新聞休刊日
法華行者逢難事 P965
『かかる濁世には互につねにいゐあわせてひまもなく後生ねがわせ給い候へ』
☆女性に贈ることば 十二月十一日
打ち続く試練に、くじけそうになった時は、天を仰ぎ、大きく息を吸ってみることだ。
王者赫々たる太陽の笑顔が、必ずや励ましてくれるに違いない。
☆今日のことば365 十二月十一日
賢明な指導者は、常に民衆の心が何を願い、何をめざしているかを察知しなければならぬ。とくに、青年の心を無視し、強圧的に彼らの意志を蹂躙していくとき、そこには、不信と断絶の深淵を生ずるばかりであろう。
☆世界写真紀行 第27回 メキシコ市の街並み
◇今いる場所で輝く人に
日本から飛行機で約13時間。"はるか遠い異国"なのに、その名は、どこか親しみや懐かしさを感じさせる。
中米メキシコの首都メキシコ市。
緯度的には熱帯に属すが、標高2200メートルの高地にあるため、一年を通して温暖で過ごしやすい。ラテンアメリカ第3の都市で、中心部には近代的なビルが立ち並ぶ一方、独立記念塔などの記念碑や歴史的建造物も数多く残る。
日本とメキシコの関係は深い。1888年、近代日本が初めて平等条約を締結した国がメキシコだった。97年には、明治政府が三十数人の移民団を同国に送っている。ラテンアメリカで初となる日本人の組織的な移住だった。
1965年8月17日、池田大作先生が初めてメキシコを訪問した。
飛行機の窓から見えるメキシコ市の街並み。先生は恩師・戸田城聖先生をしのんだ。
——58年3月、病床にあった戸田先生は、池田先生に語った。
「昨日は、メキシコへ行った夢を見たよ」「待っていた、みんな待っていたよ。日蓮大聖人の仏法を求めてな。行きたいな、世界へ。広宣流布の旅に……」
そして、独立記念塔をはじめ、本などを通して知ったメキシコ市の景観を、池田先生に語って聞かせたのである。
世界広布を熱願した戸田先生の心をわが心として、池田先生は世界へ雄飛した。
メキシコに到着した翌日、先生の一行は市内を視察。大通りを歩き、独立記念塔を仰いだ。
その夜、先生は、宿舎を訪ねてきたメキシコの学会のリーダーと懇談した。この時の様子が、小説『新・人間革命』第10巻「幸風」の章につづられている。
"メキシコに移り住んで40年、その人と社会に魅了された"という友の言葉にうなずきつつ、山本会長は語った。
「大切なことですね。自分のいるところが好きにならなければ、そこで、使命を果たし抜いていくことはできません。いやだなという思いがあれば、どこかへ行きたい、日本へ帰りたい、という心が働き、すぐに逃げ腰になってしまい、本当の仕事はできないものです。自分が、そこを好きになれる"良さ"を見つけることから、価値の創造は始まっていくといえます」
さらに広布を託す師の期待に触れ、友は立ち上がった。この3年後、創価の陣列は25倍に拡大。池田先生はその後もメキシコを訪れ、友を励まし続けた。
メキシコの同志は今、人間主義の哲学を社会に語り広げるとともに、社会貢献の模範と輝く。本年9月に起きたメキシコの大地震においても、友は地域住民と連携し、物資の配布や避難場所の運営に当たるなど、救援活動に力を尽くした。
広宣流布といっても、わが家庭・わが職場・わが地域を愛することから始まる。その思いは、"今いる場所こそ最高の舞台"と確信することでさらに深まっていくだろう。
何があろうと、ここに栄光の旗を打ち立てる。今ここから"私自身の広宣流布"を進める——こうした、環境に負けない"攻めの姿勢"から、人間革命と価値創造の道が開かれていく。