2017年12月4日月曜日

2017.12.04 わが友に贈る

◇今週のことば
充実の地区協議会が
広布推進のエンジンだ。
会場のご家庭に感謝を。
「常にかたりあわせて」
栄光の年輪を朗らかに!
2017年12月4日

乙御前御消息 P1220
『一つ船に乗りぬれば船頭のはかり事わるければ一同に船中の諸人損じ又身つよき人も心かひなければ多くの能も無用なり』

☆女性に贈ることば 十二月四日
さまざまな悩みと戦いながら、前を向いて、郵賢恥えて生き抜いていく、けなげなお母さん!
人がなんと言おうと、子どもをとことん信じ、守り、太陽のように照らしていく、優しいお母さん!
どんなに、よその家の子がよく見えようと、「うちは、うちよ」と笑いとばす、朗らかなお母さん!
人のため、社会のために奔走し、なかなか、わが家を顧みる時間がなくとも、その尊貴な後ろ姿で、骨を力強く引っ張っている、たくましいお母さん!

☆今日のことば365 十二月四日
理論を好んで生きていく人がある。反対に実践、体験を重んじ、生きていく人もある。だが、せんじつめれば、生活は実践であり、体験による以外にないであろう。

☆地域を歩く 大阪府東大阪市 2017年11月22日
◇モノづくりの先進都市
高い所から見渡せば、鉄道や高速道路が縦横に走り、ビルが所狭しと立ち並んでいる。地に足着けて町を歩けば、あちこちでドリルの音や油のにおいに出合う。
中小の工場が密集し、"モノづくり"の町として知られる東大阪市——ある金型の製造会社を訪ね、代表取締役の松岡成さん(地区幹事)に、仕事と信心について聞いた。
同社は1958年に、現在会長を務める父・隆永さん(副支部長)が鉄工所として立ち上げた。その後、精密金型の製造をはじめ、プラスチック製品、アクリル板加工を手掛ける、四つの会社を持つグループに発展してきた。
成さんは、99年に父の会社へ入社。技術を身に付けなければ何も言えないと、仕事を終えた後も、毎日深夜まで工場に残り、腕を磨いた。
5年ほどで、営業を任されるようになった。図面をもとに取引先から要望を受け、現場に指示を出す。多少難しい注文でも、積極的に受けた。
会社の業績は少しずつ上向いた。しかし、職場には、どこかギスギスした雰囲気が漂い始める。難しい仕事が増えたことに、従業員の不満が大きくなっていたのだ。
だが、成さんは"時間内に終わらなければ、2時間でも4時間でも、終わるまで残ってやればいいじゃないか"としか思えなかった。自分はそうするのが"普通"だった、という思いがあった。
男子部の会合に誘われて参加するようになったのは、その頃だった。

◇"当たり前"を重ね"信頼"をつくる
幼い頃から、信心に励む両親の姿を見てきた。何となくすごいんだろうなと思う半面、自分には必要ないと思っていた。何より、仕事以外のことで自分の時間を取られることが嫌だった。
男子部の先輩たちは、親身になって話を聞いてくれた。利害関係を抜きに関わってくれる学会の世界は、成さんにとって新鮮だった。会合に行く前はイライラしていた気持ちが、帰る時にはすっきりと晴れていた。
「自分には何の得にもならないはずなのに、先輩たちは『そこまでしてくれるんですか』というくらい心配してくれて。自分には、相手の気持ちを理解しようという"当たり前"の姿勢さえ欠如していたことに気付かされました」
以来、職場では、皆の意見に耳を傾けるよう努力した。徐々に社内の雰囲気も良くなった。
学会活動をするようになってから、ずっと祈ってきたことがある。ボーナスを払える会社にすることだった。
「代表取締役になり、初めてボーナスを出せた時、以前衝突したことのある従業員が『頑張ってきて良かったな』と言ったんです。その瞬間、信心してきて良かったと心から思えました」

