮に関する会議に出席した時、「もし完全な軍縮を達成することができたら、どのような世界になるのでしょうか」と質問したことがあった。 
そこで返ってきた答えは、次のような思いもよらないものだった。
「私たちにはわからない。私たちの仕事は、軍縮が可能であることを説くことにあると思う」——と。
このような経験を踏まえて博士は、「平和な社会がどのような社会であるか」を具体的に思い描くことなくして、平和を求める運動を力強く結集するのは難しいのではないかと問題提起していたのです。(『「平和の文化」の輝く世紀へ!』、『池田大作全集』第114巻所収)
非常に重要な観点であり、私どもSGIもICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)と共同制作し、2012年から世界90都市以上で行ってきた「核兵器なき世界への連帯」展を通し、「平和な社会」のビジョンを幅広く喚起することに力を入れてきました。
ともすれば核兵器の問題は人類の破滅のイメージと結びつくために、できれば直視したくないものとして受け止められがちです。
一方、この展示では、訪れた人々に"あなたにとって大切なものとは?"との問いを投げかけることから始まります。
その問いかけを通し、自分にとって大切なものだけでなく、他の人々にとって大切なものを守るには、どのような世界を築いていけばよいのかという「建設」への思いを共に育むことに主眼を置いてきたのです。
長らく不可能と言われてきた核兵器禁止条約が2017年に採択をみたのも、非人道性に対する懸念の高まりと相まって、核兵器の禁止を通して築かれる世界のビジョンの輪郭が浮かび上がる中で、連帯の裾野が大きく広がるようになったからだと私は考えます。
禁止条約で強調されているのは、核兵器のもたらす危険が「すべての人類の安全」に関わるとの警鐘だけではありません。
前文でその輪郭が示されているように、禁止条約の精神の基底には、核兵器の禁止を前に進めることは、そのまま、人権とジェンダー平等が守られる世界を築き、すべての人々と将来世代の健康を保護する世界への道を開き、地球環境を大切にする世界にもつながっていくとのビジョンが描かれています。
同様に、気候変動の問題に立ち向かう上でも、平均気温の上昇を抑えるという数値目標の追求だけでなく、問題解決を通して実現したい世界のビジョンを分かち合いながら、その建設に向かって意欲的な行動を共に起こすことが肝要ではないでしょうか。
こうした建設の挑戦の中に、自分たちが被害を受けなければ問題ないと考える"利己主義"でも、課題の困難さに圧倒されて行動をあきらめてしまう"悲観主義"でもない、第三の道があると訴えたいのです。
私どもSGIが、国連環境開発会議(地球サミット)が行われた1992年に開設したブラジルの「創価研究所——アマゾン環境研究センター」で、熱帯雨林の再生や生態系を保全する活動を続ける一方で、国連の「持続可能な開発のための教育の10年」を支援する一環として開催してきた展示に、「変革の種子」や「希望の種子」とのタイトルを付けてきたのは、ゆえなきことではありません。
誰もが今いる場所で、持続可能な地球社会の"建設者"となることができるのであり、一つ一つの行動が世界に尊厳の花を咲かせる「変革の種子」となり、「希望の種子」になるとの思いが込められています。

法華経が説く国土変革のドラマ
自分の足元から希望を灯す
◇娑婆即寂光の法理
脅威に対して建設的に向き合うこのアプローチは、仏法の思想に根差したものです。
釈尊の教えの精髄が説かれた法華経には、「娑婆即寂光」という法理があります。
「娑婆」とはサンスクリット語の"サハー(堪忍)"を漢語にしたもので、「娑婆世界」という言葉には、私たちが生きる世界は"さまざまな苦しみに満ちた世界"であるという釈尊の洞察が込められていました。
釈尊がこの洞察を土台にしつつも、「私は二十九歳で善を求めて出家した」(中村元『釈尊の生涯』平凡社)と宣言したように、それは厭世的な認識ではなく、根底には"人々が苦悩に沈むことなく幸福に生きるにはどうすれば良いのか"との真摯な問いが脈打っていました。
釈尊の評伝を思想的な観点からまとめあげた哲学者のカール・ヤスパースが、「仏陀が教えるのは認識体系ではなく、救済の道である」(『佛陀と龍樹』峰島旭雄訳、理想社)と述べたのは、その本質を突いたものといえましょう。
そこを外して、苦しみに満ちた世界という認識だけが先行すると、世界との向き合い方は誤った方向に傾きかねない。「自分だけが苦しみから解放されれば良い」といった考えや、「社会の厳しい現実として諦めるほかない」との無力感に陥ったり、「誰かが解決してくれるのを待つしかない」といった受け身的な生き方に流される恐れがあるからです。
釈尊の本意は、娑婆世界は"堪え忍ぶしかない場所"ではなく、"人々が願ってやまない世界(寂光土)を実現する場所"であると説き明かすことにありました。
この法理が具体的なイメージをもって描かれているのが、法華経の見宝塔品です。そこでは、釈尊の説法を聞くために集まった大勢の人々がいた場所、すなわち娑婆世界の大地から、尊極の光を放つ巨大な宝塔が涌出したことをきっかけに、娑婆世界が寂光土へと変わっていく様子を人々が目の当たりにする場面が描かれています。
13世紀の日本で仏法を展開した日蓮大聖人は、この「娑婆即寂光」の法理の要諦について、「此を去って彼に行くには非ざるなり」(御書781ページ)と説きました。
つまり、人々が願い求める理想の「寂光土」は、どこか別の場所にあるのでも、手の届かない遠い場所にあるのでもない。
自分たちが今いる場所をそのまま「寂光土」として輝かせていく行動を広げることに、法華経のメッセージの核心がある——と。
大聖人の時代の日本でも、戦乱に加えて、地震や台風などの災害や疫病が相次ぎ、多くの民衆が苦悩に沈んでいました。
さらに当時の社会では、自分の殻に閉じこもることで現実から目を背けさせる思想や、人間は非力な存在にすぎないとの諦観を説く思想が蔓延しており、それがまた人々から生きる気力を奪う悪循環を生んでいました。
その中にあって大聖人は、法華経で説かれる国土変革のドラマの起点となった宝塔の出現について、「見大宝塔とは我等が一身なり」(同740ページ)と述べ、苦しみに満ちた世界を照らした宝塔と同じ尊極の光が、自分にも他の人々にも具わっていることに目覚めることが、人間の限りない力を引き出す源泉になると説きました。
そして、一人一人が自らの生命を宝塔のように輝かせ、社会を希望で照らす行動を広げる中で、自分たちが望む世界を自らの手で建設することの重要性を訴えたのです。

◇ケニアから世界に広がった植樹運動
以前(2005年2月)、ケニアの環境運動家のワンガリ・マータイ博士と、自分の足元から新しい世界の建設に向けた希望を灯す挑戦について語り合ったことがあります。
たった7本の苗木の植樹から始まった「グリーンベルト運動」の思い出を振り返りながら、博士はこう述べていました。
「未来は未来にあるのではない。今、この時からしか、未来は生まれないのです。将来、何かを成し遂げたいなら、今、やらなければならないのです」と。
マータイ博士が春風のような笑顔をひときわ輝かせたのは、創価大学の学生たちが「グリーンベルト運動」の愛唱歌を博士の故郷のキクユ語で歌って歓迎した時でした。
「ここは私たちの大地
私たちの役割は
ここに木を植えること」
歌声に合わせて全身でリズムをとり、一緒に口ずさむ博士の姿を前にして、植樹運動がケニアからアフリカの国々に広がる原動力となった"建設の挑戦を進める喜び"がここにあると、感じられてなりませんでした。
思い返せば、博士と対談したのは、温室効果ガス削減の最初の枠組みとなった「京都議定書」の発効から2日後のことでした。
「京都議定書」の発効のような、歴史の年表に刻まれる出来事に比べると、マータイ博士がケニアで最初に始めた行動は目立たないものだったかもしれない。
しかし、博士が自分の足元で灯した希望の光は、歳月を経るごとに共感の輪を広げて、国連環境計画のキャンペーンなどの多くの植樹運動につながり、博士の逝去後も続けられる中で、現在まで150億本にものぼる植樹が世界で進められてきました。
また、昨年の国連の気候行動サミットでも、パキスタンやグアテマラなど多くの国が、合計で110億本以上の植樹を今後進めることを誓約したのです。
今も忘れ得ぬマータイ博士の言葉があります。
「私たちは、自らの小さな行いが、物事を良い方向に変えていることを知っています。もしこの行いを何百万倍にも拡大することができたなら、私たちは世界を良くすることができるのです」
"建設の挑戦を進める喜び"がどれだけの力を生み出すのかを、実感をもって訴えかける言葉ではないでしょうか。
SGIの「希望の種子」展では、このマータイ博士をはじめ、大気汚染の防止に取り組んだ未来学者のヘイゼル・ヘンダーソン博士など、自分の足元から行動の輪を広げた人々の挑戦を紹介してきました。
マータイ博士が行動を始めたきっかけは、故郷のシンボルとして大切に感じていたイチジクの木が経済開発のあおりで伐採されたのを知ったことでした。
また、ヘンダーソン博士が立ち上がった理由は、ニューヨークで深刻化していた大気汚染のために、幼い娘さんの肌がすすで汚れるようになったことでした。
いずれも、その原点には心に受けた強い痛みがあった。だからこそ博士たちは、「世界で欠けていてはならない大切なもの」が何かを、身に染みて感じたのだと思います。
二人は、その痛みを痛みのままで終わらせなかった。マータイ博士が"木々を植えることは貧困と飢えのサイクルを断ち切り、平和を育む"との思いを胸に植樹運動を広げ、ヘンダーソン博士が"きれいな空気を子どもたちのために取り戻したい"と願い、仲間と力を合わせて行動を起こしたように、自分たちが望む世界を現実にするための「建設」のエネルギーへと昇華させていったのです。
こうした数々の挑戦の物語を紹介する「希望の種子」展で最後に現れるのは、たくさんの葉をつけた1本の木のイラストを背景に"空白"が広がっているパネルです。
その"空白"は、一人一人が今いる場所で挑戦できることは何かを考え、その行動を「希望の種子」として世界に植えることを呼び掛けるメッセージとなっているのです。

◇国連創設75周年を記念する取り組み
折しも国連では、創設75周年を記念して、「UN75イニシアチブ」と題する取り組みが今月からスタートしました。これは、人類が直面する多くの課題を見据えながら、「どのようにすれば、より良い世界を建設できるのか」について対話と行動を喚起するための取り組みです。
さまざまな形で対話の場を設け、特に国際社会から置き去りにされがちだった人々に重点を置く形で、世界中の人々が抱いている希望や恐怖に耳を傾けるとともに、その経験から学ぶことが主眼となっています。
こうした対話を通じて、国連創設100周年にあたる2045年に向けたグローバルなビジョンを描き出し、実現に向けた協働的な行動を推進することが目指されているのです。
国連では、対話の中心課題の一つとして気候変動を挙げています。
この絶好の機会を逃すことなく、それぞれの人々が深刻な脅威や課題を前にして感じている思いを、より良い世界の建設に向けてのポジティブな挑戦を生み出す糧にすることが大切ではないでしょうか。
気候変動による被害を受けてきた人々をはじめ、多くの人々の思いを、一つ一つのピースとして持ち寄ることを通し、今後築いていきたい世界のビジョンについて、人間としての実感に根差したイメージを共に重ね合わせていく——。
その対話を通じた共同作業と、ビジョンに対する共感の広がりがあってこそ、温暖化防止の取り組みを勢いづかせながら、持続可能な地球社会への確かな軌道を敷くことができると確信するのです。

第45回SGI提言� SDGsの推進へ「行動の10年」を
2030年に向けてSDGsに取り組む
「行動の10年」を青年が推進
◇新しい国連の姿を示したサミット
第三の柱は、SDGsの達成期限である2030年に向けて国連が立ち上げた「行動の10年」の一環として、気候変動問題に焦点を当てた"青年行動の10年"ともいうべき運動を巻き起こしていくことです。
国連で昨年9月、ユース気候サミットが行われました。各国首脳による気候行動サミットに先駆けて開催されたものですが、新しい国連の姿を見る思いがしてなりませんでした。
そこには次の特徴があったからです。
�140カ国・地域以上から集った青年たちが、各国を代表する立場というよりも、同世代の一員として参加していたこと。
�さまざまな討議における議事進行の多くを、国連の関係者ではなく、青年たちが担ったこと。
�登壇者が順番にスピーチをすることが中心となっている国連の一般的な会議とは異なり、活発な議論が重視されたこと。
そして何といっても象徴的だったのは、国連のグテーレス事務総長が「キーノート・リスナー」を務めたことでした。
オープニング行事に出席した事務総長は、青年たちの声を真正面から受け止めながら、議論を支える役割を務めたのです。
かつて私は2006年に発表した国連提言で、「毎年の国連総会の開会前に、世界の青年の代表を招いた『プレ・ミーティング』を行い、青年たちの意見に各国の首脳が耳を傾ける機会を設けることを検討してみてはどうか」と提案したことがあります。
ユース気候サミットは、その先見的なモデルとなるものと思えてなりません。
加えて、世界的な動きとして注目されるのが「グローバル気候ストライキ」です。サミットが開催された時にも、温暖化防止の緊急行動を求める行進が185カ国で実施され、760万人以上が参加しました。
運動の発端となったのは、スウェーデンの高校生であるグレタ・トゥーンベリさんが、気候変動の対策強化を訴えて2年前の夏に始めたストライキでした。
その後、瞬く間に若い世代の間で共感を呼び起こす中で、あらゆる世代の人々が参加するようになったのです。
パリ協定の達成を目指すNGOの「ミッション2020」で議長を務め、サミットの開催に尽力したクリスティアナ・フィゲレス氏(気候変動枠組条約の前事務局長)は、青年たちが怒りを示しているのは明確な理由があるとして、こう述べていました。
「ストライキに参加している人々、特に青年たちは科学を理解し、気候変動が自分たちの人生に及ぼす影響を理解するとともに、気候変動の問題に対処することは可能であることを知っているからだ」と。
つまり、青年たちが変革を不可能と考えていないからこそ温暖化防止の遅れに怒りを示しているのであり、今後、この「怒り」と「楽観主義」が結びつく中で、より大きな力が生まれることに対して期待を寄せたのです。
創価学会の総本部を昨年2月に訪問されたフィゲレス氏は、「聖教新聞」への寄稿でも、困難視されていたパリ協定を合意に導いた自らの経験を振り返りながら、「楽観主義なしに勝利をもたらす道はない」と強調していました。
私も、青年たちの現実変革への思いが、不屈の楽観主義と相まった時の可能性は計り知れないものがあると思えてなりません。
青年の行動は、多くの人々や団体の行動を加速させる波動を広げています。
一つは、世界の大学の動きです。
大学で生じる温室効果ガスの排出量を実質ゼロにすることや、気候変動に関する研究に力を入れ、学内や地域で持続可能性に関する教育を強化することを約束する宣言に対し、賛同する大学が増えています。環境問題に取り組む多くの高等教育機関のネットワークがこれに加わり、所属する大学などは累計で1万6000以上に達しています。
もう一つは、各国の自治体の動きで、温室効果ガスの削減に意欲的に取り組む「世界気候エネルギー首長誓約」の輪が138カ国の1万以上の自治体に広がっています。
ユース気候サミットで登壇したアルゼンチンの学生のブルーノ・ロドリゲスさんは、「気候変動の問題で変化を起こす若者たちは、新たな集団意識を築きつつある」と述べましたが、まさに若い世代の息吹がプラスの連鎖を起こす源泉となってきているのです。

◇ペッチェイ博士の人生における転機
新しい時代への胎動を前にして脳裏に浮かぶのは、ローマクラブの創設者であるアウレリオ・ペッチェイ博士が述べていた、「公正で民主的な道理を働かせれば、若者たちの声を聞くのが筋なのである」(『未来のための一〇〇ページ』大来佐武郎監訳、読売新聞社)との言葉です。
ローマクラブは、「持続可能性」の概念を形づくる契機となった地球の有限性への警鐘を、半世紀ほど前に鳴らしたことで知られますが、その中心者だったペッチェイ博士が特に重視していたのが、「若い世代の想像力と行動組織にもっと活動の場を与えること」(同)でした。
博士とは1975年の出会い以来、5回にわたって対談しましたが、その必要性を強く訴えておられたことが忘れられません。
若者たちの声を聴くのは、オプションでもベターでもない。本当に世界のことを考えるならば、当然踏まえなければならない"道理"であり、外せない"筋"である——というのが、博士の信念だったのです。
企業の経営者だった博士が、「報われるところが大きく、刺激に富むもの」と感じていた仕事から離れ、ローマクラブを立ち上げる決意をしたのは、自らが手がけてきた仕事に対し、年々、次のような思いが去来するようになったからだったといいます。(『人類の使命』大来佐武郎監訳、ダイヤモンド社。以下、同書を引用・参照)
「これらの個々の事業や計画にすべての努力を集中するのは、結果的に無意味な行動となるおそれがあるということを、私はしだいに悟るようになった。それらの個々の活動が進められるより広い母体——つまり世界の地球的状況——は、一貫して悪化の道をたどっていたからである」
ローマクラブはこの博士の危機感に基づいて68年に創設されましたが、最初の2年近くは成果をほとんど得られませんでした。
地球が直面する課題について懸命に訴えても、「あたかも他の惑星についての問題であるかのように思われるばかりであった」と。
活動の意義を称賛する人がいても、「それは自らの利害領域や日常活動の妨げとならない限りにおいてであった」というのです。
ローマクラブの名を世に知らしめた『成長の限界』(※注2)が発刊されたのは、活動開始から4年が経過した72年でした。
反響は大きく、地球の有限性への認識は広がったものの、内容が悲観的すぎるとの批判はやむことはありませんでした。
しかし、博士は決して意気消沈することはありませんでした。
「重要なことは、正しい方向に向かって速やかに真剣な第一歩を踏み出すことである」との揺るぎない確信があったからであり、人間が持つ限りない可能性への信頼をどこまでも手放さなかったからです。
ペッチェイ博士と初めてお会いしたのは、SGIの発足からまもない頃(75年5月)でした。
『成長の限界』が発刊された翌年(73年5月)にロンドンへ向かい、歴史家のアーノルド・J・トインビー博士との2年越し40時間に及ぶ対話を終えた時、"こうした対話を私の友人たちとも続けてほしい"と推薦をいただいた人物の一人がペッチェイ博士だったのです。

人間の内なる力の開花こそ
時代創造の波を広げる源泉
◇国籍は"世界"
再びヨーロッパを訪問する際にお会いできる機会があればと考え、連絡をとり合う中、ペッチェイ博士は、私どもがグアムで第1回「世界平和会議」を開催することを知り、メッセージを寄せてくださいました。
1975年1月26日、SGI発足の舞台となった「世界平和会議」で、私は参加者の署名簿の国籍欄に"世界"と記しました。
世界を「共同生活」を意識的に行う場と位置付け、各国の国民としてだけでなく「世界民」の自覚を併せ持つ重要性を訴えていた牧口初代会長、そして、世界のどの国の民衆も絶対に犠牲になってはならないとの思いで「地球民族主義」を提唱した戸田第2代会長の精神を、"世界"の二文字に凝縮させる形でSGIの原点として留めたいと考えたからです。
その4カ月後にペッチェイ博士とお会いした時、博士が手に携えていたのが、私が執筆した小説『人間革命』の英語版でした。
牧口・戸田両会長の二人の先師に始まる創価学会の歴史を綴った小説であり、博士がその際、私どもが進めてきた「人間革命」の運動——一人一人に具わる内なる力の開花を通して時代変革を目指す運動に対し、深い共感を寄せてくださったことは、何よりの後押しを得る思いがしてなりませんでした。
私との対談集の中でも、博士は述べていました。
「一人一人の人間には、これまで眠ったままに放置されてきた、しかし、この悪化しつつある人類の状態を是正するために発揮し、活用することのできる資質や能力が、本然的に備わっている」(『二十一世紀への警鐘』、『池田大作全集』第4巻所収)と。
時を経て今、世界の多くの青年たちが連帯して声を上げ、気候変動の問題に勇んで立ち向かおうとしている姿は、まさに博士が希望を託していた力が大きく開花し始めた姿ではないかと思えてなりません。
『成長の限界』の発刊当時に焦点となっていた公害や資源問題のように、局所的な対応で解決の糸口をつかむことができるものとは異なり、気候変動の原因は人々の生活や経済活動のあらゆる面に及んでいるだけに、状況の打開は決して容易ではありません。
現在、ローマクラブで共同会長を務めるサンドリン・ディクソン=デクレーブ氏が、昨年10月に欧州議会で紹介した「地球非常事態プラン」における緊急課題だけでも、低炭素エネルギーへの転換や再生可能エネルギーへの投資増大をはじめ、循環型経済への移行に関するものなど10項目が挙げられていました。
しかし、気候変動を巡る複雑で困難な状況も、受け止め方次第で、チャンスへと変えることができるのではないでしょうか。
対応すべき分野や場所が多岐にわたるという状況は、一方で、一人一人に具わる限りない力を発揮できる舞台が、それだけ多種多様な形で広がっていることでもあるからです。
SGIの代表も参加したユース気候サミットでは、その舞台の広がりを物語るような分科会が行われました。自然保護をはじめ、起業、金融、テクノロジー、芸術、スポーツ、ファッション、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)、動画配信などの分野において、新しい発想で問題解決を前に進めようとするアプローチが多角的に模索されたのです。

◇青年に焦点当てた安保理の新決議を
その意味で私は、ユース気候サミットの直後に、国連で採択された「SDGサミット」の政治宣言の内容に注目しています。 
2030年までの期間を「持続可能な開発に向けた行動と遂行の10年」と位置付けた上で、取り組みを進めるにあたって永続的にパートナーシップを築くべき対象の一つとして「青年」を挙げていたからです。
この政治宣言を受けて、グテーレス事務総長は国連として「行動の10年」を立ち上げ、グローバルな行動と地域レベルでの行動に加えて、青年たちを含む民衆レベルでの行動を広げることを呼び掛けました。
そこで私は、国連の「行動の10年」における民衆レベルでの取り組みの一つとして、青年を中心に気候変動問題の解決策を共に生み出す挑戦を力強く進めることを提唱したい。
気候変動問題に対して先頭に立って行動するグレタ・トゥーンベリさんも、先月、スペインのマドリードで行われた気候変動枠組条約の第25回締約国会議(COP25)で、2030年までの10年間の意義に触れ、こう訴えていました。
「歴史上の偉大な変革は、すべて民衆から始まりました。待つ必要はありません。今この瞬間から変革を起こせるのです」と。
具体的には、今後もユース気候サミットを毎年開催する中で新しい国連の姿を定着させることに加えて、国連と市民社会が連携して"気候変動問題に立ち向かう青年行動の10年"ともいうべき活動を幅広く展開してはどうでしょうか。
また、その方向性を決定づける礎として、平和と安全保障における青年の役割を強調した国連安全保障理事会の2250決議(※注3)に続く形で、気候変動の問題に関わる意思決定への青年の参画を主流化させるための安保理決議を採択することを提案したい。
9月には、国連創設75周年を記念するハイレベル会合の開催も予定されています。そこに世界の青年たちを重要なパートナーとして招くとともに、"青年行動の10年"の開始と安保理決議の採択をもって、国連の新章節を飾るべきではないでしょうか。
私どもも、青年部が2014年から進めてきた「SOKAグローバルアクション」を発展させる形で、本年から新たに「SOKAグローバルアクション2030」を始動しました。
その一環として、一人一人が日常生活の中で温室効果ガスの削減につながる行動を起こす「マイ・チャレンジ10」の活動をはじめ、草の根レベルで行動の連帯を広げる活動を進めることになっています。
気候変動の問題の解決をはじめ、SDGsの目標を達成する道は、決して平坦なものではないでしょう。
しかし、青年たちの連帯がある限り、乗り越えられない壁など決してないと、私は固く信じてやまないのです。

2020年1月30日木曜日

2020.01.30 わが友に贈る

一対一の語らいこそ
広布伸展の原動力だ。
地道な訪問・激励で
友の話をじっくり聞く
抜苦与楽の実践を!

