2017年12月25日月曜日

2017.12.25 わが友に贈る

◇今週のことば
「妙とは蘇生の義なり」
題目の音声は
一切を蘇らせる力だ。
生まれ変わった息吹で
新年へ勇躍の出発を!
2017年12月25日

さじき女房御返事 P1231
『たとへばはるの野の千里ばかりにくさのみちて候はんにすこしの豆ばかりの火をくさひとつにはなちたれば一時に無量無辺の火となる』

☆女性に贈ることば 十二月二十五日
人生は、順調な時だけではない。時に、思いもかけなかったような苦難に出合うことがある。
しかし、いくら泣き言を言い、運命を嘆いても、始まらない。心強く生きる人が、本当の幸福をつかむことができる。

☆今日のことば365 十二月二十五日
真面目な そして熱心な君の言葉が
 口を吐いて出てゆく
やがて人々は
 必ず謹聴するであろう

☆誓いの天地 岡山・津山市 2017年12月18日
◇わが使命の舞台で輝く
岡山県の北部に位置し、北は鳥取県と接する津山市。四方を山に囲まれ、美しい景観に恵まれている。
江戸時代に築城された津山城を中心に、城下町が形成された。その歴史の面影が、今も街の随所に残る。
現在の城跡は、鶴山公園として多くの人に親しまれる。春には桜が咲き誇る観光名所だ。
市内には50軒以上の飲食店が、「ホルモンうどん」をメニューにしている。このご当地グルメを通して、地域おこしに取り組んでいるのが、津山ホルモンうどん研究会である。
皆越茜さん(津山創価圏、女子地区リーダー)は、同研究会に所属。津山の肉文化を発信する「肉ワンダーランドプロジェクト」でも活躍する。
「研究会やプロジェクトの方々と協力しながら、少しでも津山発展の力になりたい」と笑顔で。
5年前、市内で行われたまちづくりに関するセミナーに参加。そこで、研究会の関係者と知り合い、活動を始めるようになった。
生まれ育った鏡野町が大好きだった。大学卒業後、県外で就職したが、"いずれは地元に帰って、地域のために何かしたい"との思いを強く持っていた。
転機となったのが、東日本大震災。直後のテレビや新聞などの報道を通して、故郷の大切さを感じ、"岡山に戻ろう"と決めた。
その後、津山市の人材サービス会社に転職。各会社に貢献できる人材を送ることが、ひいては津山の繁栄にもつながる、との思いで仕事に全力を注いでいる。
「津山の発展を祈り、地域に尽くす人の輪を広げていきます」——そう語る皆越さんの胸には、池田先生の指導が響いている。
「自分の今の使命の舞台で全力を挙げて頑張ることだ。『なくてはならない人』になることだ」

中田勉さん(津山創価圏、男子部副部長)は17年間、消防団で活躍。地域の安心・安全に尽くしてきた。
地元の勝北地域は、近隣とのつながりを大切にする気風がある。父母からも、「地域の絆の大切さ」を教わってきた。
「消防団の話があった時は、二つ返事で引き受けました」
消防団では部長を務め、一つの分団の中心者として奮闘。ここ数年、年末の3日間は、消防車で地域を巡回している。
「消防団の活動を通して、日常の身の回りの点検、災害への備え、さらには地域のつながりの大切さを実感します」
工業用スプレーノズルを製造する会社で働きながら、牙城会としても16年にわたり、無事故の任務を続ける。その中で、「厳護の精神」を学んできた。
祖父母と両親はかつて、学会に対する無認識の悪口を浴びたことも。それでも、真っすぐに信心を貫いてきた。だからこそ、自分自身も何があろうと、信心根本に前進しようと誓う。
「自分の姿を通して、地域に学会理解の輪を広げていきます」。中田さんは力を込めた。

栄光の共戦譜
●限りなき前進——「新しい自分」に

明年は3・16「広宣流布記念の日」60周年の佳節。
「3・16」が「広宣流布記念の日」として1975年(昭和50年)に制定され、池田先生が出席して初めてとなる記念行事が行われたのは、翌76年(同51年)3月16日。その場所が、岡山である。
この歴史に、岡山の未来にわたる広布への使命と責任が示されていよう。
先生は席上、「3・16」とは恩師・戸田先生が、壮大な広布の構想を青年部に託した重要な記念日であると強調。さらに、世界広布の伸展に触れ、その原点が「3・16」に刻まれていると語った。
この日の集いは、「岡山支部結成20周年」の意義も込められていた。先生は、福運の桜花が咲き誇る人生をと呼び掛け、さらに、2首の和歌を贈った。
「ほのぼのと 旭日の昇る 姿して 今ふたたびの 岡山築かん」
「われも立つ 君も起てよと 今ここに 岡山城を 築く誇りは」
師が示した原点を胸に、友は今、広布の大願に燃える——岡山から「栄光の勝ち鬨」を響かせる、と。

