本年の総仕上げへ
幸福と歓喜を広げる
対話に走り抜こう!
自らの誓いを果たし
堂々たる凱歌の歴史を!
御義口伝巻下 P781
『此の品の時最上第一の相伝あり、釈尊八箇年の法華経を八字に留めて末代の衆生に譲り給うなり八字とは当起遠迎当如敬仏の文なり』
☆女性に贈ることば 十二月三日
見栄や虚栄というのは、「人にどう見られるか」ばかりを気にして、自分を自分以上に見せようと、飾り立てることです。しかし、そんなものは幻です。
虚栄の人は、背伸びをして、いつも、つま先立ちで歩いているようなものです。それでは疲れてしまうし、生きること自体が苦しくなってしまう。虚栄がなければ、人生は何百倍も楽しく生きられるのです。
☆今日のことば365 十二月三日
君よ!
快活な時もあるだろう
沈思の時もあるだろう
苦悩の時もあるだろう
これが青年の季節であり
みずみずしい青春の実体であることを
知ってくれ給え
☆教学TALK テーマ:随方毘尼 2017年11月25日
Q 勤行は正座じゃないとダメ
A 仏法は多様な文化を尊重
信心の素朴な疑問に答える「教学TALK」。今回は「随方毘尼」をテーマに語らいを広げる。アメリカ出身のトムが母国に帰る直前に、男子部の会合へ参加。新井男子部本部長に聞きたいことがあるようです。
【登場人物】
新井男子部本部長 学会3世の36歳。20代半ばまで未活動だったらしい。
トム アメリカ出身の30歳。日本で入会し、男子部員として活動中。近々帰国する予定。
トム 皆さんから信心を教えてもらい、本当に感謝です。別れるのは寂しいですが、帰国しても、この信心の素晴らしさをアメリカの友達に伝えていきます。そこで新井さん、一つ質問があるのですが……。
新井男子部本部長 僕たちも寂しいよ。会合で、いつもトムが折伏の話をする姿に、皆が刺激を受けていたからね。それで、質問って?
トム 日本では正座での勤行・唱題にトライしてきましたが、アメリカでも正座じゃないとダメですか? アメリカの生活は、いすが基本で、正座の習慣はありません。
新井 トム、もちろん無理に正座する必要はないよ。海外の人にとっては、正座しながらの勤行・唱題は苦痛でしかないだろうしね。姿勢を正し、敬意をもって御本尊と向かい合うことができれば、問題ないよ。
トム オー! それを聞いてホッとしました。ありがとうございます。
新井 仏法には「随方毘尼」という言葉があるんだけど……。
トム ズイホウビニ?
新井 「随方」は、地域の風習に従うこと。「毘尼」は守らなければいけない規律という意味だよ。仏法の根本の法理にたがわない限り、各国・各地域の風俗や習慣、時代の風習を尊重し、従うべきであるという教えなんだ。
トム オー、ワンダフル! 仏法は多様性を尊重しているのですね。
新井 その通り! だからこそ、日蓮仏法は世界に広がっているんだよ。日蓮大聖人は、「この戒(随方毘尼)の心は、仏法の本義を、はなはだしく欠いていないならば、少しばかり仏教にたがうことがあっても、その国の風俗にたがうべきではないとして、仏は一つの戒を説かれたのである」(御書1202ページ、通解)と仰せになっている。ちなみに、日本で春と秋に行われている「彼岸会」は、釈尊が説いたものではなく、日本独自の風習が定着したものだよ。
トム そうなんですね。てっきり仏教のオリジナルなしきたりだと思っていました。
新井 仏法では、正法という根本基準を立てた上で、成仏・不成仏という仏法の根本原理に関する事柄でなければ、一般の風俗、世間の普通の約束事を尊重していくことを説いている。
池田先生は「どこまでも『その国の幸福のため』『その人の幸福のため』に、一番よい道を考えてあげるのが、仏法の心である。(中略)常識のある『柔軟な知恵』にこそ、仏法の光は輝いている。そこに真の『強盛な信心』はある」と教えられているよ。
僕たちは、これからも相手の心に寄り添いながら、誠実に仏法を語り広げ、世界中に友情と共感のスクラムを築いていこう!