守護国家論 P71
『夫れ三悪の生を受くること大地微塵より多く人間の生を受くるは爪上の土より少し、乃至四十余年の諸経に値うことは大地微塵よりも多く法華涅槃に値うことは爪上の土より少し』

【通解】
そもそも三悪道の身に生まれることは大地の微小な塵よりも多く、人間の身として生まれることは爪の上の土よりも少ない。更に四十余年の爾前の諸経にあうことは大地の微小な塵よりも多く、法華経・涅槃経にあうことは爪の上の土よりも少ないのである。

名字の言 やっぱり苦労はしたもん勝ち——沖永良部島の広布の母の言葉 2020年1月30日
「この人の語らいは、まさに芸術」と評判の婦人が、鹿児島県の沖永良部島で活躍している。入会61年目。125世帯に弘教を実らせた"対話の名手"である▼実は生来の口べた。だから、とことん相手の話を聞いた。いつしか"心の声"まで感じられるようになったという。交通事故で顔に傷を負った時は「この傷は笑顔じわよ」と明るさに磨きをかけた。夫を病気で失ったが、「悩んでいる人に一層、同苦できるようになれた」と励ましの対話を続けた▼旧習の壁にぶつかるなど、言葉にできないつらさも、ずいぶん味わった。そのたびに負けずに頑張り抜いたゆえか、人柄に芯の強さ、朗らかさがにじむ。人生は平たんな道を歩むより、苦難の山坂に挑んだ方が、どれほど豊かなものになるか。深く考えさせられた▼山本周五郎の小説『虚空遍歴』にこうある。「芸というものは……あらゆる障害、圧迫、非難、嘲笑をあびせられて、それらを突き抜け、押しやぶり、たたかいながら育つものだ」。人生万般に通じるだろう▼先の婦人に若い世代への助言を求めると、「やっぱり苦労はしたもん勝ち。だって人を励ます"心の引き出し"が増えるでしょ」と。こうした宝の先輩が広布の庭にはたくさんいる。ありがたくもあり、誇らしくも思う。(誠)

寸鉄 2020年1月30日
会長の著作には困難乗り越える幸福の方程式が—元大臣。人生凱歌の源泉
御書「此の経を信ずる者は宿縁多幸なり」。偉大な妙法に出合った喜び胸に
一人立つ時にのみ、人は勝利を手にする—哲人。自分から拡大の波起こせ
夫婦で力を合わせ歩む姿が子の生き方の手本に—教育者。これ信心継承も
未婚ひとり親支援進めた公明を高く評価—教授。生活者目線の政策さらに

☆きょう1月26日は「SGIの日」 池田先生が記念提言を発表
きょう26日の第45回「SGI(創価学会インタナショナル)の日」に寄せて、SGI会長である池田大作先生は「人類共生の時代へ 建設の鼓動」と題する記念提言を発表した。
提言ではまず、気候変動の影響で異常気象による被害が各地で相次いでいる事態について言及。困難な状況に陥った人々を誰も置き去りにしないための視座として、仏法の人間観や牧口常三郎初代会長の思想に触れながら、21世紀の国連に強く求められる役割は「弱者の側に立つ」ことにあると強調している。
その上で、危機感の共有だけでなく、建設的な行動を共に起こす重要性を指摘し、国連のSDGs(持続可能な開発目標)の達成期限である2030年に向けて、"気候変動問題に立ち向かう青年行動の10年"の意義を込めた活動を各地で幅広く展開することを呼び掛けている。
続いて、広島と長崎への原爆投下から75年にあたる本年中に核兵器禁止条約を発効させることを強く訴えるとともに、禁止条約の第1回締約国会合の開催を受ける形で、「核なき世界を選択する民衆フォーラム」を行うことを提案。 
加えて、核拡散防止条約(NPT)の再検討会議で、「多国間の核軍縮交渉の開始」と「AI(人工知能)などの新技術と核兵器の問題を巡る協議」に関する合意を最終文書に盛り込むことを呼び掛けている。
また、「気候変動と防災」をテーマにした国連の「防災グローバル・プラットフォーム会合」を2022年に日本で行い、異常気象に伴う課題を集中的に討議することを提唱。
最後に、紛争や災害の影響で教育の機会を失った子どもたちへの支援を強化するために「教育のための国際連帯税」の創設を提案している。

第45回SGI提言� 世界各地で相次ぐ異常気象の被害
◇気候変動の問題に立ち向かうグローバルな連帯の拡大を
創価学会の創立90周年とSGI(創価学会インタナショナル)の発足45周年を記念し、誰もが尊厳をもって安心して生きられる「持続可能な地球社会」を築くための提言を行いたいと思います。
最初に述べておきたいのは、年頭以来、緊張が続くアメリカとイランの対立を巡る情勢についてです。
両国の間で現在続けられている自制を今後も最大限に維持しながら、国際法の遵守と外交努力を通じて事態の悪化を何としても防ぐことを強く求めたい。そして、国連や他の国々による仲介も得ながら、緊張緩和への道を開いていくことを切に望むものです。
世界では今、異常気象による深刻な被害が相次いでいます。
昨年もヨーロッパやインドが記録的な熱波に見舞われたほか、各地で猛烈な台風や集中豪雨による水害が発生し、オーストラリアで起きた大規模な森林火災の被害は今も続いています。
このまま温暖化が進むとさらに被害が拡大するとの懸念が高まる中、昨年9月に国連で気候行動サミットが行われました。
国連加盟国の3分の1にあたる65カ国が、温室効果ガスの排出量を2050年までに実質ゼロにするとの方針を表明しましたが、そうした挑戦を全地球的な規模に広げることが急務となっています。
気候変動は、単なる環境問題にとどまるものではありません。
地球上に生きるすべての人々と将来の世代への脅威という意味で、核兵器の問題と同様に"人類の命運を握る根本課題"にほかならないものです。
そして何より、国連のアントニオ・グテーレス事務総長が強調するように、「私たちの時代を決定づける問題」(国連広報センターのウェブサイト)としての重みを持つものといえましょう。
実際、気候変動の影響は貧困や飢餓の根絶をはじめとする国連のSDGs(持続可能な開発目標)の取り組みを土台から崩しかねないものとなっています。
そこで焦点となるのは、負の連鎖に歯止めをかけることだけではありません。
気候変動の問題は、誰もが無縁ではないものであるがゆえに、問題の解決を図るための挑戦が、これまでにないグローバルな行動の連帯を生み出す触媒となる可能性があり、その成否に「私たちの時代を決定づける問題」の要諦があると訴えたいのです。
気候行動サミットと相前後して、若い世代を中心に時代変革を求める動きが広がったのに加えて、各国の自治体をはじめ、大学や企業が意欲的な取り組みを加速させようとしています。
国際社会を挙げて平均気温の上昇幅を1・5度以内に抑えることを目指す「パリ協定」(※注1)の本格運用も、今月から始まりました。
その推進を軸に気候変動の問題に立ち向かう連帯を広げる中で、SDGsのすべての分野を前進させるプラスの連鎖を巻き起こすことに、創設75周年を迎える国連の重要な使命もあるのではないでしょうか。
そこで今回は、グローバルな行動の連帯を強固に築くために必要となる視座について、三つの角度から論じたいと思います。

第45回SGI提言� 困難を抱える人々を置き去りにしない
多くの人命と尊厳を脅かす
温暖化と異常気象の被害
◇海面上昇の影響で水没の危機に直面
第一の柱は、困難な状況に陥った人々を誰も置き去りにしないことです。
近年、災害の被害が拡大する中、大半は異常気象によるものとなっています。
日本でも昨年、台風15号や台風19号によって各地が猛烈な暴風雨に見舞われ、大規模な浸水被害や停電と断水による日常生活の寸断が起きましたが、気候変動の影響は先進国か途上国かを問わず広範囲に及んでいます。
その中で世界的な傾向として懸念されるのは、国連が留意を促しているように、その影響が、貧困に苦しむ人々や社会的に弱い立場にある人々をはじめ、女性や子どもと高齢者に強く出ていることです。
そうした人々にとって、異常気象の被害を避けることは難しく、生活の立て直しも容易ではないだけに、十分な支援を続けることが求められます。
また、気候変動が招く悲劇として深刻なのは、住み慣れた場所からの移動を余儀なくされる人々が増加していることです。
中でも憂慮されるのが、太平洋の島嶼国の人々が直面する危機です。
海面上昇による土地の水没が原因であるために、一時的な避難では終わらず、帰郷できなくなる可能性が高くなるからです。
私が創立した戸田記念国際平和研究所では、この太平洋の島嶼国における気候変動の影響に焦点を当てた研究プロジェクトを、2年前から進めてきました。
そこで特に浮き彫りになったのは、島嶼国で暮らす人々にとって「土地とのつながり」には特別な意味があり、その土地の喪失は自分自身の根源的なアイデンティティーを失うことに等しいという点でした。
他の島などに移住して"物理的な安全"が確保できたとしても、自分の島で暮らすことで得てきた"存在論的な安心感"は失われたままとなってしまう。ゆえに、気候変動の問題を考える際には、こうした抜きがたい痛みが生じていることを十分に踏まえなければならない——というのが、研究プロジェクトの重要なメッセージだったのです。
「土地とのつながり」を失う悲しみは、これまでも地震や津波のように避けることが難しい巨大災害によって、しばしば引き起こされてきたものでした。
それは、家族や知人を突然亡くした辛さとともに耐えがたいものであり、私も東日本大震災の翌年(2012年)に発表した提言で、その深い悲しみを社会で受け止めることが欠かせないと強調した点でもありました。
「樫の木を植えて、すぐその葉かげに憩おうとしてもそれは無理だ」(『人間の土地』堀口大學訳、『世界文学全集』77所収、講談社)との作家のサン=テグジュペリの含蓄のある言葉に寄せながら、自分の生きてきた証しが刻まれた場所や、日々の生活の息づかいが染みこんだ家を失うことの心痛は計り知れないものがある、と。
ともすれば気候変動に伴う被害を巡って、数字のデータで表されるような経済的損失の大きさに目が向けられがちですが、その陰で埋もれてきた"多くの人々が抱える痛み"への眼差しを、問題解決に向けた連帯の基軸に据えることが大切ではないでしょうか。
マクロ的な数値の陰で一人一人が直面している窮状が埋もれてしまう構造は、近年、エスカレートする貿易摩擦の問題においても当てはまるのではないかと思います。
自国の経済の回復を図るために、関税の引き上げや輸入制限などを行う政策は、「近隣窮乏化政策」と呼ばれます。しかし、グローバル化で相互依存が深まる世界において、その応酬が続くことは、「自国窮乏化」ともいうべき状態へと、知らず知らずに陥ってしまう危険性もあるのではないでしょうか。
実際、貿易摩擦の影響で多くの中小企業が業績悪化に陥ったり、雇用調整の圧力が強まって仕事を失う人々も出てきています。
貿易収支のような経済指標の改善は重要な課題だとしても、自国の人々を含め、多くの国で弱い立場にある人々に困難をもたらす状況が続くことは、世界中に不安を広げる結果を招くと思えてなりません。
昨年の国連総会でグテーレス事務総長も、深刻な脅威に直面する場所を訪れた時に出会った人々——南太平洋で海面上昇のために暮らしが押し流されることを心配する家族や、学校と家に戻ることを夢見る中東の若い難民、アフリカで生活の再建に苦労するエボラ出血熱の生存者などの姿を挙げながら、次のような警告を発していました。
「極めて多くの人々が、踏みつけられ、道をふさがれ、取り残されるのではないかという恐怖を感じています」(国連広報センターのウェブサイト)と。
私も同じ懸念を抱いており、グローバルな課題といっても、一人一人の生命と生活と尊厳が脅かされている状況にこそ、真っ先に目を向ける必要があると訴えたいのです。

◇牧口初代会長が警鐘を鳴らした他者を顧みない競争の弊害
『人生地理学』で提起された問題
気候変動も貿易摩擦も、経済と社会のあり方に深く関わる問題といえますが、この古くて新しい問題について考える時に思い起こされるのは、私ども創価学会の牧口常三郎初代会長が20世紀初頭に著した『人生地理学』で提起していた視点です。
牧口会長は、武力による戦争が「臨時的」に引き起こされるものであるのに対し、経済的競争は「平常的」に行われる特性があると指摘した上で、こう論じていました。
「彼(=武力による戦争)が遽然として惨劇の演ぜらるるが故に意識的に経過するに反して、此(=経済的競争)は徐々として緩慢に行わるるが故に無意識的に経過するにあり」(『牧口常三郎全集』第2巻、第三文明社。注<=>を補い、現代表記に改めた。以下同じ)
牧口会長が強調したかったのは、戦争の残酷さは明白な形で現れるために多くの人々に意識され、交渉や仲裁によって被害の拡大を食い止める余地が残されているが、経済的競争はそうではないという点です。
つまり、経済的競争は自然的な淘汰に半ば一任されるような形で無意識的に休むことなく続けられるために、社会における日常的な様相と化してしまう。そのために、人々を苦しめる状況や非人道的な事態が生じても往々にして見過ごされることになる、と。
当時、世界では帝国主義や植民地主義の嵐が吹き荒れ、他国の犠牲の上に自国の繁栄を追い求める風潮が広がっていました。
こうした風潮が当たり前のようになってしまえば、"ある程度の犠牲が生じてもやむを得ない"とか"一部で被害が出ても自分たちには関係がない"といった受け止めが社会に沈殿することになりかねない。
その結果、弱肉強食的な競争が歯止めなく進む恐れがあり、牧口会長は「終局の惨劇においては却って遙かに烈甚なるにあり」(同)と警鐘を鳴らしましたが、その危険性は、当時とは比べものにならないほどグローバル化が進んだ21世紀の世界において、格段に増しているのではないでしょうか。
もとより牧口会長は、社会の営みにおける競争の価値そのものは否定しておらず、切磋琢磨があってこそ新しい活力や創造性は豊かに育まれると考えていました。あくまで問題視したのは、世界を生存競争の場としか見ずに、自分たちだけで生きているかのような感覚で振る舞い続け、その結果に無頓着でいることだったのです。

◇「共同生活」を意識的に行う
牧口会長の思想の基盤には、世界は「共同生活」の舞台にほかならないとの認識がありました。
その世界観の核となった実感を、牧口会長は『人生地理学』の緒論で、自らの経験を通して、こう述べています。
——子どもが生まれて母乳が得られなかった時、粗悪な脱脂粉乳に悩まされたが、医師の薦めでスイス産の乳製品にたどりつくことができ、ことなきを得た。スイスのジュラ山麓で働く牧童に感謝する思いだった。また、乳児が着ている綿着を見ると、インドで綿花栽培のために炎天下で働く人の姿が思い浮かぶ。
平凡な一人の乳児も、その命は生まれた時から世界につながっていたのだ——と。(趣意。同全集第1巻)
出会ったこともない世界の人々への尽きせぬ感謝の思いが示すように、牧口会長は「共同生活」という言葉を世界のあるべき姿としてではなく、見落とされがちな世界の現実(実相)として位置付けていました。
世界は本来、多くの人々の営みが重なり合い、影響を与え合う中で成り立っているにもかかわらず、その実相が見失われる形で競争が続けられることになれば、深刻な脅威や社会で生じた歪みの中で苦しんでいる人々の存在が目に映らなくなってしまう。
だからこそ、「共同生活」を意識的に行うことが重要となるのであり、「自己と共に他の生活をも保護し、増進せしめんとする」(同全集第2巻)生き方を社会の基調にする必要があるというのが、牧口会長の主張の眼目だったのです。
経済発展と温暖化防止についても両立の余地がないわけではないと思います。
2014年からの3年間は世界経済の成長率が3%を超えていたものの、温室効果ガスである二酸化炭素の排出量は、ほぼ横ばいの状態が続きました。
その後、残念ながら排出量は再び増加に転じましたが、再生可能エネルギーの導入やエネルギー効率の改善のような「自己と共に他の生活をも保護し、増進せしめんとする」方法を意欲的に選び取る中で、経済と社会の新しいあり方を追求していくべきではないでしょうか。
私は、この「共同生活」を意識的に行う上での土台となるのは、深刻な脅威にさらされているのは自分たちと変わらない人々であるとの認識を持つことだと考えます。
この点、経済的競争と深く関わる貧困の問題について、マクロ的な視座からではなく、人々の置かれた状況を踏まえて実証的な研究を進めてきた経済学者に、マサチューセッツ工科大学のアビジット・バナジー教授とエスター・デュフロ教授がいます。
両教授は、ハーバード大学のマイケル・クレマー教授と共に昨年のノーベル経済学賞を受賞しており、『貧乏人の経済学』(山形浩生訳、みすず書房)と題する著作の中で、次のような点を強調していました。
世界の最貧困層と呼ばれる人々も、「ほとんどあらゆる点でわたしたちみんなと何も変わらない」のであり、他の人々と比べて合理性の面で劣るわけではない、と。
一方で豊かな国の人々は、安全な水や医療のような「眼に見えないあと押し」に囲まれて生活しているのに、「ただそれがシステムにしっかり埋めこまれているため、気がついていないだけ」であると指摘しました。
また、貧しい人々の状況について「そうでない人よりもリスクの多い暮らしを送るにとどまりません。同じ規模の不運でも、受ける被害はずっと大きいのです」と述べ、人々を紋切り型で判断せず、置かれた状況に目を向ける必要があると訴えていたのです。

苦悩に沈む人を一人のままにしない釈尊が貫いた「同苦」の精神
◇不幸の淵から共に立ち上がる
人々と向き合うにあたって、階層や集団などの社会的なカテゴリーにとらわれず、今どのような状態にあるのかを最優先して見つめる眼差しは、私どもが信奉する仏法においても強調されていたものでした。
釈尊の言葉に、「身を禀けた生きものの間ではそれぞれ区別があるが、人間のあいだではこの区別は存在しない。人間のあいだで区別表示が説かれるのは、ただ名称によるのみ」(『ブッダのことば』中村元訳、岩波書店)とあります。
その趣旨は、人間には本来、区別はないのに、社会でつくられた分類に応じて名前が付けられてきたのにすぎないことを、浮き彫りにする点にありました。
実際、釈尊は重い病気を患った人に対して、自ら看病したり、励ましの言葉をかけていましたが、そこには相手の社会的立場の区別はなかった。
その対象は、通りがかった場所で目にした修行僧から、かつて釈尊の命を狙ったことのある阿闍世王までさまざまでした。
しかし、そこには共通点がありました。修行僧が仲間たちから見放されて一人で病床に臥せっていたのと同じように、阿闍世王も深刻な難病にかかって誰も近づかないような状態に陥っていたからです。
釈尊は修行僧に対し、汚れていた体を洗い、新しい衣類を用意して着替えさせました。
また阿闍世王に対して、釈尊は自身が余命いくばくもないことを感じていたにもかかわらず、あえて阿闍世王と会う時間をつくり、法を説くことで病状の回復を後押ししたのです。
私はこうした釈尊の振る舞いに、"苦しんでいる人を決して一人のままにしない""困難を一人で抱えたままの状態にしない"という、仏法の「同苦」の精神の源流を見る思いがしてなりません。
仏法の視座から見れば、「弱者」という存在も初めからあるのではなく、社会でつくられ、固定化されてしまうものにすぎない。
たとえ、「弱者」と呼ばれる状態に陥ったとしても、困難を分かち合う人々の輪が広がれば、状況を好転させる道を開くことができる。同じ貧困や病気に直面しても、周囲の支えがあることで生の実感は大きく変わるというのが、仏法の思想の核をなしています。
牧口会長の言う「共同生活」を意識的に行う生き方も、困難を抱えた人々を置き去りにしないことが基盤になると思うのです。

◇国連の使命は「弱者の側に立つ」中に
2008年に世界を激震させた金融危機が起きた時、国連で事務次長などを歴任したアンワルル・チョウドリ氏との対談で焦点となったのも、経済的に厳しい状況にある国々や、社会的に弱い立場にある人々への支援を最優先にすることの重要性でした。
その際、チョウドリ氏は、気候変動をはじめ、金融の極端な逼迫や商品価格の急激な変動といった外的ショックを緩和するためのグローバルなセーフティーネット(安全網)を設ける必要性を訴えていました。
私もまったく同感であり、21世紀の国連に強く求められる役割は「弱者の側に立つ」ことにあるとの点で意見が一致したのです。
チョウドリ氏は、国連で2001年に新設された「後発開発途上国ならびに内陸開発途上国、小島嶼開発途上国のための高等代表事務所」で初代の高等代表に就任し、国際社会から置き去りにされがちだった国の人々のために行動してきた経験を持つ方でした。
その氏が、「一番嬉しかったのは、最も弱い立場にある国々の状況が大きく改善したことを知るときでした」(『新しき地球社会の創造へ』潮出版社)と述懐されていたことに、私は深い感銘と共感を覚えました。
なぜなら、創価学会も草創期に"貧乏人と病人の集まり"と揶揄されてきた歴史があり、社会から見捨てられてきた名もなき人々が互いに励まし合い、不幸の淵から共に立ち上がってきたという出自を、何よりの誉れとしてきたからです。
どれだけ冷笑されても、「私は、やるべきことをやっていきます。それは、貧乏人と病人、悩み苦しんでいる人々を救うことです。そのために、声を大にして叫ぶのです」(『戸田城聖全集』第4巻)と信念の行動を貫いたのが、牧口初代会長と共に創価学会の民衆運動を立ち上げた戸田城聖第2代会長でした。

◇ハマーショルドが第九に託した思い
その戸田会長が熱願としていたのが、地球上から"悲惨"の二字をなくすことでした。それは、第2次世界大戦で多くの国の民衆が戦火に見舞われ、塗炭の苦しみを味わった悲劇を繰り返してはならないとの思いに発したものでした。
それだけに、二度に及んだ世界大戦の痛切な反省に基づいて創設された国連に限りない期待を寄せ、"世界の希望の砦"として守り育てていかねばならないと訴えていたのです。
私が60年前に第3代会長に就任した時、世界平和への行動を本格的に開始するにあたって、最初の一歩としてアメリカに向かい、国連本部に足を運んだのも、師の思いを受け継いでのことにほかなりません。
以来、私どもは国連に対する支援を社会的な活動の大きな柱に据えて、志を同じくする人々や多くのNGO(非政府組織)との連帯を強めながら、地球的な課題の解決を前進させるための行動を続けてきました。
国連の歴史を繙くと、私が1960年にニューヨークを訪れた直後の国連デー(10月24日)に、当時のダグ・ハマーショルド事務総長の提案で、ベートーベンの交響曲第九番の全楽章の演奏が国連本部で行われたことが記されています。
それまで国連で"第九"が演奏される時は最後の第四楽章のみの演奏が恒例となっていましたが、国連デーの15周年を記念して、全楽章を通しての演奏が行われたのです。
席上、ハマーショルド事務総長は次のようにスピーチしました。
「交響曲第九番が始まると、我々は激しい対立と陰鬱な脅威に満ちたドラマに入っていく。しかしベートーベンは我々をその先へと誘い、第四楽章の冒頭で我々は、最終盤における統合に向けた橋渡しとして、さまざまな主題が繰り返されるのを再び耳にする」と。
その上で、楽曲の展開を人類の歴史になぞらえつつ、「最初の三つの楽章の後に、いつの日か、第四楽章が続いて現れることになるとの信念を、我々は決して失うことはないだろう」との希望を述べたのです。
ハマーショルド事務総長のこの信条は、牧口会長が『人生地理学』で示していた時代展望と響き合うものでもありました。
20世紀の初頭に牧口会長が危惧を呈していた、多くの人々の犠牲の上に自らの安全と繁栄を追い求めるような「軍事的競争」や「政治的競争」や「経済的競争」は、残念ながら今なお世界から消え去ってはいません。しかし"第九"の第四楽章での合唱が「おお友よ、こんな調べではなく!」と始まるように、従来の競争のあり方を転換させるアプローチを生み出すことが必ずできるはずです。
牧口会長はその骨格を、「他のためにし、他を益しつつ自己も益する」(前掲『牧口常三郎全集』第2巻)との理念に基づく人道的競争として提起していましたが、気候変動の問題に立ち向かうグローバルな行動の連帯を広げることで、人類史の新たな地平を開くパラダイムシフト(基本軸の転換)を推し進めるべきであると、私は強く呼び掛けたいのです。
そして、その挑戦の主旋律となるのが、「困難な状況に陥った人々を誰も置き去りにしない」との思いではないでしょうか。
その主旋律をあらゆる場所で力強く響かせていく中でこそ、気候変動という未曽有の危機も、時代の潮流を転換させるチャンスに変えることができるに違いないと信じるのです。

2020年1月29日水曜日

2020.01.29 わが友に贈る

仏法は桜梅桃李。
人と比べず 堂々と
自分らしく生きよう!
使命を果たしゆく人生に
真の充実と幸福がある。

法華証明抄 P1587
『鬼神めらめ此の人をなやますは剣をさかさまにのむか又大火をいだくか、三世十方の仏の大怨敵となるか、あなかしこあなかしこ、此の人のやまいを忽になをしてかへりてまほりとなりて鬼道の大苦をぬくべきか』

【通解】
鬼神の奴らめ! この人(時光)を悩ますのは、剣を逆さまに飲んで、自ら喉を突こうとすることだ。また、大火を抱いて大やけどをするようなものだ。さらに、三世十方の仏の大怨敵となることだ。この人の病気をたちまちに治して、かえって守護の善神となって、餓鬼道の大きな苦しみから逃れるべきではないか。

名字の言 33歳5カ月で初優勝した徳勝龍の挑戦 2020年1月29日
大相撲の歴史に新たな一ページが刻まれた。初場所で幕尻の徳勝龍が優勝を飾った。33歳5カ月での初優勝は、年6場所となった1958年以降で日本出身力士の最年長記録である▼千秋楽の結びの一番。大関・貴景勝と左四つに組んで寄り切った。その戦い方を覚え始めたきっかけは、北の湖親方の言葉だという。学生時代から突き押し相撲だった徳勝龍に、親方は"おまえは左四つだ"と、左四つへの変更を促した▼師匠を信じ、自分を信じて左四つを磨いた。大関との優勝が懸かった大一番は、その努力が見事に結実した瞬間だった。インタビューで「まだ33歳と思って頑張ります」と、さらなる前進を誓った言葉は感動を広げた▼土俵上で、立ち合いの「変化」を多用しては力が付かないといわれる。だが日々の鍛錬の場では、今の自分に安住せず、「変化」しようと挑戦する勇気が成長を生む。人生も同じだ。池田先生は「すべてにおいて、きょう新たな一歩をふみ出せば、きのうの自分からは、すでに大きく前進しています。だれかとくらべる必要もありません」と▼いよいよ「伝統の2月」。広布の突破口を開く拡大は、まず自身の「心の壁」を打ち破ることから。勇気を奮い起こし、自分史に新たな一ページを刻む「二月闘争」を。(嶺)

寸鉄 2020年1月29日
グアムが「1・26」祝す決議書。妙法の"平和の種"は師弟の手で世界に開花
「各各師子王の心を取り出して」御書。不屈の勇気が万人の命に!祈りが鍵
人を育てる事が未来へとつながる勝利の道—恩師後輩を自分以上の人材に
本紙配達の「無冠の友」に感謝。信心の血流届ける尊き献身。絶対無事故で
五輪「無料入場券」の提供を騙る詐欺などネットで次々。旨い話の嘘見破れ

☆勇気の旗高く 池田先生が島根の友に贈る指針 全ては「心の変革」から 2020年1月20日
◇光り輝く天地
<中国地方の西側、日本海に面する島根県。池田先生が初めてこの地を訪れたのは、1961年(昭和36年)4月23日、松江支部の結成大会に出席するためである。大会後、先生は初代支部長に「声佛事」と揮毫して贈った。
その後も同県をたびたび訪問。ひときわ深く同志の心に刻まれているのは、84年(同59年)5月の来県である。先生は、鳥取での諸行事を終えて帰京する予定だった。しかし、あえて日程を変更し、島根へ。3日間にわたった訪問の初日、旧・島根文化会館で開かれた県各部代表者会議でのスピーチは、後に"山光提言"と呼ばれ、友の希望の指針となっている>

本来、仏法は、最も苦難の地域、最も苦労している人に光を当て、その人々のために貢献していくことが第一義の問題であると思う。
山陰地方というが、私は、昔からこの言葉には大変抵抗があった。
かつて山陰地方を訪れ「山陰」という言葉を聞いたとき、「それよりも『山光』地方と呼んだほうがよい」と言ったこともあるし、そのように考えたものだ。
山陰地方は、東京より、初夏の日没は約三十分遅い。また冬は寒く、雪も降るが、山の頂上からふもとまで雪で終日銀色に輝いている。さらに山の幸、海の幸も、都会より新鮮に味わうことができる。こうした意味からも、光り輝く地、つまり「山光」と申し上げたいのである。

◇一日一日が主戦場
<後に池田先生は随筆で、この84年の訪問を振り返り、次のように述べた>

十一年ぶりの島根は、希望の前進の渦であった。苦闘を突き抜けた歓喜の笑みの波であった。
滞在三日間。連日、島根文化会館では、代表者会議や広布二十五周年の記念幹部会などが有意義に開催された。
「山陰」に代えて、「山光」という愛称を、声高く提唱したのは、この時である。
私は、「日蓮仏法は冥益が根本である」等と、強く語った。
地味で単調と思える、日々の生活、一日一日の活動こそが、人間革命と広宣流布の主戦場だ。
そこで、地道に信心を貫き、朝晩の勤行、座談会、折伏、対話と、仏道修行をたゆみなく繰り返す。
そのなかでのみ、わが生命の功徳の年輪は重なり、嵐に揺るがぬ、仏の境涯と等しき大樹の汝自身となる。
組織も個人も、慢心になってしまえば、もはや伸びない。慢心は毒薬である。
大切なことは、何があっても、広宣流布を目標に戦い抜くことだ! それは、崇高な仏意と仏勅のままに戦う創価学会とともに、生き抜くことだ!