日常の"当たり前"を積み重ねて、揺るがない信頼は築かれていく——この町では、そう語る人に多く出会った。
同市の西に位置し、大阪市にほど近い高井田は、市内でも特に工場が密集する地域だ。自宅兼工場の建物が多い。濱口博洋さん(副支部長)の家もその一つ。
1階部分は、長男の紘一さん(男子部副部長)と経営している、金属部品を加工する工場。2階部分が居住スペース。3階部分を、広布の会場として提供している。紘一さんが所属する関西吹奏楽団の会合なども行われている。
工場では、コンピューターによって数値制御された高性能の機械が所狭しと並んでいた。機械の中では、濱口さんがプログラミングした指示通りに、ネジやボルトが次々に加工されていく。
他の工場が引き受けたがらない複雑な加工や、厳しい要望を受けているうちに、「技術が自然と磨かれました」と笑う濱口さん。同じ機械を使う同業者から、操作方法について問われることも多い。今では、無償で同業者への技術指導を買って出る。「御書にある『人のために火をともせば・我がまへあきらかなるがごとし』(1598ページ)との一節が好きなんです」と。
1992年に独立して以来、評判を聞きつけたり、取引先から紹介を受けたりした業者から、途切れることなく仕事が舞い込んできているというのも、うなずける。
「『困った』との連絡が入れば、父は仕事中でもすぐに飛んで行くので困ります(笑い)」と紘一さん。
濱口さんに仕事で心掛けていることを聞いた。
「それは、不良品を絶対に出さないことですね。ネジ1本が、不具合の原因になることだってありますから」
全て順調だったわけではない。家や機械のローンもある。2歳違いの次男と三男を、東京の創価大学に送り出した時には、学費を工面するのにも一苦労だった。リーマン・ショック直後は収入が半減した。
支えてくれたのは、妻の庸子さん(地区副婦人部長)だった。
どんな時も明るく振る舞う庸子さんの姿に「心がホッとしました」。
一方の庸子さん。「私は、婦人部の皆さんからパワーをもらってますから。昔は結構大変だったはずなんですが、今になって考えると、思い出せませんね(笑い)」

そんな高井田で信頼を広げる人に、山口智子さん(支部副婦人部長)がいる。78年に引っ越してきて以来、地域で友好を拡大してきた。
地区婦人部長としてメンバー宅への訪問激励に励む山口さんを見て、自治会長から「ぜひ自治会の婦人副部長も引き受けてほしい」と頼まれた。
以来、積極的に地域行事に参加し、町の人に会うたびに「何でも言ってな」と声を掛けて回った。
「道路の陥没を直してほしい」「蜂の巣を取ってくれ」「野良猫のいたずらに困っている」等々……。さまざまな要望に対し、山口さんは、広い人脈を頼みに、一つ一つ誠実に解決策を探した。
「最近は、『何かあれば、山口さんに聞け』と言われるようになってしまったんですよ」と、笑顔で話す。

モノづくりの町・東大阪の高い技術力を世間に広めたのは2009年、人工衛星「まいど1号」の打ち上げ成功だ。
その発起人だった父の後を継ぎ、航空機部品製造会社「アオキ」で若き社長として奮闘するのは、青木理さん(県副青年部長)。
働き始めた当初は、アメリカ同時多発テロなどの影響で、航空機業界全体が落ち込んでいた。
仕事と学会活動に奔走した。地道に訪問激励を重ねる中で、少しずつメンバーが心を開いてくれた。悩んだ友人を励まし続ける中で弘教が実った。「そうやって学会活動の中で、目の前の一人のために尽くすことを教わりました」
男子部では、後輩の激励に全力。職場では、中学生の工場見学や、修学旅行で訪れる児童の受け入れも積極的に行う。
同社は高い技術が認められ、1997年からアメリカのボーイング社の認定工場にもなっている。毎年行われる更新審査に合格を続ける。「不具合を出さないことは素晴らしいことだよ」と、審査の担当者は言う。

小さなことを大切に。"当たり前"と思えることを継続する中に、時代の変化にも揺らぐことのない「信頼」が、光り輝いていく。