岡山に支部が誕生したのは、56年(同31年)8月。それまでは、大阪支部所属の岡山地区だった。
同年の「大阪の戦い」の陣列にも、岡山の友は加わった。大阪支部が打ち立てた「1万1111世帯」の金字塔。このうち、岡山地区は「999世帯」の弘教を成し遂げ、「地区日本一」の拡大を達成した。
この時、入会したのが河本一郎さん(美作総県、圏主事)。「『大阪の戦い』の、しかも不滅の金字塔が築かれた時に、信心を始めたことは私の誇りです」
入会直後から、先輩と共に対話に歩いた。
翌57年(同32年)には数人の同志と、午前5時に自転車で津山を出発し、大阪へ。学会歌を歌いながら、午後8時に到着。その日、翌日と拡大に奔走した。
「津山の自転車隊」として、今も語り草となっている歴史だ。
「汽車に乗るお金もなくてね。貧しかったけど、学会活動は楽しくて、いつも心は燃えていました」
部隊長に就任した翌年には、師から「前進」と揮毫された色紙が届いた。その言葉を胸に、岡山広布に駆けてきた。
妻の節子さん(同、婦人部副本部長)は、85年(同60年)5月26日、岡山市総合文化体育館で行われた岡山青年平和文化祭で、師との出会いを刻んだ。
「先生がいらっしゃる空間は、こんなにも喜びや決意があふれているんだと、感動で胸がいっぱいになりました」
前日には、「限りなき前進の岡山」とのモットーが発表された。節子さんもまた、夫と共に使命の道を真っすぐに進んできた。
夫妻は口をそろえる。
「池田先生と同志のおかげで、今の私たちがあります。報恩を胸に、生涯、広布に戦い抜きます」

池田先生の岡山訪問は38回を数える。
宝の歴史の中でも、津山の友が心に刻むのは、60年(同35年)2月22日。列車で岡山から鳥取へと向かう途中、先生は津山駅と美作加茂駅で待っていた友に渾身の励ましを送った。
内田淳子さん(美作総県、婦人部副本部長)は、その場にいた一人。1歳2カ月の長男・薫さん(岡山創価総県、本部長)を背負って駆け付けた。
先生は薫さんの姿を見つけると、「かわいいお子さんですね」と声を掛け、手元にあった、みかんを内田さんに渡した。
「なんて優しい方なんだと感激しました。あの時のことを思い返すと、今でも胸が熱くなります」
わずかな時間を惜しむように、先生は友に励ましを送り、こう語った。
——冬の木々は枯れた姿をしているが、春が来れば美しい花を咲かせます。どうか、冬を乗り越える強い信心であってください。
この出会い以降、内田さんは「冬は必ず春となる」(御書1253ページ)との御聖訓を抱き締め、人生を歩んできた。
嫁いだ家は11人家族。毎日、全員の食事を作り、畑仕事もした。リウマチを患い、寝たきりになった義母の介護を22年続けた。
息つく間もない日々だったが、御本尊に祈り、家事・育児・介護に奮闘。一家の太陽として、和楽の家庭を築いてきた。
家族に尽くし、84歳の今は地域に貢献する。老人会の班長を務め、地域の清掃や高齢者の集いなどの運営に携わる。
「拡大の実証で、師にお応えしたい」と、今もあの駅での出会いの感謝を忘れない。3人の子どもにも、信心根本の生き方が受け継がれている。

88年(同63年)6月、先生は岡山の同志に長編詩を贈った。
「『限りなき前進』とは/絶えざる生命の革新作業だ/自己の殻を打ち破って/日々 月々 年々に/『新しい自分』を作りゆくのだ」
明「世界広布新時代 栄光の年」は、長編詩発表から30周年。春には、新宝城・津山文化会館も完成の予定だ。岡山と中国方面の友の「限りなき前進」は、加速度を増していく。