<池田先生は91年(平成3年)9月9日、安来会館を初訪問。恩師・戸田先生との思い出を交え、喜びを語った>

生まれて初めての訪問である。皆さまとお会いできて、本当にうれしい。
ここへ来る途中、落日に映える雲が素晴らしかった。感動した。雲わき、雲流れる「出雲の国」。その名の通り、天を彩る雲の連なりが、悠久の輝きを放っていた。まさに"世界一"の雲だった。

島根、鳥取——この山陰地方を"山光"と呼んではどうかと提案したのは七年前である。
今回の訪問は、天も地も希望の光に満ちあふれた、素晴らしい一日一日であった。朝も昼も輝いている。夕暮れも美しい。気温もさわやかである。きょうは大山も"こんにちは!"と言わんばかりに、秀麗な姿を現していた。
皆さまの真心と、信心のけなげさを、そのまま映しだしたような美しさであった。ここへの車中、歌を詠んだ。

山光と
 たれがつけたか
  この光彩
 日日の輝き
  山陰消えたり

数々の苦労を乗り越え、広宣流布の行動に徹しておられる"山光"の皆さまに、最大の尊敬と感謝を込めて贈らせていただく。

安来といえば、戸田先生も、年末になると、よく皆の前で「安来節」を踊っておられた。私も、一緒にやれと言われて、やったものである。
気さくで人間味あふれる、独特の節まわし。そのあたたかい響きとともに、うれしそうに踊られていた恩師の姿が、忘れられない。
戸田先生は「安来に、いっぺん行ってみたいな」ともおっしゃっていた。その思いが、きょうかなったようで、感激でいっぱいである。

◇幸福の道を開く
<先生は"山光提言"の中で、「人生の精髄」について言及し、仏法にこそ、生きがいに満ちた人生と、人間の真の幸福を開く力があると強調した>

人生には、それぞれの人によって、さまざまな道がある。芸術の道、学問の道、さらに剣の道、書の道、華道等々である。それらを通し、それなりに人生の精髄を追究しようとしているに違いない。しかし、それらの"道"では、それぞれの分野での奥義を極めていけるかもしれないが、汝自身の人生の精髄を極めることはできない。いわんや現在では、その道の奥義を極めようとするよりも、経済の打算に走ってしまう場合が多い。
これに対して仏道は、だれ人もまず根本的に仏界を開き、自身の人生の精髄を会得できる法理なのである。その信心のうえから、現実の社会的立場へ、仕事へ、家庭へ、生活へと開花させ、価値ある人間としての生きがいの花を思いきり咲かせていけるのである。

人生の精髄は、自分の与えられた立場、境遇で、どれだけ人生の意義をかみしめ、自身の使命を感じ取るかにある。
他の場所に幸せを求めようとする心には、いずこにいっても幸せはない。それぞれの職場、家庭、生活を大切にし、その中から幸福の道を開いていけるのが、妙法であり、信心の力用なのである。その力を持った人こそ、いかなる名声の高き人よりも、財産を蓄積した人よりも、人間的に幸福な人なのである。その強い喜びを感じ取っていけるのが、信心である。

<「山光」の友の前進・勝利を祈り、期待を寄せてきた池田先生。島根の友への随筆に、こうつづっている>

「山陰」から「山光」へ——。
名前が変わっただけと思う人もいるかもしれない。
しかし、決して、そうではない。皆の意識が変わり、自信がわき、元気になることこそ、根本の目的である。
この「意識の変革」「心の変革」から、人生も、家庭も、地域も、変わっていく。
また、「名は必ず体にいたる徳あり」(御書1274ページ)である。
住む人の心によって、必ずや、その名にふさわしい、平和と幸福の郷土へと発展していくに違いない。
島根の友は、希望の歌を響かせて立ち上がった。遠くまで聞こゆる、大きな笛を吹きながら、讃美を惜しまぬ同志が集まる、その姿は頼もしい。

勝利の行進をしてきた、わが島根の同志、万歳!
わが鳥取の同志、万歳!
不幸という痛みを残さぬ、唯一最高の信仰者の勝利の集まりの「山光」、万歳!

さあ、また、宿命打破のために戦え!
広宣流布のために、莞爾と進め!
一家の和楽と、同志のスクラムで、大きな門を開きながら、陽光を燦々と浴びながら、素晴らしき前進を——と、私は祈り続けていきたい。

2020年1月28日火曜日

2020.01.28 わが友に贈る

寒い冬の朝を駆ける
尊き無冠の友に感謝!
悪天候時は安全第一で。
皆様の絶対無事故を
真剣に祈っています。

佐渡御書 P961
『日蓮御房は師匠にておはせども余にこはし我等はやはらかに法華経を弘むべしと云んは螢火が日月をわらひ蟻塚が華山を下し井江が河海をあなづり烏鵲が鸞鳳をわらふなるべしわらふなるべし』

【通解】
「日蓮さんは私たちの師匠ではあられるが、あまりにも強引だ。私たちは(師匠と違って)柔らかに法華経を弘めましょう」と言うのは、ホタルの光が太陽と月を笑い、アリ塚が華山を見くだし、井戸や小川が大河や大海を軽蔑し、小鳥のカササギが偉大な鸞鳥と鳳凰を笑うようなものである、笑うようなものである。

名字の言 教室に来られない友人へ——ある女子中等部員の投稿 2020年1月28日
ある女子中等部員の投稿が、南日本新聞(鹿児島県)の読者欄に掲載された。そこには、教室に来られない友人への思いがつづられていた▼友人が登校しなくなってしばらくしたある日、彼女は手紙を書いた。"迷惑かな、嫌かな"とためらいつつも、思い切って届けた。すると数日後に返信が。そして"文通"が始まった▼友人は登校したくてもできない理由を教えてくれた。そして1年生最後の集合写真を撮る日、友人は学校に来た。翌日届いた手紙には「頑張ったよ。教室に行けて良かった」と。この言葉が忘れられないという彼女は投稿をこう締めくくった。「皆『行きたい』と思っている。たとえ教室に姿はなくとも、心はある」。目に見える「現実」だけが全てではない。その奥にある心に思いをはせれば、互いの気持ちはどんなに豊かになるだろう▼御書の一節を思い出す。佐渡の国府入道が身延の日蓮大聖人に供養の品を届けた時のこと。大聖人は入道の妻・国府尼にお手紙を送られ、高齢の夫を遠路、送り出した夫人の信心をたたえた。「姿は見ることはできないが、心はここにおられると思われる」(1325ページ、趣意)と▼会合に来られない友、なかなか会えない友——その状況は千差万別。「一人」の心に思いをはせ、励ましを送り続けたい。(誼)

寸鉄 2020年1月28日
一番苦しむ人を救うのが真に力ある宗教—恩師。今日も大確信で友の元へ
使命とは責任感の異名—大統領。青年よ次の十年の扉開け。師の提言胸に
老後表す英語に"黄金の年月"と。信心貫く多宝会は地域照らす太陽の如く
新型肺炎に警戒広がる。デマも横行。不安煽らず手洗い等で冷静に予防を
2050年、大都市6割で夏の五輪開催困難と。温暖化対策は人類的挑戦

☆心に御書を 第17回 勇気の「行動」こそ仏法の魂
〈御文〉
『法華経は紙付に音をあげて・よめども彼の経文のごとくふれまう事かたく候か』(転重軽受法門、1001ページ)

〈通解〉
法華経は、紙に書いてある通りに声をあげて読んだとしても、その経文に説かれる通りに振る舞うことは難しいであろう。

〈池田先生が贈る指針〉
仏法の魂は「行動」だ。法華経の通り、御書に仰せのまま、あらゆる苦難を越え、世界広布を成し遂げてきた闘争が、創価の誉れである。
百万言の理想より一歩の前進が尊い。目の前の一人を励ますことだ。勇気を奮い起こし、人間の中へ飛び込むことだ。
御本仏は、最も偉大な実践の学会家族を全てご照覧であられる。

☆「教学部教授登用講座(第3回)」「教学部教授講座」〉 御義口伝
◇信心根本に価値創造の前進を
「教学部教授登用講座(第3回)」と「教学部教授講座」が、合同の中継行事として2月1日(土)、2日(日)に、全国各地の会館・会場で開催されます(日時・会場の詳細は各県・区ごとに決定)。ここでは、中継行事の中で学ぶ御書の御文と通解、池田先生の指導を掲載しました(学習の便宜を図るため、講座の中で取り上げる順に合わせて、冒頭に番号を振ってあります)。中継行事参加者は、御書と教材(本紙面)を持参してください。また、「教学部教授登用講座」の受講者は、受講カードもお持ちください。

◇「御義口伝」について
「御義口伝」は、日蓮大聖人が身延で法華経の要文を講義された内容を、日興上人が筆録し、大聖人の許可を得て、完成したものと伝えられています。
構成は上下2巻からなり、初めに「南無妙法蓮華経」について論じられた後、巻上では法華経序品第1から従地涌出品第15まで、巻下では如来寿量品第16から普賢菩薩勧発品第28までと開結二経(無量義経、普賢経)の要文講義が収められています。 
各項目では、経文の一節を挙げ、関連する天台大師、妙楽大師等の釈を引用するなどした上で、「御義口伝に云く」と、末法の御本仏・日蓮大聖人のお立場からの法華経解釈が展開されています。
大聖人のお立場から見れば、法華経は、末法における大聖人の妙法弘通を予言した経典であり、28品の一字一句がことごとく南無妙法蓮華経の説明となります。
したがって、「御義口伝」において示されているのは、法華経の語義に縛られた解釈ではなく、御本仏の御境涯の上から、法華経の文を文底下種法門の説明として自在に用いられ、活用されていく「活釈」といえます。

◇生命力と智慧を涌現
御文1
『南無妙法蓮華経
御義口伝に云く南無とは梵語なり此には帰命と云う、人法之れ有り人とは釈尊に帰命し奉るなり法とは法華経に帰命し奉るなり又帰と云うは迹門不変真如の理に帰するなり命とは本門随縁真如の智に命くなり帰命とは南無妙法蓮華経是なり、釈に云く随縁不変・一念寂照と』(御書708ページ1行目〜4行目、編年体御書1554ページ1行目〜4行目)

通解1
(「南無妙法蓮華経」について)御義口伝に次のように仰せである。
「南無」とは梵語(古代インドの言語。サンスクリットのこと)である。漢語では「帰命」という。(帰命には)「人」への帰命と、「法」への帰命がある。「人」への帰命とは釈尊に帰命し奉ることである。「法」への帰命とは法華経に帰命し奉ることである。
また、(帰命の)「帰」とは、迹門不変真如の理に帰することである。(帰命の)「命」とは、本門随縁真如の智に命くことである。帰命とは南無妙法蓮華経そのものである。ある釈には「随縁不変・一念寂照」とある。

★池田先生の指導から1
「大聖人は、『帰』というのは、迹門不変真如の理に帰することであり、『命』とは本門随縁真如の智に命くことなのであるとお述べになっています。
この不変真如の理とは、永遠不変である真実の法理ということです。
南無妙法蓮華経は宇宙の本源の絶対の真理です。題目を唱えることによって、この宇宙の本源の法則に合致することができる。これが不変真如の理に帰することになります。
また、随縁真如の智とは、縁に随って刻一刻と変化していく事象に対応した真実の仏の智慧であり、信心によって涌現した最高の生命である、仏界の働きをいいます。
不変真如の理は、偉大なる妙法という真理であります。
その妙法の法則、力が、実際に、わが生命に、生活のうえに顕現されていってこそ、幸福という価値を生ずるといえる。つまり、妙法によって、無限の生命力を、仏の智慧を涌現させ、苦難、苦悩を打開し、人間革命、生活革命をしていく、価値創造の姿が、随縁真如の智に命いたことになるわけです」(『新・人間革命』第6巻「若鷲」の章)

◇生死不二の本源的な生命観
御文2
『第四如来如実知見三界之相無有生死の事
御義口伝に云く如来とは三界の衆生なり此の衆生を寿量品の眼開けてみれば十界本有と実の如く知見せり、三界之相とは生老病死なり本有の生死とみれば無有生死なり生死無ければ退出も無し唯生死無きに非ざるなり、生死を見て厭離するを迷と云い始覚と云うなりさて本有の生死と知見するを悟と云い本覚と云うなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る時本有の生死本有の退出と開覚するなり(中略)然らば無作の三身の当体の蓮華の仏とは日蓮が弟子檀那等なり南無妙法蓮華経の宝号を持ち奉る故なり云云』(御書753ページ15行目〜754ページ8行目、編年体御書1599ページ15行目〜1600ページ8行目)

通解2
(寿量品の「如来は如実に三界の相を知見するに、生死の若しは退、若しは出有ること無く、亦在世及び滅度の者無く」の経文について)御義口伝には、次のように仰せである。
(経文に説かれている)「如来」とは、久遠実成の釈尊だけではなく、さらには三界の衆生である。
寿量品の眼を開けて、この三界の衆生を見れば、そのまま十界本有の当体である、とありのままに知見できるのである。
(また、経文にある、如来が知見している)「三界之相」とは、生老病死である。それを本有の生死と見れば、「無有生死(生死が有るということは無い)」なのである。(「無有生死、若退若出」と経文にあるが)生死が無ければ退出も無いのである。ただ生死が無いということではない。
生死を見て、厭い離れようとすることを迷いといい、始覚というのである。そのままで本有の生死と知見することを悟りといい、本覚というのである。
今、日蓮及びその門下が南無妙法蓮華経と唱え奉る時、本有の生死、本有の退出と開覚するのである。(中略)
ゆえに無作の三身の当体の蓮華の仏とは日蓮の弟子檀那等である。南無妙法蓮華経の宝号を持ち奉る故である。

★池田先生の指導から2
仏とは、教主釈尊だけでなく、三界という現実社会に生きる衆生のことである。それは、寿量品に説かれる久遠の仏の眼から見た時、一切衆生にも十界の生命が本来、具わっていると知見できるからであると示されています。
ここで「本有」とありますが、これは「本来的に有ること」「もともと存在していること」です。すなわち一切衆生には、本来的に十界の生命が、つまり仏界の生命が具わっているということです。衆生は皆、一念三千の妙法の当体なのです。(2019年12月号「大白蓮華」掲載の「世界を照らす太陽の仏法」)

★池田先生の指導から3
「本有の生死」とは、永遠の生命に本然的に具わっている生死のことです。この三世永遠の生命観に立脚した時に、死を忌み嫌い、恐れる必要などないのです。
それと同時に、この仏法の英知は"死を忘れた"といわれる現代文明に、生死不二という本源的な生命観を力強く提示するものです。
私たちにとってみれば、「本有の生死」とは、妙法とともに生き、妙法とともに死すことにほかなりません。それが「本有常住の振舞」なのです。
どう生きて、どう死を迎えるか。毅然と悠々と振る舞う揺るぎない境地を、万人が会得するための日蓮仏法です。「本有の生死」だからこそ、今世で仏界を固め切るために、最後の最後まで戦い抜くのです。(2019年12月号「大白蓮華」掲載の「世界を照らす太陽の仏法」)

2020年1月27日月曜日

2020.01.27 わが友に贈る

◇今週のことば
さあ 伝統の2月。
「我も唱へ他をも勧ん」
自行化他が仏法の魂だ。
歓喜と希望と確信を語り
楽しく地涌の拡大を!
2020年1月27日

乙御前御消息 P1220
『法華経は女人の御ためには暗きにともしび海に船おそろしき所にはまほりとなるべきよしちかはせ給へり』

【通解】
法華経は、女性のためには、暗い所では灯火となり、海を渡る時に船となり、恐ろしい所では守りとなることを誓っています。

名字の言 悩める友の「伴走者」でありたい 2020年1月27日
各地でにぎやかに開催されるマラソン大会。視覚障がい者が伴走者と一緒に走る姿を、よく見掛けるようになった▼輪にしたロープを、視覚障がいの選手と共に持つ伴走者。選手を後ろから押してはいけないし、前から引っ張ってもいけない。選手以上の走力を備えた上で、常に横で手の振りや歩幅を合わせ、適切に声を掛けていく。日頃からの意思疎通も重要だ▼脳性まひと闘う千葉の女子部員がいる。肢体不自由のため、本のページをめくるのは一苦労だし、ペンを握るのも難しい。そんな彼女が昨年、青年部教学試験2級への挑戦を決意した。"どうしたら学べるか"を家族と考えた末、目と耳と口を駆使して、仏法哲理を心に焼き付けることにした▼地域の女子部の友も、工夫を重ねた。彼女の代わりに勉強会に参加しては、教材に線を引いて要点を書き込み、彼女の家に通った。また代読・代筆による受験を想定し、口頭で正確に答えられるよう、御文を一緒に暗唱。問題形式で何度も練習し、本番に備えた。そして合格。「やり切りました!」と語る彼女と同じくらい、共に歩んだ同志の笑顔が輝いていた▼池田先生は"「共に」という心と行動の中に、日蓮仏法の真髄がある"と。苦闘する友、悩める友に同じ歩幅で寄り添う伴走者でありたい。(楊)

寸鉄 2020年1月27日
一人の強き生命力が他人の命を変える—戸田先生青年よ広布の突破口開け
東京・豊島婦人部の日。弾む心で前進!三代有縁の天地に対話の花は満開
本紙通信員制発足の日。この写真、この一文。皆様の尊き汗こそ聖教の誉れ
後部座席のベルト着用、いまだ4割。法令順守を。「破壊は一瞬」と油断なく
アウシュビッツ解放から75年。デマへの沈黙が悲劇の歴史に。教訓忘れず

☆池田先生が贈る「無冠の友」への新春メッセージ 世界聖教会館と共に黄金の1年を 2020年1月25日
毎朝早くから、本紙を配達してくださる「無冠の友」。"師弟の心""宿命転換の歓喜のドラマ"を、日々、列島各地に届けゆく、その尊き力走ありて広布は勢いよく進む。ここでは、配達員の機関紙「無冠」の新年特集に掲載された、池田先生の新春メッセージを紹介する。

◇黎明の光届ける第一走者
厳冬の夜明け前、寒風を突いて「勇気の走者」は駆ける!
世界広宣流布の数知れないドラマが躍動する聖教新聞を携え、読者のもとへ、黎明の希望の光を届けゆく、創価の前進の第一走者こそ、尊き「無冠の友」の皆さんなのです。
毎日毎日、昇りゆく太陽のごとく、正確にして、たゆまざる生命の軌道を進みゆく挑戦は、なんと神々しいことでしょうか。
敬愛してやまない全国各地の配達員の皆さん!
創価学会創立90周年の「前進・人材の年」、明けましておめでとうございます。
新たに誕生した「創価学会 世界聖教会館」は、その正面を東天に向けて聳え立つ「太陽の言論城」です。旭日を浴びて輝き光る英姿は、まさしく無冠の友を城主として仰ぎ讃える象徴なりと、私は見つめております。
展示室にも、無冠の友を顕彰するコーナーが心を込めて設置されています。
展示では、1951年4月20日の創刊号以来、大きな節目となった聖教を大画面で見ることができ、その中には、60年前の5月3日の紙面もあります。
あの日、恩師・戸田城聖先生の不二の弟子として、私は宣言しました。
「化儀の広宣流布を目指し、一歩前進への指揮を執らせていただきます」「創価学会は全大衆の最大の味方であります」と。
この誓願を分かち合いながら、私たちは折伏・弘教に転戦し、日本中、世界中に妙法という平和と幸福の種を蒔いてきました。そして「月月・日日に」、この一歩前進の原動力となってくれたのが、無冠の友の皆さんにほかなりません。
「御義口伝」には、不軽菩薩の人間尊敬の実践について、「鏡に向って礼拝を成す時浮べる影又我を礼拝するなり」(御書769ページ)と仰せであります。
まさに、この不軽さながらに、あの友この友に幸あれ、あの家この家に福徳あれと、祈りを込めて聖教新聞を配達されゆく皆さん方の偉大な仏道修行あればこそ、仏縁は幾重にも広がり、人間主義の価値を創造する人材のスクラムが絶え間なく拡大しているのであります。
阪神・淡路大震災から25年となる兵庫をはじめ常勝関西の同志も、信心という究極の「レジリエンス(困難を乗り越える力)」を発揮して希望の劇を綴り、奮闘してこられました。
東日本大震災を乗り越えておられる不屈の東北家族も同じであります。
いかなる逆境にも揺るがない。それが仏です。
皆に同苦し、共に勝ち越える。それが菩薩です。
仏法では「娑婆即寂光」と説かれます。一番苦労して戦ったところが、一番幸福な寂光土へと輝いていける。「妙とは蘇生の義」なのです。
皆さんの中にも、また、ご親族や友人が、昨年の台風・大雨などで被災され、いまだ生活再建の途上にある方がおられるでしょう。
早期の復興とともに、ご健康と無事安穏を、私は妻と心から祈念しています。広布を開く無冠の友を、そして一家眷属を、諸天よ諸仏よ、護りに護れと、さらに強盛に祈り抜いてまいります。
日蓮大聖人は、雪が積もる身延でのお正月に、「真の友でなければ、(こんな雪深いなか)誰が訪ねて来てくれるだろうか」(同1554ページ、通解)と思っていたところ、真心の便りに接し、「心中もあき(明)らかに生死のやみ(暗)もはれぬべし」(同ページ)と綴られています。
「友に勇気を贈る」「地域に友情を結ぶ」「社会に希望を届ける」無冠の日々ほど充実した人生の道はありません。
この誉れの道に続きたい——大阪のあるご一家では、亡きお母さまが「無冠の友」で、4人の娘さんも全員が配達員となり、家族一丸で広布の第一線に躍り出ています。「配達のおかげで、母が願ってきた信心の継承ができました」と。
また、創価の学舎を卒業し、アメリカで地区婦人部長として活躍する友から、「私の父は、日本で配達員をしています。私が『聖教電子版』を開く夕方の時間が日本の早朝で、いつも父の姿を思い浮かべ、全国の『無冠の友』の皆さんの無事故を祈っております」との心温まる声が届いていました。無冠の誇りと喜びが、広布後継の人材を限りなく育て、広げます。
フランスの文豪ユゴーは『レ・ミゼラブル』で、若人に呼びかけました。
「奮励せよ、そして前進せよ! 諸君、吾人はどこへ行かんとするのであるか」「日の出にも比すべき真理の曙へである。吾人は各民衆の協和へ向かって進み、人間の統一に向かって進む」(豊島与志雄訳)
先哲たちも夢見た理想に向かい、新しき人間主義を掲げる「聖教新聞」は、仏法を基調とした平和・文化・教育の大運動を力強く推進し、「誰も置き去りにしない」世界を築いていきます。
ともあれ、今日という日は、再び来ない。今年という一年もまた、万年の広布の礎を築く、かけがえのない黄金の一年です。
55年前の聖教新聞新年号から、小説『人間革命』の連載が始まりました。
わが愛する「無冠の友」の皆さん!
どうか、新しき「人間革命」の共戦譜を、私と一緒に楽しく朗らかに綴りながら、前進そして勝利していこうではありませんか!

☆心に御書を 第16回 希望の哲理の"語りべ"に
〈御文〉
『月は西より出でて東を照し日は東より出でて西を照す仏法も又以て是くの如し正像には西より東に向い末法には東より西に往く』(顕仏未来記、508ページ)

〈通解〉
月は西から出て東を照らし、日は東から出て西を照らす。仏法もまた同じである。正法ならびに像法時代には、西のインドから東へ伝わり、末法においては、東の日本から西へ流布していくのである。

〈池田先生が贈る指針〉
太陽の大仏法を全世界へ! 「仏法西還」「一閻浮提広布」の未来記を実現しゆく創価の誇りはあまりに高い。
混沌の時代だ。人類は万人を光らせる希望の哲理を、調和と幸福へ価値創造しゆく人間主義の哲学を希求してやまない。
語った分だけ、平和の種が蒔かれる。地涌の"語りべ"として、強き祈りと誠実の対話を!

2020年1月26日日曜日

2020.01.26 わが友に贈る

一人の人間革命から
変革のうねりは
千波万波と広がりゆく。
君も貴女も
世界を変える主役なり!

上野殿御返事 P1557
『又涌出品は日蓮がためにはすこしよしみある品なり、其の故は上行菩薩等の末法に出現して南無妙法蓮華経の五字を弘むべしと見へたり』

【通解】
また従地涌出品第十五は日蓮にとって、少し縁のある品である。それは上行菩薩等が末法に出現して南無妙法蓮華経の五字を弘めるであろう、ということが説かれているからである。

名字の言 父親が聞かせてくれるお話「君が生まれた日」 2020年1月26日
その少女は、就寝前に父親が聞かせてくれる話が大好きだ。題名は「君が生まれた日」▼「むかーし、むかし……と言っても、4年前なんだけどね」と、物語風に話は始まる。母親の陣痛が始まった時の緊張感。産婦人科まで車を走らせた深夜の道。ついに迎えたその瞬間。産声。両腕に抱きかかえた重み。駆け付けた親族の笑顔。窓から差し込む朝の光——「みんな、君が生まれるのを待っていたんだよ」と父親が言う頃には、少女は気持ちよさそうに眠りに入る▼「無条件の受容」との言葉を、教育本部の友から教えてもらった。幼少期に「あなたがいるだけで私は幸せ」と、ありのままを受け入れてもらえる体験を得た子は、自己肯定感が高まるという。「無条件の愛情を伝える言葉こそ、『生まれてきてくれて、ありがとう』ではないでしょうか」と▼「有り難う」は元来、"そう有ることがまれ"との意だ。御書には「人間に生まれることは難しく、天から糸を垂らして、それが海底の針の穴に通るよりもまれ」(494ページ、通解)と仰せである。この世に生を受けたこと自体、どれほど貴重なことか▼まして生命尊厳の仏法に巡り合う難しさは言うまでもない。「一日の命は三千界の財にもすぎて候」(御書986ページ)との御金言を胸に、今を全力で生きよう。(之)

寸鉄 2020年1月26日
「1・26」記念提言を発表。人類共生の時代へ!我らは人々結ぶ対話を溌剌と
SGI発足45周年。師弟共戦の連帯は世界192カ国に。堂々たる平和の大河
東北女性の日。婦女一体で地域に励ましを拡大。皆様こそ福光世紀の希望
口に出す言葉で人生は前向きに。「でも、だって、どうせ」は禁句。心一つ
「朝食抜き」は冷え性の因と。賢き生活リズムが健康の道。余裕ある出発を

☆第45回本部幹部会で紹介された池田先生の指針 創価の青年こそ人類の希望!
「世界広布新時代第45回本部幹部会」(11日、巣鴨の東京戸田記念講堂)の席上、2001年9月の本部幹部会での池田先生のスピーチ映像が上映された。「前進・人材の年」を勢いよくスタートし、本年の大勝利を誓い合う友の指針として掲載する。

◇「決意の炎」を 「人材の銀河」を
一、世界の心ある知性の方々が絶大なる信頼を寄せてくださっているのが、わが青年部なのである。
「創価学会の青年を見よ、ここに人類の未来の希望がある!」と。
そのように、手紙に書いて送ってくださった方もいれば、著作や講演などで言及してくださった方もいる。
対談集『希望の選択』(『池田大作全集』第110巻所収)をともに発刊したアメリカの「核時代平和財団」のクリーガー会長も、次のように語っておられた。
「創価学会の青年の輝く瞳、輝く笑顔には、いつも心打たれます。そこには常に、何か新しいものを学ぼうとする探求心があります。常に社会に対する問題意識を持っており、常に、それに対する正しい答えを求め続けています。
社会から孤立し、反抗さえ示している青年が世界に多く存在するなかで、創価学会の青年たちの人生に対する姿勢は、異例とさえ言えます」と。
私も、まったく、その通りであると自負している。
私は、青年部の皆さんに申し上げたい。
わが青年部よ、創価学会を頼む、と。
胸を張って、これからも戦ってくれたまえ。
わが青年部の拡大が、そのまま、人類の希望の拡大になるということを、忘れないでくれたまえ。

◇題目は大宇宙の根源の音律
一、御書には、「日月天の四天下をめぐり給うは仏法の力なり」(1146ページ)——太陽と月が四天下(世界)をめぐるのは、仏法の力による——と説かれている。
一瞬も止まることなく運行し続ける大宇宙も、すべて、妙法の律動にのっとっている。科学の探究が進むほど、仏法の英知と合致していくのである。
大宇宙の根源の音律たる南無妙法蓮華経を朗々と唱えながら、社会の発展のため、世界の平和のため、人類の幸福のために、動き、語り、行動していく。これ以上に崇高な人生はない。

◇壮大なスケール
一、先月(2001年8月)の16日、アメリカ航空宇宙局(NASA)が、宇宙空間にある「ハッブル宇宙望遠鏡」を使って撮影した、地球から約5000万光年も離れた銀河の写真を発表した。
今回、NASAが撮影したのは、おおぐま座にあるNGC3079という銀河である。
円盤形をした銀河の中心部において、まるで煮えたぎる釜の中から泡が噴き出るように、高温のガス状の物質が噴き出ている様子が観測されたのである。
このガス状の噴出物は、およそ2000光年という高さにまで達している。それは、真っ赤な巨大な柱のように見える。
じつに、壮大なスケールである。〈光年とは、光の速度で1年間に進む距離のこと。1光年は、約9兆4600億キロメートル〉
そして、宇宙空間に放出されたガス状物質が、再び、雨のように銀河に降り注ぎ、やがて新しい星がつくられていく——というのである。
私たちの太陽も、かつて悠久の宇宙のドラマの中から誕生した。そこに地球も生まれたのである。
法華経には、壮大な宇宙観が説かれている。

◇率先の行動から新たな歴史が
一、何事も、エネルギーがみなぎるところに、新しい何かが生まれる。広宣流布の組織もまた同じである。
中心者をはじめ、皆のエネルギーが赤々と燃えたぎってこそ、「新しい人材」が生まれる。「新しい発展」が始まる。「新しい戦野」が広がり、「新しい勝利」の歴史がつくられていく。
では、そのエネルギーとは何か。
戦いへ立ち向かう「勇気」である。
自分が率先する「行動力」である。
皆を守ろうとする「慈愛」である。ある面から見れば、太陽も、月も、宇宙それ自体も、生命を育む慈愛に満ちた存在といえよう。
さらに、断じて勝つという「執念」。
そして、自分たちの使命の天地で、必ず広宣流布を成し遂げてみせるという「決意」である。銀河が噴き出す真っ赤な火柱のような「決意」である。
その決意あるところ、きら星のような人材が連なり、美しい銀河のごとき「団結」が生まれる。「調和」が広がる。

◇「いよいよ これから」の心で広布へ
一、ともあれ、日蓮大聖人の仏法は、1000年、2000年という単位を超えて、「末法万年尽未来際」という宇宙的な次元のスケールに立っている。
有名な「報恩抄」には、「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし」(御書329ページ)と。
さらに「御義口伝」には、「今日蓮が唱うる所の南無妙法蓮華経は末法一万年の衆生まで成仏せしむるなり」(同720ページ)と仰せである。
末法万年の広宣流布から見るならば、私どもの戦いは「いよいよ、これから」である。
この大いなる気概で、創価学会は前進したい。永遠に「青年の心」で、生きて生きて生き抜きましょう!
きょうは、遠くから、本当に、ご苦労さま! ありがとう!

