2017年12月9日土曜日

2017.12.09 わが友に贈る

掉尾を飾る座談会。
一年の奮闘をたたえ
皆で体験を語り合おう!
近隣や会場提供者への
配慮・感謝を忘れずに。

南部六郎殿御書 P1374
『誹謗の者に親近すれば所修の善根悉く滅して倶に地獄に堕落せん』

☆女性に贈ることば 十二月九日
真実の慈愛とは、相手によって決まるものではない。
相手がどうあろうと、太陽が万物を照らすように、あらゆる人びとを愛し慈しみ包容しゆく、心広々とした揺るがぬ境涯である。

☆今日のことば365 十二月九日
生涯 君は
 本を手から放すことをしないという
  勉強家であれ と
私は 祈る

☆負けじ魂ここにあり わが生命の学園生第6回 関西校 1976〜78年度
◇君たちがどこへ行っても、どのような生き方をしても、私は生涯、最大の味方です。
「勉強の最中、お邪魔して申し訳ありません」
スピーカーから流れる声に、校内は驚きと喜びで沸き返った。
1976年9月25日。関西方面を訪れていた創立者・池田先生は、多忙の合間を縫って、4カ月ぶりに創価女子学園(当時)に立ち寄った。
突然の訪問となったゆえに全員と会うことはできない。だが"せめて話だけでも"と、教職員の了承を得て全校放送でエールを送ったのである。
各教室で真剣に耳を傾ける学園生たち。池田先生は、一人一人に語り掛けるようにマイクに向かった。
——作家・宮沢賢治の言葉に「雨にも負けず、風にも負けず」とあります。学園生はさらに「自分自身にも負けず」という一言を加えて、日々の勉学に挑戦していただきたい。
この麗しい環境の学園で育ちゆく皆さんが不幸になるわけがないと確信してください——
当時、中学1年生だった高月光子さん(高校7期)は、東京の親元を離れての下宿生活で、ホームシックに陥っていた。関西弁にもなじめない。
「なぜ来てしまったんだろう……」。夏休みに帰省したこともあり、寂しさは募るばかりだった。
全校放送の翌日。高月さんは、再び学園に足を運んでいた先生と、校内でばったり出会った。
その顔を見た先生は「家に帰りたいのかい?」と一言。びっくりする彼女に「ここは本当にいいところだよ。世界一の、夢のようなところだ。今に分かるよ」と優しく声を掛けた。
この言葉の意味を、高月さんは少しずつ実感することになる。
しばらくすると、下宿生活にも慣れ、親しい友人もできた。遠足の時には「ほら、光子ちゃんの分も」と、友達が弁当を二つ持ってきてくれていた。気付けば幾つもの弁当箱が自分の前に並んでいた。
「先生が言われた通りでした。優しい仲間や先輩たちに囲まれ、いつの間にか学園が大好きでたまらない自分になっていました」
2年前、高月さんは乳がんを患った。その時も全国各地に点在する友人や、寮・下宿の先輩・後輩が、たくさんの励ましを送ってくれた。先生からも回復を祈る伝言が。
「不安な気持ちが、スッと軽くなりました」
手術は無事成功し、健康を取り戻した高月さん。「困難に遭うたびに、学園時代の思い出が輝きを増し、勇気が湧き上がります。一生の友情という宝を胸に、断じて負けない人生を歩み続けます!」

◇創立者の真情
草創の関西学園生には数々の忘れ得ぬ場面がある。その一つが、78年1月24日の創立5周年記念全校昼食会である。
席上、先生は革命に身を投じた女性と、その父の話を通して、創立者としての自身の真情を述べた。
「学園生は私の生命です。学園生がどこへ行っても、どこでどのような生き方をし、どういう結果になったとしても、私は全部、心の中に通じるように抱きかかえてあげたい」
誰が何と言おうと、最大の味方であり続ける。一生涯、全員を見守り続ける——今も昔も変わらぬ先生の信念である。

◇お母さんを大切に
78年春、6期生の入学と同時に「羽衣寮」が誕生した。月見寮に続く、二つ目の学生寮である。
4月26日に開かれた入学記念の会食会では、羽衣寮生の代表らが先生と同じテーブルでカレーライスを食べた。
先生は一人一人に出身や近況を尋ね、激励を。高校1年生だった牛田忍さん(高校6期)は「お母さんを大切にね」と言われたことが忘れられないという。
牛田さんは9歳で母を亡くした。その後、中学1年生の頃に父が再婚。牛田さんは継母との間に心の壁をつくっていた。
その夜、寮に戻った牛田さんは早速、群馬の実家に電話した。
先生からの真心の言葉を伝えると、継母は感激し、二人で涙した。以来、ことあるごとに連絡を取り、親子の絆を少しずつ強めていった。
社会人となり、会社の人間関係で落ち込んでいた時、一番の支えになったのは継母からの電話だった。
やがて結婚し、牛田さんは2児の母になる。次男が小学3年生で不登校になった際には、自分が継母にしてもらったように、ずっと寄り添い続けた。次男は定時制の高校を経て創価大学に進学。使命の職場で奮闘する日々だ。
「先生の一言から、和楽の家庭を築くことができました」と牛田さん。「毎年4月26日には、必ずカレーを食べるんですよ」と、ほほ笑む。

会食会の翌日(4月27日)。家庭科の授業を受けていた中学1年生が、窓の外にいた先生に気付き、皆で手を振った。
「今、そっちに行くよ」
先生は教員の許可をもらい、授業を参観した。
教室では、スクリーンにカラースライドを映し出しながら、洋服の上下の色や柄の組み合わせについて学んでいた。
先生も「これはどうかな?」「こんなのは?」とスライドを操作。会場は和やかな雰囲気に包まれた。
その姿をすぐ近くで見ていた吉田学美さん(中学6期)は振り返る。
「先生の穏やかな笑顔が印象的でした。私たちの反応を見ながら言葉を掛け、一人一人を大切にしてくださる気持ちが伝わってきました」
現在、介護福祉施設に勤務する吉田さん。働きながら通信教育で学び、社会福祉士や精神保健福祉士などの資格を取得。女手一つで3人の子を育ててきた。
学園で培った全ての人を尊重する姿勢で、認知症介護指導者として、利用者に寄り添うケアを心掛けている。

◇共に「この道」を
JR「河内磐船駅」から学園へと伸びる長い一本道。78年4月26日、喜々として、この通学路を歩む生徒たちを見守った先生は、その様子を詩に託した。

この道よ
この一筋の この道
ああ 交野の路よ

君よ
昇りゆく
朝日につつまれて
いついつも あゆみし
この道を 忘れまじ

青春の
あの日 この日を
乙女の語らいし
ああ 交野の路

さらに午後には、この一本道を自転車で散策。下校途中の生徒と語り合い、温かく激励した。
当時を知る教員は述懐する。
「先生との出会いを幾重にも刻んだ一本道は、学園生にとって単なる通学路ではなく"創立者と共に歩む道"になったように思います」
使命の道、平和の道、友情の道、幸福の道——。
先生の励ましを胸に進む「この道」こそ、学園生の無上の誇りであり、永遠の誓いである。