2017年12月8日金曜日

2017.12.08 わが友に贈る

詐欺に厳重警戒!
"おかしい"と思ったら
一人で判断せずに
必ず周囲に相談しよう。
百千万億倍の用心を!

四条金吾殿御返事 P1192
『はげみをなして強盛に信力をいだし給うべし、すぎし存命不思議とおもはせ給へ、なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし』

☆女性に贈ることば 十二月八日
人びとのために尽くす−−その生き方こそが、子どもの心に鮮やかに投影され、無言のうちに種を植えていく。

☆今日のことば365 十二月八日
戦争は極悪中の極悪である
罪のない国民まで道づれにし
犠牲にしてゆく戦争を
断じてこの地球上より除かなければならぬ

☆行学に励む テーマ 悪を責める 2017年12月2日
◇善き集いと共に進む中に幸福の人生は開かれる!
創価学会は創立以来、日蓮大聖人直結の信心に立って仏法を広め、万人の幸福と立正安国、世界の平和のために活動してきました。一方で、広布を破壊しようとして学会を攻撃してきたのが「日顕宗」です。今回は、悪を責める重要性について確認します。

〈Q〉なぜ、悪を責めるのでしょうか?
〈A〉人々の心を惑わす「一凶」と戦うことが、成仏の道だからです。
いかなる大善をつくり法華経を千万部読み書写し一念三千の観道を得たる人なりとも法華経の敵をだにも・せめざれば得道ありがたし(南条兵衛七郎殿御書、御書1494ページ)

日顕宗が創価学会を一方的に破門し、学会が「魂の独立」を果たしてから26年。仏法は仏と魔との闘争であり、広宣流布の途上には、必ずその前進を阻もうとする悪の輩が出てきます。
日蓮大聖人は「(災難を根絶するには)かの千万の祈りを行うよりは、この一凶を禁じなければならない」(御書24ページ、通解)と仰せです。仏法を正しく実践していく上で忘れてはならない点は、人々の心を惑わす、根本の悪縁である「一凶」と戦うことです。
仏法では「悪を責める」「悪と戦う」信心が強調されています。大聖人は、「どのような大善をつくり、法華経を千万部読み、書写し、一念三千の観心の道を得た人であっても、法華経の敵を責めなければ得道はできない」(同1494ページ、通解)と喝破されています。
「法華経の敵」とは、人々に法華経を捨てさせ、万人の成仏の道をふさぐ者をいいます。法華経は、誰人の生命にも仏性があると説く「人間尊敬」の思想です。この法華経を否定し、法華経の実践者を迫害することは、「生命尊厳」「万人平等」の思想に逆行することにほかなりません。悪を責めることは、万人の生命尊厳を守ることにもなるのです。

〈Q〉現代における「法華経の敵」を教えてください。 
〈A〉広宣流布を現実に進める創価学会の破壊を企てた日顕がそうです。
時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事(日興遺誡置文、御書1618ページ)

日蓮大聖人御在世の当時、「法華経の敵」の姿を現した人間の代表格は極楽寺良観でした。慈善事業を行うなど、世間的には「生き仏」のように人々の尊敬を集めながら、裏では大聖人を迫害していたのです。
一方、現代では、広布を現実に進める学会を破壊しようと企てた法主日顕こそ「法華経の敵」に当たります。大聖人の広宣流布の精神と実践は、日興上人に正しく継承されました。しかし、時代を経るごとに日蓮正宗宗門では、そうした精神と実践は形骸化して僧侶の権威化が進み、僧俗差別が行われるようになったのです。
学会は創立以来、宗門に対して正すべきは正しながら、赤誠の真心で宗門を守り、支え、350以上の寺院を建立し、寄進してきました。しかし、日顕ならびに宗門は、学会や池田先生を敵視し、学会を切り捨て、会員信徒を宗門に隷属させるための「創価学会分離作戦」(C作戦)を実行してきたのです。
日興上人は、「たとえ、時の貫首(一宗の法主)であっても、仏法の正義に背いて、勝手な自説を立てた場合には、これを用いてはならない」(御書1618ページ、通解)と仰せです。
この仰せのままに、学会は日顕宗を徹して責め抜いています。

〈Q〉日顕宗は「法主が絶対」と言っていますが……。
〈A〉大聖人直結で、「信心の血脈」が流れ通う組織は学会だけです。
日本国の一切衆生に法華経を信ぜしめて仏に成る血脈を継がしめん(生死一大事血脈抄、御書1337ページ)

日顕宗では、「法主が絶対」とする考えがあり、前の法主から「血脈相承」を受けるだけで仏の内証(心の中の覚り)、法体(覚りの法そのもの)が、次の法主へ伝えられるとする神秘的な血脈観を持っています。
しかし、これは日蓮大聖人、日興上人の教えとは無縁の邪義で、後の時代の者が法主の権威を主張するために作った"うそ"です。
御書には「日蓮は、日本国の一切衆生に法華経を信じさせて、仏に成る血脈を継がせようとしている」(1337ページ、通解)とあり、大聖人は「信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり」(御書1338ページ)とも仰せです。
池田先生は語られています。
「仏法の根本は、どこまでも『信』である。地位でも、権威でもない。『信心』の二字にこそ、御本仏からの血脈は通い、生き生きと脈打つのである。もしも信心を失い、信心が狂った場合には、立場が高いほど、むしろ厳しく『法』によって裁かれることは間違いない」
大聖人直結の信心を正しく継承し、現代に実践している善き集いは、創価学会以外にありません。
どこまでも、万人の幸福のために戦う学会と共に進む中に、幸福の人生は開かれるのです。

◇智慧の扉 「第六天の魔王」とは?
仏道修行に励む中で、その前進を阻もうとする働きを「三障四魔」といいます。三障四魔とは具体的に、三つの障り(煩悩障・業障・報障)と四つの魔(陰魔・煩悩魔・死魔・天子魔)をいいます。
このうち最も恐ろしいのが「天子魔」です。天子魔は、他化自在天子魔の略で、「第六天の魔王」による妨げであり、最も本源的な魔です。
御書に「元品の無明は第六天の魔王と顕われたり」(997ページ)と仰せのように、この魔は、生命の根本的な迷いから起こるもので、権力者などの生命にあらわれるなど、さまざまな形で仏法者に迫害を加えてきます。こうした魔を打ち破る要諦こそ、何事にも紛動されない強い信心です。