2020年1月25日土曜日

2020.01.25 わが友に贈る

誠実な振る舞いで
わが地域・社会の
なくてはならない人に。
自他共の幸福に尽くす
希望の灯台と輝こう!

兵衛志殿御返事 P1090
『今度はとのは一定をち給いぬとをぼうるなりをち給はんをいかにと申す事はゆめゆめ候はず但地獄にて日蓮をうらみ給う事なかれ』

【通解】
今度こそ、貴殿(池上宗長)は、きっと退転しまうだろう、と、思われます。退転することについて、とやかく申し上げるつもりは、全くありません。ただし、地獄に堕ちてから、日蓮を恨むことがあってはなりません。

名字の言 困っている人に手を差し伸べれば、みんなが豊かになる 2020年1月25日
大きな駅で、ベビーカーを押して移動するのは大変だ。その経験から生まれたのが「のりかえ便利マップ」。どの車両に乗れば出口やエレベーターに近いか一目で分かるポスターで、高齢者やビジネスマンにも評判だ▼困っている人、悩んでいる人に手を差し伸べれば、周囲も心豊かになる。ある地区座談会で、婦人部員が遅れて会場に入ってきた。すると同志がそっと一言、「よく来たね」。彼女は看護師として働きながら、女手一つで3人の子を育てていた▼「頑張ってるね」という声掛けや「無理しないでね」というメールも数え切れない。「何げない配慮が心に染みるんです」と言う彼女もまた、時間を見つけて友の訪問・激励に歩くようになった▼日蓮大聖人は、夫を亡くした妙一尼に「冬は必ず春となる」(御書1253ページ)と寄り添い、ゆえなき中傷を受ける四条金吾を「陰徳あれば陽報あり」(同1178ページ)と励ました。苦難と戦う「一人」への御言葉は700年以上の時を超えて、今も世界の友を励まし、行動の指針となっている▼池田先生は「最も苦しんでいる人と、同苦していこうとする心——それが大聖人の御心であり、学会の心です」と。目の前の「一人」に尽くす。そこから希望が生まれ、その光が社会を照らしていく。(子)

寸鉄 2020年1月25日
大阪事件の無罪判決の日正しい仏法が必ず勝つ!君よ不屈の魂継承し進め
関西婦人部の日。常勝の母ありて創価の城は盤石模範の前進、拡大今こそ
「信心するは随喜なり」御書。生き生きと体験を語ろう。歓喜は友に伝播
乾燥続き火災多発。外出や就寝時は火の元確認をしっかり。隙をつくるな
世界のごみの総量、30年後に2倍超—予測。削減目指して足元から行動を

☆四季の励まし 今こそ「対話の選択」を 2020年1月19日
◇「1・26」SGI発足45周年
平和は
彼方にあるのではない。
自分のいるその場所に、
信頼と友情の世界を
築き上げるのだ。
その輪の広がるところに、
世界のへいわがあるのだ。

一方的に話すのは
対話ではない。
まず、相手を尊敬し、
耳を傾けることだ。
聞く、話す、また聞く。
その胸襟を開いた応答が
「思い込み」や「先入観」という
心の壁を破っていく。
相手も人間、
こちらも人間である。
そこに
なんの差別もないと知れば、
心と心が通い、信頼が生まれる。

創価学会は、どこまでも、
民衆の幸福と
世界の平和のために、
現実社会の変革に
挑戦しゆく使命を貫く。
そこに、
「人間のための宗教」の
精髄があるからだ。
それは、
仏教の根本精神でもある。
仏教は、本来、
自分一人が覚って、
それで満足して終わる
宗教ではない。
「人々の幸福のために行動する」
——この実践があってこそ、
真の覚りといえる。

「暴力」か「対話」か——。
世界の各地では、
今なお熾烈な紛争が続き、
憎悪と暴力の連鎖が続いている。
だからこそ、
私たちは「対話」を
決して手放してはならない。
断固たる「対話の選択」こそ、
「平和の選択」となり、
必ずや人類の
「生への選択」に通じていくと、
私は信じている。

人が人を殺戮することのない、
平和と不戦の世界を創っていく——
それが、私たち創価の悲願だ。
SGIの使命である。

2020年1月24日金曜日

2020.01.24 わが友に贈る

逆境こそ飛躍の好機だ。
「賢者はよろこび
愚者は退く」御聖訓。
大生命力で挑み抜き
変毒為薬の実証を!

衆生身心御書 P1594
『つゆつもりて河となる河つもりて大海となる塵つもりて山となる山かさなりて須弥山となれり小事つもりて大事となる何に況や此の事は最も大事なり』

【通解】
露が集まって河となり、河が集まって大海となるように、塵が積もって山となり、山が重なって須弥山となるように、小事が積もって大事となるのである。

名字の言 「AERA」の佐藤優氏の連載への識者の声 2020年1月24日
「私もキリスト教神学を専攻したので、引き込まれるように読みました」。週刊誌「AERA」での佐藤優氏の連載「池田大作研究」を一読した帝塚山学院大学の川上与志夫名誉教授の声である▼池田先生と同じ東京・大田区生まれの川上氏は、佐藤氏がつづる先生の青少年期を懐かしく読んだという。「宿命は転換できる。人は与えられた場所で全力を尽くさなくてはならないという、池田先生の人生観に学びたい」と、86歳にしてなお謙虚に語られた▼佐藤氏が論ずるように、世界宗教への道を歩み始めた創価学会。その原点の一つが1975年のSGI発足である。SGI憲章の第7項には「仏法の寛容の精神を根本に、他の宗教を尊重して、人類の基本的問題について対話し、その解決のために協力していく」と。キリスト者の川上氏や佐藤氏のように、異なる主義主張に耳を傾け、学ぼうとする精神こそ、世界平和の基盤となる▼川上氏は若き日、神学者で医師でもあるシュバイツァーに大きな影響を受けた。その言葉に「われわれは、新しい精神によってより高い理性を獲得しなければならない」(『シュバイツァー』清水書院)とある▼SGI発足から26日で45周年。日々学び、確信と慈悲の対話に挑む誓いを新たにしたい。(芯)

寸鉄 2020年1月24日
「意が声とあらはる」御書友の幸願う真心は通ず。希望の哲理を勇敢に語れ
学生部が対話拡大に先駆次の十年開く主役は君達智勇兼備の師子と育て!
「尼崎の日」。関西の心臓部から新たな常勝譜を。正義の大行進に恐れなし
世界で異常気象。気候変動対策が急務。「できること」を自分から始めよう
中傷や臆測等、ネット上で悪意の投稿が急増と。絶対に許さぬ思潮を皆で

☆ライフウォッチ×教学 2020年1月18日
◇一緒に立ち上がろう! 苦境の友を支えた心の絆
今回の「教学のページ」では、「ライフウオッチ」で取り上げたルポや信仰体験のエピソードを振り返りながら、教学的な視座から考察していくとともに、これからの「人生100年時代」を、より輝かせていくための仏法の智慧や哲理を紹介します。

◇何でも話せる居場所
「人生100年時代」における、あらゆる世代の幸福論を探る連載「ライフウオッチ」。昨年10月の連載スタートから12月までは、「就職氷河期世代(アラフォー世代)」の友を取り上げました。
30代から40代中盤の、いわゆる「就職氷河期世代」は、就職活動時に平成の大不況のあおりを受け、正社員になれず非正規雇用で働いたり、就職を諦めざるを得なかったりする人が増え、貧困や引きこもりが深刻化した世代です。

昨年10月9日付1面では、愛媛県で暮らす、非正規職を転々としてきたという男子部員を取り上げました。
若い頃から「いつ"派遣切り"にあうか」と不安を抱える日々。そんな男子部員に寄り添い続けたのが、創価学会の同志でした。やがて彼は、同志の温かな激励に自らを鼓舞し、新たな挑戦を開始。介護施設の契約社員として懸命に奮闘し、37歳で正社員となりました。男子部員の声が印象的でした。
「僕には今、何でも語り合えて、何度も決意させてくれる居場所があります。毎日が、本当に充実しています」
互いの悩みを何でも語り合え、共に困難を乗り越えようと祈り合える——そうした同志の存在ほど心強く、かけがえのないものはありません。それは、実際に信心に励む中で、さまざまな苦悩を乗り越えてきた、学会員の誰もが、心から実感していることでもあります。
昨年12月21日付1面で取り上げた、転職などの苦難を乗り越えた「ヤング白ゆり世代」の埼玉県の婦人部員も、やはり、苦闘の日々の中で心の支えになったのは、自分と同じく苦難に向き合う同志の姿だったと言います。

◇善き仲間の存在
アメリカ・ハーバード大学名誉教授のハービー・コックス博士は「人と人との絆を、もう一度、取り戻すこと。そこにこそ、現代における宗教の果たすべき役割もある」と語っています。
まさしく創価学会の特徴は、"目の前の一人を大切にする""絶対に見捨てない"との信念に基づいた同志の「絆の強さ」にあるといえます。
池田先生は、つづっています。
「いつでも、どこでも、誰でも、目の前に苦しんでいる人がいれば、親身に声をかける。悩みを聞き、共に泣き、共に祈り、共に喜び合う。この『一人を大切にする』人間主義の行動が、あらゆる人に無条件に開かれているところに、創価学会が世界に広がった理由があるのだ」
こうした麗しい同志の絆は、深い信頼で結ばれた安心の「居場所」であるとともに、新たな使命への挑戦を後押しする「跳躍台」でもあるのではないでしょうか。

日蓮大聖人は、「心ざしあらん諸人は一処にあつまりて御聴聞あるべし」(御書951ページ)、「此文を心ざしあらん人人は寄合て御覧じ」(同961ページ)等と仰せになり、一つ一つの手紙を同志と寄り合って読みながら、皆で支え合い、苦難を共に乗り越えていくよう、繰り返し励まされています。
長い人生の道のりにあって、人は誰しも、行き詰まりに直面したり、悩み、落ち込んだりすることがあります。だからこそ、励まし合い、支え合いながら、共に人生の困難を乗り越えていく善き友、善き仲間、すなわち「善知識」の存在が何より大切なのです。
先生は、つづっています。
「最高の善知識の集いこそ、わが創価学会であると、あらためて確認しておきたい。いうならば、善知識に触発されて、自身の生命に秘められた力を発揮するのが学会員です。善知識のネットワークに身を置くことで、自身の本来の使命が大きく開花します」
目の前の友を励ます。使命に立ち上がった一人が、また一人を励ます——創価の善知識による"励ましの連鎖"はまた、"使命の自覚の連鎖"とも言い換えられるでしょう。
アメリカ・ブルッキングス研究所のキャロル・グラハム博士は、人々が幸福を実現できる社会のために、「共に人生を高め合い、生きがいを与え合えるような絆」の重要さを強調しています(本紙2019年12月14日付)。
人間関係の希薄化や孤立化が憂慮される現代にあって、共に苦楽を分かち合い、支え合いながら「心の絆」を広げ、使命の自覚を促し合う創価学会員の生き方は、まさに幸福社会の礎を築いています。

◇自他の可能性を信じる
昨年11月2日付1面は、大阪府在住の男子部員のエピソードでした。"就職氷河期"の中で就職活動を始め、大手信託銀行の契約社員に。その後、同じ契約社員として大手都市銀行に転職。時に"誰も関心さえ持ってくれない"と、自分を見失いそうになった時もありましたが、不屈の挑戦を重ね、その後、登用試験に合格し、晴れて基幹職(総合職)になりました。
そんな彼の転機は、自らが一番苦しかった契約社員の時に、悩める同志の激励に踏み出したこと。"共に立ち上がりたい"——その思いが湧いた時から、状況が好転し始めたと言います。
悩んでいる友に励ましを送ることで、かえって自分自身が励まされたということは、多くの学会員が経験していることではないでしょうか。
大聖人は、「人のために火をともせば・我がまへあきらかなるがごとし」(御書1598ページ)と仰せです。他者の幸せを祈り、周囲に尽くそうとする心は、やがて、自分自身の境涯をも開いていきます。人の可能性を信じ抜き、励まし抜く。それは翻って、自らの可能性に、さらに目を開いていくということでもあるのです。

◇不軽菩薩の実践
こうしたエピソードから分かるように、学会員は日頃から、自分だけの幸せを追求するのではなく、他者の幸せをも祈り、わが身を惜しまず尽くし抜くという「利他」の生き方を実践しています。その根底にあるのが、"万人が尊極な存在である"と説く仏法哲理です。
仏教の創始者である釈尊の願いとは、法華経に「如我等無異」(我が如く等しくして異なること無からしめん=法華経130ページ)と説かれているように、"全ての人々を、自分(釈尊)と同じ仏にして異なることがないようにしたい"ということです。
万人を仏と同じ境涯に——すなわち、「万人の成仏」こそが仏の願いです。仏法は、あらゆる人の生命に、尊い仏性(=仏の性分)が等しく内在していることを教えているのです。
このことを示しているのが、法華経に登場する「不軽菩薩」です。
不軽菩薩は「万人が仏」との信念を貫き、どんなに迫害を受けても、出会った人々に誠意を尽くして、最大の敬意を示す礼拝を続けました。決して人を軽んじることがなかったので、不軽菩薩といいます。
この「人を敬い抜く」という不軽菩薩の実践の本質は何か。それは、「自他共の仏性を信じ抜く」ということです。
池田先生はつづっています。
「相手に具わる最極の仏の生命を信じ、敬い、引き出していく祈りと行動が、そのまま自分自身の仏の生命を荘厳に光り輝かせる。この相互触発の善縁を広げ、世界の人びとの心を結び高めゆくことを、我らは『広宣流布』と呼ぶ」
日夜、周囲に尽くし抜き、他者を敬う実践を通して「人間を信頼する心」を社会に広げている、学会員一人一人の尊い振る舞い——ここに、人類の明日を照らす希望の光源があります。

2020年1月23日木曜日

2020.01.23 わが友に贈る

インフルエンザが猛威!
手洗い・うがいの励行や
マスク着用等の徹底で
感染性の疾病を防ごう。
聡明に健康への対策を!

御義口伝巻下 P762
『功徳とは六根清浄の果報なり、所詮今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は六根清浄なり、されば妙法蓮華経の法の師と成つて大なる徳有るなり、功は幸と云う事なり又は悪を滅するを功と云い善を生ずるを徳と云うなり、功徳とは即身成仏なり又六根清浄なり』

【通解】
功徳とは六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)にそなわった煩悩が払い落とされて清らかになった姿です。結局、日蓮とその門下が南無妙法蓮華経と唱えれば六根清浄となるのです。したがって、妙法蓮華経の法を自行化他に行ずるところの師となって大きな功徳があるのです。
功徳の「功」とは幸いということです。また悪を滅することを「功」といい、善を生ずることを「徳」というのです。最高の功徳とは即身成仏であり、六根清浄なのです。

名字の言 "プライスレス"な生き方とは? 2020年1月23日
人間社会をより良くするにはどうしたらいいか。新渡戸稲造は自著『自警録』で次のように結論している。「価値なき仕事に目をつけねばならぬ」▼この"価値なき"は、英語の「プライス」(値段)と「レス」(〜が無い)から成る単語「プライスレス」を念頭に置いており、「無価値」という意味ではない。「金銭には換算できないほど貴重で尊いこと」を表している▼ある婦人部員は、豪雨で自宅が床上浸水の被害に遭った。水が引き、泥だらけの家財を前に、言葉を失った。その時、背後から「こんにちは」と声がする。学会の地区婦人部長が、数人の青年部員と共に訪れた。見る見るうちに片付けが進む。そこへ、さらに地区部長が、「うちで使ってたやつでよければ」と、ちゃぶ台を持ってきた▼当時、彼女は学会活動に消極的だった。「何とお礼を言ったらよいか」と目を潤ませた。すると地区婦人部長は「なに言ってるの。私たち創価家族よ」。これまで彼女が素っ気ない対応をしても、笑みを絶やさなかった地区婦人部長は、この日も変わらぬ笑顔だった▼他者の幸せと地域発展に尽くす学会活動は、最極の「プライスレス」の行為。実践によって友が積む心の財は、自他共に幸福長者となる道を開いていく。(城)

寸鉄 2020年1月23日
会長が示した人間主義の思想は時代を照らす光—総長。平和世紀築く指標
いったん植えた仏の種は必ず大木に—戸田先生。友の仏性信じて語り抜け
『ワールド セイキョウ』発売。学会の魅力が満載。友好の拡大へ大いに活用
電子メールの日。銀行等装う詐欺メール横行。暗証番号は安易に入力せず
睡眠不足の人は2割超で増加傾向—厚労省。唱題根本に生活リズムを整え

☆地域を歩く 群馬・草津町 世界をもてなす温泉地 2020年1月16日
◇過去最高の観光客数に
日本三名泉の一つ、群馬の「草津温泉」。戦国時代には、武将たちが傷ついた体を癒やし、江戸時代には、幾千もの旅人でにぎわいを見せ、「草津千軒江戸構え」とうたわれた。
その活況ぶりは、時代とともに水かさを増し、令和を迎えた今年度には、観光入り込み客数の予測が330万人と、過去最高を記録する見込みだ。
近年は草津のシンボル「湯畑」一帯の整備が進み、若者の温泉客が増加傾向に。「長期休みのシーズンは学生さんが多いです。東京の原宿みたいですよ」と地元の人たちも驚くほどだ。
草津町の人口は約6400人。その大半が、旅館、ホテル、飲食など観光産業に従事する。日本が誇るこの湯の町でも、学会員が陰に陽に、地域の発展に貢献している。

◇親子3代で旅館業
親子3代で旅館「飯島館」を営む飯島さん一家。経営の柱である富士男さん(支部長)が、地域振興への思いを語る。
「温泉街で重要なのは、街全体の団結です。自分さえ良ければいいと思っていては、繁栄はできません。皆が仲良く一体になり、力を合わせてこそ、魅力ある街づくりができます。その精神は、まさに学会で学んだ"異体同心"です」
一家の中でも地域貢献の模範は、旅館の代表取締役で、富士男さんの父である啓一さん。消防、防犯、自治会、老人会など幾つもの顔を持ち、地元でも欠かせない存在だ。今月、77歳になるが、「みんなのために動こうっていうのが学会精神ですから」と胸を張る。
東日本大震災の直後、草津にも被災者受け入れの依頼があった。当初、体育館など大きな施設に滞在してもらおうとの意見もあったが、啓一さんは、「こういう時こそ家族的な助け合いをしよう」と、小旅館が協力して迎えることを提案。飯島館でも率先して福島からの家族を受け入れた。
その後、「湯畑」をキャンドルで彩る人気イベントの実現にも、旅館組合と商工会の理事である啓一さんが一役買った。
一方、富士男さんの母であり女将だった武子さんも、婦人会の会長などを歴任し、地域貢献の生涯を全うした。兄の庄二さんも、スポーツ都市・草津のサッカー振興に汗を流す。
富士男さんの長男・康平さん、次男・将平さんと妻・明日香さん、そして三男・悠平さんは、飯島館の大事な担い手として、"おもてなし"に心を込めている。「もっと若い世代を引き付けられる旅館業を目指したい」(将平さん)と、挑戦を重ねる毎日だ。

◇"世界の草津"へ
明治時代、ドイツ人医師のベルツ博士によって、草津の名は世界に伝わった。
時は移り今、"世界の草津"はインバウンド(訪日外国人旅行者)の増加に一段と力を入れる。その一翼を担おうと、創価の青年が立ち上がっている。
地元中学を卒業後、東京のイタリアン・レストランで8年修業し、現在、父の料理店で働く吉田峻さん(男子部部長)。「草津の町に恩返しがしたかった」と振り返る。
近年のグルメ志向は、草津も例外ではない。吉田さんは和洋の新メニューの研究にいそしみ、この冬は、知り合いの板前に調理法を学んだ「スッポンぞうすい」をレパートリーに。早くも人気メニューとなった。
吉田さんは、地元の観光協会が中心となって進めるDMO(観光地経営組織)の新観光創生部会にも所属。フォトコンテストなど、国内外の観光客向けのイベント企画に尽力する。
その吉田さんの紹介で、3年前に学会に入会した石黒アレックスさん(地区リーダー)は、バーの店長。カリフォルニア生まれの日系アメリカ人だ。
8年前、アルバイトで草津に滞在するようになり、知り合った吉田さんの、何事にも意欲的な人柄に引かれた。
入会1年後、店長に抜てき。店をもっと若者が集える場にしようと接客を心掛けると、同世代がつながり、絆が生まれた。中には、家業を継ごうと帰郷を決めた人もいる。
「人に尽くすことで自分自身も磨かれる。この学会の哲学を学んでから、この地で生きる使命感を持つようになりました。今後は語学を生かして、草津の魅力をもっと世界の人に届けたい」と、未来を見つめる。

◇"陰の労苦"の誇り
人々の暮らしや産業の基盤を支える青年の奮闘も光る。
町内には、500平方メートルもの巨大な露天風呂のある「西の河原公園」がある。取材に訪れた年始の雨の日、スコップを手に同公園の遊歩道で作業する若者がいた。父と水道業を営む男子部の荻野稜太さん(地区リーダー)である。
「路面の凍結を防ぐための地下の温泉の管が、どこかで水漏れを起こしているらしいんです」。上下水道だけでなく、温泉の配管がいたる所に張り巡らされている草津では、水道整備が生活と産業の礎だ。
荻野さんは昨年、国家資格である給水装置工事主任技術者の試験に合格。連絡が入れば24時間いつでも駆け付ける。
「水道業は草津の生命線です。後継者が求められていますし、責任の大きな仕事に、とてもやりがいを感じています」
女子部の金丸優子さん(県主任部長)は、町民の"足"である自動車の整備士だ。
標高1200メートルの高地にある草津には、急な坂道が多い。冬季用タイヤの交換、スリップでの接触で傷ついた車体の修理など、年末年始は多忙を極める。とりわけ、温泉街では空気中の硫黄の成分によって金属がさびやすくなり、頻繁に部品を修繕しなければならないという。
「車両の整備は、命を守る仕事だと思っています」
以前は就職で町外に出ていたが、実家の仕事を継ごうと郷里に帰ってきた。
「車を見れば、どんな人が運転しているかが分かります。このドライバーはよくブレーキを踏むから、まめに修理をした方がいいと教えてあげるなど、お客さんの安全を第一に考えています」
そうした先輩の姿から"陰の労苦"の尊さを学び、仕事と学会活動の両立に挑む友も。橋爪美咲さん(地区リーダー)は、かつて祖母も働いていた旅館の帳場(フロント)を担当する。
「幼い頃、毎朝、地域の発展を祈る祖母の背中を見て育ちました。いつか祖母の後を継ぎたいと思っていたんです」
5年前、生まれつき心臓に病のあった妹が他界。母と共に涙をぬぐい、妹の分まで生き抜こうと誓った。広布の庭では、先の金丸さんと共に、会合運営を担う「白蓮グループ」の一員として奮闘する。
日々、最高の笑顔で客をもてなす橋爪さん。その表情には、悲しみを乗り越えた強さと、「一人」をどこまでも大切にする白蓮の精神があふれている。

◇一体で街作りを
旅館の"顔"が女将であるように、街を潤し、活力を与える主役は婦人たちだ。
この地で婦人会会長を務めるのは志水ゆかりさん(支部婦人部長)。出身は高知だが、結婚を機に草津へ。知り合いは一人もいなかったが、"土佐っ子"のたくましさを発揮し、娘のPTA役員を引き受けるなどして、周囲に信頼を広げた。
その誠実な人柄を買われ、昨年春、婦人会会長に。日々、さまざまな地域行事に携わる傍ら、草津伝統の歌や踊りを先輩から学び、披露する。
平日は郵便局で働き、休日は旅館の手伝いもする志水さん。学会活動に走りながら目の回るような毎日を送るが、「街の発展や人々の幸せに尽くすという意味では根本は一つです。いただいた使命を自分らしく果たしていきたい」と朗らかだ。
草津には、「歩み入る者にやすらぎを 去りゆく人にしあわせを」との町民憲章がある。街を歩くと、旅館の玄関など多くの場所でこの言葉に出合う。地元の人々にとって大切な指針だ。黒岩信忠町長は語る。
「草津がここまで発展できたのは、旅行者にくつろいでもらえるよう、一体感のある"街づくり"に力を注いできたからです。大型ホテルから観光客が出てこられないようでは、地域経済も循環しません。歴史ある美しい景観が整備できているのも、皆が立場を超え、力を合わせてきたから。学会の皆さんも率先して、その基盤を支えてくださっています。地域の活性化へ、さらなる活躍を期待しています」
かつて草津を訪れた池田先生は、「愛する『文化』と『自然』と『健康』の都・草津の21世紀の大発展を」と語り、地域の繁栄と人々の幸福を心から念願した。
この言葉をわが使命とし、師弟共戦の道を歩んできた草津の友。これからも社会貢献の模範となって、「文化」と「自然」と「健康」の都を築いていく。

2020年1月22日水曜日

2020.01.22 わが友に贈る

リーダー率先の励ましが
勇気と団結を生む。
拡大の突破口を開く。
歓喜と希望が広がる。
足取り軽く動き語ろう!

日興遺誡置文 P1618
『下劣の者為りと雖も我より智勝れたる者をば仰いで師匠とす可き事』

【通解】
たとえ位の低い者であっても、自分より智慧がすぐれている人を、師匠と仰いで仏法を学ぶべきである。

名字の言 母の教え「大きな願いは10年かけて祈りなさい」 2020年1月22日
「大きな願いは10年かけて祈りなさい」——この母の言葉通り、10年ごとに目標を立て、50年以上になる婦人がいる▼彼女は結婚後、20歳の時に東京で年中無休の中華料理店を開店。仕事と家事・育児に追われる日々が続いた。多忙な中で脳裏に浮かんだのは新潟・佐渡の"広布の一粒種"である母の姿。"母のように信心で宿命を転換したい"と、どんなに大変でも唱題と仏法対話だけは欠かさなかった▼以来、実らせた弘教は20世帯を超える。地域友好のために50歳で始めた舞踊では名取・師範の資格を取得。60歳で家業を後継に譲り、悠々と学会活動ができる境涯になった。「途中で諦めずに祈り続けたことは必ずかなってきました。本当に気持ちがいいです」と。昨年末には、青年世代の友を入会に導くこともできた▼「十年一昔」どころではなく、世の中の変化は激しい。人の心もまた移ろう。どんなに決意していても、周囲の状況が変われば、意志が揺らぐこともある。そのたびに初心を思い起こし、自ら決めた目標へ、挑戦を続けることができるかどうか。そこに人生勝利の要諦がある▼ロシアの科学者ロモノーソフは「小事ができない者に大事はできない」と。広布と人生の壮大な建設もまた、今の決意、今日一日の勝利から始まる。(仁)

寸鉄 2020年1月22日
学会は強気でいけ!それが正義のため—戸田先生地涌の誇りに胸張り前進
高知青年部の日。魁光る勇者よ対話の大旋風を!愛する志国に勝ち鬨轟け
「各各なにをかなげかせ給うべき」御書。苦難の時こそ題目。誓願の祈りで
大麻摘発、若年層に増加。興味本位の中高生にも。根絶へ対策の強化が急務
災害時の救助は初動が重要、向こう三軒両隣が鍵と。日常的な声掛けこそ

☆ロータスラウンジ——法華経への旅 第12回 授学無学人記品第九
◇信じる者、信じない者にも妙法を説き救っていく——ここに真の"授記"がある
法華経について、皆で学び、深めよう——「ロータスラウンジ——法華経への旅」の第12回は、「授学無学人記品第九」です(前回は12月10日付。原則、月1回掲載)。

■大要
十大弟子で「多聞第一」の「阿難」と「密行第一」の「羅?羅」、そして有学(まだ学ぶものがある者)・無学(もはや学ぶものがなくなった者)の2000人の声聞たちに授記がなされます。
釈尊にとって阿難はいとこ、羅?羅は子に当たります。
それでは内容を追ってみましょう。

●シーン1
阿難・羅?羅は、思います。
"私たちにも授記してくださればうれしいのに……"
そして二人は、座から立ち上がって、釈尊のもとに行って礼拝し、語ります。
「私たちにも記別を授けてくだされば、私たちの願い、そして衆生の望みも満足することができます」
その時、学・無学の弟子2000人も、同じ思いになり、立ち上がって合掌します。

●シーン2
釈尊は、阿難に告げます。
"来世に、山海慧自在通王如来という仏になる……"
そして、仏として出現する国土や時代などが語られます。
発心して間もない8000人の菩薩たちは、それを目の当たりにして、疑問を抱きます。
"そうそうたる大菩薩たちが記別を授けられていないのに、どういう因縁によって、もろもろの声聞たちは授記されたのだろう"
釈尊は、人々の疑念を払うように、告げます。
"私と阿難たちは、空王仏のもとで同時に発心した。
阿難は常に多くの説法を聞くことを願い、私は常に精進した。
ゆえに、私は先に仏になることができたのだ……"
阿難は記別を受け、大いに歓喜し、深心の本願を思い出すことができた。
続いて釈尊は、羅?羅に授記します。
"来世に、蹈七宝華如来という仏になる……"
そして、仏として出現する国土や時代が語られます。

●シーン3
釈尊は、居並ぶ学・無学の2000人を見つめ、その求道心を確信し、阿難に告げます。
"この2000人を見ているか"
"もちろん、確かに見ています"と、阿難は応じます。
釈尊は、さらに語ります。
"阿難よ。この人たちは、無量の仏に供養し、同時に十方の国で成仏することができる。皆が同じ宝相如来という仏になる……"
学・無学の2000人は、記別を授けられ、歓喜しました。

——この「授学無学人記品第九」までで、声聞たちへの授記が終わります。

■十界の成仏
方便品第二から授学無学人記品第九までは、法華経迹門の中心的な部分となります。
法理としては「開三顕一(三乗を開いて一仏乗を顕す)」が説かれ、物語としては、大部分が声聞への授記になっています。実は、声聞たちへの授記の物語を通して、十界互具の法理が示されています。
池田先生は「声聞への授記」について、次のように語られています。
「『一切衆生への授記』です。声聞に、とどまるものではありません。すべての人が成仏できる。すべての人が、仏の智慧を譲り受けて、『人を救う人間』になれる。そういう考えが、阿羅漢も学・無学もなく、すべての声聞に授記されるということのなかに示されています」
法華経以外の大乗経典では、二乗(声聞・縁覚)は、煎った種から決して芽が出ないように、仏種を断じられて永久に成仏できないとされていました。
二乗の成仏が許された意義について、池田先生は語っています。
「法華経に至って成仏を許された。これは、十界の成仏を明かしたことになるのです。
なぜなら、一人の声聞には十界の生命が具わっている。ゆえに、一人の声聞に授記したことは、その生命の十界が成仏できるということです。十界が成仏できるということは、どの界の衆生も成仏できるということになる。
反対に、声聞界が成仏できなければ、菩薩の生命の声聞界も、仏の生命の声聞界も成仏しないことになる」
声聞たちへの授記には、法華経の説く十界互具の哲理が輝いているのです。

■三周の声聞
声聞にも機根(仏法を理解し信じ実践する能力・資質)の差があり、方便品第二から授学無学人記品第九まで、それぞれに応じて説き進められ、記別が与えられました。
用いられた説法は、法理を説く「法説周」、譬えを用いて説く「譬説周」、因縁を明かして説く「因縁周」の三つです。「周」とは「めぐる」という意味で、釈尊の説法を受ける→声聞が理解したことを語る→声聞の理解を釈尊が承認する→記別を授ける、という流れの一巡を一周といい、これを三度繰り返します(三周)。
具体的には、法説周の声聞は智慧第一の舎利弗です。方便品第二で諸法実相などの法理を聞いて理解し、譬喩品第三で記別を受けました。
次に譬説周の声聞は、須菩提、迦旃延、迦葉、目?連の四大声聞です。釈尊が譬喩品第三で「三車火宅の譬え」を説きます。それに対して四大声聞は「長者窮子の譬え」で理解したことを示し、授記品第六で授記されます。
因縁周の声聞は、まだ理解できない富楼那、阿若?陳如、阿難をはじめ多くの声聞たちです。化城喩品第七で、三千塵点劫という遠い昔からの師弟の因縁を聞き、五百弟子受記品第八・授学無学人記品第九において記別が与えられます。
釈尊は、声聞たちに法を理解させようと、あらゆる手段を使い、心を尽くして導いたのです。
大事なことは、諦めずに、粘り強く、相手の理解を確認しながら、対話を深めていくことです。

【『法華経の智慧』から】 あなたも仏と同じ境涯になれる
「二乗成仏」が仏法の要なのです。
そもそも声聞は、つねに釈尊の周囲にいた、最も身近な人々です。その人々を成仏させられないのでは、何のための仏法かということになりかねない。
一方、二乗は「焦種」といって、仏種を焦がし亡ぼしているとされる。そういう二乗も成仏させられるということを通して、一切衆生を成仏させる法華経の力を示したのです。
一切衆生に対して「あなたも仏と同じ境涯になれる」と宣言したのです。これが"授記の心"です。
◆ ◇ ◆
智者、愚者を問わず、妙法を説いていく。信じる者も信じない者も問わず説いていく。信じない者も、毒鼓の縁、いわゆる逆縁の功徳で救っていく。ここに真の"授記"があるのです。
このことを実践してきたのが創価学会員です。
学会の中にこそ、法華経の心は生きているのです。
(普及版<上>「五百弟子受記品 授学無学人記品」)

【コラム】 多聞と精進——分かるよりも変わること
「授学無学人記品第九」では、釈尊と阿難の前世の因縁が明かされている箇所があります。
——私(釈尊)は阿難と一緒に、空王仏に仕え、同時に発心した。
阿難は多聞(多くの教えを聞くこと)を願い、私は精進(絶えず修行に励むこと)に勤めた。だから私は先に仏になれた——と。
釈尊が先に仏になれたのは、絶えず実践に励んだからであると記されています。
戸田城聖先生は語っています。「講義を受け、また、御書を拝して、ただ分かったというだけでは、理である。いかに、その通りに信行に励んだかが大切である」「分かることよりも変わることだ」
さあ、友の幸福を祈ろう! さあ、対話に挑戦しよう!——自他共の幸福を真剣に願える境涯に自らを変革し、仏法対話にまい進できる自分に革命することこそが、成仏の直道なのです。

2020年1月21日火曜日

2020.01.21 わが友に贈る

誰も見ていない時に
何をなしているかに
その人の本質が現れる。
広布の祈りと行動を貫く
"一人立つ"勇者たれ!

三世諸仏総勘文教相廃立 P564
『心の不思議を以て経論の詮要と為すなり、此の心を悟り知るを名けて如来と云う』

【通解】
心の不思議さをもって、仏教の経典と論の説く肝要とする。この不思議なる心を悟り知った人を、名付けて如来という。

名字の言 人生の意味を求めることとは——精神科医フランクルの洞察 2020年1月21日
ナチスのユダヤ人強制収容所から生還した精神科医V・E・フランクルは「生きがい」について思索した。そして人生の意味を見いだし、生きがいを探求する心理療法「ロゴセラピー」をに結実させる▼彼は「意味を求めること」こそ「人間の生命の根源的な力」だと考えた。「この意味は各人にとって唯一かつ独自なものであり、まさにその人によって充たされねばならず、またその人だけが充たすことのできるもの」だ、と(『意味による癒し』春秋社)▼忘れられない先輩の励ましがあると、男子部の友が教えてくれた。「君がこれまで悩み苦しんできたことは、君にしか救えない人を励ます力になる」——その通りだった。弘教を実らせるたびに彼は、友人のそれぞれが自分と同じように病や経済苦を抱えていたことに気付く▼法華経には地涌の菩薩が六万恒河沙の眷属と共に出現する姿が説かれる。一恒河沙はガンジス川の砂粒の数。眷属とは共に生きる仲間であり、仏の教えに連なる人々の意味だ。一人の地涌の菩薩には、数え切れない人々に希望を送り、仏法に導く力が備わっている▼妙法を語り弘めることこそ「今生人界の思出」(御書467ページ)。この世界のどこかに自分を待っている人が必ずいる。かけがえのない"私の使命"を果たしていこう。(之)

寸鉄 2020年1月21日
日蓮仏法は「百発百中の生活法則」—先師。大確信の祈りで"諦め"の壁破れ
練馬の日。大東京に光る広布の師弟城。皆が青年の心で模範の対話拡大を
幹部は速度が勝負。悩める同志に励ましを!陰の友に感謝を!電光石火で
幸福は一人では味わえない—作家。最高の宝友と歩む触発と歓喜の無上道
火災に注意。タコ足配線、コンセントの埃、建物周囲の可燃物—指差し確認

☆みんなで学ぶ教学 第5回 信行学
◇信心の基本を実践しよう
今回の「みんなで学ぶ教学」は、「信行学」をテーマに学びます。日蓮仏法の実践の基本に徹し、正しい信心の軌道を歩んでいきましょう。さっそく、新年の決意に満ちた新会員のリホさんが、地区婦人部長のユリコさんに抱負を語っています。

ユリコ リホさん、「今年こそ!」と決意しているようね。目標に向かって挑戦する今こそ、仏法を実践していく上での基本である、「信」「行」「学」を確認しましょうね。

リホ はい。基本といえば、学生時代、テニス部の先輩も"基本が大事だ!"と熱っぽく語っていました。私はつい、手を抜いちゃって注意されていましたけど……。

ユリコ 地道に努力を重ねることは簡単ではないけれど、どんな分野でも一流の人は基本を怠らないわ。

リホ 「信」「行」「学」について、それぞれ詳しく聞かせてください。

ユリコ OK! まず、仏の教えを信じて受け入れることが「信」で、信受とも言うの。
私たち学会員が信じる仏の教えとは、日蓮大聖人の仏法のこと。その信仰の根本の対象が御本尊なのよ。御本尊には、全ての人々を救おうという大聖人御自身の仏の生命が、そのまま顕されていると、言われているわ。
この御本尊を、私たちが成仏の境涯を開くための唯一の縁として深く信じることが、信心の根本なの。

リホ 私も御本尊を信じて題目を唱えるようになって、強くなったというか、困難に負けない自分自身に変わってきたと感じます。

ユリコ 素晴らしい体験ね! "何ものにも揺るがない仏性が、私たちの生命には具わっている"ことは以前に学んだよね。この仏の生命を開くために、御本尊を信受した上での具体的な実践が必要になるの。これが「行」よ。
「行」には、自身が法の功徳を得るために実践する「自行」と、他人に功徳を受けさせるために仏法を教える「化他行」の二つがあるの。日々の勤行(読経・唱題)が自行で、折伏、仏法を人に語ることが化他行よ。

リホ なんだ、修行というからには、特別なことかと思ったら、日々、挑戦していることですね。

ユリコ そのとおりよ! 広宣流布のための、いろいろな活動も化他の修行に含まれるわ。

リホ 友人に信心のことを語った方がいいのですね?

ユリコ 大聖人は「自行と化他の両方にわたる南無妙法蓮華経である」(御書1022ページ、通解)と仰せになっているの。自行化他の両方に取り組むことが正しい修行だから、ぜひ仏法対話にも挑戦していこうね。
私も、はじめて友人に学会の素晴らしさを語った時、緊張したわ。でも、信心で得た功徳や体験を自分の言葉で語り切った時の感動は忘れられないわ。

リホ 私もユリコさんみたいに語ってみたいです。

ユリコ リホさんは、聖教新聞を通して地道に「御書」を学んでいるじゃない。この実践こそが、「学」よ。大聖人が遺された御書の拝読を根本に、仏法の正しい法理を学んでいるなんて本当に素晴らしいわ。
第2代会長・戸田城聖先生は、「信は理を求め、求めたる理は信を深からしむ」と語っていたのよ。御書を学べば、信が深まり、深まった信は、自然と行動へとつながるからね。

リホ 照れますね……。ただ、信心について何も分からないので、自分勝手に間違って捉えちゃうのが怖いと思ったんです。

ユリコ 大聖人は、「返す返す此の書をつねによませて御聴聞あるべし」(同1444ページ)等と、御書を繰り返し拝すよう呼び掛けられているわ。
さらに、「行学の二道に励んでいきなさい。行学が絶えてしまえば、仏法はない。自分も行い、人をも教え導いていきなさい。行学は信心から起こる。力があるなら一文一句であっても人に語っていきなさい」(同1361ページ、通解)と仰せになっているの。

リホ 「行学の二道」——心に刻みました! ユリコさんを見習って私も頑張ります!

2020年1月20日月曜日

2020.01.20 わが友に贈る

◇今週のことば
SGIの結成45周年!
勇気と誠実の語らいこそ
平和の種を蒔く力なり。
「自他共に智慧と慈悲」の
世界市民の絆を一段と!
2020年1月20日

減劫御書 P1466
『智者とは世間の法より外に仏法を行(おこなわ)ず、世間の治世の法を能く能く心へて候を智者とは申すなり』

【通解】
智者は、世間の法と別のところに仏法を行ずることはない。世間の治世の法を十分に心得ている人を、智者というのである。

名字の言 親はわが子の"自ら育つ力"を信じて愛情を注ごう 2020年1月20日
「わが子が言うことを聞かず、思うような子育てにならない」と嘆く母親がいた。長年、幼児教育に携わる友が助言を。「『子育て』というよりも『子育ち』と捉えましょう」▼子どもは本来、「成長したい!」と思っている。親の役割は、子どもの"自ら育つ力"を信じて愛情を注ぎ、励まし、その子らしく育つよう見守ることだという。「花と同じです。水をやって、太陽の光を当てて、たまに周りの雑草を抜いてあげればいい。大人の思うようにコントロールしようとすると、かえって花はきれいに咲かないものです」▼こうあってほしい、こうなってほしい、こうだったらいいのに……と思ってしまうのが親心。だが子は親の分身ではない。子には子の思いがあり、個性があり、人生がある▼仏法が説く「桜梅桃李」とは、その人が最もその人らしく使命の花を咲かせられるよう、個々の生き方を尊重する哲理だ。子育てに限らず、人材育成もこの視点から問い直すことで道が開けていく▼御書に「餓鬼は恒河を火と見る人は水と見る天人は甘露と見る水は一なれども果報に随って別別なり」(1025ページ)と。同じものを見ても、境涯によって捉え方は違う。会う人全てを"無二の花"と見ることが、人を育てる出発点と心得たい。(之)

寸鉄 2020年1月20日
「鏡に向って礼拝を成す時浮べる影又我を礼拝」御書。真心は必ず伝わる
牙城会「永遠の指針」発表40周年。信念・努力・忍耐胸に現実社会を勝ち抜け
香川県婦人部の日。正義の太陽は明るく朗らか!励まし対話へ颯爽と前進
広布へ個々人が力を発揮すれば団結も深く—恩師副役職が光る組織は無敵
大学生の内定率は高水準を維持と。若者の活躍は希望。公明よ後押し更に

☆女子部ロマン総会への池田先生ご夫妻のメッセージ 2020年1月15日
生き生きと希望はずむロマン総会、誠におめでとう!
日本全国、そして世界の創価家族が、皆さんの笑顔の花咲く語らいを、喜び見つめ、讃えています。
私も妻と、集われた皆さんの一人一人に届けと、題目を送りつつ、見守っています。

◇妙法は「心の財」積みゆく力
日蓮大聖人は、「蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり、此の御文を御覧あらんよりは心の財をつませ給うべし」(御書1173ページ)と仰せになられました。
たとえ、どんなに財宝などの「蔵の財」や、才能などの「身の財」に恵まれていても、それだけでは確かな幸福を築くことはできません。
厳しい社会の現実にも負けず、激しい時代の変化にも崩されない幸福の境涯を築くためには、どうすればよいか。
どうしても「心の財」を積んでいくことが必要です。
その「心の財」を無限に積んでいけるのが、妙法の信仰です。
「広宣流布」という民衆の幸福と世界の平和への行動です。
ここにこそ、「蔵の財」も「身の財」も、自分らしく輝かせて、家族にも友人にも、地域にも社会にも、限りなく希望の光を贈りゆける最高の青春の道があるのです。

◇世界の学会家族と共に
どうか、苦しい時も楽しい時も、「歓喜の中の大歓喜」(同788ページ)である題目を唱えながら、世界中に「友情の花園」を織りなす学会家族と共に、自信をもって、仲良く明るく「心の財」のスクラムを広げていってください。
大事な大事な皆さん方が、健康で、朗らかな充実した一日一日であるように、私も妻とさらに一生懸命、祈り続けていきます。
尊き華陽姉妹に、一人ももれなく、青春の「勝利の宝冠」よ輝け!

2020年1月19日日曜日

2020.01.19 わが友に贈る

わが家庭・地域の
未来部・青年部を
信心の後継者に!
全員が使命の人だ。
皆で励まし 共に前へ!

四条金吾殿御返事 P1122
『父母師匠主君を頂を地につけて恭敬し奉りしゆへに此の相を感得せり』

【通解】
父母・師匠・主君を恭敬したゆえにこの相を感得したのである。

名字の言 生誕250周年のベートーベン。楽聖に学ぶ生き方とは? 2020年1月19日
今年はベートーベンの生誕250年。国や時代を超え、人々を魅了し続ける名曲の数々は、いかにして生み出されたのか。楽聖の生き方に学ぶことは多い▼彼は立場や肩書を気にする人ではなかった。「僕の芸術は貧しい人々に最もよく役立たねばならぬ」(片山敏彦訳)と宮廷を飛び出し、市民の前で演奏した。権威の象徴とされたかつらもかぶらなかった▼彼は、何があっても前進し続ける人だった。古い社会との摩擦、耳の病、母や弟の死、経済苦……。過酷な"運命"を打ち砕くかのように猛然と曲を作り、己の胸中に"歓喜"を湧き上がらせた。「一行なりとも書かざる日なし」(佐々木斐夫・原田煕史訳)と▼哲人ソクラテスの「シビレエイの譬え」のごとく、自分自身が感動すれば、その生命の波動は必ず周囲に広がっていくものだ。人材を育て、歴史を築く要諦もまた、立場や境遇では決まらない。わが心に広布への情熱が燃えているかどうかだ▼どんなに優れた音楽でも、楽譜に書かれているうちは、ただの音符にすぎない。奏でる人がいてこそ、魂がよみがえり、人の心に響く。人生もしかり。最高の仏法哲理を持ったからには、自分が語る! 自分が行動する! 一人立つ勇者の気概で勇躍、まい進していきたい。(誠)

寸鉄 2020年1月19日
『新・人間革命』は人生の価値を高めてくれる一書—作家。学び成長の糧に
一対一が広布伸展の鍵。会合と個人指導の比率を2対8に。今日から挑戦
負けてたまるかと祈るのだ—戸田先生。闘病の友よ大生命力で蘇生の劇を
70歳超えても働きたい—60代の半数超。豊かな経験は宝。生かす社会、皆で
歯周病で脳卒中等の危険増と。丁寧な歯磨きから。良き習慣こそ健康の秘訣

☆「求道の大航海」40周年特集——池田先生が四国の友に贈る指針 2020年1月13日
1980年(昭和55年)1月14日。第1次宗門事件の嵐が吹き荒れる中、四国4県の代表約800人が客船「さんふらわあ7」号に乗り、池田先生の待つ神奈川文化会館へ駆け付けた。この共戦の原点から、あすで40周年。池田先生が四国の友に贈ったスピーチや指針などを紹介する。

◇「私たちの師匠は池田先生だ!」
<四国から広布の新時代を告げる"紅の朝"が明けようとしていた。
1979年(昭和54年)、池田先生が第3代会長を辞任。宗門の悪侶と退転・反逆者が結託して、仏意仏勅の学会を破壊しようと画策し、先生と会員の絆を断ち切ることに躍起になっていた。
荒れ狂う烈風は、四国でも激しさを増していた。だが、友の正義の心は、紅のごとく燃えていた。
「池田先生が動けないのなら、私たちが先生のもとへ行こう!」「私たちの師匠は永遠に先生だ!」——師弟共戦の思いは、「求道の大航海」となって結実した。
池田先生は「広宣流布の勝利の大船」と題した随筆で、当時を述懐している。>

昭和五十五年初頭——あの狂気じみた宗門事件の暗黒の嵐が、まだ吹き荒れていた日々であった。青年の決意に燃えて立ち上がった、わが四国の賢者たちが、神奈川で広宣流布の指揮をとっていた私のもとへ、客船をチャーターして、海路、意気揚々と駆けつけてくれたのである。

船は白亜の客船「さんふらわあ7」号である。東海上に低気圧があり、海上は荒れて、出航が危ぶまれていた。しかし、船は高らかに汽笛を響かせ、さっそうと、大波浪に向かって勇敢に旅立った。

同志の胸の奥は、義憤に燃えたぎっていた。"なんと卑劣な宗門か。なんと残酷な宗門か。先生を狙い打ちにして、広布の師弟の絆を断絶させようとの謀略だ。なんという卑怯な陰謀だ。宗祖の精神に背いた、この悪逆なしわざは永劫に広布の大汚点として残りゆくことは間違いない!"と。

いずこであろうが、いかなる怒濤があろうが、広宣流布のためなら、その主戦場へ、真っ先に駆けつける! 正義の言論戦で、勝利の旗を必ず打ち立てる! 大四国には、その闘争の精神が、時代とともに燃え上がっている。

<真冬の香川・高松港から、横浜市の神奈川文化会館へ。船旅は20時間以上に及んだ。
80年(同55年)1月14日、陽光が注ぐ中、船が横浜港に入っていくと、「池田先生が桟橋にいらっしゃいます!」という船内放送が。同志の歓呼が轟いた。
その後、航海は第2陣(同年5月16日、徳島・小松島港発)、第3陣(同19日、愛媛・三津浜港発)と続き、計3回、約3000人が先生のもとに集ったのである。
先生は折あるごとに、四国の友に脈打つ共戦の魂を語ってきた。>

会長を勇退していた私は、四国の地から、四国の同志とともに、反転攻勢の指揮を執り始めた。そして今日までの、世界広宣流布の大道を勝ち開いてきたのである。
原点は四国である。

四国は、私とともに「正義」の歴史を創り、「闘争」の歴史を残し、そして「勝利」の歴史を開いてきた。そのことを明言しておきたい。二十一世紀の勝利の暁鐘もまた、四国から全日本に、晴れ晴れと乱打していただきたい。

◇信心の強き一念
<四国の各会場に2万5000人が集った第1回四国総会(90年11月)。池田先生は「一念」の重要性を訴えている。>

気迫が大事である。嘲笑や迫害に、ひるんだり、へつらったりする弱い心であると、ますます増長するものである。魔は、こちらが強い心で進んでいけば退いていくし、心が弱くなれば、ますます勢いを増して襲いかかってくるものである。
「仏法は勝負」である。ひるんではいけない。負けてもならない。相手に財力があるから、名声があるから、権威・権力があるから——そんなものは、信心とはまったく関係がない。信心の利剣で戦い勝っていけばよい。信心の強き一念が、知恵を生み、その知恵によって、一切の幸福を勝ち開いていけるのである。

大目的に向かって懸命に行動しゆく人生ほど、気高いものはない。また強いものはない。
いわんや、強盛な信心を貫く「信念の人」には、梵天・帝釈をはじめ、諸天善神の守護があることは間違いない。
信心の大道も、広布の正道も長い。その途上には、さまざまな苦難があることも必定である。しかし、苦難や障害に、決して屈することなく、信心を持続し抜いていただきたい。その不退転の行動がある限り、諸天の加護によって、加速度的に回転を速め、常識では思いもよらない大勝利の"証"を築いていくことができるのである。

◇正義の潮流は四国から全国、全世界へ
<2001年の四国総会で池田先生は、四国の求道の息吹が全国への波動を生んできた歴史に言及。四国の同志の奮闘をたたえた。>

すべてにおいて、四国の皆さまの健闘は素晴らしい。「四国広布の基盤は盤石に築かれた」と私は確信している。
何事も勝つことである。
勝つことは喜びであり、功徳であり、幸福である。負けるような人間は、人を幸せにする力がない。
激しき社会のなかで、正義を貫き、人格を磨きながら、戦い、勝つ人間。強い人間。力ある人間。そういう人間にならねばならない。

信仰とは「精神の強さ」である。人間としての「生きる力」の泉である。弱い信仰は、本当の信仰ではないのである。
強き人には、"苦悩の烈風"さえも"歓喜の春風"に感じられる。弱き人は、すべてが地獄の苦しみとなる。それでは敗北者の姿である。「友のために」「広宣流布のために」——悪と戦い、一切の苦悩をも楽しみながら、悠然と前進してまいりたい。

<反転攻勢の基点となった正義の航海——四国の青年は、不滅の原点を胸に、拡大の金字塔を打ち立ててきた。2006年11月、第4回「四国青年部新世紀総会」で、池田先生は四国の青年に訴えた。>

この仏意仏勅の崇高なる創価学会を、何ものにも壊させてはならない。なかんずく、四国は、どこよりも学会精神が燃え上がる天地であります。
学会精神は、いかなる時も師匠と共に戦い抜く「師弟不二」の魂です。
学会精神は、わが身を惜しまず広布に生き抜く「不惜身命」の決意です。
学会精神は、同志を護り後輩を励まし育てる「異体同心」の団結です。
この学会精神の真髄を、わが四国青年部こそが、永遠に全世界の青年部に示し切っていただきたい。

<今、新たな志を立て、「正義の志国 魁け 勝利月間」を躍進する四国の友。学会歌「紅の歌」を歌いながら、広宣拡大の暁鐘を打ち鳴らし、誓いの航路を突き進む。>

2020年1月18日土曜日

2020.01.18 わが友に贈る

積雪や路面凍結による
転倒や交通事故に注意!
"私は大丈夫"という
心の隙や慢心を排そう。
今一重の用心を!

四恩抄 P937
『法華経の故にかかる身となりて候へば行住坐臥に法華経を読み行ずるにてこそ候へ、人間に生を受けて是れ程の悦びは何事か候べき』

【通解】
法華経のゆえに、このような流罪の身となったのであるから、これこそ行住坐臥に法華経を身で読み、行じていることになったのである。人間世界に生を受けて、これはどの悦びはほかにあるであろうか。

名字の言 いよいよ受験シーズン本番。周囲は受験生とその家族に配慮を 2020年1月18日
「はちまきを結びて挑む冬の夜」。高校受験を目前に控えていた女子未来部員が、机に向かう自身の姿を詠んだ句だ。先日、鹿児島県南九州市で開催された俳句大会で、約13万の応募作から「県俳人協会賞」に選ばれた▼勉強に疲れた深夜、母が小豆を煮詰めて作ってくれたぜんざいの味が忘れられないという彼女。地域の学会の同志も、"新聞に受験生向けの特集があったから"と切り抜きを届けてくれたり、"頑張ってるね"と、そっと声を掛けてくれたりした▼「皆さんのさりげない応援が、不安でいっぱいだった私の心を温めてくれました」と彼女。ブロック長の父、地区婦人部長の母の祈りにも支えられ、志望していた高校の合格を勝ち取った。"自分も周りにいる人を元気にしたい"と語る彼女の夢は看護師になることだ▼受験シーズンもいよいよ本番。受験生は追い込みの時期となり、支える家族も体調管理など細心の注意を払う日々が続く。受験生のいる家庭に対しては長時間の電話や打ち合わせを控えるなど、周囲も配慮が欠かせない▼未来部員は「法華経の命を継ぐ人」(御書1169ページ)であり、一人一人が宝の存在。受験生だけでなく、希望の未来に向かって勉学や部活動に取り組む友に、真心のエールを送ろう。(誼)

寸鉄 2020年1月18日
「今年の学会は、去年の学会であってはなるまい」恩師。日々、一歩前進を
列島彩る女子部「ロマン総会」がたけなわ!心を結ぶ希望の語らいここに
「鉄は炎打てば剣となる」御聖訓。青春の薫陶こそ人生の財産。共々に成長
自信こそ勝利の要件だ—作家。桜梅桃李の使命が皆に。励ましを幾重にも
今日からセンター試験。最後まで諦めず学んだ力を発揮。頑張れ受験生!

☆中等部結成記念大会への池田先生のメッセージ 2020年1月14日
◇強く賢い「正義の走者」たれ
最も信頼し、最も期待する中等部の皆さん、記念の大会、誠におめでとう! 保護者や担当者の方々、いつも本当にありがとうございます。
わが師・戸田先生が皆さんと同じ年代だった時、友だちから敬愛を込めて呼ばれていた「あだ名」があります。フランスを舞台に活躍した大英雄の名前です。そうです! 「ナポレオン」です。大の読書家であった戸田先生は、ナポレオンなどの伝記を読みこなし、友人たちに楽しく語り聞かせたのです。
ナポレオンは、いつでも、どこでも「勇気」の力で道を開いてきました。
戸田先生と私もナポレオンの合言葉をよく語り合いました。それは「前進!」。
まさしく創価の師弟は、どんな試練が立ちはだかろうとも、「前進また前進!」と、平和・文化・教育の大道を、この地球上に広げてきたのです。
日蓮大聖人は、「つるぎなんども・すすまざる人のためには用る事なし、法華経の剣は信心のけなげなる人こそ用る事なれ鬼に・かなぼうたるべし」(御書1124ページ)と仰せになられました。
若くして皆さんが巡りあえた仏法は「無敵の剣」です。あらゆる苦難の闇を打ち破り、栄光の青春を勝ち開く「最強の力」です。この宝の剣は、何があっても絶対にへこたれない、断じて負けないと決めて題目の師子吼を唱え、前へ前へ進みゆく皆さんの若き勇気の生命にこそ、燦然と光り輝くのです。
戸田先生は「広宣流布」即「世界平和」の大願に生きゆく創価家族の人生は、ナポレオンのような英雄より、さらに何十億倍も勝ると宣言されました。まさに皆さんのお祖父さん、お祖母さん、お父さん、お母さん方のことです。
どうか、その最も誇り高き後継者として胸を張って、朗らかに学びに学び、鍛えに鍛えていってください。嫌なことや苦しいことも、良き仲間と歌を歌いながら、笑い飛ばして勝ち進みゆく、強く明るく賢い「正義の走者」たれ!
さあ、10年後の2030年を目指して、世界の友と一緒に、私と一緒に、勉学第一、健康第一、親孝行第一で、大いなる希望の前進を開始しよう!(大拍手)

2020年1月17日金曜日

2020.01.17 わが友に贈る

身近な家族を大切に!
感謝の思いを言葉に!
一家和楽の実現こそ
幸福の土台であり
学会永遠の指針なり!

妙一尼御前御返事 P1255
『信心と申すは別にこれなく候、妻のをとこをおしむが如くをとこの妻に命をすつるが如く、親の子をすてざるが如く子の母にはなれざるが如くに、法華経釈迦多宝十方の諸仏菩薩諸天善神等に信を入れ奉りて南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを信心とは申し候なり』

【通解】
信心というのは、特別これといって難しいものではありません。妻が夫をいとおしく思うように、また夫が妻のためには命をすてるように、親が子を捨てないように、子供が母親から離れないように、法華経・釈迦・多宝・十方の諸仏・菩薩・諸天善神に信を入れて、南無妙法蓮華経と唱え奉ることを信心というのです。

名字の言 阪神・淡路大震災から25年。心を結び、希望を灯す励ましを未来へ 2020年1月17日
本来なら、その日は兵庫男子部にとって一年の広布勝利を誓い合う日だった。1995年1月17日、阪神・淡路大震災が発生。予定されていた兵庫男子部の集いは中止となった▼街は廃虚同然となり、深い喪失感に覆われた。その中を"負けたらあかん!"と兵庫男子部の友は救援活動に奔走した。震災から2カ月後、池田先生は「諸君の御健闘に感謝し、兵庫の未来が無事安穏である事を祈りつつ」と3首の和歌を贈った▼「見も知らぬ さまよい疲れる 人々を 抱きかかえたる 尊き君らよ」「恙なく 無事安穏の 操縦を 若き英雄 嘆かず指揮とれ」「沈黙を 破りて轟く 歌声の 指揮をぞ頼まむ 池田門下と」。先が見えない苛立ちを多くの人が募らせている中、兵庫の友は師の励ましを抱き締め、復興への歩みを進めていった▼仏の別名を「能忍」という。悪世の娑婆世界という舞台に出現して、よく耐え忍び、慈悲をほどこすことを意味する。震災という極限状態の中で兵庫の友が発揮したのも、この不屈の「能忍の力」である▼友の心に"負けじ魂の炎"を点火するのは、時を逃さない渾身の励ましだ。それは一生にわたって相手の心を鼓舞し続ける。大震災から25年。心を結び、希望の灯をともす励ましの力をこそ、未来につなぎたい。(燦)

寸鉄 2020年1月17日
釈尊は喜び溢れ自分から先に話し掛ける人—仏典開かれた心で仏縁拡大を
阪神・淡路大震災25年。不撓不屈の歩みは歴史に厳然。希望の絆更に強く
御書を拝せば全て分かる—戸田先生。若人よ日々の激闘の中で繙き深めよ
気候変動は、もはや「気候危機」のレベル—専門家民衆の声と行動を一つに
気温低下時の路面凍結に注意。慣れた道でも焦りや油断は禁物。無事故で

☆世界広布新時代第45回本部幹部会での原田会長の話
◇一人立つ精神で拡大に挑戦
一、学会創立90周年の開幕を告げる「世界広布新時代第45回本部幹部会」の開催、誠におめでとうございます(拍手)。
また、本日は、19カ国・地域から、151人のSGIメンバーも参加されています。遠いところ、ようこそお越しくださいました。心より歓迎申し上げます。

一、はじめに、昨年末の財務につきまして、広布部員の皆さまの尊き真心に、厚く御礼申し上げます。ますます皆さまが、福徳薫る幸福境涯を開かれますよう、真剣に祈念してまいります。

一、さて、このほど創立90周年記念事業の一環として、また、日蓮大聖人御聖誕800年を慶祝する意義も込め、新版の御書全集を、明2021年11月18日に発刊する運びとなりました。大変におめでとうございます(拍手)。
これは池田先生に監修していただいて、現在の御書全集よりも文字を大きくし、改行や句読点も増やし、会話文には、かぎかっこを付けるなど、御書が、特に青年にとって、さらに読みやすくなるよう、組み直して刊行するものです。また、現在の御書全集が発刊された後などに発見された真筆の御書も新たに収録します。
どうか楽しみにしていただきながら、行学錬磨の仏道修行に、一層まい進していきたいと思います。

◇一騎当千の青年の陣列を
一、いかに時代が変わり、環境が変われど、永遠不変の根本精神が、学会にはあります。それは、「御書根本」「大聖人直結」の信心であり、師弟不二の「一人立つ精神」です。
池田先生は、世界広布の第一歩をハワイの地にしるされた折、ただ一人、空港で先生を出迎えた青年を、男子部の班長に任命されました。その際、先生は青年に、こう指導されます。
「日本で班長といえば百人ぐらいの部員がいるが、君には一人もいないことになる。でも、班長は班長です。その自覚で、君が自分の力で班をつくっていくんだよ。それが本当の学会の組織なんだ。
戸田先生は『青年よ、一人立て! 二人は必ず立たん、三人はまた続くであろう』と言われている。その精神で戦うのが学会の真実の青年です」
このご指導に、学会精神の真髄が凝縮されています。創価の三代会長による一人立つ師子の闘争ありて、そしてまた、その師匠に呼応して立ち上がった青年の師子吼によって、今日の世界広宣流布があることを、私たちは、ゆめゆめ忘れてはなりません。
10年前、学会創立80周年を前に池田先生は、青年たちに訴えられました。
「(戸田)先生は、決して青年を甘やかされなかった」「師匠の期待と信頼に、私を中心に完璧に応えてきたのが、創価学会青年部の栄光である。この伝統を担い立ち、青年部が、すべてを勝ち開いていく時が、学会創立80周年であると、私は強く申し上げたい」と。
創立90周年もまた、青年部が、学会の伝統を担い立ち、池田先生の期待と信頼に応え、一切を勝ち開いていく時であると確信いたします。
また、先輩の壮年部・婦人部にあっては、放任主義も、過保護も、真の慈愛ではありません。青年部を一騎当千の人材に育てるべく、粘り強く祈り、温かく励まし、こまやかに指導してまいりたい。

◇訪問・激励と座談会の充実こそ要
一、池田先生の会長ご就任60周年となる「5・3」を目指して、全国・全世界で弘教・拡大の大波が起こっています。
この時に当たって、ともどもに銘記したいのは、一番地道な「訪問・激励」と「座談会」こそ、折伏・弘教の前進にあって最も大切だということです。
池田先生のご闘争は常に、一人一人への信心指導、励ましからでした。
東京・蒲田の「二月闘争」にしても、先生は、今のブロックに当たる「組」に焦点を当て、中心者の組長など最前線に立つメンバー一人一人への訪問・激励に歩き抜かれました。
葛飾で総ブロック長として戦われた時も、「全会員が、しっかり勤行できるようにしていこう」との目標を掲げ、ある時はトラックの助手席に乗り、ある時は自転車で、駆け巡られました。
会合に出られる際も、あえて早めに行き、始まる前に会場の近隣に住む同志の家を回られるほど、徹底されていました。
先生の『若き日の日記』に「夜、N君の自転車をかり、葛飾のブロックを回る」と記された同じ日の箇所には、「午前中、腹痛にて困る」「午後(中略)身体の調子わるく」とも、また、「今月、生活費——赤字とのこと」とも記されています。
ご自身が病魔と闘い、日々の暮らしを懸命に乗り越えながら、それでもなお、目の前の一人を励まし抜かれたからこそ、一人また一人と、自分も宿命に挑もうと折伏に立ち上がり、その結果として、未曽有の弘教・拡大があったのだと思えてなりません。

◇歓喜の体験を語り広げよう
一、そして、そうした励ましの決勝点は、座談会であります。
小説『新・人間革命』第27巻「激闘」の章には、先生が座談会に自ら出席し、示された、"座談会・永遠の指針"が記されています。そこには、こうあります。
「仏法の法理を生活の場で実験証明した結果が、生き生きと語り合われる座談会には、仏法を社会に開く実践的展開があります。
ゆえに、広宣流布の前進は、座談会に始まり、座談会に終わることを、深く銘記していただきたいのであります」とのご指導です。
歓喜あふれる体験、確信あふれる指導が呼び起こす、感動・感激には、"内"も"外"もありません。共に心を通わせ、共に心を定める座談会こそ、折伏・弘教の現場であり、人材育成の本舞台です。
「励まし革命」と「座談会革命」で、「皆が前進!」「皆が人材!」の弘教・拡大を推進していきたい。
さあ、「伝統の2月」へ、私たちもまた、寒風に負けじと胸張り、「広布の山」を雄々しく駆け上がっていこうではありませんか(拍手)。

2020年1月16日木曜日

2020.01.16 わが友に贈る

真の勝利者とは
最後まで諦めない人!
受験生よ 頑張れ!
青春の努力と挑戦は
必ず一生の宝となる!

新池御書 P1439
『うれしきかな末法流布に生れあへる我等かなしきかな今度此の経を信ぜざる人人』

【通解】
何とうれしいことか、末法の妙法流布に生まれあわせた我らは。何と悲しいことか、このたびこの法華経を信じない人々は。

名字の言 高校サッカー優勝・静岡学園の選手育成の秘訣とは? 2020年1月16日
全国高校サッカー選手権で静岡学園が24大会ぶりに優勝。個人技を駆使してゴールに迫る伝統の攻撃サッカーは、多くのファンを魅了した▼この"静学スタイル"の生みの親は前監督の井田勝通氏。氏は半世紀近く前から、目先の勝利だけでなく、選手の将来を見据え、個々の力を引き出す指導に当たった。追求したのは「考えるサッカー」。指導者が"与える"のではなく、選手が自分の頭で考え、自らの"武器"をつくり上げる努力の過程に重点を置いた(『静学スタイル』カンゼン)▼氏の下から60人以上のJリーガーや、優秀な指導者が誕生。今回、チームを優勝に導いた川口監督もその一人だ。伝統を継承し、選手の小さな"武器"を大きく育てることを自らの役割と定めた。その選手たちが磨き抜いた技術を大舞台で存分に発揮した▼人は"強み"を知り、それを自覚した時、計り知れない力が出る。ただ自分では、なかなか気付けないもの。その"強み"を見つけ、伸ばしていく周囲の関わりに、人材躍進の鍵がある▼池田先生は「人材を見つけ、人材を大切にし、人材を生かし切ったところが勝つ時代である」と。いずこにも、人材は必ずいる。"育てる側"の一念が変われば、伸びゆく宝の人材は、澎湃と躍り出る。(差)

寸鉄 2020年1月16日
「力あらば一文一句なりとも」御書。語らねば思いは届かぬ。さあ大情熱で
愛知婦人部の日。弾む命で友情の連帯拡大!師弟の道歩む堅塁の母は快活
本幹中継を支える全ての役員に心から感謝。陰の尊き献身は広布史に燦然
今、苦労して宿命転換し切れば万年の幸福が開く—恩師。負けじ魂で前進
新成人7割、語学習得に関心。国際化の時代。大いに学び、世界市民と育て

☆世界広布新時代第45回本部幹部会の池田先生のメッセージ
◇恩師の出獄から75年
一、創立90周年を開く、喜び満ちあふれる新春の本部幹部会、誠におめでとう!
そしてSGI発足45周年を祝賀し、厳寒の中、遠路をいとわず勇んで集ってくださった、アメリカ・オセアニア、ブラジル、欧州、香港、タイ、韓国をはじめ、世界広布の尊きリーダーの皆さん方、本当にありがとう!(大拍手)

一、それは1945年の1月。法難のゆえに、ここ巣鴨の東京拘置所に囚われていた戸田先生は、師匠・牧口先生の殉教を告げられました。悲嘆と憤怒の淵から、戸田先生は「妙法の巌窟王」となって立ち上がられたのです。
牧口先生の大誓願を受け継いだ戸田先生は、出獄して「城聖」と名乗られ、戦後の荒野で一人、広宣流布を成就しゆく学会の城を再建していかれました。
それから75星霜——。
牧口・戸田両先生への満腔の報恩感謝を込めて、「前進・人材の年」の最初の幹部会に当たり、一幅の書を、この師弟の大城で掲げさせていただきたい。
「創価人材乃城」——ある年の「立春」すなわち「春立つ日」に寄せて書き留めたもので、きょう、初めて披露いたします(大拍手)。

◇一人一人が宝塔
一、我ら創価の師弟が築き上げてきた「城」——。
それは、何よりもまず、「民衆の城」であります。
歴史上、権勢の象徴として、庶民を睥睨してきた城は、少なくありません。
だからこそ、「万人成仏」の妙法に則って、民衆の、民衆による、民衆のための「人材の城」を築かなければ、権力の魔性に翻弄される人類の不幸の流転はいつまでも断ち切れない。これが、戸田先生の断固たる決心でありました。
今月の座談会で拝読したように、日蓮大聖人は「末法に入って法華経を持つ男女の・すがたより外には宝塔なきなり」(御書1304ページ)と宣言されております。この御本仏のお心のままに、苦難の庶民の真っただ中に飛び込んで、一人一人の生命を最も尊貴な宝塔として林立させてきた城こそ、広布の民衆城にほかなりません。
そして、学会の会館は、まさしく地域社会の繁栄と安穏に貢献する民衆城であります。
25年の歳月を刻んだ阪神・淡路大震災、また10年目に入る東日本大震災、さらに各地の災害に際して、会館は被災された方々の避難所になるとともに、救援・復興への献身の城となってきました。わが友の真心の奮闘と励ましが、どれほど大きな「レジリエンス(困難を乗り越える力)」を発揮してきたことか。
尊き「負けじ魂」の戦いは、今も、たゆまず続いております。

一、この民衆の城は、揺るぎない「平和の城」でもあります。
分断や対立を深める不安定な時代にあって、創価の世界市民は、生命尊厳によって立つ中道の哲学の力、人間主義の対話・言論の力、心と心をつなぐ文化・教育の交流の力で、あらゆる差異を超えて友情を結び、平和を広げてきました。各界から寄せられる信頼と期待は、いやまして高まっております。
本年、創設75周年を迎える"世界の希望の砦"たる国連を、私たちは、一段と力強く支援しつつ、「SDGs(持続可能な開発目標)」を推進し、「桜梅桃李」の多彩な個性を生かし合いながら地球民族の連帯を拡大していきたい。 
「立正安国」即「世界平和」の大城から、人類の尽きることのない価値創造の前進へ、「英知と哲理の鐘」を打ち鳴らしていこうではありませんか!

◇「令法久住」を託す
一、さらに、この民衆の城は、希望みなぎる「青年の城」なのであります。
創立以来、一貫して、わが学会ほど、青年を愛し、青年を信じ、青年を育て、青年の晴れ舞台を開いてきた世界はないと、私は自負しております。
大聖人は、地涌の菩薩について「大地の底にかくしをきたる真の弟子あり・此れにゆづるべし」(同905ページ)と仰せになられました。
法華経と御書に照らし、まさに「今この時」を願って、日本中、世界中に躍り出た誓いの若人たちが、いかに不思議な宿縁と使命と大福運を帯びているか。
創立100周年への十年の先頭に立つ、誇り高き青年部・未来部の友の「熱と力」に、私は「令法久住」の一切を託します。
きょうは、晴れがましい新成人の代表も、本当におめでとう!(大拍手)
また、生命の宮殿を光らせる女子部の「ロマン総会」の大成功を祈ります。
我らの「正義と勇気の旗」に、新たな地涌の青年を陸続と糾合しながら、「幸福勝利の門」を限りなく開いていきたいと思うが、みんな、どうだろうか!(大拍手)

一、一人一人の生命が「城」であり、心が「城主」の存在です。ゆえに「城の主剛ければ守る者も強し」(同979ページ)と示されているように、強き信心の一念で誓願の題目を唱えゆくところ、諸天を動かし、良き眷属を増やせないわけがありません。わが生命を、さながら「金剛不壊の城」とそびえ立たせていけるのであります。
さあ、この一年、「皆が前進!」「皆が人材!」と悔いなく戦い切って、朗らかに「人間革命」「宿命転換」の功徳の花を満開に咲かせ、共々に「常勝歓喜」の勝ち鬨を上げよう!
そして無敵の異体同心の団結で、人類の命運を担い立つ「創価人材乃城」を、いよいよ勝ち栄えさせていこうではないか!と申し上げ、私のメッセージといたします(大拍手)。

2020年1月15日水曜日

2020.01.15 わが友に贈る

苦手なことへの挑戦が
自身の心を強く鍛え
境涯を大きく広げる。
題目を勇気の源泉に
成長の節を刻もう!

撰時抄 P292
『正法の強敵と申すは悪王悪臣よりも外道魔王よりも破戒の僧侶よりも、持戒有智の大僧の中に大謗法の人あるべし』

【通解】
正法の強敵というのは、悪王や悪臣よりも、外道や魔王よりも、また破戒の僧侶よりも、戒律を持ち智者といわれる高僧の中に大謗法の人がいるのである。

名字の言 奈良の壮年が語る「鏡餅と池田先生」の思い出 2020年1月15日
年頭、ショッピングモールの一角に飾られた鏡餅を見て、「大きいお餅だね。どうやって食べるの?」と聞く子どもがいた。鏡開きは、関東では主に11日、関西では15日や20日などに行う。鏡餅の歴史は古く、平安時代の『源氏物語』にも記述が見られる▼奈良のある壮年には、鏡餅にまつわる思い出がある。42年前の1月、池田先生が奈良を訪れ、会合に出席。席上、先生は登壇した友を励まそうと、20キロ以上もある御宝前の鏡餅を渡そうとした。新任リーダーだった壮年は"手伝わなければ"と慌てて駆け寄ったが、先生はそれを制し、自ら餅を運んだ▼「先生のスーツは粉で真っ白。労をいとわず同志に尽くされる姿に胸が震えました」と壮年。以来、友への励ましを重ねつつ、原点の1月が巡り来るたび、決意を新たにするという▼鏡餅は「鏡」を模して作られたといわれる。「鏡」は「鑑みる」に通じる。手本となる存在に照らして自身を省みる姿勢は、年の初めだけでなく、常に心掛けたい▼奈良の会合の場面は、小説『新・人間革命』第26巻「勇将」の章に描かれる。全30巻の同書には、美しい師弟のドラマや、忘れてはならない学会精神があふれている。それは、私たちの実践の"鑑"であり、未来を勝ち開く力の源泉となる。(陣)

寸鉄 2020年1月15日
羊千匹よりも獅子一匹—先師。一人立つと決めれば力が湧く。若人よ進め
中等部結成55年。全員に自分にしかない使命が!朗らかに学び勇み挑戦を
東京・新宿の日。師と共に歩む本陣の勇者よ!対話も人材も模範の拡大頼む
防災とボランティア週間自助・共助の更なる強化を。気付いた時に声掛け
夕暮れ時の事故多し。車や自転車の運転時は早めの点灯を徹底。油断排し

☆原田会長を中心に全国総県長会議 2020年1月11日
◇前進!「平和を開く十年」へ
世界広宣流布の未来を大きく開きゆく一年へ、希望と勝利の出発を期す全国総県長会議が10日午後3時から、東京・新宿区の創価文化センター内の金舞会館で行われた。
大串女子部長は、各地で開かれる「ロマン総会」を柱に、真心の励ましを広げたいと述べ、西方男子部長が、広布拡大と破邪顕正の一切を担い立つ決意を披歴した。
本社の小島編集総局長は、本紙の充実や新刊『ワールド セイキョウ』2020年春号などを紹介した。
原田会長は、学会創立90周年の本年から100周年へと向かう10年間は、「人類にとって重大な分岐点となる十年」「地球の平和と繁栄を開く大事な十年」であるとの池田大作先生の呼び掛けに言及。師の偉大さを知る池田門下の弟子たちが、人間革命の哲理を高らかに掲げて広布に走り、この一年を前進と人材拡大の結果で勝ち飾ろうと訴えた。
次いで、先生が示した、折伏に挑戦する上で大事な三つの心——「勇気」「感謝」「誠実」を胸に、弘教を推進したいと強調。その先頭にリーダーが立ち、同志を鼓舞し、たたえる実践を望むとともに、弟子が新たな拡大の歴史を開く「師弟共戦」の強き決意で、勇躍前進をと語った。

☆総県長会議での原田会長の指導
◇折伏こそ自他共の幸福への直道——「勇気」「感謝」「誠実」の心で挑戦
一、いよいよ、学会創立90周年の「前進・人材の年」がスタートしました。各方面・県で、新年勤行会から勢いよく広布拡大への前進を開始しました。
総本部への新年の来館者は、昨年を1万人も上回り、昨年を大きく超える来賓の方々が年賀のあいさつに来られました。
池田先生の92歳のお誕生日である1月2日には、韓国・平澤市から、先生と奥さまに「名誉市民」称号が贈られました。大変におめでとうございます!(拍手)

一、昨年末に行われました財務については、皆さまの強き祈りと、温かな、またこまやかな励ましにより、一切無事故で終了することができました。本当に、ありがとうございました。
昨年の「創価学会 世界聖教会館」の完成に続き、本年春には「創価宝光会館」が完成します。創立90周年へ、総本部の整備も着々と進んでいます。
そして、本年は先生の海外初訪問60周年、SGI結成45周年でもあります。まさに創価学会は世界宗教へと飛躍し、広宣流布は世界同時進行で進んでいます。それを支える、真心の財務に取り組んでくださった広布部員の皆さまの福徳は計り知れません。
今後、財務の受領証の配布も行われます。真心を込めて、丁寧にお渡しいただきたいと思います。

◇創価の哲学を堂々と
一、昨年末、池田先生は各部代表者会議の折、「学会創立90周年から100周年へ向かう十年は、人類にとって重大な分岐点となる十年」と言われ、さらに最高協議会では「創立100周年へのこの十年、眼前の戦いを一つ一つ勝ち越え、『末法の令法久住』を盤石に決していきたい」と訴えられました。
そして新年勤行会のメッセージでも、「地球の平和と繁栄を開く大事な十年を見つめつつ、偉大な広布と人生の勝利の因を、いざ共に勇敢に刻みゆこう!」と呼び掛けてくださいました。
大事な十年への出発です。今年の我々の戦いこそが、未来を大きく開きます。
実際、国際社会に目を転じれば、新年早々、中東情勢の緊張が高まり、日本が置かれているアジア情勢も、多くの難題を抱えています。
昨年の創立記念日に発刊された書籍『人間革命の宗教』の序文で先生は、世界に混沌として暗雲が立ち込める今こそ「どこまでも『人間のため』という原点を忘れてはならない」とされ、21世紀に求められる宗教は「『人間主義の宗教』であり、『人間革命の宗教』であると訴えたい」と強調されました。
今、作家の佐藤優氏が週刊誌「AERA」誌上で始めた連載「池田大作研究——世界宗教への道を追う」が好評を博しています。
"池田大作氏について知ることが、現下の日本と世界を理解する上できわめて重要。間違いなく、私にとっての大きな仕事になる"。
この言葉に、佐藤氏の強い意気込みが表れていますが、その第1回には、こうつづられていました。
「創価学会は現在、世界宗教に発展しつつある」「重要なのは、池田の主導で創価学会の世界宗教化が始まったという指摘だ。日蓮仏法の思想を普遍的なヒューマニズムの哲学に転換するというアプローチを池田は取り、今日に至っているのである」と、先生が世界に広げてきた人間主義の哲学を正視眼で評価しています。
先ほど触れた韓国・平澤市から贈られた名誉市民称号も、「生命尊厳という人類最高の価値を基調に、人間主義を具現し、多様な社会貢献の活動へのリーダーシップ」をたたえてのものでありました。
まさに今や、識者が、そして世界が、創価のヒューマニズム、池田先生の人間主義の哲学を、高く評価し、大きく称賛し、そこに希望を見いだす時代を迎えました。
だからこそ大事なのは、誰よりも、その偉大さを知り、肌で感じている私たち池田門下の弟子が、自信をもって語れるか。先生が一貫して訴えてこられた"一人の偉大な人間革命が、全人類の宿命転換をも可能にする"との人間革命の哲理を、高らかに掲げられるか——であります。
私たちは、「地球の平和と繁栄を開く直道は創価にあり」との大確信で、今こそ大きく拡大に打って出たい。
創立100周年の栄光の峰を見据えながら、この一年、5年にも10年にも匹敵する戦いを繰り広げて、池田先生の会長就任60周年の「5・3」、そして創立90周年の「11・18」を断固、前進と人材拡大の結果で勝ち飾る。こう誓い合って出発してまいりたい(拍手)。

◇心と行動を尽くせ
一、かつて池田先生は、折伏に挑戦する上で大事な「三つの心」を教えてくださいました。
第一は「勇気」。「勇気をもって語っておけば、その人の生命の大地には仏種が植えられる。それは、いつか必ず花開く時が来る」
第二は「感謝」。「仏法を教えてくれた学会と師匠と同志への報恩感謝を忘れない人生は、深く、美しく、そして強い」
そして第三は「誠実」。「最後の決め手は、やはり紹介者の大誠実の振る舞いである。祈りである。真心である」と。
この「勇気・感謝・誠実」の3点を肝に銘じて、折伏・弘教を進めてまいりたい。
今や、対話のツール(手段)は豊富にあります。聖教新聞の紙面も刷新され、聖教電子版もスタートしました。新雑誌「ワールド セイキョウ」の内容も充実しています。SOKAチャンネルVODの番組も感動と理解を深め、SOKAnetやインスタグラムもあります。
だからこそ、大事なのは「心」です。
御書に「つるぎなんども・すすまざる人のためには用る事なし」(1124ページ)と仰せです。どんなに素晴らしい"武器"があっても、勇気がなければ意味がない。
まずは、皆が折伏への一歩を踏み出せるか、であります。その範を示すために、リーダー自らが先駆を切って挑戦する。そして、「折伏こそが自他共の幸福への直道」との強き確信で、皆を鼓舞し、折伏に挑戦する人を最大にたたえる。そういった、一つ一つの「心」と「行動」があってこそ、拡大の勢いは増していきます。
弘教にしても、同志への激励にしても、「こんなにも私のことを思ってくれるのか」「こんなにも尽くしてくれるのか」と、その「心」に触れることで、相手も心を開きます。
なかなか、こちらの誠意が通じないこともあります。しかし、諦めずに強き祈りをもって、「友のために」「同志のために」と動く中で、それが全て福運となり、境涯を広げていく。そして、仏性が呼び覚まされ、必ず相手にも通じていく。この麗しき連帯こそが創価の世界です。
先生は、明確に言われています。「学会の組織はなんのためにあるのか。広宣流布のためであり、それは、皆さんに功徳を受けてもらい、幸せになってもらうことが目的です。そのための学会活動です。これが一切の根本であることを忘れてはならない」と。
今年掲げた「皆が前進、皆が人材」も、その目指すべきものは「皆が功徳を受けた」「皆が幸せになった」という結果です。創立90周年を迎えるこの一年間で、大きく「功徳が広がった」「幸福が広がった」と言い切れるよう、励ましを重ねていきたいと思います。そして、青年を育み、青年と共に、青年の心で、前進してまいりたい。

◇前進勝利の師弟旅を
一、池田先生は年頭から、数多くの和歌や句を詠み、私たちを鼓舞してくださっています。
元日の聖教新聞には「出藍の 弟子と前進 万代へ 不二の勇気を 託す嬉しさ」。
新年勤行会には「太陽と 共に前進 創価かな 虹のスクラム 凱歌の天空へ」。
そして先日(8日付)の「新時代を築く」では、「わが友と 前進勝利の 師弟旅」と、師弟共戦の前進を呼び掛けてくださいました。
お元気な師匠と共に前進できる。これ以上の喜びはありません。師匠と共に歴史を開ける。これ以上の誉れもありません。
そして、師弟共戦とは、弟子が戦い、新たな拡大の歴史を開いて、師匠に報告することであります。
この強き決意で、勇躍、前進していこうではありませんか(拍手)。

2020年1月14日火曜日

2020.01.14 わが友に贈る

「先んずれば人を制す」
いかなる勝負も
最高の準備こそが
最高の結果を生む。
絶対勝利の人たれ!

四条金吾殿御返事 P1169
『剣なんどは大火に入るれども暫くはとけず是きたへる故なり』

【通解】
剣などは大火に入れてもしばらくは溶けない。これは鍛えられているからである。

名字の言 犠牲バントの精神とは? 2020年1月14日
元プロ野球選手の川相昌弘さんといえば"バントの名人"。現役時代、「代打、川相!」と当時の長嶋監督がバントのポーズをしながら球審に告げた話は有名だ。相手チームが警戒する中、確実に決めた533本の犠打は世界記録となっている▼走者を進塁させる送りバント、ホームに生還させるスクイズといった犠牲バントは、自身がアウトになることが前提。だがそれは単なる犠牲ではない。チームに勝利を呼び込む重要な仕事だ。川相さんも、ここ一番で決めたバントは、ホームランよりうれしいと語る(『明日への送りバント』)▼ある男子部員が共に野球で汗した小学校時代からの友人に弘教を実らせた。入会記念勤行会で、その男子部員は友人に励ましの言葉を送った。「これからも君の人生に送りバントをしますので、どうか前へ前へと進んでいってください」▼その場には男子部員の母の姿も。弘教に奮闘する息子のために、誰よりも強盛に題目を送り続けてきた母は、新入会の友の首に手作りの金メダルを掛け、祝福。感動が広がった▼広布前進のドラマには、表舞台で活躍する人もいれば、陰で必死に支える人もいる。それでも皆が代役のいない大役である。信心根本に積んだ陰徳は、必ず光輝あふれる幸福の陽報に結実する。(代)

寸鉄 2020年1月14日
折伏をする人は学会の宝の中の宝だ—戸田先生。後継の青年よ勇み挑戦を
四国婦人部の日。「さんふらわあ」での航海40周年。共戦の母に歓喜の花爛漫
女子部「ロマン総会」がスタート!さあ未来の門開く語らいへ。皆で応援
"初回は無料"等に誘われ気付けば定期購入に—相談増。契約条件、必ず確認
家庭の食品ロスなくせば食費を月5千円節約も。賢く小事の積み重ねを!

☆「新・人間革命」が広布の源泉 第1回
「前進・人材の年」が開幕し、千葉の同志は今、池田先生の会長就任60周年の「5・3」へ、「折伏」と「人材」の圧倒的拡大を誓う。広布前進の源泉である小説『新・人間革命』の中から、珠玉の指針を抜粋して連載する。

◇"まず決意"が折伏の要諦
伸一自身の体験を踏まえた指導には、説得力があった。
話が終わるや、すぐに何人もの手があがった。
今度は、壮年が指名された。
「私は、仕事が忙しくて休日も取れません。でも、なんとか折伏をしたいと思っています。ところが、なかなかできないもので悩んでおります」
(中略)
「折伏を成し遂げる要諦は何か。
それは決意です。一念が定まれば、必ず状況を開くことができる。
折伏は、どこでもできるんです。戸田先生は、牢獄のなかでも法華経の極理を悟り、看守を折伏しています。まず、折伏をさせてくださいと、御本尊に懸命に祈り抜くことです。すると、そういう人が出てきます。また、ともかく、あらゆる人と仏法の対話をしていくんです。
もちろん、信心の話をしても、すぐに入会するとは限りません。それでも、粘り強く、交流を深めながら、相手の幸福を日々祈り、対話を重ねていくことです。
(中略)
ともあれ、苦労して弘教に励んだ分は、全部、自分の福運になります。相手が信心しようが、しまいが、成仏の因を積んでいるんです」(第13巻「北斗」の章)

◇仏法を教えたいとの祈り
「祈りは、ひたすら御本尊に思いの丈をぶつけていけばいいんです。その際、"信"を入れること、つまり、どこまでも御本尊を信じ抜き、無量無辺の功徳力を確信して、魂のこもった祈りを捧げることです。
自身の宿命転換、人間革命、一生成仏のためには、"広宣流布に生き抜きます"という誓願の祈りが大事になります。そこに、わが生命を地涌の菩薩の大生命、大境涯へと転ずる回転軸があるからです。具体的にいえば、"あの人に、この人に、幸せになってほしい。仏法を教えたい"という必死な利他の祈りです。学会活動の目標達成を祈り、行動を起こしていくことです。それが、大功徳、大福運を積む直道です。
したがって、自身の悩み、苦しみの克服や、種々の願いの成就を祈る時にも、"広宣流布のために、この問題を乗り越え、信心の見事な実証を示させてください。必ず、そうしていきます"と祈っていくんです。祈りの根本に、広宣流布への誓願があることが大事なんです。
どうか、御本仏の、この大誓願、大目的に連なった信心で、師子王のごとき勇気あふれる境涯で、人生を闊歩していってください」(第28巻「大道」の章)

◇勝利の鍵は「発心即行動」
「(中略)学会活動に励み、困難な戦いに直面すればするほど、"こんなつもりではなかった""なぜ自分だけ、こんなに苦労するのだ""やめてしまおうか"等々、自分の弱さや臆病さなどの欠点があらわれてくるものです。
だが、自分に負けず、一つ一つの活動に勝利していくなかに、鍛えがあり、自身の一凶に打ち勝つ人間革命の道がある。学会活動の場は、自分の生命を鍛え上げる道場です。広宣流布の使命に生きようと心を定め、自身を鍛え抜くなかに、宿命の転換もあるんです」
「(中略)人間として大事なことは、広宣流布のために生きることだよ。自他ともの幸福をめざして、人びとのため、社会のために何をするかだよ。君も、人間としての、本当の栄光と勝利のために、もう一度、勇気をもって、本気になって信心に取り組もうよ」
「はい!」
決意のこもった声で、山口(編集部注=信心から離れていた青年)は答えた。
「心が決まったら、今日から頑張るんだ。いつか頑張ろうなんて考えていたら、時を逃すよ。それでは寒苦鳥になってしまう。寒苦鳥は知っているね」
「はい。御書に出てきます。巣をつくらないために、毎夜、寒さに苦しんでいる、雪山にすむ鳥です。明日こそ、巣をつくろうと決意するのですが、昼は暖かいので、ついつい眠ってしまうとあります」
「そうだ。大事なのは今だ。今日、何をするかだ。今、立ち上がらなければ、終生、後悔することになる。私は、みんなに悔いなど、残してもらいたくはないんだ」(第16巻「入魂」の章)

2020年1月13日月曜日

2020.01.13 わが友に贈る

◇今週のことば
華陽のロマン総会を
明るく楽しく賑やかに!
「女子は門をひらく」
友情と幸の仏縁を結び
青春勝利の門を広々と!
2020年1月13日

西山殿御返事 P1474
『いかにも御信心をば雪漆のごとくに御もち有るべく候』

【通解】
心して法華経の御信心を白い雪、黒い漆の(何物にも染められない)ように堅固に持たれるがよい。

名字の言 ナポレオンの"アウステルリッツの太陽" 2020年1月13日
「梅が香に 初日さして 唱題す」。元旦の初勤行に際し、72歳の壮年の友が詠んだ。初日の出と共に新しい一年を出発したのだろう▼この句を見て思い浮かぶ言葉がある。アウステルリッツの太陽——ナポレオン率いるフランス軍がロシア・オーストリア連合軍に完全勝利した「アウステルリッツの戦い」の時に生まれた言葉である▼215年前の1805年の12月2日。この日はナポレオンの皇帝戴冠式1周年の記念日だった。太陽は朝霧を破って燦然と輝き、フランス軍の前進に呼応するかのように霧を消し去っていった。ナポレオンは兵士たちに呼び掛けた。「いざ諸君と共に太陽にゆこう!」。以来、朝の太陽の光はフランス軍の士気を高め、勝利のシンボルとなった▼信仰とは、わが生命に「希望の太陽」を昇らせる営みにほかならない。「日天東に出でぬれば万星の光は跡形もなし」(御書1393ページ)。太陽が昇れば一切の闇が消えるように、題目を唱えれば、現実の生活で自分の成すべきことが明確に見えてくる。「さあ、やろう!」という熱と力がみなぎってくる▼何があっても、胸中に「希望の太陽」を輝かせて進みたい。寒風の中、凜と咲く梅の花言葉は「忍耐」。厳しい冬にも、不屈の心で挑み続ける人に勝利の春は必ず来る。(川)

寸鉄 2020年1月13日
広布とは万人の幸福勝ち取る人権闘争—戸田先生一人一人が今いる所から
東京でSGI交流交歓会世界の友と"皆が前進"の劇を!創価家族は心一つ
幹部は会合に集えない友のもとへ。全員が使命の人。耳を傾け、真心の激励
成人の日、おめでとう!君たちの成長こそ社会の光。若竹の如く伸びゆけ
入浴中の急死、高齢者が9割。冬に増加の傾向と。寒暖差を意識し賢く予防

☆仏法の教え 新春随想 誓願の大潮流は世界へ 清水信次SGI副教学部長
◇広布躍進の原動力とは
「誓願」——それは、近年、世界広布がますます勢いを増して伸展する中、海外メンバーの間で広く理解され、定着してきた仏教用語の一つである。
昨年9月、私はアルゼンチン、メキシコで開催された中南米教学研修会の講義を担当させていただいた。そこで驚いたことは、多くの参加者が、日本語で「セイガン(誓願)」と口々に語っていたことだ。
アルゼンチンでは、未来部の教学研修会も初めて行われ、「上野殿御返事(竜門御書)」を研さんし合った。その際、未来部員から、「広宣流布の師弟の誓願を貫いていくために大切なことは何ですか?」との質問が寄せられた。その質問自体に感動した私は、未来部員を心から称賛しつつ、"「求道」「学び」「向上」の青春を""善知識である学会の同志と組織を大切に"と若き心に向けて全力で語り、励ました。 
今や、広布の誓願は、国や文化の違いを超えて、世界の青年部、未来部世代にまで継承される時代を迎えている。
地理的な広がりや国の数、会員数だけではなく、日蓮仏法の核心をなす法理や信念が、地球の隅々にまで、広く深く、伝播しているところに、世界宗教としての真価と実像があり、今日の世界広布の躍進の原動力があると実感した。

◇願って悪世に生まれる
一切衆生の救済の成就を願って立てる誓いが「誓願」である。とりわけ、法華経に登場する大乗菩薩の誓願には、際立った特徴がある。
それは、本来は善業を積んで善処に生まれるところを、苦悩する衆生を救うために、あえて願って悪世に生まれ、悪業の人と同じ苦しみを受けて、法を弘めるという点である。法華経法師品に説かれる「願兼於業」の法理である。
まさに今、現代世界はより一層、悪世・乱世の様相を呈している。分断と対立、人間不信が渦巻く社会情勢、政治や経済の混乱、打ち続く自然災害など、民衆の苦悩は絶えない。
しかし、その苦悩も、ひとたび地涌の菩薩の誓願に目覚めて捉え直せば、妙法の偉大な力用を証明する源泉へと転じることができる。自分が今いる場所も、最高に尊い使命の舞台へ、平和と幸福の楽土へと、必ず変えていくことができるのだ。
この「願兼於業」の法理を踏まえた価値創造の生き方を、池田先生は「宿命を使命に変える」と分かりやすく教えてくださっている。そして、苦難に立ち向かう友に対し、「『宿命』は、そのまま、その人固有の尊き『使命』となる。ならば、広布に生き抜く時、転換できぬ『宿命』など絶対にない」と、強く、温かな励ましの風を送ってくださっている。
こうした珠玉の指針は、日々、切実な国情や社会の現実と真正面から向き合い、格闘し、広布を推進する各国の友の心の奥深くに共鳴し、限りない希望と勇気、そして、揺るぎない信心の確信となって、地球上に広がっている。

◇御本仏の悠然たる境涯
日蓮大聖人は、「かかる時刻に日蓮仏勅を蒙りて此の土に生れけるこそ時の不祥なれ」(御書501ページ)——末法濁世に仏の命を受けて生まれたことは、まさに時の不運である、と仰せになった。しかし、それは嘆いて言われているのではない。迫害や困難を覚悟の上で、御自身の妙法流布の深い使命を宣言され、弟子に共戦の決意を促されているのである。
むしろ大聖人は、「うれしきかな末法流布に生れあへる我等」(同1439ページ)と、広宣流布すべき「時」に生まれ合わせたことを喜ばれている。
他にも、大聖人は、「日蓮悦んで云く本より存知の旨なり」(同910ページ)、「これほどの悦びをば・わらへかし」(同914ページ)、「流人なれども喜悦はかりなし」(同1360ページ)等、命に及ぶ幾多の大難に遭われながらも、法華経をわが身で読むことができる大歓喜を随所で述べられている。
強靭な広布の誓願を生命の基底部にどっしりと据えるならば、いかなる苦難にも断じて負けない。否、必ず一切に打ち勝っていくことができる——そうした大聖人の悠然たる大境涯に連なり、SGIの友もまた、「賢者はよろこび愚者は退く」(同1091ページ)との御聖訓の通り、幾多の試練を、堂々と、朗らかに乗り越えてきた。
御書に、「菊は草の後に仙草と見へて候、代のおさまれるには賢人見えず代の乱れたるにこそ聖人愚人は顕れ候へ」(1095ページ)——他の草が秋になって枯れても、菊は咲いているがゆえに「仙草」(妙なる草)と呼ばれる。同様に、世の中が乱れている時にこそ、聖人と愚人は明らかになる(趣意)——という御文がある。
学会創立の月である昨年11月、香港SGIの呉楚�理事長は、同SGI機関誌に、「創立の精神に立ち返り、広布の大願を燃え上がらせよう!」とのテーマで巻頭言を寄せ、この御文を引用していた。
そして、「御書に示された英知に学び、実践することにより、激動する時代にあって、『朗らかに自分らしく開花する』賢人となることができ、混沌とした暗闇の中でも惑うことなく、先の見えない未来にも怯むことがなくなるのです」と、満々たる信心の確信をつづっている。
「誓願」という仏法の深義を、難を乗り越える信心を貫く中で体得し、世界広布の道なき道を切り拓いてきたSGIの友の奮闘が、全て凝縮されているこの言葉に、感動を禁じ得ない。

◇根深い「人間不信」
かつて池田先生は、ヨーロッパの広布のリーダーと懇談の折、仏法上の「師弟」の意義に言及され、"人のため、社会のため、世界のために尽くしていく。その最も尊い人間の絆が師弟である"と語られた。同席していた私は、この崇高な創価の師弟の誓願に連なる深い喜びと感謝を、ヨーロッパの友と分かち合ったことを鮮明に覚えている。
以来、二十数年を経た今、あらためて自身の心に刻んでいるのは、「いかにも今度・信心をいたして法華経の行者にてとをり、日蓮が一門となりとをし給うべし」(御書1360ページ)との御聖訓である。
悪世末法にあって、生涯不退の信心で、広布の誓願を貫き通すことは、決して容易なことではない。そのことを端的に示すのが、「開目抄」や「兄弟抄」など、諸御抄に記されている「乞眼の婆羅門」という有名な説話である。
六十劫もの長遠な菩薩行を積んだ舎利弗であったが、婆羅門に乞われてささげた自分の眼が、唾を吐きかけられ、踏み潰されてしまう。
「眼をささげる」とは、換言すれば、他者への究極の誠実や真心、献身といえよう。しかし、それがいとも簡単に踏みにじられたことで、舎利弗は人間の可能性を、もはや信じられなくなった。"もう我慢の限界だ"と利他の仏道修行をやめて、無量劫の間、地獄に堕ちてしまうのである。
現代世界の混迷の谷底には、根深い「人間不信」が横たわっている。それこそが、人間を分断と破壊の衝動に駆り立てる「根源悪」であり、「元品の無明」である。人類は今、舎利弗のように"人間への絶望と諦め"の坂を転げ落ちるか、あるいは"人間への希望と信頼"の道を断固として前に進むか、その瀬戸際に立たされているのではないだろうか。
ゆえに、"万人に尊極の仏性あり"との不動の信念を胸に、「今に飜返ること無く」(同962ページ)、「いまだこりず候」(同1056ページ)と、忍耐と誠実の励ましの対話で、苦悩の人を蘇生させゆく創価の友の存在は、各国・地域で、ますますその重みを増し、光り輝いていくに違いない。

◇人類共通のルーツ
池田先生は、"地涌"の意義をより深く洞察し、「一切の差異を超え、生命の大地の奥深くに広がる大いなる創造的生命——人類共通のルーツに基づく使命といってもよい。それに気づくことを『地涌』というのです」と述べている。
平和と幸福は万人に共通する本源の願いである。広宣流布とは、その願いを自他共に成就しゆく主体者を、一人また一人と林立させ、善の連帯を築いていく戦いである。民衆の生命の大地に秘められた地涌の誓願という「心の財」(同1173ページ)を開きゆく、慈悲と勇気の精神の戦いなのである。
世界広布の誓願の炎を、わが胸中にいや増して燃え上がらせ、学会創立90周年となる「前進・人材の年」を大勝利していきたい。

2020年1月12日日曜日

2020.01.12 わが友に贈る

本物の決意は
本物の行動を生む。
さあ勇猛果敢に進もう!
偉大な自分史の開幕を
勇気の一歩で飾ろう!

法華初心成仏抄 P557
『一度妙法蓮華経と唱うれば一切の仏一切の法一切の菩薩一切の声聞一切の梵王帝釈閻魔法王日月衆星天神地神乃至地獄餓鬼畜生修羅人天一切衆生の心中の仏性を唯一音に喚び顕し奉る功徳無量無辺なり』

【通解】
ひとたび妙法蓮華経と唱えれば、一切の仏・一切の法・一切の菩薩・一切の声聞・一切の梵王・帝釈・閻魔法王・日月・衆星・天神・地神ないし地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天界の一切衆生の心中の仏性をただ一声によびあらわしたてまつるのであって、その功徳は無量無辺である。

名字の言 関西創価小生の「おかあさんの詩」 2020年1月12日
「お母さんは、今日も坂の街神戸を走る/え顔で走る/前へ前へ走る」——ハナマルキ株式会社が主催する「おかあさんの詩」コンクール。全国の小学生から送られる作品には、子から見た母の表情や姿がリアルに、時にユーモラスに描かれる▼冒頭の詩は、最上位2編の一つに選ばれた関西創価小学校生の作品で、題名は「走り続けるお母さん」。児童は幼稚園児の時、母がこぐ自転車の後ろに乗せられ、幼稚園に通っていた▼「自転車に乗っている時のお母さんの口ぐせは/『よし、今日もがんばろう!』だ/わたしは/『うん!』と返事を返す」。短い詩から、児童の母親の生き方まで伝わってくる▼米国の作家で教育コンサルタントのドロシー・ロー・ノルト氏は「毎日の生活での親の姿こそが、子どもに最も影響力を持つ」(石井千春訳『子どもが育つ魔法の言葉』PHP文庫)と。言うまでもなく、子ども以上に、親の振る舞いをよく見ている存在はないだろう。子の健やかな成長を願うなら、まず親自身が自らの生き方を見つめたい▼「教育」とは「共育」、すなわち"共に育つ"こと。自ら成長し続ける人は、周囲にも良い刺激を与え、内発的な成長を促すことができる。まずは、私自身の"新たな挑戦"から始めよう。(踊)

寸鉄 2020年1月12日
広宣誓う新春の幹部会。創立100周年の栄光の峰へさあ!私の人間革命から
神奈川・湘南総県の日。先駆の地涌の陣列拡大を—「日蓮と同意」の大前進
学会活動の要は�座談会�教学の研鑽�一対一の個人指導。名指揮を頼む
未来は待つべきものではなく作り出すもの—哲人現在の因こそ未来の果と
自動翻訳の端末、自治体等で導入進む。言葉の壁とともに心の壁の打破も

☆心に御書を 第15回 広布の大ロマンを共に
〈御文〉
『我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし』(開目抄、234ページ)

〈通解〉
私(日蓮)ならびに私の弟子は、諸難があっても、疑う心がなければ、自然に仏界に至ることができる。
〈池田先生が贈る指針〉
創価の父母が抱き締めてきた御聖訓を、華陽の姉妹が毅然と受け継いでくれている。
信じ合える同志と共に広布の誓願に生きる——何と尊く、強く、美しい青春か。若き太陽の生命は、いかなる苦難の闇にも負けない。
地域に社会に幸福と友情を広げる「ロマン総会」だ。朗らかな大成功を、皆で祈り応援しよう!


☆忘れ得ぬ瞬間 1996年1月 卒業生大会 創大・女子短大の学生たちに創立者が贈った言葉
<1996年1月26日、創価大学22期生、創価女子短期大学10期生が卒業生大会を開催(東京・八王子市内で)。新たな船出の時を目前に控え、未来への決意を固め合う集いとなった。
出席した池田先生は冒頭、卒業予定者と、その両親を祝福。創立者としての「感謝」の心を述べた>

皆さまが「健康」で、これからの人生のすべてが「勝利」の方向へ、「幸福」の方向へと進みゆくよう、私は毎日、祈っている。これからも祈っていく。
進路はさまざまであるが、一人残らず、自分の道で輝いていただきたい。
今は乱世である。善悪の確かな基準もない。実力よりも要領、社会貢献よりも"ただもうければいい"——そういう風潮が強い。
こういう時代には純粋な青年は悩まざるを得ない。
しかし、社会を変えていく努力は当然として、この、今の現実のなかで諸君は「勝利者」にならなければならない。
人生は勝負である。勝たなければ幸福もない。

◇理想は大きく
<この1996年は、4年に一度のオリンピックイヤーであり、近代五輪として最初の大会となった、アテネ・オリンピックから100周年の節目でもあった。
先生は、一人のオリンピックの英雄を通し、旅立つ友にエールを送った>

アメリカ南東部の出身で、オリンピック史上、不滅の大記録を打ち立てた黒人青年がいる。
その名は、ジェシー・オーエンス(1913年〜80年)。彼は、アラバマ州で生まれた。貧しい小作人(綿つみに従事)の子であった。
その彼が、60年前(1936年)、ヒトラー政権のもとで開かれた第11回のベルリン・オリンピックで、堂々と四つの金メダルを勝ちとったのである。(陸上競技の100メートル、200メートル、走り幅跳び、400メートルリレー)
近代オリンピックの歴史に燦然と輝く快挙であった。彼の偉業は、世界中に広まった。
貧しく、無名だった一人の黒人青年が、世界的な大英雄になったのである。この時、彼は、弱冠22歳。皆さまも、ほぼ同じ年齢であろう。
ヒトラーは、ベルリン・オリンピックで、自分たちの民族の優越性を世界に見せつけたかった。
ところが、そうした彼の思いあがりに痛烈な一撃をあたえた青年がいた。それが、若き黒人ランナー、オーエンスだったのである。
青年オーエンスは、もともとヒトラーの存在など眼中になかった。
彼は、歴史的な100メートル決勝に臨んだ心境をこうつづっている。
「私はゴールラインを見た時、8年間の努力がこれからの10秒間に集約されることを知った。一つのミステーク(失敗)が8年間を台無しにしてしまう。こうした状況下で、どうしてヒトラーのことなど気にかけていられようか」
必死の人に、雑音など届かない。くだらないことに紛動されたり、あっちを見、こっちに振り回され、人にどう思われるか、どう言われるか、そんなことばかり気にしていて、何ができようか。
厳然と「わが道」を行けばよいのである。
ベルリン五輪までの8年間、オーエンスは「世界一、速いランナーになってみせる!」と誓い、"練習また練習""努力また努力"を貫いた。
いかなる分野であれ、「世界一をめざそう!」との心意気が大切である。
青年の理想は、大きすぎるぐらいがちょうどいい。実際に実現するのは、そのうちの何分の一かにすぎない場合が多いのだから。
私もすべて「世界一」をめざしてきた。戸田先生のもとで、それは真剣に勉強した。生命をかけての努力をした。その努力があって、今の私がある。

◇自分に勝ち続ける
<続けて先生は、オーエンスの信念「大事なことは、自分自身に勝つことだ!」に言及。わが道は、ここにある。それを堂々と歩めばよいのだ——。この確信を彼の心に刻み付けた、中学時代の恩師とのエピソードを紹介し、使命深き創大生・短大生の勝利を念願していることを語った>

忘れ得ぬ思い出は、ある競技会でのこと。オーエンス少年は、抜かれては抜き、抜いてはまた抜かれるという大接戦を繰り広げた。
そのレースでオーエンス少年は、もうこれ以上、力は出せない、というところまでベストを尽くした。
結果は敗北。しかし、彼はゴールを過ぎてからも走るのをやめなかった。勢いあまって、壁にぶつかるまで走り続けた。
レースに負けて、がっかりしている彼に、コーチは駆け寄ってきて言った。
「おめでとう!」。思いもよらない言葉だった。きょとんとする彼に、コーチは続けた。
「君はきょう、勝ったんだよ。だれに勝ったか、わかるかい? (自分自身に勝ったんだよ!)一度ならず、何度も、何度も勝ったんだよ」と。
それまでのオーエンス少年は、レースの最初に出遅れたりすると、途中で勝負をあきらめてしまうのが常であった。その彼が、このレースでは、最後の最後まで真剣に走った。その「心の成長」を、コーチは見逃さなかったのである。
すべてのリーダーにとって、重要な教訓がここにある。
コーチはさらに励ました。
「いいかい、あすはまた新しい一日だ。きょう勝ったからといって、あすまた自分に勝てるとは限らない。しかし、あすも自分に勝ち、来週も自分に勝ち、来年も自分に勝ち続けていけば、君は必ずオリンピックに行けるよ!」——。
過去の失敗に、とらわれるのも愚か。過去の小さな業績に傲るのも愚かである。
この心を忘れた人生は、狂った軌道に入っていく。
少年にとって、コーチの真心あふれる激励が、不動の原点となった。いばるのではなく、"心から励ます"のが本当の指導者である。
後に彼は言う。
「人生こそ——内面生活こそ——本当のオリンピックなのです」
この人生そのものが、日々、「わが新記録」に挑みゆくオリンピックである。
まず、自分が強くなればよい。否、自分が強くならなければ、この乱世で勝つことはできない。
人がどうであろうと、だれが何と言おうと、自分が力をつけ、力を発揮していくことである。
諸君には、深き深き「使命」がある。その事実を自覚していただきたい。自負していただきたい。
進むべき「わが大道」を自分で見つけ、自分で築き、堂々と歩んでほしい。
そしてわが生命に「人生の金メダル」を、燦然と飾っていただきたい。

2020年1月11日土曜日

2020.01.11 わが友に贈る

戸田先生「学会は人材を
もって城となすのだ」
新しい人を励まし
新しい力を伸ばそう!
そこに勝利の道が!

白米一俵御書 P1597
『まことのみちは世間の事法にて候、金光明経には「若し深く世法を識らば即ち是れ仏法なり」ととかれ涅槃経には「一切世間の外道の経書は皆是れ仏説にして外道の説に非ず」と仰せられて候』

【通解】
真実は、世間の事法がそのまま仏法である。金光明経には「若し深く世法を識らば即ち是れ仏法なり」と説かれ、涅槃経には「一切世間の外道の経書は皆是れ仏説にして外道の説に非ず」と明かされている。

名字の言 演歌歌手の丘みどりさんがファンから言われたこと 2020年1月11日
年末の紅白歌合戦で、はつらつとした歌声を披露した丘みどりさん。幅広い世代から支持される期待の演歌歌手だ。華やかな活躍に至るまでには、各地でファンと直接会い、CDを一枚一枚買ってもらう地道な活動を積み重ねてきた▼紅白出場を夢見ていた頃のこと。あるキャンペーン会場で、丘さんが「いつか紅白に出られる歌手になれるよう頑張ります」と言うと、ファンからこんな言葉が返ってきた。「"いつか"なんて言っていたら一生出られない。今年出るつもりで頑張ろうよ」(「潮」2月号)▼その時、丘さんは自分の情熱が足りなかったことに、あらためて気付いたという。"絶対に出場するんだ"——そう強く決意した、その年末、念願の初出場を果たす。以来、今回で堂々、3年連続の大舞台となった▼どんな挑戦も、決意と目標が明確であって初めて、願った通りの結果を残す道が開ける。御書に「未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」(231ページ)と。大切なのは今の一念、今の行動である▼「学会創立90周年」「池田先生の会長就任60周年」と、意義深き佳節を迎える本年。「いつか」ではなく「今年こそ」との決意を固めよう。共に励まし、一人一人が確かな前進の足跡を刻む一年でありたい。(値)

寸鉄 2020年1月11日
「法華経の行者は日輪と師子との如し」御聖訓。青年よ地域と社会で輝け
御本尊に祈り抜け!20倍100倍の結果が出る—恩師今日も清新な祈りで出発
全国のB長・白ゆり長の奮闘に感謝!広布最前線の前進こそが創価の前進
各地で火災頻発。可燃物の整理や火の元の始末を確認。油断の火種を絶て
小学生の近視が30年で3倍に。スマホ等の過度な利用影響。親子で規則を

☆新時代を築く わが友と前進勝利の師弟旅 2020年1月8日
伝統の"箱根駅伝"で、わが創価大学駅伝部が大感動の結果を打ち立ててくれた。創立者として、これほどの喜びはない。
選手、指導陣、スタッフをはじめ苦楽を共にしてきた皆さん、陰に陽に応援してくださった全ての方々に、心から御礼申し上げたい。
本当にありがとう!
* * *
学会創立90周年の新春、日本全国、全世界、「異体同心」の祈りで出発できた。
御本仏の仰せ通り、ここにこそ「生死一大事の血脈」が流れ通い、「広宣流布の大願」は叶いゆくのだ。
創価班、牙城会、白蓮グループ等、尊い役員の無事故の運営に感謝は尽きない。
真心の雪だるまが出迎える北海道から、すでに桜が咲き薫る沖縄まで新年勤行会の様子をつぶさに伺った。災害の被災地でも、同志は力強く集い合われている。
新入会の友が陸続と誕生し、ご家族や友人、識者の方々の参加も、うれしい。
アメリカ・ボストンの新年勤行会には、私の友人である世界的な宗教学者のハービー・コックス博士が出席され、女子部の体験や未来部の演奏などに温かな拍手を寄せてくださった。
コックス博士は、私との対談集で、庶民の味方として悩める人々の中へ飛び込んで希望を送ってきた学会精神に注目された。そして「草創期の魂は、今や世界へ大きく広がるSGI運動に生きつづけています」と洞察されている。
この一年、民衆の大地に「人間革命」の大歓喜の花を爛漫と咲かせゆこう!
* * *
今から、ここから、世界市民の平和の連帯が始まる。
今月を中心に行われる、女子部の朗らかな「ロマン総会」、誠におめでとう!
御義口伝には「依正福智共に無量なり所謂南無妙法蓮華経福智の二法なり」(御書792ページ)と説かれる。
妙法の乙女が生き生きと躍動するところ、家庭も、社会も、未来も、福徳と智慧の門が開かれていくのだ。
「あの友がいたから」「この一言があったから」——友情と励ましの語らいで、人は強く明るくなれる。
今、夕焼け空に光る「宵の明星」(金星)のごとく、華陽姉妹が「一番星」の輝きを自分らしく伸びやかに放っていけるよう、婦人部と共に皆で応援していきたい。
愛する全創価家族が、新たな一日一日を、健やかに若々しく前進されるよう、私も妻と題目を送り続けます。

わが友と
 前進勝利の
  師弟旅

2020年1月10日金曜日

2020.01.10 わが友に贈る

「道理証文よりも
現証にはすぎず」
体験に勝る雄弁なし。
縁する全ての友に
信仰の歓喜を語ろう!

上野殿御書 P1568
『さは候へども釈迦仏法華経に身を入れて候いしかば臨終目出たく候いけり』

【通解】
しかし、また南条七郎五郎殿は釈迦仏・法華経を深く信仰されていたから、臨終も立派だったのである。

名字の言 島崎藤村の"いろは歌留多"に学ぶ 2020年1月10日
正月の伝統的な遊びである「かるた」には、「いろはかるた」など多くの種類が存在する。哲学者の鶴見俊輔は4歳の時から、島崎藤村が考案した「藤村いろは歌留多」に親しんだ▼文豪が作っただけあって、含蓄のある言葉が多い。例えば「独楽の澄む時、心棒の廻る時」。こまが心棒を中心として、一定以上の速さで回転することによって、静止しているかのように見えるさまを表現している▼それはまた、"生きるために何が大切かを考えよ"という文豪の問い掛けにも思える。日々行動、日々向上の人生こそ確かな幸福への軌道である。反対に、安逸に流される人は、毀誉褒貶に紛動され、心はいつも、ぐらぐらと揺れ動いている▼池田先生はかつて、「人間革命」を地球の自転に、「広宣流布」を公転にたとえた。信行学の実践を離れて、人間革命はない。広布の大理想を胸に、自分自身の目標を掲げ、それを成し遂げようと懸命に行動する中で、何ものにも揺るがぬ境涯が築かれていく▼こまが正月の遊びとなったのは、「その年の物事がうまく回るように」との願いを込めて回したことが由来という。そうした一年となるよう、清新な息吹で、勢いよく行動を開始しよう。「皆が前進」から、広宣流布の大回転は始まる。(嶺)

寸鉄 2020年1月10日
決めたことを貫くのが真の信仰者—恩師。青年よ迷わず勝利の大道を進め
秋田・師弟原点の日。雪の激励行から38年。後継よ新たな勝ち鬨を高らかに
利他の行動を貫けば幸福の道は開く。"人のために火を灯す"挑戦の一歩を
気候変動は基盤壊し特に弱者に害及ぼすと。誰も置き去りにせぬ社会皆で
東京パラリンピック参加国数が最多の見通しと。共生の祭典に世界が注目

☆四季の励まし みずみずしい心で前へ! 2020年1月5日
今夏、同競技場をメイン会場として開かれる「東京オリンピック・パラリンピック」。世界中のアスリートが今、新たな歴史をつくろうと、自分自身の限界に挑戦している。
いよいよ「前進・人材の年」が開幕した。本年は、広布の歴史において幾重にも意義を刻む年。今月はSGI発足から45周年、5月は池田先生の第3代会長就任60周年、11月には学会創立90周年を迎える。
さあ、師と共に、世界の同志と共に出発しよう。わが"広布拡大の新記録"を目指して——。

壮大な世界広布は、
いよいよ
これからが本番である。
戸田先生は、
よく語られた。
「大作、
学会の本当の
偉大さが分かるのは
二百年後だ。
二百年先まで考えて、
広布の盤石な路線を
つくっておくのだ」
後継の師子が、
いよいよ躍り出ている。
宗教革命を受け継ぎ、
民衆仏法の新時代を築く
「本門の青年」の活躍こそ、
新時代の希望である。

前を見よ!
我らの
開拓すべき天地は広い。
君よ、
今日の責務を
決然と果たしながら、
今日より明日へ、
日々新たに、
また、日に日に新たに
前進し抜いていくのだ!
その執念の行動に、
栄光の勝利があり、
幸福がある。

一日の勝利は、
まず朝の出発で決まる。
断じて
「朝に勝つ」ことだ。
すがすがしい心で、
生き生きと
仕事を開始することだ。
ここに、
連続勝利の
秘訣があることを
忘れてはならない。

「新しい年がめぐってきて
新しいわれらを
発見するのです」——と、
大文豪ゲーテは歌った。
万年にわたる
広宣流布の未来を開く
重要な一年だ。
その「新しい年」に
ふさわしい
「新しい自分自身」の
人間革命の劇が、
いよいよ始まったのだ。
「自分には、
これほどの力が
あったのか!」と、
自らも目を瞠るような、
生まれ変わった
みずみずしい息吹で
戦おうではないか!

2020年1月9日木曜日

2020.01.09 わが友に贈る

広布の拡大は
足元から始まる。
爽やかな挨拶と
心通う語らいで
地域に友情の花を!

上野殿御返事 P1546
『臨終に南無妙法蓮華経と唱えさせ給いける事は一眼のかめの浮木の穴に入り天より下いとの大地のはりの穴に入るがごとし、あらふしぎふしぎ』

【通解】
臨終に南無妙法蓮華経と唱えられたということは、一眼の亀がかめのたまたま浮木に出あって、その穴に入ることができたようなものであり、天から下した糸が、大地に立ててある針の穴に通ったようなものである。じつに不思議なことである。

名字の言 新年恒例の「太陽会万葉集」。大理想に生きる人の心に"しわ"はない! 2020年1月9日
新年の心意気を和歌や川柳などに託す「太陽会万葉集」。都内のある地域の太陽会(平日の昼間に活動できる壮年の集い)の友が毎年、編さんしている。今年の第14集の一端を紹介すると——▼「新春に 箱根路走る 若人の 勝利祈りて 我も進まん」(79歳)、「箱根路に 翔ける創価の 若獅子の 使命のたすき つなげと祈らむ」(72歳)。皆の熱い思いをタスキに乗せ、新たな歴史を開いた力走に、あらためて喝采を送りたい。我らは学会創立100周年の2030年へ、勢いよく広布路を駆け抜ける▼大理想に生きる人の心にしわはない。今集の最高齢者が「師の慈愛 師弟の絆 一〇一歳 創価の庭で さらに固めん」と詠めば、85歳の"後輩"は「今日も又 広布の旗を 押し立てて 戦の陣に 我も加わらん」「師が指揮を とられて六十周年 刻む年 恩師誇りに 勇躍対話」と続く▼どの歌にも「信仰は生き方である」との信念が光る。「年輪に 題目重ねて 健康爺」(85歳)、「師と生きる 我が人生は 宝成り」(80歳)、「爽やかに 同志と題目 楽しかり」(75歳)▼太陽会万葉集は、高齢者には「心の若さ」を持ち続けることを、若い世代には「心の老い」を避けることを訴える。万人に「いかに生きるべきか」を問う"宝のメッセージ"である。(側)

寸鉄 2020年1月9日
列島各地で新春座談会。決意新たに"皆が前進""皆が人材"の心で出発
東京・目黒師弟正義の日。壁破る対話を「私」から!誉れの人材城は意気軒高
信心でいかなるものにも必ず勝てる—戸田先生。さあ清新な朝の祈りから
乾燥すると風邪や流感に罹りやすいと。マスクや加湿器の活用で賢く予防
交通事故死、過去最少も5割超が高齢者。慣れた道でも注意を。油断排し

☆師子王御書 1月度 阿仏房御書(宝塔御書)
◇自分を最高にかがやかせる◇
◇御文
『末法に入って法華経を持つ男女の・すがたより外には宝塔なきなり』(御書1304ページ)

◇意味
末法に入って、法華経を持つ男女の姿よりほかには宝塔はないのである。
少年少女部のみんな、あけましておめでとう! ボクは、ライオン博士のキング君。今年もいっしょに御書を楽しく学ぼう!

●「宝の塔」のお話
ボクたちが、朝と夜の勤行で唱える経典を「法華経」というよ。
法華経にはたくさんのストーリーがあって、その中に「宝の塔」が登場するシーンがあるんだ。
この塔は、大きさがなんと地球の約3分の1! さらに全体が金や銀など7つの宝物でかざられていて、キラキラとかがやいているんだ。法華経では、この巨大な宝の塔が、とつぜん大地からあらわれて、空中に浮かぶんだ。
ある時、日蓮大聖人の弟子である阿仏房というおじいさんが、「この宝の塔は、いったい何をあらわしているのですか」と質問したんだ。それに大聖人が答えられたのが、今回学ぶ御書だよ。
大聖人は「法華経に出てくる宝塔は、阿仏房、あなたのことなのです」と言われたんだ。
すばらしい「宝塔」が自分のことをあらわしていたと聞いて、阿仏房はビックリしただろうね!

●だれもが偉大な存在
大聖人は、「宝塔」とは南無妙法蓮華経のお題目を唱えて、信心にはげむ人のすがたそのものだと教えられているよ。
阿仏房は、お金や宝石など、たくさん財産があったわけではない。けれど、どんな悩みや困難があっても、師匠である大聖人をおまもりし、信心をつらぬいてきたんだよ。
お金持ちかどうかや、有名かどうか。何かができる、できないということにかかわらず、信心にはげむ人は、だれもが、かがやく偉大な「宝塔」の存在なんだね!
これは、阿仏房だけでなく、みんなも同じなんだよ。  お題目をあげていけば、自分の中の最高の力を無限に出していくことができる。信心根本に目の前のことに挑戦し、一生けんめいに前に進んでいくことが、自分を最高にかがやかせることなんだ!
池田先生は語られているよ。
「自分は自分らしく、ありのままに努力を続けていくなかで、必ず自分にしかない、すばらしい使命の花を咲かせることができるのです」
今年もお題目をあげながら、いろいろなことに挑戦して、みんなで大成長していこう〜!

2020年1月8日水曜日

2020.01.08 わが友に贈る

君よ人生を劇の如く!
家庭も職場も地域も
全て使命のステージだ。
悩みを歓喜に転じる
勝利のドラマを必ず!

顕立正意抄 P537
『我弟子等の中にも信心薄淡き者は臨終の時阿鼻獄の相を現ず可し其の時我を恨む可からず』

【通解】
我が弟子らのなかにも、信心薄い者は臨終のときに阿鼻地獄の相を現ずるであろう。そのときに日蓮を恨んではならない。

名字の言 青山学院大・原監督の"発想の転換" 2020年1月8日
令和初の第96回箱根駅伝は、創価大・米満選手の歴代2位の区間賞で幕を開け、7区間で区間新が続出する超高速レースとなった▼創価大と東京国際大が初めてシード権を獲得。常連校の監督たちは「今までのやり方では通用しない」と口をそろえた。100周年の節目を迎えた箱根駅伝は、新時代に突入したといえる▼その中で、青山学院大が2年ぶりに王座を奪還した。解説者の渡辺康幸氏は、その勝因を、原監督の区間配置が「他の監督と逆の発想だった」と指摘する。通常は「どの区間にどの選手を当てはめるか」考える。だが、原監督は選手の努力をよく観察した上で「どこの区間なら輝けるか」と考えていた、と(「スポーツ報知」)。「花の2区」に1年生、復路に箱根初出場の4人を抜擢するなど、まさに"発想の転換の勝利"だった▼駅伝に限らず、社会の変化のスピードは激しい。"今までのやり方"にこだわるばかりでは、時代に取り残されてしまう。発想を転換して大胆に攻め続けることが、時代に先駆する鍵だろう▼池田先生は「大事なのは人だ。祈って、適材適所で皆を生かすのだ。新しい人が躍り出てこそ、新しい波を起こす力となる」と。我らも"皆が人材"を合言葉に、新しい発想で一人一人が輝く連帯を築こう。(差)

寸鉄 2020年1月8日
"長の一念"が戦いの勢い決める。法華経は最高の将軍学。率先の大前進を
大阪・堺の日。青年を先頭に次の峰へ先駆!大関西の電源地の使命、今こそ。
男子部大学校生、頑張れ。皆が創立100周年の主役。強靱な生命へと鍛え抜け
家で冷え感じる人、8割。寒暖差で血圧変動の危険あり。屋内でも防寒対策
ブランド品の偽物商品、若者の半数に購入経験。不自然な安値等に要警戒

☆1月度座談会拝読御書 阿仏房御書(宝塔御書)
◇拝読御文
『末法に入って法華経を持つ男女の・すがたより外には宝塔なきなり、若し然れば貴賤上下をえらばず南無妙法蓮華経と・となうるものは我が身宝塔にして我が身又多宝如来なり、妙法蓮華経より外に宝塔なきなり、法華経の題目・宝塔なり宝塔又南無妙法蓮華経なり』(御書全集1304ページ6行目〜8行目)

◇[池田先生の指針から] 妙法の当体と輝く
大聖人は、ここで「法華経を持つ男女の・すがた」と言われております。「すがた」とは、外に現れた姿形、行動です。抽象的、理念的なものではなく、目に見える具体的、現実的な「すがた」であり、今、ここで、懸命に生を営んでいる一人ひとりの人間そのものでありましょう。
大聖人は、この生きた人間の外に宝塔はないのだと断言されているのです。まさしく、御本尊を持ち、題目を唱え、仏法を弘めゆく人の「すがた」は、妙法の当体として、瞬間瞬間、輝いていく。喜怒哀楽も露わな凡夫がそのままで「尊極の宝塔」と現れるのです。
苦悩に満ちた現実の中で、心ない悪口にも負けず、自身の宿命転換のために、そして人々の幸福のために、尊き金の汗を流しながら戦い抜いている、学会員の「すがた」こそ、まさしく宝塔にほかなりません。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇
大聖人は、"阿仏房、あなた自身が妙法蓮華経の宝塔なのです""あなたも七宝の輝きを放っているのです""あなた自身が仏なのです"と繰り返し、阿仏房自身が宝塔であることの意味を展開されていきます。
まず、大聖人は、「法華経の題目・宝塔なり宝塔又南無妙法蓮華経なり」と仰せです。法華経で説かれる宝塔とは、南無妙法蓮華経以外の何ものでもないのです。法華経の題目こそ宝塔であり、それを大聖人は御本尊として顕されたのです。
「御義口伝」には、「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は明鏡に万像を浮ぶるが如く知見するなり、此の明鏡とは法華経なり別しては宝塔品なり」(763ページ)と仰せです。
鏡がなければ、自分の顔を見ることができません。まして「己心の宝塔」は、それを見る明鏡がなければ誰も見ることができない。そこに、大聖人が御本尊を顕された理由もあります。
日蓮大聖人は、御本仏としての御自身の生命を御本尊として御図顕されました。私たちが、この御本尊を明鏡として、南無妙法蓮華経の題目を唱えた時に、自身に内在する仏の生命が力強く涌現します。私たち一人ひとりが胸中に宝塔を打ち立てる、まさに、そのための御本尊なのです。
(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第10巻)

◇学会員の「すがた」が宝塔にほかならない
[キーワード1] 尊厳性に目覚める
法華経に説かれる壮大なスケールの宝塔。それは、あなた自身のことなのです!
佐渡の門下・阿仏房から、法華経に描かれる宝塔出現の意味について聞かれ、答えられたのが本抄です。
大聖人は「法華経を持つ男女の・すがたより外には宝塔なきなり」と仰せです。
つまり、私たち世界広布にまい進する学会員こそが、想像を絶するようなスケールと荘厳さで表現された宝塔そのものなのです。
さらに、「貴賤上下をえらばず」と教えられています。男性・女性の差別もなく、身分や立場などに関係なく、妙法を唱え弘める、ありのままの一人の人間こそ、宝塔なのです。
拝読御文の直前で、宝塔の出現とは、声聞たちが法華経を聞いて「己心の宝塔」を見たことであると教えられています。続いて大聖人は、"日蓮の弟子檀那も同様です"と仰せです。
私たちにとって、己心の宝塔を見るとは、自身の尊極にして偉大な可能性に目覚めることです。それは、他人の尊厳性を知ることと表裏一体です。
そのために大切なことは「南無妙法蓮華経と・となうるものは我が身宝塔にして我が身又多宝如来」と仰せの通り、唱題の実践です。それも自行化他にわたる唱題行です。
御本尊を信じ、唱題と学会活動に励む人は、尊厳なる自身の存在に目覚め、わが生命を最高に輝かせていけるのです。

◇[キーワード2] 仏法の偉大さを証明
"南無妙法蓮華経と唱える人が多宝如来です"と仰せです。
多宝如来は、法華経を説くところに宝塔を涌現させて法華経の真実を証明することを誓った仏のことです。
つまり、信心に励む私たちは、自身が「宝塔」と輝くことで、妙法の偉大さを証明していく存在であるともいえるのです。
法がいくら素晴らしいといっても、それを実践し、偉大さを体現する人がいなければ、他人には伝わらず、法が弘まることもありません。
日蓮大聖人は他の御書で、「法自ら弘まらず人・法を弘むる故に人法ともに尊し」(御書856ページ)と仰せです。
学会や仏法への理解といっても、それは、人を通してなされます。さわやかなあいさつをはじめ、日々の誠実な振る舞いが、仏法の偉大さを証明し、広宣流布を開くのです。私たちは、仏法正義の証明者であり、創価の人間主義の体現者となっていく使命を担っているのです。
自身が御本尊への真剣な唱題によって、仏界の生命を開き、顕し、自分のいる地域や職場で宝塔と輝いていくことが大切です。その希望と勇気の光で、周りの人、そして地域を照らしていくのです。
信仰の輝きは、必ず相手の仏性をも触発します。つまり、自分が宝塔と輝くだけでなく、自他共に宝塔と輝いていくことができます。この人間革命の連帯を広げゆくことで、平和と安穏の人間主義の社会が築かれていくのです。